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◇1.目次 国 体 の 本 義 一、本書は国体を明徴にし、国民精神を涵養振作すべき刻下の急務に鑑みて編纂した。 一、我が国体は宏大深遠であつて、本書の叙述がよくその真義を尽くし得ないことを懼れる。 一、本書に於ける古事記、日本書紀の引用文は、主として古訓古事記、日本書紀通釈の訓に従ひ、又神々の御名は主として日本書紀によつた。 目 次 緒言(1) ※数字は何ページ目を示す 第一 大日本国体(9) 一、肇国(9) 二、聖徳(21) 三、臣節(32) 四、和と「まこと」(50) 第二 国史に於ける国体の顕現(63) 一、国史を一貫する精神(63) 二、国土と国民生活(85) 三、国民性(91) 四、祭祀と道徳(101) 五、国民文化(114) 六、政治・経済・軍事(126) 結語(143) ◇2.緒言 ↓本文はここをクリックして表示 +... 現代日本と思想問題 我が国は、今や国運頗る盛んに、海外発展のいきほひ著しく、前途弥々多望な時に際会してゐる。産業は隆盛に、国防は威力を加へ、生活は豊富となり、文化の発展は諸方面に著しいものがある。夙に支那・印度に由来する東洋文化は、我が国に輸入せられて、惟神(かむながら)の国体に醇化せられ、更に明治・大正以来、欧米近代文化の輸入によつて諸種の文物は顕著な発達を遂げた。文物・制度の整備せる、学術の一大進歩をなせる、思想・文化の多彩を極むる、万葉歌人をして今日にあらしめば、再び「御民(みたみ)吾(われ)生ける験(しるし)あり天地(あめつち)の栄ゆる時にあへらく念(おも)へば」と謳ふであらう。明治維新の鴻業により、旧来の陋習を破り、封建的束縛を去つて、国民はよくその志を途げ、その分を竭くし、爾来七十年、以て今日の盛事を見るに至つた。 併しながらこの盛事は、静かにこれを省みるに、実に安穏平静のそれに非ずして、内に外に波瀾万丈、発展の前途に幾多の困難を蔵し、隆盛の内面に混乱をつつんでゐる。即ち国体の本義は、動もすれば透徹せず、学問・教育・政治・経済その他国民生活の各方面に幾多の欠陥を有し、伸びんとする力と混乱の因とは錯綜表裏し、燦然たる文化は内に薫蕕(くんいう)を併せつゝみ、こゝに種々の困難な問題を生じてゐる。今や我が国は、一大躍進をなさんとするに際して、生彩と陰影相共に現れた感がある。併しながら、これ飽くまで発展の機であり、進歩の時である。我等は、よく現下内外の真相を把握し、拠つて進むべき道を明らかにすると共に、奮起して難局の打開に任じ、弥々国運の伸展に貢献するところがなければならぬ。 現今我が国の思想上・社会上の諸弊は、明治以降余りにも急激に多種多様な欧米の文物・制度・学術を輸入したために、動もすれば、本を忘れて末に趨り、厳正な批判を欠き、徹底した醇化をなし得なかつた結果である。抑々我が国に輸入せられた西洋思想は、主として十八世紀以来の啓蒙思想であり、或はその延長としての思想である。これらの思想の根柢をなす世界観・人生観は、歴史的考察を欠いた合理主義であり、実証主義であり、一面に於て個人に至高の価値を認め、個人の自由と平等とを主張すると共に、他面に於て国家や民放を超越した抽象的な世界性を尊重するものである。従つてそこには歴史的全体より孤立して、抽象化せられた個々独立の人間とその集合とが重視せられる。かゝる世界観・人生観を基とする政治学説・社会学説・道徳学説・教育学説等が、一方に於て我が国の諸種の改革に貢献すると共に、他方に於て深く広くその影響を我が国本来の思想・文化に与へた。 我国の啓蒙運動に於ては、先づ仏蘭西啓蒙期の政治哲学たる自由民権思想を始め、英米の議会政治思想や実利主義・功利主義、独逸の国権思想等が輸入せられ、固陋な慣習や制度の改廃にその力を発揮した。かゝる運動は、文明開化の名の下に広く時代の風潮をなし、政治・経済・思想・風習等を動かし、所謂欧化主義時代を現出した。然るにこれに対して伝統復帰の運動が起つた。それは国粋保存の名によつて行はれたもので、澎湃たる西洋文化の輸入の潮流に抗した国民的自覚の現れであつた。蓋し極端な欧化は、我が国の伝統を傷つけ、歴史の内面を流れる国民的精神を萎靡せしめる惧れがあつたからである。かくて欧化主義と国粋保存主義との対立を来し、思想は昏迷に陥り、国民は、内、伝統に従ふべきか、外、新思想に就くべきかに悩んだ。然るに、明治二十三年「教育ニ関スル勅語」の渙発せられるに至つて、国民は皇祖皇宗の肇国樹徳の聖業とその履践すべき大道とを覚り、こゝに進むべき確たる方向を見出した。然るに欧米文化輸入のいきほひの依然として盛んなために、この国体に基づく大道の明示せられたにも拘らず、未だ消化せられない西洋思想は、その後も依然として流行を極めた。即ち西洋個人本位の思想は、更に新しい旗幟の下に実証主義及び自然主義として入り来り、それと前後して理想主義的思想・学説も迎へられ、又続いて民主主義・社会主義・無政府主義・共産主義等の侵入となり、最近に至つてはファッシズム等の輸入を見、遂に今日我等の当面する如き思想上・社会上の混乱を惹起し、国体に関する根本的自覚を喚起するに至つた。 国体の自覚 抑々社会主義・無政府主義・共産主義等の詭激なる思想は、究極に於てはすべて西洋近代思想の根柢をなす個人主義に基づくものであつて、その発現の種々相たるに過ぎない。個人主義を本とする欧米に於ても、共産主義に対しては、さすがにこれを容れ得ずして、今やその本来の個人主義を棄てんとして、全体主義・国民主義の勃興を見、ファッショ・ナチスの擡頭ともなつた。即ち個人主義の行詰りは、欧米に於ても我が国に於ても、等しく思想上・社会上の混乱と転換との時期を将来してゐるといふことが出来る。久しく個人主義の下にその社会・国家を発達せしめた欧米が、今日の行詰りを如何に打開するかの問題は暫く措き、我が国に関する限り、真に我が国独自の立場に還り、万古不易の国体を闡明し、一切の追随を排して、よく本来の姿を現前せしめ、而も固陋を棄てて益々欧米文化の摂取醇化に努め、本を立てて末を生かし、聡明にして宏量なる新日本を建設すべきである。即ち今日我が国民の思想の相剋、生活の動揺、文化の混乱は、我等国民がよく西洋思想の本質を徹見すると共に、真に我が国体の本義を体得することによつてのみ解決せられる。而してこのことは、独り我が国のためのみならず、今や個人主義の行詰りに於てその打開に苦しむ世界人類のためでなければならぬ。こゝに我等の重大なる世界史的使命がある。乃ち「国体の本義」を編纂して、肇国の由来を詳にし、その大精神を闡明すると共に、国体の国史に顕現する姿を明示し、進んでこれを今の世に説き及ぼし、以て国民の自覚と努力とを促す所以である。 ◇3.第一 大日本国体 ※省略 ◇4.第二 国史に於ける国体の顕現 ※省略 ◇5.結語 ↓本文はここをクリックして表示 +... 我等は、以上我が国体の本義とその国史に顕現する姿とを考察して来た。今や我等皇国臣民は、現下の諸問題に対して如何なる覚悟と態度とをもつべきであらうか。惟ふに、先づ努むべきは、国体の本義に基づいて諸問題の起因をなす外来文化を醇化し、新日本文化を創造するの事業である。 我が国に輸入せられた各種の外来思想は、支那・印度・欧米の民族性や歴史性に由来する点に於て、それらの国々に於ては当然のものであつたにしても、特殊な国体をもつ我が国に於ては、それが我が国体に適するか否かが先づ厳正に批判検討せられねばならぬ。