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太陽が西の空へ傾き、陽光が橙色へと変化し始めた夕刻。 大森林の東北の端、ボレアリアがフォリシアから数年ぶりに占領地を奪回したその境目に、オベアは移動していた。フォリシアとロシアが組んだことで森の中の移動も格段に楽になった。 火山を鳴動させるための巨大な魔方陣を見下ろせる小高い山の上には、臨時の指揮所が築かれていた。オベアはそこでほぼ完成した魔方陣の試験を見守っていた。 先日、突然森林内にゲートが開いて首都からの使者が現れたときは驚いたが、事情を聞いて納得し、彼は今後の事に思いを巡らせた。 「これで首都まで突破されることはなかろう、が、また陛下も思い切った決断をされたものだ…」 「禁忌といったって所詮はそんなものですよ。誰かが破れば後はなし崩し…」 オベアが呟いた一言に副官が答えた。 彼は思い出したように副官に言った。 「そういえばこの間、都に戻ったときに、ロシア国から供与された新兵器を試し撃ちさせてもらった」 「ほう、どうでした?」 「ババババーン」 彼は子供のように口で発砲音を真似ながら、副官に向かい虚空の小銃を構えた。 「速いなあ、すごく速い。弾丸飛んでるのが見えないんだぜ」 思わず吹き出した副官を見て悪戯っぽく笑った後、腕を腰の後ろに組み直したオベアは、再び試験中の魔方陣に視線を戻した。 「私が思うに、あの速さこそが異界の本質的な強さなのだろうな。異界軍は弾丸も、移動も、連絡も、何もかもが圧倒的に速い。速さは余裕を生み、戦術の選択肢を生み、その相乗効果は止まることを知らない」 若者が夢を語るように、楽しそうに彼は副官に話して聞かせた。 「改めて思い知ったところで、勝ち目はありそうですかな?」 「ゲートのおかげで国内の移動の速さはもはや問題ではない。銃も手に入れた。防衛戦は格段にやり易くなったな。しかし、ロシアと組んだ時期から異界軍の爆撃がめっきり減ったのが気にかかるところだが…向こうで何かあったかな?」 話の最中、突如間に割って入ってくる部下の声が聞こえた。 「将軍!平野の向こうから土煙が!大軍です!」 「大軍だと?異界軍が動き出したのか?」 「いえ、ボレアリア国軍です!異界軍の陣地を越えて真っ直ぐこちらへ向かってきます!」 「…なんてこった」 オベアは慌てて自分の目で確かめるべく、偵察鳥とリンクした水晶玉の元へ向かった。 自衛隊の前線基地の指揮官、森崎一佐は護国卿から送られてきた手紙を苦笑いしながら読んでいた。 仰々しい文言で飾られてはいたが、その中身は「お前らが全然動かないから、俺らが敵の首都まで進軍してやるよ!」という内容だった。 一通り読んだ後、内容を知っているせいか恐縮する使者を優しく帰し、彼は前方の戦況を注視しながら静観するように、と指令を出した。ただでさえ、森の中は見えないのだ。援護しようにも、まさか敵味方入り乱れて白兵戦をしている最中に砲弾を撃ち込むわけにはいかない。 一方、オベアはぞろぞろ近付いてくる騎馬と松明を持った歩兵の大群を上空からの目で確認すると、直ちに魔方陣を起動するように、と命令した。 魔方陣の製作を任された魔道師幹部は顔一杯に悔しさを滲ませて言った。 「森に火を放つ気か!せっかく異界の軍を壊滅させるために作ったのに…!こんな雑魚どもに使わねばならんとは!」 幹部の勢揃いする幕下へ戻ったオベアは乾いた笑いを短く絞り出すと、嘆く魔道師の肩を叩いて慰めた。 「ま、スピラールならそんなもんだ。燃え尽きた後悠々と行軍する気満々って訳だ。まさかこの間《ま》でこいつが出てくるのは予想できなかったなぁ。しくじったな…前線は異界軍にお任せだとばかり…奥地はともかく、魔方陣のある山は最前列だ。火を放たれたら持たんだろう。