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(実装 標準 / 最終更新 Ver. 3.1.0 α3) 処刑投票 【投票数変化】投票数が変化 登場 サブ役職EASY以上 ログ表記 [権力者系] 説明 投票数に変化が起きるサブ役職です。 権力者系サブ役職一覧 役職 実装 登場 表示 特徴 権力者 標準サブ役職 サブ役職EASY以上 普通村(16人-) 有り 投票数+1 無精者 Ver. 1.5.0 β3 有り 投票数-1 わらしべ長者 Ver. 1.5.0 β3 有り 5日目以降投票数+1 没落者 Ver. 1.5.0 β3 有り 5日目以降投票数-1 会心 Ver. 1.4.0 β14 急所村天候「台風」 無し 5%の確率で投票数+100 反逆者 Ver. 1.4.0 α14 有り [権力者]と投票先一致で双方投票数減少 気分屋 Ver. 1.4.0 α14 有り ランダムで投票数-1~+1 傍観者 Ver. 1.4.0 α9 有り 投票数0 一日村長 Ver. 1.5.0 β4 強制 1日限り投票数+1 入道 Ver. 1.5.0 α5 強制 対応する[黒衣]」が生存=投票数+1/死亡=得票数+1 オプションなど 天候「雹」(Ver. 1.5.0 α4~) 天候「雹」の時、全員の投票数がランダムで+0~+5票されます。 天候「蜃気楼」(Ver. 1.5.0 α8~) 天候「蜃気楼」の時、サブ役職による投票数や得票数の変化は無効となります。
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(※ 私たちはいつでも貶められることが可能な一匹の蟻に過ぎないのか) 抗議・抵抗 / 革命 / 国家 / 警察 / マスコミ / マスゴミ
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権力ハニー夏バージョン ニックネーム 感 想 小フーガハゲ短調 ブルマン 二人のヒミツ カテキン 権力ハニー夏バージョン ペチャパイ さなだ虫 青のり 石焼イモ コンビニ BURI BURI BURITORA BURI TAISO ひとりのうた トップページへ戻る BURITORAコーナーへ戻る
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日本 / 明治維新 / 八咫烏 / 日本の奥の院 ■ 秘密保護法案「絶対必要」―安倍首相 「さてはてメモ帳 Imagine Think!(2013.10.12)」より / 『日本のいちばん醜い日』に益田勝実氏の文章が引用されている。 「天皇様をお作り申したのはわれわれだとは、明治以前に生まれた長州の老人たちによく聞かされことだったが、近代天皇制以前には、京都に天皇家はあったが、天皇の国家はなかった。尊皇派が考えていた天皇の国家の考えは思想として獲得されたもので、現実に京都にいる天皇という実在の人物に合わせて作られたものではなかった。かれらが求めている天皇と現実の天皇と、いくらか融和出来るうちはよいとして、その矛盾が激化すると、……激化すると、天皇を取り換えてしまうほかなくなる。 わが家に空襲で焼けるまであった孝明天皇使用の皿は、おそらくまだ長州と天皇の間がうまくいっていた、蜜月時代にもたらされたものだろう。奇兵隊挙兵の翌年、1866年(慶応2)の暮れには、孝明天皇は謀殺されてしまった。もちろん、仕組んだのは江戸幕府ではない。志士側で、天皇が倒幕の障害になりはじめたからである。今日では、このことはもう公々然の秘密となっている。(益田勝実『天皇史の一面』より)」 益田勝実は長州の国家老一族である。だから田布施の住民を虐げた側というか、支配した(あるいは敵対した)側である。その子孫である益田勝実が、「てんのうはん」、つまり、山口県熊毛郡田布施町麻郷(おごう)に生まれ、孝明天皇の長子睦仁の替え玉となり、明治天皇となった真相を突いたのだ。 『日本のいちばん醜い日』では、「大室寅之助は田布施の生まれ、……伊藤博文(林家が伊藤家の本家)と「虎ノ門事件」を起こした難波八助は一族である。また宮本顕治(日本共産党)も一族。そして、木戸幸一も系図に入ってくる。京都大学教授でマルクス主義を木戸幸一、近衛文麿に教えた河上肇も一族である。そして、大室寅之助の生家の近くに岸信介一族の生家もある。この地から代議士の国光五郎、難波作之助が出ている。また、元外相松岡洋右も岸信介の一族である。あの終戦内閣の最後内務大臣安倍源基も大室寅之助の生家の近くである。 ......大室寅之助が南朝の末裔であるという説があるが、確たる証拠は私の調べた限りではなに一つない。むしろ、北朝鮮系の被差別部落民ではないのか、と思っている。」(「日本のいちばん醜い日」より) 明治維新から日本の国家中枢に君臨する一族には、このような真相があるのである。 鬼塚氏も書いているが、瀬戸内海の沿岸や島々には被差別部落が多い。そこからアメリカや中南米に移民として行かされた人も多い。「家船漁民」といって、船上で暮らす人々も瀬戸内地方には多かった。いずれも彼らはマレーシア方面から漂着した平家系の民であろう。 源平の戦いがあった平安末期、貴族となって権勢を誇った平清盛一族は、(八切止夫によれば)マレーシア方面から比較的新しく紀伊半島に“鉄器を持って” 漂着した部族であった。その彼ら貴族化した平家を、それ以前に土着していた北条氏らの平家一族が源氏(頼朝や義経)という馬を扱える部族を使って日本国内から放逐したのがあの源平の戦いである。だから清盛一族側の貴族化した平家は、海洋民族だったから騎馬戦は得意ではなく、義経に追われると瀬戸内海を下関(壇ノ浦)まで逃げた。