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「土俵をまちがえた人」(太田良博・沖縄タイムス)(4) 侮辱した言葉 曽野綾子さんは、さる五月三日の本紙面で、「太田氏という人は分裂症なのだろうか」と書いてある。しかも、そう思わせる文脈の中で、そう書いてあるのである。これは、たんに言論の自由のワクをふみはずしたという程度では、すまされない言葉である。論争の相手に、そういう言葉を投げるのは、品がよくないだけでなく、読者公衆の面前で、相手を侮辱し、相手の名誉を毀損したことになる。しかも、新聞に書かれたものは、いつまでも残るのである。私の近親者に「綾子」という名の娘がいる。その母親の話によると、「曽野綾子さんにあやかってつけた名前」らしい。その娘は、いま、東京の両国高校(旧府立三中)の三年生である。私の身近にも、曽野さんのファンがいたわけだ。言葉はつつしむべきである。 知念少尉について、「鉄の暴風」では、同情的なことを書いた私が、こんどの反論では、おなじ知念少尉を「赤松の共犯者」と、きめつけている。これは矛盾ではないかというのが、曽野さんの攻撃点である。あの侮辱的な言葉もそこから出ている。一見、矛盾に見える私の記述も、以下の理由で、なにも矛盾ではないことがわかる。 「鉄の暴風」の中で、私が知念少尉について同情的なことを書いたのは、つぎのような事情からである。渡嘉敷島の直接体験者たち(古波蔵元村長一人だけではない。たしか十数名)の話を聞きながら、沖縄出身の知念少尉は、軍と住民の間にはさまれて、苦しかったのではないか、とふと思った。そこで、そのことを質問してみた。すると「そう言えば、知念さんが、そういうことで悩んでいたような話を聞いたことがある」といった意味のことを、証言者の一人が言ったので、「鉄の暴風」のなかの、あの表現となったのである。あとで、二十数年もたってから、「ある神話の背景」のなかで、知念少尉が、伊江島の女性を斬ったという動かしがたい事実を知った。そこで、昭和四十八年七月十一日から同七月二十五日まで、琉球新報朝刊に連載した「渡嘉敷島の惨劇は果して神話か」と題する、曽野さんへの反論の中で、つぎのように注記しておいた。 すべて過去的か 〈「鉄の暴風」で私として訂正しておきたい点がある。沖縄出身の知念少尉が上官と住民の板ばさみで悩んだように書いたが、事実に反する。知念少尉は伊江島の女性を殺害している。彼をして同郷人を斬らしめるほどの異常な空気が赤松隊にあったのがわかる。〉 琉球新報にのせた私のその反論は、歯科医の平良進氏(故人)から手渡されて、曽野さんは読んでいるはずだ。私の言動のどこに「分裂症」うんぬんといわれるほどの矛盾があるだろうか。また、「鉄の暴風」のなかの渡嘉敷島の戦記は改訂の必要がないと、私が言ったのは、「住民玉砕」や「住民処刑」など重要事項に関してのことで、あの戦記が、細部まで完ぺきだと思っているわけではない。 ――曽野さんにつぎのことを聞きたい。 ▼曽野さんが言うように、「エチオピアでトラコーマや結膜炎の患者に目薬をさしてやる」ことは、「死にかけている人々に命を与えるために働いている人々のことを、世間に知らせる」ことが、尊いことであることは、私も知っている。だからと言って、渡嘉敷島で、沖縄の住民たちが同じ国の軍隊によって、死に追いやられ、屠殺されたことについて、論議することが、どうして「とるに足りない小さなこと」なのか。 ▼四十年前の第二次大戦を、いつまでも語り継ぐだけでもあるまい、と曽野さんは言う。また、そうすることを「回顧」と見ているようだ。広島や長崎の原爆被害を語るのも、そうなのか。すべて、それらのことは“過去的”であって、現在的、未来的ではないというのか。 反戦平和とは ▼曽野さんは言う。「反戦が、抗議と反対運動に集約されていた時代はもう古い」「反戦や平和というものは口で言うものではなく…」うんぬん。 