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超新羅星 エアレイル・スリーナイン 超新羅星 エアレイル・スリーナイン 進化クリーチャー(自然・光) コスト6/パワー11000/種族:ダイナモ/フェニックス/ジュラシック・コマンド ■進化GV:ダイナモ3体 ■S級侵略(原始):コスト3以上のダイナモ(自分のコスト3以上のダイナモが攻撃する時それ以外に2体以上ダイナモがいるなら、その中から攻撃しているダイナモを含む3体を選び、自分の手札またはマナゾーンにあるこのクリーチャーをそれら上に重ねてもよい)) ■パワードブレイカー ■メテオバーン:このクリーチャーの攻撃の後にこのクリーチャーの下にあるカードを好きな数墓地に置いてもよい。こうして墓地に置いたカード一枚につき、進化ではないダイナモを一体アンタップする。 ■自分のダイナモに「マッハファイター」与える。 ウラヌス・ナインテイルのリメイク版。 補足 制作者:いろぱち 過去、DMvaultのオリカスレに投下したものをそのまま投稿しております。私が投稿主本人です。ご了承ください。 投票 選択肢 投票 壊れ (0) 即戦力 (0) 優秀 (0) 微妙 (0) コメント 名前 コメント
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八式シギ / twitterやpixivなどの連作先 / 西京ページへのリンク &tags()
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フリフ関連 職業 出現ポイント 出現時間帯 アピールポイント ひとこと ギルメンからひとこと name comment すべてのコメントを見る リアル関連 性別 誕生日 職業 趣味 好きな食べ物 好きな音楽
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新羅の原点 イノセント・アルティメット R 光文明 (5) クリーチャー:オリジン/ルナティック・エンペラー 1000+ H・ソウル ■このクリーチャーを、進化クリーチャーとして扱ってもよい。 ■パワーアタッカー+5000 ■W・ブレイカー 作者:焼き鳥 フレーバーテキスト 評価 光文明にパワーアタッカーはおかしいと思う。 -- 名無しさん (2014-05-23 19 35 09) 名前 コメント
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特集 花郎(ファラン) 2009.8.29 第二巻 第六号 新羅人の武士的精神について 池内宏 月末最終号:無料 p.91 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(43項目)p.259 ※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式(Windows Macintosh ハイブリッド対応)。 ※ この作品は青空文庫にて入力中です。翻訳・朗読・転載は自由です。 (c) Copyright is public domain. 【T-Time 無償ダウンロード】 VOYAGER / ボイジャー 【新JIS漢字を表示できるフォントを入手しよう】 青空文庫 / —明日の本棚— (略)そうして新羅の地理上の位置は、他の諸国に比してすこぶる遜色がある。半島の東方に偏在して、海岸線が短かく、山岳が多くて肥沃なる大平野がない。のみならず直接に大陸と交通する便宜を欠いていたから、文化の発達もおくれていた。だからこの国が周囲の圧迫にたえてゆくには、是非ともおのずからたのみとする力強い何ものかを持たねばならぬ。そういうものがなければ、国家の存立すら危うくなる。いわんや進んで国力を振張せんとするにおいてをやである。祖国の擁護のためには身命をかえりみない武士的精神、——忠と勇とを基調とする愛国的精神は、かような関係から自然に涵養(かんよう)せられたであろう。のみならずそれがまた奨励せられたであろう。そうしてことに真興王の領域拡張の結果、百済・高句麗二国の共同の圧迫が、いっそう強く加わるようになると、それに正比例して、こういう精神はますます強烈の度を加えたにちがいない。それは上に目(もく)をかかげた忠臣義士の伝が、いずれもこの時代に属するのを見てもあきらかである。かくのごとき国家多難の時代において、特にその衝(しょう)にあたった偉大なる政治家には金春秋があり、抜群なる武将には金?信(ゆしん)があった。これら二人の努力の結果は、ついに新羅をして半島全体の主人たることに成功せしめた。しかも彼らの背後には、彼らを支持する有形無形の民衆的の強い力のはたらいていたことを認めなければならないのである。 2_6.rm (朗読:RealMedia 形式 360KB、2'54'') 花郎 かろう/ファラン 国仙。新羅の、愛国的な貴族子弟の精神的・肉体的修養団体である花郎徒の指導者。新羅滅亡までに二百人ほどが数えられる。貴人の子弟で美貌なものを選んで、白粉をつけて化粧し、美しく装わせる。これを花郎といい、国人はみなこれを尊び仕えている。農村の青少年集団組織で、村落の防衛・祭祀・生産・教育など各方面に活動した。新羅の国家形成期に、この農村組織を国家的に拡充したのが花郎制度。ただし、各花郎集団の独自性が強固で、貴族連合体制下ではその成果が発揮できたが、王権が確立するとその組織は凋落した。花郎の理念は原始社会の信仰形態を基本に、儒・仏・道の三教を包摂したもの。新羅にかぎらず、朝鮮の思想には、外来思想との積極的に習合する傾向がある(井上訳注)。 真興王 しんこうおう 534-576 新羅第24代の王。国勢を拡大、百済を圧迫し伽耶諸国を併合。(在位540〜576) 金春秋 キム チュンチュ/きん しゅんじゅう → 武烈王 武烈王 ぶれつおう/ムヨルワン 602?-661 新羅の第29代の王(在位 654年 - 661年)。姓は金、諱は春秋。父は第25代真智王の子の伊?(2等官)の金龍春、母は第26代真平王の娘の天明夫人。