約 97,845 件
https://w.atwiki.jp/tri-obog/pages/15.html
2008年 新年バトル年賀状大会 部員一同で新年を祝うために年賀状を使ったゲームを行った。 動機 年賀状は日本において新年を祝うための重要なコミュニケーションツールである。 しかし、近年その重要性が薄れてしまっているのは嘆かわしい事実である。 われわれはこの現状に対するアンチテーゼとして年賀状を使って新年を盛大に祝うことを企画した。 また、年賀状を大量に消費することにより、日本の経済を活性化させることも目的とする。 ルール 各参加者は、自分以外の参加者全員に対して年賀状を送る。 年賀状には必ず「キャラクターメイキング」に則って作成したキャラクターのデータを載せなければならない。 年賀状が全員に行き渡ったら、参加者同士でバトル年賀状を行う(ルールは、「バトル年賀状の戦い方」を参照)。 キャラクターメイキング フォーマットは以下を参照。 作り方は以下のとおり まず、各キャラクターは次のパラメタを持ちます HP:100 コスト:100 属性 プレイヤーが決めなければならないもの 名前:適当に考えましょう イラスト:適当に描きましょう 新年の挨拶、コメント:適当に書きましょう HP:100固定です 属性:『光』か『闇』のどちらかを選びましょう 技:後述。 技の取り方 基本的にコストを支払い、攻撃力を得ます コストを10支払う毎に単体への無属性の攻撃力10を得ます これをどこかのコマンド(1~6)に割り振ります 増強及び限定 敵全体に攻撃:支払うコストが2倍になります。 特定の属性に攻撃:支払うコストが半分になります。 回復:敵に攻撃する代わりに自分のHPを回復します。コストは変わりません 技の制約 ミスのコマンドを1つは作ること 回復に使えるコストは40まで(戦いが無駄に長くなるのを防ぐため) 無属性攻撃に最低30のコストを支払うこと(属性の偏りによっては勝てなくなる可能性がある為) コストは使い切ること コマンドのうち1~2個の名前に『必殺技』(あるいはそれに準ずる名称)をつけること バトル年賀状の戦い方 バトル年賀状で戦うためには以下のものを必要とする。 バトル年賀状(3枚以上) 6面ダイス(1つ以上) ダメージカウンター(ダメージを記録するための筆記用具) バトルの流れは以下のようになる。 1. プレイヤーはジャンケンなどで先攻・後攻を決める。 2. 各プレイヤーは、自分の持つバトル年賀状の中から1枚を選び、場に伏せる(バトル場)。 3. 各プレイヤーは、自分の持つバトル年賀状の中から2枚を選び、場に伏せる(ベンチ)。 4. 3.までの手順が完了したら、バトル場とベンチのカードを裏返し、データが両者に見える状態にする。 5. 攻撃側のプレイヤーは、自分のバトル場のカードとベンチのカードを入れ替えることができる。 (ただし、先攻の第1回目の攻撃時にはこれができない。これは、先攻によるアドバンテージを減らすためのものである) 6. 攻撃側のプレイヤーは、サイコロを振ることができる。これによって出たサイコロの出目とバトル場のカードを照らし合わせ、 効果に応じたダメージを相手側のカードに与える。 (この際、サイコロの出目がカードの「必殺技」に相当する場合、攻撃側のプレイヤーは技の名前を叫ばなければならない。 防御側のプレイヤーはそれに対して、「で、出たー!」などのリアクションを取らなければならない) 7. 攻撃によって、ダメージがHPを超えたカードがあれば、そのカードをゲームから取り除く。 8. 攻撃側と守備側を交代する。 9. 5.~8.までの操作を繰り返し、先に相手の場のカードを無くしたプレイヤーの勝ちとする。 結果 使用した年賀状の総数は100枚を軽く超え日本の経済および郵政公社の活発化に寄与した。 また部員一同で楽しくバトル年賀状を遊び倒した。 備考 サンプルキャラクター
https://w.atwiki.jp/wiki3_rino/pages/50.html
#blognavi 戦国武将バトン Q1、戦国ファン歴は? → Q2、あなたの戦国時代の知識源は? → Q3、好きな戦国武将をあげて下さい → Q4、上にあげた中であえて選ぶなら最も好きなのは? → Q5、逆に嫌い(好きになれない)戦国武将は? → Q6、この人にもっと長生きして欲しかったとその死を惜しみたくなる武将はいますか? → Q7、アツイと感じる合戦は? → Q8、あなたは信長、秀吉、家康の誰に一番似てると思いますか? → Q9、もし自分が戦国武将ならどんなタイプの武将? → Q10、戦国時代を全く知らない人に薦めたい書籍、マンガは? → Q11、そろそろ答えるの面倒くさくなってません? → Q12、あなたにとって「戦国時代」とは? → カテゴリ [バトン倉庫] - trackback- 2006年07月18日 00 43 43 #blognavi
https://w.atwiki.jp/gundamfamily/pages/6914.html
475 名前:年賀状準備1/2 :2012/12/12(水) 00 28 45.11 ID ??? キオ「なんなのこの年賀葉書の山は」 ガロード「何って、アムロ兄さんの知り合いに出す人数分の年賀葉書だろ?」 アセム「年賀葉書って…いくらなんでも多すぎだろ」 カミーユ「…今に兄さんもキオもわかる」白紙年賀葉書の山 ウッソ「たぶん、近いうちに出す相手が一気に増えるでしょうね」年賀葉書の束 シン「俺も一気に増えたからな…」年賀葉書の束 アムロ「まずは番振町の人たちからだな。ロラン、援護を頼む」 ロラン「わかりました。それじゃ行きますよ?」 アムロ「ああ」手帳を取り出し ロラン「まずは安藤さんのお宅から!」 アムロ「あいつに送るならついでにゾルダークさんとことラングラン地区のやつら全員に送ってくれ。たぶん届く!」 ロラン「次に伊達さんのお宅!」 アムロ「アイツに送るなら小林家とブランシュタイン家、あとバディムさんとこもだ!あと、一通は謎の食通宛に!そうすれば纏めて届くはずだ。」 476 名前:年賀状準備2/2 :2012/12/12(水) 00 29 57.19 ID ??? ロラン「次にカザハラさんのお宅ですが」 アムロ「アイツの家とマオさんとこは喪中だったな。何でも凶鳥がどうとか」 ロラン「南部さんのところは?」 アムロ「アイツの職場にブロウニングさんとラックフィールド、あとミズハさんもいるから纏めて一通にしておこう」 ロラン「ラヴレスさんのところはどうしますか?」 アムロ「あの娘の職場に最近、バランガさんとシュバイツァーさんの二人が来たらしいからそこも纏めて!」 ロラン「ダグラスさんお宅は!」 アムロ「長期外宇宙出張中で来年の春まで戻ってこないらしいから出さなくていいぞ!高倉さんのとことプレスティさんとこも同じだ!」 ロラン「イェーガーさんのところは?」 アムロ「もちろん送る!」 ロラン「ゾンボルトさんのところは僕が出しましょうか?」 アムロ「そうだな。頼む」 ロラン「グレーデンさんのお宅はどうします?」 アムロ「会社を立ち上げたらしいから、お祝いのメッセージ入りのを送っておこう」 ロラン「アルマーさんのお宅は?」 アムロ「ラヴレス家宛てに送っておいて届けてもらおう」 ロラン「メディオさんのお宅は?」 アムロ「ケントルム家のと一緒にして送っておこう」 ロラン「ラドクリフ家はどうします?」 アムロ「宛名にリムスカヤも足しておいてくれ」 ロラン「加納さんのところは?」 アムロ「今は遠峯さんのところに居候中らしいから一緒に送っておこう」 ロラン「小原さんのところとトラビスさんのところは?」 アムロ「そっちはシンに任せてあるから大丈夫だ」 キオ「ま、まだ出す相手がいるの…?」 カミーユ「まだ番振町だけだからな」カキカキ ウッソ「流さんのお宅だけで四軒出さなきゃいけないですからね」カキカキ ジュドー「永井市に入ってからが本番だよな」カキカキ 480 名前:通常の名無しさんの3倍 :2012/12/12(水) 03 09 38.00 ID ??? キース「俺達は思い違いをしていたのかも知れない。 ゲームに参加したからゲームで競演したキャラに年賀状を出さなければならないのだと しかし思い出してくれ。近年、マンガバンやショウセツバンなる者の存在が確認されていることを! 彼らはオリジナルとは別の個体だとマヤの文献には記されている。 俺達は思い違いをしていたのかも知れない…… ゲームに出演しているアムロさんやカミーユくんは兄弟家のアムロさんやカミーユくんだと。 だが彼らはノストラダムスの予言書に残されていた第三の未確認ドッペルゲンガー その名もゲームバンだったんだよ!! つまり競演した他作品のキャラに年賀状を出すのは兄弟家の人達ではなく、ゲームバンのお仕事なんだ!!」 