即ちこの自覚とそれに伴ふ醇化とによつて、始めて我が国として特色ある新文化の創造が期し得られる。 西洋思想の特質 抑々西洋思想は、その源をギリシヤ思想に発してゐる。ギリシヤ思想は、主知的精神を基調とするものであり、合理的・客観的・観想的なることを特徴とする。そこには、都市を中心として文化が創造せられ、人類史上稀に見る哲学・芸術等を遺したのであるが、末期に至つてはその思想及び生活に於て、漸次に個人主義的傾向を生じた。而してローマは、このギリシヤ思想を法律・政治その他の実際的方面に継承し発展せしめると同時に、超国家的なキリスト教を採用した。欧米諸国の近世思想は、一面にはギリシヤ思想を復活し、中世期の宗教的圧迫と封建的専制とに反抗し、個人の解放、その自由の獲得を主張し、天国を地上に将来せんとする意図に発足したものであり、他面には、中世期の超国家的な普遍性と真理性とを尊重する思想を継承し、而もこれを地上の実証に求めんとするところから出発した。これがため自然科学を発達せしめると共に、教育・学問・政治・経済等の各方面に於て、個人主義・自由主義・合理主義を主流として、そこに世界史的に特色ある近代文化の著しい発展を齎した。 抑々人間は現実的の存在であると共に永遠なるものに連なる歴史的存在である。又、我であると同時に同胞たる存在である。即ち国民精神により歴史に基づいてその存在が規定せられる。これが人間存在の根本性格である。この具体的な国民としての存在を失はず、そのまゝ個人として存在するところに深い意義が見出される。然るに、個人主義的な人間解釈は、個人たる一面のみを抽象して、その国民性と歴史性とを無視する。従つて全体性・具体性を失ひ、人間存立の真実を逸脱し、その理論は現実より遊離して、種々の誤つた傾向に趨る。こゝに個人主義・自由主義乃至その発展たる種々の思想の根本的なる過誤がある。今や西洋諸国に於ては、この誤謬を自覚し、而してこれを超克するために種々の思想や運動が起つた。併しながら、これらも畢竟個人の単なる集合を以て団体或は階級とするか、乃至は抽象的の国家を観念するに終るのであつて、かくの如きは誤謬に代ふるに誤謬を以てするに止まり、決して真実の打開解決ではない。 東洋思想の特質 我が国に輸入せられた支那思想は、主として儒教と老荘思想とであつた。儒教は実践的な道として優れた内容をもち、頻る価値ある教である。而して孝を以て教の根本としてゐるが、それは支那に於て家族を中心として道が立てられてゐるからである。この孝は実行的な特色をもつてゐるが、我が国の如く忠孝一本の国家的道徳として完成せられてゐない。家族的道徳を以て国家的道徳の基礎とし、忠臣は孝子の門より出づるともいつてゐるが、支那には易姓革命・禅譲放伐が行はれてゐるから、その忠孝は歴史的・具体的な永遠の国家の道徳とはなり得ない。老荘は、人為を捨てて自然に帰り、無為を以て化する境涯を理想とし、結局その道は文化を否定する抽象的のものとなり、具体的な歴史的基礎の上に立たずして個人主義に陥つた。その末流は所謂竹林の七賢の如く、世間を離れて孤独を守らうとする傾向を示し、清談独善の徒となつた。要するに儒教も老荘思想も、歴史的に発展する具体的国家の基礎をもたざる点に於て、個人主義的傾向に陥るものといへる。併しながら、それらが我が国に摂取せられるに及んでは、個人主義的・革命的要素は脱落し、殊に儒教は我が国体に醇化せられて日本儒教の建設となり、我が国民道徳の発達に寄与することが大であつた。 印度に於ける仏教は、行的・直観的な方面もあるが、観想的・非現実的な民族性から創造せられたものであつて、冥想的・非歴史的・超国家的なものである。然るに我が国に摂取せられるに及んでは、国民精神に醇化せられ、現実的・具体的な性格を得て、国本培養に貢献するところが多かつたのである。 新日本文化の創造 これを要するに、西洋の学問や思想の長所が分析的・知的であるに対して、東洋の学問・思想は、直観的・行的なることを特色とする。それは民族と歴史との相違から起る必然的傾向であるが、これを我が国の精神・思想並びに生活と比較する時は、尚そこに大なる根本的の差異を認めざるを得ない。我が国は、従来支那思想・印度思想等を輸入し、よくこれを摂取醇化して皇道の羽翼とし、国体に基づく独自の文化を建設し得たのである。明治維新以来、西洋文化は滔々として流入し、著しく我が国運の隆昌に貢献するところがあつたが、その個人主義的性格は、我が国民生活の各方面に亙つて種々の弊害を醸し、思想の動揺を生ずるに至つた。併しながら、今やこの西洋思想を我が国体に基づいて醇化し、以て宏大なる新日本文化を建設し、これを契機として国家的大発展をなすべき時に際会してゐる。 西洋文化の摂取醇化に当つては、先づ西洋の文物・思想の本質を究明することを必要とする。これなくしては、国体の明徴は現実を離れた抽象的のものとなるであらう。西洋近代文化の顕著なる特色は、実証性を基とする自然科学及びその結果たる物質文化の華かな発達にある。更に精神科学の方面に於ても、その精密性と論理的組織性とが見られ、特色ある文化を形成してゐる。我が国は益々これらの諸学を輸入して、文化の向上、国家の発展を期せねばならぬ。併しながらこれらの学的体系・方法及び技術は、西洋に於ける民族・歴史・風土の特性より来る西洋独自の人生観・世界観によつて裏附けられてゐる。それ故に、我が国にこれを輸入するに際しては、十分この点に留意し、深くその本質を徹見し、透徹した見識の下によくその長所を採用し短所を捨てなければならぬ。 諸般の刷新 明治以来の我が国の傾向を見るに、或は伝統精神を棄てて全く西洋思想に没入したものがあり、或は歴史的な信念を維持しながら、而も西洋の学術理論に関して十分な批判を加へず、そのまゝこれを踏襲して二元的な思想に陥り、而もこれを意識せざるものがある。又著しく西洋思想の影響を受けた知識階級と、一般のものとは相当な思想的懸隔を来してゐる。かくて、かゝる情態から種々の困難な問題が発生した。嘗て流行した共産主義運動、或は最近に於ける天皇機関説の問題の如きが、往々にして一部の学者・知識階級の問題であつた如きは、よくこの間の消息を物語つてゐる。今や共産主義は衰頽し、機関説が打破せられたやうに見えても、それはまだ決して根本的に解決せられてはゐない。各方面に於ける西洋思想の本質の究明とその国体による醇化とが、今一段の進展を見ざる限り、真の成果を挙げる事は困難であらう。 惟ふに西洋の思想・学問について、一般に極端なるもの、例へば共産主義・無政府主義の如きは、何人も容易に我が国体と相容れぬものであることに気づくのであるが、極端ならざるもの、例へば民主主義・自由主義等については、果してそれが我が国体と合致するや否やについては多くの注意を払はない。抑々如何にして近代西洋思想が民主主義・社会主義・共産主義・無政府主義等を生んだかを考察するに、先に述べた如く、そこにはすべての思想の基礎となつてゐる歴史的背景があり、而もその根柢には個人主義的人生観があることを知るのである。西洋近代文化の根本性格は、個人を以て絶対独立自存の存在とし、一切の文化はこの個人の充実に存し、個人が一切価値の創造者・決定者であるとするところにある。従つて個人の主観的思考を重んじ、個人の脳裡に描くところの観念によつてのみ国家を考へ、諸般の制度を企画し、理論を構成せんとする。かくして作られた西洋の国家学説・政治思想は、多くは、国家を以て、個人を生み、個人を超えた主体的な存在とせず、個人の利益保護、幸福増進の手段と考へ、自由・平等・独立の個人を中心とする生活原理の表現となつた。