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ウイグル問題を考える会 現在中国の新疆ウイグル自治区と呼ばれる地域は、ウイグル人をはじめとしたテュルク系民族の土地であり、東トルキスタンと呼ばれます。 シルクロードの舞台として、東西の文明の交わる地点であると同時に、独自の文化と歴史を持った地域として繁栄してきました。しかし、18世紀に清朝に征服され、19世紀には「新しい領土」を意味する「新疆」という名の一つの省として支配されました。 その後、回族の軍閥やソ連軍、新疆政権などによる騒乱を経て、「東トルキスタン」という名をつけた国が2度誕生しました。 1933年に、宗教指導者の下「東トルキスタンイスラム共和国」が誕生しますが、約半年という短い期間で終焉を迎えました。 1944年には、テュルク系諸民族が各地で武装蜂起し、「東トルキスタン共和国」が誕生します。しかし、この国も誕生してから1年少々で、ソ連と中国国民党の間で交わされたヤルタでの密約により、中国の新疆省政府に合流させられることになりました。 その後、元東トルキスタン共和国政府の指導者達は殺害され、この国は名実共に消滅することとなったのです。 現在は国共内戦を制した中国共産党による占領下に置かれています。 そして中国共産党による激しい弾圧によって、数多くの東トルキスタンの人々の命が奪われてきました。 新しいところでは2009年のウルムチの虐殺事件があります。 7月5日に首府ウルムチにてウイグル人による政府への改善要求のデモが行われました。 これは、それに先立つ6月26日に起きた広東省の玩具工場でのウイグル人虐殺事件に対して、適切に処置するよう求める平和的なデモでした。 しかし現地政府はこの平和的なデモを武力によって鎮圧し、多数の犠牲者を出しました。 この事件は東トルキスタンが中華人民共和国に併合されてから続いてきた、過酷な民族政策を象徴する出来事となりました。 詳しい内容は75ウルムチ事件についてをご覧ください。 東トルキスタンで行われている事を知り、解決を目指していきましょう。 ※私たちは世界ウイグル会議の日本での活動を支援し、連帯していきます。 お問合せはこちら
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旅 行 の ク チ コ ミ サ イ ト フ ォー ト ラ ベ ル 【新疆ウイグル★シルクロードは 知る苦 の旅??】 第6話)展示品一つの博物館 《中国・新疆ウイグル自治区・シルクロード旅行記|ウルムチ|クチャ|カシュガル》 正午過ぎにカシュガル駅に着きローカルバスで市街に向かうと、そこでおかしな事に気がついた。バスのなかの時計が10 00過ぎを示しているのだ。手元の時計の12 00過ぎとはきっちり2時間ずれている。 あ、これがウイグル時間か! 新疆ウイグル地区は経度で言えばインドあたりに等しい。にもかかわらず中央政府は北京時間を広大な国土の全土に採用している。それがカシュガル辺りになると、実際の生活リズムと北京時間では大きな狂いが生まれてくる。というわけで、この辺りではウイグル時間も使われているのだ。 地元の人々にとっては面倒な話なのだが、そのときの僕はなにか2時間分を得したようでちょっと嬉しかった。 バザールの屋上に建てられたホステルは眺め最高!! カシュガルでは、バザールの屋上に建てられたホステルに泊まった。ここは安宿ではあるが、名所のエイティガール寺院にも近く、屋上からは旧市街が一望できてなかなか雰囲気がよい。 さて、昼飯でも食うかと宿を出て歩きながら、これまでウイグルで食べてきたものを思いだしてみる。 まずは主食の麺類、いろいろなバリエーションがあったなぁ。。。 ウイグルの主食、麺料理の数々 ◇拉面(ラグメン)= 麺に野菜や羊肉の炒め煮をかけた物、ま、スパゲッティだね。 ◇炒面(サオメン)= こちらは炒めた麺、要するに焼きうどん。 ◇丁丁(ティンティン)= 長さ2センチ程度の極短麺。ショートパスタといったところか? ◇曲曲(チュルチュル)= これはワンタン、餡の肉は羊だ。 と、小麦製品の種類は豊富である。しかし、困ったことが一つ。 味付けがみな同じじゃん!! どれもこれもトマト味をベースに、羊肉とピーマンのトッピング。他に違う食材はないのか、シルクロード!! 趣あるカシュガル旧市街 昼飯を食いに繰り出したカシュガル旧市街は、日干し煉瓦の建物に囲まれたイスラムの空気が色濃く漂うエリアだ。