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登録日:2014/08/25 (月) 19 20 11 更新日:2023/12/06 Wed 01 26 38NEW! 所要時間:約 3 分で読めます ▽タグ一覧 MARCH クライス スーパーフリー 北野武 商学部 国際日本学部 大学 大学項目 御茶ノ水 情報コミュニケーション学部 政治経済学部 文学部 明大前 明治大学 星野仙一 東京六大学 東京都 法学部 理工学部 箱根駅伝 経営学部 総合数理学部 農学部 明治大学とは、東京都千代田区に本部のある私立大学である。 大学の略称は「明治」か「明大」。大学のイメージカラーは紫紺。紫紺は大学の応援歌や施設にも名付けられている。 1881年に開校された明治法律学校が前身で、1920年に大学に昇格した。 東京六大学の一角を占めており、MARCHの「M」である。世間一般では難関大学に分類され、MARCH内では安定して上位に位置づけされている。 最近は受験生からの人気が非常に高く、受験生の数が全国1位になったこともある。特に近年は定員厳格政策によって偏差値も上昇しつつある。 □学部 法学部 政治経済学部 商学部 文学部 経営学部 理工学部 農学部 情報コミュニケーション学部 国際日本学部 総合数理学部 学生数は約30000人(学部のみ)で、全国有数のマンモス校である。 □キャンパス 駿河台キャンパス 国際日本学部以外の文系学部の3・4年生、同大学院生が使用。 最寄駅は御茶ノ水。中央本線・東京メトロ丸ノ内・千代田線が乗り入れ、非常に交通の便が良好な場所にある。 シンボルはリバティタワー。実際ここに憧れ受験する人も多いとか。また、学内の博物館は一見の価値がある。勘違いされがちだが、リバティタワー以外にも周辺に校舎が点在している。 大学周辺は飲食店・楽器店・スポーツ用品店など学生生活に必要なものは揃っており、少し足を伸ばせば神保町や秋葉原にも徒歩で行くことができる。資格予備校もあるため勉強ガチ勢にもやさしい。 中身は教室を16階まで積み重ねており、どの階も構造が似通っていることから、授業後の移動の際に迷うことがある。 エレベーターも低層用/高層用とも停止階が全て奇数のため、とにかく移動がしにくい。 和泉キャンパス 国際日本学部以外の文系学部の1・2年生が使用。 京王線の明大前駅の名称の由来になっているキャンパスであり、新宿・渋谷から近くアクセスは良好。 ビル型キャンパスになっている駿河台に対し、ここは体育施設などがあり比較的こじんまりとしたキャンパスになっている。 3年次以降で2年までの必修を取りこぼしてしまうと駿河台と和泉の往復生活になってしまう。学生からは「和泉返し」と呼ばれ怖れられていたり、経験者からはネタにされたりする。 かつて国際日本学部は4年間ここだった。中野キャンパスが出来るまでの話だったけど。 2014年に新図書館の竣工するなど、近年再開発が進みつつある。 生田キャンパス 理工・農学部、同大学院生が使用。 最寄駅は生田。別名生田農工大学と言われる。道路を挟んで向かいに専修大学のキャンパスがある。和泉や駿河台と違い、山の上にキャンパスがある。 向井理やビートたけし、山本美月が学んだのはここ。 中野キャンパス 国際日本・情報数理学部、同大学院生が使用。 最寄駅は中野。2013年に開設された一番新しいキャンパス。ブロードウェイが近いので…。やっぱりオタク贔屓じゃないか! 図書室の蔵書も、ジブリといった日本のアニメ文化をまじめに研究したものに力をいれている。 また、こちらも帝京平成大学のキャンパスと隣接している。 □校風 かつては第2早稲田大学と揶揄されたのも昔の話。最近は芸能人の入学、学内のIT化、学部の新設などに力を入れ、硬派な部分とスマートな部分がうまく混ざっている。 実際バンカラな学生は少なくなり、多種多様な学生が入り乱れたカオス空間と化している。 スポーツが盛んで野球・ラグビーは勿論のこと、それ以外のスポーツでも(特に早稲田・慶応・法政との試合)非常に盛り上がる。スポーツでは早慶には負けられないからね。しょうがないね。 □オタク活動 上記にも書いてあるが、秋葉原から徒歩圏内、米澤嘉博の出身校(本人は理工学部出身)というのもあり、オタク関係のサークル活動は非常に盛んである。 また、2014年度に漫画専門図書館の「東京国際マンガ図書館」が完成した。オタクにはどんどん住み心地の良い大学になっている。 □出身者 三木武夫(元内閣総理大臣) 村山富市(元内閣総理大臣) 星野仙一(元プロ野球選手、監督) 高田繁(横浜DeNAGM) 広沢克己(元プロ野球選手) 川上憲伸(元プロ野球選手) 柳裕也(プロ野球選手) 佐野恵太(プロ野球選手) 長友佑都(サッカー選手) 吉田秀彦(柔道選手) 栃乃和歌(現春日野親方) 雅山(現二子山親方) 栃乃花(現二十山親方) 玉力道(現二所ノ関親方) 植村直己(登山家) 山下智久(NEWS) 井上真央(女優) 北川景子(女優) 高倉健(俳優) 立川志の輔(落語家) 三宅裕司(タレント) 北野武(タレント、映画監督) 藤森慎吾(お笑い芸人) 安住紳一郎(TBSアナウンサー) 三ツ矢雄二(声優) あかほりさとる(脚本家、小説家) ヤマグチノボル(シナリオライター、小説家) 清野大地(元俳優、会社員) など・・・。 追記・修正はoh-o!meijiシステムにログインしてからお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] テニス部のアレ、嫌な事件だったね… -- 名無しさん (2014-08-25 19 49 21) なんだかんだでお咎め無しだったしね -- 名無しさん (2014-08-25 20 08 45) あんなスーフリもどきなところまで早稲田の真似せんでおとなしく涙橋を渡ってりゃあいいものを -- 名無しさん (2014-08-25 21 08 57) 早稲田の事件も当時騒がれたのに、今となっちゃどこ吹く風。明治もそうなるんだろう。 -- 名無しさん (2014-08-25 23 43 23) 自分が通ってた時、「中核派の資金源になってるから利用するな!」と生協に対する注意が告知されてたなw今はどうなってんだろ・・・ -- 名無しさん (2014-08-26 03 12 28) テニス部じゃなくてテニスサークルなんだよなあ・・・。 -- 名無しさん (2014-08-26 20 03 41) ↑2 十年くらい前に潰されて売店その他の運営は明大サポート(大学の外郭企業)が運営してる。しばらく抗議活動は続いてたみたいだけど -- 名無しさん (2014-08-26 21 21 42) で、タグや卒業生にKYNや清野大地さんがいないのはどういうことなんですかねえ…。 -- 名無しさん (2014-08-26 21 39 21) ↑8 若い奴等が馬鹿やって頑張ってるんだから許してあげようよ -- 名無しさん (2014-08-26 21 41 48) 仕事で駿河台キャンパスに行ったことがあるが、「ヘルメットを被り角材を持って学内に入ってはいけない」という掲示が未だにあって笑った。今の学生意味分かんないんじゃないかなぁ…? -- 名無しさん (2014-08-27 00 42 48) このサイト的には清野大地さんは明治大学のそうそうたるOBの一員として扱われているんだぁ、たまげたなぁ~。 -- 名無しさん (2014-09-08 20 23 49) そうそうたる顔触れの中で唯一独立項目がある清野大地さんって何者なんですかね…?(すっとぼけ) -- 名無しさん (2015-03-03 21 40 38) しれっと混じってるゲスいOBで草 -- 名無しさん (2015-03-06 08 45 46) MARCHの序列はこんなイメージ。中央法学部>明治≒立教>青山学院>中央(法以外)≒法政 -- 名無しさん (2020-07-31 10 00 01) 数年前の和泉祭で「学園祭を粉砕せよ!」とかいうヘルメット連中が明大前駅で騒いでたなあ。未だにそういう雰囲気が残ってるのはおかしいやら怖いやら -- 名無しさん (2020-08-23 23 06 30) いまと昔でイメージがかなり違うのでは、むかしといっても四半世紀前はバンカラ!!だったのがいまは女子大生の憧れなのだから -- 名無しさん (2023-02-24 22 12 55) 名前 コメント
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政治用語集 特に大事な政策は赤字で、国際的な動向は青字で表記 戦後期 | 高度経済成長期 | 安定成長期 | バブル経済期 | 失われた10年期 | 現在 戦後期(1945~1954) 占領軍による民主化、立て直し期 GHQにより戦争によって疲弊した国家の復興、民主化の推進、軍関係者の排除が行われる 東久邇稔彦(1945.8~10) 終戦直後の暫定政権。 ポツダム宣言の調印。武装解除、治安維持法、特高警察の廃止。 幣原喜重郎(1945.10~1946.5) 親米派、戦前にも国際秩序に基づく幣原外交で活躍 労働組合法、第一次農業改革、財閥解体、女性参政権 吉田茂(第一次 1946.5~1947.5) 日本自由党。すぐれたリーダーシップで戦後の復興に貢献、有能な政治家を輩出。総理大臣を5回経験 日本国憲法を施行労働関係調整表、労働基準法、第二次農業改革、独占禁止法、教育基本法 片山哲(1947.5~1948.3) 日本社会党 失業保険の創設、国家公務員法、過度経済集中排除法 芦田均(1948.3~1948.10) 民主党、様々な法案を施行するも昭和電工事件により総辞職 政令201号 国際社会への復帰、戦後復興、逆コース 朝鮮戦争の影響によりアメリカの意向で反共、再軍備の機運が高まる。国家として独立を果たす。 吉田茂(1948~1954) 民主自由党→自由党 経済安定9カ条指令(第二次) ドッジライン実施、単一為替ルート設定、シャウプ勧告、警察予備隊、サンフランシスコ平和条約、日米安全保障条約調印、(第三次) 防衛庁、自衛隊発足(第五次) 上へ 高度経済成長期(1955~1973) 55年体制、自主的外交方針 自由民主党による保守一党優位の政治体制が始まる。社会主義国との関係構築にも取り組む。 鳩山一郎(1954.12~1956.12) 日本民主党総裁、公職追放の身でありながら復活後日本民主党を立ち上げる。 GATT(関税及び貿易に関する一般協定)加盟(第二次) 日ソ共同宣言、国際連盟加盟(第三次) 石橋湛山(1956.12~1957.2) 自民党、鳩山一郎の後を継ぐも病気のため3ヶ月で辞職、立正大学学長 経済大国の仲間入り、日米安保 大規模な経済発展により先進国の仲間入りを果たすが、公害、核家族といった問題も抱える。 冷戦の激化に伴い日米関係が重要になる。安保反対運動や左翼の過激化もこの時期 岸信介(1957.2~1960) 自民党。戦前に満州に渡り人脈を作る。A級戦犯として公職追放の身に。 道徳教育の導入、新日米安全保障条約、年金制度 池田隼人(1960~1964) 自民党。「寛容と忍耐」をスローガンに経済発展を推進、。 所得倍増計画、農業基本法、IMFに移行、OECD(経済発展協力機構)に加盟 佐藤栄作(1964~1972) 自民党。岸信介の弟。領土の返還や公害対策にも力を入れる。「持たない、作らない、持ち込まない」の非核三原則でノーベル平和賞受賞 日韓基本条約、公害対策基本法、小笠原諸島返還協定、新安保条約自動延長、環境庁設置、沖縄返還 経済成長の終焉 経済発展の場を都市から地方へ。