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はじめに 世界史では膨大な範囲が試験で問われます。 学校の授業では、一分野ごとに深く内容を取り扱っていくイメージが強いですが、入試となれば、一つの試験問題の中で全時代が問われることになりますから、全体像が分かっていない人は苦戦します。おまけに、入試直前になって「どの分野が苦手?」と先生に聞かれても「それが分からないんだよな・・・」みたいになります。 そこで、ここでは、世界史の全体像を概観し、世界史がどんな構造になっているかを浮き彫りにすることを目指しました。 (ここで示すのはあくまでひとつの歴史観です。実際に勉強していけばいくほど、歴史の捉え方はさまざまであることに気付きます。実際には、学習を通じてあなた自身の歴史観がつくられていくことが理想ですし、それこそが歴史学習の醍醐味でもあります。) 用語をまずは抜く姿勢 どんな科目であれ、用語の暗記はつきものです。特に歴史科目における学習の中心は用語暗記になるかもしれません。 しかし、構造が分かって用語を覚えるのと、用語を覚えてから構造を覚えるのでは学習効果は大きく変わっていきます。 「構造」とは、複雑な事象から複数の要素を取り出し、要素間の関係を考察し、事象全体を俯瞰的に捉えることです。 そういう全体像を頭に入れてから用語に触れると、非常に頭に入りやすいことが多いです。 これは、「全体から細部へ」という、複雑な物事を理解しようとするときの基本態度です。 本ページでも、そのような全体像や構造を理解してもらうことを一番の念頭に置いています。 既に世界史の勉強をしている人であっても、新鮮な視点を与えられ、今後の勉強効率が大きく変わることでしょう。 「今」から逆算するように学べ 歴史を学ぶ際に、教科書通りに古代から学ぶ人がいます。 しかし、我々が今生きているのは「現代社会」です。大昔のことよりも今のことの方が身をもって理解していることが多いはずです。 勉強の基本のひとつは、「分かることから始めていく」です。 そうすれば、「新しい知識」も既に「分かっていること」をベースに、そこと結び付けながら理解していくことができて非常に効率がよく、意味のある学習となるのです。 となれば、学習順序として古代から学ぶのはナンセンスであり、今現在の社会(地理や現代社会で習うようなこと)の知識をベースとし、その一つ一つの事象に対して「なぜ?」と追及しながらゆっくり遡っていきましょう。おまけに、入試問題において近現代の出題数が非常に多いことからしてもこのやり方は有効です。 以上のようなスタンスに基づいて、世界史の基本事項をお伝えしていきます。 地図を必ず用意 「今」をベースに置いて学習するという意味では、世界地理の把握は絶対条件です。必ず手元に地図帳を用意するようにしてください。 外務省のホームページを見れば、すべての国の名前と位置を確認することができます。また、「〜王国」や「〜共和国」というところまで厳密に覚えることで、政治体制まで頭に入れることができます。 https //www.mofa.go.jp/mofaj/area/index.html (例題)以下の国のうちで、現在では君主制に立脚した政治体制を保持しているが、17世紀に共和制国家として存在していた時期がある国をすべて選べ。(慶應大・文学部・2022年) ア.スイス イ.デンマーク ウ.ギリシア エ.ポルトガル オ.オランダ カ.フランス キ.チェコ ▶正解は【 Ans. オ.オランダ 】です。そもそも、この中で「現在」「君主制」になっている国は【 Ans. イ=デンマーク王国、オ=オランダ王国 】しかなく、事実上の2択問題なので、ある意味これは世界地理の問題とも言えるのです。そのくらい、世界地理が重要だということです。 仮に地図帳がないにしても、場所がはっきり分からない地名が出てきたらすぐにググる癖をつけてくださいね。 特に、東南アジア、ヨーロッパ、アフリカの国を細かく答えられるのは非常に重要です。確認がてら以下の地図の数字のあてられているところの国名を答えてみてください。(答え合わせは皆さん各自で地図帳を用いてお願いします。) どこを重点的に学ぶべきか 世界史で学ぶ内容は、以下のように分類可能です。 ①:単純に流れを繋いでいくだけで頭に入れられる内容 ②:他地域との関係性を踏まえて頭に入れていかなければならない内容 一つ一つの国は孤立しているとは限りません。外国となんらかの関係を結んでいることがほとんどです。例えば、「プレヴェザの海戦」は、オスマン帝国が、フランスと同盟を組みながら、スペインや神聖ローマ帝国と戦ったものです。このように、一つの出来事を説明するときに複数の国が出てくる部分(②)が最も難しい部分ですから、学校の授業、塾・予備校の授業、あるいは参考書などで学ぶ人はそこを重点的に学ぶように意識してみてください。 逆に、中国史などはわりと孤立性が高く、他の地域と切り離して一気に学習しやすい単元であります。そういう単元については、用語の定義を的確に覚え、それらを繋げていき縦に流れを追っていくという、単純的な因果関係の連鎖を学べばいいので非常に学習がしやすいはずです。そういう部分は、自学自習でもなんとかなるものです。 世界史の全体像①:世界史を2分割する 世界史の全体像を語るにあたって、よく「古代―中世―近世―近代―現代」という時代区分が利用されますが、そんなことはどうでもいいと思っています。(ざっくり頭に入れる分にはいいでしょう。) なぜなら地域によってこの時代区分に差があり、この時代区分を使ってもかえって混乱を招く場合があるからです。 ではどう捉えればいいのかというと、以下のように整理します。 世界史は、前半と後半に大きく2分割される。 前半は、4つの地域(ABCD)それぞれで歴史が展開していく。 後半は、4地域のうちの一部(BC)が合体し、3つの地域を中心に展開していく。 ⇓世界史⇓ はじめ 地域A 地域B 地域C 地域D 真ん中 地域A 地域BC 地域D 終わり このように押さえてください。ですから、「世界史って何?」という質問に一言で答えるならば、「4つの地域が合体していく歴史」です。 そして、歴史の発展の原理原則として、 歴史の発展=暴力・兵器で勝利した国が覇権を握る という展開になっています。 以上の基本構造をもとに、もう少し具体化していきます。常に全体を頭に入れておくことで、縦と横の連関を構造的に理解できるため、用語を覚えたら理解度はもっと倍増します。だからこそ土台づくりが大切なんです。 世界史の全体像②:3つの軸と15の箱 先ほどの表に用語を入れて、もう少し具体化していきます。 ⇓世界史⇓ - 【先史時代】 - ヨーロッパ 中東 インド 中国 ●3C ① 軍人皇帝時代 ② パルティア滅亡 ③ クシャーナ朝滅亡 ④ 後漢滅亡 ●7C ⑤ ゲルマン国家安定 ⑥ ジハード展開 ⑦ ヴァルダナ朝成立 ⑧ 隋唐時代 ●13C ⑨ 封建社会動揺 ⑩ イル=ハン国成立 ⑪ デリー=スルタン朝成立 ⑫ モンゴル帝国成立 16C 【大航海時代】 - 欧米 中東・インド 中国 ●17C ⑬ オランダの時代 ⑭ オスマン帝国・ムガル帝国繁栄 ⑮ 明清時代 20C 【冷戦の時代】 ※番外編(地域史):朝鮮、東南アジア、アフリカ、中南アメリカ 世界史の全体像③:転換点=3・7・13・17世紀 ●3世紀:【3世紀の危機】 ●7世紀:【イスラム教の成立】 ●13世紀:【モンゴルの衝撃】(パックス・モンゴリカ)→(結果)気候の寒冷化+ペストの流行により衰退 ●17世紀:【17世紀の危機】←(背景)気候の寒冷化 世界史の全体像④:3つの軸=はじめ・真ん中・終わり はじめ=先史時代 ▶文明が未発達、すなわち文字がなく、記録資料が残っていない時代です。 詳細はこちら 先史時代における経済 古代▶中世▶近世▶近代▶現代という時代区分があるが、これは社会形態の変化を基準にしている。 これらを総称して歴史時代と言う。 歴史時代の前には先史時代があった。 先史時代から歴史時代から変わる時(4000年前)には、文字の発明という社会形態の変化があった。 先史時代では「獲得経済」の時期が大半を占め、氷河期終了(9000年前)とともに「生産経済」に移った。 「獲得経済」=狩猟・採集・漁労=食糧供給の安定していない状態 獲得経済の中で、人類は、猿人▶原人▶旧人▶新人へと進化した。 ・猿人(直立二足歩行・道具) ・原人(打製石器・火・言葉) ・旧人(ネアンデルタール人=埋葬の習慣) ・新人(洞穴芸術) しかし、温暖化により氷河期が終了し、作物を育てられるようになり「生産経済」(農耕・牧畜)へ移行。 →食料供給が安定するようになった。(植物を育て、植物を食べる動物も育てられるようになった。) 文明の発達 生産経済になり、農業技術が発達し、食料供給がより安定し、階級の誕生(∵人口増加と職業の分化)・文字の誕生(∵記録の必要性)という現象が起こった。これが4000年前。 階級社会には2種類ある。 ①王政:王・神官・平民型 ※王=神の代理人、神官=王(≒神)に使える人 ②共和政:貴族・平民・奴隷型 ※参政権獲得のためには戦争に参加することが必要、という考え よく混同しがちな、共和政と民主政の違いについて。 共和政=みんなで話し合う ただし、貴族だけで話し合って下を縛る 民主政=下の者が上に対して意見を反映できる。また入れ替わることも可能(治者と被治者の自同性) 古代エジプト・メソポタミアは①、古代ギリシア・ローマは②になる。 真ん中=大航海時代 ▶この時代は、文化や宗教が政治・経済に大きく影響を与え、封建社会を揺らがせ近代への移行を準備する時代(近代への過渡期)という位置付けになります。この時期を語るうえで最も大切なのが「大航海時代」であり、 航海技術の発達 【中国で発明された「羅針盤」など】 により、世界中に航海できるようになり、 新しいルート 【ポルトガルは東回りでアジアへ/スペインは西回りでアメリカへ】 を発見したことで、ヨーロッパに さまざまな変化 【 商業革命 【商業の中心地が地中海(イタリアなど)から大西洋周辺(スペイン・ポルトガルなど)へ】 と 価格革命 【アメリカ大陸からの銀の大量流入により銀の価値が下がり物価高騰】 】 が起きるとともに世界の一体化が進み、 ヨーロッパの対外進出 【特にスペイン・ポルトガルの勢いが強くなってきます。】 ・植民活動の引き金となります。また、同時にヨーロッパ各地で「宗教改革」「ルネサンス」も並行して進みます。 終わり=冷戦の時代 ▶冷戦とは、実際に兵器を使って戦争するわけではないが、異なる考え方の国同士がにらみ合っているという状態のことです(反対語は熱戦)。第二次世界大戦以降、世界大戦と言える状況にはなっていないが、大国同士の冷戦状態が見られた。また、大国同士ではない熱戦という事態も見られ、現代に至っている。(ロシアとウクライナの戦争は、大国vs小国の熱戦である。) 世界史の全体像⑤:15の箱を埋める 以下、①〜⑮についてそれぞれ説明します。読み物のように読めるようにしていますが、読む順番を工夫してください。 まずは番号順に一通り読んでみる その後、地域ごとに読んでみる(ヨーロッパだけ切り取って「①→⑤→⑨→⑬」の順に読むなど) また、その際、前提として、 3〜5世紀、13〜14世紀、16〜18世紀が寒冷期であったこと、7〜12世紀に温暖化していること を頭に入れておくと、読みやすいです。 ①軍人皇帝時代 ▶ヨーロッパの地中海に現れた 帝国 【 ローマ帝国 【ヨーロッパでは、 古代文明 【メソポタミア文明・エジプト文明】 のあと、ヨーロッパ世界の源となる古代地中海世界が、ギリシア→ローマの順に展開します。】 】 によって パックス・ロマーナ 【ローマの平和。2世紀に最も安定しました。】 