従つて、恣な自由解放のみを求め、奉仕といふ道徳的自由を忘れた謬れる自由主義や民主主義が発生した。而してこの個人主義とこれに伴ふ抽象的思想の発展するところ、必然に具体的・歴史的な国家生活は抽象的論理の蔭に見失はれ、いづれの国家も国民も一様に国家一般乃至人間一般として考へられ、具体的な各国家及びその特性よりも、寧ろ世界一体の国際社会、世界全体に通ずる普遍的理論の如きものが重んぜられ、遂には国際法が国法よりも高次の規範であり、高き価値をもち、国法は寧ろこれに従属するものとするが如き誤つた考すら発生するに至るのである。 個人の自由なる営利活動の結果に対して、国家の繁栄を期待するところに、西洋に於ける近代自由主義経済の濫觴がある。西洋に発達した近代の産業組織が我が国に輸入せられた場合も、国利民福といふ精神が強く人心を支配してゐた間は、個人の溌剌たる自由活動は著しく国富の増進に寄与し得たのであるけれども、その後、個人主義・自由主義思想の普及と共に、漸く経済運営に於て利己主義が公然正当化せられるが如き傾向を馴致するに至つた。この傾向は貧富の懸隔の問題を発生せしめ、遂に階級的対立闘争の思想を生ぜしめる原因となつたが、更に共産主義の侵入するや、経済を以て政治・道徳その他百般の文化の根本と見ると共に、階級闘争を通じてのみ理想的社会を実現し得ると考ふるが如き妄想を生ぜしめた。利己主義や階級闘争が我が国体に反することは説くまでもない。皇運扶翼の精神の下に、国民各々が進んで生業に競ひ励み、各人の活動が統一せられ、秩序づけられるところに於てこそ、国利と民福とは一如となつて、健全なる国民経済が進展し得るのである。 教育についても亦同様である。明治維新以後、我が国は進歩した欧米諸国の教育を参酌して、教育制度・教授内容等の整備に努め、又自然科学はもとより精神諸科学の方面に於ても大いに西洋の学術を輸入し、以て我が国学問の進歩と国民教育の普及とを図つて来た。五箇条の御誓文を奉体して旧来の陋習を破り、智識を世界に求めた進取の精神は、この方面にも亦長足の進歩を促し、その成果は極めて大なるものがあつた。併しそれと同時に個人主義思想の浸潤によつて、学問も教育も動もすれば普遍的真理といふが如き、抽象的なもののみを目標として、理智のみの世界、歴史と具体的生活とを離れた世界に趨らんとし、智育も徳育も知らず識らず抽象化せられた人間の自由、個人の完成を目的とする傾向を生ずるに至つた。それと同時に又それらの学問・教育が、分化し専門化して漸く綜合統一を欠き、具体性を失ふに至つた。この傾向を是正するには、我が国教育の淵源たる国体の真義を明らかにし、個人主義思想と抽象的思考との清算に努力するの外はない。 かくの如く、教育・学問・政治・経済等の諸分野に亙つて浸潤してゐる西洋近代思想の帰するところは、結局個人主義である。而して個人主義文化が個人の価値を自覚せしめ、個人能力の発揚を促したことは、その功績といはねばならぬ。併しながら西洋の現実が示す如く、個人主義は、畢竟個人と個人、乃至は階級間の対立を惹起せしめ、国家生活・社会生活の中に幾多の問題と動揺とを醸成せしめる。今や西洋に於ても、個人主義を是正するため幾多の運動が現れてゐる。所謂市民的個人主義に対する階級的個人主義たる社会主義・共産主義もこれであり、又国家主養・民族主義たる最近の所謂ファッショ・ナチス等の思想・運動もこれである。 併し我が国に於て真に個人主義の齎した欠陥を是正し、その行詰りを打開するには、西洋の社会主義乃至抽象的全体主義等をそのまゝ輸入して、その思想・企画等を模倣せんとしたり、或は機械的に西洋文化を排除することを以てしては全く不可能である。 我等の使命 今や我が国民の使命は、国体を基として西洋文化を摂取醇化し、以て新しき日本文化を創造し、進んで世界文化の進展に貢献するにある。我が国は夙に支那・印度の文化を輸入し、而もよく独自な創造と発展とをなし遂げた。これ正に我が国体の深遠宏大の致すところであつて、これを承け継ぐ国民の歴史的使命はまことに重大である。現下国体明徴の声は極めて高いのであるが、それは必ず西洋の思想・文化の醇化を契機としてなさるべきであつて、これなくしては国体の明徴は現実と遊離する抽象的のものとなり易い。即ち西洋思想の摂取醇化と国体の明徴とは相離るべからざる関係にある。 世界文化に対する過去の日本人の態度は、自主的にして而も包容的であつた。我等が世界に貢献することは、たゞ日本人たるの道を弥々発揮することによつてのみなされる。国民は、国家の大本としての不易な国体と、古今に一貫し中外に施して悖らざる皇国の道とによつて、維れ新たなる日本を益々生成発展せしめ、以て弥々天壌無窮の皇運を扶翼し奉らねばならぬ。これ、我等国民の使命である。
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◇1.目次 国 体 の 本 義 一、本書は国体を明徴にし、国民精神を涵養振作すべき刻下の急務に鑑みて編纂した。 一、我が国体は宏大深遠であつて、本書の叙述がよくその真義を尽くし得ないことを懼れる。 一、本書に於ける古事記、日本書紀の引用文は、主として古訓古事記、日本書紀通釈の訓に従ひ、又神々の御名は主として日本書紀によつた。 目 次 緒言(1) ※数字は何ページ目を示す 第一 大日本国体(9) 一、肇国(9) 二、聖徳(21) 三、臣節(32) 四、和と「まこと」(50) 第二 国史に於ける国体の顕現(63) 一、国史を一貫する精神(63) 二、国土と国民生活(85) 三、国民性(91) 四、祭祀と道徳(101) 五、国民文化(114) 六、政治・経済・軍事(126) 結語(143) ◇2.緒言 ↓本文はここをクリックして表示 +... 現代日本と思想問題 我が国は、今や国運頗る盛んに、海外発展のいきほひ著しく、前途弥々多望な時に際会してゐる。産業は隆盛に、国防は威力を加へ、生活は豊富となり、文化の発展は諸方面に著しいものがある。夙に支那・印度に由来する東洋文化は、我が国に輸入せられて、惟神(かむながら)の国体に醇化せられ、更に明治・大正以来、欧米近代文化の輸入によつて諸種の文物は顕著な発達を遂げた。文物・制度の整備せる、学術の一大進歩をなせる、思想・文化の多彩を極むる、万葉歌人をして今日にあらしめば、再び「御民(みたみ)吾(われ)生ける験(しるし)あり天地(あめつち)の栄ゆる時にあへらく念(おも)へば」と謳ふであらう。明治維新の鴻業により、旧来の陋習を破り、封建的束縛を去つて、国民はよくその志を途げ、その分を竭くし、爾来七十年、以て今日の盛事を見るに至つた。 併しながらこの盛事は、静かにこれを省みるに、実に安穏平静のそれに非ずして、内に外に波瀾万丈、発展の前途に幾多の困難を蔵し、隆盛の内面に混乱をつつんでゐる。即ち国体の本義は、動もすれば透徹せず、学問・教育・政治・経済その他国民生活の各方面に幾多の欠陥を有し、伸びんとする力と混乱の因とは錯綜表裏し、燦然たる文化は内に薫蕕(くんいう)を併せつゝみ、こゝに種々の困難な問題を生じてゐる。今や我が国は、一大躍進をなさんとするに際して、生彩と陰影相共に現れた感がある。併しながら、これ飽くまで発展の機であり、進歩の時である。我等は、よく現下内外の真相を把握し、拠つて進むべき道を明らかにすると共に、奮起して難局の打開に任じ、弥々国運の伸展に貢献するところがなければならぬ。 現今我が国の思想上・社会上の諸弊は、明治以降余りにも急激に多種多様な欧米の文物・制度・学術を輸入したために、動もすれば、本を忘れて末に趨り、厳正な批判を欠き、徹底した醇化をなし得なかつた結果である。