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ここの人々はどんなふうだ、ときかれるなら、よそと同じだ、と答えるほかはないよ。しょせん人間というものには型は一つしかないね。たいていの人間は大部分の時間を、生きんがために働いて費す。そして、わずかばかり残された自由はというと、それがかえって恐ろしくて、それから逃れるためにありとあらゆる手段を尽くす。おお、人のさだめよ! ゲーテ『若きウェルテルの悩み』
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ある日の午後、僕はルルーシュたちの部屋で、ルルーシュやナナリーと談笑していた。 「あ、そうだ。そう言えば……」 会話の途中で、僕はあることを思い出した。それは、ここ最近巷で話題になっている現象の話題である。 「もうすぐ、皆既日食があるんだよな。旅行会社がツアーなんかも企画しているらしいが」 「ああ、そう言えばそうだな。もっとも、このトウキョウ租界では皆既日食ではなく、部分日食だがな」 僕の言葉に対し、紅茶の入ったカップを持ちながら、ルルーシュが答えた。 「滅多に見られる現象ではないから話題になってはいるが、どうも当日は、あいにく広い地域で悪天候らしい」 ルルーシュはそう言うと、新聞を持ってきて僕に見せてきた。 「見ろ、ほとんどの場所が雨の予報だ」 「うわあ、本当に傘マークだらけだな。せっかく高い旅費を払って見に行っても、天気が悪かったらガックリするだろうな」 「だが、こればかりは仕方あるまい。何しろ自然が相手だからな、文句を言っても天気は変わらん」 「日食、ですか……」 僕とルルーシュが話をしていると、ナナリーがポツリと言った。 「ん?ナナリー、どうしたんだ?」 僕が声をかけると、ナナリーはモジモジしながら言った。 「えっと、日食ってお月様がお日様を食べるように隠すから、そう呼ぶんですよね」 「まあ、そうだな。それがどうしたんだ?」 ルルーシュが尋ねると、ナナリーは頬を染める。 「あの、実は昨夜夢を見たんですけど…わ、笑いませんか?」 「ああ、笑ったりしないさ。だからどんな夢を見たか、教えて欲しい。ライもそうだろう?」 「もちろんだ。だから、恥ずかしがらずに言えばいい」 ルルーシュの言葉に僕も同意し、ナナリーを促す。すると彼女は、少しずつ話し始めた。 「あ、あのですね……。最近日食の話題が多かったもので、その…自分がお日様を食べる夢を見てしまったんです」 「へ、へえ。すごい夢だな」 随分とスケールの大きな夢を見たものである。そして、ナナリーはさらに言葉を続けた。 「それでですね、あの…お日様って、どんな味がするのかなって思ったんです。チョコレートみたいに甘いんでしょうか、それとも辛子みたいに辛いんでしょうか。 実際には食べる物ではないとわかっているのですが、お二人はどう思いますか?」 ナナリーが、恥ずかしそうに僕たちに尋ねてきた。すごい夢を見たかと思えば、かわいい疑問を抱いたり恥ずかしそうな仕草を彼女が見せている。 僕がルルーシュの方を見ると、彼は若干表情を緩め、それでいて真剣に何かを考えている風だった。どうやら、僕と同じく彼女に「かわいい」という感情を抱きながら、質問の答えを考えているらしい。 「ふむ、太陽の味なんて、ナナリーは面白いことを考えるんだな。他人と違う切り口で物事を見るのは、それだけ多角的に物事を考えられるという長所だし、恥ずかしがらなくてもいいんだぞ。 さて、そうだな。俺が考えるに太陽の味とは……」 「ああっ!大変なことを忘れていました」 ルルーシュが答えを言おうとした時、ナナリーが声を上げた。 「お日様って、すごく熱いんですよね?もし本当に食べようとしたら、熱過ぎて味わうどころではありませんでした。それに、口の中や舌を火傷してしまいます。 すみません、変なことを聞いてしまって。お兄様やライさんを困らせてしまいました」 重大と言えば重大なことに気がついて、ナナリーはシュンとしてしまった。僕はルルーシュの方を見て、アイコンタクトを交わす。 (な、なあルルーシュ。ここは当然、フォローだよな) (愚問だな、ライ。当然だ、全力でナナリーをフォローしろ!) シスコンオーラ全開で、ルルーシュが僕に訴えてくる。まあ、わかってはいたが。 (でも、ナナリーって考えることが独特だったりするよな。今の話題も、正直驚いた) (ふむ、本当にそれだけか?ただ単に、驚いただけなのか?) (いや、そんなことはない。考えることも、恥ずかしがるその仕草も、正直かわいいと思ってしまった) (ああ、そうだろうな。俺もそう思った。だが、ナナリーと付き合うことは許さん!) 「だから何故そっち方向に行くんだ」というツッコミはせず、僕はルルーシュと目で会話をしていた。 そして二人が出した結論は、「ナナリーはかわいくて、今はただ彼女のフォローをすべし」というものであった。 「ナナリー、別に君は悪くないさ。太陽を食べる夢なんてスケールが大きいし、発想が面白いと思う。純粋にすごいと思うぞ」 「ライさん……。本当に、そう思いますか?おかしくないですか?」 ナナリーの問いかけに、僕に代わってルルーシュが答える。 「ああ、おかしくなんかない。さっきも言ったが、独特な視点や発想を恥じることはない。会話の幅も広がるし、聞き手側の俺たちにとってもいい刺激になる。 だから、もっと自分に自信を持つんだ。誰もお前を変な目で見たりしないし、もしそういう奴がいたら、俺たちが守ってやるさ。そうだろう、ライ?」 「ああ、そうだな。ルルーシュや僕だけではない、咲世子さんや生徒会のみんなもいる。君を温かく見守ってくれる人はたくさんいるから、君はいつまでも君らしさを失わないで欲しい」 僕とルルーシュはナナリーに優しく温かい視線を向け、やがて彼女に笑みが戻った。 「お兄様もライさんも、本当にありがとうございます。変なことを言ったかと思って、不安だったんです。お二人にそう言っていただけて、何だか元気が出てきました。 私、これからも自分らしさを失わずに頑張っていこうと思います」 ナナリーの明るい笑顔を見て、僕とルルーシュは安堵した。彼女には、いつまでもこの笑顔を保っていて欲しいものだ。 「しかし、太陽を食べる夢なんて本当にすごいよな。スケールが大きいし、ナナリーの人柄の大きさも表わしているのかもな」 僕がそう言うと、ナナリーはまた恥ずかしそうな表情を見せた。 「そ、そんなことはないです。ただ、ちょっと人には言いにくい夢があるので、それに関連づいたお日様の夢を見ちゃったのかもしれません。日食のお話も、関係はしていましたけど」 「それは、将来の夢ってことか?」 「は、はい」 僕が尋ねると、ナナリーはコクリと頷いた。太陽と関係のある将来の夢って、何だろう。 「ナナリー、もし良かったらそれも教えてくれないか?僕は君と知り合ったばかりだし、もっと君のことを知りたいんだ」 「俺も知りたいな、ナナリーが持っている夢を。兄としてお前の夢を応援したいし、サポートできることはしてやりたいからな」 「じ、じゃあ言いますね」 ナナリーがモジモジしながら、口を開く。 「これは将来の夢というより、『こういうのもいいなあ』って考えた夢なんですけど、その…お日様を食べてしまいそうなくらい、圧倒的な存在感に興味があるんです」 「「……何?」」 僕とルルーシュの声がハモッた。これはまた、すごいものに興味を持ったな。 「スケールが大きくて存在感のある人物になったら、どんなに広い世界が見えるのかなあって思うんです。あとは、みなさんに頭を下げられる気分を知りたいといいますか……。 その、今の生活はすごく楽しいですし、何も不満はありません。ただ、その…『お日様を食べてしまいそうな勢いを持つ女王様の気分を味わいたい』という、ちょっとした憧れみたいなものなんです。 や、やっぱり恥ずかしいです。『女王様になりたい』なんて、女の子っぽい夢を話すのは」 恥じらいながら自分の夢を語るナナリーを、僕はただ圧倒されながら見ていた。そういう夢を持つ女の子だっているのかもしれないが、あまりにもスケールが大き過ぎる。 もしかしてナナリーは、本当にスケールの大きな女性になる素質があるんだろうか。 (ルルーシュはどう思って……) 僕がルルーシュの方を見ると、彼は難しい顔をして考え込んでいた。 (ま、まさかナナリーがそんな夢を……。くっ、血は争えんということか!皇帝も母さんも、良くも悪くもスケールの大きい人間だったしな。 だが、俺はどうすればいい?ナナリーの夢を応援したらいいのか、いや、彼女には優しい心を忘れないでいて欲しい。しかし夢を否定することは俺には……) 「ル、ルルーシュ?」 僕が声をかけると、ルルーシュは我に返った。 「はっ!あ、ああ。すまない、考え事をしていた。ナナリーの夢が大きくて眩しくて、少し驚いてしまったんだよ」 「そ、そうか。僕としては、大きな憧れや夢を持つのは悪いことではないと思うが、君はどう思う?僕と一緒に、彼女を応援するのか?」 「お兄様?」 「あっ、いやその……」 僕の視線とナナリーの不安そうな表情を一度に受け、ルルーシュはうろたえた。だがすぐに平常心を取り戻すと、髪をかき上げながら言った。 「ふっ、愚問だな。俺は妹を否定したりしない、全力で応援してやるさ!」(内心はすごく複雑だがな……) 「そうか、そう言うと思ったよ。良かったな、ナナリー」 僕がナナリーに声をかけると、彼女はまさに太陽のような明るい笑顔と声で言った。 「はい!私、頑張りますね!」 その笑顔を見て、僕は思った。「確かにかわいいけど、本当に単なる憧れなんだろうか。ひょっとしたら、ひょっとするかもしれない」と。 とりあえず、日食の前日はてるてる坊主を吊るそう。日食に興味はあるし、ナナリーも晴天が好きだから。 余暇 42 *
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「ふむ、こんな時間か……」 ある日の午後のこと。クラブハウスの自室でくつろいでいた僕は、四時を指す時計を見て呟いた。 今日は午後から職員会議のため、授業は午前中で終わっていた。お昼に自室に戻っていた僕は、今まで昼食を食べたり読書をしたりしながら、適当に過ごしていたのである。 「しかし、さすがにのんびりし過ぎたかな。最近は特派に通い詰めだったから、少し休んでから数学の復習をするつもりだったのに」 最近は特派の研究室で過ごす時間が多かったため、復習が少し遅れ気味だった。だから特に用事のないこの機会に勉強するつもりだったのだが、読書に夢中になり過ぎてしまったらしい。 「とにかく、早く始めよう。えーと、ノートは……ん?おかしいな、これは嫌な予感がしてきたぞ」 僕はカバンの中を探してみるが、いくら探しても数学のノートは見つからなかった。 「しまった、教室に置いてきてしまっていたのか。参ったなあ、こんなことならもっと早くに取り掛かるべきだった」 復習をするには教室へ行かねばならないが、僕はそれが少し面倒だった。かと言って復習を諦めるのは、これからの時間が少しもったいない気もする。 「仕方がない、取りに戻るか」 僕は軽くため息をつくと、制服に着替えて教室へと向かった。 「よし、あったぞ」 教室に入った僕は自分の机の中を探り、すぐに数学のノートを探し当てた。そして教室の窓から入る西日を眺めながら、僕は軽く汗を拭く。 「しかし夏が近いせいか、直射日光で室内に熱がこもると、少し暑いな。さて、早く帰って復習するか」 僕はノートをカバンに入れると、教室から廊下に出た。すると向こうの方から、誰かが歩いてくる。 (ん、あれは……) 向こう側から歩いてきた少女は、僕に気がつくと笑顔で手を振ってきた。 「ライ君、こんにちは」 「やあ、シャーリー」 そう、僕が出会ったのはシャーリーだった。彼女は上着を脱いでブラウス姿になっており、腕に持った制服のポケットからは、ネクタイの端がわずかに顔をのぞかせている。 「どうしたの、何か忘れ物?」 「ああ。帰って復習するつもりだった数学のノートを、教室に置いてきてしまって」 「へえ、真面目だね。でもライ君でも、うっかりすることはあるんだ」 シャーリーにそう言われて、僕は苦笑いしながら言った。 「今まで読書に夢中になっていたから、本当に真面目かと言うとそうでもない。だが、うっかりなのは認めるしかないな。 ところで、君こそ教室に何か用事か?わざわざこんな時間に来るなんて」 僕が尋ねると、シャーリーは小さく舌を出して答えた。 「実はね、歴史の課題のプリントを教室に置いてきちゃったの。提出期限までには時間があるんだけど、早めに終わらせたいから」 「なるほど、うっかり者なのはお互い様だな」 「あははっ、そうだね。お互い、うっかりミスには気をつけないとね」 シャーリーが明るく笑い、僕も笑みを返した。本当に明るくて、楽しい女性だな。 「しかし、夏は確実に近づいているな。昼間の外もそうだったが、西日で熱のこもった教室も暑い」 僕がそう言うと、シャーリーは笑顔で頷いた。 「確かに暑くなってきたね。今日は部活も自主練習の日なんだけど、少しでも体を動かしておきたかったし、水の中は冷たくて気持ちいいから、さっきまでプールで練習していたの。 でもプールから出たら結局暑くて汗をかいちゃうし、もう上着は着ないで来ちゃった」 「ああ、今までプールにいたのか。しかしこういう時にプールに入ると、さぞ気持ちいいんだろうな」 「ふふっ、ライ君も水泳部に入ってみる?君なら大歓迎だよ」 「ハハ、まあ考えてみる」 シャーリーに笑顔を向けられ、僕も笑みを返す。今は軍に入って忙しいし、記憶探しも並行してやっているから、部活のことは多分後回しになってしまうだろう。 でもいつか戦争が終わって記憶も取り戻せたら、少し部活のことを考えてみたい気持ちもある。せっかくできた大切な仲間と、もっと色々な経験をして過ごしてみたいから。 