一方でインフレ、ドルの変動為替制に伴う円高、石油不足等で経済成長が衰えていく。 田中角栄(1972~1974) 自民党。国と地方の格差を減らすために大規模なインフラを行う。コンピューター付きブルドーザーとも呼ばれた 日本列島改造論、日中共同声明、国土庁設置 上へ 安定成長期(1974~1986) 三木武夫 (1974~1976) 自民党三木派、革新保守路線。金権政治脱却目指す。 選挙改革(政治資金規正法改正、公職選挙法改正、自民総裁公選規定改正着手)、独禁法改正着手、赤字国債発行特例法、日米司法共助協定、ロッキード疑獄と党内分裂により衆院選大敗北 55年体制からの移行期 自民党が安定過半数を失う 福田赳夫(1976~1978) 自民党岸派。社会主義勢力との協調と連帯、野党との議席拮抗により予算案など譲歩。岸派継承のタカ派的行動も。 独禁法改正、自民総裁公選規定改正、日中平和友好条約、元号法制化閣議決定、有事立法研究指示。 大平正芳 自民党大平派。池田派後継の戦後型統治派だが、国債発行残高穴埋めのための消費税導入提起。 信頼と合意の政治、和の政治、文化重視の時代を掲げる。ただし殆ど実現を見なかった。 鈴木善幸 自民党大平派。元社会党。大平政治・和の政治を継承するも、増税なき財政再建と行政改革を目標とする。参議院選挙改革も行う。 行政の合理化民営化による「小さな政府」を目指す新保守主義的政策の端緒となるが、第二次石油危機の補填のこともあり実現せず。 参議院選挙での拘束名簿式比例代表制導入。 日米関係の強化、新保守主義路線の明確化 中曽根康弘 自民党中曽根派、田中派支持。鈴木政治の増税なき財政再建を継承するも、不可能だとし、間接税導入を検討し始める。当初タカ派的発言が目立つも後退。 日本独自の福祉国家(活力ある福祉国家と積極的国際貢献)を掲げる。86年体制の成立を豪語。新保守主義的路線の具体化 三公社民営化(電電公社、専売公社、国鉄)、規制緩和、教育改革(「たくましい文化と福祉の国」建設の礎として)、総務庁設立、衆議院定数是正、間接税導入(売上税)失敗 予算概算要求でのマイナスシーリング導入。 上へ バブル経済期(1987~1990) 竹下登 自民党竹下派。税制改革中心。消費税の導入を行う。リクルート事件の影響を受け退陣。 税制改革6法(消費税など)成立。ふるさと創生事業。 宇野宗佑 自民党中曽根派。政治改革中心の「改革前進内閣」を掲げるも、女性スキャンダルに悩まされる。参議院選での自民大敗北により辞任。短命に終わる。 海部俊樹 自民党河本派。新保守主義的路線による政治改革中心だが、証券スキャンダルの影響で実現せず宮沢政権に引き継がれる。 野党の影響により消費税の見直しも行う。また途中湾岸危機・湾岸戦争により日本の国際貢献について問われることとなる。 政治改革関連法案(衆議院選挙での小選挙区制or小選挙区比例代表並立制導入、政治献金原則禁止、政党への公的助成制度)失敗、国連平和協力法案(失敗)、PKO法案 上へ 失われた10年期(1991~2000年代) バブル崩壊による景気の悪化、東西冷戦の終結 宮沢喜一(1991~1993) 自民党。自衛隊のカンボジア派遣。不況脱却できず佐川急便事件も相まって政治不信が高まる 公的資金による不良債権の処理(頓挫)、PKO協力法案 55年体制の崩壊様々な党が連立し政権を得る。38年続いた自民党一党時代の終わり 細川護煕(1993~1994) 日本新党。非自民、非共産からなる8党の連立政権。消費税に代わる国民福祉税を構想するも受け入れられず。 環境基本法、議院に小選挙区比例代表制導入、食糧管理法 羽田孜(1994.4~6) 新政党。少数与党政権で発足するも、内閣不信任決議案により総辞職。公共料金年内値上げを凍結 村山富一(1994.6~1996) 日本社会党。阪神淡路大震災の対応に遅れ支持率を下げる。 「自衛隊合憲、日米安保堅持」発言、破壊活動防止法、税制関連法、戦後50周年の終戦記念日にあたっての村山首相談話(日本の戦争責任、従軍慰安婦等) 再び自民党政権へ 新自由主義への最初の挑戦 橋本龍太郎(1996~1998) 自民党。「日本経済の再建」「長寿社会の建設」「自立的外交」「行政改革」の4つを最重要課題とする. 金融ビッグバン、住宅金融専門会社への公的資金投資、銀行・証券・保険等金融業の規制緩和、金融庁設置、消費税・医療費値上げ、京都議定書 小渕恵三(1998~2000) 自民党。官房長官時代に年号「平成」を発表。「真空宰相」と呼ばれる。沖縄問題に力を入れる。 金融再生法、周辺事態法、通信傍受法、国旗・国歌法、労働者派遣法改正、地域振興券、ブッチホン、ゼロ金利政策 森善朗(2000~2001) 自民党。IT革命を謳い外交に尽力。 沖縄サミット、e-japan戦略、IT基本法、中央省庁の再編 上へ 現在(2000年代~) 新自由主義の台頭 小泉純一郎 安倍晋三 福田康夫 麻生太郎 民主党政権 こちらもあわせてどうぞ やる夫で学ぶ戦後史 メモ 以下はwiki用語解説の編集にあたって使用した参考文献・資料の一覧です。 Wikipedia内各ページ 中窪裕也・野田進「労働法の世界」2013年 浅田正彦「国際法」東信堂 2011年 ジュリアン・ルグラン「準市場 もう一つの見えざる手」 法律文化社 2010年 芦部信善「憲法」岩波書店 2011年 浦部法穂 「現代憲法講義1」法律文化社 1993年 阿部彩 「子どもの貧困ー日本の不公平を考える」岩波新書 2008年 橋本俊詔「格差社会 何が問題なのか」岩波新書 2006年 金融情報サイト-iFinance http //www.ifinance.ne.jp/ 外務相HP http //www.mofa.go.jp/mofaj/index.html その他各新聞記事及びwebページ 上へ
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シーマンからの提案で、山手線ゲームができるようになります。 100円単位で、100円~3,000円まで掛け金を決めて対戦します。 掛け金により問題の難易度が異なるようです。 ※チェックボックスで発言済か否か確認できるようにしてみました。 ※情報お持ちでしたら、掛け金・お題を当wikiトップページのフォームまでお寄せ戴ければ幸いです。 練習問題ビートルズのメンバー 100円~2,000円クラス(?)世界三大珍味 世界四大文明 五街道 Windowsのバージョン(95以降) ポーカーの役 太陽系の惑星 星座 干支 東北地方の都道府県名 関東地方の都道府県名 近畿地方の都道府県名 中部地方の都道府県名 四国地方の都道府県名 中国地方の都道府県名 九州地方の都道府県名 3,000円クラス東京23区 徳川十五代将軍 国民の休日 山手線の駅名 総理大臣フルネーム(昭和) 総理大臣フルネーム(平成) 都道府県名 練習問題 ビートルズのメンバー ジョン・レノン ジョージ・ハリスン ポール・マッカートニー リンゴ・スター 100円~2,000円クラス(?) 世界三大珍味 キャビア トリュフ フォアグラ 世界四大文明 インダス エジプト 黄河 メソポタミア 五街道 奥州街道(おうしゅうかいどう) 甲州街道(こうしゅうかいどう) 東海道(とうかいどう) 中山道(なかせんどう) 日光街道(にっこうかいどう) Windowsのバージョン(95以降) 95 CE NT 98 Me(エムイーorミレニアム) 2000 Movile(モバイル) XP Vista(ヴィスタ) ポーカーの役 ワンペア ツーペア スリーカード ストレート フラッシュ フルハウス フォーカード ストレートフラッシュ ロイヤルストレートフラッシュ 太陽系の惑星 水星(すいせい) 金星(きんせい) 地球(ちきゅう) 火星(かせい) 木星(もくせい) 土星(どせい) 天王星(てんのうせい) 海王星(かいおうせい) 星座 おひつじ座 おうし座 ふたご座 かに座 しし座 おとめ座 てんびん座 さそり座 いて座 やぎ座 みずがめ座 うお座 干支 子(ねずみ) 丑(うし) 寅(とら) 卯(うさぎ) 辰(たつorりゅう) 巳(へび) 午(うま) 未(ひつじ) 申(さる) 酉(とり) 戌(いぬ) 亥(いのしし) 東北地方の都道府県名 ★北海道は含めるのか未確認です。 青森(あおもり) 岩手(いわて) 宮城(みやぎ) 秋田(あきた) 山形(やまがた) 福島(ふくしま) ★北海道(ほっかいどう) 関東地方の都道府県名 ★山梨は中部地方に含める地方分けもあります。未確認です・・・。 茨城(いばらき) 栃木(とちぎ) 群馬(ぐんま) 埼玉(さいたま) 千葉(ちば) 東京(とうきょう) 神奈川(かながわ) ★山梨(やまなし) 近畿地方の都道府県名 京都(きょうと) 大阪(おおさか) 滋賀(しが) 兵庫(ひょうご) 奈良(なら) 和歌山(わかやま) 中部地方の都道府県名 ★山梨は関東に含める地方分けもあります。未確認です・・・。 新潟(にいがた) 富山(とやま) 石川(いしかわ) 福井(ふくい) 長野(ながの) 静岡(しずおか) 愛知(あいち) ★山梨(やまなし) 四国地方の都道府県名 徳島(とくしま) 香川(かがわ) 愛媛(えひめ) 高知(こうち) 中国地方の都道府県名 鳥取(とっとり) 島根(しまね) 岡山(おかやま) 山口(やまぐち) 広島(ひろしま) 九州地方の都道府県名 ★沖縄まで含むかは未確認です。 福岡(ふくおか) 佐賀(さが) 長崎(ながさき) 熊本(くまもと) 大分(おおいた) 宮崎(みやざき) 鹿児島(かごしま) ★沖縄(おきなわ) 3,000円クラス 東京23区 千代田区(ちよだく) 中央区(ちゅうおうく) 港区(みなとく) 新宿区(しんじゅくく) 文京区(ぶんきょうく) 台東区(たいとうく) 墨田区(すみだく) 江東区(こうとうく) 品川区(しながわく) 目黒区(めぐろく) 大田区(おおたく) 世田谷区(せたがやく) 渋谷区(しぶやく) 中野区(なかのく) 杉並区(すぎなみく) 豊島区(としまく) 北区(きたく) 荒川区(あらかわく) 板橋区(いたばしく) 練馬区(ねりまく) 足立区(あだちく) 葛飾区(かつしかく) 江戸川区(えどがわく) 徳川十五代将軍 家定(いえさだ) 家重(いえしげ) 家継(いえつぐ) 家綱(いえつな) 家斉(いえなり) 家宣(いえのぶ) 家治(いえはる) 家光(いえみつ) 家茂(いえもち) 家康(いえやす) 家慶(いえよし) 綱吉(つなよし) 秀忠(ひでただ) 慶喜(よしのぶ) 吉宗(よしむね) 国民の休日 元日(がんじつ) 成人の日(せいじんのひ) 建国記念日(けんこくきねんび) 春分(しゅんぶん) 昭和の日(しょうわのひ) 憲法記念日(けんぽうきねんび) みどりの日(みどりのひ) こどもの日(こどものひ) 海の日(うみのひ) 敬老の日(けいろうのひ) 秋分(しゅんぶん) 体育の日(たいいくのひ) 文化の日(ぶんかのひ) 勤労感謝の日(きんろうかんしゃのひ) 天皇誕生日(てんのうたんじょうび) 山手線の駅名 東京(とうきょう) 有楽町(ゆうらくちょう) 新橋(しんばし) 浜松町(はままつちょう) 田町(たまち) 品川(しながわ) 大崎(おおさき) 五反田(ごたんだ) 目黒(めぐろ) 恵比寿(えびす) 渋谷(しぶや) 原宿(はらじゅく) 代々木(よよぎ) 新宿(しんじゅく) 新大久保(しんおおくぼ) 高田馬場(たかだのばば) 目白(めじろ) 池袋(いけぶくろ) 大塚(おおつか) 巣鴨(すがも) 駒込(こまごめ) 田端(たばた) 西日暮里(にしにっぽり) 日暮里(にっぽり) 鶯谷(うぐいすだに) 上野(うえの) 御徒町(おかちまち) 秋葉原(あきはばら) 神田(かんだ) 総理大臣フルネーム(昭和) ★全昭和首相を記載しましたが、 もし日本国憲法下の歴代内閣が問題な場合は、「片山哲」以降が答えとなります。 