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徳川武将 榊原康政 レベル 60-7 職業 侍 防衛陣 本陣 構成 名前 職業 レベル 開始時付与 特徴 榊原康政 侍 60 ▲ ▲ 鎧通し、一所、大音声、反計、無印槍撃、活力 大樹寺高僧 僧 55 蘇生、完全回復 服部党練達 忍者 55 蘇生 徳川方士隊 陰陽 55 砥鹿社神官 神主 55 岡崎鍛冶衆 鍛冶 55 三河製茶人 薬師 55 特徴 倒すと本多正信の陣を弱体化 板倉勝重を倒すと弱体化 康政の特殊技は極み重ねても即死。禁呪・縛必須。 ドロップ 笹穂の槍 竜浪蒔絵黒糸威鎧 列伝 榊原長政の二男。最初、小平太と名乗っていたが、初陣となった三河一向一揆との戦いで功を挙げ、家康の康の字をもらい康政と名乗る。 1570年姉川の合戦の際、家康の下知を受けた康政は本陣を離脱し、姉川の下流から迂回し、突如として朝倉軍の右側より横撃。 これによって朝倉軍は崩壊し、余勢をかって織田軍を助勢し勝利へと結びつけた。 また、小牧長久手の合戦では、三好秀次隊を撃破して武功を挙げているが、むしろこの時は例の“高札”で後世名を残すこととなる。 家康の関東移封に伴い上野・館林10万石を拝領。 1600年の関ケ原合戦は、秀忠軍に同行したため参加していない。 戦後、秀忠の遅参を許さなかった家康の怒りを解いたのも康政であったと伝えられている。 以後、老中職に就くのだが、「老臣権を争うは亡国の兆しなり」と言い切り、政治に関しては次世代の本多正信や大久保忠隣に任せていたと言われている。 1606年、館林にて病に倒れる。 二代将軍秀忠も医師を派遣したが快方には向かわず、5月14日病没す。 享年59歳。
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順不同 おおたりえ おかなつこ おぼれ谷リアス おみむらまゆこ おやまだひろこ 乙葉 及川ひとみ 及川伊織 大中寛子 大久保ちか 大久保藍子 大倉彩 大前茜 大原さやか 大原めぐみ 大原桃子 大原真理子 大原美佳子 大地睦美 大坂史子 大坂有未佳 大坪純子 大城松美 大城美和 大場久美子 大塚ちひろ 大塚友稀 大塚小百合 大塚智子 大塚有紀 大塚海月 大塚瑞恵 大室佳奈 大山のぶ代 大島由莉子 大島規子 大川千帆 大川裕美子 大平泉 大庭洋子 大方斐紗子 大木しほ 大本眞基子 大村歌奈 大村香奈子 大林マキコ 大森玲子 大橋世津 大橋未歩 大橋真幸 大江美里 大江麻理子 大沢つむぎ 大沢千秋 大河内雅子 大沼かほり 大波こなみ 大津田裕美 大浦冬華 大澤摩由加 大澤淳子 大田詩織 大神いずみ 大竹みゆ 大竹弘美 大竹理央 大竹美佳 大竹裕子 大花どん 大西望 大谷志保 大谷美紀 大谷美貴 大谷育江 大谷鞠花 大貫亜美 大越ゆりか 大越多佳子 大野まりな 大野エリ 大野佐和 大野富美恵 大野由佳 大鐘則子 太田佳織 太田淑子 太田真由美 太田絵美 太田貴子 奥住ナオ子 奥原千加 奥山歩 奥島和美 奥村その美 奥村沙也加 奥田園子 奥田秋 奥田香織 奥真紀子 小串容子 小倉優子 小倉文江 小原乃梨子 小口久仁子 小山田こう 小川冬美 小川智子 小川真奈 小川綾子 小川里永子 小幡洋子 小幡記子 小木曽祐子 小沢友誉 小沢寿美恵 小沢雅子 小田切こずえ 小田木美恵 小田真由美 小田美子 小田美智子 小田靜枝 小笠原亜里沙 小笠原彩 小笠原茉莉 小粥よう子 小美濃愛 小見川千明 小野寺啓子 小野寺麻理子 小野未喜 小野涼子 小野綾子 尾又淑恵 尾小平志津香 尾崎桂子 尾張由美子 尾形聡子 岡井千聖 岡寛恵 岡崎律子 岡崎裕美 岡嶋妙 岡明子 岡本あさひ 岡本ナミ 岡本千寿 岡本嘉子 岡本奈美 岡本明子 岡本未来 岡本玲 岡本章子 岡本綾 岡本舞子 岡本茉利 岡本茉莉 岡本華子 岡本麻弥 岡本麻美 岡本麻見 岡村明美 岡村裕美 岡村麻純 岡江久美子 岡珠希 岡田ナオ 岡田ルミ 岡田佐知恵 岡田優香 岡田加奈子 岡田和子 岡田幸子 岡田明奈 岡田直子 岡田純子 岡部きし子 岡雅子 折戸マリ 折笠奈緒美 折笠富美子 折笠愛 押谷芽衣 桜坂かい 桜川未央 沖佳苗 緒方かな子 緒方りさ 緒方恵美 緒田マリ 織田一穂 織田加央里 織田芙実 荻野目洋子 落合るみ 落合祐里香 落合美穂 越智綾香 近江知永 音乃菜摘 音地亜希子 音宮つばさ 鳳芳野 ページ先頭へ
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大津城の戦い(西軍) 出現条件 戦前好感度イベント 戦前・戦後イベント・ムービー 勝敗条件 武将データ ミッション アイテム配置 シナリオ攻略情報金ミッション情報 出現条件 豊臣の章、大坂夏の陣(豊臣軍)をクリアしており、 立花宗茂の友好度が親密 戦前好感度イベント 戦前・戦後イベント・ムービー 前・後 イベント名 選択肢 友好度上下 武将 戦前 大津城の戦い 選択肢なし ── 戦後 決戦の地へ 選択肢なし ── 勝敗条件 制限時間 20分 勝利条件 京極高次の撃破→京極高次と柳生宗矩の撃破 敗北条件 立花宗茂と本陣頭いずれかの敗走 武将データ 西軍 備考 東軍 取得品 備考 立花宗茂 プレイヤー・敗北条件 京極高次 アイテム 勝利条件 甲斐姫 プレイヤー 柳生宗矩 アイテム 増援・勝利条件 風魔小太郎 服部半蔵 武器 増援 毛利元康 稲姫 アイテム 立花成家 京極高知 武器 小早川秀包 高宮半四郎 筑紫広門 丸尾孫五郎 片桐且元 若宮平助 今村掃部 武器 三田村出雲 箕浦備後 服部佐渡 広瀬作太夫 アイテム 安養寺氏種 黒田伊予 武器 赤尾伊豆守 武器 増援 山田大炊 武器 本多正信 松平忠吉 井伊直政 加藤貞泰 桑山元晴 武器 有馬則頼 亀井茲矩 ミッション No. 名称 難易度 内容 ボーナス条件 ボーナス 備考 1 包囲開始 ★☆☆☆☆ 敵武将を撃破せよ! ミッション発生後の撃破数が50人以下の状態で成功 金 武将3人撃破 2 砲撃準備 ★★☆☆☆ 砲撃開始まで守備頭を護衛せよ! 守備頭の体力が半分以上の状態で成功 巻物 制限時間2分 3 大津城包囲 ★☆☆☆☆ 今村掃部と広瀬作太夫と黒田伊豫を撃破せよ! 青の体力が半分以上の状態で成功 金 4 恐怖、甲斐姫 ★★☆☆☆ 敵兵を撃破せよ! 青の体力が半分以上の状態で成功 金 制限時間2分100人撃破 5 大津城侵入 ★★☆☆☆ 立花成家を西詰所まで護衛せよ! 立花成家の体力が半分以上の状態で成功 巻物 6 徳川の挟撃 ★★★★☆ 桑山元晴と亀井茲矩の西軍本陣侵入を阻止せよ! すべての敵を〇〇が撃破して成功 アイテム 7 現れた影 ★★★★☆ 服部半蔵を撃破し、北詰所の陥落を阻止せよ! すべての敵を〇〇が撃破して成功 武器 8 華麗な技 ★★★★☆ 稲姫を無双奥義で撃破せよ! すべての敵を〇〇が撃破して成功 アイテム 9 関ヶ原へ急げ ★★★★★ 敵武将を全て撃破せよ! 青の体力が半分以上の状態で成功 武器 アイテム配置 アイテム種類 場所 シナリオ攻略情報 「砲撃準備」は敵武将1人撃破で発生する。 放っておくと守備頭が高士気の敵に囲まれてしまうため、 守備頭出現位置周辺(高宮半四郎のいるあたり)にできるだけ早く到達し敵を倒しておいた方がよい。 シナリオ開始直後あえて目の前の武将を倒さずに向かうというのもあり。 金ミッション情報 条件 ミッションを全てクリア 500人撃破 おそらく時間制限あり(10分以内?) 詳細情報 敵撃破数と時間制限が両方条件にあるため迅速な行動が必要。 智謀、神算を使えば条件を緩和できるが 「砲撃準備」発生中に使うとこのミッションの制限時間も伸びてしまう点には注意。
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【まほらば@漫画】6/6 ○白鳥隆士 ○蒼羽梢 ○茶ノ畑珠実 ○黒崎朝美 ○黒崎沙夜子 ○灰原由起夫 【学校であった怖い話@ゲーム】6/6 ○坂上修一 ○新堂誠 ○風間望 ○岩下明美 ○細田友晴 ○深沢玲子 【忍たま乱太郎@アニメ】6/6 ○潮江文次郎 ○立花仙蔵 ○七松小平太 ○中在家長次 ○善法寺伊作 ○食満留三郎 【ジョジョの奇妙な冒険@漫画】5/5 ○東方仗助 ○広瀬康一 ○支倉未起隆 ○山岸由花子 ○吉良吉影 【ドラえもん のび太のBIOHAZARD@ゲーム】5/5 ○野比のび太 ○緑川聖奈 ○翁蛾健治 ○源静香 ○出木杉英才 【カオスウォーズ@ゲーム】5/5 ○日下兵真 ○環樹雫 ○ライゲン・ボルティアーノ ○高階ヨイチ ○シェルトラン・ボルティアーノ 【戦国BASARA@ゲーム】5/5 ○伊達政宗 ○真田幸村 ○片倉小十郎 ○明智光秀 ○いつき 【BATTLE ROYALE@小説】5/5 ○七原秋也 ○杉村弘樹 ○滝口優一郎 ○相馬光子 ○千草貴子 【せんせいのお時間@アニメ】5/5 ○鈴木みか ○北川理央 ○小林あかね ○工藤雄一 ○中村元 【ブシドーブレード弐@ゲーム】5/5 ○竹科辰美 ○本郷武尊 ○空蝉 ○トニー・梅田 ○シュヴァルツ・カッツェ 【銀魂@漫画】4/4 ○坂田銀時 ○志村新八 ○神楽 ○長谷川泰三 【らき☆すた@漫画】4/4 ○泉こなた ○柊かがみ ○柊つかさ ○高良みゆき 【クロックタワーゴーストヘッド@ゲーム】4/4 ○御堂島優 ○礎等 ○藤香 ○才堂不志人 【武装錬金@漫画】3/3 ○武藤カズキ ○蝶野攻爵 ○津村斗貴子 【カイジ@漫画】2/2 ○伊藤開司 ○安藤守 70/70
