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【祖母】虐待で重体の女児、死亡【茨城】 1 関西直撃三文字φ ★ 2006/08/06(日) 11 12 31 ID ???0 BE 408289739-2BP(5) 虐待で重体の女児、死亡茨城県古河市 祖母に虐待され意識不明の重体になっていた茨城県古河市の 樋口稀夕ちゃん(3つ)が6日午前、 搬送先のつくば市内の病院で死亡した。死因は窒息死。 茨城県警古河署は傷害容疑から傷害致死容疑に切り替え、 祖母の菊地秋子容疑者(50)を取り調べる方針。 調べでは、菊地容疑者は、稀夕ちゃんが「おばあちゃんにつねられた」 と父親の樋口宏治さん(53)に告げ口したことに腹を立て、 5日午前、稀夕ちゃんの全身に毛布などを巻き付け 電気コードで縛り窒息状態にして放置した疑い。 ※元記事: http //flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM PG=STORY NGID=soci NWID=2006080601000130 共同通信平成18年08月06日 元スレ(祖母虐待): 【社会】女児にコード巻き付け放置、祖母を逮捕茨城・古河 http //news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1154779051/
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《書 誌》 提供 TKC 【文献番号】 28055209 【文献種別】 判決/札幌高等裁判所(控訴審) 【裁判年月日】 平成12年 3月16日 【事件番号】 平成11年(う)第59号 【事件名】 傷害致死(変更後の訴因傷害致死幇助)被告事件 【審級関係】 第一審 28045242 釧路地方裁判所 平成9年(わ)第184号 平成11年 2月12日 判決 【事案の概要】 被告人は、親権者兼監護者としてD等に対するAのせっかんを制止してDらを保護すべき立場にあったところ、Aが、本件傷害致死を行った際、直ちにこれを制止する措置を採るべきであり、かつ、これを制止して容易にDを保護することができたのに、その措置を採ることなくことさら放置し、もってAの本件傷害致死を容易にしてこれを幇助した、として起訴されたが、無罪が言い渡されたため、検察官が控訴した事案において、被告人は、Aの暴行を実力により阻止することが著しく困難な状況にあったとはいえない等として、原判決を破棄し、懲役2年6月を言い渡した事例。 【判示事項】 〔高等裁判所刑事裁判速報集〕 内縁の夫の幼児虐待を制止しなかった被告人の行為が、傷害致死罪の不作為による幇助に該当するとして、これらを否定して無罪とした原判決を破棄し、懲役2年6月、執行猶予4年を言い渡した事例 〔判例タイムズ(判例タイムズ社)〕 被告人が親権者である3歳の子供を同棲中の男性が暴行によりせっかん死させた事案において、被告人は右暴行を制止する措置を採るべきであり、かつ、これを制止して容易に子供を保護できたのに、その措置を採ることなくことさら放置したとする傷害致死幇助罪の公訴事実について、被告人の不作為を作為による傷害致死幇助罪と同視することはできないなどとして無罪とした原判決を破棄した事例 【要旨】 〔高等裁判所刑事裁判速報集〕 被告人の行為は、同人の作為義務の程度が極めて強度であり、比較的容易なものを含む一定の作為により可能であったことにかんがみると、作為による幇助犯の場合と同視できるものというべきであって、不作為による幇助犯の成立要件に該当する。 【裁判結果】 破棄自判 【上訴等】 確定 【裁判官】 近江清勝 渡辺壮 嶋原文雄 【掲載文献】 判例時報1711号170頁 判例タイムズ1044号263頁 高等裁判所刑事裁判速報集(平12)号227頁 【参照法令】 刑事訴訟法397条 刑事訴訟法380条 刑事訴訟法382条 刑事訴訟法400条 刑法62条 刑法205条 【評釈等所在情報】 〔日本評論社〕 門田成人・法学セミナー550号 不作為による幇助の成立要件 中森喜彦・現代刑事法3巻9号 傷害致死行為に対する不作為による幇助の成立を認めた事例 橋本正博・ジュリスト臨時増刊1202号148頁 不作為による幇助――作為義務を肯定した事例 大矢武史・朝日大学大学院法学研究論集4号83頁 内縁の夫による自己の子供に対する虐待行為を阻止しなかった被告人に,無罪を言い渡した第一審判決を破棄して,傷害致死幇助罪の成立を認めた事例 大塚裕史・別冊ジュリスト189号172頁 〔刑法判例百選1 第6版〕不作為による幇助 齊藤彰子・別冊ジュリスト166号166頁 〔刑法判例百選1 第5版〕不作為による幇助 《全 文》【文献番号】28055209 傷害致死(変更後の訴因 傷害致死幇助)被告事件 札幌高裁平一一(う)五九号 平12・3・16刑事部判決 主 文 原判決を破棄する。 被告人を懲役二年六月に処する。 原審における未決勾留日数中一〇〇日を右刑に算入する この裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予する。 理 由 本件控訴の趣意は、検察官佐藤孝明作成の控訴趣意書に、これに対する答弁は、弁護人古山忠作成の答弁書に、それぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。 論旨は、要するに、「被告人は、平成九年六月ころ、先に協議離婚したAと同棲を再開するに際し、自己が親権者となっていたC及びD(当時三歳)を連れてAと内縁関係に入ったが、その後、AがDらにせっかんを繰り返すようになったのであるから、親権者兼監護者としてDらに対するAのせっかんを制止してDらを保護すべき立場にあったところ、Aが、同年一一月二〇日午後七時一五分ころ、釧路市鳥取南《番地略》所在の甲野マンション一号室(以下「甲野マンション」という。)において、Dに対し、顔面、頭部を平手及び手拳で多数回殴打し、転倒させるなどの暴行(以下「本件せっかん」という。)を加えて、Dに硬膜下出血、くも膜下出血等の傷害を負わせ、翌二一日午前一時五五分ころ、同市内の市立釧路総合病院において、Dを右傷害に伴う脳機能障害により死亡させた犯行(以下「本件傷害致死」という。)を行った際、同月二〇日午後七時一五分ころ、甲野マンションにおいて、Aが本件せっかんを開始しようとしたのを認識したのであるから、直ちにこれを制止する措置を採るべきであり、かつ、これを制止して容易にDを保護することができたのに、その措置を採ることなくことさら放置し、もってAの本件傷害致死を容易にしてこれを幇助した。」旨の訴因変更後の公訴事実に対し、原判決は、不作為による幇助犯の成立要件として「犯罪の実行をほぼ確実に阻止し得たにもかかわらずこれを放置したこと」を掲げ、被告人に具体的に要求される作為の内容として、Aの暴行を実力をもって阻止する行為のみを想定した上で、被告人が、AのDへの暴行を実力により阻止しようとした場合には、負傷していた相当の可能性があったほか、胎児の健康にまで影響の及んだ可能性もあった上、被告人としては実力による阻止が極めて困難な心理状態にあり、被告人がAの暴行を阻止することが著しく困難な状況にあったことにかんがみると、被告人の不作為を作為による傷害致死幇助罪と同視することはできないとして、被告人に無罪を言い渡したが、(一)関係証拠によれば、被告人は、Aへの強い愛情や肉体的執着から、Aに嫌われることを恐れ、Aの機嫌をうかがう余り、AがDらに暴力を振るっても、見て見ぬ振りをしていたことが認められ、Aの暴行を阻止することが著しく困難な状況にあったものとはいえない上、(二)不作為による幇助犯が成立するには、不作為によって正犯の実行行為を容易ならしめれば足り、その不作為が正犯の実行に不可欠であることや、作為に出ることにより確実に正犯の実行を阻止し得ることを要しないというべきであり,被告人に具体的に要求される作為は、Aの暴行を実力をもって阻止する行為に限られるものではないから、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認及び法令適用の誤りがある、というのである。 そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果を併せて検討する。 第一 本件において認められる事実について 原審で取り調べられた関係証拠によれば、本件においては、要旨次のような事実が認められる。 一 被告人とAが知り合った経緯等 1 被告人は、平成四年八月二七日、Bと婚姻し、Bとの間に、平成五年三月二七日、長男Cを、平成六年五月二八日、二男Dをもうけたが、その後、Bと不仲になり、平成七年九月ころからC及びDを連れて別居し、同年一二月一八日、Bと協議離婚し、C及びDの親権者となり、二人を引き取った。 2 被告人は、釧路市内のスナックで働いていた平成八年三月ころ、客として来店したAと親しくなり、同月二一日ころ、Aと朝まで飲み歩き、そのままドライブに出かけた後、自らAに同居を申し出、翌二二日ころから、Aが当時住んでいた同市昭和北三丁目のアパート(以下「昭和北のアパート」という。)で、C及びDを連れてAと同棲するようになり、勤めていたスナックも辞めた。 二 昭和北のアパートでの生活状況及びAと婚姻した経緯等 1 被告人は、同棲開始後間もない平成八年四月中旬ころ、帰宅が遅くなったことなどから、Aと口論になり、その際、反抗的な態度をとったことに激昂したAから、マイナスドライバーの先端を首筋に当てられ、赤い痕が残るほど力を込めて押し付けられるなどの暴行を受けた。 2 被告人は、同年八月ころ、Aと口論になった際、かみそりで手首を切って自殺しようとしたところ、それに気付いたAからかみそりを取上げられ、手拳や平手で顔面や肩を多数回殴打されるなどの暴行を受けた。 3 被告人は、昭和北のアパートに居住していた当時、このほかにもAから暴行を受けたことが何度かあったが、その都度、暴行を受けた数日後にAの留守を見計らって釧路市内の実母方に逃げ、しばらくすると、Aから、戻るように優しく言われ、子供を可愛がり、暴力は振るわないなどと約束されて、再びよりを戻すということを三、四回繰り返していた。 4 被告人は、その間の平成八年六月ころ、Aの子を妊娠したことを知り、同年七月二日、Aと婚姻し、また、Aは、同年一〇月三日、C及びDと養子縁組をし、被告人とAとの間には、平成九年一月二二日、長女F子が生まれた。 5 Aは、昭和北のアパートに居住していた当時、CやDの食事の行儀が悪いときなどに、しつけ程度に二人の頬を平手で殴打していたほか、立たせたり、正座させたりしていた。 6 Aは、被告人と同棲を始めたころ、鳶職人として働き、月収約二〇万円を得、生活も安定していたが、平成八年八月ころ鳶職を辞め、同年一〇月ころからは職を転々とするようになり、全く仕事をしないときもあって、生活が不安定になった。 三 Aと離婚した経緯及び星が浦のアパートでの生活状況等 1 被告人は、平成九年二月ころ、Aに暴力を振るわれたことから、Aの留守を見計らい、三人の子供を連れて実母方に逃げ、その後、実母から強く言われたこともあって離婚を決意し、Aもこれに応じたことから、同年三月六日、C及びDの親権者を被告人として協議離婚した。しかし、その数日後、Aから、前同様に優しく言われてよりを戻すこととなり、当時Aが昭和北のアパートを引き払って釧路市星が浦大通のアパート(以下「星が浦のアパート」という。)に住んでいたことから、同所で、三人の子供とともにAとの同棲生活を再開した。 2 被告人は、同年五月ころ、Aと口論となり、灯油を少量かぶって焼身自殺をする振りをしたところ、激昂したAから、両肩と両腿を手拳で殴打され、更に手や足を殴打するなどの暴行を執拗に加えられ、手足が腫れ上がって歩行も困難な状態となった。 3 Aは、星が浦のアパートに居住していた当時、CやDの食事の行儀が悪いときなどに、二人の頬を平手で殴打するなどしていた。 四 材木町のアパートでの生活状況等 1 被告人は、前記三の2の暴行を受けた数日後、今度こそAと別れようと決心し、Aの留守を見計らって実母方に逃げたところ、実母からAと別れるよう強く言われ、今度Aの所に戻れば親子の縁を切るとまで言われた。そして、子供達との独立した生活をするため、生活保護の受給手続を進めるとともに、釧路郡釧路町豊美にアパートを見付け、平成九年六月初めころ、同所に転居することとなった。 2 被告人は、右アパートヘの引っ越しの当日、突如現れたAから、前同様に優しく言われ、「やくざの卵売りの仕事だが、仕事も決まった。」などと言われて、またもAとやり直すことにし、翌日ころには二人で釧路市材木町のアパート(以下「材木町のアパート」という。)を新たに借り、同所で、三人の子供とともにAと同棲生活を再開した。なお、Aは、同年六月六日、C及びDと協議離縁している。 3 Aは、同月初めころから、暴力団の関与する川上郡弟子屈町硫黄山での蒸し卵売りの仕事を手伝うようになり、これをしている間、半月ごとに約一五万円の手当を得ており、被告人らは、安定した生活を送り、また、Aが被告人やC及びDに暴力を振るうこともなくなった。なお、被告人は、同年七月ころ、Aとの間の第二子を懐妊したことに気付き、Aにもその旨伝えた。 4 Aは、暴力団関係者との人間関係の悩みなどから、蒸し卵売りの仕事に嫌気がさし、同年一〇月一日、世話になっていた暴力団組長方に置き手紙をして仕事を辞めてしまい、材木町のアパートも引き払って、被告人及び三人の子供とともに北海道内各地を自動車で転々とした後、同月一〇日過ぎころから、川上郡標茶町のAの実家に身を寄せた。 5 Aは、実家に身を寄せるようになってから、CやDを長時間正座させたり、起立させ、平手や手拳で殴打したりするなどのせっかんを度々加えるようになったが、被告人は、これを見ても、制止することなく、「あんた達が悪いんだから怒られて当たり前だ。」