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第五幕 邂逅 長い列を組んで多くの人々が北へ北へと向かっていた。少なく見積もっても、千人か二千人は確実にいるようだ。 しかし、その多くは老人や女子供ばかりで、屈強な男性は全くいなかった。 彼らは重そうな台車を必死の思いで引きながら、川を越え、谷を越え、戦渦の免れる事のできる土地を目指して、ただひたすら北に向かっていった。 もう何日も何ヶ月も歩き続けて……。 そして、ある夜。 野営にちょうどいい場所を見つけた一行はそれぞれテントを張った。体力の消耗が激しいものは、そのまま毛布を適当にかぶって、テントの中で眠り始めたか、地面の上で横になった。 地面の上で横になったものは、テントの数が足りないか、何かあってもすぐに逃げれるように心掛けている人間だ。 そして、体力にまだ余裕があるものは、火を焚いて獣に襲われないように準備をし、消えないようにじっと見張りをする。 「ねぇ……もういいんじゃないの? いい加減、ここまで来れば戦禍には巻き込まれないわよ……」 「何言ってるのさ! そんな手緩い考えだから巻き込まれるんだよッ?!」 「そうよ。もっと北に行かないと……」 誰かが焚き木をしている場所に集まって話し込んでいた。 薄暗くてよく見えないが、高い声からして全員女性であることが分かる。 「だけど、これ以上は無理だよ……皆、疲れきってる。それに食料だって、もうあんまり無いんだよ?!」 「わかってる! けど、頑張ってもらうしかないじゃない……あの山を越えるまでは……」 「うん、そうね……。皆も限界だし、あの山を越えて住みやすい土地を見つけたら予定通りそこに村を作ろう。元の村より立派で豊かな……」 三人は目の前に見える山の向こうに希望の光を見出していた。その山は小さかったが、彼女たちにはまるで巨大な壁のように立ちはだかっている様だった。 しばらく話し合うと三人のうち二人は横になって眠り、一人は火の番をする。 そして、数時間交替で火の番を代わっていった。 翌朝、一行は朝食を済ませるとテントを片付け、再び歩き出す。 できるだけ急ぎたい。今日中にこの山を越えておきたい。 しかし、深い森で覆われた山は一行の壁となる。今、進んでいる道も獣道で人が台車を引きながら進むのはかなり辛い。 昨日の三人は山に入ってから、先頭に立って檄を飛ばす。どうにもこの一行のリーダー格らしい。 「皆頑張って! あと少しだから!」 「この山を越えたら、もう大丈夫!」 「これが最後の難関! もうここを越えたら私たちの新天地だよ!」 昨夜はその容姿を見ることができなかったが、眩しい光を放つ太陽の下、その姿がはっきりと確認できた。 三人とも少々の違いはあるが、背は160cmぐらいでほっそりとした体型をしている。 見た目から考えてだが、まだ年齢は十代の後半であろうか。形のいい眉、凛とした紫色の力強い瞳を三人とも持っていた。 よく見ると顔立ちも若干の違いはあるが非常に似ている。恐らくは姉妹なのだろうが、その容姿は非常に美しかった。 ただ、そんな彼女たちも髪型とその色は全く違っていた。 一人は長い髪をそのままにしたロングヘアで色はルビーのように赤い色をしていた。 もう一人は茶色の長い髪の毛をポニーテールのように後ろで纏めていた。 最後の一人は二人とは違って髪が短いショートヘアで、色は金色をしていた。 彼女たちの声は後に続いて行く者たちの心を支える。 もう少し。あと僅か。すぐそこだ。 その想いが足を動かさせ、前へ前へと進む原動力となる。 気が付いた時には、空高く輝く太陽がもう沈みかかっていた。 だが、既に一行は山を下り終わる寸前だ。彼女たちの長い旅もようやく終わろうとしていた。 「やっと山を越えれたね! シーラ姉さん、シェラ姉さん!」 金色の短い髪を夕焼けで輝かせて彼女は言う。 その姿は活発な女の子といった印象を見るものに与えるだろう事は間違いない。 「うん、少し心配だったけど、誰も脱落することがなくて本当に良かったわ」 シーラと呼ばれた赤い髪の女性はにこやかにそう答える。 こちらは深い母性を感じさせてくれる。寂しがり屋な男性に人気がありそうだ。 「浮かれるのもいいけど、気を抜いて馬鹿な事やらかさないでね、シルフィ」 一方、シェラと呼ばれた茶色い髪の女性は金髪の女性、シルフィに勝手なことをしないように釘を刺す。 ただ、何処となく嬉しそうに見えるのは見間違いではないだろう。 自然と、弾んだ会話がそこかしこでされ始める。 今までずっと張っていた緊張の糸が緩んだようだった。 山からずっと続いていた森を抜けて平原に出た。 そこから少し歩くと目の前に小高い丘が見え始めた。 「ちょっと先見てくるね!」 「あっ、コラッ! ……もう勝手なんだから!」 はしゃぎながら走り出すシルフィ。シェラはいきなりの事に止めることができずにその後姿を見つめるが、安心感からか口元が自然と緩んでしまう。落ち着きのない妹だ、と。 「無邪気なものね」 「あ、姉さん」 シェラは、いつの間にか横に来たシーラに僅かに驚く。シーラはそんなシェラに微笑みながら語しかける。 「あんなに、はしゃぐシルフィを見るのは本当に久しぶり。こっちまで楽しくなってきちゃうわね」 「あんまり甘やかすのは良くないと思うけどね……たまにはいいけど」 「あら、私もだけど、貴方も十分甘いわよ?」 クスクスと笑いながら言うシーラに、シェラは軽く溜息をつくと「そうかもね」と、返事をしてシルフィの走って行った方を見て微笑むのであった。 「ふっふ~ん、あたしが一番最初に新天地の姿をこの目に焼き付けるんだから」 金色の髪を風に撫でられながら丘を登る。期待に胸を膨らませ、一歩一歩着実に登っていく。 そして、ようやく頂上に到達して辺りを見回した。 そこには広大な大地が広がっていた。夕焼けで真っ赤に染まったその大地は自然の美しさというもの表しているようだ。 シルフィもその光景を純粋に美しいと感じた。 「う~ん、いい眺……め………?」 シルフィは途中で言い淀んだ。 何か目の前の広大な大地を疾走してこちらに向かってくるものがあるのだ。 しかも『それ』は一つや二つではない。幾つも向かってくるではないか。 『それ』が来たと思われる方向に目を向けてみて言葉を失った。 遠くの方に明らかに人の手によって作られた建物が立ち並んでいたからだ。 なんと言うことだろう、自分たちはまだ人の手が入っていない未開の場所に来たのではなかったのか。 足がガタガタと震える。いけない、戻って皆に伝えなきゃ。 そう思っても動けない。動かないのではなく、動けない。 言い知れぬ恐怖に襲われてしまって束縛されてしまっているのだ。 シルフィは僅かに動く口で、思いっきり力を込めて唇に歯を立てた。 「……ッ!?」 血がタラリと流れ、鋭い痛みで束縛が解かれる。 そして、後ろを向くと急いで走る。急げ、急げ、もうすぐ何か得体の知れないものがやってくる。 シルフィは懸命に走りながら大声で叫ぶ。 「逃げてええぇぇぇッ!!」 「なに!?」 「シルフィの声だッ!」 いきなり聞こえたシルフィの切羽詰った叫び声に和んだ空気が一転して緊迫感に満たされる。 辺りがどよめきの声で五月蝿く埋められた。 「皆、落ち着いて!」 シェラが大声で言うがそれで収まれば苦労はしない。それでも何とかしようと呼びかけるが効果は薄かった。 そうこうしている間にシルフィが息を切らしてこちらにやってくる。 「シルフィどうしたの?! 何があったの?!」 シーラがシルフィに慌しく問いかける。シェラもシルフィの方に顔を向けて答えを待つ。 そんな姉達にシルフィは呼吸を落ち着かせながら自分の見てきたものを伝えようとする。 「丘を越えた向こうの方に大きな建物が幾つもあったの! まるで町みたいで……!」 「「町……?!」」 二人はその言葉に驚きを隠すことなく動揺する。 だが、シルフィにはそれを気に止めている暇は全くなかった。 もっと別に伝えることがあるのだから。 「それよりも大変なの! 何かよく分からないものがこっちに向かってるの!!」 そう言った時、丘の向こうから『それ』が現れた。 一つ、二つ、三つ……幾つも幾つもかなりのスピードで一行の目の前に来て、止まる。 何か『それ』の先頭の方にある丸い所から光が放たれていた。 先程は遠距離だったためによく見えなかったが『それ』は何か箱のようなものだった。 足の部分には車輪と思われるものが付いている。これは生き物では――無い。 じっと『それ』を見ていると、いきなり人らしきものが出てきた。 真っ黒な鎧で全身を覆い、手には剣や盾、弓などではなく、何か杖のようなものを持っていた。 そして、こちらを見るなりそいつはこう言った。 「こちら第二十二偵察中隊、異世界人を発見。予定通り保護する」 大陸派遣軍臨時総司令部 中央指揮所 「さて、とりあえず異世界人の確保には成功したが、これからどうしたものか……」 周りが忙しなく働いているのを尻目に机に頬杖をついて考え込む紫芝。 赤子の手を捻るが如く容易い、と九条元帥に言ったからにはきちんとした結果を出さなければ拙い。 九条元帥は自分のことを高く評価してくれているし、それ故に無茶な頼みも大抵聞いてくれる。 しかし、今回の事で失敗すれば、その評価が落ちることは間違いない。それに自分の事を敵視している将軍たちも決して少なくない。彼らが攻撃してくることも覚悟しなければならないだろう。 まさしくターニングポイントと言ったところか。 「閣下、第二十二偵察中隊が異世界人御一行を引き連れて戻りました」 前の方にいるオペレーターがコンソールを叩きながら言う。 「わかった……それにしても数が予定より多いな」 「はい、千人程度と連絡されていましたが、その倍は確実にいます」 単純に誤っただけか、それとも職務怠慢か……。 まぁ、森林地帯を異世界人が抜けている事から考えて前者だろう。 兎に角、面倒事が増えた事には違いあるまい。 「さてと、あちらにも代表がいるはずだ。応接室に連れてくるように連絡しておいてくれ」 「御会いになられるので?」 「勿論だとも。色々と有益な情報を引き出せと命令を受けているからな。まぁ、私がやる必要はないが、好奇心というものがどうにも刺激されてね」 異世界人というものが一体どういうものなのか。実際にこの眼で見て、話しをしてみたい。 そういう欲求が今の自分に生まれてしまっている。 だが、それ以上に別の、彼と『同種』の者にしか分からない何かに惹かれていた。顔の傷が疼きだす。 「くれぐれもお気をつけて」 「心配してくれて有難う。その心配を解消するために一応歩兵小隊を護衛につける事にさせてもらおうか。連絡を頼むぞ」 そう言うと、私は中央指揮所から出ていく。 コツコツと硬い廊下を歩いていくと自然と顔に笑みが浮かぶ。 地獄のような書類仕事から解放されて楽ができるというのもあるが……それ以上に楽しくて仕方なかった。 「久しぶりに匂うなぁ……フフフ、実に楽しみだ。この『闘争』の芳しい香り……ククク、血の雨が降るぞ」 運命という歯車が、ギシギシと軋んだ音を立てていた。 前項 表紙 次項