が築かれていましたが、3世紀、軍人の皇帝が代わる代わるつく内乱の時代となり、皇帝の暗殺が相次くなど混乱を招いたため「3世紀の危機」と呼ばれています。軍事皇帝時代が終わると、 政治体制は大きく変わり 【 元首政 プリンキパトゥス という共和政から、 専制君主制 ドミナートゥス へ】 、帝国再建に努めましたが、気候の寒冷化に伴うゲルマン人の大移動を背景に、ローマ帝国は 滅亡 【帝国の東西分裂は395年、その後東ローマはビザンツ帝国となり長く続き、西ローマ帝国の滅亡が476年。】 に追い込まれます。 ②パルティア滅亡 ▶古代、古代という時代のなかで3つの王朝ができました。 アケメネス朝ペルシア 【 四王国 【 アッシリア 【メソポタミアから独立。】 が四つに分立したもので、メディア、リディア、新バビロニア、エジプト。イラン一帯を支配していたのがメディア。】 の一つであるメディアを滅ぼし、オリエントを統一しました。アッシリアにつぐ二度目の統一。】 、 アルサケス朝パルティア 【 セレウコス朝シリア 【 アレクサンドロスの大帝国 【アケメネス朝ペルシアを滅ぼして大帝国を築いた】 が 3つ 【ヘレニズム三国=プトレマイオス朝エジプト、アンティゴノス朝マケドニア、セレウコス朝シリア】 に分立したうちの一つ】 から遊牧民が自立したことによって成立】 、ササン朝ペルシア。パルティアは、遊牧民の国家であり発展はしませんでした。このあと農耕民中心のササン朝ペルシアが成立します。 ③クシャーナ朝滅亡 ▶ 古代文明 【インダス文明】 滅亡後、インドにはマウリヤ朝→クシャーナ朝→グプタ朝→ヴァルダナ朝の順に王朝が成立します。クシャーナ朝は イラン系の王朝 【ササン朝ペルシア】 の侵攻により滅亡しましたが、ローマ帝国における3世紀の危機によりローマとの交易が衰えたのも衰退原因の一つです。 ④後漢滅亡 ▶ 古代文明 【黄河文明】 が発展するなかで、殷と周が成立したのち、 戦乱の時代 【春秋戦国時代】 を経て秦と漢が成立しました。漢は前漢と後漢に分かれ、後漢は200年近く続きましたが、内乱により滅亡し、この先、 群雄割拠に伴う分裂・混乱の時代 【三国時代。このあと 北方民族 【五胡。 匈奴 【前漢に制圧される】 が生まれ変わったもの】 の侵入も起こります。寒冷期だったこともあり、ヨーロッパのゲルマン人のごとく、民族移動の波があったようです。】 となっていきます。 ⑤ゲルマン国家安定 ▶7世紀以降、温暖化の傾向が表れ、西ヨーロッパでは主要作物=麦の栽培を背景に、荘園制を基礎とする封建社会が確立しました。西ヨーロッパの政治的安定の象徴である「カールの戴冠」は800年のことです。 ⑥ジハード展開 ▶ 7世紀初頭に成立 【メッカで迫害されたムハンマドがメディナに移住した出来事=ヒジュラが622年に起こった。この年がイスラーム暦の紀元元年。】 したイスラム教が、異教徒との戦い=ジハードによって勢力を拡大していきます。そのなかで 他王朝 【ササン朝ペルシア。ゾロアスター教。】 を滅ぼし、 新しい王朝 【ウマイヤ朝→アッバース朝。アッバース朝はモンゴルの時代まで続いた。】 を成立させました。 ⑦ヴァルダナ朝成立 ▶クシャーナ朝のあとに出来たグプタ朝は、 遊牧民 【エフタル】 に攻められ滅亡します。その後ヴァルダナ朝が成立しました。 ⑧隋唐時代 ▶三国時代の後の分裂・混乱の時代を経て、隋が統一したのが589年です。隋は短命に終わりましたが、その後唐による安定の時代が続きます。 ⑨封建社会動揺 ▶12世紀以降、異常気象が続き、寒冷期をまた迎えてしまいました。14世紀に入ると北半球の各地で農業生産力が低下し、疫病が流行した飢饉が発生したりしました。そのなかで農民の一揆や反乱が発生し、封建社会が揺らいでいきます。 ⑩イル=ハン国成立 ▶モンゴル帝国の建国が1206年です。その後、イラン方面まで領土を拡大し、アッバース朝を滅ぼし、イル=ハン国を建国します。 ⑪デリー=スルタン朝成立 ▶ヴァルダナ朝は、8世紀に入ると、イスラム勢力の登場により急速に衰退し、その後インドはイスラム勢力に対抗しながら 諸王国が分立 【ラージプート時代】 し、その後 短命王朝 【ガズナ朝→ゴール朝】 の支配ののちにデリー=スルタン朝が成立します。成立年はなんとモンゴル帝国と同じ1206年です。奴隷王朝に始まる全部で5つの王朝が展開し、その次のムガル帝国に繋がっていきます。 ⑫モンゴル帝国成立 ▶1206年に成立したモンゴル帝国は、中国を征服して元王朝をつくりました。そして 東西交易 【交易路のことを「シルクロード」と言う】 が活発化し、 珍しい物資 【絹・陶磁器・香料】 がを通してヨーロッパに流入してきます。 ⑬オランダの時代 ▶16世紀後半以降、気候の寒冷化(〜1900年頃)に伴い、人口の停滞や減少、戦争や飢饉など「17世紀の危機」と呼ばれる社会不安を招きます。これに克服していくのがここからの革命の時代です。 イベリア諸国 【イベリア半島にある国=スペイン・ポルトガル】 は衰退し、 オランダ 【スペインの植民地だったが独立した】 が覇権を握り、 イギリス 【 革命 【ピューリタン革命と名誉革命】 が2回起こった。その後はフランスとの覇権争いに勝ち、また 革命 【産業革命】 を起こして、 新たな地位 【「パックス=ブリタニカ」】 を獲得】 も台頭します。また、 主権国家体制 【中央集権的統一国家と言ってもいいでしょう。三十年戦争の講和条約であるウェストファリア条約(1648年)によって確立しました。】 が成立し、その最初の形態であった絶対王政が、 市民革命 【民主主義を生み出す】 によって倒され、さらには、技術革新= 産業革命 【資本主義を生み出し、帝国主義の背景の一つにもなる】 も起き、これら二重革命が、国民国家の成立、ひいては 帝国主義 【「植民地を沢山増やそう」という野心的な考え方のことです。】 政策(19世紀〜)に繋がります。 ⑭オスマン帝国/ムガル帝国繁栄 ▶イル=ハン国は、モンゴル人の王統が途絶えると、 中央アジアにあった帝国 【ティムール帝国】 に吸収されます。その帝国は大帝国化し、北インドのデリー=スルタン朝も圧迫します。英雄の死後、帝国の勢力は弱くなり、イラン地域は 少し前からトルコで勢力を伸ばしていた帝国 【オスマン帝国】 に吸収され、インド地域には 英雄の子孫のつくった帝国 【ムガル帝国】 が成立します。前者は、 東ローマに長年続いていた帝国 【ビザンツ帝国】 を滅ぼしてから勢いが加速しました。前者は既に16世紀に全盛期、後者は17世紀に全盛期を迎えます。 ⑮明清時代 ▶気候の寒冷化に伴う大混乱のなかで、 モンゴル勢力を一掃 【朱元璋がモンゴル勢力を追い出しました。】 し、明が成立したのが14世紀です。はじめは海外進出も盛んでしたが、 さまざまな事情 【①朱元璋(=明の1代洪武帝)自身が農民であり、商売への憎みがあったため。②北方防衛のために剣などをつくるための金が必要になり、船に金を使っていられなくなったこと。】 で 海禁政策 【民間人は海外に行ってはいけないというもの。実際には、密貿易が活発化した。】 が行われ、17世紀に清の侵攻を受けて明は滅亡し、そこからは清の時代となります。 (参考)寒冷化によるペストの大流行と、中国・明の暗黒政権 https //business.nikkei.com/atcl/seminar/20/00002/022800005/?P=7 ここからの学習について これまでは、全体像に着目して縦と横のつながりを理解してきました。 ここまでの理解をもとに共通テストの過去問を一度解いてみてください。(もちろん、このページをカンニングしながらで構いません。)意外と解けるのではないでしょうか・ あとは、細かい用語を覚えていくのみです。用語を覚える際に大事なのは、5W1Hに沿って情報を整理することです。 例えば、「ルター」と言われたら Who(誰が)▶もちろんルター When(いつ)▶16世紀=近代への過渡期、1517年から活動 Where(どこで)▶ドイツ What(何を)▶宗教改革=カトリックに対する改革運動▶封建社会の崩壊と結びつき近代への移行を準備した Why(なぜ)▶ローマ教皇の贖宥状販売 How(どのように)▶『九十五ヶ条の論題』の発表 大事なのは、 「いつ」(縦)を全体での位置付けの中で覚え、できれば年号も頭に入れること 「どこで」(横)を全体での位置付けの中で覚え、できれば地図も活用して視覚的に覚えること(資料集、地図帳は持ってますか?なくても、画像検索するなどして調べる癖をつけましょう。) 「何を」を具体化することに加え、その出来事の歴史的意義も確認すること 「どのように」は「何を」のさらなる具体化になり、固有名詞が増えるため、「何を」と関連付けて覚えること です。 また、細かい説明を見るにあたって、「世界史の窓」というサイトはかなりおすすめです。 各単元のキーワード理解(ミクロな視点) 大学入試問題から帰納的に作成し、世界史の必修用語を羅列しました。 【1】古代オリエント(イスラム世界の源) ●古代メソポタミア▶楔形文字 シュメール人の都市国家 アッカド王国(メソポタミア初統一)▶サルゴン1世がつくる/メソポタミア初統一 古バビロニア王国[バビロン第一王朝](メソポタミア再統一)▶アムル人がつくる/ハンムラビ王のときが全盛期 ミタンニ・カッシート・ヒッタイト(台頭) セム系3民族▶アラム人(内陸)/フェニキア人(海上)/ヘブライ人→バビロン捕囚 アッシリア(オリエント初統一) 四王国分立(メディア、リディア、新バビロニア、エジプト) アケメネス朝ペルシア(オリエント再統一) ヘレニズム文化 アレクサンドロス大王の大帝国 ヘレニズム三国に分裂(セレウコス朝シリア、アンティゴノス朝マケドニア、プトレマイオス朝エジプト) ●古代エジプト▶神聖文字 古王国(ピラミッド) 中王国▶ヒクソス侵入、国内混乱 新王国 プトレマイオス朝エジプト 【2】古代地中海世界(ヨーロッパ世界の源) ●古代ギリシア エーゲ文明 クレタ文明 ミケーネ文明(アカイア人)▶ドーリア人侵入で滅亡▶スパルタ(ドーリア人)、アテネ(イオニア人)、テーベ(アイオリス人)ができる ポリス成立 民主政確立 ペルシア戦争▶サラミスの海戦で霧散市民の発言力UP(inアテネ) 民主政完成・内乱 アレクサンドロスの東方遠征 ヘレニズム世界 ●古代ローマ ●貴族共和政 ●半島統一と外征 ●内乱の一世紀 ●ローマ帝政 プリンキパトゥス ドミナートゥス▶マルクス=アウレリウス=アントニヌス 【3】中世ヨーロッパ ●ゲルマン人の大移動 西ゴート王国(イベリア半島)←フン人の移動 ウィリアム1世=ノルマンディー公ウィリアム:ノルマン征服をしてノルマン朝つくる エドワード1世(プランタジネット朝)(vsフィリップ6世)▶フランス王位継承権を主張▶百年戦争へ ●ビザンツ帝国(東ローマ帝国) ユスティニアヌス(最盛期)▶『ローマ法大全』 ヘラクレイオス1世 レオン3世 アレクシオス1世▶プロノイア制(封建制) ●その他(文化など) 12世紀ルネサンス:ギリシア古典やアラビア語文献がラテン語へと翻訳 ドイツ人による東方植民(エルベ川以東)→ブランデンブルク辺境伯領成立 【4】古代イラン ●アケメネス朝ペルシア キュロス2世▶建国/ユダヤ人解放 ●アルサケス朝パルティア(隣にはバクトリア[→大月氏→クシャーナ朝])▶都クテシフォン ●ササン朝ペルシア▶マニ教成立 【5】古代インド▶ヒンドゥー教/『マヌ法典』(ヴァルナ制について記載) ●インダス文明 ●アーリヤ人侵入 ●十六王国時代(マガダ国vsコーサラ国) ●マウリヤ朝 ●クシャーナ朝▶カニシカ王が仏教を保護/ガンダーラ美術(ヘレニズムと仏教の融合) ※サータヴァーハナ朝(inデカン高原):ローマ帝国と季節風貿易、『エリュトゥラー海案内記』 ●グプタ朝▶サンスクリット語が公用語に/戯曲『シャクンタラー』(byカーリダーサ)/法顕(東晋)『仏国記』 ●ヴァルダナ朝▶玄奘(唐僧)が仏典を持ち帰る 『大唐西域記』 ●ラージプート時代▶義浄(唐)『南海寄帰内法伝』※シュリーヴィジャヤ王国にも来訪 ●ガズナ朝→ゴール朝 ●デリー=スルタン朝 【6】イスラーム史 ●アッバース朝▶ギリシアの書物がアラビア語に翻訳(知恵の館) ●ティムール朝▶滅亡後、三ハン国成立:ヒヴァ=ハン国、ボハラ=ハン国、コーカンド=ハン国 【7】中国史 ●黄河文明・長江文明 黄河文明▶前期は仰韶文化、後期は竜山文化 長江文明▶河姆渡遺跡 ●殷 ●西周・東周〔春秋戦国〕▶都は鎬京→洛邑/封建制/青銅貨幣/諸子百家の登場 ●秦▶都は咸陽/郡県制(by始皇帝)/陳勝・呉広の乱で滅亡 ●前漢▶都は長安/郡国制(by劉邦)→呉楚七国の乱→郡県制(by景帝・武帝)/武帝による経済政策(塩・鉄・酒の専売by桑弘羊)&対外政策(対匈奴、南越征服) ●新▶赤眉の乱で滅亡 ●後漢▶都は洛陽/党錮の禁(by桓帝、官僚・学者の弾圧)/班超(西域都護)が部下の甘英をローマ帝国へ派遣するもパルティアに妨害される/日南郡に大秦王安敦到来/黄巾の乱で滅亡 ●魏・蜀・呉〔三国時代〕▶魏の都は洛陽、魏では屯田制 ●西晋▶八王の乱(内乱)→五胡の南下→永嘉の乱(匈奴の反乱)で滅亡 ●[北](五胡十六国時代→北魏→東魏・西魏→北斉・北周) 五胡十六国時代:鳩摩羅什(西域生まれ)の仏典翻訳 北魏:均田制 西魏:府兵制(農民を徴兵) ●[南](東晋→宋→斉→梁→陳)▶陳は隋に滅ぼされる ●隋▶都は大興城(長安) ●唐▶貞観の治(李世民)/開元の治(玄宗)/安史の乱/黄巣の乱→朱全忠が鎮圧/異民族は突厥/マニ教の寺院建立 ●五代十国▶後梁→後唐→後晋→後漢→後周/都は開封(後唐のみ洛陽)/後晋では燕雲十六州を遼に譲る ●宋(北宋)▶都は開封→臨安/澶淵の盟(多額の銀や絹を遼に)、慶暦の和約(宋→西夏)、紹興の和約(南宋→金)/北宋は金により滅亡(靖康の変)/音曲にあわせてうたう詞が流行 ●金・南宋 金▶都は燕京(北京)/モンゴル帝国(2代)により滅亡 南宋▶都は臨安/モンゴル帝国(5代)により滅亡 ●元(もともとモンゴル帝国、チンギス→オゴタイ→グュク[プラノ=カルピニが派遣される]→モンケ→フビライ) 都は大都(北京)/モンテ=コルヴィノのカトリック布教/黄巾の乱(by朱元璋)で滅亡 ※朱元璋=洪武帝 ●明▶都は南京(洪武帝)→北京(永楽帝)/異民族はオイラト・タタール 洪武帝 永楽帝 万暦帝 崇禎帝▶李自成の乱で滅亡 ●清▶都は北京(3代順治帝〜) 順治帝 康煕帝▶中国統一/『古今図書集成』 雍正帝 乾隆帝 【8】近代の幕開け ●大航海時代▶バルトロメウ=ディアス(喜望峰) ●宗教改革▶ルター(『新約聖書』をドイツ語に翻訳) ●絶対王政 スペイン継承戦争・アン女王戦争 ユトレヒト条約▶イギリス領拡大:ジブラルタル&ミノルカ島(fromスペイン)、アカディア&ニューファンドランド&ハドソン湾(fromフランス) オーストリア継承戦争:プロイセン勝利→アーヘンの和約にてシュレジエン獲得 外交革命:オーストリアのマリア=テレジアが長年の敵フランスと同盟 七年戦争:シュレジエン奪回ならず/同時にフレンチ=インディアン戦争、プラッシーの戦い、カーナティック戦争 パリ条約:カナダ、ミシシッピ以東のルイジアナ(fromフランス)、フロリダ(fromスペイン)獲得 第二次百年戦争の意義:イギリスの植民地拡大→三角貿易→産業革命/アメリカ独立革命/フランス革命 ●フランス革命 ルイ16世の統治への反発▶フランス革命▶自由・平等GET ●ウィーン体制(革命前に戻そう)byロシア・ドイツ・オーストリア フランス復古王政(シャルル10世) 七月革命→七月王政(ルイ=フィリップ)→自由主義運動 二月革命→第二共和政(ルイ=ブラン)→自由主義運動→ウィーン体制崩壊 1848年革命:フランクフルト国民議会 クーデター(ルイ=ナポレオン)→第二帝政(ナポレオン3世)→対外戦争(クリミア戦争○、メキシコ出兵×、普仏戦争×)→第二帝政終了 第三共和政→パリ・コミューン成立(労働者が権力を握る) ●産業革命(「世界の工場」→1850年頃〜「パクス・ブリタニカ」(イギリスの覇権):ヴィクトリア女王の時代) 自由主義改革←産業革命による労働者階級の成長+七月革命の影響 信教:審査法廃止(非国教徒の公職就任を可能に)→カトリック教徒解放法 選挙:第1回選挙法改正(産業資本家のみ)→労働者の不満→チャーティスト運動(参政権要求) 貿易:東インド会社の中国貿易独占権廃止/穀物法廃止(by反穀物法同盟、コブデン・ブライト)/航海法廃止 ホイッグ党(自由党、グラッドストン):労働組合法、第3回選挙法改正(鉱山・農業労働者)、アイルランド自治法案出すも否決 トーリ党(保守党、ディズレーリ):第2回選挙法改正(都市労働者)、スエズ運河株買収、インド帝国成立 空想的社会主義(サン=シモン、オーウェン→工場法)→科学的社会主義(マルクス、エンゲルス)→第1インターナショナル結成(inロンドン) ●アメリカの独立 【9】帝国主義と二度の世界大戦 ●第一次世界大戦 ●ヴェルサイユ体制 ●戦間期のヨーロッパ ●戦間期のアジア・アフリカ ●世界恐慌 ●第二次世界大戦 ドイツがポーランドのダンツィヒに返還要求 【10】近代中東史 オスマン帝国の動揺 インドの植民地化 民族運動 【11】近代中国史 アヘン戦争 中国分割 満州事変 日中戦争 【12】冷戦の時代 ●開始 封じ込め政策vsコミンフォルム マーシャルプランvsコメコン結成 ●雪どけ ●再燃 ●多極化 ●デタント(緊張緩和)▶第1次SALT ●新冷戦 ●終結▶ゴルバチョフ:ソ連がアフガニスタンから撤兵 ※アメリカ大統領:トルーマン→アイゼンハウアー→ケネディ→ジョンソン→ニクソン→レーガン→ブッシュ 【13】番外編(地域史) ●朝鮮 ●東南アジア カンボジア 扶南(クメール人):インド文化、東南アジア初の統一国家 真臘:唐と国交を開き、ヒンドゥー教を国教に クメール朝:アンコール・トムが都/寺院のアンコール・ワットが有名/タイのアユタヤ朝の圧迫で衰退 スマトラ島 シュリーヴィジャヤ王国:海上貿易で繁栄、港市国家 ジャワ島 シャイレーンドラ朝:大乗仏教→ボルブドゥールの仏塔 クディリ朝:ヒンドゥー教に/ワヤン(人形影絵劇)発達 シンガサリ朝 マジャパヒト王国:モンゴル軍の侵略の混乱後に成立、ヒンドゥー教国教、貿易国として繁栄 ベトナム 北部:著しい中国化 チャンパー:チャム人が建国 李朝:国号「ダイベト(大越)」を使用/ハノイに都 陳朝:モンゴル軍の侵攻を退ける/最盛期/ベトナム文字「字喃」(チュノム)が普及/一時的に明の支配下 黎朝 タイ スコータイ朝:タイ人最初の王朝/クメールから政治制度を取り入れ、元とも国交を開く アユタヤ朝:明と交易/イスラム教のマラッカ王国を避けて日本や西ヨーロッパの貿易船が来航/クメール朝を圧迫 ビルマ パガン朝:ビルマ最初の統一王朝/小乗仏教/宋と国交を開く/元の侵略で滅ぶ ペグー朝→トゥングー朝→コンバウン朝(最盛期) イギリスの植民地 戦後に独立→アウンサンスーチーの運動により軍政から民主化/現在の国号はミャンマー(1989年〜) ●アフリカ アフリカ東岸▶スワヒリ語 ●中南アメリカ ●マヤ文明(中央アメリカ)▶二十進法 ●アステカ文明 ●インカ文明▶キープ(結縄) ●メキシコ フアレス:ナポレオンにより、メキシコ出兵で共和制のメキシコ政府を打倒+マクシミリアンを皇帝として置く→ファレス軍反撃→フランス軍撤退→フアレス大統領即位 ディアス:独裁政権→メキシコ革命で倒れる マデロ 参考資料:教科書の目次に注目 さて、世界史の全体の枠がなんとなくつかめてきましたね。 今度は、学校の教科書の目次を見てみましょう。 第1編 さまざまな地域世界 第0章 文明以前の人類 [1]人類の登場 [2]地域文化の形成 第1章 オリエント世界と東地中海世界 [3]オリエント世界の成立 [4]オリエント世界の展開 [5]ギリシア世界 [6]ヘレニズム世界 第2章 地中海世界と西アジア [7]都市国家から世界帝国へ [8]ローマ帝国の繁栄 [9]古代末期の社会と地中海世界の解体 [10]地中海世界と西アジア 第3章 南アジア世界 [11]北インド世界の展開 [12]ヒンドゥー世界の成立 第4章 東アジア世界 [13]東アジアにめばえた文明 [14]中華帝国の誕生 [15]東方の世界帝国 第5章 内陸ユーラシア世界 [16]騎馬遊牧民国家の興亡 [17]草原地帯のトルコ化とイスラーム化 第6章 東南アジア世界 [18]海の道の形成と東南アジア [19]東南アジア諸国家の再編成 第7章 古アメリカ世界 [20]古アメリカ世界 第2編 結びあう地域世界 第8章 イスラーム世界の形成 [21]イスラーム世界の成立 [22]イスラーム世界の発展 [23]イスラーム文明 第9章 ヨーロッパ世界の形成 [24]東ヨーロッパ世界 [25]西ヨーロッパ中世世界の成立 [26]封建社会と都市 [27]カトリック教会と十字軍 [28]中世ヨーロッパ文化 [29]中世的世界の動揺 [30]ルネサンス 第10章 東アジア世界の変容とモンゴル帝国 [31]唐の崩壊後の東アジア [32]宋代の新展開―都市の時代のおとずれ [33]ユーラシア大陸をおおうモンゴル帝国 [34]元朝の成立 第3編 一体化する世界 第11章 海域世界の発展 [35]三つの海域世界の成立 [36]海域世界の拡大 [37]海と陸の結合―東南アジア世界の発展 第12章 ユーラシア諸帝国の繁栄 [38]イランと中央アジアの繁栄 [39]東地中海の強国―オスマン帝国 [40]インドの大国―ムガル帝国 [41]明と東アジア世界 [42]清と東アジア世界 第13章 大交易時代 [43]海洋帝国の出現 [44]大交易時代の世界 第14章 近世のヨーロッパ [45]主権国家群の形成と宗教改革 [46]オランダの繁栄と英仏の追いあげ [47]18世紀のヨーロッパと啓蒙専制国家 [48]近世ヨーロッパの社会と文化 第15章 欧米における工業化と国民国家の形成 [49]激化する経済覇権抗争 [50]工業化と社会問題の発生 [51]合衆国とラテンアメリカ諸国の独立 [52]フランス革命とウィーン体制 [53]社会変革の夢―新しい革命の波 第4編 一体化の進展と世界の再編 第16章 産業資本主義の発展と帝国主義 [54]欧米世界の秩序再編 [55]欧米の経済発展と社会・文化の変容 [56]帝国主義と世界秩序 第17章 アジア諸地域の変革運動 [57]西アジアの改革運動 [58]南アジア・東南アジアの植民地化と民族運動の黎明 [59]清の同様と変貌する東アジア 第18章 世界戦争の時代 [60]第一次世界大戦 [61]ヴェルサイユ体制と国際秩序の再編 [62]大戦後の合衆国とヨーロッパ [63]アジア・アフリカでの国家形成の動き [64]世界恐慌と国際対立の激化 [65]第二次世界大戦 第5編 地球世界の成立 第19章 国民国家体制と東西の対立 [66]アメリカ合衆国の覇権と冷戦の展開 [67]アジア・アフリカ諸国の独立と「第三勢力」 [68]戦後体制の動揺 [69]世界の多極化とソ連の崩壊 第20章 経済のグローバル化と新たな地域秩序 [70]経済のグローバル化と地域統合 [71]グローバル化への問いと新しい国際秩序 [72]21世紀を生きる―地球的課題の時代 三木の単元 1. 先史時代 2. 古代オリエント 3. 古代ギリシア 4. 古代ローマ 5. 西ヨーロッパ世界の成立 6. 東ヨーロッパ世界の成立 7. 