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『出羽三山史』登場キャラ一覧(没年順) 継体天皇450-531(※日本書紀) 崇峻天皇?-592(?- .11.3) 聖徳太子574-622(敏達天皇3.-推古天皇30.2.22) 蘇我馬子?-626(?-推古天皇34.5.20) 推古天皇554-628( - .3.7) 蜂子皇子562-641(欽明天皇23-舒明天皇13) 舒明天皇?-641(?-舒明天皇13.10.9) 孝徳天皇?-654(?-白雉5.10.10) 皇極天皇594-661(推古天皇2-大化7.7.24) 文武天皇683-707(天武12-慶雲4.6.15) 元明天皇661-721(斉明天皇7-養老5.12.7) 玄Μ?-746(?-正平勝宝17.11.) 聖武天皇701-756(大宝元-〓.5.2) 黒珍741-810(天平13-弘仁元) 最澄767-822(神護景雲元-弘仁13.6.4) 義真781-833(天応元-天長10.7.4) 空海774-835(宝亀5-承和2.3.21) 円仁(慈覚)794-864(延暦13-貞観6.1.14) 安慧794-868( -貞観6.4.3) 光孝天皇830-887(天長7-仁和3.8.26) 円珍814-891(弘仁5.3.15-寛平3.10.29)2月15日生まれ説あり 聖宝(理源大師)832-909(天長9-延喜9.7.6) 宇多天皇867-931(貞観9.5.5-承平元.7.19) 源基平1026-1064(万寿3-康平7.5.15) 増誉1032-1116(長元5-永久4.1.29) 行尊1055-1135(天喜3-保延元.2.5) 崇徳天皇1119-1164(元永2.5.28-長寛2.8.26) 源為朝1139-1170(保延5-嘉応2)異説あり 源義経1159-1189(平治元-文治5) 源頼朝1147-1199(久安3-正治元.1.13) 源頼家1182-1204(寿永元-元久元.7.18) 源実朝1192-1219(建久3.8.9-承久元.1.27) 北条義時1163-1224(長寛元-貞応3.6.13) 御鳥羽院1180-1239(治承4.7.14-延応元.2.22) 道範1178-1252(治承2-建長4.5.22) 善慶1197-1258(建久8-正嘉2) 北条時頼1227-1263(安貞元.5.14-弘長3.11.22) 平頼綱?-1293(?-永仁元.4.22) 北条貞時1271-1311(文永8-応長元.10.26) 北条高時1303-1333(嘉元元.-元弘3.5.22) 護良親王?-1335(?-建武2.7.23) 尊良親王?-1337(?-建武4、延元2.3.6) 北畠顕家1318-1338(文保2-延元3.北朝暦応元.5.22) 後醍醐天皇1288-1339(正応元.11.2-延元4、北朝暦応2.8.16) 高師直?-1351 足利直義1306-1352(徳治元-文和元.2.26) 北畠親房1293-1354(永仁元.1.-正平9、北朝文和3.4.17)異説あり 足利尊氏1305-1358(嘉元3-延文3.4.30) 後村上天皇1328-1368(嘉暦3-延元23、北朝応安元.3.11) 宥快1345-1416(貞和元-応永23.7.17) 長覚1346-1416(正平元-応永23) 道智?-1427(?-応永34.11.24) 足利義教1394-1441(応永元.6.13-嘉吉元.6.24) 細川持之1400-1442(応永7-嘉吉2.8.4) 尊増1413-1474(応永20-文明6.4.21) 一条兼良1402-1481(応永9.5.27-文明13.4.2) 吉田兼倶1435-1511(永享7−永正8.2.19) 武藤義増?-1581(?-天正9.8.1) 武藤義氏1551-1583(天文20-天正11.3.6) 伊達輝宗1544-1585(天文13.9.-天正13.10.8) 丸岡義興?-1587(?-天正15.10.) 東禅寺筑前守?-1588(?-天正16.8.7) 豊臣秀吉1537-1598(天文6-慶長3.8.18) 前田利家1538-1599(天文7-慶長4.閏3.3) 石田三成1560-1600(永禄3-慶長5.10.1) 下次右衛門?-1609(?-慶長14) 甘糟景継?-1611(?-慶長16) 志村伊豆守光安?-1611(?-慶長16.8.7)※慶長14.3.7没説あり 本庄繁長1539-1613(天文8-慶長18.12.20) 最上義光1546-1614(天文15-慶長19.1.18) 進藤但馬(但馬守)?-1614(?-慶長19.6.1) 尊量?-1614(?-慶長19.4.15) 豊臣秀頼1593-1615(文禄2.8.3-元和元.5.8) 徳川家康1542-1616(天文11.12.26-元和2.4.17) 宥源1550-1617(天文19-元和3.7.28) 直江兼続1560-1619(永禄3-元和5.12.19) 真田清鏡?-1620(?-元和6.2.3) 上杉景勝1555-1623(弘治元.11.27-元和9.3.20) 武藤義勝1573-1623(天正元-元和9.8.18) 高力但馬1587-1629(天正15-寛永6.8.2) 石原平右衛門?-1631(?-寛永8.6.5) 志駄義秀1561-1632(永禄4-寛永9.8.16) 徳川秀忠1579-1632(天正7.4.7-寛永9.1.24) 石原平右衛門?-1632(?-寛永9.2.24) 天海?-1643(?-寛永20.10.2) 鮭延秀綱1562-1646(永禄5-正保3.6.21) 酒井忠勝1594-1647(文禄3.2.-正保4.10.17) 戸沢政盛1585-1648(天正13-慶安元) 清順1576-1650(天正4-慶安3) 川上四郎右衛門?-1655(?-明暦元.1.4) 長谷川権左衛門?-1658(?-万治元.9.13) 酒井忠当1617-1660(元和3.8.5-万治3.2.9) 宥俊1580-1661(天正8-寛文元) 松平信綱1596-1662(慶長元.10.30-寛文2.3.16) 酒井忠重1598-1666(慶長3-寛文6.9.24) 保科正之1611-1672(慶長16.5.7-寛文12.12.18) 天宥?-1674(?-延宝2) 酒井忠恒1639-1675(寛永16.8.8-延宝3.8.6) 永井尚庸?-1677(?-延宝5.3.27) 実胤?-1677(?-延宝5.8.6) 小笠原長矩1624-1678(寛永元-延宝6.2.8) 守澄法親王1634-1680(寛永11.