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概要 名称 オソロシア人民軍陸軍 上部組織 オソロシア人民軍(未作成) 兵員数 約90万人 予算 35兆円 歴史 オソロシア人民軍陸軍の前身は海軍と同じくオソロシア帝国陸軍である。創設は1919年。 当時は装備を赤色にするという謎の習慣があり、これに習って第1世代MBTのKT-1は真っ赤であった。88の師団を有している。 又、軍としては珍しく、歩兵連隊が存在しない。 だがその代わりに歩兵大隊が連隊規模になっている。
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陸軍悪玉論(りくぐんあくだまろん)とは、大日本帝国を崩壊に追いやった一連の責任は、大日本帝国陸軍にあるとする思想である。海軍善玉論と1セットで唱えられることが多い。 概要 陸軍悪玉論は、終戦直後から軍隊を評価するにあたって、日本人のなかでは一種の固定概念となっている。代表的なものとしては、「太平洋戦争の開戦にあたって、開戦を強硬に主張したのは陸軍であり、反対したのは海軍である。」というものがある。 全体的に、「大日本帝国陸軍は世界の情勢に疎く暗愚で、しかも暴走し、頑迷であったため多くの戦略的失敗を繰り返し、敗戦をもたらした。」「それに対して大日本帝国海軍は、世界の情勢に明るく、開明的で、連合国には勝てないという情勢を良く把握していたが、陸軍を説得することが出来ず、不承不承ながら戦争を遂行し、壊滅に追い込まれた。」というものが多い。日本陸軍は二・二六事件を起こし、満州事変から日中戦争にいたる中国大陸での戦線拡大を主導したという事実がある。昭和の軍部独裁政治は陸軍の軍閥によるものであり、満州事変は関東軍の暴走によって引き起こされた。これらは最終的には太平洋戦争の開戦原因の一つとなった。したがって陸軍悪玉論には一定の説得力がある。最後の陸軍大臣下村定大将は1945年11月28日の国会答弁において、自らそのような軍国主義に陥って暴走した陸軍の非を認めてこれを総括している。また、陸軍悪玉論は単なる善悪の問題だけでなく、最後まで英語教育を止めようとしなかった海軍と異なり、作戦立案一辺倒で一般教養を軽視した陸軍大学等の幹部教育制度上の欠点の表象するものと指摘する向きもある。 陸軍悪玉海軍善玉論は自衛隊にも色濃く受け継がれており、現在のところ陸上自衛隊は旧陸軍の伝統から距離を置いているが、一方の海上自衛隊は、日本海軍の伝統の担い手を自負している。 この両論の形成には、戦後の大衆史観を率いた作家である司馬遼太郎の影響も大きい。司馬は自著や発言で明治期からの海軍を概ね善しとする反面、昭和の陸軍を徹底してこき下ろしていた。これには司馬が学徒出陣により陸軍の戦車将校となった経験が元になっていると言われる。 また、海軍が報道対策を重視していたことも影響している。海軍は黒潮会などの記者クラブを通して新聞記者を厚遇し、伊藤正徳のような海軍に好意的な記者を育てていた。端的な例として竹槍事件で陸軍に都合の悪いことを書いた毎日新聞の新名丈夫記者を陸軍が懲罰的に召集したのに対して、海軍側は何とかして記者を守ろうとし、最終的には海軍報道班員とすることで守りきったことから報道関係の世界でも「言論を弾圧した陸軍」と「言論の自由を守ろうとした海軍」という印象を強めることとなった。 日本陸軍悪玉論の分析 近年はさまざまな研究から、「巷間に流布された定型化された悪玉論・善玉論」が、必ずしも史実とは限らないとされてきた。例えば、陸軍が世界の情勢に疎く、連合国の戦力を過少に評価していたとされる論は、ノモンハン事件の再評価を中心に反駁されている。また、海軍善玉論についても、条約派と艦隊派の対立があって必ずしも「善玉」一枚板ではなかったこと、五・一五事件による海軍士官の要人暗殺テロ、海軍が海上護衛を軽視していたことにまつわる様々な無為無策や悲劇があったこと、ミッドウェーにおける大敗が軍事情勢の決定的な変化をもたらしたこと、華南戦線やニューギニア戦線では海軍が陸軍を頼って無理に戦線を拡大したこと、太平洋戦線の縮小撤退が海軍部内の内部抗争に発展し、決断が致命的に遅れたこと、玉砕賛美は海軍の戦略的失敗(アッツ島沖海戦)が発端であるとなども明らかにされてきている。 また、戦争責任論とは別の観点から、海軍をより洗練されていると見なす考え方は、太平洋戦争以前から日本国民の間に存在していた。体制側から考えると、明治初期の士族反乱では、日本陸軍初の大将西郷隆盛が反乱軍の首魁となった。また逆に国民側から考えると、この士族の反乱や秩父事件などの内乱事件において、陸軍は武力鎮圧を実行し、国民に武器を向ける存在である。このためどのような立場からも、印象が良くなりにくい。また、日露戦争の結果、旅順要塞攻略で長期間にわたり、大損害を繰り返した陸軍と、日本海海戦で短期間に圧倒的な完全勝利を収めた海軍という好対照な印象が国民に浸透していったからである。これに加え、配属将校による軍事教練や、憲兵の存在など、国民が陸軍から直接抑圧を感じる機会が多かったため反発を受けやすい面もあった。 明治末期から昭和前期にかけて活躍した作家である永井荷風は、日記に「悪いことをするのは陸軍で、善いことをするのは海軍だ」「陸軍は格好が悪く、海軍は格好が良い」という「空気がある」と、記している。永井は日露戦争や大正軍縮、二・二六事件や太平洋戦争も体験しており、また自身耽美派の論者で、当然明治から昭和前半の風俗にも敏感だった。「格好」の問題ならば、「洗練されて物静かな海軍士官、粗雑で口うるさい陸軍士官」「砲塔と艦橋と双眼鏡、小銃と背嚢とゲートル」(陸海軍の軍服の差異については、軍服、日本海軍の軍服及び日本陸軍の軍服参照。)「舶来紳士と土着武士」「ハイテクとローテク」「スマートネイビイーを標榜とする海軍と、戦陣訓によって立つ陸軍」「理数系の海軍と、体育会系の陸軍」など、様々な対比で見られていたことが推察できるTemplate 要出典?。黒柳徹子は、戦時中、疎開先の青森の町役場に、二名の海軍士官が徴募説明のためにやってきた時のことを回想している。海軍の士官がやってくるというので、女友達と連れだって見に行ったこと、同じ事を考えた女性達で役場周辺がごった返していたこと、説明会場は中庭で行われ、それを見下ろす役場の建物の窓辺を女性達が占領、建物がぐらつかんばかりだったこと、などである。どうやら女性達にとっては、海軍士官は「格好」が良かったのは間違いなさそうである。 第二次世界大戦はどの戦域でも国家総力戦であり、日本対連合国との戦いでも同様だった。戦端が開かれれば、陸海両軍がよく連絡し、協力し、資源を融通しあうことは、勝利を目指す上で大前提である。しかし日本においては、敗戦まで、それが行われることは少なかった。なぜ日本軍が均衡のとれた統合運用を行えなかったといえば、明治初期に日本海軍は薩摩閥を中心に組織され、海軍主兵国家のイギリス海軍を手本とした。これに対し日本陸軍は長州閥を中心に組織され、大陸国のフランス、ドイツを手本としたため抜きがたい対抗意識が存在したからである。また陸軍がソ連を、海軍がアメリカをそれぞれ仮想敵として想定し、国防思想が統一されなかったのも大きな理由と言える。明治初期の草創期に、イギリス海軍に模して創設した海兵隊を廃止したことが、陸海軍ともに負担となったという説もある。 陸軍悪玉論への反論 しかし、満州事変から第二次世界大戦にかけて歩み寄りがほとんどなかったと言う点ではこの責任を陸軍のみに求めることは出来ず、海軍も同罪と言える。