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- 1977年、札幌の高校生だった唐沢俊一先生は宇宙戦艦ヤマトの再放送運動を起こし、一大ムーブメントを巻き起こしたのです。そのブームが現在のアニメ大国と呼ばれることとなる下地を作ったのです。アニメ関係者は唐沢俊一先生に足を向けて眠れないハズです!(キッパリ断言) 2000年04月23日(日曜日) 某所でのアイアンジャイアント批判に曰く、“最後にジャイアントが復活するところがいけない、壊れたままの方が感動は深かった”・・・・・・うーん、懐かしい。かつてのヤマトのTV放映終了直後の、“森雪は生き返るべきではなかった”論者と同じ。オタクって進歩しないんだなあ、イイゾイイゾとうれしくなった(誤解を招く表現だがまあ、説明すると長くなるし馬鹿には説明してもわからないし、いいや)。 2000年04月25日(火曜日) 以前文藝春秋から出た自伝『「劇画の星」をめざして』によると、この佐藤センセイは劇画ブームで儲けて豪邸を建てたとき、食事の時間になると、仕事場の椅子がスイッチひとつでガーッとセリ上がり、天井の穴を抜けて、食堂に上がっていくという宇宙戦艦ヤマトかサンダーバード基地みたいな仕掛けを作らせたそうである。男の夢をとにかくカタチにしてしまう、エラい人というかスゴい人なのである。 2000年10月01日(日曜日) 6時、新宿に出て、区役所通りのカラオケ屋パセラの上のバリ・カフェで、氷川竜介氏をはげます会。少し遅れて入ったが、メンツがさすがに濃い。ヤマトの石黒昇、ガンダムの富野悠由季の大御所二人を筆頭に、岡田斗司夫、竹内博、池田憲章、出渕裕、開田裕治、大森望などなど。岡田斗司夫がオタクエスタブリッシュメントたちと表現していたが、いわゆるプレオタク世代から第一世代。会場に足を踏み入れたとたん感じたこの懐かしい雰囲気は何だろう、と思ったら、全体的に服の色がくすんでるところだ、と思い当たった(笑)。氷川さんのラストの挨拶があがりまくっていたのも、このメンツでは無理なかろうという感じ。 2000年10月22日(日曜日) 今日は昭和四○年代オタク番組の、裏番組との関係がテーマ。まだビデオがなかった時代においては、アニメや特撮番組の、見ていたものの裏番がいったい何であったか、という問題は実は重要で、視聴率に大きな関係があることは勿論、『宇宙戦艦ヤマト』と『猿の軍団』、『海のトリトン』と『快傑ライオン丸』など、オモテとウラのどちらを選択したかで、その後の人生に大きな影響を与える大選択となる場合すらあったのである。会員の一人が東映作品の、実に詳しい裏番組対称表を製作してくれている。 2001年09月03日(月曜日) なんとか体調回復し、北海道新聞の原稿書く。『スター・ウォーズ』第一作公開の頃のこと。思えば、この公開が一年先送りになったことが、日本のオタク文化発展の土壌を一気に作り上げた感がある。下地はもちろんヤマト再放送運動などによって熟しかかっていたわけだが、それが、あの世界的なブームに一年も乗り遅れてはどうしようもない、という危機感の中で一気に爆発したのだろう。歴史というものは小さな偶然の積み重ねに大きなうねりが加わって現象となる。調べれば調べるほど面白い。 2001年12月04日(火曜日) 北海道新聞コラム原稿、最終回書き上げてメール。毎週一回、4ケ月のコラム連載だったが、これほどアッという間に終わったという感覚のものも珍しい。ヤマトからエヴァまでの、第一次オタク通史といったおもむきのもので、16回もあれば十分に概略を述べられるだろうと思ったがこれが大間違い、あれも書かねばこれも足りないというばかりで、駆け足どころか超特急で通り過ぎたのみに終わった。読んでた方はあまり面白くなかったかもしれない。にも関わらず、書き手としては、これまでオタクの成立について言われていた通説とは違った手塚治虫評価や、宮崎駿の位置づけなど、改めて執筆してみて自分なりにさまざまな発見があった。これはささき氏などの協力も得て、一度ベイシックな通史として書き下ろしてみる価値はあるかもしれん、 と思う。 2002年03月25日(月曜日) 帰ってネットニュースみたら松本零士、西崎義展にヤマトの著作権で敗訴の報。これはまあ、妥当なところと思うが。暖房、入らないのでフトンを冬用のやつ、もう一枚かけて寝る。 2002年06月13日(木曜日) 急遽、戦争アニメを連続上映することが決まったという。“で、上映の後でトークをやりたいんっスが、カラサワさんお願いできますか” “それは了解ですが、何の映画でやります? やっぱり『海の神兵』ですか?”“イエ、それを最初考えていたんですが、たまたまこのことを富野さんに話したら、「ア、ボク、まだフィルムで『海の神兵』見たことないから、見たい!」とおっしゃるんで、その日は富野さんです”とのこと。こりゃすごい。“富野由悠季、『桃太郎 海の神兵』を語る”なら、私も聞きに行こうてなもんである。私はその次の週の『宇宙戦艦ヤマト』を語ることに。こちらは7月28日(日)である。 2002年06月25日(火曜日) 亭主はヤマト世代なので、私の東中野のヤマトトーク行くかもしれない、とのこと。何にせよ、アニドウ時代を知る人は貴重なので、今度ささきはてるさんなどに引き合わせ、今度の本の参考にいろいろ当時のアニメ周辺状況の話をインタビューさせてもらいたい旨を話す。 2002年07月01日(月曜日) ところで、今月29日のボックス東中野での『宇宙戦艦ヤマト』映画版ニュープリント版上映の私のトークの題名が『アニメの快楽・戦争の快楽』と、まるであつらえたようなのはワザとか? 2002年07月11日(木曜日) ササキバラさんのオタク史座談会本制作打ち合わせ。ササキバラさんらしく、オタク史をSF・少女まんがなど、いくつかの要素に分けて、それぞれのからみや反発などの部分、それに関わった人々のいた位地、というようなものを通してオタクの成り立ちを考証しようという企画書を出してくる。私の方からは、それにプラスして、技術革新史を入れた方がいいという意見を出す。