閏7.11-延宝元.5.20) 酒井忠義1644-1681(寛永21.7.5-天和元.11.7) 高力忠兵衞1616-1683(元和2-天和3) 胤海?-1689(?-元禄2.4.7) 天真法親王1664-1690(寛文4.7.28-元禄3.3.1) 図司佐吉(呂丸)?-1693(?-元禄6.2.2) 圭海1632-1694(寛永9-元禄7.1.23) 松尾芭蕉1644-1694(正保元-元禄7.10.12) 公海1607-1695(慶長12.12.20-元禄8.10.16) 良λ?-1702(?-元禄15.3.15) 会覚?-1707(?-宝永4.12.30) 義天?-1707(?-宝永4.10.6) 長山重行?-1707(?-宝永4.12.24) 河合曽良1649-1710(慶安2-宝永7.5.22) 円海?-1719(?-享保4.11.10) 酒井忠真1671-1731(寛文11.4.14-享保16.8.28) 酒井忠予1657-1735(明暦3.8.15-享保20.12.16) 中村政栄?-1746(?-延享3.10.16)(享保18(1733)1.23没説あり) 知周?-1747(?-寛保3.9.21) 呂笳1663-1751(寛文3-宝暦元.12.30) 小寺信正1682-1754(天和2-宝暦4.1.7) 亮天?-1760(?-宝暦10.8.4) 酒井忠寄1704-1766(宝永元.8.11-明和3.3.27) 進藤重記1709-1769(宝永6.2.-明和6.4.10) 植村政勝1695-1777(元禄8-安永6.1.8) 亮豊?-1778(?-安永7.11.19) 朝岡助九郎1729-1801(享保14-享和元.1.23) 松平康定1747-1807(延享4-文化4.3.11) 杉山宜袁1741-1811(寛保元-文化8.6.21) 亮明?-1826(?-文政9.11.15) 覚音?-1842(?-天保13.9.9) 覚諄1762-1847(宝暦12-弘化4.8.11) 水野忠邦1794-1851(寛政6.6.23-嘉永4.2.10) 池田玄斎1775-1852(安永4.10.5-嘉永5.閏2.17) 山海?-1854(?-嘉永7.閏7.5) 大滝光憲1799-1862(?-文久2.12.9) 鈴木重胤1812-1863(文化9.5.5-文久3.8.15) 澄海?-1864(?-元治元.8.10) 石川寛海1801-1871(享和元-明治4.7.16) 清海1796-1872(寛政8-明治5.2.5) 官田?-1872(?-明治5.2.5) 三衣霊源?-1873(?-明治6) 広瀬厳雄1815-1874(文化12-明治7.12.23) 大原重実1833-1877(天保4.9.12-明治10.9.6) 水野忠精1832-1884(天保3-明治17.5.8) 西山磐根1834-1885(天保5-明治18.1.18) 常世長胤?-1886(?-明治19.3.19) 照井長柄1819-1889(文政2.10.15-明治22.5.30) 星川清晃1830-1894(天保元.2.18-明治27.11.11) 栗田寛1835-1899(天保6.9.14-明治32.1.25) 近藤仏海1828-1903(文政11.5.-明治36.3.20) 朝比奈泰吉1832-1904(天保3.12.26-明治37.4.11) 西川須賀雄1838-1906(天保9.閏4.-明治39.1.25) 坊城俊章1847-1906(弘化4-明治39.6.24) 華岡安記(花岡安記)?-1906(?-明治39) 足立正声1841-1907(天保12.9.20-明治40.4.19) 西岡周碩1838-1912(天保9-大正元.12.) 松平親懐1838-1914(天保9.4.27-大正3.9.30) 酒井忠篤1853-1915(嘉永6.2.13-大正4.6.8)※安藤は4月生 薄井龍之1832-1916(天保3.4.-大正5.11.29) 清水広田1840-1918(天保11.6.7-大正7) 芳賀七右衛門1856-1919(安政3.12.20-大正8.1.29) 松平甚三郎1845-1921(弘化2.4.4-大正10.4.2) 物集高見1847-1928(弘化4.5.28-昭和3.6.23) 宮沢春文1874-1934(明治7.9.12-昭和9.11.13) 鷲尾順敬1868-1941(慶応4.3.18-昭和16.1.13) 遠山正雄1877-1941(明治10.1.1-昭和16.8.2) 阿部正己1879-1946(明治12.3.23-昭和21.3.15) 宥海1645-?(正保2-?) 実円?- (?-弘化3.1.9) 安達時重生没年不詳 雲景生没年不詳 関甚兵衛生没年不詳 忌部正通生没年不詳 義覚生没年不詳 宮崎晴海生没年不詳 慶俊生没年不詳 原美濃生没年不詳 弘俊生没年不詳 児玉高光生没年不詳 小野春風生没年不詳 信弁生没年不詳(寛永・明暦頃の人) 菅原長祢生没年不詳 石丸八郎生没年不詳 川村彦左衛門生没年不詳 大滝光賢生没年不詳 波多野春麿生没年不詳 武藤政氏生没年不詳 妙達生没年不詳 役小角生没年不詳 立岩喜兵衛生没年不詳 留守長秀生没年不詳 土肥実平生没年不詳(12世紀後半か) 吉良貞家生没年不詳(14世紀ごろか) 北畠顕信生没年不詳(14世紀ごろか) 北楯利長生没年不詳(17世紀前半か) 允恭天皇生没年不詳(5世紀前半か) I. F S. W 2010.7.23:更新 カウンタを設置。編集モードを変更。 しだひろし/PoorBook G3'99 翻訳・朗読・転載は自由です。 カウンタ: - Wikipedia 各ページにリンク。 -- しだ (2010-07-23 21 55 25) 名前 コメント