などと言い放ち、また、自らも、Dが夜尿をしたときに一、二度頬や臀部を叩いたことがあった。 五 甲野マンションでの生活状況等 1 Aと被告人は、Aの両親から現金一〇万円の援助を受け、平成九年一〇月二五日ころ、甲野マンションを借り、三人の子供とともに同棲生活を始めたが、このころ、被告人は、妊娠約六か月の状態にあり、Aも、そのことを知っていた。 2 Aは、甲野マンションに移ってから、何度か被告人に対し、別れ話を持ち出しては子供を連れて出て行くように言い、同年一一月初めころ、「出て行け。」などと言って被告人の頬と肩を平手と手拳で七、八回殴打し、更に、その数日後、被告人を正座させた上、同様に言って手拳等で肩と両腿を五、六分ほど殴打し続けたが、いずれの際も、被告人は、「これまで何度も黙って出て行ったりして迷惑をかけていたから、もう出て行ったりしない。」などと言って、何ら抵抗することなくAの暴行を受け入れた。また、Aは、これらとは別の機会に、被告人に裸で甲野マンションから出て行くよう命じ、その際、被告人は、三人の子供とともに裸になり、子供達を連れて玄関まで行ったものの、Aに制止され、屋外に出ることはなかった。 3 Aは、甲野マンションに入居して以降、新たな仕事に就く当てもなく、生活費にも事欠くようになったことなどから、不満や苛立ちを募らせ、その鬱憤晴らしなどのため、ほとんど毎日のように、CやDを半袖シャツとパンツだけで過ごさせた上、長時間立たせたり、正座させたりするなどしたほか、平手や手拳で顔面や頭部を殴打するなどの激しいせっかんを繰り返すようになった。なお、Aは、CやDを注意したときには、一〇回に八回程度は、右のような暴行に及んでいた。 4 他方、被告人も、同年一一月一三日ころには、さしたる理由もないのに、Aのせっかん等によってかなり衰弱しているC及びDを並ばせ、「お前達なんか死んじゃえばいいのに。」などと言いながら、二人の顔面や頭部等を殴打し、腰部等を足蹴にして、二人をその場に転倒させるせっかんを加え、同月一五日ころにも、Dに対し、平手で顔面を殴打し、その場に転倒させるせっかんを加えていた。 5 被告人は、AがCやDに激しいせっかんを加えていたのを見ても、CやDを助けるための行動には出ず、CやDが助けを求める視線を向けても、無関心な態度を示していた。 6 被告人一家は、甲野マンションに入居して以降、一日一、二回の食事しかとれず、その食事も満足にできない状態であったため、Dは、星が浦のアパート時代には一五・五キログラムあった体重が、死亡当時には一一・七キログラムにまで減っており、同年齢の児童の平均体重より三・二キログラムも劣る極度のるい痩状態にあった。 六 平成九年一一月二〇日の状況等 1 Aと被告人は、平成九年一一月二〇日午後二時ころ、F子を連れてAの友人であるG方へ向かったが、その際、Aは、CとDに留守番をさせ、半袖シャツとパンツだけの姿のDに壁に向かって立っているよう命じ、CにはDを見張っているよう命じて外出した。 2 Aと被告人は、同日午後三時四〇分ころからG方で過ごし、ビールを飲むなどして歓談し、同日午後六時四五分ころG方を辞去したが、Aは、帰途、機嫌が良かったこともあって、G方を訪ねる前に被告人が食べたいと言っていたドーナツを買ってやることにし、スーパーマーケットに寄ってドーナツ等を買った。 3 Aと被告人は、F子とともに、同日午後七時一五分ころ甲野マンションに戻ったが、Aは、子供部屋のおもちゃが少し移動していたため、Cに誰が散らかしたのかと尋ねたところ、Cが「Dちゃん。」と答えたことから、Dが言い付けを守らずおもちゃで遊んでいたと思い込んで立腹し、隣の寝室で立っていたDの方に向かった。 4 被告人は、右のAとCのやりとりを聞き、AがDにいつものようなせっかんを加えるかも知れないと思ったが、これに対しては何もせず、数メートル離れた台所の流し台で夕食用の米をとぎ始め、Aの行動に対しては無関心を装っていた。 5 Aは、Dを自分の方に向き直らせ、「おもちゃ散らかしたのはお前か。」などと強い口調で尋ねたものの、Dが何も答えなかったため、更に大きな声で同じことを尋ねたが、Dがそれにも答えず、Aを睨み付けるような目つきをしたため、これに腹立ちを募らせ、「横目で睨むのはやめろ。」などと怒鳴り、Dの左頬を右の平手で一回殴打し、続いて「お前がやったのか。」などと怒鳴ったが、Dが同様の態度をとったため、Dの左頬から左耳にかけての部位を右の平手で一回殴打したところ、Dがよろけて右膝と右手を床についたので、Dの左腕を掴んで引き起こした上、また同様に怒鳴ったが、なおもDが同様の態度をとり続けたことから、腹立ちが収まらず、Dの左頬を右の平手で一回殴打した上、更に「お前がやったのか。」などと怒鳴りながら、一発ずつ間隔を置いてDの頭部右側を手拳あるいは裏拳で五回にわたり殴打した。すると、Dは、突然短い悲鳴を上げ、身体の左から倒れて仰向けになり、意識を失った。 6 被告人は、Aが寝室でDを大きな声で問い詰めるのを聞くとともに、頬を叩くようなぱしっという音を二、三回聞いて、やはりいつものせっかんが始まったと思ったものの、これに対しても何もせず、依然として米をとぎ続け、Aの行動に無関心を装っていたが、これまでにないDの悲鳴を聞き、慌てて寝室に行ったところ、既にDはAに抱えられ、身動きしない状態になっていた。 7 Aと被告人は、その後、Aの運転する自動車にDを乗せて病院に向かい、同日午後八時一〇分ころ、市立釧路総合病院に到着したが、Dは、直ちに開頭手術を受けたものの、翌二一日午前一時五五分ころ、Aの暴行による硬膜下出血、くも膜下出血等の傷害に伴う脳機能障害により死亡した。 8 被告人は、右病院で、担当医師から、Dの命が助からない旨の説明を受け、これを聞いてAの身代わり犯人となることを決意し、待合室にいたAに対し、「私がやったことにするから、あなたは昼から出かけたことにしておいて。」などと言ってAの身代わりになることを申し出た上、医師の通報により右病院に臨場した警察官に対し、自分の犯行である旨虚偽の申告をし、同月二一日午前三時一〇分、傷害致死罪により緊急逮捕され、捜査段階では終始一貫して自分の犯行である旨虚偽の供述をし、同年一二月一一日、同罪により起訴され、同月二四日に至り、初めて同房者にAの犯行である旨を告白した。 以上のような事実が認められる。 第二 原判決の事実認定及び法令の適用について 一 原判決は、前記第一とほぼ同旨の事実を認定しながら、被告人の内心の意思や動機等について、被告人の原審公判供述及び各検察官調書謄本(原審乙18ないし20)(以下「被告人の供述」と総称する。)に依拠して、被告人は、(1)甲野マンションでAから強度の暴行を受けるようになって以降、Aに愛情は抱いておらず、子供達を連れてAの下から逃げ出したいと考えていた、(2)しかし、Aが働くこともなく家にいて留守になることがなかったことから、逃げ出そうとしてAに見付かり、酷い暴行を受けることを恐れ、逃げ出せずにいた、(3)甲野マンションに入居した後、Aからは出て行けと何回か言われていたけれども、Aの言葉は本心ではなく、被告人を試すために言っているものと思っていた、(4)Aから激しい暴行を受けたときの恐怖心や、AがCやDに暴力を振るっているのを側で見ていて、Aから「何見てんのよ。」などと怒鳴られたことがあったことなどから、Aに逆らえば、酷い暴行を受けるのではないかと恐ろしかった上、Aが逆上してCやDに更に酷いせっかんを加えるのではないかと思い、CやDを助けることができなかった、(5)身代わり犯人になったのは、Dを見殺しにしてしまったという自責の念から自分自身が罰を受けたかったためであり、Aをかばうつもりはなかった、との事実を認定している。 二 そして、右事実認定を前提に、(一)不作為による幇助犯が成立するためには、他人による犯罪の実行を阻止すべき作為義務を有する者が、犯罪の実行をほぼ確実に阻止し得たにもかかわらず、これを放置しており、要求される作為義務の程度及び要求される行為を行うことの容易性等の観点からみて、その不作為を作為による幇助と同視し得ることが必要と解すべきであるとした上、(二)被告人には、AがDに対して暴行に及ぶことを阻止すべき作為義務があったと認めながら、(三)その作為義務の程度は極めて強度とまではいえないとし、(四)被告人に具体的に要求される作為の内容としては、Aの暴行をほぼ確実に阻止し得た行為、すなわちAの暴行を実力をもって阻止する行為を想定するのが相当であり、AとDの側に寄ってAがDに暴行を加えないように監視する行為、あるいは、Aの暴行を言葉で制止する行為を想定することは相当でないとした上で、(五)被告人が身を挺して制止すれば、Aの暴行をほぼ確実に阻止し得たはずであるから、被告人がAの暴行を実力をもって阻止することは、不可能ではなかったが、そうしようとした場合には、かえって、Aの反感を買い、被告人がAから激しい暴行を受けて負傷していた相当の可能性のあったことを否定し難く、場合によっては胎児の健康にまで影響の及んだ可能性もある上、被告人は、Aの暴行を実力により阻止することが極めて困難な心理状態にあったのであるから、被告人がAの暴行を実力により阻止することは著しく困難な状況にあったとし、(六)右状況にかんがみると、被告人の不作為を作為による傷害致死幇助罪と同視することはできない旨判示している。 第三 原判決の事実誤認について 一 しかし、Aの当審公判供述を含む関係証拠及びこれによって認められる諸事実に照らすと、前記第二の一の被告人の供述(1)ないし(5)は、いずれもたやすく信用することができない。すなわち、 1 被告人がAから強度の暴行を受けるようになったのは、前記第一の二のとおり、Aと同棲を始めた直後の昭和北のアパート時代からのことで、同棲開始後間もない平成八年四月中旬ころには、Aからマイナスドライバーの先端を首筋に押し付けられて赤い痕が残るほどの暴行を受け、同年八月ころには、手首を切って自殺を図り、平手や手拳で顔面等を多数回殴打され、平成九年五月ころには、灯油を少量かぶって焼身自殺をする振りをし、手拳等で手足を殴打されて歩行もできない状況になるなど、強度の暴行を何回も受け、その度にAの留守を見計らっては実母方に逃げていたのに、被告人は、ほどなくAに戻るよう優しい言葉をかけられてはよりを戻すということを幾度も繰り返し、とりわけ同年五月ころ、星が浦のアパートから実母方に逃げた際には、実母から、今度Aの所に戻れば親子の縁を切るとまで言われ、生活保護の受給手続まで進めながら、数日後にはAとよりを戻して材木町のアパートで同棲するようになっていることなどに加え、原審公判廷においても、「母親としてじゃなく、女として、あの人のことが好きだというんで戻っていた。」などと供述していることに照らすと、被告人が、甲野マンション入居後、それまでと比べてさほど強度とはいえない暴行を二度ほど受けたからといって、にわかにAに愛情を抱かなくなり、Aの下から逃げ出したいと考えるようになったとは思われず、被告人の供述(1)はたやすく信用できない。 2 Aが家にいて留守になることがなくても、被告人は、Aから常時監視されたり、監禁、拘束されたりしていたわけではなく、原判決も指摘するように、Aが寝ているときもあったのであるから、常識的に考えれば、被告人が甲野マンションを出る機会や方法はいくらでもあった上、現に被告人は、これまで家出をする際には、子供達を残して単身実母方に逃げ帰り、後から子供達を迎えに行ったり、所持金のないまま子供達を連れてタクシーで実母方に逃げ帰り、実母に料金を払ってもらったりするなど、臨機の方法でAの下を逃れていたのであるから、Aが家にいて留守になることがなかったとしても、被告人が逃げ出せずにいたとは考え難く、また、被告人がこれまで家を出ようとしてAに見付かり、そのために暴行を受けた事実はなかったことに照らすと、そのようなことを恐れて逃げ出せずにいたとも考え難いので、被告人の供述(2)はたやすく信用できない。 3 標茶町の実家に身を寄せたとき以降、被告人に嫌気がさし、別れたいと思い、被告人にも繰り返しその旨話していた旨のAの原審公判供述や、甲野マンションに入居後、週に三、四回被告人から性交を誘われたが、本件までの約四週間に一、二度応じたのみである旨のAの当審公判供述に加え、職も蓄えもないAが、自分の子であるF子のみならず、被告人やその連れ子で自分とは既に離縁しているC及びDまで扶養しなければならない状況に置かれていたことや、これまで別れ話を持ち出したことのなかったAが、甲野マンションに入居後は、被告人に何回も出て行けと言い、C及びDに対し、ほとんど毎日のように激しいせっかんを繰り返すようになったことなどに照らすと、Aの出て行けとの言葉は本心であり、被告人もこれを察知していたものと認めるのが相当であるから、被告人の供述(3)はたやすく信用できない。 4 被告人が、これまでに、Aのせっかんを制止しようとしたために、Aから自己や胎児に危険が及ぶような激しいせっかんを受け、あるいは、C及びDに対するせっかんが更に激しくなったという事実はなく、被告人は、本件に至るまで、Aのせっかんを制止しようとしたことすらないほか、標茶町時代及び甲野マンション入居後、AがC及びDに激しいせっかんをしているのを見ても、「あんた達が悪いんだから怒られて当たり前だ。」などと言い放ち、Aのせっかんに加担するような態度をとっていた上、自らも、本件直前の平成九年一一月一三日ころには、さしたる理由もないのに、Aのせっかん等によってかなり衰弱しているC及びDを並ばせ、「お前達なんか死んじゃえばいいのに。」などと言いながら、二人の顔面や頭部等を殴打し、腰部等を足蹴にして、二人をその場に転倒させるせっかんを加え、同月一五日ころにも、Dに対し、平手で顔面を殴打し、その場に転倒させるせっかんを加えていたことなどに照らすと、被告人がDらを助けなかった理由が、Aに逆らえば、酷い暴行を受けるのではないかと恐ろしかった上、Aが逆上してDらに更に酷いせっかんを加えるのではないかと思ったことにあるとは考えられず、被告人の供述(4)はたやすく信用できない。 