田中義一(たなか ぎいち) 浜口雄幸(はまぐち おさち) 若槻禮次郎(わかつき れいじろう) 犬養毅(いぬかい つよし) 齋藤實(さいとう まこと) 岡田啓介(おかだ けいすけ) 廣田弘毅(ひろた こうき) 林銑十郎(はやし せんじゅうろう) 近衛文麿(このえ ふみまろ) 平沼騏一郎(ひらぬま きいちろう) 阿部信行(あべ のぶゆき) 米内光政(よない みつまさ) 東条英機(とうじょう ひでき) 小磯国昭(こいそ くにあき) 鈴木貫太郎(すずき かんたろう) 東久邇宮稔彦王(ひがしくにのみやなるひこおう) 幣原喜重郎(しではら きじゅうろう) 吉田茂(よしだ しげる) ★片山哲(かたやま てつ) 芦田均(あしだ ひとし) 鳩山一郎(はとやま いちろう) 石橋湛山(いしばし たんざん) 岸信介(きし のぶすけ) 池田勇人(いけだ はやと) 佐藤榮作(さとう えいさく) 田中角榮(たなか かくえい) 三木武夫(みき たけお) 福田赳夫(ふくだた たけお) 大平正芳(おおひら まさよし) 鈴木善幸(すずき ぜんこう) 中曽根康弘(なかそね やすひろ) 竹下登(たけしたのぼる) 総理大臣フルネーム(平成) 宇野宗佑(うの そうすけ) 海部俊樹(かいふ としき) 宮沢喜一(みやざわ きいち) 細川護熙(ほそかわ もりひろ) 羽田孜(はた つとむ) 村山富市(むらやま とみいち) 橋本龍太郎(はしもと りゅうたろう) 小渕恵三(おぶち けいぞう) 森喜朗(もり よしろう) 小泉純一郎(こいずみ じゅんいちろう) 安倍晋三(あべ しんぞう) 都道府県名 北海道(ほっかいどう) 青森(あおもり) 岩手(いわて) 宮城(みやぎ) 秋田(あきた) 山形(やまがた) 福島(ふくしま) 茨城(いばらき) 栃木(とちぎ) 群馬(ぐんま) 埼玉(さいたま) 千葉(ちば) 東京(とうきょう) 神奈川(かながわ) 新潟(にいがた) 富山(とやま) 石川(いしかわ) 福井(ふくい) 山梨(やまなし) 長野(ながの) 岐阜(ぎふ) 静岡(しずおか) 愛知(あいち) 三重(みえ) 滋賀(しが) 京都(きょうと) 大阪(おおさか) 兵庫(ひょうご) 奈良(なら) 和歌山(わかやま) 鳥取(とっとり) 島根(しまね) 岡山(おかやま) 広島(ひろしま) 山口(やまぐち) 徳島(とくしま) 香川(かがわ) 愛媛(えひめ) 高知(こうち) 福岡(ふくおか) 佐賀(さが) 長崎(ながさき) 熊本(くまもと) 大分(おおいた) 宮崎(みやざき) 鹿児島(かごしま) 沖縄(おきなわ)
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{{日本の内閣記事|すずきかんたろう ないかく|42|鈴木貫太郎|Template 和暦?|4月7日|同年|8月17日|大日本政治会など。|なし|なし|http //www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/42.html|枢密院議長|画像= |画像説明=鈴木貫太郎内閣の閣僚}} 概要 鈴木貫太郎内閣は、前の小磯内閣の総辞職を受けて、枢密院議長の鈴木貫太郎が組閣した内閣である。 内閣が発足した1945年(昭和20年)4月30日にベルリンでアドルフ・ヒトラー総統が自殺したため、翌5月7日にナチス・ドイツは無条件降伏した。国内各都市への日本本土空襲は日増しに激しくなり、同年6月23日には沖縄における組織的戦闘が終結するなど、日本の敗色は濃厚となっていた。同年7月26日にアメリカ合衆国・中国・イギリスから発表されたポツダム宣言に対して、鈴木首相は、同月28日に「政府としては重大な価値あるものとは認めず黙殺し、斷固戰争完遂に邁進する。」とコメントする。一方で内閣は、戦争の早期終結を図り、日ソ中立条約によって中立国となっていたソビエト連邦を通じた和平工作を模索していた。 しかし、翌8月6日に広島、同月9日には長崎に原子爆弾が投下されて壊滅的な被害を受け、同じ9日にはソ連軍が満州国に侵攻する(ソ連対日参戦)など、和平工作の失敗が明白となった。この8月9日深更から開かれた最高戦争指導会議および閣議の御前会議は、ポツダム宣言を受諾して降伏するか、あくまでも本土決戦を期して戦争を遂行するかで議論は紛糾した。鈴木首相は昭和天皇の聖断を仰ぎ、「国体護持」を条件として、ポツダム宣言受諾に意見統一した。翌8月10日、内閣は、ポツダム宣言を受諾するにあたり、「万世一系」の天皇を中心とする国家統治体制である「国体」を維持するため、「天皇ノ国家統治ノ大権ヲ変更スルノ要求ヲ包含シ居ラザルコトノ了解ノ下ニ受諾」すると付言して、連合国側に申し入れた。これに対し、連合国側は、天皇の権限は、連合国最高司令官の制限の下に置かれ、日本の究極的な政治形態は、日本国民が自由に表明した意思に従い決定されると回答した米国の方針、「日本国憲法の誕生」国立国会図書館。 。この回答を受けて、8月14日に再度の御前会議が開かれ、再び鈴木首相が聖断を仰いで、最終的にポツダム宣言の無留保受諾が決定された。天皇は終戦の詔書を発布し、即座に連合国側にその旨通告された。この詔書の中では「国体ヲ護持シ得」たとしている。国民に対しては、翌8月15日正午から、ラジオ放送を通じて、天皇自ら終戦の詔書を朗読する形で、ポツダム宣言の受諾が伝えられた(玉音放送)。 大任を終えた鈴木内閣は、8月17日、閣内の意見を統一できず、聖断を仰ぐに至った責任を取るためとして、内閣総辞職した。 閣僚 総理大臣 男爵鈴木貫太郎(予備役海軍大将[海兵14期]) 1945年(昭和20年)4月7日 - 同年8月17日 外務大臣 男爵鈴木貫太郎(首相兼任・予備役海軍大将[海兵14期]) 1945年(昭和20年)4月7日 - 同年4月9日 東郷茂徳(貴族院所属 無所属倶楽部・元官僚 外務省) 1945年(昭和20年)4月9日 - 同年8月17日 内務大臣 安倍源基(官僚 内務省) 1945年(昭和20年)4月7日 - 同年8月17日 大蔵大臣 広瀬豊作(官僚 大蔵省) 1945年(昭和20年)4月7日 - 同年8月17日 陸軍大臣 阿南惟幾(軍人 陸軍大将 [陸士18期]) 1945年(昭和20年)4月7日 - 同年8月14日 阿南が8月15日に自殺したため、総辞職の8月17日まで陸相欠員。 海軍大臣 米内光政(軍人 海軍大将 [海兵29期])(小磯内閣から留任) 1945年(昭和20年)4月7日 - 同年8月17日 司法大臣 松阪広政(官僚 司法省)(小磯内閣から留任) 1945年(昭和20年)4月7日 - 同年8月17日 文部大臣 太田耕造(貴族院所属 無所属倶楽部) 1945年(昭和20年)4月7日 - 同年8月17日 農商大臣 石黒忠篤(貴族院所属 無所属倶楽部) 1945年(昭和20年)4月7日 - 同年8月17日 軍需大臣 豊田貞次郎(予備役海軍大将 [海兵33期]) 1945年(昭和20年)4月7日 - 同年8月17日 運輸通信大臣 - 同年5月19日廃止 豊田貞次郎(軍需相兼任・予備役海軍大将 [海兵33期]) 1945年(昭和20年)4月7日 - 同年4月11日 小日山直登(貴族院所属 無所属・実業家、鉄鋼統制会理事長) 1945年(昭和20年)4月7日 - 同年5月19日 運輸大臣 - 同年5月19日設置 小日山直登(貴族院所属 無所属・実業家、鉄鋼統制会理事長) - 運輸通信相から転じる 1945年(昭和20年)5月19日 - 同年8月17日 大東亜大臣 男爵鈴木貫太郎(首相兼任・予備役海軍大将 [海兵14期]) 1945年(昭和20年)4月7日 - 同年4月9日 東郷茂徳(外相兼任・貴族院所属 無所属倶楽部・元官僚 外務省) 1945年(昭和20年)4月9日 - 同年8月17日 厚生大臣 岡田忠彦(衆議院 大日本政治会) 1945年(昭和20年)4月7日 - 同年8月17日 国務大臣 桜井兵五郎(衆議院 大日本政治会) 1945年(昭和20年)4月7日 - 同年8月17日 国務大臣 左近司政三(予備役海軍中将[海兵28期]・貴族院所属 同和会) 1945年(昭和20年)4月7日 - 同年8月17日 国務大臣(情報局総裁) 下村宏(貴族院所属 研究会) 1945年(昭和20年)4月7日 - 同年8月17日 国務大臣 安井藤治(予備役陸軍中将[陸士18期]) 1945年(昭和20年)4月7日 - 同年8月17日 内閣書記官長 迫水久常(貴族院所属 無所属) 1945年(昭和20年)4月7日 - 同年8月17日 法制局長官 村瀬直養(貴族院所属 研究会) 1945年(昭和20年)4月7日 - 同年8月17日 政務次官 外務政務次官 子爵伊東二郎丸(貴族院 研究会) 1945年(昭和20年)5月15日 - 同年8月22日 内務政務次官 窪井義道(衆議院 大日本政治会) 1945年(昭和20年)5月15日 - 同年8月22日 大蔵政務次官 中村三之丞(衆議院 大日本政治会) 1945年(昭和20年)5月15日 - 同年8月22日 陸軍政務次官 小山邦太郎(衆議院 大日本政治会) 1945年(昭和20年)5月15日 - 同年8月22日 海軍政務次官 綾部健太郎(衆議院 大日本政治会) 1945年(昭和20年)5月15日 - 同年8月22日 司法政務次官 浜野徹太郎(衆議院 大日本政治会) 1945年(昭和20年)5月15日 - 同年8月22日 文部政務次官 伯爵橋本実斐(貴族院 研究会) 1945年(昭和20年)5月15日 - 同年8月22日 厚生政務次官 三善信房(衆議院 大日本政治会) 1945年(昭和20年)5月15日 - 同年8月22日 大東亜政務次官 豊田収(衆議院 大日本政治会) 1945年(昭和20年)5月15日 - 同年8月22日 農商政務次官 上田孝吉(衆議院 大日本政治会) 1945年(昭和20年)5月15日 - 同年8月22日 軍需政務次官 野田武夫(衆議院 大日本政治会) 1945年(昭和20年)5月15日 - 同年8月22日 運輸通信政務次官 真鍋儀十(衆議院 大日本政治会) 1945年(昭和20年)5月15日 - 同年8月22日 参与官 外務参与官 鶴惣市(衆議院 大日本政治会) 1945年(昭和20年)5月15日 - 同年8月22日 内務参与官 小泉純也(衆議院 大日本政治会) 1945年(昭和20年)5月15日 - 同年8月22日 大蔵参与官 西川貞一(衆議院 大日本政治会) 1945年(昭和20年)5月15日 - 同年8月22日 陸軍参与官 子爵大岡忠綱(貴族院 研究会) 1945年(昭和20年)5月15日 - 同年8月22日 海軍参与官 男爵神山嘉瑞(貴族院 公正会) 1945年(昭和20年)5月15日 - 同年8月22日 司法参与官 男爵倉富鈞(貴族院 公正会) 1945年(昭和20年)5月15日 - 同年8月22日 文部参与官 伊藤五郎(衆議院 大日本政治会) 1945年(昭和20年)5月15日 - 同年8月22日 厚生参与官 斎藤正身(衆議院 大日本政治会) 1945年(昭和20年)5月15日 - 同年8月22日 大東亜参与官 南雲正朔(衆議院 大日本政治会) 1945年(昭和20年)5月15日 - 同年8月22日 農商参与官 藤本捨助(衆議院 大日本政治会) 1945年(昭和20年)5月15日 - 同年8月22日 軍需参与官 三木武夫(衆議院 大日本政治会) 1945年(昭和20年)5月15日 - 同年8月22日 運輸通信参与官 羽田武嗣郎(衆議院 大日本政治会) 1945年(昭和20年)5月15日 - 同年8月22日 脚注 Template 脚注ヘルプ? Template reflist? 参考文献 鈴木貫太郎伝記編纂委員会編「鈴木貫太郎伝」鈴木貫太郎伝記編纂委員会,1960 鈴木貫太郎「終戦の表情」労働文化社,1946 迫水久常「機関銃下の首相官邸—2・26事件から終戦まで—」恒文社,1964 迫水久常「大日本帝国最後の四か月」オリエント書房,1973 迫水久常「降伏時の真相」『自由国民』1946年2月特集号 聞き手三國一郎 「私の昭和史5」 文春文庫、1987 外部リンク 鈴木内閣 - 首相官邸 「日本国憲法の誕生」 - 国立国会図書館 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月18日 (火) 14 58。