ヨーロッパやアメリカその他の反核反戦運動の抗議や叫びについても、そう言えるのか。 ▼赤松だけが悪いとは言わない。沖縄戦では、各地で日本兵による住民虐殺、その他の犯罪行為があった。住民の食糧をうばったあと、百人近い、それら住民を殺害した例、ある若い女性を兵隊や住民の見ている前で、じつにむごたらしい方法で殺した例など、おびただしい数の事件がある。これらを集めると、「沖縄戦における日本兵犯罪行為の記録集」という一冊の分厚い本ができ上がるだろう。 それらの諸事実をふまえて、沖縄の住民は、渡嘉敷島の事件も見ている。曽野さんが赤松隊のやったことを弁護することは、赤松隊に殺された人たちを、こんどは、曽野さんのペンで、二重に殺すことになる。 ▼「私が赤松氏をかばう理由は何もない」と曽野さんは言う。では、「ある神話の背景」では、なにをかばっているのか。なんのために、その本は書かれたのか。 目次へ | 次へ
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「土俵をまちがえた人」(太田良博・沖縄タイムス)(3) 「限定した事柄」 曽野綾子さんの「お答え」に答えることにする。まず、曽野さんのジャーナリズム批判から始めよう。「新聞社が責任をもって証言者を集める以上、直接体験者でない者の伝聞証拠などを採用するはずがない」と私は書いたのである。この文章をよく読んでみたらわかる。この文章の分析はしないことにするが、私は、一つの条件を前提として、限定した事柄について言っているのである。新聞社があやまちをおかすことはないなどとは言っていない。 曽野さんは、この文章にとびついてきた。そして、世の主婦をバカにしたような文言をはさみながら、「太田氏のジャーナリズムに対する態度には、私などには想像もできない甘さがある」と、見下したようなことを言う。「鉄の暴風」で、私の書いたものが、伝聞証拠によるものだ、と曽野さんが「ある神話の背景」のなかで言うから、そうではないと言っているにすぎないのだ。それだけのことが、どうして、「ジャーナリズムに対して、想像もできない甘い態度」ということになるのか、さっぱりわからない。 私の前述の文章を、別の言葉で、具体的に言えば、新聞は、記者が取材してきたものを、デスクという関門でチェックして編集されるが、その形式が、そのまま「鉄の暴風」の執筆や編集にも移されたということである。執筆が牧港氏と私、監修が豊平良顕氏(当時、常務)、つまり、牧港氏と私は先輩記者の豊平氏に対して、豊平氏は社に対して責任をもつ、つまり、一つの関門があって、私の勝手にはできなかったということである。 「鉄の暴風」は真実 ここでは、「鉄の暴風」が、曽野さんが言うように伝聞証拠で書かれたものか、そうでないかが重要な論争点である。「鉄の暴風」は伝聞証拠で書かれたものではない、直接体験者から聞いて書いたものだ、と私が言うと、こんどは、「新聞社の集めた直接体験者の証言なるものがあてになるか」と言い出す。子供が駄々をこねるようなことは言わないでほしい。おなじ直接体験者の証言でも、新聞社が集めたもの(「鉄の暴風」は信用できないが、自分が集めたもの(「ある神話の背景」)は信用できるのだ、と言っているのだろうか。 曽野さんは、新聞社がもち出す直接体験者の証言が、いかにアテにならないものかという引用例として、朝日新聞社の「誤報問題」なるものをもち出している。 「極く最近では、朝日新聞社が中国大陸で日本軍が毒ガスを使った証拠写真だ、というものを掲載したが、それは直接体験者の売り込みだという触れ込みだったにもかかわらず、おおかたの戦争体験者はその写真を一目見ただけで、こんなに高く立ち上る煙が毒ガスであるわけがなく、こんなに開けた地形でしかもこちらがこれから渡河して攻撃する場合に前方に毒ガスなど使うわけがない、と言った。