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物足りなくなった方へ まずはとにかく、下図を見てもらおうかな。 既に<世界論>を読んでくれている人なら、見慣れたものだと思う。 -<世> | | -<現実> | | -| -<自己> | | -| -<視線> | | -| -<心> | | -| -<肉体> | | -| | ・・・(外部) さて、ここからが本題だ。 この図を眺めていて、みんなはこんなことを疑問に思わなかったかな? この一番下にある(外部)って何だ? って。 実はボクとすれば、この疑問を是非持って欲しいと思ってた。 そしてそれを考えてもらって、その事実に気づいてもらいたかった。 (外部)とは何か、その正体に、その当たり前に気づいてもらいたかった。 (外部)とは<現実>や<世>に他ならない ということで、実は(外部)とは<現実>や<世>のことなんだ。 まあそうだよね。よーく考えてみると、そうなるしかないし。それは当たり前のことだ。 だって、ボクらは<現実>(<世>)の中に居るんだもん。 「世の中」なんて言葉があるぐらいだもんね。 だから、本来はこの図はこうなる必要がある。 -<世> | | -<現実> | | -| -<自己> | | -| -<視線> | | -| -<心> | | -| -<肉体> | | -| | -・・・<現実>・<世> さて、さらに思い出してもらおうかな。 ボクは最初にこの図を示した記事で、 これらの繋がっているものは「決して切り離して単体だけで語れない」って話していた。 それと、誤解を招くかもしれない文章表現として、 「<心>はそもそも<肉体>であり、<肉体>はそもそも<心>なのだから」なんてことも話していた。 ということは、どうなるだろう? それってどういうことだろう? <自己>に注目して話すよ。 それはつまり、<自己>とは<世>なんだってことだ。 また<自己>とは<現実>のことであり、<自己>とは<視線>や<心>や<肉体>のことなんだ。 また<世>とは<自己>であり、<現実>とは<自己>であり、 <視線>や<心>や<肉体>とは<自己>なんだ。 だから「切り離して単体で語ろうとする<自己>」は存在しない。 その意味において言葉遊びっぽくするなら、『<自己>は<自己>ではない』という言い回しだってできる。 (<悟り>を語る書物や発言で、よくこういう言い回しが現れるのはこのため) ボクの隠された超能力を披露しよう! 上の段落で書いたことが、すぐにピンと来た人ばかりじゃないと思うから、もうちょっと補足しよう。 そこでそのためにも、ここでボクがずっとひた隠しにしていた超能力をみんなに披露しよう。 この超能力を体感してもらえば、きっと理解が進むと思うんだ。 ということで、ボクがこれから披露する超能力とは「予知能力」だ。 これからみんなに、みんなが今見ている視界にあるものから、何でもいいから1つを指定してもらって、 それをボクが当ててしまおうって話なんだ。 どう? 凄いでしょ? 「そんなことできるはずないだろ」なんて、思っている人が多いだろうね。 でも是非そういう人にこそ、とりあえず何かを1つ指定して欲しいな。参加してみて欲しいな。 ボクが絶対に当てられないって思うものを、1つ指定してみてよ。 ・ ・ ・ 大丈夫かな? みんな、ちゃんと指定した? よし、それじゃあ当ててみよう。 (ドラムロールはみんなが脳内補完してね) みんなが指定したのは――<世>(<現実>)だ。(何を指定していても、全て「世の中」にあるから絶対に間違いがない) ほら当たったでしょ?(笑) え、ズルい? ズルくて何が悪いのさ、と言い返してもいいけれど、それは本筋とは外れるから止めておこう。 ボクがこんなゲームでみんなに伝えたかったことは、 ボクら自身も含めて、<現実>(面倒くさいので今後は<現実>のみに統一する)の中に在るあらゆるものは、 <現実>によってちゃんと裏付けがなされているという事実なんだ。 例えば、 ボクの視界には「コーヒーカップ」があったり、「パソコン」があったり、「携帯電話」があったりしてる。 窓の外に目を向ければ「樹木」があったり、「川」が流れていたり、「道路」があったり、「車」があったり、「人」が歩いている。 もっと想像を膨らませれば、 まだボクが一度も見たこともないものが、あるいは想像すらできないものが、<現実>にはたくさん溢れているだろう。 でも、それら1つ1つのものは、 1つの例外なく、決して「それら1つ1つ」として、単体として存在しているわけではない。 机の上の「コーヒーカップ」が、「コーヒーカップ」であるのは、 たった1つの、この100円ショップに置かれていたコーヒーカップのために、<現実>全ての力で「コーヒーカップ」を定義しているからだ。 改めて復習しておこう。 ボクが言っている<現実>の定義とは、物質的な世界に留まっているものじゃない。