ガリ版からボールペン原紙に“進化”しただけで、70年代の同人誌作りにとっては大きな革新だったのだ。やがてあのジアゾ液の臭いも懐かしい青焼きコピー機を経て、ヤマトブームのとき、東京では神田のグランデ、札幌では大通駅前のリーブルなにわに十円コピー機が出現、この出現によりヤマトのあの膨大な設定書を個人がコピーして所有することが可能になった。あのオタク原型像の必須アイテムであった肩掛けカバンの中には、この設定書のコピーと、スケッチブック(中には自作のヤマト改良案図など)が入っていた。今のオタク像定着には、ビデオデッキ、コピー機、パソコンなど、こういう周囲のツールの発展という要素が必須としてあったのである。 話はともかくトメドなく、アニドウ時代のこと、上映会文化(これもビデオ以前のオタク前史展望にかかせない)、ぴあ文化、そしてアートアニメと娯楽アニメが分離してきた時代、萩尾望都出現の衝撃(男オタクがヤマトの模写をスケッチブックに描いて持ち歩いていたのと同じ状況が女の子の間で萩尾もどきマンガであったとか)などなどが出てくる。飯面さん頭を抱えて、“ああ、私自分がオタクだなんて今の今まで思ってもいなかったのに、ハッキリオタクだとわかったわ”と言う。5時まで3時間ほぼノンストップでしゃべり、店を出るとすでに夕刻。 2002年07月22日(月曜日) 『マニア蔵』の編プロから電話、宇宙戦艦ヤマトのムックを出すそうで、コメント原稿依頼。この次の日曜にボックス東中野でヤマトについて語るんですよ、と言ったら驚いていた。時代はまたヤマトか? 平塚くんに、ゲラで抜けていた図版キャプションを書いて先にメールしておき、それから家を出、新宿から丸の内線で新中野。 2002年07月28日(日曜日) 7時から『宇宙戦艦ヤマト』第一作を上映。ササキバラさんと“ヤマトで客が入るかね? 10人くらいじゃないの?”と話していたのだが、意外に入って40人ほどの客数。ナンビョーさんのところの嵩くんが来ていた。他はあまり知り合いの顔、なし。……実はあのブーム以来、『さらば宇宙戦艦ヤマト』とか『ヤマトよ永遠に』は原稿書く都合上何度かビデオで目を通したことがあるが、この第一作は、総集編ということもあり、77年の公開時以来、実に四半世紀ぶりの再見である。まあ、感慨もあるかと思ってみたがほとんどなし。と、いうか、ああ、オレはヤマトに関してはこの時点で全部止まっているわ、ということを再確認。タイムラグもなく、あの当時と同じ感興を抱いてしまう(つまり、カットが拙いとか、音楽がダメとか)のである。われわれのオタク活動というのは、つまるところ、“ヤマトを劇場で公開しよう!”というのが最終目標だったオマツリであって、これが実現したところで、もう気はほとんど抜けていたのであった。しかしまあ見ていると、あの頃の“生の実感”の名残みたいなものは感じられ、テーマ曲が流れると“やはりこれは名曲じゃわい”などと思ってしまうのに苦笑。ただし、われわれがリアルタイムで見たバージョンは劇場用にラストが改変され、スターシアが実はすでに死んでいた、ということになっていたヤツだったが、これはあまりの大ヒットにシリーズ化しようとスケベ根性を出した西崎氏が、テレビ版に従ってまとめた再・再編集版であった。……しかし、今気がついたがスターシアの服装ってのは胸と背中が大きく開いた、ずいぶんと大胆なものだったんですな。 それからササキバラさんと壇上に上がり、ヤマト談義。どうしてもヤマトを話すとなるとオタクの想い出話になり、マンネリなので、今回はテーマの“戦争の快楽”に合わせて、本来、戦争というものはカッコよく、気持ちのいいものなのだ、平和などという陳腐で退屈なものよりはるかに存在の輝きの大きいものなのだ、われわれは実は誰でも心の底で、戦争が大好きなのだ、という持論を述べる。戦争をわれわれが忌避し、遠ざけ、封じ込めておかねばならない理由は実は一にかかってそこにあり、その恐るべき快楽性から目を背けると、戦争がなぜ絶えないかという問題の本質を見損なうことになる、実際、世界の歴史に戦争が絶えないのはそのせいなのである、と語る。これは近く、唐沢流・戦争論としてドコカから発表の予定、と話しながら唐突に決定する。出してくれる出版社募集中。 2002年08月01日(木曜日) ネットでメール確認、先日、ヤマトトークのとき、この日記に戦争論、どこか出版してくれるところ募集、と書いたらなんと、本当にメールがあった。SF大会で会ったIくんの関係している出版社である。小さい出版社だが、ガメラ本、ゴジラ本などを出していて、オタク系には強いところがミソか。条件面で折り合いがつけば、ということであるが、どういうことになるか、ちょっと打診してみる予定。 2002年08月27日(火曜日) 今日も朝からメール三昧。ただし、それでも午前中にマイストリートの『宇宙戦艦ヤマト』原稿400字詰め5枚、書き上げてメールしたのは感心、と自分で褒めておく。原稿は一時間半で書き上げたが、その後のアンケートにやや、手こずる。ヤマトというのはもはや私にとり、“その存在”に価値というか意義がある作品(直接に、この作品の再放映・映画公開運動などを通じてオタクの世界に入っていった)であり、“どの回(エピソード)が一番好きか”とか、“どのメカが一番好きか”とかいうような設問は、私にはもう意味がないのである。しかし、そんなことを答えていくと、もう一本原稿を書くのと同じ。“どのキャラクターが一番好きか”に“加藤。神谷明に声をアテさせておいてあの地味さがなんとも言えない。そのくせ、一人だけ服の色が違うのは何故か、とずっと気になっていた”などとちゃらっぽこを書く。こう書くと、必ず“あの服の色は……”とか一行知識欄で教えてくれる人がいるだろうが。 2002年12月06日(金曜日) ……などと、妙に自分を殉教者ぶってはいるが、しかし、それもあって見事にオタク第一世代、という上からの影響もシャットアウトし、下には先達者として永久に頭をあげさせない立場を築き上げた私らは、“実にうまいことやったなあ”と言うのが正直なところ、と二人でいやらしく笑う。 