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Template 基礎情報 軍人? 鈴木 貞一(すずき ていいち、1888年12月16日 - 1989年7月15日)は、日本の軍人、陸軍中将。千葉県出身。通称「背広を着た軍人」。「三奸四愚」と呼ばれた東条英機側近三奸の一人とされる。 略歴 千葉県の地主である鈴木八十吉の長男として生まれ、東京の成蹊学舎、京北中学校を経て、1910年に陸軍士官学校(22期)、1917年に陸軍大学校(29期)を卒業。元々は満州の森林開発に携わることを志望しており、卒業後も支那問題に関する研究を続けたことから、参謀本部の支那班・作戦課での勤務を命じられ、上海及び北京、武漢に駐在。 1929年5月19日、石原莞爾・永田鉄山・東條英機・板垣征四郎ら陸軍中堅将校が結成した一夕会に参加。1931年、三月事件に参加。情報戦・宣伝戦のエキスパートとされ、北京時代以来、古野伊之助との縁も深い。 鈴木は前述の通り、「背広を着た軍人」と呼ばれていたように、実戦部隊での経験はあまり無く、対外的・官僚的な仕事に携わるケースが多かった。1931年の満州事変勃発に伴い、軍務局勤務になると同時に、自らが代表となって満蒙班を立ち上げ、ほぼ独断といった状態で満洲政策を推し進めることとなる。その際、白鳥敏夫や森恪と連携して国際連盟脱退論を主張し、軍部における連盟脱退推進派としてその名が知れ渡るようになる。 1934年、新聞班長となる。 1936年の二・二六事件の際には、山下奉文と共に青年将校の説得に当たった。 1938年4月14日に第3軍参謀長、同年12月16日興亜院政務部長に就任(~昭和16年4月)。1940年8月1日、中将に昇進。同年12月23日、興亜院総務長官心得に就任。1941年4月4日、予備役編入となる。それと同時に、第2次近衛内閣国務大臣兼企画院総裁に就任。以後、第3次近衛内閣・東條内閣でそれぞれ国務大臣を務める。東條内閣の際には、イギリスのインド植民省を真似て大東亜省を設立し、外務省のアジア関係の権限を全て陸軍が奪い取り、自らが事実上の外務大臣に成り上がろうとしたが、大臣には青木一男が任命され、失敗に終わっている。 大東亜戦争(太平洋戦争)開戦直前の1941年10月-12月の御前会議において、日本の経済力と軍事力の数量的分析結果に基づき、開戦を主張した。会議において鈴木は、ABCD包囲網等により石油が禁輸されてしまった以上、3年後には供給不能となり、産業も衰退し軍事行動も取れなくなり、支那だけではなく満洲・朝鮮半島・台湾も失ってしまうだろう、と主張した。故に、天皇に「座して相手の圧迫を待つに比しまして、国力の保持増進上有利であると確信致します」と述べたうえで、米英蘭と開戦し、南方資源地帯を占領することが必要不可欠だ、ということを説明した。 また、戦後の鈴木へのインタビューによれば、企画院総裁就任の当初、船舶の損耗率の問題で対米戦争は困難という分析結果を発表していたが、東條内閣の成立と同時に、海軍が責任を持って損耗率を抑えるから大丈夫だと主張したため、「心配はない。この際は戦争した方が良い」という見解に変わった、と述べている。加えて、前述の通り、物資がないために開戦に踏み切ったのであって、支那事変(日中戦争)が泥沼化した時点で、既に開戦は不可避だったと認識していた、とも語っている。 1942年2月、大東亜建設審議会幹事長に就任。1943年10月8日、貴族院議員に就任し、内閣顧問、大日本産業報国会会長を務める。 戦後 終戦後の1945年12月3日、A級戦犯に指定された。極東国際軍事裁判で鈴木がA級戦犯として告訴された最大の要因は前述の御前会議において開戦を主張したことにあるとされている(陸軍中将ではなく、企画院総裁という文官としての立場で起訴された)。終身禁固の判決を受け服役する。1955年9月17日に橋本欣五郎、賀屋興宣とともに仮釈放され、1958年に赦免された。 赦免後は、「電力王」と呼ばれた松永安左エ門の要請で産業計画会議委員へ一度就いたが、岸信介内閣成立後の1959年に、自民党から参院選出馬への要請を受けるも、「もう私の時代は終わった」「一度、頂点の舵取りを誤った者は、二度とその職に付くべきではない」と拒否し、公的な役職に就くことはなかった。しかし、保守派の御意見番として、自民党の国会議員から意見を求められることが多く、佐藤栄作のブレインとして彼を支え続けたほか、岸信介や福田赳夫、三木武夫とも懇意にしていたと言われている。 その後は、1973年に東京都世田谷区から千葉県山武郡芝山町にある生家に居住し、静かな余生を送った。ちなみに、近所の住民からは「閣下」と呼ばれていたという。 平成元年、100歳で没した。A級戦犯としては、唯一平成まで存命した最後の生き残りであった。葬儀は東京都杉並区の福相寺で営まれ、葬儀委員長は福田赳夫が務めた。 逸話 前述の通り、元々は満洲の森林開発に携わる仕事に就くことを希望しており、そのことから東京大学農学部を志望していたが、直前に予行演習のつもりで受けた陸軍士官学校に合格したので、そのまま軍人になった。 人格円満で社交術に長け、周囲に対しても非常に気立てが良いことで知られており、新聞班長に任命されたのもそのような性格に起因したものだったと言われている。 長年、朝になると発声による健康管理を行っていた。特に巣鴨プリズン収監中は、鈴木の声が獄中の目覚まし代わりになっていたという。 NHKドキュメンタリー『スガモ・プリズン解体』(1971年放送)出演時のインタビューでは、東京裁判について「連合軍が我々を裁く根拠がない。そう言ったら、彼らは『人民の名に於いて』とか言った。人民の名などという法的根拠はない。結局、戦争に負けたから、我々は裁かれるのだ」と語っていた。 NHK特集『戒厳指令 交信ヲ傍受セヨ ~二・二六事件秘録~』(1979年2月26日放送)に出演し、二・二六事件当時の様子を語っている。この番組では、事件当時戒厳司令部によって傍受・録音された鈴木及び家族の肉声が放送されている。この取材および録音内容については、番組のプロデューサーだった中田整一の著書『盗聴 二・二六事件』(文藝春秋、2007年)に記されている。 前述の通り、福田赳夫と懇意にしていたことから、1972年の自民党総裁選で、福田が田中角栄に敗れた際には、孫に「やることがなくなってしまった。政治が金で買えるようになったらお仕舞いだ」と語った。 実家は日蓮宗の信徒であったことから、毎日「南無妙法蓮華経」の題目を唱えることを欠かさなかった。 臨終間際に孫達が「お祖父さん!」と呼びかけても反応しなかったにもかかわらず、その場に居合わせた看護婦の提案により「閣下!」と呼んだところ、目を開いたという。 年譜 1910年(明治43年)5月 - 陸軍士官学校卒業(22期)。 12月 - 少尉に昇進。歩兵第18連隊附。 1913年(大正2年)12月 - 中尉に昇進。 1917年(大正6年)11月 - 陸軍大学校卒業(29期)。 1918年(大正7年)7月 - 参謀本部附勤務。 1919年(大正8年)1月 - 大蔵省派遣(~10月)。 1920年(大正9年)4月 - 大尉に昇進。参謀本部員(支那斑)。 11月 - 参謀本部附(上海駐在)。 1922年(大正11年)2月 - 参謀本部員(作戦課)。 1923年(大正12年)8月 - 参謀本部附(北京駐在)。 1925年(大正14年)12月 - 少佐に昇進。歩兵第48連隊附。 1926年(大正15年)8月 - 歩兵第48連隊大隊長。 12月 - 支那出張(~1927年5月)。 1927年(昭和2年)5月 - 参謀本部員(作戦課)。 1929年(昭和4年)2月 - イギリス出張(~10月)。 12月 - 支那公使館付武官補佐官(北京駐在)。 1930年(昭和5年)3月 - 中佐に昇進。 1931年(昭和6年)1月 - 軍務局附。 8月1日 - 軍務局課員(支那班長)。 1933年(昭和8年)8月1日 - 新聞班長。 12月20日 - 大佐に昇進。 1934年(昭和9年)3月5日 - 陸軍大学校教官。 1935年(昭和10年)5月25日 - 内閣調査局調査官。 1936年(昭和11年)8月1日 - 歩兵第14連隊長。 1937年(昭和12年)11月1日 - 少将に昇進。第16師団司令部附(内閣企画院調査官)。 1938年(昭和13年)4月14日 - 第3軍参謀長。 12月16日 - 興亜院政務部長。 1940年(昭和15年)8月1日 - 中将に昇進。 12月23日 - 興亜院総務長官心得。 1941年(昭和16年)4月4日 - 予備役編入。企画院総裁。 1943年(昭和18年)10月 - 貴族院議員(~1945年12月)。 11月 - 内閣顧問(~1944年10月)。 1944年(昭和19年)9月 - 大日本産業報国会会長(~1945年8月)。 参考文献 木戸日記研究会 『鈴木貞一氏談話速記録』上下、日本近代史料研究会、1974年。 平塚柾緒、太平洋戦争研究会 『図説 東京裁判』 河出書房新社、2002年。 『A級戦犯―戦勝国は日本をいかに裁いたか』 新人物往来社、2005年。 小林よしのり 『いわゆるA級戦犯』 幻冬舎、2006年。 太平洋戦争研究会 『秘録東京裁判の100人』 ビジネス社、2007年。 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年12月3日 (水) 13 40。
