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愛韓義烈隊認定・親日売国奴(2) 李鳳來 20070302117276961575323600.jpg 京城美洞六統六戸、当年63歳、正二品勲三等、前内部協弁、漢城府判尹内部大臣署理等を歴任し、現に漢城美術品製作工場理事長、株式会社朝鮮商業銀行長、鳳鳴中学校長にして京城有数の資産家たり 李奎完 20070302117276962062640700.jpg 京城開国471年(文久2年)11月15日生、従五位(正三品)警務官、中枢院副賛議、江原道観察使を歴任し、現に江原道々長官(高等官三等)たり miyankoma氏作成 朝鮮紳士名鑑 (牧山耕蔵編 京城:日本電報通信社京城支局,1911)より http //kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=73018485 VOL_NUM=00000 KOMA=141 ITYPE=0
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愛韓義烈隊認定・親日売国奴(1) 權周相 20070228117261587379484700.jpg 忠淸北道淸風郡遠西面黄江一統六戸、明治三年十月三日生、從七位、(正三品)前全羅北道萬頃郡々守奏任官二等、現に全羅北道萬頃郡守奏位官二等現に全羅北道萬頃郡々守(高等官七等)たり 忠淸北道淸風郡遠西面黄江一統六戸 明治3年(1870)10月3日生 従七位(正三品) 前全羅北道萬頃郡々守奏任官二等 現在、全羅北道萬頃郡守奏位官二等と全羅北道萬頃郡々守(高等官七等)を兼任? 新撰韓国事情より 全羅北道觀察道任實郡々守奏二 四級正三 以上・kurosu0099氏作成 前半部分は朝鮮紳士名鑑 (牧山耕蔵編 京城:日本電報通信社京城支局,1911)より http //kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=73018485 VOL_NUM=00000 KOMA=141 ITYPE=0
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植民地支配と日本語 第一章 台湾における日本語普及政策 2 台湾の日本語教育の歴史的展開 台湾での日本の植民地政策はまず同化政策として現れる、とよく指摘されている。総督府の言語政策もそのなかに位置しており、植民地政策の重要な一環であった。ここで、まず学校教育を中心にその日本語普及政策の時代区分を概観しておこう。 第一段階は、一八九五年から一八九八年七月勅令一七八号の台湾公学校令発布までの期間である。このあいだに、芝山岩学堂と国語伝習所をはじめ、台北県立日本語学校、基隆学校・宜蘭国語会などの県、庁立の日本語学校が設立された。そのいずれも応急的な要素をもち、「施政上の便を謀る」ための性質が目立つ。 第二の段階は、台湾公学校令発布から一九一九年(大正八年)一月の台湾教育令公布までである。公学校令によれば、公学校は台湾人の子弟に「徳教ヲ施シ実学ヲ授ケ、以テ国民的性格ヲ養成シ同時ニ国語ニ精通セシムルヲ以テ本旨」としている。この期間に、公学校令の改正をはじめ、たえず教育制度が修正され、学年の変更、修業年限および授業科目の変動などもつねであった。 一八九八年三月から九年問台湾総督府民政局長の任にあった後藤新平は、「教育方針は未だ考究中」と断ったうえで、当面の大事は、「乃ち国語の普及なり。目下は唯此の目的を達するを第一とす。此の 32 第一主眼にして達せらるヽ日は、教育の方針も亦考究を経て確立の秋来るべし」と述べ、むしろ日本語の普及を教育方針確立の前提条件としている。しかし教育方針が揺れていたため、日本語普及政策の実行に、制度としての保証を提供するまでには至らなかった。学校教育では、日本語の授業が重要視される一方、大正中期までは漢文の授業が依然一定の比重を占めていた。学校教育用語の面では、大正二年総督府が教科書を改正した機会に、日本語教育において母語の使用を禁止したにもかかわらず、大正八年の教育令までは徹底されなかった。 第三の段階は、一九一九年(大正八年)一月の台湾教育令公布から一九四五年までである。そのあいだにいくらかの調整もみられ、さらに細かく分析することも可能であるが、日本語普及政策の確立と強化および基本的な立法措置の整備などの面から、大きく一つの時代として考えられる。台湾教育令は、それまでの公学校令と違い、「国語に精通せしむる」の代わりに、「国民たるの性格を涵養し国語を普及する」ことを普通教育の目的として強調する。これは、もっと広い範囲での日本語普及を意味していると考えられる。 一九二二年二月、新台湾教育令が公布されてから、いわゆる内台共学時代に入る。新台湾教育令は「内地人」と「本島人」の区別の代わりに、「国語を常用する者」と「国語を常用しない者」という分け方で、はじめて台湾人の学生が日本人学生と同じ学校で勉強することを認めた。事実上、もちろんそれはほんの一握りの特権的階層の子弟にかぎられていた。政策主体としての台湾総督府が、国語の概念をもって立法措置に臨んだことはかつてなかった。「国語」の常用か否かという基準を打ちだしたことから、その言語政策の一端がうかがわれる。その意味で、注目すべきことである。さらに、一九四一年(昭和一六年)四月には台湾公立国民学校規則が発布され、日本語教育が一段と強化された。 学校教育から日本語普及の実態をみると、日本語教育を受けた児童の比率は、一八九九年(明治三 33 二年)の時点では二%だったが、一九一八年(大正七年)は一六%弱、一九三五年(昭和一〇年)は四一・五%、一九四四年(昭和一九年)は七一%にのぼった。 学校教育を通して日本語の普及をはかろうとすると同時に、「社会・家庭の国語化」の政策もとられた。一九一〇年代からおかれた国語普及会、国語夜学会、国語練習会などがそれである。