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歴史的建造物写真 2022-06-11 九品仏浄真寺 東京都世田谷区 仁王門 1793年 鐘楼堂 1708年 本堂 1698年 六郷水門 猿楽橋 東京都渋谷区 1934年(昭和9年) 2022-06-10 東京学芸大学附属高校 1935年 2020-12-04 2020-12-01 雉子橋 東京都千代田区 1925年(大正14年) 学士会館 東京都千代田区 1928年(昭和3年) 国登録有形文化財 日本銀行本店 東京都中央区 1896年(明治29年) 西河岸橋 東京都中央区 1925年(大正14年) 2020-11-23 田安門 東京都千代田区 1636年(寛永13年) 重要文化財 2020-11-21 鷹岡株式会社東京支店 東京都千代田区 旧古河銀行元浜町支店(東京アフロディテ) 東京都中央区 山梨中央銀行東京支店 東京都千代田区 神田きくかわ神田店 東京都千代田区 栄屋ミルクホール 東京都千代田区 2020-11-19 亀の子束子西尾商店本店 東京都北区 1922年(大正11年) 板五米店 東京都板橋区 1914年(大正3年) 2018-09-18 都立日比谷高校正門 東京都千代田区 1916年(大正5年) 2018-09-10 旧武藤家住宅(ふじさんミュージアム) 山梨県富士吉田市 江戸時代中期以前 富士吉田市指定有形文化財 旧宮下家住宅(ふじさんミュージアム) 山梨県富士吉田市 1707年(宝永4年) 山梨県指定有形文化財 2018-08-08 旧開智学校 長野県松本市 1867年(明治9年) 重要文化財 松本市旧司祭館 長野県松本市 1889年(明治22年) 長野県宝 高橋家住宅(松本市) 長野県松本市 松本城天守 長野県松本市 国宝 旧第一勧業銀行松本支店 長野県松本市 旧松本郵便局電話事務室 長野県松本市 1930年(昭和5年) 旧松本高等学校本館 長野県松本市 1920年(大正9年) 重要文化財 旧松本高等学校講堂 長野県松本市 1922年(大正11年) 重要文化財 筑摩神社 長野県松本市 拝殿 1610年(慶長15年) 長野県宝 本殿 1439年(永享11年) 重要文化財 2018-05-14 田安門 東京都千代田区 1636年(寛永13年) 重要文化財 小石川橋通架道橋 東京都千代田区 1904年(明治37年) 2018-01-13 旧新潟税関庁舎 新潟県新潟市 1869年(明治2年) 重要文化財 旧第四銀行住吉町支店 新潟県新潟市 1927年(昭和2年) 国登録有形文化財 旧小澤家住宅 新潟県新潟市 新潟市指定有形文化財 2018-01-12 新潟県旧県会議事堂(新潟県政記念館) 新潟県新潟市 1883年(明治16年) 重要文化財 2017-12-07 国立西洋美術館 東京都台東区 1959年 東京国立博物館 東京都台東区 旧因州池田屋敷表門 東京都台東区 江戸時代末期 重要文化財 旧博物館動物園駅 東京都台東区 1931年(昭和6年) 国登録有形文化財 2017-11-23 学習院旧正門 東京都新宿区 1877年(明治10年) 重要文化財 2017-10-17 勝鬨橋 東京都中央区 1940年(昭和15年) 重要文化財 和光 東京都中央区 1932年(昭和7年) 2017-02-05 東秋留橋 東京都あきる野市 1939年(昭和14年) 2017-01-21 旧近衛師団司令部庁舎(東京国立近代美術館工芸館) 東京都千代田区 1910年(明治43年) 重要文化財 旧豊多摩監獄表門 東京都中野区 1915年(大正4年) 旧冨岡家住宅(新倉ふるさと民家園) 埼玉県和光市 17世紀後半(江戸時代中期) 和光市指定有形文化財 2016-12-10 広徳寺総門 東京都あきる野市 あきる野市指定有形文化財 広徳寺山門 東京都あきる野市 あきる野市指定有形文化財 広徳寺本堂 東京都あきる野市 あきる野市指定有形文化財 2016-12-07… 京華女子中学・高等学校校舎 東京都文京区 1933年(昭和8年) 西片町教会 東京都文京区 1935年(昭和10年) 求道会館 東京都文京区 1915年(大正4年) 東京都指定有形文化財 2016-11-13 大悲願寺 楼門 あきる野市指定有形文化財 大悲願寺 観音堂 あきる野市指定有形文化財 大悲願寺 本堂 東京都指定有形文化財 2016-11-01 黒沢ビル… 東京都台東区 1930年(昭和5年) 国登録有形文化財 2016-10-14 国会議事堂 東京都千代田区 1936年(昭和11年) 旧日比谷公園事務所 東京都千代田区 1910年(明治43年) 勝鬨橋 東京都中央区 1940年(昭和15年) 重要文化財 浜離宮恩賜庭園大手門橋 東京都中央区 1924(大正13年) 旧李王家東京邸(赤坂プリンスクラシックハウス) 東京都千代田区 1930年(昭和5年) 東京都指定有形文化財 2016-10-11 講安寺 東京都文京区 1708年(宝永5年) 文京区指定有形文化財 2016-09-04 日本キリスト教団札幌教会 北海道札幌市 札幌市時計台 北海道札幌市 1878年(明治11年) 重要文化財 2016-09-03 北海道庁旧本庁舎 北海道札幌市 1888年(明治21年) 重要文化財 2016-08-11 金泉湯 東京都新宿区 早稲田奉仕園スコットホール 東京都新宿区 2016-07-17 原宿駅 東京都渋谷区 1924年(大正13年) 2016-07-09 旧・鹿児島県庁舎本館玄関部分 鹿児島県鹿児島市 1925年(大正14年) 国登録有形文化財 鹿児島市役所本庁舎本館 鹿児島県鹿児島市 1937年(昭和12年) 国登録有形文化財 鹿児島県鹿児島市 鹿児島県教育会館 鹿児島県鹿児島市 旧鹿児島県立興業館 鹿児島県鹿児島市 2016-06-12 東京女子医科大学病院一号館 東京都新宿区 2016-06-05 恩賜上野動物園旧正門 東京都台東区 1911年(明治44年)、1933年(昭和8年) 2016-04-13 燕湯… 東京都台東区 1950年(昭和25年) 国登録有形文化財 2016-01-23 九段会館 東京都千代田区 1934年(昭和9年) 清水門 東京都千代田区 1658年(万治元年) 重要文化財 田安門 東京都千代田区 重要文化財 2016-01-17 深川不動堂旧本堂 東京都江東区 1863年(文久3年)、1950年移築 八幡橋(旧弾正橋) 東京都江東区 1878年(明治11年)、1929年移設 重要文化財 旧新田橋 東京都江東区 1932年 2016-01-16 浅草駅4番出入口上屋 東京都台東区 1927年(昭和2年) 土木学会推奨土木遺産 浅草神社本殿幣殿拝殿 東京都台東区 1649年(慶安2年) 重要文化財 浅草寺二天門 東京都台東区 1618年(元和4年) 重要文化財 言問橋 東京都台東区・墨田区 1928年(昭和3年) 東京都選定歴史的建造物 2015-12-21 万世橋高架橋(マーチエキュート神田万世橋) 東京都千代田区 1912年(明治45年) 万世橋 東京都千代田区 1930年(昭和5年) 神田川橋梁(東北本線) 東京都千代田区 1925年(大正14年) 竹むら 東京都千代田区 1930年(昭和5年) 東京都選定歴史的建造物 いせ源… 東京都千代田区 1930年(昭和5年) 東京都選定歴史的建造物 ぼたん… 東京都千代田区 1929年(昭和4年) 東京都選定歴史的建造物 昌平橋… 東京都千代田区 1923年(大正12年) 松住町架道橋 東京都千代田区 1932年(昭和7年) 神田川橋梁(総武本線) 東京都千代田区 1932年(昭和7年) 紅梅河岸高架橋… 東京都千代田区 2015-11-29 誕生寺仁王門 千葉県鴨川市 2015-11-21 聖徳記念絵画館 東京都新宿区 1926年(大正15年) 重要文化財 2015-10-25 旧第一信用金庫本店 東京都新宿区 1925年(大正14年) 2015-07-25 柴又帝釈天 二天門 東京都葛飾区 1896年(明治29年) 柴又帝釈天 帝釈堂拝殿 東京都葛飾区 1929年(昭和4年) 2015-06-01 大塚架道橋 東京都豊島区 1922年(大正11年) 2015-05-18 神田猿楽町町会詰所 東京都千代田区 1930年(昭和5年) カトリック神田教会 東京都千代田区 1928年(昭和3年) 国登録有形文化財 東方学会本館… 東京都千代田区 1926年(大正15年)頃 2015-05-15 鵜澤商店 東京都千代田区 2015-04-25… 神田まつや 東京都千代田区 1925年(大正14年) 東京都選定歴史的建造物 221833282_624.v1430235596.jpg 万世橋高架橋 東京都千代田区 1912年(明治45年) 万世橋 東京都千代田区 1930年(昭和5年) 2015-04-16 赤坂迎賓館… 東京都港区 1909年(明治42年) 国宝 221316933_624.v1429199219.jpg 聖徳記念絵画館 東京都新宿区 1926年(大正15年) 