中世ヨーロッパの変容 8. インド史 9. イスラーム史 10. オスマン帝国 11. 中国史 12. 北方民族 13. 大航海時代と対外進出 14. ルネサンス 15. 宗教改革 16. 主権国家体制の形成 17. 重商主義と啓蒙専制主義 18. 産業革命 19. アメリカ独立革命 20. フランス革命 21. ナポレオン 22. ウィーン体制 23. ヨーロッパの再編 24. アメリカ合衆国の発展 25. 近代の中東・インド 26. 帝国主義と列強の展開 27. アジアの民族運動 28. 第一次世界大戦 29. ヴェルサイユ体制 30. アジア・アフリカの民族主義 31. 世界恐慌とファシズム 32. 第二次世界大戦 33. 冷戦構造(と日欧の復興) 34. 第三世界の自立と危機 35. 地域紛争 36. 東南アジア史 37. アフリカ史 38. 南北アメリカ史 39. 朝鮮史 40. 文化史・テーマ史 世界史全体像の画像 各国史 オランダ スペイン=ハプスブルク家領としてスペイン王に支配されていたが、16世紀半ばに独立運動を開始、1609年に実質的にネーデルラント連邦共和国として独立し、オランダ総督が治める国家となった。オランダはヨーロッパの新興国家として特に中継貿易に進出、イギリスと激しく競争するようになった。1648年、ウェストファリア条約で独立を国際的に承認された後、17世紀後半は英蘭戦争を戦い、その後フランスのルイ14世による領土の侵犯が脅威となると一転してイギリスと同君王国となった。しかし18世紀末にはフランスの勢力の拡大とともに弱体化が始まり、1830年には南半分がベルギーとして独立した。19世紀後半には産業革命を進行させ、同時にオランダ領インドネシアなどの植民地支配を強化し、資本主義国として発展した。第二次世界大戦ではドイツの軍事侵攻を受け、苦難が続いたが、戦後はいち早くベルギー、ルクセンブルクとベネルクス三国の協調体制をとり、米ソの冷戦時代を乗り切ってヨーロッパ統合を進めている。
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尭 暦の作成 舜 夏 禹 治水 桀王 殷 湯王 紂王 周 鎬京 武王 洛邑 平王 秦 咸陽 政 郡県制施行 度量衡、文字、貨幣統一 言論、思想統制 阿房宮建設 前209 陳勝・呉広の乱 前漢 長安 劉邦 前200 白登山の戦い 郡国制施行 景帝 呉、楚、他五諸侯 前154 呉楚七国の乱 武帝 張騫 前139 哀帝 前7 限田法 新 王莽 農民 18 赤眉の乱 後漢 洛陽 劉秀/光武帝 劉宏/霊帝 張角 184 黄巾の乱 劉協/献帝 曹操 196 屯田制 魏 曹丕 蜀 成都 劉備 呉 建業 孫権 西晋 司馬炎 280 占田・課田制 東晋 建康 司馬睿 宗 劉裕 斉 蕭道成 梁 蕭衍 陳 陳覇先 北魏 平城 拓跋珪 太武帝 洛陽 孝文帝 496 西魏 長安大興城長安 宇文泰 東魏 鄴 高歓 北周 宇文覚 北斉 高洋 隋 楊堅 煬帝 唐 李淵 李世民 高宗 中宗 周 則天武后 唐 北宋南宋 開封 臨安 元 明 清 北京 ヌルハチ ヌルハチ 1619 サルフの戦い 明軍撃破 八旗設立 ホンタイジ 李自成 1631 李自成の乱 ホンタイジ 理藩院設置 順治帝 1644 北京入城 李自成の乱平定 呉三桂の先導 辮髪令発布 康熙帝 鄭成功 1661 呉三桂 1673 三藩の乱 康熙帝 1683 1689 ネルチンスク条約 典礼問題 地丁銀施行 公行設立
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獲得シーン案 須川・原田制裁のため、黒沢が2人の制服を盗み日課のオカズに使う。
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解答:武士のおこり⑤ 班田収授 はんでん-しゅうじゅのほう ―しうじゆ―はふ 【班田収授の法】 律令制で、一定年齢に達した人民に一定面積の口分田を与える法。中国の均田法にならい、大化の改新以後採用された。六年に一度行われ、六歳以上の人民に、良民男子は二段、女子はその三分の二、官戸・公奴婢は良民と同率、家人・私奴婢には男女それぞれ良民の三分の一が与えられ、死亡によって収公された。律令制の弛緩に伴い実施されなくなり、一〇世紀初めには廃絶。
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※左から右は成立しますが、右から左は必ずしも成立するとは限りません。 (例)「魏・屯田制」▶魏の時代は屯田制でしたが、屯田制は一応後漢末からなので魏の時代オンリーのものではありません。 公会議 ニケーア公会議 アリウス派異端・アタナシウス派正統 325 エフェソス公会議 ネストリウス派異端 431 コンスタンツ公会議 大シスマ終了 1414-18 トリエント公会議 教皇至上権確認 1545-63 イギリスの選挙法改正で選挙権を与えられた人 第1回 産業資本家 第2回 都市労働者 第3回 農業・鉱山労働者 第4回 女性 第5回 シーア派 ファーティマ朝 エジプト ブワイフ朝 イラン サファヴィー朝 イラン 東南アジアの13世紀王朝 地域名 王朝名 ベトナム 陳朝 ベトナム中南部 チャンパー カンボジア 真臘 タイ スコータイ朝 ビルマ パガン朝 スマトラ島 シュリーヴィジャヤ王国 ジャワ島 シンガサリ朝 語呂合わせは「致死するパガン死」▶「チ」でベトナムの2王朝、「シ」で真臘、最後の「シ」で島嶼部の王朝を導く。 上記の王朝のうち、13世紀のうちに滅んだのは「パガン朝」のみ。だから「死」んでるのだ。もちろんモンゴルの影響。 逆にここにない地域の国はまだ現れていない。(マレー半島のマラッカ王国のこと。) インドに旅した中国の仏僧 人物名 王朝名 作品名 インド王朝 特記事項 法顕 東晋 『仏国記』 グプタ朝 玄奘 唐 『大唐西域記』 ヴァルダナ朝 義浄 唐 『南海寄帰内法伝』 ラージプート時代 シュリーヴィジャヤ王国にも来訪 「ほっけん」→「①ほっ+②けん(げん)+③もうひとり(②に似た名前)」と連想する。 下にいくに連れて書物名が長くなる。 「ぎじょう」と「シュリーヴィジャヤ」はどちらも「じゃ・じゅ・じょ」が共通。 土地制度史 魏 屯田制 兵士に田を与えて耕させる制度。魏の国力の基盤になった。 イギリス東インド会社の快進撃 戦争名 位置 相手国 年代 特記事項 カーナティック戦争 南部 フランス 1744-61 フランスのインド総督デュプレクスが活躍 プラッシーの戦い ベンガル地方 フランス 1757 クライヴが活躍(もともと書記➡司令官へ) ブクサールの戦い 北部 ムガル帝国 1764 マイソール戦争 南部 マイソール王国 1767-99 マラーター戦争 西部 マラーター同盟 1775-1818 シク戦争 北部 シク王国 1845-49 インド大反乱 北部 ムガル帝国 1857 ムガル帝国滅亡 「カップ、ブクッとママ死の半裸」で覚える。おっぱいがブクッと膨らんでいる半裸のママをイメージする。 ルートとしては、南から入って北に行って、また南に戻って北に行く。 商業関係 中世ヨーロッパ 同職ギルド(ツンフト) 都市の手工業者の同業組合。商人ギルドに対抗した。自由競争は排除された 唐 草市 都市の城外に開設・一部は鎮(地方都市)に発展 宋 市舶司 海上交易の管理をする官庁・広州に設置 清(乾隆帝) 公行(こうこう) 特許商人の組合 戦後のアメリカ合衆国大統領 33〜46代の大統領。 全員、民主党か共和党に属している。 共和党 民主党 小さな政府 大きな政府 税金は小さい▶政府の支出は最小に 税金を沢山とる▶財政の支出規模大「高福祉高負担」 経済の自由放任主義 経済への積極的介入 大統領 党 在位 特徴 トルーマン 民 45-53 アイゼンハウアー 共 53-61 ケネディ 民 61-63 ジョンソン 民 63-69 ニクソン 民 69-74 フォード 共 74-77 カーター 民 77-81 レーガン 共 81-89 ブッシュ 共 89-93 クリントン 民 93-01 ブッシュ 共 01-08 オバマ 民 09-17 トランプ 共 17-21 ハイデン 民 21- 「ジョン」 ジョン・ケイ イギリス 産業革命期 紡績機を改良 ジョン・ヘイ アメリカ 帝国主義期 門戸開放宣言 紡績機の「キ」は「ケ」と、門戸開放の「ホ」は「ヘ」と行が一緒、と覚える方法が一つ。 もう一つは、二人をアイウエオ順に並べると「ケイ」→「ヘイ」であり、これが歴史的順序と合致するという覚え方。 「イヴン」 世界史系 イヴン=ハルドゥーン 『世界史序説』 イヴン=バットゥータ 『三大陸周遊記』 医学系 イヴン=シーナー 『医学典範』 イヴン=ルシュド アリシュトテレス研究/医者 ※もちろん、赤字の部分はわざと間違えている ※イヴン=バットゥータは、バッタみたいに色んな地域に飛びまくっているから➡「バットゥータ」と「周遊」を繋げる ※シンナー吸ってしまった人を救うのは医者➡「シーナー」と「医学」を繋げる ※イヴン=シーナーとセットで、コルドバ生まれのイヴン=ルシュド(アヴェロエス)も覚えておくとよい 拠点系 イギリス マドラス インド ボンベイ カルカッタ フランス ポンディシェリ シャンデルナゴル ポルトガル マカオ 中国(明) オランダ パダヴィア ジャワ島
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隋楊広 楊素(処道) 楊玄感 史万歳 宇文述 来護児(崇善) 賀若弼(輔伯) 宇文化及 宇文智及 宇文士及 隋末唐初の群雄・将士単雄信 唐李建成 李世民 長孫無忌(輔機) 李孝恭 杜如晦(克明) 魏徴(玄成) 房喬(玄齢) 高倹(士廉) 李靖(薬師) 蕭瑀(時文) 段志玄 劉弘基 屈突通(坦豆抜) 殷嶠(開山) 柴紹(嗣昇) 長孫順徳 張亮 侯君集 張公謹(弘慎) 程知節(義貞) 虞世南(伯施) 劉政会 唐倹(茂約) 尉遅恭・李勣・秦瓊 平陽公主 武則天 薛礼(仁貴) 楊玉環 安禄山 杜甫(子美) 楊炎(公南) 隋 楊広 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 生年 没年 79 67 90 70 68 徴税 A A A A A A 569 618 【ヨウコウ】 隋の第2代皇帝。明帝。文帝楊堅の次子。 煬帝とは唐による追謚であり、歴史的暴君とされる。 晋王時代は北方の守りに就き、陳討伐の際には、討伐軍の総帥として活躍。 文帝の崩御後に即位したが(文帝を弑逆した俗説もある)豹変し、奢侈・酷刑を好むようになる。 洛陽を東都に定めた他、国都大興城(長安)や大運河の建設を推進。 更には国外遠征を積極的に行ったが、三度の高句麗遠征は失敗。民心は疲弊し、各地で反乱が続発。 江南への逃亡後も酒色に耽ったため、宇文化及兄弟らによって皇子と共に殺害された。 楊素(処道) 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 生年 没年 86 85 73 76 37 造船 A S A C B S ? 606 【ヨウソ(ショドウ)】 隋の上柱国。司徒。楚景武公。楊玄感の父。 はじめ北周に仕えて車騎大将軍・儀同三司に任ぜられ、反乱鎮圧などに大功を上げた。 楊堅が北周の丞相に上ると親交を結び禅譲を受けて隋が建国されると、上柱国・御史大夫となった。 楊堅が江南を奪う計画を考えはじめると、楊素は数度にわたって南朝陳を平定する策を進言、 信州総管に任ぜられ、「五牙」「黄龍」と称する大艦を次々と建造し、 楊堅の次男である晋王の楊広を補佐して、水軍で長江を下って一挙に陳を滅ぼした。 