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靖國神社考(1) 靖國神社考(1)靖國神社考1・靖國神社に、清淨と静謐の環境を! 靖國神社考2・靖國神社は、皇室御仁慈の發現なり。●京都東山招魂社創建の御沙汰書 ●招魂社大祭の宣命 ●招魂社を靖國神社と改稱し給へる御祭文 靖國神社考3・明治神宮と靖國神社●中今亭賀茂百樹大人『明治神宮と靖國神社との御關係』 靖國神社考4・靖國神社の合祀對象基準●阪本是丸氏『「靖國」の基礎知識』 ●賀茂百樹大人『靖國神社誌』の「祭神・附御靈代」に曰く、 ●賀茂百樹大人『靖國神社忠魂史』第一卷「序」に曰く、 靖國神社考5・歴代宮司略傳、其の壹【靖國神社歴代宮司】初 代【青山 清 】明治十二年六月十六日~明治二十四年二月六日 第二代【賀茂 水穗】明治二十四年二月十七日~明治四十二年三月一日 第三代【賀茂 百樹】明治四十二年三月二十九日~昭和十三年四月二十一日 靖國神社考6・歴代宮司略傳、其の貳第四代【鈴木 孝雄】昭和十三年四月二十一日~昭和二十一年一月十七日 第五代【筑波 藤麿】昭和二十一年一月二十五日~昭和五十三年三月二十日 第六代【松平 永芳】昭和五十三年七月一日~平成四年三月■日 靖國神社考7・歴代宮司略傳、其の參第七代【大野 俊康】平成四年■月■日~平成九年■月■日 第八代【湯澤 貞 】平成九年五月■日~平成十六年九月十日 第九代【南部 利昭】平成十六年九月十一日~現職 靖國神社考8・松平永芳大人の悲願 投稿者:備中處士 投稿日:11月13日(月)19時26分14秒●渡辺一雄氏『松平永芳氏・怒りの遺言』 靖國神社考9・松平永芳大人の悲願、續 平泉澄博士や松平永芳元靖國神社宮司の顕彰に心をくだいておられる備中處士さまが、これまで桜チャネルなどに投稿しておられた靖國神社に関する論考を、オロモルフの掲示板に編纂掲載してくださいました。 靖國神社についての考え方は、同じ保守派でも人によってかなり違うようですが、備中處士さまの熱い思いは、万人を感動させるでありましょう。 また、資料性がきわめて豊富で参考になります。読んでいると自分の知識の浅薄さが恥ずかしくなります。 少しでも多くの方が読んでくださる事を希望しております。 (オロモルフ) 靖國神社考1・靖國神社に、清淨と静謐の環境を! 投稿者:備中處士 投稿日:11月11日(土)00時22分43秒 靖國神社の御事に關して、年來の疑問を述べることを、庶幾くば御許し賜りたい。俄か勉強であり、粗雜疎漏を免れず、大方の批判は、固より之を甘受する覺悟である。かつて平成四年十二月號の『諸君』で、松平永芳・元靖國神社宮司の『誰が御靈を汚したのか・靖國奉仕十四年の無念』を拜讀し、小生は泪を流したことを、昨日の事のやうに憶へてゐる。おほけなくも『松平精神の復興恢弘』を熱祷する餘り、敢へて言擧げしたい。 現在の靖國神社奉贊者の大方(たいはう)は、『戰後の自民黨等の所謂國家護持』を、何故に求めるのか。戰前の帝國憲法下ならいざ知らず、現在の政治家の無知放言を見るにつけ、之を容認したら、非神道施設化も或は所謂分祀も、民主主義に於る多數決の名の下、時の權力者の思ひのまゝとなるではないか。進んで之を容認歡迎せむか、むしろ却つて靖國神社の環境が惡化するは火を睹るより瞭かと、如何して思はないのか。現在の靖國神社を巡る情勢は、之を悲しむことに吝かでは無いが、敢へてこゝは隱忍自重、將來の本來あるべき國家體制が確立するまで、容易に之を認めることは出來ない。小生は、「戰前と異質な、戰後の國家による國家護持では危險なので、國民護持・國民總氏子」を提唱して已まない、松平永芳大人の精神こそ、靖國神社を靖國神社たらしめるものと、深く確信する。此の松平精神の復興を、今ま一度、更めて強く喚起したい。 靖國神社奉贊者の大方は、『中曾根首相以降の内閣總理大臣の行ふ非禮訪問』(敢へて參拜とは申さぬ)を、何故に容認するのか。否、一歩進んで、小泉首相の如き非禮を重ねて、恬然として恥ぢること無き首相訪問を、何故に求めるのか。況や一部の方が云ふ所の、支那・朝鮮の暴戻を挫く爲めに、パフオーマンスとして、終戰詔書奉戴記念日に、靖國神社を利用するなんぞは、絶對これを避けねばならない。小生は、日本國内閣總理大臣に、三木武夫首相以降の所謂私的參拜、中曾根康弘首相以降の所謂公式參拜をして戴きたくない。靖國神社の英靈は、之を嘉みし給ふとは、斷じて思へない。靖國神社は、あくまで神社であり、社頭參拜と雖も、手水・二拜二拍手一拜・祈念・二拜二拍手一拜は、最低限の神道儀禮にして、之も出來ぬとするならば、頑是ない子供ならいざ知らず、神社への立入りを禁ずるべきである。手水を用ゐるは、清祓の第一段階にして、之を用ゐないのは、殺菌劑で手を洗つてゐたとしても、清祓なしの參拜であると愚考する。神靈は非禮を享け給はず、所謂參拜を強行しても、神社の清淨と静謐を破るものであつて、斷じて之を赦す訣には參らぬ。特に平成十七年の小泉純一郎首相は、非禮なる社頭訪問を強行した(それ以外の五囘は、非禮なる昇殿訪問)。正門の鳥居も濳らず、手水も用ゐないのであるから、かりそめにも清祓したとは申せない。松平宮司の時の中曾根參拜は、昇殿訪問であつたが、神社側は已むを得ず、「陰祓ひ」をせざるを得なかつた。餘りにも情けなく、悲しい出來事と謂はねばならぬ。嗚呼、驕る者、久しからずとは、驕れる者、如何で知るべき。 靖國神社考2・靖國神社は、皇室御仁慈の發現なり。 投稿者:備中處士 投稿日:11月11日(土)00時25分22秒 靖國神社の淵源濫觴は、抑も畏くも代々木に坐す大神の思召しに由縁する矣。且つは歴代の聖上陛下には、勅祭を行はしめ、或は勅使を參向せしめらるゝ所の、御由緒深き尊貴なる神社である。忠良の臣民たる者の、擧國一致して、報恩感謝の誠を捧げ奉ることは、情・理の趨くところ當然と謂はねばならない。 先づは其の淵源に當る史料を、森清人翁『みことのり』(平成七年六月・錦正社刊)等より、謹んで引用させて戴きます。又た阪本健一翁『明治神道史の研究』(昭和五十八年十二月・國書刊行會刊)に、「明治天皇の神祇關係詔勅解説抄」があり、靖國神社に關する宣命・御祭文の判り易い紹介があります。 ●京都東山招魂社創建の御沙汰書 「癸丑(嘉永六年)以來殉難者の靈を東山に祭祀の件」 (明治元年五月十日附・太政官府布告) 大政御一新之折柄、賞罰を正し、節義を表し、天下の人心を興起遊ば被れ度く、既に豐太閤・楠中將の精忠英邁の御追賞、仰せ出だ被れ候ふ。就ては癸丑以來、唱義精忠、天下に魁けして國事に斃れ候ふ諸子及び草莽有志の輩、寃枉、禍ひに羅る者、少なからず、此れ等の爲す所、親子の恩愛を捨て、世襲の祿を離れ、墳墓の地を去り、櫛風沐雨、四方に濳行し、專ら舊幕府の失職を憤怒し、死を以て哀訴、或は縉紳家を鼓舞し、或は諸侯門に説得し、出沒顯晦、萬苦を厭はず、竟ひに身を抛ち候ふ者、全く名義を明かにし、皇運を挽囘せんとの至情より盡力する所、其の志、實に嘉みす可し。尚ほ況や國家に大勳勞有る者、爭(いかで)か湮滅に忍ぶ可けんやと、歎き思し食被れ候ふ。之に依りて其の志操を天下に表はし、其の忠魂を慰め被れ度く、今般、東山の佳域に祠宇を設け、右等之靈魂を永く合祀被致る可き旨、仰せ出だ被れ候ふ。猶ほ天下の衆庶、益々節義を貴び、奮勵致す可き樣、御沙汰候ふ事。 ●招魂社大祭の宣命 (明治五年九月二十三日・『陸軍省日誌』) 天皇の大命(おほみこと)に坐せ。此の招魂社に鎭めまつれる諸もろの靈の前に、式部寮六等出仕・正四位・戸田忠至を使ひとして白し給はくと白さく。前年、戰場(いくさのには)にして大き功しを立てし事を、萬代までに傳へ給はむとして、年毎の此の月の今日の祭を永き例しと、武官の人等に命せて、種種の物等を備へ奉り齋き祭らせ給ふ。此の状を聞し食して、天皇の大御代を動ぐ事無く、さやぐ事無く、常石に堅石に守り幸へ給へと宣る天皇の大命を、甘良(うまら)に聞し食せと白す。 ●招魂社を靖國神社と改稱し給へる御祭文 (明治十二年六月二十五日・『靖國神社誌』) 天皇の大命に坐せ。此の廣前に、式部助兼一等掌典・正六位・丸岡莞爾を使ひと爲て、告り給はくと白さく。掛け卷くも畏き畝火の橿原の宮に肇國知し食しゝ天皇の御代より、天日嗣高御座の業と知し食し來る食國天下(をすくにあめのした)の政の衰頽へたるを古へに復へし給ひて、明治元年と云ふ年より以降、内外の國の荒振る寇等(あだども)を刑罰(こらし)め、不服(まつろはぬ)人を言向け和はし給ふ時に、汝(いまし)命等(みことたち)の赤き直き誠心を以て、家を忘れ身を擲ちて、各もおのも死亡(みまかり)にし其の大き高き勳功しに依りてし、大皇國をば安國と知し食す事ぞと思ほし食すが故に、靖國神社と改め稱へ、別格官幣社と定め奉りて、御幣帛(みてぐら)奉り齋ひ奉らせ給ひ、今より後、彌や遠永に怠る事無く祭り給はむとす。故れ是の状を告げ給はくと白し給ふ天皇の大命を聞し食せと、恐み恐みも白す。 靖國神社考3・明治神宮と靖國神社 投稿者:備中處士 投稿日:11月11日(土)13時57分8秒 ●中今亭賀茂百樹大人『明治神宮と靖國神社との御關係』 (大正九年十一月三日謹述・昭和九年十二月・有備會本部刊)に曰く、 「 今、熟(つらつ)ら國家の將來を考へて見ましても、素より國に農事殖産の必要なることと、又た此の武備の大切なることは、鳥の兩翼・車の兩輪として、いつの世に於ても、離るべからざるものであります。 伊勢大神宮に豐受神宮を外宮として、特に尊重敬祭あらせられて、以て國民に産業を御奨勵になるが如く、明治神宮と靖國神社とも、亦た其の樣な關係にて祭祀し給ふことに、將來何れの時か相成りはしないかと思ふのであります。‥‥ 明治神宮は國民忠誠の結晶であり、靖國神社は皇室御仁慈の發現である、其處に我が國の美はしき君臣の情誼が、言擧げせずして事實に示されて居る、さういふ國體の精華をも、不言の間に宣揚することになるのであると思ひ、折柄、杉浦重剛翁が參拜せられた砌、此の事を語つて見た處が、翁も手を拍つて同意せられた事があります。然しかういふ精神的な事は外より強ふべきことでなく、國民一般の自覺に俟たねばならないことなので‥‥。明治神宮と靖國神社とは、既に離るべからざる御關係が結ばれて居るのであります。 此處で私の最も欣快とする處は、それは全國の各地より上京せらるゝ明治神宮の參拜者が、同時に此の靖國神社の參拜者であり、又た必ず二重橋前にも參進して、其處から遙かに拜賀の心持を捧げらるゝことであります。就中く健脚な青年達は、尚ほそれから始終お濠に沿うて、宮城を一周し奉るのを見受けることもあります。此處で敬神・尊皇・愛國の精神が一貫して、誠に美はしく遂げらるゝので、遙々と遠國の地方から上京せる參拜者としては、凡そこれ程滿足なことはあるまいと思ふのであります。 彼の孔子の語に、立國の基本として兵・食・信の三を擧げてをられますが、謹みて按ふに、豐受大神宮を尊び齋き奉ることは、やがて豐富に國力を足らすことであり、又た靖國神社を敬ひ祭らるゝことは、やがて兵を強くすると共に、我が國民の『信』を立つることになると思ふのであります。何故ならば、神武不殺の故に、我等は敢へて戰ひを好むものではないが、然し勅命に死生を任せ奉つて、一身を捧げて之に奉ずることが、即ち我が民族的信念の最高發露なるが故であります。それが故に私は、靖國神社の祭祀が衰へる時には、國民の元氣も亦た衰へ、靖國神社の祭祀が盛んなる時には、國民の元氣も亦た盛んなることを知るべしと思うて、轉た靖國神社に對する崇敬の念を禁ずる能はざるものがあります。 [附言]中には靖國神社は、軍人の殉職者を祀る神社と思つて居るものがありますが、決して左樣ではありませぬ。平時に於ては、假令へ飛行機から墜落し、又は濳行艇の沈沒と共に慘死しても、特に演習等にては戰爭にも劣らぬ艱苦を甞めて、海に激浪に浚はれ、陸に瘴霧に侵されても、之等は一般の文官の殉職者と同じく、國家から何等祭祀を享けては居りませぬ。 然らば如何云ふ人々が祀られるのかと申すに、此の國家に危害を加へんとする敵を防禦し、膺懲するが爲に死し、又は其れが原因になつて死んだもので、換言すれば、國家の生命に代りて自己の生命を捧げたものが祀らるゝのであります。此の場合に於て、軍人が主として之に當るのは勿論のことでありますが、軍人以外の人々と雖も、爲めに命を殞したものは、祭祀の恩典を受けるので、現在に於ても、外交官・地方官・逓信官・警察官・看護婦等、苟しくも帝國臣民にして、戰役に關して死歿したるものは、職の文武・官の高下を問はず、祭祀せられて居ります。 平時に於ける殉職者も尊い犠牲ではありますが、危險を侵して健全なる自己の生命を國家に捧げて、國家の生命を健全にしたいと云ふ、特別の精神に對して、國家は之を護國の神として、永久祭祀するのであります。 世間には此の譯を知らずして、軍人のみが優遇せらるゝが如く思つて、文官表彰の神社を建つるがよい、等云ふ人々もありますから、此處に一言附け加へるのであります」と。 