抑々我が国に輸入せられた西洋思想は、主として十八世紀以来の啓蒙思想であり、或はその延長としての思想である。これらの思想の根柢をなす世界観・人生観は、歴史的考察を欠いた合理主義であり、実証主義であり、一面に於て個人に至高の価値を認め、個人の自由と平等とを主張すると共に、他面に於て国家や民放を超越した抽象的な世界性を尊重するものである。従つてそこには歴史的全体より孤立して、抽象化せられた個々独立の人間とその集合とが重視せられる。かゝる世界観・人生観を基とする政治学説・社会学説・道徳学説・教育学説等が、一方に於て我が国の諸種の改革に貢献すると共に、他方に於て深く広くその影響を我が国本来の思想・文化に与へた。 我国の啓蒙運動に於ては、先づ仏蘭西啓蒙期の政治哲学たる自由民権思想を始め、英米の議会政治思想や実利主義・功利主義、独逸の国権思想等が輸入せられ、固陋な慣習や制度の改廃にその力を発揮した。かゝる運動は、文明開化の名の下に広く時代の風潮をなし、政治・経済・思想・風習等を動かし、所謂欧化主義時代を現出した。然るにこれに対して伝統復帰の運動が起つた。それは国粋保存の名によつて行はれたもので、澎湃たる西洋文化の輸入の潮流に抗した国民的自覚の現れであつた。蓋し極端な欧化は、我が国の伝統を傷つけ、歴史の内面を流れる国民的精神を萎靡せしめる惧れがあつたからである。かくて欧化主義と国粋保存主義との対立を来し、思想は昏迷に陥り、国民は、内、伝統に従ふべきか、外、新思想に就くべきかに悩んだ。然るに、明治二十三年「教育ニ関スル勅語」の渙発せられるに至つて、国民は皇祖皇宗の肇国樹徳の聖業とその履践すべき大道とを覚り、こゝに進むべき確たる方向を見出した。然るに欧米文化輸入のいきほひの依然として盛んなために、この国体に基づく大道の明示せられたにも拘らず、未だ消化せられない西洋思想は、その後も依然として流行を極めた。即ち西洋個人本位の思想は、更に新しい旗幟の下に実証主義及び自然主義として入り来り、それと前後して理想主義的思想・学説も迎へられ、又続いて民主主義・社会主義・無政府主義・共産主義等の侵入となり、最近に至つてはファッシズム等の輸入を見、遂に今日我等の当面する如き思想上・社会上の混乱を惹起し、国体に関する根本的自覚を喚起するに至つた。 国体の自覚 抑々社会主義・無政府主義・共産主義等の詭激なる思想は、究極に於てはすべて西洋近代思想の根柢をなす個人主義に基づくものであつて、その発現の種々相たるに過ぎない。個人主義を本とする欧米に於ても、共産主義に対しては、さすがにこれを容れ得ずして、今やその本来の個人主義を棄てんとして、全体主義・国民主義の勃興を見、ファッショ・ナチスの擡頭ともなつた。即ち個人主義の行詰りは、欧米に於ても我が国に於ても、等しく思想上・社会上の混乱と転換との時期を将来してゐるといふことが出来る。久しく個人主義の下にその社会・国家を発達せしめた欧米が、今日の行詰りを如何に打開するかの問題は暫く措き、我が国に関する限り、真に我が国独自の立場に還り、万古不易の国体を闡明し、一切の追随を排して、よく本来の姿を現前せしめ、而も固陋を棄てて益々欧米文化の摂取醇化に努め、本を立てて末を生かし、聡明にして宏量なる新日本を建設すべきである。即ち今日我が国民の思想の相剋、生活の動揺、文化の混乱は、我等国民がよく西洋思想の本質を徹見すると共に、真に我が国体の本義を体得することによつてのみ解決せられる。而してこのことは、独り我が国のためのみならず、今や個人主義の行詰りに於てその打開に苦しむ世界人類のためでなければならぬ。こゝに我等の重大なる世界史的使命がある。乃ち「国体の本義」を編纂して、肇国の由来を詳にし、その大精神を闡明すると共に、国体の国史に顕現する姿を明示し、進んでこれを今の世に説き及ぼし、以て国民の自覚と努力とを促す所以である。 ◇3.第一 大日本国体 ※省略 ◇4.第二 国史に於ける国体の顕現 ※省略 ◇5.結語 ↓本文はここをクリックして表示 +... 我等は、以上我が国体の本義とその国史に顕現する姿とを考察して来た。今や我等皇国臣民は、現下の諸問題に対して如何なる覚悟と態度とをもつべきであらうか。惟ふに、先づ努むべきは、国体の本義に基づいて諸問題の起因をなす外来文化を醇化し、新日本文化を創造するの事業である。 我が国に輸入せられた各種の外来思想は、支那・印度・欧米の民族性や歴史性に由来する点に於て、それらの国々に於ては当然のものであつたにしても、特殊な国体をもつ我が国に於ては、それが我が国体に適するか否かが先づ厳正に批判検討せられねばならぬ。即ちこの自覚とそれに伴ふ醇化とによつて、始めて我が国として特色ある新文化の創造が期し得られる。 西洋思想の特質 抑々西洋思想は、その源をギリシヤ思想に発してゐる。ギリシヤ思想は、主知的精神を基調とするものであり、合理的・客観的・観想的なることを特徴とする。そこには、都市を中心として文化が創造せられ、人類史上稀に見る哲学・芸術等を遺したのであるが、末期に至つてはその思想及び生活に於て、漸次に個人主義的傾向を生じた。而してローマは、このギリシヤ思想を法律・政治その他の実際的方面に継承し発展せしめると同時に、超国家的なキリスト教を採用した。欧米諸国の近世思想は、一面にはギリシヤ思想を復活し、中世期の宗教的圧迫と封建的専制とに反抗し、個人の解放、その自由の獲得を主張し、天国を地上に将来せんとする意図に発足したものであり、他面には、中世期の超国家的な普遍性と真理性とを尊重する思想を継承し、而もこれを地上の実証に求めんとするところから出発した。これがため自然科学を発達せしめると共に、教育・学問・政治・経済等の各方面に於て、個人主義・自由主義・合理主義を主流として、そこに世界史的に特色ある近代文化の著しい発展を齎した。 抑々人間は現実的の存在であると共に永遠なるものに連なる歴史的存在である。又、我であると同時に同胞たる存在である。即ち国民精神により歴史に基づいてその存在が規定せられる。これが人間存在の根本性格である。この具体的な国民としての存在を失はず、そのまゝ個人として存在するところに深い意義が見出される。然るに、個人主義的な人間解釈は、個人たる一面のみを抽象して、その国民性と歴史性とを無視する。従つて全体性・具体性を失ひ、人間存立の真実を逸脱し、その理論は現実より遊離して、種々の誤つた傾向に趨る。こゝに個人主義・自由主義乃至その発展たる種々の思想の根本的なる過誤がある。今や西洋諸国に於ては、この誤謬を自覚し、而してこれを超克するために種々の思想や運動が起つた。併しながら、これらも畢竟個人の単なる集合を以て団体或は階級とするか、乃至は抽象的の国家を観念するに終るのであつて、かくの如きは誤謬に代ふるに誤謬を以てするに止まり、決して真実の打開解決ではない。 東洋思想の特質 我が国に輸入せられた支那思想は、主として儒教と老荘思想とであつた。儒教は実践的な道として優れた内容をもち、頻る価値ある教である。而して孝を以て教の根本としてゐるが、それは支那に於て家族を中心として道が立てられてゐるからである。この孝は実行的な特色をもつてゐるが、我が国の如く忠孝一本の国家的道徳として完成せられてゐない。家族的道徳を以て国家的道徳の基礎とし、忠臣は孝子の門より出づるともいつてゐるが、支那には易姓革命・禅譲放伐が行はれてゐるから、その忠孝は歴史的・具体的な永遠の国家の道徳とはなり得ない。