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自己紹介 構成員が1人しかいないのにもかかわらず、勝手に司令長官を名乗っています(笑 所有艦艇リスト 合計33隻、WoTみたいに増えていくのだろうか・・・(笑 (日):日本 計12隻 (米):アメリカ 計14隻 (ソ):ソ連 計4隻 (英):イギリス 計1隻 (独):ドイツ 計2隻 Tier 空母(1隻) 戦艦(8隻) 巡洋艦(15隻) 駆逐艦(9隻) 国別数量 日本:0隻アメリカ:1隻ソ連:- -イギリス:- -ドイツ:- - 日本:3隻アメリカ:3隻ソ連:- -イギリス:1隻ドイツ:1隻 日本:6隻アメリカ:5隻ソ連:3隻イギリス:- -ドイツ:1隻 日本:3隻アメリカ:5隻ソ連:1隻イギリス:- -ドイツ:- - 1 Hashidate (日) Erie (米)Orlan(ソ) Hermelin (独) 2 Mikasa (日) Chikuma (日) Chester (米) Umikaze (日) Sampson (米) 3 Kawachi (日) SouthCarolina (米) Tenryu (日) St.Louis (米) Aurora (ソ) Wakatake (日) Wickes (米) 4 Ishizuchi (日) Arkansas (米) Kuma(日) Yubari (日)Phoenix(米) Isokaze(日) Clemson (米) 5 Bogue(米) Murmansk (ソ) Nicholas(米) Gremyashchy (ソ) 6 NewMexico(米) Warspite (英) 7 Atlanta (米) Sims (米) 8 Tirpitz (独) Atago (日) 9 10 黒字はkira_558がメインで使う艦です。 青字 は教習艦です。マップ検証・艦長養成用です。 緑字 は予備艦です。kira_558の気が向いた時に登場します。 オレンジ色の字 の艦は、動かす時にどこからか適当に艦長を連れてくるプレミアム艦・課金艦です。 太字は最終段階まで開発が完了した艦、または当初より開発不要な艦です。
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トップページ イベント攻略 [部分編集] 報酬 勝利回数 1 Hard ★5 R・カールス VeryHard ★6 R・カールス Extreme ★7 R・カールス [部分編集] Hardの編成 敵戦力:26600 陣形:梯形陣 重油消費:30 時間・天候:昼・晴 敵構成 : 戦艦、戦艦、軽巡、軽巡、駆逐、駆逐 敵旗艦技 : 艦隊戦の達人4(火力 +10%) 敵戦艦戦技 : 艦隊の防壁、不沈の黒城、金剛不動の構え、ブリティッシュアーマー 技能 : 敵軽巡戦技 : 鉄鳥刈る爪、身封じの雷幕、制裁の足枷、天羽々矢、艦隊のワルツ、駆巡りし稲妻 技能 : 敵駆逐戦技 : 無終の反旗 x2、、 技能 : 未分類技能 : 雷撃上昇5、対潜上昇5、戦技発動上昇5 VeryHardの編成 敵戦力:88664 陣形:梯形陣 重油消費:30 時間・天候::昼・晴 敵構成 : 戦艦、戦艦、軽巡、軽巡、駆逐、駆逐 敵旗艦技 : 艦隊戦の達人4(火力 +10%) 敵戦艦戦技 : 艦隊の防壁、不沈の黒城、金剛不動の構え、ブリティッシュアーマー、超究大和砲 技能 : 敵軽巡戦技 : 鉄鳥刈る爪、身封じの雷幕、制裁の足枷、天羽々矢、艦隊のワルツ、駆巡りし稲妻 技能 : 敵駆逐戦技 : 無終の反旗 x2、、 技能 : 未分類技能 : 火力上昇5、雷撃上昇5、対潜上昇5、戦技発動上昇5 Extremeの編成 敵戦力:126669 陣形:梯形陣 重油消費:30 時間・天候:昼・晴 敵構成 : 戦艦、戦艦、軽巡、軽巡、駆逐、駆逐 敵旗艦技 : 艦隊戦の達人4(火力 +10%) 敵戦艦戦技 : 艦隊の防壁、不沈の黒城、金剛不動の構え、ブリティッシュアーマー、超究大和砲、リヴァイヴ・エタニティ 技能 : 敵軽巡戦技 : 鉄鳥刈る爪、身封じの雷幕、制裁の足枷、天羽々矢、艦隊のワルツ、駆巡りし稲妻、閃雷の迎撃 x2 技能 : 敵駆逐戦技 : 無終の反旗 x2、呼応する覇気、雷滅の制射、黒嵐の追雷 技能 : 未分類技能 : 火力上昇5、雷撃上昇5、対潜上昇5、戦技発動上昇5 ↓コメント等 名前 閲覧数 今日: - 昨日: - 合計: -
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「我らが刃よクルーグを思い出せ!七柱の真鍮神が我らと共に在らんことを!」 "Today our blades remember Kroog! May the seven brass gods be with us!" 兄弟戦争 【M TG Wiki】 名前
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第十三幕 奇襲 飛鳥島 第二十五特別防御区画 要塞司令官執務室 「そうか……予定通り勝ったか」 ギシリ、と自分の体重を預けている椅子が軋みを上げる。 机を挟んで目の前にいる榊原が手に持った書類を眺めながら続けた。 「はい、それも完全なる圧勝の模様です。作戦は順調に次の段階へと移行されました」 九条は満足そうに頷く。だが、決してその顔は晴れやかなものではなかった。ギラギラとした目と不気味に歪んだ唇が目立つ、酷く恐ろしい顔をしていたのだ。 普通はその表情から来る恐怖と見えないプレッシャーのようなもののせいで後退りくらいしそうなものだが、榊原は特に気にする事無く平然としたままでその場に佇んでいた。 「流石は紫芝、という事なのかな」 「彼は多少人格に問題はありますが許容範囲です。能力的には優秀な部類に入ります」 九条の単なる呟きとも取れる問いに榊原は淡々と答える。 全くの無表情のままで言うその姿は冷たい機械を連想させる。 「途中で暴走したようだがな。危うく『材料』の確保に失敗するところだったのは手痛いところだ」 「結果的に確保に成功したのですからそれは置いておきましょう。それにしてもよく『材料』の確保なんてものを認めたものですね。元帥閣下はもっと御優しい方だと個人的に思っていたのですが」 「優しいとも。あくまで身内に限るがね。詰まる所、『材料』の確保は私の部下たちを守るために必要な措置で、それ故に認めるのも当然、という事だ」 理解したかね? と、九条は言葉を続けた。ようするに自分たちの生存を最優先し、そのために必要ならば手段は選ばないと言っているのだ。 九条のこの発言にも榊原は動じるどころか、むしろ肯定的な考えだった。人道としてはどうだか知らないが、現実的に考えてその必要性を認めているのだ。 「まぁ、それは置いておくとして……我々もそろそろ行かねばなるまいな」 「はっ、準備の方は既に整っております」 九条は無言で頷き、机の引出しから拳銃と弾倉を取り出して自分の懐に仕舞い込むとスッと椅子から立ち上がる。 カツカツと執務室のクローゼットまで歩いて慣れた手つきで開くと、そこからハンガーに掛かっている服とズボンを取り出す。軍服の正装だ。 白を基調としたカラーリングで清潔感を与えてくれる。一見すると豪華で華やかな正装だがデザイン自体には何処と無く古さを感じさせる。しかし、古き良き伝統を思わせる良い意味での古さだ。 九条は無言でその正装に着替え、クローゼットの扉に付いている鏡を見ながら服装を正した。 そして、自分特有の元帥杖もクローゼットの中から出して片手に持つと榊原の方をクルリと振り向いて言った。 「さあ、榊原。ここからが正念場だ。民衆の心を私のものにするぞ」 ザーブゼネ王国 王都セルビオール 「むふぅ……そろそろ余の忠実なる臣下が叛徒どもを蹴散らした頃か?」 玉座に座ったままだというのに多少息が荒い。自分の肉が肺を圧迫しているのだろう。 でっぷりと太った身体を窮屈そうに動かしながら国王は近くの臣の一人に言った。 「ははっ、直に王都にも吉報がもたらされるかと」 「うむうむ、それは楽しみよなぁ」 国王は自分の膝の上においた入れ物から果実を取り出してはムシャムシャと食べていた。 食べ終わった果実は用済みと言わんばかりに床に次々と捨てていく。 あらかた食べ終わり一息つこうとしたところで誰かが血相を変えて慌しく広間に駆け込んできた。 「も、ももも、申し上げますッ! み、民衆の反乱軍が王都の目と鼻の先に……ッ!!」 「な、なんだとぉッ!!?」 いきなりの事に広間に待機していた臣下たちがワタワタと慌てふためく。 その様は鎮圧に向かわせた軍勢が右往左往したものと同じような光景であった。 「み、味方の軍勢と見間違えたのではないのかッ?!」 「いや、それは無かろう! 国内にいるのは今回叛徒ども鎮圧に向かわせた軍勢だけだ!」 「で、では、本当に民衆の反乱軍だというのか? そうなると我らが向かわせた軍勢はどうなったのだ?!」 ざわめきが大きくなるばかりで静まる気配を見せなくなった。 それを非常に不快と思ったのか、玉座に座った国王はその肉の塊である身体の底から大声で叫んだ。 「静まれィッ!! 高貴なるものである我らがそのような些細な事で動揺してどうするかァッ?!!」 この大声に一気にざわめきが消える。あまりの声の大きさに驚いて思わず会話をするのをやめてしまったのだ。 国王唯一の長所とも言えるかもしれない。 「しかしながら、事は些細という話で済まされるものではありませぬ……」 「些細だッ!! 如何に反乱軍が来ようとも無力な民衆に過ぎぬ!! 我ら貴族には魔法という下賎なものどもに天罰を与える裁きの力があるではないか!!」 怒涛の勢いで叫ぶ国王。その国王の言い分に周りのものも段々そうかもしれないと自信が沸いて来る。 そうだ、我々は貴族なのだ。たとえ圧倒的多数の民衆と戦う事になっても碌に戦った事など無い奴らなど簡単に捻じ伏せられるのではないか。 そもそも国王陛下の言うように我々には魔法がある。この力を見せ付ければすぐに瓦解するだろう事は疑いない。 この時点でも彼らは自分達の戦っている相手に対して圧倒的に優位に立っているものと信じていた。 相手が恐るべき軍事力を有した巨人であるとは想像する事すらできなかったのだ。 そして、その巨人の力をすぐに己の身をもって思い知る事になる。 「さあ! 我ら貴族の力を思う存分見せて――……ん? なんだこの音は?」 何処からともなく聞きなれない音がしてきた。虫の羽音に近いが、それにしては大きすぎる。 どうにも音源は外のようだった。それに気付いた者たちが窓に駆け寄ってキョロキョロと外を見回すと――声を失った。 空中に見た事の無い『何か』が飛んでいて、それがゆっくりと城の中庭に幾つも降りてきているのだ。 そして、その『何か』から漆黒の鎧を纏った人らしき者たちが続々と現れた。 誰もが唖然としたままの状態で何の行動も起こさずに彼らを眺めていた。だが、しばらくしてその中の一人がハッとした様子で慌てて叫ぶ。 「え、衛兵ッ! 王城に不届きものが進入しているぞォッ!」 この叫びに唖然としていたものの大半が正気を取り戻す。 だが、彼らの破滅が止まる事は決してなかった。 「よし。我が隊は予定通り城内に突入。抵抗するものは容赦なく殺せ。但し、女子供、老人は出来得る限り無傷で無力化せよ」 「我々はこの庭の安全確保にあたる。引き続き行われる部隊の降下を助けるのだ。敵が近づいてきたら血祭りに上げろ。だが、女子供の殺傷は禁止する。行動を束縛するに留めよ」 「我々も他の隊に追随して城内に突入を開始する。反撃させる暇を与えずに殺し尽くせ。しかし、分かっていると思うが女子供に手荒な真似をすることは断じて許さん。絶対に無傷で捕らえよ」 『ヘリ』から降り立ったところでそれぞれの部隊の隊長が機敏に動きながら命じる。 いずれも女子供などの弱者に対しては傷つける事無く捕虜の扱いにするつもりだ。 基本的に飛鳥島の軍隊は戦争狂いではあるのだが、妙なところで騎士道や武士道精神が出てくる。 