5 被告人は、現にAの身代わり犯人になっているのであるから、常識的には、Aをかばおうとする意思があったものと考えられるほか、本件当夜、意識を失ったDを病院に搬送した後、医師からその原因を尋ねられても、自己やAが殴打したとは答えず、「転んだ。」などと嘘を言い、Dが助かる見込みがないことを医師から知らされた後、警察官から任意の取調べを受けた際にも、自分がせっかんを加えていたと述べる一方で、当初は「今日は殴っていない。」と述べるなど、Dを見殺しにしてしまったという自責の念のみでは説明の付かない言動をしていた上、緊急逮捕後警察官から本格的な取調べを受けた際には、Aを愛している旨を繰り返し述べる一方で、Aの自己に対する暴力についてはほとんど述べず、「Aが、CとDを殴ったことは一度もない。」などと、あえて虚偽の事実を述べるなど、Aをかばおうとする意思がなければ説明の付かない言動をしていたことに照らすと、被告人の供述(5)はたやすく信用できない。 二 以上によれば、被告人の供述(1)ないし(5)に沿う事実はいずれもこれを認めることができず、前記第一の事実、とりわけ、被告人が自ら申し出てAとの同棲を開始し、Aから何回も暴力を振るわれながら、Aとの内縁ないし婚姻関係を継続していたこと、本件の五か月余り前からは、Aの暴力の有無にかかわらず、実母方に逃げることもなかったこと、甲野マンション入居後は、Aから別れ話を持ち出され、子供を連れて出て行くように言われ、暴力まで振るわれたのに、最後まで出て行かなかったこと、標茶町時代以降、AがDらに激しいせっかんをしているのを見ても、これを制止せず、かえってAのせっかんに加担するような態度をとり、本件直前ころには、自らもCやDに相当強度のせっかんを加えていたこと、本件直後Dの命が助からない旨を聞かされるや、躊躇なくAの身代わり犯人となることを決意し、自ら申し出て身代わり犯人になり、一か月余り虚偽の供述を維持していたことなどに照らすと、被告人が本件せっかんの際、Aの暴行を制止しなかったのは、当時なおAに愛情を抱いており、Aへの肉体的執着もあり、かつ、Aとの間の第二子を懐妊していることもあって、Dらの母親であるという立場よりもAとの内縁関係を優先させ、AのDに対する暴行に目をつぶっていたものと認めるのが相当であるから,被告人がAの暴行を制止しなかった理由として、被告人の供述(4)に沿う事実を認定した原判決には、事実の誤認があるといわざるを得ない。 三 そうすると、被告人は、Aの暴行を実力により阻止することが著しく困難な状況にあったとはいえず、前記第二の二の原判決の判示を前提としても、被告人の不作為を作為による傷害致死幇助罪と同視することができないとはいえないから、右事実誤認は、判決に影響を及ぼすことが明らかというべきである。 第四 原判決の法令適用の誤りについて 一 後述する不作為による幇助犯の成立要件に徴すると、原判決が掲げる「犯罪の実行をほぼ確実に阻止し得たにもかかわらず、これを放置した」という要件は、不作為による幇助犯の成立には不必要というべきであるから、実質的に、作為義務がある者の不作為のうちでも結果阻止との因果性の認められるもののみを幇助行為に限定した上、被告人に具体的に要求される作為の内容としてAの暴行を実力をもって阻止する行為のみを想定し、AとDの側に寄ってAがDに暴行を加えないように監視する行為、あるいは、Aの暴行を言葉で制止する行為を想定することは相当でないとした原判決には、罪刑法定主義の見地から不真正不作為犯自体の拡がりに絞りを掛ける必要があり、不真正不作為犯を更に拡張する幇助犯の成立には特に慎重な絞りが必要であることを考慮に入れても、なお法令の適用に誤りがあるといわざるを得ない。 二 そこで、被告人に具体的に要求される作為の内容とこれによるAの犯罪の防止可能性を、その容易性を含めて検討する。 1 まず、AとDの側に寄ってAがDに暴行を加えないように監視する行為は、数メートル離れた台所の流し台からAとDのいる寝室に移動するだけでなし得る最も容易な行為であるところ、関係証拠によれば、Aは、以前、被告人がAのせっかんの様子を見ているとせっかんがやりにくいとの態度を露わにしていた上、本件せっかんの途中でも、後ろを振り返り、被告人がいないかどうかを確かめていることが認められ、このようなAの態度にかんがみると、被告人がAの側に寄って監視するだけでも、Aにとっては、Dへの暴行に対する心理的抑制になったものと考えられるから、右作為によってAの暴行を阻止することは可能であったというべきである。 2 次に、Aの暴行を言葉で制止する行為は、Aを制止し、あるいは、宥める言葉にある程度の工夫を要するものの、必ずしも寝室への移動を要しない点においては、監視行為よりも容易になし得る面もあるところ、関係証拠によれば、Aは、Dに対する暴行を開始した後も、D及び被告人の反応をうかがいながら、一発ずつ間隔を置いて殴打し、右暴行をやめる機会を模索していたものと認められ、このようなAの態度にかんがみると、被告人がAに対し、「やめて。」などと言って制止し、あるいは、Dのために弁解したり、Dに代わって謝罪したりするなどの言葉による制止行為をすれば、Aにとっては、右暴行をやめる契機になったと考えられるから、右作為によってAの暴行を阻止することも相当程度可能であったというべきである(被告人自身も、原審公判廷において、本件せっかんの直前、言葉で制止すれば、その場が収まったと思う旨供述している。)。 3 最後に、Aの暴行を実力をもって阻止する行為についてみると、原判決も判示するとおり、被告人が身を挺して制止すれば、Aの暴行をほぼ確実に阻止し得たことは明らかであるところ、右作為に出た場合には、Aの反感を買い、自らが暴行を受けて負傷していた可能性は否定し難いものの、Aが、被告人が妊娠中のときは、胎児への影響を慮って、腹部以外の部位に暴行を加えていたことなどに照らすと、胎児の健康にまで影響の及んだ可能性は低く、前記第三の三のとおり、被告人がAの暴行を実力により阻止することが著しく困難な状況にあったとはいえないことを併せ考えると、右作為は、Aの犯罪を防止するための最後の手段として、なお被告人に具体的に要求される作為に含まれるとみて差し支えない。 4 そうすると、被告人が、本件の具体的状況に応じ、以上の監視ないし制止行為を比較的容易なものから段階的に行い、あるいは、複合して行うなどしてAのDに対する暴行を阻止することは可能であったというべきであるから、右1及び2の作為による本件せっかんの防止可能性を検討しなかった原判決の法令適用の誤りは、判決に影響を及ぼすことが明らかというべきである。 第五 破棄自判 以上によれば、論旨はいずれも理由があるから、刑訴法三九七条一項、三八〇条、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書を適用して、当審において更に次のとおり判決をする。 (罪となるべき事実) 被告人は、平成九年六月ころ、先に協議離婚したAと再び同棲を開始するに際し、当時自己が親権者となっていた、元夫Bとの間にもうけた長男C及び二男D(当時三歳)を連れてAと内縁関係に入ったが、その後、AがDらにせっかんを繰り返すようになったのであるから、その親権者兼監護者としてDらに対するAのせっかんを阻止してDらを保護すべき立場にあったところ、Aが、平成九年一一月二〇日午後七時一五分ころ、釧路市鳥取南《番地略》甲野マンション一号室において、Dに対し、その顔面、頭部を平手及び手拳で多数回にわたり殴打し、転倒させるなどの暴行を加え、よって、Dに硬膜下出血、くも膜下出血等の傷害を負わせ、翌二一日午前一時五五分ころ、同市春湖台一番一二号市立釧路総合病院において、Dを右傷害に伴う脳機能障害により死亡させた犯行を行った際、同月二〇日午後七時一五分ころ、右甲野マンション一号室において、Aが前記暴行を開始しようとしたのを認識したのであるから、直ちに右暴行を阻止する措置を採るべきであり、かつ、これを阻止してDを保護することができたのに、何らの措置を採ることなく放置し、もってAの前記犯行を容易にしてこれを幇助したものである。 (証拠の標目)《略》 (補足説明) 1 不作為による幇助犯は、正犯者の犯罪を防止しなければならない作為義務のある者が、一定の作為によって正犯者の犯罪を防止することが可能であるのに、そのことを認識しながら、右一定の作為をせず、これによって正犯者の犯罪の実行を容易にした場合に成立し、以上が作為による幇助犯の場合と同視できることが必要と解される。 2 被告人は、平成八年三月下旬以降、約一年八か月にわたり、Aとの内縁ないし婚姻関係を継続し、Aの短気な性格や暴力的な行動傾向を熟知しながら、Aとの同棲期間中常にDらを連れ、Aの下に置いていたことに加え、被告人は、わずか三歳六か月のDの唯一の親権者であったこと、Dは栄養状態が悪く、極度のるい痩状態にあったこと、Aが、甲野マンションに入居して以降、CやDに対して毎日のように激しいせっかんを繰り返し、被告人もこれを知っていたこと、被告人は、本件せっかんの直前、Aが、Cにおもちゃを散らかしたのは誰かと尋ね、Cが、Dが散らかした旨答えたのを聞き、更にAが寝室でDを大きな声で問い詰めるのを聞いて、AがDにせっかんを加えようとしているのを認識したこと、Aが本件せっかんに及ぼうとした際、室内には、AとDのほかには、四歳八か月のC、生後一〇か月のF子及び被告人しかおらず、DがAから暴行を受けることを阻止し得る者は被告人以外存在しなかったことにかんがみると、Dの生命・身体の安全の確保は、被告人のみに依存していた状態にあり、かつ、被告人は、Dの生命・身体の安全が害される危険な状況を認識していたというべきであるから、被告人には、AがDに対して暴行に及ぶことを阻止しなければならない作為義務があったというべきである。 ところで、原判決は、被告人は、甲野マンションで、Aから強度の暴行を受けるようになって以降、子供達を連れてAの下から逃げ出したいと考えていたものの、逃げ出そうとしてAに見付かり、酷い暴行を受けることを恐れ、逃げ出せずにいたことを考えると、その作為義務の程度は極めて強度とまではいえない旨判示しているが、原判決が依拠する前記第二の一の被告人の供述(1)及び(2)は、前記第三の一の1及び2で検討したとおり、いずれもたやすく信用することができないから、右判示はその前提を欠き、被告人の作為義務を基礎付ける前記諸事実にかんがみると、右作為義務の程度は極めて強度であったというべきである。 3 前記第四の二のとおり、被告人には、一定の作為によってAのDに対する暴行を阻止することが可能であったところ、関係証拠に照らすと、被告人は、本件せっかんの直前、AとCとのやりとりを聞き、更にAが寝室でDを大きな声で問い詰めるのを聞いて、AがDにせっかんを加えようとしているのを認識していた上、自分がAを監視したり制止したりすれば、Aの暴行を阻止することができたことを認識しながら、前記第四の二のいずれの作為にも出なかったものと認められるから、被告人は、右可能性を認識しながら、前記一定の作為をしなかったものというべきである。 4 関係証拠に照らすと、被告人の右不作為の結果、被告人の制止ないし監視行為があった場合に比べて、AのDに対する暴行が容易になったことは疑いがないところ、被告人は、そのことを認識しつつ、当時なおAに愛情を抱いており、Aへの肉体的執着もあり、かつ、Aとの間の第二子を懐妊していることもあって、Dらの母親であるという立場よりもAとの内縁関係を優先させ、AのDに対する暴行に目をつぶり、あえてそのことを認容していたものと認められるから、被告人は、右不作為によってAの暴行を容易にしたものというべきである。 5 以上によれば、被告人の行為は、不作為による幇助犯の成立要件に該当し、被告人の作為義務の程度が極めて強度であり、比較的容易なものを含む前記一定の作為によってAのDに対する暴行を阻止することが可能であったことにかんがみると、被告人の行為は、作為による幇助犯の場合と同視できるものというべきである。 (法令の適用) 被告人の判示行為は、刑法六二条一項、二〇五条に該当するところ、右は従犯であるから、同法六三条、六八条三号により法律上の減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役二年六月に処し、同法二一条を適用して原審における未決勾留日数中一〇〇日を右刑に算入し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予することとし、原審及び当審における訴訟費用については、刑訴法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。 (量刑の理由) 本件は、当時三歳の男児Dの親権者兼監護者であった被告人が、内縁の夫AによるDに対する激しいせっかんを阻止せず、AによるDの傷害致死を容易にしてこれを幇助したという事案である。 被告人は、甲野マンションに入居して以降とりわけ激しくなったAのDらに対する恒常的なせっかんを放置し続けていたもので、本件は起こるべくして起きた事案といってよい。被告人は、本件せっかんの当日、A及びF子とともに五時間余り外出し、その間、電灯もストーブも点いていない暗く寒い室内で、半袖シャツとパンツだけの姿で起立させられていたDを思い遣ることなく、Aが帰宅するなり、おもちゃを散らかしたといえる状況もないDを問い詰め、暴行に及ぼうとしたのを認識しながら、Dの母親であるという立場よりもAとの内縁関係を優先させ、AのDに対する暴行に目をつぶり、AやDの姿が見通せない台所の流しで夕食用の米をとぐなどしていたもので、動機に酌量すべきものはほとんどない。