「いま、若い連中がどんどんオレに、オレの人生を聞きたがってくるんですよ。何か伝説を求めているのかなあ」 「たぶん、われわれの老後というのは、このオタク文化の草創期のことを偉そうに若い連中に繰り返し語ってきかせる、凄く気分のいいものになると思う」 「うらまれたり悪口いわれてもこりゃ、仕方ないね。それだけのいい目はオレら、見てるもん」 「エヴァのときだって、せっかく下の世代が盛り上げかけたときに、水をかけて悪いことをしたよねえ」 「うん、あれは今思えば非常にすまんかった! あやまるわ!」 「われわれ、ヤマトやガンダムのときにテンション上げすぎて、後で非常に恥ずかしい思いをしたんで、若い奴らには、という親心で水かけたんだけど、考えてみれば、いい思い出というのは、いかに若い頃恥ずかしいことをしたか、なんだ」 「アニメとか特撮をいい年して見る、という行為が、どれだけ三十年前のころには恥ずかしいことだったか。そう思うと、オレら凄まじい量のいい思い出を貯め込んだわ けですね」 2003年01月05日(日曜日) 食って、少し書棚等を整理す。さすがにもう、だらけるのに飽き飽きしたらしい。昔のヤマトファンのころの同人誌も出てくるが、いや、いくら懐かしいとはいえ恥ずかしくて読めないですな。嗚呼、この当時のメンバー達いまいずこ。石川肇は以前開いていた自分のサイトも閉じてしまったようだし、大迫秀人も岩谷明も行方知れず。ロリコンマンガ家になったくりいりもなかはまだ同人誌を出していて、こないだの冬コミにもブースを出していたようだが。 2003年01月22日(水曜日) ササキバラゴウさんと1978年論で情報交換。私はササキバラさんより一年早い1977年をオタク元年と規定して、道新の原稿でも発表している。なにより、映画版『宇宙戦艦ヤマト』公開の年であって、一年後のスター・ウォーズ公開に向けて、“雨前の”タケノコのようにファングループやSF研究グループが結成された時期でもあった。 2003年02月15日(土曜日) この発言者は1980年生まれということだが、少なくともオタク草創期である1972年(発言中で言及されている『海のトリトン』の放映年)において、アニメオタクが“濃い、薄い”の差が別れるほど多数存在し、薄いオタクがサイレント・マジョリティとして機能していたという、当時を知る者からすれば噴飯ものの状況把握(たぶん、オタクでなくてもアニメ、ゲーム、マンガ等にいくらでも接することのできる現状からの憶測なんだろうが)を元に語っているわけだ。若いから無理もないとはいえ、この人には70年代における、大学を受験する年齢になってアニメを見る、という行為の反社会性というものをイメージできるだけの“歴覚”能力に徹底して欠けているのである(もうひとつ言えば、この斎藤氏の発言はどの文脈からとっても、個人的体験の証言ではなく、状況についての発言であり、その“でかい作品が一つあってあとは極小の作品がちょぼちょぼというメディア環境”という指摘が誤りであることは、ヤマトやトリトンの放映年に他にどういう作品が放映されていたか〜例えばトリトンが放映された1972年時には、マジンガーZ、ど根性ガエル、ガッチャマン、ムーミン、デビルマン等、今なおリメイクされ続けている作品が目白押しに放映されており、これらのどこをとれば“極小”と表現できるのか〜を、ちょっと年表でものぞいて確認する作業を厭いさえしなければ一目瞭然である。こういうことを言う人、またはそういう発言を弁護をする人というのは、学問の基礎である “資料にあたる”という行為を嫌う怠け癖の持ち主でしかないだろう)。こういう人物にまできちんとわからせようと筆を尽くすことは、クラスの最も出来の悪い子にレベルを引き下げた授業を行うに等しい行為なのではないか。そこのレベルの子にわからせることでクラス全員が理解できればいいが、上位の子たちは、授業の退屈さに早々に興味を失ってしまうだろう。ササキバラ氏のおたく論の目指す懇切丁寧さが、そのような結果を生まぬことを切に望む。 2003年11月02日(日曜日) まず、オタクという言葉が個人レベルで発生したのではなく、“オタク族”というククリから概念が出来たことがある。つまり、家に引きこもって個人でアニメや特撮にハマっている連中はその前からいたのだが、彼らは社会の一員としてリコグナイズされていない、共同体外の存在だった。それが社会現象化したのは、彼らの中に横の連帯が生じ、彼らが社会性を持った瞬間からである(つまり、引きこもりをオタクの主要な性質とするオタク論はそもそもが間違いなのである)。その連帯のきっかけになったのが1975年からのヤマト再放送運動であり、この場合、東京や大阪という大都市に比べ、札幌は地方局が、ある程度リクエスト葉書の数が集まれば、再放送をしてくれていた。このため、最初は普通のドラマなども再放送していたSTV(札幌テレビ)やHBC(北海道放送)の4時〜5時台が完全にアニメ再放送枠として定着してしまった。家庭用ビデオの普及していない時代、再放送で繰り返し繰り返し作品をチェックできるという環境が、オタクのスキルを上げることに直結し、マニアックなオタク語りが出来る状況が揃っていた。また、北大のSF研や映画研が、東映アニメや虫プロアニメの上映会を頻繁に行っていたことも土壌整備には大きい力になっただろう。当時、大学生がマンガやアニメにうつつを抜かすことは世間的にはいい顔をされないことだったが、学生自治を伝統とする北大の気風の中で、比較的自由にアニメびたりを標榜する大学生がいたことで(北大主催の上映会で、挨拶に立った主催者が自らのアニメびたりの“阿呆けた”と自称する日常を披瀝して笑いをとっていたのを覚えている)それより若い世代が“アニメに没頭するのは悪いことではないんだ” という自覚を持ったことは大きい要因だと思う。 2004年05月05日(水曜日) 弁当早めに使い(本日のお菜は鶏と大根の煮物)、進行表を本日の下見メンバーの人数分、コピーし、ページ順にまとめる。