重要文化財 2015-04-12 長沢浄水場…本館 神奈川県川崎市 2015-02-08 大日本印刷 東京都新宿区 2015-02-07… 神奈川県庁本庁舎 神奈川県横浜市 1928年(昭和3年) 国登録有形文化財 旧英国総領事館(横浜開港資料館旧館) 神奈川県横浜市 1931年(昭和6年) 旧日本綿花横浜支店事務所棟 神奈川県横浜市 1928年(昭和3年) 横浜市指定有形文化財 神奈川県警察本部尾上町分庁舎 神奈川県横浜市 2015-01-25 小平ふるさと村 旧小平小川郵便局舎 東京都小平市 1908年(明治41年) 小平市指定有形文化財 小平ふるさと村 旧神山家住宅主屋 東京都小平市 小平ふるさと村 旧小川家住宅玄関棟 東京都小平市 1805年 小平市指定有形文化財 正福寺山門 東京都東村山市 正福寺地蔵堂 東京都東村山市 1407年(応永14年) 国宝 村山下ダム導流部 村山下ダム第一取水塔 1925年(大正14年) 2014-10-25 仙台市歴史民俗資料館 宮城県仙台市 1874年(明治7年) 仙台市指定有形文化財 第二広瀬川橋梁 宮城県仙台市 1928年(昭和3年) 小滝沢橋 宮城県仙台市 1939年(昭和14年) 仙台市指定有形文化財 秋保大滝不動尊 不動堂 宮城県仙台市 2014-10-17 さかえビル 東京都文京区 1934年(昭和9年) 国登録有形文化財 本郷中央教会 東京都文京区 1929年(昭和4年) 国登録有形文化財 エチソウビル 東京都文京区 1924年(大正13年) 弓町本郷教会 東京都文京区 1926年(大正15年) 2014-09-29 上恩方郵便局 東京都八王子市 1938年(昭和13年) 2014-09-06 五大堂 宮城県宮城郡松島町 1604年(慶長9年) 重要文化財 瑞巌寺総門 宮城県宮城郡松島町 水主町民家 宮城県宮城郡松島町 松島町指定有形文化財 三聖堂 宮城県宮城郡松島町 1682年(天和2年) 松島町指定有形文化財 円通院山門 宮城県宮城郡松島町 松島町指定有形文化財 円通院三慧殿 宮城県宮城郡松島町 重要文化財 円通院大悲亭(本堂) 宮城県宮城郡松島町 松島町指定有形文化財 2014-09-05 仙台東照宮石鳥居 宮城県仙台市 1654年(承応3年) 重要文化財 仙台東照宮石灯籠、階段 宮城県仙台市 重要文化財(石灯籠一部除く)、仙台市登録有形文化財(重文指定以外の石灯籠、階段) 仙台東照宮随身門 宮城県仙台市 1654年(承応3年) 重要文化財 仙台東照宮手水舎 宮城県仙台市 宮城県指定有形文化財 仙台東照宮唐門、透塀、本殿 宮城県仙台市 1654年(承応3年) 重要文化財 2014-08-15 旧吉野家住宅 東京都青梅市 1855年(安政2年) 東京都指定有形文化財 旧名栗郵便局 埼玉県飯能市 1929年(昭和4年) 旧名栗産業組合事務所 埼玉県飯能市 1941年(昭和16年) 旧名栗村森林組合事務所 埼玉県飯能市 1949年(昭和24年) 横瀬小学校第一校舎 埼玉県秩父郡横瀬町 1933年(昭和8年) 2014-08-11 研数学館… 東京都千代田区 2014-08-02 高島屋日本橋店 東京都中央区 重要文化財 1933年(昭和8年)竣工 2014-07-06 冨士浅間神社(小山町) 大鳥居 静岡県駿東郡小山町 冨士浅間神社(小山町) 楼門 静岡県駿東郡小山町 冨士浅間神社(小山町) 社殿 静岡県駿東郡小山町 林氏の長屋門 静岡県御殿場市 2014-07-01 個人住宅(大塚六丁目) 東京都文京区 さかえビル 東京都文京区 エチソウビル 東京都文京区 大正時代 2016-06-30 #ref error :画像URLまたは、画像ファイル名を指定してください。 今荘… 東京都千代田区 1933年(昭和8年)頃 千代田区景観まちづくり重要物件 2014-06-23 東京慈恵会医科大学付属病院 日本基督教団芝教会 旧文部省庁舎 2014-05-10 筑波山神社 神橋 茨城県つくば市 茨城県指定有形文化財 筑波山神社 隋神門 茨城県つくば市 つくば市指定有形文化財 筑波山神社 拝殿 茨城県つくば市 宮本家住宅店蔵 茨城県つくば市 国登録有形文化財 普門寺(つくば市) 赤門 茨城県つくば市 普門寺 庫裏 茨城県つくば市 2014-05-04 塩船観音寺仁王門 東京都青梅市 塩船観音寺 阿弥陀堂 東京都青梅市 塩船観音寺 薬師堂 東京都青梅市 塩船観音寺 本堂 東京都青梅市 塩船観音寺 旧鐘楼 東京都青梅市 2014-04-02 市ヶ谷水管橋 東京都新宿区・千代田区 2014-03-26 吉祥寺 山門 吉祥寺 経蔵 2014-03-14 雑司が谷旧宣教師館 東京都豊島区 2014-01-25 靖国神社 第二鳥居 東京都千代田区 1887年(明治20年) 2013-11-14 大隈講堂 2013-11-12 大亞堂書店 東京都文京区 大正時代 2013-11-09 個人住宅(川崎市登戸) 神奈川県川崎市 2013-10-18 銀座レトロギャラリーMUSEE 勝鬨橋 2013-10-12 小笠原伯爵邸 2013-09-29 旧市倉家住宅 東京都あきる野市 旧大久野郵便局 東京都西多摩郡日の出町 2013-09-27 2013-08-12 個人住宅 東京都新宿区早稲田鶴巻町 2013-08-11 東京駅 2013-08-04 2013-07-05 個人住宅(文京区目白台一丁目) 旧成瀬仁蔵住宅(日本女子大学成瀬記念館分館) 2013-06-25 市政会館 2013-06-14… 2013-05-03… 2013-03-23 伊勢丹新宿店 東京都新宿区 1933年(昭和8年) 2013-01-19 根津神社 楼門 拝殿 西門、透塀 2013-01-02 向ヶ丘遊園駅… 神奈川県川崎市 2012-10-10 日本女子大学 成瀬記念講堂… 東京都文京区 2012-10-09 後藤家住宅 大分県日田市 日田模型 大分県日田市 山田家住宅 大分県日田市 隈まちづくりセンター黎明館 大分県日田市 薫長酒造 大分県日田市 長福寺本堂 大分県日田市 重要文化財 日本丸館 大分県日田市 廣瀬資料館 大分県日田市 長善寺山門 大分県日田市 山田井堰 福岡県朝倉市 2012-10-08 妙見橋 大分県玖珠郡九重町 明治時代 女子畑発電所 大分県日田市 大正時代 小ヶ瀬の沈み橋 大分県日田市 2012-10-07 金光教別府教会 大分県別府市 大正時代 旧別府郵便電話局電話分室 大分県別府市 カトリック別府教会 大分県別府市 旧別府市公会堂 大分県別府市 野口病院管理棟 大分県別府市 大正時代 駅前高等温泉 大分県別府市 大正時代 2012-10-06 綾部味噌醸造元 大分県杵築市 磯矢邸 大分県杵築市 学習館 門 能見邸 大原邸 至道館 旧 国武家別荘(現 九州電力健康保険組合別府保養所) 2012-10-04 共同印刷本社 東京都文京区 2012-06-26 講談社旧本館 旧渋沢庭園 青淵文庫 東京都北区 旧渋沢庭園 晩香廬 東京都北区 旧岩淵水門 東京都北区 1924年(大正13年) 東京都選定歴史的建造物 北区中央図書館 東京都北区 2012-06-24 市政会館・日比谷公会堂 旧文部省庁舎 慶應義塾大学 北里記念医学図書館 慶應義塾大学 医学部予防医学教室 2012-06-19… 東京慈恵会医科大学付属病院 旧文部省庁舎 2012-05-19… 早稲田大学内藤多仲博士記念館 東京都新宿区 個人住宅 東京都新宿区若松町 2012-05-11… 隆慶橋 2010-10-17 日本工業倶楽部会館 東京都千代田区 桜田門 祝田町見張所 東京都千代田区 皇居正門 東京都千代田区 江戸城跡 同心番所 東京都千代田区 江戸城跡 百人番所 東京都千代田区 北桔橋門 2010-10-11 伊勢丹新宿店 東京都新宿区 1933年(昭和8年) 2010-09-25 旧宮崎家住宅 東京都青梅市 2010-09-10 上野駅 東京都台東区 2010-09-04 さかえビル 東京都文京区 国登録有形文化財 2010-07-22… 隆慶橋 東京都文京区 2010-07-01 聖徳記念絵画館 東京都新宿区 重要文化財 2010-06-25 グランドプリンスホテル赤坂旧館(旧李王家邸) 東京都千代田区 国会議事堂 市政会館 旧日比谷公園事務所 東京都千代田区 2010-05-16 東京銀行協会ビル 田安門 2010-05-05 大隈講堂 東京都新宿区 旧大隈邸守衛詰所 東京都新宿区 早稲田小学校 東京都新宿区 2010-04-30 迎賓館赤坂離宮 国会議事堂 日比谷公会堂… 神田猿楽町町会詰所 カトリック神田教会 2010-04-19 野方配水塔 東京都中野区 2010-03-22 光泉寺 釈迦堂 群馬県吾妻郡草津町 2010-03-21 山本館 群馬県吾妻郡草津町 大正時代 2010-01-30 築地本願寺 勝鬨橋 歌舞伎座(現存せず) 華僑ビル(現存せず) 銀座和光本店… 2010-01-11 観音埼灯台 2010-01-03 法華経寺 仁王門 千葉県市川市 法華経寺 五重塔 法華経寺 祖師堂 法華経寺 法華堂 法華経寺 刹堂 法華経寺 四足門 2009-12-13 百十四銀行高松支店 香川県高松市 高松城跡 香川県高松市 旧香川県営高松桟橋ターミナルビル(現存せず) 香川県高松市 