被告人は、AがDに対して暴行に及ぶことを阻止しなければならない極めて強度の作為義務を負っており、かつ、比較的容易なものを含む一定の作為によってこれを阻止することが可能であったのに、何らの作為にも出ず、母親として果たさなければならない義務を放棄していたもので、被告人が当時妊娠約六か月の状態であったことを考慮しても、犯行態様は決して芳しいものではない。Dは、Aの暴行及びこれを阻止しなかった被告人の不作為により、硬膜下出血等の傷害を負い、直ちに病院に搬送されて手術を受けたものの、既に手遅れの状態となっており、受傷から七時間足らずで死亡したもので、その結果は誠に重大であり、Aから連日のように無慈悲かつ理不尽なせっかんを加え続けられた挙げ句、おもちゃを散らかしたとの濡れ衣を着せられて、いわれのない激しいせっかんを受け、全身に新旧多数の打撲傷や痣、皮膚の変色を残したまま、僅か三歳六か月の幼い命を奪われたDの無念さは察するに余りあり、実父であるBが、Aに対する厳罰を望んでいるほか、Dを助けなかった被告人も許せない旨警察官に供述しているのも、誠に無理からぬところである。加えて、被告人は、本件犯行後自ら進んでAの身代わり犯人となり、緊急逮捕後は一貫して自分がDを殴って死亡させたのであり、Aは無関係である旨の虚偽の供述を繰り返し、逮捕後一か月余りを経た起訴勾留中に、ようやく真犯人がAである旨を同房者に打ち明けたもので、犯行後の行状も甚だ芳しくない。以上のようにみてくると、被告人の刑事責任は誠に重い。 しかしながら、本件傷害致死の正犯者はあくまでAであり、被告人の幇助の態様は不作為という消極的なものであったこと、被告人自身もAからしばしば相当強度の暴力を振るわれており、前記妊娠の点をも併せ考慮すると、被告人が期待された作為に出なかったことについては、一概に厳しい非難を浴びせ難い面もあること、被告人自身、本件により自らが腹を痛めたDを亡くしており、自責の念を抱いていること、被告人は、累犯前科を有するAと異なり、これまで前科なく生活しており、原審係属中の平成一〇年五月二七日勾留取消決定により釈放された後は、飲食店従業員として稼働していること、被告人にはDのほかに三児があり、現在C及びF子は施設に入所しているものの、いずれは同児らを引取り、自ら養育していくべき責任があること、被告人には釧路市内に住む実母がいて、将来も折あるごとに被告人の相談に乗り、被告人を監督していくものと期待されることなどの諸事情も認められ、これらを前記諸事情と併せ考えると、この際、被告人に対しては、直ちに実刑をもって臨むよりも、Dの冥福を祈らせつつ、社会内で更生の道を歩ませるのが相当と考えられる。 (原審における求刑 懲役三年) よって、主文のとおり判決する。 (裁判長裁判官 近江清勝 裁判官 渡邊壯 嶋原文雄)
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ガンワダについて 配信名 愛称 年齢 在住 職業 使用会社 運用資産 生涯収支 トレード手法 備考 ガンワダ 不明 20代 大阪 メガネ屋 不明 不明 不明 不明 不明 ガンワダのHP:http //ganwada.jimdo.com/ ガンワダのブログ:http //ganwada.blog109.fc2.com/ ガンワダの概要 ガンワダとは ガンワダショック! 別名:命の金FX 笑い事にならないため忘れたほうが良い ガンワダの犯罪について ガンワダは2012年の5月にある事件を起こす。なんと傷害致死事件である。 この事件の加害者がかなりの確率でガンワダであるらしい 以下引用。続報なし。」 大阪府岸和田市の駐車場で11日未明、男性が倒れているのが見つかり、 その後死亡した事件で、大阪府警は24日、人容疑で、同市の解体工高●篤史(28)と、 同市の自営業矢●順也(28)の両容疑者を逮捕した。 逮捕容疑は、同市筋海町で同市沼町の会社員相輪●人さん(39)を殴るなどして殺害した疑い。 事件ニュース:http //blog.goo.ne.jp/alcoholismgoo/e/cfe5a75d6bd80f0d887136eb8fb07974 ガンワダ関連動画 videoプラグインエラー 正しいURLを入力してください。 videoプラグインエラー 正しいURLを入力してください。
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登録タグ SM グロ セクシャル 事件 危険度3 悲劇 東京 犯罪 真実 非常識 黙読注意 1917年(大正6年)にSMプレイによって起きた殺人事件。 + 詳細。文章だけでも生々しいので注意 内容は東京市下谷区龍泉寺町の開業医が、小口末吉(29)なる大工から往診を依頼されて訪ねたところ、内妻の矢作ヨネ(23)が床に伏していて布団をめくると、全身が焼け爛れた上、生傷だらけで手足の指も切断されている状態だったため、医者がおかしいと思い、警察に通報した。 2日後にヨネは死亡し、遺体は臀部や大腿部に22ケ所、陰部にも左右3ヶ所ずつの傷が並んでおり、背中と右腕の3ヶ所に焼け火箸で「小口末吉妻」と彫られていた。左足の薬指や右足の中指と小指がなく、左手の薬指と小指も第二関節から切断されているというものであった。 当初、末吉は犯行を否定していたが、末吉が「ヨネの身体に自分の名前を刻んだのは『他の男には、決して心を動かさないようにするため』と彼女に懇願されたからだ」、「これらの傷はみなヨネがつけてくれと云うからつけました。嫌だと言えば、別れると言う。別れるのは困るから、言われるままつけてやりました」と供述し、「ヨネは傷つける時、一度だって痛いなんて言ったことはない。焼け火をつける時は、手拭いをかたく咥えて我慢して、熱いなんて言ったことはない。大きな灸よりも楽だと言っていた」と証言している。他にもヨネに指を切断してほしいと言われノミと金槌で切断したりしている。 その後、末吉はは傷害致死罪で起訴され、懲役10年の刑が求刑された。 検索するとこの事件で実際に使われた道具やヨネの遺体の画像がヒットする。 分類:グロ、セクシャル、非常識、真実 危険度:3 コメント 文章だけでギブ -- 名無しさん (2022-09-09 00 17 46) 何だこの事件...... -- 霧雨カッキー (2022-09-09 01 15 06) やりすぎだよこれ… -- さの (2022-09-09 07 37 22) わけがわからないよ -- 名無しさん (2022-09-09 08 39 46) 大正時代のSMプレイって初めはどんなのか少し想像し難いよね… -- 名無しさん (2022-09-09 14 49 26) 文章もきついけど画像が生々しかった -- ナイル (2022-09-09 23 46 09) 遺体が… -- 名無しさん (2022-09-10 06 53 06) 殺人博物館でも「希望者のみ閲覧可」だった・・・。 -- れいやん (2022-09-12 07 07 55) 傷害致死? -- 名無しさん (2022-09-13 14 36 59) smプレイがこの時代からあったのが驚き -- 名無しさん (2022-09-14 13 28 49) スネ吉兄さん... -- 名無しさん (2022-09-15 22 25 44) 画像あるんだ...希望者はお金払うと閲覧できるのかな? -- ゲーム太郎 (2022-09-16 21 59 05) ↑ 画像検索で普通にヒットしたぞ...注意。 -- ゲーム太郎 (2022-09-16 21 59 47) 金払わなくても普通に見れますよ -- 名無しさん (2022-09-16 22 16 32) この頃のSMプレイ危なそう… -- 名無しさん (2022-09-17 08 09 40) 死人に口無し -- 名無しさん (2022-09-28 18 29 36) 検索かけたら殺人博物館の長文が一番上にヒットした。ちょっと小説っぽい -- 名無しさん (2022-11-20 20 23 44) この時代のSMってあんまり普及してなさそう -- 名無しさん (2023-01-08 10 55 34) ? -- kkk2z (2023-02-12 13 17 12) 殺人博物館でヨネの遺体画像を見る場合は、「CENSORED」と書かれている画像を押せば見られますよ。まあ、画像検索すればその必要はないんですけどね。 -- 名無しさん (2023-04-01 04 59 47) SMプレイの歴史を少し感じた -- 名無しさん (2023-04-01 08 53 08) 名前 コメント
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3歳孫の滝艶凛叶ちゃんを布団で押さえつけて窒息死させた祖父。「こうやって子供を育ててきた」 1 : ノイズw(長屋):2009/11/06(金) 14 31 20.10 ID FoOJspDT ?PLT(12200) ポイント特典 3歳孫を布団で押さえつけ、窒息死させた祖父を逮捕 茨城・土浦 2009年11月06日12時04分 / 提供:産経新聞 産経新聞 茨城県土浦市の祖父宅で孫の3歳女児が死亡した事件で、土浦署は6日、布団を掛けて上から押さえつけ窒息死させたとして、傷害致死容疑で、祖父の土浦市真鍋、無職、飯泉(いいずみ)治男容疑者(71)を逮捕した。 調べによると、飯泉容疑者は4日夜、孫の滝(たき)艶凛叶(えりか)ちゃん(3)=札幌市東区=が泣いて寝つかなかったことから、顔まで布団をかけて上から押さえ込むようにして死亡させた疑いが持たれている。 司法解剖の結果、死因は鼻や胸を圧迫されたことによる窒息死と判明している。 同署によると、飯泉容疑者は容疑事実を認めている。 調べに対し、「自分の子供はこうやって育ててきた」と供述しており、以前からしつけとして布団の上から押さえ込むことがあったという。 艶凛叶ちゃんは、曾祖母にあたる飯泉容疑者の母親の葬儀のため家族とともに飯泉容疑者宅に来ていた。 http //news.livedoor.com/article/detail/4435722/
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【社会】2歳の孫、虐待されて脳損傷→58歳祖母を逮捕…愛媛 1 ☆ばぐ太☆ ◆JSGFLSFOXQ @擬古牛φ ★ off_go@yahoo.co.jp 04/12/26 12 42 21 ID ??? ★2歳の孫虐待=祖母を逮捕-愛媛 2歳の孫を虐待したとして、愛媛県警伊予署は26日、傷害容疑で愛媛県伊予市下吾川、無職前川啓子容疑者(58)を逮捕した。 調べでは、前川容疑者は24日午前11時30分ごろ、自宅で寝ていた孫の航希ちゃん(2)が、起きないことに腹を立、顔を平手で数回殴打。 さらに、布団に押し倒すなどの暴行を加えた疑い。 25日夜に帰宅した母親(25)が、長男の容体がおかしいのに気付き、119番。 航希ちゃんは松山市の病院で脳損傷などで3カ月の重傷と診断されたが、医師が虐待された疑いがあるとして警察に通報。前川容疑者の暴行が発覚した。 http //headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041226-00000736-jij-soci 【社会】祖母に虐待され重体の2歳児が死亡…愛媛・伊予 1 依頼111@淫獣φ ★ 05/01/03 10 10 10 ID ??? 祖母に虐待され重体の2歳児が死亡…愛媛・伊予 愛媛県伊予市下吾川で昨年12月24日、祖母に虐待され、重体となっていた前川航希(こうき)ちゃん(2)は1日、脳挫傷で死亡した。 伊予署は、傷害の疑いで逮捕した祖母の無職啓子容疑者(58)の容疑を傷害致死に切り替えて調べる。 (2005/1/2/19 51読売新聞) http //www.yomiuri.co.jp/national/news/20050102ic22.htm 読売新聞http //www.yomiuri.co.jp/