当然瀬戸内海には海洋民族である土着の平家系のいわば海賊もいたのだが、彼らは北条側の平家に就いて義経に協力したため、貴族化した平家らは撤退せざるを得なかった。だから源平の戦いとは、本質的に“新来の平家”と“旧来土着の平家”との内ゲバであった。 (引用注:このあたりは疑問である。周防灘文明が天山に続く「大和」の源流であることを思い出さねばならない。そしてもちろん、揚子江下流文明等も継いでいることも。つまり陸と海のシルクロードが合流しているのが周防灘である) それで勝った側の北条平家は、源氏系統=北朝鮮系を皆殺しにし、生き残った源氏系部族人間は別所などと言われる被差別部落に追い込んだ。おそらく瀬戸内一帯に土着していた源氏系の部族も別所などの被差別部落に押し込めて、まともな活動ができぬように圧迫したと思われる。その一つが山口県の熊毛郡なのであろうし、遠く鹿児島にも同様の田布施として源氏系部落を作ったのではないか。田布施という所は「正直いって、住むのに悪条件だらけの土地であった」と鬼塚氏は書いている。あるいは「やたらと寺の多さに気づく」とも書いている。権力者が寺院を使って被差別部落を抑えつけたのだろうし、本来は白山信仰を持ち仏教には転向しない源氏系(北朝鮮系)を強引に仏教徒にしようとした痕が、田布施の寺の群れなのだろう。(引用注:憶測が長すぎると思う。元著者が記事を消した理由だろうか?) 鬼塚氏は、田布施出身の大室寅之祐の家が漁業を営んでいないことを指摘している。ということは大室家が平家ではないことを意味している。平家系の庶民の職業は、漁民か百姓と決まっていたからだ。鬼塚氏は大室寅之祐が北朝鮮系の被差別部落民ではないかと言っている。「週刊朝日」06年10月6日号に掲載された「家政婦は見た~安倍晋三研究」で、安倍家の家政婦の証言として、安倍晋三の父・晋太郎は、日頃から「自分は朝鮮だ」が口癖で、亡くなったときの遺骨を見ても韓国系の体型だったと言っている。 山口県田布施町の怪(下) http //blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/1c1ad0126db64c496dc1e8b573179ef5 《2》 現在の天皇家としては明治天皇=大室寅之祐の血筋は途切れたものの、田布施(または熊毛郡)出身の一族郎党が国の権力を握っていることに変わりはないようだ。安倍晋三が首相を辞めない(辞められない?)その傲慢さも、彼が明治以降に日本を牛耳ってきた権力を受け継いでいるからだろう。それに安倍晋三は統一教会と縁が深いのだからまさに朝鮮半島勢力である。明治天皇とその取り巻きが、なにせ田布施出身の朝鮮人系統なのだから、現実の政治はその流れに沿うのである。 終戦時(と開戦時)に外相だった東郷茂徳は、鹿児島の朝鮮人部落出身である。本名は朴茂徳である。鹿児島ではあるが、田布施と同じ出自なのだ。だから昭和天皇は終戦の大事な時期に、東郷茂徳を起用した。東郷に外交ルートを使った終戦工作、すなわち天皇の身の保全と、天皇家の蓄財の隠蔽を命じたのである。東郷はA級戦犯となり、服役中に病没しているが、おそらく真相を知る人間だから消されたのであろう。 先に紹介したが、終戦時の安倍源基内務大臣は熊毛郡の出身で、安倍晋太郎・晋三との結びつきは不明らしい(家紋は同じ)が、大室家とは親族だという。安倍源基は周知のように、戦前、警察権力を一手に握った男で警視総監をやり、特高警察で君臨した。言ってみればゲシュタポかKGBの親分のようなものだ。権力者にとっては重要なポジションである。これもまた朝鮮人系が握っていたのだ。 さらに。鬼塚氏が指摘しているのは、終戦時の内閣では大分県出身者が多いという。阿南惟幾陸相(竹田市出身)、梅津美治郎陸軍参謀長(中津市出身)、豊田副武海軍軍令部長(杵築市出身)、また重光葵(東久邇宮内閣外相)は国東半島出身。大分県は瀬戸内海で田布施とつながっている。この辺りは、先の家船漁民の活動範囲であって、その交流のなかで婚姻関係が結ばれていたはずなのである。つまり昭和天皇は同じ朝鮮人関係者で、敗戦処理を行なったのであった。 (引用注:もともと大仏殿が宇佐にあったことも思い出すべきであろう。かつて、このあたりは、「秦王国」の主要領域であった。秦氏はシルクロードを通って、朝鮮半島に至り、東南側に秦韓を作っただろう。が、半島では異邦人であり多くはそこには約100年ほど留まっただけで、倭国に渡ってきた。そしてもちろん、九州北東部に秦王国と京都を構築、そして周防灘文明、瀬戸内文明を形成しながら後に関西に移住して新「京都」を造営いくことになる。たいして難しい話ではない) (※ 写真・図は略) こうして見てくると(引用注:朝鮮半島南部はもともと倭国の一部であったし、「日本」の一部でもあった)、どうして明治権力が朝鮮半島に侵出したか、しかも朝鮮半島をいわゆる植民地化せずに“内地化”して、インフラ整備を徹底的に施し、 “内鮮一致”を押し進めたかがわかる。つまり日本が稼いだ富を祖国・朝鮮半島にせっせと注入したのだ。また日本国内に在日朝鮮人を大量に残し、厚遇してきたかもわかる。権力者どもにとっては同族だからだ。わざと(ユダヤの指示で)日本国内に火種を残したとも言えるだろう。北による拉致だってわかったものではない。総連や北の工作員だけでなく、こうした闇のルートが拉致に介在した可能性もあるし、現在も小泉や安倍という朝鮮系の人間が首相をやっているのだから、闇は深まるばかりだ。 こうして見てくると、話はやや飛ぶが、「アカシックレコード」の佐々木敏氏や、「国際情勢の分析と予測」サイトが指摘する、日本と北朝鮮は本当はかなり親しい関係にあって、ケンカしているように見せているのは表面的なことではないか、との予測は当たっているのかもしれない。