そして間もなく朝日自身がこれは間違いだったということを承認した例がある」と、曽野さんは書いている。 毒ガス報道論議 そのことについて、私は、こう思う。朝日の写真を一目見ただけで、それが毒ガスでないことが分かったという「おおかたの戦争体験者」の証言そのものが、怪しい。彼らが、すぐ、毒ガスかどうかが分かるということは、日本軍がたえず毒ガスを使用していたということを意味する。毒ガスはジュネーブ条約で使用を禁止されており、使用したことが分かれば世界中の批難をうける。めったに使えない化学兵器である。戦場で毒ガスを実見したものは戦場体験者でもなかなかいないのではないか。一般兵が知っているのは防毒面の着けかたぐらいのものである。毒ガスというのは、相手が使えば、こちらも、といった“準備秘密兵器”だから、兵一般が毒ガスの知識を持っているわけではない。 特別に「ガス兵」としての訓練をうける者はたしかにいた。実は、何カ月か、私はその「ガス兵」の訓練をうけたことがある。その訓練は、相手からガス攻撃をうけたときの防御措置が主なる目的であった。ほとんど忘れてしまったが、ガスの種類と、その時の空気の状況によっては、煙状のものが高く立ちのぼることがある。それでも白黒写真ではガスかどうか判定はむずかしいのではないか。また、開闊(かいかつ)地でも使えないことはない。早朝など、気流の上下交代とか、空気の密度の関係などで、目には見えないが、地上低く、天井のような空気の層ができ、煙は一定の高さ以上に上昇しないときがある。そういう場合には、ガスが使われる可能性がある。 見方軍隊が前進攻撃する前方にガス弾を射ち込むはずがないというのは、まったくの無知である。そのときは、味方の軍隊には防毒面の着用を命ずるからである。新聞を批判する側の直接体験者の証言なるものも、かならずしもあてにはならない。 朝日新聞が、はじめからガス弾でないと分かっていて、例の写真をかかげたのなら、それは「虚偽の報道」ということになる。だが、知らないで、それをガス弾の写真と信じてのせたのであれば、それは「誤報」である。 たとえ、客観的事実とはちがっていても、報道の真実からはずれているとは思えない。 目次へ | 次へ
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「土俵をまちがえた人」(太田良博・沖縄タイムス)(2) 一日分の弾量で ▼「沖縄方面陸軍作戦」という防衛庁から出た本がある。それに、赤松隊が所持していた銃器弾薬の数量が記載されている。その数量は、赤松大尉あたりが提供した資料にもとづいたものであるはずである。また、たしか、そう書いてあったようにおぼえている。この数量をみて、いまさらのように、ああ、そうだったのかと思った。それは、一日の激戦で射ちつくせるだけの弾量でしかなかった。 その中での、住民に渡された五十何発かの手榴弾のもつ重みもわかった。住民とともに玉砕するだけの弾量しかもっていなかったのだ。それで、住民が玉砕したあと、赤松隊は「持久戦」に転じたというわけである。「持久戦」というのは、それによって、敵に軍事的な損害をあたえるための兵法の一ツの型である。たくさんの米艦船にとり囲まれた小さな渡嘉敷島で、わずかな銃弾しかもたないで、どんな損害を米兵にあたえることができただろうか。兵隊が大量に武器を持っておれば「持久戦」という言葉が使えるかも知れない。 そうでない場合、「持久戦」の「戦」はとって、「持久」とすべきである。そして、「持久」とは、「生命の持久」のことで、事実、その通りの結果になっている。兵器は、住民玉砕、住民処刑、住民威圧に使われたのだ。そして、その兵器は、降伏のとき、全部、米軍に渡している。「持久」の目的が達成されて、不要になったからである。 