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ギョウ 現在の河北省邯鄲市臨漳県一帯。 戦国時代は趙が隣城の邯鄲に都を置いており、鄴も西門豹の開墾により栄えた。 後漢末期には袁紹が拠って冀州の重要拠点となる。 袁尚を逐って入城した曹操もこの地を本拠とし、魏公に封ぜられた際には国都に定めて銅雀台を築いた。 基本情報 鄴を攻める晋陽から 平原から 濮陽、陳留から 鄴を守る晋陽からの敵 平原からの敵 濮陽、陳留からの敵 周辺地図 未発見武将 基本情報 収入は上級時のもの。初級だと25%増、超級だと25%減。 金収入 兵糧収入 開発地 港関 耐久 特色 備考 600 7000 20(7+8+5) 1 4000 大都市 堤防あり 大都市だけあって開発地の数・配置ともに良好。 闘艦なしでも水上から開発地攻撃可能。COMもよく攻撃してくる。 領内に遺跡・廟候補地は無い。 河北唯一の大都市。水上からの脅威を払拭しないと意外と保持しにくい。 鄴を攻める 晋陽から 壺関方面から攻める場合、鄴城までは距離が有り戦場も広いため相手が大兵力だと厳しい。施設は建て放題なので、逆に防衛ラインを作って敵を釣り出し、敵の消耗を図ろう。 難所行軍が有るなら、北の浅瀬に囮部隊を向かわせると敵戦力を分割できる。近くの開発地も荒らしてしまおう。 平原から 投石か強弩が有るなら、別働隊を南の湿地帯から向かわせ堤防決壊を狙うと楽。うまく敵の迎撃部隊を巻き込めば大軍を一掃出来るが、味方まで巻き込まないよう注意。 濮陽、陳留から 白馬港の攻略がポイント。一気に上陸するか、敵に取らせて棺桶作戦をするかは敵の軍容に合わせて判断したい。一気に上陸する場合は、港前で部隊の足並みを合わせる。上陸後は港を奪われないように施設を建設したりしてZOCを張ること。特に瀕死状態の敵部隊に港に逃げ込まれないように注意。 棺桶作戦をする場合は、長期戦を見込んで兵糧を多めに持たせたい。 上陸後は、投石や強弩が有るなら川の対岸から堤防決壊を狙おう。 平地ばかりなので火球も有効。敵の迎撃部隊をまとめて焼いてしまおう。 鄴を守る 晋陽からの敵 壺関を通って攻めてきた場合、都市付近に砂地があるので槍部隊は使いづらいので注意。南側の開発地を狙ってくることもあるので、出来るなら壺関付近で防衛したい。壺関を押さえて棺桶作戦をするのもあり。 敵に難所行軍があると北の浅瀬から攻めてくる場合もある。北の浅瀬までは迎撃に向かうのに時間がかかる上に荒地が多く、防衛施設も建設できない。機を少しでも違えると開発地に被害が及ぶのは必至。攻められる前に攻めるか、晋陽を取るまで北部の開発を見送った方が無難だろう。 平原からの敵 渡で防衛するのが良い。強弩があると対岸も攻撃でき、さらに良い。逆に言えば、相手が強弩を持っていると、対岸から攻撃されることもあるので注意。 渡を突破されても足止めできるように防衛施設を建てておこう。 白馬港を狙って南の湿地帯から攻めて来る事も多い。その場合施設の援護を受け辛く、最悪湿地でガチる羽目に。港付近まで誘い込むか、明け渡して棺桶で乗り切ろう。 敵が強弩や投石を持っていると、堤防決壊を狙われるので注意。 濮陽、陳留からの敵 どちらも港から攻撃された場合、最速で出撃しても間に合わないことが多いので、棺桶作戦が有効。 まともに防衛する場合、出撃部隊を多くしてZOCを有効に使わないと港にはりつかれやすいので注意。 南側の開発地は水上から攻撃される上、防衛もしにくい。火船でしっかり護岸工事をするか、合併が必要ない安価な施設を立てておくこと。 周辺地図 未発見武将 シナリオ番号の対応関係はこちらを参照。 年 名前 シナリオ 184 戯志才 13 審配 1 12 沮授 1 12 蘇由 1 2 12 13 田豊 1 12 潘鳳 1 12 呂曠 1 2 12 13 呂翔 1 2 12 13 187 趙雲 1 2 12 趙範 1 2 3 12 13 189 郭嘉 13 李典 1 12 198 (沮鵠) 1 2 3 12 13 200 甄氏 1 2 3 9 12 13 樊氏 1 2 3 4 9 12 13 205 (辛憲英) 1 2 3 4 9 10 12 13 207 崔林 1 2 3 4 5 8 9 10 12 13 209 (曹熊) 5 210 (楽綝) 2 13 高堂隆 6 211 秦朗 5 212 劉劭 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 12 13 213 (曹宇) 5 6 219 (曹叡) 5 6 11 220 毌丘倹 5 6 11 221 (曹爽) 5 6 11 223 (趙統) 1 2 3 4 9 10 12 13 224 (曹羲) 5 6 11 (趙広) 1 2 3 4 9 10 12 13 225 毌丘秀 5 6 11 226 (曹訓) 5 6 11 230 尹大目 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 238 (毌丘甸) 5 6 7 11 253 (曹奐) 5 6 11 (曹芳) 5 6 11 曹髦 5 6 11 S14の未発見武将は 閻圃、韓莒子、崔琰、崔林、荀諶、審配、沮鵠、蘇由、韓馥、張華、張魯、陳琳、田豊、杜畿、劉劭 S16の未発見武将は 眭固、蘇由、張角、潘鳳
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猛将 知将 将軍 猛将 名前 初期攻撃 初期防御 入手方法 修練に必要な指南書 英雄後の指南書 特技効果 無・夏侯淵 107 98 無双の魂 青 3 黄 3 紫 1 閻行 郭淮 張既 呂虔 郭淮 夏侯令女 韓遂 杜畿 無・関索 106 94 11月イベント武将(大連合戦) 花鬘 関興 関索 鮑三娘 王悦 王桃 関銀屏 杜氏 無・甘寧 112 93 5月イベント武将(反呂布連合戦) 蘇飛 凌統 呂蒙 魯粛 徐盛 孫権 孫皎 張紘 無・黄蓋 104 96 無双の魂 赤 2 黄 3 カン沢 甘寧 黄蓋 周瑜 呉国太 孫堅 張紘 張昭 無・周泰 111 94 無双の魂 赤 2 黄 4 紫 1 朱桓 朱然 徐盛 留賛 賀斉 宋謙 孫瑜 丁奉 無・祝融 107 93 無双の魂 白 2 緑 1 黄 2 鄂煥 祝融 孟獲 呂凱 王伉 花鬘 張嶷 馬忠(蜀) 無・張コウ 106 99 2月イベント武将(反袁術連合戦) 郭淮 韓遂 高覧 甄氏 孫礼 高覧 張既 張コウ 無・張飛 114 96 無双の魂 緑 4 紫 3 黒 1 呉班 張苞 陳到 雷銅 夏侯氏 キョウ都 張氏 劉僻 無・丁奉 102 98 無双の魂 赤 2 黄 3 徐盛 全ソウ 丁奉 董襲 朱拠 孫震 張承 駱統 無・馬超 113 97 無双の魂 緑 4 紫 5 黒 1 馬雲リョク 馬休 馬鉄 馬騰 閻行 韓遂 ホウ徳 楊氏 無・鮑三娘 103 97 9月イベント武将(反劉表連合戦) 花鬘 関索 鮑三娘 呂玲綺 王桃 王悦 関銀屏 杜氏 無・凌統 110 95 3月イベント武将 甘寧 朱桓 凌統 呂蒙 甘寧 朱桓 全ソウ 凌統 知将 名前 初期攻撃 初期防御 入手方法 修練に必要な指南書 英雄後の指南書 特技効果 無・王元姫 101 104 無双の魂 白 4 青 4 紫 4 司馬師 司馬昭 辛憲英 張春華 郭女王 徐氏 夏候令女 趙娥 無・賈ク 114 91 9月イベント武将(反劉表連合戦) 賈ク 戯志才 程イク 劉曄 戯志才 胡車児 張繍 劉曄 無・月英 99 106 5月イベント武将(反呂布連合戦) 黄月英 諸葛亮 董允 董和 黄月英 黄小玉 諸葛亮 トウ芝 無・蔡文姫 92 108 無双の魂 白 2 青 3 紫 2 蔡エン 曹操 田疇 田予 閻柔 甄氏 孫礼 貂蝉 無・司馬昭 98 102 11月イベント武将(大連合戦) 王渾 王濬 胡奮 杜預 司馬懿 鍾会 張春華 張悌 無・周瑜 111 104 無双の魂 赤 5 紫 4 黒 2 小喬 孫韶 孫瑜 大喬 呉国太 吾粲 朱拠 徐氏 無・諸葛誕 96 104 無双の魂 白 1 青 2 黄 2 カン丘倹 諸葛誕 文欽 文鴦 王基 王リョウ 胡奮 諸葛セイ 無・甄姫 102 103 3月イベント武将 甄氏 曹植 曹丕 卞氏 郭女王 甄氏 曹植 曹叡 無・大喬 95 105 2月イベント武将(反袁術連合戦) 小喬 孫策 孫氏 大喬 小喬 徐氏 太史慈 大喬 無・貂蝉 116 94 無双の魂 白 6 紫 3 黒 3 王允 趙娥 貂蝉 呂玲綺 貂蝉 杜氏 董卓 呂布 無・陸遜 103 107 無双の魂 赤 5 紫 4 黒 2 孫桓 孫韶 陸凱 陸績 孫氏 孫登 陸鬱生 陸抗 無・呂蒙 103 102 無双の魂 赤 2 黄 3 紫 2 吾粲 孫皎 駱統 呂蒙 朱拠 宋謙 孫権 張承 将軍 名前 初期攻撃 初期防御 入手方法 修練に必要な指南書 英雄後の指南書 特技効果 無・夏侯惇 108 107 無双の魂 青 5 紫 4 黒 2 夏侯淵 韓浩 国淵 曹操 夏侯令女 夏侯惇 荀攸 程イク 無・夏侯覇 102 98 2月イベント武将(反袁術連合戦) 王双 カク昭 夏侯覇 トウ忠 郭淮 夏侯淵 夏侯惇 張コウ 無・関平 108 92 無双の魂 緑 2 黄 3 王甫 関平 周倉 趙累 関羽 関銀屏 関興 関索 無・姜維 104 101 無双の魂 緑 3 黄 4 紫 2 黄月英 蒋舒 張嶷 傅僉 霍弋 羅憲 李氏 劉シン 無・司馬師 102 98 無双の魂 白 3 黄 2 紫 2 王経 司馬懿 辛ピ 楊阜 王祥 カク昭 張春華 董卓 無・星彩 92 108 2月イベント武将 関平 趙雲 張飛 劉禅 関平 趙雲 張飛 劉禅 無・曹仁 92 113 3月イベント武将 夏侯淵 夏侯惇 曹洪 曹仁 夏侯淵 夏侯惇 曹仁 曹操 無・曹丕 104 96 無双の魂 青 3 黄 3 紫 2 甄氏 曹叡 陳羣 卞氏 郭女王 司馬懿 甄氏 曹叡 無・孫堅 113 97 9月イベント武将(反劉表連合戦) 桓階 朱治 祖茂 孫堅 呉国太 黄祖 孫魯班 張悌 無・孫尚香 109 96 11月イベント武将(大連合戦) 賈華 呉国太 孫朗 陳表 賀斉 呉国太 張紘 劉備 無・トウ艾 101 104 5月イベント武将(反呂布連合戦) 王基 王昶 陳泰 トウ艾 王経 鍾会 陳泰 トウ忠 無・孟獲 107 93 無双の魂 白 2 緑 1 黄 2 王抗 花鬘 祝融 孟獲 王平 張嶷 張翼 馬忠(蜀) 無・劉備 103 102 無双の魂 緑 4 黄 2 紫 1 孫乾 孫尚香 陳珪 糜氏 呉国太 張松 劉シン 劉禅