冗談に聞こえるのだが、北の金日成や金正日は、「日」の字があって、親日の意味がこもっているのだとの説もあながち荒唐無稽な話ではないのかもしれない。つまり、われわれは「日」といえば日本の「日」だと固く思いこんでいるが、そうではなく、もうちょっと東アジア一帯という視点を持つと、北朝鮮系とそれに呼応する日本の源氏系(?)との連携(=同族)を意味する言葉が「日」なのかもしれない。 「アカシックレコード」の佐々木敏氏はしきりに中朝戦争の危機を指摘している。安倍政権は中朝戦争に反対していると言われ、だから何がなんでも政権を維持して、祖国(?)北朝鮮が戦争に巻き込まれないように、あるいは中朝戦争によって東アジアの朝鮮族連合が破綻しないように、必死なのかもしれない。安倍政権が転覆すれば中朝戦争が必至とも予測されるなか、韓国系やら北系やらの思惑が交錯しているのが現況なのか。今度の朝鮮南北首脳会談もそれを受けてのこととも考えられる。 《3》 さらに鬼塚氏は興味深いことを書いている。明治天皇の生母とされる中山慶子(つまり孝明天皇の種をもらった女性)の墓が東京・文京区の豊島ケ岡墓所にある。ところがこの明治天皇の生母の墓を、明治天皇を始め皇族まで誰も参拝に行っていないのだという。現在の中山家当主は、鬼塚氏の問い合わせに「生母に関しては箝口令がしかれていて、一切答えられない」と言ったそうだ。 これはつまり、明治帝がやはり孝明天皇と中山慶子の子ではないことの証明である。生前に明治天皇は生母に会ってさえいない。「この人間関係の冷たさがーーたとえ生母でなくても会えばいいではないかーー日本の暗黒をより深くし、日本を太平洋戦争へと突き進ませたと思えてならなかった」と鬼塚氏は書いた。そのとおりである。昭和天皇も今上天皇もその他皇族も、孝明天皇の子孫と思うのなら、中山慶子の墓を粗末にするはずがないのだ。 先に「現在の天皇家は、明治の大室寅之祐の血筋は途切れた」と書いたが、大正天皇はどうやら大室寅之祐の子らしいが、昭和天皇は大正天皇の子ではないからである。西園寺八郎と貞明皇后のあいだの子とされる。その事情を『日本のいちばん醜い日』で詳述している。西園寺八郎は毛利家から公家の西園寺公望(元老でありフリーメースン)の養子になった人物で、宮中深く浸透した。大正天皇とは学習院で同級生だった。その息子公一(きんかず)は、コミュニストでゾルゲ事件に連座したが、親(八郎)のよしみで釈放されている。 明治天皇も伊藤博文も、大正天皇に子どもができないことを知っていたので、西園寺八郎を貞明皇后に近づけたとされる。それを鬼塚氏は詳細に検証していく。そして、大正天皇の子4人(昭和天皇、秩父宮、高松宮、三笠宮)はいずれも父親は別とされる。みんな顔が似ていない。(浩宮と秋篠宮もまったく似ていないが…) 鬼塚氏は、秩父宮が2・26事件の策を練り、終戦時の8・15宮城事件は三笠宮が策を練ったのだと断言している。どちらのクーデターもヤラセだった。 貞明皇后(節子*さだこ)はしきりに世継ぎに介入したとされる。秩父宮を溺愛し、裕仁より秩父宮を天皇にしようと暗躍した。貞明皇后は長州が嫌いだったので、薩摩系の良子を昭和天皇の嫁にしようとして「宮中某重大事件」を起こしている。 貞明皇后は五摂家のひとつ九条家から嫁したとされるがウソで、武蔵野のある大農家の娘だったという説と、彼女の本名は朱貞明だという説がある。中国か朝鮮であろう。朱貞明は、明治政府が徳川幕府から接収した皇居(千代田城)を、高級遊郭にしたのだが、そこに召し出された女性だという。千代田城は「千代田遊郭」と呼ばれ、伊藤博文や大室寅之祐らが、維新で職を失った旗本の娘から美女を選んで囲ったもので、天皇と重臣の遊び場だった。朱貞明が長州の侍に騙されたかして千代田遊郭に入れられ、後に大正天皇の嫁にさせられたとするなら、長州嫌いになったわけもわかる。 貞明皇后は秩父宮の妃を迎えるにあたっては、わざわざ朝敵とされた会津藩松平家から勢津子を選んで、長州への面当てをやった。(ちなみに勢津子のかかりつけの美容師が吉行あぐりである)この会津から皇室への婚姻で、会津の人は喜んだというが…。 今上天皇が堂々、天皇家の祖先は朝鮮から来たんだと記者会見で言って、驚かされたが、つまり今上天皇は、祖母の貞明皇后が朝鮮系であることを述べていたのだと思われる。 いずれにせよ、かように日本上層部は、民族的怨念と覇権を巡っての暗闘を続けているのであって、現在の自民党や民主党ら政党の争いとか、霞ヶ関の官僚の争いも、そうした背景を知らねば解明はできないものと思われる。 ロスチャイルド一族、日本をとる。 by Clifford Shack http //satehate.exblog.jp/7983092/ サバティアン・フランキスト・イルミナティ;全能の目カルトとしても知られる http //satehate.exblog.jp/7920212/ もう知っていると思いますが....ヨハンセン=吉田茂 投稿者:Legacy of Ashesの管理人 投稿日:2013年10月11日(金)23時34分22秒 http //6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/2152from=bbsticker ハリマン覚書~日支闘争計画~ メモ http //satehate.exblog.jp/9459945/ 太平洋問題調査会と真珠湾攻撃工作 http //satehate.exblog.jp/15625945/ 7・3・1 http //satehate.exblog.jp/12060873/ ...公一も、晩年は中共の党員であった。 昭和49年後半と記憶するが、NHKテレビで西園寺が 「あの戦争は俺達がやったんだ」 とニヤニヤしながら語っていたことは、今も脳裏から離れない。腹立たしい事実である。 .