これは当時、占領地の統治における問題を解決するために軍隊で叩き込まれたせいだ。 占領地の統治において最も大切なのはその占領地の民意を得る事。千年以上の昔からそれは変わらない。 兵士の一人一人が聖人の如く振舞う事ができれば、自然と民意を掌中に収める事ができる、そのような考えの下で騎士道と武士道を『利用』した。 元々、騎士道や武士道というものは男子には好まれる傾向にある。それ故に叩き込むのも比較的労力を必要としなかった。 この事から飛鳥島にいる人間は戦争狂にして弱者に対して紳士的行動をとるジェントルマンでもある。 正直かなりの矛盾を含んでいるようだが、人間とは元から矛盾だらけの生命体。極めて『些細』な事だ。 「おい! 貴様ら一体何者――!!」 「撃て」 やってきた衛兵がたったの一言で集中攻撃を喰らう。発砲音と共に身体を銃弾が噛み千切り、血と肉片を飛び散らせる。 城内から続々とやって来ていた衛兵たちは、撃たれた彼の末路を見てポカンと魂が抜けたように動かなくなる。どうにも実戦慣れしてないようだった。 そして、その隙を逃すほどこちらは馬鹿ではない。 慈悲も情けも一片たりとて持ち込まずに撃って撃って撃ちまくる。何が起こったかさえ認識できずに死んでいく衛兵たち。弾け飛ぶ指、吹き出す血、剥き出しになる骨、飛び出る内臓…… 瞬く間に地面に血の池が広がり、屍が散乱する。鼻につく異臭が吐き気を誘う。だが、彼らは装甲強化服のNBC防護機能により、その異臭を全く気にする事無く屍を踏み越えて先へ進んだ。 中庭から城内に警戒を怠らずに進入していく。長い廊下に施された豪華な内装に部隊の多くが一瞬感嘆の声を出すが、すぐに気を引き締める。 ここは敵地、それも本拠地なのだ。他事に気を取られていては足元をすくわれる危険性がある。今は任務に集中する事が一番大事だ。 しかし、城の見取り図の入手ができなかったため、かなり迷ってしまう。相互にデータを送り、マッピングするが結構な時間が掛かりそうだった。 この王都セルビオールは厄介極まる大きさをしている。現在攻略中であるこの白亜の王城もまた極めて大きい。 王都の大きさを上空から偵察機で計測した大体の値は、東西に四千五百メートル、南北に五千二百メートル、周囲に約二十キロメートル、そして面積がおよそ二十三平方キロメートル。 例として比較対象に東京ドームを出して考えるとその巨大さがよく分かる。東京ドームを百個集めて四捨五入しても五平方キロメートルの大きさ、その数倍の面積をこの王都は持っている事になるのだ。尤も、この値は外に広く出た堀を含めた数値であるため、それを考えると制圧する王城への労力は許容範囲ではある。 しかし、それでも広いものは広かった。後から後から随時部隊がヘリによって送られてくるが、まだまだ制圧するのに人員が足りそうになかった。 「敵襲ッ! 敵襲ッ!」 「王城に敵が侵入したぞ!!」 「武器を持って、中庭の方に向かえ!」 所々で大声が廊下に響いて聞こえてくる。我々に対する迎撃を呼び掛けているようだ。 ――それが間違いだという事を教育してやろう。 声のする方に忍び足で向かう。自分達の目元にある多機能ゴーグルを操作して『熱感知モード』に切り替える。 視界が、世界が一気に変わる。周りのもの全てがそれぞれの熱量によって色付けされる。これを使った最初の頃は驚いたものだが慣れれば別にどうという事は無い。むしろ、壁の向こう側まで見えるようになるのだからこれほど便利なものは無い。 廊下のT字路に差し掛かったところで左の方の角から何人かがやって来るのがよく見える。味方であれば、特殊な信号を出して区別をつけるため、信号を出していないこれは明らかに敵だ。 その場で待機して相手が角から出てくるのを待つ。 一歩、二歩、三歩…… 着実に進んでくる。警戒しているのか少々ゆっくりとしている。 だが、どう足掻こうともその一歩一歩は自ら地獄へ逝こうとするものだ。 だって、ほら、ようやく角から出てきた彼らに我々は銃弾の雨を浴びせているのだから。 頬の肉が抉れて歯が剥き出しになる、額を撃たれて脳漿をぶちまける、足から神経そのものが見えるようになる、胸の胸骨を砕かれながら抉り込むように貫かれる…… 簡単だった。とても簡単だった。人の命を奪う事になんと労力のいらない事か。 正直言って手応えが無い相手は『つまらない』。もっと我々を楽しませて欲しい、もっと我々を興奮させて欲しい、もっと我々を『笑顔』にさせて欲しい、もっと、もっと――…… 次なる敵を求めて、湧き出す欲望に従って、血に酷く酔って――我々は屍を踏み砕いて前進する。 前項 表紙 次項
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産経新聞社の記事へ飛ぶ (魚拓1/2)(魚拓2/2) 2010.5.19 21 13 宮崎県で口蹄(こうてい)疫が拡大している問題で、殺処分作業が滞っている。19日午前までで殺処分対象の牛や豚など計約11万8千頭のうち作業が終了したのは約半分の6万5千頭。政府の対策の実施で新たに20万頭以上の殺処分も始まる。人手も足りず、自衛隊などの応援部隊を総合的に動かす“司令塔”が不足していたことも事態の悪化に拍車をかけたようだ。 ■埋める場所足りず 「現場では感染の疑いがある家畜も飼育しながら殺処分を待っている。特に豚は非常に大量のウイルスを出す。現状が続けば感染を食い止めるどころか、小動物などの媒介で感染が拡大するだろう」 宮崎大農学部の後藤義孝教授(家畜微生物学)は、殺処分の停滞による蔓延(まんえん)の危険を指摘する。 家畜伝染病予防法で、口蹄疫の感染が確認された家畜や疑いのある家畜は殺して焼却するか土中に埋める「殺処分」が義務付けられている。今回は獣医が薬殺し、消毒された土中に埋却している。 宮崎県の対策本部によると、埋却地は発生農場の敷地内か農場が隣接地を購入するなど、処分対象を移動させない場所が基本。だが、放牧地を持たず畜舎だけで飼育している農家も多く、場所探しは難航している。発生が集中する同県川南町では浅い地盤に地下水があり、決まった場所も試掘段階で水が出て、断念したケースもあるという。 ■人手が足りず また、作業を進める獣医や家畜の扱いに慣れた人材が不足している。県は「作業に加わると感染拡大を防ぐため1週間程度家畜と離れる必要がある。本業が滞るためお願いもしにくい」と事情を明かす。 農林水産省は19日までに、延べ約1900人の獣医を派遣。しかし手が回らず、感染疑いが判明したのに、獣医や埋却作業の人員の順番待ちをしながら、そのまま家畜を育てている農家もあるのが現状だ。 埋却や運搬などのために派遣されている陸上自衛隊。赤松広隆農水相は18日の閣議後会見で、「自衛隊が行っても『今日は埋却はない』と帰されたときもあった。あるときは『あれもやれ、これもやれ』といわれている」と明かした。 自衛隊がスムーズに動かないのは、殺処分が薬殺と運搬、埋却などの手順をほぼ同時進行で行わなければならない上、進行を管理する“司令塔”が不足していたことによる。 宮崎県によると、現場責任者として、家畜に詳しい県の専門職員をそれぞれの現場に派遣しているが、その数は約30人しかいない。 県外からの応援も得たが、派遣が短期間だったため「責任者の仕事を教えてもすぐ帰ってしまい、かえって足手まといだった。責任者により作業が滞ったり一気に進んだりする」と明かす。 現在は、応援の派遣期間を延長し、専門職員が早朝から夜中までフル回転しながら、責任者として育成しているという。 5月 自衛隊活動 被害状況 防疫関係
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第二十六幕 帝國の国力の一端 インビンシブル大帝國は急いでいた。 南方制圧作戦により、ベルンネスト王国、ライオネス王国、ストゥーバン王国を始めとした南方一○ヶ国から手に入れた広大な大地を有効に活用するために一刻も早い開発を行わねばならないからだ。 短期的であったが、今回の派手な戦いのおかげでレイジェンス大陸に存在する国々の目がこちらに向いた。 この大陸の国家は何処も封建国家のくせにかなりの軍事力を有している。 この大陸の文明はどう見ても中世レベル。自分達の世界の欧州における中世であるのならば、一○万という数で最大規模の戦力である。 しかし、この異世界のレイジェンス大陸ではそれを容易に超える。 真っ先に滅ぼしたザーブゼネ王国が良い例だ。何せ単独で一○○万を超える兵力を有していたからだ。 これを実現できた理由は人口、すなわちマンパワー以外の何物でもない。どうにもこのレイジェンス大陸はやたらと人口が多いらしい。故に他国も侮れない戦力を有していると考えるのが普通である。 ともあれ、その一○○万を超える兵力を有していたザーブゼネ王国を滅ぼしてできたインビンシブル大帝國はそれを更に上回る。 新しい技術の大量投入、各種国立学校の創設、国内インフラの大整備etcetc…… レイジェンス大陸には無い、様々な新しい風を吹かせる事によって、現段階でも並々ならぬ国力を誇っている。 そして、それは様々な意味で力を見せ始める。 帝國暦二一年一○月二九日 インビンシブル大帝國 南部国境地域 第三○五国境防衛基地 「オーライ! オーライ!」 「第二○四建設班は第一二九建設班のところに向かってくれ!」 「建設資材は第七倉庫に輸送! 急げ急げ!」 幾つもの土木作業用の機械、ブルドーザを始めとしてダンプトラックやショベルカーが荒れた大地を駆け回る。 それらは強固な防衛拠点を構築するために忙しなく動いている。 既に複数のトーチカと機銃陣地、セメントで固められた塹壕と鉄条網がそこかしこに見受けられた。しかし、それらよりも遥かに目立つものが幾つもここには存在していた。 その名は、四○cm重榴弾砲。 射程二七km、砲弾重量一t、全備重量三二○tの化け物大砲である。 この砲は国境を越えようとする敵に対し、容赦の無い一撃を加える事だろう。 他にも半分近く小さくなったが、威力は十分の二八cm重榴弾砲が備え付けられている。 四○cm重榴弾砲より小さい分、安価なので多めに配備されている。四○cm重榴弾砲も二八cm重榴弾砲も勿論固定式のものである。 あとは一五五mm榴弾砲と一○五mm榴弾砲、七六.二mm榴弾砲と四○mm四連装対空機関砲が配備中で、これらは固定式ではなく牽引式となっている。 そんな現場で作業員である工兵が慌しく作業を進めていると、そこへ一台の黒塗りの車がやってくる。その車の周りを囲むようにして機関銃が備え付けられたオフロード仕様の二輪車や装甲車が護衛についていた。 バタン、と黒塗りの車の助手席のドアが開くと、そこから軍服姿の一人の男が現れて、すぐさま後部のドアを開ける。 すると、威風堂々とした将軍と言われるに相応しい風格の男が現れた。 その男の名前はヴェルグ=ケラーネ。南方制圧の戦いに参加した陸軍の少将だった――尤も、今は昇進して中将だが。 ケラーネは車から降り立つとすぐさま辺りを見回して呟く。 「ふむ……作業は順調のようだな」 首を何度か縦に振り、満足そうな表情を見せる。 今回は前線視察を目的としてケラーネはこの場にいた。 インビンシブル大帝國は南方制圧の終了の後、国内開発に力を入れつつ、西部と南部の国境地域に強固な防衛拠点を築いていた。 このような拠点を二○km事に一つ一つ作ることによって、防御線の穴を埋めているのだ。建設用の重機の力で工期も大幅に縮められている。 まさしくインビンシブル大帝國の充実した国力を感じさせる光景だった。 そんな光景を見ながら、スタスタとケラーネは歩き始め、それに付き従って何人もの人間が付いて行く。 