赤松隊陣中日誌、沖縄方面陸軍作戦、赤松隊員の証言などから降伏状況をみると、赤松大尉が部下の隊員たちより一足さきに降伏していることが、はっきりしている。赤松大尉は昭和二十年八月二十三日に投降し、部下本隊が投降したのは八月二十六日である。難破船の船長が他の船員たちより、さきに救命ボートに乗り移ったようなものである。赤松は降伏のとき、確保してあった缶詰類を米軍にプレゼントしたようだ。「ある神話の背景」をみると、兵隊たちは餓死寸前であったことが強調されている。そうであれば、残った食料は部下の兵隊たちに分けあたえるべきであった。部下の証言によると、ひと足さきに投降した赤松大尉は、米軍からもらったタバコをプカプカふかしていたようだ。 責任逃れの赤松 ▼手榴弾による住民玉砕と伊江島住民の処刑事件に対する赤松大尉の言葉から関連づけて考えられるものがある。米軍にたのまれて、赤松の陣地に降伏勧告に行って殺された伊江島住民は六名、そのうち男三名は、私が処刑を命じた、と赤松は告白している。しかし、女たちは、自決しますと言うから、鈴木少尉が自決幇助(ほうじょ)をしたのだ。つまり、自決するというから自決を助けた(斬首した)にすぎない。処刑したことにはならない、というわけである。赤松は、こんな理屈を言う。 日本の封建社会で、大名が家臣に切腹を命ずることがあった。そのばあい、切腹した者がみずから自決したのだから、命令者に責任はない。切腹したものの自害行為だったと言えるだろうか。 渡嘉敷島住民の自決について、自分に責任はないと赤松は言う。女たちを殺したのは、あれは自決幇助だったという。「住民玉砕」も、伊江島住民の処刑についての言いわけと同じ意味での自決幇助ではなかっただろうか。私は、そいう思っている。玉砕場での住民の阿鼻叫喚の声を聞いて、赤松は「あの声をしずめろ」と兵隊に言ったようだ。住民の断末魔の苦しみの声が、赤松には耳ざわりだったのだろう。苦しんで泣き叫ぶ人たちにいくら声を大にして「静かにしろ」といったってききめがあるはずがない。「あの声をしずめろ」とは、「殺せ」ということである。「ある神話の背景」では、あとで住民の玉砕を知って、赤松は、早まったことをしてくれたと言ったというのである。住民の最後の悲鳴を聞いて、「うるさい」と感じ、自分の「心の不快」を取り除くことしか考えなかった赤松に、住民にたいする思いやりがあったとはおもえない。しかし、話しには矛盾がある。 住民を保護せず 赤松は、現に、住民の死の叫びを聞いている。だのに、あとで、そのことを知って、うんぬんというのはおかしい。「住民玉砕」の事実は、事前に知っていたはずである。手榴弾は軍から住民の手に渡されたのだから--。まさか手榴弾を米軍に投げつけなさいと言って渡したわけではあるまい。「あの声をしずめろ」(殺せ)という前に、別の言葉で、内容の同じことを言ったはずだ。 赤松隊の住民に対する態度は、〈住民は保護しない〉〈住民は米軍に投降させない〉という態度であった。住民の生きる道は、すべてふさがれていたのだ。それでも、赤松の陣地からはなれたものは助かった。赤松の陣地に接近した者たちだけが「玉砕」せざるをえない状況に追いこまれたのだ。「玉砕」と「住民処刑」は、おなじ理由、通敵のおそれがある。陣地を見たからには、という理由によるものであった。ほかの島民は「玉砕」しなかったのだ。「玉砕」は強制されたものであった。 目次へ | 次へ