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ちよせくけんりょくぼーそーもんだい この問題はまだまだ認知されてないが署名が大量に集まれば可能になるもんだが。 「ネットワーク上に送信する事を禁止」とあるが、理論的には間違った解釈である。 これは権利者=作家ではなく、作家が設備提供と見返りに権利の一部を提供先へ譲渡してしまってるためである。汚い大人たちは562ぇるはずである。というわけでいーじゃないか!2かむぁるぃつぃね!つぁくぁぃゅくぉつぃね!むぁつぉをくとぉつぃね。この呪文でやってりゃいいの。先進国になるほどルールが増えて不便になる。だからこんな糞権力は必要ない!どっちみち不便になるなら廃止するんだねこれ! テレビで放映してる限り制限の必要はない。むしろろくに再放送しないくせに権力を振るうなんてとんでもないことであるぜ。実は日本は知的障害者王国アメリカの陰謀で今までこうした危機に瀕している。 署名を提出しても受理されない「著作権法、利権保護の悪法」という議論 - Yahoo!知恵袋「著作権法、利権保護の悪法」という議論 ①新譜は日本で3000円、同じ自由主義経済のアメリカで500円!LP 時代から変わらない。違法違法とわめいている連中はこの不公平に正面から答えたことがない。消費者に公正を求めるなら生産者も公正であるべき。悪法の真の思惑は著作権の保護ではない。最高裁はWinnyについて無罪を判決したが、あまりに厳しい規制はわが国のIT産業の成長を妨げるというもの。著作権保護には「わが国の文化の発展を妨げない限りにおいて」という大前提があるから当然の判決。その点現行「著作権法」には重大な最高裁判決違反の疑惑がある。 こういう現状で、権力で以て、しかも法体系の整合性を損なうような重罰で規制するには問題が多すぎる。 審議会での議論は、これに終始。(山田奨治「日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか」2011 、人文書院)違法違法と叫んでいる連中は売れ行きの悪さを3000円に求めないでDL のせいにしているだけ。DLが売れ行きを妨害していると誇大に被害妄想している。道路公団の通行量見積りと同じ。なんでかくもワンパターンの発想なのだろう。購入対象者の大半はお小遣い3000円-6000円くらいの中学生、高校生でしょうが、アメリカ並みの500円になったら「違法」ダビングは激減する。 ②DLを許可しているものかそうでないかの明示がない。明示しないのは彼らの裏事情かジレンマがあるのだろう。おまけにどちらも機能的にはDLできる。したがって許可のないものでもDLしたくなるのは人情。まして一回やっただけで刑事罰が300万円!!!、十万円の窃盗罪と同じ!!!これでは法体系の整合性を損い、法秩序の不安定を招き、法への不信が増大し、それが社会の不安定と混乱を招くと思い及ばないのだろうか。古今東西、社会不安と革命は、権力者・為政者による法の恣意的運用に端を発していることをお忘れか。 UPしている人には、自作品の評価をアクセス数だけでなく、DL数で測っている人も多数、とうよりそのほうが多い。その点PCソフトでも同じ。ゲームでも製作会社は、旧作であれば、ゲーム実況者による改作は「まあ、そういう利用の仕方もあるだろう」と笑って済ましているのが現状。(ウイキペディアの「著作権」の項)。歌手だって、 DLしてもらうことで人気が高まり、CD、DVDの売り上げがのびることは知られているから、必ずしも不利ばかりではない。 DLしてほしくない人のためにしてほしい人のものまで規制するのは逆の「違法」ではないか。 上記の通りWinnyについて最高裁は無罪にしたが、厳しい規制はわが国のIT産業の発達を阻害するというものであった。違法違法とわめく連中の、なんという近視眼、不見識。重くすれば羊のようにおとなしい下々はひれ伏して、彼らの思惑通り、 CDやDVD を購入すると錯覚しているらしい。売れない原因はアメリカの6倍もの高額にあることにほおかぶり。利権より眼がない哀れな連中。このインテリジェンス!所詮実効性のない、こけおどし。 ③著作権の侵害は、損害賠償という、民事上の問題。なぜ公権力の発動で臨むのか。借金やローンの未払いの取立てに警察官が来るのと同じ。民事不介入は日本刑法の根本原則。 たとえばNHK受信料。契約するかしないかは純然たる双方の私人間の問題。警察権力で強制すれば民事不介入の原則に違反する。大体 TVがあるから受信料を払えという理屈がおかしい。高速道路の近くに住んでいるから通行料を払えという理屈と同じ。ひところ警察官上がりと思われる連中がよく契約の勧誘に来たが、お願いはできても、強制はできなかった。すれば強要罪になる。刑法に引っかかるのは彼らである。契約者の不払いは契約違反だが罰則を作れない。いまだに罰則がないのはそのため。国営化すれば別だがそれはできない彼らの事情がある。年俸 1500万円もの高給が取れなくなる!国家公務員の半額 700万円になる。彼らにとって地獄だ。そこで損害賠償を求めて支払い滞納者を告訴しようとしたが結局失敗した。一番支払わないのが受信料の徴収人であることが露見。最近は NHK経営委員の一人が払っていなかったことがばれた。 こんなことがまかり通れば、NHK受信料、高速道路通行料ばかりか、新聞まで強制的に購読させられる時代になるだろう。マスコミは、消費税および減紙対策として 中・高の国語教材に新聞を取り入れる策謀を始めている。 われわれ一介の庶民が知人の借金取立てを警察依頼すれば民事不介入をたてににべもなく断られるだろう。交通事故の損害賠償も同じ。警察は決して介入しない。 然るに、レコード会社、文部官僚のおいしい天下り先の著作権保護団体、マスコミは悪法まで制定して介入しようとする。著作権保護でおいしい利権を得ているのは、本来の著作権者(歌手や作曲者など)ではなくこれらに寄生している、著作権隣接権者のこれらの連中だろう。芸術的公演にまで入場税を課税する、文化後進国のこの国の官僚が真に本来の著作権者の利益を守ろうとしているとは考えにくい。不法の法律自体が、一部の利権屋のためのもの。利権屋のためにお上が下々を取り締まるための「掟」「お触れ」「お達し」の類。日本はいまだちょんまげ武士とこれとつるんだ悪徳商人の仕切る、江戸時代並の国。こんな悪法の末路哀れであることは先刻見通し。 ④最近あれほど頑固だった日本音楽著作権協会が遂に歌詞の自由使用を認めた。YouTube にUPしている大方の利用者にとっては著作権の実質的放棄に同じ。 ⑤DLしている若者は小さいときからほしいものは何でも手に入る環境でで大きくなっているから保守的で権威に弱い。それが「違法違法」と叫ぶ連中の支配の社会的基盤であるわけだ。しかし彼らはほんの幼児の時からゲームやPCで育っており、いわば体の一部になっている。ここでのかれらの自由や創造性を損えばどのような事態になるか、いわずとも明らかである。権威や支配層からの離反・反抗であろう。そのときは彼らの支配の終わりのときである。 最後に20世紀イギリスの賢者H・G・ウェルズの言葉を一つ。 「支配者および帝国の真の力は軍隊や海軍の内にあるのではなく、その人民が支配者や帝国を目して、公明なる、合理的なる、合法的なるものであると信ずるその信頼の内に在るのである。一国の政府が、この立場から離れるや否や、それはすでに「所有者の一団」(注:派閥利権集団)以上の何物でもなく、その最後はただ時日の問題となる」(世界文化史大系第39章第6節「宗教思想および政治思想に及ぼした進化論の影響、引用は 1921年版第Ⅴ巻368P。一部語句を正確にしてある) ナイス!0どうでもいい知恵ノート(文化保護という名の利権) 大悪法秘密保護法はBの陰謀である。 どうでもいい知恵ノート(学術振興という名の利権) どうでもいい知恵ノート(関西空港という名の利権) どうでもいい知恵ノート(スポーツ振興という名の利権)