靖國神社考4・靖國神社の合祀對象基準 投稿者:備中處士 投稿日:11月11日(土)13時59分56秒 ●阪本是丸氏『「靖國」の基礎知識』 (江藤淳・小堀桂一郎兩氏編『靖國論集・日本の鎭魂の傳統のために』昭和六十一年十二月・日本教文社刊に所收)より 【合祀對象基準】昭和五十一年一月現在 一、軍人・軍屬 1.戰地・事變地及び終戰後の外地において、戰死・戰傷死・戰病死した者。 2.戰地・事變地及び終戰後の外地において、公務に基因して受傷罹病し、内地に歸還療養中、これにより死亡した者。 3.滿洲事變以降、内地勤務中、公務のため受傷罹病し、これにより死亡した者。 4.平和條約第十一條により死亡した者(戰爭裁判受刑者)。 5.未歸還者に關する特別措置法による戰時死亡宣告により、公務上負傷し、または疾病に罹り、これにより死亡したものと見なされた者。 二、準軍屬及びその他 1.軍の要請に基づいて戰鬪に參加し、當該戰鬪に基づく負傷または疾病により死亡した者。ア.滿洲開拓團員。 イ.滿洲開拓青年義勇隊員。 ウ.沖繩縣一般邦人。 エ.南方及び滿洲開發要員。 オ.洋上魚漁監視員。 2.特別未歸還者の死沒者。ア.ソ聯・樺太・滿洲・中國(愚案、ママ、支那)に抑留中、死亡した者。 イ.戰時死亡宣告により、死亡と見なされた者。 3.國家總動員法に基づく徴用または協力中の死沒者。ア.學徒。 イ.徴用工。 ウ.女子挺身隊員。 エ.報國隊員。 オ.日赤救護看護婦。 4.船舶運營會の運航する船舶の乘組員中、死亡した者。 5.國民義勇隊の隊員で、その業務に從事中、死亡した者(廣島原爆死亡者)。ア.學域組織隊。 イ.地域組織隊。 ウ.職域組織隊。 6.舊防空法により、防空從事中の警防團員。 7.阿波丸(交換船)沈沒により、死亡した乘員。 8.沖繩の疎開學童死沒者(對馬丸遭難)。 9.外務省等職員。ア.關東局。 イ.朝鮮總督府。 ウ.臺灣總督府。 エ.樺太廳。 ●賀茂百樹大人『靖國神社誌』の「祭神・附御靈代」に曰く、 「 水漬屍・草生屍と、硝煙彈雨の間に奔馳奮鬪して、一死以て護國の神と祀られ、社稷の鎭護となりませる本神社祭神の功烈は、固より萬世不朽なるべし。 抑も明治維新の大業を始めとして、過去數囘の大戰役は、萬世に光れる丕績にして、其の間、我が祭神の靖獻は、最も能く皇國の精華を發揮し給ひぬ。即ち大權、皇室に歸して、王政復古の大御代を來たせるも、世界の強國に伍して、文明の惠澤に浴するに至れるも、克く聖旨を奉戴して、聖徳に副ひまつりし我が祭神の功烈、與かりて大なりと云ふべし。是れ至尊の、深く本神社を尊崇し給ひて、表忠旌功の典を忽せにし給はざる所以にして、今や祭神總數十一萬七千八百六十八柱に上り、神威、燦として維れ輝き、餘光、遠く異域に及び、外人の來朝するもの、先づ本神社に詣し、和魂の鍾まる所、優越せる精神の標識として讚歎せざるはなし。 而して祭神生前の官職・身分等をいへば、陸軍の所屬あり、海軍の所屬あり、維新前後の殉難死節の士あり、地方官・警察官あり、公卿あり、藩主あり、士あり、卒あり、神職あり、僧侶あり、婦人あり、農・工・商あり、苟しくも帝國臣民にして、叡慮を奉體して、國家の爲めに忠節を抽んで、高潔なる大精神を發揮するに於て、何ぞ貴賤上下の別あらむ。わが祭神の、あらゆる階級・職業の代表たるは勿論のことなりとす。 御靈代は、神劍及び神鏡にましゝゝ、神劍は、明治二年六月、栗原筑前(愚案、筑前守從五位下栗原健次平信秀)の鍛造し奉る所(御鞘は、鞘師・樅井源八)、神鏡は、製作者未詳なれども、明治元年六月、舊江戸城大廣間招魂祭の時、神籬に奉懸せし靈鏡に坐せりとぞ。内殿の左右の靈床に、副靈璽として、官位・姓名を列記せる卷物・牒册を奉安す。卷物は、明治五年五月六日を以て、始めて之を内陣に納め、爾來、合祀祭の度び毎に納められしが、明治三十八年、第三十一囘の合祀祭より、之を牒册に改められたり。而して別に一本を社務所に藏す。所謂祭神帳、之なり」と。 ●賀茂百樹大人『靖國神社忠魂史』第一卷「序」に曰く、 「 靖國神社の祭神は男女の區別もなく、又た階級的に何等の差別なく、祭祀されてゐるのでありますが、世には往々靖國神社を以て、軍人の殉難者を祀る神社であるかに考へてゐる者があります。之は誤解も甚しいもので、かくては、一視同仁の聖徳を涜し奉るものと云ふべきであります。 茲に祭神生前の官職・身分等の大略を擧ぐるも、維新前には公卿・藩士・神職・僧侶・百姓・町人あり、又た明治以後には、陸海軍を初めとし、地方官・外交官・警察官・鐵道從業員・從僕・職工等があります。かくの如く靖國神社の祭神は、階級を超越し、國民を綜合した、忠勇義烈の御靈でありまして、換言すれば、實に忠君愛國の全國民精神を表現し給ふところの神である、と申すべきであります」と。 靖國神社考5・歴代宮司略傳、其の壹 投稿者:備中處士 投稿日:11月11日(土)23時25分13秒 靖國神社の歴代宮司について、次に調査探索し得た所の梗概を、些か摘記してみたい。 【靖國神社歴代宮司】 初 代【青山 清 】明治十二年六月十六日~明治二十四年二月六日 文化十二年生る。明治四年八月、兵部省十一等出仕・招魂社祭事掛に補せられ、同十年一月、招魂社雇ひ申付け被る。神社誌編纂を企て、黒神直臣禰宜をして之に當らしめしが、幾許も無く黒神氏の不幸に接して已む。至從七位。同二十四年二月六日(或は四日)、宮司在職中に歸幽。享年七十七。 一、乃木神社社務所『乃木希典全集』上卷(平成六年六月・國書刊行會刊)「日記・明治十一年」より 十月第廿一日條、午後、青山清を訪ぬ。不在。 十月第廿二日條、午後、乘車。青山を訪ぬ。又た不在。 十月第廿三日條、午後、青山に、招魂社に逢ひ、祭事を托す。歸る。 第二代【賀茂 水穗】明治二十四年二月十七日~明治四十二年三月一日 遠江國濱名郡の人。天保十一年五月十二日生る。賀茂備後直章と稱し、炳音と號す。遠州報國隊に參加。のち海軍省へ出仕。海軍大祕書。後備海軍大主計。至從五位。神社誌編纂を繼承し、井上頼教主典に之を命ずるも、將に其の緒に就かんとして、明治四十二年三月一日、宮司在職中に歸幽、享年七十。 第三代【賀茂 百樹】明治四十二年三月二十九日~昭和十三年四月二十一日 周防國熊毛郡上關の人。慶應三年、祠職藤井氏に生れ、後に賀茂の家名を嗣ぎ、賀茂眞淵大人の後繼者となれり。中今亭と號す。學を伊勢の棒園御巫清直(外宮禰宜)に承け、國典に精し、夙に神職に仕ふ。靖國神社宮司を拜命し、其の在職は三十年間に及べり。病を以て職を辭す。同十六年五月四日歸幽、享年七十五。著述に『日本語源』二卷・『登極令講義』一卷・『漢文歴代詔勅解』一卷・『神職心得』一卷。校訂に『賀茂眞淵全集』全六册(國學院編輯部・吉川弘文館刊)。亦た『靖國神社事歴大要』(明治四十四年二月・國晃館刊)・『靖國神社誌』(明治四十四年十二月・四十五年六月改訂・平成十四年に神社本廳教學研究所より「近代神社行政史研究叢書Ⅳ」として復刻)・『靖國神社忠魂史』全五卷(昭和八~十年九月)を編輯す。なほ『日本語源』は、最も努力を拂ひ、本邦從來の語源中の名著とす。又た和歌に長じ、『中今亭雜歌』あり。人と爲り恬澹修飾なく、善く飲み善く談じ、其の人物と學力は、當時の全國宮司中、稀に見る所と云ふ(吉田祥朔翁『増補・近世防長人名辭典』等)。 一、『中今亭雜歌』より、哥一首 ○ 黒がねは、よし碎くとも、日の本の、やまとだましひ、碎くべきかは 蓮田善明大人『興國百首』(昭和十九年六月『忠誠心とみやび』日本放送出版協會刊)に曰く、 「 山口縣の人、元藤井氏、賀茂氏に入り、國學者賀茂眞淵の後繼者となつた人で、明治四十二年より、靖國神社宮司に任じた。人格高潔玲瓏、また長歌・短歌に秀で、國學につとめた。その和歌は、歌壇の時流にかゝはらず、卓然ぬきんでてゐるが、その文業は知己の間に知られるだけで、世上に多く知られてゐない。 右の歌は、明治二十八年三月三日、呉港で軍艦嚴島を見た時、同艦の三宅少佐らが、「わが居りしは此處なり、こゝより彈かれて轉び落ちたりなど」談られた時、詠じたものである。氏の詠歌は、少年の時から、昭和十六年、七十五歳を以て逝かれるまでつゞいてゐて、國家の事にふれて詠まれたものが多いが、こゝには、たまゝゝ日露戰役に因んだ一首をとつたのである」と。 愚案、『興國百首』は、蓮田大人が、其の撰を或る雜誌にもとめられ、嘗て戰場に身を置いた心に自問自答し、又た古い國の道を學ぶ學徒の一人として、思ふ所を此の撰歌にひそめて書き續けられしもの、「あはれ、あなおもしろ云々」(古語拾遺・八百萬神)に始まり、乃木將軍夫妻の辭世を以て終つてゐる。曰く、 「 和歌は、古來日本の文學の髓心となり、本流となつて來たものであるが、今その和歌だけについてみても、和歌は神隨の國ぶりといふやうなものであつた。即ち「神語」の流れであり、國の本心をのべるものであつた。これは和歌の歴史を以て、正しくさうである。從つて和歌を詠ずるといふこと自身が、既に國の心に報へてゐることであり、愛國・興國といふことが出來る。然るにこのやうなことは、現代には理解しない人が多いと思ふ。昔も和歌を私事としたことがあつたが、そのやうなことの起つた時代には、皇國の歴史も、實に忌々しい時代に傾いてゐる時代であつて、そのやうな沈痛な時代に、和歌に精進せる歌人達は、和歌を神にかけて熱く思つたりした。‥‥和歌によつて不純を清め雜物を雪ぎ、皇國魂をみがいて、神にしられ奉る祈りとしたのである」と。 一、『日本語源』二卷 http //uwazura.seesaa.net/article/3631175.html 一、『明治神宮と靖國神社との御關係』(大正九年十一月三日謹述・昭和九年十二月・有備會本部刊) 一、『大御心』(大正十二年七月十二日謹述・有備會本部『明治神宮と靖國神社との御關係』昭和九年十二月刊に所收) 靖國神社考6・歴代宮司略傳、其の貳 投稿者:備中處士 投稿日:11月11日(土)23時29分6秒 第四代【鈴木 孝雄】昭和十三年四月二十一日~昭和二十一年一月十七日 明治二年舊十月二十九日(十二月二日)生る。勳一等功三級。昭和二年七月二十六日、陸軍大將に至る。大日本青少年團長を兼務(昭和十七年八月~二十年六月)。戰後は偕行社會長(昭和二十九年四月~三十三年七月)。海軍大將鈴木貫太郎首相の令弟。昭和三十九年一月二十九日薨去。享年九十六。 第五代【筑波 藤麿】昭和二十一年一月二十五日~昭和五十三年三月二十日 山階宮菊麿王の第三王子として、明治三十八年二月二十五日生る。從三位勳一等。貴族院議員(大正十四年二月~昭和二十二年)。昭和三年七月二十日、願により臣籍降下が認められ、筑波の家名を賜り、侯爵に叙せらる。昭和五十三年三月二十日、在勤中に薨去。御歳七十四。 第六代【松平 永芳】昭和五十三年七月一日~平成四年三月■日 越前の春嶽松平慶永公の令孫にして松平慶民子爵(宮内大臣)の嫡男として、大正四年三月二十一日生る。昭和十九年十月、海軍少佐・正五位に至る。西貢(サイゴン)海軍部部長として終戰處理を濟ませ、昭和二十一年七月、部員四十七名を率ゐて、最後の復員船朝嵐丸で歸國。戰後は陸上自衞隊に轉ずるも、大病に罹り、再起後は防衞研修所戰史室勤務を經て、同四十三年、一等陸佐で定年退官し、福井市立郷土歴史博物館館長に就任。靖國神社宮司を退いた後は、再び同館長に復歸。平成十七年七月十日歸幽。享年九十一。『靖國神社百年史』全四卷(資料篇・事歴年表、昭和五十八年六月~六十二年六月・原書房刊)を編纂す。平泉澄博士を師と仰ぎ、盡忠憂國、志操あまりに純粹一途、己の名利を追求することなく、日常の一擧一動に至るまで、全ての行動の判斷基準を、皇室と國家の護持といふ點に置いたと云ふ。 