精神的な世界にだって留まっていない。 今という時間にだって留まってはいない。過去も未来も、想像が付くものも付かないものも、ありとあらゆるものを含んでいる枠組みだ。 (そこに<世>を加えれば、上記に該当しない「よくわからないもの」も更に追加されるかもしれない) その<現実>が、そんな<現実>が、あらゆるものを定義している。 <現実>全ての力で、たった1つの取りこぼしも、決して切り捨てることもなく、 一切の手抜きをすることもなく、ありとあらゆるものをきちんと定義しているんだ。 だから、みんなが指定したもの。 そしてそれを行ったみんなそのものも――つまり<自己>だって<現実>なんだ。 ボクらは、ボクらだ。だけど、ボクらだけじゃない。 ボクらは<現実>だ。だからそのことを忘れたボクらは、ボクらじゃない。ボクらとして不十分だ。 <自己>には、<現実>全てが含まれている。 物質的な世界も、精神的な世界も、過去も未来も、想像が付くものも付かないものも全て含まれている。 たとえ、髪の先をどれだけ細かく刻んだとしても、爪の先をとてつもなく擦り潰したとしても、 路上に吐いた唾液であっても、どんな<自己>にだって<現実>が丸々1個含まれている。 そしてまた、<現実>を<現実>としているのは、ボクらであり、<自己>でもあるんだ。 このことを、ボクらは絶対に忘れてはいけない。 ボクらと、<自己>と――<現実>は、相互の定義関係にある。 <現実>は、<現実>だ。だけど、<現実>だけじゃない。 <現実>は、ボクらであり<自己>だ。だからボクらや<自己>が含まれない<現実>は、<現実>じゃない。 あらゆる単体は、それ以外のあらゆるものを、 あらゆるものであるように(あるがままであるように)定義している。 またあらゆる単体は、単体が単体であるために、 それ以外のあらゆるものから単体であるために(あるがままであるように)定義されているんだ。 そうなんだよ? これは本当のことなんだ。 <悟り>とは、「<自己>を発見する」こと <世界論>の中で、ボクは何度も<悟り>とは「<自己>を発見する」ことだよって話してきた。 今一度、そのことに立ち戻ろう。 もう分かってくれると思う。 ボクが言っている<自己>というのが、どういう<自己>であるのか。 ボクが言っている<自己>は、あらゆるところにある。 <世>にだって、<現実>にだって、<視線>にだって、 <心>にだって、<肉体>にだって、(外部)にだって。 「コーヒーカップ」にだって、「樹木」にだって、「車」にだって、「他人」にだって、 「悲劇」にだって、「喜劇」にだって、「不幸」にだって、「幸福」にだって、「戦争」にだって、「平和」にだって、 「100年前」にだって、「1000年前」にだって、「100年後」にだって、「1000年後」にだって、 もっともっと想像を遥かに遥かに超えるところにだって、<自己>はある。 だけどそれは、それらは同時に<自己>ではない。 言語表現ではこれが限界だ。こういう言い回しをするしかない。こういう意味不明な言い回しをするしかない。 だけど、これが<悟り>なんだ。 そしてそれが、「<自己>を発見する」ということの本当の意味なんだ。 <現実>と<自己>は同一なんだ。 これは決して正確ではないけれど、とても的確な表現でもある。 だから<現実>を知るためには、語るためには、<自己>を知って、語らなくてはならない。 <自己>を知るためには、「<自己>ではないものを<自己>だと誤解したもの」(=<自我>と呼んでいた)が邪魔になる。 誤解が無くなると、<自己>と<現実>は同一化していく。 だから<自己>を語ることが、そのまま<現実>を語ることになるんだ。そしてそれは目標の<世界>へと繋がっている。 これが<世界論>で、<自己>と<悟り>を語る理由だ。 さて、大変申し訳ないんだけれど これより先は、さらに支離滅裂というか、意味不明かつ想像外な解説をしなくてはならない。 というか、支離滅裂で意味不明かつ想像外でしか解説できないと言うべきか。 まずここまで、この記事を含めて8本の記事で説明してきたことを、1つ2つ「ちゃぶ台返し」することになる。 その中にはボクが最初から意図して嘘をついていたところもあったけれど、ごく最近までボク自身も間違えに気づいていなかったところもあった。 (間違えに気づいてからも、<世界論>上の7本については分かりやすさを重視して表現をそのままにしてあるところもある) そんな訳だから、きっとみんなは急に梯子を外された気持ちになるというか、 非常に面を喰らうことになると思うんだけど、まあ頑張ってこれから話していくことをよく咀嚼して飲み込んで欲しい。 こればっかりは、ちょっとボクの力量では優しい説明の仕方ができそうもない。 何とか上手いことできればいいんだけどね、ごめんね。 もし混乱するのが嫌だという人は、この先は読まないほうがいいのかもしれない。 