今から降雨の魔法陣を敷くのはとても間に合わん。今までの準備を無駄にするわけにもいかんしな」 なおも泣き言の収まらない魔道師が両手で顔を覆った。 「ああ~!せめて日没後だったらなあ~、これじゃ煙が丸見えだ」 「…ま、ロシアが味方についたからには他にいくらでも戦いようがある。ここは奴ら本軍の数を殺いでおくことにしよう」 森の向こうをオベアは遠い目で見据えた。 かくして彼らの予想通り、ヴァリアヌス率いる兵達は森の周囲に油をまき始めた。 森の入り口、魔方陣の敷かれている例の山の麓に油の臭いが充満し始めた頃、兵士の踏みしめる地面が突如鳴動し始めた。 将校達は兵士をせかして早く火をつけさせようとしたが、めったにない地震に脅えてしまった兵士達の動きは止まってしまった。そうこうしているうちにも地面の揺れはますます大きくなり、ついには真っ直ぐ歩くのも難しい程の揺れになった。 ドン、という大音響とともに見上げる山頂から煙が噴出した。火口から湧き出た白煙は恐るべき速度で斜面を駆け下り始めた。 様子を窺っていた陸自部隊は噴火の予兆を見てすぐに全員退避の指令を発していた。もし本格的な噴火でも起ころうものなら、数キロ離れたこの陣地も無事ではすまない。実際にはコントロールされた噴火なのでそのような事態は起こらないのだが、結果としてこの時点で部隊が退避したのは正解だった。有毒ガスを含んだ噴煙が真っ直ぐに陣地を飲み込む手はずになっていたからだ。 山から下りた熱い有毒ガスは、今にも火攻めを始めようとしていた国軍の部隊を一直線に飲み込んだ。煙の濃い範疇にいた兵士はばたばた倒れていった。倒れた仲間を助けようと煙に飛び込んだ勇敢な兵士達も次々に巻き込まれた。ガスが通った後は見るうちに草木が白く枯れていった。 魔法の風にガイドされた有毒ガスが陣地を飲み込んだのはものの二、三分の後だった。隊員達はかろうじて全隊員がゲートをくぐり避難していた。 こちら側のゲート設置場所である基地内で慌しく点呼を取り、全員の無事を確かめた森崎一佐はすぐにヘリで陣地の様子を見るように要請した。遠巻きに見守るヘリからは煙に包まれた陣地が確認できた。化学防護隊を送り、一息ついた森崎は感心したように呟いた。 「すごいな…!噴火も起こせるのか。まさに魔法だな。不意を突かれたら危なかった…」 「失礼します!溝山陸将補から御連絡です!」 横から部下が声をかけた。日本国内に置かれているこの作戦の司令部からの連絡は専ら彼、溝山陸将補が行っていた。 受話器を受け取るや否や、電話の向こうからは甲高い男の声が聞こえてきた。 「まずは全員無事だったようだね。早い対応だ。お見事」 「いえ、これくらいは…それで今回はどのような」 陸将補はゴホンと、咳き込みを入れて続けた。 「ちょっと講和が無理そうになったようでね、方針が変わった。米軍と連携して本格的に攻めるという話になった。なんでそこの陣地は落ち着き次第、撤収で。睨み合いご苦労だったね」 「では、敵が森を越えてきた場合はボレアリア軍に任せるのですか?」 「その場合もあるし、こちらがやる場合もあるだろう。いずれにしろ、この『陣取りゲーム』は守備側に相当有利なルール。相手の対ゲート結界に入らない限りは、兵站も移動時間もゼロという…。下手に相手の懐に飛び込むと袋叩きにされるよ…いかに相手の対ゲート結界を潰してこちらの対ゲート結界を作るか、というのがこの戦いの基本戦略だからね。ま、その辺は米軍が張り切ってやってくれるだろう」 「了解しました…とりあえず後始末を終えてから、詳しい話を…ではまた、後ほど」 通話を切ると、反撃の態勢を整えるため森崎一佐は作戦室に早足で向かった。 数十分が過ぎようやく噴煙が落ち着いた頃、森には熱いガスから着火した炎がうなりをあげて斜面を上ってきていた。 