488 名前:通常の名無しさんの3倍 :2012/12/12(水) 11 26 45.06 ID ??? 475-476 でも、一番キツいのは。 アムロ「移民船団にどうやって、渡せばいいんだよ。」 キラ「それに、数。シンみたいな、被ってる人は、いいけど、アムロ兄さんや、僕は、F.7.初代.プラスにも送らなきゃいけないから。」 シン「以外と、大変なんだな、おまえも。」 ヒイロや、アムロやカミーユはこれで苦しんでると思った。 489 名前:通常の名無しさんの3倍 :2012/12/12(水) 11 35 59.57 ID ??? 488 シン「ゼロ忘れんなよ?」 キラ「ああ、派生作品だとつい見逃しがちで…」 アムロ「(そう言えばあちらもシン君(CV,鈴村)か…)」 549 名前:年賀状準備α外伝 :2012/12/15(土) 14 00 21.98 ID ??? 他プロネタ注意 アムロ「すまないロラン。年賀状、まだ余っているか?」 ロラン「ええ、十枚ほどなら。まだ出す相手がいるんですか?」 アムロ「ああ、懐かしすぎて数人忘れていてね」 ロラン「兄さんでもそういうことがあるんですね。住所を書くの、手伝いますよ?どこ当てですか?」 アムロ「すまないな。四通は外宇宙のゾヴォーグと、一通はオーグさん家宛で…ああ、バルマーにも出しておかないとな」 キオ「な、なんか今、外宇宙とかそういう単語が出てきたんだけど」 ジュドー「アムロ兄さんだもの、外宇宙に知り合いの十人や二十人普通にいるだろ」 550 名前:通常の名無しさんの3倍 :2012/12/15(土) 15 10 21.53 ID ??? 前の方にいたイェーガーさんのとこの部下にアムロ兄さんもどきいるしな アムロ「いいか、あくまでそっくりさんであってクローンや生まれ変わりとかではないからな」 リボンズ「分かっているよ、未来の僕」 DOME「もちろん理解しているさ、過去の僕」 アムロ「だからお前らも赤の他人だろうが!」 551 名前:通常の名無しさんの3倍 :2012/12/15(土) 15 30 45.47 ID ??? 549 刹那「外宇宙と言えば、ELS本星や諸々の対話済み異星人の方々にも年賀状を出さなくては…」 キラ「向こうに文字文化あるかも不明だし、脳量子波通信で済ませちゃえばいいんじゃない?」 552 名前:通常の名無しさんの3倍 :2012/12/15(土) 16 21 34.15 ID ??? シン「セツコさん、ランドさん、ついでにクロウさん、よし。」 キラ「シン、誰か忘れてない。キーワードは、綺麗なSEED」 シン「やっば、一鷹さんとアリスんとこ忘れてた。」 DSとかのオリジナルって忘れてそうだよね
https://w.atwiki.jp/yamamura2/pages/11271.html
【TOP】【←prev】【PlayStation】【next→】 SIMPLE1500シリーズ Vol.85 THE 戦国武将 天下統一の野望 タイトル SIMPLE1500シリーズ Vol.85 THE 戦国武将 天下統一の野望 機種 プレイステーション 型番 SLPM-87008 ジャンル シミュレーション 発売元 D3パブリッシャー 発売日 2002-1-31 価格 1500円(税別) 駿河屋で購入 プレイステーション
https://w.atwiki.jp/gundamfamily/pages/1562.html
446 名前:通常の名無しさんの3倍 :2008/12/27(土) 18 49 17 ID ??? 刹那 「全工程終了」 ディアナ「大量のお年賀ですね。これをすべて刹那さんお一人で?」 刹那 「肯定だ」 ディアナ「アムロさん、セレーネさん、マイさん、シローさんの分をあなたお一人でこなしてしまうとは」 刹那 「弟として当然のことをしたまでだ」 ディアナ「偉いのですね。ですが、すべて手書き。なぜ?」 刹那 「印刷機に頼って楽をした年賀状を受け取って、先方は嬉しいか? 時間を使って手書くからこそ、そこに誠意が宿る」 ディアナ「ああっ。なんという兄弟愛なのでしょうか。わたしくは涙が出てきました」 ガロード「ディアナ様。それは違うんっス」 ディアナ「え?(涙吹き吹き)」 ジュドー「百聞は一見にしかず。刹那兄、この年賀状だけどさ、シャアおじさんトコの住所が間違ってるぜ。 書き直し書き直し」 刹那 「迂闊だった。すぐに書き直す」 ディアナ「正しい宛先を記入しましたね。あ、アムロさんのお名前を、凄く幸せそうに書き始めました」 ガロード「刹那兄にとって兄弟はガンダムだから、名前を書けるのはこの上ない幸せなんだよなあ」 ジュドー「ガンダムって姓も書けるから一挙両得。アムロ兄の名前書くときなんか、アドレナリン出まくりだし」 ディアナ「……」 ガロード「偉そうに誠意うんぬんとか言ってるけど、本当は自分から手伝わせてくれって頼み込んでるんっスよ」 ディアナ「ですが、ご多忙なお兄様方のお手伝いには変わりありません。 刹那さん。あとでマッサージしてあげますね」 マリナ 「お待ちくださいディアナ様。それは私がしますから」 ディアナ「いえいえわたくしが」 マリナ 「なんのなんの私こそ」 刹那 「作業完了。これより丸秘映像の視聴に介入する」 ディアナ&マリナ「ああっ。刹那(さん)!」 ガロード「なんだかなあ……。で、丸秘映像ってなんだ?」 ジュドー「またガンダムかヒタイダーじゃないの? アムロ兄のもどかしさが伝わってくるよな」
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/3621.html
登録日:2009/11/15 Sun 15 23 19 更新日:2024/04/16 Tue 17 39 31NEW! 所要時間:約 7 分で読めます ▽タグ一覧 Fateサーヴァントネタ元項目 Gackt お酒大好き チート デルトラクエスト トイレで死んだ偉人 上杉謙信 上杉輝虎 上越 人物 元祖白い悪魔 大河ドラマ主人公項目 女体化 女性説あり 対毘沙門天コンタクトヒューマノイドインターフェース 戦国時代 戦国武将 戦略兵器 新潟県 日本史 武将項目 毘沙門天 白井胤治 越後の白い悪魔 越後の龍 軍神 長尾景虎 上杉(うえすぎ) 謙信(けんしん)(1530〜1578)は戦国時代の人物、大名である。 幼名虎千代、別名長尾景虎、上杉政虎、上杉輝虎。生涯で多くの名前を名乗ったが、ここでは謙信で統一する。 越後守護代・長尾為景の次男として生まれた。幼い頃は寺に入って修行していたが、父・為景、兄・晴景の政治があまりに酷く、大規模な内乱を引き起こした。 内乱討伐軍、国内再建のため還俗して戦線に立つ。 しかし、その快進撃を目にした兄・晴景の疑心暗鬼により、兄とも対立する事になる。 最終的に守護・上杉氏の執り成しで和睦、長尾景虎として越後を治める事となる。領国経営を進める彼だったが、隣国・北信濃から多くの難民が越後に訪れる。 野心あふれる大名・武田信玄が信濃を攻略していたのである。無意味な戦を望まない長尾景虎だったが、この事態に対し挙兵。 5度にわたり川中島に対峙した。 また、北条氏との抗争に敗れ、落ち延びて来た山内上杉氏・上杉憲政を保護。 上杉の名跡、関東管領を継ぎ関東平定の為、関東にも進出、一時は北条家の本拠地・小田原城を囲んでいる。 さらに後年には同盟者・織田信長との関係が悪化すると、征夷大将軍足利義昭の請いに応じて挙兵を決意、手取川で織田最強といわれた柴田勝家の軍を鎧袖一触に破った。 しかし、直後に病死した。 死因は恐らく、酒と塩分の過剰摂取による高血圧から来た脳溢血とされる。 理由は後述にもあるように並外れた酒豪であった上、酒の肴に梅干し、味噌、極めつけに塩を好んで食べていたと言われているため。 3月上旬に城の厠で倒れたというのも、寒さの残る初春の越後であることを考慮すると納得がいく。 上杉家はその後謙信の甥で養子の上杉景勝が後を継ぎ、豊臣の時代で会津に栄転→関ケ原後米沢に減封と流転しながらも大名家として存続、現在まで続いている。 逸話 毘沙門天を愛し、信奉し、自らを化身と称した。陣旗にも「毘」「毘沙門」と記している。 義に厚かったと言われており、生涯の合戦のうちほとんどが他の武将などから救援を求められたことによるものだとか。 若い頃は、「そうだ、京都に行こう。」と僅かな軍勢で出発。事前に通行国に「京都行って来るぜ、通してくれ。」と通達する徹底振り。 酒も大好き。馬の上でも呑めるグラス、「馬上杯」を考案。乾杯! …飲酒運転? 北条氏から人質としてやってきた北条氏政の弟を養子とし、自身の初名である景虎の名を与え、非常にかわいがった。 