その辺りの判断は、みんなそれぞれに任せるよ。 自己と自分と自我と さて早速、一個目の「ちゃぶ台返し」をしたいと思う。 それは題名にもあるように、<自己>と『自分』と<自我>に関してのものだ。 これは<悟り>とは「<自己>を発見する」ことだってずっと説明してきたから、 みんなには、これらの区別をちゃんと付けてねって話してきた。 すなわち『自分』って言葉を使わないように、まずしようねって提案して。 そして<自己>っていうのが大事で、それと勘違いした<自我>っていうのに気をつけようねって説明してきた。 だけどねえ・・・。 もしかして、よく覚えている人も居るかもしれないけれど、 この段落の題名である「自己と自分と自我と」を使用するのは2回目なんだ。 1回目は「間違え」がないとはという記事の冒頭にある。 そして何というか・・・奇しくもその段落の文章内に、他ならぬボクが書いたことなんだけど、 ~ 引用 ~ で、早速なのだけれど、 ボクらが「ボクら」のことを指す言葉として、よく使用するのが『自分』という言葉だろうと思う。 哲学という単語で括ってしまえばいいのか分からないけれど、 この手のことを話すときは、どの言葉をどのような意味で使うかというのが肝になってくる。 厳密な定義と、それを全体を通してブレなく使用する必要があるんだ。 そんなこともあって、今後は<世界論>において、この『自分』という言葉は使わないことをここにはっきりと宣言しておく。 何故かと言うと、この言葉が日常生活で使われているときの意味合いは、 <自己>と(これから説明する)<自我>の両方を含んだ概念であろうと思われるからだ。 これからそれらを厳密に区別していきたいときに、この言葉はとてもボクらを誤解・混乱させる危険性がある。 それだったら、最初から使用しないとはっきり周知したほうがいいと思ったんだ。 ~ ~ この引用文の中の、 「何故かと言うと、この言葉(=『自分』)が日常生活で使われているときの意味合いは、 <自己>と(これから説明する)<自我>の両方を含んだ概念であろうと思われるからだ。」の部分。 どうやら、これがそのまま正しいみたいだ。 何を言っているのか、よく分からないと思う。 まあでも、とりあえず下に図式してみるから見て欲しい。 -<自己> | 『自分』-| | -<自我> これが「『自分』というのは<自己>と<自我>の両方を含んでいる」を、素直に図にしたものになる。 んで、これを眺めていて、 これまでのボクの解説を踏まえたり、あるいは常識的な思考で考えると、 「で、どれが本物(本当のボク)なの?」とか「<自己>っていうのが大事なんだよな。後の2つはどうすれば失くせるんだ?」とか、 「それで『自分』っていうのは<自己>だってことなの? <自我>だってことなの? 本体はどっちなの?」とか、色々と思うんだろうけど。 違うんだ。ボクが言いたいのは、このままなんだ。 このまま――『自分』というのは<自己>と<自我>という二面性を持っているってことなんだ。 まだ、いまいちピンと来てないと思うから、 よく知られている同じ構造の別例を挙げよう。 -<粒子> | 『光』-| | -<波> この話を聞いたことがない人は、少ないと思う。 『光』というのは<粒子>でもあるし、<波>でもあるよって有名な不思議話だ。 だけど、もしこのことが不思議に思うっていうのならば、 それはきっと、結局どちらかが本当で、どちらかが偽物だっていう思い込みが頭にあるか、 もしくはこの二面性を生み出している何か「1つ」の隠れている性質が本当はあるに違いないって思っているんだと思う。 でも、ボクはそれは違うと思う。 はっきりと言うけれど、これが「存在」というものそのものの「構造」なのだとボクは考えている。 「存在」というのは、『光』の例で言う<粒子>と<波>に代表されるような、 それぞれは相容れない、全くの正反対と言っていいものが1つになっているもの。言ってしまえば「矛盾」なのだとボクは思う。 そしてそれが、ボクらに捉えられる(つまり、捉えることが可能だ)ということは、 そもそもボクらの認識能力というのは、「矛盾しているものを捉える」という能力なのだという理解のほうが正しいのかもしれない。 もっと言うなら、「矛盾」してなくてはボクらはその存在を認識できない可能性があるし、 あるいは、ボクらが一般的に使用している常識や論理と呼ばれるものが、むしろ非常に「不自然」である可能性がある。 <自己>と<自我>の新定義 話を『自分』に戻そう。 もう一度言うけれど、『自分』というのは<自己>と<自我>という二面性を持っている。 そんな訳なんだけど、これまでの<世界論>の解説では、 <自我>についてはボクはかなり邪魔者扱いをしてきた。批判的に語ってきたと思う。 この「邪魔者扱い」は、<悟り>に「触れる」だとか「得る」ためには、ある程度は必要なことではあるのだけれど、 だからと言って、その存在すら不要だと考えるとか、敵視してしまうのは行き過ぎということになる。 