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年 名前 シナリオ 宛 184 楽就 1 12 韓胤 1 12 橋蕤 1 許攸 1 紀霊 1 黄忠 1 2 12 張勲 1 兪渉 1 楊弘 1 梁綱 1 12 婁圭 1 3 4 8 9 187 閻象 1 12 189 陳震 1 2 8 12 13 191 (袁燿) 2 李厳 1 2 3 4 8 9 12 13 193 甘寧 2 3 9 13 197 文聘 1 2 3 9 12 13 201 牛金 1 2 3 4 8 9 10 12 13 209 何晏 1 2 3 4 5 9 10 12 13 郭攸之 1 2 3 4 5 6 8 9 10 12 13 220 李勝 1 2 3 4 5 6 8 9 10 11 12 13 (李豊) 1 2 3 4 8 9 10 12 13 226 州泰 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 247 滕脩 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 江夏 184 黄祖 1 191 蘇飛 1 2 8 12 13 193 呂蒙 2 13 212 費禕 1 2 3 4 8 9 10 12 13 213 (関興) 6 214 (関索) 6 232 (関統) 6 11 233 (関彝) 6 11 235 孟宗 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 新野 184 黄忠 13 189 伊籍 13 198 胡班 10 201 鄧芝 1 2 3 4 5 9 10 12 13 206 徐庶 3 207 傅彤 1 2 3 4 5 6 8 9 10 12 13 208 黄月英 5 諸葛均 5 諸葛亮 5 212 (張苞) 5 213 (関興) 5 214 (関索) 5 216 (張紹) 5 鄧艾 1 2 3 4 5 6 7 9 10 11 12 13 221 (劉禅) 5 223 胡済 1 2 3 4 5 6 8 9 10 11 12 13 223 (趙統) 5 董厥 1 2 3 4 5 6 8 9 10 11 12 13 224 (趙広) 5 樊建 1 2 3 4 5 6 8 9 10 11 12 13 230 (傅僉) 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 232 (関統) 5 233 (関彝) 5 234 師纂 1 2 3 4 5 6 7 9 10 11 12 13 238 (張遵) 5 238 (劉璿) 5 244 (鄧忠) 1 2 3 4 5 6 7 9 10 11 12 13 252 (劉諶) 5 襄陽 184 蒯越 1 蒯良 1 韓嵩 1 2 8 12 13 蔡氏 1 蔡瑁 1 杜畿 2 3 13 185 蔡和 1 187 蔡中 1 張允 1 188 (劉琦) 2 192 王威 1 2 8 12 13 196 向朗 1 2 3 8 12 13 206 徐庶 4 9 10 馬良 1 2 3 4 5 9 10 12 13 207 (劉琮) 3 4 9 10 208 黄月英 1 2 3 4 9 10 12 13 諸葛均 4 9 10 諸葛亮 4 9 10 龐統 1 2 3 4 5 9 10 12 13 209 馬謖 1 2 3 4 5 9 10 12 13 楊儀 1 2 3 4 5 8 9 10 12 13 214 向寵 1 2 3 4 5 8 9 10 12 13 237 羅憲 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 241 (諸葛瞻) 4 5 9 10 248 党均 1 2 3 4 5 6 7 9 10 11 12 13 252 周旨 1 2 3 4 5 6 7 9 10 11 12 13 253 (諸葛尚) 4 5 9 10 張悌 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 江陵 184 傅巽 9 187 董和 1 2 8 12 197 霍峻 1 2 3 8 9 12 13 魏延 10 201 馮習 1 2 3 4 5 6 8 9 10 12 13 202 趙累 1 2 3 4 5 6 8 9 10 12 13 212 (張苞) 6 214 (董允) 1 2 8 12 13 216 (張紹) 6 220 鮑三娘 1 2 3 4 5 6 8 9 10 11 12 13 (李豊) 5 221 (霍弋) 1 2 3 4 5 6 8 9 10 11 12 13 (劉禅) 6 11 223 (趙統) 6 11 224 (趙広) 6 11 228 閻宇 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 238 (張遵) 6 11 (劉璿) 6 11 241 (諸葛瞻) 6 11 244 盛曼 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 252 (劉諶) 6 11 253 伍延 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 253 (諸葛尚) 6 11 長沙 184 区星 1 8 桓階 1 8 12 206 (劉封) 1 2 3 4 9 10 12 13 武陵 193 潘濬 1 2 3 4 8 9 12 13 197 鞏志 1 2 3 4 9 10 12 13 200 廖立 1 2 3 4 5 8 9 10 12 13 206 沙摩柯 1 2 3 4 5 6 8 9 10 11 12 13 李異 1 2 3 4 8 9 10 12 13 207 譚雄 1 2 3 4 5 6 8 9 10 12 13 209 張南 1 2 3 4 5 6 8 9 10 12 13 239 王業 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 251 左奕 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 桂陽 187 趙範 9 200 樊氏 10 202 鮑隆 1 2 3 4 9 10 12 13 203 陳応 1 2 3 4 9 10 12 13 253 郭馬 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 零陵 187 劉度 1 2 3 9 12 13 191 程秉 4 9 193 邢道栄 1 2 3 4 9 10 12 13 202 (劉賢) 1 2 3 4 9 10 12 13 205 劉巴 1 2 3 4 5 6 8 9 10 12 13 206 薛綜 3 4 9 10 207 蒋琬 1 2 3 4 5 8 9 10 12 13 230 (蒋斌) 1 2 3 4 5 6 9 10 11 12 13 235 (薛珝) 3 4 7 9 10 237 (薛瑩) 3 4 7 9 10
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曹丕 姓 曹 名 丕 字 子桓 誕生年 187年 死亡年 226年3月17日(40歳) 出身地 予州沛国[言焦]県 年表 年 所在 立場・事跡 出典 備考 197 荊州南陽郡宛県 1月、父曹操に従って従軍。張繍?軍の奇襲を馬に乗って脱出し逃れる。 魏書・文帝記 『典論』の自伝による。年月は武帝記による。 208 予州潁川郡許県 司徒の趙温?に招聘される。しかし曹操は趙温が自分におもねって曹丕を招聘したとして、趙温を免職とした。 魏書・文帝記 211 予州潁川郡許県 五官中郎将、副丞相となる。 魏書・文帝記 217 冀州魏郡[業β]県 魏の王太子となる。 魏書・文帝記 220 冀州魏郡[業β]県 1月、曹操が死去すると、後を継いで魏王となった。 魏書・文帝記 220 冀州魏郡[業β]県 2月、賈(言羽)?を太中大夫から太尉に、華(音欠)?を御史大夫から相国に、王朗?を大理から御史大夫に、夏侯惇?を大将軍に任命。 魏書・文帝記 220 冀州魏郡[業β]県 2月、獩貊・扶余の単于と焉耆・于闐の王が朝貢の使者を送ってきた。 魏書・文帝記 220 冀州魏郡[業β]県 5月、馮翊の鮮卑族である鄭甘?と王照?が帰順。 魏書・文帝記 220 冀州魏郡[業β]県 6月、南方征伐に出発。 魏書・文帝記 220 冀州魏郡[業β]県 7月、孫権が献上物を送ってくる。 魏書・文帝記 220 益州漢中郡上庸県(新城郡上庸県に改めた?) 7月、孟達?が魏に帰順する。孟達を新城太守に任命する。 魏書・文帝記 220 涼州漢陽郡 7月、武都の(氏一)族の王である楊僕?が帰順し、漢陽郡に移住。 魏書・文帝記 220 豫州潁川郡許県 10月、漢から禅譲を受けて魏の皇帝に即位。 魏書・文帝記 220 司隷河南尹洛陽県 12月、洛陽に都を定める。 魏書・文帝記 221 司隷河南尹洛陽県 8月、孫権が上奏し、于禁を返還。