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宮下坊 日本海に面する山形県の庄内地方、羽黒派古修験道の聖地でもある出羽三山の里の羽黒町手向(とうげ)にある宿坊です。 出羽三山に参拝される講中のお客さまは勿論のことですが、一般のお客さまにも広くご利用戴いております。また、近年は出羽三山の主峰である月山へ登拝(月山登山)されるお客さまにも大変なご好評を戴いており、当方でも充分な体制を整えております。 〈宮下坊公式サイトより引用〉 宮下坊 〒997−0211 山形県鶴岡市羽黒町手向223番地 TEL:0235−62−2371 FAX: パンフレット ※画像をクリックするとパンフレットが開きます。 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 ホームページ http //www.syukubou.jp/index.htm 〈ブログ〉 出羽三山 研修旅行 http //blogs.yahoo.co.jp/sendai_ono7/60141753.html ☆月山・夏山登山(1)八合目レストハウス→弥陀ヶ原 http //blogs.yahoo.co.jp/kenta_o26/60087638.html 1200年の歴史街道・出羽の古道『六十里越街道』 http //blogs.yahoo.co.jp/cyaucyau31/32411636.html 「出羽三山参り」 http //blogs.yahoo.co.jp/hirohdxlh883/50743897.html 庄内観光 〜出羽三山〜 http //blogs.yahoo.co.jp/qmwtn275/29969259.html 羽黒山正善院黄金堂と出羽三山...。 http //blogs.yahoo.co.jp/taidouboutakashi/21481782.html 羽黒山・五重の塔は迫力があります!! http //blogs.yahoo.co.jp/dewa55t/1357369.html 携帯サイト 最新のチラシ imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 《周辺情報》 〈ブログ2〉 #blogsearch /
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四 伊※[#「氏/一」、第3水準1-86-47]波神社の考證 延喜式神名帳にある田川郡伊弖波ノ神社は羽黒山であるとの説は盛んであつて、羽黒山の記録にも伊弖波神社の額があつたとまで云つてゐる。先づこの神社の羽黒山であるや否やを考證する前に、伊弖波なる名稱の意義を檢討する必要がある。伊弖波は出羽の假名であつて何れもイデハと訓んだ。出羽なる名稱の始めて文獻に見えたのは、續日本紀和銅元年九月越後國言新建[#二]出羽郡[#一]許[#レ]之とあるのが始めてゞ、其後記紀には出羽郡の名稱は屡々見えるが、伊弖波神社の名稱は和銅元年後二百十九年を經て延喜式に始めて見えた。伊弖波又出羽の語源については古來郷土史家によりて屡々論述されたことであつて、一は鷹の羽を産出した所、二は越後より北方に出た「出て端《は》し」の義とする二説に歸する。第一説は享保九年小寺信正の著庄内物語、寶暦十二年進藤重記の著出羽風土略記の説であつて古來最も有力視されてゐる。 (莊内物語) 小寺信正著 [#ここから4字下げ、地から1字上げ、折り返して6字下げ] 一、出羽國大泉庄田川飽海兩郡を庄内といふ事 小寺文責〈○信正〉按するに 出羽國古來イツハと訓す 國中より矢の羽を産する故名付 今は羽を出す事少し 庄内にもたま/\は有るといへども、松前より渡るもの多し [#ここで字下げ終わり] (出羽風土略記) 進藤重記著 [#ここから4字下げ、地から1字上げ] 神學類聚抄卷四卷ニ云 風土記ニ允恭帝の世 此國以鷲羽爲貢故號出羽 一ニ云此國白ス陸奧出ツ羽猶端 不知孰是云々出羽の辨出羽郡の下に注す 白陸奧出羽猶端と云説不可用 國名風土記ニ云 彼國中に平賀鷹千嶋抔いふに 鷲會して住也とあり 近代まで鷲鷹を土人の 待たる所 又鷹を奉りし事末文に記傳る [#ここで字下げ終わり] (同書) [#ここから4字下げ、地から1字上げ] 風土記を見るに 出羽といふは鷲鷹の羽を貢しそめたる村里より出たる名と見へたり 扨羽を貢しける始は 廿代允恭帝の御宇也 世を經て四十三代元明天皇和銅元年に郡名とは成れり [#ここで字下げ終わり] 以上の二人は莊内人であつて、中央の著書である諸國名義考、謠曲捨葉抄葛城職原私考なとも鷹羽説であるが、何れも前記の小寺進藤の著書に據つたのである。以上の二説について私見を試みるに、出羽を越後より突出た出て端しとする説は、地形上海中に突出せる半島とも異なり該當せぬ無理な説である。次に鷹の羽説は允恭天皇の御世に鷹羽を貢としたことは正史に無いことで、且つ慶雲和銅の出羽夷征前約三百餘年に蝦夷地より鷹羽を貢進する筈が無い。又出羽を羽を出たすと訓むは漢文であつて、之をイデハと訓むことは我國の古語に無いことである。延喜式の伊弖波は此地方の古語であるを、漢字を假りて出羽としたもので漢字の意義は無いことゝ思ふ。然らば伊弖波の意義は何んであるかは不明であるが、蝦夷語であらうかと思ふ。國郡名は多く同地の地名より附與せらる。和銅六年五月二日朝廷諸國に令して國郡郷の名を好字に書き改めさせ、其後延喜式民部にも諸國の郡里等の名は二字の嘉名に改めさせたのであれば、伊弖波は土語であつたのを漢字の音を借りて出羽としたものである。 次に栗田寛博士の説では四道將軍大彦命の弟太忍信命の子孫|出庭《イデハ》氏は、伊弖波神社の地名から出た氏であると云つてゐる。 (新撰姓氏録考證) [#ここから3字下げ] 出庭臣《イデハノオミ》孝元天皇|皇子彦太忍信命《ミコヒコフトオシノマコトノ》之後也 [#ここから4字下げ、地から1字上げ] 出庭は神名式に出羽國田川郡伊弖波神社とある地にて 是より出し氏なるべし 出羽國は和銅五年九月に陸奧越後を割て置れし國名なれば いかゝとも云ふべけれと 國を置しは和銅にこそあれ 伊弖波神社はそれより古くありて 國號も神號より起りしなるべし 崇神天皇の御世既く大毘古命父子をして北陸東山をことむけしめたまひしかば 其御由縁によりて大毘古の弟彦太忍信命の子孫をして出庭臣と任したまひて 其地方を治めしめむも知るべからす この氏人は東大寺正倉院文書天平五年右京三條三坊手寶帳に 戸主出庭徳麻呂男出庭人麻呂 出庭|家足女《ノイヘタリノメ》出庭|御比賣《ノミヒメ》 出庭|小黒女《ノヲクロメ》 出庭|眞黒女《ノマクロメ》 弟出庭|小虫《ノコムシ》 男《コ》出庭|君麻呂《ノキミマロ》 出庭ノ※[#「糸+原」、上p19-13]麻呂(※[#「糸+原」、上p19-13]は縁または綜の誤か)女《メ》出庭ノ橘女 小蟲※[#「女+弟」、第3水準1-15-82]出庭刀自賣女紀朝臣蟲女(こは紀氏の族なるを以て紀氏に養はれしものとみゆ 出庭臣の紀氏族なる證とすべし)妹出庭家蟲女 姑出庭麻須賣とある 未た中務史生出庭臣て麻呂とみえたれは この族は多く大和の京に住しなるべし [#ここで字下げ終わり] 此説によれば伊弖波神社は和銅年間より古くありて、和銅より約八百年前の崇神天皇十年 四道將軍の大彦命の北陸東山の夷征の時に大彦命の弟太忍信命の子孫を出庭臣に任して出羽を治めしめたかも知れない。それで出庭を姓とすることゝなつたであらう。伊弖波神社は古くより此地の神で、出庭の姓も國郡名も神社名よりできたのである。