654年3月に先代の真徳女王が死去し、群臣に推戴されて王位に就く。在位中に百済を滅ぼし、三国統一の基盤を為したことから新羅の太宗の廟号を贈られ、太宗武烈王とも称せられる。 金?信 キム ユシン/きん ゆしん 595-673 父は舒玄、もしくは逍衍。妻は智?婦人。新羅統一期の功臣。金官加羅国の後裔で、年少のとき花郎となり、年と共に武名をあげ、唐の百済・高句麗の遠征には将軍として新羅軍をひきいて大功あり、660年(武烈王7)大角干、つづいて太大角干の最高位にのぼる。対外戦だけでなく、内乱鎮圧にも功があり、新羅統一の大業は彼の武功によるところが大きい。武烈王の推戴も彼の力であった(東洋)。享年七十九。 ◇参照:Wikipedia、『広辞苑』『新編東洋史辞典』(東京創元社、1980.3)、『三国史記1・4』金富軾(撰)井上秀雄(訳注)(平凡社、東洋文庫、1988.10)、『まんが朝鮮の歴史2・3・4』安宇植(訳)(ポプラ社、1992.4)。 #ref error :画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第二巻 第六号】 ※ ダウンロードを開始します。 (492KB) 池内宏 いけうち ひろし 1878-1952(明治11.9.28-昭和27.11.1) 東洋史学者。東京生れ。東大教授。朝鮮・満州史を研究。著「満鮮史研究」「元寇の新研究」など。祖父は儒学者の池内大学。朝鮮総督の依頼で満鉄調査部歴史調査部にて実証主義的(考証的)な満蒙・朝鮮の東洋古代史研究の基礎を確立した。朝鮮古代史の乏しい資料の中で花郎の研究、また慶長の役などの全体像を描き出すことに尽力したことでも知られている。 ◇参照:Wikipedia、『広辞苑』。 底本 底本:『滿鮮史研究 上世第二册』吉川弘文館 1960(昭和35)年6月15日発行 初出:『史学雑誌』第40編、第8号 1929(昭和4)年6月稿 NDC 分類:221(アジア史.東洋史:朝鮮) http //yozora.kazumi386.org/2/2/ndc221.html 年表 六世紀はじめ 新羅の智証王、国号をさだめて新羅といい、王と称し、また欝陵島の于山国を征服してこれを半島の属領とした。 五五一(真興王十二) 真興王、半島の中部の広大なる地方を略有。 五五四(真興王十五/聖王三十二) 百済の聖王、みずから大軍をひきいて新羅に攻めこみ、戦死。 五八九(真平王十一) 新羅の円光法師、南朝の陳に入る。十一年間留学。 六〇〇(真平王二十二) 円光法師、帰朝。 六〇二(真平王二十四/建福十九) 百済の大兵が新羅を侵して阿莫城を囲んだ時、貴山の父なる武殷は、将軍の一人として出征し、貴山も箒項とともに従軍。三人とも戦死。 六〇八(真平王三十) 王が兵を隋に請うて高句麗を伐とうとした時、その乞師の表を円光法師に草せしめる。 六一〇(真平王三十二/建福二十七) 讃徳、選ばれて?岑城の県令となる。 六一一(真平王三十三) ?岑城が百済の出だした大兵に囲まれ、内地の諸州から遣わされた新羅の救援軍は、敵の優勢なのを見てそのまま引きかえす。讃徳は孤城を死守、死没。 六一八(真平王四十/建福三十五) 讃徳の子、奚論、?岑城を回復する命を受けて出征。闘死。 六二八(真平王五十/建福四十五) 大飢饉。沙梁官の舎人どもが、官倉の穀をぬすみだす。剣君、穀を受けることをこばみ、宴席にて毒殺。 六四七(真徳王元) 金?信が新羅に攻め入った百済の大兵を防ぎ、味方の旗色の悪かったとき、?信の命を受けた丕寧子、率先して敵陣に突入する。戦死。子挙真および家奴合節も戦死。 六五五(武烈王二/唐高宗永徽六) 助川城が百済に侵され、それを救うために金?信ら出陣。驟徒、従軍して没する。 六五五(太宗王二) 金?運、金?信の裨将として助川城の役におもむき、力闘して死ぬ。 六六〇(太宗七/唐高宗顕慶五) 百済討滅の役、新羅の二将軍品日・欽春は、おのおのその子を戦死せしめ、味方の士気を鼓舞、敗戦を勝戦に転ぜしめる。 六六〇 百済滅亡。 六六八 高句麗滅亡。新羅三国統一。 六七一(文武王十一/唐高宗咸亨二) 驟徒の長兄の夫果、百済の故地——当時唐の占有する——を侵略する軍に参加し、百済人と熊津の南に戦って死没。 六七二(文武王十二/唐高宗咸亨三) 新羅が高句麗の余党の反乱を助けるために、大同江南の地に出兵し、平壌から出動した唐兵と戦って大敗。この戦役のさい、金?信の子元述は将軍暁川・義文らの裨将となって軍中にいたが、二将軍が戦死。元述は戦場から逃れかえり田園に隠遁、翌年父の薨じた時にも、喪に会することを許されず。 六七五(文武王十五/唐高宗上元二) 大伯山にかくれていた元述は、唐兵が新羅の西北境を侵して買蘇川城を攻めた時、力戦して功を立てる。 六八四(神文王四/唐則天武后文明元) 夫果・驟徒の弟逼実は、金馬渚の高句麗の反賊の残党を報徳城に討つ。戦死。 ◇参照:『広辞苑』、Wikipedia。 登場キャラ一覧 奈勿尼師今 なこつ にしきん ?-402 新羅の第17代の王。 長寿王 ちょうじゅおう 394-491 高句麗の第20代の国王。広開土王の長子。 智証麻立干 ちしょう まりつかん 437-514 新羅の第22代の王。 文咨明王 ぶんしめいおう ?-519 高句麗の第21代の王。 法興王 ほうこうおう ?-540 新羅第23代の王。 聖王 せいおう ?-554 百済の第26代の王。先代の武寧王の子。 欽明天皇 きんめい てんのう ?-571 記紀に記された6世紀中頃の天皇。継体天皇の第4皇子。 真興王 しんこうおう 534-576 新羅第24代の王。 真智王 しんちおう ?-579 新羅の第25代の王。真興王の次男。 真平王 しんぺいおう ?-632 新羅の第26代の王。真興王の太子銅輪の子 。 善徳女王 ぜんとく じょうおう ?-647 新羅の第27代の王。新羅初の女王。真平王の長女。 真徳女王 しんとく じょおう ?-654 新羅の第28代の王。父は第26代真平王の母方の叔父である国飯(国芬とも記される)葛文王。 武烈王 ぶれつおう/ムヨルワン 602?-661 新羅の第29代の。金春秋。