これらは、地方官庁所管の組織・施設として、一九二〇年頃から、常時日本語の普及に利用されるようになった。一九一四年(大正三年)には台湾総督を総裁とする台湾教育会が、「国語演習会」を創設し、年に一回のぺ-スで全島の日本語コンクールにあたる演習会を催した。これは、やがて日本語普及のための大がかりな行事となり、日本の敗戦まで計三一回行われた。 一九二八年(昭和三年)、官庁に社会教育係が設けられるようになり、一九二九年台中に国語講習所が設立された。一九三一年、総督府は府令の形で、公立の特殊教育施設に対して国庫補助を行うように決めた。それ以後、各州、庁に国語講習所が設けられ、これに呼応して総督府社会課は「公学校に入学し得ない児童は勿論、七〇歳以下の成年は男女を問わず悉く国語講習所に入所せしめて国語を学習させ、なお国語講習所も各部落に設置せしむるを理想とし、将来はこの理想に向って奨励をなす計画」を打ちたてた。一九四一年(昭和一六年)の『台湾事情』は、一年に一〇〇日以上、一年ないし四年のあいだ日本語教育を施す国語講習所および簡易国語講習所が一万五〇〇〇カ所をこえて、生徒数は七六万人以上であると報告している。「生徒のなかには乳呑児をかかへた主婦もあって、夜間電灯の下で乳房を含ませながら講習を受けてゐるのなど実に涙ぐましいものがある」と、ある日本人は記録している(加藤春城「台湾の国語教育」一九四二)。 一九三七年には「国語常用家庭」制度が設けられ、家族全員が日本語を常用し、そのうえに、「皇民的生活」すなわち神宮大麻の奉齊、服装住居および生活習慣などの日本化も要求された。一九三八年から「国語を中心とする生活の指導と、皇民生活を営ましめんとする家庭の幼児に対する基礎的錬成」という自的を掲げた「幼児国語講習所」まで開かれ、一九四二年(昭和一七年)には一七九七ヵ所にも達し、園児は七万人をこえた。 台湾総督府は、このようにその統治政策のもっとも基本的な条件として、手段をつくして日本語の普及をはかろうとした。一九三二年から四年問台湾総督の任にあった中川健蔵は、総督府の植民地行政と言語問題に対する認識を次のように述懐している。 わたしは最近台湾に在任しましたが、いわゆる国語が十分に理解されて初めて、国民性を会得するのであるとゆうことは、植民地に行くと実によく分かります。日本精神の涵養が植民地統治の上には、最も必要であって、歴史の話もし、色々学校で教育をするが、実は言葉の意味が十分に理解されて初めて、国家精神の涵養ができるのであります。(中略)国語の普及とゆうことが新領土の国民性を形作る上に一番必要であります。植民地の統治には、同化主義がよいとか、悪いとか、或いはその土地の風俗に従って行くべきものであるとか、言われていますが、もし植民地を日本の本当の領土たらしめんとするには、どうしても其処の住民が日本精神を持たなければならん、それにはどうしても国語が必要である、それで国語普及とゆうことは、植民地行政上に非常に重要性がある。(「国語運動」第一巻二号、一九三七) 年度別 国語教習所 簡易国語教習所 合計 所数 生徒数 所数 生徒数 所数 生徒数 昭和6年 68 561 805 31201 873 31762 7年 185 4835 702 27675 887 32510 10年 1629 63023 754 31370 2383 94393 13年 3454 214865 3852 257277 7306 472142 15年 11206 547469 4627 215794 15833 764263 『台湾事情」(昭和16年版・台湾総督府刊)による 35 日本語の普及が新領土の「国民性を形作る」ため、「日本精神」をもたせるために、いちばん必要なこととされ、植民地統治上、不可欠なことと考えられ、推しすすめられてきたのである。一九四二年の時点では、日本語教育を受けた人数はすでに三二〇万人をこえ、当時の台湾総人口の五七%を占めた。 他方少数民族に対する日本語普及対策も重要視された。樺山総督は就任早々、「本島ヲ拓殖セントセバ、必ズ先ヅ生蕃ヲ訓服セシメザルベカラズ」と訓示をだした。伊沢もはじめから「生蕃教育」に関心をもち、一八九六年九月に「生蕃教育について学務部長通知」をだしており、のちにも数回言及している。台湾の原住民族は高山族というが、じつは広域に分布する言語と文化の違う九つの部族(アタイヤル、サイセット、ブヌン、ツオゥ、ルカイ、パイワン、アミ、ピュマ、ヤミ)を総称したいい方である。明末から「蕃人」、「土蕃」と呼ばれてきた。日本植民地時代には「蕃族」、「蕃人」と呼ばれていたが、民族矛盾を緩和するため、一九三五年からは「高砂族※」と公的に改称した。高山族に対する日本語普及政策は、資源開発と治安整備に結びつけて考えられており、一九二七年までには、すでに全人口の三分の一に対してある程度の日本語教育を施した(「台湾原住民の向化」台湾総督府警務局理蕃課編)。 =========================== ※ 高砂という呼称の由来には、日本人がはじめて台湾にきたとき、その美しい景色が播州の高砂の海辺に似ているとみて、台湾のことを高砂と称したという説のほかに、倭冠が台湾の「打狗山(タアカオスア〕」の発音をなまってタカサゴ・タカサグンと呼んだという説がある。ちなみに、「高雄」という地名も同じように、「打狗山」の発音から日本人が漢字にあてたものであった。漢文の構文論と造語法からみても、高も雄も修飾語的言葉で、中心詞としての名詞がなくて、この二字だけでは地名になれないのである。 =========================== 少数民族への日本語普及の担当機関は一般とは違っていた。一八九六年(明治二九年)四月、軍政から民政に切りかえた総督府は、蕃地を民政局殖産部の管轄下においた。九月、恒春国語伝習所チロソ分教場が設けられ、いわゆる「蕃人」への日本語教育がはじまった。