之について私見を述べんに、出羽郡は後ちの田川郡・飽海郡を合せた一地域であつて、後ちに戸口増加するに及んで二郡に分けたらしい。大彦命の夷征は北陸より會津に至りて父子相會つたから會津といふ地名ができたのであれば、命は出羽には進入しなかつたことは明かである。會津より置賜・最上より雄勝地方に至る仙道筋は進撃したかも知れぬが、置賜・最上(村山を含む)地方は此時は陸奧である。出羽地方が大彦命又は弟彦太忍信命の夷征あつて子孫を出庭臣に任じて治めしめたならば、出羽郡又は出羽國が數百年前に既に在つたことである。然るに越後より此地方の夷征あつたのは大化以後の慶雲和銅年間であつて、和銅元年始めて出羽郡を置き、同五年に始めて出羽國を置いた。此前に夷征あるべき筈が無い。隨つて夷征以前に伊弖波神社あるべき理由無く、又鷹羽を貢とした筈も無い、只此地方がイデハといふ地名で多分夷語であらう。之を出羽又出庭なる漢字の音を借りて好字又は嘉名に書いた。大彦命の子孫は長く越後に留まりて阿部氏とも稱したので「イデハ」に至りて出庭臣に任じたものもありそうなことである。「イデハ」を出羽とも出庭とも書いたのであれば出羽の鷹羽を産した説は信ぜられぬことで漢字の意義は無いのである。 延喜式の伊弖波神社は羽黒神社であるや否やは解決至難のことで、先づ古人の諸説を揚げて根據の所在を探つて見る。 (莊内物語) 一伊底波神社 [#ここから3字下げ、地から1字上げ] 在所しれず又一説に羽黒山大權現也と云實否をしらず 土俗云百年巳前迄は羽黒本堂の額イデハノ神社と有しといへり 信正案するに東鑑義經記の類其外野史等に羽黒と稱してイテハノ神社といふ事なし 是又據をしらず [#ここで字下げ終わり] (出羽風土略記) [#ここから3字下げ、地から1字上げ] 延喜式神名帳に田川郡伊※[#「氏/一」、第3水準1-86-47]波神社とあるは是なり 羽黒山の寺家より出たる羽源記三山雅集等の諸説を合せて考るに、祭神玉依姫命にして 景行天皇廿一年六月十五日始めて皇野に祠り 其後阿久谷と云所に鎭座し 後世に至り今の大堂に移る (中略) 由利郡龜田の領繋村に伊※[#「氏/一」、第3水準1-86-47]波の神社を勸請したる所あり 是又今は羽黒權現とも云 中古羽黒山伏彼地ニ下り繋村の社家を宿として 近郷ニ牛王の卷數を引 六百八十七年前承保元年に下たる山伏所勞と成りしに 後は九死一生の大病と成りて醫術を盡して祈りければ 不日ニ平癒せり 至誠感神の事を仰き謝禮の爲持下りたる牛王の板木を社家に附與して 羽黒山伏の代々引來る所の牛王の旦那は向後社家より牛王の卷數を引て初穗を收納すべきよし誓約之 其趣の後證として牛王板木に裏書せり 數百年を經けれは前後の文字は皆虫喰となり 爲謝禮如是承保元年出羽神社と云文字のみ今わつかに殘れり 神號の下には山伏の名有けるとぞ (下略) [#ここで字下げ終わり] 出羽風土略記の著者進藤重記は吹浦兩所宮の祠官にして、強固なる神道家にして、同地神宮寺僧徒と對抗して讓らざるを以て、吹浦を追放された中に著はしたのが此書である。依て羽黒を伊弖波神社であると力説してゐるが、其根據は薄弱にして之を以て伊弖波神社説を肯定することはできぬ。神道家は神道に傾き、佛教家は佛教に傾き、互に他を排除するのが常であれば、兩家の記録は容易に信ずることできぬ所以である。莊内藩士杉山宜袁の説は妥當であるが不明説である。 (莊内事跡考) 杉山宜袁著 [#ここから3字下げ、地から1字上げ] 伊※[#「氏/一」、第3水準1-86-47]波の神社は羽黒なりと云事ハ 國人の古くより云繼たる事なり 小寺信正〈享保の頃の人なり〉云百年はかり以前迄伊底波神社と云額羽黒本社に掛しよし 土人の語れりなといふのみにて 凡て據なし 又羽黒一山にては伊※[#「氏/一」、第3水準1-86-47]波神社と云事を嫌ひぬれハ羽源記三山雅集なとにも 其事見へす 義經記辨慶の詞に羽黒權現の御正体觀音のおはしますにと有ハ 此社の觀音と成給へたるも久しき事なり。古は禰宜抔も有しをいつしか絶て今は僅に藤嶋村抔に下社人殘なるのみなれハ 神社の云傳へもなきなり。進藤和泉ハ風土略記に云 由利郡龜田領に繋村といふに、羽黒を勸請の社有 伊※[#「氏/一」、第3水準1-86-47]波の神社なりとて禰宜守るなり〈齋藤豊前といふとそ〉此社に有牛王板木ののいと古く朽虫喰ミて 前後の文字はたしかならぬと 承保之出羽神社といふもしかすかに殘りたると云なり (中略) 出羽の神社の名ありしにや 凡て據はなけれと人の云事を記して後の考を待のみ [#ここで字下げ終わり] 之を要するに延喜式の田川郡伊弖波神社を羽黒山とするには確固たる資料が無いこと歸着する。然らば田川郡内に伊弖波神社と認めらるべき神社は有るかといふに一切之に該當する所が無いのである。故を以て羽黒修驗等は伊弖波神社を羽黒と爲さんとするもの、或は羽黒を伊弖波神社と爲すことを喜ばぬ時代もあつたやうだ。拾塊集に九頭龍王著[#二][#(ハレ)]油良涯窟[#一]白[#二]伊※[#「氏/一」、第3水準1-86-47]波神[#一]とあるは後者であつて、西田川郡由良の白山嶋の洞窟を伊※[#「氏/一」、第3水準1-86-47]波神とした。依て伊弖波神社の位置は不明の外無いが、その祭神はイデハの國土を神としたものであらう。 [#改ページ]
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都道府県 市区郡・区町村 神社名(未拝受は薄字) 拝受数 山形県 寒河江市 寒河江八幡宮 寒河江八幡宮 高良新山両所神社 2 酒田市 一条八幡宮 1 新庄市 戸澤神社 鳥越八幡宮 2 鶴岡市 伊勢両宮 金峯神社 荘内神社 荘内神社 御城稲荷神社 荘内神社 鶴岡護国神社 12 鶴岡天満宮 出羽三山神社 三神合祭殿 出羽三山神社 天宥社 出羽三山神社 羽黒山東照社 出羽三山神社 羽黒山五重塔 出羽三山神社 蜂子神社 湯殿山神社 天童市 北畠神社 1 長井市 大河原稲荷神社 1 南陽市 熊野大社 諏訪神社 梨郷神社 3 山形市 歌懸稲荷神社 熊野神社 山王日枝神社 諏訪神社 鳥海月山両所宮 10 豊烈神社 六椹八幡宮 山形県護国神社 湯殿山神社 湯殿山神社 市神神社 米沢市 上杉神社 上杉神社 松岬神社 白子神社 成島八幡宮 4 飽海郡 遊佐町 鳥海山大物忌神社 吹浦口之宮 鳥海山大物忌神社 蕨岡口之宮 2 西村山郡 河北町 谷地八幡宮 2 西川町 岩根沢三山神社 東置賜郡 川西町 諏訪神社 1 41