家内制手工業の盛んな職人街の近くに「后宮民族美食街」なる通りを見つけた。そして店先で羊肉を炙る食堂が連なる一角にスゴい名前の店を発見した。その名も"Ramen Museum-ラーメン博物館"だ。 ここならまだ味わったことのないウイグルの味覚に出逢えるはずだ。 迷わず店に入ると店内の内装は博物館の名に恥じぬ立派なものだ。これは期待値が高いゾ! 「請給我菜単(メニューをください)」 と僕は自信を持って言える数少ない中国語のフレーズを発してみた。だが、あれれ、反応がないゾ? まだまだ僕の中国語は修行が足りないということか、といぶかしがっていると、隣のウイグル人客が「どうしたのか?」とカタコトの英語で声をかけてきた。 「メニューを見たいのですが」 「この店にメニューは無いさ、ラグメンだけだよ」 な、なんと、この博物館の展示品はたった一品!それでも博物館と名乗っていいのか? しかしこの博物館、昼時ということもあってか次から次へと客足が絶えない。たった一つのラグメンという一杯9元也(約155円-安い!)の展示品だけでこれだけのリピーターを集客してしまうとは驚きであるが… いずれにしても、またしてもトマト味と羊肉の小麦料理がランチとなってしまった。 民族美食街の后宮拉面館の英語名はArkaorda Ramen "Museum" 食事を済ませ表に出て、ふとその店の振り返って見た。あれれ、看板の英語"Ramen Museum"の上の中国語は"拉面館"とあるゾ。これは"Ramen Shop"と訳すべきじゃないか! 単なる誤訳か、それとも言語と言語の間に横たわる深い溝のせいか。いずれにしても"一杯"食わされた、ということだ。嗚呼そろそろ豚肉が恋しくなってきたなぁ… (続く) もどる < 6 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
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フリー・ウイグルin京都 10月19日(日) 以下の内容で、デモを行い無事に終了いたしました。 御参加、後協力くださった皆さん、ありがとうございました! 写真はこちら。 中国新疆ウイグル自治区と呼ばれる場所。そこには中国とは言葉も文化も違うウイグルの人々が住んでます。ウイグルの人々は今、中国政府の不当な弾圧に苦しんでいます。 また中国の無謀な核実験で大量の放射能を撒き散らし、十数万人の命を奪いました。そして今なお後遺症に苦しんでいる人たちがいます。 こうした事実を広くみなさんに知ってもらおうと、秋の京都でデモを企画しました。 集合場所:三条大橋南西側鴨川河川敷 時間:13:00 集合 13:30 出発 15:00 終了 コース:三条通りから、河原町通り→四条通り→円山公園流れ解散 大きな地図で見る 主催:ミクシィ・2ちゃんねるウイグル有志の会 ※告知チラシ1:最下段にある添付ファイルchirashi1-t.docです。 ※告知チラシ2:こちらからダウンロード 口上およびコール みなさん、ウイグルという民族をご存知ですか? かつてシルクロードを結んだオアシスにウイグルの人々が住んでいます。 現在、中国政府がウイグルの人々を不当に支配しています。 ウイグルの文化や誇り守ろうとした人々を不当に逮捕拘留し、時に処刑しているのです。 チベット民族と同じようにウイグル民族も存亡の危機を迎えているのです。 またウイグルの地でおこなわれた無謀な核実験は放射性物質を含んだ大量の危険な核の砂を撒き散らし十数万人の命を奪いました。 今もなお適切な治療を受けられず、がんなどの健康障害に苦しんでいる人たちが多数います。 この事実を知ってもらうため私たちはウイグルの人々に代わってここに声を上げます。 ウイグルに自由を! (ウイグルに自由を!) ウイグルを滅ぼすな! (ウイグルを滅ぼすな!) チベットに自由を! (チベットに自由を!) チベットを滅ぼすな! (チベットを滅ぼすな!) フリーウイグル! (フリーウイグル!) セーブウイグル! (セーブウイグル!) フリーチベット! (フリーチベット!) セーブチベット! (セーブチベット!) デモに際して、セイット・トムトルコさん(世界ウイグル会議副総裁)とイリハム・マハムティさん(日本ウイグル協会会長)、高田純さん(理学博士/核爆発災害研究)よりコメントをいただきました。本当にありがとうございました。 以下よりダウンロードしてごらんください。 セイット・トムトルコさんのコメント(音声・WMPファイル・zip) イリハム・マハムティさんのコメント(音声・WMPファイル・zip) 高田純さんのコメント(pdfファイル)