何故なら、<悟り>という「<自己>を発見する」境地において、 <自我>というのは、<自己>から決して切り離せないものだということがこれで明らかになったからだ。 <自己>から見て、そして『自分』から見て、<自我>とは必要不可欠な存在なんだ。 <自我>がなくては、<自己>と『自分』の存在そのものも成り立たないんだ。 さて、こういった理解を踏まえて、 改めて<自己>と<自我>というものについてきちんと考えていきたい。 これまで、先に示していた定義を下に示す。 ~ これまでの定義 ~ <自己>:「思い」通りになるもの。「思い」通りになっているもの。自らが自らを決めるもの。 そして<自己>は視えない。認識されない。ここが注意すべき、重要なポイントになる。 カメラは決してレンズに映らないのと同じで、(<視線>というレンズでは)<自己>は視えない。認識されない。 <自我>:<自己>ではないものを<自己>だと誤解したもの。 (=『思い通りにならない』ものを「思い通りにしようとする」) こちらも(<視線>というレンズでは)視えない。認識されない。 ~ ~ 改めてさっき説明した、 「存在」とは「それぞれは相容れない、全く正反対と言っていいものが1つになっているもの」というのを念頭に置いた上で、定義を眺めてみる。 その視点で見ると、<自己>は「思い通りになっているもの」。 <自我>は「思い通りにしようとするもの」という形になっているから、そんなに外れてはない気がしてくる。 まあ実際、よくよく考えてみると、 経験上も確かにそうだなあと、みんなも落ち着いてみれば納得してもらえるんじゃないかと思う。 だって、みんなも「自分の生き方」について時に考えたり悩んだりすることはあると思うけど、 その時は現状に「満足している部分」と、「不満な部分」の2つを認めるところだと思う。 そして、じゃあその時に、 「どっちかだけが本物」だとか、「どっちか偽物だ」なんてことはそりゃあ、考えがちなのかもしれないけれど、 ボクはやっぱりそれは違うと思う。 どちらも『自分』の中にある大切な構成要素であり、 ボクらはまさしくこの正反対の二面性を持っている存在なんだ。 (というか、二面性を持っているから「存在」し得ていると言うべきなのだろう) -<自己> | 『自分』-| | -<自我> ここまでのことを踏まえて、改めて<自己>と<自我>の定義を考えてみよう。 こんな感じでどうだろうって思ってる。飲み込んでもらえるだろうか? = 新定義 = <自己>:「思い」を生み出さないもの。過去の自分。記憶。経験。体験。 それと(<視線>というレンズでは)<自己>は視えない。認識されない。 <自我>:「思い」を生み出すもの。未来の自分。思考。想定。予測。 それと(<視線>というレンズでは)<自我>は視えない。認識されない。これは<自己>と同じ。 = = さて、これで<自己>と<自我>の再定義がとりあえず定まった。 「ちゃぶ台返し」が起こった以上、例の配置図がどう変化するか気になる人も多いだろう。改正したものは下のようになる。 -<世> | | -<現実> | | -| -<自己> | | -| -<自我> | | -| -<視線> | | -| -<心> | | -| -<肉体> | | -| | -・・・<現実>・<世> ・・・ん? あれ? 『自分』がないよ? どこにあるの? って思っただろうことだね。 ただねぇ・・・。 「存在」について、色々と考えていこう さて、上の段落で『自分』と『光』について例を挙げて、 「存在の構造」について話してきた。 改めて振り返ると、 「存在」とは「それぞれは相容れない、全く正反対と言っていいものが1つになっているもの」ということになる。 さて、それを踏まえて。 ボクらが日頃、馴染みのある「存在」というのを提示していこうと思う。 -<肉体> | 『物質』-| | -・・・<現実>・<世> まずはコレ。 『物質』というのは、<肉体>と<現実>(<世>)という構造でできているものだ。 <肉体>と<現実>(<世>)は、別々のものであることはみんな認めるところだろう。 だけどそれは、だからこそ1つとなり。 そして1つとなったところに、『物質』は存在している。 これ以外に、この場所以外に、この手段以外に『物質』が存在する(認識される)ことはない。 (※この『物質』についての解説にはちょっとごまかしがあるので。改めて3つ先の記事で補足したいと思う) そしてこれはとても当たり前のことなのか、それともとっても不思議なことなのか分からないけれど、 日頃のボクらはこの『物質』という言葉をそれなりにきちんとこの定義で使用している事実がある。 ただ多くのボクらは、この定義を明確に普段意識していないだろう。 それなのに、自覚していないのに、言葉としては使用できているんだ。とっても不思議なような、当然のような感覚になるね。 