宿敵・武田晴信(信玄)が今川氏の経済制裁を受け、塩の輸入を止められた際には越後の塩を送っている。後にこれが『敵に塩を送る』の故事になった。 でも今川の塩止めの記録はあっても、上杉が塩を送った記録は存在しないのは内緒である(単に塩の輸出を止めなかっただけともいわれている)。 長きに渡って戦った宿敵であった信玄との関係性について、後世では両者の間にある種の友情や愛情(男色的な意味で)があった好敵手と思われることが多いが、 実際には、少なくとも謙信の方は信玄を本気で嫌っていたようである。 これについては、謙信が潔癖なまでに同盟を守ったのに対し、信玄は少しでも相手が弱みを見せると容赦なく同盟を破棄して攻め入るなど対照的な部分があり、 そういった点について謙信は信玄のことを許せず、また、相容れないと感じていたのかもしれない。 尤も、謙信も織田と同名を結んでいても義昭が信長包囲網を形成しようとした際にはあっさり手のひらを返したり、 臣従した配下をサクッと見捨てたこともあるなど、信玄の事をそこまで悪くは言えないようなこともしているのだが。 また、食事中に信玄の訃報がもたらされた際には、思わず箸を落として「我、好敵手を失え、世に又これほどの英雄男子あらんや」と号泣したとも伝わっており、 険悪ではあったものの、戦国大名としての信玄の政治手腕や実力については謙信なりに一目置いていたのかもしれない。 合戦の勝率は9割を越え、天下に名を轟かすほどだったが、雪ですぐ帰る(補給線が延びきる)上に僻地の越後からの長距離遠征であった為、領土の拡張は北陸と一部関東に留まった。 その強さは恐らく歴史上最古の「白い悪魔」と喩えられる。(源氏の源義経という説も。) 以後、この系譜はフィンランドはヘイヘ氏、ミッドチルダは高町女史、地球連邦はアムロ氏に受け継がれている。 あまり注目はされないが内政にも手腕を発揮。 戦をするには大量の資金が必要であるが、交易、金山などに目をつけ運用することでそれを賄っている。 山内上杉家の重鎮太田資正からは謙信について「領民を慈しんでいる」と評されており、民政や殖産興業にも辣腕を振るって領民の生活水準の向上にも成功していた。 ちなみに女性説も存在する。 主な理由としては生涯不犯、定期的に腹痛を起こしていたこと(生理痛?)、緻密で丁寧な文書を書いていたこと等が挙げられている。 その為、よくそちら方面のゲームでは女体化され、にゃんにゃんされる。 女体化こそされずとも、性別不詳だったり中性的な容姿だったりすることも。 神罰が降ろうとも上杉神社に安置されている御神体を調べたいものである。 もっともこの時期は女性の領主も結構存在しており、わざわざ性別を偽るメリットが見当たらないため、女性説は俗説の域を出ないと見做されている。 2007年の大河ドラマでは謙信役にGacktが起用された。 「むさい坊さん」「渋いクール」などのこれまでのイメージを払拭しつつもどこか常人離れした新たな謙信像を作り出した。 2009年の大河ドラマでは「渋いクール」に戻ったが今までのイメージと少し離れたボサボサのバサラ髷である。 因みに裁判史にも大きな影響を残している。 ある時、謙信の若い部下が重度の軍法違反を犯して処刑されると言う事件が起こる。 証拠も十分で尚且つ犯した罪自体も処刑が当然と言う内容だったのだが、彼の父親が「裁きは当然だが父として耐えられない!!」と刀を抜いて事情を説明に来た使者に切りかかって近所一帯を巻き込む大乱闘の末に父親は斬殺、母親と妹は逮捕されてしまう。 謙信は 「父親は息子を失ったショックで突発的な発狂を起こしたのだ。家族にも止めようが無かっただろう。」 と、逮捕された母親と妹を無罪放免として、自分のポケットマネーで生活が落ち着くまで面倒を見てやった。 この「突発的な発狂の場合、家族は無罪放免」という判例は江戸時代にも継承されており、元禄赤穂事件に多大な影響を及ぼしたと言われている。 同じ公務中の刃傷事件でも 内匠頭の叔父の内藤忠勝→乱心認定されたので、姉や弟は無罪放免 浅野内匠頭→乱心認定されなかったので、弟は座敷牢送り、叔父は謹慎 と親族が連座されるかどうかで大きな違いが出ている(*1)。 浅野家家老の大石内蔵助達譜代家臣達は内匠頭の弟の浅野大学が無罪放免になっていたらその家臣として雇用されていた可能性が高いにも拘らず、その道を閉ざされたので仇討ちを叫ぶ強硬派に合流した一面も有るとされている。 ここから先、義将のイメージを壊したくない人は観覧注意 実は全く義将ではない。 戦いを一つのビジネスとして考え、関東遠征はそのたびに人をさらい物を奪っていた。 さらった人は人身売買に使っていた。 戦国時代の武将の中でもこれに対しては群を抜いていたという。 武田信玄に塩を送ったのも義ではなく敵国へのスパイが目的だった。 先述のように領民に対しては民政や産業を充実させる有難い君主だったので高評価が伝わっているが、敵国の領民に関しては容赦が無かった。 生涯不犯であったために実子がいなかったが、養子は四人も取っていた上に、跡目を誰に継がせるか明言しないまま謙信が急死したので家督相続の際に家中は揉めに揉め、 謙信が生前どちらかに家督を継がせるとしていた姉の実子である上杉景勝、北条家からの養子である上杉景虎の間でお家騒動の『御館の乱』が勃発。 その勝者となった景勝が上杉家の家督を相続したものの、上杉家の軍事力はこれによって低下した上、内乱の隙を衝いて攻め込んでくる者も出るなど、威信にも瑕が付く結果を招いた。 また、兄に不満を持った家臣に担ぎ上げられて家督を継いだ謙信だったが、相続直後はそれを不服とする一族に反乱を起こされたりと家中は揉めた他、 謙信の領国経営自体も、初動はあまり順調とは言えなかった。 どのくらいかというと、 内政、外交、戦、朝はおはようから夜のおやすみまで、大好きな酒の時間でさえも、父の長尾為景を引き合いに出されたりした。 あげく、 病弱で当主を交代した兄からもやいやい言われたりした。 謙信が何か行動を起こす度に、長尾家の古株達や越後の国人達にケチをつけられまくっていたのである。 好敵手の信玄も、家督相続の際には一悶着あったし、国人の扱いも金で解決と、わりと苦労しているのだが、 あちらは父親が超絶KYウルトラ脳筋だったのに対し、 こちらは今でこそ謙信自身の方が有名だが、当時は父親の「越後のチート」こと長尾為景の威光がそれこそ越後全体に知れ渡っていた。 家督を継いだばかりの謙信は、還俗したての坊主上がりとあまり良い目を向けられなかったのである。 これらの長尾家の態度にプッチーンした謙信は、 「長尾家のバカ!もう知らない!!」 と、 こないだまで居た寺に引き込もってしまう。 当然長尾家は大慌て、今更こちらをチラチラ見てくる兄者を当主に戻す訳にもいかず、更に、 大熊「なんかここ空気わりぃ。オレ武ちゃんとこに行くわ。」 と、空気を読まないクマーまで出て来てしまう。 そんな長尾家ヤバイの状況で、謙信は何をしていたかと言うと、 寺で昼寝 寺で昼寝 大事な事なので、二回言いました。 それを聞いた長尾家の愉快な仲間達は、 「コイツただもンじゃねぇ!」 と、勘違い(後筆)し、その日の内にあなたには逆らいませんという内容の血判状をしたため、寺に送り届けた。 謙信はこの血判状をみて長尾家に戻り、当主としての自信と自覚をもったという。 (長尾家マジどーでもいいと、寺で寝てばっかいたのは内緒) さらに無敗ではない。 さらに無敗ではない。 大事なことなので…。 たとえば1566年3月に上杉謙信は15000人の大軍を率いて、原胤貞以下2000の兵がいる下総臼井城を包囲し、 臼井城へ上杉軍の猛攻をかけ落城寸前までいった。 だが、たまたま城内に居合わせた男が関東一円に聞こえた軍師白井胤治で、落城寸前の城の指揮を原胤貞から託された。 胤治は「上杉軍は大軍で味方は寡勢であるが、士気はお味方の方が勝っています。かならずや、謙信めを蹴散らしてくれましょうぞ!」と士気を鼓舞した。 一方、「この程度の小城なぞ一気に攻め落としてしまえ!」と3月26日に謙信は総攻撃をかける。 対して、胤治はなんと城門を全開にして謙信の本陣目がけて突撃をかけ、不意をつかれた謙信軍は大混乱に陥り一時撤退を余儀なくされた。 翌日、「勢いに乗る白井はかならずや攻め込んでくるだろう」と本陣で手ぐすね引いて待っていた謙信だが、一向に敵は攻めてこない。 ついにしびれをきらした謙信は、海野隼人正が「本日は千悔日と言い、先に行動を起こすと敗れるという日です。敵城には白井浄三という名軍師がおり、おそらくその指図でしょう」と止めるのも聞かずに総攻撃をかけた。 