同年に一〇ヵ所の蕪墾署が設置され、翌年四月の撫墾署長会議で、「各蕃社より児童の怜悧なる者を一所に集め、日常の生活に須要なる事項及五〇音並びに簡易なる数字の類を教授せんことを希望す」と打ちだした。一八九八年六月に撫墾署が廃止され、その事務は弁務署第三課に移された。二三の弁務署では、派出所を設けて蕃童教育を実施したが、正式な教育機関を設けるまでには至らなかった。 36 一九〇一年一一月に弁務署が廃止され、新設置の警察本署に蕃務課(のち理蕃課)が設けられた。警察本署は各要地に警察官吏派出所を設置し、所員が執務のかたわら蕃童を集めて教育するという方策を講じた。蕃童教育所と称する教育機関が警察官の手によって、はじめて作られたのである。警察と教育、あるいは警察と言語との結びつきは、植民地での言語政策の本質的な一面を物語っている。一九〇五年二月、蕃人子弟就学に関する公学校規程が勅令により公布され、国語伝習所の代わりに、一五ヵ所の公学校が設立された。「國語を教え」、「國風に化せしむる」ことが、その規程によって公学校の目的として決められている。その際、当時のいわゆる歴史仮名遣いではなく、表音的仮名遣いがつかわれていたことに注目すべきだろう。のちに民政長官の名義で、蕃童教育標準、蕃童教育綱要、蕃童教育費額標準などが制定され、蕃地関係の各庁長に通告され、一九二八年まで実施された。それ以後、蕃童教育所が設置されるようになった。一九三六年七月、総務長官から「高砂族国語講習所規程準則」が通達され、警察官吏駐在所または派出所に、成人向けの国語講習所を設置させた。授業はたいてい夜間に行われ、教師もほとんどは警察官だった。一九四三年末には、二七二ヵ所の国語講習所が設置され、講習を受けた人数は二万人をこえた。 植民統治に対する少数民族の反抗が頻発したこともあるが、樺山時代から「生蕃対策」には非常に神経がつかわれてきた。そして、日本語教育もその有効な手段として考えられ、台湾総督府警務局の『高砂族の教育』(一九四三年版)によれば、山地高砂族の教育費はすべて国費で、教育所においては授業料を徴収せず、教科書なども給与制であった。これにより、日本語の普及は他の地方より、むしろ少数民族の方がすすむことになり、「皇民化」教育もより徹底された。のちに組織された高砂義勇隊の肉搏斬込隊や敵陣夜襲隊が、侵略戦争の第一線にだされたことなどは有名な話である。それに対して、たとえば海南島に派遣された、文化水準が高いとされている漢族系の台湾人志願兵は、「陣前起義」し、国民政府に寝返ってしまった 37 という例がある。 次へ
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【妄想属性】適当 【作品名】 なんか偏見多いけど、大阪は世界でも屈指の親日国だよ。 日本語で話したら、ちょっと発音は変だけどちゃんと日本語で帰ってくるし、 日本円だって使えるし。 2ちゃんの評判は悪いけど、俺は大阪と仲良くするのは 日本にとって決して悪い事じゃないと思う。 【メンバーリスト】なんか偏見多いけど、大阪は世界でも屈指の親日国だよ。のメンバーリスト ゼヴェルギーン アルテア ニルヴァーナ ラーミア アルジャイール アーニス ヴェルギリアス ゴッドフリート マルガリータ エレアノール ダール オルテガ クレアヴィル オットーとヨーゼフ ギラルディス
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【資料】永山英樹氏の"つっこみ"は的を射ているか(下) 永山英樹氏の つっこみ は的を射ているか(上) 岡田充さんの論文に、永山英樹氏の"つっこみ"を挿入しました。 岡田充さんの論文: 海峡両岸論 第4号 2009.5.10発行 by 岡田 充 NHK叩きは馬批判の代償行為 「親日幻想」捨てない人たち http //www.21ccs.jp/ryougan_okada/ryougan_04.html 永山英樹氏の"つっこみ": 台湾は日本の生命線! 台湾「反日」イメージの流布試みる親中派の執念―「NHK叩き」批判の元共同通信台北支局長を批判する(下) 2009/07/19/Sun http //mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-824.html 海峡両岸論 第4号 2009.5.10発行 by 岡田 充 NHK叩きは馬批判の代償行為 「親日幻想」捨てない人たち(下) ★アンダーラインは、永山英樹氏が批判のために引用せずスルーした記述です 目次 NHK叩きは馬批判の代償行為 「親日幻想」捨てない人たち(上)新政権に喪失感 孤立のジレンマ NHK叩きは馬批判の代償行為 「親日幻想」捨てない人たち(下)「好感度」と親日 「おごり」と「甘え」 分裂したアイデンティティ 評価も相半ば (引用者注)永山氏の後半の"つっこみ"は、いきなり次のような『レッテル貼り』と罵倒から始まる (永山) 元共同通信台北支局長である岡田充氏の「海峡両岸論」に載った「NHK叩きは馬批判の代償行為 『親日幻想』捨てない人たち」は我々のNHK「JAPANデビュー」への抗議運動を批判するものだが、それが中国人と同じ立場に立った邪推だらけの内容であるでことは前回書いたとおり。今回は特に論文の後半部分を見て行きたい。 さて岡田氏が擁護する「JAPANデビュー」第一回放送「アジアの“一等国”」が台湾を反日国家と印象づける内容だったことは周知のとおり。その点を日本李登輝友の会が抗議すると、NHKの番組プロデューサーはこう説明した。「台湾が親日的であるという事実は、多くの日本人が認識していることであり、この番組でも決して否定していません。一方そうした台湾にも、植民地時代の差別、戦争の深い傷が残されているという事実を伝えることが、日本と台湾のさらに強くて深い関係を築いていくことに資すると考えています」と。台湾人の「親日」が日台の良好な関係を支えていると言っても過言ではないが、番組はその台湾の「親日」イメージを崩そうと試みたのである。