「あ、そろそろ教室に行ったらどうだ?プリント……」 途中まで言って、僕はシャーリーの胸元に違和感を感じた。ブラウスの布地が、不自然な形で盛り上がっているのだ。 (あっ、ボタンを掛け違えたのかな。道理でおかしいと思っ…いや、それじゃあその下に見える白いのって……) 緩んだ胸元の隙間から見えるのがシャーリーのブラジャーだと気づき、僕は顔が熱くなるのを感じた。見えるのがその白い布地だけならまだしも、彼女の綺麗な肌が少しだけ見えるものだから、余計恥ずかしい。 (疲れていたのか急いでいたのか知らないが、もう少し身だしなみに気を配るべきじゃなかったのか?ていうか、ここへ来るまでに誰か指摘しなかったんだろうか。 と、とりあえず彼女に伝えて…待て!それじゃあ僕が彼女のその部分を見ていたと、告白するようなものじゃないか!それって、印象としてはかなり悪いんじゃないか?) このまま指摘せずにいれば、帰宅の際にシャーリーが恥をかくことになる。それを未然に防ぐためには、ここで僕が彼女にブラウスのことを指摘して、直してもらうしかない。 だがそれをすると、彼女は僕に「自分の恥ずかしい姿を見られた」と思ってしまうだろう。それはそれで気まずいし、今後の生徒会活動なんかにも影響が出かねない。 「どうしたの、ライ君?顔が赤いよ」 「えっ?あ、いや何でもない。気にしないでくれ」 「ふーん、そうなの?」 シャーリーが首を傾げ、僕を見る。 (本当は何でもあるし、大いに気にして欲しいんだがな、自分の身なりを。でもハッキリとは言いにくいし、どうしたものか) チラチラと目に入るシャーリーの胸元を気にしつつ、僕は悩んでいた。だが悩んでいても始まらないし、事態が好転しないのも事実であった。 (悩んでいても仕方がない、もう思い切ってしまおう) 心を決めた僕は、一つ呼吸をして気分を落ち着かせ、シャーリーに向かって話し始める。 「シャーリー、僕が今から言うことを、落ち着いて聞いて欲しい。これは君にとって、少し重要なことだと思う」 「えっ、ど、どうしたの改まって。でもライ君がそう言うなら、きっと大切なことなんだよね。一体、何の話?」 シャーリーが真剣な眼差しで、身を乗り出すように僕を見つめる。真面目なのはわかるが、真実を知ったらどんな反応をするのやら。 「重要だとは思うが、あまり真面目っぽい話でもないんだ。と言うのも、その…ブラウスのボタンがだな」 「ん?ブラウス?」 キョトンとしたシャーリーの胸元を指さし、視線をそらしつつ僕は指摘する。 「ブラウスのボタンを掛け違えているから、その…胸元が緩んでいるぞ」 「えっ…わっ、わわわっ!?」 胸元の状態に気がついたシャーリーが、あわてて両腕で前を隠した。そして恥ずかしそうに赤面しながら、僕の方を見る。 「もっ、もっと早く教えてよー。まさか、ずっと黙って見ていたの?」 「そんなわけあるか。僕も気がついたのは、つい今し方なんだ。まあ言うのが恥ずかしくて、少し迷ったが」 「やーん、恥ずかしいよー。今までこんな格好で歩いていたなんてー」 胸元を隠しながら、シャーリーが悶絶する。まあ、普通はそう思うよな。 「とりあえず、教室の中で服装を整えてきたらどうだ?いつまでもこのままってわけにもいかないだろう」 「う、うん。そうだね、ちゃんとしてくるよ」 少し落ち込みつつ、シャーリーが歩を進める。そしてすれ違いざま、少しだけ足を止めて僕の方を見た。 「ねえライ君、もしかして…見ちゃった?」 その言葉を聞いて、僕はシャーリーの白い下着と肌を思い出してしまった。そして熱くなった頬を指先で掻きつつ、小さく頷く。 「すまない、少しだけ見てしまったかも」 「エッチ……」 「はい、すみませんでした」 僕の謝罪の言葉を聞いた後、シャーリーは教室に入っていった。二人の今後に、尾を引かなければいいんだが。 「でも良かった、最初に会ったのがライ君で」 廊下を並んで歩きながら、シャーリーが言った。服装を整えて教室から出てきて以来、彼女はこんな感じですっかり落ち着いている。 「だが本当にすまなかった、その…見てしまって」 改めて謝罪する僕に対し、シャーリーは手をパタパタさせて言った。 「いいよ、気にしないで。ちゃんと確認しなかった私が悪いんだし、君は私を思って教えてくれたんだから、むしろ感謝しているの。 それに、恥ずかしいのは恥ずかしいけど、見られたのがライ君でまだ良かったよ」 「それは、どういう意味だ?」 僕が尋ねると、シャーリーは話し始めた。 「だって、もし最初に私のあの姿を見たのが会長だったとしたら、きっと大変な目に遭っていたはずだよ。多分触られたりとか、もっと恥ずかしいことをされたと思う」 「ええっ?いくらミレイさんでも、そこまでは…いや、どうだろう。可能性を否定し切れないのが、あの人だから」 「でしょ?実際、イベント用衣装の採寸と称して、何度もあちこち触られてきたんだもん。もう大変だったんだから」 「そ、そんなに触られたのか。さすがの行動力というか、何というか」 もしかして、これから僕もミレイさんに触られる機会があるんだろうか。生徒会での日常は楽しいし好きだが、本当にある意味パワフルだ。 「しかし、無事にプリントを持って帰ることができて良かったな。僕もしっかり復習しないと」 「うん、そうだね。お互い頑張って勉強を…あれ?ちょっと待って、そう言えば私……」 シャーリーは足を止め、カバンを開けて中を探り始めた。 「どうした?」 「うん。教室に入って服装を整えたまではいいけど、その後プリントをカバンに入れた記憶が…あー!」 何か思い出したらしく、シャーリーが口元を手で覆った。そして、何やら恥ずかしそうに頬を染める。 「あはは…プリント、教室に置きっぱなしだったよ。服装のことしか頭になくて、一番大切な用事を忘れてきちゃった」 「え?」 僕はシャーリーの言葉を聞いて、一瞬呆気に取られた。そして何だかおかしくなって、小さく噴き出す。 「ははっ、シャーリーって本当に楽しい人だな。今回は僕も悪かったが、やっぱりうっかりさんだ」 「あー、笑ったなー!」 僕に笑われたシャーリーが、僕をにらんできた。だがそれも長く続かず、彼女もすぐ笑顔になる。 「でも良かった、ライ君が本当に自然に笑えるようになって。きっと、この学園が楽しいから笑えるんだよね」 「ああ、楽しい。ここに来てみんなと出会えた奇跡に、感謝している。もしできるなら、これからもみんなと一緒に思い出を作っていきたい」 「もちろんだよ、私やみんなも、ライ君と一緒に思い出を作りたいんだもん」 「ありがとう、これからもよろしく頼む。ついでに、うっかり癖も治るといいな」 「もー、それは余計だってば!」 またシャーリーが僕をにらんでくるが、決して険悪な雰囲気などではない。むしろ和やかな空気が、二人の間には流れている。 その証拠に、僕たちはしばらく見つめ合った後、自然と噴き出していたのだから。 「ふふっ、ライ君も冗談を言うようになったんだね。いい傾向だと思うよ」 「それも君たちのおかげだ。それじゃあ、改めてよろしく頼む」 「うん、こちらこそよろしくね!」 この和やかで優しい時間や世界が、僕は本当に好きだ。いつまでもこんな時間が続いて欲しいし、この世界や仲間たちを守りたい。僕は心の底から、そう強く願っていた。 余暇 43 *
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ある休日のことだった。僕はその日、朝からずっとクラブハウスにある自室にいた。恋人であるカレンと一緒に。 天気はいいが特に「どこかへ出かけよう」となるわけでもなく、一緒に昼食を作って一緒に食べたり、何気ない会話を楽しんでいたりした。 「ふむ……」 ソファに隣り合って座っていた僕たちの会話が途切れ、少しの間静寂な空気が流れた時だった。僕は前から密かに気になっていたことを思い出し、天井を見上げる。 それは、「何をしていても二人でいる時間そのものが大切だ」と考えている僕にとって、唯一気がかりな部分でもあった。 「ライ、どうしたの?何か考え事?」 隣にいるカレンが、僕の顔を覗き込んでくる。 「ん…ああ、ちょっと気になったことがあって。君に聞きたいことがあるんだが、いいか?」 「ええ、いいわよ。何かしら?」 カレンが優しい笑顔を僕に向け、先を促してくる。僕はその表情に愛しさを感じながら、話を続けた。 「カレンはこの先、僕にどういう関係を望んでいるんだ?」 「えっ、どういうって?」 カレンが首を傾げ、質問の意図を測りかねるような表情を見せた。 「えーと、何て言えばいいのかな…よし、質問を変えよう。君は僕に、今よりも会話の量やバリエーションを増やして欲しいか? と言うのも、僕はあまり会話が上手じゃないし自信もないから、今みたいに二人の会話が途切れてしまうと、次にどうしたらいいか困ってしまうんだ。 そのことに関して君は特に何も言わないが、もし君が明るくて会話の多い関係を僕に望んでいる場合、僕には今の状況を打破するための努力が必要になってくる。 だからその辺に関して君がどう思っているのか、意見を聞きたい。今後の二人の関係を良い方向へ進めるために、参考にしたいんだ」 そう、今までカレンとの会話が少し途切れるたびに、僕は迷っていた。会話のない静寂な空気も、すごく穏やかで僕は好きだし、彼女も居心地は良さそうにしていた。 だが、「もし彼女が静寂よりも会話の方がさらに好きだとしたら」と考えると、僕はその静寂を何とかしようとして、密かに思案に暮れてしまうのだ。 僕はあいにく流行に疎いし、多くの話題を提供できるわけでもない。それに気の利いた会話をする自信なんてないし、人を楽しませる術も持たない。 彼女が僕に何かを無理強いするような性格でないことはわかってはいるが、もし彼女が本当は何かを望んでいて、僕がそれを満たすのに不足している部分がある場合、やはり努力はしなければならない。 そう思って、僕は彼女にこんな質問をぶつけてみたわけだ。 「ふーむ、なるほどね。ライって、そんなことを気にしていたのね。知らなかったわ」 カレンが腕を組み、ジッと僕を見つめた。 「別に私は、ライに会話の量やバリエーションなんか求めないわ。そりゃあ楽しい会話は好きだけど、それってネタを必死に探してまで、どうしても毎回しなきゃいけないものではないわ。 この世界が平和で、なおかつ私たちの関係がうまく進展していれば、会話のネタなんか、探さなくても向こうから転がり込んでくると思わない?」 「まあ、言われてみれば確かにそうだな」 「でしょ?だから『会話の量を増やそう』とか、無理に頑張らなくてもいいの。私はさっきみたいに会話のない静かな時間も、心がすごく落ち着くから好きよ。 私にとって一番大切なのは、あなたと一緒にいる時間なの。だから、変に気にしなくてもいいのよ」 「そうか、わかった。ありがとう、そう言ってくれてホッとした」 カレンに優しい笑みを向けられ、僕も笑みを返した。「彼女にとっても、二人でいる時間そのものが一番大切なんだ」とわかって、嬉しかったのだ。 (この穏やかで幸せな時間がこれからも続くように、特区の方も頑張らないとな。もちろん、みんなやカレンと一緒に) そして僕は心の中で、この世界を守り抜くことを、改めて誓うのだった。大切な人たちのために。 「あっ、そう言えばライの『努力』って言葉で思ったんだけど……」 カレンは何か思う所があるらしく、僕の方を見て話し始めた。 「実はさ、その…努力と言うほどじゃないけど、あなたに忘れないで欲しいことがあるんだけど」 「何だそれは?教えて欲しいな」 僕が促すと、カレンは僕を見つめながら話し始めた。 「うん、私がライに忘れないで欲しいことは、その…初心を忘れないで欲しいの。『今より次の瞬間に、もっと君のことを好きになっていたい』って言ってくれた、あの言葉をいつまでも覚えていて欲しいの」 その言葉は特区の式典が行われた日、すなわち僕とカレンが結ばれた日の夜に、僕から彼女に贈った言葉であった。 「常に新しい気持ちでカレンを見つめ、新しい魅力を探して、いつまでも愛し続ける」という想いを込めて、僕は彼女にそう誓っていたのだ。 「あの言葉を聞いた時、すごく嬉しかった。そして思ったの、『私も負けないくらいライを見つめて、どんどん好きになって、いつまでも一緒にいたい』って。 だから、いつだってライと一緒にいる時間を大切にして、ずっとあなたを見つめてきたつもりよ。次の瞬間に、もっとあなたを好きでいられるためにね」 そう言って、カレンは僕の手に自分の手を重ねてきた。手を通して伝わる彼女のぬくもりが心地良く、そして愛しい。 「だから、ライもあの時の気持ちを忘れないで。会話の量は今のままでもいいの、無理して私を楽しませようとしなくてもいいの。ライはライのままで、ずっと私の隣で私を見ていて欲しいの。 私たちにとって、想いを通わせる手段は会話だけじゃないわ。言葉がなくても態度や雰囲気で通じ合えるし、愛し合える。だから……」 カレンが僕を見つめ、愛の言葉を紡ぐ。 「これからもっと私を好きになって、ずっと愛して。それが私にとってたった一つの、そして一番のお願い」 「カレン……」 僕はカレンを抱き寄せると、その体のぬくもりを感じつつ、彼女の瞳を見つめる。 「ああ、もちろんだ。あの時誓ったことは、決して忘れはしない。いつだって君を見つめて、もっと君を好きになって、そしていつまでも愛し続けよう。 この瞬間を大切にして、言葉だけじゃなく色々な方法で相手を知って、次の瞬間にはもっと相手を好きになる。それが僕たち二人の歩き方だからな」 「ふふっ、本当に歯の浮くようなセリフをサラッと言うのね。とても会話に自信がない人間には見えないわ。でも、そうやって自分の気持ちを真っすぐに伝えてくれるライが、私は大好き」 「ああ、僕も自分の気持ちを真っすぐに受け止めてくれるカレンが大好きだ」 僕たちは自然と顔を近づけ、唇を重ね合っていた。部屋の静寂な空気が二人を優しく包み、ゆっくりとした時間が流れる。 「ぷはっ……」 やがて二人の顔が離れ、再度見つめ合う形になった。お互いの想いを唇で確かめ合い、前の一瞬よりもさらに相手に愛しさを覚えながら。 「言葉がなくても通じ合えるのは、本当だな」 「でもそんなこと、本当はとっくに知っていたくせに」 「まあ、わかってはいたけどな。でも改めて確認したかったんだ、もっと君を知って、もっと好きになりたいから」 僕はカレンの頬に手を添え、問いかけた。 「次の一歩を進めるために、カレンはどうしたい?話をしたいならそうするし、君に任せようと思うが、どうする?」 するとカレンの顔が、少しずつ赤く染まってくる。 「えーと、多分同じことを考えているはずだから、雰囲気と態度で察して……」 僕はカレンとしばらくの間見つめ合った後、彼女が目を閉じるのを見て、再び唇を重ね合わせた。そして彼女を抱き寄せると、キスを続けたまま、一緒にソファの上に倒れ込んでいった。 (カレン、改めて君に誓おう。君の一番の願いを叶えるために、僕はずっと君の隣で、君と一緒に歩いていくから。僕の進む道は、ずっと君と一緒だ) 余暇 42 *