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「天文ガイド」2008年10月号表紙 他 2008年8月1日 シルクロード皆既日食の画像。 元画像:www.spaceweather.com(撮影者:Peter CHOW 氏、撮影地:Weizi Gorge, Yiwu, Hami, Xinjiang, China(中国・新疆ウイグル自治区哈密地区伊吾県葦子峡郷)) 盗用先1:「天文ガイド」2008年10月号表紙(自称撮影地:中国・新疆ウイグル自治区ハミ地区) 盗用先2:「皆既日食2009」 p.5 盗用先3:せんだい宇宙館 日食画像集(魚拓、現在は削除) 盗用先4:「デジタルカメラマガジン」2009年7月号 p.188 盗用先1:「天文ガイド」2008年10月号表紙 天文ガイド 撮影データ 表紙■ダイヤモンドリングと薄雲 撮影:宮城隆史 2008年8月1日 11時9分17秒(UT) AF-S VR Zoom 70mm-200mm F2.8ED 2xテレコンバーター 400mm F5.6(F8に絞る) ニコンD3 露出1/200秒 ISO200 RAW フォトショップCS3,ニコンCapture NX2で画像処理 撮影地:中国新彊ウイグル自治区哈密の北 盗用先2:せんだい宇宙館 日食画像集 せんだい宇宙館 撮影データ ダイヤモンドリングと薄雲 宮城隆史さんのコメントより この8月の中国シルクロード皆既日食の最新画像をお送りします。 ニコンD3, AF-S VR Zoom 70mm-200mm F2.8ED 2×テレコンバーター 400mm F5.6 →F8 1/200秒 ISO 200 RAW 中国ハミ地区 撮影:宮城隆史様(写真家/沖縄県那覇市) Photographer Takafumi Miyagi 盗用先4:「デジタルカメラマガジン」2009年7月号 p.188(ページ背景) 元画像:www.spaceweather.com spaceweather.com 撮影データ Peter CHOW, Weizi Gorge, Yiwu, Hami, Xinjiang, China. Aug. 1, 2008 重ねてみると、雲の配置、ダイヤモンドリングの光芒の放射線まで完全に一致する。 「デジタルカメラマガジン」の画像も同様。 「Chow 氏と宮城氏は同じ新疆ウイグル自治区ハミ地区で撮っていたのだからほぼ同じ見た目になるのは当然では?」 いいえ、「哈密(ハミ)地区」は日本で言う「地方」レベルの非常に広い行政区画です。面積は約14万km^2 で、東北・関東・甲信越地方を合わせたよりも広い。 Chow 氏と宮城氏の撮影地は140km以上離れている。両者の正確な撮影地は以下の通り。 ■Peter Chow 氏: Weizi Gorge, Yiwu, Hami, Xinjiang, China = 新疆ウイグル自治区・哈密 (Hami) 地区・伊吾 (Yiwu) 県・葦子峡 (Weizi Xia) 郷(ウイグル語だと、クムル地区アラトゥルク県葦子峡郷) http //maps.google.co.jp/maps?hl=ja ie=UTF8 ll=43.463386,94.85733 spn=0.367302,0.32959 z=11 北緯43度27分53秒、東経94度50分49秒くらい この地には日食を記念した記念広場が作られている。 http //www.panoramio.com/photo/13129758 http //www.panoramio.com/photo/13129693 ■宮城氏: 「中国新彊ウイグル自治区哈密の北」 撮影データでは「哈密の北」という曖昧な記述しかしていないが、例の「黒い太陽」の連続写真から見て「三塘湖」にいたのは確実。→ 合成写真の例ページの「2008年8月1日シルクロード日食」を参照のこと。 三塘湖は正式には、新疆ウイグル自治区・哈密地区・巴里坤哈薩克自治県・三塘湖郷 (ウイグル語だと、クムル地区バルクルカザフ自治県三塘湖郷) http //maps.google.co.jp/maps?hl=ja ie=UTF8 ll=44.238189,93.335724 spn=0.181281,0.164795 z=12 北緯44度14分22秒、東経93度20分06秒くらい つまり、両者の観測場所は哈密地区の中の「県」が異なる別の場所。