だから「日本と台湾のさらに強くて深い関係を築いていくことに資する」などとは考えられない。番組が狙ったのは日台関係の弱体化としか言いようがない。 (引用者注)こうした永山英樹氏の言説こそ、岡田氏がこのあと、「親日」や「愛日」への「甘え」として批判しているのだが、果たして永山氏は反批判ができたのだろうか、観ていこう・・・ (永山) そしてその弱体化を望んでいるのは言うまでもなく中国だから、NHKはあの国の利益に「資する」ためにこの番組を作ったのではないかと疑われている。そう考えなければ、なぜあのような歴史捏造と印象操作に満ちた番組をわざわざ制作したのかが説明できないのだ。ところが岡田氏もまた、この論文で台湾の「親日」イメージを崩そうと躍起になっている。そもそもこの文章を書いた動機は、次のような思いからだそうだ。 (引用者注)何かもう、論証力では勝負しません、という宣言のように聞こえますが・・・ (岡田) 日台関係になると決まって「親日」「反日」という不毛な二元論に、議論は空回りする。我々の思考を覆う二元論から解放されねばならない。 (永山) 要するに台湾を「親日」と思ってはならない、と言いたいようだ。はっきりとそう書けばいいのにと思う。 (引用者注)レッテル貼り満開? (永山) 岡田氏は「反日幻想」を流布したいのか、こんなことを書いている。 「好感度」と親日 筆者は3年半台北で生活した経験があるが、不愉快な思いをしたことはなかった。日本人に示す台湾人の好意と善意が主な理由だ。日本の対台湾窓口「交流協会」が08年末、約1000人の台湾人を対象に行った世論調査によると、日本に「親しみを感じる」は69%と「親しみを感じない」の12%を大きく超えた。台湾人の好意が世論調査でも確認された形だ。だがその好意や善意を「親日」とくくることには違和感を覚える。 (永山) 台湾人の「親日」感情に素直に感謝し、日本人としてその感情に応えて行こうと思えばいいのに、「違和感」とはどう言うことか。そこで岡田氏の「親日」の定義に耳を傾けよう。 「親日」という言葉には、日本の経済力へのあこがれから、漫画やキャラクター大好きの「哈日族」まで、さらに植民地統治や「日本精神」の肯定など、政治的な意味まで極めて広義である。 (永山) この定義自体は正しいだろう。ところがそう言いながらも、次のように付け加える。 調査結果を報じた朝日新聞ⅲ は「日本による植民地統治や戦争の歴史が同様にあった中国、韓国と比べ、台湾の親日度がデータで裏付けられた形だ」と解説した。ここにも「親日」が登場するが、読者に誤解を与えかねない表現である。 なぜなら「台湾の親日度」の前に「日本による植民地統治や戦争の歴史が同様にあった中国、韓国と比べ」という表現を入れることによって、あたかも台湾人が植民地統治を評価しているような印象を与えてしまうからである。 (永山) なるほど岡田氏は、台湾が「親日」と呼ばれることで、日本人に「植民地統治を評価」されているとの印象が持たれることを恐れているわけだ。そこで、台湾人は「植民地統治を評価」などしていないと大声で訴えたい岡田氏は、その事例をさまざま紹介する。 記事は続けて、台湾人の「親日」の理由について「『経済力、技術力の高い国』が1位。次いで『自然の美しい国』『きまりを守る国』『豊かな伝統と文化を持つ国』などだった」と書き、「李登輝元総統に代表される、日本語教育を受けた70歳以上の高齢者世代の親日度が高いとされてきた。だが、『親しみを感じる』とした回答者は、20代が79%、30代が77%と、若い世代が最も親日的で、65歳以上は58%だった」としている。これから想像するに、若い世代が日本へ好感を抱く理由は、経済・技術力、自然など非政治的理由が多く、日本の植民地統治を評価しているわけではないことが分かろう。 「おごり」と「甘え」 麻生首相は外相だった05年2月、国会答弁で「台湾の教育水準が高いのは、植民地時代の日本義務教育のおかげ」と発言したことがある。麻生発言に対し、陳水扁政権時代の外交部スポークスマンは「教育も植民政策の一環であり、目的は誰もが分かっている」と、植民地統治の正当化に反発した。これが「親日」民進党政権の植民地統治に対する公式見解である。 (永山) 台湾人の戦後世代の多く人が国民党の反日教育の影響で、日本統治をはなから否定しているのは事実だ。しかしその一方で、そうした政治的歴史教育への反撥や、民主化後の歴史教育の客観的な歴史教育の影響で、日本統治への評価が高まるつつあるのもまた事実。あの時代への評価ブーム(レトロブームのような形であったりで)が広がっているのが現状である。だから岡田氏は「評価しているわけではない」などと断言しない方がいいだろう。林建良氏(メルマガ「台湾の声」編集長)も「若い人に親日度が高いのは、その大きな理由の一つとして、李登輝政権時代以来の教育で、国民党の歴史捏造を否定して、日本統治の歴史をより正確に直視するよう教えるようになったことがあげられるのだ」と岡田氏の論文を批判している。 (引用者注)林建良氏の岡田氏批判文は、【7月18日 メールマガジン「台湾の声」】 「政権党としての建前にすぎない」という見方もあろうが、「主権独立国家」が植民地統治を正当化する言説に組みすることは、自殺行為に等しい。このスポークスマン発言に「反日」のレッテルを張れるだろうか。むしろ自分の発言を、台湾人も受け入れるだろうという「親日幻想」に寄りかかる麻生の「おごり」がみえる。 ところで広義の「親日」の対極にある用語は「反日」であろう。これも広義の概念だが、日本のメディア・識者は、外国および外国人をとりあげる際、日本に対する愛憎を基準にしたこのレッテルを好んで使う。話は02年に戻る。この年のはじめ、台湾の性風俗業や買売春を写真や値段入りで紹介した日本のムック本「極楽台湾」が、台北で販売禁止される事件が起きた。当時の台北市長は馬英九。「極楽台湾」を厳しく取り締まった馬英九を「反日」の一言でばっさりと切り捨てた研究者がいた。水谷尚子・中央大非常勤講師の「胡錦濤より『色男』で『反日』の馬英九」ⅳである。