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ある日の放課後、僕は生徒会室でシャーリーと一緒に書類に目を通していた。 「今日は他に誰も来ないのだろうか。ミレイさんが家の用事で先に帰るのと、スザクが軍の仕事で来られないのは、昨日聞いたが」 僕がそう言うと、シャーリーが顔を上げて答える。 「えっとね、ニーナは大学の研究室に用事があるみたい。カレンは何も聞いていないけど、多分病院じゃないかなあ。もしかしたら、遅れて来るかもしれないけどね」 「なるほど。じゃあ、ルルーシュとリヴァルは?」 僕が二人の名前を出した途端、シャーリーの表情が不機嫌そのものになる。 「ああ、さっきリヴァルのバイクに二人仲良く乗って、どこかへ行っちゃった。どうせまた、賭けチェスだと思うけど。 まったく、『仕事があるんだから残って』って休み時間に声をかけておいたのに」 「適当にはぐらかされてしまったのか、君も大変だったな」 僕が苦笑いすると、シャーリーは肩をすくめた。 「うん、まあね。だから助かったよ、ライ君がいてくれて。君は仕事が正確で速いから、二人で頑張ればきっと今日中に片づくよ」 「僕自身は、自分のことは大したことないと思っているんだがな。だが君に期待されている以上、全力は尽くそう」 僕たちは笑い合うと、再び仕事に取り掛かった。 それからしばらく時間が過ぎた頃、ある程度仕事を片づけた僕たちは、少し休憩することにした。 「あっ、そうだ。ライ君に聞きたいことがあるんだけど」 机を隔てた僕の向かい側の椅子に座って伸びをしながら、シャーリーが声をかけてきた。 「聞きたいことって何だ?答えられる範囲なら答えるが」 「ありがとう。じゃあ早速なんだけど、最近カレンとはどうなのかな?」 「カレンと?うーん」 興味深々のシャーリーに聞かれ、僕は考えた。カレンには学園でお世話係主任として関わってもらっているだけでなく、最近では黒の騎士団における仲間として、背中を預け合っている。 シャーリーに騎士団のことは話せないが、この場合、「カレンとは互いに信頼し合っている」とでも言えばいいのだろうか。 「まあ、互いに信頼し合えるいい関係だと思う。彼女には色々と世話になっているし、いくら礼を言っても言い尽くせないかもな」 「へえ、そうなんだ。友人としては、結構いい感じみたいだね。じゃあさ、一人の女の子として彼女のことはどう思う?」 「女の子として?」 シャーリーに次の質問をされ、僕は再び考える。この質問の意図としては、「カレンは僕から見てどんな女の子か」ということを指すのだろうか。 まさか「男勝りで熱血で、玉城におちょくられたら拳で応える元気な子だ」なんて、口が裂けても言えないよな。 「そうだなあ。やはりお嬢様らしくおしとやかで、一見近寄りがたい所もあるけれど、実は面倒見のいい優しい人だと思う。多くの男子に人気があるのも頷ける」 「うーん、私が聞きたいのはそういうことじゃないの。あっ、でもライ君ってそういうのに鈍感っぽいから、わかるかなあ」 シャーリーが首を横に振った後、一人で何か言っている。何か、あまりいい印象を与えないっぽい言葉が出た気もするんだが。 「じゃあ、どういう意味で聞いたんだ?」 「あ、うん。えっとね、その…カレンのことをす……」 少し恥ずかしそうに言葉を紡いでいたシャーリーの動きが、突然ピタッと止まる。そして何やら、自分の足元付近を見回している。 「ん?どうしたんだ」 「う…嘘。でも今のって確かにアレ、だよね?」 「いや、アレと言われても」 シャーリーが机の下で何を見つけたのかわからず、僕が足元に視線を移した時だった。 「きゃあああっ!」 「うわっ、シャーリー!?」 突然シャーリーが悲鳴を上げ、椅子から転げ落ちた。僕はあわてて椅子から立ち上がり、シャーリーの近くに駆け寄る。 「シャーリー、どうしっ……」 僕が駆け寄ると、椅子が横倒しになり、その隣でシャーリーが床にへたり込んでいた。その綺麗な脚をこちらに向け、微妙に開いた状態で。 丈の短いスカートの中が見えそうになり、僕は瞬時に目をそらす。 「で、で、出たの!ゴキブリ!」 「ゴ、ゴキブリ?」 僕は周囲を見渡すが、床の上にはそれらしき生物はいない。 「別にいないぞ」 「本当だよ、本当に黒い虫がいたんだってば!こっちの方も見てよ!」 「いや、『こっち』というのが君のいる方向だというのは理解できるが、その……」 僕は相変わらずシャーリーから視線をそらし、少し熱くなった頬を指で掻きながら指摘する。 「学園のスカートは、結構短い。仮にも男の前でその姿勢でいるのは、そろそろ…だな」 「え?……きゃあっ!」 自分の姿勢に気づいたシャーリーが、あわててスカートを上から押さえながら、床に座り直した。そして顔を真っ赤にしながら、僕に尋ねてくる。 「もしかして、見ちゃったとか?」 「いや、それはない。断じて見ていないから、安心してくれ」 一瞬白い布状の物が見えなかった気がしないでもないが、シャーリーのためにこの記憶は全力で抹消しよう。 「しかし、ゴキブリなんてどこから入ったんだ。学園内は結構綺麗だと思うんだが」 その後、僕はシャーリーと隣り合って椅子に座っていた。彼女の気持ちも、少し落ち着いてきたらしい。 「どうなんだろうね。でもゴキブリって、一応飛ぶんでしょ?校舎のどこかの窓が開いている隙に、そこから入ったのかも」 「可能性はないとは言えないな。しかしすごい驚きようだったが、ゴキブリは苦手か?」 僕が尋ねると、シャーリーは顔をしかめて答えた。 「当然だよ、大嫌い。何だか黒光りして、気持ち悪いじゃない。あんなゾッとするような虫を好きな人なんて、いないんじゃないかな」 「随分な言いようだな。そこまで言うなら、やはりゴキブリは多くの人から嫌われ…いや、ごくまれにそうじゃない人もいるかもしれないんだろうけど」 一瞬卜部さんのことを思い浮かべ、僕はシャーリーに完全に同意するのをやめた。あの人の場合、虫という虫が好きだからな。それこそ、胃袋に収めてしまうくらいに。 「でも困ったなあ。ゴキブリがいると思うだけで、仕事に集中できないよ」 シャーリーが、困り顔で言う。 「よし、僕が捕まえよう。確か殺虫剤があったよな」 僕がそう言って、椅子から立ち上がった瞬間だった。僕たちの足元を、黒い何かが横切っていく。間違いない、ゴキブリだ。 「きゃあああっ!」 「言ったそばから!」 シャーリーが悲鳴を上げ、僕はゴキブリを追った。 「机の下に入ったはずだが、どこだ」 殺虫剤を探す時間が惜しかったため、僕は部屋の隅にあった古新聞を丸く包み、構える。 「どこ、どこ?」 僕の近くで、シャーリーがオロオロしている。そして間もなく、入り口側の机の下からゴキブリが出てきたのを、僕は見つけた。 「いつの間にあんな所へ!」 ゴキブリが部屋の入り口とは反対方向に走り、僕はそれを追った。シャーリーも怖がりつつ、結末を見届けるために後からついてくる。 「よし、隅に追い詰めたぞ。叩くのは忍びないが、許してくれ」 丸めた古新聞を片手に、僕は祈った。 「ラ、ライ君……」 シャーリーが僕の少し後ろに立ち、怯えながらゴキブリを見つめる。 「よし、せーの!」 僕が古新聞を振りかぶろうとした、その時だった。何とゴキブリが、その黒い羽根を突然広げ、僕たちの頭上目がけて飛び立ったのだ。 「きゃあああっ!飛んだ飛んだ、怖い怖い!」 「ちょっとシャーリー、落ち着いて!」 シャーリーが泣き叫び、僕の服の袖をつかむ。僕は何とかゴキブリを追おうとするが、うまく身動きが取れずにいた。 そしてゴキブリの鈍い羽音が二人の耳元をかすめ、彼女の動揺が頂点に達した。 「やああっ!」 「ちょっ、うわっ!」 僕たちはもつれるように、床の上に倒れ込んでしまった。そしてゴキブリは、何事もなかったかのように少し離れた床の上に着地する。 「だ、大丈……!」 「いたた。ごめんねライ君、私のせい…で!?」 自分たちの状況を理解した僕とシャーリーは、同時に絶句した。僕が彼女を床の上に押し倒す格好になり、もう数センチ近ければ二人の唇が重なりそうなくらい、僕たちの顔は接近していた。 「「ご、ごめん!」」 僕たちが動揺し、同時に相手に謝った時だった。 「失礼します、遅れまし……」 生徒会室の扉を開け、カレンが入ってきた。そして僕とシャーリーの姿を見つけ、硬直する。 三人の瞳が一点に交わったまま、大変気まずい空気が室内に流れ始めていた。 「カ、カレン!違うの、これはね!」 「違うんだ、別にこれはやましいことがあったわけでは……」 あわてて弁解しようとする僕とシャーリーを見下ろし、カレンが不気味なくらい落ち着いた声で言った。 「もしかして私、お邪魔だったかしら?」 まずい、何だかすごく怒っている。まあこんな場所で男が一方的に女性を押し倒しているのを見れば、女性としては怒るのかもしれない。とにかく、何とか誤解を解かないと。 「と、とにかくこれは誤解なんだ。僕とシャーリーは何も……」 「だったら、いつまでシャーリーを押し倒しているのかしらね?」 「あっ!す、すまないシャーリー!」 僕はあわててシャーリーの上からどいて、彼女を助け起こした。そして二人で床に座り、カレンを見る。 (あっ、カレンの足元にゴキブリが) その時、僕はカレンの足元にゴキブリがいるのを見つけた。 「あら、ゴキブリ」 カレンもそれに気がついたのか、静かにゴキブリを見ている。やがてゴキブリは、開け放たれた部屋の扉から外へ出ていった。 「よ、良かったぁ……」 その様子を見届けたシャーリーが、安堵のため息をつく。 「実はさっきから、あのゴキブリを捕まえようとしていたの。でも急に飛んだから私がびっくりしちゃって、それでね……」 「あ、もしかしてそれでさっきの体勢に?」 「そう、そうなの!だからね、私はライ君とは何もなかったよ!ねえ、ライ君?」 「ああ、そうだ。僕たちにやましいことは何もない」 シャーリーに同意を求められ、僕は何度も強く頷いた。するとカレンが、微笑んで言う。 「何だ、そうだったのね。ごめんなさいねシャーリー、誤解しちゃって」 「ううん、いいよ。確かに私たち、紛らわしい状態だったから。本当にごめんね」 「別にいいわ、シャーリーは…ね」 カレンが少し怖いくらいの笑みを、僕に向けてきた。それは外見では判断できないが、一緒にいる時間が長く、かつ彼女の素顔を知っている僕にはわかる。 もしかして、まだ怒っているのか。誤解は解けたはずなのに。 「ライ、後で少し話し合いましょうか。私は少し用事があるから、また後で『じっくりと』ね」 何故か「じっくり」の部分に力を入れ、カレンは僕にそう告げると、生徒会室から出ていった。 「な、なあシャーリー。まだカレンは怒っているんだろうか」 するとシャーリーは、微妙な笑顔で答えた。 「うーん、あんなのを見ちゃったからねえ。多分、怒っていると思うよ」 「何故だ、誤解は解けたはずじゃないか」 「女心は複雑なんだよ、色々とね。その様子だと、まだライ君にはわからないか」 そう言ってシャーリーは肩をすくめ、僕は首を傾げた。どういう意味なんだ、彼女は何か知っているらしいが。 「とにかく、ちゃんと仲直りしなよ。私も二人のこと、応援しているんだからね」 「あ、ああ。仲直りは当然だが、何を僕たちは応援されているんだ?」 するとシャーリーは、いたずらっぽい笑みを浮かべて言った。 「何でもないよ。でもきっと、ライ君だっていつか理解できるはずだから。それと、さっきはごめんね」 結局シャーリーが言うことの意味が何なのか、僕にはわからなかった。 その後。少しだけ残っていた仕事を片づけた後、僕はアジトへ行ってカレンに会った。何を怒っているのかは彼女の口から語られず、代わりに模擬戦を申し込まれた。 その日の紅蓮の動きは抜群で、僕の乗る試作型月下は常に劣勢に立たされ、結果は完敗。また模擬戦が終わってからの彼女は上機嫌そのもので、結局僕は何も知らないまま許されることになった。 ちなみに、その時の彼女の怒りの原因が嫉妬だったことを僕が知るのは、特区日本が成立して彼女と付き合い始めてしばらくのことである。 余暇 43 *