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701 名前:NPCさん[sage] 投稿日:2009/01/10(土) 21 17 40 ID ??? 何年か前、短期間だけどサークルに入ってた事があるんだ。 規模は20人くらいだったと思う。なんか痛い、というか不思議なとこだったなあ… 特定を避けるために時代、地域、実名は伏せる。名前は全て仮名だ。 代表の職名を総裁というんだけど、実質的な創始者である引退した二代目を憚ってか空席で、代表幹事の前田が職務を代行してた。 二代目は三浦っていうんだが、サークル創立メンバーの一人で、初代総裁(開祖と呼ばれてた)が引退して総裁職を継ぐや、 ごく小さなサークルを急成長させた功労者だった。サークルの会則とかも三浦がつくったらしい。 その過程で自分以外の創立メンバーの殆どをパージして絶対権力を確立してきた。 その三浦はすでに退会していたが、OBとしてしばしば顔をだしていて、強い影響力を保っていた。 ちなみにこのサークル、会則の冒頭に開祖と三浦の語録がのっている。 三浦の口癖は「俺が決める」で、前田は「俺は三浦さんの路線をなぞるだけだ」とよく口にしていた。 702 名前:NPCさん[sage] 投稿日:2009/01/10(土) 21 18 53 ID ??? サークルには代表幹事の他にも沢山の役員がいた。 書記だの会計だのはまあいいとして、参事とか相談役とか風紀とか総務とか広報とか教育係とか妙な肩書きが沢山いた。 どこの会社だよ…ってな感じだったけど、妙にドロドロしてたんよ。 代表幹事の前田は三浦から後継指名されたらしく、三浦の権威をかさにきて権力をふるっていた。 書記の桜木と参事の岩間が時期代表幹事の地位を狙って権力抗争してて、前田も権力維持のためかそれを煽っていた。 会計の竹股は岩間の子分。会則では運営費の使途は総裁のみに報告すればいい事になってるが、総裁空位の為、何に使ってるかわからない。 広報の斉藤も岩間の子分。岩間、竹股、斉藤の三人はいつもつるんでいた。 教育係の海老沢は桜木の子分。桜木の意を受けてか、新人が入ると派閥にさそっていた。(俺も誘われた) 風紀の大杉は前田の側近で、ぶっちゃけ秘密警察。前田にとって都合の悪い問題児を密告していた。 総務の松島はよく言えば空気を読む人。悪く言えば風見鶏。 相談役の諏訪は開祖や三浦とともにサークルを立ち上げた最古参で、何の権限もないが温厚な人柄で人望はあった。 まあ、三浦の大粛清を生き延びてきた人だからそれなりにデキる人だったんだろう。 703 名前:NPCさん[sage] 投稿日:2009/01/10(土) 21 19 18 ID ??? あれはサークルに入って半年くらい経ったころだったと思う。 OBの三浦が家業のお寺を継ぐ事になって、サークルから完全に手を引いたんだよ。 前田は三浦に「終身名誉総裁」を追号した。で、岩間は前田に第三代総裁就任を求めたわけだ。 まあ、岩間は自分が代表幹事になり、後継者争いで桜木を出し抜こうとしたんだろう。 そのころには前田も岩間たちとよくつるんでいて、桜木は疎外されていたしね。 それがサークルで噂になり、桜木が会員総会の開催を要求したんだ。 補足すると、このサークルは役員会の他に半年に一度、もしくは臨時に開催される会員総会ってのがある。 まあ、政党の執行部と党大会の関係みたいなもんだ。 会則では総裁は会員総会で選出され、総裁が役員を任命する事になってたわけで、桜木の要求は妥当なものだった。 で、総会当日、事件はおこったんだ。 704 名前:NPCさん[sage] 投稿日:2009/01/10(土) 21 19 44 ID ??? 本来、この日の総会は前田を新総裁に選出する為に開いたはずだった。少なくとも、前田はそう考えていたと思う。 ところが、総会が始まると、桜木が緊急議題をだしたんだ。それは、会計の竹股に対して運営費の使途を開示するよう求めるものだった。 予想通り、竹股はろくに帳簿をつけていなかった。で、竹股とつるんでた岩間、斉藤も槍玉に挙げられた。 前田の側近だった大杉が、3人は頻繁に飲みにいってるが、使い込んでるんじゃないか?と発言したのが参加者に火をつけ、 総会は吊るし上げの場になった。前田は予想外の事態に当事者能力を失っていた。 どうも、大杉が桜木に取り込まれたらしい。勿論、桜木の子分の海老沢も俺らを炊きつけていた。 前田は空気を読まず三人組を庇おうとしたが、相談役の諏訪に諭されて結局見捨てた。 結果、前田の総裁就任は承認されたが、桜木が後継の代表幹事になり、岩間、斉藤、竹股は失脚した。 更に、桜木は世代交代の名の下に前田、海老沢、大杉以外の役員を退任させ、海老沢が会計になり、子分達を役員に昇格させた。 桜木はクーデターで前田から権力を簒奪したわけだ。もはや前田新総裁はお飾りで、実権は桜木代表幹事が掌握してしまった。 大杉は今度は桜木の側近として風紀の地位を保ち、海老沢新会計は桜木の忠臣として辣腕をふるった…かに見えた。 705 名前:NPCさん[] 投稿日:2009/01/10(土) 21 20 18 ID 1Jucgo92 結局、三ヶ月も経たないうちに前田は退会し、桜木が第四代総裁に就任したが、彼もまたすでに実権は喪失していた。 役員会は海老沢が掌握してしまっていた。桜木の意を受けて派閥を創った彼は、派閥を自分のものにしてしまっていた。 わずか三ヶ月前にクーデターで権力を得た桜木は、自分もまた子分に権力を奪われたわけだ。 代表幹事になった海老沢がまずやった事は、サークルの嫌われ者だった蝙蝠野郎の大杉を追放する事だった。 くだらない内ゲバをみてきた俺は、馬鹿らしくなってサークルを辞めた。 その後、転居などもあって完全に縁が切れた為、サークルがその後どうなったのかはわからない。 あるいはもう無いかもしれない。 尚、約一年在籍したが、諏訪と海老沢以外の役員がTRPGをしてる姿を一度も見た事がない。 スレ214
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関連ページ 目次 産業における権力関係高付加価値化による権力の発生携帯電話での例 都会と農村 科学技術のリスクとの結びつき 参考文献 産業における権力関係 高付加価値化による権力の発生 産業は以下の順に発展してきた、と一般に言われる。 第一次(農業、鉄鋼業) → 第二次(製造業、電気業) → 第三次(サービス業) 実際の物の流れを具体例で考えよう。(例1)鉄鋼業で金属を得て、それを製造業で加工して携帯電話を作り、そしてサービス業の電話会社が電話サービスを提供する。(例2)農業で野菜を収穫して、それを都市部へ運んで、サービス業の飲食店が食事サービスとして提供する。 本来ならば、これは単なる分業であって、そこに強弱関係は存在しない。しかし、上記の物の流れは、高付加価値化の手順でもある。高次産業に近づくほど、 お客への訴求力が高まるわけだ。そしてそれが、金を生み出すのは高次産業である、という経済的な権力関係を作り出してしまう。 携帯電話での例 携帯電話の製造において発言力を持つのは誰か。 製造に関わるアクターを、材料メーカー、部品メーカー、携帯電話メーカー、通信事業者と考えたとき、一番発言力を持つのは通信事業者である。各々の分類は以下のようになる。 第一次: 材料メーカー(JFEスチールなど) 第二次: 部品メーカー、携帯電話メーカー(富士通、sonyなど) 第三次: 通信事業者(docomo、au、softbankなど) 例えば、通信事業者が「全機種防水!」などのアピールをしていたことがある。まさか全携帯電話メーカーが同時期に防水に目覚めたわけではなくて、「顧客は防水を望んでいる」と考えた通信事業者が防水キャンペーンを実施したということなのだ。 その権力関係を飛び越えているのが、APPLEのiPhoneである。突出した製品力だけでなく、その背後のiTunesStoreなどのサービスにまで踏み込むことで、通信事業者よりも顧客に近い位置に立つことができた。(通信時業者の権力関係に固執するがあまり、とある通信時業者はiPhoneの独占契約を逃したと聞いたことがある) 都会と農村 科学技術のリスクとの結びつき 権力側が、科学技術のリスクを、弱い方へと押し付けている。 原発問題での、東京と福島。 紙社会での、日本とアフリカ。 参考文献 森林破壊の統計についての解説http //kohamatk.seesaa.net/article/146335275.html
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(標準サブ役職/最終更新 ver.1.4.0β15) 基本データ 特徴 普通村における配役仕様 コメント 基本データ 系統 権力者系 表示 有り 登場 普通村オプション(1名)/サブ役職制限EASY以降 ログ表記 [権] 特徴 昼の投票において、投票数が+1される権力者系のサブ役職です。 【長老】【古狼】【古狐】【古蝙蝠】の能力と共存します。この場合は投票数が3票になります。 普通村における配役仕様 登場オプションをONにした上で、開始人数が16人以上の場合に登場します。 登場する場合、1名のサブ役職に付加されます。【決定者】と同一人物にはなりません。 コメント 名前 コメント