彼女は「買春した日本人は、出国時パスポートに『淫虫』(スケベ野郎)のスタンプを押すことも検討する」と述べた馬発言を取り上げ、馬の「反日的性格」の一例というのだ。 さらに馬の「反日」の例として、霧社事件のタイヤル族の指導者モーダルナオ記念碑を「先住民たちは抗日英雄」として参拝したことや、馬がハーバード留学時代「保釣」運動の闘士だったことを挙げる。馬の名誉のために言えば、台湾でモーダルナオの肖像を彫った50元コインが発行されたのは陳水扁時代であり、発行を計画したのは李登輝政権だった。「親日」「反日」の二元論から生み出された「おごり」の一例である。 分裂したアイデンティティ (永山) さて、次の事例はどうか。こちらは相当インチキだと思うが…。水谷尚子氏の論文に「李登輝に代表される日本語世代のような、無条件に日本を愛してくれた親日派は、今後急速に消滅していく」とあるのを取り上げ(これを論文の傑作部分とまで言ってちゃかし)、こう書くのだ。 この論文で傑作なのは結論部分である。彼女は「李登輝に代表される日本語世代のような、無条件に日本を愛してくれた親日派は、今後急速に消滅していく」とし、「台湾が『親日』であった時代は終わった」と結論づける。いったい李のどこに「無条件で日本を愛してくれる」性格がみえるのか。うなずくわけにはいかない。 (永山) かくして岡田氏の「李登輝論」が始まる。 「李登輝とは不思議な人である。台湾人の心を持ち、日本人の思考方法と欧米の価値観を持つ。同時に中国的な社会、文化背景の中で生きている」。李をこのように評するのは、陳政権時代、総統府国家安全会議副秘書長を務めた江春男だ。「司馬文武」のペンネームのほうが通りがよいだろう。反国民党の立場から台湾を論じてきたジャーナリストである。彼は「多面政治家」としての李の顔を次のように表現する。「40年に及ぶ『蒋王朝』の下で身に染みついた『中国的処世術』。西側には民主主義と人権を押しだし『ミスターデモクラシー』と礼賛される。日本人には『日本人の思考』で付き合う」 ⅴ 国際政治と外交とは、国際的に認められたあらゆる方法で、「国益」を追求する手段である。「無条件で外国」を愛する政治家がいるとすれば、その国際感覚と政治家としての資質は疑わしい。国民党内のし烈な権力闘争を勝ち抜き、巨大な中国と駆け引きするには、「親日」だけでは生き残れない。李の場合、強大化する中国を「仮想敵」に、自分と台湾の「親日」イメージを戦略的に振りまいた成功例である。言動に矛盾が多い人だが、その多面性には奇妙な魅力があるのも否定できない。 (永山) 日本語世代の「親日」イメージを「振りまいた」と言う李登輝氏の「戦略」の存在は、私も否定しないし、それどころかすばらしい戦略だと思っている。しかし李登輝氏は「イメージ」の創出、操作を行ったわけではないのだ。「親日」世代の存在と、その歴史的背景を事実として明らかにしたのである。岡田氏はその辺をわかって書いているのか。「無条件で外国」を愛する政治家は失格だとも言うが、それは「無条件で自国より外国に忠誠を尽くす政治家は失格」と言い換えるべきだろう。岡田氏は李登輝氏など日本語世代に多く見られる元日本国民としての日本への愛情が理解できなのか、理解できないふりをしているのか。 (引用者注)李登輝氏が、そんな単純な人物ではないことを岡田氏は丁寧に書いているのだが・・・ (永山) 水谷氏は、国籍は変わっても日本を愛しつづける李登輝氏など元日本人たちの自然感情を「無条件に日本を愛してくれた親日派」と形容したのみ。それにもかかわらず、それへの反論にわざわざ多言を費やすのもまた、台湾の「親日」イメージを否定したい一心からなのだろう。 (引用者注)永山氏と違って耳や目をふさがず、岡田氏の「多言」をまずは読んでから判断したい。 台湾人は分裂したアイデンティティの中で生きている。台湾、日本、中国、西欧という4つの顔に加え、「本省人」と「外省人」に「客家」「先住民」など、族群アイデンティティも根強い。対日観は族群によっても異なるし、一人の人格の中でも4つの顔が「プリズム」を通すように、さまざまに変化するのである。その分裂は、李登輝がたびたび「悲哀」と強調するように、「外来政権」によって支配された続けた歴史に起因する一面もあろう。ただ李が分裂を「悲哀」と表現するのは、「日本人思考」で訴えているためである。日本は「文化、言語、民族が一体化した自然発生的な国家」という幻想の下で、国家アイデンティティの分裂が少ない特殊な国である。そうした日本人にとって、台湾人の「悲哀」という言葉はストンと腑に落ちるのである。 評価も相半ば ところで、台湾ではこの番組はどのように受け止められているのか。台北のジャーナリストによると、与野党の支持者および中間派のいずれもが、あまり関心を持っていないという。「番組を見たという民進党支持の日本留学経験者は『いい番組で勉強になった。反日とは思えないが』と解せないようだった」と語る。 この番組で、日本のエリート教育を受けたお年寄りが「差別に苦しめられた。(日本時代は)いやだな。バカにしよって」と、感情あらわにぶつける場面は印象的だった。筆者も台湾では、日本教育を受けた年配者から、日本への複雑な思いをいやというほど聞かされてきたから驚きは感じなかった。ただ「カメラの前でよく言えたな」というのが率直な感想だった。日本で彼らの「親日」イメージが定着していることを自覚している台湾人が多いため、赤裸々な日本批判の場面が放送されれば、逆に本人が困るのではないかと懸念したからである。 番組を批判する「台湾の声」ⅵは、発言の主である87歳の元医師、柯徳三氏に国際電話を掛け真相を質した。「台湾の声」に基づき柯氏の発言を要約すれば(1)日本の台湾統治はプラス面50%、マイナス面50%(2)(日本統治時代の)インフラや教育のよさを語ったが番組は取り上げなかった(3)国民(党)政府は日本政府の倍悪かった。(47年の)「2・28事件」では、台湾人エリートが犠牲になったと話したのに、まったく取り上げなかった(4)私は親日でも反日でもなく、日本は養母。