座敷の真ん中に座り込んで、せっせとそういう作業に熱中しているうちに、朝からの不快も解消。同人誌製作もこのごろはすっかり印刷屋に原稿をデータで送付というような、プロの仕事と大差ないものになってしまった。ヤマトファンクラブの同人誌を作っていた時分のことを思い出す。ただしあの当時は何百部そういう作業をやろうと元気ハツラツだった。今はたった20部程 度作る作業をやっただけで、腰が痛くなる。 2005年06月20日(月曜日) アンドレ・ノートン3月17日死去。93歳。『大宇宙の墓場』を読んだのは高校一年の頃だ。宇宙戦艦ヤマトの小説版(若桜木虔とか石津嵐とか)の、ストーリィのひどさはともかく、文章の質はなんとかならんかとひとり慨嘆していた頃だったので、同じジュブナイル作家でもやはり海外は違うなあ、などとこの文章(翻訳は小隅黎)を読んで溜息をついていた。それからこの人の作品は出るたびに一応読んだはず、なのだがほとんど記憶がない。 2006年03月21日(火曜日) 宮川泰氏死去の報。一日に二人も尊敬していた人の訃報があるとさすがにめげる。子供時代は『シャボン玉ホリデー』で、オタクとなってからは『宇宙戦艦ヤマト』で、本当に私の人生に大きな影響を与えてくれた人。 (略) それだから後年、『宇宙戦艦ヤマト』の初期オープニングの、静から動へのあざやかな切り替わりに文字通り“しびれた”時には、まさにやられたーッ、という感じだった。 2006年07月23日(日曜日) 工藤さん、前田ひろゆきさんとも挨拶。前田さんは新感線の池田成志に似ているような。工藤さんは札幌出身で、私たちの『ヤマト復活運動』をダイレクトに見て育ったという。『アタックヤング』のことなどで盛り上がる。あそこで流れていたアニソンや特ソンはほとんど、私からの提供のレコードだったと言ったら「それを聞いて育った曲の提供者とここで一緒にいるというのは変な気分ですねえ」と言っていた。 (※工藤さん=工藤稜/2009年よりペリーローダンのイラストを担当) 2006年11月18日(土曜日) そういえば、札幌でヤマト再放送嘆願運動をやっていた頃、どこだったかの雑誌で“ヤマト実写化キャスティング選考”というお遊びがあって、デスラー総統はこの仲谷氏がダントツ人気だった。“顔を青く塗ったらソックリ”がその理由だった。 2007年10月21日(日曜日) 10時、NHK教育で『21世紀を夢見た日々〜日本SFの50年〜』を見る。前半は貴重な映像資料とかがあって、かなり興味をもって見られたが後半はまるで『プロジェクトX』風きれいごと。『宇宙戦艦ヤマト』から始まるアニメ、コミックなどのブームの源流にSFがあるのだ、という、間違ってはいないがかなり牽強付会な構成は、何度も“そうか?”とツッコミを口走ってしまう。まあ、それはまだいいが「ヤマトはSF作家が作ったものだったんですね」というのに至っては我田引水が過ぎるというもの。確かに設定だのデザインだのはSF関係者のものだったろうが、最初、低視聴率で打ち切られた作品を、ねばりにねばって大ブームにまでした牽引者は、やはり西崎プロデューサーであった(私はそのあたり、彼の奮闘ぶりやSF関係者の冷淡さも直に見ている)。 西崎氏にはSFマインドがない、とはSF関係者の口を揃えるところで、それは正直正しいと思うが、なら、やはりあのブームはSFとは関係ないところで起こったものだったことになるだろう。実際、本格的ブームになった『さらば宇宙戦艦ヤマト』以降は、スクリーンに泣きじゃくりながら花束を供えたりしていた、SFのエの字も知らない女子高生ファンたちがあのブームの中心者だった(当時SF者だった私が舌打ちしながら見ていたんだから間違いない)。 2008年06月15日(日曜日) ゲストのささきいさおさん、いまだに声の響きが全盛時とほとんど変わらぬところに驚き。ヤマトの熱唱、そして『真っ赤なスカーフ』を生歌でささきさんの真後ろで聞いて、ちょっと涙が出そうになった。この歌のために私はオタク人生を歩むことになり。わが人生設計は大きくその形を狂わせられたようなもの。それがよかったのか悪かったのか、結論はまだ出ていないが生の声をこの場所で聞いて、“うん、これでよかったのだな”とひとつの答えが自分の中で出たような気がしたことであった。 2008年10月10日(金曜日) 軽い打ち合わせの後、4階の事務所でオーナーと話す。30年ほど前に、編集プロダクションをやっていたそうで、某男性アイドルグループ、そして『宇宙戦艦ヤマト』の特集号で稼いでいた。ちょうど私がオタク活動を最も熱心にやっていた時代と重なるので、話が盛り上がること。 さらにヤマトの話。西崎氏が『さらば宇宙戦艦ヤマト』のプログラムを100万部刷れ、と言ったのに対し配給の東映は「日本の映画プログラムの売り上げ記録は松竹の寅さんシリーズの5万部である」という数字をタテにとって拒否。さんざやりとりがあった挙げ句、30万部刷ったプログラムが、初日にもう品切れ。あわてて増刷に増刷を重ね、最終的には250万部を売り切ったとか。
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関連ページ:機動戦艦ナデシコ 関連ページ:機動戦艦ナデシコ 鑑賞備忘録 <ゲキ・ガンガ-備忘録> 『機動戦艦ナデシコ』劇中における「熱血ロボ ゲキ・ガンガー」の放映にかかるメモ。 ◆TVアニメ(2011/2視聴完了) 話名 本編放映メモ その他リスト 第1話『男らしく』でいこう! 第2話『緑の地球』は任せとけ 第13話『聖夜の悲劇!サタン・クロックM!!』 第3話早すぎる『さよなら』! 第26話『大爆発!くたばれキョアック星人』第27話『壮烈!!ゲキ・ガンガー炎に消ゆ!!』 第4話水色宇宙に『ときめき』 第5話ルリちゃん『航海日誌』 第6話『運命の選択』みたいな 第7話いつかお前が『歌う詩』 第8話温めの『冷たい方程式』 第25話『宿命の対決!ケンvsアカラ!』 第9話奇跡の作戦『キスか?』 第7話『アメリカからきたライバル』 第10話『女らしく』がアブナイ 第33話『聖少女アクアマリンの微笑み』 第11話気がつけば『お約束』? 