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ある日の昼下がり。僕は特区日本の行政本部が置かれた庁舎の屋上で、束の間の休息を取っていた。 今朝は本国からナイトオブラウンズの一人が特区の視察に訪れており、僕がその案内役をしていたのだ。 ちなみに、今回来たのはノネットさんではない。最近になって彼女の紹介で知り合い、その後懇意になった別の人物だ。 (しかし、最近よく来るようになったな。僕にすごく親しくしてくれるのはいいが、本国での仕事はいいのかな) 僕がそんなことを考えていると、屋内へとつながる扉が開き、その人が現れた。金色の長髪に緑色のマントを羽織った、僕に最近親しく接してくるラウンズが。 「あら、ここにいたのね。探したわよ」 「どうも、クルシェフスキー卿。本日はお疲れ様…」 僕が頭を下げようとすると、ナイトオブトゥエルブの称号を持つモニカ・クルシェフスキー卿は、腰に手を当ててため息をついた。 「はぁ、相変わらず堅いわね。モニカでいいって言ったでしょ。ノネットさんのことだって、そう呼んでいるくせに」 「あー、すまない。まだ慣れないんだ、知り合って日も浅いし、身分の差もあるし」 「まあ私も、ノネットさんに『名前で呼べ』って言われた時は戸惑ったものよ。年の差もあるし、軍人としてもラウンズとしても先輩だし。 でも私たちは身分に差はあっても年は近いんだから、もう少しすんなり受け入れて欲しいわ」 そう言ってクルシェフスキー卿…いや、モニカは苦笑いした。せっかく親しくなったし、公の場ならともかく、ここでは二人きりだ。あまり彼女との間に壁を作るのはやめておこう。 「わかったよ、モニカ。これから気をつける」 「そう、それでいいのよ。あっ、それと年の差云々の話は、ノネットさんには内緒ね。本人は気にしていない風に見えるけど、女性に年齢の話は危険だから」 「ああ、それは構わないが。年齢の話は女性にしない方がいいのか?危険と言えるくらいに」 僕のその言葉を聞いて、モニカは呆れたような顔になった。 「本当にあなたって天然ね。そんなことで、よくここまで軍で働けたものね。女性軍人を傷つけるどころか、フラグがあちこちで立っているって言うから、人間って不思議ね」 「き、傷つける?フラグ?たまに聞くけど、それはどういう意味だ」 「ああ、気にしないで。おそらく、説明してもライにはわかりそうにないから。話には聞いていたけど、ここまでとはねぇ」 「いちいち引っかかる物言いだなぁ……」 モニカの言葉の意味がつかめないまま、僕は屋上で風に吹かれていた。いつになったら、僕は「フラグ」の意味を知ってスッキリできるのだろうか。 「そう言えば、この間ラウンズの集合写真をノネットさんに見せてもらったよ。随分と色々な人が集まっているんだな」 「あら、そうなの。まあ無口な年端もいかない少女やら、『ブリタニアの吸血鬼』の異名を持つサディストやら、個性派ぞろいよね。その中に入っている自分が言うのもアレだけど」 モニカはそう言うと、愉快そうに笑った。 「アールストレイム卿やブラッドリー卿のことも、ノネットさんから聞いたな。彼らをまとめるヴァルトシュタイン卿も、気苦労が絶えないって」 「でしょうね、しょっちゅう眉間にしわを寄せているもの。あっ、一応言っておくけど、私はヴァルトシュタイン卿を困らせる側じゃないから。そこ重要ね」 「そうなのか。すると、色々サポートしているわけか。君がいてくれて、ヴァルトシュタイン卿も助かっているだろうな」 するとモニカは顔をそらし、ボソッと呟いた。 「助けることもあるけど、たまに傍観者になってドタバタ劇を楽しんでいたりするのは言えないわよね……」 「……聞こえているぞ」 「あっ、あははは!さあ、何のことかしらねー」 モニカがごまかすように笑い、僕は軽くため息をついた。皇帝直属の騎士というくらいだから、もっと真面目で敷居の高いイメージを持っていたが、どうやら違うらしい。 ノネットさんからして結構豪快であっけらかんとした人だし、モニカにしてもラウンズであることを除けば、案外近くにいる女学生と変わらない感じなのかもしれない。 「あ、ところで」 僕は写真を見た時に浮かんだ疑問を思い出し、モニカにぶつける。 「集合写真を見て思ったんだが、スカートをはいているラウンズは君だけなんだな。他の人たちと違って」 その瞬間、モニカがジトッとした視線を僕に向けてくる。 「うわ、やぁらしぃー。そんなやましい気持ちで、私を見ていたわけ?」 「あ…いや、純粋な疑問を持っただけで、君が言うような気持ちではないんだ。 男性陣はともかく、ノネットさんもエルンスト卿もパンツスタイルだし、アールストレイム卿に至っては何だかすごい格好をしているし、『スカートは珍しいな』って。 ほら、ラウンズって騎士の中の騎士ってイメージがあって、勇猛果敢な男性や女傑の集まりだと思っていたから、スカートはイメージと合わなかったんだ」 僕があわてて弁明すると、モニカは軽くため息をついた。 「なるほど、言いたいことは大体わかったわ。要するに、『まさか女の子らしい格好をしているラウンズがいるとは予想外でした』ってことね」 「ああ、そういうことだ。モニカに初めて会った時も、もっとノネットさんに近いイメージを持っていたから、少し意表を突かれたというか……」 「あのねぇ、どこまでラウンズに対して偏見を持っていたのよ。私は彼女みたいに豪快じゃないし、笑顔のままベンチプレスで100キロなんて持ち上がらないから」 「うっ、すまない。しかし100キロの方が驚きだな」 ノネットさんならできる気はしていたが、本当だったか。彼女と一対一で勝負しても勝てない自信が、確信に変わった気分だ。 「それで、何だっけ。私がスカートをはいている理由よね」 マントをはためかせながらモニカが歩み寄り、僕の隣に立つ。 「理由は簡単、女の子らしさを忘れたくないから。昔から騎士を志して鍛錬や勉強を続け、年頃の女の子らしいことなんか、ずっと縁がなかった。 ラウンズになってからも、日常の仕事に追われ、ロイヤルガードを指揮して、それこそ女傑に近づくための毎日だったわ」 「大変なんだな。でも、自分で選んだ道なんだろう?多少は仕方ないんじゃないか?」 するとモニカは、苦笑いして言った。 「まあね。ある程度のことは犠牲にしないと達成できない目標なのは知っていたし、後悔もしていないわ。 でもやっぱり、心のどこかで引っかかっているのよ。街を楽しそうに歩く、年頃の女の子たちへの憧れがね」 モニカの寂しげな表情が、僕には印象的に映った。みんなから尊敬や畏怖、憧れの眼差しを集める立場のラウンズが、逆に街を歩く普通の女性に憧れるなんて意外だったのだ。 「だから私はラウンズになった時、騎士服はスカートを使ってデザインしてもらうように頼んだの。少しでも、年頃の女性らしい気持ちを保つためにね。 それともう一つ。私はね、まだ女の子らしいことをするのは諦めていないの。周りが女傑だらけで仕事が忙しくても、チャンスはあるのよ。 スカートは、その決意の表れでもあるの。笑っちゃうでしょ、こんなことに一生懸命なラウンズなんて」 自嘲気味に笑いながら、モニカが僕を見る。だが彼女の想像と違う印象を持った僕は、彼女に微笑みかけた。 「いや、全然おかしくない。確かに意外ではあったが、そういう憧れを持つのはいいと思う。ラウンズだって人間だし、人それぞれだ。 それより僕は嬉しいんだ、ノネットさんが僕たちに近い目線なのは知っていたが、モニカもそうだって知ったから」 「え…どういうこと?」 モニカが首を傾げながら僕を見つめる。 「ラウンズは階級としては雲の上の存在だが、一人の人間同士として膝を突き合わせた場合、すごく自分の目線に近くて親しみやすい存在だってわかったからさ。 それに、そういう純粋な憧れや夢を持つのって、すごく素敵なことだと思う。それだけでも、前を向いて明るい気持ちで明日に向かっていけるからな。 僕はそんな君がうらやましいし、好感が持てる。いつまでも憧れを抱いていて欲しいし、いつか叶うように応援してあげたい」 僕には、年相応の憧れを持つモニカが輝いて見えた。本当は街を歩いて友人たちと楽しく話したり、恋もしたかったのだろう。その気持ちを抑え、騎士を目指して努力し、ラウンズまで上り詰めた。 だがその後も、ラウンズとして実年齢以上の大人びた自分や冷静な仕事ぶりを発揮しながら、密かな憧れだけは忘れずにいた。その「もう一人の彼女」が、今僕の前に立っている。 僕は彼女が違う一面を見せてくれたのが嬉しかったし、応援してあげたいと思った。だから、その想いを彼女に伝えたのだ。 「ライ……。ありがとう、そう言ってもらえて嬉しいし、あなたに話して良かったわ。今まで誰にもこんなこと話したことなかったけど、あなたなら理解してくれると思ったの。 よーし、何だか自信が出てきた。いつか絶対に憧れを現実にしてやるんだから!」 モニカが明るい笑顔でガッツポーズをして、僕はそんな彼女を優しく見つめていた。「憧れや夢は、人を明るく輝かせる、不思議な魔法みたいだ」と思いながら。 「あっ、そうだ。ライ、今日のこの後は暇かしら?」 不意に、モニカが僕に尋ねてきた。 「え?まあ通常業務が終われば時間はあるが、どうかしたか?」 「せっかくだし、夕食でも一緒にどうかなって。もっとライとお話したいから、それに……」 モニカはそう言うと、ウインクをして続けた。 「『つかみかけたチャンスをむざむざ逃すのは、私の中の乙女心が許さない』ってところかな」 僕は首を傾げた後、ポンと手を打った。なるほど、そういうことか。 「そうか、確かにチャンスだな。僕と一緒に食事をするということは、年頃の女性みたいに街に出て、楽しく話をするためのきっかけにもなるからな。 だが、相手が男の僕なんかでいいのか?誰か同年代の女性職員辺りを探して、声をかけた方が……」 僕がそこまで言うと、何故かモニカにジトッとした視線を向けられた。また何かまずいことを言ったか。 「鈍感」 「何故だ、違ったのか?」 「違わないわよ、『街に出て楽しくお話をしたい』って部分はね。でも、私はここに何度も足を運んでライと何度も顔を合わせて、誰にも言わなかった秘密をあなたにだけ打ち明けたのよ。 そこまでされて、『彼女が僕に接触するのには別の目的があるかも、特別な気持ちがあるのかも』って思わないの?」 正直な所、僕にはモニカの言う「別の目的」がわからなかった。いや、思いついたことはあったが、自信がなかった。 「あー、もしかして…『ラウンズを目指さないか』ってことか?欠員もいるし、秘密を共有した方が誘いやすいからか? ノネットさんにもラウンズを目指すよう言われたが、僕はこの特区日本が軌道に乗るまで、そんな気持ちはない。ユーフェミア殿下やスザクに負担をかけたくないからな」 「あ、いや…ラウンズのこともあるけど、そしてライの気持ちもわかるけど、そっちじゃなくってね……」 モニカがこめかみに指を当て、軽くため息をついた。外れではなかったらしいが、微妙に違うようだ。 「なあ、モニカ。だったら、一体何を君は……」 「よし、わかった。今は無理に理解しなくてもいいわ!」 不意にモニカの表情が明るさを取り戻し、僕は呆気に取られた。よくわからないが、自己解決したらしい。 「わからないんだったら、少しずつわからせてやるまでよ。やっと見つけた夢の意味と、私の目的をね」 (大変な男に一目惚れしちゃったものね、先が思いやられるわ。でもせっかく憧れていた青春をつかみかけたんだから、頑張らなくちゃ) そして呆気に取られる僕を指差し、モニカが言い放つ。 「というわけで、これからも時々お邪魔すると思うけど、よろしくね。あと、夢に向かって走る女は強いから、覚悟なさいね」 「え?あ、ああ。よくわからないが、よろしく」 「ラウンズの仕事は大丈夫なのか?」という疑問は抱きつつ、僕はモニカの勢いに圧倒されて、頷くしかなかった。 よくわからないが、彼女には極力協力してあげよう。イキイキと輝いている彼女は、何だか素敵だから。 余暇 42 *
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「よお、ライ!何か暇そうにしているな!」 授業の合間の休憩時間、僕が教室内で座席に座り、何気なく窓の外を眺めていると、リヴァルが声をかけてきた。 「やあ、リヴァル。確かに少し時間を持て余してはいるが、僕に何か用か?」 僕がこう尋ねると、リヴァルは笑みを浮かべたまま、首を横に振る。 「いや、特に用事はないんだがな、お前が暇そうにしているんで、適当に雑談しようと思ったのさ」 「そうだったのか、気を使わせて悪いな。それで、何か話題でもあるのか?」 するとリヴァルが「待ってました」とばかりに、こちらへグッと身を乗り出してきた。そして、思わず身を引きかけた僕を見ながら、彼は話し始める。 「それがあるんだよ、とっておきの話が。トウキョウ租界で最近聞かれるようになった、ちょっとした都市伝説さ」 「都市伝説?」 「そう。租界に夜な夜な現れる、姿なき猫の話なんだが、聞いたことあるか?」 「姿なき猫?いや、初めて聞くな。どういう話だ」 僕はリヴァルにこう尋ねて、続きを促す。すると彼は、意味深な笑みを浮かべながら話し始めた。 「ああ。そいつは必ず夜に現れては、租界の路地裏で鳴くんだそうだ。その鳴き声は非常に甘えた感じで、姿が見えなくても、声を聞いた者に『人懐こそうだな』という印象を与えるらしいぜ」 「へえ。だが人懐こい感じの猫なら、普通にいるんじゃないか?」 「確かにその通りだ。だがそいつの本当に不思議な所は、そこから後なんだよ。何と一度鳴き声を聞いたが最後、その猫の姿を見つけるまで、租界中を追いかけたくてたまらなくなるそうだ」 「租界中を?それはまた、随分とオーバーな話だな」 半信半疑で僕がそう言うと、リヴァルは手をヒラヒラさせながら答える。 「まあ都市伝説なんて、そんなもんだよ。それでだな、これまでも何人かその猫を追いかけたそうだが、まだ誰一人として尻尾の先端すら視界に捉えていないらしいぜ」 「そんなにすばしっこい猫なのか?偶然その猫が、死角に入ってしまうケースが多いだけだと思うが」 「ライ、細かいことはいいんだよ。こういう話は理屈で考えたらダメだ、単純に『面白い』と感じる心が必要なんだぜ」 「考えるではなく、感じる…か。何だかわからないが、勉強になった気がする。世の中には、不思議な猫もいるんだな」 「そうそう、もっと何でも楽しまないとな!おっと、そろそろ次の授業が始まるな。