さあ、更に「存在」を提示していこう。 -<心> -<視線> -<自我> | | | 『身体』-| 『感情』-| 『意思』-| | | | -<肉体> -<心> -<視線> -<自己> -<現実> -<世>? | | | 『自分』-| 『無言』-| 『?』-| | | | -<自我> -<自己> -<現実> ということで、『身体』・『感情』・『意思』・『自分』・『無言』・『?』という存在を提示させてもらった。 それぞれの構成要素は、何度も見てもらった例の配置図から引っ張ってきているのが分かると思う。 さて、これから1つずつ解説していこう。 なかなか興味深い事実が含まれているんだ、これが。 ○『身体』 これは最も説明が簡単だと思う。 普段、こうやってこの言葉を使ってるよね。『身体』を「心体」と書いてしまえば、まさにそのままにもなる。 そして普段、「<心>と<肉体>という、全く正反対のものが存在を作ってるなんておかしい!」なんて疑問や怒りは持たないだろう。 ボクらは「矛盾」という「存在の構造」を、実は案外受け入れているんだってことがこういうところから分かるね。 ○『感情』 ここは認識作用としての<視線>と、それに認識される<心>が『感情』であるという話になる。 改めて、両者は全く正反対のものであることも確認できるね。 まあ、こんな風に書いてしまうと当たり前のことに感じるかもしれないけれど、 実はこの辺りから普段のボクらは明確化できてない領域となってくる。 特に『感情』というのは、脳科学の分野では「クオリア」という言葉を使って研究が盛んなところらしい。 前の記事でもさらっと紹介したけれど、 『身体』――特に「脳」からどのように<心>を生み出しているのか、ということを、 科学の世界では「意識のハードプロブレム問題」と呼んで、結構な問題となっているらしい。 勉強ができる方々が一生懸命になっていらっしゃるのに悪いけど、 どれだけ『身体』(脳)を調べても、<心>及び『感情』や「クオリア」は完全には分からないよ。というのは事実なので書いておく。 どうして勉強ができる方々がこのことを解明できないのかというと、その理由の1つは、 彼ら彼女らの中で、まさしく『物質』・<肉体>・『身体』・<心>・『感情』・<視線>ならびに「クオリア」、 さらに特に【意識】という言葉が、間違った定義がされているからだ。 「正しい言葉の使い方なしに、正しい理解は導かれない」 仏教だと八正道に繋がるところがあるけれど、今一度ボク自身も噛み締めようと思う。本当にそうだと思うから。 ○『意思』 さあ、次は『意思』だ。 これは<視線>と、新しい定義をしたばかりの<自我>が構成している。<自我>の定義はコピペしておくね。 <自我>:「思い」を生み出すもの。未来の自分。思考。想定。予測。 それと(<視線>というレンズでは)<自我>は視えない。認識されない。これは<自己>と同じ。 もしかしたら、『意思』と<自我>の区別が付かない人もいると思う。それはこう捉えてほしい。 <自我>は「やろうかなあ」や「やるつもり」だけど、『意思』は「やるぞ!」や「やれ!」だ。 思ってるだけじゃ動かない。 実行に移してこそ――<視線>以下にそれを伝えてこそ、「思い」は『意思』となるってわけなんだね。 ○『自分』 すでに説明したね。 何か補足することはあるかな・・・うーん、今は思い付かない。 ○『無言』 さあ、次は『無言』だ。 それで、この『無言』なんだけど、実は他にもボクの中で幾つか単語の候補があった。 クイズってわけじゃないけれど、 みんなもちょっと考えてもらいたい。みんなだったら、どういう単語でこの存在を表現するかな? <自己>と<現実>で構成されるこの存在について、みんななら何て名前を付けよう? 参考として、それぞれの定義をコピペしておくよ。 <自己>:「思い」を生み出さないもの。過去の自分。記憶。経験。体験。 それと(<視線>というレンズでは)<自己>は視えない。認識されない。 <現実>:日頃、ボクらが身近に親しんでいる<肉体>や<モノ>などの物質的世界、 それと<心>や<視線>の領域となる精神的な世界、 さらにはボクらそのものを指す<自己>(+<自我>)を包む領域。 ・ ・ ・ さて、ちなみになんだけど、 過去の偉大な方々がこの存在について、どんな名前を付けているか紹介しよう。 まずプロティノスさんは、この存在について『理性(ヌース)』という言葉を使っている。 ニーチェさんは、この存在について『運命』という言葉を使っている。 老子さんと荘子さんの場合は、『道』という言葉を使っている。・・・以上。(※ただし、微妙に正確な位置ではないかもしれない。判断が難しいところ) 実は・・・これ以外の例をボクは知らない。 これはボクの勉強不足というのもあるんだけれど、そもそもこの領域まで語っていて、 気軽に書物などで手に入るものが限られてるってのもあるんだ。