第2話『決戦!三大メカ怪獣!!』 第12話あの『忘れえぬ日々』 ゲキガンガー幻の最終形態『ドラゴンガンガー』 第13話『真実(ほんとう)』は第13話 『一つじゃない 第14話『熱血アニメ』でいこう ゲキガンガー放映OPフル&特別編『熱血アニメでいこう』 第15話遠い星からきた『彼氏』 第13話(再) 第16話『僕達の戦争』が始まる 第14話『元旦の夜メカ怪獣が来る』 第17話それは『遅すぎた再会』 第18話水の音は『私』の音 第19話明日の『艦長』は君だ! 第20話深く静かに『戦闘』せよ 第21話いつか走った『草原』 第16話『大ピンチ!出撃、ななこゲキ・ガンガー!!』 第22話『来訪者』を守り抜け? 第23話『故郷』と呼べる場所 第24話どこにでもある『正義』 ゲキ祭開催 第25話『私らしく』自分らしく 第26話『いつか逢う貴女のために』(Fin) 第39話『輝け明星!ゲキ・ガンガーよ永遠に』
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セッション名:『襲撃、制服戦艦ゴリアテ!』 開催日時:2008年3月26日 GM:雅戌 PL:影法師、氷月、睦月、蒼霞(敬称略) 以下、アフタープレイ作業 ①ダメージ回復 全員のHP、MPは全回復。 ②コネクション消去 ハンドアウト、及びセッション中のコネクションは消滅。 ただし、今後雅戌がGMを行う場合、許可を得られれば再使用が可能。 ③アイテム回復 常備化アイテムは全て回復。 ④アイテム消去 常備化していないアイテムは消滅。 ⑤経験点配布 ・セッションに最後まで参加した 全員に1点 ・クエストを達成した 影法師、睦月、蒼霞に3点 氷月に2点 ・場所の手配、提供を行った 全員に1点 ・倒した敵の経験点 【ブーステッドマン L10】=10 【マネキング L24(加護9)】=33 【合計】=43 43÷【PC数4】=11 全員に11点の配布 ・よいロールプレイをした 全員に1点 ・他のプレイヤーを助ける言動をした 氷月に1点 ・セッションの進行を助けた 全員に1点 ・登場シーン÷3 睦月:4・5・6・7・9・10・14:7/3=3点 蒼霞:3・5・7・9・10・12:6/3=2点 氷月:1・5・7・9・10・11:6/3=2点 影法師:2・5・7・8・9・10・13:7/3=3点 ・合計 影法師:21点 氷月:20点 睦月:21点 蒼霞:20点 ・GM経験点 【全PL合計】÷【3】=82/3=27 雅戌:27点
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備考 分類 高速戦艦(BB) 前級 B1030型/ゾ=カラール級高速戦艦 次級 B1120型/フィデル・カストロ級戦艦 詳細↓ 備考 全長 266m 全幅 33m 満載排水量 48000t 機関 PE N5000-KF ネザー機関 ×2(180000HP)ディーゼル機関×2(30000HP) 合計出力 210000HP 最大速力 33ノット 乗員数 操艦要員160名+その他要員最大100名 解説 スィヴェールヌイ諸島共和国で退役した「project87 ソブレメンヌイ級」をクラフタリア海軍にて再就役させた艦級。 再配備にあたり、機関・兵装・戦闘システムやセンサー類のほとんどがニャルラトホテプ級等に準じたクラフタリア仕様の装備へ置き換えられている。 ゾ=カラール級と異なり、ヘリコプター用飛行甲板は主砲を撤去せず艦尾に設けられている。 仮想敵国の猛烈な軍拡に対抗する必要性がありながらも、同盟統合海軍ではヒュドラ級やブラックプリンス級等老朽化した戦艦の退役によって、戦艦自体が減少する傾向にある。 一度は洋上航空戦力へ主軸を移す判断をした同盟統合海軍の内部でも、戦艦など強力な攻防力を備える艦艇を再評価する流れが生まれていた。 これに合わせて、ニャルラトホテプ級の発展型4隻と新型装甲巡洋艦6隻の配備によって戦力を増強する計画が立案されたが、予算不足から大幅な縮小・延期は不可避であった。 そこで、新型艦完成までの「つなぎ」として同盟国の北連で退役した戦艦を導入することが決定された。 計画の第二弾として導入されたのが本級である。クラフタリア艦のような汎用性・指揮索敵能力はないものの、走攻守すべてにおいて高い水準にまとまった性能を有する。 比較的高い速力を有するため、ハスター級やバステト級と混成運用されるケースが多い。 長年にわたって運用が継続され幾度かの実戦も経験していたが、レグルス帝国との間で生起した第二次大西洋海戦において、2.3番艦が撃沈、 残った1番艦も間もなく新型巡洋艦に更新され予備役に編入された。 装備 主砲 50口径410mm砲 10門(連装砲 ×5) 副砲 50口径150mm砲 4門(連装砲 ×2) TC217 7方位対応・自由装薬型コマブロ速射砲(127mm両用砲) ×3 CBSAM-1 対空対水上両用コマブロ拡散砲 ×4 CBFCMG 3連装FC機銃 ×2 同型艦 艦番号 艦名 分類 状況 BB-1031 ナス=ホルトハース(nath-horthath) 現役 BB-1032 カマン=タ(kaman-tha) 第二次大西洋海戦にて戦没 BB-1032 ナシュト(nasht) 第二次大西洋海戦にて戦没 合計 1隻運用中