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9魂レース 1週目 順位 PN P 1 キバ寿司 9 - +9 - 軟式タイカレー 9 - +9 3 こいな氏 8 - +8 4 投稿スライム 7 - +7 - パンパ 7 - +7 6 茂吉 6 - +6 7 OBノック 5 - +5 - クリボー 5 - +5 - ゲルベアウゲ 5 - +5 - せのぬのほふ 5 - +5 - 出羽の花・命 5 - +5 - ドバンゴ 5 - +5 - 泣き王子 5 - +5 - 細木ボンバイエ 5 - +5 2週目 順位 PN P 1 GO!ヘドロマン 12 ↑ +9 - キバ寿司 12 → +3 - 軟式タイカレー 12 → +3 4 OBノック 10 ↑ +5 - 投稿スライム 10 → +3 6 茂吉 9 → +3 7 ゲルベアウゲ 8 → +3 - こいな氏 8 ↓ - ぽりぽりす 8 ↑ +5 10 田中の庸介 7 ↑ +5 - 出羽の花・命 7 ↓ +2 - パンパ 7 ↓ 3週目 順位 PN P 1 GO!ヘドロマン 12 → - キバ寿司 12 → - 軟式タイカレー 12 → 4 OBノック 10 → - 投稿スライム 10 → 6 茂吉 9 → 7 ゲルベアウゲ 8 → - こいな氏 8 → - せのぬのほふ 8 ↑ +3 - ぽりぽりす 8 → 4週目 順位 PN P 1 軟式タイカレー 21 → +9 2 GO!ヘドロマン 20 ↓ +8 3 OBノック 15 ↑ +5 4 キバ寿司 12 ↓ - 投稿スライム 12 → +2 6 かむかむ 11 ↑ +8 - ゲルベアウゲ 11 ↑ +3 - こいな氏 11 ↑ +3 9 せのぬのほふ 10 ↓ +2 10 田中の庸介 9 ↑ +2 - 出羽の花・命 9 ↑ +2 - はぐれメダル 9 ↑ +3 - 茂吉 9 ↓ 5週目 順位 PN P 1 軟式タイカレー 28 → +7 2 GO!ヘドロマン 22 → +2 3 出羽の花・命 17 ↑ +8 4 OBノック 15 ↓ - キバ寿司 15 → +3 6 かむかむ 14 → +3 - 投稿スライム 14 ↓ +2 8 伯爵02号 13 ↑ +6 9 新しい北風 12 ↑ +4 10 ゲルベアウゲ 11 ↓ - こいな氏 11 ↓ 6週目 順位 PN P 1 軟式タイカレー 30 → +2 2 GO!ヘドロマン 26 → +4 3 キバ寿司 20 ↑ +5 4 かむかむ 19 ↑ +5 5 OBノック 17 ↓ +2 - 出羽の花・命 17 ↓ - やんちゃboy 17 ↑ +7 8 伯爵02号 15 → +2 9 投稿スライム 14 ↓ 10 こいな氏 13 → +2 7週目 順位 PN P 1 軟式タイカレー 35 → +5 2 GO!ヘドロマン 28 → +2 3 キバ寿司 23 → +3 4 OBノック 20 ↑ +3 - 出羽の花・命 20 ↑ +3 6 かむかむ 19 ↓ 7 伯爵02号 18 ↑ +3 8 やんちゃboy 17 ↓ 9 こいな氏 16 ↑ +3 - パンパ 16 ↑ +7 8週目 順位 PN P 1 軟式タイカレー 35 → 2 GO!ヘドロマン 31 → +3 3 キバ寿司 23 → 4 こいな氏 22 ↑ +6 5 OBノック 20 ↓ - 出羽の花・命 20 ↓ - 投稿スライム 20 ↑ +6 8 かむかむ 19 ↓ 9 伯爵02号 18 ↓ 10 核家族 17 ↑ +6 - やんちゃboy 17 ↓ 9週目 順位 PN P 1 軟式タイカレー 35 → 2 GO!ヘドロマン 33 → +2 3 OBノック 23 ↑ +3 - キバ寿司 23 → - 投稿スライム 23 ↑ +3 6 こいな氏 22 ↓ 7 伯爵02号 21 ↑ +3 8 出羽の花・命 20 ↓ 9 かむかむ 19 ↓ 10 核家族 17 → - やんちゃboy 17 → 10週目 順位 PN P 1 軟式タイカレー 41 → +6 2 GO!ヘドロマン 35 → +2 3 キバ寿司 25 → +2 - こいな氏 25 ↑ +3 - 投稿スライム 25 → +2 6 伯爵02号 24 ↑ +3 7 OBノック 23 ↓ 8 かむかむ 22 ↑ +3 9 やんちゃboy 21 ↑ +4 10 出羽の花・命 20 ↓ 11週目 順位 PN P 1 軟式タイカレー 41 → 2 GO!ヘドロマン 35 → 3 投稿スライム 30 → +5 4 伯爵02号 29 ↑ +5 5 核家族 28 ↑ +11 6 キバ寿司 25 ↓ - こいな氏 25 ↓ 8 OBノック 23 ↓ 9 出羽の花・命 23 ↑ +3 10 かむかむ 22 ↓ 12週目 順位 PN P 1 軟式タイカレー 41 → 2 GO!ヘドロマン 35 → 3 核家族 34 ↑ +6 4 こいな氏 30 ↑ +5 - 投稿スライム 30 ↓ 6 伯爵02号 29 ↓ 7 出羽の花・命 26 ↑ +3 8 かむかむ 25 ↑ +3 - キバ寿司 25 ↓ 10 新しい北風 24 ↑ +3 - なびD 24 ↑ +5 13週目 順位 PN P 1 軟式タイカレー 41 → 2 核家族 40 ↑ +6 3 GO!ヘドロマン 38 ↓ +3 4 こいな氏 35 → +5 5 伯爵02号 32 ↑ +3 6 出羽の花・命 31 ↑ +5 7 投稿スライム 30 ↓ 8 キバ寿司 28 → +3 9 なびD 27 ↑ +3 10 かむかむ 25 ↓ 14週目 順位 PN P 1 核家族 42 ↑ +2 2 GO!ヘドロマン 41 ↑ +3 - 軟式タイカレー 41 ↓ 4 こいな氏 38 → +3 5 出羽の花・命 37 ↑ +6 6 伯爵02号 35 ↓ +3 7 投稿スライム 32 → +2 8 なびD 29 ↑ +2 9 キバ寿司 28 ↓ 10 かむかむ 27 → +2 15週目 順位 PN P 1 軟式タイカレー 46 ↑ +5 2 GO!ヘドロマン 44 → +3 - 核家族 44 ↓ +2 4 伯爵02号 41 ↑ +6 5 出羽の花・命 40 → +3 6 こいな氏 38 ↓ 7 投稿スライム 36 → +4 8 なびD 32 → +3 9 パンパ 29 ↑ +6 10 イタルサムライ 28 ↑ +3 - キバ寿司 28 ↓ 16週目 順位 PN P 1 核家族 50 ↑ +6 2 軟式タイカレー 49 ↓ +3 3 GO!ヘドロマン 47 ↓ +3 4 投稿スライム 41 ↑ +5 - 伯爵02号 41 → 6 出羽の花・命 40 ↓ 7 こいな氏 38 ↓ 8 なびD 37 → +5 9 イタルサムライ 34 ↑ +6 10 パンパ 29 ↓ 全週TOP10 こいな氏 軟式タイカレー