2009-12-12 鞘橋 安治川歯科医院 金陵の里 とらや 金刀比羅宮 2009-12-05 蹴上インクライン 京都府京都市 南禅寺 2009-11-22 旧木村家住宅 岐阜県恵那市岩村町 旧勝川家住宅 岐阜県恵那市岩村町 浄光寺本堂 岐阜県恵那市岩村町 旧明智町役場 岐阜県恵那市明智町 2009-09-06 大隈講堂 東京都新宿区 学習院旧正門 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静岡銀行本店 静岡県静岡市 静岡県庁本館 静岡県静岡市 静岡市役所静岡庁舎本館 静岡県静岡市 2008-09-14 布施弁天 楼門 千葉県柏市 布施弁天 鐘楼 千葉県柏市 布施弁天 本堂 千葉県柏市 2008-09-13 比留間歯科医院 東京都台東区 2008-08-09 封人の家 山形県最上郡最上町 2008-08-07 旧東村山郡役所 山形県天童市 旅館永澤平八、能登屋旅館 山形県尾花沢市 2008-08-06 旧済生館本館 山形県山形市 旧山形県庁舎 山形県山形市 旧山形県会議事堂 山形県山形市 旧山形師範学校 山形県山形市 2008-08-05 九里学園高等学校 山形県米沢市 上杉伯爵邸 山形県米沢市 2008-07-27 横浜税関本関庁舎 神奈川県横浜市 2008-07-26 外交官の家(旧内田邸) 神奈川県横浜市 ブラフ18番館 神奈川県横浜市 カトリック山手教会 神奈川県横浜市 ベーリックホール 神奈川県横浜市 エリスマン邸 神奈川県横浜市 山手234番館 神奈川県横浜市 横浜山手聖公会 神奈川県横浜市 横浜市イギリス館 神奈川県横浜市 山手111番館 神奈川県横浜市 2008-07-05 神野寺 仁王門 千葉県君津市 神野寺 鐘楼堂 千葉県君津市 天正年間 神野寺 本堂 千葉県君津市 1710年(宝永7年) 千葉県指定有形文化財 神野寺 表門 千葉県君津市 1505~20年頃 重要文化財 2008-06-14 国会議事堂 東京都千代田区 日本水準原点標庫 東京都千代田区 法務省旧本館 東京都千代田区 2008-05-05 旧南豆製氷所(現存せず) 静岡県下田市 2008-04-27 川崎河港水門 神奈川県川崎市 2008-04-12 祝橋 山梨県甲州市 2008-03-22 川越城本丸御殿 埼玉県川越市 亀屋 埼玉県川越市 亀屋山崎茶店 埼玉県川越市 マツザキスポーツ川越店 埼玉県川越市 埼玉りそな銀行川越支店 埼玉県川越市 川越商工会議所 旧武州銀行川越支店 埼玉県川越市 日本聖公会川越キリスト教会 埼玉県川越市 2008-02-11 旧檜原郵便局 東京都西多摩郡檜原村 蛇の湯温泉たから荘 東京都西多摩郡檜原村 数馬分校記念館 東京都西多摩郡檜原村 兜屋旅館 東京都西多摩郡檜原村 2008-01-27 桜田巽櫓 桔梗門 同心番所 百人番所 大番所 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秋田県鹿角郡小坂町 2006年9月1日 弘前城天守 青森県弘前市 旧弘前市立図書館 青森県弘前市 石場家住宅 青森県弘前市 2006年8月27日 赤神神社五社堂 秋田県男鹿市 2006年8月25日 旧沼田家住宅 岩手県一関市 日本基督教団一関教会 岩手県一関市 2006年8月16日 旧花巻町役場 岩手県花巻市 2006年8月15日 中尊寺経蔵 岩手県平泉町 旧大沼家住宅 岩手県胆沢郡金ヶ崎町 2006年8月14日 旧有壁宿本陣 宮城県栗原市 2005年9月9日 栃木市役所別館 栃木県栃木市 2005年8月29日 旧長浜駅舎 滋賀県長浜市 滋賀県長浜市 安藤家住宅 滋賀県長浜市 2005年8月28日 旧吉田邸 滋賀県近江八幡市 白雲館 滋賀県近江八幡市 彦根城 天守 彦根市 2005年8月25日 丸岡城天守 福井県坂井市 2005年8月21日 流刑小屋 富山県南砺市 福井県大野市 2005年8月20日 旧陸軍金沢偕行社 石川県金沢市 石川県立歴史博物館 石川県金沢市 兼六園夕顔亭 石川県金沢市 金沢城跡石川門 石川県金沢市 旧陸軍第六旅団司令部庁舎 石川県金沢市 2005年8月19日 志摩 旧三田商店 玉川図書館 石川県金沢市 尾山神社神門 石川県金沢市 2004年11月7日 大善寺 薬師堂 山梨県甲州市 笹子隧道 山梨県大月市 2004年9月24日 江川邸 静岡県伊豆の国市 2004年9月10日 円覚寺 三門 円覚寺 選仏場 舎利殿 旧安保小児科医院 赤尾耳鼻咽喉科 寸松堂 白日堂 #ref error :画像URLまたは、画像ファイル名を指定してください。
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小谷潔 『「極限」を使いこなす 微積分・微分方程式・確率統計』 東京大学出版会 2017.10 (参考文献) 1.参考にした文献 (微積分) 基礎教養 微分積分学 粟田 解析入門1 杉浦 だ History of Mathematics, Boyer けだ 軽装版 解析入門1 小平 あ(しだ) Mathematics and its history, Stillwell だ 定本解析概論 高木 しだ (微分方程式) Simulating, Analyzing and Animating Dynamical Systems A guide to XPPAUT for reserchers and students, Vol.14 Ermentrout 基礎からの力学系 小室 Mathematical Foundations of Neuroscience, Vol.35 Ermentrout ニューロンの生物物理 第2版 宮川 だ 非線形ダイナミクスとカオス Strogatz (確率統計) 基本演習確率統計 和田 統計学入門 東京大学教養部 しだ 入門ベイズ統計 松原 プログラミングのための確率統計 平岡 道具としてのベイズ統計 桶井 け パターン認識と機械学習 bishop 入門確率解析とルベーグ積分 森 2 発展的な内容を学習するための文献 (微積分) 微積分名作ギャラリー dunham だ (微積分・微分方程式) 工学部で学ぶ数学 千葉 (微分方程式) 工学のための非線形解析入門 藪野 (確率統計) データ解析のための統計モデリング入門 久保 だ 3 数学を扱ったよみもの 『非線形科学』 蔵本 集英社 公新書421.5Ku53 スポーツを10倍楽しむ統計学 鳥越 けし 数学の言葉で世界を見たら 大栗 し 『脳・心・人工知能』 甘利 ブルーバックス
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{{日本の内閣記事|あべ ないかく|36|阿部信行|Template 和暦?|8月30日|Template 和暦?|1月16日|貴族院・軍人が中心。|なし|なし|http //www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/36.html|予備役陸軍大将}}Template 和暦?1月14日に総辞職し、次の米内内閣が成立するまでの間、職務を執行した。 概要 阿部内閣は、前の平沼内閣の総辞職を受けて、予備役陸軍大将の阿部信行が組閣した内閣である。組閣直後の1939年(昭和14年)9月、ドイツ(ナチス・ドイツ)がポーランドに侵攻したことにより、イギリスとフランスが対ドイツ宣戦布告して、第二次世界大戦が勃発。阿部内閣は大戦不介入の方針を採り、日中戦争の解決に努めたものの、不調により内閣総辞職。 閣僚 総理大臣 阿部信行(予備役陸軍大将) 1939年(昭和14年)8月30日 - 1940年(昭和15年)1月16日 外務大臣 阿部信行(首相兼任・予備役陸軍大将) 1939年(昭和14年)8月30日 - 1939年(昭和14年)9月25日 野村吉三郎(予備役海軍大将) 1939年(昭和14年)9月25日 - 1940年(昭和15年)1月16日*内務大臣 小原直(貴族院所属 同和会) 1939年(昭和14年)8月30日 - 1940年(昭和15年)1月16日 大蔵大臣 青木一男(貴族院所属) 1939年(昭和14年)8月30日 - 1940年(昭和15年)1月16日 陸軍大臣 畑俊六(軍人 陸軍大将) 1939年(昭和14年)8月30日 - 1940年(昭和15年)1月16日 海軍大臣 吉田善吾(軍人 海軍中将) 1939年(昭和14年)8月30日 - 1940年(昭和15年)1月16日 司法大臣 宮城長五郎(官僚 司法省) 1939年(昭和14年)8月30日 - 1940年(昭和15年)1月16日 文部大臣 河原田稼吉(貴族院所属 昭和研究会) 1939年(昭和14年)8月30日 - 1940年(昭和15年)1月16日 農林大臣 伍堂卓雄(予備役海軍造兵中将・貴族院所属 昭和研究会) 1939年(昭和14年)8月30日 - 1939年(昭和14年)10月16日 酒井忠正(貴族院所属 研究会) 1939年(昭和14年)10月16日 - 1940年(昭和15年)1月16日 商工大臣 伍堂卓雄(農林相兼任・予備役海軍造兵中将・貴族院所属 昭和研究会) 1939年(昭和14年)8月30日 - 1940年(昭和15年)1月16日 逓信大臣 永井柳太郎(立憲民政党) 1939年(昭和14年)8月30日 - 1940年(昭和15年)1月16日 鉄道大臣 永井柳太郎(逓信相兼任・立憲民政党) 1939年(昭和14年)8月30日 - 1939年(昭和14年)11月29日 永田秀次郎(貴族院所属 同和会) 1939年(昭和14年)11月29日 - 1940年(昭和15年)1月16日 拓務大臣 金光庸夫(政友会) 1939年(昭和14年)8月30日 - 1940年(昭和15年)1月16日 厚生大臣 小原直(内務相兼任・貴族院所属 同和会) 1939年(昭和14年)8月30日 - 1939年(昭和14年)11月29日 秋田清(第一議員倶楽部) 1939年(昭和14年)11月29日 - 1940年(昭和15年)1月16日 内閣書記官長 遠藤柳作(貴族院所属 昭和研究会) 1939年(昭和14年)8月30日 - 1940年(昭和15年)1月16日 法制局長官 唐沢俊樹(官僚 内務省) 1939年(昭和14年)8月30日 - 1940年(昭和15年)1月16日 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月17日 (月) 16 20。