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KC/S67-036 カード名:Гангут級戦艦1番艦 Гангут(ガングート) два カテゴリ:キャラ 色:緑 レベル:2 コスト:1 トリガー:1 パワー:5500 ソウル:1 特徴:《艦娘》・《戦艦》 【永】 記憶 あなたの思い出置場の《艦娘》のキャラが2枚以上なら、このカードのパワーを+5000。 【自】[①] アンコールステップの始めに、他のあなたの前列のレストしているキャラがいないなら、あなたはコストを払ってよい。そうしたら、このカードをレストする。 艦隊、出撃する! 私に続くがいい! 戦艦Гангут、抜錨だ! レアリティ:U 「艦隊これくしょん -艦これ-」5th Phase収録 Гангутの改二にあたる姿。 記憶でのパンプと、榛名と同じ疑似アンコールをもつ。 パンプの条件は思い出に《艦娘》のキャラ2枚。疑似チェンジ元となるГангутに加えて、暁型駆逐艦2番艦 響などと合わせて採用しよう。 タイトル内でのイベントは使用後に思い出になるものも多いが、このカードでは参照できない。しかし合わせて採用することで多くのカードを思い出に送り、圧縮を図るのも手だろう。 「два」の部分は日本語で表すと「ドゥヴァ」。ロシア語で2の意味。カード名を宣言する必要がある場合もあるので覚えておいて損はない。 ・関連カード カード名 レベル/コスト スペック 色 備考 Гангут級戦艦1番艦 Гангут 1/0 2500/1/0 緑 疑似チェンジ元
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B50型/ヒュドラ級ミサイル巡洋戦艦 備考 分類 ミサイル巡洋戦艦(BC) 前級 C30型/クトゥルフ級巡洋戦艦 次級 B70型/ヨグ=ソトース級戦艦 詳細↓ 備考 全長 280m 全幅 31m 満載排水量 52000t 機関 PE N3450 ネザー機関 ×4 CONAG方式 EMU G1840E ガスタービン ×4 合計出力 150000HP 最大速力 29ノット 乗員数 400名前後 武装 CCM11-3A 3連装819-1755弾頭可変装薬砲×2 VLS-6 18セル/短距離対空TNT-VLS(河村重工製速連射VLS) ×5 VLS-7 LSAM 160CB コマンドブロック式対空VLS ×6 VLS-7/8 SUM 324CB コマンドブロック式対潜VLS ×3 C1 AA1 44装薬88弾頭対空拡散砲×7 内蔵式大型対艦HACミサイル発射機×4 装弾数×8 76mm単装速射砲(MCH)×4 Mk15 RAM(MCH)×2 Mk15 20mmCIWS(MCH)×4 艦載機 発着艦スペースのみ C4Iシステム EWS-M3E 第3+世代型エクスカリバー戦闘システム RS-FCS ver7 mod8 レーダー MER-65D 多機能レーダー(EWS用発信機・受信機) SLR-185C 長距離捜索レーダー AMR-5 journey対mobレーダー 優れた戦闘能力と汎用性を持つ大型戦闘艦。 クトルゥフ級代替の中型巡洋戦艦、アスカロン級代替のミサイル巡洋艦の両計画が合流する形で誕生した。 大型艦ならではの高い塔裁量を生かし、対空・対潜・対地・対艦あらゆる面で抜きんでた強力な装備を有する。 特に、2基合わせて一度に最大3500個のTNTを投射できる主砲は、大型艦の少ないクラフタリア海軍にとって重要な火力投射手段である。 船体の防御能力も戦艦クラスであり、圧倒的な対空対潜戦闘能力と合わせて鉄壁の防御力を誇る。 現状最新のエクスカリバーシステムと高度なセンサー類を搭載し、味方艦との連携能力も非常に高い。 総合的には同盟海軍最高峰の戦闘能力を有しているが、多種多様な武装を搭載するが故か巨体に比して性能的にはやや中途半端。 予定より大幅に遅れたものの既に6隻が就役。調達コストの高騰と新型戦艦就役に目途がついたことから、後期型の調達は中止された。 本級の更新用として開発されたニャルラトホテプ級配備後も、しばらくは継続して運用されたが、 段階的に退役しつつある。 艦番号 艦名 分類 状況 BCG-51 ヒュドラ 初期建造艦 退役済み BCG-52 アフーム=ザー 初期建造艦 退役済み BCG-53 アウラニイス 初期建造艦 退役済み BCG-54 ゴル=ゴロス 初期建造艦 退役済み BCG-55 シャル=ウィグルト 初期建造艦 リオデジャネイロ沖海戦にて戦没 BCG-56 クトゥグア 初期建造艦 リオデジャネイロ沖海戦にて戦没 合計 0隻運用中
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登録日:2013/03/12(日) 09 20 00 更新日:2024/04/11 Thu 16 34 55NEW! 所要時間:約 5 分で読めます ▽タグ一覧 さらば宇宙戦艦ヤマト どうあがいても絶望 アニメ アニメ映画 ズォーダー 劇場版 古代進 名作 名作なのに黒歴史 宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち 映画 波動砲 涙腺崩壊 無理ゲー 特攻 白色彗星 白色彗星帝国 社会現象 黒歴史 『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』とは、1978年に公開されたアニメーション映画。 宇宙戦艦ヤマトシリーズの二作目にあたる。 【概要】 宇宙戦艦ヤマトの人気を受け、続編にして完結編という形で制作された。 新たな敵、白色彗星帝国との戦いを通して、ヤマト乗組員達の壮絶な戦いとヤマトの最期を描く。 興行収入約40億円という、現在はもちろん当時としても常識外れの数字(当時の邦画全体で4位!)をたたき出し、アニメ=子供だけが見るものという図式を覆した。 アニメ業界以外にもファンは多く、シリーズ最高傑作との声も名高い。 しかし、日本中を感動させた名作ではあるものの、その内容や結末は前作を知る者から賛否が分かれている作品でもある。 時系列は前作からたった2年後なのに地球が完全復興しているばかりか自然環境まで再生していることに対してはご都合主義との批判が多く、前作で人類滅亡を救ったヤマトは過去の遺物として人々から忘れ去られる寸前というそのストーリーも「薄情すぎる」という声があがった。 が、ヤマトの功績が忘れ去られているのは豊かさや発展に溺れ堕落した人間を描く為の演出であり(じゃあ時代背景変えればいいじゃんとか言っちゃやだよ)、 現実世界でも災害や事件が数年で過去のものとして風化してしまう事例は珍しくないので、 あながち間違った描写とは言い切れない。 