対米戦争に関しても、声を上げて反対するものは米内光政、山本五十六、井上成美らの3人を中心とした少数のみで、逆に対米開戦に迎合的な勢力の方が大きかった。 戦陣訓に関しては、陸軍が率先して広めていたものではないことは、先の司馬遼太郎自身が否定している。 また、司馬遼太郎の戦車に関する随筆から、「陸軍=精神論重視、技術軽視」という構図が成り立ってしまっている。しかし、実際には、無線機やレーダーなど、海軍が米海軍に対して敗北する要因となったとされる点に関して言えば、陸軍のほうが海軍より進んでいたともされる。Template 要出典?また、「当時の日本の戦闘機や爆撃機は、防弾が皆無に等しかった」とする「日本軍用機人命軽視論」が根強いが、これも海軍の軍用機に見られた傾向で、陸軍は一式戦闘機や一〇〇式重爆撃機など、連合国やドイツのそれと比しても遜色のない防弾技術を開発していた。 このように、陸軍悪玉論は、戦前戦中の偏見に戦後の誤解が加わって生まれた、ステレオタイプであるという反論や、満州事変から日中戦争、そして敗戦に至るなかで陸軍がその主要な責任を帯びているとしても、当時の軍部を扇動した、右翼団体、中国共産党、朝日新聞などに影響を与えたゾルゲ機関の動き(砕氷船理論)など、様々な主体の動きを捨象して陸軍にすべてを押しつけるのは一種の隠れ蓑ではないかとの批判もある。もっとも、いずれの反論も「悪玉は陸軍だけではない」「海軍にも悪玉的要素があった」という観点からなされているため、「陸軍が悪玉である」こと自体は否定できていないのが実態といえよう。 関連項目 大日本帝国 大日本帝国陸軍 第二次世界大戦 砕氷船理論 尾崎秀実 朝日新聞 中国共産党 リヒャルト・ゾルゲ 牟田口廉也 木村兵太郎 富永恭次 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2007年11月9日 (金) 08 28。
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679 :yukikaze:2015/12/22(火) 23 57 16 とりあえずやっつけだが完成したぞ。ひゅうが氏辺りに添削頼もう。 九七式中戦車 全長: 6.2m 全幅: 2.33m 全高: 1.95m 全備重量: 17.0t 乗員: 4名 エンジン: 統制型九七式 4ストロークV型12気筒空冷ディーゼル 最大出力: 170hp/2,000rpm 最大速度: 38km/h 航続距離: 210km 武装: 44口径7.5cm戦車砲×1 (24発:定数。実際には30発程度は搭載可能) 97式車載7.7mm重機関銃×1 装甲厚: 45mm ※ 全般的なシルエットは、Ⅲ号突撃砲F8型に類似 (解説) 日本陸軍が正式採用した中戦車。秘匿名称は「チハ」 他国では突撃砲乃至は戦車駆逐車として分類されているが、日本陸軍機甲部隊の勝利と栄光そして苦闘を共に過ごした車両であり、名実ともに日本陸軍の主力戦車として、各戦線で活躍をすることになる。 元々、同戦車については、当時の主力戦車であった八九式中戦車が、性能の陳腐化に伴い、高速な九四式軽装甲車や九五式軽戦車と連携することすら困難という状況から、技術的には九五式軽戦車の拡大改良型を作成する予定であった。 しかしながら、これに陸軍技術本部の一派がクレームを付けた事で、事態は混乱する。 憂鬱世界から転生してきた彼らにとっては、この時代の基礎工業能力の低さに嘆きを覚えない日はなかったのだが、更に次期主力戦車が、対戦車戦闘も何も考えてはいない半端な代物であるという事実は我慢ができるものではなかった。 彼らはすぐに対案として、憂鬱九七式中戦車の概念図を持ち出し、そして見事に叩き潰された。 680 :yukikaze:2015/12/22(火) 23 58 01 何故か? 彼らは焦りのあまり見事に失念していたのである。 ここは憂鬱世界ではなく史実の世界だということを。 憂鬱九七式戦車を作るには、基礎工業力も足りなければ資金もなく、おまけに『機甲戦』を庇護するだけの有力者もいなかったのである。 彼らは『場を乱したもの』として戦車設計から意図的に外され、以後はトラック部門に回され、そして成果を上げるのだが、それは別の話である。 さて、こうしたドタバタを受け、新型戦車は改めて九五式軽戦車の拡大改良型へと決定しそうになるのだが、ここで転生者の数少ない生き残りたちは、逆転の一手を放つ。 彼らは、同戦車が「歩兵戦車的な運用をするのに対して、対中戦はともかく、対ソ戦でも充分な性能を持っているのか」という、陸軍にとって無視できない問題を提起すると、「対ソ戦でも十分に使え且つ重量も15t以内に収め、費用もチハよりも幾分安価な車両を作れる」という爆弾発言を繰り出すことになる。 そして「ではその案を見せろ」という参謀本部の佐官に対して彼らが見せたものは、ある意味当時の常識を覆す代物であった。 何といっても一番大きいのは砲塔がない事であった。 驚いている彼らに対し「歩兵戦車は歩兵と連携する車両であり、視界の悪さは歩兵の目で補うことができる。無砲塔といっても主砲の旋回角は左右各12度ずつ俯仰角は-10~+20度であり、歩兵支援という目的からは全く問題にはならない」と主張。 更に主砲は、ボフォース75mm高射砲の採用によりあぶれることになった88式75mm高射砲の再利用とすることで開発費用と生産費用を圧縮すると共に、高初速の高射砲を利用することで、ソ連の堅固なトーチカ群を破砕するだけの性能を有するとしたのである。 勿論、歩兵戦車であり且つトーチカとも撃ちあう可能性があるため、正面装甲は傾斜した45mmと当時からすれば破格の重装甲にする事で、歩兵の為の破城鎚となるとしたのである。 この主張に好意的な反応を示したのは、帝国陸軍歩兵閥の面々であった。 彼らにしてみれば、この提案はまさしく『歩兵の事を考えて作られた戦車』に他ならなかった。 歩兵の進軍に合わせて行動し、最も厄介なトーチカ相手にも互角以上に戦える陸上戦艦。 歩兵閥の認識はそういったものであり、そうであるが故に彼らは絶賛することになる。 一方、砲兵科や陸軍参謀本部の担当要員は怒り心頭であった。 砲兵科にとっては、「歩兵科に砲兵の領分を奪われる」と考え、陸軍参謀本部の担当要員は、自分達が出した要件が完全に甘すぎるものだと満座の前で宣告されたに等しいからだ。 担当であった各務中佐は、提案した技術者に対して「技術屋は黙って我々の要件を飲めばいいのだ」と怒鳴りつけたのだが、それも技術者の旅順やヴェルダン要塞戦での要塞のデータと、参謀本部が出した項目とで撃ちあった場合の結果を突きつけられるまでであった。 歩兵閥の冷酷なまでの視線を受けて、各務にできることは、同提案を受け入れる代わりに、「同車両はあくまでトーチカ突破用の補助戦車」であるとして、同戦車の生産数を可能な限り減らすと共に、あくまで主力戦車として九五式軽戦車とその改良型(史実チニ)の整備に注力することであった。彼自身の面子を守るためとはいえ、その代償はあまりにも大きかった。 1939年。ノモンハン事変勃発。 この時、関東軍の主力であった九五式軽戦車とその改良型がなすすべもなく蹂躙されたのに対し、火力支援として送られた4両の九七式中戦車は、キルレシオを1:15という成果を叩き出し、生き残った戦車兵や歩兵から「こいつがもっとあればロスケなんぞに良いようにされなかったものを」と、悔し涙を流させる結果を生み出した。 