車に同乗していた副官や護衛の面々だ。 「これならば、たとえ敵の大規模な侵攻にあっても完膚なきまでに撃退できるだろうな」 「はい、間違いなく文字通りの意味で粉砕できるでしょう」 確かにな、と副官の言葉に心の中で同意する。 配備されている榴弾砲の中で最も小さい七六.二mm榴弾砲や対空機関砲としてより歩兵に対する弾幕射撃に使われるだろうと考えられている四○mm四連装対空機関砲でも十分に人を木っ端微塵に出来るのだ。 四○cm、二八cm重榴弾砲を喰らえばどうなるかは想像に難くない。 「後方の飛行場の整備も順調、航空機の生産も軌道に乗り始めた。言う事は無いな」 ケラーネは夢想する。空を埋め尽くす航空機の群れが敵に猛禽の如く襲い掛かるその姿を。 帝國は三ヶ月前から航空機の本格的な量産に乗り出していた。戦闘機はその必要性の低さから生産を少々抑え、逆に爆撃機、攻撃機の類はドンドン作られている。 ただ、そうは言ってもまだそれほどの数を生産できるわけではなく、帝國空軍は全部で六○○機程度の航空機しか所有していないし、今の所は月に三○○機ほどしか生産できない。 但し、毎月の航空機生産量は急速に増加していく見込みであり、半年もすればその数は最低でも現段階の六倍に達する予定である。 「閣下、そろそろここの皆様に挨拶を……」 副官の言葉で、ケラーネは航空機攻撃の夢想をやめ、ここの基地司令部へと足を進める。 スケジュールも押している事であるし、多少急いだ方がいいな。 この視察が終わっても自分にはしばらく休みは無く、背後に多くの軍務が控えているのだ。 ここが正念場だな、とケラーネは人知れず思い、自然と足に力を込めて一歩、また一歩と力強く歩いていった。 インビンシブル大帝國 帝都ノーブルラント デオスグランテ城 皇帝執務室 「時間がいる。あと一年は確実にいる」 九条は自分の執務室の窓の近くに立っており、その外に顔を向けて言った。 視線の先には自分たちが作り上げた自慢の都があった。 帝都ノーブルラントにはレイジェンス大陸の文明レベルを遥かに超えた鉄の巨塔が立ち並び、人の往来が盛んで、物や活気に満ちていた。 舗装された道路を電気自動車や路面電車が走っていく。一から設計していった都であるため、道路の幅や建物同士の間隔も広く取られ、狭苦しい印象を受けない。 治安維持活動のための帝國警察機構も巡回に多くの人員を割き、また工場や学校にも多大な人員を派遣し、帝國の秩序を守っている。 九条は窓から身体を離し、いつもの自分の席に着く。 いつも通りデスクを挟んだ向こう側には榊原が佇んでいた。 「では、兎にも角にも時間を稼ぎます。しかし……他国が侵攻してくる気配は今はまだ薄く、おそらく外交使節を派遣してくることになるでしょう」 九条の言葉を聞いていた榊原はそう答える。 「ほぅ? 貴様の自慢の情報網で掴んだか?」 「はい。諜報員の数はまだまだ少ないですが、それなりにできるものを派遣しておりますので――それより流石に我々が雌伏の時を過ごしていた二○年の間、戦国時代を生き抜いてきた国家だけあって油断ならない相手です。もう我々の周囲には大国と言える国しか残ってはいませんから、あちらの出方も随分慎重です」 お気をつけください、と榊原はそう付け加えた。 確かに注意が必要だ。特に南部国境を接している『あの国』には。 インビンシブル大帝國がその勢力を拡大した結果、三つの国と国境を接するようになった。 西に二ヶ国、南に一ヶ国だが、正直西の国は今までの相手より手強いだろうが現段階でも勝てない相手ではない故、問題ではない。 南の国こそがインビンシブル大帝國にとって最も厄介と考えられている国なのだ。 その国の名前は『ダルフォード大帝国』、このレイジェンス大陸最大勢力の一つであり、大デルフリード帝国の元宰相にして、レイジェンス大陸を戦乱の渦に巻き込んだ張本人ガルフ=ヴァン=ダルフォードが作り上げた大国である。 大陸一と言われる精強な魔法軍団を有し、ダルフォード自身もトップクラスの能力を持つ。更に権謀術数を巡らす事を得意とする謀略家でもあり、その手腕は油断できない。 今までの相手とは違いどう考えても一筋縄ではいきそうにない。兎に角、ここはじっと一年時間を稼ぎ、国内を整備し、更なる軍事力を手に入れる事こそが肝要だろう。 「それと陛下。我が国の造船所、及び海軍工廠で各艦艇の建造が始まり、ようやくまともな海軍の建設に入りました」 「そうか……だが、今からでは主力艦を建造してもダルフォードとぶつかる時に間に合うか微妙だな」 「補助艦艇だけでも十分でしょう。この大陸で普及している船はどれも木造で小さいですし……我々の世界でも大型ガレオン船などは五○m程の大きさしかありませんから駆逐艦でも十分に対抗できます」 「ふむ……まぁ、船上から攻撃魔法を撃ちまくるのが彼らの海上での戦闘方法だが、いかんせん射程が短いからな。射程距離外からの一方的なアウトレンジ攻撃が駆逐艦でもできる以上問題はないか」 大雑把に言うならば、魔法とは使い手の持つ魔力を消費する事によって現実には不可能な手法や結果を実現してしまう力である。 具体的には手から炎を出したり、氷の矢を放ったりするというもので、このような主に攻撃に使われるもの以外にも様々な用途がある幅の広い技術だ。 ただ、魔法というものは使い手の技量や魔力によって大きく差が出る。 魔法の効果・威力の強さ、持続する長さ、相手に飛ばす場合の速度、そして射程距離。大体、これらの面で差が出る。 ザーブゼネ王国から国王を無傷で引き渡して寝返った『ウグルムイ=ノグルノイ』――旧名である『パウルス=ルヌ=ボルフィード』という名前だと、大陸で五指に入る魔力を持っている貴族と有名なので、民衆にバレると大変な事になるとして名を変えた――の場合、出会った当時から更に老いたとはいえ、T-34/76の装甲をぶち抜くだけの威力を持った魔法を連発できるという無茶な技量と魔力を持っている。尤も、装甲をぶち抜ける距離は一○○m程度が限界で、それ以上はどうしても装甲を突破する事は出来なかった。 ちなみに今現在の彼はインビンシブル大帝國において魔法省長官という要職についている――但し、実権は殆ど無いが。 ともあれ、彼のおかげでインビンシブル大帝國の魔法に関する技術を手に入れる事ができたのは間違いない。『帝國中央魔法学校』というのも開校できたし、今となっては毎年そこそこの数の卒業生を出している――すなわち、魔法使いを。 それにこの大陸の貴族で、彼は珍しく民衆を第一と考える人間であり、民衆が健やかに暮らしていけるのであるのならば何も言うことは無いし、何もいらないと常日頃から語っている。 貴族に対する虐殺も因果応報と悟ったように認めているところがあり、女子供だけは助命しているのでそれなりに感謝もしているようである。 ちなみに九条を始めとした飛鳥島の面々も魔法を学んでいる最中だったりする。 尤も、中々時間が取れないため、まだ全然使えない状況なのだが。 ふと、壁に立て掛けてある時計を見れば少々時間が押していた。 「――さて、そろそろ政務に戻るべきか。榊原も自分の執務室に戻るといい」 「あぁ、もうこんな時間でしたか、いい加減に戻らないと拙いですね――それでは陛下も政務に励んでください。では」 自分の腕時計を見て、そんな事を言いながら慌てて退出する。 帝國宰相という地位にある榊原の多忙振りは圧巻であるためしょうがないと言えるが。正直、鬼人化の処置を身体に施さなかったら過労死は確実だった事だろう。 そんな事を思いながら、手元のコンソールを叩いて政務を開始する。最近は紙媒体と電子媒体の複合利用で政務を執っている。 さて、とっとと終わらせるか。そう思って顔を引き締めると、九条はモニターに目をやり、政務に集中していった。 ――その日も彼らに労働基準法は適用されなかった。 前項 表紙 次項
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第二幕 氷室 「……なんだと?」 『ですから、我々は異世界に飛ばされてしまったと言ってるんです。いやー、科学者として、このような体験をするとは非常に幸運で貴重ですよ』 暢気な口調で言う氷室に呆れ果ててしまい、何も言えなくなる。 こいつは性格がかなり破綻しているが、嘘を言うような男ではない。 信じたくは無いが、今聞かされた現実離れしたことは真実だろう。 (だが……) となると事態は確実に深刻なはず。なのに、何故ここまで楽天的でいられるのか不思議でならない。 いや、待て。こいつは、殆どただ知識欲の赴くままに生きているだけだ。今回のことも興味深い出来事が起こったために、その事への探究心で頭が一杯なのだ。 故に暗くなったり、悲観的になるような暇など皆無なのだ。そうに決まっている。 『で、閣下はどうするんです? こっちは適当にもう動いちゃいましたけど?』 それを聞いて、眉間に一気に皺が寄る。 命令もなしに勝手な行動を取るとは明らかな独断専行。 普通であるなら、完璧なまでに処罰の対象となる。 「貴様という奴は……もういい。それで、一体なにをした?」 『いえ、ただ偵察機を何機かお借りしただけですよ。周辺調査のためにね。それで非常に面白いことがありましてね』 氷室は、ウキウキしながら言う。そして、またカタカタとコンソールを叩いている音が受話器ごしに聞こえてきた。 しばらくすると、こちらのモニターに何かの画像が幾つか送られてきた。どうも航空写真をコンピュータに取り込んだものの様だ。 そこには、他愛の無い森林地帯や海岸等が写っていた。 「これは?」 『陸地ですよ、見れば分かるでしょ?』 陸地。そう言われて、何が面白いのかと少々疑問だったが、すぐに気付く。 「まさか……人でも見つけたのか?」 陸があれば、そこに住むものがいる。何らかの動物や鳥などはもちろん、人間だって住んでいる。 氷室が非常に面白いなどと口にするのであれば、前者の二つは省かれる。ここまで奴が浮かれるには若干役不足だからだ。 よって、後者の人間かと考え付き、氷室に問う。 『ピンポーン、大正解。結構、勘が良いんだね』 案の定、当たりだ。 人間が住んでいたぐらいで何を大げさな、と思うかもしれないが、実のところそれはとてもありえないことだ。 そもそも確率論的に考えれば、人間というものは存在そのものが奇跡みたいなものなのだから。 『フフフ、南西の方角に百キロ程行ったところに陸地を偶然にも発見し、さらに、奥へ行くとそれなりの大きさの集落を見つけましてね。それを現在観察中です。どうです? ビックリしたでしょう?』 「ああ、正直言って驚いた」 元々、氷室は生物学、生命工学、心理学の専門家だ。今でこそ機械系の、平たく言うなら兵器の研究も行っているが、生命への関心、興味は尽きていない。 ただ、恐ろしいことに兵器の研究においても、かなりの実績を残している。本当の天才と言えよう。 『素直な感想有難うございます。ああ、それと超高空から観察してますから、相手に気付かれる心配はありませんよ』 まるで父親に初めて遊園地に連れて行ってもらったように楽しげに浮かれて言う氷室。 その様子に子供っぽさを感じて、九条はなんとなく微笑する。 「それで、何か分かったことはあるのか」 『んー、まだ観察し始めたばかりですからねぇ。それに陸地と集落を見つけてからは派手にやって相手に気づかれると色々と拙いことになりかねませんから一機だけしか偵察機は使用してませんし。少なくとも、あと一時間は待ってもらえませんか?』 その言葉に少々、残念な気分になる。自分も結構好奇心を刺激されていたのだ。 