老荘は、人為を捨てて自然に帰り、無為を以て化する境涯を理想とし、結局その道は文化を否定する抽象的のものとなり、具体的な歴史的基礎の上に立たずして個人主義に陥つた。その末流は所謂竹林の七賢の如く、世間を離れて孤独を守らうとする傾向を示し、清談独善の徒となつた。要するに儒教も老荘思想も、歴史的に発展する具体的国家の基礎をもたざる点に於て、個人主義的傾向に陥るものといへる。併しながら、それらが我が国に摂取せられるに及んでは、個人主義的・革命的要素は脱落し、殊に儒教は我が国体に醇化せられて日本儒教の建設となり、我が国民道徳の発達に寄与することが大であつた。 印度に於ける仏教は、行的・直観的な方面もあるが、観想的・非現実的な民族性から創造せられたものであつて、冥想的・非歴史的・超国家的なものである。然るに我が国に摂取せられるに及んでは、国民精神に醇化せられ、現実的・具体的な性格を得て、国本培養に貢献するところが多かつたのである。 新日本文化の創造 これを要するに、西洋の学問や思想の長所が分析的・知的であるに対して、東洋の学問・思想は、直観的・行的なることを特色とする。それは民族と歴史との相違から起る必然的傾向であるが、これを我が国の精神・思想並びに生活と比較する時は、尚そこに大なる根本的の差異を認めざるを得ない。我が国は、従来支那思想・印度思想等を輸入し、よくこれを摂取醇化して皇道の羽翼とし、国体に基づく独自の文化を建設し得たのである。明治維新以来、西洋文化は滔々として流入し、著しく我が国運の隆昌に貢献するところがあつたが、その個人主義的性格は、我が国民生活の各方面に亙つて種々の弊害を醸し、思想の動揺を生ずるに至つた。併しながら、今やこの西洋思想を我が国体に基づいて醇化し、以て宏大なる新日本文化を建設し、これを契機として国家的大発展をなすべき時に際会してゐる。 西洋文化の摂取醇化に当つては、先づ西洋の文物・思想の本質を究明することを必要とする。これなくしては、国体の明徴は現実を離れた抽象的のものとなるであらう。西洋近代文化の顕著なる特色は、実証性を基とする自然科学及びその結果たる物質文化の華かな発達にある。更に精神科学の方面に於ても、その精密性と論理的組織性とが見られ、特色ある文化を形成してゐる。我が国は益々これらの諸学を輸入して、文化の向上、国家の発展を期せねばならぬ。併しながらこれらの学的体系・方法及び技術は、西洋に於ける民族・歴史・風土の特性より来る西洋独自の人生観・世界観によつて裏附けられてゐる。それ故に、我が国にこれを輸入するに際しては、十分この点に留意し、深くその本質を徹見し、透徹した見識の下によくその長所を採用し短所を捨てなければならぬ。 諸般の刷新 明治以来の我が国の傾向を見るに、或は伝統精神を棄てて全く西洋思想に没入したものがあり、或は歴史的な信念を維持しながら、而も西洋の学術理論に関して十分な批判を加へず、そのまゝこれを踏襲して二元的な思想に陥り、而もこれを意識せざるものがある。又著しく西洋思想の影響を受けた知識階級と、一般のものとは相当な思想的懸隔を来してゐる。かくて、かゝる情態から種々の困難な問題が発生した。嘗て流行した共産主義運動、或は最近に於ける天皇機関説の問題の如きが、往々にして一部の学者・知識階級の問題であつた如きは、よくこの間の消息を物語つてゐる。今や共産主義は衰頽し、機関説が打破せられたやうに見えても、それはまだ決して根本的に解決せられてはゐない。各方面に於ける西洋思想の本質の究明とその国体による醇化とが、今一段の進展を見ざる限り、真の成果を挙げる事は困難であらう。 惟ふに西洋の思想・学問について、一般に極端なるもの、例へば共産主義・無政府主義の如きは、何人も容易に我が国体と相容れぬものであることに気づくのであるが、極端ならざるもの、例へば民主主義・自由主義等については、果してそれが我が国体と合致するや否やについては多くの注意を払はない。抑々如何にして近代西洋思想が民主主義・社会主義・共産主義・無政府主義等を生んだかを考察するに、先に述べた如く、そこにはすべての思想の基礎となつてゐる歴史的背景があり、而もその根柢には個人主義的人生観があることを知るのである。西洋近代文化の根本性格は、個人を以て絶対独立自存の存在とし、一切の文化はこの個人の充実に存し、個人が一切価値の創造者・決定者であるとするところにある。従つて個人の主観的思考を重んじ、個人の脳裡に描くところの観念によつてのみ国家を考へ、諸般の制度を企画し、理論を構成せんとする。かくして作られた西洋の国家学説・政治思想は、多くは、国家を以て、個人を生み、個人を超えた主体的な存在とせず、個人の利益保護、幸福増進の手段と考へ、自由・平等・独立の個人を中心とする生活原理の表現となつた。従つて、恣な自由解放のみを求め、奉仕といふ道徳的自由を忘れた謬れる自由主義や民主主義が発生した。而してこの個人主義とこれに伴ふ抽象的思想の発展するところ、必然に具体的・歴史的な国家生活は抽象的論理の蔭に見失はれ、いづれの国家も国民も一様に国家一般乃至人間一般として考へられ、具体的な各国家及びその特性よりも、寧ろ世界一体の国際社会、世界全体に通ずる普遍的理論の如きものが重んぜられ、遂には国際法が国法よりも高次の規範であり、高き価値をもち、国法は寧ろこれに従属するものとするが如き誤つた考すら発生するに至るのである。 個人の自由なる営利活動の結果に対して、国家の繁栄を期待するところに、西洋に於ける近代自由主義経済の濫觴がある。西洋に発達した近代の産業組織が我が国に輸入せられた場合も、国利民福といふ精神が強く人心を支配してゐた間は、個人の溌剌たる自由活動は著しく国富の増進に寄与し得たのであるけれども、その後、個人主義・自由主義思想の普及と共に、漸く経済運営に於て利己主義が公然正当化せられるが如き傾向を馴致するに至つた。この傾向は貧富の懸隔の問題を発生せしめ、遂に階級的対立闘争の思想を生ぜしめる原因となつたが、更に共産主義の侵入するや、経済を以て政治・道徳その他百般の文化の根本と見ると共に、階級闘争を通じてのみ理想的社会を実現し得ると考ふるが如き妄想を生ぜしめた。利己主義や階級闘争が我が国体に反することは説くまでもない。皇運扶翼の精神の下に、国民各々が進んで生業に競ひ励み、各人の活動が統一せられ、秩序づけられるところに於てこそ、国利と民福とは一如となつて、健全なる国民経済が進展し得るのである。 教育についても亦同様である。明治維新以後、我が国は進歩した欧米諸国の教育を参酌して、教育制度・教授内容等の整備に努め、又自然科学はもとより精神諸科学の方面に於ても大いに西洋の学術を輸入し、以て我が国学問の進歩と国民教育の普及とを図つて来た。五箇条の御誓文を奉体して旧来の陋習を破り、智識を世界に求めた進取の精神は、この方面にも亦長足の進歩を促し、その成果は極めて大なるものがあつた。併しそれと同時に個人主義思想の浸潤によつて、学問も教育も動もすれば普遍的真理といふが如き、抽象的なもののみを目標として、理智のみの世界、歴史と具体的生活とを離れた世界に趨らんとし、智育も徳育も知らず識らず抽象化せられた人間の自由、個人の完成を目的とする傾向を生ずるに至つた。それと同時に又それらの学問・教育が、分化し専門化して漸く綜合統一を欠き、具体性を失ふに至つた。この傾向を是正するには、我が国教育の淵源たる国体の真義を明らかにし、個人主義思想と抽象的思考との清算に努力するの外はない。 かくの如く、教育・学問・政治・経済等の諸分野に亙つて浸潤してゐる西洋近代思想の帰するところは、結局個人主義である。