陽はすっかり地平線の向こうへ落ちてしまい、空の色は西の空に残っていたかすかな赤みも消え、紺色から黒へと変わる頃合であった。しかし森の炎が敵味方を照らし出すおかげで、その周囲は昼のように明るかった。 「精強なる兵士達よ!火の回っていないところから出るぞ!混乱した敵を蹴散らして、森にこもっていた鬱憤晴らしをしよう!」 消火作業に他の兵がかかりきりの中、森の端でオベアが呼びかけに応え、選りすぐりの精兵三千は皆口々に声を出して気勢をあげた。 まず森から飛び出した騎兵は、混乱の続くボレアリア軍の歩兵の真ん中を切り裂いた。少し遅れて歩兵が敵の横腹に槍衾で突撃をかけた。味方の救助に気を取られていたボレアリア軍は不意を付かれた格好になり、陣を大きく乱した。 「あんな寡兵に何やってる!真面目にやらんか!さっさと囲んでしまえ!」 戦闘現場のはるか後方から指揮を執るヴァリアヌスは、物を蹴り飛ばすなど明らかにイラつきを隠せない様子だった。 「まったく騒がしいな」 なだめる側近を押しのけて、突然幕内に上がりこんできたのはフワンだった。彼は小さくため息をついて、眉間にしわを寄せたヴァリアヌスの前に立った。 「何用だ、フワン?ここはお前の管轄ではないぞ!失せろ!」 「…貴方にはいろいろ言いたいこともあったが、もういい」 フワンが手に持っていた書状のサインを見てヴァリアヌスは顔色を変えた。 「それはま、まさか!」 「陛下の召還状だ。大人しくリクマイスに戻って頂こう」 丸められていた書状をばっ、と広げて彼は国王の勅命を淡々と読み上げた。 「そんなバカな!私が…」 「戻らぬ場合は即刻軍の指揮権は剥奪される。まあ戻っても、早いか遅いかの違いだけだろうがな」 呆けたまま固まったヴァリアヌスを横目に、フワンは側近に書状を投げ渡した。 「さて、誰ぞ軍の指揮を執らなくていいのかな?あんな少数にかき回されては面目が立たなかろう」 「言われんでもそうするつもりだ!護国卿が心身不調につき、私が代理の指揮を執る!」 副官はそう言うと、伝令に指示を与え始めた。 オベアが放った騎兵は途中で隊を二つに分け、一方の隊は森の前の草原を進み、陸自の陣地へ向かおうとしていた。まだ陣地の消毒、復旧作業に追われているうちに、あわよくば化学防護隊を粉砕して武器を鹵獲しよう、と考えたためだった。 森の炎の光が及ばない暗闇に隊が入りかけた時、どことなく空から風切音が響き始めた。 フォリシアの兵士は一度も聞いたことのない音だった。よく夜空に目を凝らすと、何かが浮かんでいるのが見えた。 それは陸自の攻撃ヘリ、コブラだった。複数のヘリは緩やかに旋回しながら、機銃に対しては紙くず同然の鎧しか持たない騎馬隊に狙いをつけていた。 騎馬隊も音のする方向へ矢を放つものの、矢は暗闇に消えていくだけだった。付随する魔道隊の電撃、火球魔法も同様だった。 ヘリの腹からボボン、とロケット弾が火を噴き、兵士と馬は吹き飛ばされ肉片に変わった。後の仕事は逃げる兵士を機銃で追い散らすだけであった。 数百いた分隊はほとんどが斃され、最後尾にいた者達がかろうじて脱出できた。 森の端で水晶玉から戦況を見守るオベアにヘリで攻撃されたとの報告が入った。 「やられたか…やっぱり異界の方々は対応が早いな。じゃあ、そろそろ頃合で引き上げようか」 ようやく戦列の整いだしたボレアリア軍を尻目に、フォリシアの歩兵はするすると撤退を開始した。 「ズィレラン副長!騎兵をよこす!協力して森まで下がれ!」 長旗で殿を務める部隊に指示を出し、オベアは消火のため切り倒された森の木に目をやった。 陸自陣地の作業が終わり、ボレアリア軍の負傷者を運び込んで治療に当たり始めた頃、周囲にぱらぱらと雨が落ち始めた。フォリシア側が消火のために用意した魔方陣がようやく効果をあげ始めたのだった。火は山一つを焼いて鎮火していった。 