(日本語しか読めないしねぇ・・・) 他に、ボクが思い付いた候補とすれば、「本質」とか「宿命」とか「天命」とかって言葉になるんだけれど。 いずれにしても、これはどういうことかというと「現在のボクが、こういうボクであるのは何がそうさせているか」という話になる。 これに対して、過去の偉大な方々の知慧を借りて『理性』とか『運命』とか『道』って言葉を使ってもいいけれど、 ボクはこの存在には『無言』という名前を付けたい。付けさせてもらいたい。 これはどういうことかというと、「現在のボクが、こういうボクであるのは何がそうさせているか」という、 その存在のボクらへの最初の表れは、絶対に「語れない」形でやってくるからだ。 だからボクは「語れない」ということを、そのままに表現した『無言』という単語を選択させてもらいたいんだ。 みんなは、どんな言葉を浮かべただろう? 気になるね。 機会があったら教えて欲しいな。 あ、そうだ。 ちょっと脱線するけど、老子さんの名前が出たから、老子さんの凄さをちょっとお披露目しよう。 老子さんは『老子教:第四二章』(「老子経真論」 著:長尾豊喜)において、こんなことを記している。 「道は一を生じ、一は二を生じる。二は三を生じ、三は万物を生じる。万物は陰を負うて、しかして、陽を抱く」 何を言っているか分かるよね? まさしく「存在の構造」について言及をしているわけだ。 そして生み出されたものがさらに、別のものを生み出していくこともきっちり記されている。本当に素晴らしいとしか言いようがない。 (「万物は陰を負うて、しかして、陽を抱く」の部分も本当は凄く深いんだけど、ここでは割愛する。まあどこかでね) ○『?』 さあ、いよいよここだ。 ボクはここに存在するものが分からないと言っておく。 そしてどうして分からないのかについて、それは<世>というのが何なのか分かってないからであると答える。 『?』という存在が不明なのは、それを構成する2つの全く正反対のものが分からないからだ。 片方は<現実>であることは分かってる。 だけど、もう一方が分からないために、ここにある『?』が分からないんだ。 ただし、ここが分からないからといってがっかりする必要はそんなにない。 何故ならば<悟り>ということでいうならば、ここにある<世>や『?』が分かっている必要はないからだ。 仏教における<悟り>とは、『無言』に到達することを意味する。 あれ、<悟り>は「<自己>を発見する」ことじゃなかったの? こんなツッコミを入れてくれた人も居るんじゃないかと思う。とっても嬉しい。 こちらとしてはシメシメってところだし、こういう疑問が浮かぶってことはこれまでの解説をとてもよく分かってくれているってことだ。 そういった意味でも、本当に嬉しいことだね。 さて、ボクがずっと説明してきた<悟り>とは「<自己>を発見する」こと。 それとついさっき説明した、<悟り>とは「『無言』に到達すること」なんだけど、実は整合性が取れている。 -<自己> -<現実> -<世>? | | | 『自分』-| 『無言』-| 『?』-| | | | -<自我> -<自己> -<現実> 何故かと言うと、改めてこれらを眺めて欲しい。 そして<自己>を発見するためには、あるいは<自己>を発見した時に何に到達するか見て欲しい。 ね? <自己>は、『自分』でも『無言』でもある。 よって「<自己>を発見する」ことができたとき、すなわちそれは『無言』に到達しているってわけだ。 (ただし<現実>についても、半分?は発見する必要がある。というのは補足しておく) さてさて、ずいぶんと長くなっているけれど、 とりあえずこれで『存在』については説明がすることができた。 このことを踏まえて、いつもの見慣れた配置図に組み込んで図示したいところなんだけど・・・これができない。 いや、ボクも何とかならないかなーって結構悩んだんだけど、これ多分デキない。 みんなも下の図を見て、そして紹介した各『存在』の一覧も見て、組み込めるかどうかやってみて欲しい。 -<世> | | -<現実> | | -| -<自己> | | -| -<自我> | | -| -<視線> | | -| -<心> | | -| -<肉体> | | -| | -・・・<現実>・<世> どうしても、どこかに誤りができてしまわないかい? 一見できそうなんだけど、何とも上手くいかない。誰か上手くやった人がいたら教えて欲しい。 まあ、元々<悟り>ってのは言葉にできないものだって思ってたし、 ここにきて、まさしくそれが表れたってことなのかもしれない。 もしそうならば、これまでやってきたボクの解説が正確であることの証拠でもある。 実際はどちらなのか分からないけれど、とりあえずはポジティブに捉えておこうじゃないか。 お釈迦様の解脱に至る過程の逸話 この段落には瞑想に関連したあれこれが書いてあったのですが、 ボクの手には負えない部分であることが見えてきたので削除させていただきます。 