今なお物議を醸しているのは、「前作のテーマと矛盾している」とも取れるそのラストシーンだろう。 公開から2ヵ月後、同年10月から「宇宙戦艦ヤマト2」というタイトルでテレビアニメ化され、エピソードを大量に増加、 結末も古代をはじめとした乗組員の何人かは生存と言う形に変更された。 この変更に関しては、「若者は生きて復興の苦しみを担うべき」という松本零士の主張を尊重したためとされるが、単に「『さらば~』だと内容的にもう続編を作れないため、もっと続編を作って儲けようと思った」という証言もあるため真相は不明。 その後、2の更なる続編として「新たなる旅立ち」が作られたため、本作はシリーズ中ではパラレルな扱いとなってしまい、 完成度も人気も歴代最高峰であるにもかかわらず、時系列上は黒歴史となった。 そのため、さらばしか知らない人が新たなる旅立ちを見て、「ヤマト沈んでなかったの?っていうか真田さんと雪って死んでなかったっけ?」と混乱したとかしないとか。 そういった面倒な経緯と、その後の続編群が不出来だったこともあり、 現在でも「ヤマトはpart1とさらば以外認めない」派と、「完結編までおk」派に割れていたりする。 【ストーリー】 宇宙戦艦ヤマトがイスカンダルから帰還して2年後の西暦2201年、地球は完全復興の道を歩み、人類はかつての繁栄を取り戻していた。 再び海は戻り草木は芽生え新たな都市が築かれ、太陽系内のあらゆる惑星は急ピッチで開発が進められた。 あのガミラスとの死闘、そして宇宙戦艦ヤマトのことさえ、人々は忘れようとしていた。 そんなある日、古代進が艦長を務める護衛艦が、遠い宇宙の彼方からの警告ともSOSともとれる謎のメッセージを受信する。 科学局で分析した結果、内容は「巨大な彗星は…」「次々と…」「宇宙全体が…」「一刻も早く…」という断片的なものであった。 時を同じくして、科学局では地球に近づく謎の巨大彗星を発見、事態を重く見た古代と真田は地球連邦に対策を具申するが、 平和ボケした防衛本部は取り合わないばかりか、防衛会議を批判した古代を糾弾し退室させる。 さらに旧ヤマト乗組員に防衛本部からヤマト廃艦が告げられる。 【登場人物】 古代進 ヤマト艦長代理 雪との結婚を控えていたが・・・ 『違う!断じて違う!宇宙は母なのだ!そこで生まれた生命は、全て平等でなければならない!それが宇宙の真理であり、宇宙の愛だ!』 森雪 生活班長兼レーダー手兼看護婦権etcetc。 古代との結婚式は、思わぬ形で行われることに・・・ 『宇宙遊泳でも何でもして帰ります!』 島大介 ヤマト航海班長。 ヤマトの出航にはついてこないかと思われたが… 『古代、上出来だよ。』 真田志郎 ヤマト技師長。 都市帝国攻略戦にて帝国内部に侵入するが・・・ 『俺がいなきゃメカのことはどうにもならんぞ。』 加藤三郎 艦載機部隊『ブラックタイガー隊』隊長。 月基地に配属になっていたがヤマト出航の噂を聞きつけて部下共々新鋭機『コスモタイガーⅡ』を持ちだして駆けつける。 『月面基地でもどえらい騒ぎだぜ。ヤマトが謀反を起こしたってな!』 斉藤始 陸戦部隊『空間騎兵隊』中隊長。 佐渡先生(…ということになっていたが実は防衛軍長官)の手引きでヤマトに乗り込む。 『技師長!慌てず急いで正確にな……!』 土方 第11艦隊旗艦(ゆうなぎ)の艦長。 白色彗星帝国に敗北したところをヤマトに救助されヤマトの新艦長に就任する。 デスラー総統 旧ガミラス帝国総統。 白色彗星帝国の客将となってヤマトと対峙する。 『ミル指令、私はヤマトと戦っているんだよ…』 タラン将軍 ガミラス帝国の数少ない生き残り。 第一作から出てるキャラだが影が薄かったせいか『2』ではほかの『さらば』初出キャラと一緒にキャラデザが一新されてしまった。 ズォーダー大帝 白色彗星帝国ガトランチス大帝。 黄金バットばりの高笑いが一番の特徴。 ↓のセリフからも窺えるように尊大で傲慢な性格だが、そう言い切れるだけの度量も備えたまさに宇宙の帝王。(2の最期とか2202とかはどうしてああなった) 『宇宙の絶対者はただ一人、この全能なる私なのだ。命あるものはその血の一滴まで俺のものだ。宇宙は全て我が意志のままにある。私が宇宙の法だ、宇宙の秩序だ。よって当然、地球もこの私のものだ。』 テレサ この物語のキーパーソン。要は女神枠。 反物質世界の人間で、通常物質と触れると対消滅を起こしてしまう。 人間型だけど身長20メートルくらいはありそう。 【音楽】 本作で話題になったのが、パイプオルガンによる「白色彗星」のテーマである。 白色彗星帝国の強大さ、恐ろしさをストレートに表した荘厳な曲であり、大抵の人が一度はどこかで耳にしたことはあるのではないだろうか? 宮川泰氏作曲で、演奏は当時高校生だった実子・宮川彬良氏だったりする。 この曲、作ったはいいが無茶苦茶難しいことと、パイプオルガン自体がレアな楽器だったため演奏できる人間がおらず、息子の彬良氏に演奏を任せたとのこと。 また、主題歌は当時人気を誇っていた沢田研二が起用され、「ヤマトより愛をこめて」は楽曲としても大ヒットを果たした。 当時ポップス系の歌手がアニメの主題歌を担当するのは異例中の異例であった。 もっとも、所属レコード会社の関係からサントラへの収録はそのままでは出来ず、当該作品にはささきいさお版が収録されている。 「巨大な冥殿は・・・次々と・・もし、このまま・・全消しさせられて・・・Wiki全体が・・・一刻も早く・・・・追記修正を・・・どうか・・時間がありません」 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 大帝 リメイク出るかな -- 松永さん (2013-03-12 09 52 30) ガガガファイナル3話の、元ネタなんだよな。 -- とおりすがり (2014-01-05 15 03 00) 『ヤマトは今、永遠の旅に旅立っていった…』「こ、これがヤマトの最期だというのか!?」byMADテープ -- 名無しさん (2014-02-08 09 10 23) ↑3 難しいなぁ・・・今度の映画、タイトルからして・・・なんか、「ヤマトがイズモ計画の箱舟として作られていたら」というIFものっぽいし; -- 名無しさん (2014-05-09 20 59 57) 斎藤の立ち往生に泣いた… -- 名無しさん (2014-05-20 12 21 47) うーん。テレサの設定はちょっとどうかな。確か反物質って対になる物質と接触したときに爆発するんじゃ?(水素だったら反水素と、みたいに) リメイクするときには、そこの設定をしっかりやり直してもらいたいなぁ。 「あらゆる物質の反物質を自在に作れる能力を持ってる」とか -- 名無しさん (2014-05-21 07 04 42) 2199だと白色彗星帝国がガミラスに追い込まれてたんだよな… -- 名無しさん (2014-05-21 10 34 16) 今、『星巡る箱舟』の予告見てきたけど、やっぱり『さらば』のリメイクなんだなぁ・・・。ラストはどうするんだろうか -- 名無しさん (2014-05-21 13 37 19) 続き。さらに公式ページのイントロダクション見てきたけど、もしかしたらさらばリメイクの序章みたいな感じなんだろうか? -- 名無しさん (2014-05-21 13 48 48) ゲームではストーリーが分岐しててコスモタイガー隊の山本を生還させられるのがうれしかった。 -- ??艦長 (2014-08-23 09 24 11) ゲッPーXでのパロディは評価されるべきマイナーだけどね -- 名無しさん (2014-08-23 09 43 18) 発進シーンは神。古代の「ヤマト、発進!」のセリフとともに「元祖ヤマトのテーマ」が流れるシーンは日本アニメ屈指の名場面。 -- ??艦長 (2014-08-26 18 27 05) そういえば、さらばでの雪の死因はなんだったんだろう? 衝撃で吹き飛ばされて体を強く打ちつけたことによる全身打撲が一番有力だろうか。あるいは、頭を打ったことによるものか、それとも爆発の衝撃で、デスラーに撃たれた傷口が開いたか・・・ うーん -- 名無しさん (2014-11-14 13 00 30) 2202では艦長、誰になるんだろう?やっぱり土方さんか、真田さんだろうか? -- 名無しさん (2016-09-08 13 35 44) 上から6番目の人。PS1ゲームの二作目のテレサがその設定に近かったはずだよ -- 名無しさん (2016-12-16 10 32 28) 2202、さらばと比べると、ヤマトの扱いに違いがあるよね。さらば→過去の艦扱い。あげくに廃艦処分 2202→大改装して引き続き戦力に。 まぁ、まだ3年前だし、真田さんの尽力もあってかもしれんけど。 -- 名無しさん (2017-02-14 15 43 04) 西条さんという有能なレーダー手がいるおかげで、新米の出る幕が……。まぁ、あのシリアスな面々の中で新米に混じられても困るわけだがw それと、ミルが普通の兄ちゃんになってたのがw -- 名無しさん (2017-12-07 18 52 06) 2202は、航空隊(加藤以外)と空間騎兵隊(斎藤とテレザートで戦死した者以外)が生存したのがよかったな。 -- 名無しさん (2019-06-29 17 38 05) 違反コメントを削除しました -- 名無しさん (2020-03-01 17 50 47) 「さらば」はヤマト2でのガトランティス戦役を映画化した「劇中劇」扱いされてても不思議じゃないよね。 -- 名無しさん (2021-11-01 00 15 00) 放映中&終了後暫くは散々な評価だった「2」だけど10年以上経ったら再評価されたよね。 -- 名無しさん (2021-12-04 02 52 09) 3年前のコメントにつけるのもどうかと思うが、どこで再評価されたんだろう……。宇宙戦艦ヤマトの時代で訳わからんところが説明されて理解者は増えたとは思うが、それを込みにしてもおおまけにまけて佳作がいいところだが -- 名無しさん (2024-03-14 18 22 52) 名前 コメント
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破軍天魔道長 破軍天魔道長 HP MP 命中 迴避 攻速 等級 110 4500000 65015 121 37 45 經驗值 武點 攻擊 絕對傷害 回血數值 65535 9500 1253 246 65000 隨機掉落物品 沉重的寶箱、華麗的寶箱、神秘的寶箱、初級武器卷軸、防具卷軸、首飾盒、紫玉髓、千年椴木、內力石、飛龍石、祕笈書、高級防具卷軸、寶石袋、神祕首飾盒
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編集する。 2021-12-08 18 58 52 (Wed) - [[]]とは、 videoプラグインエラー 正しいURLを入力してください。 リンク内部リンク 外部リンク 出典、参考 リンク 内部リンク [[]] [[]] 外部リンク 編集する。 2021-12-08 18 58 52 (Wed) - 出典、参考
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巨大戦艦 ブラスターキャノン・コア(OCG) 効果モンスター 星9/地属性/機械族/攻2500/守3000 このカード名の(1)の方法による特殊召喚は1ターンに1度しかできない。 (1):相手フィールドのモンスターの数が自分フィールドのモンスターより多い場合、 このカードは手札から特殊召喚できる。 (2):このカードが召喚・特殊召喚に成功した場合に発動する。 このカードにカウンターを3つ置く。 (3):このカードは戦闘では破壊されない。 (4):このカードが戦闘を行ったダメージステップ終了時に発動する。 このカードのカウンターを1つ取り除く。 取り除けない場合このカードを破壊する。 地属性 巨大戦艦 最上級モンスター 機械族 破壊耐性