まぁ、仕方ない事だと思うし、奴の言うことが真実ならば、とりあえず時間には余裕があるのだ。別段急ぐわけでもなし、慎重になっても損はあるまい。 「構わんよ。待つのには慣れている」 『そう、ならいいけど。ところで、閣下は、これからどうするつもり?』 「さてな。何をやればいいのか正直言って分からんよ」 『お先真っ暗な事言わないでよ。ところで、地上の配置してある部隊とそっち、連絡取れてないでしょ?』 「そうだが……」 何故知っているのか甚だ疑問であったが、後に続いた言葉に呆れかえる。 『ゴメン。回線こっちがパクッてた』 「……この大馬鹿者が」 頭痛がする。なんだって、こう変なところでマヌケなのだ。 というよりオペレーターは何故気づかなかったのか……それだけ手口が巧妙ということなのだろうか? 頭を両手で抱えて蹲る。 ――そういえば、馬鹿と天才はなんとやらという言葉があったな。 『えー、だって偵察機飛ばす時に必要だったんだもん。それでちょっと返すのを忘れてただけなんだから、そんなに怒んなくてもいいじゃない』 「いいから黙れ。頭痛が酷くなる……」 兎も角、何か行動を起こさなければ。そう思うが、具体的に何をするべきか考え付かない。 しばらく自分の世界に沈み込み、頭の中を整理する。 『……閣下? 大丈夫?』 考え込んでいたために無言の状態であった九条を何かあったかと氷室が怪訝に思い声をかける。 「よし。氷室、まず何をするか決めたぞ」 『へ?』 氷室は、いきなりのことに間抜けな声を出す。しかし、それも一瞬のことで、すぐにどんな事をするつもりなのか、という好奇心が沸いた。 期待に胸を躍らせながら、九条の話の続きをじっと聞く。 「将官以上のもの全てに対し、緊急招集をかけ、対策会議を開く。それで今後の行動を決定する」 『……ふぅん。まぁ、妥当な判断だろうね』 「貴様は例外で出席してもらうがな。色々と説明してもらわねばいかんからだが……いいな?」 『はいはい、どうせ拒否なんて出来ませんし、好きにしてください』 面白味の全く無い至極普通の考えだと氷室は感じて、表面的には出さないが酷く落胆した。 今現在、何の束縛も受けていない状態ということを理解していないのだろうか? 守るべき国民も無く、従わなければならない政治家もおらず、敵となる米軍だっていない。 まさしく、好き勝手に自由に何でも出来る状態のはずなのだ。 そんな状況でその選択肢は無いんじゃないかと思うが、口には出さない。 最高司令官の決めたことに逆らう訳にもいくまい。 (まあいいよ。ネガティブになってもしょうがないしね。それなりに面白いものも見つけれた事だし、退屈じゃなきゃ言うことを聞くさ) 落胆したのを忘れようと開き直り、未来を楽観的に考え始める。 こういったある種の図太さが彼の美点であり、また難点であろう。 「ところで……今更かもしれんが、こんな馬鹿げた事態になった原因は一体なんだ?」 その質問が一番最初に出てくるものではないのか。 氷室はそう思いつつも、頭が整理されてない状態だったから仕方ないとも思ったが。 『本当に今更だねぇ。ま、残念ながら調査中としか答えられないんだよね~、これが』 「なに? 貴様は原因が分かっているから心配するなと……」 『あれは、そっちで起こった問題の原因のことだよ。本土と通信できないとかのさ』 何、言ってんの? という口調で話す氷室。 「そういう意味か。やはり日本語は理解するのが難しい」 『今に始まったことじゃないって。ま、鬱陶しいのは確かだね。言語による表現方法が多彩だけど』 「フン、解釈を違えて酷く落胆したことが何度もあったが今回もか。まぁいい。そろそろ切るぞ。会議の詳細は追って伝える」 『はいはい。了解しましたっと』 ガチャン 受話器を元の場所へ戻すと椅子にダラリと全体重を任せる。 ドッと疲れが一気にやってきたようだった。 「全てが水泡に帰したか……」 忌々しそうに呟く九条。 彼の頭の中では、飛鳥島にある艦船全てを使って『ダンケルクの奇跡』を再現しようとしていたのだ。 少数の人間がここに残って、敵を引き付け、その隙に多くの将兵を本土に帰還させる。 そして、自分はこの地で戦死することを覚悟していたのだ。 ――いや、覚悟ではなく、むしろそれが望み、願いだった。最早、自分には帰る場所などなく、欲望のままに欲しいと思うものもないのだから。 しかし、それがどうしたことか。異世界だの、なんだの……訳の分からない状況に巻き込まれたせいで、全てが台無しになってしまった。 こんな事態、悪夢以外の何物でもない。 夢なら覚めろ、今すぐに! 声を大にしてそう言いたい。 だが、夢や幻ではなく、これは紛れもない現実。吐き気のする下衆な現実なのだ。 直感的だが、もう二度と自分も自分の部下達も故郷の大地を踏むどころか、骨を埋めることも出来ないだろう。 「閣下、お話の方は終わったようですが……」 いつの間にか、榊原が隣に立ち、おずおずと聞いてくる。 「あぁ、終わったとも……私の生涯で、最も巨大な難題を抱え込まされてな」 「巨大な難題、ですか?」 「まぁ、そのうち分かる。それよりも榊原、全将官に通達『これより一時間後に緊急会議を開く、準備が出来次第、第四会議室に集合せよ』以上。……おっとそうだ、氷室の奴にも説明に来てもらわねばならんから、あいつにも言っておいてくれ」 「は、はぁ……? 了解いたしました」 いきなりの命令に戸惑いながらも従う。 榊原は、オペレーターの方に歩いていき、九条に言われた事を通達するよう指示を出していた。 「全く……今日は厄日だ」 九条がボソリと呟いたこの言葉は誰にも聞かれずに消え去った。 飛鳥島 地下兵器研究所 科学技術総監執務室 「あー、どうしよっかな~」 椅子に踏ん反り返りながら、氷室は考える。 先程、九条との会話が終了したことで、今現在特に急いでやることがなくなってしまっていた。 問題が生じた部署には、既に技術者を派遣したし、発見した集落への観察もしばらくは自分でやっていたが、途中で何か起こったら知らせるように言って部下に任せた。 要するに、暇なのだ。 そんな時、彼の執務室のドアからノックする音が聞こえてくる。 首を回して、ドアの方を向くと、ちょうど誰かが入ってくるところだった。 「失礼します、総監」 入ってきたのは、ひょろっとした頼りない体格の若い男だった。 白衣を着て、この場にいることから、彼も研究者の一人だと容易に予想できる。 そして、あくまで感覚的にだが、彼は極めて特徴的な目を持っていた。暗く、黒く、深い、そんな目を。 「どしたの大林君? また何かあった?」 大林と呼ばれた男は静かにそれに頷く。 「はい。『鬼三号計画』の『被検体番号147』に更なる強化処置を施した結果、精神的に極めて不安定になりました。そのため、かなり強引な洗脳処置を施したいと思っているのですが、その許可を頂きたく……」 「別にいいよ、気にせずにやっちゃって。それよりも強化自体には成功したの?」 椅子から立ち上がり、大林に背を向けながら聞いた。 「えぇ、そちらの方は問題なく成功しております」 「そうか、そうかそうかそうかそうか……」 ブツブツと同じことを壊れたラジオのように繰り返すとグルリと突然大林の方へ振り返る。 「うん、いいね。実にいい。素晴らしい。本当に素晴らしいよ」 哂っていた。笑うのではなく、哂っていた。 唇をグニャリと歪めて大層、楽しそうに、面白そうに、愉快そうに……彼は哂っていた。 一方、それを見ていた大林は無表情なのに何故か物凄く嬉しそうに見えた。 彼は子供の頃に両親に百点満点のテストを見せて、褒めてもらったような喜びを感じていた。 何故なら、彼にとって目の前にいる最も尊敬する人物の喜びこそが至福なのだから。 「さて、さてさて。それでは大林君、引き続き実験を続けるのだ。147号の強化が一応の成功を収めた事で、我々はより高みに行くことが出来るはずだからね」 「ハイ、もちろんです総監。しかし、147号で、これ以上の強化は不可能でしょう。他のものを使わせてもらいますがよろしいでしょうか?」 「全然全く構わないよ。好きにするといいさ。但し、成果は出し給えよ?」 「無論です。必ずや御期待に沿う結果を出して見せましょう」 大林の自信に満ち溢れた言葉に満足そうに頷く。 「じゃあ、早速頼むよ。それと妥協は許さないからね」 「ハッ! それでは失礼します」 そう言うと彼はそそくさと退出していった。まるで恋人を待たせているかのように急いで。 一方、執務室に残された氷室は再び自分の椅子に腰掛けて、踏ん反り返る。 しばらく、焦点が合っていない瞳で虚空を見つめると突然哂い出す。 「フフフ……いいぞ。このままなら、僕の願いは必ず叶う」 不気味に哂いながら呟く。 「死ぬのは嫌だからねぇ。こういう状況になったのも神様が僕に研究を続けろって言うことだよねぇ、ククク……」 一つの部屋で、狂人の野望が渦巻き始めた。 前項 表紙 次項
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第3話 自衛隊のバルカン展開を支援する六本木の作戦部は、おおよそ一般人が想像するようなものとは違った。映画館のように正面に大きなスクリーンがあり、大学の講義室のように階段状に配置された机に端末が置いてありオペレーター達がひっきりなしに連絡を取り合っているといったモダンなものとは皆無だった。 その部屋には北はハンガリー、東はブルガリア、西はスロベニア、南はアドリア海と今回戦場となったクロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア・モンテネグロとの国境地帯までが収まった20メートル四方の巨大なジオラマがあり、それを囲むように数台の端末が並べてあるというお粗末なものだった。 「現在、自衛隊バルカン分遣隊が展開しているのはおもに3箇所、主力部隊である第七師団等から編成されたトゥズラ連隊、もう1箇所は分遣隊司令部が置かれるザダルに第二師団と空挺本隊から編成されたザダル連隊、ザダル連隊から編成されサラエボに入ったサラエボ中隊です。 その他には国連平和安定化部隊の司令部が置かれるザグレブに調整役として連絡将校を出向させております」 コート姿の高根ニ尉がジオラマを跨ぐ様に架けられた四間接の梯子の上に立ち、レーザーポインターで示しながら説明した。 「現状での脅威は?」 下の上級幹部達の中から真っ先に声が上がった。皆、外嚢姿でポケットに手を入れて寒さに震えていた。 端末事態は数台しかなかったが、スーパーコンピューターを何台も置いているためクーラーがガンガン効いていた。 「セルビア解放軍の主力兵力は5個師団です。前線を北から説明しましょう。最も北部の戦場はクロアチアのドナウ川に沿って広がっていまが、セルビア解放軍はクロアチア侵攻はあまり熱心ではありません。ボスニアまずドリナ川沿いにボスニア兵はセルビア解放軍が睨み合っています。まだどちらとも有効な攻勢に出ておらず紙一重の膠着状態といっていいでしょう。そこから南へ下がったヴィシェグラードは制圧されましたが、サラエボの前に山があるため、そこから先へは進んでいません。南はドブロヴニクを制圧しスプリットを目指していますが、スプリットにはイギリス軍が強固な防衛ラインを敷いております」 「つまり、もっとも危険なのはトゥズラ連隊ということか。彼らはやってのけるか」 「第七師団は自衛隊最強の部隊です。後々増援部隊を送るとして、現戦力でトゥズラを防衛するのは可能と判断しました」 トゥズラ支援隊の長となった雷倉健陸将が手を叩いて、自分に注目を集めた。 「さて、諸君。法的規制が削除された今我々がしなければならないのは派遣隊への円滑な兵站業務と、言うまでもなくマスコミ対策だ。