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被告人を懲役9年に処する。 未決勾留日数中360日をその刑に算入する。 理 由 (第1の犯行に至る経緯) 1 被告人は,平成9年ころ,Aと知り合って同棲を始め,平成10年に長男Bをもうけた後,Aが二男Cを妊娠したのを機に,平成11年5月に婚姻して,新聞販売店で働きながら家族を養っていた。しかし,給料等に不満を抱くなどして退職し,家族と共に,父親の住む後記Xハイムx号室に転がり込んで,その後は,職を転々としながら,経済的に苦しい生活を続けていた。 2 そうした中,被告人は,自己の境遇やふがいなさへのいらだちを募らせて,仕事がない日などは,朝からアパートで酒を飲み,幼い子供の泣き声がうるさい,あやしても泣きやまないなどとして,あざができるまで平手でたたいたり,布団でくるんで圧迫したりする虐待を加えるようになった。被告人は,毎日のように子供に当たっていたほか,Aに対しても,ささいなことに文句を付けては口論となり,木刀を振りかざして脅迫したり,殴る蹴るの暴力を加えたりしたため,Aが子供たちを連れて実家に帰ることも数回に及んだ。しかし,その都度,被告人が,反省の態度を示して謝罪し,家族を呼び戻していたが,同居するとまた家族への暴力が始まるといったことの繰り返しであった。 3 平成12年10月29日,Aは,三男Dと四男Eの双子を出産して,平成13年1月4日から,家族そろっての生活が始まったが,1週間も経つと,被告人は,飲酒しては,あやしても泣きやまない双子の顔を平手でたたいたり,首が据わっていない子供のわきの下を持って抱え上げ,前後に激しく揺さぶったり,座布団の上に放り投げたり,ベビーキャリー(乳児を入れて持ち運ぶためのかご)の中で押さえ付けたりするようになり,時には,双子の顔が赤くはれ上がることさえあった。 4 同月29日,被告人は,仕事を休んで,自宅アパートの南側6畳和室で,昼間から酒を飲んだり居眠りしたりしていた。午後4時ころ,被告人が寝ていると,押入の上段で,ベビーキャリーに入れて寝かし付けられていたEがぐずり泣きを始めたため,被告人は,目を覚まして,「うるせえな」と言いながらも,Eにミルクを飲ませて泣きやませようと,Eが寝ていたベビーキャリーを押入の中から持ち上げて,父親の居室である隣の北側6畳和室に向かった。 (罪となるべき事実) 第1 被告人は,平成13年1月29日午後4時5分ころ,横浜市内のXハイムx号室の被告人方居室(当時)北側6畳和室において,四男E(当時生後3か月)が泣きやまないことにいらだち腹を立てて,Eに対し,その寝ていたベビーキャリーごと畳上に放り投げて落下させた上,その身体を両手で持ち上げ,数回,前後に激しく揺さぶって,その頭部を強打,動揺させるなどの暴行を加え,Eに脳挫傷,急性硬膜下血腫,くも膜下出血の傷害を負わせ,よって,同年3月21日午後8時3分ころ,同市内の病院において,Eを上記傷害により死亡させた。(平成16年4月28日付け追起訴状記載の公訴事実) (第2の犯行に至る経緯) 1 第1の犯行によりEが入院した後,被告人とAは,病院より虐待の疑いがあるとしてDの保護を要請されていた横浜市の児童相談所職員の勧めで,Dを施設に預けることになった。被告人は,Eの死後1か月ほどは,子供たちやAに対して暴力を加えることもなく,酒も控えていたが,その後再び,酒を飲んで数日間仕事を休んでは,妻子の顔を平手でたたくなどするようになった。 2 平成13年9月,被告人一家は,埼玉県上尾市内の後記借家に転居したが,その後の平成14年3月16日,Aが長女Fを体重1070gの未熟児の状態で早産した。Fは,生来,心臓に障害があったため,2度の手術を受けた後,同年12月末に退院して,上尾の自宅で家族と生活するようになった。 ところが,被告人は,平成15年1月ころから,再び仕事を休んでは,昼間から自宅で酒を飲んで,妻子に以前と同様の暴力を振るったり,Fに対しても,泣くと「うるせえ」と怒鳴り付けるようになったが,それが次第にエスカレートして,腹立ち紛れに,Fの頭が前後にがくがくと動くほど体を激しく揺さぶり,抱いたFをベビーベッドの中に投げ入れ,あるいは,Fの額を指で弾いて,あざのような跡を残すこともあった。 3 同年2月初めころ,Aは,遂にB,C,Dを連れて,家を逃げ出し,児童相談所に助けを求めて,外傷のあるFは保護入院となり,Aらも施設に保護された。その後,同年3月初旬に,Aたちは,児童相談所のあっせんで,同県富士見市内のアパートで暮らし始めたものの,被告人の説得により,1か月余り後,上尾市内の自宅に戻ることとなった。 Aたちが戻った当初,被告人は,暴力を振るうこともなく,酒も控えて真面目に生活していたが,それも長続きはせず,同年6月初旬ころからは,またもや仕事に行かずに朝から酒を飲み,子供がうるさいといっては,以前と同じように虐待を加えるようになった。被告人は,酒を飲んでいるときに,子供たちが泣きやまなかったりすると,怒鳴り散らしたり,手当たり次第に物を投げ付けたり,Aや子供を平手で殴り付けたり,木刀を持ち出してAを脅し,足蹴にするなどしていた。また,Fがあやしても泣きやまないと,Fをベビーベッドに投げ込んだり,顔をつかんで左右に揺さぶることもあった。 4 同月14日,被告人は,仕事を無断欠勤して,自分の生活状況に自己嫌悪といらだちを感じながら,朝から自宅で酒を飲んでいた。そのうち,Fがぐずり泣きを始めたが,Aが構わずにいたため,泣きやまないFに多少いらだちながらも,添い寝をし,背中を軽くたたいてあやし始めた。ところが,Fがかえって激しく泣き始めたため,被告人のいらだちは更に強まっていった。 (罪となるべき事実) 被告人は, 第2 平成15年6月14日午後2時ころ,埼玉県上尾市内の被告人方居宅(当時)6畳和室において,長女F(当時1歳3か月)が泣きやまないことにいらだち腹を立てて,Fの身体を両手で持ち上げ,多数回,前後に激しく揺さぶり,その頭部を強く動揺させた上,数回にわたり,独り座りできないFを布団の上に座らせて手を放し,Fを転倒させて,その頭部を布団や畳に打ち付けさせるなどの暴行を加え,Fに急性硬膜下血腫の傷害を負わせ,よって,同日午後7時34分ころ,同県岩槻市内の病院において,Fを上記傷害により死亡させた。(平成16年3月24日付け起訴状記載の公訴事実) 第3 平成16年1月31日午後1時ころから同日午後2時ころまでの間に,さいたま市内の路上において,同所に駐車中の株式会社G代表取締役H管理の普通乗用自動車1台(時価約50万円相当)を窃取した。(同年2月19日付け起訴状記載の公訴事実第1) 第4 公安委員会の運転免許を受けないで,かつ,酒気を帯び,呼気1リットルにつき0.15ミリグラム以上のアルコールを身体に保有する状態で,同年2月1日午後0時7分ころ,埼玉県秩父郡内の道路において,上記第3記載の普通乗用自動車を運転した。(同第2) (証拠の標目) 省 略 (事実認定の補足説明) 第1 判示第1の事実について 弁護人は,判示第1の事実について,被告人が,Eが泣きやまないことなどに激高して,Eが寝ていたベビーキャリーを放り投げたり,身体を両手で持ち上げて,数回,前後に激しく揺さぶる暴行を加えたような事実を認めるに足りる証拠はないから,被告人は無罪である旨主張するので,以下,被告人による暴行の有無・態様,その動機,被告人の暴行とE死亡との因果関係の有無について検討する。 1 証拠上明らかな事実経過及びこれに基づく推認事実 (1) 関係各証拠によれば,事件前後の状況として,以下の事実が認められ,被告人も,これらの事実を自認するか,少なくとも否定していない。すなわち, ア 被告人は,平成12年10月にDとEが誕生した当初こそ,欲しがっていた双子が誕生したことを喜んでいたものの,翌13年1月4日から,双子が一緒に生活し始めて1週間もすると,毎日のように泣く双子にいらだち,「うるせえな」などと言って,顔面を平手でたたいたり,身体を持ち上げて前後に揺さぶったり,布団でくるんで圧迫したりする虐待を加えるようになった。 イ 同月29日,被告人は,仕事を休んで朝から自宅のアパートにおり,昼寝をしたり酒を飲んだりしていた。Aが,午後3時半ころ双子にミルクを与えた後,午後4時ころにベランダで洗濯物を取り込んだころは,被告人は寝ており,DとEは,兄弟に踏まれないように,押入の上段に置かれたベビーキャリーの中に入れられて,寝かされていた。 ウ ところが,Eが,ミルクを飲んでも寝付かずに泣いていたため,被告人は,いらだった声で「うるせえな」と不機嫌そうに言いながら,Eを直接抱くか,ベビーキャリーごと持ち運ぶかのいずれかの方法で,隣の父親の部屋(北側6畳和室)に連れていった。 すると,何秒もしないうちに,Eが,異常に甲高い大声で「ギャー」という叫び声を上げた。Aは,自分が口を出すと,被告人が怒って暴力を振るわれるかもしれないと思い,動けずにいたところ,被告人が,台所で5分間ほどかけてミルクを作り,哺乳瓶を持って父親の部屋の方に行くのが見えたので,何事もなかったものと思い,ひとまず安心した。ところが,Aが,被告人から呼ばれて行くと,Eは,座布団の上に寝かされたまま,目は半開きで焦点が合わず,ひっくひっくというように小刻みに痙攣し,力が抜けたようになっていて,顔色も青白く,呼吸もなくなっていた。Aが,Eの服の胸元がぬれているのに気付き,被告人にどうしたのかと尋ねると,被告人は,「ミルクをあげたら吐いたんだ」と答えた。そして,Eの右頬には,桜色のあざが できており,Aは,被告人が泣きやまないEをたたいたのだと思った。 なお,Aは,その3日前ころに,Eの右目の近くが赤くはれていたことに気付いて,被告人に何をしたのかと尋ねると,被告人は,「いくらあやしても泣きやまねえから,うるせえから殴った」などと言っていた。 エ 被告人が,119番通報をして,Eは,同日午後4時40分ころ,救急車でI病院に搬送されたが,心肺停止状態に陥っており,同病院で心肺蘇生術を受けて,同日午後4時46分ころ,心拍が再開した。しかし,検査の結果,頭蓋内出血の所見が認められたために,同日,専門病院であるJ医療センター(以下「医療センター」という。)に転送された。 Aは,医療センターで,担当医師に,被告人が暴力を振るったと言いたい気持ちはあったが,被告人から暴力を受けることを恐れて,「上の子供が乗っちゃったかもしれない」とうそを言った。しかし,医師から,「目の周りが赤くなっているけど,赤ちゃんをたたいたり落としたりしませんでしたか」と聞かれたので,「私はないけど,主人が何度かたたいたことがありました」と答えたものの,被告人には言わないでもらえるように頼んだ。 担当医師は,Eの瞳孔が左右不同で,いずれも受傷後1週間以内程度の右頬部分,右顎,左頬部位から左頸部に至る出血斑及び右前頭葉頭頂部の頭皮下出血の外傷を負っている状態を認めて,親から虐待されたのではないかと疑い,後に病院に来た被告人にも,「頭をぶつけたとか,殴るとかしなかったか」,「あなた方の行為は虐待だ。これは殺人罪になりますよ。」などと言って問いただしたが,被告人は,「そんなことはしていません」と大声で否定していた。 ところが,被告人は,ソシアルワーカーから,Eの目の周りが赤くなっていることについて尋ねられると,「電気スタンドが倒れて当たったかもしれないし,その熱で赤くなったかもしれない」などとあいまいな返事をし,さらに,病院に駆け付けた父親から原因を尋ねられると,「おれはよく分かんねえけど,子供が蹴っ飛ばしたんじゃないかと思う」と答えていた。その後,Aが,「また,たたいたんじゃないの」と被告人を問い詰めたが,被告人は,「おれは,何もしてねえよ」と否定した上,「余計なこと言うなよ」と言っていた。 オ 搬送当日に行われた検査の結果,Eには,左前頭葉の急性硬膜下血腫と脳挫傷を伴ったくも膜下出血の同時発症や,大脳鎌後半に沿った大脳縦裂(半球間裂)の硬膜下血腫の発生が認められ,同月30日午後3時20分過ぎに行われた頭部MRI撮影の結果,出血が24時間以内に起きていたことが判明した。 そして,2歳以下の乳児の場合,比較的軽度の頭部外傷,例えば,頭部への揺さぶりや,あまり硬くない物への後頭部の打撲によっても,急性硬膜下血腫が発症することがある。また,くも膜下出血の多くは,脳挫傷に合併することが多く,その原因としては,頭部への高度の衝撃が知られている。例えば,3か月児を座布団とバスタオルを敷いたベビーキャリーごと約53㎝の高さから放り投げた場合,頭部表皮に外傷が認められなくても,頭蓋骨の軟弱性と脳実質の未熟性を考えると,脳挫傷,くも膜下出血及び急性硬膜下血腫を発症させるには十分である。このように,脳への高度の衝撃の場合,脳挫傷,くも膜下出血及び急性硬膜下血腫は,連続する病態と考えられる。 (2) 以上認定のとおり,被告人がEを父親の部屋に連れて行き,Eが「ギャー」という甲高い叫び声を上げた後に,寝付かれずに泣いていたEの様子が急変して,ミルクを吐き,痙攣を起こした挙げ句に,呼吸が停止するに至ったのであり,その原因としては,左前頭葉の急性硬膜下血腫と脳挫傷を伴ったくも膜下出血の同時発症や,大脳鎌後半に沿った大脳縦裂の硬膜下血腫の発生があり,このような病態は,脳への高度の衝撃に伴い連続して生じたものと考えられる。 しかも,被告人は,事件前から,生後3か月足らずのEやDに対しても,顔面を平手でたたいたり,身体を持ち上げて前後に揺さぶったり,布団でくるんで圧迫したりする虐待を加えており,事件の3日前ころには,Eの右目付近が赤くはれるほど,その顔面を殴ったことを自認していた。 さらに,被告人は,事件後,Eの容態に疑問を抱いた担当医師には,Eに暴行を加えたことを否定する一方,ソシアルワーカーや父親には,Eの容態急変や,Eの目の周りが赤くなった理由について,電気スタンドが倒れて当たったかもしれないとか,子供が蹴飛ばしたのではないかなどと,根拠なく場当たり的な説明をし,Aには,「余計なこと言うなよ」と言って,口止めしているのである。このように,被告人は,Eの容態の急変に関して,後ろめたさを感じていたことがうかがわれる。 そうすると,Eが判示の傷害を負ったのは,被告人が,Eを父親の部屋に連れて行った際に,Eの脳に高度の衝撃を与えるような暴行を加えたためであることが,強くうかがわれるのである。 (3) なお,弁護人は,Eには,内因性の血液凝固作用の異常があり,そのため,異常な出血となった可能性があって,Eの判示の傷害もこの内因性の異常に基づくものであった疑いが残る旨主張する。 しかしながら,捜査報告書(甲23)によれば,医療センターにおいて,担当医師が,Eの頭蓋内から多量の出血があったため,血液凝固作用に異常がある可能性を疑い,凝固検査を実施した結果,血友病やビタミンK欠乏症といった内因性の要素が否定されたことが認められる。 この点,弁護人は,入院後にEが多量の輸血を受けており,その輸血が凝固検査の測定数値に影響を及ぼした可能性があり,凝固検査の結果は信用できない旨主張するが,Eの凝固検査の測定数値は,事件当日である平成13年1月29日の輸血が完了した後も,30日,31日と次第に正常値に近づいていき,しかも,Eが死亡する8日前の同年3月13日まで,正常値に近い数値をおおむね保っているのであって(甲10,23参照),仮に輸血が凝固検査の測定数値に何らかの影響を与えたとしても,それは限られたものであったことが明らかである。 したがって,Eに血液凝固作用に内因性の異常があったとは認められないから,この点に関する弁護人の上記主張は前提を欠くものである。 2 被告人の捜査段階の供述の信用性 (1) 被告人は,捜査段階において,以下のとおり,Eに暴行を加えたことを認める供述をしていた(乙17,19,21,24)。すなわち, ア 私は,事件のころ,仕事が休みのときは,暇つぶしに昼間から酒を飲む生活を繰り返しており,事件当日も,仕事が休みで,前日飲んだ酒の影響から,昼ころ,二日酔いの状態で目を覚まし,焼酎を割った物を2杯ほど飲んでから,もう一度昼寝を始めた。 