それを待っていたかのように、胤治は臼井城の城壁を一気に倒し、轟音とともに取り付いた上杉兵数百を崩れた城壁の下敷きにした。 「はわわ」とばかりに謙信はあわてて全軍に撤退命令をだすも、城内から原の軍勢が一気に襲いかかり上杉軍は5000の死傷者を出して命からがら逃げたという。 なお、「領土的な野心を持たなかった」と言われることもあるが、これは関東、信濃方面の攻略が上手く行かないまま雪やら一向一揆やら謀反やら他国の侵攻やらで毎度引き返す羽目になっただけであり、越中などは普通に攻略し支配下においている。 先述の太田資正は 「謙信公の御人となりを見申に、十にして八つは大賢人、其の二つは大悪人ならん、怒りに乗じて為し給ふ所多くは僻事あり、是其悪き所なり。又勇猛にして、無欲、清浄にして、器量大、廉直にして隠す所なく、明敏にして能く察し、慈恵にして下を育し、好みて忠諫を容るゝ等の如き、是其の善き所なり。末の世には有り難き名将なり。是故に其八つは賢人と申すなり」 と評している。 勇気と状況分析力・判断力、部下の諫言の妥当性を理解して素直に受け入れる度量の大きさ、廉直さ、領民を慈しんで民政を充実させた実績は高く評価しているが、怒った時の残虐性は戦国時代の基準でもドン引きするレベルであった。 彼を取扱った作品 海音寺潮五郎「天と地と」 宮下英樹「センゴク天正記」 半村良 「戦国自衛隊」 ゲーム 太閤立志伝 戦国無双→上杉謙信(戦国無双) 決戦III 戦国BASARA→上杉謙信(戦国BASARA) 信長の野望 戦国大戦 戦国ランス 戦極姫→上杉謙信(戦極姫) 戦国乙女→上杉ケンシン(戦国乙女) 桜花センゴク 〜信長ちゃんの恋して野望!?〜 戦国✝恋姫 Fate/Grand Order→八華のランサー (上記7つでは女性として登場。信長の野望シリーズでは天道から性別の選択が可能となっている。BASARAでは中性的な容姿と口調で、担当声優は女性だが性別は不明) 極楽も 地獄も先は 有明の 月の心に 懸かる雲なし(*2) 追記、修正は、トイレで脳卒中で倒れない程度でお酒を嗜んでからお願い致します。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 近衛さんの事は 一生怨んだかな -- 松永さん (2013-10-31 00 22 16) ↑ぶっちゃけ関東連合軍は 謙信が川中島行ってる間に 上も下も 内訌どころでない状態だし 近衛さんが帰るのも しゃーない -- パキスタン (2013-12-01 02 07 05) 内政は下手だった 資源を奪う蛮族経営 信玄を見習えw -- 名無しさん (2014-02-12 04 28 18) 民にとっての義将は宿敵である皮肉にも北条氏康なんだよな… -- 名無しさん (2014-02-12 11 03 07) マジで屑野郎じゃねぇかwそら一揆が大量発生するわ…というか劉備似ているな(創作はいい人、正史ではヒャッハー) -- 名無しさん (2014-02-12 11 27 24) ↑3その蛮族経営で嫌われていた上杉家も、幕末になると越後で慕われていた。兵隊の強さは戦国期と比べると、弱体化。持っている銃はミニエー銃やスぺンサー銃などまあまあなんだが、西洋式軍隊としての練度が浅く、かつ戦った相手が装備・練度が十分な薩摩島津、長州毛利、松代真田といった連中で、あの会津武士をして「薩長真田に大砲なくば官軍破るもなんのその」と謳われるくらいの猛者。まぁ、上杉家は、上杉鷹山の財政再建路線が成功した結果、家臣団が文に重きを置き、武に対する備えがなっていないと、河井継之助は日記に記しているし、師匠の山田方谷も上杉家のやり方は鷹山当時ならあれでもいいが、幕末の動乱期にはそぐわないと河井に発言している。幕末期の当主・斉憲は鷹山の再来と呼ばれ、会津松平家などは幕府の政事総裁職に任命しようとしたほどだから、徳川時代を通じて、蛮族経営は改められたのでは。改めたのは外から来た鷹山だけど、その鷹山が幕末期の低迷の遠因を作ったのは皮肉というしかない。 -- 名無しさん (2014-03-09 15 30 13) 誰が言ったか不思議庵。 だがそれがいい -- 名無しさん (2014-07-20 08 11 08) 蛮族経営があったと言う根拠がよくわからないんだが -- 名無しさん (2014-09-19 07 56 05) 「上杉輝虎」で項目立てて「ここでは謙信で統一する」とかイミフ。しかも全然統一されてないという。 -- 名無しさん (2014-09-19 08 07 45) 上杉が蛮族なら武田とかどうなるんや、信玄が優しくかったのは甲斐だけじゃないの -- 名無しさん (2014-10-09 07 51 03) 本当に蛮族経営したかったらわざわざ山越えしてまで関東になんか行かねえだろう -- 名無しさん (2014-10-09 08 11 55) ↑信心深く、義にも篤いというのは嘘ではない……が、行って適当に戦ったら勝手に満足して帰るから助けを求めた勢力は「!?俺らの領地は?」ってことになる -- 名無しさん (2014-10-20 23 12 56) ↑勝手に満足、じゃなくて関東ばかりに力を入れてられないからな。信濃では武田、越中では神保がいるから遠い関東は後回しになるという。配下も何処かと結び付きたがるし。 -- 名無しさん (2014-10-29 13 29 57) 30代後半で後遺症残るレベルの脳梗塞、49歳で脳卒中でポックリて不摂生すぎんよ~。 -- 名無しさん (2014-10-30 00 11 02) ゲッテンカでの越後龍ケンシンは中性的な黒髪ロングイケメンだけど、後のパワーアップで性転換した。 -- 名無しさん (2014-11-29 22 36 27) 謙信ってわりと負けてないか? -- 名無しさん (2015-08-05 23 04 06) 人さらいをビジネスにしたってのは近年インパクトがあるせいで流布されてるネタだな。謙信が人市を開いたと判明してるのは小田城攻防戦の時の一回だけで金銭的には儲かるどころか赤字で事実上は捕虜の解放だったという話。籠城してる城の周辺の田畑を焼き払うのは当事ごく当たり前ときてる。 -- 名無しさん (2015-12-04 18 06 39) ↑2 戦争目的を果たしてないという意味での負けは多いが、戦闘そのものではほとんど負けてない。伊達に軍神扱いされちゃいない。 -- 名無しさん (2016-02-15 19 43 28) 女性説は歴史ロマンの一種ととらえておけばいいんだろうけどエキセントリックゆえか実際女でも不思議と違和感はない -- 名無しさん (2016-03-04 23 19 30) 人身売買云々言われてるけど、当時の人の多くは略奪や人身売買で稼ぐ目的で合戦に参加したんだよね。現代と違って生きるための食べ物やお金も事欠く&保証されない時代だし。 -- 名無しさん (2016-04-16 16 17 14) 行動原理分析や関係構築の石の置き方から女性の可能性を検討できる範囲というと二名かな。謙信と家重、この二名以外の女性説は全て笑い飛ばせる範囲だろうが、この二名についてはノーコメント。 -- 名無しさん (2016-08-19 20 18 12) 念のため、上の書き方だと強めに支持してるように思われるかもしれんが一応そういう意図ではない。どちらも継承にまつわる事前構造まで考えればあくまで歴史ロマンの段階におさまるものだろうと考えてはいる。どちらも通す道はあるが、あくまで「期待者の強弁」に拠ることになる。 -- 名無しさん (2016-08-19 20 33 13) なぜにタグにデルトラクエストが...... -- 名無しさん (2016-08-19 20 42 59) 無双だとかなり堅苦しい、おちゃらけた武田とバランスが取れてる。オロチでタッグ組んで敵になる面は正攻法でやると策の応酬ですごいうざい(褒め言葉) -- 名無しさん (2016-08-25 16 21 58) やたらマイナス面を強調してる上に主流じゃない説を真実みたいに書いてる酷い記事だなこりゃ。書いたのはアンチか何かか? -- 名無しさん (2016-09-24 01 12 08) ↑ 戦国武将の記事はそんなんばかりだし仕方ない。逆に島津関連とか信仰酷過ぎてドン引きする記事だし -- 名無しさん (2016-09-24 01 21 58) 一説によると酒飲んで酔っ払って領民虐殺したり酔っ払って部下の首はねたり酔っ払ってそこらに放火したり酔っ払ってゲロはいてぶっ倒れたり酔っ払ってトイレでくたばったりしてる素敵な人。