百済を滅ぼし、三国統一の基盤を為したことから新羅の太宗の廟号を贈られ、太宗武烈王とも称せられる。 蘇定方 そ ていほう 592-667 唐の軍人。 金?信 キム ユシン/きん ゆしん 595-673 父は舒玄、もしくは逍衍。妻は智?婦人。新羅統一期の功臣。金官加羅国の後裔。 文武王 ぶんぶおう ?-681 新羅の第30代の王。武烈王の長子。高句麗を滅ぼし、また唐の勢力を朝鮮半島から駆逐して、半島の統一を果たした。 高宗 こうそう 628-683 唐の第3代皇帝。第2代皇帝・太宗の第9子。 神文王 しんぶんおう ?-692 新羅の第31代の王。文武王の長子。 源満仲 みなもとの みつなか 912-997 平安中期の武将。経基の長子。鎮守府将軍。 源信 げんしん 942-1017 平安中期の天台宗の学僧。通称、恵心僧都。大和の人。著「往生要集」。 熊谷直実 くまがい なおざね 1141-1208 鎌倉初期の武士。武蔵熊谷の人。 池内宏 いけうち ひろし 1878-1952 東洋史学者。東京生れ。 熊谷直家 くまがい なおいえ 1169?-? 平安時代末期から鎌倉時代初期の武士。熊谷直実の長男。治承8年(1184年)の一ノ谷の戦いに参加。 恵心 えしん → 源信 貴山 きざん 沙梁部の人。父は武殷阿干。 挙真 きょしん 丕寧子の子。 金?運 きん きんうん 奈密(奈勿)王の八代目の子孫。父は達福。文努という花郎の門徒。 金令胤 きん れいいん 沙梁部の人。盤屈の子。欽春の孫。真平王の時に花郎となる。文武大王は宰相として登用する。 暁川 ぎょうせん 将軍。 奚論 けいろん 讃徳の子。父の功をもって大奈麻の位を授けられる。 元述 げんじゅつ 金?信の第二子。蘇判。副将軍。 合節 ごうせつ 丕寧子・挙真の家奴。 讃徳 さんとく 牟梁部の人。奚論の父。真平大王の命により?岑城の県令となる。 驟徒 しゅうと 沙梁部の人。父は聚福。出家して道玉。実際寺の僧。 真徳 しんとく 真徳女王か。 薛頭 せつ けいとう 善徳 ぜんとく 善徳女王か。 箒項 そうこう 貴山の友人。 太宗 たいそう 武烈王か。 多田満仲 ただの みつなか → 源満仲 淡凌 たんりょう 元述の副官。補佐役。 竹竹 ちくちく 大耶州の人。父は?熱。 智証王 ちしょうおう → 智証麻立干 訥催 とつさい 沙梁部の人。大奈麻、都非の子。 奈勿王 なこつおう → 奈勿尼師今 丕寧子 ひ ねいし 匹夫 ひっぷ 沙梁部の人。父は尊台。659年、七重城下の県令となる。 逼実 ひょくじつ 父は聚福。驟徒の弟。 武殷 ぶいん 阿干。貴山の父。 金仁問 キム インムン/ きん じんもん 太宗大王(武烈王)の第二子。金?信の外甥。 金春秋 キム チュンチュ/きん しゅんじゅう → 武烈王 官昌 クワンチャン/かんしょう 品日の子。花郎。 階伯 ケベク/かいはく 百済の将。 欽春 フムチュン/きんじゅん 欽純。新羅の将軍。金?信の次弟。 品日 プムイル/ひんじつ 新羅の将軍。欽春とともに将軍として今突城に郡を進める。文武王代まで活躍。 IMG gaiji src="土+皆.gif" 泊 階伯。 円光法師 六世紀末から七世紀前半の新羅で活躍した僧。隋・唐に学び、帰国後大乗経典を講じる。 義文 将軍。 近郎 花郎。 剣君 仇文の子。沙梁部の舎人。近郎(花郎)の徒。 智? 金春秋の第三女。金?信の妻。五男四女をもうける。 転密 僧。金?運の仲間。 夫果 父は聚福。驟徒の兄。 文努 花郎。 聚福 沙梁部の人。 2009.9.2:公開 2011.8.2:更新 目くそ鼻くそ/PoorBook G3'99 翻訳・朗読・転載は自由です。 カウンタ: - NDC 分類の記述をちょっとだけ調整。 -- しだ (2011-08-02 06 02 44) 名前 コメント
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age38 AB型 身長176cm 体重64kg 好きなもの…奥さん、子供たち PROF 各界で暗躍する秘術師の男性。結苑の父親。子供たちと同じ薄い茶色の髪と紫苑の瞳。痩せがちで、仕事に没頭するあまりに大体目隈を作っている。 職業柄、各国の立場ある者たちとの繋がりが深い。頼りにされている反面、関係性が表沙汰になっては困る存在でもある為、時折命の危険に晒される。 彼が扱う秘術は一子相伝の術であり、解明はされていない。精神や肉体に直接作用するものが多く、その知識が結苑が扱う紋章の謎解明に大きく貢献されている。 腕は確かだが、慌てると持っているものを全部ぶちまける癖がある。娘におっちょこちょいの遺伝子を伝えたのは間違いなく彼である。 過去に起こった鳳凰宮の反乱の際には、昴と弥生をかくまうなどして、世闇一族に尽くしてきた。 医者としての力量は確かで、昴の妻である弥生をずっと診ている。 非常に愛妻家で、奥さんとは片時も離れたくない。奥さんは元々有名な舞い手であり、彼女が躍る列の前に勢いあまって飛び出し、鼻血を垂らしながらもその想いを伝えた。 そこから何故結婚にまで至ったのかは、グルージスの七不思議として語られているとかいないとか……。
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新羅ニュークリア・ムーン R 光文明 (7) NEOクリーチャー:ルナティック・エンペラー/イニシエート 11000 ■NEO究極進化:進化クリーチャー1体の上に置いてもよい。(クリーチャーが下にあれば、これをNEO究極進化クリーチャーとして扱う) ■ブロッカー ■W・ブレイカー ■このクリーチャーが出た時、カードを1枚引き、その後、「ブロッカー」を持つコスト7以下の光のクリーチャーを1体、自分の手札から出してもよい。 ■このクリーチャーが離れる時、これが進化クリーチャーなら、かわりに自分のシールドをひとつ、墓地に置いてもよい。 封印された月の門 R 光文明 (6) 呪文 ■S・トリガー ■自分の山札の上から2枚をシールド化する。 ■自分のシールドをひとつ、手札に加える。(その「S・トリガー」は使えない) 作者:UNKNOWN 評価 名前 コメント