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曽我平九郎 山本周五郎 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)信長《のぶなが》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)女|若菜《わかな》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#8字下げ] [#8字下げ]一[#「一」は中見出し] 信長《のぶなが》は突然顔をあげて、 「気に入ったか」 と訊いた。 余りにふいの事で、曽我平九郎にはその言葉が分らなかったから、碁石を握っている手をそのまま下して、 「は――?」 と主君の眼を見上げた。 信長は、いま襖の彼方へ去って行った侍女|若菜《わかな》の方へ一督をくれながら、 「若菜よ」 と言う。平九郎はっと赧《あか》くなった。 「何を、何を仰せられます」 「ははは赧うなったの」 信長は面白そうに、 「我慢の平九と言えば清洲きって武骨と噂に定った男だがやはり血は温う流れるとみえる。どうだ美しかろうが」 「何がでござりますか」 平九郎の返事は意外だった。 「何が――?」 信長ちょっと鼻白んだ。 「若菜よ、若菜の姿美しゅうはないか」 「さ、どうでござりましょう」 平九郎は静かに盤面へ石を置いた。 「ほほう大分構えるな、彼女《あれ》もしかるべき者の娘であったが今は孤児《みなしご》、よき男あらば縁ずけくれようと存じているが、どうだ平九、嫁にとる気はないか」 「ござりませぬ」 にべもない答えだ。 「私、生来女子が嫌いでござります」 「隠すな」 「殿こそ、お戯れを」 「なに戯れ?」 信長の唇がぶるぶると痙攣《ひきつ》った。 「平九郎、その方|上総介《かずさのすけ》を盲目《めくら》にする気か」 「は?」 「先刻より三度まで、若菜が茶を運んでくる毎に、その方愚な手を打っていること、この信長が知らぬと思うか、うつけ者め」 信長は指を以て盤面を指した。 「ここ、ここ、ここ! この三石は何だ」 平九郎はっと手を下した。 「多くある家臣の中でこの男と思うたればこそ碁の相手にもしばしば呼んで、若菜に茶を汲ませたものを、その心尽しを察しもせんで戯れとはどの口で言う。上総介信長が取持の役まで買っているに白をきって、生来女子を好まぬなどとどこまで欺き澄ます気だ。見損っていた、退れ! 左様な心ねじけた奴家臣に持つことならぬ、唯今限り勘当だ」 「あ、御勘当とは?」 驚いてすり寄る平九郎。信長は、 「ええ眼触りだ!」 甲高に叫ぶと、 「殿、し、暫く」 裾に縋ろうとする手を振払って、足音も荒く奥へ去ってしまった。日頃の一徹の気性を知っているから、平九郎もどうにもならぬと覚った。力無く座を立つと溜《たまり》へ寄り、支配頭|池田信輝《いけだのぶてる》に取なしを頼んで城を退った。 平九郎は俊斎《しゅんさい》の子、年は二十六歳、御使番で槍の達者だった。四年まえに父俊斎が卒してからは下僕|六助《ろくすけ》と二人住い、母はとくに亡かった。俊斎が先代|信秀《のぶひで》の出頭《しっとう》人であったことから、信長も平九郎を疎からず思い、徒士組《かちぐみ》にいたのを馬廻りに取立て、幾許もなく使番としてめをかけていたのである。その気持は平九郎にも身に浸みて有難かったから、人一倍武芸に出精して折あらばこの君の馬前に死のうと誓っていた。 五十日程前のことである。 「遠駈の供をせよ」 という命が不意に平九郎を驚かせた。蒼惶としてまかり出ると、供は自分ともう一人、それも軽装した小女房である。それが若菜であった。審り顔の平九郎に、 「此女《これ》は少々|騎《の》るぞ、負くるな平九」 そう言って信長は悪戯そうに笑った。 小牧山まで二|刻《とき》、信長を先頭に平九郎、若菜の二騎、轡を並べて傍乗を勤めた。併し手綱捌き、煽り、抑え、駈けいずれを見ても若菜の馬術は非凡なもので、相駈けの平九郎に分越《わけこし》すまいと気を配る女らしい優しさと余裕さえ充分にもっていた。 「併し、何故殿はこんな供をさせるのであろうか」 平九郎はそれが分らなかった。 [#8字下げ]二[#「二」は中見出し] それがきっかけで、それから平九郎はしばしばその遠駈に召された。主君の寵を受くることは望外の面目であるが、武弁一徹の平九郎にはそうした晴がましさが辛かった。しかもそうした時必ず若菜が一緒であることは、何かにつけて心が乱れる、見まいとすればする程、却って姿が眼について遠駈の後のぽっと上気した頬、風に吹送られてふっと鼻をかすめる匂やかな女の香、豊かに肉の乗った体つきなどが日を経《ふ》るにしたがって忘られぬものとなっていった。 ところが五六日前のことである。城中の溜に集っていた若武者達の噂話を、聞くともなく平九郎が耳にした。 「若菜とか申す侍女な」 「うん」 「殊の外のお気に入りと見えるが、最早お手がついたのではあるまいか」 平九郎の血が逆流するかと思われた。 「さあ御潔癖ゆえそこまでは知れぬが、ともかく一向《ひたぶる》の御執心だな、お傍御用は彼の女が手一つにお仕え申しているらしい」 平九郎はその後を聞くに堪えなくなってその場を外した。 「そうか、殿御執心の女だったか」 そう呟くと共に、その日まで心|窃《ひそ》かに抱いていた自分の恋心を、嘲るように苦笑をもらした。 「御執着の侍女に懸想するなどと、自分は何という分際を知らぬ男だ。諦めよう」 そう決心した。 こうしたゆくたてがあればこそ、今日信長の言葉を素直に受取ることができなかったのである。 「気に入ったか」 と言われた時既に、心を見透かされて度を失っていたのだ。殿御執心と知っていればこそ嫁にとらぬかと言われても、辞退する外はなかったのである。その心が信長に通ぜず、徒に主君を盲目にしたと思われたのでは、さすがに平九郎も悲しかった。 「や、最早御退下にござりますか」 平九郎の早い帰宅をみて、下僕は審り顔に出迎えた。 「お顔の色が勝れませぬがお加減でも悪うござりますか」 「うん、頭が重うて」 「お薬湯など煎じまするか」 「構わんでよい」 平九郎は何をする元気もなく居間へ入るとそのまま、刀を脱《と》ったなりそこへ坐りこんでしまった。 明る朝早く、隣邸に住んでいる木下藤吉郎《きのしたとうきちろう》が訪ねてきた。藤吉郎は仕官して五年に満たぬ新参であったが、智略抜群、数度の功によって普請奉行の役についていたし、役禄五百貫を領した隆々たる出世振りに世を驚かしていた。したがって柴田勝家《しばたかついえ》、佐久間信盛《さくまのぶもり》、坂井右近《さかいうこん》ら、清洲譜代の老臣どもは、人もなげな昇進ぶりを苦々しく思って、 「野猿めが、身の程を知らんで」 と疎んじていたが、平九郎は藤吉郎の智謀と、功に誇らぬ卒直さが好きで、はやくから親しいつきあいをしていた。 「御勘気を蒙ったそうにござりますな」 座に就くとすぐに、 「お小姓衆から容子を聞いて取敢えずお伺い仕ったが、何を失策なされました」 と藤吉郎が訊ねた。 「さあ――」 平九郎は苦笑した。話すべき事であろうか、主君御執心の女、それと知ったればこそ御意に逆ろうた自分の気持、それは迂闊に語るべきことではない、知ってもらえるとすれば信長公自身に知ってもらうべきで、他の人の耳に入れて良い事ではない。 「お話し申上げたいが、申せば身の耻、どうぞお訊ねくださるな」 「それでは伺いますまい」 藤吉郎は頷いて、 「日頃御出頭のこと故、御勘当もすぐにゆるむことでござりましょう。折があったら憚りながら私よりもお口添仕ります」 「何分ともに」 「ま暫くは骨休め、御心労なさらずに静養でもして――」 心安く言って藤吉郎は辞し去った。 木下が取なしてくれたら、あるいは早くお詫びが協《かな》うかも知れぬ、と心丈夫に思っていると二三日して、支配頭池田信輝が馬をとばしてやってきた。 「どうでござりました」 何より先に訊くと、 「だめじゃ、きつい御不興でのう」 「は」 「平九郎の儀なれば助言無用、そう仰せられるきりお取上げにならぬ」 「では、どうでも御勘当は許されませぬか」 「今の御気色ではのう」 平九郎は胸を塞がれるような思いだった。