中国から切り離され、日本に養子として拾われたのだ。日本人に差別はされたが一人前の医者として活躍できるのは日本のおかげ―ということになる。そして柯氏は「NHKには利用された、騙されたという気もしている」と嘆いた。 この発言に脚色はないだろう。番組が「マイナス面50%」ばかりを伝え、「プラス面50%」を伝えなかったのは事実だ。ただそれを「公平を欠く偏向」というのはどうだろう。番組制作の意図は、1885年から1945年に及ぶ日本の台湾統治を「日本のアジア支配の原点」と位置付けることにある。その意図からすれば、「2・28」も、国民党による過酷な圧政にも焦点が当たらないことは不思議ではない。 (引用者注)永山氏は、岡田氏の上記の部分には突如沈黙、逐次反論することを止めてしまった。なぜだろうか? 番組は次のようなナレーションで終わる。 「親日的ともいわれる台湾で、今も残る日本統治の深い傷。それは今後アジアの中で生きて行く日本が分かち合わなければならない現実。過去と向き合う中から見えて来る未来。150年前に世界にデビューしたジャパンの歴史が、私たち一人ひとりの明日を問いかけている」。 日本統治のプラス面ばかりを強調する情緒的報道が多い中で、むしろバランスがとれたコメントではないか。 柯氏だけでなく多くの台湾人が評価するインフラ整備、教育について言えば、「教育も植民政策の一環であり、目的は誰もが分かっている」という前出の陳政権時代のスポークスマンのコメントを引用すれば十分であろう。いずれも台湾人のためではなく、日本のアジア支配の戦略基地作りが目的であった。ただしインフラは、世の中がひっくり返っても基盤はそのまま残る普遍性を持つ。 問題は、相半ばする評価を「親日か、反日か」の二元論のモノサシで測る、われわれの思考自体にある。(敬称略) (永山) このように見ると岡田氏の「親日」否定の執念は「JAPANデビュー」が自らの番組制作の意図を語った次のナレーションと重なってくる。「親日的ともいわれる台湾で、今も残る日本統治の深い傷。それは今後アジアの中で生きて行く日本が分かち合わなければならない現実。過去と向き合う中から見えて来る未来。150年前に世界にデビューしたジャパンの歴史が、私たち一人ひとりの明日を問いかけている」これは「台湾は親日であるとは限らない。台湾人もまた日本の殖民地支配を許せないのだ。日本人は中国政府が言うとおり、過去を鏡として未来に向かえ。反省と謝罪を忘れるな」との政治的メッセージ。番組の取材を受けた日本語世代の人々が、放送後にこのような番組のメッセージ(趣旨)を知って不満を抱いていることは説明を要さないが、岡田氏はこう賞賛する。 日本統治のプラス面ばかりを強調する情緒的報道が多い中で、むしろバランスがとれたコメントではないか。 「親日」イメージに「反日」要素を加味することで「バランスがとれた」と言うわけだが、しかし現在持ち上がっている番組の問題は、その「反日」面の強調に歴史捏造が多々含まれていると言うことなのだ。問題になっているのは番組の歴史捏造や印象操作なのだ 問題は、相半ばする評価を「親日か、反日か」の二元論のモノサシで測る、われわれの思考自体にある。 こんなことを語る岡田氏。しかし繰り返すが、問題はそのようなところにはない。そもそもあの番組を巡り、台湾が「親日か反日か」などとの議論は起こっていないはず。なぜなら台湾が「親日」であることは争えない事実だからだ。 (引用者注)このとてつもない○×式思考は、一体誰の教育成果? (永山) 問題が番組内容の真偽にあることを岡田氏が知らないはずがない。どうしても「JAPANデビュー」を擁護したいのなら、「歴史捏造あり」との批判に、具体的に反論してみたらいいのだ。だがそれは岡田氏にはできないことだろう。なぜならNHK自身にすらそれができずにいるからだ(捏造を認めているに等しい)。岡田氏が、この番組を巡っての「論争に油を注ぐ気はないし、無視したいのが本音だ」と告白しているのも、まさにそのためではないかと思う。岡田氏はジャーナリストであるなら、公共放送の歴史捏造を非難するべきだ。もしそれを行う勇気がないと言うのなら、沈黙しているべきである。沈黙は台湾専門家として自ら墓穴を掘らないで済む唯一の方法なのだが、それでも黙っていられないのは、よほど台湾が「親日」であるのが怖いのだろう。どこまでもあの中国と共通点が多い人だなと思われ、少し哀れだ。 (引用者注)岡田さんがこの論評を書いたあと2ヶ月経って、ようやく反論を書いた永山英樹さん。ここでも歴史偽造ありとのシュプレヒコールを繰り返すばかりで、論証はありません。歴史偽造ありとの論証はこれまでにキチンとなさったのでしょうか? 「議員の会」へのNKHの「回答」やNHKの番組サイトの「説明」に対して、永山さんが系統立てた反証をなさった様子は、残念ながらありません。 注 ⅰ メルマガ「台湾の声」(09年4月6日「偏向番組で日台分断を図る) http //www.emaga.com/bn/bn.cgi?3407 ⅱ 岡崎研究所「台湾新政権と外交打開の予感」(2008年7月7日) http //www.okazaki-inst.jp/official/okazaki-inst/2008/07/post-9.html ⅲ 「台湾人7割「日本に親しみ」(2009年4月26日 asahi.com) http //www.asahi.com/international/update/0425/TKY200904250184.html ⅳ 水谷尚子「胡錦濤より『色男』で『反日』の馬英九」(「諸君」2005年3月号) ⅴ 岡田充「中国と台湾 対立と共存の両岸関係」(2003年 講談社現代新書)112頁 ⅵ メルマガ「台湾の声」(4月9日「証言の断片のみ放映」) http //www.emaga.com/bn/bn.cgi?3407 台湾問題リンク