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特集 花郎(ファラン) 2009.9.5 第二巻 第七号 新羅の花郎について 池内宏 定価:200円(税込) p.181 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(80項目)p.374 ※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。Windows Macintosh ハイブリッド。 ※ この作品は青空文庫にて入力中です。翻訳・朗読・転載は自由です。 (c) Copyright is public domain. 【T-Time 無償ダウンロード】 VOYAGER / ボイジャー 【新JIS漢字を表示できるフォントを入手しよう】 青空文庫 / —明日の本棚— (略)花郎(ファラン)はおおむね貴族の子弟であって、年十五、六のうら若き少年である。そうしてさまざまの階級の徒衆がこれに属し、その数は数百ないし一千にのぼった。すなわちいわゆる「郎徒」である。 無慮二百余人もあったという上中下三代の花郎のうち、その事跡のあきらかにして、かつ最も古いのは、上代における真興王(第二十四代)の二十三年(五六四)、加羅征伐のおこなわれた時、名将異斯夫(いしふ)にしたがって抜群なる戦功を立てた斯多含(したがん)である。 (略)花郎および郎徒の風流韻事は、前章に述べた尽忠報国、勇壮義烈の精神とともに、その特別なる修養団体の本質の一部をなすものであろう。花郎が徒衆を領して山水に優遊することが、それおのずから風流なる行為であると同時に、彼らはそういう場合にかぎらず、平生韻事をたしなみ、かつ文字に親しんでいたにちがいない。 (略)『三国遺事』には、郷歌(きょうか)を対象とする記事がすこぶる多い。全然『三国史記』に記されていない十四首の郷歌のごときも、本書によって今日に伝わったのである。そうして本書の国仙すなわち花郎の物語は、おおむね郷歌に関係づけられている。しかるに前章に述べた『三国史記』列伝の花郎は、いずれもいわゆる芳名美事を遺した武勇伝中の人物であって、たがいに著しい対照をなしている。 2_7.rm (朗読:RealMedia 形式 352KB、2'51'') #ref error :画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第二巻 第七号】 ※ ダウンロードサイトへジャンプします。 (672KB) 池内宏 いけうち ひろし 1878-1952(明治11.9.28-昭和27.11.1) 東洋史学者。東京生れ。東大教授。朝鮮・満州史を研究。著「満鮮史研究」「元寇の新研究」など。祖父は儒学者の池内大学。朝鮮総督の依頼で満鉄調査部歴史調査部にて実証主義的(考証的)な満蒙・朝鮮の東洋古代史研究の基礎を確立した。朝鮮古代史の乏しい資料の中で花郎の研究、また慶長の役などの全体像を描き出すことに尽力したことでも知られている。 ◇参照:Wikipedia、『広辞苑』。 底本 底本:『滿鮮史研究 上世第二册』吉川弘文館 1960(昭和35)年6月15日発行 初出:『東洋学報』第24巻、第1号 1936(昭和11)年4月稿 NDC 分類:221(アジア史.東洋史:朝鮮) http //yozora.kazumi386.org/2/2/ndc221.html 2009.9.11:公開 2011.8.2:更新 目くそ鼻くそ/PoorBook G3'99 翻訳・朗読・転載は自由です。 カウンタ: - NDC 分類の記述を微調整。 -- しだ (2011-08-02 06 07 23) 名前 コメント
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トップページ>韓国>韓国古代史研究 『韓国古代史研究』20、2000.12 権五栄「古代韓国喪葬儀礼」 신광철「儒教の受容と世界観の変容:倫理・社会徳目の具現を中心に」 徐永大「百済の五帝信仰とその意味」 김영미「仏教の受容と新羅人の死観の変化」 羅喜羅「古代韓国のシャーマニズム的世界観と仏教的理想世界」 趙仁成「古代韓国人の疾病観と医療」 「総合討論」 孔錫亀「高句麗の南進と壁画古墳」 権熹耕「第3期高句麗古墳壁画に現れた仙人・仙女像及び奏楽天に関する研究」 鄭善如「高句麗僧侶義淵の活動と思想」 鄭載潤「東城王の即位と政局運営」 李在碩「いわゆる倭系百済官僚と大和王権」 박민경「武王・義慈王代政局運営の研究」 金在庚「新羅仏教史の大勢と土着信仰」 林相先「「渤海人」李光玄と彼の道教書の検討」 『韓国古代史研究』19、2000.9 朴鍾益「咸安城山山城発掘調査と木簡」 朱甫暾「咸安城山山城出土木簡の基礎的検討」 李成市、李鎔賢(訳)「韓国木簡検討の現況と咸安城山山城出土の木簡」 平川南、李鎔賢(訳)「日本古代木簡研究の現状と新視点」 謝桂華、尹在碩(訳)「中国で出土した魏晋代以後の漢文簡紙文書と城山山城出土木簡」 朴相珍「出土木簡の材質分析:咸安城山山城出土木簡を中心に」 문안식「「南北国時代」論の虚像について:新羅と渤海の天下秩序に起因する相互認識を中心に」 権英五「新羅下代王位継承紛争と閔哀王」 『韓国古代史研究』18、2000.6 李炯基「大加耶の連盟構造についての試論」 李鎔賢「加羅(大加耶)をめぐる国際的環境とその対外交渉」 권주현「于勒を通じて見た大加耶の文化」 李漢祥「大加耶圏装身具の編年と分布」 郭長根「小白山脈以西地域の石槨墓変遷過程とその性格」 강경구「高句麗東明王廟の成立過程」 李喜寛「百済熊津遷都初期の政治的変動についての再検討」 서영교「九誓幢完成背景についての新考察:羅唐戦争の余震」 趙法鍾「インターネットを利用した韓国古代史関連史料の検索と活用:中国の二十五史を中心に」 『韓国古代史研究』17、2000.3 盧泰敦「初期古代国家の国家構造と政治運営:部体制論を中心に」 李鍾旭「韓国古代の部とその性格:いわゆる部体制説批判を中心に」 金瑛河「韓国古代国家の政治体制発展論:「部体制」論争についての所見に代えて」 