一応、過去ログにはボクがどんな間違いをしていたのか残っているはずなので、もしも興味がある方はそちらを御覧ください。参考にはなりませんけどね。 やっぱり、きちんと?した瞑想修行を経由していないボクが手を出しちゃいけないところだったんだと思う。 「知っているつもり」は駄目だってことだろう。反省だね。 仏教の<悟り>については、これでおしまい あー、疲れた。 補足や関連記事については書くとは思うけれど、とりあえずはこれでおしまいってことになる。 本当にみんな、ここまで読んでくれてありがとう。 まあボクのこんな記事が、どんな役に立つのかは分からないけれど・・・というか、<悟り>は役に立たないものだしね。 んー・・・でもまあ、それはもうどうでもいいか。 前にも一度書いたけれど、ボクが<悟り>を薦めることはない。 また、ボクの書いたことを信じてもらう必要もない。 みんながこういった記事を有用だと思うのなら使うといい。 ただし、ちゃんと間違えがないかを疑った上でね。みんなには、ボクなんか軽く超えてもらわなきゃ困る。 挫けそうになっている人がいたら、 各記事の履歴でも見てみるといい。ボクがいかに迷走しているかがよく分かる。 きっとこの記事も、これから何度も手直しすることになるのだろう。 というか、この部分を書いている今がすでに手直しだからね。 まあ、そんなもの。 ボクはこれからだって遠回りを遠回りし、一本道を迷い、足を止めることも、時に後戻りすることも躊躇わずに。 それでも、ただそのままを進む。
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私は、言われる一部の子供たちがいるようです。 子供の名前は、親の責任です。 名前を決定するとき、しっかりとチェックしてください、 『子供の人生を考えることに決めます』ことをしてください。 名前を決定するとき、最善の策はこれです。 はい、それは性格辞書です。 子供の名前を挙げるとき、私も性格と辞書です じっと見つめている間、私は考えました。 時々、新しくて名をつけられる本で見つかることです、 私は、あなたが読むことがよくないことをすると思います。 私は、名前のための意見センスが麻痺がよいということであると聞いています。 私が名をつけるものの時に使って、それを調査する本(例えばYahoo知恵袋実際に) 漢字性格辞書と言語辞書はあります、そして、かなりの多くが断然あります。 親は、出生に関してハイです。 そういうわけで基礎へ、性格の名前の、1人が辞書を手渡すと思いましょう。 そして、子供たちに関するイメージの漢字の正しい意味、 読む方法をご確認いただきたいと存じます。 その時カイジの列の悪い意味であってはいけません、 一緒にをご確認いただきたいと存じます。 ※ 解決性格で、限られています、それらは分析されて、漢字の起源を解釈しました。 外国人の名前
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ようこそ このwikiはAC(公共広告機構)のCMが多発しているということで、まとめてみたwikiです。 基本的に編集自由です。 このwikiについて このwikiでは不謹慎ネタ、18禁ネタがあるかも知れませんが、決して被災者のみなさんを バカにしているわけではありません。 この状態でガンの検診を!たとか、国境無きいしだn(ryに協力を!だとかいうCMを、 本当にながしていいのか?AC、バカなの?死ぬの?というスタンスのwikiです それでは この地震を笑い飛ばし、一日でも早い復興をめざしましょう。ポポポポーン! ←のメニューからどうぞ 最後に 東北地方太平洋沖地震で亡くなった方のご冥福をお祈りし、 被災したみなさんへお見舞いをもうしあげます。
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まるくなった【登録タグ ま 曲 浮世P 雪歌ユフ】 作詞:浮世P 作曲:浮世P 唄:雪歌ユフ 曲紹介 2分2秒間だけ暇という人は今すぐ聴き始めた方がいいです 富嶽三十六景シリーズ十三作目。真ん丸お月様が追い立てられて。 歌詞 (投稿者コメントより転載) 頭の中ではひとまたぎ 逃げて逃げられるものじゃなし いっそのことなら落ち葉焚き 集めて燃やして雨ざらし 今すぐ行かなくちゃ でも嫌だよね 月はただ欠けていって どうにかなるかもね でもだめかもね 月はまた丸くなった 頭の中では大騒ぎ 目を閉じて消えるものじゃなし いっそ太陽になりかわり 夜を追い掛けて早回し 今すぐ行かなくちゃ でも嫌だよね 月はただ欠けていって どうにもだめかもね でもまだかもね 次はすぐ丸くなって コメント 私は高評価を送りたい -- 名無しさん (2014-07-07 21 47 33) 名前 コメント