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「台湾の声」編集部多田恵氏の一文 「中国語の禁止」?-NHKスペシャルの扇情的な事実歪曲 http //www.emaga.com/bn/?2009040052213476003789.3407 東京都 多田恵 四月五日の「NHKスペシャル|シリーズJAPANデビュー」(第1回「アジアの“一等国”」)では、浅薄な知識による結論先にありきの作りになっており、植民地統治が台湾を利用したと日本人に反省を求める製作者側こそ、台湾人の発言の上っ面を利用していて、それこそ台湾人を蹂躙していると言わざるを得ません。 私は、語学が専門ですから、特に次の点に疑問を持ちました。 「皇民化」の説明で、「学校や新聞などで中国語を禁止し、日本語の使用を強要します」というナレーションが入ります。 台湾の人が学校で中国語を話すようになったのは、戦後のことです。日本統治時代に、どうやって中国語を禁止したのでしょうか。 インタビューに出た台湾の人達は、日本語のほかは、台湾語で話している人がほとんどで、みな、その言語を「台湾語」と言っています。 つまり製作者は、台湾語を中国語と歪曲して伝えることで、台湾はもともと中国だったんだという誤った印象を増幅させているのです。 同じその言葉が、戦後、まさに、罰金や体罰を以って政策的に禁止されていることを知れば、そのような表現はありえません。「戦後、国民党政府は学校で中国語推進のために中国語を禁止した」と言わざるを得なくなるのです。 また、田宮良策氏のインタビューの字幕でも、「台湾人同士で話すときには平気で(中国語を)話す」と、勝手に「中国語」と補っていますが、これも、台湾人が元から中国語を話すかのような印象操作です。 台湾人は、少なくとも広義の台湾語、つまりいわゆる台湾語および客家語、原住民諸語を話していたのであって、決して中国語で話してはいませんでした。 では、NHKが使った中国語という言葉を台湾語に置き換えれば、正しい伝え方になるでしょうか。 そうでもありません。「禁止した」といえば、ああ、台湾人に対する抑圧だ、という印象を与えるでしょう。しかし、それが、どのようなものであったのか、NHKは調べてから番組にすべきではなかったでしょうか。 たとえば、どのような通達にもとづいて、どういった範囲で行われ、どのような罰則があったというのでしょう。 日本の台湾統治を断罪するという目的を持った人達は確かにそういった言葉遣いをしますが、正確ではないのです。言葉によって印象を操作しています。 台湾史で「漢文欄の廃止」として知られていることを、「中国語の禁止」と、歪曲するのです。番組を事実から離れて扇情的に作ることは、全体主義国家がやっていることです。このようなNHKが近代日本を批判するのは偽善といわずして何なのでしょう。戦争中は戦争を鼓吹しておいて、戦後は批判に回り、自己批判がないとされている某新聞社と同じです。 他にも、日本を断罪するという目的を持った人達は、戦争や占領という言葉を、本来の意味とは違うことを指して使っています。 たとえば、この番組で「日台戦争」という表現を紹介しています。そのようなことを言いはじめたら、きりがない。228事件は台中戦争になり、朝鮮での抗日運動は日朝戦争になるんでしょうかね。 元台湾籍日本兵の言葉が「みなしごになって捨てられたみたいです…(台湾の青年は)命がけで(日本)国のために尽くしたんだよ。それなのに」でカットされています。さまざまな想像を可能にする編集手法です。 「みなしごになって捨てられたみたいです」という言葉がカットされていなかったのがせめてもの救いです。 台湾人が、日本に求めているのは「反省・謝罪・賠償」ではないのです。 NHK回答の欺瞞を暴く:「中国語」表記について 多田 恵 NHKからの回答で、言語に関する説明がある部分を見ました。そこにはこうあります: (以下、[[NHKの回答(coffee氏への) ]http //www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1972.html]) 台湾語は閩南語にきわめて近い言語です。そして、閩南語は中国語の一方言として位置づけられています。一方、台湾には、客家語を話す客家もいます。客家語もまた、中国語の一方言です。台湾総督府の調査によれば、1930年代に自らを福建系(閩南語)と認識している人はおよそ70パーセント、広東系(客家語)と認識している人は十数パーセントいます。客家は、自らの客家語という言葉を、台湾語と区別して使用しています。ですから、当時の住民が「台湾語を話す」と表現すると、そこには客家語を話す人びとが含まれないことになります。 閩南語も客家語も中国語(北京語ではなく)の一方言であること、さらに客家の方々の存在を考え、「中国語を話す」と表現しました。 NHKは、客家人(ハッカ人)が客家語を話すことを考慮して、台湾語という名称を使わずに、中国語とした、としていますが、これも視聴者を馬鹿にして騙しているのです。 まず台湾では、いわゆる「台湾語」(ホーロー語)や、ハッカ語を、現在政策的にも方言とは見なしていません。「○○語」と扱っています。それらを「方言」と強調するのは、台湾語を弾圧していた時期の国民政府を含む中国の視点です。 そして、客家の人たちの中には、客家語も台湾語の一つであるという主張があります。「客家台湾語」という表現がされています。 これは、たぶん「日台戦争」よりは普及した言い方です。しかし、客家の方でも、まだ、ホーロー語のみを台湾語と呼ぶ習慣が一部残っているので、NHKが「台湾語」を使わなかったとする理由が成り立つようにも思えます。 しかしそこには、重大な欠陥があります。同番組では、原住民のことも扱いました。それなのに「中国語」という表現を使ったということは、原住民のことを無視していることになります。客家は無視していけなくて、原住民は無視していいというのでしょうか? 