さらに江南で頻発した隋に対する反抗を次々と撃破している。 太子楊勇と晋王楊広の後継者争いでは、楊広の立太子に協力するが、 後に帝位についた楊広の猜疑を受け、失意のうちに逝去した。 楊玄感 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 生年 没年 76 78 27 30 64 C B B B B C ? 613 【ヨウゲンカン】 隋の将軍。楊素の子。 名族の出身で体格雄偉で、美しい髭の持ち主であり、読書を好み、騎射も巧みであった。 父の軍功により柱国の位を賜るが、父が煬帝に疑われると、職を去った。 父の死後復職するが、楊広に疑われたため、第二次高句麗遠征のとき、 背いて挙兵した。そのため煬帝の第二次高句麗遠征は頓挫することになる。 謀士である李密の意見を聞かず、洛陽攻略の方針を選択したが落とすことができず、 衛玄・陳稜・屈突通・宇文述・来護児らの隋軍に包囲され関中方面に転進するが、 追撃を受けて董杜原の戦いで大敗、弟の楊積善と刺し違えて死んだ。 楊玄感の反乱そのものは三ヶ月あまりで鎮圧されたが、これを契機に民衆反乱が続発し、 隋王朝の屋台骨を揺るがしていくこととなる。 史万歳 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 生年 没年 87 96 36 18 42 騎将 S A B S C C 549 600 【シバンザイ】 北周・隋の将軍。柱国。 英邁で武に優れて騎射が得意であった。また好んで兵書を読み占術に精通もしていた。 はじめ北周に仕えて反乱討伐に功があったが、隋の初年に爾朱勣の謀反に連座して 除名されたうえ敦煌に戌卒として配された。突厥の地数百里にまで深入りして、 史万歳の名は北狄に轟く。竇榮定が突厥を攻め北に追いやると功により車騎将軍となった。 高智慧らか江南で乱を起こすと楊素に従って、兵士二千を率いて百日余で転戦千里以上、 七百余戦に勝利して帰還した。南寧夷が反乱するとこれを討ち、さらに突厥を破るが、 楊素に讒言されて功を奪われて不仲となる。さらに讒言されて楊堅の怒りを買い誅殺された。 規律は緩く放任していたが命令は素早く行き届き、戦場では勇猛な軍となった。 陣に臨んで敵に対すと無窮に変化する陣立てを見せ、当世の良将と讃えられた。 宇文述 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 生年 没年 73 82 58 45 42 掃討 B A B C B B ? 616 【ウブンジュツ】 北周・隋の将軍。化及・智及・士及の父。 北周の上柱国・宇文盛の子。楊堅が丞相となり尉遅が反乱を起こすと 兵三千を率い韋孝寛の下で尉遅迥を攻撃、先鋒に立って敵陣を陥落させ撃破した。 隋が建国されると、右衛大将軍に任じられた。 晋王楊広に接近して子の宇文士及が南陽公主を妻に迎える。楊広が皇太子となると、 太子補佐となり、楊広が即位すると許国公に改封されて朝廷で勢威をふるう。 第一次高句麗遠征で大敗を喫するが、楊玄感が乱を起こすと討伐に活躍し復帰した。 江都への行幸を勧め、まもなく江都で病没した。 来護児(崇善) 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 生年 没年 92 88 61 36 80 連戦 A S B S B S ? 618 【ライゴジ(スウゼン)】 隋の将軍。後漢光武帝の配下であった中郎将・来歙の十八世の孫とされる。 陳に対する征戦で功績を挙げ、高智慧が乱を起こすと、楊素に従って浙江で 高智慧を撃破した。李寛に従って汪文進を破り、柱国・黄県公の爵位を賜った。 楊広が即位すると、右驍衛大将軍に任ぜられ帝に親任された。 三次に渡る高句麗遠征で度々高句麗軍を撃破して恐れられた。 江都で宇文化及らに楊広とともに殺害された。 賀若弼(輔伯) 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 生年 没年 91 83 48 20 44 規律 B A A A A A 544 607 【ガジャクヒツ(ホハク)】 隋の将軍。上柱国。宋国公。 意気盛んで大志を抱き弓馬に優れた上、書を読み文章に巧みで、 当時の人々の間で評判であった。斉王宇文憲の仕えて寿州刺史となる。 楊堅が丞相となり北周の実権を握ると、尉遅迥が反乱を起こしたが、 賀若弼も背くと危惧されて交替させようとするが、これを承知せず捕らえられた。 楊堅が即位して隋を建国すると推薦を受けて、陳攻略の任務を委任された。 軍を率いて長江を渡り、陳の南徐州を攻略して陳の主力と戦い大勝した。 軍紀は厳粛でわずかの略奪も許さず、民間人から酒を買ったものがあれば、 すぐ斬刑に処したという。自らの功名の右に出るものはいないと誇って 傲慢な態度が多く、北方に巡行した際に政治を批判したために誅殺された。 宇文化及 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 生年 没年 46 71 51 37 53 強奪 B A A B B C ? 619 隋の将軍。宇文述の子。智及・士及の兄。許朝を創建し皇帝を称した。 幼少より楊広の寵愛を受け、父が死去すると右屯衛将軍に任命された。 叛乱を避け江南の江都に逃れたまま大興城へ帰還しようとしない楊広に対し、 反乱の指導者に推戴された。弟の宇文智及とともに禁軍を伴って宮中の楊広を弑殺し、 楊広の弟である蜀王秀の子、秦王浩を擁立し自ら大丞相となり北上したが、 王世充、李淵、李密らの勢力に阻まれ、長安に入ることはできなかった。 そのため秦王浩を毒殺し魏県を根拠地として自ら帝に即位した。 竇建徳に聊城で敗れると弟の宇文智及らとともに処刑され、斬首された。 宇文智及 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 生年 没年 73 75 35 24 22 補佐 A A B B B C ? 619 隋の将軍。宇文述の子。化及の弟、士及の兄。 宇文述の遺言で兄の化及が右屯衛将軍を務めた際、将作少監となった。 兄の化及を首謀者に推して武賁郎将の司馬徳戡、武勇郎将の趙行枢、 直長の薛世良、勛士の楊士覧らと謀って煬帝を弑殺した。煬帝の弟蜀王秀の子で、 智及と親交のあった秦王浩を擁立した兄から左僕射に任じられ北上したが、 王世充、李淵、李密らの勢力に阻まれた。化及が秦王浩を毒殺し、魏県を根拠地として 自ら許の帝を号して百官を任じる時もその列に加わり、斉王に任じられた。 宇文化及が竇建徳に聊城で敗れると一派と共に処刑され、軍門の外に梟首された。 宇文士及 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 生年 没年 65 68 80 76 86 沈着 A B A C B B ? 642 隋・唐の将軍。宇文述の子。化及・智及の弟。 文帝楊堅に気に入られて、長女である南陽公主を妻とした。 兄の化及が煬帝を殺害すると、親交のあった李淵への帰順を兄に勧めるが 聞き入れられず、宇文化及は竇建徳に敗れた。済北の豪傑たちと謀って 竇建徳と対抗しようとしたが、形勢を見て取りやめ、唐に帰順した。 秦王李世民に従って宋金剛を討ち、王世充らに対する征戦に従軍し、 李世民が即位すると、中書令に任じられ涼州都督となった。 殿中監・蒲州刺史・右衛大将軍などを歴任し、軍事は厳しく政治は寛容で簡素を旨とした。 李世民と語り合ったことは固く秘密にして、その妻に問われても答えず深く信任された。 隋末唐初の群雄・将士 単雄信 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 生年 没年 84 96 52 16 73 飛将 S A B S C C 581 621 【ゼンユウシン】 隋末から唐初にかけての武将。翟讓、李密、王世充に仕えた。 馬上で槍を用いるのを得意として「飛将」と号された。 翟讓が隋に反抗して叛乱を起こすと、雄信は徐世勣とともに翟讓の軍に投じる。 翟讓が李密に斬られて李密が魏公となると、左武候大将軍に任ぜられ、四驃騎の一つを領して活躍。 李密が偃師で大敗すると、雄信は王世充に帰順して大将軍となった。 李世民が東都を攻撃すると、雄信はこれを迎撃して唐軍の李世民本陣に肉薄した。 勇戦したが唐軍に捕らえられ、洛水の渚の上で斬られた。 「隋唐演義」ではその最期を、義兄弟の程知節・徐世勣と涙の別れを演じている。 唐 李建成 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 生年 没年 83 75 84 81 90 掃討 A B A B C B 589 626 【リケンセイ】 唐の初代皇帝李淵の長子・皇太子。 李淵が太原で反隋の決起後、左領軍大都督に任じられ、左軍を統轄した。 その後は、父の命により各地の軍閥を掃討。 しかし、隋末唐初の戦乱で、弟の李世民の戦功と名声が高く、李建成は太子位を奪われることを恐れ、 王珪や魏徴らを任用して謀士とし、李世民を誣告した。 幾度か兵乱を起こし、李世民を除くことを考えるが、玄武門の変で逆に射殺された。 史書からも半ば抹殺され評価も低いが、簒奪を正当化するための曲筆も指摘されている。 李世民 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 生年 没年 94 87 91 96 98 仁政 S A A S B B 599 649 【リセイミン】 唐朝の第ニ代皇帝。高宗・李淵の次男。 父の李淵が太原で起兵すると、長安に向けて進軍して平定。唐が建国されると秦王に封ぜられる。 武将として優れた才能を発揮し、割拠した群雄を平定するのに中心的役割を果たした。 建国の戦功に比してその地位が報われていないとして、父や兄と対立。 「玄武門の変」を起こし、兄の皇太子・李建成を殺害し、兄の同志であった弟を謀殺し、 父を上皇に祭り上げて幽閉した末に譲位させて即位した。 突厥を討伐し西域の高昌国を滅亡させ、「貞観の治」と称される善政を行い 府兵制、均田制、租庸調制、中央官制などの唐の諸制度の多くを完成させて唐の繁栄を築く。 中国史上最高の名君の一人と称えられる。 長孫無忌(輔機) 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 生年 没年 61 24 82 78 76 名声 C C C C B C ? 659 【チョウソンムキ(ホキ)】 唐の凌煙閣二十四功臣の1人。趙国公。隋の右驍衛将軍、長孫晟の子。 唐の太宗の長孫皇后の兄であり、唐朝の外戚。学問を好み、文章や史書に通暁した。 唐の創始者・李淵が太原で起兵して長安を奪うと、謁見を受けて唐に仕える。 李世民の征戦に従軍して活躍。「玄武門の変」では、房玄齢・杜如晦らとともに襲撃の計画を定めた。 李世民が即位すると、功績第一として斉国公に進封された。唐の元勲・外戚として礼遇を受ける。 皇太子の李承乾が廃嫡されると、第九子の晋王李治を皇太子に推して後見となるが、 武氏立后に反対し、数度にわたって高宗(李治)に諫言したため、武氏が皇后として立つと、 宮廷で孤立。朋党事件の黒幕とでっちあげられて黔州に流されて首を吊り自殺した。 唐律疏義や隋書の編纂者としても知られている。 李孝恭 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 生年 没年 83 82 86 63 85 精妙 A A A B B S 591 640 【リコウキョウ】 唐の凌煙閣二十四功臣の1人。河間元王。西平懐王李安の子。唐の高祖李淵の族甥。 李淵が長安を平定すると、左光禄大夫に任命され、間もなく山南道招尉大使となった。 