一、「日本の心、未だ失せず」(日本學協會『日本』昭和五十四年三月號・靖國神社々報『靖國』昭和五十四年四月號) 一、「新春隨想」(『東京教育懇話會志・續輯』平成二年十一月刊「東京教育懇話會・第二五二囘例會報告」昭和六十年正月十八日) 一、「靖國神社當面の諸問題」(『東京教育懇話會志・續輯』「東京教育懇話會・第二六四囘例會報告」昭和六十一年二月十七日) 一、「感懷「有難う」と言ふこと」(『日本』昭和六十一年五月號) 一、「我が家の生涯教育」(『日本』昭和六十二年七月號) 一、「靖國神社」(新人物往來社『別册歴史研究・神社シリーズ・靖國神社』平成元年■月刊) http //www.tetsusenkai.net/official/yasukuni/data/matsudaira.html 一、「誰が御靈を汚したのか・靖國奉仕十四年の無念」(文藝春秋社『諸君』平成四年十二月號) http //homepage.mac.com/credo99/public_html/8.15/tono.html 一、「讓ることのできない傳統の一脈・祖父春嶽の精神を受け繼ぐ者として」(日本青年協議會『祖國と青年』平成五年一月號・『英靈の遺志を受け繼ぐ日本人として・論文選集Ⅰ』平成十五年三月刊に所收) 一、「家庭教育(精神・しつけ教育)について」(『日本』平成十八年一月號・三月號) 主に大人に關係するものとして、 一、棚橋信之氏「正論編集部あて意見具申」(平成十七年七月二十日附) http //www.geocities.jp/gutokujp/shokan.html 一、棚橋信之氏「大山晉吾靖國神社廣報課長宛・質問状」(平成十七年八月二十一日附) http //homepage.mac.com/credo99/public_html/8.15/questions.pdf 一、伴五十嗣郎氏「靈魂不滅・松平永芳樣を偲ぶ」(『日本』平成十七年九月號) 一、永江太郎氏「今は亡き松平永芳樣の追憶」(『日本』平成十七年九月號) 一、渡辺一雄氏「元靖國神社宮司・松平永芳氏・怒りの遺言「最後にこれだけはいつておきたい」。病床で語られたお言葉を、今、全公開する」(『諸君』平成十七年十月號) 靖國神社考7・歴代宮司略傳、其の參 投稿者:備中處士 投稿日:11月11日(土)23時31分16秒 第七代【大野 俊康】平成四年■月■日~平成九年■月■日 肥後國の人。大正十一年五月二十日生る。昭和十八年十月、神宮皇學舘大學祭祀專攻科に入學するも、學徒出陣により、同十二月一日、陸軍西部十六部隊(熊本市の陸軍歩兵聯隊機關銃中隊大隊砲小隊)に入營。十九年六月、第三期特操として熊谷飛行學校に入校するも、訓練未了のまゝ終戰を迎ふ。二十二年二月、肥後本渡諏訪神社(天草島總鎭守)宮司。二十三年、九州帝國大學文學部卒。六十一年、熊本縣神社廳長。著書に『軍神松尾中佐とその母』等。現在は本渡諏訪神社名譽宮司。 一、『後に續くを信ず・戰歿學徒が殉じた「神國日本」』(『祖國と青年』平成十一年十月號、同十五年三月刊『英靈の遺志を受け繼ぐ日本人として・論文選集Ⅰ』所收) 第八代【湯澤 貞 】平成九年五月■日~平成十六年九月十日 下野國上都賀郡加蘇村(現・鹿沼市)の人。昭和四年九月十日、縣社加蘇山神社宮司・碧柳湯澤敬六の四男として生る。三十二年、國學院大學文學部宗教學科卒。三十二年四月、明治神宮に出仕し、五十四年~平成二年八月、禰宜。五十三年~六十三年、加蘇山神社禰宜・加園八幡宮宮司を兼任。五十七年~平成五年、國學院大學文學部兼任講師。平成二年九月、靖國神社禰宜に轉じ、十一月、權宮司。十一年の御創立百三十年記念として、御祭神のデータベース化・遊就館改修と新館建設・參集所の建替を遂行す。現在は第八代靖國會總代。俳號は碧水。『句集・散る櫻』(平成十六年九月・近代出版社刊)あり。 一、平成十一年からの記念事業は、「平成十七年には、終戰六十年を數へ、御遺族(御祭神にお近い方)・戰友等の御高齢化と青少年を含む崇敬者の増員のための施策、即ち戰爭を知らない世代への世代交替といふ、靖國神社にとつては世の荒波を乘り切る方策の一つとして實施」(『句集・散る櫻』の「あとがきにかへて」)した。 一、『靖國の言ひ分、英靈たちの聲』(産經新聞社『正論』平成十七年八月號) 第九代【南部 利昭】平成十六年九月十一日~現職 昭和十年九月十六日生る。三十三年、學習院大學政經學部卒業後、廣告代理店電通に勤務。父の卒去に伴ひ、盛岡南部伯爵家第四十五代當主。五十六年、南部恆産株式會社代表取締役に就任。現在は靖國神社崇敬奉贊會名譽會長。日本會議本部代表委員。 平成十五年十月、皇族や舊華族で組織される社團法人霞會館(舊華族會館)から、就任の推薦を受けた。「湯澤宮司が九月で七十五歳の定年を迎へ、この際、舊華族出身者がなり、元に戻してほしいと願ひ出られた。來年は、靖國に祀られてゐる南部家四十二代當主利祥公の沒後百年(明治三十八年に戰死)に當り、宮司就任に淺からぬ因縁を感じてゐる。‥‥青天の霹靂と云ふか、この歳になつて『宮仕へ』をやるとは、夢にも思つてゐなかつた。私にとつても南部家にとつて大變名譽なこと、岩手・盛岡にとつても名譽なことで、有り難く拜命することとした。九月で六十九歳になるが、七十五歳の定年まで、大任を全ふしなければならない。兩陛下には、『靖國神社の御守りを宜しくお願ひします』と云ふ御言葉を戴いた。誠に光榮で身の引締まる思ひがした。‥‥僕なりに、皆さんに信頼されるやうになり、南部を宮司にして良かつたと云はれるやうにしたい」と、抱負を語つた。 靖國神社考8・松平永芳大人の悲願 投稿者:備中處士 投稿日:11月13日(月)19時26分14秒 ●渡辺一雄氏『松平永芳氏・怒りの遺言』 (渡辺氏は、松平大人の海軍機關學校に於る十三期後輩)に曰く、 「(平成十年暮れの聞書き。面會謝絶の病床に於る松平大人は、ベツドの上で正座されて曰く、) GHQの神道指令で、公務員が公的資格で神社一般を參拜することが禁ぜられた。從つて占領中は首相だけでなく、閣僚その他の公務員が、靖國神社に公式參拜することをは出來なかつた。昭和二十六年十月十八日、時の首相・吉田茂は、講和條約が締結されたことを、戰沒者に報告するため、靖國神社に參拜された[堂々と内閣總理大臣・吉田茂と署名し、榊を供へられた]。吉田首相は占領が終つてからも、靖國神社への參拜は缺かさなかつた。が、いづれの時も、どの國からも、首相が靖國神社へ參るのはけしからんと云つた態の抗議は寄せられなかつた。吉田首相は、長年の外交官經驗から、世界の人々は誇りを失つた國民を輕蔑することを知つてをられたから、たとへ戰ひに敗れても、卑屈になつては駄目、精神面の高さは守りぬかねばならないと思つていらつしやつた。吉田首相のあとの鳩山一郎は病氣、その次の石橋湛山は、在任期間が短かつたため參拜は出來なかつたが、それ以後、岸信介・池田勇人・佐藤榮作・田中角榮と、歴代の首相は靖國神社參拜をつゞけた[吉田首相と同樣の形式で參拜された]。その間、何ら問題は起こらなかつた。妙なことになつたのは、三木武夫が首相になつてからだ。 三木は卑しい人間だ。日本の國より、わが身の方が可愛い三木は、アメリカ・一部マスコミの歡心を買ふことに汲々とした。首相の靖國神社參拜に異を唱へる連中のゐる事を、嗅覺の鋭い三木は察知し、とんでもないサービスをした。 首相の靖國神社參拜は、原則として春秋の例大祭の期間中だつた。昭和五十年八月十五日に參拜する事になつた三木は、國會で、首相はどういふ資格で靖國神社を參拜するのか、と聞かれた。國會議員の中には、外壓を利用して自分達の勢力擴大を圖らうと思つてゐた人間がゐたが、質問したのは、その黨派に屬する議員だつた。その議員のバツクには、首相の靖國神社參拜に反對の立場をとるマスコミがついてゐる事を知つてゐた三木は、首相の立場で參拜すると答辯すれば、マスコミを敵に廻すと恐れ、首相としてではなく、澁谷區南平臺の一住民・三木武夫として參拜すると、逃げを打つた。そして公約どほり靖國神社へは、首相公用車を使はず、内閣總理大臣の肩書きをつけず、單に三木武夫と記帳して、昇殿參拜した。以來、首相だけでなく、閣僚の參拜ごとにマスコミが押しかけて、公人か、私人かといつた、愚にもつかない質問を浴びせ、だらしなく首相・閣僚が逃げまくる醜態を世にさらす事になつたのだ。 三木が餘計なことをいつたため、そののちの福田赳夫・大平正芳の兩首相も、私的參拜で押し通すしか仕方がなかつた。何とかしてとつちめる法はないかと思つてゐたとき、出てきたのが、A級戰犯合祀問題だつた。マスコミは參拜のためにあらはれた大平首相を取り圍み、公的參拜か、私的參拜かと、一齊に質問の矢を浴びせかけた。大平首相が圍みを突破しようとすると、マスコミはさうはさせじと、A級戰犯を合祀してゐる靖國神社を一國の首相が參拜するのは、軍國主義の復活につながるのではないかと、首相を吊るし上げた。その風景はテレビを通じて全國に流され、A級戰犯合祀問題が、一躍、茶の間の話題をさらつた。マスコミに後押しされて、A級戰犯を合祀してゐる靖國神社に、首相が參拜するのは違憲であるといひ出す手合ひまであらはれた。首相に勇氣があれば、A級戰犯といふが、それは戰勝國が勝手につけた汚名で、國會の決議を受けて合祀されてゐる、違憲でも何でもない、お國のために盡くし、命を捧げた方々を祀つてある靖國神社へお參りするのは、首相として當然の義務だと、はねつけるべきだつた。ところがその聲に負けて、靖國神社參拜を自肅する動きまで出てきた。大平首相のあとの鈴木善幸首相も、公人・私人の別を明らかにせず參拜した。昭和六十年八月十五日、靖國神社を十年ぶりに公式參拜したのは中曾根康弘首相だが、中曾根康弘がその時とつた態度には、今思ひ出しても、腸が煮へたぎる思ひがする。中曾根首相の心にあつたのは、俺が八月十五日に、首相としてはじめて公式參拜したといふ自負心を滿足させること以外の、何ものでもなかつた。‥‥ 最後に、これだけは言つておきたい。私、松平永芳の願ひは、たゞひとつ、國のために盡くし命を捧げられた方々に、靖國神社で靜かに眠つて頂き、ご遺族の方々に、何ものも煩はされる事なく、靜かにお參りに來て頂き、靜かに語り合つて頂きたい、といふことである」と。 靖國神社考9・松平永芳大人の悲願、續 投稿者:備中處士 投稿日:11月13日(月)19時28分21秒 ~承前~ 松平永芳大人の所謂國家護持法案反對・中曾根首相の公式參拜の非禮[(大人の曰く、)「今思ひ出しても、腸が煮へたぎる思ひがする」、「體を張つてもでも、中曾根參拜を阻止せねばならなかつた、と悔いてゐる」]については、下記が詳しい。こゝに敢へて再掲する。至誠横溢、盡忠憂國の言擧げ、願はくば、先づは、是非とも熟讀たまはらむことを。 ●松平永芳大人『誰が御靈を汚したのか』 http //homepage.mac.com/credo99/public_html/8.15/tono.html ●松平永芳大人『靖國神社』 http //www.tetsusenkai.net/official/yasukuni/data/matsudaira.html これらを摘記し、又た松平永芳大人の遺事を追記したい。 一、石田和外・元最高裁判所長官(「英靈にこたへる會」初代會長)の強い勸めで、靖國神社宮司に就任。松平大人は、「所謂東京裁判を否定しなければ、日本の精神復興は出來ないので、所謂A級戰犯者の方々も祀るべきだと云ふ意見を、石田翁に申し上げた。それに對して石田翁は、これは國際法その他から考へて、祀つて然るべきものだと明言された」が故に、「命がけで神社をご創建の趣旨に違はず、また本來の姿で守らうと決意」された由。大人が「宮司になつて考へられたのは、何か決斷を要する場合、ご祭神の意に添ふか添はないか、ご遺族の心に適ふか適はないか、それを第一にして行く」との方針の下に、次の三原則を定めた。