酒癖悪かったのは事実な模様 -- 名無しさん (2016-09-24 02 53 46) ただ死んだ場所・・・トイレはまずいでしょ -- 名無しさん (2017-07-05 12 03 36) 研究書で当然のように河田長親との男色関係に触れられてて笑った -- 名無しさん (2017-07-05 12 36 28) この人がそうだったかは解らんが亡命者の保護も「義によって国を取り返すの協力しちゃるぜ! 協力したんだからお前俺の子分な(実質的に属国扱い)」するためだったりもするしなぁ、歴史上の美談は裏も考えないといけない -- 名無しさん (2017-09-27 10 53 54) 直接支配にはさして興味なかったと言えるが、それは越後の地理的要件で直接支配が難しかったからそういう思想になったとも言える。ある意味カルト宗教のように、間接的に影響を広げようとしていた感じ。 -- 名無しさん (2017-09-27 10 57 08) 革新、天道での戦闘力は異常。交戦した部隊が溶けていく、とよく言われるw -- 名無しさん (2017-09-27 14 53 09) 関羽の記事みたいに極端に実はクソ野郎って書きたいだけなような -- 名無しさん (2018-01-23 15 15 28) つか後半の記述読みにくいわ。歴史そんな詳しくないから手の付けようがないんだが、くどすぎてモヤモヤする -- 名無しさん (2018-01-23 18 03 54) 『戦国小町苦労譚』では、なんと、主人公の力でチートな豊かさになった尾張美濃に民たちの希望を見出し、なんと信長に降伏するというまさかの展開に。さらに主人公の尽力で断酒もする、という。御盾の欄の種がそのままだけどな! -- 名無しさん (2019-07-08 13 52 43) ある歴史家に言わせると、新田次郎の「武田信玄」と海音寺潮五郎の「天と地と」は、作者の両英雄への思い入れが強すぎて(つまり美化の度合いが強すぎて)シラケるという。その人が更に言うには、新田次郎の描く謙信(軽薄才子)と海音寺の描く信玄(自分で努力せず人の成果を利用しまくる男)が実態に近いのでは…というんだが皆さんはどう思われますか? -- 名無しさん (2020-05-14 21 08 16) なんか謙信も結婚してたって聞いた気がするんだが -- 名無しさん (2020-05-14 21 46 55) この時代掠奪なんてどの大名でも行ってるのになんで謙信だけやいのやいの言われるのやら…この時代に越後が越冬出来るだけの物資を何度も掠奪し尽くすって現実的じゃないだろうに -- 名無しさん (2020-05-22 03 59 16) 敵に塩を送るだが当時武田に塩止めを行っていた今川にとっては「敵に塩を送りやがって」だったかもな。 -- 名無しさん (2020-07-11 22 06 12) 記事後半に無駄にdisりまくってるあたりが、ありがちな歴史家の逆張り感が凄くて…せめて構成はどうにかしたいよねこれ -- 名無しさん (2020-10-12 13 11 35) ↑5いや、そもそもそんな奴主人公にした小説が面白いと思うか?まあ、それで面白い小説を書けるならそれはそれで読んでみたいが -- 名無しさん (2021-02-19 02 53 49) 後継者を指名せずに死去したために御館の乱を招いたが景勝と景虎に越後守護と関東管領の役職を分割相続させようとした説もある。 -- 名無しさん (2021-02-28 11 23 58) 実際はどんな人なんだったんだろう。しかし何というか、陰険な記事だ、 -- 名無しさん (2021-07-03 10 36 12) 戦国時代にコシヒカリがあったら天下を獲れてたかな? -- 名無しさん (2021-09-04 00 59 46) 武田信虎は脳筋じゃないし臼井城の戦いの経緯も講談の話 -- 名無しさん (2021-11-18 16 41 28) Wikipedia準拠の出鱈目ゴミ記事と言わざるを得ない -- 名無しさん (2021-11-18 16 41 48) 最大の問題は、後継者を指名してなかったせいで死後に一族にドロドロの内紛をさせたという…… -- 名無しさん (2021-12-24 02 32 26) こうも悪意に溢れていると、読んでいてつらい項目。 -- 名無しさん (2022-02-06 20 10 01) ↑8いや、両作品とも滅法面白いんですよ。もちろん両作品ともライバル側の描写は意地が悪いので比較しながら読むと(特に謙信の関東管領就任直後の展開。海音寺版謙信がいかにも爽やかな正義漢なのに対し、新田版謙信は京から来た近衛公を利用しまくるイヤミな男。一方、新田版信玄が大器そのものなのに対し、海音寺版信玄は「若い頃は美男子だったが今ではブクブクと醜く肥えている」なんて書かれちゃったりしています)。 -- 名無しさん (2022-03-17 23 19 21) 景勝か景虎か後継者決める前にポックリ逝ってしまったとか聞いたけどもし仮にどちらか決めていたとしても、後継者争い起こっていたのかどうか?(宿敵の息子勝頼が景虎支持から景勝に鞍替えしたら関東の北条がキレて、肝心の景勝も織田徳川相手の時には対して援護してくれなかったという) -- 名無しさん (2022-03-18 12 20 20) ↑どの道お家騒動に発展していた気がする。御館の乱が起こってる以上、それ以前からお家騒動の火種があったと考えるのが自然なので、その火種が遅かれ早かれお家騒動の発端になっただろうと思う。 -- 名無しさん (2022-06-14 00 50 37) そもそも謙信に子供が居れば養子を取る必要無かったんだけどね。武将にとって子供を作るのも仕事の内だし。 -- 名無しさん (2022-06-14 01 25 08) ってか景勝と景虎が後継者争い起こしたのも、家督指名しなかったというよりも出来なかったのが正解な気する。というのも景勝が上田長尾家の人間で謙信の三条家と仲悪かった上に、もう1人の景虎は北条家の支援を受けられる側ってのもあって家臣団が分裂したから謙信の一声で指名が出来なかったんじゃないかな。 -- 名無しさん (2023-02-16 17 02 04) センゴクのアレはまんまプーチン庵で何とも -- 名無しさん (2023-05-27 11 45 11) 謙信は次男のため本来は当主の資格はなく本人も幼少期は僧侶に成るつもりだったので戦国大名は割とイヤイヤやっていたのかもな。まあ、どう考えても坊主より武将の方が向いてるんだけど。 -- 名無しさん (2024-02-07 15 55 17) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/manner/pages/15.html
年賀状の「賀正」、「謹賀新年」などの挨拶の句を 「賀詞」といいます。 本来、漢字1~2文字の賀詞は、目上の人から目下の人へ 出す場合に用います。 目上の人への年賀状には「謹んで」という文字を含む 「謹賀新年」などを用います。
https://w.atwiki.jp/lolsarasi/pages/432.html
Troll暴言AFKなんでもありのガイジ
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/20643.html
登録日:2012/05/20(日) 01 39 21 更新日:2024/01/18 Thu 21 57 58NEW! 所要時間:約 6 分で読めます ▽タグ一覧 お坊ちゃん 二代目 五大老 備前宰相 八丈島 八丈島のトビウオ 宇喜多直家 宇喜多秀家 岡山城 岡山県 御曹司 戦国大名 戦国時代 戦国武将 武将項目 水泳部 豊家の貴公子 関ヶ原 慶長14年、関ヶ原の勝者家康は天下統一の仕上げとして豊臣に戦を仕掛ける。 太閤秀吉がその力を全て込めた居城大坂城。 そこにはかっての栄光を取り戻すため、豊臣のため多くの浪人、武将が集まっていた。 かっては土佐22万石の主 長曾我部盛親 秀忠3万を足止めした昌幸の子 真田信繁 宇喜多家57万石の筆頭家老であった 明石全登 黒田家では1万6千石を拝領した男 後藤基次 豊臣へ為、1千石をなげうち馳せんじた 毛利勝永 豊臣家臣筆頭大野治長の弟 大野治房 秀頼の乳兄弟、弱冠22の美男子 木村重成 かれら七将の他、薄田兼相、塙直之等の歴戦の強者達 しかし、大坂城の最高権力者は秀頼の母淀とその取り巻き達であり、七将らの発言力は弱かった。 又、この七将達も思惑はそれぞれ。真に豊臣の為に戦うは毛利、木村、大野くらいか…。 その時、浪人で溢れかえる大坂城の人だかりを掻き分けて本丸に向かう男が一人。 全身に水を滴らせ、息も絶え絶えだが、眼光鋭く人々は気押され、彼のために自然と道が出来ていた。 しかし、一介の城兵を城内に入れるわけにはいかぬと彼を遮る門番。