「併し何とかその内に考えようから、決して落胆せぬようにな」 「は!」 「お許にも思案があったら申出てくれ」 そう言って信輝は帰って行った。 [#8字下げ]三[#「三」は中見出し] 七日めの夜であった。 「お来客にござります」 と、下僕が知らせてきたので、武具の手入れをしていた平九郎、 「木下殿か」 「誰やら、お女中にござります」 「女中?」 夜中、女客と聞いて、平九郎首を傾げたがふっと頭にかすめる俤。 「お通し申せ」 と言って手早く仕度を改め、まさかと思いながら客間へ行ってみると、案に違わず短檠《たんけい》の明りを避けて、つつましく坐っているのは、若菜であった。 平九郎は騒ぐ心を押鎮めながら、 「何か、急用にても?」 と訊く。若菜は頬を染めて眤《じっ》と膝を見戌《みまも》っていたが、やがて静かに眼をあげた。 「実は私も、お暇になりました」 「お暇?」 平九郎は眼を瞠った。 「それはまた何故に」 「訳は言わぬが、暇をくれるから平九郎を訪ねて身のふり方を頼め、と仰せられまして」 「私に――頼めと――」 「親兄弟のない身上ゆえ、厚顔《あつかま》しゅうはございますが、ともかくお眼にかかってとこうして夜中にお伺いいたしました」 そう言って、若菜は俯向いてしまった。燈火を避けてはいるが、どうやらその眸には涙が溢れているらしい。 平九郎は呆然とした。自分はどうかして帰参のかなうようにと心を砕いているのに、主君は若菜に暇を出してしまわれた。勘当のはなむけに、御執心の侍女を与えようという思召かも知れぬ。 「併しそれは余りに情なきお仕置だ。曽我平九郎は想う女と主君を取替える程、心腐れてはおりませぬぞ!」 そう思うと平九郎はきっと顔をあげて、 「若菜殿」 「はい」 「慮外ながらこのままお帰りくだされい」 若菜ははっと平九郎を見た。 「私とても御勘当の身上、貴女の身に就いて御相談にあずかる筋ではござりませぬ。夜陰ではあり男ばかりの住い、人の眼にかからば由なき噂の種ともなりましょう。早々にお引取りくださるよう」 若菜は無言だった。 「お分りくださらぬか」 平九郎の語調は意外にきつかった。若菜はやがて力なく頷いて、 「分りました。ではこれで――」 「お帰りくださるか」 「はい。お邪魔をいたしました」 低く言うと、静かに挨拶をして若菜は立上った。平九郎は見送らずに居間へ戻った。 「可哀相に」 そう呟くと共に、心の内で、 「赦せ」 と詫びるのだった。 闇の中を唯一人、身寄りもない女の体で何処へ行くだろう、木下藤吉郎にでも頼れと教えるのであった。そんな事を思いながら平九郎は再び、武具の手入れを始めるのであった。 それから又一旬ほど過ぎた。 ある夜更けてから、藤吉郎がふいに訪ねてきた。既に子《ね》の刻近くのことで、座へ通るとすぐに口を切った。 「大館左母次郎《おおだてさもじろう》、御存知でしょうな」 「鳴海《なるみ》より参っている」 「如何にも、かねて諜者の疑いあった男。あれがいよいよ山口左馬之助《やまぐちさまのすけ》の手先となって、清洲の秘謀を内通している事判明、明朝刺殺いたすことに定《き》まりました」 「明朝刺殺?」 藤吉郎の話はこうだ。 大館左母次郎は、鳴海城主山口左馬之助の家臣であったが、左馬之助が織田信長と誼《よしみ》を結ぶと間もなく、遣わされて清洲の城に属していた。山口はもとより今川義元《いまがわよしもと》の腹心表面織田家に貢を献ずると見せて、実は機密を探り、これを今川氏に通じていたのである。勿論左母次郎がその諜者の役を勤めていた。 「併し、今川氏との対抗上、今ここで急に鳴海と不和になる事は不得策。よって左母次郎を秘に刺そうという手段」 藤吉郎は、声を低めて、 「大館は鳴海へ急使の役を申付けられ、夜明け前に清洲を出発いたします。刺殺の役は私、場所は庄内川土井の渡、河原に待受けて討止める手筈でござります」 そこまで聞くと、何の為に藤吉郎がそんな話を持ってきたかという事が、はじめて平九郎に分った。 「左母次郎の供は」 「両名!」 「騎馬でござるか」 「徒《かち》の筈です」 平九郎は刀を引寄せた。 [#8字下げ]四[#「四」は中見出し] 夜が明けかかっていた。 土井の渡手前十二三町、土器野《どきの》の畷《なわて》がかり半町余り、郷社八幡神社の境内松の蔭に、平九郎は槍を横えて待っていた。 自分達は庄内川の河原へ待伏せをかけるから、その前に左母次郎を討って、御勘気赦免の手柄にするがよい。 と、口に言わぬが藤吉郎の好意だった。その場から立って須賀口《すがぐち》で藤吉郎の同勢二十騎をやり過し、足場を選んだのがここである。 見覚えのある大館左母次郎が、供二人をしたがえて畷へかかってきた時、田面の上には濃い朝靄が垂れていた。左母次郎は五尺二寸余り、小兵の体に徒士|物具《もののぐ》を着け、体に似合わぬ大太刀をはいている。供は登五《とうご》、道助《みちすけ》と呼ばれ、いずれも鳴海からの随身で強力の名が高かった。 平九郎は三人を四五間やり過しておいてつと起つや、槍を執って追いざま、登五の腰へまず一槍入れた。 「あっ!」 と倒れる登五。はっと振返った道助が、 「曲者」 叫ぶのへ、 「邪魔だ、退けっ」 と喚いておいて左母次郎へ肉薄する。疾風の如き襲撃に危く初の突を躱した大館、太刀を抜合して構えながら、 「名乗れ、何奴だ」 「清洲譜代の家人曽我平九郎|友正《ともまさ》だ、鳴海の諜者《いぬ》め、死ね!」 「さては露《ば》れたか」 左母次郎歯噛みをして、 「かくなる上は逆討だ、来い」 「やあ――」 脇から絶叫しながら道助が襲いかかる、平九郎左足をひいて外しざま、石突をかえして足を払う、のめって倒れるのには眼もくれず左母次郎へ、 「ゆくぞ!」 おめきながら突きを入れる。 平九郎の軽装に反して大館は物具を着けていた。進退の自由、足場の利、ことごとく平九郎に奪われている。三河、駿河に転戦して功名少からぬ有士であったが、数合あわせるうちに突立てられて、道助が助勢に寄る間もなく、草摺はずれ下腹を背へかけて刺貫かれた。 「うん!」 と呻いて槍をひっ掴んだが、右手に大きく振冠った太刀が苦痛に顫《ふる》えた。道助が横から平九郎に掛ろうとするのを見ると、 「早く鳴海へ」 と左母次郎は叫んだ。 「鳴海の城へ、急げ」 道助はちょっと躊躇《ためら》っていたが決心して踵をかえすとそのまま、一散に東へ駈けだした。やってはならぬ、平九郎は槍をぐいと手許へ引く、左母次郎は槍を掴んだなり引かれて寄る、と振冠った太刀を必死に斬下した、刹那、平九郎は槍を抛《ほお》って大館をそのままに刀を抜いて道助を追った。 畷はずれで道助を斬って戻ってくると、左母次郎は草の上に坐って、傷所を押えながら肩で息をしていた。引起して、 「覚悟はよいか」 と喚くと、ようやく振仰いだが、もう瞳が散大してしまって見る力はない。平九郎は膝下に押伏せて首をかいた。 叢の中に這い込んでいた登五を引出して斬ってから、左母次郎の首級を包んでいると、朝靄の彼方から戛《かつ》々と蹄の音が聞えてきた。それは藤吉郎の同勢であった。 「やあ、曽我殿」 木下は平九郎を見出すと、真先に馬を乗りつけてきながら、 「貴殿この辺にて大館左母次郎にお会いなさらなかったか」 「そこに――」 平九郎は道傍の屍を指した。 「や!」 藤吉郎は聞えがしに叫んだ。 「左母次郎を斬られましたな。して従者両名は」 「それも共に」 「貴殿御一人でか」 平九郎は苦笑するばかりだった。 「お手柄お手柄でござる」そう言って馬から下りてきた。 [#8字下げ]五[#「五」は中見出し] 三日後、平九郎は信輝に連れられて城へ上った。大館左母次郎主従を討取ったのは一人である、という藤吉郎の報告に平九郎の名は伏せてあった。案の定信長はその者に会おうと言う。そこで、今日の伺候となったのである。 城へ上るとすぐにお召しということで、平九郎は池田信輝の後から謁見の間へ通った。待つ間もなく信長は座へ現われた。挨拶を言上して信輝が、 「かねて申上げました大館左母次郎を討取りし者、仰せにしたがって召連れました」と披露するを、 「待て」と信長が制して、 「その方、平九郎だな」 「はっ」平九郎はっと平伏したままで、 「御機嫌うるわしゅう」 「左母次郎を斬ったはその方か」 「は、お恥かしゅうござります」眤と見ていた信長、何を思ったか、 「勝三郎《しょうざぶろう》(信輝)席を外せ」 と命じた。信輝はじめ小姓共を退けて二人だけになると信長はつと膝を進めて、 「待っていたぞ平九、何故早く来なかったのだ。手柄などをたてずとも、自分から参って一言詫びれば、それで俺《わし》の気は晴れるのに、情の強い奴め」 「はっ」平九郎は顔を挙げることができなかった。やはり主君は自分を憎んでおられたのではなかった――そう思うと、嬉しさがこみ上げてきて涙の溢れるのを抑えかねた。 「よいよい、顔を見せろ」 「――」平九郎は懐紙で涙を拭うと、静かに面をあげた、信長はその眼を見てにっこと微笑《ほほえ》みながら言った。 「若菜は達者か」 「――」 「患いはすまいな」 平九郎はぎょっとして、は! と言ったまま両手を下した。 信長は重ねて、 「どうした」と促すように訊ねたが、答えもなく平伏している平九郎のさまを見ると、ふいと声の調子が変った。 「平九郎、その方――若菜を家に入れなかったな」 平九郎は苦しげに答えた。 「は、御意の如く」 「何故だ、どうして入れなかった」信長の追求は厳しい。 