宋鎬晸「古朝鮮・夫餘の国家構造と政治運営:部及び部体制論と関連して」 姜鍾薫「三国初期の政治構造と「部体制」」 余昊奎「高句麗初期政治体制の性格と成立基盤」 양기석「百済初期の部」 김영심「百済史における部と部体制」 전미희「冷水碑・風坪碑に見える新羅六部の性格:単位政治体説についての検討を中心に」 全徳在「6世紀初盤新羅六部の性格と支配構造」 金泰植「加耶連盟体の部体制成立与否についての小論」 백승충「加耶の政治構造:「部体制」議論と関連して」 編集部「総合討論」 『韓国古代史研究』16、1999.11 李永植「古代の戦争と国家形成」 李南珪「韓半島古代国家形成期鉄製武器の流入と普及:中国との比較的視角から」 金瑛河「新羅の百済統合戦争と体制変化:7世紀東アジアの国際戦と社会変動の一環」 金基興「三国時期戦争と租税制の変化」 李文基「7世紀後半新羅の軍制改編とその性格についての一試論」 「総合討論」 事京淑「高句麗前期の戦争と王権強化」 金炳坤「新羅初期王の性格再考」 権珠賢「加耶人の生活文化:食文化を中心に」 土井邦彦「三国時代の善知識と智識の基礎的検討」 李昌勲「7世紀新羅民の再編過程」 李南奭「百済の横穴式石室墳受容様相について」 『韓国古代史研究』15、1999.5 朱甫暾「『日本書紀』の編纂背景と任那日本府説の成立」 金相鉉「百済威徳王の父王のための追福と夢殿観音」 全徳在「百済農業技術研究」 張忠植「金泉弥勒庵柴将軍碑の調査」 梁正錫「新羅公式令の王命文書様式考察」 盧重国「新羅時代姓氏の分枝化と食邑制の実施:薛瑤墓誌銘を中心に」 朴真淑「渤海大彛震代の対日本外交」 金寿泰「全州遷都期甄萱政権の変化」 『韓国古代史研究』14、1998.11 金泰植「『日本書紀』に現れた韓国古代史像」 李炳魯「『続日本紀』に現れた韓国古代史像:新羅・渤海を中心に」 尹龍九「3世紀以前中国史書に現れた韓国古代史像」 林起煥「4-6世紀中国史書に現れた韓国古代史像」 李康来「7世紀以後中国史書に現れた韓国古代史像:統一期新羅を中心に」 「総合討論」 朴京哲「「高句麗社会」の発展と政治的統合努力:国家形成期高句麗史理解のための前提」 姜鍾薫「新羅「三姓族団体制」の成立と展開」 韓圭哲「渤海の西京鴨緑府研究」 朴真淑「渤海宣王代の対日本外交」 曺凡煥「朗慧無染と聖住寺創建」 李鍾文「『三国遺事』「信忠掛冠」条の「前三国史」について」 趙法鍾「青山別曲に現れた鳥と鹿の韓国古代宗教文化的伝統」 『韓国古代史研究』13、1998.5 盧泰天「韓国古代青銅器に含まれる亜鉛成分について」 余昊奎「高句麗初期の諸加会議と国相」 金起燮「弥鄒忽の位置について」 李鍾泰「百済始祖仇台廟の成立と継承」 文安植「『三国史記』羅・済本紀の靺鞨史料について:靺鞨勢力の地域的分布及び種族構成上の違いと変化を中心に」 蔡美夏「『三国史記』祭祀志新羅条の分析:新羅国家祭祀体系の再検討と関連して」 尹善泰「新羅の力禄と職田:禄邑研究の進展のための提言」 趙仁成「金大問の歴史叙述:思想的背景を中心に」 林相先「渤海有姓人の品階と社会的位相」 『韓国古代史研究』12、1997.10 李弘鍾「韓国古代の生業と食生活」 権五栄「韓国古代の聚落と住居」 全虎兌「韓国古代の女性」 趙法鍾「韓国古代社会の身分と負担」 徐永大「韓国古代の宗教職能者」 「総合討論」 鄭善如「新羅中代末・下代初北宗禅の受容:「丹城断俗寺神行禅師碑文」を中心に」 李煕真「『三国史記』の新羅偏向的性向と記事叙述:百済-新羅関連記事を中心に」 呉江原「西遼河上流域青銅短剣とその文化に関する研究:銅剣の系統と使用集団問題を中心に」 文昌魯「三韓時代邑落の渠師とその政治的成長」 河日植「昌寧観龍寺の石仏台座銘と「観龍寺事蹟碑」」 『韓国古代史研究』11、1997.2 金賢淑「高句麗中・後期中央集権的地方統治体制の発展過程」 金英心「6-7世紀百済の地方統治体制:地方官を中心に」 朱甫暾「6世紀新羅地方統治体制の整備過程」 白承玉「固城古自国の形成と変遷」 姜鳳龍「新羅下代浿江鎮の設置と運営:州郡県体制の拡大と関連して」 宋基豪「渤海の地方統治とその実相」 編集部「合同討論会」 윤성용「高句麗貴族会議の成立過程とその性格」 全虎兌「高句麗龕神塚壁画の西王母」 李道学「『日本書紀』の百済義慈王代政変記事の検討」 朴海鉉「新羅景徳王代の外戚勢力」 『韓国古代史研究』10、1996.11 이필영「檀君神話認識の諸問題:学史を中心に」 이형구「渤海沿岸大凌河流域箕子朝鮮の遺蹟・遺物」 서영수「衛満朝鮮の形成過程と国家的性格」 박경철「扶餘国家の支配構造考察のための一試論」 문동석「4-5世紀百済政治体制の変動」 金貞淑「高句麗古墳壁画素材変化についての一考察:墓主の肖像画を中心に」 鄭孝雲「『日本書紀』批判序説Ⅱ:6・7世紀の東アジア情勢と「任那の調」」 『韓国古代史研究』9、1995.7 権五栄「三韓社会「国」の構成についての考察」 宋華燮「三韓社会の宗教儀礼」 林永珍「馬韓の形成と変遷についての考古学的考察」 姜鍾薫「『三国史記』初期記録に見える「楽浪」の実体:辰韓聯盟体の空間的範囲と関連して」 白承忠「弁韓の成立と発展:弁辰狗邪国の性格と関連して」 延敏洙「広開土王碑文に見える対外関係:高句麗の南方経営と国際関係論」 李煕真「広開土王碑文に現れた任那加羅征伐背景と影響」 『韓国古代史研究』8、1995.2 이태진「社会史的に見た韓国中世の始まり」 金瑛河「韓国古代社会の政治構造」 盧明鎬「羅末麗初の社会変動と親族制度」 金基興「韓国史の古・中世時代区分:社会経済史中心から総体的視角へ」 許興植「仏教思想史から見た古代の起点と終点」 崔光植「韓国古代国家の支配イデオロギー」 徐永大「高句麗貴族家門の族祖伝承」 趙法鍾「広開土王碑文に現れた守墓制研究:守墓人の編制と性格を中心に」 徐毅植「9世紀末新羅の「得難」とその成立過程」 書評 朱甫暾「金基興『새롭게 쓴 한국고대사』歴史批評社、1993年」 『韓国古代史研究』7、1994.4 趙仁成「新羅末農民反乱の背景についての一試論:農民の世界観と関連して」 추만호「新羅末思想界の動向」 全基雄「新羅末期政治社会の動揺と六頭品知識人」 