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フェイスブックの割当 私は、線を送ります 親からの最初の贈り物は、子供の名前です。 それは最初のギフトです、しかし、子供は贈り物を得ました、 私は、名をつける生命を使います。 子供の名前を決定するとき、多くの両親、 夏と「夏」に太陽のように健常なものの上で成長する貧困、 あなたが健常なものの上で発達させる貧困と「ケンタ」、 あなたがそうする貧困は、大和ナデシコまたは「コトミ」のような女の子になります それを挙げる願望と考えてください。 私は語の音が好きで、ちょうどどのように読むべきかについて決めなければならないだけです 誰が後の漢字を考えたかは、少し慎重を要します。 どのように古典の名前、しかし、人と異なる漢字を読むべきかは、また、あります 人々が使いそうである少しを待ってください。 あなたが行っている漢字は、あなたのOKを使います? 外国人の名前 あなたがそれに与える名前は、あることが誤ってあることを望んで、生命子供たちを悩ますかもしれません。
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地震でぐらぐら【オジャマ】 【じしんでぐらぐら】 関連タグ>>オジャマ オジャマ系統:画面移動 画面が揺れるよ ポップンミュージック7で初登場したオジャマ。 プレイ画面全体が揺れるが、 ポップ君の流れるレーンのみ揺れる 。 注意点・対策など ハイスピードの数値を上げるほど揺れの激しさが上がる。 画面揺れにより人によっては酔うこともあり、体質的な部分から稀に影響を与えることも。 LIFTなどによって可視範囲を狭くしている場合も注意か。 とはいえ基本的にはプレイへの影響は意外とないので、当時は難度の割にはノルマ設定がしやすく稼ぎやすいオジャマであった。 そのためか、系統的に似ているふわふわ判定ラインと合わせると、クリアにそれほど影響を与えないことが功を奏し、高ポイントな点からチャレンジポイント稼ぎのお邪魔として定着した。 バージョンを重ねるごとにポイントが減少したものの、今でも慣れやすいオジャマとして定着している。 特にポップン8ではチャレンジポイントがなんと5から13に急上昇しており、この作品で登場したふわふわ判定ラインとの併用によってチャレンジポイント稼ぎがしやすい環境であった。 ポップン9以降は、難度の低さもあってポイントが下がっているが、それでも稼ぎやすい方。 ただし、カーニバル以降はそれほど稼げるお邪魔ではなくなったようだが、「ずっと!」を併用すればそこそこ稼げる。 ちなみにポップン14では揺れの度合いが上昇したので、難度が少し上がっている。 BPMによって揺れの激しさが変わってくる。早いほど大きく、遅いほど小さい。 他のオジャマとの組み合わせ ふわふわ判定ライン 系統的に似ているオジャマとの組み合わせ。 プレイには支障が出るものの、クリアにそれほど影響を与えないことが功を奏し、高ポイントな点から登場時はチャレンジポイント稼ぎのお邪魔として定着した。 バージョンを重ねるごとにポイントが減少したものの、今でも慣れやすいオジャマとして定着している。 慣れると大したことはないため、初心者には難易度が高く見られるようだが、中級・上級者には比較的簡単なものである。 ネット対戦 基本的にレベル1であることがほとんど。 スコアへの影響も少なめ。 【仕様・ポイントの変遷】 バージョン ポイント 備考 pm7 5 pm8 13 pm9 12 pm10 6 pm11 6 pm12 6 この作品のネット対戦のみ「地震」表記。 pm13 6 pm14 6 揺れの度合いが少し大きくなっている。 pm15 6 pm16~19 6 pm20~ 60 関連用語 ふわふわ判定ライン 超ふわふわ判定ライン スライド オジャマ
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【登録タグ VOCALOID い スノーノイズP 曲 鏡音レン】 作詞:スノーノイズP 作曲:スノーノイズP 編曲:スノーノイズP 唄:鏡音レン 曲紹介 そして誰もいなくなった 歌詞 いつから揺れた ひとりが好きなだけだ いつから揺れた ひとりが好きなだけのままだ いつから消えた 嫌いならそれでいいさ 誰もいないの? 誰もいないよ いなくなった あなたの声 いなくなった あなたの言葉 いなくなった あなたのこと いなくなった あなただけが いつから揺れた ひとりが好きなだけだ いつから揺れた ひとりが好きなはずだ いなくなった あなたの声 いなくなった 誰かのため? いなくなった 誰かの声 いなくなった 誰かの言葉 いなくなった 誰かのこと いなくなった 誰かだけが 誰かだけが いなくなった コメント 名前 コメント
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