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佐藤優(起訴休職外務事務官) 私は、作家の雨宮処凛さんが、社会構造的に弱い立場に置かれた人々の生きる権利、働く権利を確保するために取り組んでいるさまざまな発言、行動に共感と尊敬の気持ちを抱いています。10月26日、渋谷で雨宮さんと志を同じくする3人の青年が逮捕されたという話しを聞きました。逮捕の瞬間の動画も見ました。これはひどい。公共の安寧を乱したわけでも、交通妨害をしたわけでもありません。人は誰も他者に危害を加えない範囲内で表現をする自由をもちます。それがこのような形で侵害されることは、私のように文筆で生計をたてている人間にとっても看過できません。 強い国家は、人間の自由を尊重します。このような乱暴な行為を警察が行うのは、日本国家が弱体化しているからです。日本の国を強くするためにも、一刻も早く3人を釈放すべきです。人間の自由権は、他者に危害を加えない限り不可侵であるという近代国家の大原則を最後にもう一度強調します。 2008年10月29日 佐藤優
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山口二郎 26日、麻生太郎首相が秋葉原で街頭演説を行った。この種の見え透いたパフォーマンスを見るにつけ、日本政治の貧困を思い知らされるようで、腹立ちを通り越して、悲しくなる。秋葉原は、オタク文化の中心地であると共に、今年6月の連続殺傷事件の現場でも あり、現代社会の歪みの象徴である。麻生はこの数年の間、政府与党の幹部の一人として政治を動かしてきたわけであり、社会を荒廃させたことについては責任の一端を負っている。仮に麻生が首相として国の運営を続けたいのならば、あのような希望のない若者を大 量に作り出したことについて、深刻に反省し、国民に謝罪することから政治を始めるべきではないか。しかし、同じ日に生活の窮状を訴えるために麻生邸に行こうとした市民が逮捕されるという事件まで起こった。麻生の視線がどこに向かっているかは、26日のいく つかの出来事を見ればよく分かる。 秋葉原の事件だけではない。その後も、生活に追いつめられた人々がせっぱ詰まって犯罪を引き起こしている。政策的な支えさえしっかりしていれば、死ななくてすんだ人、罪人にならなくてすんだ人が大勢出ているのである。そのことに対して心の痛みを感じな いような人に、政治を動かす資格はない。
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棗一郎(弁護士)
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岡本厚(「世界」編集長) この「逮捕」は、麻生政権のもう一つの顔をはっきりと示した。 ビラ撒き逮捕事件など、小泉・安倍時代に顕著だった「公安」優先主義、つまり国民を脅迫して政策を押し通そうとするやり方の再来だ。声を挙げ始めた貧困層に「黙れ」というのが政権の声だ。決してこのようなやり方を許してはいけない。
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石坂啓(漫画家)
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寺脇研 このような行き過ぎた警備やその結果の逮捕に対して強く反対します。 麻生政権の無為無策については今さら書くまでもありませんが、旧内務省的統制体質の問題を提起したいと思います。 麻生首相が新たに任命した現在の事務系の内閣官房副長官は、漆間巌氏です。前職は警察庁長官であり、1969年 警察庁入庁以来、奈良県警察本部長、愛知県警察本部長、大阪府警察本部長、警視庁副総監、警察庁警備局長、次長などを歴任してきた生粋の警察官僚です。 事務系の内閣官房副長官は旧内務省系の旧自治省や旧厚生省の元次官が任命されるのが通例でした(このことも問題なのですが、とりあえず今回は措くとして)。今回、実に30余年ぶりに警察官僚が起用されました(前回は三木内閣時代の川島廣守氏)。 そのことで、事務系副長官の最大の任務である霞ヶ関の各官庁の意見調整や官僚独走チェックの機能が低下しているとは、最近よく指摘されます。 まるでその埋め合わせのように、得意の治安、警備分野で麻生首相に「忠勤」を果たそうとしているのでなければいいのですが… 。 自戒をこめて言いますが、官僚は自らの得意分野、専門分野について自己の力を示そうとしたがる傾向があります。自分の直接の任務が得意分野や専門分野でないときには、むしろ、得意分野や専門分野に関しては自制し、そうでないところに力を注ぐべきでしょう。 漆間副長官が今、力を注がなければならないのは霞ヶ関のチェックなのです。
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鵜飼哲(一橋大教授) かつて、沖縄のコザ「暴動」も、パレスチナ被占領地での第一次インティファーダも、2005年12月のフランス郊外蜂起も、そして日本の寄場における数々の「暴動」も、警察の許しがたい対応に対する民衆の怒りから始まったことを思い出そう。今回の「リアリティツアー」弾圧事件は、同様の民衆的決起の引き金になりうる要素を秘めている。ネットにアップされた映像を訪れる人の数は日々増大し、マスメディアによる隠蔽とデマゴギーの壁を食い破って麻生政権の本質をまざまざと暴露し続けている。公安警察はいまや、麻生邸に向う道を封鎖する「資本の分離壁」として立ちはだかっている。これが日本版ゲイティッド・コミュニティのはじまりになるのか、これを階級闘争の新しい時代、私たちのインティファーダの幕開けにするのか、すべては私たちが、捕われた仲間たちと固く手を結び、この弾圧を跳ね返せるかどうかにかかっている。
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脇田滋(龍谷大学法学部教授、労働法) 今回の警察の対応は不当きわまりないものです。労働者の自由な表現活動に期待する日本国憲法の趣旨とはまったく逆に、労働者だからという理由で、通常より広く刑事責任を問おうとしているからです。 憲法は「表現の自由」を保障するとともに(21条)、とくに社会的に弱い立場にある労働者の「集団的表現活動」を権利として保障しています(28条)。他に表現の手段をもたない労働者が自由に集会をしたり、デモをはじめ多様な集団的表現活動をすることは、より手厚く保障されなければなりません。 現在、日本では非正規・不安定労働を背景に貧困と格差が極端な形で広がっています。真面目に働く者が報われない現実があります。これ以上、生きづらく、働きづらく、息苦しい社会にしないためには、労働者自身が「自己責任論」に囚われず、自分の目と耳と頭を使って、現実を見つめて大いに議論することが必要です。 こうした課題を考えると、今回の警察による権力的抑圧は、人間らしく生き、働ける日本社会をめざす、労働者自身の自由な論議を抑圧するものであり、それだけに一層不当なものだと考えます。 2008年10月30日 脇田 滋(龍谷大学法学部教授、労働法)
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中島岳志(北海道大学准教授)
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白石嘉治 怒り、悲しみ。そして、なにより滑稽な警察。あなたたちには一片の正義もない。 喜びもなければ幸せもない。見捨てられるのはあなたたちであり、けしてわれわれの友情を損なうことなどできはしない。 私はあなたたちの振るう暴力に強く抗議し、拷問にほかならない不当な勾留の停止を求めます。