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都道府県 市区郡・区町村 寺院名(【】があるものは『霊場の御朱印』にて紹介) 拝受数 山形県 尾花沢市 円照寺 【最上三十三観音】 喜覚寺 【最上三十三観音】 般若院 【最上三十三観音】 薬師寺 【最上三十三観音】 養泉寺 【最上三十三観音】 6 龍護寺 【最上三十三観音】 上山市 観音寺 【最上三十三観音】 光明院 【最上三十三観音】 2 寒河江市 観音寺 【最上三十三観音】 慈恩寺 慈恩寺 【出羽名刹三寺】 慈恩寺 【東北三十六不動】 誓願寺 【山形十三仏】 6 長念寺 【最上三十三観音】 酒田市 円通寺 【庄内三十三観音】 延命寺 【庄内三十三観音】 海向寺 観音寺 【庄内三十三観音】 光国寺 【庄内三十三観音】 11 持地院 【庄内三十三観音】 総光寺 【庄内三十三観音】 東光寺 【庄内三十三観音】 宝蔵寺 宝蔵寺 【庄内三十三観音】 龍澤寺 【庄内三十三観音】 新庄市 円満寺 【出羽路十三仏】 1 鶴岡市 井岡寺 【庄内三十三観音】 井岡寺 【出羽路十三仏】 永鷲寺 【庄内三十三観音】 吉祥寺 【庄内三十三観音】 荒澤寺 【庄内三十三観音】 26 荒沢寺 【東北三十六不動】 金剛樹院 【庄内三十三観音】 地蔵院 【庄内三十三観音】 勝伝寺 【庄内三十三観音】 照光寺 【庄内三十三観音】 正善院 【庄内三十三観音】 正善院 【出羽路十三仏】 青龍寺 【庄内三十三観音】 大日坊 【庄内三十三観音】 大日坊 【東北三十六不動】 大日坊 【出羽路十三仏】 注漣寺 注連寺 【庄内三十三観音】 長現寺 【庄内三十三観音】 長福寺 【庄内三十三観音】 南岳寺 南岳寺 【庄内三十三観音】 法光院 【庄内三十三観音】 龍覚寺 【東北三十六不動】 龍覚寺 【庄内三十三観音】 龍宮寺 【庄内三十三観音】 天童市 若松寺 【最上三十三観音】 若松寺 【出羽名刹三寺】 光明院 【東北三十六不動】 龍源寺 【山形十三仏】 4 長井市 雲洞庵 【置賜三十三観音】 観音寺 【置賜三十三観音】 観音堂 【置賜三十三観音】 正寿院 【置賜三十三観音】 正法寺 【置賜三十三観音】 6 普門坊 【置賜三十三観音】 南陽市 観音堂 【置賜三十三観音】 珍蔵寺 【置賜三十三観音】 東正寺 【置賜三十三観音】 網正寺 【置賜三十三観音】 4 東根市 秀重院 【最上三十三観音】 養源寺 【出羽路十三仏】 2 村山市 清浄院 【最上三十三観音】 得性寺 【出羽路十三仏】 2 山形市 圓應寺 【最上三十三観音】 吉祥院 【最上三十三観音】 耕龍寺 【最上三十三観音】 護国寺 【最上三十三観音】 宗福院 【最上三十三観音】 21 松尾院 【最上三十三観音】 石行寺 【最上三十三観音】 千手院 【最上三十三観音】 大樹院 【東北三十六不動】 長光院 【最上三十三観音】 柏山寺(出羽国分寺) 立石寺 【出羽名刹三寺】 立石寺 奥之院 立石寺 大仏殿 立石寺 華蔵院 立石寺 中性院 立石寺 金乗院 立石寺 性相院 立石寺 性相院 立石寺 本坊 立石寺 根本中堂 米沢市 上杉家廟所 観音堂 【置賜三十三観音】 甲子大黒天本山 幸徳院 【置賜三十三観音】 西明寺 【置賜三十三観音】 12 泉養院 【置賜三十三観音】 桃源院 【置賜三十三観音】 普門寺 【置賜三十三観音】 宝珠寺 【置賜三十三観音】 弥勒院 【置賜三十三観音】 龍性院 【置賜三十三観音】 林泉寺 飽海郡 遊佐町 海禅寺 【庄内三十三観音】 松葉寺 【庄内三十三観音】 龍頭寺 【庄内三十三観音】 龍頭寺 【出羽路十三仏】 4 置賜郡 川西町 大光院 【出羽路十三仏】 1 北村山郡 大石田町 川前観音堂 【最上三十三観音】 西光寺 【最上三十三観音】 曹源院 【最上三十三観音】 深掘観音堂 【最上三十三観音】 4 西置賜郡 飯豊町 観音堂 【置賜三十三観音】 観音堂 【置賜三十三観音】 源居寺 【置賜三十三観音】 高伝寺 【置賜三十三観音】 4 白鷹町 円光寺 【置賜三十三観音】 円福寺 【置賜三十三観音】 岡応寺 【置賜三十三観音】 観音寺 【置賜三十三観音】 観音堂 【置賜三十三観音】 10 観音堂 【置賜三十三観音】 観音堂 【置賜三十三観音】 観音堂 【置賜三十三観音】 真言院 【置賜三十三観音】 蔵高院 西村山郡 朝日町 永林寺 【山形十三仏】 1 大江町 西林寺 【出羽路十三仏】 1 河北町 慈眼院 【最上三十三観音】 弥勒院 【山形十三仏】 2 西川町 長登寺 【最上三十三観音】 1 東置賜郡 川西町 大光院 【置賜三十三観音】 1 西川町 大聖寺 大聖寺 【置賜三十三観音】 2 東田川郡 庄内町 光星寺 【庄内三十三観音】 乗慶寺 【庄内三十三観音】 善光寺 【庄内三十三観音】 冷岩寺 【庄内三十三観音】 4 西川町 洞泉寺 【庄内三十三観音】 1 東村山郡 中山町 正法寺 【最上三十三観音】 1 山辺町 常福寺 【最上三十三観音】 1 最上郡 中山町 正源寺 【山形十三仏】 1 最上町 見性寺 【山形十三仏】 光清寺 【最上三十三観音】 天徳寺 【最上三十三観音】 明学院 【最上三十三観音】 4 鮭川村 月蔵院 【最上三十三観音】 月蔵院 【山形十三仏】 2 144
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いでは文化記念館 久の時空を超えて息づく山岳信仰。 出羽三山文化と修験の世界を学び、体験し、未来へ伝える拠点。 ■出羽三山文化を見て楽しむ常設展示場 千四百年にわたる出羽三山の歴史と文化遺産の数々を展示し、目で見て楽しみながら出羽三山の世界を学ぶことができる施設です。 〈鶴岡市観光連盟・いでは文化記念館サイトより引用〉 いでは文化記念館 〒997−0211 山形県鶴岡市羽黒町手向字院主南72 TEL:0235−62−4727(代) FAX:0235−62−4729 パンフレット ※画像をクリックするとパンフレットが開きます。 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 ホームページ 鶴岡市観光連盟・いでは文化記念館 http //www.tsuruokakanko.com/haguro/kankou/ideha.html 〈ブログ〉 羽黒山にも行ってみた! http //blogs.yahoo.co.jp/seki777poplar/20297702.html 羽黒山 http //blogs.yahoo.co.jp/machan921/18845159.html 出羽の風を歩く(1日目) http //blogs.yahoo.co.jp/iyotomi2007/40074602.html 羽黒山(神社)観光・・・その1 http //blogs.yahoo.co.jp/okusan2005/41203003.html 携帯サイト 最新のチラシ imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 《周辺情報》 〈ブログ2〉 #blogsearch /