孫権を大将軍・呉王とした。 魏書・文帝記 222 司隷河南尹洛陽県 2月、鄯善、亀茲、于闐の王が朝貢の使者を送ってきたので返礼の使者を送った。西域との交通が再び開けたので戊己校尉を設置した。 魏書・文帝記 222 冀州 7月、イナゴの被害が大きく、尚書の杜畿?に命じて官倉を開いて人民を救済した。 魏書・文帝記 222 荊州 8月、黄権?が魏に降伏。 魏書・文帝記 222 司隷河南尹洛陽県 9月、郭夫人(郭女王?)を皇后に立てる。 魏書・文帝記 222 司隷河南尹洛陽県 10月、孫権が再び反逆。曹丕は南征をう。 魏書・文帝記 孫権伝には9月に曹休?・張遼?・臧覇を洞口に、曹仁?を濡須に、曹真?・夏侯尚?・張(合β)?・徐晃?を南郡に送って攻めたとある。 222 荊州南陽郡宛県 11月、宛に駐屯。 魏書・文帝記 223 司隷河南尹洛陽県 1月、復讐を禁止する令を定める。 魏書・文帝記 223 荊州南陽郡宛県 3月、宛に南巡台を築く。洛陽に帰還する。 魏書・文帝記 223 豫州穎川郡許昌県 9月、許昌に行幸。 魏書・文帝記 224 豫州穎川郡許昌県 1月、反逆以外の密告を禁じる令を定める。 魏書・文帝記 224 司隷河南尹洛陽県 3月、洛陽に帰還する。 魏書・文帝記 224 司隷河南尹洛陽県 4月、大学を立て、五経の試験方法を制定。 魏書・文帝記 224 豫州穎川郡許昌県 7月、許昌に行幸。 魏書・文帝記 224 揚州九江郡寿春県 8月、船で淮水を経由して寿春に行幸。 魏書・文帝記 224 徐州広陵郡 9月、広陵に到着。青州、徐州の犯罪者を赦免する。 魏書・文帝記 224 豫州穎川郡許昌県 10月、許昌に帰還。 魏書・文帝記 224 豫州穎川郡許昌県 11月、冀州で飢饉が起き、官倉を開けて人民を救済した。 魏書・文帝記 224 豫州穎川郡許昌県 12月、天地と先祖以外の祭祀を禁止する令を定める。 魏書・文帝記 225 豫州穎川郡許昌県 2月、陳羣?を鎮軍大将軍に任命して仮節を与えて曹丕の親征に同行する任務を、司馬懿?を撫軍大将軍に任命して許昌で留守を守り内政を見る任務を与えた。 魏書・文帝記 225 豫州沛国(言焦)県 5月、水軍を率いて征伐に出発、(言焦)に到着。 魏書・文帝記 225 徐州広陵郡 10月、(言焦)を出て徐州を経由し広陵の古城で閲兵を行う。寒さが厳しく水路が凍結したので帰還した。 魏書・文帝記 孫権伝によれば、224年、曹丕が広陵に攻め寄せると呉は長江沿いににせの城壁を作ったので魏軍は退却したとある。徐盛伝によれば、これは徐盛?の発案による。 226 司隷河南尹洛陽県 1月、許昌に帰還しようとしたが、城門が崩れたのを不吉に思い、許昌には入らず洛陽に帰還した。 魏書・文帝記 226 司隷河南尹洛陽県 5月、危篤となり曹真?、陳羣?、曹休?、司馬懿?に後事を託して崩御。 魏書・文帝記 備考 名前 コメント
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タ行 タ行編集 名前 カナ 性別 統率 武力 知力 政治 兵科 戦法 商才 耕作 名士 兵心 練兵 収集 人脈 監視 補修 弁舌 豪傑 一騎 神速 水練 遠射 攻城 兵器 冷静 軍師 鬼謀 太史慈 タイシジ 男 90 93 69 58 弓兵 剛勇 心 練 補 豪 一 遠 帯来洞主 タイライドウシュ 男 51 53 54 43 弓兵 全軍速攻 戴陵 タイリョウ 男 70 75 39 48 騎兵 防御強化 器 朶思大王 ダシダイオウ 男 62 59 70 54 弓兵 突撃封印 収 補 弁 譚雄 タンユウ 男 58 73 14 20 弓兵 弓攻撃強化 張允 チョウイン 男 72 67 42 56 弓兵 全軍遠射 練 水 趙雲 チョウウン 男 96 96 77 65 騎兵 単騎駆 心 練 監 補 豪 一 神 冷 張衛 チョウエイ 男 74 66 45 44 弓兵 全防御強化 練 器 張英 チョウエイ 男 75 74 41 34 弓兵 大打撃 水 張燕 チョウエン 男 76 81 57 48 騎兵 総突撃 心 神 張横 チョウオウ 男 59 70 23 24 騎兵 防御弱化 張温 チョウオン 男 32 10 72 78 槍兵 攻撃弱化 名 弁 張闓 チョウガイ 男 34 66 8 1 槍兵 索敵 張角 チョウカク 男 87 25 86 80 弓兵 全軍兵撃 耕 心 練 人 弁 遠 冷 軍 鬼 張既 チョウキ 男 74 35 76 88 騎兵 攻撃弱化 商 耕 張嶷 チョウギョク 男 79 72 75 77 槍兵 槍軍堅守 練 監 攻 張勳 チョウクン 男 72 68 41 39 槍兵 槍攻撃強化 張紘 チョウコウ 男 24 22 86 95 弓兵 突撃封印 商 名 人 弁 冷 軍 張郃 チョウコウ 男 89 89 73 57 槍兵 槍軍堅守 練 監 補 豪 一 神 攻 趙弘 チョウコウ 男 66 72 28 22 騎兵 馬攻撃強化 張済 チョウサイ 男 70 66 55 53 騎兵 全軍索敵 耕 収 攻 張繍 チョウシュウ 男 80 73 64 45 騎兵 騎軍神速 心 補 神 張昭 チョウショウ 男 33 3 84 97 弓兵 文武低下 商 耕 名 人 弁 軍 張松 チョウショウ 男 25 6 88 82 騎兵 破壊力弱化 商 収 弁 軍 張任 チョウジン 男 84 84 78 59 弓兵 遠猛射 練 補 遠 張悌 チョウテイ 男 67 43 80 78 槍兵 攻撃弱化 耕 水 張邈 チョウバク 男 52 53 71 74 弓兵 射程弱化 商 名 趙範 チョウハン 男 28 21 32 58 騎兵 防御強化 張飛 チョウヒ 男 94 98 30 22 槍兵 万人敵 監 豪 一 攻 張苞 チョウホウ 男 78 87 48 46 槍兵 大打撃 練 監 一 張宝 チョウホウ 男 83 71 81 76 槍兵 伏兵 心 収 器 軍 張曼成 チョウマンセイ 男 75 81 45 47 騎兵 武力上昇 心 監 補 張楊 チョウヨウ 男 72 70 66 58 騎兵 武力低下 耕 攻 張翼 チョウヨク 男 75 74 76 72 弓兵 全攻城強化 収 弁 器 張遼 チョウリョウ 男 95 92 78 58 騎兵 強襲 心 練 監 補 豪 一 神 張梁 チョウリョウ 男 78 80 74 56 騎兵 全軍速攻 練 監 趙累 チョウルイ 男 70 43 68 74 弓兵 機動力弱化 商 人 弁 張魯 チョウロ 男 51 26 74 78 槍兵 鎮静 耕 陳横 チンオウ 男 64 63 26 35 弓兵 弓攻撃強化 陳応 チンオウ 男 62 72 45 27 槍兵 攻城強化 器 陳紀 チンキ 男 58 65 43 48 弓兵 総猛射 陳宮 チンキュウ 男 84 55 89 83 弓兵 全軍兵撃 商 耕 練 人 監 弁 器 軍 鬼 陳矯 チンキョウ 男 61 27 77 83 弓兵 知力上昇 名 陳羣 チングン 男 32 14 75 96 弓兵 破壊力弱化 商 耕 名 軍 陳珪 チンケイ 男 30 4 82 77 槍兵 全軍遠射 商 名 人 弁 陳式 チンショク 男 70 71 25 23 騎兵 速攻 器 陳震 チンシン 男 46 46 69 76 弓兵 破壊力弱化 商 弁 陳泰 チンタイ 男 84 77 86 78 弓兵 弓軍強射 名 心 神 攻 軍 陳登 チントウ 男 79 64 81 80 騎兵 埋伏の毒 商 名 心 人 攻 陳到 チントウ 男 76 71 67 53 騎兵 大打撃 補 攻 陳武 チンブ 男 76 87 43 40 槍兵 速攻 練 水 陳蘭 チンラン 男 66 69 40 24 槍兵 槍攻撃強化 陳琳 チンリン 男 25 9 75 78 弓兵 武力上昇 名 人 弁 器 程昱 テイイク 男 70 49 90 79 槍兵 伏兵神速 商 名 弁 器 軍 鬼 程遠志 テイエンシ 男 69 74 17 24 騎兵 索敵 程銀 テイギン 男 69 73 40 36 槍兵 速攻 練 攻 丁原 テイゲン 男 70 76 35 40 騎兵 全攻撃強化 監 程普 テイフ 男 84 79 79 74 槍兵 全軍兵撃 心 練 監 一 水 遠 丁奉 テイホウ 男 81 80 75 55 弓兵 猛攻 監 補 神 水 遠 典韋 テンイ 男 72 95 35 29 槍兵 鉄壁 監 豪 一 田楷 デンカイ 男 68 65 58 61 騎兵 知力低下 心 田疇 デンチュウ 男 66 66 73 76 弓兵 全軍索敵 耕 名 攻 田豊 デンホウ 男 72 29 93 87 槍兵 虚誘掩殺 商 耕 名 人 弁 攻 冷 軍 鬼 田豫 デンヨ 男 80 72 80 78 騎兵 大打撃 収 器 董允 トウイン 男 47 28 79 91 弓兵 攻撃弱化 耕 名 弁 董和 トウカ 男 57 34 75 87 弓兵 総猛射 商 耕 鄧艾 トウガイ 男 93 87 89 81 槍兵 伏兵神速 耕 練 補 一 神 攻 軍 陶謙 トウケン 男 51 27 64 63 弓兵 射程弱化 耕 鄧賢 トウケン 男 61 73 45 36 弓兵 武力上昇 鄧芝 トウシ 男 73 52 81 85 弓兵 挑発 商 耕 収 弁 董襲 トウシュウ 男 72 85 50 48 槍兵 全攻撃強化 心 水 董承 トウショウ 男 56 53 65 63 騎兵 攻城強化 商 器 董昭 トウショウ 男 34 25 80 82 槍兵 防御弱化 耕 名 董卓 トウタク 男 85 87 73 59 騎兵 全軍猛攻 練 収 監 補 豪 神 董荼那 トウトナ 男 68 73 31 37 槍兵 武力低下 水 董旻 トウビン 男 49 60 25 12 騎兵 攻撃強化 収 監 攻 鄧茂 トウモ 男 61 75 29 17 槍兵 攻撃強化 攻 杜畿 トキ 男 66 32 75 87 弓兵 攻撃弱化 耕 心 器 杜預 トヨ 男 84 30 85 80 槍兵 全軍猛攻 練 人 補 神 水 攻 器 大喬 ダイキョウ 女 57 11 73 78 弓兵 全軍速攻 心 弁 水 張氏 チョウシ 女 20 61 37 50 騎兵 奮迅封印 収 人 張春華 チョウシュンカ 女 60 49 79 72 騎兵 鎮静 名 心 監 弁 貂蝉 チョウセン 女 20 26 81 65 槍兵 美女連環 心 弁