また面白い話を仕入れたら、ライにも教えてやるよ」 リヴァルはそう言って笑うと、上機嫌な様子で自分の席に戻っていった。 (リヴァルのおかげで、有意義な時間を過ごせたかもしれないな。記憶がないせいかどうかは知らないが、なかなか新鮮で興味深い話だった) 僕は心の中でリヴァルに感謝しつつ、次の授業に備えるのであった。 その日の授業が終わると、僕は租界に出て、いつものように街中を歩いていた。目的はもちろん、記憶探しだ。 だが今日も特に収穫はなく、歩き始めた頃はあんなに明るかった租界も、既に夜を迎えようとしている。 「はぁ、今日もこれといった収穫はなしか。一体いつになれば、僕の記憶は戻るんだ」 僕がそう呟いてため息をついた、その時だった。 「にゃあ~」 「……ん?猫の鳴き声?」 どこかから猫の鳴き声がして、僕は足を止めた。そして周囲を見渡してみるが、猫の姿はどこにも見えなかった。 「あれ、おかしいな。通りにこれだけ人がいて、色々な音が飛び交っているのにハッキリ聞こえたから、おそらく近くにいるはずなんだけど。今のは一体どこから……」 「にゃあ」 「あっ、また聞こえた。間違いない、近くにいる。でも何故だろう、この声…何となく気になってしまう」 僕はまるで吸い寄せられるように、鳴き声の主を探して歩き始めた。しっかり目を凝らし、その影すら見落とさないように。 「にゃぁ」 「あっ、こっちか!いや、向こうかな。とりあえず大通りではなさそうだ、こっちへ行ってみよう」 僕は辺りをキョロキョロ見回しつつ、大通りを外れて小さな路地へと入っていく。やや薄暗く、人も少ない細い道を、僕は猫を追って進んだ。 「……ていうか、何で僕はこんなことをやっているんだ。ただ猫を見つけるために、見つけた後のことなんか何も考えちゃいないのに、どうし……」 「にゃんっ」 「はっ、そこか!」 僕はハッとして振り返ってみたが、やはり猫の姿は見当たらず、なかなか見つけられない悔しさから、一瞬湧き上がった虚しさのような感情も吹き飛んでいた。 そして耳をそばだて、目を凝らして猫を探してみるが、とうとう鳴き声すら聞かれなくなってしまった。 「うーん、これは…逃げられたか。あ~、何だか無性に悔しい気がする」 星の見え始めた夜空を見上げ、僕は小さくため息をついた。まさか猫一匹に、こんな感情にさせられるとは。 「もう遅いし、今日は帰ろう。でも次こそは……」 僕はそう心に誓うと、クラブハウスに戻るべく大通りへと歩を進めるのであった…が、その途中でズボンのポケットに違和感を覚え、立ち止まる。 「え?おかしいぞ、財布が……」 ズボンの後ろ側にあるポケットの中に手を入れ、そこにあるはずの財布を探るが、何の手応えもない。さらに念のため、他のポケットも探ってみるも、やはり財布はなかった。 その事実をハッキリ確信すると同時に、僕の頭からみるみる血の気が引いていく。 「まずい、財布をなくした。きっと猫を探すのに夢中になって、どこかで落としたんだ。とっ、とにかく早く見つけないと」 僕は焦る気持ちを何とか平静に保ちつつ、たどってきた道沿いを中心に、財布を探し始めるのであった。 「よ、良かった。何とか見つかった……」 それからしばらく後、道に落ちていた財布をようやく見つけ出し、僕は安堵のため息をついていた。一応調べてみたが、幸運なことに中身も無事だった。 「やれやれ。猫の鳴き声が聞こえてきて、何となく猫を追いかけていたら、まさかこんな目に遭うとは。おまけに最後まで猫は見つからずじまいだし、余計な時間をつぶしてしまったな。 とりあえず、二度と財布は落とさないよう気をつけないとな。しかし不思議だな、何故鳴き声を聞いただけで無性に追いかけたく……ん?」 帰り道に戻ろうとしたその時、ふと頭の中に教室での出来事がフラッシュバックして、僕は足を止めた。 「あれ?確かリヴァルが言っていた都市伝説って、夜中に現れる、声は聞こえるけど姿の見えない猫だったよな。しかも声を聞いたが最後、見つけるまで追いかけたくなる…って、話に聞いたそのままじゃないか!」 僕は確信した。今まで追っていた猫こそが、まさに都市伝説で語られている猫そのものだったのだ。まさか、こんな所で自分が出くわそうとは。 「明日リヴァルに、ありのまま起こったことを話してみるか。もともと猫の話をしてくれたのは彼だし、こんなことを彼以外に話しても、何を言っているのかわからない可能性もある。 よし、そうと決まれば今夜は帰るか。だが次こそは必ず見つけ出して……」 「にゃああ」 「!?」 再び猫の鳴き声が聞こえてきて、僕は思わず身を強張らせる。そして当然の如く周囲を見渡すが、猫の姿はなかった。 「今の声は間違いなく、さっきまで追いかけていた猫の声だ。十分くらい前まで散々聞かされたんだ、鳴き声を聞き違えるはずがない。もしかして、戻ってきたのか?」 「にゃんっ」 「……っ!そっちか!」 僕は猫の声を追って、再び歩き出していた。それこそ、鳴き声に魅せられるかのように。 それから十分後。 「えーと、財布財布……」 結局猫を見つけられなかった僕は、またしても財布を落としてしまったことに帰り道で気づき、それを探し回って路地を歩き回っていた。 一応落とさないよう注意していたはずだが、猫探しに夢中になるうち、注意力が散漫になってしまったようだ。 「うぅ、しかし恥ずかしい話だよな。猫との追いかけっこに夢中になって、二回も猫に負けた挙句、これまた二回も財布を落とすなんて。それもこの短時間の間に。 一応リヴァルに話そうとは思うが、何だか気が引けるなあ」 悔しさと恥ずかしさを紛らせつつ、周囲にくまなく視線を送っていると、道の隅に見慣れた財布を見つけた。そう、自分の財布だ。 「おっ、あった。それで中身は…っと、よし今度も無事だ。はぁ、大変な目に遭ったな」 今夜だけで何度目になるかわからないため息をついて、僕は夜空を見上げた。日はすっかり暮れて、星と月が見えるのみである。 記憶探しでも収穫はなく、猫には一方的に振り回され、二度も大事な財布を落としたり、まったくもって散々な放課後であった。 「はぁ。もうさっさと帰って夕食を食べて、風呂に入ったらすぐに寝よう。こういう時は寝て忘れるに……」 「にゃぁ~」 「えぇっ、またか!?」 再び例の猫の鳴き声が聞こえ、僕は半ば呆れたような声を出した。何て人をからかうのが好きな都市伝説だ。 「くっ、完全に遊ばれている!向こうとすれば遊んでいるのかもしれないが、何だか少し…悔しいというか屈辱的というか、何なんだこの気持ちは! 今度こそ見つけ出して相手の正体を拝みたい所だが、ここは日を改めて冷静な状態で挑戦した方がいいような…でも……」 僕は迷っていた。三度目の正直で、今度こそ猫の姿を見つけられるかもしれない。だが一方で、またさっきまでみたいに弄ばれ、財布を落とすかもしれない。 いや、財布に関しては自己責任の部分もあるだろうが、この冷静さを半ば欠いた心理状態の中での「再挑戦」は、無謀な気もするのであった。 「にゃああ」 「くぅっ、もう行かないぞ、絶対に行くものか!また今度だ、今日は帰って気持ちをリセットして、いずれまた新たな気持ちでその時こそは……」 「にゃん」 「うぅ~、帰ろう、帰らないと。こんな頭に血の上った状態で、どうにかなるとでも思うな。冷静になれ、冷静になって今日はもう……」 「にゃああ~」 「うぅっ…ぬっ、くっ、こ…今度こそー!」 僕を誘うように幾度となく聞こえてくる猫の鳴き声に根負けして、結局僕は、三度目の追いかけっこに挑むのであった。 (うぅ、昨夜は完敗だった) 翌朝、授業が始まる前の教室で、僕は机の上にガックリと突っ伏していた。原因はもちろん、昨夜の猫との追いかけっこである。 (まさか三度も挑戦して、三度とも見つからなくて、これまた三度も財布を同じように落とすなんて、本当にどうかしている……) そう、三度目の挑戦も結局猫は見つけられず、諦めて帰ろうとしたら、またも財布を落としてしまっていたのだ。 その後財布を見つけ出し、中身の無事も確認できたから良かったものの、僕のプライドは軽く傷つき、一夜明けても、猫に負けたショックを忘れられずにいたのである。 「おーっす、ライ!どうした、朝からへこんじゃってさ」 「ん?ああ、おはようリヴァル。まあ大したことではないんだがな」 リヴァルに声をかけられ、僕は力なく言葉を返す。すると前の空いている席に彼が腰掛け、さらに話しかけてきた。 「しょうがねえなあ。よしっ、ならば景気づけに、この俺がとっておきの話をしてやる」 「とっておきの話?」 「ああ、しかも仕入れたばかりの新鮮なネタだ。昨日話した都市伝説は覚えているか?実はアレには、続きがあったんだ」 「何だって?」 昨日の都市伝説の続きと聞いて、僕は体を起こした。どんな続きなのか気になるし、その話から昨日の僕の行動における問題点が、見つかるかもしれないと思ったのだ。 「おっ、食いついてきたな。実はな、姿なき猫には相方がいたんだ」 「相方?一匹じゃなかったのか」 「いや、相方は猫じゃない。何とそいつは、猫と終わりなき追いかけっこゲームに興じる、謎の美形男らしいぜ」 「……は?」 僕は思わず呆気に取られて、リヴァルを見た。自分ではゲームのつもりはなかったが、彼の話すその男が、昨夜の僕そのものだったからだ。 「美形」という言葉には疑問符がつくものの、それ以外には心当たりがある。これは続きを聞かねば。 「そ、それでどんな話なんだ」 「その男と猫は、夕暮れ時になると租界の細い路地に現れ、追いかけっこを始めるらしいぜ。姿を見せない猫が男を誘うように鳴き、そして男が猫を追って歩き回るというお決まりのパターンだそうだ。 そして追いかけっこに決着がつく日はいつになるか不明で、その一人と一匹は、出口の見えないゲームをいつまでも楽しんでいるそうだ」 「な、なるほど。リヴァルが知っているのは、それだけか?」 「ん?ああ、俺が知っているのはそれだけだな。どうだ、なかなか面白いだろ?」 リヴァルがニコニコしながら、僕に尋ねてくる。うーむ、この話の内容は間違いなく、昨夜の僕だ。何だかんだで、少し楽しんでいた部分もあったし。 だが彼の話は、肝心な部分が抜けている。情報の仕入れ先も気になるが、とりあえず話しておかねば。ていうか、個人的に話したい。 「ああ、実に興味深いし面白いと思う。だが少しだけ、補足が必要なようだ」 「おっ、補足だって?この話題でライからそんな言葉が出るとは、意外だなあ。一体どんな補足なんだ、聞かせてくれよ」 興味深々な様子で身を乗り出すリヴァルに対し、僕は昨夜の体験から得たことを語ることにした。自分の失敗談をそのまま話すのはさすがに恥ずかしいので、あくまで都市伝説の補足という形でということにする。 「まず一つ。その男は今の所、猫の姿を一度も目で捉えていない。だがそれはあくまで『今の所』であって、いつか必ず猫を探し出し、決着をつけたがっているらしい」 「おお~、結構熱い男みたいだな。他にはないのか?」 「他にはだな、えーと…その男は追いかけっこに敗れるたび、財布を道に落としてしまったことに気づくんだ。そしてやっとの思いで財布を見つけると同時に、次のラウンドが始まるそうだ」 「お…おぉー、それは意外にドジな男ってことなのか?」 「ま、まあそういうことかも」 リヴァルの問いかけに対し、僕は少し視線をそらしつつ答える。「実は僕のことなんだ」とは、恥ずかしくて言えやしない。 「サンキューな、ライ。お前の補足、すごく面白かったぜ!また新しい情報仕入れたら、俺に教えてくれよ。俺も何かわかったら、すぐ教えるからさ!」 「あ、ああ」 上機嫌なリヴァルに肩をポンポンと叩かれ、僕は思わず頷いていた。こうやって都市伝説に乗せられているのを考えると、僕も彼も、すっかりあの猫に踊らされているのかもしれない。 だがそんな時間があっても、少しくらいはいいのかもしれないとも思えた。息抜きと、役立つかは微妙だが記憶探しのためにも。 (とりあえず今度から、財布はズボンのベルト通しに引っかける、チェーン付きにしようかな) そんなことを考えながら、僕は一時間目の準備を始めるのであった。 余暇 45 *