直線距離で140km以上離れている。 なので、「Chow 氏と同じ観測地から撮影したんだから同じような雲・太陽になるのは当然」という主張はできないことになる。 また、両者の画像ではダイヤモンドリングの細部(輝点の大きさ、形、光条の様子)まで完全に一致している。ダイヤモンドリングは太陽が隠される直前の数秒間しか見られない現象で、0.1秒スケールの時間で時々刻々と輝点のサイズや形が変わるものなので、これを別々の撮影者が全く同じ見た目に写すことはありえない。 以上のことから、Peter Chow 氏の画像を宮城氏が盗んだ可能性が高い。
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■2009年7月5日 ウイグル自治区で騒乱が起きました。 上の動画内で、亡命ウィグル人Aさんが主張する、ウィグル自治区のデモの発端となった広東省でのウィグル人に対する漢族の暴行の動画です。※遠景ですが、閲覧には注意して下さい。 http //www.nicovideo.jp/watch/sm7560115 (遠景)6月26日中国広東省で起きたウィグル人労働者襲撃事件映像 ■参考 ウイグルでの暴動は日本と無関係ではない
https://w.atwiki.jp/sakura398/pages/1127.html
■2009年7月5日 ウイグル自治区で騒乱が起きました。 上の動画内で、亡命ウィグル人Aさんが主張する、ウィグル自治区のデモの発端となった広東省でのウィグル人に対する漢族の暴行の動画です。※遠景ですが、閲覧には注意して下さい。 http //www.nicovideo.jp/watch/sm7560115 (遠景)6月26日中国広東省で起きたウィグル人労働者襲撃事件映像 ■参考 ウイグルでの暴動は日本と無関係ではない
https://w.atwiki.jp/kolia/pages/684.html
■2009年7月5日 ウイグル自治区で騒乱が起きました。 上の動画内で、亡命ウィグル人Aさんが主張する、ウィグル自治区のデモの発端となった広東省でのウィグル人に対する漢族の暴行の動画です。※遠景ですが、閲覧には注意して下さい。 http //www.nicovideo.jp/watch/sm7560115 (遠景)6月26日中国広東省で起きたウィグル人労働者襲撃事件映像 ■参考 ウイグルでの暴動は日本と無関係ではない
https://w.atwiki.jp/eastturk-osaka/pages/12.html
<支援動画>東トルキスタン East Turkistan -Japanese Version- 1955年、民族国家東トルキスタン共和国は中華人民共和国に統合され、新疆ウイグル自治区となった。 中国共産党はその初期には、各民族平等・風俗習慣の保護を謳っていたが、大躍進と文化大革命以降は急進的な民族政策がとられ、 現在も同化政策の名の下に過酷な弾圧が行われている。 ウイグル語教育の禁止、中国語教育の強制が行われている。 「計画生育」と言う名目で数百万の赤ちゃんの強制中絶が行われた。 15~25歳の未婚女性を年間8万人のペースで半強制的に中国本土へ連行している。表向きは仕事の紹介だが漢民族との同化政策と考えられる。 毎年数十万人の漢民族が東トルキスタンに移住し、差別のためウイグル人大学生の90%が就職できない。 南部では、ウイグル人農夫が毎年2ヶ月、農繁期にもかかわらず、ダムや橋などの建設工事のため無給の強制労働に動員されている。 18歳以下、学生、公務員、年金受給者が、モスクに行くこと、学校でのイスラム教教育が禁止されている。全てのモスクは登録制、イマム以上の聖職者は許可制となり、その免許の更新には毎年の愛国教育を受けなければならない。 遠方に外出するときは地元の公安で外出先を報告しなければならない。各都市の検問所ではウイグル人に対して検問が行われる。 45回もの核実験が行われ、南部では多くの放射能中毒による死亡者、奇形児、重度障害者が出ている。数十万人が死亡したとも推定されている。 不公正な拘禁、政治裁判によって政治犯数万人の処刑が執行され、現在も数千人が不当に拘束されている。トフティ・トゥニヤスさんは、東京大学の博士課程在籍中、研究のために一時帰国した際に逮捕され、現在も服役中である。 鉱物資源、エネルギー資源が豊富であるが、それが独占的に漢族によって開発され、パイプライン、鉄道によって中央に運ばれている。