而して個人主義文化が個人の価値を自覚せしめ、個人能力の発揚を促したことは、その功績といはねばならぬ。併しながら西洋の現実が示す如く、個人主義は、畢竟個人と個人、乃至は階級間の対立を惹起せしめ、国家生活・社会生活の中に幾多の問題と動揺とを醸成せしめる。今や西洋に於ても、個人主義を是正するため幾多の運動が現れてゐる。所謂市民的個人主義に対する階級的個人主義たる社会主義・共産主義もこれであり、又国家主養・民族主義たる最近の所謂ファッショ・ナチス等の思想・運動もこれである。 併し我が国に於て真に個人主義の齎した欠陥を是正し、その行詰りを打開するには、西洋の社会主義乃至抽象的全体主義等をそのまゝ輸入して、その思想・企画等を模倣せんとしたり、或は機械的に西洋文化を排除することを以てしては全く不可能である。 我等の使命 今や我が国民の使命は、国体を基として西洋文化を摂取醇化し、以て新しき日本文化を創造し、進んで世界文化の進展に貢献するにある。我が国は夙に支那・印度の文化を輸入し、而もよく独自な創造と発展とをなし遂げた。これ正に我が国体の深遠宏大の致すところであつて、これを承け継ぐ国民の歴史的使命はまことに重大である。現下国体明徴の声は極めて高いのであるが、それは必ず西洋の思想・文化の醇化を契機としてなさるべきであつて、これなくしては国体の明徴は現実と遊離する抽象的のものとなり易い。即ち西洋思想の摂取醇化と国体の明徴とは相離るべからざる関係にある。 世界文化に対する過去の日本人の態度は、自主的にして而も包容的であつた。我等が世界に貢献することは、たゞ日本人たるの道を弥々発揮することによつてのみなされる。国民は、国家の大本としての不易な国体と、古今に一貫し中外に施して悖らざる皇国の道とによつて、維れ新たなる日本を益々生成発展せしめ、以て弥々天壌無窮の皇運を扶翼し奉らねばならぬ。これ、我等国民の使命である。
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それは「本格スマホEスポーツ」を標榜するシャドウバースが 世間からまったく関心をもたれていなかったことが露呈した事件である。 「全国都道府県対抗eスポーツ選手権 2022 TOCHIGI」が、栃木県宇都宮市の日環アリーナ栃木で10月15~16日にかけて開催された。 本大会は、国体であり一般市民が各都道府県を代表して参加するものである。 2019年の第1回大会以来、3年ぶりに有観客でのリアル開催が実現したものであり、シャドウバースも意気揚々と国体科目としてエントリーしたものの 観客がまったくおらず、同大会にエントリーしていたぷよぷよと比較されyahooニュースの記事にて酷評される結果となった。 以下引用 とりわけ寂しかったのは「Shadowverse(シャドウバース)」の観客席で、初日は客がほとんど入っていなかった。しかも、観客席からはプレイ中の選手の姿がまったく見えない構造になっていたので、これでは初めてeスポーツの観戦に訪れた人の興味を引くことは不可能だろう。 実況の音声や、観客からの助言が聞こえないようにするため、選手たちを密室の中でプレイさせる形にしたと思われるが、これではせっかく実現したリアル開催の意味がないように思える。例えば、仕切りには透明のアクリル板などを使用して、プレイ中の選手たちが観客席からも見えるよう配慮してほしかった。 KMRの心情が心配である。 https //news.yahoo.co.jp/byline/shigiharamorihiro/20221017-00319845
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2023岩手 八戸冬季国体関連まとめ 2023冬季国体 開催日 内 容 実 況 12/10-12 東北総体アイスホッケー 岡田和隆和泉智之柴田 篤 2/1 国体アイスホッケー 和泉智之斉藤 晃 2/2 梨田 信(TAP) 2/3 津野田和明(NAT) 2/21 体アルペンスキー 清水和幸松本英和(HNB) 国体スキージャンプ 村中恭央(TNK) 国体スキークロスカントリー 久保田修二(TNG) 2/22 国体ノルディック複合 清水和幸津野田和明(NAT) 国体アルペンスキー 松本英和(HNB) 2/23 国体アルペンスキー 松本英和(HNB)北川 実(MKN) 国体クロスカントリーリレー 清水和幸
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国体予選試合結果{6月17日} 男子シングルス 予選リーグ 久保0-3由比(天理大) 久保0-3木本(関西大) 岡田0-3常松(天理大) 岡田1-3大西(関西大) 徳矢2-3竹内(天理大) 徳矢0-3勝(小瀬クラブ) 【2009年度へ】【2010年度へ】【2011年度へ】【2012年度へ】
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◆国体(国民体育大会)との関連性 ・県教委「国体開催を想定して約3万席程度の観客席が必要」(下野新聞2012年10月10日) ・県議会県政経営常任委員会「国体などの全国大会開催を前提として施設基準を満たすことや~(後略)」(下野新聞2012年10月10日) ・総合スポーツゾーン全体構想策定検討委員会「国体開催のメーン会場を前提に、開閉会式を開く収容人員として下限の2万人規模が適当などとする意見に集約」(日刊建設新聞 11月1日) ◆日本体育協会 国体施設基準 総合開・閉会式 ・国体で開閉会式を行う会場として求められる基準 ・式典会場は、観覧席が仮設スタンドを含み、約3万人を収容できる施設 ・屋外の式典会場の場合は、雨天対策用として体育館1http //www2.japan-sports.or.jp/kokutai/pdf/kitei04.pdf →必ずしも陸上競技場である必要はない →平成22年の千葉国体では千葉マリンスタジアムが式典会場として使用された →宇都宮清原球場の収容人数30,000人。式典会場の要件は満たすのでは? (参考資料)第71回国民体育大会 開・閉会式会場選定 評価調書 - 岩手県 先催県の開会式会場の規模等を見ると、収容人員は約 15,000 人~約45,000 人、観覧席数は約 14,000 人~約 40,000 人であり、施設区分では、平成 22 年に開催する千葉県のプロ野球場を除き、全て第 1 種公認の陸上競技場となっている。 http //www5.pref.iwate.jp/~2016kokutai/cgi_data/news/staff_1266477293_file1.pdf ◆(参考)陸連1種公認基準 ・観客収容人数15000人以上(芝生を含む)メインスタンドは7,000人程度で屋根付き ・幅1m220のレーンを8レーンまたは9レーン →観客席(最前列)からサッカーグラウンドまでは最低でも10mほど離れてしまう
https://w.atwiki.jp/kolia/pages/1666.html