イ ところが,午後4時ころ,Eの泣き声で目が覚めた。私は,かなりいらいらしながらも,ミルクでも飲ませて泣きやませようと思って,Eを入れていたベビーキャリーを押入の中から取り出して,隣の父親の部屋に向かい,部屋に入りざま,Eが入ったベビーキャリーを五,六十㎝先の畳の上に放り投げて落とした。 ウ その瞬間,Eが,それまでのぐずり泣きとは全く違う,今まで聞いたことのないような「ギャー」という大きな叫び声を上げたので,私は,「うるせえ。今,ミルク作ってやるから待ってろ。」と言いながら,Eの両わきをつかみ,上半身をベビーキャリーから少し出すように持ち上げて,まだ首の据わっていないEを,前後に10ないし20㎝程度,四,五回激しく揺さぶった。 エ その後,私が,台所でミルクを作り,Eのところに戻ったとき,ベビーキャリーの中には,Eのミルク用のステンレスポットが置かれていた記憶がある。Eを抱え上げてミルクをあげようとしたが,Eは,哺乳瓶をくわえようともしなかった。そこで,私が,「なんで飲まねぇんだよ」と言いながら何度か軽く揺すったところ,Eが,口からだらだらとこぼれ出すように,前に飲んだミルクを吐いて,あっという間に身体から力が抜けて,ぐったりとなってしまった。私は,どうしたのかと思い動転して,Eを座布団の上に横たえ,Aを呼んだが,Eは,ぐったりしたまま薄目を開いた状態で焦点の合わない目をのぞかせ,ひっくひっくとしゃくり上げるように身体を引きつらせていた。Aがやって来て,どうしたのかと尋ねたので,とっさに「突然,ミ ルクを吐いたんだ」などと答えた。 オ 病院で,医師に,虐待をしなかったか,このまま死んでしまうと殺人罪だ,などと言われたが,「やっていません」と言い続けた。病院からアパートに帰ってから,Aが険しい顔で「Eに何かしたでしょう」と聞いてきたが,何もしてないと言い張った。その後,Aが自分の日ごろの暴力を他言するのを恐れ,「余計なことは絶対言うな」などと言って口止めをした。 (2) 以上のような被告人の捜査段階の供述は,前記1の証拠上明らかな事実及びこれに基づく推認事実,とりわけ,被告人が,Eを父親の部屋に連れて行った後に,その脳に高度の衝撃を与えるような暴行を加えて,Eに,脳挫傷,くも膜下出血及び急性硬膜下血腫の傷害を負わせたとの事実とよく符合しており,また,前認定のように,Eが1度だけ甲高い叫び声を上げた原因や,被告人がEの容態の急変について関係者に場当たりな説明をしたり,Aに口止めした理由についても,よく説明し得るものである。 もっとも,被告人の上記供述からは,Eの右頬にあった小出血斑(Aのいう「桜色のあざ」)の発症原因を説明することはできない。しかし,上記傷害は,担当医師の供述(甲17)によっても,事件の1週間以内に生じたとしか特定できないものであり,Aが供述するように,比較的新しいものであったとしても,事件当日の別機会の暴行により既に生じていたものを,Aが事件後に初めて気付いた可能性も否定できない。また仮に,上記傷害が事件の際に生じたものであっても,被告人が,自己の暴行を控え目に供述して,Eを殴打したことを供述していないためとも考えられるのである。したがって,上記傷害の存在は,必ずしも被告人の上記供述と矛盾するものとはいえない。 加えて,被告人の上記供述は,具体的かつ詳細で,自然な流れに沿う合理的なものであり,上記小出血斑の発症原因の点を除いては,他にその信用性に疑問とすべき点は見当たらないのである。 (3)ア これに対し,被告人は,公判段階において,その供述を翻し,以下のように供述している。すなわち, (ア) 事件当日の状況 a 私は,Eの泣き声で眠りを妨げられて怒ったかもしれないが,そのこと自体よく覚えていない。Eを抱え上げて,ミルクを与えたのに飲まなかったころから,おぼろげに覚えているが,Eが寝ていたベビーキャリーを畳の上に放り投げて落下させたり,身体を持ち上げて揺さぶったり,Eが泣いたりしたことは覚えていない。 b Eは,具合が悪くなった瞬間,ミルクを飲まなくなり,私は,Aを呼んで119番通報をした。荒っぽく扱っていたこともあったから,もしかすると,自分がEを揺すったり殴ったりしたかもしれないという気持ちもあるが,記憶はない。 (イ) 取調べ状況 a 私は,平成16年3月24日(以下,この2の項においては,「平成16年」の表記を省略する。)にFの事件で起訴されてから,Eの事件の取調べを受けるようになった。何をしたか覚えていないと言ったが,取調べ担当のK警部補(以下「K警察官」という。)から,調書を作り,裁判を受けることがEに対する償いの第一歩だと言われ,私も,Eの事件には何かしら自分が関係しているのではないかという気持ちがあったので,責任を取らなければいけないと思い,K警察官と話し合って,普段の行動などをもとに調書を作った。 b Eの事件で逮捕された4月8日までの約2週間の取調べの中で,初めのうちは,K警察官から,Aの話では,私がベビーキャリーを持たずに父親の部屋に行ったことになっているので,ぶつかっても傷ができないような何か柔らかい物の上に放り投げたのではないか,柔らかい物といえば,父親は布団をしまっており,Aの記憶では,座布団1枚があったということだから,Eを座布団の上に投げたのではないかと言われ,そういう話になった。さらに,Eには,頭を揺さぶられた証拠が出ていると言われ,私がEを抱いて父親の部屋に移動する途中に揺さぶったことになった。 c しかし,調書を作成する少し前ころになって,K警察官から,人形に傷の部分としてシールを貼った物とベビーキャリーを見せられ,Eの後頭部の傷とベビーキャリーのへりの模様が一致する,だから,ベビーキャリーに入れたまま投げていると言われ,私も,警察官がそう言うのであれば,そうなのだろうと思い,Eをベビーキャリーに入れたまま放り投げたという調書を作ることになった。 d また,K警察官は,取調べの当初から,医師の診断によれば,頭に揺さぶった兆候がみられると言っており,取調べの中で,いろいろな可能性がつぶされていき,その結果,私の方から,想像で,ギャーと泣いたのであれば,Eの方に戻って揺さぶったのではないかと話した。回数は,揺さぶった際にEに言葉を投げかけているのではないかと想像して実演したら,K警察官から五,六回くらいだなと言われ,そのような調書になった。 e 私が台所に行ってミルクを作ったことも,私の記憶にはないが,Aが供述しているとK警察官から聞いて,そういう調書になった。ベビーキャリー内にステンレスポットが置かれていたことは,おぼろげに記憶があるが,事件当時の記憶かどうかは分からない。 f このように,私の調書は,K警察官が,Aの供述やEの解剖の所見等に基づき推測したことを問いかけ,私も,そうかもしれないと答えて,できていった。K警察官から,供述を押し付けられたり,無理に供述させられたことはないが,その内容は,私の記憶にないものである。再現実況見分は,調書のとおり再現するように言われ,そのとおりにした。検察官に対しても,K警察官と話し合ったストーリーどおりに供述した。 イ そこで,以上のような被告人の公判供述の信用性について検討する。 (ア)a 事件当時の状況に関する被告人の公判供述は,要するに,被告人には,Eの具合が悪くなってミルクを飲まなくなる前の状況についての記憶が全くなく,したがって,Eに暴行を加えた記憶もない,というものである。 b しかし,Eの具合が悪くなって以降のことは,Eがミルクを飲まなくなり,Aを呼んで119番通報し,人工呼吸もしたなどと,かなり具体的な記憶があるというのに,その直前の状況について全く記憶がないというのは,いかにも不自然である。 (イ)a また,取調べ状況に関する被告人の公判供述は,要するに,Eを北側6畳和室に連れていって暴行を加えた状況に関する供述調書は,K警察官からAの供述やEの診断結果等を聞かされ,これに迎合して,誘導されるままに作成されたものである,というものである。 b しかし,このような弁解も,被告人やAの供述状況等に照らし,不可解なものである。すなわち, (a) 被告人がEをベビーキャリーごと放り投げたかどうかが取調べの1つの焦点とされていたところ,被告人自身,公判段階においても,取調べの当初から,具合の悪くなったEを抱き上げた際,何となくベビーキャリーがあったような話を自らしていたこと,ベビーキャリー内にステンレスポットが置かれていたことも,自分から取調官に供述したことを認めており,4月6日付けで,Eをベビーキャリーごと放り投げたことを明確に認めた調書が作成されているのである(乙34)。 これに対し,Aは,3月21日付け検察官調書(甲89)において,被告人がEをベビーキャリーから抱き上げて連れていった旨明確に供述する一方,被告人がEをベビーキャリーごと連れていったことを明言したことはなく,4月5日付け(甲112)以降の供述調書においても,自分としては,被告人がEを抱いて台所に連れて行ったと思っていたが,被告人の両手の肘から下が見えない状態であったので,Eを直接抱いたのか,ベビーキャリーに入れたままであったのかは分からない旨供述しており(同月19日付け検察官調書(甲116)参照),ステンレスポットについては,全く供述していないのである。 そして,被告人及びK警察官の供述によれば,被告人は,Aの上記のような供述に基づき,いったんはベビーキャリー及びステンレスポットの存在を否定する供述をしていたことがうかがえるところ,被告人は,上記のとおり,取調べの最終段階においては,それらの存在を具体的に供述しているのである。 このような被告人やAの供述経過は,Eをベビーキャリーに入れて連れていったことについて,被告人から供述を始めたことをうかがわせるものである。 (b) また,Eの頭部や顔面に対する暴行をうかがわせる体表上の外傷としては,右前頭葉頭頂部に細長い菱形状の皮下出血と,右頬に広がる小出血斑が認められるところ,その形状は,前者が細長い鈍体,後者が平らな鈍体による打撃でそれぞれ生じたことをうかがわせるものである。したがって,このような傷害の状況から,捜査官が,頭頂部は棒状のもので,右頬は平手でそれぞれ殴打されたと推測することはあっても,特段の予備知識もなしに,Eをベビーキャリーごと放り投げた際,その縁にEの頭頂部が当たったことまで推測して,この推測に基づき,被告人やAをあえて誘導するようなことは想定し難いところである。ちなみに,被告人の公判供述によっても,K警察官が被告人にEの遺体の写真を見せたのは,本件の取調べが終了する少し前で あったというのである(なお,乙20参照)。 しかも,取調官としては,前にみたとおり,Aが,Eの右頬にあった小出血斑について,被告人にたたかれたものと思う旨供述していたのであるから(4月5日付け警察官調書・甲112),この傷害の点も,被告人に当然確認していると考えられるが,被告人がこの傷害に見合うような暴行について全く供述していないことは,かえって,取調官が暴行内容について被告人を誘導していないことを裏付けるものである。 (c) その他,被告人の捜査段階の供述経過をみても,①A供述と異なって,父親に手を上げたこと(乙23)は否定し,また,Aに対する暴行の有無やその原因(乙23),事件当時にEの右目付近にあったあざの原因(乙24)については,覚えていない旨述べていること,②ベビーキャリーの持ち上げ方について,3回も再現を繰り返して,その都度,高さが変更され,それがすべて記録されていること(乙17,甲123,乙19,125)など,取調官に迎合し,取調官から誘導されて供述したものとは考え難い点も少なからず散見されるのである。 c そして,被告人を取り調べたK警察官は,その公判証言において,被告人を誘導して被告人の記憶にはない内容の調書を作成したことを明確に否定しているのである。 (ウ) そうすると,事件当時の状況や取調べ状況に関する被告人の公判供述をそのまま信用することは困難である。 (4)ア なお,弁護人は,被告人の捜査段階の供述について,①被告人がEをベビーキャリーごと放り投げて,激しく身体を揺さぶった直後に,Eのためにミルクを作って飲ませるという行動をとることには矛盾がある,②事件の直前まで,被告人はそれなりの冷静さを保っており,Eの泣き声も普通の大きさであったというのに,被告人が,部屋を移動するわずかの間に,突然に激高して,約80㎝もの高さからベビーキャリーごと放り投げるという乱暴極まりない行動に及んだのは,動機形成過程が不自然である,などとして,その信用性に疑問を呈する。 イ しかしながら,①の点は,被告人の捜査段階の供述によれば,被告人は,Eを泣きやませようとしてミルクを与えるために隣室に向かう途中,Eがなおも泣き続けることにいらだち腹を立てて,隣室に入りざま,「うるせえ。いつまでも泣いてるんじゃねえ。」と思いながら,その腹立ちをぶつけるように,ベビーキャリーを畳の上に放り投げた上,「ぎゃー」という大きな叫び声を上げたEを,「うるせえ」などと言いながら前後に四,五回激しく揺さぶったところ,Eが泣き声を上げなくなり,気持ちも少し落ち着いたため,当初の予定どおりミルクを作りに行ったというのであって,行動に矛盾があるとはいえない。 また,②の点も,ベビーキャリーを放り投げる行為もEを揺さぶる行為も共に,その態様に照らすと,必ずしも積極的に重大な危害を加えようとするほどの強固な加害意思に基づくものではなく,被告人が日常的に繰り返していた虐待行為の一環であったともいうべきものであるから,被告人が,自らの眠りを妨げられた上に,Eが泣きやまないことにいらだち腹を立てて,衝動的に行ったものとして,いずれも納得のいくものである。 したがって,弁護人の上記各主張はいずれも採用できない。 (5) 以上によれば,Eに対する暴行に関する被告人の捜査段階の供述は,必ずしもすべての暴行について供述していない疑いは残るものの,控え目に供述したものとして,十分に信用できるのである。 