ボレアリア軍の死傷者は三千人を超え、その不甲斐ない敗戦に重臣の誰しもが護国卿解任止む無しと考えた。 夜の帳が下り、人々がそろそろ寝床に入ろうかという頃、フォリシア首都ジェルークスの一角、国家出納局長官パオロ・マルカエデスの大豪邸では反オベア派の重臣達が集まり、簡単な酒席を開いていた。 「異界の品々はお気に召しましたかな?皆様方」 ニヤつくマルカエデスに、重臣達は満面の笑みで応えた。 「いや、全く素晴らしい品ばかりだ。これほどの物を今後も頂けるのであれば協力せざるを得まいな。ワハハハ」 ロシア側によって早々に篭絡されたマルカエデスは、密かに贈られてきた電化製品や芸術品の数々を自身一派の重臣らに分け与えていた。 「機械の箱に電気という力を通すとまるで目の前に楽隊がいるかのように音が出る!私の財力では屋敷専用の楽隊を雇うという訳にはいきませんでな。音楽好きの私としては、もはやパオロ殿には頭が上がりませんな!ハッハッハ」 自家発電機に電灯、音楽プレーヤー。異界側のレシピを訳させ、料理を作らせたら頬が落ちるようだった。異界の料理と酒でもてなされた彼らはすっかりロシアの虜になっていた。 マルカエデスは高級ワインで顔を真っ赤に染め、ご機嫌だった。 「自動車という乗り物もくれると言うのだが、さすがにそれは、陛下を差し置いて乗るのは気が引けてな。まずは陛下に、と辞退してしまったわ」 「ハハハ、陛下より先にこのような贅沢が出来るとは、いい時代になったもんだ」 「で、今日の集まりの本題であるが…」 赤い顔を途端に真顔に変えたマルカエデスが言うと、他の重臣達も彼の言葉に耳を傾けた。 「オベアの処遇のことだ」 重臣達は各々顔を上下に動かした。 「確かにあの堅物が我らの行いを知れば、大声でわめき立てるに違いない」 誰かが嘆くように呟いた。 「クリミ殿がご健在であればなあ…」 「クリミ殿はもはや明日をも知れぬお命。今まで総司令指名を引き延ばしてきたが、亡くなられてしまってはもう延ばすことはできん」 陸軍総司令ロビリオ・クリミの容態は徐々に悪化し、最近は自宅から外に出ることもなくなった。新しい陸軍総司令を決める総司令指名が近いのではないか、と王宮内では専らの評判であった。 マルカエデスはワイングラスを持ったまま窓際へ近寄り、窓の一つを静かに押し開けた。 「陸海の総司令は国王の剣臣、槍臣と呼ばれる第一の臣。下手をするとその権力は我らより上かも知れん」 新月の赤黒い月が東の空にうっすらと姿を現していた。庭に住まう虫々が初夏の音色を奏でる中、彼らの謀議は続いた。 「海軍のタビラス殿はその辺、いろいろと理解がある方であるが、奴は駄目だ」 「オベアは国王の信頼厚き故、総司令指名で選ばれるのは間違いなかろう」 「総司令指名が行われるその前に手を打たねばならんな」 総司令指名は軍幹部の推薦により王が選定する。一度始まってしまえば重臣達には一切口を出すことは出来ない。 「そこでだ」 マルカエデスは中身の減った重臣達のグラスにワインを注いで回りながら言った。 「奴の妻は異界の敵国の出だ。密通の疑いありとして妻子を国外退去にしようと思うのだが」 「追放?処刑ではないのか」 マルカエデスは重臣達にロシアを通じて妻子を妻の母国、日本に送還するアイディアを説明した。 「オベア本人には今は手を出せん。だが、妻子を取り戻そうとニホンと接触を持とうとするかも知れん。そうなったらしめたものだ」 「国家反逆罪で処刑!…なるほど、さすがパオロ殿。悪知恵がはたらく…フッフフ」 「そういうことだ」 すでにこれからやるべきことを理解している一同を見回したマルカエデスは満足気に頷いた。 「早々に根回しを…奴が帰ってくる前に事を終わらせねばならんのでな」
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