しかし、そのずぶ濡れの男は一喝した。 その頃、殿中では真田、後藤らの野戦出兵策は退けられ、籠城と戦いの方針は決まっていた。 「真田殿、後藤殿の策を取れば勝てようものを……」 歴戦の武将達はこの大坂城の首脳陣を嘆くと共に、彼等を押さえ、七将すら束ねる強い指導力と実績を持つ男が居れば…と思わずにはいられない。 初めはそれを、秀吉の遺児、秀頼に期待したものだが、もはや望むべくもない…そんな時だった。 ――バタン!! ふすまを開き、ずんずんと上座に進む男。それはさっき、大坂城に現れたずぶ濡れの男だった。 「何者ぞ!!」 叫んだのは若き秀頼の忠臣、木村重成。 しかし、彼の後ろの淀殿や治長、いや、彼らだけでなく後藤や真田ですらその顔に驚きを浮かべ、ただ呆然とその闖入者の顔を見ていた。 「殿……」 明石全登がようやくといった感じで放った言葉に、重成を初め、その場に居た武将達は皆、驚きの声をあげた。 「宇喜多備前中納言八郎秀家、豊臣家の御危機を聞き、八丈島より 泳 い で 参 っ た !!!」 宇喜多秀家とは戦国時代の武将(1572-1655)。宇喜多直家の嫡男であり備前岡山57万石の大名である。 【経歴】 元亀三年に岡山城で直家の次男として誕生するも秀家が九歳の折に直家は病死してしまう。 当時、宇喜多家は織田家に臣従しており、信長の計らいにより本領は安堵されるが、しがない地方大名でしかなかった。 しかし、ここで秀家は運命の出会いを果す。毛利征伐に出向していた羽柴秀吉である。 経緯は不明であるが秀吉は幼い秀家にべた惚れ状態になる。 一説には母、円融院が大変な美貌の持ち主であり秀吉が調略されたとか。 ま、おサルさんは女好きで有名だからね! 他には直家と秀吉が毛利攻めで一緒になったときに意気投合し仲が良くなり、直家が自分の死に際し秀吉に秀家のことを託したという説もある。 【豊臣政権下の秀家】 秀吉から「秀」の一文字を賜って秀家として元服する。 秀吉の猶子となり、暫定であるが後継者候補となる。 正室に秀吉の養女である豪姫を迎える。おねと秀吉には子どもが出来なかったが、その二人に親交があった前田利家、まつ夫妻が養子に出したのが豪姫である。秀吉夫妻が豪姫を可愛がったのは間違いなく、その娘を正室として迎えた秀家への期待が窺い知れる。またこの件で秀家は名実共に準豊臣家の一員となり豊臣政権下の筆頭大名である前田家と親戚関係になる。後にこの婚姻で秀家は命を繋ぐことになる。 秀吉は明を征服した後は秀家を朝鮮か日本の関白にしたいと述べている。 朝鮮から帰国後、五大老に任じられ秀頼の補佐を任せられる。 と父と比較して、あまりにも毒々しくない豊臣の後継者として秀家は成長していった。 これには叔父兄貴恐怖症の忠家も安心しただろう。 だいたい直家は一切合切を暗殺で仕留めるなんて卑怯だよ……、おっと誰か来たみたいだ。なに、茶でも飲まぬかって しかし、秀家の栄達は養父、豊臣秀吉の死去で瓦解してゆく。 【関ヶ原へ】 秀吉没後の翌年に宇喜多家でお家騒動が巻き起こる。 原因は秀家の豊臣第一の政策による財政の悪化と家臣団の派閥対立とされているが、原因は不明である。 実際秀家は嫁にくっついてきた中村次郎兵衛を引き抜いて重用していたし、浪費癖もあったのでそれらが要因でないとは言い切れない。 このお家騒動の調停に失敗したことにより直家以来の優秀な家臣団は出奔してしまう。 忠家の息子である従兄弟・詮家とは折り合いが悪かったようでこの時の騒動で敵対し出奔、関ヶ原では東軍につき大名となって坂崎直盛と改名している。というかこいつが調停できない最大の要因だったんじゃ しかし粘着気質なDQNで千姫事件を引き起こし、家臣に殺害され改易された。 安心なんてできなかったね忠家… 慶長五年 徳川家康が会津征伐へ出向いた隙に石田三成、毛利輝元らと計って家康打倒の兵を挙げる。 その中で秀家は西軍の副大将として一万を超す軍勢を率いて関ヶ原の戦いに臨んだ。 宇喜多騒動で優秀な家臣団の多くを損失していたが、筆頭家老である明石全登により東軍の主戦力である福島隊と一進一退の攻防線を展開するが、 小早川秀秋の裏切りから戦線は総崩れとなり、撤退を余儀なくされる。 戦後、秀家は薩摩で捕えられる。 他の西軍首謀者が半月以内に捕縛されているのに対し、一人だけ二年以上逃げ延びていた。 死罪になる可能性もあったが親戚である前田家の嘆願もあり八丈島への流罪に減刑された。 そして、月日は流れて大坂の陣へ…… 「宇喜多秀家 八丈島より 泳いで参った!!!」 とはならず、大坂の陣より40年後にひっそりと死去した。 関ヶ原本戦に一軍を率いて参戦した武将では最も遅くまで生きていた。 なお共に流された宇喜多家の面々が八丈島で血脈を繋ぎ現代まで続いていたり、八丈島の方言に岡山方言由来と思われる言葉を残していたりと、ある意味では遠く離れた流刑先で大活躍している。 二代目としての評価は、徳川秀忠や上杉景勝に遠く及ばないかもしれないが、 豊臣恩顧の大名として唯一、豊臣を裏切らなかった男の最後はいかばかりのものだろうか。 その忠義は、10万石で復帰させようと打診されたものの秀家が固辞したという逸話からもうかがえる。 なお、冒頭のコピペは2ちゃんねるの大坂の陣スレで誕生した、 「宇喜多秀家が大坂方の総大将だったら…」←「八丈島から来るの無理w」というネタから生まれたものである。 追記・修正は八丈島より泳いでからお願いします!!! △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] きっと パパからは めっさ溺愛されたろうな~ -- 名無しさん (2013-12-01 14 53 39) どっちのパパなんだ……コピペのネタは他にもコーエーから出た「決戦」ってゲームで大阪城の豊臣軍に秀家がいたって話も聞いた事がある -- 名無しさん (2014-10-09 08 20 27) 八丈島で子孫も残し、その末裔はコミックトムの編集部にまでいる・・・とは「風雲児たち」でのみなもと太郎の談 -- 名無しさん (2016-01-02 18 06 23) 「幼い秀家にべた惚れ」でアッーかと思ったが秀吉は一般人出身だから衆道に興味ないんだっけ。才能に惚れ込んだ感じかな? -- 名無しさん (2016-08-24 14 43 30) そういえば、八丈島から泳いで渡って、徒歩で大阪まで行った人っているのかな? -- 名無しさん (2016-08-25 13 59 28) 1万5000の兵で6,000の福島隊と互角程度ではやはりイマイチだね -- 名無しさん (2016-09-16 22 48 25) 地形と装備と士気と体調なんかにもよるがな -- 名無しさん (2016-10-06 12 12 22) それにしても、大阪の陣スレってなんだよ、とつくづく思うww -- 名無しさん (2017-02-02 13 01 59) 創造の秀家は、なかなかイケメンだったw -- 名無しさん (2017-08-28 12 28 05) それと立志伝5の秀家は、関ケ原に負けると戦死してゲームオーバーになっちゃうのね。『泳いで参った!』やりたかったのに……。 -- 名無しさん (2017-08-28 13 40 01) 宇喜多の場合は八丈島で子孫を残したというか八丈島に閉じ込められたままだったというか・・・本土の一族が嘆願して呼び戻してもらえたら良かったんだがそれがよりにもよって粘着キチガイ坂崎直盛という -- 名無しさん (2017-08-28 20 29 45) どうでもいいけど、本当に八丈島から泳いで来られたとしてもそこから大阪城に行くまでに乾くだろ! ……え、街道は徳川方に抑えられてるから直接大阪湾まで泳いで行ったって? -- 名無しさん (2019-04-25 03 18 14) 関ヶ原の戦いに参加した大名クラスの武将の中では敵味方含めて一番長生きしたとか -- 名無しさん (2019-04-25 03 26 19) ↑大半が配流された流刑地での生活だがな。仮に大阪の陣で豊臣方に参加していたら、どうなっていたであろうか・・・。 -- 名無しさん (2019-04-25 12 57 07) 架空戦史もののなろう小説で、主人公が大阪の陣直前にタイムスリップしてきて、それで秀家と意気投合してリアル『泳いで参った!』して、大阪の陣の結果を変えちゃう、っというのでないかなぁ……。意外とありそうだと思うのだが。 -- 名無しさん (2019-04-26 12 16 14) ゲッテンカというアーケードゲームでは何故かプレイアブルキャラだったりする -- 名無しさん (2020-03-07 17 40 01) 八丈島から泳いで参るのは脈絡もなさすぎるので、ネタの由来についても書くか削除したほうが良いのでは。 -- 名無しさん (2020-12-30 12 50 45) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/20663.html