台湾総督府から明治40年に出た、『日台大辞典』では、「台湾語」という用語を、台湾で行われる「支那語」と「蕃語」の上位概念として提示しています。ここで言う、「支那語」という概念は、現在、「シナ語派」とか中国で「漢語」といわれているもので、「蕃語」とは、現在、台湾原住民諸語といわれているものです。 したがって、NHKが、台湾の「本島人」が話す言語を指したいのであれば、「台湾語」とすればいいのではないでしょうか。あの番組では、客家人だとか、ホーロー人だとか、そこまで詳しく紹介していなかったはずです。それならば、台湾語という名称を使っておいて、もし、抗議があったら、「ここでは、ホーロー語、ハッカ語、原住民語を含む広義で使った」と説明すればよい話です。 もし政策的に「禁止」したという事実があれば、その文書にある表現を使えばいい話です。それを出してこないということは、NHKは、資料に基づかずに番組を制作したのでしょうね。 NHKが、「台湾語」を認めない理由として、中国と同じ宣伝をしているのが注目に値します。 【資料】NHK JAPANデビュー第1回『アジアの“一等国”』をめぐって
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台 湾 に つ い て 調 べ て み る。 台 湾 台 湾 に つ い て 調 べ て み る。 【世界経済を回せ!―復興祈念? 台湾の旅】 第2話)代客料理ってナンだ? ||台湾|台北|蘇澳|平溪|十分|九份|の旅行記|| 翌朝、台湾北東部の蘇澳(スーアオ)を目指しバスに乗り込む。蘇澳(スーアオ)にはちょっと珍しい温泉があるのと、台湾最大級の魚業の街・南方澳(ナンファンアオ)が近く、海鮮が楽しめるというので行ってみることにした。 近年、この地方と台北をつなぐ自動車トンネルが完成し、それまでの山を迂回する電車にくらぺてグッとアクセスが楽になったそうだ。そのトンネルを抜けると車窓は水田地帯に一変し、時折カラフルなカカシの群れが表れ、旅人の目を楽しませてくれるが、あいにく天気が小雨交じりなのが残念だ。予報では僕の滞在中、ずっとこんな天気だという。 水田地帯に現れた、変なカカシ - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 発達した台湾の交通網のおかげで、ともかく昼過ぎにはもう蘇澳(スーアオ)に到着してしまった。とりあえず駅前の宿に荷を下ろし、海鮮を目指し、ローカルバスで南方澳(ナンファンアオ)へ向かう。 「トゥエンティ スリー(23元)」 と、英語で運転手は中国語の解らない僕に運賃を告げたので、25元を料金箱に投げ込む。すると、、、、お釣りが出てこない。 「ノー チェンジ」 あちゃー、お釣りが出ないのか、台湾のバスは。 しかし、料金箱の周辺をよく見ると悠遊卡(ヨーヨーカー)のマークが! ここ台湾でもICカードの電子マネーが普及していて、台北地下鉄の悠遊卡(ヨーヨーカー)は、国鉄やコンビニでも使える。なので空港に着くなりすぐさまそれを調達しておいたのだが、蘇澳(スーアオ)のローカルバスでも使えるとは知らなかった。お釣りが出ないなら悠遊卡(ヨーヨーカー)を使ったのにぃ! 少し運転手に掛け合ってみたがお釣りは戻らず、結局2元(約6円)の損失である。まあ良い、それだけ余分に世界経済を回したと思うことにしよう。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 南方澳(ナンファンアオ)は凹字型に港を囲んで街が発展している。港の両岸には海鮮の店が軒を連ね、どことなく南仏のマルセイユを思わせないこともない。 港を中心に発展した南方澳(ナンファンアオ) しかし、南仏と決定的に違うのは、海鮮レストランと漁具の修理店が混在している点だ。芳しいシーフードの香りの隣で、船舶エンジンのオイル臭が漂ってくる。それはあたかも、この街は軟弱なツーリズムだけでなく本気で魚業で生きているんだぞ、と力強く宣言しているようにも感じられた。 港の端に魚市場を見つけた。太刀魚、平目、イカ、鱸、おやっサメだ、あっ、これはマンボウではないか! ---さすが台湾一の漁港、活気があって楽しい。 活気溢れる南寧魚市場-南方澳(ナンファンアオ) そんな市場の端の「代客料理」なる看板を掲げた屋台街の一角にいつしか迷い込んでいた。 「タベル、サカナ、オイシイ」 と、屋台の親父に誘われ、並んだ魚を選べという。 僕は、形は鯵だが色が鯛のように綺麗な魚を選んだ。2匹で200元(約600円)、1匹で150元(約450円)というので奮発して2匹頼んでみる。調理方法はスープにするという。 すると、待つことしばし現れたのは、なんと味噌汁! 外国のローカルレストランで味噌汁が出てくるとは想定外であったが、これも台湾ならでは。日本時代のDNAが残っているのだ。 新鮮な魚が2匹丸ごと入った味噌汁は味もボリュームも満点。しかも2匹は、それぞれ1匹が子持ち、もう1匹は白子と、見えないところで芸の細かい味を楽しませてくれた。この市場の屋台街はクリーンヒットである。 市場の屋台街では「代客料理」が楽しめる。 しかし看板の「代客料理」って何だったのだろう。帰国してから調べてみると、それは客に代わって料理すること。すなわち、市場で買った魚を持ち込んで食べられるシステムがあったということだ。 だったら、マンボウでも持ち込んで試してみればよかったと少々後悔するが、そもそも漁師と値段交渉できる中国語力が僕にはないし、第一1人でマンボウ1匹食べきれるわけがない。 せっかくのシステムではあるが、残念ながら初めからオイラには縁のない代物であった。 (続く) もどる < 2 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記 なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
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