申虎澈「豪族勢力の成長と後三国の鼎立:後三国建国勢力と在地豪族勢力との関係を中心に」 金甲童「新羅・高麗の王朝交替と郡県制の変化」 「総合討論」 宋華燮「馬韓蘇塗の成立と歴史的意義」 李永植「加耶諸国の外交形式」 宣石悦「『三国史記』「新羅本紀」上代百済関係記事の検討とその紀年」 『韓国古代史研究』6、1993.4 金基興「8・9世紀統一新羅の経済」 金福順「8・9世紀新羅瑜伽系仏教」 宋基豪「渤海文王代の改革と社会変動」 李泳鎬「新羅貴族会議と上大等」 李仁哲「8・9世紀新羅の支配体制」 「総合討論」 兪元載「中国正史の百済観」 金賢淑「高句麗の靺鞨支配に関する試論的考察」 『韓国古代史研究』5、1992.1 林起煥「6・7世紀高句麗政治勢力の動向」 金寿泰「百済義慈王代の政治変動」 李宇泰「新羅三国統一の一要因:対地方民政策を中心に」 韓圭哲「渤海建国と南北国の形成」 「総合討論」 李康来「旧三国史論に対する諸問題:特に『三国史記』と関連して」 盧瑾錫「新羅中古期の軍事組織と指揮体制」 『韓国古代史研究』4、1990.11 李貞姫「6・7世紀日本史における律命受容の過程と意味」 金相鉉「新羅中古期業説の受容と意義」 趙仁成「4・5世紀高句麗王室の世系認識変化」 梁起錫「百済聖王代の政治改革とその性格:専制王権の成立問題と関連して」 金瑛河「新羅の発展段階と戦争」 崔秉鉉「新羅の成長と新羅古墳文化の展開」 『韓国古代史研究』3、1990.8 編集部「[写真]迎日冷水里新羅碑」 李炯佑「迎日地方の歴史・地理的考察」 鄭求福「迎日冷水里新羅碑の金石学的考察」 金永満「迎日冷水里新羅碑の語文学的考察」 金昌鎬「迎日冷水里新羅碑の建立年代」 安秉佑「迎日冷水里新羅碑と5-6世紀新羅の社会経済相」 文暻鉉「迎日冷水里新羅碑に見える部の性格と政治運営問題」 宣石悦「迎日冷水里新羅碑に見える官等・官職問題」 「総合討論」 『韓国古代史研究』2、1989.5 編集部「[写真]碑面写真 他」 趙由典「蔚珍鳳坪新羅碑の位置確認発掘調査」 李明植「蔚珍地方の歴史・地理的環境と鳳坪新羅碑」 南豊鉉「蔚珍鳳坪新羅碑についての語学的考察」 임세권「蔚珍鳳坪新羅碑の金石学的考察」 崔光植「蔚珍鳳坪新羅碑の釈文と内容」 朱甫暾「蔚珍鳳坪新羅碑と法興王代の律命」 李文基「蔚珍鳳坪新羅碑と中古期の六部問題」 盧泰敦「蔚珍鳳坪新羅碑と新羅の官等制」 李宇泰「蔚珍鳳坪新羅碑を通じて見た新羅の地方統治体制」 「総合討論」 『韓国古代史研究』1、1988.7 李炯佑「伊西国考:初期新羅の西南方進出と関連して」 朱甫暾「新羅中古期の郡司と村司」 李明植「新羅統一期の軍事組織」 盧重国「統一期新羅の百済故地支配:『三国史記』職官志・祭祀志・地理志の百済関係記事分析を中心に」 李賢恵「4世紀加耶社会の交易体系の変遷」 金泰植「6世紀前半加耶南部諸国の消滅過程考察」 金鍾撤「北部地域加耶文化の考古学的考察:高霊・星州・大邱を中心に」 書評 李宇泰「浜中昇『朝鮮古代の経済と社会:村落・土地制度史研究』法政大学出版局、1986年」 1-20 21-40 41-60 61-80
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トップページ>韓国>韓国古代史研究 『韓国古代史研究』60、2010.12 権五栄「馬韓の宗族性と空間的分布についての検討」 조우연「高句麗の王室祖上祭祀:4-5世紀「始祖朱蒙」の位相と意味変化を中心に」 洪性和「5世紀百済の政局変動と倭の五王の爵号」 朴南守「「浦項中城里新羅碑」の新釈と知証王代政治改革」 장미애「武王の勢力基盤としての益山の位相と意味」 박미선「義湘と元暁の観音信仰比較:『三国遺事』「洛山二大聖観の立地正趣調信」を中心に」 尹龍九「『三国志』版本と「東夷伝」校監」 이경희「平常地域高句麗壁画の「中国風」服飾の検討:墓主服飾を中心に」 鄭演植「朝鮮時代観象監観天台と慶州瞻星台の立地条件比較」 『韓国古代史研究』59、2010.9 論文 朱甫暾「浦項中城里新羅碑についての研究展望」 盧泰敦「浦項中城里新羅碑と外位」 盧重国「浦項中城里碑を通じて見た麻立干時期新羅の紛争処理手続きと六部体制の運営」 姜賢淑「帯金具副葬高句麗古墳の考古学的含意」 유우창「高句麗南征以後駕洛国と新羅関係の変化」 김수진「7世紀高句麗の道教受容背景」 박성현「新羅郡県中心地の構造と地方官衙の位置:尚・良・康州を中心に」 金寿泰「韓国古代の祝祭と赦免」 金瑛河「一統三韓の実相と意識」 金慶浩「韓中日東アジア三国の木簡出土及び研究現況」 書評 梁起錫「百済史研究の新しい指標を開く:盧重国『百済社会思想史』知識産業社、2010年」 『韓国古代史研究』58、2010.6 特集:韓国古代史研究と歴史地理考証 이민부「歴史学と地理学の関係小考」 宋鎬晸「古朝鮮の位置と中心地問題についての考察」 白承玉「卞・辰韓及び加耶・新羅の関係:歴史地図の境界画定のための試考」 박현숙「5-6世紀三国の接境についての歴史地理学的接近」 김종복「渤海の西南側境界についての再考察」 研究論文 金昌錫「新羅法制の形成過程と律令の性格:浦項中城里新羅碑の検討を中心に」 이연심「6世紀前半加耶・百済で活動した「倭系官僚」の性格」 『韓国古代史研究』57、2010.3 特集:新発見文字資料と韓国古代史研究 盧重国「金石文・木簡資料を活用した韓国古代史研究課題といくつかの再解釈」 윤용구「楽浪・帯方地域新発見文字資料と研究動向」 余昊奎「1990年代以後高句麗文字資料の出土現況と研究動向」 문동석「2000年代百済の新発見文字資料と研究動向」 李泳鎬「新羅の新発見文字資料と研究動向」 三上喜孝「考古資料としての木簡」 権仁瀚「金石文・木簡資料を活用した国語学界の研究動向と課題」 研究論文 金泰植「新羅と前期加耶の関係史」 李京燮「宮南池出土木簡と百済社会」 趙景徹「新羅圓測の生涯についての検討:身分と帰国問題を中心に」 金琪燮「唐代戸等制の新羅的受容と変容」 書評 김영심「5世紀後半韓国古代国家の国境線を明らかにするための真摯な挑戦:金泰植 『한국 고대 사국의 국경선』서경문화사、2008年」 