金州から巴蜀に進出して三十余州を下して進撃、朱粲を破り降伏させる功を立てる。 江陵に拠る蕭銑を撃破して、輔公祏が江南で背くと大破した。この功で揚州大都督となる。 のち、邸に石頭城を築いたことで、謀反を誣告され召還されて詰問されるが、 謀反の実態がなかったため許され、涼州都督・晋州刺史を歴任した。 趣味は豪奢で、歌舞や美人を好んだが、人に対しては寛仁謙譲で、おごった様子を見せず、 李淵の跡を継いだ李世民にも重用された。 杜如晦(克明) 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 生年 没年 23 17 94 83 75 鬼謀 C C C C C C 585 630 【トジョカイ(コクメイ)】 唐の凌煙閣二十四功臣の1人。莱国成公。 史書に親しみ、隋末には吏部に入ったが、間もなく官を辞し故郷へ戻った。 李淵が長安を占拠すると、李世民の参謀役であった房玄齢により見出され幕下に加わる。 「玄武門の変」の前、讒言により秦王府を追われたが、 太宗・李世民が即位をすると中央政界に復活し、 太子左庶子や兵部尚書という要職を歴任し、尚書右僕射まで上り詰める。 左僕射の房玄齢とともに「貞観の治」を現出させた。 魏徴(玄成) 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 生年 没年 17 55 83 77 68 百出 C C C C C C 580 643 【ギチョウ(ゲンセイ)】 唐の凌煙閣二十四功臣の1人。鄭国文貞公。 幼少時貧困で、隋末に群雄の一人である李密のもとへ身を寄せ、敗戦して唐へ帰する。 竇建徳の捕虜となり、才能を見出される。建徳の兵が敗れ、唐へ帰り、 皇太子・李建成の側近となるが、玄武門の変で李建成が死ぬと、 李世民は率直さを評価して諫議大夫へ昇進させた、後に秘書監、侍中等の職を転任。 癇癪を起こした太宗を二百回余りも諌めることで有名となる。 死亡時、太宗は非常に哀しんで「人は銅を以て鏡と為し、衣冠を正すべし、 古きを以て鏡と為し、興替を見るべし、人の為す鏡を以て、得失を知るべし。 魏徴の沒、朕亡くせし一鏡矣。」と言ったという。 房喬(玄齢) 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 生年 没年 7 3 92 91 76 眼力 C C C C C C 578 648 【ボウキョウ(ゲンレイ)】 唐の凌煙閣二十四功臣の1人。梁国公。 隋末の混乱時に唐に投じて、李世民の秦王府十八学士の筆頭とされた。 李淵が統一を果たして以後、優秀な人材の確保に努めて、杜如梅を見出し推挙。 建国間もない唐の王朝で皇太子・建成と世民の間で継承争いが起きると、 房玄齢と杜如晦はその謀略の才を建成側に恐れられ、讒言を受けて秦王府への立ち入りを禁じられた。 李建成に悟られないように策謀を進め、「玄武門の変」を成功させて李世民を即位させた。 「貞観の治」の立役者の一人で、正史の編纂を総監した。 高倹(士廉) 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 生年 没年 82 78 86 85 84 沈着 B A B B C C 576 647 【コウケン(シレン)】 唐の凌煙閣二十四功臣の1人。義興郡公。申国公。 北斉の清河王高岳の孫。高履行・高審行・高真行の父。 李淵が嶺南に遣使すると交趾太守の丘和とともに唐に降り、秦王李世民の下で治中となり重用された。 李世民が皇太子李建成と争うと、長孫無忌とともに李建成を討つ計画を定めた。 「玄武門の変」の当日は囚人を釈放して兜を着せ、芳林門に向かって李世民の援軍として戦った。 李世民が皇太子となると、義興郡公に任ぜられるが。王珪をかくまったために安州都督に左遷された。 蜀の地で学校を復興し、灌漑のための水道を広げ、現地の風俗を一変させた。 のちに、長安に召還されて許国公に進封。司空に進み特進・上柱国の位を得た。 李靖(薬師) 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 生年 没年 97 72 96 70 86 深謀 S A A S B S 571 649 【リセイ(ヤクシ)】 唐の凌煙閣二十四功臣の1人。衛国公。 直属の上司の李淵が謀反を起こすと、隋王室に知らせに抜け出そうとするが露見し捕縛される。 すぐさま処刑しようとする李淵に対して「貴公は挙兵して天下のために暴虐を除いて民を安らげて、 大事を成し遂げようとしているが、なんのために私怨によって忠臣・義士を殺すのか」と問いかけた。 このとき傍らにいた李世民は、父に李靖の助命を嘆願して、以後配下に加える。 以後、強力な幕僚として付き従い、隋が崩壊した後の統一戦争において様々な献策を行った。 王世充との戦いで武功を挙げ、唐の中国統一における大きな障害であった江南の蕭銑との戦いでは 全権を任されて李世民の期待に応えた。続いて、突厥を破り、西部で背いた吐谷渾を討伐して、 晩年には宰相を務めた。寡兵で常に勝利を収めた鮮やかな勝ち方から、 中国では李靖をして史上最高の名将とする書籍が多い。 蕭瑀(時文) 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 生年 没年 68 66 83 77 25 B C B C B C 575 648 【ショウウ(ジブン)】 唐の凌煙閣二十四功臣の1人。宋国公。蕭鋭の父。 隋の楊広(煬帝)の外戚として重用された。しかし煬帝の意にそむく進言を行い、河池郡守に左遷された。 唐の高祖李淵が長安に入ると、蕭瑀を招き、宋国公に封じ、秦王李世民が右元帥として洛陽を攻めると 蕭瑀はその下で元帥府司馬をつとめた。李淵の側近にあって内外の政務の裁決にかかわり、蕭郎と呼ばれた。 李淵の過失についてもはばかることなく発言して信頼され、李世民が雍州牧となると蕭瑀は雍州都督となる。 貴族の生まれで、心は狭く不平不満を鳴らすことが多かったために、房玄齢や魏徴と対立することも多く、 度々、朝政権を剥奪されている。 段志玄 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 生年 没年 82 92 36 23 66 疾走 A A B A B C ? 642 【ダンシゲン】 唐の凌煙閣二十四功臣の1人。樊国公。褒国公。 李淵が起兵すると、志玄は千人の兵士をもって従い、右領大都督府軍頭に任ぜられた。 霍邑・絳郡を下し、永豊倉を攻めるにあたって常に先鋒をつとめた。劉文静が桑顕和に襲撃されて、 唐軍が潰乱すると、二十騎を率いて敵中に入り流れ矢を足に受けながらも再三討ち入って 敵を混乱させて敗走させた。王世充の征討に従い、竇建徳を破った。 皇太子・李建成に金や絹で誘われたが、これを拒絶。李世民が即位すると、左驍衛大将軍に累進し、 樊国公に封ぜられる。警備にあたって厳重で「真の将軍である。周亜夫もこれ以上であろうか」 と李世民に感嘆されたという。 劉弘基 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 生年 没年 76 87 56 15 64 駆逐 B B A A C C 582 650 【リュウコウキ】 唐の凌煙閣二十四功臣の1人。輔国大将軍。 隋の河州刺史劉昇の子。若い頃は素行が悪く侠客と交友して博徒に興じた。 高句麗遠征を忌避して部隊の者と牛を屠殺し官吏を批判して捕縛され、釈放されると馬泥棒として自活する。 のちに唐公李淵に仕えて、李世民に見出されて、起兵にあたって二千人を集めた。 王威らを捕らえて西河を攻め下し、宋老生を撃破し、先陣を切って黄河を渡り、隋軍を大破する。 長安が平定されると、功績第一として、右驍衛大将軍に任ぜられた。 以後は割拠する群雄の討伐に活躍して、突厥に対する防備を固めた。 屈突通(坦豆抜) 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 生年 没年 85 86 82 57 90 白馬 B S A S C C 557 628 【クツトツツウ(タントウハツ)】 唐の凌煙閣二十四功臣の1人。蒋国忠公。 北周の邛州刺史の屈突長卿の子。武略を好み、騎射を得意とした。 隋が建国されると、左衛府司馬となり、楊広(煬帝)の命で長安を守備する。 低落の一途をたどる官軍の士気の中、長安を守備しよく守るが唐軍の勢いの前に敗北、 号泣しながら東南に再拝して降伏する。 「通は人臣の節を尽くすことができず、そのためここにいたりました。本朝の恥じるところです」 との言葉に、李淵に「忠臣である」と許されて、国内統一に貢献した。 「玄武門の変」ののちは洛陽を守備し、まもなく亡くなった。 官にあっては剛直で、法を犯す者があれば、親族であっても容赦しなかったという。 殷嶠(開山) 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 生年 没年 62 53 37 72 58 B C B C C C ? 622 【インキョウ(カイサン)】 唐の凌煙閣二十四功臣の1人。鄖節公。 隋の秘書丞殷僧首の子。李淵が太原で起兵すると、召されて大将軍掾に補任され、 軍機に参預。李建成に従って西河を攻撃した。のち、元帥府司馬として李世民に従い戦うが、 李世民の戒めを破って大敗を喫し、死罪に相当するところ一命を許されて庶民に落とされた。 薛仁杲に対する征戦に従軍し、功績によって爵位をもどされ、 王世充を討つのに従い、功により鄖国公に任ぜられた。 柴紹(嗣昇) 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 生年 没年 88 92 88 30 75 機略 A A B S B C ? 638 【サイショウ(シショウ)】 唐の凌煙閣二十四功臣の1人。譙襄公。妻は唐の高祖李淵の三女平陽公主。 幼少のころから身軽で荒々しく、武力を有した任侠として知られていた。 李淵が太原で起兵すると、間道を通って太原に赴き参陣。 長安進軍に際し、いずれも先頭で敵陣を陥れる功を上げた。 天下統一戦では李世民に従って薛仁杲・宋金剛・王世充・竇建徳らを討伐。 吐谷渾と党項が辺境に侵入すると、高所から矢を雨のように射こむ敵軍に対し、 胡琵琶を弾かせ、二女子に舞いを舞わせる奇策で敵軍を疑心に陥らせて、 精鋭の騎兵を率いて後方から攻撃し潰滅させた。 功により、鎮軍大将軍を加えられ、右驍衛大将軍を代行し、譙国公に改封された。 長孫順徳 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 生年 没年 75 83 55 80 74 名声 A B B A C C ? ? 【チョウソンジュントク】 唐の凌煙閣二十四功臣の1人。邳襄公。長孫無忌や長孫皇后の族叔。 隋に仕えて右勲衛となるが、高句麗遠征への従軍を忌避して太原に逃れて李淵や李世民と親交を持つ。 李淵が起兵すると、統軍に任ぜられて平定に活躍。 劉文静とともに屈突通を潼関で攻撃し、捕らえて長安に連行する功を立てて 左驍衛大将軍に任ぜられ、薛国公に封ぜられた。 放縦で、法律を守らなかったが、その統治は端折って簡明であり、明肅と号される。 官吏たちの多くは百姓にたかっていたが、順徳はこれを糾弾して許さなかったので、良牧と称された。 娘を亡くして意気消沈し、病死した。 張亮 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 生年 没年 78 76 73 52 54 遁走 B A B A B C ? 646 【チョウリョウ】 唐の凌煙閣二十四功臣の1人。長平郡公。鄖国公。 