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「はぁ~い、探したわよ」 ある時、僕はアジトの中でラクシャータに声をかけられた。彼女の隣には、ゼロもいる。 「やあ、二人して僕に何か用事か?」 「うむ、ライにぜひ見て欲しい物がある。すぐに私の部屋まで来て欲しい」 「見て欲しい物?ゼロ、それは一体何なんだ?ラクシャータが一緒ということは、新型ナイトメアか新しい武装の図面かな。特区ができて戦争も収まってきたのに、本当に研究熱心だな」 僕がそう予想を立てると、ラクシャータがニッと笑う。 「フフ、残念ねぇ。悪いけど今回は、そっちじゃなかったのよぉ。まっ、ナイトメアの研究の片手間に、ゼロに頼まれて作った物なんだけど」 「へえ、そうなのか。何を作ったのか興味はあるな」 一体ゼロはラクシャータに何を頼んで、そして彼女は何を作ったんだろうか。 「まあ、一種の娯楽のようなものだよ。君も、そのつもりで気楽に見てもらえればいい。では行こうか」 僕はゼロやラクシャータと一緒に、彼の部屋へと向かうことにした。 そしてゼロの部屋に着くと、早速彼がラクシャータに指示を出す。 「よし、ラクシャータ。早速だが例のアレを」 「はいはい、せっかちな人ねぇ」 そしてラクシャータは部屋の隅へ行くと、一つの小さな球体を持って戻ってきた。 「私が作ったのは、これよぉ」 「……え、これって花の球根か?しかも、真っ黒じゃないか」 そう、僕が見せられているのは何かの植物の球根だった。しかも腐敗しているのかと勘違いするほど、黒い色をしている。 「うむ、私が彼女に頼んだのは、とある花の品種改良なのだよ。球根が真っ黒なのは改良を重ねた結果であり、決して腐敗などではない」 「花の品種改良だって?どうしてまた、そんなことを?」 僕が尋ねると、ゼロはポーズを決めながら答えた。 「よく聞いてくれた。特区日本が軌道に乗り、少しずつ平和がこの地に戻ってきた。だが特区を運営するには、何かと費用もかかるのは君も知っているだろう。 そこでだ、ゼロに関する斬新なグッズを大々的に世に売り出し、費用の足しにすることを決めたのだ」 「ざ、斬新なゼログッズ?もう少し普通の収入源は考えられなかったのか?」 するとゼロは、また別のポーズを決めながら話し始めた。いちいちポーズを決めないと話せないことなのか? 「ふっ、自分で言うのもおこがましいが、ゼロの人気は意外と高いのだぞ。それこそ上昇カーブ一直線だ!」 「カーブなのか直線なのか、どちらかにしてくれ。まあとにかく、この球根をどうやって売り込む気だ?何か人気が出るような、面白い特徴でもあるのか?」 するとゼロが、マントをはためかせて言った。 「愚問だな、ライ。当然用意してあるさ、ラクシャータ!」 「了解~」 ゼロに指示されたラクシャータが、土の入った植木鉢を持ってきた。僕は一体、これから何を見せられるのだろう。 「この球根だけど、みんなが『あっ』と驚くような特徴があるのよ。それをアンタに今から見せてあげるわぁ。まずは、球根を土に植えてっと」 「ふむ、土に植えるのは一緒なんだな」 「そして、お水をたっぷりあげるっと」 土の中に植えた球根に、ラクシャータがじょうろで水を与えていく。 「ラクシャータ。一体、この植物の特徴って何なんだ?まさか、すごく成長速度が速いとか?」 するとラクシャータが、ニヤッと笑ってみせる。 「いい所を突くわねぇ。そう、答えは……」 そう言ったラクシャータが、突然どこからかミニコンポを出してきた。そして一枚のCDをセットする。 「それじゃあ、ミュージック・スタートォ」 ラクシャータがスイッチを押すと、何やら軽快なメロディが聞こえてきた。だが何故だろう、この歌詞はどこかで聞き覚えがあるんだが。 「あの、この歌詞ってブリタニアでの式典か何かをテレビ中継している時に、聞いたような気がするんだが」 「ご名答ぉ、これはブリタニア国歌・ヒップホップヴァージョンよぉ。歌っているのは、最近デビューしたコルチャックwith不愉快な手下たちで……」 「ヒッ…ヒップホップ!?いいのかそれ、僕が気にすることじゃないけど。ていうか、そこは『不愉快な』ではなく『愉快な』にした方が…って!?」 僕は鉢植えに起きた異変に気づき、声を上げた。何と曲に合わせて、土の中から芽が出てくるではないか。 「ど、どういうことだ!」 「音楽のリズムに合わせて、自由に成長速度を変えられる。これが、この植物の特徴よぉ。面白いでしょ」 「お…面白いというか、むしろ不気味だぞ。何故か髪が勝手に伸びてくる、呪いの人形を想像してしまったぞ」 するとゼロが、抗議の声を上げる。 「失礼な男だな、私がせっかく提案したアイデアを、そのように評価するとは」 「って、君のアイデアだったのか!?しかし、これはさすがにシュール過ぎだろう」 「私もライの意見に同意するわぁ。自分の技術力を見せたいからあえて黙っていたけど、こんなのがニョキニョキ生えてきたら、小さな子供が泣かないとも限らないわよ?」 「んなっ!?ラクシャータ、君が以前私のアイデアを褒めてくれたのは、あれはウソだったと言うのか!」 ショックを受けたらしく、ゼロが頭を抱える。まさか共同開発者からこんなことを言われるとは、思いもしなかったろうな。 しかしラクシャータも、「開発前に指摘してやる」という選択肢はなかったんだろうか。今さら本音を言われても、余計にショックなだけだと思うのは僕だけだろうか。 「しかし…葉っぱも茎も全部真っ黒というのは、ゼロのグッズだからわからなくもないが、何となく縁起が悪そうだな」 「くっ、人が気にしていることを……。だがきっと、受け入れてもらえるはずだ!」 「あ、一応気にはなっていたんだな」 そんなことを話しているうちに、ブリタニア国歌・ヒップホップヴァージョンが終わった。そして植物はというと、これまた真っ黒なつぼみが、今にも開きかけている。 「五分もかからず、こんなに成長してしまうのか。ますます不気味だ」 「う、うるさい!さあ、もうすぐ花が咲くぞ」 僕たち三人が見つめる中、ついにつぼみは開いた。そしてその瞬間、僕は信じられない現象に遭遇することとなる。 『我が名は、ゼロ!』 「えぇっ!?は、花がしゃべった!」 ゼロの仮面に似た形の真っ黒な「ゼロの花」が咲いた瞬間、何とそれが言葉を発したのだ。当然僕は動揺し、頭の中が混乱してくる。 「フフッ、驚いたでしょ?この花はねぇ、何とゼロの言葉が話せちゃうのよ。それがもう一つの特徴にして、最大の売りなのよぉ」 「ラ、ラクシャータ。『売り』とは言うが、これは予備知識と心の準備がなければ、お年寄りだと体に響きそうだぞ。おもちゃじゃない限り、誰も花がしゃべるなんて思わないぞ」 「あら、仙波大尉はこれを見ても、『面白いものですな』とか言って笑っていたわよ?だからアンタが心配しなくても、大丈夫なはずよぉ」 「もう他の人で試したのか。ていうか、大尉で試しても一般の人との精神的強さが違い過ぎて、参考にならない気がする。あの人がどれだけ修羅場をくぐってきたと思っているんだ」 勝手に仙波大尉をお年寄りに分類しながら、僕はラクシャータに問題点と思ったことを指摘した。大尉には、後でそれとなく謝っておこう。 「ハハハ、この『ゼロ・チューリップ』の仕掛けに驚いているようだな」 「自分の仮面が、チューリップに似ているという認識はあったのか……」 ゼロが得意そうにポーズを決めながら、僕に話しかけてきた。 「だがこれで終わらないぞ。この花は、他にも言葉を話すのだよ」 「えっ、まだあるのか」 驚く僕をよそに、ゼロはチューリップに触れた。するとゼロ・チューリップが声を上げる。 『条件はすべてクリアされた!』 「よりによって…いや、何でもない」 ゼロのプライドを考えて、僕はあえて何も言わなかった。せめて、この企画が失敗しないように祈ってあげよう。 「フッ、最早言葉もないか」 「ああ、色々な意味でな。しかし、これをどう具体的に売り込むんだ?これは花屋というより、おもちゃ屋で売るべきなのか」 するとゼロが、またしてもポーズを決めながら言った。 「うむ、方法なら決まっているぞ。名づけて『百万本のゼロをあなたに』作戦だ!」 「ひゃ、百万本!?そんなに売り込む気なのか」 「そうだ。こいつを全世界に売り込み、資金を稼ぐのだ。そして見せてやろう、私が売り込む、忠実な花たちを!」 ゼロが高らかに宣言すると、懐からスイッチを取り出し、そのボタンを押した。 すると四方を囲んでいた部屋の壁が、まるで箱を解体した時のように外側に向かって倒れ、無数のゼロ・チューリップが三人を囲むようにして出現する。 『『『『我が名は、ゼロ!!』』』 「う、うわぁあああ!何だよこのチューリップ畑は!?ていうか、壁!壁が!」 頭の中が完全に混乱している僕をよそに、ゼロが話し始める。 「どうだ、この漆黒の花畑は!まさに壮観だろう!」 「まっ、待ってくれ!どこをどうツッコんだらいいかわからなくて、頭の中がグチャグチャだ!」 「なぁるほどね~、ライの頭の中がお花畑寸前ってことかぁ」 「待て、ラクシャータ!まだ思考回路まで放棄はしていないから!ていうか、何故平然としていられるんだ!」 頭の中を必死に整理しながら、僕はラクシャータにツッコむ。 「だってぇ~、これは私が作ったのよ。製作者が自分で作った物を見て動揺して、どうするのよ」 「くっ、理由が当然過ぎてツッコめない!」 何が何だかわからない僕の意識は、次第に白いモヤがかかってきた。思考を手放す時は、近いのかもしれない。 「喜べ、ライ。いつも帳簿を見てため息をつくお前の力に、もうすぐなってみせるぞ。私のカリスマ性と、この『ゼロ・チューリップ』の力でな!フハハハハハ!」 『『『フハハハハ!!』』』 百万と一人分のゼロの高笑いを聞きながら、僕の頭は思考を停止しようとしていた。 (ああ、悪い夢なら覚めてくれ。ていうか、そろそろ起きなきゃ。……え?起きる?起きるって――) 「うーん、うーん……はっ!?」 アジトのラウンジにあるソファの上で、僕は飛び起きた。仰向けになっていたせいか、背中が汗で濡れている。 「ゆ、夢かぁ…良かった。そう言えばさっき、疲れていたからソファの上で少し寝ようと、仰向けになったんだっけ。しかし、本当にとんでもない夢だった」 心の底から安どしながら、僕は床に足を下ろす。もうあんなカオスな夢は、二度と見たくないものである。 「はぁ~い、そこにいたのね。探したわよぉ」 するとそこへ、ラクシャータとゼロがやってきた。あれ?何か既視感が。 「どうした?二人して僕に何か用事か?」 頭の中に引っかかるものを覚えつつ、僕は二人に尋ねる。するとゼロが声を発した。 「うむ、ライにぜひ見て欲しい物がある。すぐ私の部屋まで来て欲しい」 (ちょっと待て、思い出したぞ。これって、さっきの夢の展開と同じじゃないか) 僕は少しずつ嫌な予感を胸の中で膨らませながら、一応尋ねてみる。 「見て欲しい物?ゼロ、それは一体何なんだ?ラクシャータが一緒ということは、新型ナイトメアか新しい武装の図面かな。特区ができて戦争も収まってきたのに、本当に研究熱心だな」 期せずして、夢の中と同じセリフを僕は口にした。するとラクシャータが、ニッと笑いながら言う。 「フフ、残念ねぇ。悪いけど今回は、そっちじゃなかったのよぉ。まっ、ナイトメアの研究の片手間に、ゼロに頼まれて作った物なんだけど」 (ま、まずい。ラクシャータのセリフまで夢の中と一緒じゃないか。いやいや、僕が気にし過ぎなんだ。そうだ、そうに違いない!) 僕は頑張って前向きな心を保つと、二人に言った。 「そ、そうなのか。何を作ったのか興味はあるな」 興味があるのは間違いない、怖いもの見たさとか色々な意味で。 「まあ、一種の娯楽のようなものだよ。君も、そのつもりで気楽に見てもらえればいい。では行こうか」 (ああ、正夢じゃなきゃいいなあ。さっきみたいに壁が倒れて百万本のゼロとかは、一応心の準備はできたがシュール過ぎる……) 僕は大きな不安を抱えながら、二人と一緒にゼロの部屋へと向かったのであった。 結論から言おう。ゼロの部屋で僕が見せられたのは、何と僕の愛機・試作型月下をモデルにしたボブルヘッド人形だった。触ると頭の部分がコミカルに揺れる、あのおもちゃのことだ。 実は黒の騎士団の女性団員たちの間で、僕及び試作型月下の人気が高まっているらしく、それを知ったゼロが、彼女たちのやる気向上のためにラクシャータに作らせていたらしい。 ちなみに僕はその事実を知った時、安心し切ってしまって思わず床にへたり込んでしまい、不思議がった二人に夢の話をして、大笑いされてしまったのであった。 余暇 43 *
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特区が成立して数ヶ月後、僕はシュナイゼル殿下の命により、EU戦線に参加していた。とは言っても、ここ数日は小康状態が続いており、今日もアヴァロン内で待機である。 (まあ本来であれば、戦闘がこれ以上続かずに平和的に終わってくれた方が、一番いいんだろうけどな。でもそれでは、ブラッドリー卿が収まらないだろうなあ) 休憩室のソファに腰掛け、同じく今回の作戦に参加しているナイトオブテンことルキアーノ・ブラッドリー卿の顔を思い浮かべながら、僕はため息をついた。 あの人はあまりにも好戦的過ぎて、どうも苦手である。そしてついでに言えば、僕にはどうしても理解できないことがあった。 (アレのデザインは、一体誰が考えたんだ) 僕が言う「アレ」とは、ブラッドリー卿直属の親衛隊・ヴァルキリエ隊が着用する、あのとんでもないパイロットスーツのことである。 アレを着た彼女たちの姿を初めて見た時、ハッキリ言って僕は、カルチャーショックに近い衝撃を受けた。 (やっぱりアレは、露出が大き過ぎると思うんだ。胸の辺りもそうだが、下の方は色々な意味でまずいだろう。いまだに恥ずかしくて、アレを着た彼女たちを直視できないんだぞ。 それにあんなのを着せられて、彼女たちは恥ずかしくないんだろうか。もしブラッドリー卿が考えたものだとしたら、一体何のために?) そんなどうでもいいようなことが、どうしても気になってしまう僕は、一人でずっと考え込んでいた。 念のため言っておくが、彼女たちをいやらしい意味で見ているわけではない。ただ単に、興味本位で気になってしまうだけである……多分だが。 (って、そろそろやめよう。彼女たちの姿が脳裏にチラついて、だんだん恥ずかしくなってきた) 小さく頭を振って僕が思考回路をリセットしようとすると、休憩室のドアが開いて、二人の女性が入ってきた。その二人は、さっきまで頭の中にいた当事者たちであった。 「あら、ライ卿じゃないですか。お疲れ様です」 「お疲れ様です」 「あ、ああ。お疲れ様」 ヴァルキリエ隊所属のリーライナとマリーカにあいさつされ、僕は若干動揺しつつも、あいさつを返した。間が悪いというか、タイミングが良過ぎる。 「ライ卿も休憩中ですか?」 向かい側のソファに腰掛け、リーライナが僕に尋ねてきた。彼女の隣に座ったマリーカとの二人分の視線を浴びながら、僕は頷く。 「ああ、そんな所だ。君たちもか?」 「ええ、そうです。さっきまでは、シミュレーターでフォーメーションの確認をしていたんですけど、一通り終わったので休憩です。ねっ、マリーカ?」 「はい。でも…今日は何だかルキアーノ様のご機嫌が優れないみたいで、いつもより怖かったです」 「あー、仕方ないわよ。最近は出撃回数がめっきり減ってきているから、きっとフラストレーションが溜まっていらっしゃるのよ。一回出撃すれば収まるから、気にしないで」 「そ、そうですか」 (何だか、微妙にブラッドリー卿の扱いが……) 二人の会話を聞きながら、僕は何とも言えない気持ちになっていた。