「恐れながら、御勘気を蒙っておりまする私故、憚多きことと存じまして、そのまま、――」 「追返したと言うのか」 「殿――」 弁明の暇も与えず、ぱっと起った信長、席から飛ぶように走り寄ると、平九郎の衿髪とって膝下へ引据え、拳を挙げて続けざまに三つ五つ打った。 「強情者め!」信長の息は火のように熱かった。 「何の為に信長が罪なき若菜に暇をだし、身寄頼りのない体を城から追ったかそれが貴様には分らぬか」 「――」 「身上の事は平九郎に相談せよとまで言伝てたではないか如何にものを知らぬ武弁とはいえ、かほどまでした信長の心が知れぬ筈はあるまい」 「――」 「大館主従を斬るは貴様でのうても足りる、若菜の行末をみるは貴様の外になかったのだぞ。世に頼りなき女を追帰し、僅な手柄を申立てて帰参を願い出るなんど、それがあっぱれ武士《もののふ》の道か、再びその面見するな」 信長はそう言って手を放すと二三歩行きかけたが振返って、低い声で付加えた。 「貴様は自分の浅智恵で、若菜は信長執心の女と思っておるであろう。それ位の事を察せぬ上総介か如何にもおれは若菜が好きであった。好きであったればこそ平九郎をこの男と見込んで、若菜を嫁にとらそうとしたのだ。貴様がおれに遠慮せんで済むよう、罪なき者に暇をくれてまで良かれと計ったものをその情も空となった。――若菜はいま何処にいることか」 信長の跫音が聞えなくなってからも暫く、平九郎はその座を動くことはできなかった。そしてやがて頭をあげると、 「今こそ分りました、平九郎は愚者でござりました」低く呟いて立った。最早曽我平九郎は泣いてはいなかった。そしてその夜のうちに西市の邸を引払って、平九郎は清洲を立退いた。 [#8字下げ]六[#「六」は中見出し] 永禄三年夏五月。駿河守治部大輔《するがのかみじぶだゆう》今川義元は、四万六千余騎を率いて駿府を発し、京に入って天下号令の権を握るべく、まず尾張を犯して自ら田楽狭間に本陣を構えた。 十有八日、駿河勢の先手は鳴海を収め、知多の郡の所々に火を放った。織田家の総勢六千、丸根の出城に佐久間大学《さくまだいがく》あり、鷲津の砦で織田玄蕃允《おだげんばのすけ》らあり、中島、善祥寺等の要害に、木下藤吉郎麾下、蜂須賀正勝《はちすかまさかつ》の党一千五百の騎兵隊はあったが、海道随一の勇将今川義元の軍勢には敵すべくもみえなかった。 十九日の夜。 清洲城中の評定は、ほとんど籠城ということに決していた。老臣達はいずれも義元の威勢に怖れ、城外に合戦して全滅するより、城に立籠って決戦を遅らせ、北陸の猛虎|上杉謙信《うえすぎけんしん》の武威を藉ろうと謀っていた。併し独り信長のみは傲然として言わず、十九日夜に入ると共に、城中大広間に諸臣を列ねて酒宴を張った。宴なかばにして、 「鷲津落つ!」と飛報があった。 信長は生絹《すずし》の帷子を寛濶《ゆるやか》に着て、事もなげに痛飲していたが、やがて席末にいる舞師|宮福太夫《みやふくだゆう》を招いて、 「鼓をうて」と命ずるや、自ら扇《おう》をとって立上り、人間わずか五十年、外典《げてん》の内のくらぶれば夢まぼろしの如くなり一度《ひとたび》生《しょう》をうけて滅せぬもののあるべきか、と舞い謡った。 三度まで繰返して席につくところへ、 「丸根《まるね》の砦破れ佐久間大学討死」という急使が来た。信長は聞くより盃を抛って、 「よし、時機《とき》だ!」と起ち、大音声に叫んだ。 「上総介信長出陣と軍中に伝えよ、めざすは桶狭間!」 あっと驚く老臣達をしりめに、信長は勇気凛然と内へ入った。 間もなく――。 清洲から馬を煽って東へ駈ける武者があった。田中郷をぬけ阿原を越えて枇杷島へかかると、ある籔蔭の古朽ちた家の表に馬を下り、雨戸を打って、 「木下の使者でござります、お明けくだされお明けくだされ」 と忍び声に呼んだ。 「唯今!」答えがあったと思う間もなく、内から雨戸を引明けたのは、清洲を立退いて年余になる曽我平九郎友正であった 「介殿には唯今御出陣にござります」 「や! して行く先は?」 「桶狭間」 「かたじけない、木下殿に御礼よろしく」 御免と言って使者は馬に、そのまま闇を清洲へ引返して行く。平九郎は振返って、 「若菜!」と呼んだ。 「はい、お仕度はこれに」と奥では既に、愛妻若菜が甲斐々しく良人の物具を取揃えていた。 清洲を立退くとすぐ、平九郎は藤吉郎の助力で、近江の縁辺に身を寄せていた若菜を連れ戻って婚姻を結び、枇杷島郷の片隅に隠れ棲んで時機の来るのを待っていたのだ。 「いよいよ御馬前に死ぬ時が来た」 「はい」 「御勘当のお赦しはないが、今こそ平九郎友正、尾張の悪鬼となって、駿河夷どもを突きまくってくれようぞ!」手早く身仕度をする平九郎の前に、 「お願がござります」と若菜が手をつかえた。 「何だ」 「私も共に戦場へお連れくださりませ」 「そなたも?」平九郎は眼を瞠った。若菜は必死の面をあげて言う。 「この度の戦は、清洲にとっても、貴方様にとっても九死一生の大事、所詮は討死のお覚悟でござりましょう、殿様のお情にて夫婦となりました私、一人のめのめと何を当に生残りましょうぞ、是非お連れくださりませ」 「そうか!」平九郎は快く頷いた。 「そなたの長巻《ながまき》は殿御自慢であった、見苦しい死ざまもすまい、来い」 「お許しくださりますか」 「うん、夫婦揃っての討死も面白かろう」 「嬉しゅう存じます」若菜はにっこり微笑んで立った。 かねてかかることありと期していたか、持荷をひらくと取出した物具、髪をきりきり括って衣服を更え瞬くうちに武装をおえた。太刀は佩かずに小刀のみ帯し、手だれの長巻をとっていざと起つ、平九郎見るより、 「あっぱれ武者振だ、さらば友正地獄の先達をいたそう、来い」 勇躍して槍をとった。夫婦轡を並べて薄明の中を東へ。 [#8字下げ]七[#「七」は中見出し] 信長が急遽清洲の城を駆って出た時、続く者は十騎に足らなかった。須賀口で二十騎、旗本で五十騎、土井の渡でようやく総勢二百余り、三里を疾風の如く駈けて熱田の宮に到ると、信長はかねて認めてあった戦勝の願文を奉る為に馬を駐《と》めた。 熱田にて兵を待つ、集る軍勢三千余騎、東を望めば黒煙天を覆って暗い、これぞ丸根、鷲津の出城を焼く煙だ。礎願終って信長は再び馬上に鞭をあげ、東を指して発した。 笠寺に到って道を変じ、一路丹下の砦に入って柴田と合する。ここに於て戦況を聚《あつ》め聞き、即ち田楽狭間の本陣を衝くべしと決した。 連日の勝戦に気をよくした今川勢は、更に鷲津、丸根を破って驕り、大将義元をはじめ田楽狭間の本陣に鎧の紐を解いて、昼から酒宴を張っていた。信長はその虚を衝いて向背両面から不意に義元の旗本へ殺到した。 折も折も、一刻あまり前から疾風がおこり、雷鳴と豪雨さえ加わって天地晦冥となった。そこへ思いがけぬ織田勢の奇襲である。今川勢は忽ち手のつけられぬ混乱に陥った。 「余の者には眼をくれるな、唯大将を討って取れ、めざすは駿河守の首一つぞ」 叫び叫び信長は槍をとって自ら馬を陣頭へ進めていた。 吹きまくる烈風に煽られて、濡れた幔幕がぱっぱっと鳴りながら飜っている。ひっ千切れて飛ぶ木葉が、飛礫《つぶて》のように縦横に空を切る。電光がはしる度に、斬合い突合っている兵どもの、ひき歪んだ唇、殺気に光る眸、苦痛を堪える眉が明らさまに見えた。 はじめ同勢内の喧嘩か、あるいは謀叛人でもあるかと疑っていた義元近習の人々は、(それ程にこの襲撃は駿河勢にとって考え及ばぬものであった)それと知るより、 「旗本を固めよ!」と叫びながら駈寄ったが、遅し、その時既に二人の尾張武者が幔幕をかかげて踏込んできた。一人は黒糸|縅《おどし》の鎧に、犀の角の一本前立うった冑を冠り、大身の槍を持っていた。また一人は小具足身軽に出立って長巻を抱込み、うちつれて颯と幕の内へ入ったが、槍を持った武者が逸早く義元をみつけて、 「駿河守殿、見参!」と叫びつつ走り寄った。 「慮外者!」 「さがれ!」 罵りながら警護の士両名が、抜つれて襲いかかる。尾張武者は少しも騒がず、左と右にやり過して、必殺の意気凄じく義元へ肉薄した。幕営を犯された義元近習の武者達は、既に尾張勢が幕外へ詰寄っていると、誤り信じてしまった。それ故侵入者を斬除くことより、主君の活路を見出そうとする方が先だった。 「殿、早く!」 「西の木戸へ、早く、早く」 いずれも上ずった声で喚きながら、刀を振舞しているばかりだ。猛然と肉薄してきた尾張武士は、もう一度大音に、 「見参仕る!」と叫んだ。 「応!」と答えて義元が、愛刀|松倉郷《まつくらごう》の大太刀を抜く。同時に両三名の近習の士が、 「わっ」と言って義元を背に囲んだ。と、眼も眩むような電光と共に脇から、長巻の武者が猛然と薙ぎかかったので思わずたじろぐ、隙だ、手近の一人を突伏せて勇躍した尾張武者、 「御免!」と言いざま、さっと義元の太腿深く突刺した。 「うぬ、推参!」 喚いて払う、刹那、槍をかえして石突で頸輪のあたりを強かに突く、だだだと体が崩れて膝をつく義元、 「や! 殿」 警護の士達が走寄ろうとする時、幔幕の一部を切落して再び四五人の尾張武者が乱入してきた。 「駿河守殿に見参!」 「義元公、見参仕る!」 口々に名乗りかけつつ踏込んでくる。狼狽した近習の面々浮足立つ、その時既に先の尾張武者はもう一槍義元の股へつけていたが、いま乱入してきた一人が、 「服部小平太《はっとりこへいた》に候、見参申す!」