群雄の一人である李密に従っていたが、李勣とともに唐に帰順する。 李勣を補佐して鄭州刺史に抜擢されるが、王世充に鄭州を奪われると、共城山に逃れ、 李勣が劉黒闥を討ったとき、相州を守ったが劉黒闥の勢力が強まると、城を棄てて逃亡した。 房玄齢の推薦により、秦王李世民に召されて、車騎将軍に任ぜられて洛陽に行き、 山東の豪傑と結んで太子・李建成に備えた。太宗李世民が即位すると、朝政に参与する。 李世民が高句麗遠征をおこなおうとすると、張亮はたびたび諫めたが、聞き入れられず 遠征は大敗、帰国途中逮捕される。のち、死罪にあたる事件を起こして斬刑を受けた。 侯君集 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 生年 没年 67 83 88 17 55 射程 A C S B S C ? 643 【コウクンシュウ】 唐の凌煙閣二十四功臣の1人。陳国公。 唐の秦王李世民の幕府に召されて、その征戦に従い謀議に参与した。 「玄武門の変」において、李建成・李元吉を排除する計画に多くの献策をおこなう功で、 李世民が即位すると、左衛将軍に転じ、潞国公・右衛大将軍に任ぜられた。 吐谷渾討伐戦では李靖の下で献策して撃破し、西域でも撞車、投石車を駆使して功を上げる。 高昌を破ったとき、無罪の人を奴隷に落として分配し、私的に宝物や婦人を略取していたために 長安で役人がその罪を奏上すると、詔により獄に下される。 太宗は李広利や陳湯の例を引いた上疏を受けて許して釈放するが、 のち、皇太子李承乾と共に兵変を計画した罪で処刑された。 張公謹(弘慎) 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 生年 没年 78 73 82 84 80 屯田 B A A C A C 594 632 【チョウコウキン(コウシン)】 唐の凌煙閣二十四功臣の1人。鄒国公。郯襄公。 隋に仕えて王世充の下で洧州長史となったが、刺史の崔枢とともに唐に帰順した。 李勣と尉遅恭から李世民に紹介されて秦王府に入る。 「玄武門の変」では李建成亡き後、部下の馮立・薛万徹らが玄武門を攻めるが奮戦しこれを阻む。 のち、代州都督となり、食糧運送の手間を省くために屯田を置いた。ときの政治の得失を言上して、 李世民に意見の多くが採りあげられた。突厥攻撃では李靖の下の副将として、定襄を落とし、 頡利可汗を破る功績で鄒国公に進封された。襄州都督に転出し、寛容な統治で知られた。 程知節(義貞) 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 生年 没年 84 93 65 30 62 騎将 A A C S C C 589 665 【テイチセツ(ギテイ)】 唐の凌煙閣二十四功臣の1人。宿国公。盧国公。 瀛州刺史の程婁の子。李密に従い四驃騎の一つを領して活躍。 王世充と李密が戦ったとき、知節は内騎営を受け持ち、単雄信は偃師にあって外騎営を受け持った。 王世充が単雄信を襲撃すると、李密は知節と裴行儼を派遣して単雄信を救援した。 裴行儼が流れ矢に当たって落馬すると、知節はこれを救い、裴行儼を馬上に抱えて馳せもどった。 のちに李密が敗れると、知節は王世充に捕らえられるが性格を嫌って、秦叔宝とともに唐に帰順し、 宋金剛・竇建徳・王世充との戦いに従軍して、先陣を幾度も切る功績をあげる。 その後、李建成による讒言を受けて左遷されても従わず、赴任せず、「玄武門の変」ののち、 右武衛大将軍に任ぜられて反乱平定などに活躍。左領軍大将軍・原州都督を歴任し、普州刺史となり、 盧国公に改封された。次子の程処亮は清河公主の降嫁を受けて、駙馬都尉・左衛中郎将となった。 虞世南(伯施) 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 生年 没年 1 1 42 46 40 指導 C C C C C C 558 638 【グセイナン(ハクシ)】 唐の凌煙閣二十四功臣の1人。永興文懿公。 初唐の書家で三大家の一人。はじめ隋に仕え、のちに唐に仕えた。 王羲之の書を愛好した李世民には皇太子時代から仕えてその顧問として生涯信任をうけた。 書は智永にまなんで王羲之の正統をひきついだと伝えられ、太宗が開設した弘文館では 貴族の子弟に書をおしえた。同時代の欧陽詢とともに楷書の大成者とされる。 劉政会 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 生年 没年 60 64 76 52 58 沈着 B A B C C C ? 635 【リュウセイカイ】 唐の凌煙閣二十四功臣の1人。渝襄公。北斉の中書侍郎・劉環雋の孫。 隋の太原鷹揚府司馬で唐公李淵の麾下に属していた。李淵が太原で挙兵するのに先立って、 王威・高君雅らを捕らえるのに功績を挙げた。 唐が建国されると、衛尉少卿に任ぜられ、太原の留守を務める。 群雄の一人である劉武周が并州を攻撃すると捕らえられるが、敵中にあって 劉武周の動静を李淵のもとに書き送る。劉武周が敗れると官爵を戻されて 刑部尚書・光禄卿を歴任し、邢国公に封じられた。 唐倹(茂約) 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 生年 没年 66 65 51 25 62 掃討 A B B C B C 579 656 唐の凌煙閣二十四功臣の1人。莒国公。 隋の戎州刺史唐鑑の子。父の唐鑑は李淵と親交があり、李淵の次子の李世民と親交を結んだ。 隋の政治が乱れると、唐倹は王業を立てるよう李淵や李世民にひそかに説いた。 呂崇茂が劉武周と結んで夏県で背くと、永安王李孝基・独孤懐恩・于筠らとともに討伐にあたる。 しかし尉遅恭に敗れて劉武周に捕らえられた。独孤懐恩が唐に対する造反を企んでいることを知り、 劉世讓をひそかに李淵のもとに派遣してその謀略を告発させる。 その後、劉武周が敗れて突厥に逃亡すると、太原の府庫や戸籍や武器を封印して李世民の到着を待った。 李淵は唐倹が敵中にあっても唐朝への忠誠を忘れなかったことを賞賛し、并州道安撫大使とする。 李世民の下で劉黒闥を討伐し、幽州を平定して、馬邑の高満政が突厥について叛くと、 これを鎮圧して莒国公に進封される。 官にあって仕事に励まず、賓客と酒を飲んでは楽しんでいたため微罪に触れて、 光禄大夫に左遷され致仕するが、国老として特進を加えられた。 尉遅恭・李勣・秦瓊 いずれも唐の凌煙閣二十四功臣の1人。「いにしえ武将」から。 平陽公主 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 生年 没年 配偶者 75 61 88 82 86 内助 A B A C B B ? 623 柴紹 李淵の三女。柴紹の妻。本名は不明。平陽昭公主の名で知られる。 父の李淵が太原で起兵したとき、夫の柴紹とともに長安にいたが一計を案じて、 柴紹には間道を抜けて太原に向かわせ、自分は逃れて家財を散じて兵を募り、父の起兵に呼応した。 総管を称していた何潘仁を降して、周辺の李仲文・向善志・丘師利らを降した。 法の遵守を誓わせ略奪を禁じたので、関中近隣で公主につくものが多く兵七万におよんだという。 李淵の唐軍が黄河を渡ると、渭北で李世民の軍と合流した。柴紹と公主は幕府を対置して、 長安の平定にあたり、公主の部衆を娘子軍と号した。李淵が唐朝を建国すると、平陽公主に封ぜられる。 葬儀にあたって、李淵は羽葆・鼓吹・大路・麾幢・虎賁・甲卒・班剣の礼を加えた。 葬礼をつかさどる太常は「婦人の葬儀に、昔から鼓吹の礼はない」といって反対したが、 父の李淵は「鼓吹は軍楽である。公主の身で金鼓をとり、軍命に参じたものが、昔にいたか。 鼓吹を用いるにふさわしいではないか」と聞き入れなかった。 武則天 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 生年 没年 66 10 90 84 32 指導 B B B C C C 623 705 【ブソクテン】 武則天(623年-705年、在位690年-705年)は中国武周朝の創始者。 中国史上最初にして最後の女帝。唐の高宗の皇后。姓は武。諱は照または曌(照に代わる則天文字)。謚は則天大聖皇后。 日本では則天武后の名前で呼ばれる事が多いが、最近の中国では武則天と一般的に称されるようになってきている。 漢代の呂后、清代の西太后とともに『中国三大悪女』と称される。 西太后もまた政権を掌握した皇后であるが、武則天は正式に王朝を建て自ら皇帝の位に就いた唯一の女性である。 武則天は外交も積極的に行い、660年(顕慶5年)には新羅の要請を受け入れて百済討伐の軍を起こした。 百済を滅ぼした後の日本と百済の遺臣連合軍との白村江の戦い(中国の史書では白江之戦と表記される)にも勝利し、 更にその5年後には孤立化した高句麗を滅ぼし満洲地方の安定を実現した。 薛礼(仁貴) 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 生年 没年 89 96 78 56 75 神将 S A S S A C 614 683 【セツレイ】 唐の軍人。薛仁貴の通称で知られる。北魏の薛安都の後裔であり、薛軌の子。河東薛氏の出身。本貫は絳州龍門県。 その勇武は多くの民間伝承にも伝えられている。 若いころは貧しく、耕作を生業として、妻に柳氏を迎えた。 645年、柳氏の勧めにより張士貴の兵の徴募に応じて、高句麗遠征に参加。 郎将の劉君卬が高句麗軍の包囲におちいっているところを救援して、名が知られた。 これを皮切りに、突厥・高句麗・吐蕃・契丹といった唐王朝の遠征軍に連続して参加。 ときに唐軍が安市城を攻撃し、高句麗の高延寿らが20万の兵を率いて抗戦した。 仁貴は奇功を立てようと考え、目立つ白衣を着て目印とし、戟を持ち、 ふたつの弓を腰にかけて軍の先頭に立って突撃し、高句麗軍を破った。 その姿が太宗の目にとまって召し出され、金帛などの褒賞を受け、游撃将軍・雲泉府果毅に任ぜられた。 唐の遠征軍が長安に帰還すると、仁貴は右領軍中郎将に転じ、宮城の北門を守備した。 一時は敗戦の責を負い、官職を奪われて庶人に落とされたが、まもなく高句麗の残党が蜂起したため復職。 682年、突厥の骨篤禄が唐の北辺に侵入すると、仁貴は阿史徳元珍の軍を雲州で撃退した。 683年、70歳で死去した。左驍衛大将軍・幽州都督の位を追贈された。 子に薛訥・薛楚玉があった。 薛訥は、字を慎言といい、平陽郡公に封ぜられ、左羽林大将軍・朔方行軍大総管などをつとめ、その人物像は『説唐』の薛丁山の原型となった。 薛楚玉は、開元年間に范陽節度使となったが、赴任せずに罷免された。 楊玉環 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 生年 没年 3 2 64 7 99 傾国 C C C C C C ? ? 【ヨウギョクカン】 楊貴妃。唐代の皇妃。姓は楊、名は玉環。貴妃は皇妃としての順位を表す称号。玄宗皇帝の寵姫。 蜀州の司戸参軍楊玄琰の娘。あまりにも玄宗皇帝が寵愛しすぎたために安史の乱を引き起こしたので傾国の美女と呼ばれる。 楊貴妃は元々玄宗の第18皇子の寿王瑁の妃の一人であったが、玄宗に見初められたために、一時的に道士となり、その後で、玄宗の後宮に入った。 玄宗は楊貴妃との愛欲の生活に溺れたため、まったく政治を顧みなくなり、彼女を喜ばすために楊一族の位を高くした。 その結果、楊貴妃の従兄の楊国忠の専横を許すこととなった。中国史では伝統的な、外戚の専横である。 楊国忠は自らの名声を高めるため、遠征を行うなどの悪政を行ったために国力を弱め、民衆からの恨みを買うこととなった。 