佐藤優氏によれば、「『国体の本義』は、欧米のキリスト教文化圏の人々にも理解できる記述をしている。西欧思想、哲学の伝統を踏まえた上で書かれた水準の高い思想書である。このレベルの思想を理解していれば、二十一世紀の日本人が、アメリカ人、イギリス人、ドイツ人、ロシア人、中国人などと議論しても、決して負けることはない。」 また、新田均氏によれば、「『国体の本義』の編纂過程で、編纂委員の一人であった和辻哲郎から「特に根本的規定等に於て現代の日本インテリゲンチャを納得せしめる様論述し得るか否かは相当重大なる問題と存候、この点特にご配慮願上候」といった意見が表明された」等、当時の日本を代表する学識者の意見を広く聴取して内容が練り上げられている、とのことであり、私見でもやはり、なかなか文句の付けようのない内容であると思う。 ※サイズが合わない場合はこちら をクリック。
https://w.atwiki.jp/sakura398/pages/287.html
佐藤優氏によれば、「『国体の本義』は、欧米のキリスト教文化圏の人々にも理解できる記述をしている。西欧思想、哲学の伝統を踏まえた上で書かれた水準の高い思想書である。このレベルの思想を理解していれば、二十一世紀の日本人が、アメリカ人、イギリス人、ドイツ人、ロシア人、中国人などと議論しても、決して負けることはない。」 また、新田均氏によれば、「『国体の本義』の編纂過程で、編纂委員の一人であった和辻哲郎から「特に根本的規定等に於て現代の日本インテリゲンチャを納得せしめる様論述し得るか否かは相当重大なる問題と存候、この点特にご配慮願上候」といった意見が表明された」等、当時の日本を代表する学識者の意見を広く聴取して内容が練り上げられている、とのことであり、私見でもやはり、なかなか文句の付けようのない内容であると思う。 ※サイズが合わない場合は こちら をクリック。
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佐藤優氏によれば、「『国体の本義』は、欧米のキリスト教文化圏の人々にも理解できる記述をしている。西欧思想、哲学の伝統を踏まえた上で書かれた水準の高い思想書である。このレベルの思想を理解していれば、二十一世紀の日本人が、アメリカ人、イギリス人、ドイツ人、ロシア人、中国人などと議論しても、決して負けることはない。」 また、新田均氏によれば、「『国体の本義』の編纂過程で、編纂委員の一人であった和辻哲郎から「特に根本的規定等に於て現代の日本インテリゲンチャを納得せしめる様論述し得るか否かは相当重大なる問題と存候、この点特にご配慮願上候」といった意見が表明された」等、当時の日本を代表する学識者の意見を広く聴取して内容が練り上げられている、とのことであり、私見でもやはり、なかなか文句の付けようのない内容であると思う。 ※サイズが合わない場合はこちらをクリック。
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一日目成年男子・女子SP 会場の様子と国体「応援」の雰囲気 2時入場時点で一階席は満席、二階席が開放されています。お子様率が高いです。男子が終わって女子の夕方になるとかなり人も減り、2階は中程以降はがらんとしてきました。一階席も空いてるので、向こう正面ど真ん中に移動。たしかに迫力が伝わりますね。エッジも見やすい。ショーやメジャー所が沢山出る大会だと、女性が9割近くだったりしますが、国体は結構男性客が多いですね。 応援も暖かいですね。正直、トップ選手ばかりでるような大会だと、キャーキャーと黄色がかった声援に辟易することもあるんですが、そういうのではなく、選手それぞれに対して、見守るというかほんとに心から頑張って、という声援や拍手。 選手団の声援もあるし、より身内的な感覚が強いかも。私も知っている人が何人か出場したので、「ガンバッ」は結構連発しましたw 日曜の昼間はお子様連れが多かったですが、月曜の夜にわざわざ代々木まで足を運んで9時まで観戦しつづける一階席の方々は、かなりのスケオタですねw ジャッジ側正面の選手団応援席は体育会系のガンバッ!、向正面は暖かく見守るおじさまおばさまの拍手、という構図。 お高いチケットをどうにか入手して遠く二階席からステージを眺める、というのではなく、より近くで身近な選手を励まし応援する。転んで「ガンバッ!」と声援が飛ぶのは、学生の大会の感覚に近いですね。 そうだ、国体は「観戦」じゃなくて「応援」なんだ。 今まであまり知らなかった選手をちょっとピックアップ 男子大阪の磯崎選手。背がちっちゃかったですが、ジャンプや動きのキレ、表現などはよかったですね。 山田耕筰もとい耕新選手。ジャンプとかはアレでしたが、雨のあの曲を傘のマイムなどで表現しようとしてたのは好感が持てます。大上さんもトリプル決まってかっこよかった。 7級揃いの中、よく5級でここまで頑張って滑った!な京都の江口選手ですが、、、、ちょっとググったら京大のスケート部?半田カップに出場してたっぽいし、もしかして大学スタートでここまでになった?だとしたら、ものすごいんじゃないでしょうか。 女子広島の河野さんがスピードのある滑りでトリプルも決めてましたね。あとは、、、正直女子は結構似たり寄ったりで、あまり印象に残る選手はいませんでした。 ご存知メンツ 男子だとやっぱり織田くんですね。生で見たのは初めてですが、ほんとに着氷柔らかいし、なんといっても滑りでウルってくる。来季で引退とのことですが、もう一花咲かしてもらいたいものです。そして我らがあきおは、この動きのキレ!しびれるぜ。 女子では、やはりスピードと迫力ではあっこが飛び抜けてますね。30点台の選手が続いた後だと、余計に速く感じる。ジャンプは調子悪かったですが、体の具合を直して次に臨んでもらいたいです。 はるかちゃんも今日は良かった。ジャンプの軸やスピンのポジションなども正確できれい。ショートトップから明日のフリーも期待。 村中姉は色気のある滑りでいいですねぇ。 西野さんはスピードあるけど、ちょっと荒いのかな。奏さんかっこいい。 全体として、男子の方が見てて面白かったかな。スケーティングのレベルがアレだとしても、それぞれ自分のオリジナリティや表現を出そうという姿勢が見られた。女子は、王道クラシックかカルメンみたいなアレかが多かったり、習い事臭が抜け切らないのかも。 二日目:成年男子・女子FS 今日は女子最後の2Gのみでしたが、まあなんというか、遥はオレの嫁でしたね。 それにしても今井選手のフリーは素晴らしかったですね。映像で見た時にとてもいいプロだなと思ったのですが、生で見ると格別です。特に今日のは(コンビネーションでちょっとステップアウトしちゃったけど)ほぼ完璧。3Loも決まりまくったし、優雅な滑り。さすがオレの嫁 最終日:少年男子女子FS 男子FS 8. 小林 7155 10950 9. 鎌田詩 8177 12320 10. 中島 7146 11108. 3Lzを練習から狙ってましたが、気負いぎみで本番では入りませんでした。 11. 小曽根 8437 12467。キックのきいたノリのいい音楽で会場盛り上がり。ダンスの切れもありかっこよかったですね。 12. 笹原 7616 11915。前半ジャンプのダブりが続いたが、3Fが決まると高い。 2G終わって製氷。都合をつけて応援に来ました。さすがに空いてます。向正面前列も問題なく座れます。小学生の一団が。 13. 時國 8487 13019。3Sがきれいに決まった。思ったより点数が出た。確かにスケーティングは安定してるか。 14. 玉田 7090 11728。黄色い派手な衣装でキルビル。2コケのためか後半ちょっとバランスを崩すシーンも。 15. 片田 9959 14038。冒頭から怒濤のコンビジャンプをきめまくり、ドーナッツ、またコンビなど怒濤の構成。スピンもポジションよく、チェック姿勢もきれい。