『韓国古代史研究』56、2009.12 特集:浦項中城里新羅碑 李文基「浦項中城里新羅碑の発見とその意義:「冷水里碑」の再吟味を兼ねて」 배용일「浦項中城里新羅碑の発見経緯と古代浦項と興海」 全徳在「浦項中城里新羅碑の内容と新羅六部に対する新しい理解」 姜鍾薫「浦項中城里新羅碑の内容と性格」 河日植「浦項中城里新羅碑と新羅官等制」 李泳鎬「興海地域t浦項中城里新羅碑」 研究論文 이경희「平常地域高句麗古墳壁画に見える墓主服飾の性格」 金炳坤「真平王の即位と知証王系人物の動向」 鄭孝雲「6世紀韓日関係史の再構築:倭と任那関係の再解釈を中心に」 金栄官「高句麗遺民高鐃苗墓誌の検討」 조상현「『三国遺事』の三国「全盛時期戸口」記事の検討」 李慶禾「法相宗における弥勒浄土と阿弥陀浄土の融合」 『韓国古代史研究』55、2009.9 研究論文 趙仁成「李丙燾の韓国古代史研究」 朴大在「謝承『後漢書』東夷列伝についての例比的考察」 윤진석「新羅至都盧葛文王の「攝政」」 홍기승「6世紀新羅地方支配方式の変化と「村」」 박성현「新羅尚・良・康州郡県城の様相と形成過程」 이승현「新羅の東宮制度」 金昌賢「新羅王室と高麗王室の称号」 張寅成「古代日本に伝播された百済道教」 朴南守「752年金泰廉の対日交易と「買新羅物解」の香薬」 朴現圭「膠東半島高麗戍の位置考証と設置背景」 書評 김정숙「新羅統治の流れを突き通した信仰的政治体系:蔡美夏『신라 국가제사와 왕권』、2008年」 『韓国古代史研究』54、2009.6 特集:韓国古代の身分制 朱甫暾「新羅骨品制研究の新しい傾向と課題」 金昌錫「新羅中古期の奴人と奴婢:城山山城木簡と「鳳坪碑」の分析を中心に」 김영심「6-7世紀三国の官僚制運営と身分制:衣冠制についての検討を基盤に」 山本孝文「考古学から見た三国時代の官人」 신성곤「簡牘史料から見た中国古代の奴婢」 研究論文 홍승우「百済律令頒布時期と地方支配」 鄭東俊「百済に二十二部体制の成立過程とその基盤」 최홍조「新羅哀荘王代の政治改革とその性格」 金福順「新羅と高麗の思想的連続性と独自性:仏教を中心に」 権悳永「「大唐故金氏夫人墓銘」と関連したいくつかの問題」 全虎兌「高句麗安岳二号墳壁画研究」 장윤성、장활식「瞻星台囬囲井仮設」 蘇鉉淑「法隆寺献納宝物甲寅銘金銅光背の研究:庄厳意匠を通じて見た淵源と製作国考証」 『韓国古代史研究』53、2009.3 特集:現代の韓国古代史学者 文昌魯「千寛宇(1925-1991)の史学と古代史研究」 李泳鎬「一渓金哲埈:解放後韓国古代史学の開拓者」 全徳在「李基白の史学と韓国古代史研究」 研究論文 権五重「「楽浪史」時代区分試論」 余昊奎「4世紀高句麗の楽浪・帯方経営と中国系亡命人のアイデンティティ認識」 김락기「5-6世紀勿吉の中心地と徒太山」 박윤선「武王代前半期三国の角逐と百済の外交」 羅喜羅「7世紀戦争の拡大と新羅人の殉国主義的生死観」 書評 姜鍾薫「北米地域韓国古代史専攻者が提起する新しい百済史認識体系:Jonathan W. Best『A History of the Early Korean Kingdom of Paekche』Harvard East Asian Monograph 256、2006年」 『韓国古代史研究』52、2008.12 特集:民族主義史学と韓国古代史研究 盧泰敦「古代史研究100年」 김기봉「韓国古代史の系譜学」 姜鍾薫「最近韓国史研究における脱民族主義傾向に対する批判的検討」 김종일「考古学資料の歴史学的解釈に対する批判的考察」 양정현「国史教科書古代史叙述における民族・国家認識の変遷」 이규수「日本の新民族主義歴史学と強要された「愛国心」創造」 研究論文 李賢惠「考古学資料から見た斯盧国六村」 金鍾萬「鳥足文土器の起源と展開様相」 임기환「『三国史記』百済本紀対外関係記事の再構成試論:地名関連記事を中心に」 姜鍾元「百済熊津奠都と貴族勢力の動向」 정동민「高句麗重装騎兵の特徴と運用形態の変化:古墳壁画資料を中心に」 曺凡煥「新羅中古期郎徒と花郎」 金瑛河「日帝時期の真興王巡狩碑論:「満鮮」の境域認識と関連して」 書評 李泳鎬「「新羅三国統一論」から「南北国論」へ:金瑛河『新羅中代社會硏究』一志社、2007年」 郭丞勲「新羅仏教史研究のための新しい入門書:金福順『新思潮로서의 신라 불교와 왕권』景仁文化社、2008年」 『韓国古代史研究』51、2008.9 研究論文 金昌錫「古代嶺西地域の種族と文化変遷」 정재윤「仇台始祖説の成立背景とその意味」 李漢祥「百済金銅冠帽の製作と所有方式」 朴南守「新羅中古期花郎出身家系と花郎徒運営の変化」 조원창「百済軍守里寺院の築造技法と造営主体の検討」 李炳鎬「扶余陵山里寺址出土瓦当の再検討」 朱甫暾「新羅下代金憲昌の乱とその性格」 書評 홍보식「考古学と文献史研究を接合した新羅政治考古学の新しい指標:이희준『新羅考古学研究』社会評論、2007年」 全虎兌「韓国古代文化史の新指標を開く至難な努力とその最初の結実:羅喜羅『고대 한국인의 생사관』知識産業社、2008年」 『韓国古代史研究』50、2008.6 特集:韓国古代国家滅亡期の様相と原因 김병준「漢が構成した古朝鮮滅亡過程」 李文基「高句麗滅亡期政治運営の変化と滅亡の内因」 金琪燮「渤海の滅亡過程と原因」 申虎澈「新羅の滅亡原因」 研究論文 李成市、류미나(訳)「広開土王碑の建立目的に関する試論:『史記』朝鮮列伝の再検討」 盧重国「百済の骨族意識と骨族範囲」 李浩炯「広州丹芝里橫穴墓群を通じて見た古代韓日交流」 都文善「清原双清里多重環濠の築造勢力と昜吾加茀村の存在」 金興三「新羅末崛山門梵日と金周元系関連説の批判的検討」 特別寄稿 李基東「比較史の方法論と世界史的把握の必要性:韓国古代史の研究成果をどう発展させるべきか」 書評 金泰植「古代韓日関係史の新しい指標:朴天秀『새로 쓰는 고대 한일교섭사』社会評論、2007年」 『韓国古代史研究』49、2008.3 特集:古代韓日文化交流 権五栄「壁柱建物に現れた百済系移住民の日本畿内地域定着」 朴天秀「近畿地域出御三国時代土器を通じて見た韓日関係」 