当然のことながら、九七式中戦車の生産を意図的に遅らせる行動をした各務大佐(当時)は、ほぼ全責任を取らされる形で前線送りになり、半年たたずに戦死となるという陰惨すぎる結末を産み出したのだが、この結果により九五式軽戦車シリーズは、捜索部隊の補充を除いて生産を中止し(チニ車の車体に、九五式の砲塔を搭載した型)以後は九七式中戦車シリーズの量産に全力を挙げることになる。(九五式軽戦車の車体は、ユニバーサルキャリアと同様の汎用装軌車両として利用される) 681 :yukikaze:2015/12/23(水) 00 02 22 以降、九七式中戦車は、ノモンハンでの失態を覆い隠す方策として『我が陸軍の最新鋭戦車』として大々的に宣伝し、国民からはその長い砲身の姿から『槍武者のようだ』と言われ、各国の駐在武官からは『日本人はサン・シャモン突撃戦車を作るつもりか』と、半ば呆れられたりもしていたのだが、マレーやフィリピンで、自分達の戦車があっさりと吹き飛ばされ、更にニューギニアやビルマにおいて、リーやマチルダが火達磨になったことでそう言った声は雲散霧消し、代わりに『あのサムライサーベルは最優先で見つけろ。自分の乗っている戦車を棺桶にしたくなければな』と、徹底的に教育させられることになる。 開発当初は『威力過多ではないのか』と言われた75mm高射砲を戦車砲として改修していた事が幸いし、ドイツからの技術協力で砲弾の性能向上に努めた事も相まって、大戦を通じて有力な火砲として使用できたことが、本車の価値を損なわないことになったのである。 また、正面及び砲塔前面の一部を傾斜させた45mm装甲も、シャーマンやT-34の76mm型とも撃ちあえるだけの防御力を有しており、待ち伏せ戦闘でダックインしていた時などの防御力は、カタログスペック以上の優秀さを見せ、連合国軍にとってはますます厄介な相手になっていた。 (正面のペリスコープ部等は垂直装甲であり、ここは大戦中期以降九七式の弱点でもあった) もっとも、コンパクトな車体に、長砲身の砲と大型の空冷ディーゼルエンジンを詰め込んだことによる弊害も生じてはいた。 比較対象とされている3号突撃砲の場合、砲弾が54発積めるのに対し、本戦車では定数が24発。 戦車兵の努力で、実際には30発程度は搭載していたようだが、それでも砲弾数が半分強である。 おまけに大型の空冷ディーゼルの影響で、車内の容積が圧迫されており、車内環境は劣悪と言っていい状態であり、継戦能力という観点では問題視されていた。(熱帯に派遣された戦車兵からは、『敵戦車によって撃破されて戦死するよりも先に、車内環境の酷さで狂い死にする方が早い』とまで言われた程であった) この問題点は、車体を延長することで車内容積を増やす(最大の理由は砲弾の搭載数を増やす為)ことで、幾分は緩和されたものの、この居住環境の悪さは戦後も尾を引くことになる。 そして履帯の幅が制限されていた事から、不整地走破能力が幾分弱く、転輪には緩衝用のゴムタイヤが付けられ、補強のために芯部にはピアノ線を捲いていたのだが、走行中にこの芯部に熱がこもり、ゴムが溶けピアノ線が外部に解れ出て、ついにはタイヤが外れてしまう事故が多発した。 結局タイヤの転動面に凹みを設けて対策としたが、連続の高速走行は制限されることになった。 また、当初のコンセプトが『要塞の突破』であったことから、榴弾の比率が高く、徹甲弾は9発しか配備されてはいなかった。 これは軽戦車相手ならばまだ何とかなったものの、リーやシャーマン相手だと明らかに分が悪く太平洋やビルマ戦線では徹甲弾を主にし、碌な機甲戦力がいない大陸では榴弾を重視した構成になっている。(後述する改1では砲弾数は定数36発。無理をして40発である。) 本車は、車体延長及び正面装甲を60mmに増圧し、併せてエンジン出力を増加させた(史実100式) 大戦後期の主力である改1、M1重戦車の情報を受け、史実3突最終型まで拡大しボフォース75ミリ高射砲を元にした主砲を装備した少数生産の改2がある。
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当項では、瑞州国防陸軍の編成を示す。 + 目次 上級組織 司令部 戦闘部隊 編成単位 野戦軍(Field army) 師団(Army division)・旅団戦闘団(Brigade combat team) 野戦第1軍 歩兵第7師団 歩兵第9師団 歩兵第12師団 歩兵第13師団 歩兵第16師団 歩兵第17師団 第21独立機甲騎兵連隊 野戦第3軍 機甲第1師団 歩兵第2師団 歩兵第4師団 歩兵第6師団 騎兵第8師団 歩兵第11師団 歩兵第14師団 第19高射砲兵団 第20高射砲兵団 野戦第4軍 第15独立機甲連隊 空挺第8軍 山岳第3師団 空挺第10師団 第105特殊作戦航空連隊 第18レンジャー連隊 瑞州国防陸軍試験評価本部 瑞州国防陸軍教育訓練本部 解散・消滅した部隊 師団 騎兵第5師団「ペンタゴン」 旅団 騎兵第5旅団「ペンタゴン」 連隊 第1独立騎兵連隊 第2独立砲兵連隊 第3独立歩兵連隊 第4独立砲兵連隊 第5独立砲兵連隊 第6独立歩兵連隊 上級組織 司令部 主要コマンド 国防陸軍総軍(FORSCOM) 国防陸軍資材本部(ZGDF-MC) 国防陸軍教育訓練本部(ZGDF-ETC) 陸軍統合軍構成コマンド 中央・亜州陸軍/野戦第4軍 欧州陸軍/野戦第7軍 北方陸軍/野戦第3軍 環太平洋陸軍/野戦第5軍 南方陸軍/野戦第6軍 前方展開本部(SDDC) 国防陸軍サイバーコマンド(ARCYBER) 国防陸軍戦略本部(ASC) 国防陸軍特殊作戦司令部(ASOC) 直轄コマンド 国立墓地 国防陸軍取得支援センター(ZGDF-AASC) 国防陸軍文官人事局(ZGDF-CHRA) 国防陸軍工兵司令部(ZGDF-ACE) 国防陸軍犯罪捜査部門(ZGDF-ACID) 国防陸軍人事本部(ZGDF-HRC) 国防陸軍情報保全本部(ZGDF-INSCOM) 国防陸軍衛生本部(ZGDF-MEDCOM) 国防陸軍試験評価本部(ZGDF-TEC) 国防陸軍士官学校(GDFMA) 国防陸軍指揮幕僚大学(GDFCGSC) 陸軍戦略大学校(ZASC) 戦闘部隊 陸軍総軍直轄 野戦第1軍 野戦第3軍 空挺第8軍 治安部隊支援コマンド 航空管制業務コマンド 現役部隊 部隊名 上級部隊 機甲第1師団 野戦第3軍 歩兵第2師団 野戦第3軍 山岳第3師団 空挺第8軍 歩兵第4師団 野戦第3軍 歩兵第6師団 野戦第3軍 歩兵第7師団 野戦第1軍 騎兵第8師団 野戦第3軍 歩兵第9師団 野戦第1軍 空挺第10師団 空挺第8軍 歩兵第11師団 野戦第3軍 歩兵第12師団 野戦第1軍 歩兵第13師団 野戦第1軍 歩兵第14師団 野戦第3軍 第15独立機甲連隊 野戦第4軍 第22独立機甲連隊 野戦第7軍 第23独立機甲連隊 野戦第5軍 第24独立機甲連隊 野戦第6軍 第25独立歩兵連隊 野戦第7軍 第26独立歩兵連隊 野戦第5軍 第27独立即応連隊 野戦第7軍 歩兵第16師団 野戦第1軍 歩兵第17師団 野戦第1軍 第18レンジャー連隊 特殊作戦司令部 第19高射砲兵団 野戦第1軍 第20高射砲兵団 野戦第1軍 第21独立機甲騎兵連隊 教育訓練本部 第105特殊作戦航空連隊 特殊作戦司令部 編成単位 野戦軍(Field army) 国防陸軍において、野戦軍は、基本的には師団の上級部隊であるが、必要に応じて軍団を隷下に入れることもある。野戦軍は通常、陸軍の部隊としてはもっとも大規模なものであり、その上級部隊は戦域コマンドとなる。ただし、必要に応じて、野戦軍集団が編成されることもあった。 野戦第1軍(ZGDF Field army No.1)予備役・州兵部隊。予備役・州兵の召集訓練と運用等を統括している。