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「土俵をまちがえた人」(太田良博・沖縄タイムス)(1) 手榴弾への疑問 曽野綾子さんの「お答え」を呼んで、一面、非常に満足している。渡嘉敷島の赤松問題については、だいたい白黒がはっきりしたと思うからである。というのは、私が出した、いちばん重要な問題――手榴弾が、なぜ、住民に渡されたか、同一行動(降伏勧告、逃亡)について、住民は殺され、兵隊は見逃されている事実――に関しては、なんの回答もないからである。この論争は、これでケリがついたようなものだ。他の面では、曽野さんの「お答え」には、がっかりした。もっと期待していたが、その調子が低いのには拍子抜けである。曽野さんの「お答え」にたいする答えは、あと回しにする。 まず、根本的な問題、手榴弾が住民に渡されたこと、その他について補足説明、または言及しておきたい。 ▼弾薬類は兵隊の手にかんたんに渡るものではない。昭和十一年の二・二六事件で、兵は夜間演習と称して出動させることができるが、叛乱将校たちにとって最後の難問は、兵器庫の銃弾をどうして持ち出すかということだった。兵器は、中佐、少佐を長とする将校・下士官で構成される兵器委員の管理下にある。ふつう兵器庫の鍵は、兵器委員の下士官が所持している。通常の手段では、兵器委員や連隊長に企画がもれる。結局、二・二六事件の場合は、叛乱軍の少尉ほか数名が、兵器委員の下士官に暴行を加えて鍵をうばった。鍵を奪われた兵器係軍曹は、その直後、責任を感じて自決している。 作戦中は、武器弾薬の処置はさらにうるさい。手榴弾などが住民の手にかんたんに渡るはずがない。赤松隊の隊員たちは、軍律がきびしかったように言っているから、なおさらのこと、武器弾薬の管理も厳格でなければならなかったはずだ。そういう状況を考えると、大量の手榴弾が住民に渡されたということは、ただ事ではないのである。また、手榴弾のようなものは、絶対に信頼できる者でなければ渡せないものである。信頼できないものに渡したら、逆に、自分らのところに投げつけられるおそれもあるからである。 ところで、赤松は住民を信頼していない。どの住民も通敵のおそれがあるとみている。たびたびの住民処刑にそれがあらわれている。それでは、信頼していない島の住民に、なぜ手榴弾を渡したかが問題である。「これで、死ね」というので渡したこと以外のことは考えられないのである。 一種の無理心中 ▼ここで、「集団自決」という言葉について説明しておきたい。『鉄の暴風』の取材当時、渡嘉敷島の人たちはこの言葉を知らなかった。彼らがその言葉を口にするのを聞いたことがなかった。それもそのはず「集団自決」という言葉は私が考えてつけたものである。島の人たちは、当時、「玉砕」「玉砕命令」「玉砕場」などと言っていた。「集団自決」という言葉が定着化した今となって、まずいことをしたと私は思っている。この言葉が、あの事件の解釈をあやまらしているのかも知れないと思うようになったからである。 「集団自決」の「自決」という言葉は、〈自分で勝手に死んだんだ〉という印象をあたえる。そこで、〈住民が自決するのを赤松大尉が命令する筋合いでもない〉という理屈も出てくる。「集団自決」は、一種の「心中」または「無理心中」である。しかし「心中」は、習俗として、沖縄の社会では、なじまないものである。まれではあるが、自殺はある。サイパンで、沖縄の女たちが断崖から飛びこむ記録フィルムを見たことがあるが、あれは「心中」ではない。 壕の中で、赤子の泣き声が敵に聞こえると、わが子を殺した母親の話があるがそれも兵隊から強要されたからである。なかには、それができず、兵隊が赤子の首をしめた。そして、母親は気が変になったという話もある。「無理心中」は、しかも、渡嘉敷島であったような悲惨な方法による殺し合いは、沖縄では、外部からのぬきさしならぬ強制がなければ起こりえないものである。自発的におこなわれるものではない。 目撃した米兵の証言 渡嘉敷島のあの事件は、じつは「玉砕」だったのだ。「玉砕」は、住民だけで、自発的にやるものではなく、また、やれるものでもない。「玉砕」は、軍が最後の一兵まで戦って死ぬことである。住民だけが玉砕するということはありえない。だが、結果としては、軍(赤松隊)は「玉砕」しなかった。PW(捕虜)になって生還した。