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URLを確認すると各武将に固有の番号のようなものを発見 未所持武将でも名前のみ表示される。が、エラーがでて表示できない武将もあり。 管理人環境では、当初113(馬騰)がエラーとなっていたが、入手後に表示可能となった。 武将データと指南書購入とで共通のナンバー 概ね五十音順(一部例外あり)比較的有名武将で150(盧植)まで進んだ後、再度王粲からスタート 途中欠番があれども、No,226(劉岱)まで確認 001 伊籍 002 于禁 003 陳登 004 審配 005 王異 006 王允 007 王平 008 賈ク 009 郭嘉 010 朱霊 011 カク昭 012 楽進 013 郭淮 014 夏侯淵 015 賀斉 016 夏侯惇 017 夏侯覇 018 夏侯令女 019 花鬘 020 華雄 021 関羽 022 カン丘倹 023 関興 024 関索 025 カン沢 026 韓当 027 甘寧 028 関平 029 簡雍 030 顔良 031 魏延 032 姜維 033 許チョ 034 辛憲英 035 厳顔 036 呉懿 037 黄蓋 038 黄月英 039 高順 040 公孫サン 041 黄忠 042 皇甫嵩 043 成公英 044 蔡エン 045 司馬懿 046 司馬師 047 司馬昭 048 沙摩柯 049 周倉 050 周泰 051 周瑜 052 朱桓 053 祝融 054 朱儁 055 荀イク 056 荀攸 057 劉シン 058 鍾会 059 蒋幹 060 小喬 061 蒋欽 062 諸葛恪 063 諸葛瑾 064 諸葛誕 065 諸葛亮 066 徐晃 067 徐庶 068 徐盛 069 甄氏 070 鄒氏 071 曹休 072 曹洪 073 曹純 074 曹彰 075 曹植 076 曹真 077 曹仁 078 曹操 079 臧覇 080 曹丕 081 曹豹 082 沮授 083 孫堅 084 孫権 085 孫策 086 孫尚香 087 大喬 088 太史慈 089 趙雲 090 張コウ 091 トウ忠 092 張春華 093 張昭 094 張任 095 貂蝉 096 張飛 097 張苞 098 張遼 099 陳宮 100 陳泰 101 陳武 102 程イク 103 程普 104 丁奉 105 典韋 106 田豊 107 トウ艾 108 董卓 109 馬雲リョク 110 馬謖 111 馬岱 112 馬超 113 馬騰 114 馬良 115 樊氏 116 潘璋 117 糜氏 118 糜竺 119 糜芳 120 文鴦 121 文醜 122 文聘 123 鮑三娘 124 法正 125 ホウ統 126 ホウ徳 127 満寵 128 孟獲 129 孟達 130 羊コ 131 楊修 132 卞氏 133 李恢 134 董襲 135 陸抗 136 陸遜 137 李厳 138 李儒 139 李典 140 劉禅 141 劉備 142 李通 143 劉封 144 廖化 145 凌統 146 呂布 147 呂蒙 148 呂玲綺 149 魯粛 150 盧植 151 閻行 152 王基 153 王粲 154 王双 155 王甫 156 温恢 157 カイ越 158 カイ良 159 賈逵 160 華キン 161 鄂煥 162 霍峻 163 夏侯恩 164 夏侯尚 165 牛金 166 虞翻 167 黄権 168 高翔 169 公孫越 170 高覧 171 吾粲 172 呉班 173 顧雍 174 呉蘭 175 周魴 176 朱拠 177 朱然 178 朱治 179 蒋エン 180 向寵 181 鍾ヨウ 182 全ソウ 183 蘇飛 184 祖茂 185 孫桓 186 孫韶 187 孫瑜 188 孫翊 189 孫礼 190 孫魯班 191 張既 192 張嶷 193 張翼 194 趙累 195 陳羣 196 陳式 197 田予 198 董允 199 トウ芝 200 杜畿 201 蒋済 202 馬忠(蜀) 203 費イ 204 文欽 205 歩隲 206 楊儀 207 雷銅 208 駱統 209 陸績 210 呂範 211 呉国太 212 ? 213 徐氏 214 ? 215 袁遺 216 王匡 217 王忠 218 韓馥 219 橋瑁 220 孔チュウ 221 潘鳳 222 武安国 223 方悦 224 鮑信 225 穆順 226 劉岱 227 曹昂 228 曹沖 229 郭奕 230 楽チン 231 関彝 232 関統 233 許儀 234 公孫続 235 孫朗 236 太史享 237 張虎 238 趙広 239 趙統 240 程武 241 典満 242 ホウ会 243 李豊 244 黄小玉 245 崔州平 246 孟公威 247 石広元 248 ? 249 ? 250 王昶 251 252 253 厳シュン 254 顧譚 255 256 孫乾 257 孫皎 258 張休 259 張紘 260 261 262 263 264 265 傅士仁 266 楊阜 267 268 関銀屏 269 杜氏 270 趙娥 271 楊氏 272 星彩★ 273 夏侯氏 274 張氏 275 王経 276 王伉 277 278 王祥 279 280 賈華 281 郭攸之 282 霍弋 283 韓浩 284 285 孔融 286 国淵 287 吾彦 288 289 周旨 290 蒋舒 291 諸葛セイ 292 沈瑩 293 辛敞 294 辛ピ 295 296 宋謙 297 298 299 300 301 302 張南 303 304 305 馬休 306 馬鉄 307 馮習 308 309 傅トウ 310 311 陸凱 312 313 314 呂凱 315 316 317 318 319 320 321 322 323 314 325 326 327 328 329 330 331 332 333 334 335 336 337 338 339 340 341 342 343 344 345 346 347 348 349 郭シ 350 牛輔 351 胡軫 352 徐栄 353 354 董旻 355 董白 356 樊稠 357 李カク 358 李粛 359 360 361 362 363 364 365 366 367 キョウ都 368 369 裴元紹 370 371 372 373 374 375 376 377 378 379 380 381 382 383 384 385 386 387 388 389 390 391 392 393 394 395 396 397 398 399 400 401 402 403 404 405 406 407 408 409 410 411 412 413 414 415 416 417 418 419 420 421 422 423 414 425 426 427 428 429 430 431 432 カク萌 433 魏続 434 侯成 435 宋憲 436 曹性 437 朱文琴 438 馬忠(呉) 439 孫匡 440 喬国老 441 夏侯威 442 夏侯和 443 夏侯恵 444 夏侯玄 445 夏侯徳 446 夏侯楙 447 448 449 450
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チョウアン 現在の陝西省西安市一帯。 この地域一帯は周代から栄え、多くの王朝がこの地に都を置いた。 秦末に咸陽が破壊されるとその近郊に劉邦が長安を建設し、張良の建議により前漢の首都とした。 後漢末期に董卓が献帝を奉じて長安に遷都するが、暴政と戦乱により荒廃した。 曹操の支配下では関中・隴西を鎮撫する拠点となり、蜀漢の北伐の目標とされた。 その後、隋唐代に最も繁栄したが、人口の増大と共に狭矮な関中平原と水不足ゆえ自給できず食糧難も生じている。 基本情報 長安を攻める漢中、天水から 安定から 洛陽、宛から 晋陽から 長安を守る漢中、天水からの敵 安定からの敵 洛陽、宛、晋陽からの敵 周辺地図 未発見武将 基本情報 収入は上級時のもの。初級だと25%増、超級だと25%減。 金収入 兵糧収入 開発地 港関 耐久 特色 600 5000 22(10+12) 5 5000 大都市 洛陽と並び最多の開発地数と最大の耐久値を誇る上に、全都市中最多の5つの港関をもつ。港関全てを治めれば収入は倍となる。 領内の遺跡・廟候補地は3つ。南西の候補地以外は、港関を利用すれば行きやすい。 兵糧の基礎収入が許昌と同様に少ない(小沛以下)ので、大軍を駐屯させる際は要注意。 城近辺はほぼ砂地なので、攻守共に槍部隊が運用しにくい。逆に騎馬部隊に有利なので、涼州騎兵を迎え撃つ際は要注意。 長安を攻める 漢中、天水から 本道で一直線だが、いかんせん距離がある。兵糧は多めに持たせよう。敵が騎馬・弩部隊なら森に隠れて進軍しよう。騎馬部隊に対しては槍部隊をぶつけたいが、城周りだと役に立たないので主力にはしないように。 森を抜けた辺りでぐずぐずしていると、騎馬で蹂躙されたり火をつけられたりと散々な目に遭わされる。すぐに橋頭堡が築こう。 距離がある事を逆に利用し、火罠や施設を建てて待ち受ける手もある。 安全に行くなら、各種コストはかかるが、施設を建てながら進軍するとよい。万が一戦況が悪化して撤退戦となっても、施設のZOCのおかげで敵の騎馬隊の追撃でも振り切れる。 安定から 渡の周辺でもたつくと、火をつけられたり騎馬で押し返されたりして被害が大きくなる。