隷下部隊の詳細については、瑞州国防州兵の部隊編成を参照のこと。瑞州内戦時に発足し、東岸戦線を担当した野戦第1軍団が母体。 野戦第2軍(ZGDF Field Army No.2)瑞州サイバー軍に配備。国防陸軍本部の最高情報責任者(CIO)の直接報告部隊として、かつて編成されていた第2野戦軍の系統を引き継ぎ、2010年に再編成。第2野戦軍はCIOの下で、陸軍ネットワークの運用に関するレポート、評価、計画、調整、統合、同期、指揮、および実施に関連する陸軍の任務および機能の単一の窓口として機能する。瑞州内戦時に発足し、中部戦線を担当した野戦第2軍団が母体。 野戦第3軍(ZGDF Field Army No.3)瑞州北方軍の陸軍部隊。指揮系統上では 瑞州北方陸軍とも。第3野戦軍は、瑞州本土防衛に重点を置いている。瑞州内戦時に発足し、西岸戦線を担当した野戦第3軍団が母体。 野戦第4軍(ZGDF Field Army No.4)瑞州阿州・中央軍の陸軍部隊。瑞州阿州陸軍・中央陸軍を構成する。瑞州内戦時に発足し、後方支援を担当した野戦第4軍団が母体。 野戦第5軍(ZGDF Field Army No.5)瑞州環太平洋軍の陸軍部隊。指揮系統上では瑞州環太平洋陸軍とも。 野戦第6軍(ZGDF Field Army No.6)瑞州南方軍の陸軍部隊。瑞州南方陸軍を構成する。 野戦第7軍(ZGDF Field Army No.7)瑞州欧州軍の陸軍部隊。指揮系統上では 瑞州欧州陸軍とも。 空挺第8軍(ZGDF Airborne Army No.8)瑞州陸軍総軍の部隊。「空挺軍」ではあるが、部隊規模は野戦軍と同等である。世界中への緊急展開を目的としている。 師団(Army division)・旅団戦闘団(Brigade combat team) 旅団戦闘団の配置を兵科記号を用いて表した図。なお、空挺第8軍所属の部隊については移動が多いため表示されていない。 瑞州国防陸軍の師団は少将を指揮官として、基本的に歩兵旅団戦闘団、即応(装甲車)旅団戦闘団、機甲旅団戦闘団の3種類の旅団戦闘団を組み合わせた編制を持つ。師団司令部は、司令部(HQ)と師団特別大隊(STB)、戦術指揮所より構成され、人員数は900~1000名となっている。 旅団戦闘団は戦闘兵科の1個機動旅団と、それに付属する支援部隊と砲兵部隊により構成され、三単位制師団時代の連隊戦闘団に相当する。現在の国防陸軍は、12個機甲旅団戦闘団、8個即応旅団戦闘団、28個歩兵旅団戦闘団の合わせて48個旅団戦闘団を擁し、うち現役の旅団戦闘団は各10個・6個・14個の計30個である。 野戦第1軍(予備役;陸軍州兵) 歩兵第7師団1個機甲旅団戦闘団、1個即応旅団戦闘団、1個歩兵旅団戦闘団 歩兵第9師団1個機甲旅団戦闘団、2個歩兵旅団戦闘団 歩兵第12師団3個歩兵旅団戦闘団 歩兵第13師団2個歩兵旅団戦闘団、1個即応旅団戦闘団 歩兵第16師団3個歩兵旅団戦闘団 歩兵第17師団3個歩兵旅団戦闘団 野戦第3軍 機甲第1師団3個機甲旅団戦闘団 歩兵第2師団1個歩兵旅団戦闘団、2個即応旅団戦闘団 歩兵第4師団1個機甲旅団戦闘団、1個即応旅団戦闘団、1個歩兵旅団戦闘団 歩兵第6師団2個歩兵旅団戦闘団、1個即応旅団戦闘団 騎兵第8師団1個機甲旅団戦闘団、2個歩兵旅団戦闘団 歩兵第11師団2個歩兵旅団戦闘団、1個即応旅団戦闘団 歩兵第14師団1個機甲旅団戦闘団、1個即応旅団戦闘団、1個歩兵旅団戦闘団 第19高射砲兵団2個高射砲兵群、1個近接防空群、3個独立中隊 第20高射砲兵団2個高射砲兵群、1個近接防空群、3個独立中隊 民間支援任務部隊(JTF-CS):瑞州国内で通常爆弾やNBC兵器によるテロが発生した場合に、民間や通常の政府機関を支援するための部隊。 野戦第4軍(瑞州阿州陸軍・中央陸軍) 第15独立機甲連隊1個機甲旅団戦闘団と同一編制 野戦第5軍(瑞州環太平洋陸軍) 第23独立機甲連隊1個機甲旅団戦闘団と同一編制 第26独立歩兵連隊1個歩兵旅団戦闘団と同一編制 野戦第6軍(瑞州南方陸軍) 第24独立機甲連隊1個機甲旅団戦闘団と同一編制 野戦第7軍(瑞州欧州陸軍) 第22独立機甲連隊1個機甲旅団戦闘団と同一編制 第25独立歩兵連隊1個歩兵旅団戦闘団と同一編制 第27独立即応連隊1個即応旅団戦闘団と同一編制 空挺第8軍 山岳第3師団3個歩兵旅団戦闘団 空挺第10師団2個空挺旅団戦闘団(エアボーン)、2個空中強襲旅団戦闘団(ヘリボーン) 野戦第1軍 野戦第1軍(やせんだい1ぐん、ZGDF Field Army No.1)は、瑞州国防陸軍における軍のひとつ。州兵予備役の召集訓練と運用等を統括している。 歩兵第7師団 歩兵第7師団「アストルム」(ほへいだい7しだん、ZGDF Infantry Division No.7 "Astrum")は、国防陸軍・第1野戦軍(陸軍州兵)の師団のひとつ。1個機甲旅団戦闘団、1個即応旅団戦闘団、1個歩兵旅団戦闘団等から編制されている。師団司令部は中濃州蓼科鎮台。 歩兵第7師団 第71機甲旅団戦闘団「キャスタウェイズ」 第72歩兵旅団戦闘団「アイアンサイズ」 第73即応旅団戦闘団「エクスターミネーション」 第7航空戦闘旅団「サンドパイパーズ」 歩兵第9師団 歩兵第9師団「グレイウルフ」(ほへいだい9しだん、ZGDF Infantry Division No.9 "Grey Wolf")は、国防陸軍・第1野戦軍(陸軍州兵)の師団のひとつ。1個機甲旅団戦闘団、1個即応旅団戦闘団、1個歩兵旅団戦闘団等から編制されている。師団司令部は川加州白山鎮台。 歩兵第9師団 第91歩兵旅団戦闘団「ホワイトホース」 第92歩兵旅団戦闘団「バッファロー・ソルジャーズ」 第93機甲旅団戦闘団「ブラックスミス」 第9航空戦闘旅団「スラッガーズ」 歩兵第12師団 歩兵第12師団「ナイツ・オブ・ラウンドテーブル」(ほへいだい12しだん、ZGDF Infantry Division No.12 "Knights of the Round Table")は、国防陸軍・野戦第1軍(陸軍州兵)の師団のひとつ。3個歩兵旅団戦闘団等から編制されている。師団司令部は神相州海老那鎮台。 歩兵第12師団 第121歩兵旅団戦闘団「ブレイブ・サムライズ」 第122歩兵旅団戦闘団「ブレイクスルー」 第123歩兵旅団戦闘団「シンギュラリティ」 第12航空戦闘旅団「エクスカリバー」 歩兵第13師団 歩兵第13師団「プロビデンス」(ほへいだい13しだん、ZGDF Infantry Division No.13 "Providence")は、国防陸軍・野戦第1軍(陸軍州兵)の師団のひとつ。2個歩兵旅団戦闘団、1個即応旅団戦闘団等から編制されている。師団司令部は日宮州日之蔭鎮台。 歩兵第13師団 第131歩兵旅団戦闘団「ラフネック」 第132歩兵旅団戦闘団「シルクロード」 第133即応旅団戦闘団「サザンフォース」 第13航空戦闘旅団「ロイヤル・ガンナーズ」 歩兵第16師団 歩兵第16師団「シャーロッツ・ディヴィジョン」(ほへいだい16しだん、ZGDF Infantry Division No.16 "Charlotte s Division")は、国防陸軍・野戦第1軍(陸軍州兵)の師団のひとつ。3個歩兵旅団戦闘団等から編制されている。師団司令部は尾治州那古野鎮台。 歩兵第16師団 第161歩兵旅団戦闘団「ストライバー」 第162歩兵旅団戦闘団「キーパーズ・オブ・セーフティ」 第163歩兵旅団戦闘団「オールド・ヒッコリー」 第16航空戦闘旅団「ストロング・コンドル」 歩兵第17師団 歩兵第17師団「ブルーアローズ」(ほへいだい17しだん、ZGDF Infantry Division No.17 "Blue Allows")は、国防陸軍・野戦第1軍(陸軍州兵)の師団のひとつ。