いい選手ですね。 16. 鎌田英 10811 15597。ヒデすばらしい!一ヶ所コンビのトゥがいつものモンキージャンプwになった以外はほぼ完璧。スピードもあり最初の3Lzも流れのなかで降りた。すばらしい! 17. 中野 9532 14294。宇宙戦艦ヤマト。ちょっとエッジが不安定なところが散見される。つなぎでバランスを崩すところも。その割には点数でてるな。 18. 渡邉 9300 14092。ドーナッツなどの多様なスピン。スケーティングも大きくていいですね。 19. 吉野 9954 14905。 最初のLzは抜けちゃいましたが、スケーティングご安定しててよいですね。地力が高い。 20. 日野 14360 22019。これはもう、抜きん出てますね。淡々と滑ってるようだが、スピードがある。3Aも降りた。最後のシットも速い。でもやっぱ動きはかたいね。 21. 山本 8789 13684。日野のあとで見劣りしてしまいかわいそうだが、腕をもっとちゃんと締めるとトリプルも安定するんじゃないでしょうか。ふりはかっこいいし、最後のシットはよかった。 22 川原 11638 16955。なめらかで自然な滑り。3Aに挑戦するも転倒。ちょっとデニステン君に似てる?好きなタイプです。 23 梶田 10717 16155。質が高いですね。フリップが抜けてループも詰まり中盤つらそうでしたが、立て直しました。ステップで一瞬迷った?全般としては安定の160点台。 24 佐藤 9734 15321。コミカルな衣装と音楽、演技。こういうのも面白いですね。 優勝は見事東京!おめでとう!表彰式wwwみんなネタしこんどるwww表彰式のネタは、スロージャンプ失敗w、りゅーじゅクールすぎw、SBS、Y字スパイラル、股くぐり、室伏、罰の腕立てw、などでお送りしました。 国体少年男子 団体結果 http //t.co/hVAlvEJl 国体少年男子 個人結果 http //t.co/QCvW0En3 女子FS 9 谷川 8196 12666。アディオス・ノニーノ。ビールマンきれい。 8 原村 7543 12004。先程のツイは間違い。削除すみ。 10 竹野 9240 13893 11 小槇 7690 12187。女子は総じてスピンがうまい。 12 磯邉 8557 13064。2G終了。製氷タイム。 (雅さん、本郷さん、芽さんなどがアップしてますね。集中してるとこ邪魔しちゃいかんので、あまりジロジロ見ないように。) 13 遠山 8357 13111。着氷柔らかい。 14 木原 8197 13067。カルメンボサノバアレンジ。最初のルッツはエラーだが降りた。ちょっと軸がずれたジャンプがいくつか。 15 河西 8657 13384 16 藤澤 7170 11880。福岡男の声援ww。助走が間延びしてフェンスに近づきすぎで詰まる。 17 松嶋 8446 13299。目の覚めるショッキングピンクの椿姫。セカンドトリプルトゥ高い!バックスパイラルからのタノルッツ。フライングシットが抜けちゃった。抜けジャンプもあったけど、上がってから回ってる。 18 上野 8239 13212。アディオス・ノニーノ。動きがしなやかでメリハリがありますね。ちょっとバランスを崩した部分がもったいなかったけど、スピンも綺麗で軸の作り方が上手いと思います。(ちょっと上野さんのところで採点表示トラブル。8227と一旦でたが、8239に訂正。) 19 友滝 10834 16451。道化師。カコ様、こうみると結構腿筋あるな。さすがトリプルの精度が高い。会心の演技で得点も高い。 20 伊藤 9670 15135。芽さん、細いですね。ちょっと構えが前屈みすぎ、チェックも下向き。 21 本郷 11762 17361。こりゃ凄い迫力だわ!高い!訴えかける力がある。場内スタオベ。大人しめの向正面もたった。大きな体躯に黒い衣装が映える。スワン。また後程に追記予定。 22 大庭 10715 16542。雅さんやわらかくて優しくて素敵な滑り。素晴らしかった!これまたスタオベ。 23 加藤 10877 16399。ゴッドファーザー。回転軸細い。よく滑ってる。映像でみるよりいい。ルッツこけでフリップダブったけど、思ってたよりいい滑りだった。ケントとコンちゃんもキスクラにww 24 庄司 9156 14587。かわいい!笑顔でた!上品!素敵!、!って得点低いぃぃ、えーー、なんでー、そんなに回転不足?ぶー、陰謀論に荷担しちゃうぞー ヤメロ。。。失礼、ちょっと感情高ぶりました。うわちゃー、庄司さんほとんどすべてのジャンプに<刺さってるわ、、、 2A3T 2T, 3F , 3S 2T , 3T2T , 3Lo , 2A, 3S 、、、、 いくつかピックアップ: 男子小曽根くんのドラムのよくきいたダンス・ミュージックっぽい?音楽とそれに乗った滑りはよかったですね。こういうの好きです。--吉野くん:ルッツは抜けちゃったけど、スケーティングが安定していて気持ちよく見られました。 川原くん:滑らかなスケーティングは好き。3A降りられれば。 ヒデ:インターハイにつづけてミスなくまとめるとはよくやってくれた。今後も期待。 女子遠山さん:着氷が柔らかく流れるよう。織田くんの猫着氷みたい。松嶋さん:2A3Tのセカンドすごく高かった。スパイラルからタノルッツとかイカす。印象に残りました。上野さん:正確な滑りでしなやかです。 りおなさん:テレビで見てたときは、ジャンプはいいけど某だなー、って思ってましたけど、実際に見ると結構よく滑ってますね。ジャンプの質は高い。もうちょい表現を。芽さん:もうちょっと肉つけて姿勢を直すとよいですね。 本郷さん:圧巻ですね。ほぼ男子部員の迫力w。姿勢は、、、普通に立って話してる時でも猫背っぽいので、もっとスっと立つともっと見栄えがいいんですけどね。雅さん:本郷さんの後で最初のほう気圧されるかと思いましたが、優雅に滑ってくれました。 庄司さん:女子としての滑り(本郷さんは男子扱いw)では一番でした。滑りも上品だし、顔の表情がいいですよね。回転不足は、、、うーん、、、 女子最終Gの本郷さん、雅、(りおな)、庄司さんの流れのスタオベは凄かったですね。心奪われるものがありました。むしろ成年女子よりも良かったかもしれません。 ただ、女子全体的に残念だったのが、演技終わったあとすぐポーズを崩して、はぁ、ってガクってなっちゃう選手が結構見受けられたことですね。そこは残心というか余韻というか、優雅に最後の挨拶まで持って行ってもらいたいですね。疲れるのは分かるんですが、あーあ、みたいなのだとちょっといやんです また、始終仏頂面ってのも。緊張してるからってのもあるかもですが、やはり顔の表情は大事だと思います。その点庄司さんとか雅さんとかはよいですね。 スパイラルやイーグル、イナバウアーなど、見せる所ではもうちょい長めにしてくれると拍手しやすいですw。足上げたーで入ったーと思って拍手の準備したらすぐおろしちゃうとか、拍手しようとした両手の行き場が、、、、 やっぱりLzのエラーは多いですね。はっきりとインに落ちてると分かるレベル。アプローチが短いと、ルッツ飛ぼうとしたのかフリップだったのか分からない時も。 回転不足は、、これは見分けるのは難しいですね。はっきりとTFになったり崩れたりすれば別ですが、ん?ちょっと足りない?ぐらいだと、URと判定されるかは分からない。庄司さんのもほとんどURだったけど、見てる時は全然。、、つか、雰囲気と滑りに魅了されててそこまで細かく見られなかったw