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司教の嘆き 初期中世においておおきな権力をふるった貴族女性の存在 夫の死後、かわりに支配領域に裁治権をもち、統治の責任者となった諸侯の妻 南仏ラングドックでも10・11cには男性同様の権力をふるうように カノッサ女伯マチルダ 盛期中世以降、おおきな権力をふるう女性の数は減少 ←社会の諸構造の安定化が要因……女性が結婚や性を「利用」して権力を獲得する道は神聖な一夫一婦制を強要する教会によってふさがれる 女性がひきうけていた積極的役割の否定、女性の周縁化 一方で絶大な権力をにぎった少数の女性の存在 ex)カノッサ女伯マチルダ……皇帝ハインリヒと争い、教皇の守護に尽力 エレアノール・ダキテーヌ……フランス王妃のちイングランド王妃 夫の死後、政治活動にめざめ、息子であるリチャード王が第三回十字軍で捕虜になった際にはほぼひとりで王国を守った 女性の権利が一層縮小した時代であるルネサンス期の女傑 ex)フランス王妃カトリーヌ・ド・メディシス 教皇アレクサンデル6世の娘ルクレツィア・ボルジア 女子修道院長の権力 世俗社会以上の男性支配の世界であった宗教世界で、ときに非常な権力をもつことがあった女子修道院長 女性は聖職につけないが、付属教会内での裁治権をもつ 公会議への出席、司教区教会会議の招集、傘下の男子修道院の管理 →司教に比肩する権利 ex)南イタリアのシトー会・コンヴェルサーノ修道院の女子修道院長 フランスのメーヌ=エ=ロワール県のフォントヴロー修道院長 初期中世、女性の聖性は強大な権力と結びつきえた
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Rd2 THBT religious authorities should have the right to sanction personal sins (宗教上の権力者は個々人の罪を許す権利を持つべきである) 井上先生の探してくれた英文を全部訳しました。 ※to sanction = to give a permission to/ to forgive 1.問題点、現状分析 免罪符 From Wikipedia, the free encyclopedia カトリックの神学において、免罪符とは、すでに許されてきている罪のはずである世俗の罰の完全、もしくは部分的な赦しである。 罪深い人が告白し、許しの言葉を受け取った後、免罪符は教会によって与えられる。 この信仰は、免罪符は、聖人によるキリストへの犠牲的行為、美徳と苦行によって得た功徳の貯蔵所を引き出すということである。 これらは特別なふさわしい仕事と祈りによって与えられる。 ”免罪符は、初期のキリスト教会の厳格な苦行に取って代わった。もっと正確に言うと、免罪符は、囚人たちと信仰のための殉教を待つ人々へのとりなしに対して許された苦行の短縮に取って代わった。” ”Martin Lutherがプロテスタント宗教改革(1517)をはじめたとき、免罪符譲渡の乱用は議論の主なポイントであった。 (http //en.wikipedia.org/wiki/Indulgence) 以下の2つの引用文はキリスト教の教えに基づいている。個々人の罪は、本来の罪もしくは受け継いだ罪と対比されうる。本来の罪はアダムにまで遡るもので、人間の本性であり、個人のコントロールの粋を超えている。個々人の罪はより特有で、避けられうるものである。このことは、人々はそのような意思なしに罪を犯すことになりうる(突発的な犯行など)ので、少し疑問もある。 このことは二つの争点を導き出す (1)個人の罪を許すことは大丈夫なのか? (2)誰が個人の罪を許すべきなのか?それは教会か神か? 恐らく、これらの争点は一般的に多くの宗教にあてはまる。 ”3つ目の罪のタイプは個人の罪で、すべての人間によって、毎日犯されるものである。私たちはアダムのころから、罪を犯す性質を受け継いできているので、私たちは特有な、個人の罪を犯す。すべては、うわべでは無害なうそから殺人までである。イエス・キリストを信仰してこなかった人々は、受け継がれ、帰負された罪と同様に、彼らの個人の罪によって罰を受けなければならない。しかし、信仰者は罪地獄と霊魂の死という永遠の罰から解放された状態である。しかし、現在、私たちは罪をおかすことに抗う力をもってもいる。今、私たちは個人の罪を犯すか犯さないか選べる。というのは、私たちの中に存在する、私たちが罪を犯すとき、清め、私たちに罪を悟らせる神聖な魂を使い、罪に抗う力をもっているからである。(Romans 8 9-11).かつて、私たちは神に個人の罪を告白し、それらへの許しを乞うた。私たちは神との完全な親睦と交流を返却された。“もし我々が罪を告白するなら、神は信心深く、そしてただ我々の罪を許し、あらゆる罪深さから浄化するためにある。” (1 John 1 9)." (http //www.gotquestions.org/definition-sin.html) "多くの人々は、神が許さないもしくは許すことのできない罪を犯してきたことを恐れている。そして、彼らは、彼ら自身が何をするかにかかわらず、そのせいで望みはないと感じている。サタンにとって、この誤解のもとで、私たちを労働者として働かせ続けることは願ってもないことです。真実は、もしある人がこの種の恐れを感じているなら、その人は、ただ神の前に行き、罪を告白し、それを悔い改め、神の許しを受け取るだけでよいのです。“もし我々が罪を告白するなら、神は信心深く、そしてただ我々の罪を許し、あらゆる罪深さから浄化するだろう。 (1 John 1 9). (http //www.gotquestions.org/unpardonable-sin.html)" * 2.メリット、デメリット(Gov側、Opp側・賛成、反対) 賛成Affirmative Religious authorities = churches, temples, shrines and/or priests, etc. personal sins = individuals wrong doing either by intent or by accident 自分の犯した罪を後悔し、悔やむとき、人々は確実な”許し”を必要としている。最終的に、神または神聖な存在がそのような罪を許すが、 人々は自分の罪が許されているかどうか知らない。人々は教会や神社で罪を告白し、聖職者から許しの言葉をもらうことができる。そして、彼らは平穏な精神と、新しい生活を取り戻す。 もし、個人の罪が許されなければ、人々は永遠に苦しめられるだろう。より悪い状態に陥るひともいるかもしれない。彼らは完全に望みを失い、自殺するかもしれない。彼らは狂ってしまい、犯罪を犯すかもしれない。そのような不幸は宗教権力者が明白に個人の罪を許すことによって避けられるべきである。 アーギュメントのもうひとつの流れは、同性同士の結婚は許されるべきかどうかというような問題に関係しうる。もしあなたが同性の人と結婚したいなら、多くのギリシア正教の教えの中では罪として考えられる。 しかし、私たちは、生物学的に同性の結びつきは正当性がありうることを知っている。そして、同性結婚は、法的に制度化されるされないにかかわらず、宗教的に許されなければならない。宗教的な許しは宗教権力者から得られるべきである。というのは、人々が同性結婚にたよるとき、心の平穏な状態たとえば罪の意識からの解放、をもつことができるからである。 許しを与えることは宗教的権力者の主な仕事である。もし彼らがそれをできなかったら、信者を惹きつけることはできない。彼らは弱くなり、社会に混沌が引き起こされるだろう。人々と社会は、倫理基準について頼るものをなくしてしまうだろう。 反対 人々は自分自身の罪に対して責任を持つべきである。誰もその罪を許すことはできない。彼らは後悔し、悔やみ、残りの人生をよりよく過ごそうとすることができる。このことはこのような罪が許されうる唯一の方法である。 罪を許すのは神であり教会ではない。もし、教会や聖職者のような宗教的権力者が個人の罪を許す権利をもつなら、多くの害悪が生まれるだろう。たとえば、 (A)人々は罪を犯すことをたいしたことではないと思う。