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中国政府の人口抑制政策 日本では「一人っ子政策」として知られている中国の人口抑制政策が、「計画生育」政策である。改革開放政策が始まった1979年からまずは漢族を対象に開始された。原則として、夫婦で子供一人だけ許可するというものだが、細かい規定が設けられている。これに違反した場合には罰則が科せられるが、実際にはその地域の担当者による強制中絶が頻繁に行われている。 中国の制度上、国家が年間の出生数の計画を出すと、その数値目標がそれぞれの地区、郷・街道などで責任制となって負わされる。違反者が出れば、その違反者だけでなくその地域の担当者までもが処罰の対象となる。そのため、出産適齢の夫婦には専任の担当者がつけられ、かなりの圧力がかけられている。これが強制中絶へとつながっていくのである。結婚の条件にリングの装着義務があるという話も出ている。 中国全土で、妊娠7ヶ月~9ヶ月での中絶が年間50万件にものぼると言われる。(日本では母体保護法で、妊娠22週までの人工中絶しか認められていない。) 在外のウイグル団体や、人権団体によって、強制的な中絶措置で妊婦に多数の犠牲者が出ていると報告されている。 よく中国人は「少数民族は漢族に比べれば優遇されている」と言い訳するが、東トルキスタンでは、漢族であっても農村部であれば子供を2人まで持つことができ、条件を満たせば更に1人追加することができるなど、他の地域に比べると漢族も優遇されているのである。また違反者に課せられる罰則は、平均収入の数倍の罰金というように、かなりの経済的な負担がかかるものであり、貧しい人が多い少数民族にとってはかなり不利な条件になっている。 そもそも優遇政策が施されたとしても、少数民族が人口抑制の対象となっているのであるから、内地からの大量の漢族の移住によって、いずれはその少数民族は消滅してしまうことを意味するであろう。さらに東トルキスタンではウイグル人の若者が強制移住で域外へと運び出されているのである。 また、東トルキスタンの人々から見るならば、人口爆発を起こしているのは漢族であって、自分たちはそのとばっちりを受けているということに他ならない。 中華人民共和国になってすぐのころには、人口の多さ=国の重要な財産ということで人口増加政策をとっていた。しかし、1953年に初めて行われた人口センサスで、予想を遥かに超える人口を抱えていることに気が付き、計画出産が公式に奨励された。しかしこれは長続きせず、50年代後半にはどのような理論の元に産児制限するべきかという「人口論論争」が始まり、更に大躍進政策の失敗によって多くの飢餓と、農業・工業の失敗を生み出したにも関わらず、人口増加=経済発展という理論による多子奨励が主流となった。 大躍進・文化大革命期の現実離れした政策は、大量の餓死者を生み出しただけでなく、人口政策上でも取り返しのつかない大失態を犯したのである。また大躍進が終わったあとであっても、人民の不安を煽ることがあってはならないという政治的判断によって、計画出産活動が開始されるまでにはしばらくの時間がかかり、結局1972年までは再開されなかった。この間、大躍進期の人口減少に対する反動として第一次ベビーブームが起こっており、手をこまねいているうちに大量の人口増加を生み出すことになったのである。 国策としての本格的な取り組みは79年からで、80年からは「公開書簡」で宣言され軌道に乗っていくことになった。もし、早くから適切な人口政策をとっていたなら、現在のような苛烈な計画生育政策は、漢族に対しても必要なかったのではないだろうか。 また計画生育は宗教とも激しく対立する問題であり、ほとんどがイスラム教徒である東トルキスタンのテュルク系の少数民族にとっては到底受け入れがたいものになっている。1990年4月にアクト県バリン郷で起きた事件は、この計画生育が引き金になったといわれる。 現在中国は、宗教が産児制限について口を挟むことを禁止している。しかし、そもそもこのような個人的な問題にまで制限を課している、中国共産党のほうが異常な存在であることは明瞭であろう。 