一気に全部隊越えるつもりで足並みを揃えよう。 渡を越えた後は橋頭堡が築きつつ迎撃部隊を片付けよう。兵舎が近くにあるなら破壊しておくこと。 洛陽、宛から 潼関を用いて棺桶作戦を行えば容易に撃退できる。周囲に軍楽台などの補助施設を建てて臨もう。 函谷関や新豊港は捨てるのが吉。敵が疲弊したのちに前線としよう。 晋陽から 輸送なども含めて進軍準備に時間がかかる上に物資と人材に余裕がいるが、戦略的メリットがある状況ならばこのルートもあり。西河港に事前に兵と兵装を輸送しておき、ここから出発しよう。その後は新豊港から順を追って攻略してゆく。 潼関で手間取る可能性がある。西河港から補給部隊を後続させておくこと。 ひとたび大損害が出たら出直すのが困難。攻略に失敗しないよう、情勢を慎重に見極めて出発させよう。 長安を守る 漢中、天水からの敵 西の森(五丈原)は、最も守りにくい長安の泣き所。距離があるため、敵の到着日数を考慮して出陣しないと西側の開発地を壊されやすい。漢中方面が安定するまでは半分程度開発地を空けておくのも一つの作戦。空き地の地形効果は土と同じ。騎馬で踏みつけるもよし、弩で射るもよし。森の中よりは迎撃しやすいはず。 小技だがマス目のあき具合によっては、雪隠詰めにして袋叩きにできる。 開発地の周囲に施設を設置して、内政施設を破壊しに来た敵を消耗させるという手もある。 真面目に森まで出向いて相手をするなら、山頂付近を中心として前後にいくつか施設を建てて迎撃しよう。移動日数がかなりかかる上、弩・騎馬部隊がほぼ役立たずになることは承知しておくこと。 西の入り口に陣を建てておくだけでも牽制になる。その裏には道沿いに火罠地帯を設置し、段階的に敵を消耗させておきたい。 長安領ではないが、T字路の手前を土塁で塞いでおくのもいい。 時に本城真南の桟道からやって来ることがある。出口でいくらでもフルボッコにできるので、そんなに気にする必要もない。むしろ歓迎できる側面も。 安定からの敵 射程3以上の兵科が使えるなら、渡の出口を塞いで射撃するのが最も損害が少なくて済む。部隊数が少なくても効果が大きいのが利点。 事前に渡の先に火罠を並べておき、攻めてきたら炎上させると更に楽になる。火付け役は井蘭で。 仮に渡を越えられても二重の防衛線を張れる上に、騎兵戦法・騎射・弩兵戦法・火球攻撃など多彩な戦術が使えるので撃退するのはそう困難ではない。事前にきちんと築城しておかないと、いくら堅い長安城でも危険に曝されるのは言うまでもない。 洛陽、宛、晋陽からの敵 潼関だけを防衛目標にして、その他の関は敢えて放置したほうが何かとやりやすい。都市自体の生産力が十分高いので、わざわざ貯金箱にこだわり兵力の分散を招く必要もないだろう。 その他の関は、こちらから攻勢に出る際に、あらためて攻略すればよい。 関の出口を部隊で塞ぎ、後ろから井蘭で攻撃する棺桶作戦で楽に守れる。 周辺地図 未発見武将 シナリオ番号の対応関係はこちらを参照。 年 名前 シナリオ 184 金旋 1 2 13 杜畿 1 8 12 傅巽 1 2 3 8 12 13 189 張既 1 2 3 8 9 12 13 197 (金禕) 1 2 3 12 13 215 (張緝) 1 2 3 4 5 6 9 10 12 13 223 李豊 1 2 3 4 5 6 9 10 11 12 13 228 傅嘏 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 241 杜預 1 2 3 4 5 6 7 9 10 11 12 13 S14の未発見武将は 王粛、王朗、郭汜、皇甫嵩、朱儁、成宜、曹真、孫礼、戴陵、張緝、張虎、程銀、董卓、董旻、傅嘏、李粛、李儒、李通 S16の未発見武将は 王祥、賈詡、馬玩、傅嘏、李通、婁圭
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編集を押すと内容の編集が行われます。 更新した内容は史実武将データ/タ行に反映されます。 名前 カナ 性別 統率 武力 知力 政治 兵科 戦法 商才 耕作 名士 兵心 練兵 収集 人脈 監視 補修 弁舌 豪傑 一騎 神速 水練 遠射 攻城 兵器 冷静 軍師 鬼謀 編集 太史慈 タイシジ 男 90 93 69 58 弓兵 剛勇 心 練 補 豪 一 遠 編集 帯来洞主 タイライドウシュ 男 51 53 54 43 弓兵 全軍速攻 編集 戴陵 タイリョウ 男 70 75 39 48 騎兵 防御強化 器 編集 朶思大王 ダシダイオウ 男 62 59 70 54 弓兵 突撃封印 収 補 弁 編集 譚雄 タンユウ 男 58 73 14 20 弓兵 弓攻撃強化 編集 張允 チョウイン 男 72 67 42 56 弓兵 全軍遠射 練 水 編集 趙雲 チョウウン 男 96 96 77 65 騎兵 単騎駆 心 練 監 補 豪 一 神 冷 編集 張衛 チョウエイ 男 74 66 45 44 弓兵 全防御強化 練 器 編集 張英 チョウエイ 男 75 74 41 34 弓兵 大打撃 水 編集 張燕 チョウエン 男 76 81 57 48 騎兵 総突撃 心 神 編集 張横 チョウオウ 男 59 70 23 24 騎兵 防御弱化 編集 張温 チョウオン 男 32 10 72 78 槍兵 攻撃弱化 名 弁 編集 張闓 チョウガイ 男 34 66 8 1 槍兵 索敵 編集 張角 チョウカク 男 87 25 86 80 弓兵 全軍兵撃 耕 心 練 人 弁 遠 冷 軍 鬼 編集 張既 チョウキ 男 74 35 76 88 騎兵 攻撃弱化 商 耕 編集 張嶷 チョウギョク 男 79 72 75 77 槍兵 槍軍堅守 練 監 攻 編集 張勳 チョウクン 男 72 68 41 39 槍兵 槍攻撃強化 編集 張紘 チョウコウ 男 24 22 86 95 弓兵 突撃封印 商 名 人 弁 冷 軍 編集 張郃 チョウコウ 男 89 89 73 57 槍兵 槍軍堅守 練 監 補 豪 一 神 攻 編集 趙弘 チョウコウ 男 66 72 28 22 騎兵 馬攻撃強化 編集 張済 チョウサイ 男 70 66 55 53 騎兵 全軍索敵 耕 収 攻 編集 張繍 チョウシュウ 男 80 73 64 45 騎兵 騎軍神速 心 補 神 編集 張昭 チョウショウ 男 33 3 84 97 弓兵 文武低下 商 耕 名 人 弁 軍 編集 張松 チョウショウ 男 25 6 88 82 騎兵 破壊力弱化 商 収 弁 軍 編集 張任 チョウジン 男 84 84 78 59 弓兵 遠猛射 練 補 遠 編集 張悌 チョウテイ 男 67 43 80 78 槍兵 攻撃弱化 耕 水 編集 張邈 チョウバク 男 52 53 71 74 弓兵 射程弱化 商 名 編集 趙範 チョウハン 男 28 21 32 58 騎兵 防御強化 編集 張飛 チョウヒ 男 94 98 30 22 槍兵 万人敵 監 豪 一 攻 編集 張苞 チョウホウ 男 78 87 48 46 槍兵 大打撃 練 監 一 編集 張宝 チョウホウ 男 83 71 81 76 槍兵 伏兵 心 収 器 軍 編集 張曼成 チョウマンセイ 男 75 81 45 47 騎兵 武力上昇 心 監 補 編集 張楊 チョウヨウ 男 72 70 66 58 騎兵 武力低下 耕 攻 編集 張翼 チョウヨク 男 75 74 76 72 弓兵 全攻城強化 収 弁 器 編集 張遼 チョウリョウ 男 95 92 78 58 騎兵 強襲 心 練 監 補 豪 一 神 編集 張梁 チョウリョウ 男 78 80 74 56 騎兵 全軍速攻 練 監 編集 趙累 チョウルイ 男 70 43 68 74 弓兵 機動力弱化 商 人 弁 編集 張魯 チョウロ 男 51 26 74 78 槍兵 鎮静 耕 編集 陳横 チンオウ 男 64 63 26 35 弓兵 弓攻撃強化 編集 陳応 チンオウ 男 62 72 45 27 槍兵 攻城強化 器 編集 陳紀 チンキ 男 58 65 43 48 弓兵 総猛射 編集 陳宮 チンキュウ 男 84 55 89 83 弓兵 全軍兵撃 商 耕 練 人 監 弁 器 軍 鬼 編集 陳矯 チンキョウ 男 61 27 77 83 弓兵 知力上昇 名 編集 陳羣 チングン 男 32 14 75 96 弓兵 破壊力弱化 商 耕 名 軍 編集 陳珪 チンケイ 男 30 4 82 77 槍兵 全軍遠射 商 名 人 弁 編集 陳式 チンショク 男 70 71 25 23 騎兵 速攻 器 編集 陳震 チンシン 男 46 46 69 76 弓兵 破壊力弱化 商 弁 編集 陳泰 チンタイ 男 84 77 86 78 弓兵 弓軍強射 名 心 神 攻 軍 編集 陳登 チントウ 男 79 64 81 80 騎兵 埋伏の毒 商 名 心 人 攻 編集 陳到 チントウ 男 76 71 67 53 騎兵 大打撃 補 攻 編集 陳武 チンブ 男 76 87 43 40 槍兵 速攻 練 水 編集 陳蘭 チンラン 男 66 69 40 24 槍兵 槍攻撃強化 編集 陳琳 チンリン 男 25 9 75 78 弓兵 武力上昇 名 人 弁 器 編集 程昱 テイイク 男 70 49 90 79 槍兵 伏兵神速 商 名 弁 器 軍 鬼 編集 程遠志 テイエンシ 男 69 74 17 24 騎兵 索敵 編集 程銀 テイギン 男 69 73 40 36 槍兵 速攻 練 攻 編集 丁原 テイゲン 男 70 76 35 40 騎兵 全攻撃強化 監 編集 程普 テイフ 男 84 79 79 74 槍兵 全軍兵撃 心 練 監 一 水 遠 編集 丁奉 テイホウ 男 81 80 75 55 弓兵 猛攻 監 補 神 水 遠 編集 典韋 テンイ 男 72 95 35 29 槍兵 鉄壁 監 豪 一 編集 田楷 デンカイ 男 68 65 58 61 騎兵 知力低下 心 編集 田疇 デンチュウ 男 66 66 73 76 弓兵 全軍索敵 耕 名 攻 