彼らは告白し、許しを得られる限り罪を犯してもよいと考える。 (B)人々は”許し”を買おうとする。金持ちだけが罪を許してもらうことができる。人々は教会や聖職者にわいろを送ろうとする。 (C)宗教権力者はこの権利を乱用する。歴史は、教会や神社が罪を犯した人々への許しの売却によってふさわしくない富をつくりあげたことを証明する。彼らは人々の命や政府を上回る不合理な力を得た。 (D)宗教権力者は基準が異なる。世界中にたくさんの宗教権力者がいて、どういう罪を許すのか許さないのかは異なる。このことは社会と世界に多大な混乱をまねく。たとえば、もし仏教神社が飲酒・結婚・同性結婚を許し、もしイスラム教徒が日本でそれらを許さないなら・・・(このことは明白な深刻な問題を導かないかもしれない) 個人の罪を許すのは法的権力者であって宗教的権力者ではない。個人の罪、つまり個々人の間違った行いは、故意に行われ罰せられた犯罪か、犯罪に含まれない無意識もしくはその他の行動のどちらかである。たとえば、もしある人が他人の命を奪ったら、それは殺人、故殺罪(計画性のない事故殺人)、自己防衛の行動などである。このような行動を許すのか罰するのかは法的な問題である。 3.2で出したメリット、デメリットに関する情報 4.他国の例もあれば(日本中心で大丈夫と思いますが、海外の例も探してください) 2009/10/01 inoue Sanction=許しの定義での議論です。具体的事件などは入れていません。思考実験的議論のみですので了解を。同性愛などの問題は議論されているようです。教会などの免罪符というようなものの発行も視野に入るでしょう。 Indulgence From Wikipedia, the free encyclopedia "IndulgenceAn indulgence, in Catholic Theology, is the full or partial remission of temporal punishment due for sins which have already been forgiven. The indulgence is granted by the church after the sinner has confessed and received absolution.[1] The belief is that indulgences draw on the storehouse of merit acquired by Jesus sacrifice and the virtues and penances of the saints.[2] They are granted for specific good works and prayers.[2]" "Indulgences replaced the severe penances of the early church,[2]. More exactly, they replaced the shortening of those penances that was allowed at the intercession of those imprisoned and those awaiting martyrdom for the faith.[3]" "Abuses in granting indulgences[2] were a major point of contention when Martin Luther initiated the Protestant Reformation (1517)." (http //en.wikipedia.org/wiki/Indulgence) The two quotes below are based on Christian teaching. Personal sin may be contrasted with original sin or inherited sin that goes back to Adam, and so it is a human nature and beyond individual control. Personal sins are more individual and it may be avoided. Well, that is a bit questionable since people may end up committing a sin without such an intent, i.e., accidentally. This lead to two issues (1) Is it Ok to sanction (forgive) personal sins? (2) Who should sanction personal sins? Is it the church or the god? Probably these issues apply to many religions in general. "A third type of sin is personal sin, that which is committed every day by every human being. Because we have inherited a sin nature from Adam, we commit individual, personal sins, everything from seemingly innocent untruths to murder. Those who have not placed their faith in Jesus Christ must pay the penalty for these personal sins, as well as inherited and imputed sin. However, believers have been freed from the eternal penalty of sin—hell and spiritual death—but now we also have the power to resist sinning. Now we can choose whether or not to commit personal sins because we have the power to resist sin through the Holy Spirit who dwells within us, sanctifying and convicting us of our sins when we do commit them (Romans 8 9-11). Once we confess our personal sins to God and ask forgiveness for them, we are restored to perfect fellowship and communion with Him. “If we confess our sins, He is faithful and just to forgive us our sins and cleanse us from all unrighteousness” (1 John 1 9)." (http //www.gotquestions.org/definition-sin.html) "Many people fear they have committed some sin that God cannot or will not forgive, and they feel there is no hope for them, no matter what they do. Satan would like nothing better than to keep us laboring under this misconception. The truth is that if a person has this fear, he/she needs only to come before God, confess that sin, repent of it, and accept God’s promise of forgiveness. “If we confess our sins, he