3個歩兵旅団戦闘団等から編制されている。師団司令部は秋羽州秦庄鎮台。 歩兵第17師団 第171歩兵旅団戦闘団「キョホウシュギ」 第172歩兵旅団戦闘団「プレーリードッグス」 第173歩兵旅団戦闘団「ストレイドッグス」 第17航空戦闘旅団「オウマガトキ」 第21独立機甲騎兵連隊 第21独立機甲騎兵連隊「レッドストーンウォール」(だい21どくりつきこうれんたい、英:ZGDF 21th Independent Armored Cavalry Regiment "Red Stonewall")は、国立訓練センターで訓練を行う国防陸軍や海兵隊の、外国軍を模した対抗部隊(Opposing Force:OPFOR)としての役割を果たしている。 野戦第3軍 野戦第3軍(やせんだい3ぐん、ZGDF Field Army No.3)は、瑞州国防陸軍における軍のひとつ。陸軍の主力部隊である。 機甲第1師団 機甲第1師団「ファースト・アーマード・ディヴィジョン」(きこうだい1しだん、英:ZGDF Armored Division No.1 "First Armored Division")は、国防陸軍・野戦第3軍の師団の一つ。同陸軍で最初に編制された師団である。師団司令部は紀山州由浅鎮台。 機甲第1師団 第11機甲旅団戦闘団「アイアン・ホーネッツ」 第12機甲旅団戦闘団「ソルジャーアント」 第13機甲旅団戦闘団「アワーグラス・ブリゲード」 第1航空戦闘旅団「ファイティング・ジェイズ」 陸軍評価試験戦闘団 歩兵第2師団 歩兵第2師団「ブレイブ・ストライカーズ」(ほへいだい2しだん、ZGDF Infantry Division No.2 "Brave Strikers")は、国防陸軍・野戦第3軍の師団のひとつ。師団司令部は三勢州錫鹿鎮台。 歩兵第2師団 第21即応旅団戦闘団「マーベリック」 第22歩兵旅団戦闘団「ウルフハウンド」 第23即応旅団戦闘団「ブラックジャック」 第24航空戦闘旅団「センチュリオン」 歩兵第4師団 歩兵第4師団「サンダーストーム」(ほへいだい4しだん、ZGDF Infantry Division No.4 "Thunderstorm")は、国防陸軍・野戦第3軍の師団のひとつ。1個機甲旅団戦闘団、1個即応旅団戦闘団、1個歩兵旅団戦闘団等から編制されている。師団司令部は中濃州一宮町鎮台。 歩兵第4師団 第41歩兵旅団戦闘団「ゲームチェンジャーズ」 第42即応旅団戦闘団「ファイアスターター」 第43機甲旅団戦闘団「ペイトリオッツ」 第4航空戦闘旅団「ファルコンズ」 歩兵第6師団 歩兵第6師団「ウィンドメーカーズ」(ほへいだい6しだん、ZGDF Infantry Division No.6 "Wind makers")は、国防陸軍・野戦第3軍の師団のひとつ。2個歩兵旅団戦闘団、1個即応旅団戦闘団等から編制されている。師団司令部は八雲州丹多鎮台。 歩兵第6師団 第61歩兵旅団戦闘団「ファストアタッカー」 第62歩兵旅団戦闘団「グレイル・ナイツ」 第63即応旅団戦闘団「バスターズ」 第6航空戦闘旅団「ドレッドノート」 騎兵第8師団 騎兵第8師団「アーマード・カバルリーズ」(きへいだい8しだん、ZGDF Cavalry Division No.8 "Armored Cavalries")は、国防陸軍・野戦第3軍の師団のひとつ。1個機甲旅団戦闘団、2個歩兵旅団戦闘団等から編制されている。師団司令部は静駿州古片鎮台に所在。 騎兵第8師団 第81機甲旅団戦闘団「シコン」 第82歩兵旅団戦闘団「マッシブ・ファルコン」 第83歩兵旅団戦闘団「キングフィッシャーズ」 第8航空戦闘旅団「スカイ・ウォーリアーズ」 歩兵第11師団 歩兵第11師団「スピアヘッド」(ほへいだい11しだん、ZGDF Infantry Division No.11 "Spearhead")は、国防陸軍・野戦第3軍の師団のひとつ。2個歩兵旅団戦闘団、1個即応旅団戦闘団等から編制されている。師団司令部は山防州大丈鎮台。 歩兵第11師団 第111歩兵旅団戦闘団「ハウンド・オブ・ヘル」 第112歩兵旅団戦闘団「ヴィクトリア」 第113即応旅団戦闘団「メン・オブ・ウォー」 第11航空戦闘旅団「エア・スパルタンズ」 歩兵第14師団 歩兵第14師団「エウアンゲリオン」(ほへいだい14しだん、ZGDF Infantry Division No.14 "Euangelion")は、国防陸軍・野戦第3軍の師団のひとつ。2個歩兵旅団戦闘団、1個即応旅団戦闘団等から編制されている。師団司令部は吉備作州見原鎮台。 歩兵第14師団 第141即応旅団戦闘団「エクスプレス」 第142機甲旅団戦闘団「ボーダーライン・アーマーズ」 第143歩兵旅団戦闘団「キーストーン」 第14航空戦闘旅団「ヤングマン」 第19高射砲兵団 第19高射砲兵団(だい19こうしゃほうへいだん、英:ZGDF 19th Air Defence Missile Artillery Command、19ADMAC)は、瑞州国防陸軍・野戦第3軍の部隊の一つ。団本部は常陸中州龍笠城駐屯地に置かれている。 第19高射砲兵団 第191高射砲兵群 第192高射砲兵群 第193近接防空群 第2独立戦域防空中隊 第4独立戦域防空中隊 第6独立戦域防空中隊 第20高射砲兵団 第20高射砲兵団(だい20こうしゃほうへいだん、英:ZGDF 20th Air Defence Missile Artillery Command、20ADMAC)は、瑞州国防陸軍・野戦第3軍の部隊の一つ。団本部は日宮州國富駐屯地に置かれている。 第20高射砲兵団 第201高射砲兵群 第202高射砲兵群 第203近接防空群 第1独立戦域防空中隊 第3独立戦域防空中隊 第5独立戦域防空中隊 野戦第4軍 野戦第4軍(やせんだい4ぐん、ZGDF Field Army No.4)は、瑞州国防陸軍における軍のひとつ。陸軍の主力部隊である。 第15独立機甲連隊 第15独立機甲連隊「ライトニング」(だい15どくりつきこうれんたい、英:ZGDF 15th Independent Armored Regiment "Lightning")は、機甲旅団戦闘団と同一の装備、編制を有する、国防陸軍・野戦第4軍の部隊の一つ。連隊司令部は林播州宍栗駐屯地。 第15独立機甲連隊は、機略戦の戦闘教義に基づき、戦場において素早く展開し、その機動性を以て迅速に短期間で決着を付けることを主眼に置いている。また、必要に応じて最前線の師団や旅団戦闘団の編成に一時的に付加されこれらの作戦能力を引き上げることもある。 空挺第8軍 空挺第8軍(くうていだい8ぐん、ZGDF Airborne Army No.8)は、瑞州国防陸軍における軍のひとつ。世界中への緊急展開を目的としており、「瑞州の緊急軍団(Zuishu s Contingency Corps)」と俗称されている。 山岳第3師団 山岳第3師団「スノーマウンテン」(さんがくだい3しだん、英:ZGDF Mountain Division No.3 "Snow Mountain")は、国防陸軍・空挺第8軍の師団の一つ。3個旅団戦闘団と1個航空戦闘旅団により編制されている。名前が示すとおり、山岳戦を専門としており、雪山戦闘のための特別な訓練も施されている。国防陸軍の常備師団のうち、山岳戦を得意とするのは本師団のみである。師団司令部は静駿州駿東鎮台に置かれている。 