ラウンズの親衛隊ってくらいだから、もっとお堅いイメージを持っていたんだが、意外に年相応っぽい。 リーライナに至っては、「本当にブラッドリー卿を尊敬しているのか」と思いたくなるようなことを、平気で言っている。 すると、そんな僕の思考を読み取ったのか、リーライナが微笑んだ。 「ふふっ、意外でしたか?ラウンズの親衛隊といっても、やっぱり人間ですから色々と思う所はあるんですよ。でも、決してルキアーノ様をお慕いしていないわけではないので、勘違いしないで下さいね。 それと、今のはオフレコとして聞き流していただけると、助かります。オンとオフの切り替えはしていきたいですけど、たまーにご本人に聞かれたくない話なんかも出ちゃうので」 「あ…ああ、わかった。何だか意外な裏側を知ってしまった気分だが、君たちを困らせるのは本意じゃないからな」 「理解していただけたようで、感謝します」 リーライナがウインクしながら、僕に礼を言った。初対面の時からそうだが、結構フランクな人である。 そしてリーライナの横では、マリーカがオロオロしながら、困ったような表情を浮かべていた。 「あ…あの、先輩。いくらオフレコだからって、ルキアーノ様のことをそんな風に言うのはどうかと……」 「そんなに心配しなくても大丈夫だってば、あまり過激なことは言わないから」 「そっ、そういう問題じゃありませんよぉ」 (楽しそうだな、きっとすごく仲がいいんだろう) そんな風に言い合う二人を眺めながら、僕は微笑ましく思っていた。だが彼女たちを見ているうちに、いったん心の中にしまっていた疑問が、再び湧き上がってくる。 (うーん、どうも気になるな。リーライナはともかく、マリーカはこの様子を見る限り、あのパイロットスーツは恥ずかしくて着られそうにないんだがな。 もし仮にそうだとすれば、彼女はかなり無理をして着ていることになる。実戦なら集中しているから大丈夫だろうが、シミュレーターだと、少しモチベーションに影響しないだろうか) そんなことを考えていると、やがて目の前にいる軍服姿の二人が、次第に例のパイロットスーツ姿に見えてきた。そして僕の思考回路は、ますますヒートアップしていく。 (いや、もしかするとシミュレーターによる訓練そのものが、パイロットスーツに対する羞恥心を取り除くプログラムなのかもしれない。 もしそこまで考えているなら、そこまでしてあのスーツを着せたい、あるいは着たいということになるが、一体何のため…に……) ふと我に返ると、僕はマリーカとリーライナから視線を向けられているのに気がついた。マリーカは何やら戸惑っているような、リーライナは少し面白げな表情にも見える。 しまった、夢中になり過ぎた。 「あっ、いや、その…すまない。少しボーっとしていた」 僕があわてて謝ると、リーライナが笑みを浮かべながら言った。 「いいえ、お気になさらず。でもどうしちゃったんですか、随分と真剣に私たちを見ていらっしゃいましたけど」 「そ、そんなに僕は君たちを見ていたのか?」 「は、はい。その…すごく……」 僕の問いかけに対し、マリーカが小さく頷く。どうやら僕は、自分の世界に入り込み過ぎて、彼女たちを困らせてしまっていたようだ。 「いや、本当に重ね重ねすまなかった」 「あ、いえ…大丈夫です。ですから、謝らないで下さい」 「ええ、マリーカの言う通りですよ。ところで……」 不意にリーライナが身を乗り出し、興味深そうに僕に尋ねる。 「一体、何を考えていらしたんです?こっそり教えて下さいよ」 「えぇっ?そ、それは……」 「あ、あの先輩。そんな無理に聞かなくても」 返答に窮する僕を見かねて、マリーカがリーライナをたしなめる。だがリーライナは「心配無用」とばかりに、手をヒラヒラさせながら言った。 「大丈夫ですよ、ここでの話は全部オフレコにしますから。さっき私たちの方もオフレコにしてもらったし、お互い様ですよ」 「えっ…あれ?私ってさっき、オフレコにしないといけないような発言しましたっけ?」 「一蓮托生、連帯責任よ」 「えぇーっ!?そんなぁ……」 マリーカは抗議するも、あっさりとリーライナにあしらわれ、しょげてしまった。頑張れ、マリーカ。 「で、どうなんですか?もし言いにくかったら、お隣まで移動して、小声でお話しできるようにしますけど」 「えーと、話しにくいと言えば話しにくいのは確かだが……」 「じゃあ、決まりですね。マリーカ、移動するわよ」 「えっ、ちょ…ちょっと先輩!?」 リーライナはソファから立ち上がると、マリーカの腕を引っ張りながら、僕の前まで来た。そしてマリーカを僕の隣に座らせると、僕を両側から挟むように、その反対側に腰掛ける。 二人の少女に密着されて僕が戸惑っていると、リーライナが僕の服の袖を引っ張った。 「さあ、これで大丈夫ですよ。どうぞ話して下さい」 「し、仕方がないな。じゃあ話すが、その…二人ともこの話を聞いたら、怒る…かもしれないぞ」 「あら、私たちを怒らせるような、いかがわしいことでも考えていたんですか?」 「うっ…み、見方によってはそうかもしれない」 「ラ、ライ卿が私に関する…いかがわしい想像を……」 頭の中で何をイメージしたのか、マリーカが顔を真っ赤にした。多分…だが、僕の考えていたことは、そこまで過激じゃないような気がする。もっとも、自分の中の基準でしかないが。 「マリーカが何を想像したのかは知らないけど、ライ卿も思い切って打ち明けて下さいな。怒ったりなんかしませんから。ねっ、マリーカ?」 「あっ、は、はい。ライ卿が何を考えていらしたのか、気になります。だから、私たちに教えて欲しいです」 「ま…まあ、そこまで言うなら」 僕は軽く咳払いすると、二人の顔色をうかがいつつ話し始める。 「実は前から気になっていたんだが、その…ヴァルキリエ隊のパイロットスーツは、かなり派手というか過激過ぎないか? あっ、け…決して変な意味ではなく、『アレを着せられて恥ずかしくないのか』とか、『誰がああいうデザインにしようと思ったのか』とか、色々気になってしまうんだ。 本当に単純な興味本位の疑問なんだが、その…そんな感じのことを考えて…いました……」 ためらう前に一気にまくし立てた僕であったが、次第に二人の反応が気になり、最後の方は何故か丁寧口調になってしまった。そして、恐る恐る二人の顔を見てみる。 「へぇ~、なるほどねぇ。ライ卿がアレに興味を持っていらっしゃるなんて、いいこと聞いちゃったかも」 「はぅぅ、ライ卿が私のあんな格好を、そんなに観察していらっしゃったなんて……」 僕の話を聞いた二人の反応はというと、リーライナは何やら楽しそうな表情をしており、マリーカは恥ずかしいのか、顔を真っ赤にしてうつむいてしまっていた。 「もしかしたらこれは言わない方が良かったのかもしれない」と、僕は今さらながらに後悔するのであった。 「でも意外ですね。ライ卿は真面目な方って印象があるから、こういう少しエッチなことには興味をお持ちにならないと思っていたんですけど」 「いや、だからそういう意味じゃなくて」 僕を見てニヤニヤするリーライナの言葉を、僕は必死に否定する。まあ内容が内容だけに、簡単に納得してもらえるかは自信がないけど。 「ふふっ、冗談ですよ。でも少し安心しました、変な目で見られていなくて。そうでしょ、マリーカ?」 「は、はい。興味を持たれたこと自体は恥ずかしいですけど、変な意味じゃないなら……」 「そ、それはどうも」 どうやら、納得してもらえたらしい。 「それで、実際にはどうなんだ?あの格好に抵抗ないのか?」 僕がそう尋ねると、リーライナが人差し指を顎の辺りに当てながら答える。 「うーん。確かに初めの頃は、ちょっと恥ずかしかったですね。何しろ胸が見えちゃうし、下の食い込みもすごいですから」 「く、食い込みって……。だがその言い方からすると、リーライナは慣れてきたのか?」 「ええ、最初の頃に比べれば。でもマリーカの方は、相変わらず恥ずかしがっていますけどね」 「せ、先輩は早く慣れ過ぎなんですよぉ……」 リーライナにからかわれ、マリーカが頬を染めた。 「何となく予想はできていたが、やっぱりマリーカは恥ずかしいのか?」 僕が尋ねると、マリーカはコクリと頷く。 「当然ですよぉ。最初にアレを見せられた時、本気で抵抗したんですから。結局逆らえなくて、着ることになりましたけど。 戦闘中や訓練中は、まだそっちに集中できるから気にならないんですけど、そうじゃない時は、いまだに恥ずかしくてたまらないんです」 「なるほどな。こういう時何て言えばいいかわからないが、その…大変なんだな。早くあの格好に慣れる…というより、いつでも平常心を保てるようになるといいな」 「そ…そうですね、ありがとうございます」 マリーカが頷きながら、笑みを見せる。そして疑問の一つを解決させた僕は、もう一つの疑問を投げかけた。 「それじゃあ、もう一つ聞きたい。あのパイロットスーツは、誰が言い出してああなったんだ?二人の様子から察するに君たちではないのだろうが、その辺はブラッドリー卿から何か聞いているか?」 そう言って僕がマリーカの方を見ると、彼女は首を横に振った。 「いいえ。入隊してから今まで、ルキアーノ様からは何も聞かされていないです」 「ふむ、ブラッドリー卿からの説明はなしか。このことについて疑問に思ったり、尋ねようと考えたことは?」 僕がさらにマリーカに尋ねると、途端に彼女の顔が青ざめた。 「そっ、そんなことルキアーノ様に聞けませんよぉ!確かに『何でだろう』とは思いますけど、ただでさえ話しかけるのが怖いのに、そんな質問なんか余計にできません!」 「あー……。ま、まあそうだろうなぁ」 マリーカの怖がり方を見て、僕は納得した。確かにこんなくだらない質問をしようものなら、ブラッドリー卿にどんな反応をされるかわかったものじゃないし、彼女にとっては命がけの冒険になってしまうだろう。 そんなことを考えつつ、僕は次にリーライナの方を見た。 「じゃあ、リーライナはどうだ?」 「うーん。確かに気にはなりますけど、あえて聞こうとは思いませんね。聞きづらいのもありますけど、色々想像した方が楽しいし」 「想像?それはどういう意味だ?」 僕が聞き返すと、リーライナは言葉を続けた。 「ふふっ。例えばですね、『ルキアーノ様は女性にああいうキワドイ格好をさせる趣味をお持ちなのかな』とか、『お年頃のヴァインベルグ卿を困らせるためのいたずらかしら』とか、そりゃもう色々と」 「想像とはいえ直属の上司、それもラウンズのブラッドリー卿に、そんなコメントに困る趣味を持たせるのはどうかと思うぞ。あと、ヴァインベルグ卿まで想像のネタにするな」 僕は一応、リーライナに注意しておいた。別に頭の中だけで想像して楽しむのは自由だが、さすがに怖いもの知らずにも程があると思ったのだ。 「ふふっ、ライ卿って真面目だけど意外に楽しい方なんですね」 「かっ、からかうな。とにかく二人の話をまとめると、『二人ともパイロットスーツに対して何かしらの疑問を持っているが、色々あって聞きにくい』ってことだな?」 「そしてライ卿も興味がある、と」 「そういうことになるな」 リーライナの言葉に僕が頷くと、彼女がニッコリ笑って続けた。 「じゃあ、もう決まりですね。この疑問を解決するには、ライ卿がルキアーノ様に質問すればいいんですよ」 「えっ…いや、それはちょっと待て。僕だって、こんな質問をブラッドリー卿にするのは恥ずかしいし、反応が怖いんだが」 ただでさえ話しかけにくいのに、「ヴァルキリエ隊のパイロットスーツは何故あんなにキワドイんですか」なんて尋ねようものなら、ブラッドリー卿に変な誤解を持たれてしまう。 それに下手をすれば、もしこの話題が彼の前ではタブーだった場合、死活問題になりかねない。 「ふふっ、大丈夫ですよ。ルキアーノ様はああ見えて、意外とお優しい方なんです。 ライ卿の質問がお気に召さなかったとしても、『ナイフでジワジワ責める』、『銃で楽にする』、『ナイトメアで苦痛もなく一瞬で』、この三つの選択肢から自由に選ばせて下さいますよ」 「制裁前提!?ていうか、それのどこが優しいのか、さっぱりわからないぞ!」 「同じ死ぬのでも、苦痛があるのとないのでは、かなり違うじゃないですか。その辺の相手の心情を優先なさるのが、ルキアーノ様の『せめてもの』優しさです」 「ああ、そういうことか…って納得できるか!こんな質問のために、何故命を危険にさらす必要があるんだ!」 戦場で騎士として散るならまだしも、こんなトリビア級の疑問を解決するためだけに、命を投げ出す真似はできない。まだやりたいことは、たくさんあるのに。 「オホン…と、とりあえず真正面から質問をぶつけるのはやめよう。少し無謀過ぎる」 「じゃあ、それとなく聞き出してみます?色々と質問してみて、そこから推察するとか」 「で…でも、そもそもこの疑問って、そこまでして解決しないといけないものなんでしょうか。 だって、ヴァルキリエ隊のパイロットスーツがああいうデザインなのは事実ですし、別に疑問を解決しても、日々の生活に特に影響もないのでは……」 するとマリーカの言葉に反応したリーライナが、人差し指を「チッチッチ」と振りながら答える。 「それを言っちゃあおしまいよ、マリーカ。私たちがこの疑問を解決したい理由は、損得勘定でも何でもないの。ただ、真相を知りたいだけなの。 ほら、疑問が解決した瞬間の快感を味わうのって、気持ちいいでしょ?その疑問が今回は、偶然パイロットスーツだっただけのこと。だから難しく考えないで、楽しんじゃえばいいのよ」 「な…なるほど、そういうものなんですね。私はやっぱり、まだまだ視野が狭いです。ありがとうございました先輩、勉強になります」 妙に熱い調子で、納得できたらしいマリーカが頷いた。この変に生真面目な所は、あの兄譲りなんだろうか。 「だがリーライナ、今の僕には、とてもじゃないがこんな質問はブラッドリー卿にできない。戦い方や今までの経験談を聞くならともかく、こんな話題はよほど親しい間柄でないと、切り出すのすら難しい。 