軍もいっしょに玉砕するからと手りゅう弾を渡されたと思われる。いま、沖縄タイムスに連載されている米軍記録「沖縄戦日誌」の去る一月二十日の記事によると、あの住民玉砕の現場を目撃した米兵の証言がのっている。現場には日本兵が何人かいたようで、米兵は、その日本兵から射撃をうけている。 どうも、あの玉砕は、軍が強要したにおいがある。資料の発見者で翻訳者の上原正稔氏は、近く渡米して、目撃者をさがすそうである。目撃者の生存をたしかめているらしく、「さがせますか」ときくと、「そんなことわけはないですよ」という返辞だった。 目次へ | 次へ
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【ゲーム】64大相撲 【作者名】黒光 【リンク】 【備考】単発としてあるが、動画数は2つである 名前 コメント
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#blognavi 朝青竜の~ 無敵の勝ちっぷりは… 今日も唸らせるほどの 小気味よさがあるが、今年の土俵には~ モンゴル人同士の せめぎあいが目だっているので、「どうなってるの これ?」 っていう思いが… いつも感じられる。 当分の間は 日本の男の子の 土俵入りは 望めそうにない! カテゴリ [相撲] - trackback- 2007年01月18日 02 01 01 名前 コメント #blognavi
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集団自決などをめぐって太田良博氏遺稿より 「ある神話の背景」論争at沖縄タイムズ1985「沖縄戦に“神話”はない」太田良博 「沖縄戦」から未来へ向って・曽野綾子 「土俵をまちがえた人」太田良博 「沖縄の証言」(上)より 宮城晴美氏 読谷村史5上 沖縄県公文書館サイト 沖縄戦関係資料閲覧室 集団自決の再検討 集団自決などをめぐって 太田良博氏遺稿より 『鉄の暴風』取材ノートを中心に 「渡嘉敷島の惨劇は果して神話か」琉球新報1973.7.11~7.25 「ある神話の背景」論争at沖縄タイムズ1985 論争史ガイド 「沖縄戦神話論争」の時系列 「沖縄戦に“神話”はない」太田良博 太田良博氏の曽野批判:1985年4月8日から10回連載 「沖縄戦に“神話”はない」----「ある神話の背景」反論(1) 「沖縄戦に“神話”はない」----「ある神話の背景」反論(2) 「沖縄戦に“神話”はない」----「ある神話の背景」反論(3) 「沖縄戦に“神話”はない」----「ある神話の背景」反論(4) 「沖縄戦に“神話”はない」----「ある神話の背景」反論(5) 「沖縄戦に“神話”はない」----「ある神話の背景」反論(6) 「沖縄戦に“神話”はない」----「ある神話の背景」反論(7) 「沖縄戦に“神話”はない」----「ある神話の背景」反論(8) 「沖縄戦に“神話”はない」----「ある神話の背景」反論(9) 「沖縄戦に“神話”はない」----「ある神話の背景」反論(10) 「沖縄戦」から未来へ向って・曽野綾子 曽野綾子氏の反論1985年5月1日~6日(5日は休載) 「「沖縄戦」から未来へ向って(太田良博氏へのお答え)(1)」 「「沖縄戦」から未来へ向って(太田良博氏へのお答え)(2)」 「「沖縄戦」から未来へ向って(太田良博氏へのお答え)(3)」 「「沖縄戦」から未来へ向って(太田良博氏へのお答え)(4)」 「「沖縄戦」から未来へ向って(太田良博氏へのお答え)(5)」 「土俵をまちがえた人」太田良博 太田良博氏の曽野氏への再反論1985年5月11~17日(12日は休載) 「土俵をまちがえた人」(1) 「土俵をまちがえた人」(2) 「土俵をまちがえた人」(3) 「土俵をまちがえた人」(4) 「土俵をまちがえた人」(5) 「土俵をまちがえた人」(6) 「沖縄の証言」(上)より 宮城晴美氏 読谷村史5上 チビリガマでの集団自決 沖縄県公文書館サイト 沖縄戦関係資料閲覧室 集団自決の再検討 兵隊が泣く子を殺す (2006-10-11 13 28 45) サイト名 URL