山岳第3師団 第31歩兵旅団戦闘団「ラット・トラッパーズ」 第32歩兵旅団戦闘団「ホワイト・ラビッツ」 第33歩兵旅団戦闘団「ライトハウス・キーパー」 第3航空戦闘旅団「ハンマーダウン」 空挺第10師団 空挺第10師団 「ラッカサン・ディヴィジョン」(くうていだい10しだん、英:ZGDF Airborne Division No.10 "Rakkasan Division")は、国防陸軍・空挺第8軍の師団の一つ。4個の歩兵旅団戦闘団から編成される。師団司令部は岡豆州新見鎮台に所在。 空挺第10師団 第101空挺旅団戦闘団「スピアハンターズ」 第102空挺旅団戦闘団「フラッシュ・ライティング」 第103空中強襲旅団戦闘団「ヴァルキリー」 第104空中強襲旅団戦闘団「トワイライターズ」 第105特殊作戦航空連隊 第105特殊作戦航空連隊「オネスト・ライダーズ」(だい105とくしゅさくせんこうくうれんたい、英:ZGDF 105th Special Operations Aviation Regiment "Honest Riders")は、国防陸軍・空挺第8軍の部隊の一つ。国防軍及び友軍特殊部隊のヘリコプターを用いての輸送・回収・救出等を主任務とした特殊部隊(航空支援部隊であるが、任務の性質上特殊部隊)である。 第18レンジャー連隊 第18レンジャー連隊「アサルト・アーセナルズ」(だい18レンジャーれんたい、英:ZGDF 18th Ranger Regiment "Assult Arsenals")は、国防陸軍・空挺第8軍の部隊の一つ。部隊愛称の短縮形であるAAのフォネティックコード読みから、アルファフォースまたはデュアルアルファとも呼称される。瑞州陸軍特殊作戦コマンド内の特殊作戦部隊であり、筑紫州八束駐屯地に本部を置き、連隊本部中隊、軍事情報大隊、特別任務大隊、レンジャー大隊4つから構成されている。 レンジャー連隊は、通常戦闘と特殊作戦の両方を遂行できる3個大隊規模の精鋭部隊である。遊撃戦を担当し、パラシュート降下も可能である。 国防陸軍有数の柔軟性を誇り、常時1個大隊が短時間(18時間以内)で世界中に展開できる緊急即応部隊でもある。 瑞州国防陸軍試験評価本部 瑞州国防陸軍試験評価本部(ZGDF Test and Evaluation Command)は、国防陸軍の直属部隊であり、陸軍装備品の開発試験、運用試験、評価、査定、実験を担当している。 瑞州国防陸軍教育訓練本部 瑞州国防陸軍教育訓練本部(ZGDF Education and Training Command)は、国防陸軍の直属部隊であり、陸軍部隊の訓練と作戦ドクトリンの開発を監督する役割を担っている。 解散・消滅した部隊 師団 騎兵第5師団「ペンタゴン」 1946年の国防陸軍の成立後に編成された師団。ただしその実態としては、師団というよりは第1独立騎兵連隊など各独立部隊の調整組織に過ぎず、より上級部隊と連隊との結節点でしかなかった。そのため師団直属の部隊を持っていなかった。戦後、騎兵第5師団は野戦第1軍に編入され、州兵部隊となる。しかしながら1960年までに、戦力過剰と判断され、第5師団はその規模を大幅に縮小させられ、騎兵旅団へと格下げされた。 旅団 騎兵第5旅団「ペンタゴン」 騎兵第5師団から改編された、陸軍州兵唯一の騎兵(ヘリコプター)部隊。1981年、第5旅団は第10師団の部隊と混ぜ合わされた上で、第105特殊作戦航空連隊として再編された。 連隊 第1独立騎兵連隊 旧軍の第十四地域旅団(騎兵、濃前州諏方)を改編した独立部隊。名目上は騎兵第5師団の指揮を受けていた。 第2独立砲兵連隊 旧軍の第二一地域旅団(混成(砲兵・要塞)、嶋海州嶋)を改編した独立部隊。名目上は騎兵第5師団の指揮を受けていた。 第3独立歩兵連隊 旧軍の第二八地域旅団(歩兵、紀山州若山)を改編した独立部隊。名目上は騎兵第5師団の指揮を受けていた。 第4独立砲兵連隊 旧軍の第三十地域旅団(混成(砲兵・要塞)、筑紫州福丘)を改編した独立部隊。名目上は騎兵第5師団の指揮を受けていた。 第5独立砲兵連隊 旧軍の第三四地域旅団(混成(砲兵・要塞)、八雲州八雲)を改編した独立部隊。名目上は騎兵第5師団の指揮を受けていた。 第6独立歩兵連隊 旧軍の第三五地域旅団(歩兵、児隅州霧洲)を改編した独立部隊。名目上は騎兵第5師団の指揮を受けていた。
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陸軍記念日(りくぐんきねんび)は、大日本帝国陸軍の場合、戦前・戦中の休日のことで、3月10日。 1905年3月10日、日露戦争の奉天大会戦で日本軍が勝利し、奉天(現在の瀋陽)を占領し、奉天城に入場したのがこの日であった。これを記念して翌1906年から休日としたもの。 1945年の敗戦(第二次世界大戦)に伴い廃止された。 1945年東京大空襲は、意識的にこの日を狙って行なわれたと言われている。実際には、当時の日本でこの記念日にアメリカの大規模な攻撃があるとの噂が流布しており、この噂が後になってのも事実であるかのように出回ったものである。日本では、事実とする書籍や資料が存在するが、アメリカ側の資料では確認出来ない。因みに海軍記念日は5月27日。5月27日には空襲はなく、2日前の5月25日に東京大空襲、2日後の5月29日に横浜大空襲があった。 世界の陸軍記念日 アメリカ合衆国:4月6日(1950年以降廃止、5月の第3土曜日の軍隊記念日(Armed Forces Day)に統合) チリ:9月19日(Día de las Glorias del Ejército) 関連項目 海軍記念日 戦前の祝日(祝祭日) 軍隊記念日 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年9月18日 (木) 09 11。
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アメリカ合衆国陸軍(USA) シナリオ キャンペーン ユーザーキャンペーン ロングキャンペーン ジェネレイテッドキャンペーン シングルバトル
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最高権力者 舞羅帝国は立憲君主国家であるため、元首である皇帝に実権はなく、政治は「帝国宰相・行政顧問団」「元老院」「帝国最高裁判所」の三権分立により成り立っている。 しかし、大統領制を敷いていた旧門州連邦共和国(南舞羅)の行政構造を下敷きにしているため、首相である帝国宰相の権限が非常に強い。 役職名 現職者 役割 皇帝 安帥帝比沙子 帝国の元首。立憲君主のため政治権力はなく、帝国宰相の形式的な任命や政策追認等を行う。公務の支援や皇帝の身辺警護を担当する近衛庁の名誉指揮官(実際に指揮するのは帝国宰相)でもある。 帝国宰相 アメリア・ベイカー 行政のトップであり、帝国の首相。元老院に対する法案提出・解散総選挙施行権、最高裁判所裁判官の任命・罷免権を持つなど、他国における元首に相当する実務上の最高指導者。平時であれば任期は5年であり、3選まで続投可能。直属の補佐機関として、行政顧問団を有している。 行政顧問団 帝国宰相の指揮下で行政を遂行する閣僚集団。 以下に記述される各行政局の長官並びにその補佐官、合計13人から構成される。 全員帝国宰相から任命される。 + ... 役職名 現職者 役割 帝国副宰相元老院議長 アメリア・ベイカー 帝国宰相直属の副官であり、政策に対する助言を行う行政のナンバー2。