兵站班は全国津々浦々自衛隊基地中の弾薬庫から武器弾薬を集めてくれ、これは実戦だ。弾を撃つ弾がないのが玉に傷では済まされんぞ。マスコミ対策班は1社に付き5名は出して欲しい。これも全国の地方連絡部から人員を集めてくれ。少々問題のある奴でも構わないが、あまり変なのは止めてくれ。とにかく奴らに付け入る隙を見せず、絶えず情報を与えるんだ。始まってもいないのに厭戦気分を作るわけにはいかん。よし、作業にかかれ」 幹部達が陸将に最敬礼をして、自分達の持ち場へと散っていった。あとは現地の部隊にがんばってもらうしかなかった。ここでの戦争はすでに始まっていた。 まるで学生時代に戻ったような気分だった。入国五日目にして初めてパトロール部隊になったトゥズラ機甲連隊第ニ普通中隊第一小隊の鹿間小隊長は、元々防大ではなく工業大学出で技術官を目指して入隊しながら実戦部隊を志願して普通科に転属した変わり者だった。本人いわく「前線を見ておくことで、信頼のある装備を作りたい」とのことだった。 講義の連続だった。バルカンの沿革から始まり、ボスニアの歴史、トゥズラに居住する民族配置、そして今はパトロールに関する注意点だった。 「パトロールは一個分隊単位で行う。ルートはプリント通りだ」 説明している三佐は、先遣部隊として派遣された空挺中隊の中隊長だった。 本隊より五日ほど早くトゥズラに入り、パトロール任務についているという話しで、即応ロシア語マニュアルなる手引きは彼らが作ったという。手引きを見てもこの街がどれほど危険なのかわかった。 そうでなくても、ここに派遣された自衛官たちはロシア軍の管理する飛行場の入り口で見た、蜂の巣にされた「ようこそトゥズラへ」の看板で、ここが戦場であることを自覚させられた。 「住民は比較的温厚だが二日前の空爆で一部の民族対立が激化している。そのところを各員留意するように、何か質問は」 後ろの席に座る森茂三曹が手を上げた。 「パトロール中はどのような表情をすればよいのでありますか?」 「うん、いい質問だな。がちがちに強張ってもいけないし、へらへら笑っていてもいけない。まぁ、自然な表情でいけ、三日もすればどんな顔すればいいかわかる」 「切った張ったの際はどうすればいいんですか?」 強面でそれなりの荒んだ人生を歩んできたとわかるのニ士が尋ねた。 新入りの前田太尊ニ士は札幌駅にいたところを地連に騙されて入隊したという噂だった。 「自衛隊はあくまで仲介者の姿勢を崩してはならない。だが説得が無理なら喧嘩両成敗でいけ。まぁ、そうなる前に援軍を呼ぶのが賢い判断だがな」 「三佐殿の部隊はそうしたのでありますか」 「2件ほどな、秘密だぞ。 よし、行って来い。百聞は一件にしかずだ。この世の果てを見てくるといい」 萩原三佐は講義が終わるとブリーフィリングルームとなっている天幕を抜け、自衛隊トゥズラ基地の隅に作られた機動化学科中隊専用の2階建てプレハブ小屋群まで自転車を転がした。 自衛隊トゥズラ基地は本隊が到着してから五日が経ちかなり拡大した。 元々南北に長い長方形のかたちをしていたが、今では一辺が500メートル近い正方形のかたちになっていた。空爆で破壊された旧校舎はブルドーザーを入れて綺麗に取り壊し、いまでは指揮所等の天幕が林立していた。 それを囲むようにプレハブの隊舎が立ち並び、基地の縁側には見張り台と塹壕が並べられていた。 基地の地面はそこら中に指揮所用等の塹壕が掘られているため10メートルとまっすぐ歩くことは出来なかった。さらにその塹壕には大概カモフラネットが被せられているため、隊員たちから「落とし穴」や「パンジステーク」と揶揄されていた。 基地内には新たにヘリポートも設置され、AH-1Sコブラ二機とOH-1観測ヘリ、OH-6ヘリが基地に配備されていた。 対空防備には三次元レーダーを積んだ特殊車輌と改良型ホーク対空ミサイルとを中心に、81式地短SAM、93式SAM、そして90式戦車より高価な87式対空砲が空を守っていた。 プレハブ小屋の外で機動化学科中隊隊員を前に一人の技師が新装備の説明を始めていた。 「おや、隊長もいらしたことですし、もう一度始めから説明しますか?」 顔なじみの技師だった。今回は技術研究本部からの出向だった。 「すまないな、氷頭さん」 「わかりました。これが新たに配備される新型両用砲、迫撃砲兼擲弾投射即応砲、通称『MAGIC』です」 氷頭技師が持っているのは60ミリ迫撃砲のように見えた。60ミリ迫撃砲自体ならすでに機動化学科中隊に配備されていた。もちろん、自衛隊の装備年鑑には載っていない装備だった。面制圧火器の連装グレネードランチャーも同様だ。 「名前通りこいつは迫撃砲と擲弾投射機両方の役割を持ちます。口径は60ミリで従来の60ミリ迫撃砲弾と60ミリグレネードを使い分けることが出来、新しく配備するRAP弾も発射可能です。擲弾投射型の射撃スタイルは肩撃ちと腰撃ちです。発射装置は二つあり、上方のレバーが腰撃ち用、下方のトリガーが肩撃ち用です」 氷頭技師はさっそくいつものセールストークを始めた。 「即応とはどういう意味なんだ?」 技師はニヤリと笑い、機動化学科中隊用のヘッドギアを取り出した。ヘッドギアにはバイザーが取りつけられていた。 「新たにアイ・カバーを付けました掛けてみてください」 萩原が試しに掛けてみる。セラミックス製のバイザーはほとんど重さを感じさせなかった。技師が耳元のスイッチを入れる。視界には、とくに変化はなかった。 「どうもないぞ」 「まってください」 迫撃砲のように設置されたMAGICのスイッチを入れると砲口から赤い線が延びた。 「んっ、なんだこりゃ」 「これが即応と呼ばれる新システムです。ビジュアル・ファイヤレール・システム。火線視認装置と名付けました」 「つまりこの線に沿って砲弾が飛ぶのか」 「そうです。気温、湿度、風等の条件がMAGICのCPU内で処理され、99パーセント正確な火線を見ることが出来ます。バイザーの受信範囲は約15メートルですが、オプションの発信機を経由することによって数キロ先、つまり迫撃砲の観測員が直接これを付けて誘導することも出来ます」 技師はMAGICの設置円盤を外し、腰で抱えるように構えた。赤い線は確実にその動きを追っていた。 「砲身だけの重さは約5キロ半で、全体を含めても8キロ弱です。炭素繊維と強化セラミックと多用して軽量化を計りました」 「バイポッドも付けて?」 施設の小坂が尋ねた。迫撃砲などの装備は主に施設小隊の担当だった。 「もちろん。バイポッドは外すとは出来ますが、多分その必要は無いと思います。バイポットは最小にするとミニマムレンジ50メートルの直撃砲に変わります」 「射程は?」 「迫撃砲で最大3.8キロ、投射型では砲弾の種類によって600から1.5キロです。つまりMAGICはロケットランチャーも兼ねる三用砲になります」 「砲弾の種類はなにがあるんだ」 今度は川島が問うた。 「迫撃砲は通常のものとスクリュドライバー・ガス充填弾などです。誘導タイプも作りたかったのですが、いかんせん砲弾が小さすぎて誘導装置をつけると炸薬量が削られるので後回しになりました。擲弾投射機では通常榴弾からRAP弾(ロケット補助推進)、対機甲用の成形炸薬弾、もちろんRAP付きの成形炸薬弾もあります。ここで気を付けなければならないのは、RAPは収納容積を取るということです。ブースターに四枚のフィンが付きます。具体的に言えば対戦車RAP弾は通常榴弾の倍の容積を取ります」 「携帯する弾種の選択がかなりシビアになるな」 「そこは現場の判断に任せます。こればかりは技術屋が口を出すところではありません」 「一つ気になることがある。」 もっとも重要な質問をしたのは第ニ空挺小隊長の古川だった。 「夜戦の場合、そのバイザーに映った火線ラインが光っていると的になるんじゃないか」 夜間戦闘の微かな光りを漏らしただけで集中砲火を浴びる事になる。 夜間戦闘の多い機動化学科中隊がもっとも注意を払っていることだった。 「影すら見せない」が彼らのモットーだった。 技師はよくぞ聞いてくれたといった表情で回答した。 「萩原中隊長、皆さんの方へ振りかえってください」 萩原隊長が振りかえるとバイザーには何も映っていなかった。 「隊長、ラインが見えます?」 「ああ、後ろの藤橋達のプレハブが着弾点になっている」 隊員たちの視線を一身に浴びる萩原隊長はバツの悪そうな顔だった。 「いまトリガーを捻るのは止めてくださいね。ガスで基地が壊滅する」 「バイザーは二重構造で真ん中にフィルターが入っています。火線ラインは内側のセラミックプレートに流し込んだシリコンに電流を流して表示してあり、外側のプレートに映ることはありません」 「結構使えるかもしれませんね」 と川島 「何基持ってきた?」 「5基です。空挺に1基づつ施設に3基という装備を想定しています」 「まぁ、それでいいだろう。川島、古川、小坂は砲手と補助を選抜しておけ」 萩原はヘッドギアを脱ぐと「目が疲れるな」と漏らした。 「まぁ、そのあたりは改善の余地がありますね。OH-1のHMDよりはソフトになっているんですけど」 アナウンスが鳴って、昼食の時間を告げた。 「飯にするか」 機動化学科中隊の隊員たちは、ぞろぞろと食堂棟へ足を向けた。 警視庁公安外事部の清見警部補はホテル・ホリディインのラウンジで黒パンをかじりながら、数日間の調査書をまとめていた。近くには同じようなことをしているジャーナリストが大勢いるので目立つことは無い。 まったく、この数日は人生で最悪の日々だった。自衛隊には爪弾きにされ、ミニバスに乗り継いでようやく本分であるサラエボに来たかと思えば、スナイパーの手荒い歓迎を受けた。 サラエボの街は清見の想像していたより近代的だった。総ガラス張りのツインタワービルが立ち、前紛争後ドイツから送られた路面電車と日本のODAによって送られたバスが行き交いしていた。清見は参っていたが、これでも前紛争に比べればスナイパーは大人しいし数がいないそうで、街の人々はスナイパーのいない通りには溢れていた。しかし、一度ならずセルビアスポンサーから空爆を受け、崩れた建物は多かった。 「ここいいかな?」 訛りの無い英語で話しかけた男は長身でおっとりとした顔立ちの男だった。清見は特に断る理由は無いので顔を上げずに「どうぞ」と答えた。サラエボの状況をまとめた報告書なのでとくに重要なことは書いていないし、漢字だらけの文章を読まれたところで彼にわかるはずが無い。 「日本公安部の清見警部補だね」 清見は思わず顔を上げた。対しているのは頬が少し削げた感じのするドイツ人だった。 「誰ですあなた?」 不思議の思った。自分の正体を知っているのだ。 「シュナイダー・グリマー。売れないジャーナリストさ、穂高に連絡して君をここに呼んだ」 自分の上司の名だった。ますます怪しかった。 「君に仕事を依頼したい」 唐突でいて、ちょっと押しの入った口調だった。清見は背筋を伸ばして答えた。 「私には、あなたから仕事を依頼される理由も義務も責任も無い」 「やれやれ、固い男だねぇ。ドイツ人でもそんなに堅固じゃないよ」 グリマーはそう愚痴ると、大きなバックから携帯電話を取り出した。日本で売っているそれの倍ほどの厚さがあったが、それはヨーロッパが行っているガリレオ計画と呼ばれるGPSシステムの衛星につかう衛星携帯電話だった。 グリマーが何処かへ電話を掛ける。清見に悪寒が走った。 「ほれ」 グリマーが携帯電話を渡した。耳を近づけた瞬間、怒鳴り声が聞こえた。 「清見!、お前の前にいる男はおれ達情報畑の人間に取っちゃ雲の上の人間だぞ。