3 まとめ 以上みてきたとおり十分に信用できる被告人の捜査段階の供述を中心とする関係各証拠を総合すると,被告人が,判示第1のとおり,Eが泣きやまないことにいらだち腹を立てて,Eに対し,その寝ていたベビーキャリーごと畳上に放り投げて落下させた上,その身体を両手で持ち上げ,数回,前後に激しく揺さぶって,その頭部を強打,動揺させるなどの暴行を加え,その結果,Eを死亡させたことが,優に認められるのであり,これを争う趣旨の弁護人の主張は,すべて理由がない。 第2 判示第2の事実について 弁護人は,判示第2の事実について,被告人が,Fを両手で持ち上げて,多数回,前後に揺さぶり,その結果,Fが判示の傷害を負った事実はあるが,被告人には,「激しく」揺さぶったという認識はなく,被告人がFの頭を畳に打ち付けさせたことを認めるに足りる証拠もない旨主張するので,以下,Fに対する暴行態様及びその程度に関する被告人の認識について検討する。 1 証拠上明らかな事実経過 関係各証拠によれば,事件前後の状況として,以下の事実が認められるのであり,被告人も,これらの事実を自認するか,少なくとも否定していない。すなわち, (1) Fは,平成14年12月末から,被告人らと一緒に生活するようになったが,その後,被告人による家庭内暴力が再発し,飲酒中に気に障ることがあると,被告人が,妻子を平手で殴り付けるなどし,Fに対しても,その顔や尻をたたいたり,額を強く指で弾いたり,抱いているFをベビーベッドの中に投げ入れたり,顔をつかんで左右に揺さぶったりすることもあった。 (2) 事件当日,被告人は,朝から家で酒を飲んで,ほろ酔い状態でいたところ,Fがぐずって泣き出したため,しばらくあやしていたが,Fが次第に激しく泣き出したことに腹を立て,布団に寝ていたFの身体を持ち上げて揺さぶった上,独り座りできないFを布団の上に座らせてから手を放して倒した。 そのころ,Aが,被告人の方を見ると,布団の上に座っている被告人の前で,Fが横向きに倒れて泣いていた。Aが見ていると,被告人は,Fのわきの下に手を入れて抱え起こし,自分の方を向かせて,足を前に出させるように座らせ,わきの下から手を抜いて放して,Fを横向きに倒したので,Aは,「やめてよ」などと声を掛けた。 (3) Aから声をかけられて我に返った被告人が,Fを抱き上げてあやすと,Fは,泣きやんだものの,そのうち,「ひくっ,ひくっ」というしゃくり上げるような声を出し始め,それが二,三分続いた後,声を出さなくなり,身体から力が抜けたようにぐったりとなった。 被告人は,呼吸困難になったと思い,新鮮な空気を吸わせるために外に連れ出すなどしたが,Fがぐったりしたままだったので,Eの事件を思い出して,大変なことになったと思い,家の中に戻り,Aに,「Fの様子が変だぞ」などと言いながら,抱いていたFを手渡した。 このとき,Fは,両腕と両足を固く突っ張らせ,真っ白な顔をぴくぴくと痙攣させて,片目は開いているのに片目が半開きとなり,両方の黒目が違う方向を向いて焦点が合わない様子で,Aが声を掛けても全く反応を示さなかった。 (4) Aが,思わず「何でこうなっちゃったの,Eくんと一緒」と言うと,普段なら腹を立てて怒鳴り返す被告人が,このときは黙ったままであったが,119番通報をして救急車を待つ間に,「余計なことは話すなよ」と言っていた。 救急車で搬送された病院で,被告人は,医師から,Fの様子がおかしくなった時の状況を聞かれ,「兄弟二人と遊んでいたら,午後2時ころ,急にFの泣き声がしたので,布団の上に寝ていたFを抱き上げたら,急にぐったりしてしまった」などと説明した。 2 以上の事実経過を前提に,まず,被告人がFを激しく揺さぶったかどうか,また,被告人に激しく揺さぶるという認識があったかどうかについて検討する。 (1)ア 関係各証拠によれば,Fの傷害の成因として,以下の事実が認められる。すなわち, (ア) 乳幼児の頭部を,強く揺さぶったり,堅くないものに打ち付けたりすると,未発達で固定されていない脳が頭蓋内で動くことにより,脳と硬膜との間にずれが生じて,架橋静脈が破綻し,脳表の硬膜下腔に血腫が発生するほか,眼球を含めて脳に大きな力が加わり,眼球の血管が破綻して,眼底出血も生じ得るが,仮にあやすつもりで揺さぶったのであれば,通常は,血管が切れることはなく,たとえ切れても,治療を施せば数分間で出血は止まるものである。 (イ) ところが,事件後の検査で,Fの身体には骨折等の外傷もないのに,右側から左側への著明な脳の偏移に加え,出血の厚さが約25㎜に及ぶ大量出血による左急性硬膜下血腫及び眼底出血が認められ,1時間以上経過しても,血腫の凝血が認められなかった。 (ウ) このように長時間凝血しなかったのは,それほど激しく揺さぶられたため,大量の血管が切れて一気に出血したことによるものと考えられる。 イ(ア) しかも,前認定のような事件前後の状況に照らしても,Fに上記傷害を生じさせたのは,被告人が,Fの身体を持ち上げて揺さぶり,独り座りできないFを無理に座らせて転倒させたという暴行以外には考えられないのである。 したがって,上記認定のFの傷害の成因及び事件前後の状況からは,被告人が上記傷害を生じさせるに足りるほどFを激しく揺さぶったことが優に推認できるのである。 (イ) この点,弁護人は,Fには生来の心臓疾患があり,そのため,Fは血液の凝固作用を抑制する作用のあるアスピリンの投与を長期間受け続けており,被告人の行為とアスピリンの投与が相まってFの硬膜下血腫を引き起こした可能性も十分考えられるから,Fの負傷状況によっても,必ずしも被告人がFを激しく揺さぶったことを推認できないかのような主張もしている。 しかしながら,本件では,上記認定のとおり,著明な脳の偏移や,出血の厚さが約25㎜にも及ぶ大量出血が認められるのであり,これらは,激しい暴行の存在を直接に裏付けるものである。 しかも,関係各証拠によると,アスピリンの服用により脳内出血を起こした症例は,中高年者に関するもので,動脈硬化,糖尿病,喫煙等により血管内壁に多少の傷があり,アスピリンによって出血が促されて引き起こされた内因性のものと考えられるところ,動脈硬化の始まる前の幼児については,奇形血管や動静脈瘤吻合等の異常のない限り,アスピリンの影響により硬膜下血腫が起こるとは考えられないことが認められるほか,解剖医師の所見(甲62)によっても,Fの頭部出血箇所の周辺に血管奇形はなかったものと認められる。 したがって,アスピリンの継続的な投与は,Fの硬膜下血腫を拡大させる因子とはなり得ても,その発生原因となり得るものではないから,被告人が激しい暴行を加えたとの認定の妨げともなり得ない以上,弁護人の上記主張は採用することができない。 ウ また,被告人は,前認定のように,判示第1の犯行においても,Eを激しく揺さぶり死亡させた経験を有しており,乳幼児をどの程度揺さぶれば大事に至るかを知っていたはずである。しかも,被告人は,事件後も,Aに口止めをし,医師には暴行自体を隠しているように,Fの容態の急変について,後ろめたさを感じていた様子がうかがわれるから,被告人としても,Fに重大な結果を生じさせる程度に激しく揺さぶったとの認識を有していたことも強くうかがわれるのである。 (2)ア この点,被告人は,捜査段階では,私が酒を飲んでいると,Fがぐずり泣きを始めたので,Fに添い寝をして,その背中を軽くたたいてあやしていた,ところが,本格的に泣き始めたため,私は,多少腹を立てつつも,抱き上げるなどしてあやしたものの,かえって激しく泣き始めた,私は,腹を立て,Fのわきの下に両手を入れて持ち上げ,手加減することなく,二,三秒間に七,八回,前後に20から30㎝ほど揺さぶって,Fの頭を前後にがくがくと揺らし,もう1回,同様の行為を繰り返したなどと述べて(乙15),Fを激しく揺さぶったことを,そのような認識を有していた点も含めて認める趣旨の供述をしている。 そして,このような供述は,上記推認によって客観的に裏付けられており,高い信用性を認めることができる。 イ(ア) これに対し,被告人は,公判段階では,以下のように,激しく揺さぶったとの認識のみならず,激しく揺さぶったこと自体を否定するような供述をしている。すなわち, a 私は,酒を飲んでいらいらし,Fを揺さぶったことはあるが,頭が2ないし5㎝程度の幅で小刻みに揺れる程度のものであり,自分の気持ちとしては,激しく揺さぶってはいない。 b K警察官から,激しく揺さぶらなければ死なない,いらいらして酒も入っていたのだから,見境がなかったのではないかなどと言われて,私は,そう言われたらそうかもしれないということを答えた。ところが,力任せに揺さぶったという調書になっているのは,自分の認識についてまで考えが回らなかったし,結果的にFを死なせてしまったのだから,そういう調書を作ることが供養の1つになるかと思ったからである。 (イ) しかしながら,このような被告人の公判供述は,前記(1)イで指摘したような,被告人が,前記傷害を生じさせるに足りるほどFを激しく揺さぶり,被告人自身,そのような重大な結果を生じさせるほどに激しく揺さぶったとの認識を有していたという推認事実に明らかに反する不合理なものであって,到底信用することができない。 ちなみに,K警察官は,この点に関する被告人の捜査段階の供述状況について,以下のように証言している。すなわち, a Fの身体を揺さぶった状況について,平成16年3月15日付け調書(乙9)で,「激しく」という表現になったのは,被告人が揺さぶり行為を身振りで再現した際に,その程度が通常より激しいものであり,被告人も,Fが泣きやまないことに対する腹立ちがあったと述べていたので,私が調書にそう記載して,被告人に納得してもらったものである。 b その後,同月17日に犯行再現の実況見分をした上,翌18日に調書を録取した際(乙12),被告人自身が,事件当時のFの動きを,「揺さぶっている最中のFの頭は,瞬間的に顎を喉辺りにぶつけるように下を向いたり,私に喉元を見せるようにしたりして前後に動いていた」と供述していた。 (3) 以上のとおり,客観的事実関係に加え,被告人の捜査段階の供述も総合すると,被告人がFの身体を激しく揺さぶったこと,そして,被告人も,そのような認識を有していたことが認められるのであり,これに反する趣旨の被告人の公判供述は,到底信用することができない。 3 次いで,被告人が,独り座りのできないFを布団の上に座らせて転倒させ,その頭部を畳に打ち付けさせたかどうかについて検討する。 (1)ア まず,Aは,以下のように,被告人がFを横向きに倒して,その頭部を畳の上に打ち付けさせていた旨供述している(甲126)。すなわち, (ア) 私は,「どさっ」という,畳の上に物が落ちたときのような音を耳にして,Fが泣きやまないことに腹を立てた被告人がFを,投げ捨てるなどしたのではないかと思い,被告人の方を見ると,布団の上に座っていた被告人の前で,Fが横向きに倒れて泣いていた。 (イ) その後,被告人は,Fのわきの下に手を入れ,自分の方に向かせて,足を前の方に出させるように座らせてから,Fの身体を支えていた手をわきの下から抜いて離し,その結果,Fが横向きに倒れた。その時,Fは,頭を布団から畳の上にはみ出して畳の上に打ち付けたので,その前に聞いた「どさっ」という音も,被告人が倒したFが頭を畳に打ち付けた音だと思った。 イ また,被告人も,捜査段階では,Fを,自分の方に向かせて足を前に投げ出すように座らせて,その身体を前後に五,六回揺さぶった上,独り座りできないFを支えていた両手をわきから離して身体を倒すことを三,四回繰り返したが,その際,Fは,倒れる方向によって,布団から頭をはみ出し,畳にかかるように倒れたこともあったなどと,Fの頭部を畳に打ち付けたことを認める供述をしていたのである(乙15)。 ウ このように,Aの供述と被告人の捜査段階の供述は,被告人がFの頭部を畳の上に打ち付けさせたという点でよく符合しており,互いに信用性を補強し合う関係に立つといえる。 (2)ア これに対し,被告人は,公判段階において,以下のとおり,Fの頭部を畳に打ち付けたことを否定する趣旨の供述をしている。すなわち, (ア) 私が,Fを座らせてから手を放し,倒したことはあるが,いくら頭に来ていても,頭を畳に打ち付けさせるようなことはしていないと思う。Aがそう言うのは,Aにはそう見えただけなのではないか。Aは,自分のいた位置や,どんという音などから,ぱっと見て,畳にぶつかった音だと思い,畳に打ち付けていたと言ったのではないかと思う。 (イ) 私は,検察官に対して,畳には打ち付けていないと話したが,人のとらえ方の差であって,結果的には死んでしまっているのだからと言われ,何も言えずに,畳に打ち付けたという調書に署名した。もっとも,布団からFの頭がはみ出して,畳にかかるように倒れたということは否定できない。取調べでも,頭が布団のへりにいって,直接ではないにしろ,畳に頭がぶつかったようなことはあるかと聞かれ,否定はできないという話はしている。 イ この点,弁護人も,Aは,両手を床に付くような低い姿勢から1回だけ目撃したにすぎないのであり,敷き布団とマットレスの厚みを考慮すると,実際にはFの頭が畳に達していないのに,畳に当たっていると錯覚した可能性があるとか,Fの頭が畳に物が当たった音と,他の物音とを,果たしてAが正しく聞き分けられたのかは疑問であるなどと主張して,Aの供述の信用性を争っている。 ウ しかしながら,Aが目撃した状況を再現した写真(甲128添付写真35,37)によれば,横倒しになったFの首から上が,布団からは完全にはみ出していたとされている。したがって,弁護人が指摘するところの,Aの目撃時の姿勢や敷き布団とマットレスの厚みを考慮しても,AがFの頭と布団の位置関係を見誤るおそれはないといえるし,Fがそのような位置関係で転倒すれば,その頭部を畳に打ち付けることは不可避であったというべきである。 