行政顧問団のまとめ役であり、元老院議長も兼任している。帝国宰相が政務不能になった際は臨時帝国宰相となる。任期は帝国宰相と同等である。 外務局長 アメリア・ベイカー 外務局の長官。対外関係の調整・交渉を担当する。 情報局長 アメリア・ベイカー 情報局の長官。国家宣言の発表や国営放送、サイバーセキュリティの維持等、情報管理を担当する。 大蔵局長 アメリア・ベイカー 大蔵局・税務局の長官。紙幣の流通や税の徴収など、帝国の財政政策および金融政策を担当する。 経済生産局長 アメリア・ベイカー 経済生産局の長官。国内の物流、農工業生産を管理する。 治安維持局長 アメリア・ベイカー 治安維持局の長官。国内の秩序維持を取り仕切る。諜報課、軍政課、民政課の3課長を指揮下に置く。 諜報課長 アメリア・ベイカー 治安維持局の下部組織である諜報課の課長。国内外における諜報・防諜活動を担当する。コカウニウァ機関等の複数の特務機関を運用している。 軍政課長 アメリア・ベイカー 治安維持局の下部組織である軍政課の課長。帝国軍内の秩序維持を担当する、いわゆる憲兵。各軍の人事権にも大きな影響力を持っている。 民政課長 アメリア・ベイカー 治安維持局の下部組織である民政課の課長。国民生活に関わる秩序維持を担当する。警察や消防、沿岸警備隊を指揮下に置く。 統合参謀総長 アメリア・ベイカー 統合参謀本部の長官。陸海空の3軍を統帥する、軍事における実務上の最高司令官。 陸軍参謀長官 アメリア・ベイカー 帝国陸軍参謀本部の長官。陸軍の作戦計画を立案する。 海軍軍令部長 西条直人 帝国海軍軍令部の長官。帝国海軍の作戦計画を立案する。 航空参謀長官 アメリア・ベイカー 帝国空軍航空作戦本部の長官。帝国空軍の作戦計画を立案する。 元老院 帝国における立法府。 240名の議員で構成され、法律の立案を担当している。 帝国宰相と最高裁判官に対する弾劾実施の権利を有する。 議員は各地方での一般普通選挙によって選出され、任期は6年。 元老院議長は帝国副宰相を兼任する。 帝国最高裁判所 帝国における最高裁判所。元老院に対する違憲審査の権限を有する。 役職名 現職者 役割 帝国最高裁判官 アメリア・ベイカー 帝国における司法のトップ。帝国宰相により任命される。元老院から弾劾されるか、帝国宰相から罷免されない限り任期は無期限。
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統制派(とうせいは)は、大日本帝国の陸軍内の派閥。 天皇親政の強化や財閥規制など政治への深い不満・関与を旗印に結成されていた皇道派に対し、軍内の規律統制(文民統制の尊重・堅持)の意味から統制派と呼ばれる。皇道派の中心人物である荒木貞夫が陸相に就任した犬養内閣時に断行された露骨な皇道派優遇人事に反発した陸軍中堅層が結集した派閥とされるが、皇道派のような明確なリーダーや指導者は居らず、初期の中心人物と目される永田鉄山も軍内での派閥行動には否定的な考えをもっており、「非皇道派=統制派」が実態だとする考え方も存在する。ただ永田亡き後、統制派の中心人物とされた東條英機や石原莞爾などの行動や主張が、そのまま統制派の主張とされることが多い。 2・26事件遂行に失敗・挫折した皇道派の著しい勢力弱体や世界の列強各国での集産主義台頭、他、世界恐慌に対し有効性を示したブロック経済への羨望が進むにつれ、当初の結成目的・本分から徐々に外れ、合法的に政府に圧力を加えたり、あるいは持論にそぐわない政府の外交政策に対し統帥権干犯を盾に公然と非協力な態度・行動をとったりサボタージュも厭わない軍閥へと変容していった。革新官僚とも繋がりを持つ軍内の近代派であり、近代的な軍備や産業機構の整備に基づく、総力戦に対応した高度国防国家を構想した。旧桜会系統の参謀本部、陸軍省の佐官クラスの幕僚将校を中心に支持されていた。中心人物は永田鉄山、東條英機。 対立している皇道派が反ソ・反共を掲げ、右派色が強かったのに対して、統制派は中国への一撃を主張し、英米を敵とし、ソ連との不可侵条約の締結を推進した。永田の愛弟子で統制派の理論的指導者である池田純久が『陸軍当面の非常時政策』で「近代国家に於ける最大最強のオルガナイザーにして且つアジテーターはレーニンが力説し全世界の共産党員が実践して効果を煽動したるジャーナリズムなり、軍部はこのジャーナリズムの宣伝煽動の機能を計画的に効果的に利用すべし」と主張しているように、統制派は『太平洋五十年戦略方針』などの編集で細川嘉六や中西功、平野義太郎ら共産主義運動に詳しい人物を積極的に起用した国民のための大東亜戦争正統抄史 1928-56戦争の天才と謀略の天才の戦い 79~87近衛上奏文解説。また、池田純久が『国防の本義と其強化の提唱』にて「われわれ統制派の最初に作成した国家革新案は、やはり一種の暴力革命的色彩があった」と述べているように、最初から合法性に依っていたわけではなかった。 中心人物の永田鉄山が皇道派の相沢三郎陸軍中佐に暗殺された(相沢事件)後、皇道派との対立を激化させる。この後、皇道派による二・二六事件が鎮圧されると、皇道派将校は予備役に追いやられた。さらに退役した皇道派の将校が陸軍大臣になることを阻むべく軍部大臣現役武官制を復活させ、これにより陸軍内での対立は統制派の勝利という形で一応の終息をみる。その後、陸軍内での勢力を急速に拡大し、軍部大臣現役武官制を利用して陸軍に非協力的な内閣を倒閣するなど政治色を増し、最終的に、永田鉄山の死後に統制派の首領となった東条英機の下で、全体主義色の強い東條内閣を成立させるに至る。 関連項目 皇道派 満州派 (大日本帝国陸軍) 日中戦争 太平洋戦争 外部リンク 国防の本義と其強化の提唱 脚注 _ 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年12月25日 (木) 04 01。
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当項では、瑞州国防陸軍の編成下にある独立部隊を示す。 + 目次 第15独立機甲連隊 歴史 編成 瑞州内戦 戦後 編成 関連項目 第15独立機甲連隊 第15独立機甲連隊「ライトニング」(だい15どくりつきこうれんたい、英:ZGDF 15th Independent Armored Regiment "Lightning")は、機甲旅団戦闘団と同一の装備、編制を有する、国防陸軍・野戦第4軍の部隊の一つ。連隊司令部は林播州宍栗駐屯地。 第15独立機甲連隊は、機略戦の戦闘教義に基づき、戦場において素早く展開し、その機動性を以て迅速に短期間で決着を付けることを主眼に置いている。また、必要に応じて最前線の師団や旅団戦闘団の編成に一時的に付加されこれらの作戦能力を引き上げることもある。 第15独立機甲連隊 ZGDF 15th Independent Armored Regiment 部隊章 創設 1946年 国籍 瑞州合衆国連邦 所属 国防陸軍 兵種 機甲主体の諸兵科連合 部隊編成単位 連隊 上級単位 野戦第4軍 別称 Lightning 所在地 林播州宍栗駐屯地 部隊章は、機動性を重視する連隊のコンセプトから、稲妻をモチーフにしたものである。 歴史 編成 第15独立機甲連隊は、その母体を独立機甲第15旅団とする。1946年の国防陸軍の成立後、国防陸軍への編入を拒否した部隊の代替として、旧軍の第二七地域旅団(歩兵科、近海州小尾津)や第二九地域旅団(戦車科、薩鹿州鹿児嶋)を母体として編成された旅団である。編成地は薩鹿州鹿児嶋駐屯地。