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(10/19日更新) 紋章決定稿 以下過去ログ 参考用紋章1 参考用紋章2 参考用紋章3 紋章 今 紋章 矢部1 紋章 矢部2 紋章 矢部1~7 紋章 出羽 紋章 俊一 紋章 古川 9/22より新しく投稿されたもの 紋章 矢部8~9 紋章 出羽2 紋章 シュン2 現在、paint_bbsプラグインはご利用いただけません。 参考用の紋章を3種UPしておきました。22、29日に確認するので、紋章ができたらUPして下さい。何か意見があれば書き込んでくださいね。 -- 出羽 (2007-09-12 21 49 06) 一週間に一度は成果を提出してもらって、それを自分が必ず確認するのが22、29日です。 -- 出羽 (2007-09-12 21 56 21) 紋章1個UP -- 今 (2007-09-16 08 29 52) プロデュースコースも意見をくれるそうです。(作画予定者は4名+α) -- 成澤 (2007-09-22 09 39 56) 紋章UP現状提出されているもので、自分は、矢部さんの紋章がいい感じだと思いますよ。他の方もコメントどーぞ。 -- 出羽 (2007-09-22 17 08 10) “紋章 出羽”の一番右がいいですね。それをちょっとアレンジして“紋章 矢部2”として上げてみました。後、俊一さんのも上げてみました。 -- 矢部 (2007-09-22 18 17 25) 矢部さんの2つ目の紋章、悪くないと思いますが、個人的にはやはり最初の紋章がいいですね。シンプル、時計、紋章な感じがしっくり来る・・・他の方の意見も聴きたいですね。 -- 出羽 (2007-09-22 20 07 56) 今出てある中では、矢部さんの1がシンプルで好きかな?ほかの人の出てないみたいだし、また見に来ます。 -- 今 (2007-09-22 21 06 35) お疲れ様です。23日時点での紋章拝見させて貰いました。プロデュース科でシンプルなデザインの物を、とお願いしていたので現時点では矢部さんの1番目の紋章が良いと感じます。俊一くんのも悪くは無いのですが、線をもう少し太めでデザインして貰いたいです。またデザイン上がりましたら、コメントしに来ます。大変でしょうが、頑張ってください。 -- 竹田 (2007-09-23 17 27 21) お疲れ様です。一通り見たんですが、俺は矢部さんの2がいいと思います。シンプルだけど力強い感じが。作業のほう、頑張ってください。 -- 橋浦 (2007-09-23 21 20 56) こんばんわ~。蘇憶の紋章拝見しました。私的には矢部さんの1~7の方の①と②が良い感じだと思います。シンプルで、ぱっと見て分かりやすいです。それでは用件だけですがこれで失礼します。キャラ科の皆様、頑張って下さい。 -- 高橋 (2007-09-23 21 26 53) キャラ科の皆さんお疲れ様です。たくさんのデザインありがとうございます。一通り見ましたが、私は矢部さんの3か6がシンプルで良いと思います。マップ上に置いても紋章として分かりやすいと思います。それでは簡単なコメントですが失礼します。キャラ科の皆さん頑張ってください。 -- 白岩 (2007-09-24 00 42 13) 紋章拝見しました。矢部1~7の②が良いです。中央の点から繋がって伸びる針が一つだけで、真下に特徴的な針がきている②が気にいりました。作業頑張って下さい。 -- 相田 (2007-09-24 01 27 19) お疲れ様です。紋章のデザイン拝見しました。矢部さんの1~7の①か②がいいかなぁと思いました。シンプルでバランスがいいように自分は感じました。それでは失礼します。キャラ科の皆さん、頑張ってください。 -- 山岸 (2007-09-24 03 39 05) コメントありがとうございます。コメント全体を見ると、矢部さんの①、②がいい感じという意見が多いみたいですね。もっとこうして欲しい、など、意見が無い場合はあの中から決めてもいいと思います。あとは、29日までに提出されたものを見て大体の意見のまとめ、もしくはこの場で紋章の決定ができればいいですね。 -- 出羽 (2007-09-24 13 44 04) お疲れ様です。紋章のデザインを拝見させて頂きました。出羽さんの中央のデザインに惹かれました。もう少し縦だけでなく、横にもアレンジを加えて全体的に丸み感を出すようにしては、どうでしょうか?それでは失礼します。キャラ科の皆さん頑張ってください。 -- 佐久間 (2007-09-25 11 01 09) キャラ科のみなさん、お疲れさまです。デザイン見た感じでは、矢部1~7の③がいいなと思いました。ただ、シンプルさでいったら俊一くんのデザインも捨てがたい感じもしました。なので、足してみてもいい気がします。では、頑張って下さい。失礼します。 -- 藤田 (2007-09-25 11 23 39) お疲れ様ですコメント書いたと思ってたけど書いてなかった・・・ごめんなさいデザインの見た感じとしては出羽さんの中央のデザインが時計の針っぽくていいなぁと思いました。コメント遅くなってスイマセンでしたキャラ科のみなさま頑張ってください -- 山形 (2007-09-27 16 41 35) お疲れ様です。矢部さんと出羽さんの紋章拝見しました。矢部8・9ですが、角ばったイメージ強くなったので個人的には前のものが良かったかな?と思いました。デザイン自体はシンプルで良いと思うので、個人の好みの問題でしょうか…。出羽2紋章ですが、左の紋章の下側、左側にちょっと詰め込んでると感じました。整理すると良いのが出来たかな?現段階のデザインでは、矢部さんの紋章が自分のイメージに合ってると思います。 -- 竹田 (2007-09-30 15 12 14) まだ新しいデザインはほとんどUPされてませんが、また何かコメントがあれば書き込んでください。それと、紋章ができたらUPして下さいね。 -- 出羽 (2007-09-30 18 17 14) キャラ科のみなさまおつかれ様です。矢部さんと出羽さんの紋章を見させていただきました。俺的には、前の意見と変わらず出羽さんの紋章がいいと思います。針?がまっすぐに伸びているのよりちょっとくねっとしたほうがいいなぁと思いました。引き続きキャラ科のみなさまがんばってください。 -- 山形 (2007-10-01 05 02 54) 後半出が良くないようですね。明後日の授業時に、タイトルデザインと共に確認する時間を取るので、その際に新たなデータは忘れない様にして下さい。 -- 成澤 (2007-10-02 20 18 06) 矢部君へ矢部君不在のまま、紋章が決定しました。矢部1~7の①の一部を改造した物になりました。矢部君にクリンナップ作業をやってもらう予定です。 -- 成澤 (2007-10-05 16 49 49) 名前 コメント