編集 田豊 デンホウ 男 72 29 93 87 槍兵 虚誘掩殺 商 耕 名 人 弁 攻 冷 軍 鬼 編集 田豫 デンヨ 男 80 72 80 78 騎兵 大打撃 収 器 編集 董允 トウイン 男 47 28 79 91 弓兵 攻撃弱化 耕 名 弁 編集 董和 トウカ 男 57 34 75 87 弓兵 総猛射 商 耕 編集 鄧艾 トウガイ 男 93 87 89 81 槍兵 伏兵神速 耕 練 補 一 神 攻 軍 編集 陶謙 トウケン 男 51 27 64 63 弓兵 射程弱化 耕 編集 鄧賢 トウケン 男 61 73 45 36 弓兵 武力上昇 編集 鄧芝 トウシ 男 73 52 81 85 弓兵 挑発 商 耕 収 弁 編集 董襲 トウシュウ 男 72 85 50 48 槍兵 全攻撃強化 心 水 編集 董承 トウショウ 男 56 53 65 63 騎兵 攻城強化 商 器 編集 董昭 トウショウ 男 34 25 80 82 槍兵 防御弱化 耕 名 編集 董卓 トウタク 男 85 87 73 59 騎兵 全軍猛攻 練 収 監 補 豪 神 編集 董荼那 トウトナ 男 68 73 31 37 槍兵 武力低下 水 編集 董旻 トウビン 男 49 60 25 12 騎兵 攻撃強化 収 監 攻 編集 鄧茂 トウモ 男 61 75 29 17 槍兵 攻撃強化 攻 編集 杜畿 トキ 男 66 32 75 87 弓兵 攻撃弱化 耕 心 器 編集 杜預 トヨ 男 84 30 85 80 槍兵 全軍猛攻 練 人 補 神 水 攻 器 編集 大喬 ダイキョウ 女 57 11 73 78 弓兵 全軍速攻 心 弁 水 編集 張氏 チョウシ 女 20 61 37 50 騎兵 奮迅封印 収 人 編集 張春華 チョウシュンカ 女 60 49 79 72 騎兵 鎮静 名 心 監 弁 編集 貂蝉 チョウセン 女 20 26 81 65 槍兵 美女連環 心 弁 編集
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程昱[仲徳] 田疇[子泰] 田豊[元皓] 田豫[国譲] 杜畿[伯侯] 杜恕[務伯] 杜預[元凱] 董允[休昭] 鄧艾[士載] 陶璜[世英] 滕脩[顕先] 董昭[公仁] 唐彬[儒宗] 程昱[仲徳] 141~220 最高官位:衛尉 『三国志』立伝 県丞の王度が反乱を起こした際、豪族の薛房を説得して城を固守した。王度らが城を落とせず敗走すると、官民を率いて追撃した 「統・武・知」 王彧は劉岱に「程昱は策謀を持っています」と進言した (知) 公孫瓚は袁紹の敵ではないと主張し、劉岱に袁紹と結び続けるよう進言した 「知」 荀彧に「民の人望がある」と評された (政) 張邈らが反乱を起こして呂布を迎え入れた際、笵県令のキン允を説得して裏切りを阻止した 「政」 騎兵を派遣して倉亭津を断ち切り、陳宮の進路を阻んだ 「知」 袁紹に人質として家族を送ろうとしていた曹操を諌めた 「知」 曹操に身を寄せた劉備を殺害をするよう進言した。また曹操が劉備に袁術を攻撃させると、反乱を予測した 「知」 寡兵で守っていたケン城に袁紹が接近した際、このままなら袁紹は攻めてこないと判断し、増援を拒んだ 「知」 逃亡者を集めて精鋭兵数千人を集め、曹操と共に袁譚、袁尚を討伐した 「統・武」(※) 劉備が呉に入ると、孫権と組んで成功することを予測した 「知」 田銀らの賊軍が降伏し、曹丕がそれを処刑しようとした際、処刑せずに曹操の判断を待つよう進言した 「政」 軍の食糧が欠乏した際、出身の県で略奪を行い、その食糧に人肉を混ぜたため、朝廷での人望を失った 「武・-政」 曹操に献帝擁立を進言した。曹操は曹洪を派遣したが、董承らに阻まれた [武帝紀] 高蕃に水路を断ち切られた際、それを攻撃しようという李典の主張に賛成した 「知」(※) [李典伝] 田疇[子泰] 169~214 最高官位:議郎 『三国志』立伝 読書を好み、剣術が上手だった 「武・政」 劉虞の配下は田疇を「多くの者から評価を受けています」と言って、朝廷への使者に推薦した (政) 劉虞の使者として朝廷へ向かう際、個人の旅行ということにして賊の目標になるのを避けた 「知」 騎都尉の任官を辞退し、朝廷にその道義心を感心された (政) 公孫瓚に捕らえられると、「罪なき主君を滅ぼした上に道義を守る臣下にあだなせば、将軍に付き従う者はいなくなる」と述べた。公孫瓚はその勇気に感心し、田疇を処刑しなかった 「政」田疇を拘束している公孫瓚にある人は「田疇は義士です。彼を拘束しては人心を失います」と進言した (政) 劉虞に「上奏への答書を待っていては事を起こす機会を見逃す心配があります。公孫瓚を早く始末すべきです」と進言した 「知?」 田疇が徐無山に入ると人民は彼に帰属し、数年の間に五千軒以上になった 「政」指導者に推し立てられると刑法を取り決め、婚姻の礼を制定し、学校教育の事業を起こした 「政」 烏丸と鮮卑は田疇の威光信義に服従し、貢物を贈った。田疇は彼らを慰撫して受納し、侵略しないよう命じた 「政」 曹操の烏丸征伐の際、小道を教え、そこを通って急襲するよう進言した 「知」 下賜された物品を全て親族友人に分け与えた 「政?」 田豊[元皓] ?~200 最高官位:冀州別駕 曹操との開戦に反対したが、退けられた 「知」 曹操が劉備を攻めると、その背後を襲うよう進言したが、子供の病気を理由に退けられた 「知」 袁紹に対し、曹操と短期決戦に臨まず持久戦に持ち込むよう勧めたが、退けられた 「知」 自身の進言が容れられず袁紹軍は敗れたが、かえって自らが処刑されることを予測した 「知」 権謀、機略に富み、博学多識、名声は故郷に轟いた 「知・政」 袁紹に献帝を擁立するよう勧めたが、容れられなかった 「知」 公孫瓚撃破の計略に貢献した 「知」 曹操は、田豊が袁紹に随行しなかったことで戦勝を予測し、勝利を収めた後も「もしも袁紹が田豊の計略を採用していたらどうなっていたか分からない」と述べた (知) 孔融は田豊を「智謀の士」と称えたが、荀彧は「強情で上に逆らう」と軽んじた [荀彧伝] 田豫[国譲] ?~? 最高官位:衛尉 『三国志』立伝 反旗を翻し城に押し寄せた王門を叱責し、退却させた 「政」 臨機応変の策に長じているが、公孫瓚は任用できなかった 「知?」 曹操に従属するよう鮮于輔に進言した 「知」 県令や太守を務め、いずれの任地でも治績を挙げた 「政」 異民族の騎兵を相手に苦戦したが、円陣を築き、弩弓を構え、手薄な箇所にも兵がいると見せかけ、敵の進軍を防いだ 「統・知」追撃して勝利を収め、その策略をもって、代郡平定に大きく貢献した 「統・武・知」 侯音と共に反乱した500人は逮捕されると皆死刑になるところだったが、田豫は彼らを説諭した上で釈放し、それによって反乱も静まった 「政」 鮮卑の頭領たちの仲を離間し、彼らが相争うよう仕向けた 「知」 鮮卑の軍に帰路を絶たれると、屯営を築いてまだその場にいるよう見せかけ、密かに別の道から退却を図った 「知」追撃、包囲を受けると、軍を分けて別軍に敵の意識を向けさせた上で、挟撃して勝利を収めた 「統・武・知」 恭順しなかった烏丸王骨進の元に百余騎で押しかけ、斬刑に処し、烏丸を従わせた 「武・政」 鮮卑の素利を誘い、山賊の高艾を斬らせた 「知・政」 護烏丸校尉として在任9年、常に異民族同士の合併を防ぎ、力を削ぐ策を用い、官に害をもたらす者をことごとく平定した 「知」 公孫淵の救援に訪れた呉軍が成山に漂着することを予測してそこで待ち受け、ことごとくを捕虜にした 「統・知」(※) 孫権が合肥新城に侵攻すると、そこに急行せず、攻撃させて疲弊したところに追撃をかけるよう勧めた 「知」 呉の襲撃に対応、敵はすぐに退いた 「統・武」再度呉が襲撃してきたと軍が慌てふためいたが、動揺することなく命を下した。結局呉の襲撃はなかった 「統・知」 并州刺史となると、周辺の異民族はその威名を伝え聞いていたので、連れ立って来貢した。州境は安定し、民の思慕を受けた 「統・政」 賞賜は全て将兵に分け与え、異民族からの贈り物も全て官に納めた 「政」 遼東を攻撃したが戦果を得ることはなかった 「-統?-武?」 [蔣済伝](※) 辺境統治の評判は牽招に勝るものだった 「政」 [牽招伝] 鮮卑間の争いが激しくなると、それを調停した 「政」 [鮮卑伝] 軻比能配下の、瑣奴の軍を攻撃し、敗走させた 「統・武」 軻比能配下の、鬱築鞬の軍を撃ち破った 「統・武」 杜畿[伯侯] ?~? 最高官位:尚書僕射 『三国志』立伝 若い頃父を失い、継母にいじめられたが、孝行者として名を知られた 「政」 数百人の未決囚に判決を下した。その全部が妥当だったわけではないが、郡中ではその全体的な把握を立派ともてはやした 「政」 京兆尹の功曹に任命されたが、種々の仕事に心を配らず、功曹に相応しくないと言われた 「-政?」 河東で衛固らが反乱した際、計略によって繋ぎ止めるため、単身彼らのもとを訪れた 「知」衛固らに兵をゆっくりと集めるよう、また将校や属官らに休暇を与えるよう進言した。結果、兵は集められず、人々はまとまりを失った 「知」 張辟で衛固らの軍を防いだ 「統・武」 荀彧に「大きな困難にぶつかれるだけの武勇、変化に対応できる英知を持つ」と評された (武・知) 河東太守に就任すると、寛大と恩恵を尊び、住民に対して干渉しなかった 「政」住民の内に訴訟を起こして告発し合う者がいると、直接会って根本的な道理を説明し、反省させた 「政」 管轄の県に、孝子、貞節な婦人、よく祖父母に仕える孫を推挙させ、彼らの労役を免除し激励した 「政」 牝牛、牝馬を住民に割り当てて飼わせ、豚や犬に及ぶまで全てに規則を作った 「政」 人民は農業に励み、家々は豊かになり充実した 「政」 学校を開き、自身で経典を手に教授した。冬には軍事訓練を行った 「統・政」 曹操が漢中を征討した際、五千人を派遣して輸送を担当させたが、一人の逃亡者も出なかった 「統」 曹操に寵愛されていた劉勳に棗を要求されたが、それを拒絶した。