「中国政府の人口抑制政策」付録 この計画生育政策に関係する法律としては、「中華人民共和国婚姻法」、「中華人民共和国の人口と計画生育法」があり、この下に各省や自治区毎の条例がくる。新疆ウイグル自治区では、「新疆ウイグル自治区の人口と計画生育の条例」(2002年の月の11月28日施行)になる。 まず『中華人民共和国婚姻法』で、婚姻年齢を男性満22歳、女性満20歳と定めており、他国と比べて高齢に設定されている。晩婚および晩育(出産年齢を遅らせること)を奨励すべきであるとしている。また優生学的な面から、直系血族および三代以内の傍系血族との結婚と、医学上結婚すべきではないと認められる疾病に罹患している者の結婚を禁止している。 次に、『中華人民共和国の人口と計画生育法』では、計画生育を実施する夫婦に対しての優遇措置などを定めている。晩婚や晩育を奨励し、実施者に対しては各種社会保障制度を設けるよう指示している。そして、生涯の子供を一人だけと宣言した夫婦には、国が「独生子女父母光栄証」を交付し、これを持っていると各自治体の関連規定によって優遇措置を受けることができるようになっている。 『新疆ウイグル自治区の人口と計画生育の条例』が、東トルキスタンの人々が実際に適用される規定になっている。まず、人口と計画生育については、各レベルの人民政府が責任をもつこととされている。そして人々は、地域の基層単位である「郷」や「街道」に結び付けられて管理されている。また企業、国家機関、社会団体などは、人民政府に協力して、人口と計画生育に取り組むよう求められている。 計画生育の規定については、主に以下のような内容になっている。 漢族の男性満25歳、女性満23歳、少数民族は男性満23歳、女性21歳で初婚を迎えれば晩婚とする。晩婚で結婚後出産した場合を晩育とする。 都市部の漢族の一組の夫婦は1人の子女を産むことができ、少数民族の一組の夫婦は2人の子女を産むことができる。農村部の漢族の一組の夫婦は2人の子女を産むことができ、少数民族は3人の子女を産むことができる。夫婦の一方が少数民族の場合は少数民族の規定、夫婦の一方が都市部の住民の場合は都市部での規定に従う。 法律に基づいて結婚登記を行い、計画生育の用件に適合し、更に女性側の戸籍所在地の郷政府あるいは街道弁事所から許可をもらってから、出産することができる。 次の条件に適合する場合には県の計画生育行政部門の審査を通して、更に一人の子女を出産できる。傷痍軍人、公務で傷害を負った者、結婚後不妊で『修養法』(養子法)に準じて養子を持った者、油井作業5年以上の者、夫婦双方が一人っ子、既にいる子が正常な労働力にならない者。 前子より3年以上あけなければ、2人以上の子を持ってはならない。 この規定に従う者には以下の褒賞が与えられる。 都市部の国家公務員、団体職員、企業の従業員で晩婚の者には結婚休暇を+20日、晩育は産休を+30日、男性にも看護休を+15日上乗せされる。 農村部では、晩婚・晩育両方に対して、集団生産、公益事業労働の1年間の減免、あるいは現地人民政府から奨励金を受け取ることができる。 「独生子女父母光栄証」を受け取ると、子供が満16歳になるまで毎月10元以上の保険費を受給でき、また企業などの退職金に賃金の5%の奨励金を上乗せ、または2,000元以上の一次奨励金を受け取ることができる。 違反者に対しては以下のような罰則が加えられる。 都市部では前年の当該県住民の平均収入1-8倍、農村部なら農民の純収入の1-8倍の社会養育費を徴収する。 3年を空けずに子供を産んだ場合は、その期間に応じて平均年収を基準として社会養育費を徴収する。 就業者に違反者がいる場合には、その企業などが出生と養育費についての管理をしなければならない。昇級・昇進などは3年据え置き、場合によっては行政処分を行うこと。 農村では3年間集団の福祉を受けてはならない。 「独生子女父母光栄証」を受けていた場合は、優遇措置を停止し、すでに受けていた保険費や報奨金を返却すること。 お問合せはこちら