登録日:2012/02/13(月) 12 27 03 更新日:2024/05/04 Sat 19 13 15NEW! 所要時間:約 7 分で読めます ▽タグ一覧 うじ太と菅えもんとゆかいな仲間たち つくば市 カリスマ ドラ○もんとの○太のモデル フェニックス 不死鳥 人生送りバント 小田城の妖精 小田天庵 小田氏治 弱い方のおだ 戦国最弱 戦国武将 日本史 武将 武将項目 無能生存体 生きてるだけで丸儲け 織田‥ではなく小田 茨城県 謎の人気 戦国の関東には多くの名将が集った。 “相模の獅子”北条氏康 “鬼義重”佐竹義重 “道灌の再来”太田資正 そして“越後の軍神”上杉謙信 そんな凄い奴らを相手に戦い続けた一人の男がいる。 小田氏治 人は彼を不死鳥(フェニックス)と呼んだ―― ※呼びません 小田氏治(1534-1602)は日本の戦国大名。 関東常陸(現在の茨城県)の名門・小田氏の第14代当主小田政治の嫡男として生まれ、後に第15代小田氏当主となる。 父・政治はなかなかの名君で、三男でありながら小田家のお家騒動を纏めて当主となり、小田氏の勢力を拡大させる事に成功していた。 しかし、晩年は河越城の戦いに反北条連合側に参戦し、北条氏康に散々に破られる(河越夜戦)などしており、若干傾いた状態で家督を継いだ。 家督を継いだ氏治だが、斜陽の小田家を狙う北常陸の佐竹氏や北関東の結城氏・多賀谷氏諸侯からの圧迫に苦しめられる。 当時は戦国時代真っ只中。 諍いが起これば当然武力衝突に発展し、戦になる。 ◎最強? 最弱? 不死鳥氏治様ってどんなヒト? さて、ここからが彼の本領である。 上杉謙信を常勝の将、北条氏康を無敗の将とするなら 小田氏治は必敗の将であった。 そう、彼は天才的なまでの超絶戦下手だったのである。 戦に出ればとにかく負ける。 有能な家臣の諫言は耳に入れない割に、敵の挑発や偽報にはあっさり引っかかるという残念仕様。 本拠地・小田城も防御力が当時の城郭としては最低ランクだったらしく、あっさり根城を奪われる事も珍しく無かった。 と、ここで終わるならだだの凡将であるが、彼は違った。 彼の真骨頂は負けた後、たとえどれだけの大敗を喫し、本拠地・小田城を奪われようとも、必ず小田城に返り咲くのである。 戦に敗れては再び舞い戻る。 その数、記録として残っているものから分かっているだけでも奪還8回。 氏治が不死鳥と呼ばれる所以である。 戦下手なのに復活劇を繰り広げられた理由としては諸説あるが、基本的には小田家300年の歴史と配下の菅谷政貞・範政親子の有能っぷりにある。 小田領民は氏治(小田家)の統治に完全に手懐けられており、他国人が小田城領主になっても心服せず、氏治だけに年貢を納めたという。 また、寺社勢力との強い結びつきから、本来軍隊など入れない境内に特別に軍を入れることができ、言わば完全な安全地帯を持つことができたとの話もある。 そして領民だけに留まらず直接の家臣団からも信頼が篤かった。 例えば、毎年の大晦日には氏治主催の年忘れの宴会が居城で開かれており、無礼講で飲んで歌って大騒ぎしながらみんなで楽しく新年を迎えるのが恒例行事だった。 なんだかんだでこの人柄の良さが様々な人間を惹きつけたのか、それともカリスマだったのかはわからないが、どれだけ負けても不思議と多くの兵を集める事ができた。 ちなみにその宴会のスケジュールが漏れたため太田資正 佐竹義重に襲撃されて城を奪われたこともある そして、氏治を語る上で外せないのが菅谷政貞と範政の親子。 的確な助言を行える知略と殿軍を引き受ける勇気、さらには決して裏切らない忠節をも持ち合わせた名将であった。 仕える人間間違えたとか言うな ちなみに氏治の戦の基本パターンは 敵侵攻→出陣→敵の計略→配下の助言(無視)→計略に引っかかる→敗走→小田城陥落→氏治「助けて菅えも~ん!」→小田城奪還 この流れである。このパターン8回も続けていても離れて行かない家臣って一体……。 後に北条家と同盟を結び、佐竹氏に対抗するもやっぱり敗れる。 さらには佐竹氏と同盟関係にあった越後の龍・上杉輝虎(謙信)が襲来。北条方の一員でもある小田家に牙を剥いた。 なお、この時氏治は数も質も勝る上杉軍に対し、正面から挑んだ。(結果は当然ながら敗北し、菅えもんの息子が殿軍を買って出て討死した) 謙信は当然夜討ち・朝駆けを警戒していたが、氏治はその斜め下を行くまさかの無策正面突破。 しかも、川岸で背水の陣を張るという、死ぬ気満々としか思えないものだった。 その後も小田城を取ったり取られたりしていたが、佐竹氏所属の太田三楽斉(資正)により陥落、 小田城に防備増強(魔改造)を施され、以後小田城を取り戻す事はできなかった。 以来土浦城などに拠って小田城奪還の機会を窺い、佐竹に(表面上)臣従したり、上杉に臣従したりしていたが、 1590年に豊臣秀吉の小田原の役が起こる。 豊臣と懇意だった佐竹を敵対視し、北条への恩義もあって小田原に参集しなかった小田家は当然改易。 ここに戦国の不死鳥・小田氏治の野望は潰えた。 なお、氏治自身はその後、徳川家康の息子・結城秀康に拾われ、1602(1604年説も)に天寿を全うした。 あれだけ戦に負けたのに人生を最後まで生き抜いたのは驚嘆に値しよう。 ◎不死鳥・氏治様の華麗なる戦歴 1556年 結城氏に海老島の戦で敗れ、小田城落城 ↓ 約半年後、氏治小田城奪還 1558年 上杉、佐竹らに山王堂の戦で敗れ、小田城落城、氏治藤沢・土浦に落ちる ↓ 半年後、氏治小田城を奪還 1564年 佐竹勢に攻められ、小田城落城、氏治土浦へ ↓ 一年後、氏治小田城奪還 1566年 上杉、佐竹勢らに攻められ、結城勢と交渉の上、小田城「開城」 ↓ 当然の如く、氏治小田城を奪還 1569年 太田三楽、梶原、真壁らに手這山合戦で敗れ、小田城落城、氏治土浦、藤沢に (こののち小田氏の主力は、土浦、藤沢両城に移る) ↓ 二年後、氏治小田城を奪還 1572年末~1572年元旦、太田三楽により、小田城最後の落城 (これが上述してある宴会襲撃での落城) ↓ 藤沢城→土浦城→手子生城と順に落されていき、滅亡 ◎なんでこんなに落城・奪還を繰り返したの? 北条氏や佐竹氏親子2代に加え、上杉謙信まで出てきて奪い合いが繰り広げられたこの小田城。 ココってそれだけ戦国史においてそんなに重要な戦略要衝なの? と思われるだろう。 結論から言うと、大大名たちが血眼になって奪い合うほどの価値は特に無い。 どちらかといえば欲しかったというよりかは、その他大勢の勢力が持つその他大勢の城の1つでしか無いのだが 小田氏治が必死になって取り返しに来るからこっちも取り返し、取り返され、また取り返しが繰り返されただけとも言える。 小田城は1192年、鎌倉殿こと源頼朝の部下・八田知家が築城。八田知家の息子である知重が名字を「小田」に改めた。 築城された頃の鎌倉時代のお城のメジャーな作り方は『平城(ひらじろ)』と呼ばれるもので、いわゆる石垣で高さを盛ることもなく平地にそのまま立てていた。 ゆえに大阪城や名古屋城のような天高いタイプの城ではなく、田んぼの真ん中にデカめのお屋敷がある姿をイメージしてもらいたい。 そう、平地にあるから攻めやすいのだ 小田氏治のへっぽこさも原因だが、場所が場所なので数で襲いかかればあっという間に負ける作りも原因。 だから奪い返した分だけ落城回数が増え続けるのもしょうがないのだ。 そんな危険すぎる城が重要拠点になり得るのは到底無理。 実際奪った側も「こんな攻めやすいし攻められやすい城いる????」と思ったのか、 1556年の第1回落城後に奪還できたのも、結城氏がなかば放棄に近い形の扱いにしていたため空き家を襲撃する形だったから勝てたというのも大きい。 にも関わらず、ここまで氏治は奪還と居住にこだわったのは、鎌倉時代から数百年続く由緒正しい先祖代々の『誇り』を守りたかったからなのかもしれない――。 ◎小田氏治と愉快な仲間たち ☆菅谷政貞・範政 みんな大好き、菅えもん。 うじ太くんが困った時には必ず救いの手を差し伸べてくれる忠義の士。 小田家滅亡後は忠節が認められて徳川家の旗本になり、明治維新まで代々続いた。 ☆沼尻又五郎・野中瀬鈍斉 土浦城落城の際に、ボンクラ氏治様の身代わりとして切腹し、見事主君を逃がした。 菅えもんの陰に隠れがちだが、立派な忠臣。 ☆佐竹義昭・義重 うじ太くんの永遠のライバル。というか天敵 小田家にとっては父の義昭ですら手一杯だったのに、息子が鬼義重(ジャイアン)という無理ゲーを強いられた。 