後に劉勳は法の裁きを受けた 「政?」 曹丕が呉を征討した際、留守中の政務を取り仕切った 「政」 寡婦を都に送る命令を受けた際、他の郡では生者の妻も送ったが、杜畿はただ寡婦だけを送った 「政?」 評判の高かった李豊を評価せず、評判の低かった郭沖を評価した。のち李豊は死刑に処され、郭沖は代郡太守となった 「政」 杜恕[務伯] 198~252 最高官位:幽州刺史、建威将軍、使持節護烏丸校尉 『三国志』付伝 誠実さを貫き、質実で表面を飾らなかったため、若い頃は名声を得ることがなかった 政治に過ちがある度に国家の大綱を引き合いに出して正論を吐き、辛毗らに才能を高く買われた 「政」 「刺史には兵を宰領させることなく、民政に専心させるべき」と主張し、鎮北将軍の呂昭を冀州刺史に就けることに反対した 「政」 勤務評定の制度について意見を述べた 「政」 他者の弾劾を好む廉昭を退けるよう上奏した 「政」 寛大で人民に対する愛情があった。しかし大筋を掴むことに努めるだけで、人民の歓心を得た点では父に及ばなかった 国境の砦を通らず州都にやってきた鮮卑族を斬り、それについて報告賞を提出しなかったため、程喜に弾劾された 『体論』『興性論』を書いた 「政」 杜預[元凱] 222~284 最高官位:鎮南大将軍、都督荊州諸軍事 『晋書』立伝 博学で、興廃の道に明るかった 「政」 蜀平定時、鍾会共々その属官まで皆殺されてしまったが、杜預だけは知恵でそれを免れた 「知」 律令とその注釈を制定した 「政」 河南尹を代行すると、官僚の昇降の制度を起案した 「政」 物資不足のまま鮮卑を攻めようとする石鑒に反対した。石鑒は怒り杜預は罷免されたが、鮮卑討伐は杜預の進言通りに進められた 「知」 農業促進や辺境防衛のための策、製鉄の方法や経済の管理など、様々な策を献じた 「政」 暦の計算方法を改めた『二元乾度暦』を作り、世に広めた 「政」 富平津から黄河に渡す橋を作るよう願い出た 「統・政」 周廟の欹器を再現した 「政」 度支尚書として在官7年、様々な物事を新設、改廃した。人々は杜預を賛美し「杜武庫」と呼んだ 「政」 呉討伐に先立ち武具を修繕した 「統」 呉の西陵督の張政を破った 「統・武」 捕虜にした呉の兵を解放する策で張政を左遷させた 「知」 呉の討伐を進言した 「知」 進撃させた将たちは次々に呉の城邑を攻略し、全ては杜預の策通り進んだ 「統・知」 呉軍の不意を突き、周旨らに夜の内に長江を渡らせ、降伏させた 「知」 伍延の偽りの降伏に惑わされず、攻撃して勝利を収めた 「統・武・知」 呉が降伏すると各地に晋の官吏を送り、荊州を粛然とさせた 「統・政」 諫言を退け、勢いのままに呉を一気に攻めて降伏させた 「知」 顔にこぶがあるのを揶揄した呉人をことごとく殺した 天下統一が成っても軍事訓練を怠らず、学校を建てて教化にも努めた 「統・政」 山中の異民族を攻め破り、各地の要害に屯営を置いて、治安維持に努めた 「統・武」 灌漑によって田を富ませた。田の区分けを整え、内外に利益をもたらした 「政」 水路のない地域まで長くそれを切り開いた 「政」 馬に跨ることや、弓矢で的を射ることはできなかった 「-武」 人との交流において礼を弁え、人の良く物事を教え、言葉少なく慎み深かった 「政」 『春秋左氏経伝集解』をはじめとする様々な著作や注釈書を著した 「政」 利益は求めなかったが、讒言で害を受けることを恐れ、要人には贈り物を届けた 董允[休昭] ?~246 最高官位:侍中守尚書令、輔国将軍 『三国志』立伝 諸葛亮に公明正大な人物と評価され、宮中の諸事を任された (政) 劉禅に対し常に忠言を尽くし、後宮の人数がみだりに増えることのないようにした 「政」 劉禅に媚びへつらう宦官の黄皓の台頭を防いだ 「政」 諸葛亮の死後、魏延と楊儀は互いに相手が反乱したと上奏したが、董允は楊儀の側を支持した 「知?」 [魏延伝] 葬儀の場で粗末な馬車に乗せられ、董允は戸惑いの色を隠せなかったが、同乗した費禕は平然としていた。董允の父の董和はこれ見て、費禕の方が優れていると判断した 「-政?」 [費禕伝] 仕事と共に遊びも満喫する費禕の生活ぶりを真似ると仕事を渋滞させてしまい、董允自身も能力の差を痛感した 「-政」 [費禕伝] 鄧艾[士載] ?~264 最高官位:太尉 『三国志』立伝 高い山や広い沼地を見るといつも、軍営設置にはどこが適当か測量したり、図形で示したりした。当時の人々からは嘲笑された 「知」 郭玄信に「大臣まで昇る器」と評価された (「政」) 田地に水を引くために運河の開通を訴え、『済河論』を記した。また許昌の田地を廃してその用水を東へ流し、淮水の南北で屯田することも進言した。これらの進言は受け入れられ、軍の船での移動や食糧確保に大きく貢献した 「政」 郭淮と共に姜維の侵攻を防いだ 「統・武」一度退却した姜維が再び来襲することを予測した 「知」 姜維が鄧艾の軍を釘付けにした上で洮城を襲撃することを予測。鄧艾は夜間密かに軍を動かして洮城へ向かい、姜維を防いだ 「統・武・知」 匈奴の去卑を厚遇して劉豹との間でその勢力を2つに割くこと、羌族を教化して中国に同化させることを進言した 「知・政」 意見のほとんどを司馬師に採用された 各任地で荒野を開墾し、軍民とも豊かにした 「政」 敗戦を喫した諸葛恪が呉において誅殺されることを予測した 「知」 治績評価に際し、穀物を人民を豊かにした者を第一に評価するよう進言した 「政」 毌丘倹が反乱すると、楽嘉へ急行し浮橋を作った。後に到着した本軍は本拠を楽嘉に置いた 「統・知」文欽を丘頭まで追撃し、敗走させた 「統・武」 諸葛緒を黎漿に派遣して呉の孫峻らを防ぎ、敗走させた 「統」 狄道で包囲されていた王経を救助した 「統」 王経が敗れた状況から、撤退した姜維の再出撃を予測。要害の地で防ぎ、段谷での決戦でこれを撃ち破った 「統・武・知」 長城で姜維を防いだ 「統・武」 侯和で姜維を破った 「統・武」 蜀に侵攻し、楊欣らを姜維を攻撃させ、彊川口で勝利を収めた 「統」 剣閣を守る姜維を避け、山に穴を開け、谷に橋を架けるなど山野を越えて成都に迫った 「統・知」 鄧忠らに諸葛瞻を攻撃させ、一度敗れても叱咤し、再戦させてこれを撃ち破った 「統」 蜀が降伏しても略奪を働くことはなく、人士を落ち着かせ、蜀の人々から称えられた 「統」 蜀の士人に対し自らの手柄を自慢し、嘲笑された 「-政?」 軍を蜀に留め、このまま一気に呉へ侵攻することを強行に進言し、謀反の疑いをかけられて逮捕された その死後、段灼は鄧艾について、「人の気持ちを軽々しく踏みにじり同僚と協調できなかった」ために弁護を得られなかったものであり、謀反の疑いについては否定し、穀物を蓄積し、軍事力を強化し、蜀を降伏させた等の功績を称えた 西方在任中に長城を修理し、砦を築き、その砦は後世まで官民の防備に活用された 「政」 王経を救援するに当たり、戦勝の勢いに乗る姜維の鋭鋒を避け機をうかがうよう進言するが、陳泰はこれを退け急ぎ姜維の軍を破り、王経を救った 「-知?」 [陳羣伝] 李密を登用しようとしたが、祖母への孝養に務める彼はこれを受け入れなかった [楊戯伝] 陶璜[世英] ?~290 最高官位:冠軍将軍、交州牧 『晋書』立伝 分水で楊稷と戦って敗戦を喫し、配下の将2人を失った 「-統?-武?」楊稷との戦いで敗れ、叱責を受けた後、董元に夜襲をかけて宝物を奪取し、功を称えられた 「武」 交阯で董元と再び戦い、伏兵を看破し、勝利を収めた 「統・武・知」 賊帥の梁奇に宝物を送り、援軍を得た 「知?政?」 董元配下の解系の弟である解象を厚遇し、董元の疑心を誘い、解系を殺害させた 「知」 謀略に長け、困窮者を救い、交州刺史として人心を得た 「知・政」 山越との戦いで苦戦する滕脩に対し、塩と鉄の交易を絶ってから討伐するよう勧めた 「知」 交阯で楊稷らを包囲すると、楊稷は降伏を申し出たが、その家族が処刑されないよう、百日を待ってから降伏するように援助した 「政」 九真で晋に服属した李祚を撃ち破った 「統・武」 代々服属しなかった武平郡などの異民族を撃ち破った 「統・武」 交州牧から転任となると、何千人もの州民が再任を請願した。威厳と恩恵は異民族にまで顕れ、没すると州民は号泣した 「政」 司馬炎が州兵の削減を図ると、交州の風俗と、その統治には兵力が必要であることを訴えた 「統・知・政」交州の困窮を訴え、真珠の徴発を控え、商人を往来させて米と交換できるようにしてほしいと訴えた 「政」 滕脩[顕先] ?~288 最高官位:鎮南将軍、広州牧 『晋書』立伝 広州刺史となり、統治には非常に威厳と仁愛があった 「政」 中央に召還された後、広州で郭馬が反乱すると、同地で民心を得ている滕脩が討伐を命じられた。その任に当たる前に、晋の侵攻に遭い帰還した 「政」 晋に帰順後も広州牧として南方のことを委ねられ、異民族からも支持を得た 「政」 陸凱の遺言において、重用を勧められた人物の一人となった (政) [陸凱伝] 山越の戦いで苦戦したが、陶璜の進言に従い、塩と鉄の交易を絶ってから討伐したことで勝利を収めた [晋書 陶璜伝] 董昭[公仁] 156~236 最高官位:司徒 『三国志』立伝 袁紹の布令文を偽作し、鉅鹿郡を騒がせていた孫伉らを斬って、郡を安定させた 「知・政」 魏郡の賊の使者を厚遇し、利用して賊の間に仲間割れを起こした。そしてその隙をついて襲撃し、大勝を収めた 「統・武・知」 曹操を「天下の英雄」と評し、張楊に手を結ぶよう進言した 「知」 楊奉に書簡を送り、曹操を鎮東将軍に取り立てさせた 「知・政」 楊奉を騙し、許昌に遷都するよう進言した 「知」 薛洪と繆尚を説得し、降伏させた 「政」 劉備に袁術を攻撃させた曹操を咎めた 「知」 魏郡太守の袁春卿に書簡を送り、降伏を促した 「政?」 