奴がお前の目の前にいるという事は、今お前は目の前にオオカミがいると思え」 「お言葉ですが、穂高警視。かれはジャーナリストですよ。それもフリーランス・ユニオンの」 「わからん奴だな。奴が右を向けといったら右を向き、走れと言ったら走れ。そうすれば、お前は昇進とボーナスにありつける」 「彼の指揮下に入れと言うのですか?」 「そうだ。公安部としての看板を背負って奴の指示に従え。わずか半年で革靴を履き潰す俺達の意地を見せろ」 電話が切られると、清見はしばらく呆然とした表情でグリマーに携帯電話を返そうとした。 「いや、それは持っていていよ。メモリダイヤルに私の電話番号を記録してあるから」 液晶画面のメモリダイヤルをみると、BKA(独連邦警察)やスコットランドヤードと言った名前が登録されていた。 「君だけじゃなく、欧州の警察機構もここにいる、仕事は彼らとの連帯も肝心だ。さて、本題に入ろう」 グリマーは茶封筒を机の上に置いた。 「ここでは開けないでくれ。中には君に探してもらいたい男の写真と情報が入っている。おそらく、この町にいると思う。極力極秘裏に行動してくれ」 しばしの沈黙後、清見は答えた。 「わかりました」 半年で革靴を履き潰す公安の実力を見せてやる、清見はそう心に誓った。 鹿間小隊長の入った分隊は最悪の事態に陥っていた。 ボランティアグループが開くカフェでセルビア人とクロアチア人の喧嘩が始まろうとしていた。 鹿間が間に入っていたが、どうも落ち着きそうに無かった。 「だから、喧嘩の理由を教えてください」 鹿間が手引きを読みながら二人を制していた。二人を部下が押さえていたが、今にも振りほどかれそうだった。 どうせ喧嘩にたいした理由なんて無い。ただ、他民族が気にくわないというのだ。 「ザクロィ スヴォーイ ロート!! (黙ってろ!!)」 鹿間には意味がわからなかったが、野次が入ってきた、いよいよヤバイ。 通信員が必死に援軍を求めていた。 セルビア人の男が自衛官の腕を振り解き、クロアチア人に殴りかかった。パシッと音がして、男の拳が止められた。止めたのは前田ニ士だった。 「前田…」 鹿間が声を掛けようとしたが、あまりの形相に声が続かなかった。男の拳を掴みながら、双方に睨みを効かしていた。 「やれやれ、やっと本気になったか」 クロアチア人を掴んでいた森茂が言った。 「どういう意味だ。森茂」 「あいつ、高校の母校の後輩でしてね。その筋では有名な不良です」 「不良!?」 鹿間がびっくりして声を上げる。前田が睨んだので慌てて声を潜めた。 「なんでそんなこと黙っておくんだ」 「だって、こんなときに言わないと隊長勘違い起こすでしょ」 「どういう意味だ」 「まぁ、見ててください。あいつは昔気質の不良なんです。その筋ではわりと人情家だったんですから」 前田は手を離すと、セルビア人の両肩をがっしり掴んだ。押し殺した声で言った。 「喧嘩にルールもへったくれもねェ、だがそれなりの筋を通すって言うのが侠気ってもんだ。 侠気があるなら俺が見届けてやろう。だが単純な憎しみならあんたの拳を届かせるわけにはいかん」 もとろん前田はロシア語も英語も喋らない、伝わるはずの無い単にドスの効いた日本語だった。だが、前田の覇気が、『相手が悪い』と人間としての本能に直接伝えていた。 セルビア人が拳を解く。前田はくるりと振りかえってクロアチア人の肩をバシバシ叩いた。 「簡単なことだ。お前らの単純な憎しみでは、最後に残った隣人を殴り殺すまで終わらん。だから、いまは止めろ。踏みとどまることは殴りかかるより勇気のいることだ。だが、悪い夢を見ずにすむ」 男の胸ポケットからマルボロの箱を抜き出した。 「今日の事はいつか役に立つだろうな。これ、仲介料だ」 男がうんうん頷いて、タバコを差し出す。二十歳そこそこの若者に三十過ぎの男達が窘められていた。 ようやく高機動車に乗った川島達が現れ、前田に代わった。 「はぁ、悪い汗をかいた…」 鹿間が近くのテーブルに腰を下ろした。 「隊長、そんなことでは、仕事出来ません」 前田が向かいに座った。 「いいよ。お前みたいに肝の座った一人奴がいれば」 「ちょっと肩を揉んでやっただけです」 説得の終わった川島が席についた。 「まぁ、やり方は手荒いが上出来だ。なんだかんだ言っても、結局気迫の勝負だからな。二人とも顔面蒼白してたぞ」 川島は店に分隊分の飲み物を頼むと「一休みしろ」と言って高機動車に乗り込んだ。 明日も同じようなことをしなければならないと思うと、いささか気が滅入ると鹿間は思った。 グリマーがフリーランス・ユニオンの事務所に戻ると、事務所の中は蜂の巣を突ついたような大騒ぎになっていた。 「おいおい、どうしたんだ。セルビア軍がここに攻めてくるのか」 受話器を握る責任者のネリィ・オルソンに話しかける。 「ああ、よかったわ。今電話するところだったの。そう、いよいよ攻めてくるのよ。ここサラエボじゃなくトゥズラにね」 ネリィが受話器を下ろしながら答えた。 「東戦線が突破されたのか?」 「時間の問題よ。ヴォールク戦車師団が動いたわ、先遣隊がもう戦線につく頃よ」 ヴォールク師団は戦車だけで200輌を保有するセルビア解放軍団の主戦力の一つだった。 先遣隊だけで50輌の戦車とその倍の装甲車を持ち、東戦線に入れば圧倒的な火力となった。 「国連軍はそのことを知っているのか」 「私達が知っているんだから、知っているでしょ。頼りになるの自衛隊って」 「さぁ、この前の大空輸作戦でかなりの戦力が入ったって話しだけど」 グリマーが壁に張りつけた地図に歩み寄り、指で進軍予想ルートをなぞった。 「遠いな」 「何が?」 「トゥズラまでだよ。自衛隊と戦っていては補給が持たない、何処かに物資集積所を造らないとトゥズラまで辿り着けないぞ」 グリマーが地図を睨らみ「ここだな」と呟き、ドリナ川少し西の一点を指差した。 「ラードゥガ?」 前紛争後、難民受け入れの為に作られた町だった。 「ああ、山を削って階段状に造られているため、砲撃などには脆弱になる。麓はある程度平地の場所もあるため補給地点にはうってつけだ。先遣隊が進軍するのはまずこの町までだな」 「ちょっとまって」 ネリィが何か大切なことに気づいた様子で口を挟んだ。 「それって正しいの?」 「ああ、軍事ジャーナリストとして保証するよ」 「じゃあ、同じジャーナリストも同じ判断をする?」 「えっ?」 そのころトゥズラでは、ニナ・ユーリィブナも同じ判断をしていた。 「それで、ニナはラードゥガがヴォールク師団先遣隊の初期目標だというんだね」 ユニオン支部の会議室でニナを含む六人のジャーナリストが額を寄せ合っていた。アルが尋ねた。 「ええ、まず間違い無いでしょう。ここを橋頭堡にする」 「今から行ったとして、制圧される前に辿り着けるかな?」 「東戦線はもう1日は持ちこたえます、でも行動は早いほうがいいでしょう。危険度が上がれば本部から移動禁止令がでる可能性もあります」 「危なすぎるんじゃないか。国連軍はまだ動いていないし」 「町は山の斜面に沿うように造られていますよね。 街へ行くには麓の山道が一本だけ、住民は麓の方へ集まっていると思いますよ。取材がしやすいし―」 「そうか! 日本軍はまず先にこの山道を押さえにかかる」 「ええ、我々は何もしなくても追い出せれます。今の日本軍の性格なら我々の安全を考えなければならない」 「ニナ、なんでそんなに頭が回る?」 ドイツ人ジャーナリストが感心した様子で尋ねた。 「さぁ、血のせいじゃないですか」 日独露の血が混じるニナは謎めいた笑みを見せた。 「私にはドイツ人の堅実さに、ロシア人の気丈さ、それに日本人の狡猾さを持っていますから」 「なるほど、そりゃすごいや」 「よし、すぐに行こう。ジャナーリストの誇りに賭けて真実を世界に伝えるんだ」 六人のジャーナリストはユニオン所有のバンに乗り込みトゥズラの町を出発した。その様子は自衛隊の偵察隊によって確認されていた。 自衛隊トゥズラ基地の司令所が置かれる天幕の中では、連隊長の大洞と各科の幕僚スタッフおよび士官がトゥズラ、サラエボ、ベオグラート等のバルカンの主要点が置かれたジオラマを囲んでいた。 自衛隊の結論も同じだった。 ヴォールク戦車師団の第一目標はラードゥガであると、すでにジオラマにはラードゥガの町の上に旗がさされていた。 「分遣隊の本部はなんて言ってる」 萩原が尋ねた。 バルカンに展開した自衛隊分遣隊の指令部は支援艦隊が接岸するザダルに置かれていた。そして、展開した自衛隊の75パーセントはここトゥズラに配備されていた。 「プッシャーを掛けろだ。ハーグ陸戦協定にのっとって行動する」 大洞はドリナ川の周辺を睨んでいた。 「どれだけ出す」 作戦会議は向かわせる部隊の規模でもめていた。 「戦車はすべて出す。普通科はニ個中隊以上は欲しい」 「第一第ニ中隊をだす。第三中隊は基地の警備にあたらせなければならない」 三個中隊からなる普通科部隊を束ねる坂祝ニ佐が答えた。 「輸送手段は?」 大洞が輸送幕僚に尋ねた。 「トラック隊の80パーセントを出せば問題ありません。問題はその後の兵站業務です」 「どれくらいになる?」 その質問に補給幕僚が答えた。 「まず、展開する隊員に必要な物資ですが、1日45キロになります。 二個中隊および戦車兵、その他人員で500人になりますから1日22500キロになります。 戦闘を前提としない場合でも戦車には燃料がいりますし、輸送トラックにもいる。一番厄介なのは哨戒するヘリです。今回は4機すべて使いますから、全体として1日に必要な輸送物資は60トン以上を思ってください」 「たった1日でそんな量の物資を輸送するのか!?」 大洞は度肝を抜かれた。 「兵站は戦闘より厳しいさ…」 自分の部隊に後援専門の部隊まで編入している萩原がちくりと言った。 「萩原、お前の部隊は出るんだろ」 「別ルートで出撃命令が出ている。一応自己完結能力はあるがコンディションを気遣いたいなら、俺達の補給も兼ねてくれよ」 機動化学科中隊の施設科小隊は兵站と後援火力を兼用しているため、ほとんど二者択一の選択だった。 「被補給者をプラスだ」 大洞が告げると、補給幕僚がログシートにメモした。 「恩にきるよ。ヴォールク師団がプレッシャーに屈しなかったらどうする?」 萩原が作戦幕僚に尋ねた。 「戦車だけで50輌は保有しているという話です。こちらの戦車だけで対抗するわけには行きませんから、96式多目標誘導弾と攻撃ヘリによる機動戦が想定されます」 情報幕僚が答えた。 「たった、50輌ちょいだろ。ほんとはうちだけで十分なんだよな…」 戦車部隊長の村上ニ佐が咳払いをした。 「基地内の物資では三日と維持することは出来ません。今日中に施設科部隊をロシア軍の飛行場に入れ、イタリアに展開する空輸部隊による補給の必要がありますが、どうです?」 補給幕僚が施設科部隊長に尋ねた。第203飛行隊を主体とする航空自衛隊がアドリア海に面するイタリア・ペスカラ空軍基地に入っていた。 「ロシア軍の飛行場は75パーセント復旧しています。今日中には完全復旧出来ると思います」 「C―130で1日三機か…、まぁ何とかなるかな」 「具体的な作戦計画は?」 ようやく本題に入れた。 「ミッションプラン自体はすでに出来ています。我々はラードゥガ郊外の高地―、といっても周囲からほんの10メートルほどの起伏があるだけですが、ここに横列展開し、ヴォールク師団先遣隊にプレッシャーを掛けます。交戦規定は遵守してください。先制攻撃は無しです、あくまで専守防衛に徹してください」 作戦参謀が萩原をみた。 「もし、万が一ですが。交戦せざる得ない場合につき機動化学科中隊に前に出てもらう事になります」 「正規軍じゃ不安か?」 