ただし義昭は氏治の事を「優れた才覚の持主」と評価している。 ☆太田資正・梶原政景 北条キラーと名高いが、実態は小田キラーな親子。 召し抱えて対佐竹の先鋒として前線の城を任せたところ、城ごと佐竹に寝返ったスネ夫のような武将←なんて言っていたら2019年の朗読劇『信長の犬』で本当にスネ夫の中の人が資正に。 氏治の性格を熟知しており、幾度となく彼を罠に嵌めた。 ☆上杉謙信 戦国最強と名高い越後の軍神。 小田城を舞台に最強vs最弱の戦いが繰り広げられた。 ☆豊臣秀吉 ラスボス。虫の息だった小田家の息の根を止めた。 ☆結城秀康 うじ太くんにとってのささやかな救い(ついでに政景ら資正の息子2人も家臣に)。でも本人は家康の次男坊なのに生まれた時期など色々な意味で間が悪かったせいで徳川家を継げなかった可哀そうな人。 【各種ゲームでの活躍】 戦国無双シリーズ モブ。 たまーーーーーに上杉軍シナリオで敵で出てくるくらいしか出番がない。 戦国大戦、英傑大戦 出番なし。カードになるどころかNPCとしても未登場であった。 精神的続編の英傑大戦でも2023年10月現在未実装。 太田資正・梶原政景兄弟は優秀な騎馬隊として登場した。 信長の野望シリーズ 比較的威厳がありそうな顔グラを頂いているが、能力は40~50前後という微妙に残念な状態。 しかもこれでも持ち直したほうであり、酷いときは武勇19という低すぎる数値だった事もある。 圧倒的なカリスマを持っているのだからその辺りは再現してやってもいいと思うのだが…。 「大志」では各戦国大名に「志」という要素があり、特に著名な武将には固有のものが設定されている。 そんな中我らが氏治も「不死鳥が如く」というらしいものを所持、しかもその効果は 「無謀なる勇」 大名部隊が潰走しても戦況悪化なしなだけでなく、潰走した部隊の復帰が早い上強化されるが、家臣が提案しにくい。 「皆の声が聞こえる」 勢力の民忠、仕官10年以上の家臣の忠誠が上がり、拠点を失っても民忠が下がりにくいが、デメリットとして必要収穫を下回ると民忠が大幅低下する。 という、弱小勢力で進めるにはうってつけの内容となっている。 戦極姫シリーズ 3から登場し、以後シリーズの顔として大活躍する。 と言ってもネタキャラなのには変わりなく、氏治の勘に頼るなというイベントまである。 能力は政治はそこそこだが戦闘系は絶望的。放っておくとすぐに国が滅んでしまう、ある意味らしい扱いであった。 人気が出たためか、4の追加コンテンツである遊戯強化版弐ノ巻ではとうとう小田家シナリオが追加され、メインヒロインの一人となった。 以降の作品でもリストラされる事なく、デザインは変更されつつも最新作まで連続出演中。 そしてなんと、シリーズ10周年記念作品の真戦極姫では織田信長と並ぶ二大ヒロインとして抜擢された…のだが、ブランド母体であるシステムソフト・アルファーがゲーム事業から撤退してしまい、残念ながら発売日未定のまま音沙汰が無くなってしまった。 氏治「菅えも~ん、追記・修正してよぉ~」 菅えもん「しょうがないなあ、うじ太くんは」 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 本家ウィキにも「常陸の不死鳥」という表記があって思わず笑ってしまった。 -- 名無しさん (2013-11-04 11 23 44) この項目なかなか面白くってよ -- 名無しさん (2013-11-07 22 58 01) 『不死鳥』を『不死鳥(笑)』に変えたい衝動に駆られるw -- 名無しさん (2013-11-07 23 29 06) HELLSINGのペンウッド卿みたいな武将だな。 -- 名無しさん (2014-07-10 20 11 47) 元々地元の名族な上に父親は足利将軍の従兄弟だから求心力は高いよな……勝てない訳ではないんだ、佐竹氏が強すぎただけなんだ -- 名無しさん (2014-10-09 10 22 38) しれっと関ヶ原の後も生きてたのかwww -- 名無しさん (2014-10-29 22 52 47) 立花然り鍋島然り、有能かつ忠節MAXの武将は悲しくも熱くなる -- 名無しさん (2014-11-11 06 52 30) ついにNHKデビュー -- 名無しさん (2014-12-28 10 30 38) 本当になんなんだアンタはwww -- 名無しさん (2015-02-11 19 36 01) 最近の、信長の野望シリーズには出てこないんだよなぁ…… -- 名無しさん (2015-09-17 07 06 06) ↑創造では普通に小田城も出てくるんだよなあ -- 名無しさん (2015-09-17 18 56 07) でも、もしかしたら当時、佐竹家臣「殿!小田氏治が我が小田城を攻略しました!」 佐竹パパ「また奪還されたのか!?えぇい、あの男は不死鳥か何かか!?」ってやりとりがあったりして。 -- 名無しさん (2016-02-24 18 37 23) 最後の定番のセリフは、『天翔記の小田家で天下統一した人に~』でもいいかもしれぬww -- 名無しさん (2016-03-04 11 17 37) 一応対上杉軍は無策正面突破じゃなく、過去に自身が引っ掛かった沼地に相手を誘い込もうとしたら相手のほうが先に陣取りしてて調査済みであっさり突破されたから…らしい。しかし召し抱えたばっかのを重要拠点に配置なんて正気の沙汰じゃない -- 名無しさん (2016-08-25 15 11 01) 小田氏治(おだしおさむ) 「小田氏!飲みに行こうぜ~」 -- 名無しさん (2016-09-19 20 58 18) 茨城は地元の武将が多くて話題に事欠かないが、その中でも佐竹さんに並んで話題にしやすい人 -- 名無しさん (2016-09-19 21 03 35) そろそろ彼が主役の大河出てこないかしら。 -- 名無しさん (2017-01-31 14 18 56) 戦国時代の戦の資料っていまいち信頼できないものばっかりだから、実際のところは奪還できてる以上そこまで無能でもなかったのでは -- 名無しさん (2017-09-29 11 55 02) 野望最新作の大志で新グラとまさかの固有の「志」持ち!その名も「不死鳥が如く」…公式も採用しやがったw -- 名無しさん (2017-10-30 01 02 32) ↑ど、どこだ!?ソースはどこだ!?(@_@ -- 名無しさん (2017-10-30 07 41 45) ちなみに小田氏治と佐竹義重ははとこ(氏治の祖父の妹が義重の祖父の妻) -- 名無しさん (2018-05-25 00 13 31) ついにNHKで取り上げられることに。なんて人気なんだ…。 -- 名無しさん (2018-06-13 13 07 17) 今日なのか。忘れないようにしておこう -- 名無しさん (2018-06-13 13 34 14) いよいよ小田氏治が全国区かぁ……放送楽しみだ -- 名無しさん (2018-06-13 18 48 03) >対上杉軍の作戦ということは、うじはるくん渾身の作戦=上杉軍にとってはやっていて当たり前の基礎レベルで意識に差があったということでは…? -- 名無しさん (2019-07-15 06 47 00) 戦極姫シリーズだとやけに推されてて、4の遊戯強化版で他の有名どころと並び小田家ルートが追加。それどころか10周年記念作品である真戦極姫で織田信長と並ぶタイトルヒロインに抜擢されるという、製作者に小田家家臣の子孫でもいるんじゃないかってぐらい。 -- 名無しさん (2020-02-09 01 01 07) 江戸時代の創作ってわかってるとこまで事実含めるのはどうかと思う -- 名無しさん (2022-04-23 18 41 13) 戦が下手なだけで(あの時代では致命的たが)内政はできてたからこその不死鳥だとおもわれる -- 名無しさん (2022-04-23 18 54 17) ていうか野戦で敵を打ち破ることも度々あるし言われる程の戦下手じゃないんだよね。大敗した時の話ばかり面白おかしく誇張気味に語られてるだけで -- 名無しさん (2022-08-25 23 22 53) ちなみに大敗と落城が目立つから最弱扱いされがちだけど勝ち戦も同じぐらいあるしなにより佐竹にとっては途中から北条家と組んでいたとはいえ最後まで常陸統一の障害であり続けた難敵だった。 -- 名無しさん (2022-09-27 19 50 30) 菅えもんが報われたようで本当に良かった -- 名無しさん (2022-11-11 11 54 24) 本当に最弱で戦下手ならまずさっさと滅んでるからな -- 名無しさん (2023-09-17 22 49 17) 名前 コメント