さらに楊国忠は権力争いのライバルである節度使の安禄山を蹴落とすために玄宗に讒言を行った。 結果的に、これに危機感を覚えた安禄山は反乱(安史の乱)を起こした。 首都である長安から逃げ出して蜀へ向った楊貴妃たちだが、兵士達は乱の原因となった楊国忠を強く恨んでいたため、彼の部隊を包囲して殺害した。 さらに兵士達は、玄宗に対して楊貴妃を殺害することを要求したため、玄宗はやむなく楊貴妃を縊死(首吊り)させた。 安禄山 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 生年 没年 88 93 84 75 95 駆逐 A B B S A C ? ? 【アンロクザン】 唐代の中国の節度使、軍人、大燕国皇帝。本姓は康で、康国(サマルカンド)出身のソグド人と突厥系の混血。 語学に堪能であり、交渉事で頭角を現す。 一時は玄宗の寵愛を受けたが、楊国忠の讒言を受けたため唐の玄宗に対し安史の乱を起こし、大燕帝国皇帝に即位したが、最後は息子に殺された。 この乱以降、唐王朝の衰退は加速していった。 巨漢として知られ、その膨らんだ腹の中には何が入っているのかと玄宗に聞かれた時に「ただ忠誠のみが入っています。」と答えた。 また「楊貴妃の養子になりたい」と言い出し、おむつをして大きな揺り籠に入って出てきて、玄宗や楊貴妃を大いに笑わせた。 これらの事は玄宗の「軍事力を背景に反乱を起こすのでは」と言う疑いを逸らすための苦肉の策であった。 杜甫(子美) 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 生年 没年 2 1 83 81 90 詩想 C C C C C C 712 770 【トホ】 盛唐期の詩人。杜少陵、杜工部とも呼ばれる。三国時代の名将杜預の末裔。 律詩の表現を完成させ、後世、詩人としての最高位の呼称である『詩聖』と称された。 その文学的功績は李白と並び称される。 反面、士大夫としては終生不遇と貧困に苦しみ、傑作が生み出されたのはその苦境の中であった。 楊炎(公南) 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 生年 没年 32 11 73 95 87 徴税 C C C C B C 727 781 【ヨウエン】 唐の政治家。両税法の創設者として名高い。鳳翔郡天興(現在の陝西省)の人。号は小楊山人。諡は肅愍。 初め、河西節度使呂崇賁の掌書記となり文才を開花させる。 後に中央政府に入り、同郷の宰相・元載の信任を受け、司勲員外郎・礼部郎中・中書舎人・吏部侍郎・史館脩撰を歴任。 元載の失脚に連座して楊炎も道州(現在の湖南省)の司馬に左遷された。 徳宗が皇帝に即位すると、楊炎は宰相職である門下侍郎・同中書門下平章事に抜擢され、朝権回復と財政再建という難題に取り組む事になった。 安史の乱以後、河朔三鎮をはじめとする地方の節度使は中央から独立して藩鎮と呼ばれる事実上の独立政権を打ち立てて国は分裂状態にあった。 更に農村の荒廃も加わって、唐の財政は危機的状況にあった。 楊炎は塩の専売制を成功させて財政を掌握していた劉晏を処刑して実権を得ると、陸贄らの反対を押し切って両税法を導入し、 更に財政収入が宦官に流用される事を禁じて、国家財政を扱う戸部の左蔵庫を充実させた。 また、沈既済・杜佑ら有能な人材を登用した事でその名声が高まりつつあった。 だが、こうした政策は強硬な反発を伴い、貴族・宦官・藩鎮ら既得権益層全てが楊炎排斥に動き出す事になる。 楊炎と対立した徳宗の側近・廬紀が楊炎に対する讒言を行うと、反対勢力もこれに同調する。 楊炎の人気の高まりと劉晏の処刑に不快感を抱いていた徳宗もそれに従い、楊炎は海南島の崖州司馬に左遷され、中途で処刑された。 毛利元就は -- (名無しさん) 2013-06-29 21 43 09 名前 コメント すべてのコメントを見る
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村落と都市 立地の自然的要因 平地(治水)・海岸・山地 立地の社会的要因 防衛・交通 散村 屯田兵村・出雲平野・大井川下流・(タウンシップ制) 集村 塊村・路村・街村・列村・環村 日本の村落 古代の条理集落から班田制が崩れ、中世になって豪族や寺社の墾田開発により豪族屋敷村・寺百姓村・名田百姓村・隠田百姓村などが登場 近世には江戸期の新田開発、明治時代の屯田兵村 都市の分類 形態(碁盤目状・放射状・袋小路) 機能(生産・工業・鉱業・水産・林産:消費・政治・軍事・宗教・住宅・文化学術・観光・保養:交易・商業・交通) 巨大都市 巨大都市(メトロポリス)の出現:連合都市(コナーベーション)・巨帯都市(メガロポリス)=米・日本・ドイツ 大都市 中心市(CBD(中心業務地区)・都市商店街・問屋街・混合・工場・周辺・住宅・副都心)と郊外
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名稱:姬旦 伺服器及顏色:6服紫類型:武 性別:男 生命值:3748 武力:70 智力:62 防禦:39 敏捷:59 運勢:65 敘述:又名叔旦,周文王姬昌第四子。因封地在周,史稱周公。是西周初杰出 政治家和軍事家。建都洛邑後,周公實行封邦建國 方針。他先後建置71個封國,把武王 兄弟和功臣,封到封國去做諸侯,以作為捍衛王室 屏藩。另外在封國內普遍推行井田制,將土地統一規劃,鞏固和加強了周王朝 經濟基礎。周公退位後,把主要精力用于制禮作樂,繼續完善各種典章法規。
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武将としては未出だが、棗祗(そうし)と共に屯田制の実行を進出した人物。 演義では長沙太守・韓玄の弟として描かれている。 黄忠嫌悪はこの演義基準か(実際韓玄殺したのは魏延だが) -- (名無しさん) 2010-05-13 22 02 22 最初のシナリオから登場する、そこそこ戦える文官。 政治以外も総じて高いので鍛えれば弱点の無い武将になるが、適性が低いので育てるか微妙な所。 基本は前線の留守役か。屯田は地味だが物資の乏しい序盤や超級では意外と馬鹿にならない。 -- (名無しさん) 2010-05-13 22 38 18 5 -- (名無しさん) 2011-02-06 22 43 12 韓玄軍では黄忠・魏延と並んでエース。戦闘から内政まで一手に引き受けることになる。 政治が高いわりに知力が低めなので知力を強化すればさらに使い勝手が良くなるはず。 -- (名無しさん) 2011-05-13 12 21 31 統率・武力もそこそこあるが政治が高いので韓玄軍では魏延・黄忠とは別の意味で神。 韓玄は論外として魏延・黄忠も有能だが政治は低いので彼がいなかったらと思うとゾッとする。 -- (名無しさん) 2011-05-14 06 38 49 政治は87とずば抜けて高いが、知力は低めなので(武官としては十分高いけど)文官推挙イベントに対処するためにも強化しておきたい。 知力を80台にしておけば性格剛胆なので並の文官相手ならそうそう負けないはず。 -- (名無しさん) 2011-07-01 07 15 32 基本このシリーズは演義と正史に矛盾が生じた場合演義優先の能力なのに この人だけは正史優先なんだよなぁ -- (名無しさん) 2012-04-16 05 25 24 ↑なるほど。 で、あなたの韓浩の運用法は? -- (名無しさん) 2012-04-16 12 40 09 兵力の多くなる前線拠点の関や港に配備しひたすら屯田、輸送、屯田、輸送。 -- (名無しさん) 2012-05-06 22 20 31 S4では曹操にいたと思ったらS5でいきなり韓玄の所に行ってS6では出戻りするという不思議な経歴であるw 演義準拠の不自然死だがその分寿命は長めになってくれる。 能力に反して適正が非常に悪いが曹操・韓玄共に彼を前線に出す必要はあまりない。 むしろ張楊や袁術の時に痛いかもしれない。 かといって彼の適性を伸ばすほどの人材不足でもないので、もっぱら内政面での活躍に徹することになるだろう。 超級では屯田を生かした活躍が主になる。政治87が勿体ないがほかの屯田持ちも似たようなものなのでやむを得ないだろう。 -- (名無しさん) 2015-01-28 14 58 51 荊州四英傑って正史では一応曹操の部下みたいな物だからね・・・ゲーム的には登用等に有利になるから独立勢力のほうが面白くなるんだが。 -- (名無しさん) 2016-10-09 13 19 16 韓玄、袁術軍では重宝する人材。 けっこう戦功立てているから適性には不満が残る。 適性が高かったら戦場にもガンガン出せるのに、と思うのは欲張りだろうか? -- (名無しさん) 2016-10-10 00 13 58 任俊「その能力値を13の俺にも分けろ。つーか屯田制の功績独り占めすんな」 -- (名無しさん) 2017-01-17 20 03 24 “高ステータスで低適性”の差がこれほどある武将も珍しい。 統率と知力を鍛えて、彼とは逆の“低ステータスで高適性”の武将と組んで補い合うのも良いかも。 特技は死ぬが... -- (名無しさん) 2017-01-31 20 57 12
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~公開中、制作中の頒布物です~ 制作なう 新作 タイトル未定(オリジナル創作集) DL頒布予定 制作・秋田制作集団(SOL、バッタ男) 底辺の木村 護魔(企画、編集など) サポートメンバー・鍵椿(夢幻) 20P以上 HisuI、夢幻時代より暗躍してきた眠れる獅子が咆哮を供に目を覚ます・・・秋田制作集団と称されるオリジナル部門、夢幻では斬新なTシャツデザインを手がけたSOL、そして非現人ジャンルの提唱者こと古参のバッタ男の作品をメインとした創作画集。 頒布なう RE HisuI 嘘汽笛星系美零座ネテルイヴィク・ウルス球形パトナク熱量因果開放即売会委託出展物 Pixivにて公開中 制作・HisuI 2011=ぽむぺもでる 護魔、鍵椿 24P すでに存在しないはずの夢幻の前身にあたるサークル「HisuI」が6年の歳月を経て宇宙の彼方に出現。なんと遠い惑星の同人即売会に新作を出展していた・・・?地球に届いたものを見易くデータ化したもの、それがこの同人誌である。 Re HisuI ストーリー 準備中 MakingSpringLink Pixivにて公開中 制作・鍵椿(企画、コンテ、編集)護魔(原案、文章、構成)midUKI(デザイン、作画) 13P 震災後に急きょ制作された、春をコンセプトとしたオリジナル創作作品。うさぎのウィルと小さな相棒。二人はどこへいくのかな? シアンゼガイ Pixivにて公開中 制作・鍵椿(編集、レイアウト)護魔(企画、構成)midUKI(構成) 54P 夢幻藝術幻想団、活動再開初の制作。ゴシャキニクルの「幕開け」。少女は何を夢見るのか? ホクラクシモン Pixivにて公開中 制作・護魔(テキスト)底辺の木村(構成)ゲスト・トーマさん 43P 幻想郷の新たな展望を模索した、幻想郷を愛する故の意欲作。Pixivを基盤に活躍していくということで実験的に無料で公開してます。 ホクラクシモンEIDIE(即売会出展版) 絶版 ホクラクシモン~変遺~ 絶版 ビネツ♯2 DL頒布中 制作・護魔(ノベルなど)midUKI(作画)底辺の木村(サポート)ゲスト・ねのとらさん 100P 豪雨の中、女は赤子を抱きしめ懸命に駆ける。そしてメリーは妖しげは笑みを浮かべる蓮子と共に不可解な屋敷に足を踏み入れるが・・・護魔と今作でサークルメンバーとなったmidUKIとのノベルと漫画による共作「霊夢」本。ゲストのねのとらさんによる小説二篇も収録。