それに、僕は大した階級もないただの軍人だが、向こうはあのナイトオブラウンズだぞ。親しいか否か以前に、僕があの人にこんな質問をするのは、失礼過ぎると思う」 「あ…た、確かにそうですよね。直属の親衛隊である私たちでもためらうような質問なのに、ライ卿にとってはもっと大変なお話ですよね」 僕の問題提起に納得したマリーカが、表情を曇らせる。そう、現実的に見て、僕とブラッドリー卿の間にある壁は、色々な意味で強固で高い。 もしその現実を無視した会話を僕が持ち出せば、冗談抜きでどうなるかわからないのだ。 「ふむ、今のライ卿には無理難題…ってことですか」 「ああ、残念ながらな」 顎に指を当てて思案顔になるリーライナに対し、僕はそう返した。「個人的に気になる疑問ではあったが、疑問のままで終わるのも仕方ないか」と、考えながら。 「まあそういうことだし、申し訳ないがこの話は……」 僕がそう言って話を切り上げようとした、その時だった。 「そうだ!この手があったわ!」 「うおっ!?」 「ひゃあっ!?せ…先輩、どうしたんですか?」 突然リーライナが叫び、僕とマリーカは飛び上がって驚いた。どうやら何か思いついたようだが、一体どうしたんだろう。 「今のライ卿とルキアーノ様の間には、確かに色々な問題があります。だったら時間をかけて、それを取り除いてしまえばいいんですよ!」 「うーん、『取り除く』とは言うが、具体的にどうするんだ?」 僕が首を傾げながら尋ねると、リーライナは得意げに言った。 「簡単な話ですよ、ライ卿もルキアーノ様みたいに、ナイトオブラウンズになっちゃえばいいんです♪」 「「……はい?」」 その言葉を聞いた瞬間、僕とマリーカの思考回路が、ほぼ同時に凍りついたような気がした。とりあえず、何なんだこの展開は。 「いや…リーライナ、『なっちゃえばいいんです♪』じゃないだろう。ノネットさんにも『ラウンズを目指せ』とは言われたが、ラウンズなんて、そんな簡単になれるものじゃないって」 「大丈夫ですよ、ライ卿ならきっとなれます。すごく優秀だと思いますし、私の周りの人たちのライ卿に対する評価も、結構高いんですよ」 「うーん。そうやって期待されるのは光栄だが、ラウンズになる自信なんてないぞ。 それにだな、その…『ヴァルキリエ隊のパイロットスーツができた経緯を知りたいから』という動機は、ラウンズを目指し始める動機としては、あまりにも不純過ぎると思うんだが」 「そっ、そうですよ。確かにライ卿なら、ラウンズにだってなれるかもしれません。でもさすがにその動機は、周りの方々や皇帝陛下には口が裂けても言えませんよぉ」 僕に同調するかのように、マリーカもリーライナに訴えた。だがリーライナは、僕たちの反対意見をサラリと受け流す。 「それなら表向きの動機だけで、何とでもなりますよ。でもどうせなら、洗いざらい皇帝陛下にお話ししてもいいんじゃないですか? 逆に『面白い奴だ、自分も気になっていたのだ』とかおっしゃって、ラウンズ入りを認めて下さるかもしれませんよ」 「たっ、他人のことだからって無茶苦茶言うなぁ!」 「もう問題発言はやめて下さーい!聞いているこっちの方が、怖くなっちゃいますよぉ!」 リーライナの問題発言に対して、僕とマリーカが鋭くツッコミを入れた。とんだ猫かぶりである。 「あははっ、冗談ですよ。本当に二人とも、反応がいちいち面白いんだから」 「まったく、君って人は……」 「はぅぅ、先輩の冗談は体に悪いです~」 僕とマリーカは、そろって大きなため息をついた。まさか、休憩室でリラックスどころか、こんな嵐みたいな時間を過ごす羽目になろうとは。 「まっ、パイロットスーツの謎は、もう少しだけ謎のままにしておきましょうか。現状を考えると、解決するのは難しそうですし、もう少しだけ色々と想像したいですから」 「想像云々に関してはノーコメントだが、現状を考えれば、先送りが賢明かもな。いつか解決できる日が来るといいが」 「そ、そうですよね。そんなに無理してまで、疑問の解決を急ぐ必要はありませんよ」 別に解決できなくても良さそうな小さな話題が、いつの間にやら解決することを前提にした話題へと変化してしまったものの、この場は何とか収まりそうな気配がしてきた。 待機中のこの時間で、知り合って間もないこの二人との距離を縮め、少しでも仲良くなれたという意味で、この話題は意外に良かったと思う。彼女たち以外の人には、なかなか切り出しにくい部類のものではあったが。 「よし、ではそろそろこの辺で……」 僕がそう言って立ち上がり、休憩室を出ようとした時だった。不意に僕の服の袖をつかみ、リーライナが声をかけてきた。 「あっ、待って下さい。もう少しだけ、ライ卿にお聞きしたいことが」 「ん?どうしたんだ、リーライナ」 首を傾げつつ僕が尋ねると、リーライナがいたずらっぽく笑う。 「パイロットスーツに関する疑問は、とりあえず保留でも構いません。でも個人的に、ライ卿が私たちのパイロットスーツ姿をどう思っていらっしゃるのか、もう少し掘り下げて知りたいんですよねー」 「えっ、ほ、『掘り下げる』って…具体的には?」 何だか嫌な予感のしてきた僕を見上げながら、リーライナは答えた。 「まあ言ってしまえば、『男性としてどの辺が気になるか』ですね。そう、例えば『食い込みに見入ってしまう』とか、『胸の谷間が気になる』とか。あっ、でもマリーカに谷間はないか」 「ちょっ、まだこの話題を続けるのか!?しかも一気に話しづらい内容になってきたぞ!」 「せっ、せんぱーい!ライ卿の前でそんな、わっ、私の胸の話なんかしないで下さいよぉ!しかも『谷間がない』とか、一番気にしていることをあっさりと!」 そんな恥ずかしい話など、できるはずがない。いや、確かにヴァルキリエ隊のパイロットスーツ姿は目に毒で、男として気にならないこともない。 でもさすがに、その辺の話を当人たちの前ではできないし、何より今にも卒倒しそうな表情のマリーカを見ていると、自分の返答次第で本当に倒れそうだから怖いのだ。 「マリーカ、これは大事な話よ。ライ卿が私たちを、もっと言えば女性をどういう風に見ていて、好みの傾向がどういう感じなのか、推察できるんだから。 あなたは胸を気にするけど、もしかしたらライ卿は、小さい方が好みかもしれないじゃない。そう、あなたやアールストレイム卿みたいな、慎ましい女性がタイプかもしれないのよ。これって、確かめる価値あるんじゃない?」 「あぁっ、そ…そう思うと、少しだけ…気になってきたかもしれません。でもこれってライ卿に迷惑をかけているような、でももし…ライ卿さえよろしければ、ぜひ……」 「なっ、マ、マリーカまで!?」 今までリーライナを止める役割の多かったマリーカまでもが、僕の予想に反して彼女側に回り、遠慮がちな上目づかいで僕を見つめてきた。 そして、その反則的な表情のおかげで、僕はすっかり逃げ場を失ってしまった。ていうか、申し訳なくて逃げられそうにない。 「ふふっ、どうやら観念なさったようですね。ではもう少しだけ、お付き合い下さいね」 「ごめんなさい、でももう少しだけ…いいですか?」 「くっ、し…仕方がないな。じゃあ少しだけだぞ。あっ、それと…お手柔らかに頼みます」 とうとう観念した僕は、自分でも情けなくなるような態度と声色で二人にお願いした後、再び二人の間に腰を下ろすのであった。 それからしばらくの間、僕は二人から質問攻めに遭い、かなり恥ずかしい思いをしたのであった。ていうか、意外にマリーカが積極的で驚いた。 まあ僕が解放された頃には、二人とも満足そうな表情をしていたし、僕にとっても二人の意外な一面を見ることができて、それなりに有意義な時間だったと思う。まあ願わくば、もうこれ以上の恥ずかしい思いはしたくないけど。 余暇 45 *
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ある日曜日の午後のことだった。僕は学園の中庭を、ナナリーの車椅子を押しながらゆっくりと歩いていた。周りでは様々な花が綺麗に咲き誇り、僕の心を楽しませてくれている。 「風も気持ちいいし、暖かくて空もスッキリ晴れている。まさに散歩日和だな」 「ええ、本当にそうですね。お花のいい香りがして、鳥の鳴き声が聞こえて、すごく心がウキウキしてきます」 僕に車椅子を押されながら、ナナリーが微笑む。いい天気なので彼女を散歩に誘ってみたのだが、楽しんでくれているみたいで本当に良かった。 「おっ、風が…ん?」 そして僕たちのそばを風が通り抜けた時、花壇の隅で小さな何かが揺れるのが目に入ってきた。 「ライさん、どうかしましたか?」 「いや。今一瞬だが、花壇の隅に何かあるような気がしたんだ」 それは気づかぬまま素通りしてしまうような、本当に小さな存在に思えるものだったが、何故か気になった僕は視線を落とし、花壇の隅の方を見た。 そして視線の先に見える「何か」の正体が、ついに明らかとなる。 「あっ、これって四つ葉のクローバーじゃないか」 僕が見つけたのは、小さな四つ葉のクローバーだった。綺麗な花たちの影に隠れるように、決して自分の存在をアピールすることなく、クローバーは四枚の葉を空に向けて広げている。 「えっ、四つ葉のクローバーですか?確か滅多に見つからない珍しい物で、幸せを運ぶって言い伝えがあるんですよ」 「ああ、それは僕も知っている。実際に幸せが訪れるかどうかは別として、何だか得した気分だ」 「ふふっ、良かったですね。ライさんが嬉しそうだと、私も嬉しいです。これも四つ葉のクローバーが運んできてくれた、幸せなのかもしれませんね」 ナナリーが笑みを見せ、僕も楽しくて笑みを返した。彼女が言うように、四つ葉のクローバーは本当に幸せを運ぶのかもしれないな。 「でも四つ葉のクローバーって、何だか懐かしいです」 ふとナナリーが、昔を懐かしむような表情を見せた。 「小さい頃、庭園でお兄様と一緒に四つ葉のクローバーを探して、すごく楽しかったのを思い出します。もうあれから、何年過ぎたんでしょう」 「へえ、その頃からルルーシュと仲が良かったんだな。君たちは本当に理想的な、いい兄妹だな」 僕が声をかけると、ナナリーは恥ずかしそうに頬を染めた。 「あ、ありがとうございます。でもそんなに褒められたら、嬉しいですけど何だか恥ずかしいです」 「恥ずかしがることはない。そしてこれからも、二人で仲良くして欲しい」 「は…はい、そうします。あっ、でも私は二人だけじゃなくて、ライさんや他のみなさんとも、その…もっと仲良くなりたいです。どなたも、すごく大切な方ですから」 「ありがとう、ナナリー。僕も君と同じ気持ちだ。君や学園の人たちには感謝しているし、できるならこれからも仲良くしていきたい」 優しいナナリーらしい言葉に、僕も正直な気持ちを返した。僕はお世話になっている人たちが好きだし、恩返しがしたいから。 そして何より、彼女の優しい笑顔をいつまでも見ていたいから。 「ナナリー、この四つ葉のクローバーはどうしようか。もし良かったら、君が持っていてもいいんだぞ。僕は今ここにある幸せだけで、十分幸せだから」 ナナリーにとって、四つ葉のクローバーは昔を思い出させてくれる物らしいので、「彼女が持っていた方がいいのでは」と思った僕はそう提案した。 だが彼女は、静かに首を横に振る。 「いいえ、そのままにしてあげて下さい。その四つ葉のクローバーも、花壇で人知れず芽吹いて、この世界で懸命に生きているんです。 そんなクローバーを、私たちの都合で摘み取って持ち帰るなんて、何だかかわいそうじゃないですか」 「ふむ。確かに君の言う通り、無粋な真似はしない方がいいかもしれないな。それにこの場所で偶然見つけるからこそ、幸せが訪れるんだろうし。 すまない、ナナリー。君の思い出に関わる物だから、どうかなと思ったんだ」 謝る僕に対し、ナナリーは優しい笑みを向けながら言った。 「いいえ、気にしないで下さい。ライさんは私のためを思ってそう言って下さったんですし、その優しさは嬉しいです。 でも私にとって大切なのは、『過去』ではなく『今』であり、そして『未来』なんです。みなさんと一緒にいられるこの瞬間が大好きで、この平和で優しい世界が、いつまでも続いて欲しいんです。 もし私がこの四つ葉のクローバーにお願いするとすれば、『この世界がいつまでも優しい気持ちを忘れないように、これからも誰かに小さな幸せを届けて下さい』といった所でしょうか。 みなさんが笑顔と『幸せだな』って気持ちを持ち続けられることが、私にとって一番の幸せですから。ライさん、こんな私って変ですか?」 「ナナリー……」 ナナリーの言葉を聞いて、僕は胸の中が温かい気持ちになるのを感じていた。そして僕は彼女のそばにひざまずくと、彼女の手を優しく取った。 「全然変じゃない、むしろ君らしくて素敵な願いだと思う。ナナリーは本当に優しくて、人を温かい気持ちにさせてくれる素敵な女性だと僕は思う」 「そ、そんなことないです。ライさんは、その…私のことを褒め過ぎだと思います。あまり褒められてしまうと、何だか恥ずかしいです」 ナナリーが恥ずかしそうに頬を染め、モジモジする。そんな姿さえ、僕には愛らしく映った。 「それは悪かった。でも今のは僕の本心だから、撤回するつもりはない。それにナナリーにはいつまでも、今の優しい君のままでいて欲しいから」 「うぅ、ライさんって何だかずるいです。でも…ライさんが言うように、私も今の気持ちを忘れずにこれからも過ごしたいです。もちろん、みなさんやライさんと一緒に」 ナナリーが僕の手を握り、その想いを僕に伝えてくる。僕も彼女の手をそっと握り返すと、優しく声をかけた。 「ああ、僕も同じ気持ちだ。そしてナナリーの願いが四つ葉のクローバーに届いて、叶うといいな」 「はい、叶うといいですね」 僕とナナリーは手を握り合い、優しい日差しと風の中で笑い合った。どうか風に揺られている四つ葉のクローバーが、彼女の願いを聞き入れて世界中に幸せを届けてくれますように。 余暇 43 *