成正鏞「近畿地域出土韓半島系初期馬具」 研究論文 손환일「百済王興寺址出土青銅舎利函銘文の書体」 李京燮「新羅月城垓子木簡の出土状況と月城周辺の景観変化」 権悳永「新羅下代朴氏勢力の動向と「朴氏王家」」 박미선「真表占察法会の成立と性格」 김혜완「羅末麗初南漢江周辺の禅宗寺院と禅師の活動:政治勢力との関係を中心に」 李仁在「忠州浄土寺玄暉と寧越興寧寺の折衷:高麗恵宗代政変と関連して」 説林 近藤浩一「扶余陵山里羅城築造木簡再論」 書評 서영대「韓国古代土着信仰の理解のための基本書:崔光植『한국 고대의 토착신앙과 불교』高麗大学校出版部、2007年」 趙仁成「『三国史記』の史学史的研究:李康来『三国史記形成論』신서원、2007年」 海外学界動向 朱甫暾「日本木簡学会総会及び学術会議を訪れて」 『韓国古代史研究』48、2007.12 特集:韓国古代の地方統治と村落 朱甫暾「韓国古代村落史研究の進展のために:新羅を中心に」 李銖勲「新羅中古期行政村・自然村問題の検討:城山山城木簡と「冷水里碑」を中心に」 全徳在「中古期新羅の地方行政体系と郡の性格」 金昌錫「新羅県制の成立と機能」 朴淳発「墓制の変遷から見た漢城期百済の地方編制過程」 金範哲「韓国古代「村落」についての考古学的接近のためのいくつかの提言:聚落・家口考古学的観点から見た村落の問題」 金賢淑「高句麗史にとっての村」 김영심「百済の地方統治に関するいくつかの再検討:木簡、銘文瓦等の文字資料を通じて」 白承玉「加耶諸国の内部構造研究のための予備的検討:安羅国と加羅国を中心に」 研究論文 尹善泰「百済の文書行政と木簡」 鄭孝雲「韓国古代文化の日本伝播と対馬島:対馬島の役割と韓日両国の認識を中心に」 企画論文 李泳鎬「韓国古代史研究、その挑戦と応戦:定期発表会100回の分析(1987-2007)」 書評 김병준「楽浪郡研究の新しい理解の枠組み、「楽浪人」:呉永賛『고조선계와 漢系의 종족 융합을 통한 낙랑인의 형성』사계절、2006年」 『韓国古代史研究』47、2007.9 研究論文 姜鍾薫「韓国史の画期として4-6世紀」 全徳在「三国時代黄山津と加耶津についての考察」 서현주「栄山江流域長鼓墳の特徴と出現背景」 박재용「『日本書紀』に引用された道顕の「日本世記」」 金昌謙「新羅中祀の「四海」と海洋信仰」 趙仁成「南北国時代論:1960年代初北韓の古代史認識を中心に」 資料紹介 朴現圭「唐昭陵と乾陵所在韓人石像観察」 書評 宋鎬晸「古朝鮮-高句麗の歴史帰属性論乱に対するひとつの提案:趙法鍾『古朝鮮高句麗史研究』신서원、2006年」 李京燮「韓国木簡の基礎的な研究のための提言:이용현『韓国木簡基礎研究』신서원、2006年」 『韓国古代史研究』46、2007.6 特集:韓国古代史の時代区分 金瑛河「古代の概念と発達段階論」 宋鎬晸「紀元前時期の社会性格と時代区分」 이청규「先史から歴史への転換:原三国時代概念の問題」 金泰植「四国時代論:韓国古代史三国時代論の代案」 研究論文 金炳坤「中国史書に現れた百済始祖観と始国者仇台」 권은주「鴻臚井石刻に見える崔忻の職名の再検討:「宜労靺羯使」を中心に」 資料紹介 尹龍九「新しく発見された楽浪木簡:楽浪郡初元4年県別戸口簿」 回顧と展望 盧重国「韓国古代史学会20年の足跡とこれからの課題」 『韓国古代史研究』45、2007.3 研究論文 宋鎬晸「美松里型土器文化についての再考察」 南武煕「安原王・陽原王代政治変動と高句麗仏教界の動向」 송완범「「白村江の戦い」と倭:東アジア世界の再編と関連して」 張彰恩「新羅智証王の執権と対高句麗防衛体系の確立」 李漢祥「新羅墳墓の中の西域系文物の現況と解析」 権英五「新羅史時期区分と「三代目」」 金琪燮、金鎮光「渤海の上京建設と遷都」 『韓国古代史研究』44、2006.12 特集:韓国古代史の中の異邦人 朴淳発「韓国古代史における従属性の認識」 홍보식「韓半島南部地域の倭系要素:紀元後3-6世紀代を中心に」 신종원「三国の仏教初伝者と初期仏教の性格」 金昌錫「8-10世紀イスラム諸種族の新羅来往とその背景」 研究論文 김진한「高句麗安岳三号墳再論」 김진한「文咨王代の対北魏外交:北魏孝文帝・宣武帝の対外政策と関連して」 이병학「元暁の「二覚圓通」思想とその社会的意味」 韓鈴和「7-8世紀新羅の刑律とその運用:君臣関係に関する刑律適用事例を中心に」 尹善泰「雁鴨池出土「門号木簡」と新羅東宮の警備」 『韓国古代史研究』43、2006.9 研究論文 趙景徹「東アジア仏教式王号の比較:4-8世紀を中心に」 金希宣「6-7世紀東アジア都城制と高句麗長安城:都城の横区画方式を中心に」 전미선「高句麗古墳壁画の遊び文化」 朴宗基「韓国古代の奴人と部曲」 金福順「随・唐の交代政局と新羅仏教界の推移」 李文基「『三国史記』雑志の構成と典拠資料の性格」 郭丞勲「『翰苑』新羅伝研究」 『韓国古代史研究』42、2006.6 特集:『三国史記』の原典及び資料価値 정구복「『三国史記』の原典資料と史料批判」 임기환「高句麗本紀典拠資料の系統と性格」 姜鍾薫「『三国史記』百済本紀の資料系統とその性格」 선석열「新羅本紀の典拠資料形成過程:三国史記初期記録を中心に」 李康来「『三国史記』列伝の資料系統」 研究論文 鄭東俊「百済二十二部司成立期の内官・外官」 李賢泰「新羅中代新金氏の登場とその背景」 金恩淑「日本最後の遣唐使派遣と張保皐勢力」 韓太逸「慶甫と彼の曹洞禅思想」 梁玉多「渤海のいくつかの食習慣について」 『韓国古代史研究』41、2006.3 特集:集安地域高句麗王陵の諸問題 강현숙「中国吉林省集安地域高句麗王陵の構造について」 白承玉「広開土王陵碑の性格と将軍塚の主人公」 余昊奎「集安地域高句麗超大型積石墓の展開過程と被葬者問題」 崔鍾澤「集安「高句麗王陵」出土遺物の諸問題」 研究論文 이정빈「高句麗東盟の政治儀礼的性格と機能」 김락기「高句麗守墓人の区分と立役方式:広開土王陵碑守墓人烟戸条を中心に」 길기태「百済聖王代の涅槃経理解」 金敬愛「新羅元聖王の即位と下代王室の成立」 権悳永「新羅下代西・南海域の海賊と豪族」 1-20 21-40 41-60 61-80