国防軍成立当時、国防軍の編成に反発した旧軍部隊、そしてそれを糾合した瑞州民主共和国に対抗するために、彼らのいる瑞州北西部に対して数多くの師団が配置されており、第15旅団は西海岸を担当する機甲第1師団、東海岸を担当する機甲第9師団の掩護を目的として編成された。 第11師団の後、第12、第13…と師団編成が続く予定であったため、「15」と師団に対する通し番号がこの部隊にも振られているが、人員不足により編成されたのは当部隊や、第1特殊作戦任務部隊から増強改編された特戦第18旅団などの師団未満の旅団級部隊だけにとどまった。後々これらも、機甲第15師団や特戦第18師団としてさらなる増強改編される予定であったが、やはり人員不足や必要性の低下により改編は見送られ、結局現在に至るまで師団へと改編されることはなかった。 瑞州内戦 瑞州内戦時、独立機甲第15旅団は前線へ投入された。主に遊撃部隊としての運用であり、戦場を縦横無尽に駆けずり回り、絶えず戦線の補強に当たった。1947年冬頃から、第15旅団は由螺-森山絶対防衛線を巡る戦闘に参加するが、1948年1月21日に近海州八幡付近で防衛線が突破され、第15旅団は瑞京府周辺まで撤退した。民主共和国軍に対抗するために機甲戦力である第15旅団は遅滞戦術を展開したが、撃破数はそれに比例するかのように増加していき、戦死・戦傷率も非常に多かった。 9月、瑞京付近の部隊を一元的に指揮する国防軍瑞京方面隊が編制され、独立機甲第15旅団もそれに編入されるも、第15旅団は旅団としての定数を充足しなかった。そのため方面隊は第15旅団を第15独立機甲連隊に改編することに決定。少数精鋭部隊として瑞京府の防衛に当たらせることとした。翌年6月や7月にかけて、京八幡の戦いや包囲脱出作戦などを経て、瑞京府こそ失陥してしまったものの、第15連隊は瑞京府内にいた機甲戦力として民主共和国軍に多大な損害を与えることに成功しており、「少数精鋭」として期待された以上の戦果をもたらした。 撤退後に補充を受け、再び旅団としての定数を満たすほどに戦力を回復した第15連隊であったが、第15連隊の兵士たちは瑞京府を巡って奮戦したこの部隊名を気に入っており、以後第15連隊は旅団規模の連隊として運用されることになった。 1948年9月、鹿毛川事件で旧軍主導部が壊滅的被害を被ると、それに呼応して国防軍は「リメンバー作戦」と呼ばれる反撃作戦を開始。第15独立機甲連隊は瑞京府を取り戻した後には中央・北西地方の叛乱軍を鎮圧する任務を与えられ、破竹の勢いで民主共和国軍部隊を破っていった。主導者を失った民主共和国軍は烏合の衆に過ぎず、第15連隊は北上して北西地方の駐屯地を次々と制圧した。 戦後 終戦後、第15独立機甲連隊は宍栗に駐屯し、陸軍州兵(予備役)へと編入された。1960年代には民主共和国軍参加者の公職追放が全て解除され、陸軍の拡張を図った仲松康明大統領の意向により軍の人員や師団数が大幅に増加。第15連隊は再び正規軍へと復帰した。 書き逃げする奴は新米編集者だ!逃げない奴はよく訓練された編集者だ!ホント wiki編集は地獄だぜ!フゥハハハーハァー(Portal スタブ) 編成 連隊司令部および司令部中隊(宍栗駐屯地) 第15憲兵中隊 第15軍事情報大隊 第15通信大隊 第15施設管理大隊 第19戦車大隊 第20戦車大隊 第21戦車大隊 第115騎兵大隊 本部管理中隊「115騎-本」 第1騎兵中隊「115騎-1」 第2騎兵中隊「115騎-2」 第3騎兵中隊「115騎-3」 第115旅団工兵大隊 本部管理中隊「115工-本」 旅団通信中隊「115工-通」 旅団情報中隊「115工-情」 第1戦闘工兵中隊「115工-1」 第2戦闘工兵中隊「115工-2」 第115野戦砲兵大隊 本部管理中隊「115砲-本」 第1野戦砲兵中隊「115砲-1」 - 98式155mm自走榴弾砲 第2野戦砲兵中隊「115砲-2」 - 98式155mm自走榴弾砲 第3野戦砲兵中隊「115砲-3」 - 98式155mm自走榴弾砲 砲撃観測小隊 第15旅団支援大隊 本部管理中隊「15支-本」 第15輸送中隊「15支-輸」 第15前線整備中隊「15支-整」 第15医療中隊「15支-医」 所属部隊 第19戦車大隊Zuish Ground Defence Force 19th Tank Battalion 第19戦車大隊・第2中隊のZM23。 第19戦車大隊(だい19せんしゃだいたい)は、司令部を林播州宍粟駐屯地に置く、第15独立機甲連隊隷下の機甲科部隊である。即応展開および歩兵の火力支援を任務とする。 部隊編成 ・第19戦車大隊本部・本部管理中隊「19戦-本」・第1戦車中隊「19戦-1」 - ZM23 ・第2戦車中隊「19戦-2」 - ZM23・第3機械化歩兵中隊「19戦-3」 - ZM02A/E/F・第4機械化歩兵中隊「19戦-4」 - ZM02A/E/F 装備品 ・02式装輪装甲車(ZM02)(第3・第4中隊)・05式軽装甲機動車(ZM05)・23式機動戦車(ZM23)(第1・第2中隊)・77式7.62mm機関銃(ZM77) 部隊概要 所属政体 瑞州 所属組織 国防陸軍 兵科 機甲科 担当地域 - コールサイン LUNGE 所在地 宍栗駐屯地 第20戦車大隊Zuish Ground Defence Force 20th Tank Battalion 第20戦車大隊・第3中隊のZM02A。 第20戦車大隊(だい20せんしゃだいたい)は、司令部を林播州宍粟駐屯地に置く、第15独立機甲連隊隷下の機甲科部隊である。即応展開および歩兵の火力支援を任務とする。 部隊編成 ・第20戦車大隊本部・本部管理中隊「20戦-本」・第1戦車中隊「20戦-1」 - ZM23 ・第2戦車中隊「20戦-2」 - ZM23・第3機械化歩兵中隊「20戦-3」 - ZM02A/E/F・第4機械化歩兵中隊「20戦-4」 - ZM02A/E/F 装備品 ・02式装輪装甲車(ZM02)(第3・第4中隊)・05式軽装甲機動車(ZM05)・23式機動戦車(ZM23)(第1・第2中隊)・77式7.62mm機関銃(ZM77) 部隊概要 所属政体 瑞州 所属組織 国防陸軍 兵科 機甲科 担当地域 - コールサイン PENANCE 所在地 宍栗駐屯地 第21戦車大隊Zuish Ground Defence Force 21st Tank Battalion 第21戦車大隊・第2中隊のZM23。 第21戦車大隊(だい21せんしゃだいたい)は、司令部を林播州宍粟駐屯地に置く、第15独立機甲連隊隷下の機甲科部隊である。即応展開および歩兵の火力支援を任務とする。 部隊編成 ・第21戦車大隊本部・本部管理中隊「21戦-本」・第1戦車中隊「21戦-1」 - ZM23 ・第2戦車中隊「21戦-2」 - ZM23・第3機械化歩兵中隊「21戦-3」 - ZM02A/E/F・第4機械化歩兵中隊「21戦-4」 - ZM02A/E/F 装備品 ・02式装輪装甲車(ZM02)(第3・第4中隊)・05式軽装甲機動車(ZM05)・23式機動戦車(ZM23)(第1・第2中隊)・77式7.62mm機関銃(ZM77) 部隊概要 所属政体 瑞州 所属組織 国防陸軍 兵科 機甲科 担当地域 - コールサイン LANDMARK 所在地 宍栗駐屯地 関連項目 瑞州国防陸軍 瑞州国防陸軍の部隊編成 書き逃げする奴は新米編集者だ!逃げない奴はよく訓練された編集者だ!ホント wiki編集は地獄だぜ!フゥハハハーハァー(Portal スタブ)
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