と名乗って駈寄るのを見ると、さっと槍をひいて退り、 「雑兵は拙者ひき受けた、首掻かれい」と小平太に言って自分は必死に防戦している警護の士達の方へ向った。すると長巻を以て薙ぎたてていた武者も、槍に倣ってさっと遠退いた。 この間に小平太は義元に迫って鋭く斬りつけた。先に二槍つけられてはいたが、義元もさすが聞えた勇将小平太の太刀を二度までひっ外すと、 「下郎!」と喚きざま小平太の膝頭を斬った。 「残念」呻いて横ざまに崩れる小平太、間もおかせず右から又一人、 「毛利新助秀詮《もうりしんすけひであき》!」と名乗って斬りかかった。 「応!」と立直ったが、最早義元は精根衰えていた。二三合あわせると、新助は太刀をすてて組み、押伏せて動かせず、鎧通を抜いて義元の下腹を三太刀まで刺した。 「八幡!」 義元は怖くと共に、新助の手頸へがっしと噛みついたが新助は屈せず、鎧通を取直して義元の首を掻いた。 その時まで近習の武者達を相手に、新助の邪魔払いをやっていた先の名乗らぬ武者両名は、義元の首級があげられるのを見るや、さっと身をひいて、何処ともなく姿を隠した。 膝頭を割られた小平太は、件の武者が自分より先へ義元に槍をつけていながら、むざむざ功を他人に譲って、自分は邪魔払いをひき受けたふしぎな振舞を思いかえした。 「はて何者であろう」 毛利新助が大音声に、駿河守義元討取りと名乗りをあげるのを聞きながら、服部小平太はしきりに頭を傾げていた。 戦はついに織田方の勝利であった。 数刻の後馬寄が行われた。 第一の功名として義元の首級をあげた毛利秀詮と、初の太刀をつけた服部小平太とが信長の前へ召された。秀詮が今川義元の首級を御前に直すと、信長は暫くその面を覓《みつ》めていたが、やがてはらはらと落涙しながら、 「昨日までは海道随一の名将と謳われ、天下号令の事を夢みられし貴殿が、今日はかく屍を野に晒し給う、真《まこと》に武人の運命は計りがたきものよ」と、生ける人に向える如く言った。 阿修羅のような信長の日頃を見慣れた老臣共は、この言葉を聞くと共に、一瞬戦勝の歓びを忘れて頭《こうべ》を垂れた。 「新助か」やがて信長が顔をあげた。 「義元公討取り、今日筆頭の手柄だ、誉めとらすぞ」 「は、面目至極に存じまする」 「また、服部小平太は初太刀をつけし功、秀詮に次ぐ手柄だ、信長満足に思うぞ」 「恐れながら」 小平太は面をあげて、 「初太刀をつけましたは、私ではござりませぬ、実はそれを申上げたい為、かく御前を汚し奉ったのでござります」 「初太刀はその方でないと言うか」 審し気な信長。 「では誰だ」 「私共より先に二人の武者一人は、小具足に長巻を持ち一人は犀の角の一本前立うったる冑に、黒糸縅の鎧を着し大身の槍を持って義元公に迫り、二槍まで強かに義元公を刺しましたが、ふしぎや名乗らず、しかも私が駈けつけますると槍をひいて」 と小平太が精《くわ》しく語った。折角つけた槍をひいて功を譲り、自分は邪魔払いに退いてしかも名乗らぬふしぎな武者、 「誰だその武者の顔見知らなんだか」信長は急きこんだ。 「残念ながら眉庇深く、ついに誰とも見分ける暇なく、両名はいずれかへ身を隠してしまいました」 「心得ぬことをする奴」と信長が眉を寄せた時、傍から、 「申上げまする」と木下藤吉郎が進み出た。 「唯今服部殿の申される二人ずれの武者、故あって私が引留めおきましてござります。一人は小具足に長巻を持ち、一人は黒糸縅の鎧に犀の角の前立ある冑、槍をとって、冑首七八級をあげた勇士、何故か名乗らず、しかも必死を期して共々に討死せんず有様故、取敢えず手許に留めおいてござります」 「召連れい、その二人、これへ」信長は言下に言った。 藤吉郎は立ってその場を退ったが、待つ程もなく二人の武者を引連れてきた。遙にさがって平伏する。両名、信長は手をあげて、 「近う寄れ、許す、近う!」藤吉郎は二人をずっと前へすすめた。服部小平太ひと眼見るより、 「おお、あの両人に相違ございませぬ」と言った。 下座で兜を脱《と》った二人は、静かに進んで両手を下した。信長は先ず一人を見て頷き頷き言った。 「やはりその方、平九郎だったな」 「は――」 「でかした、よく参った」 「は」平九郎は溢れ出る涙を抑えながら、 「御勘気の身の、お赦しもなきに、恐れ気もなく戦場を犯し奉り」 「言うな言うな」信長が遮った。 「赦しなき身なればこそ名乗らず、大将討取の功をむざと他人に譲ったこと、それだけにて立派な申訳ぞ、それでなくとも今度《このたび》の戦は信長一|期《ご》の大事、勘当を押しての出陣当然のことじゃ、信長は嬉しく思うぞ」 平九郎はうち伏して返す言葉もなかった。やがて涙を拭って面をあげると、 「恐れながら、いま一人押してお赦しを願う者がござります」 「うん!」平九郎はふりかえって、傍に平伏している武者を示し、 「妻、若菜めにござります」 「や!」 黒髪を引結んで男の装《なり》、甲斐々々しい身仕度ながら、さすがに羞を含んでふり仰ぐ若菜の顔を、それと見るより信長は、 「や、若菜、若菜か」と言って床几を立った。 「御機嫌うるわしゅう」 涙さしぐんで見上げる若菜、信長は暫しその顔を覓めていたが、やがて声高くからからと笑いだした。 「や、平九め、やりおったな、夫婦ずれして戦場に暴れるなんど、憎い奴め、はははは」 その笑いにつれられて、旗本の諸人一度にどっと歓呼の声をあげた。 雷鳴去り、雨はれ、黒雲散って漸く黄昏の静けさ近き田楽狭間に、そのどよめきは明るく力強く、朗かに響きわたって行った。 底本:「痛快小説集」実業之日本社 1977(昭和52)年11月15日 初版発行 1980(昭和55)年2月20日 五版発行 底本の親本:「キング」 1933(昭和8)年2月号 初出:「キング」 1933(昭和8)年2月号 ※表題は底本では、「曽我平九郎《そがへいくろう》」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ
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例会とは!? 例会とは、舞台芸術の鑑賞会のことです! 聞こえは堅苦しそうですが、実際は「面白い生の舞台を見よう!!」というだけの話しです。 毎年、会員みんなで吟味を重ねて見てみたい舞台を決定します。 舞台芸術の種類は様々で、「演劇」「音楽」「コント」等々・・・ いろんなジャンルの舞台芸術が「生」で楽しめます!! 生涯忘れられない劇に出会える・・・かも? 例会とは!? 例会の種類と対象の説明 主な例会開催場所 コメント欄(Wikiの編集が苦手な人・編集報告はこちらに) 例会の種類と対象の説明 子ども劇場では対象年齢などで例会を次のような種類に分け、 それぞれにあった舞台芸術を鑑賞できるようにしております。 低学年例会 低学年会員の方が対象の例会です。 高学年例会 高学年会員の方が対象の例会です。 低高合同例会 全会員の方が対象の例会です。 特別例会 会費外の通常とは別の例会です。チケット代が発生します。 (ただし、通常会員は安価になります) ※会員は対象でない全ての劇を乗り入れ料金で安く見られます。 例:高学年会員が、低学年例会を見たい場合、 乗り入れ料金が発生します ※低・高それぞれ年4回以上の例会を保障します。 ※低学年部から高学年部への変更はいつでもできます。 主な例会開催場所 例会は主に次のような場所で行われます。 近くに住んでいる方は一考の価値ありです! (地図が表示されます) 中央公民館 成美会館 ルネ小平 コメント欄(Wikiの編集が苦手な人・編集報告はこちらに) 名前 コメント
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徳川家 榊原康政 レベル 60-7 職業 侍 防衛陣 本陣 構成 名前 職業 レベル 開始時付与 特徴 榊原康政 侍 60 ▲ ▲ 鎧通し、一所懸命、大音声、反計、無印槍撃、活力 大樹寺高僧 僧 55 蘇生・壱、完全回復 服部党練達 忍者 55 蘇生・壱 徳川方士隊 陰陽 55 砥鹿社神官 神主 55 岡崎鍛冶衆 鍛冶 55 三河製茶人 薬師 55 特徴 倒すと本多正信の陣を弱体化 板倉勝重を倒すと弱体化 康政の特殊技は極み重ねても即死。禁呪・縛必須。 ドロップ 笹穂の槍 竜浪蒔絵黒糸威鎧 列伝 榊原長政の二男。最初、小平太と名乗っていたが、初陣となった三河一向一揆との戦いで功を挙げ、家康の康の字をもらい康政と名乗る。 1570年姉川の合戦の際、家康の下知を受けた康政は本陣を離脱し、姉川の下流から迂回し、突如として朝倉軍の右側より横撃。 これによって朝倉軍は崩壊し、余勢をかって織田軍を助勢し勝利へと結びつけた。 また、小牧長久手の合戦では、三好秀次隊を撃破して武功を挙げているが、むしろこの時は例の“高札”で後世名を残すこととなる。 家康の関東移封に伴い上野・館林10万石を拝領。 1600年の関ケ原合戦は、秀忠軍に同行したため参加していない。 戦後、秀忠の遅参を許さなかった家康の怒りを解いたのも康政であったと伝えられている。 以後、老中職に就くのだが、「老臣権を争うは亡国の兆しなり」と言い切り、政治に関しては次世代の本多正信や大久保忠隣に任せていたと言われている。 1606年、館林にて病に倒れる。 二代将軍秀忠も医師を派遣したが快方には向かわず、5月14日病没す。 享年59歳。 その他情報 名前 コメント