「ゲリラ戦で来る可能性があります。車輌の数では少なくても戦力は圧倒的にこちらのほうが上ですから。 「目には目をか、了解した」 「たとえゲリラであっても彼らはトータル・ナショナル・ディフェンス(全民衆防衛)によって正規軍として扱われます。捕虜の扱いはジュネーブ条約、ハーグ陸戦協定に則ってください」 「NATOに地上戦を躊躇わせた名高いトータル・ナショナル・ディフェンスと戦うとは…、まったく兵隊名利に尽きるよな」 やれやれとした感じで大洞が漏らした。 トータル・ナショナル・ディフェンス(全民衆防衛)と呼ばれる旧ユーゴから続く防衛体制は、世界で最も進んだ防衛体制の一つといわれている。そのシステムはスイスの民兵制度を元にしており、高校生以上の国民は全て実弾訓練及びその他兵器の習受訓練を受ける事になっており、特記すべきは有事の際、各企業、各地域が自主管理組織が作れることである。 これによりたとえ上層部からの連絡がなくとも、民衆は独自の組織を作ることができ、それらは全て正規軍として見とめられた部隊なのだ。つまり、民衆在るところ正式に認められた軍事組織ありと判断しなければならず、1999年のNATO軍による攻撃は空爆のみでしか、行われなかった理由の一つであった。 今回の紛争でもその力は大きく発揮され、セルビア解放軍に参加する民衆は全て正規軍として認められていた。彼らの軍事力や戦略を軽視して、イラクなどと同じように見ていては、それは大きな間違いである。 「まもなく偵察に出たRF-4Jが帰還します。出撃はその後ということで」 萩原は指揮所を出ると機動化学科中隊のプレハブ郡へむかった。プレハブの隅で部隊が出撃準備を整えていた。 「隊長、通常装備でいいですか」 川島が尋ねた。機動化学科中隊の通常装備は野戦を前提として、主力の89式空挺小銃のほかに接近戦用にMP5SD5を、面制圧に連装グレネードランチャーといった装備だった。 「いや、市街戦を前提にする。第一空挺はMP5SD5を主力に持っていけ」 「やだなぁ、ラードゥガてまだ住民がいるんでしょ」 「文句を言うな。さっさと準備しろ」 「高機動車に106ミリ無反動砲および、M2重機関銃、重MATの搭載完了しました」 整備も兼ねる施設科小坂小隊長が手の油をふき取りながら現れた。 「空挺小隊は8両の高機動車で、我々は後続のトラックでいいですね」 「ああ、本隊が我々の補給もやってくれるそうだ。お前達も戦線に出てもらう」 「了解しました。MAGICは持っていきます?」 「先遣隊と交戦するかも知れん。持って行け」 三十分後、RF-4Jが帰還し電送してきた偵察写真では、先遣隊は戦車だけで50輌を有し、全体でその倍の車輌が写っていた。完全に機械化された部隊であり主力はT-72戦車、対空兵器はZSU-23-4シルカ対空車輌を主体とし、ハインドヘリが護衛についていた。 ユニオンのバンから遅れる事1時間後、28輌の90式戦車を主体とした陸上自衛隊の機甲部隊が移動を開始した。 兵力差だけなら自衛隊はヴォールク師団先遣隊の三分の一であったが、その装備は最も近代化された装備だった。もっとも、兵器は戦場の形態を変えることはできても、戦争の流れを変えることは出来なかったが…。 フリーランスユニオンのジャーナリスト達がラードゥガの町へつく頃には日はとうに傾いていた。東の地平線が赤く燃えていた。 「怖いよな、50輌の戦車が来るまで1日もしないぜ」 バンを降りると一人が呟いた。 「住民の人、大分残ってますよね」 山の斜面に沿って造られた町は所々明かりが灯っていた。 「やっとの思いで築いた町だ。そう簡単には捨てれないさ」 運転席からアル・ハザットがおりた。外は酷く冷えて、吐く息が白く残る。 「どこも同じか…」 グロズヌイもカブールも住民達は居座り、戦場の中で暮らしていた。 ニナにはその燈りが、儚い蛍の光りに見えた。今日明日にはここは戦場になるのだ。 「さぁ、みんなホテルは無いぞ。今日はここでキャンプだ」 バンのトランクからテントを引っ張り出す。唯一女性であるニナは小さなテントを独占していた。 深夜、機甲部隊に先行したOH-1に乗る茂住三佐は、森の中から少しホップアップして目標の高地を確認した。ブッシュが思ったより高い、本隊が到着したらまずこれを刈らなければと思った。山の斜面に町の明かりも確認していた。東の空も。 「こちらカワセミ1、連隊本部応答せよ」 無線で82式指揮車に乗る大洞連隊長を呼び出した。 「こちら連隊本部、メリット5、よく聞こえる」 「目標地点を確認しました。住民は残っているようです。前進して敵勢車輌を確認しますか?」 「高地まで出てくれ、伏兵が潜伏している可能性があるので注意せよ」 「了解」 OH-1は森をダッシュで抜けると、まばらに潅木の生える高地地帯でNOEと呼ばれる超低空飛行を開始した。高度は10メートルもない、ちょっと気を抜けば突起部に激突しそうだった。 「何かいる!」 ガンナーの高岩ニ尉が叫んだ。HMD(ヘッド・マウント・ディスプレイ)に小さな盛り上がりを見つけたのだ。 「敵か」 「テントです、民間の。さすがにキャンプファイヤはしていないようです。敵で無いようですが」 「確認する」 さらに前進する。テントに描かれた羽ペンと万年筆をクロスさせたマークを見た瞬間「しまった」と呟いた。 「報告にあった記者グループですね。証拠映像とります」 高岩がビデオテープを回し始めた。 「カワセミ1より、連隊本部。ユニオンがいる。人数は六」 「退かせないか?」 「写真とってますよ」 高岩が、慌てて暗視装置のレベルを落とした。そうしないとフラッシュの光りで高感度カメラが焼きつく恐れがあった。 「わかりません。交渉してみますか?」 「やってみてくれ」 ジャーナリスト達は突然現れたヘリコプターにカメラのシャッターを浴びせた。 ヘリは攻撃の意思が無いことを示すため横腹を見せながら接近してきた。 「降りる気か!?」 「私が話します」 ニナが前に出た。 ヘリはダウンウォッシュでテントが吹き飛ばないよう少し離れた位置に着陸した。エンジンをアイドリングにすると前部座席からパイロットが飛び降りて、こちらに近づいてきた。 ニナが頭を押さえながら「こっちへ」と英語で叫ぶ。何とか話しの出来る位置まで離れるとようやく相手が自己紹介した。 「ジャパン・セルフ・ディフェンス・フォース、メイジャー茂住です」 「フリーランス・ユニオンのニナ・ユーリィブナ・ベルーイです。シクヴァル・ニナと言ったほうがいいでしょうね」 ああ、なんてこった。 茂住は心の中で呟いた。 トゥズラ空爆の時、まったく逃げもせずビデオカメラを回していたジャーナリストだ。 しかし、その映像のおかげで自衛隊派遣が世論に肯定されたのだが。 「あの、ニナさん。私のいいたいことはわかりますね」 「ええ、ヴォールク師団が東戦線に入ったようです、明日この町は戦場になります。私達はその取材できました。もちろん危険は承知のうえです」 ニナは燃える東の空を眺めた。 完全に理解した上で、何の護衛も付けずに来てやがる。こいつらはジャーナリストの鑑か、そうでなければカミカゼ取材だと思った。 「不思議ですね。ろくな法整備もされていない交戦規定もない自衛隊がこんなに早く出てくるとは」 「時限立法で国際基準並の交戦規定が与えられました。我々がここに展開するのはヴォールク師団にプレッシャーを与え撤退を促すためです」 「あの赤い空の下でボスニア兵が次々死んでいます」 ニナが急に話題を変え、東の空を指差した。 「平和安定化部隊は不介入が原則です。我々は人道的見地と民間人保護の立場から、展開します」 「よい答えをどうも。自衛隊も国際貢献に熱心になりましたね」 「はあ…、あの」 明かに自分を手玉に取っている。会話のイニシアブチはニナが最初に名乗ったときから決していた。 「交渉の余地はありません。我々は明日ラードゥガへ入り取材を始めます。 ヴォールク師団があなたがたのプレッシャーに屈指無いようなら、さっさと逃げ出しますのでご安心を」 それは暗に自衛隊の実力を見せてもらうと言っていた。 「あなたは早く戻ったほうがいいでしょう。ヘリの燃料を無駄にしますよ」 ニナはそれだけ言うと手を振りキャンプへ戻っていった。 茂住はOH-1のコクピットへ戻ると「なんだあの小娘は!」と憤慨した。 「なんて言ってきたんです?」 高岩が尋ねた。 「交渉決裂だ。いや交渉さえしていなかった」 茂住はOH-1を離陸させると大洞に事のしだいを話した。 ニナは指笛と拍手で迎えられた。 「凄いぞ。軍人を追っ払うなんて」 アルが握手を求めた。 ニナはみんなの予想に反して、心の中で「はぁ」とため息をついた。 「運がよかっただけです。相手が自衛隊だった」 ニナはヘリパイロットに敬意を表してジャパン・アーミーではなくジャパン・セルフ・ディフェンス・フォースを使った。軍人に対してはあらゆる手段を使って優勢に見せるのがニナのやり方だったが、それは酷く神経をすり減らすものだった。 「ああ、そうか。彼らは君に借りがあるんだったな」 「はやく寝ましょう。自衛隊の戦車がきたらここもうるさくなりますよ。寝不足はいい仕事の敵です」 その1時間後、自衛隊の機甲部隊が高地に到着し1晩中キャタピラの音でうるさかった。 結局、ニナは丘の上に上がり戦車隊の双眼鏡で眺めていた。戦車は30輌弱、装甲車や対空車両もいたが、普通のオフロード車に見える4WDが多かった。 ニナにはわからなかったが、それこそ普通科最強の装備品と言われる96式多目的誘導弾を搭載した高機動車であった。 サラエボ早朝、レンガ造りのフリーランス・ユニオン事務所の前に数台のワゴンが止まっていた。 「せめて、ラードゥガの件がかたつくのを待った方がいいんじゃない?」 ユニオンの責任者であるネリィ・オルソンは書類を詰めたダンボール箱をガムテープで梱包しながら机を挟んだ向かいのグリマーに質した。 「タイムスケジュールが狂ってくる。そうでなくても押しているのは君が一番わかっているだろ」 「そりゃ、BBCのスタッフには悪いとは思うけど」 グリマーはネリィが梱包したダンボール箱を抱かえると「これで最後だな」と言った。 「いくよ」 「さびしいわね、ここを離れるのは」 玄関の前でネリィはしんみりと言った。 「大丈夫ですよ。ネリィさん。ここを我々が守ります」 留守を務めるセルビア人のジャーナリストが励ました。 「プロジェクトはここじゃできません」 「それはわかっているけど」 「一刻もはやくストルーイカから、希望を届けてください。それがみんなの励ましになる」 それはジャーナリストとしての言葉ではなく、この地にすむセルビア人としての言葉だった。 「ネリィ、はやく。住民がおきる」 ワゴンの運転席からグリマーが声を掛けた。 大勢のジャーナリストがここから去るのはサラエボ市民の不安を煽るため、出発は早朝となっていた。 ネリィは胸に手を当てて、初心の思いを反芻した。湾岸戦争では閉鎖国家であったクェートが広告代理店を買い取り、イラクの非道を強調させ国際世論を煽り多国籍軍を派兵させた。バルカンの前紛争ではボスニア政府が同じ手段を使いセルビアを一方的に避難しNATO軍が空爆する事態になった。 メディアは常に利用され続けた。 誰にも関与されず、誰にも圧力を受けない。 自分達が新しい情報媒体のあり方を示して見せる。 サラエボへ到着した日、ネリィ・オルソンはサラエボの丘の墓場でそう誓のだ。 「グッバイ、サラエボ! きっと助けてみせる」 ネリィは朝焼けに包まれるスナイパーストリートに手を振るとワゴンに乗り込んだ。 前項 表紙 次項