曹操が烏丸を征伐した際、平虜と泉州に運河を掘って輸送路を通すことを建策した 「政」 五等級の爵位制度の復活を建言した 「政」 曹操を魏公、魏王に推戴した 「政」 樊城の戦いの際、孫権が関羽の領地を攻めることを、樊城にも関羽にも知らせるよう進言した 「知」 曹休が江南を攻めた際、臧覇が進軍しないことを予測した 「知」 夏侯尚が一本の浮橋を頼りに長江の中洲に進入した際、その危うさを指摘した 「知」 徒党を組み、仲間褒めをし合っている若者を批判する上奏を出した 「政」 唐彬[儒宗] 235~294 最高官位:前将軍、領西戎校尉、雍州刺史 『晋書』立伝 国を治められるほどの大きな気宇があったが、品行にはあまりこだわらなかった 若くして弓馬に長け、狩りを好んだ。走力は鹿に匹敵し、力の強さは人に勝った 「武」 経典や史書について学び、特に易経に詳しかった、師に従って学問を修め、郷里に帰って門徒数百人に教授した 「政」 魏には呉を併呑する力があると論じ、呉の討伐に消極的な主張に反論し、その論を王沈に称えられた 「知・政」 忠実、公正かつ謙虚で、諫言にあたっては人前ではなく密かにそれを行った 「政」 相国府に赴くと、その属僚たちはそろって唐彬の才を称賛し、属僚の一員とするよう推薦した (政) 陳騫は司馬昭に「唐彬の人となりは私より遥かに勝っています」と述べた (政) 相国府に辟召されると、司馬昭に何故抜擢を受けたと思うか問われた。唐彬は自らの長所を述べ、その言葉を司馬昭に称えられた 「政」 鄧艾殺害後の情勢を見て、それを不満に思い反乱が起きるようなことはないと判断、報告した 「知」 鄴県令となると、徳によって人士を導き、礼によって世を整え、1ヶ月で教化の成果が表れた 「政」 弋陽太守となると、禁令や防備を整えて人々を安心させた 「統・政」 監軍の候補として唐彬と楊宗の名が挙がると、文立は「どちらも失敗することはないでしょうが、唐彬は財、楊宗は酒を好みます」と述べた。司馬炎は財欲の方が満たしやすいとして唐彬を用いた 呉討伐の策を上奏し、司馬炎の意に適った 「知」 呉討伐に際して王濬軍の先鋒となり、疑兵を用いるなど臨機応変の策をもって勝利を得た。西陵、楽郷を陥落させると多くの捕虜を得た 「統・武」 孫皓の降伏を悟るとそれ以上の功は争わず、病と称して進軍を止めた。人々はその謙虚さを称えた 「政」 朝廷で論争が起こる度に、それに参与した 「政」 北方に赴任すると農業を奨励し、兵を訓練し武器を整備し、威信と恩信を示した 「統・政」その威信に服し、鮮卑の二人の部族長が子を送って入貢した 学校を作り、仁愛を広めた 「政」 放棄された旧領を開拓し、千里にわたる地を回復した 「政」 長城の砦に軍を分けて駐屯させ、守りを固めた 「統」 辺境は安定し、漢魏以来の四征四鎮将軍の中で、これほどの成果を挙げた者はいないほどだった 鮮卑が反乱すると、上奏して返事を待っては賊が逃散することを恐れ、独断で準備を進めた。罪に問われ召還されたが、事に至った理由が正当だったため許された 河北の人々はその徳を称え、唐彬の生前から石碑を築いた 「政」 高潔な処士を臣下扱いしないよう官職に任ずることなく、ただ招き寄せて談義を交わした 「政」 コメント欄 名前
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編集 子曰く。陳・蔡に於いて我に従いし者、皆門に及ばざる也。徳行は顔淵、閔子騫、冉伯牛、仲弓。言語は宰我、子貢。政事は冉有、季路。文学は子游、子夏。(『論語』先進) 四科(もしくは四行)とは、故は、孔子が特に秀でた弟子達について述べた際の四つの徳目こと。徳行、言語、政事、文学の四科という。 転じて漢代には、朝廷に仕える官吏の任用・選抜基準として取り上げられた。具体的な四科の内容は制度や詔勅によって異なるが、適材を得て適所に配置するという共通の思想が見られる。 また察挙の常科(毎年定数が選抜される科)として、光禄勲によって郎官から毎年の成績優秀者が選ばれる「光禄四行」が存在した。『百官志』には、各卿寺下の官吏に数名の「四科」の定員がある。 目次 目次 歴史 位 所属項目(タグ) 関連項目・人物 詳説光禄四行 結。 歴史 故は、『論語』先進の一節。漢代には官吏の選挙の条件や校試の内容としてたびたび取り上げられる思想となった。 「光禄四行」は 元帝永光元年二月の詔勅によって始まるという(*1)。以後、後漢にも引き継がれ、呉も採用した記述が残る。 一般的な官吏登用としては、 中正官と九品官人法の導入のためか、魏晋では衰退した。 位 後漢では、太常、光禄勲、衛尉、太僕、廷尉、大鴻臚、宗正、大司農、少府の九卿に加えて執金吾の下に「四科」なる吏員が存在する。百石吏や二百石吏とは記載を別にしており、他の官吏とは異なる昇進課程を有したことが窺える。 所属項目(タグ) 光禄勲 光禄四行 四科 四行 孔子 孝課 策試 選挙 関連項目・人物 四科 詳説 漢代に「四科」なる基準が取り上げられた所以は、『論語』先進篇の一説による。 元帝永光元年には、 二月、丞相、御史に詔し、質樸・敦厚・遜讓・有行なる者を挙げ、光禄が歳ごとにこの科を以って郎、従官を第せよ。 とした。これが光禄四科の始まりと顔師古は言う。 中興後には光武帝が特に詔して、 漢官儀曰: 「建初八年十二月己未,詔書して四科の士を辟す。 一曰く、徳行高妙、志節清白。 二曰く、経明行修、博士に任ずるに能う。 三曰く、明曉法律、疑を決すを以って足り、章を案じ、問を覆すに能う。文は御史に任ず。 四曰く、剛毅多略、事に遭い惑わず。明は姦を照らすに足り、勇は決断に足る。才は三輔の令に任ず。 みな、孝悌・清公の行を在ぜよ。 今より以後、辟召、及び刺史・二千石の察挙、茂才、尤異、孝廉吏は四科を審らかにし、務めて実覈を尽くせ。県邑に於いて英俊、賢行、廉絜、平端を選択して務めて職を以って試を授けよ。その人に非ずして、計に臨んで署に過ぎ、官事を便習せず、書疏は端正でなく、詔書に如かぬものが有れば、有司は罪名を奏し、并せて挙者を正せ。 これは辟召と察挙という漢が有為の人材を朝廷に召す二本の柱とした制度に於いて、今後は徳行、経学、法律、多略という四分野を明らかにしてその人を挙げよ、という詔勅である。もしその被選者の能力に偽りがあれば、選挙者をも罰するという選挙不実の制度も明記されている。 また、順帝の頃に左雄が孝廉制度を改革し、儒学を事とする「諸生」と、法律・文書の管理を事とする「文吏」の二種を用いて試を課すようにとしたが、その後に尚書令となった黄瓊が上奏して、 ……しばらくして、尚書令に遷った。瓊(黄瓊)は以前左雄が孝廉の選を上した所の士を取るの義に於いて、專ら儒学・文吏を用いてなお遺す所有りとした。乃ち、孝悌及び能従政者を増し四科と為すことを奏し,事は施行された。また、雄の前は挙吏を公府に於いて先に試して議し、また端門に於いてこれを覆した。後に尚書の張盛がこの科を除くことを奏した。瓊はまた上言し、「覆試の作はまさに,澄を以って清濁を洗い,虛濫を覆實するものであります。改革はよろしくありません。」帝は乃ち止めた。(黄瓊伝) と、察挙の一科である孝廉の中にさらに四種の試を設ける上奏をして裁可されている。この四科は光武帝詔勅の四科と対応するものである。また、詔勅は「四科の士」には前提として皆「孝悌清公」の行いが在るべきとしている。「清公」は後漢書注などでは「廉公」と作り、「孝悌廉公」を縮めた謂いが「孝廉」である。 後漢王朝は孝子や廉吏を重んじたが、それは単に人品が孝・廉であれば良いというのではなくて、官吏となる全ての者の人品を孝・廉が覆うことを求めた上で、政事を執る各種の能力・学識があるかを試し、振り分けたのである。 このような四科によって人を得る思想は、異論や官吏社会の根本的な腐敗とせめぎ合いながら、後漢後期まで続いた。 献帝を奉戴し中原を回復した曹操は、動乱収まらぬ時代の権宜の策として唯才を布告し、同時に旧来の察挙制を排除して重要な人事権を自身の一手に収めた。 魏は、漢の官吏の腐敗を反省し九品官人法を定めたが、杜恕は「その人を尽くさず用いれば、才と雖もまた無益。存する所が務める所に非ず、務める所が世の要に非ず」として、当時の風潮を批判する中で四科による選抜を引き合いに出している。 ……今、考功を奏する者は周漢の法為を陳し、京房の本旨を綴って、考課の要を明らかにするものと謂うべきです。(しかし)揖讓の風を崇ぶを以って濟濟の治を興すに於いては、臣のおもいますに、未だ善を尽くさぬものです。 其れ、使して州郡が士を考すと欲すれば、必ず四科に由るものです。みな事効が有りて然る後に察挙し、公府に試辟して民に親しむ長吏と為し、転じて功次を以って郡守に補すものであり、或いは秩を就増し、爵を賜います。これが最も考課の急務であります。……(杜畿伝 子恕) ……と、杜恕は、漢制の四科による察挙と、官についてからの勤務評定である孝課を重んじることを説いた。しかし、結局、「後に考課はついに行われず。」と、漢の人事制度は失われていく。魏晋の交替と中原の喪失、貴族階級の固定化が進んだ東晋代には、孫盛が「喪乱より以後,風教は陵夷し、秀孝の策試は四科の実に乏しい。前に麏が興るは、或いはこの故か乎?」(『晋書』五行中)と嘆くのである。 光禄四行 結。 杜恕の主張した、「その人の能力を尽くさない部署に用いれば才能と言えども無益。その能力の在る所が務める所ではなく、務める所が世情の要にないからである」とは、当時の九品官人法の弊害を踏まえたものであろうか。 漢は孝廉を始めとして孝子と儒学の素養を最も重んじて人材を求め、その弊害が後漢斜陽の一因となったとされるが、それでも一方で、多様な選挙・策試の制度で幅広い人材を得て、これを適所に振り分けようと試みた。 漢の失政を反省して定められた九品官人法を中核とする魏晋の人材登用は、しかしこれもまた、その制度特有の弊害を生んで長い混迷の一因となった。漢代の官吏に求められた基本素養「四科」の盛衰からも、この時代の成り行きの一端を知ることができる。 編集 -