is faithful and just and will forgive us our sins and purify us from all unrighteousness” (1 John 1 9). (http //www.gotquestions.org/unpardonable-sin.html)" to sanction = to give a permission to/ to forgive Affirmative Religious authorities = churches, temples, shrines and/or priests, etc. personal sins = individuals wrong doing either by intent or by accident People need some tangible "permission" when they regret a sin they committed and repent. Ultimately, the God or some divine existence sanctions such a sin but people do not know whether their sins are sanctioned. People can confess their sin at church or temple and get a word of forgiveness from the priest. Then they can restore a peaceful mind and start a new life. If a personal sin is not sanctioned, people will forever suffer. Some people may go from bad to worth. They may completely lose their hope and commit a suicide. They may go crazy and commit a crime. Such evils should be avoided by have religious authorities tangibly sanction personal sins. Another line of argument may be related to questions like whether same-sex marriage should be allowed. If you want to marry the same-sex person, it is considered as a sin in many orthodox teachings. But we know that biologically the same sex union may have legitimacy. Then, the same sex marriage must be forgiven spiritually, whether it may or may not be institutionalized legally. Spiritual sanction should come from religious authorities so that people can have a peaceful state of mind, i.e., freedom from the sense of sin, when they resort to a same sex marriage. Giving sanctions is religious authorities main job. If they cannot do that, they cannot attract believers. They will become weaker and that will cause chaos in society. People and society will lose something that they can rely on, about the moral standards. Negative People should be responsible for their own sins. No one can "sanction" such a sin. They can regret and repent and try to live better the rest of their life. That is the only way such a sin may be forgiven. It is the god not church to sanction sins. If the religious authorities such as churches and priests have the right to sanction personal sins, it will lead to many evils, for example, (A) People make light of committing sins. They think it is Ok to commit a sin as long as they confess and get permission. (B) People try to "buy" sanctions. Only the rich can have their sins forgiven. People try to bribe the church or priest. (C) Religious authorities abuse such a right. History proves that churches and temples built up unworthy wealth by selling permissions to people who committed sins. They gained unreasonable powers over people s life and government. (D) Religious authorities differ in criteria. There are many religious authorities in the world and they differ what kind of sins may or may not be sanctioned. This will lead to a great confusion in societies and in the world. For example, if Buddhist temples forgive drinking/marriage/same sex marriage/, and if Muslims do not forgive in Japan....(THIS MAY NOT LEAD TO TANGIBLY SERIOUS PROBLEMS.) It is the legal authority to sanction personal sins not religious authorities. Personal sins, i.e., individual wrong doings are either crimes that are intentionally committed and penalized, or unintentional or other acts that do not constitute "crimes". For example, if one takes away someone s life, it may be a murder, manslaughter, an act of self defense, etc. It is a legal question to sanction or penalize such an act. http //www.malaysia-navi.jp/news/080404071237.html http //www.tkfd.or.jp/blog/sasaki/2009/07/no_615.html