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不運にも憂いに沈んでいる人が髪などを剃《そ》って、世をつまらぬものと思い切ったというのよりは、住んでいるのかいないのかと見えるように門を閉じて、世に求めることがあるでもなく日を送っている。 というほうに自分は賛成する。 顕基中納言《あぎもとのちゆうなごん》が「罪無くて配所《はいしよ》の月が見たい」と言った言葉の味もなるほどと思いあたるであろう。
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女は髪の毛のよいのが、格別に、男の目につくものである。人がらや心がけなどは、ものを言っている様子などで物をへだてていてもわかる。ただそこにいるというだけのことで男の心を惑わすこともできるものである。一般に女が心を許す間がらになってからも、満足に眠ることもせず、身の苦労をも厭《いと》わず、堪えられそうにもないことによく我慢しているのはただ容色愛情を気づかうためである。実に愛着の道は根ざし深く植えられ、その源の遠く錯綜したものである。色《しき》、声《しよう》、香、味、触、法の六塵の楽慾も多い。これらーはみな容易に心からたち切ることもできないではないが、ただそのなかの一つ恋愛の執着の、抑え難いのは老人も青年も智者も愚者もみな一ようのように見受けられる。それ故、女の髪筋でつくった綱には大象もつながれ、女のはいた下駄でこしらえた笛を吹くと秋山の鹿もきっと寄って来ると言い伝えられている。みずから戒めて恐れつつしまなければならないのはこの誘惑である。
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欝屈のあまり一日じゅう硯にむかって心のなかを浮かび過ぎるとりとめもない考えを.あれこれと書きつけてみたが、へんに気違いじみたものである。
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久我相国(太政大臣源雅実公)は殿上で水を召上る時、主殿司《とのもつかさ》が土器《かわらけ》を差上げると、わげものを持って参れと仰せられて、わげもので召し上った。
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死後のことをいつも心に忘れずに、仏教の素養などがあるのが奥ゆかしい。
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高野の証空上人が京へのぼろうとしていると、細い道で馬に乗っている女に行きあったが、馬の口引きの男が馬の引き方を誤って上人の馬を堀のなかへ落してしまった。上人はひどく立腹して「これは狼藉《ろうぜき》千万な。四部の弟子と申すものは、比丘《びく》よりは比丘尼が劣り、比丘尼よりは優婆塞《うばそく》が劣り、優婆塞より優婆夷《うばい》が劣ったものだ。このような優婆夷|風情《ふぜい》の身をもって、比丘を堀の中へ蹴入れさせるとは未曽有の悪行である」と言われたので、相手の馬方は,「何を仰せられるのやらわかんねえよ」と言ったので、上人はますます息巻いて「なんと吐《ぬか》すか非修非学《ひしゆひがく》の野郎」と荒々しく言って、極端な悪口をしたと気がついた様子で、上人はわが馬を引返して逃げ出された。尊重すべき、天真爛漫、真情流露の喧嘩と言うものであろう。
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誰も彼も、自分に縁の遠いことばかりを好くようである。坊主が軍事に心がけ、田舎武士が弓術を心得ないで仏法を知った様子をしたり、連歌をしたり、音楽を好んだりしている。それでも、至らぬ自分の道でよりも、別の道楽のおかげで人から馬鹿にされるものである。坊主ばかりではない。身分の高い公卿や、殿上人など.上流の人たちまでも、大方は武を好む人が多い。 百戦して百勝したからと言ってまだ武勇の名誉は許されない。というのは、運に乗じて敵を粉砕する場合は、何人とて勇者のようで無い人もあるまい。兵士は尽き、矢種が絶えて後でも敵には降らず安らかに死について、そこではじめて名誉をあらわすことのできるのが武道である。生きているほどの人は、まだ武を誇ってはなるまい。武道はそもそも人倫に遠く禽獣に近い行為なのだから、その家柄でもない者が好むのは無益のことである。
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後宇多院の御所の大覚寺殿でおそばつかえの人々がなぞなぞをこしらえて解いているところへ、医師の忠守が参ったので、侍従大納言|公明《きんあきら》卿が「わが朝のものとも見えぬ忠守や」となぞなぞにせられたのを「唐瓶子《からへいし》」と解いて笑い合ったので、忠守が気を悪くして出て行ってしまった。
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十月の頃、栗栖野《くるすの》という所を過ぎてある山里へたずね入ったことがあったが、奥深い苔の細道を踏みわけて行ってみると心細い有様に住んでいる小家があった。木の葉に埋れた筧《かけひ》の滴《したたり》ぐらいよりほかは訪れる人とてもなかろう。閼伽《あか》棚に菊紅葉などを折り散らしているのは、これでも住んでる人があるからであろう。こんなふうにしてでも生活できるものであると、感心していると、向うの庭のほうに大きな蜜柑の木の、枝もたわむばかりに実のなっているのがあって、それに厳重に柵をめぐらしてあるのであった。すこし興がさめて、こんな木がなければよかったのになあと思った。
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家屋の北側の日かげに消え残った雪が固く氷りついたのに、差し寄せた車の轅《ながえ》にも雪が凝ってきらきらしている。明け方の月は冴え切っているが、隈無く晴れ渡ったというほどの空でもない。と見るあたりに人目に遠い御堂の廊下に、身分ありげに見える男が女と長押《なげし》に腰をかけて話をしている有様は、何を語り合っているのやら、話はいつ果てるとも思えない。髪、かたちなどすこぶる美しいらしい。言うに言われぬ衣の香が、さっと匂って来るのも情趣が深い。身動きのけはいなどが、時たまに闢えてくるのもゆかしい。