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奥羽地方を中心とした局地シナリオ。1550年スタートの「天文の乱終えて」と1580年スタートの「出羽の驍将」、以上二編が公開されている。 あらすじ 越後守護上杉氏の養子問題から起きた「天文の乱」は 南奥州諸侯を否応無く巻き込み5年もの間、吹き荒れた。 長く厳しいこの乱が終結した時には陸奥国守護・伊達家はもとより 伊達家に力を削がれていた奥州探題・大崎家も諸侯を纏める力を無くしていた。 そして頭立ち纏める者を無くした奥州にも乱世の足音が迫ってきた。 古来より「まつろわぬもの」と恐れられた陸奥を再び統べる者は現れるのだろうか? (天文の乱終えてOPより) 織田信長の登場によって応仁の乱から始まった戦乱にも 終わりが見えつつ在る中で奥羽は其の最盛期を迎えつつあった。 羽州南部の最上地方は室町期に奥州探題大崎家一族の最上氏が任された。 しかし分割相続や長い時をへて宗家最上氏の掌握力は落ちていた。 戦国後期、最上当主となった義光は嘗ての勢威を取り戻すべく其の才知を光らせた。 最上八楯と呼ばれる一族・家臣の連合は天童氏を中心に反抗するが 義光は之を謀略で切り崩して配下にして行き最上地方統一の間近に迫った。 この最上氏幾代が成しえなかった事を僅か10数年で遂げつつある義光は 恐れ讃えられ何時しか「出羽の驍将」と云う異名で呼ばれるようになった。 出羽の驍将は果たして奥羽の驍将と成りえるのだろうか? (出羽の驍将OPより) 入手先 戦国史旧作シナリオ復興委員会 備考 シナリオ名: 奥羽軍談 作者: 播磨 現バージョン: - 最終更新: 2006年2月22日更新 動作環境: SE◎ FE○ 旧× 規模: 日本全国 天文の乱終えて 開始年月: 1550年4月 大名家数: 134 城数: 278 武将数: 922 出羽の驍将 開始年月: 1580年4月 大名家数: 135 城数: 313 武将数: 927 攻略難易度表(難 S ~ F- 易) S A B C D E F キャプチャ画像 リプレイサイト 関連項目 以下、加筆求む
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総評 西と東に強国あり。生きる道は出羽統一か東北からの脱出か。羽州探題最上家です。 安東家と出羽を南北に二分する形となった。伊達、上杉の二大勢力に挟まれている点は相変わらず。 領国は全シナリオ通して羽前1ヶ国。 人材はシナリオによって変化する。前半シナリオ(義守時代)は氏家一族のみで、政治、戦闘共に心許ない。後半シナリオ(義光時代)は政治面では北楯利長という柱が登場、戦闘面も多少の充実を見せる。とはいえ全体的に質、量共に難あり。特に戦闘面は常に伊達家、上杉家に遅れを取ることとなる。出羽の浪人は小野寺輝道や大宝寺義氏など。共に戦闘では最上家臣団よりも優れるため、登用して軍事面の不安を軽減したい。 固定戦術は特殊系が2つ、攻撃系が1つ。うち固有戦術が1つ。知性の中に獰猛性を含んだ仕様となっている。「鎮静」は利便性が高く使い勝手の良い戦術。こちらの被害を抑えることは相手の被害を大きくすることに繋がる。「虚報」の威力は絶大。1部隊強制退却という反則じみた効果には最初から最後までお世話になるだろう。「突破」の回り込み効果には若干の注意が必要。回り込んだ先で包囲される、などという失敗をしないように。 羽前の文化効果は「流言コマンドの効果上昇」、技法は「兵法」。 奥羽諸国は最大石高が比較的高めだが、羽前は例外。平野部が羽後に集中しているのか生産力にはあまり期待出来ない。初期文化値も低め。 隣接国は4ヶ国。隣接大名家は安東家、伊達家、蘆名家、上杉家。全シナリオで変化はなし。 外交関係はシナリオ1・2では蘆名家、相馬家との友好が低い。シナリオ3では両家との関係は改善。上杉家、南部家と敵対している。シナリオ4では一転、上杉家とは良好な関係に。南部家との友好も修復。安東家とも同盟を結んでいる。だが伊達家・安東家との友好は高くない。伊達家とはシナリオ5を除き同盟関係にある。出羽の鬼姫効果か。 出羽は北陸から見ると奥州の玄関口であり、上杉家の奥羽侵攻を一手に引き受ける恰好となっている。逆に蘆名家側から進まれた場合は越後奪取の好機となるかも。 ちなみに家紋は「切竹」。最上家の家紋でもマイナーなほうを採用。 固定戦術 鎮静 虚報(固有) 突破 注目武将 最上義光‐政治88 戦闘80 教養70 魅力80 足軽B 騎馬B 鉄砲C 天性:知将 東北屈指の総合力を誇る「出羽の驍将」。図抜けた能力こそないものの、全てにおいてソツがない。 少々早いがシナリオ2では彼を当主に据えて始めたほうがいい。 最上義守‐政治64 戦闘34 教養65 魅力76 足軽D 騎馬D 鉄砲D 天性:知将 最上家不遇の時代を一身に背負う最上パパ。実は隠居後も一般武将として参加。 能力的に見るべき所は少ないが、天性知将を活かして息子の防御力アップに一役買おう。 北楯利長‐政治82 戦闘13 教養50 魅力40 足軽D 騎馬D 鉄砲D 天性:勇将 築いた堤は今も残る、出羽が生んだ名能吏。 政治82は政務を任せるに十分。戦闘面は絶望的。安全地帯が主戦場となる。 敵大名としての特徴 全シナリオ通じて最上家の命運は上杉家が握っている。上杉家が東北侵攻を開始する時期によって展開が変わるのだ。早期に侵攻が開始された場合は、ほぼ確実に最初の犠牲者となる。蘆名家が優先される場合もあるが、結果は大差ない。上杉家が北陸、あるいは関東方面を優先させた場合は、安東家を倒して出羽を統一することもある。その後はやはり上杉家とぶつかることとなるが、北方制覇を成した伊達家と連合してかなりの粘りをみせることもしばしば。こうなると、開始10年以上経過しても勢力を維持し続ける。 シナリオ別攻略