しかも,Aは,そのようにFの頭部が畳に打ち付けられるのを現に目撃して,直前に聞いた「どさっ」という物音も,被告人がFの頭部を畳に打ち付けさせたためと思ったというのであって,Aのこの判断は,合理的根拠に基づくものといえる。さらに,Aは,「どさっ」という異常な音を耳にして,Fの身を案じつつ,2m余りという比較的近い距離から,倒れているFの様子を目撃し,さらに,被告人がFを起こして再び倒れさせる様子をも目撃した上,取調べにおいて,Fが畳の上に頭を打ち付けたことを明言しているのである。 したがって,弁護人の主張を踏まえて検討しても,Aの供述及びこれに符合する被告人の捜査段階の供述は,高い信用性を有するのに対し,これに反する被告人の公判供述は,何ら裏付けのないものであって,これを信用することは困難である。 ちなみに,K警察官は,この点に関する被告人の捜査段階の供述状況について,Aの供述を基に被告人を追及したところ,被告人は布団のへりで倒していたことについては間違いない,へりであったので,1度くらいは畳の方に行ったことがあったかもしれないと供述したので,そのように調書にした旨証言しているのである。 (3) 以上のとおり,高い信用性の認められるAの供述及び被告人の捜査段階の供述によって,被告人がFの頭部を畳に打ち付けさせたことが優に認定できるのである。 4 まとめ 以上みてきたとおり,高い信用性の認められる被告人の捜査段階の自白を中心とする関係各証拠を総合すると,被告人が,判示第2のとおり,Fが泣きやまないことにいらだち腹を立てて,Fの身体を両手で持ち上げ,多数回,前後に激しく揺さぶり,その頭部を強く動揺させた上,数回にわたり,独り座りできないFを布団の上に座らせて手を放し,Fを転倒させて,その頭部を布団や畳に打ち付けさせるなどの暴行を加え,その結果,Fを死亡させたことが,優に認められるのであり,これを争う弁護人の主張はすべて理由がないことに帰する。 第3 被告人の責任能力について 1 弁護人は,被告人の責任能力について,被告人は,アルコール依存症に罹患しており,酒を飲むと,その言動が変化して行動に抑制が利かなくなる傾向があり,記憶の欠損のほかに,居宅の欄間を段ボールでふさぐなどの異常な行動もみられたところ,判示第1ないし第3の犯行時には,数日前から相当量のアルコールを断続的に摂取しており,特に,判示第1の犯行では,極めて乱暴な暴行の直後にミルクを作って飲ませるという矛盾する行動をとっているのであるから,少なくとも心神耗弱状態にはあった合理的な疑いがある旨主張する。 2 そこで検討するに,関係各証拠によれば,被告人が,判示第1ないし第3の各犯行に先立って相当量の飲酒をして酩酊状態にあったことは認められるものの,何らかの意識障害をうかがわせるような状況は全くなく,各犯行当時の記憶も,前判示のように,一部にあいまいな点は残るものの,相当程度は保持しており,その内容も,客観的事実によく合致するものである。しかも,犯行に至る経緯や動機の点も,判示第1及び第2の各傷害致死は,子供がなかなか泣きやまないことにいらだち腹を立てて犯した犯行であり,被告人による日常的な家庭内暴力の延長として,十分了解可能なものであり,判示第3の窃盗も,勤務先を解雇されて住まいも追い出されたため,足代わりに窃取したものにすぎない。さらに,犯行後の行動をみても,被告人は,判 示第1の犯行後,Eの異常に気付いてからは,Aに助けを求め,ミルクを与えたら吐いた旨説明し,119番通報をし,Eを抱きかかえながら階段を降りて救急隊員に引き渡し,その後も医師や父親らとの会話の際も不審な言動はなく,Aには口止めまでしている。また,判示第2の犯行後も,Aに口止めし,救急隊員や医師に対しても理にかなった説明をしており,判示第4の犯行では,現行犯逮捕された際の警察官に対する言動に異常な点はなく,判示第3の犯行に関して,友人から車に乗る許可をもらったなどと虚偽の弁解までしているのである。 そうすると,被告人の父親が述べる,被告人の飲酒時の様子を考慮に入れて検討しても,被告人が,本件各犯行のいずれにおいても,飲酒の影響により抑制が若干利きにくい状況にあったことまではうかがわれるものの,自己の行為の是非善悪を弁識し,これに従って行動する能力を保持していたことは明らかであり,この点に関する弁護人の主張も採用しない。 (法令の適用) 省 略 (量刑の事情) 本件は,被告人が,平成13年1月に生後3か月の四男を,平成15年6月に生後1歳3か月の長女をそれぞれ虐待して死亡させた2件の傷害致死(判示第1及び第2)のほか,平成16年1月末から同年2月初めにかけて窃盗(判示第3)及び無免許・酒気帯び運転(判示第4)の各犯行を敢行した事案である。 まず,傷害致死の各犯行についてみるに,被告人は,酒を飲んでは仕事を休み,自分の境遇やふがいなさにいらだちを募らせて,妻子に日常的に暴力を振るうような生活を続けていたところ,各犯行の際も,幼い我が子の泣き声で昼寝を妨げられ,あるいは,泣く子をあやしても泣きやまないことにいらだち腹を立てて,こともあろうに,生後3か月又は1歳3か月の乳幼児に対し,ベビーキャリーごと床に投げ落とし,身体を執ように激しく揺さぶり,独り座りもできない乳幼児を無理に座らせて畳や布団の上に頭から転倒させるなどの暴行を相次いで加え,脳挫傷,急性硬膜下血腫,くも膜下出血といった傷害を負わせて,死に至らせているのである。 このように,その犯行態様は,抵抗しようのない乳幼児に対して,無慈悲にも,一方的に致命的損傷を与え得る苛烈な暴行を執ように加えた残忍かつ凶悪なものであり,その動機ないし経緯も,自己のいらだちやうっぷんを,最も身近で抵抗力のない被害者らにぶつけるという身勝手極まりないもので,酌量の余地などありようはずがない。しかも,被告人は,父親として被害者を保護すべき立場にあったのに,その自覚を根本から欠いて,安易にも幼気な我が子をうっぷん晴らしの対象としているその姿勢は,厳しい非難に値する。とりわけ,被告人は,判示第1の犯行後,虐待を疑った担当医から,「子供の脳は豆腐のように柔らかいから,少しの衝撃でも,血管が切れて出血することがある」と警告されながら,性懲りもなく再び同じ罪を犯して,何の 罪もない我が子の生命を奪っているのであり,この種事犯の累行性さえうかがわれ,自力による更生も困難とみるほかはない。 そして,結果も誠に重大である。被害者らは共に,未熟児として生まれながら,特に長女は生来の障害のために2回の心臓手術に耐えるなどしつつ,懸命に生きていたにもかかわらず,わけもなく父親からいきなり苛烈な暴行を受けて,脳に重大な損傷を負い,長女は約5時間後,四男は約50日後に,いずれも医療関係者等の手厚い看護も空しく一命を落とし,理不尽にもその将来を奪われているのである。さらに,本件が被害者らの3名の幼い兄弟に与える影響も懸念されるところであり,事件後に離婚した被告人の妻やその母親らが,被告人に対する可能な限りの厳しい処罰を希望しているのは当然である。 そのうえ,被告人は,いずれの犯行後も,妻に口止めをし,担当医師らに対して虚偽の説明をするなど,犯罪の隠蔽を図っており,また,捜査段階ではいったん罪を認めながら,公判に至るや,責任回避の姿勢に転じているのであって,犯行後の情状も劣悪である。また,本件は,児童虐待が多発する近時の社会状況において,父親が我が子を2人も虐待により死亡さ
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尼崎事件、角田美代子被告 室内に貴金属2億円…マンション最上階ぜいたく暮らし http //www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20121019/dms1210191256015-n1.htm 2012.10.19 兵庫県尼崎市の民家から3遺体が見つかった事件で、別の傷害致死罪で起訴された角田(すみだ)美代子被告(64)が、知人男性を尼崎市内の自宅マンションに招いた際、室内のガラスケースに並べた貴金属や高級食器などを指し、「あれだけで2億円」などと話していたことが19日、分かった。男性によると、部屋全体が高級感あふれるつくりだったという。 美代子被告らは暴力的な振る舞いで同市や高松市の一家を崩壊させ、金などを巻き上げていたことが判明しており、こうした金でぜいたくな暮らしを送っていた疑惑が改めて強まった。 知人は、尼崎市で飲食店を営む40代の男性。平成21年春にオープンした店に美代子被告が客として頻繁に訪れるようになり、自宅に遊びに来るよう何度も誘われ、21年秋に8階建てマンションの最上階にある自宅を訪問した。 男性によると、室内の広々としたリビングは赤と黒を基調にまとめられ、アロマオイルの香りが漂うなど高級クラブのような雰囲気だったという。ショーケースには有名なクリスタルガラスメーカーのグラスや酒、貴金属類が数百点並んでおり、「高価なものばかりですね」と尋ねると、美代子被告は「あれだけで2億円」と話したという。 このマンションは、美代子被告の義妹の角田三枝子被告(59)=別の窃盗罪で起訴=の夫が12年に購入。17年7月、美代子被告らとともに訪れていた沖縄県恩納村の崖から転落して死亡し、三枝子被告に相続され、約1千万円の保険金が支払われた。 この数年後、三枝子被告の夫の弟(54)や、兄の交際相手とされ、マンション購入時の連帯債務者だった安藤みつゑさん(71)が行方不明となった。安藤さんは、尼崎市の民家の床下から見つかった3遺体の1人と確認された。 美代子被告をめぐっては15年初めごろ、後に義理の娘となる瑠衣被告(27)=窃盗罪で起訴=の高松市の実家に押しかけ、暴力を振るうなどして現金を要求していたことが判明。父親が親族から集めた2千万円以上が渡ったとみられている。昨年11月に尼崎市の貸倉庫でドラム缶にコンクリート詰めにされた大江和子さん=当時(66)=の遺体が見つかった事件でも、美代子被告とともに逮捕、起訴された川村博之被告(42)から退職金などを奪っている。 美代子被告は、自宅を訪れた男性に購入資金に関する話は一切しなかったといい、男性は「働いている様子もないのに、どこにそんな金があるのか」と不気味さを感じたという。 ★尼崎事件、角田美代子被告 室内に貴金属2億円…マンション最上階ぜいたく暮らし 兵庫県尼崎市の民家から3遺体が見つかった事件で、別の傷害致死罪で起訴された 角田(すみだ)美代子被告(64)が、知人男性を尼崎市内の自宅マンションに招いた 際、室内のガラスケースに並べた貴金属や高級食器などを指し、「あれだけで2億円」 などと話していたことが19日、分かった。男性によると、部屋全体が高級感あふれる つくりだったという。 美代子被告らは暴力的な振る舞いで同市や高松市の一家を崩壊させ、金などを巻き上 げていたことが判明しており、こうした金でぜいたくな暮らしを送っていた疑惑が改め て強まった。 知人は、尼崎市で飲食店を営む40代の男性。平成21年春にオープンした店に美代 子被告が客として頻繁に訪れるようになり、自宅に遊びに来るよう何度も誘われ、21 年秋に8階建てマンションの最上階にある自宅を訪問した。 男性によると、室内の広々としたリビングは赤と黒を基調にまとめられ、アロマオイ ルの香りが漂うなど高級クラブのような雰囲気だったという。ショーケースには有名な クリスタルガラスメーカーのグラスや酒、貴金属類が数百点並んでおり、「高価なもの ばかりですね」と尋ねると、美代子被告は「あれだけで2億円」と話したという。 このマンションは、美代子被告の義妹の角田三枝子被告(59)=別の窃盗罪で起訴 =の夫が12年に購入。17年7月、美代子被告らとともに訪れていた沖縄県恩納村の 崖から転落して死亡し、三枝子被告に相続され、約1千万円の保険金が支払われた。 (続く) http //www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20121019/dms1210191256015-n1.htm
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編集コメント ◎大雨警報。 ◎夕立は、いつも突然に。降り注ぐ雨がボクらのココロを刺激する―――。 「THE・夕勃っち」 ・・・「ザ・たっち」2003年結成の双子のお笑いコンビ (枷井の走り方) ・・・鳥山明の漫画「Dr.スランプ」の登場人物、則巻アラレの走法 両手を翼のように広げ「キーン」と言いながら走る走法で、通称「キーン走り」 枷井「正しくはゴジラ豪雨ね」 ゴジラ・・・東宝の特撮映画であるゴジラシリーズで登場する怪獣 (吏毘堂に口をおさえられた枷井の顔) ・・・ビッグコミックスピリッツにて連載の花沢健吾の漫画「アイアムヒーロー」に登場する感染者に酷似 「ピクシヴッッ」 「pixiv」・・・ネット上でのイラストコミュニケーションサービスを提供する会員制ウェブサイト (襟を掴まれた枷井が華麗な身のこなしで抜け出す場面) ・・・板垣恵介の格闘漫画「バキ」第19話「ヨーイドン」より 格闘家・館岡がロシアの死刑囚シコルスキーの襟をつかむ格闘シーン ちなみに原作では館岡の両手にステーキナイフが突き刺されている。擬音も同じく「シュラッ」 「DOKKOI!!」 「DOSKOI!」・・・板垣恵介の格闘漫画「範馬刃牙」第22話「挑戦権」より アリゾナ州立刑務所でのナンバー2であるJ・ゲバルが 大相撲出身で総合格闘技に転向したものの傷害致死により収監された囚人に相撲で挑む際に発したセリフから 「ハア゛」「ハア゛」「ハア゛」「ハア゛」 ・・・カプコンの対戦格闘ゲーム・ストリートファイターシリーズに登場する日本人力士、エドモンド本田のパロディ 「どっこい」はエドモンド本田のスーパー頭突きの際に放つセリフ 「ハア゛」「ハア゛」「ハア゛」「ハア゛」は百裂張り手の際に放つセリフ 編集コメント ◎死んで生きれるか!!次号、家に引きこもる。 ・・・「死んで生きれるか」佐藤タカヒロの相撲漫画「バチバチ」の主人公・鮫島鯉太郎の父・火竜太郎の口癖