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第1試合 対戦キャラクター バトル大好きマシーン&ダブルスの優子 ブラックスワン 【第1試合】パーティー会場 【パーティー会場】その1 VS 【パーティー会場】その2 結果発表(パーティー会場) 第2試合 対戦キャラクター 鳥羽千里 黒磐 ルイ 【第2試合】山岳地帯 【山岳地帯】その1 VS 【山岳地帯】その2 結果発表(山岳地帯) 第3試合 対戦キャラクター 壇 勇太郎 石北快慶 【第3試合】古城 【古城】その1 VS 【古城】その2 結果発表(古城) 第4試合 対戦キャラクター デスコック 石野カナ 【第4試合】スタジアム 【スタジアム】その1 VS 【スタジアム】その2 結果発表(スタジアム) 第5試合 対戦キャラクター 里見 旭 師範ベション 【第5試合】砂漠 【砂漠】その1 VS 【砂漠】その2 結果発表(砂漠) 第6試合 対戦キャラクター 壁マン ベルジュ 【第6試合】土俵 【土俵】その1 VS 【土俵】その2 結果発表(土俵) MVP投票 MVP結果発表
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たいけつ!ウッキーイエロー しのびじょうクリア後に戦うことになる、ウッキーファイブの2番手。 ステージは土俵の上。土俵の外にはダメージ床であるトゲが大量に設置されている。イエローに直接攻撃は効かないので、地形をうまく利用しなければならない。 攻撃パターンは土俵中央からの突進、復帰時の衝撃波、HPが減った後の落下物投下。 突進は必ず中央から行う。移動している場合は移動先を狙って突進してくるので始まった瞬間に切り返す。もしくは立ち止まった状態で突進を誘い、動き出したらすぐ横に移動する。突進を避けると土俵際でバランスを崩すので、そのまま背中めがけてメカボーで攻撃してやろう。 復帰時の衝撃波は二段ジャンプで避ける。土俵全体に届くので立ったままでは避けられない。 落下物投下は影をよく見て避ける。物が降ってくる場所には影ができるのでそれをひたすら避けるのみ。ブタンコやビスケットが降ってくることもあるので回復に充てよう。 攻略法は特にない。ひたすら突進を避けて殴るのみ。
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イベント・ルール 国家イベントのルールを記入したものです。まだ、案の状態。。 目次 かくれんぼ ギルド対抗PvP戦 かくれんぼ 一般的なかくれんぼは、鬼が隠れている人を探し出すゲームですが、ここでは逆です。鬼が隠れて、参加者が鬼を探し出します。初めに見つけた人が賞品をもらえるルールです。 鬼は、どんなLvの人も到達できる場所に隠れなければならない。 参加者のうち、最初に鬼を見つた人が賞品をもらえる。 参加者は、声を掛け合って協力して鬼を探し出すことができる。 鬼への瞬間移動や自動移動は使用してはならない。 ギルド対抗PvP戦 トーナメントやリーグ戦方式でなく、ひとつの土俵上で各ギルドの代表が一斉に戦う方式です。1人に対し、共謀して3人で挑むことも可能なため、単体での強さだけでは勝負がつきません。 各ギルドより1名が代表として参加。 ひとつの土俵上にすべての代表が集まり、一斉に戦闘を開始します。 共謀して、PTを組むことも可能です。 主人公が死んだ時点で、土俵を出ていただきます。 最後まで土俵に残った、1名の方が優勝。そのギルドに賞品がでます。