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旅 行 の ク チ コ ミ サ イ ト フ ォー ト ラ ベ ル 【新疆ウイグル★シルクロードは 知る苦 の旅??】 第2話)BRTと寝台バス 《中国・新疆ウイグル自治区・シルクロード旅行記|ウルムチ|クチャ|カシュガル》 ウルムチの宿に荷を下ろすと、まず最初にやらねばならぬ用事を済ませに出かけることにした。その用事とは、 寝台バスの切符の購入である。 休暇が1日短縮されたせいで、本来ウルムチに一泊してから移動するはずだった予定が、その日の晩の夜行バスでクチャ(庫車)へ移動となってしまった。バスの出発は夜の20 00。しかし出発直前で切符が買えるとは限らない。中国のバスがネット予約できるはずもなく、直接ターミナルまで行って切符をゲットする以外に方法はない。 ま、散歩がてらにと人民公園を突っ切ると、人々が太極拳やら卓球やらで爽やかな朝を向かえていたが、こちらは寝不足の目をこすりつつ南郊バスターミナルを目指す。 爽やかな朝を向かえる人民たち ターミナルまではBRTという不思議な乗り物に乗っていく。BRT=バス・ラピッド・トランジット。この耳慣れぬ交通システムは近年日本でも震災で被害を被った三陸鉄道の代替として知られ始めているが、要するに、システムは鉄道、車両は道路を走るバスというシロモノだ。専用の「駅」でしか乗り降りできないバス、といえば話がわかりやすいだろうか。鉄道と同じく料金は専用のバス駅の改札で払う システムだ。 駅によってはホームドアまで備えてある立派な駅もある。そして何より地理感覚のない旅行者にとって、どこを走っているのか判りやすいのは最大のメリットだ。 ウルムチのBRTにはホームドアを備えた立派な"駅"もある ウルムチの街のほとんどは何の変哲もない高層ビルの乱立する漢民族の都市だ。だが中心部を抜け南に下ると、ウイグル人たちが多く住むエリアに差し掛かる。乗客の会話もロシア語とヒンズー語を足して2で割ったようなウイグル語に変わり、街中の看板もアラビア文字をペースにしたウイグル語表記が目立ってくる。 三屯碑(サントゥンベイ)駅でBRTを降り、やたら人でごった返す南郊バスターミナルに向かった。ここは周辺の街からウルムチに出稼ぎに来るウイグル人が多く集まるエリアだ。辺りの露店からは羊肉を炙る香ばしい匂いが漂ってくる。 ここではただバスのキップを買うにも検問を通ってターミナルの中に入らねばならない。中国の交通機関はやたら検問好きなので面倒くさいが、ともかく慣れない中国語と筆談で何とかキップをゲットした。 バスターミナルで寝台バスのチケットをゲット その後、中心部に戻る傍ら、バザールを徘徊したり、紅山公園をふらついたりして夕方まで過ごし宿に戻る。 そして時刻は夕方の18 30時、そろそろ宿を出てバスターミナルの周辺でメシでも食って、20 00のバスに乗るか、と余裕で再びBRTに乗り、南郊バスターミナルを目指したのであったが、、、ここで想定外の事態に巻き込まれた。 渋滞である。 今や日本を抜いて世界第2位の経済大国にのし上がった中国。だがインフラ整備が急成長に追いついていない。ここウルムチでも地下鉄工事が進められているが、それが夕方の渋滞を引き起こしてしまい、30分あれば楽勝と思われたBRTでの移動がままならない。 ヤバイ20 00の夜行バスに乗り遅れる!! あっ、やっと目の前に南郊バスターミナルが現れた。時間がない、ここで下ろしてくれ!! 僕は思わず車内のブザーを押そうとした。しかし… 無い、無いのだブザーが。 それもそのはず、見た目バスのBRTだが、どんなことがあっても乗客は専用の"バス駅"でしか降りられない。南郊バスターミナルの最寄駅は三屯碑(サントゥンベイ)駅だが、昼間ならバスで1分で着いた駅と南郊バスターミナルの距離が、夕方のこの時間は20分はかかりそうだ。 焦っているのは僕だけでなく、目の前のウイグルおばちゃんはもテンパっている。ガンガンとドアをぶったたいて運転手に「この場で下ろせ!!」と必死にアピールしているが、BRTの運転手は絶対に応じない。嗚呼イジワル。 かくして、最寄バス駅・三屯碑にはなんとか出発10分前に到着。すぐさまダッシュでクチャ(庫車)行き寝台バスに駆け込んだ。 クチャ行き寝台バスの車内 さて、ではその日の夕食はどうしたって? そんなもの食ってる余裕なんてあるわけないじゃん!!(泣)。 夕食をとり損ねたまま寝台バスに乗り込んだのでお腹が減ってしょうがない。まあ、どこかのドライブインで食事すればよいかなどと言う考えは甘かった。広大な新疆(シンジィァン)ウイグルでは、一度街を離れるとただ荒涼とした大地が広がるだけだ。 途中トイレ休憩で寄った"ドライブイン"もどきにあるのは、古ぼけた小さな雑貨屋だけ。その日の夕食はコッペパン一個となってしまった… (続く) もどる < 2 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談