一、日本の傳統の神道による祭式で、御靈をお慰めする。二、神社のたゝずまひを、絶對に變へない。三、社名を變へない。 一、所謂A級戰犯十四柱の合祀について、大人は、「就任した早々であるが、前宮司から預つたこの課題は、解決しなければならない」。「國際法的にも認められない東京裁判で戰犯とされ、處刑された方々を、國内法に據つて戰死者と同じ扱ひをすると、政府が公文書で通達してゐる(愚案、昭和二十七年五月一日、木村篤太郎・法務總裁の通知。同四十一年二月八日、「祭神名票」を受理。同四十六年、總代會諒承)から、合祀するのに、何の不都合もない。むしろ祀らなければ、靖國神社は、僭越にもご祭神の人物評價を行つて、祀つたり祀らなかつたりするのか、となつてしまふ」と考へられた。故に「靖國神社の記録では、戰犯とか法務死亡と云ふ言葉を一切使はないで、『昭和殉難者』とすべし」と云ふ『宮司通達』(昭和五十三年十一月二十三日)を出し、之を徹底させた。 一、大人は、國家護持法案・中曾根首相の所謂公式參拜の經驗等から、「戰前と異質な、戰後の國家による國家護持では危險なので、靖國神社は、國民護持・國民總氏子で行く」べきことを強く提唱し、「靖國神社を絶對に政治の渦中には卷込まない方針を堅持」された。宮司退任に當つては、「權力に迎合・屈伏したら、ご創建以來の純粹性が失はれてしまふ」ことを懸念し、「權力の壓力を蹴とばして、切りまくる勇氣をもたないといけない、と云ふことを、次の(大野俊康・後繼靖國神社)宮司への、一番の申し送り」とされたと云ふ。 【語彙「殉難」の出典】 愚案、「殉難」の語、蓋し前掲の京都東山招魂社創建の御沙汰書「癸丑以來殉難者の靈を東山に祭祀の件」に出づるのであらうか。 なほ宮内省(圖書寮)藏版『殉難録』(明治四十二年十二月成功)あり。『修補・殉難録稿』(昭和八年十一月・吉川弘文館刊、題字は徳富蘇峰翁)序文である虚心黒板勝美博士「修補・殉難録の卷頭に辯す」に曰く、 「 明治維新の鴻業は、是等勤王憂國の志士が、所謂人柱となりて築き上げたりといふ。豈に過言ならんや。嗚呼、明治天皇、聖徳、日の如し。是等志士の神靈を崇めて、靖國神社に合祀せしめ給へり。志士の神靈は、天翔り國翔り、永く護國の神とまします。殉難録稿は、實に是等勤王憂國の志士を傳したるものなり」と。 「殉難」の語、太政官府布告に始まり、宮内省より出づ。以て冥すべく、斷じて忽せにするべからざるなり。 次へ 映画「靖国」と靖国神社(未作成)
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種別 問題文 解答 候補グループ 候補選択肢 1 次のケッペンの気候区をそれが属する気候帯ごとにグループ分けしなさい 熱帯 熱帯雨林気候熱帯モンスーン気候 乾燥帯 砂漠気候ステップ気候 温帯 西岸海洋性気候 冷帯 亜寒帯気候冷帯湿潤気候高地地中海性気候 寒帯 氷雪気候ツンドラ気候 1 次の島を属する都道府県ごとにグループ分けしなさい 北海道 国後島天売島焼尻島奥尻島 新潟県 佐渡島 東京都 三宅島伊豆大島南鳥島沖ノ鳥島 福岡県 玄界島能古島 長崎県 平戸島福江島 鹿児島県 屋久島種子島奄美大島与論島徳之島 沖縄県 宮古島 1 次の島を属する諸島ごとにグループ分けしなさい 伊豆諸島 八丈島 小笠原諸島 沖ノ鳥島南鳥島 芸予諸島 因島江田島 奄美諸島 奄美大島与論島 八重山列島 西表島 1 次の半島を地域ごとにグループ分けしなさい 東北 牡鹿半島 関東 三浦半島 中部 知多半島 北陸 常神半島 近畿 丹後半島 九州 企救半島 1 次の岬をそれがある地方ごとにグループ分けしなさい 北海道 宗谷岬襟裳岬 関東地方 観音崎富津岬 中部地方 石廊崎珠洲岬立石岬 近畿地方 和田岬 中国地方 毘沙ノ鼻 四国地方 佐田岬蒲生田岬室戸岬足摺岬 九州地方 佐多岬鶴御崎 1 次の日本周辺を流れる海流を当てはまるものごとにグループ分けしなさい 暖流 日本海流対馬海流 寒流 千島海流リマン海流 1 次の日本周辺を流れる海流を当てはまるものごとにグループ分けしなさい 太平洋側を流れる 日本海流千島海流 日本海側を流れる 対馬海流リマン海流 1 次の湖を都道府県ごとにグループ分けしなさい 新潟県 加茂湖 福井県 日向湖菅湖 静岡県 佐鳴湖 滋賀県 琵琶湖 島根県 中海 1 次の氷体の動きが氷河であると認定された雪渓をそれがある山ごとにグループ分けしなさい 剱岳 小窓雪渓三ノ窓雪渓 立山 御前沢雪渓 1 次の都市を、その区分ごとにグループ分けしなさい 政令指定都市 札幌市仙台市新潟市名古屋市京都市大阪市堺市神戸市岡山市福岡市北九州市 中核市 旭川市函館市青森市郡山市いわき市川越市柏市船橋市横須賀市豊田市岐阜市奈良市和歌山市東大阪市西宮市尼崎市姫路市倉敷市大分市宮崎市鹿児島市 特例市 八戸市山形市水戸市川口市小田原市枚方市鳥取市松江市呉市 1 次の区をそれがある政令指定都市ごとにグループ分けしなさい 川崎市 麻生区 相模原市 南区緑区 北九州市 戸畑区 1 次の区をそれがある政令指定都市ごとにグループ分けしなさい 浜松市 東区 京都市 右京区下京区伏見区北区南区 1 次の区をそれがある政令指定都市ごとにグループ分けしなさい 堺市 北区南区美原区 北九州市 小倉北区 1 次の大阪の地区をそれがある区ごとにグループ分けしなさい 中央区 大阪城谷町 北区 中之島茶屋町 都島区 桜ノ宮 1 次の市を都道府県ごとにグループ分けしなさい 福岡県 うきは市みやま市 宮崎県 えびの市 沖縄県 うるま市 1 次の山脈を大陸ごとにグループ分けしなさい ユーラシア大陸 エルブルズ山脈 北米大陸 アリューシャン山脈 アフリカ大陸 ルウェンゾリ山脈 1 次の山を地域ごとにグループ分けしなさい 南アメリカ トゥプンガト山 アフリカ テーブル山ルウェンゾリ山 1 次の国を日本との時差がある国とない国にグループ分けしなさい ある 中国モンゴルシンガポール ない 韓国北朝鮮 1 次の国名を、国連加盟国として実在するものと実在しないものにグループ分けしなさい 実在する サウジアラビア王国中央アフリカ共和国ルクセンブルク大公国 実在しない カリオストロ公国ジオン公国マリネラ王国オーブ連合首長国 1 次の国・地域の名称を現在も存在しているか否かでグループ分けしなさい 存在している 中華民国ベトナム社会主義共和国 存在していない インカ帝国オスマン帝国ユーゴスラビアドイツ民主共和国 1 次の漢字一文字が示す国名を、地域ごとにグループ分けしなさい アジア 泰印蒙 ヨーロッパ 英独蘭 オセアニア 豪 1 次の漢字を国名を表すものと都市名を表すものごとにグループ分けしなさい 国名 丁抹柬埔寨 都市名 寿府維納馬耳塞 1 次の国を当てはまるものごとにグループ分けしなさい ベネルクス三国 オランダベルギールクセンブルク スカンジナビア三国 デンマークノルウェースウェーデンフィンランド バルト三国 エストニアラトビアリトアニア インドシナ三国 ベトナムカンボジアラオス 1 次の都市の旧名を現在の名称ごとにグループ分けしなさい イスタンブール コンスタンティノープルビザンティオン ジャカルタ スンダクラパバタヴィア ニューヨーク ニューアルステルダム サンクトペテルブルク レニングラード 1 次の国を当てはまるものごとにグループ分けしなさい 王国 ブータン 共和国 フィリピンマレーシアネパール 1 次の国をかつて属していた国ごとにグループ分けしなさい ソビエト連邦 ベラルーシアゼルバイジャンエストニア ユーゴスラビア クロアチアスロベニアマケドニア 1 次の国を国旗に星が描かれているか否かでグループ分けしなさい 描かれている トルコチリモロッコチュニジアシリアカメルーントーゴアルジェリア 描かれていない 韓国カナダスイスオーストリアモナコサウジアラビアブラジルコロンビアペルーコートジボワール 1 次の国を国内に時差がある国とない国にグループ分けしなさい ある ロシアインドネシアオーストラリアカナダブラジル ない 日本中国スペインフランスドイツチリ 1 次の島を領有する国ごとにグループ分けしなさい アメリカ グアムプエルトリコジョンストン島 イギリス セントヘレナ島バミューダ諸島フォークランド諸島 ニュージーランド クック諸島 オーストラリア タスマニア島ココス諸島 1 次の島を、属する国ごとにグループ分けしなさい フィリピン ルソン島 タイ プーケット島 インドネシア バリ島ジャワ島スマトラ島 1 次の海峡を地域ごとにグループ分けしなさい ヨーロッパ カテガット海峡 北アメリカ ハドソン海峡デービス海峡 アジア ポーク海峡 オセアニア バス海峡トレス海峡 1 次の河川を流れ込んでいる水域ごとにグループ分けしなさい 北極海 エニセイ川 カスピ海 ウラル川ボルガ川 1 次の油田を国ごとにグループ分けしなさい アメリカ プルドーベイ油田東テキサス油田 中国 タリム油田カラマイ油田 ブラジル カリオカ油田シュガーローフ油田トゥピ油田 イラン アガジャリ油田アザデガン油田 アゼルバイジャン バクー油田 クウェート ブルガン油田 ノルウェー ガルファクス油田 1 次の国を領土を持つ島ごとにグループ分けしなさい セント・マーチン島 フランスオランダ ウーゼドム島 ドイツ 1 次のアメリカの都市を位置する場所ごとにグループ分けしなさい 東海岸 ボストンフィラデルフィアマイアミプリマスキーウェストワシントンDCバッファローウィリアムズバーグ 西海岸 シアトルロスアンゼルスサンフランシスコラスベガスサクラメントサンディエゴツーソンポートランド 1 次の西インド諸島の国を公用語ごとにグループ分けしなさい 英語 ドミニカ国ジャマイカトリニダード・トバゴ スペイン語 ドミニカ共和国キューバ 1 次の南米の国を国旗に描かれているものごとにグループ分けしなさい 地球 ブラジル 太陽 アルゼンチンウルグアイ 星 チリベネズエラ 1 次の南米の国を、海岸線の大半が面している海ごとにグループ分けしなさい 太平洋 チリ 大西洋 ブラジルアルゼンチン 1 次の南米の国を公用語ごとにグループ分けしなさい スペイン語 チリコロンビアボリビアウルグアイパラグアイ 英語 ガイアナ オランダ語 スリナム 1 次の南米の国を正式な加盟国となっている地域共同体ごとにグループ分けしなさい メルコスール アルゼンチンベネズエラパラグアイ アンデス共同体 コロンビアペルー 1 次の島を、属する国ごとにグループ分けしなさい フィリピン ミンダナオ島レイテ島 マレーシア ペナン島 インドネシア スラウェシ島 1 次のアフリカの国を地域・人種による分類ごとにグループ分けしなさい ホワイトアフリカ エジプトチュニジアアルジェリアモロッコ サブサハラアフリカ カメルーン南アフリカ共和国 1 次のアフリカの国を国旗に描かれているものごとにグループ分けしなさい 星と月 リビアチュニジアアルジェリアモーリタニア 星だけ カメルーンブルキナファソセネガル 1 次のアフリカの国を面している海ごとにグループ分けしなさい 大西洋 ガーナ インド洋 ケニアソマリアタンザニア 1 次のアフリカの国を独立前に属していた国ごとにグループ分けしなさい イギリス ケニアガーナスーダンナイジェリア フランス チュニジアアルジェリアモロッコセネガル スペイン 赤道ギニア ポルトガル モザンビークカーボベルデ 1 次のアフリカの国を海に面しているか内陸国かでグループ分けしなさい 海に面している スーダン南アフリカ共和国チュニジアタンザニア 内陸国である 南スーダン中央アフリカエチオピアウガンダジンバブエレソト 1 次のアフリカの国を国内に流れている川ごとにグループ分けしなさい ナイル川 エジプトスーダン ニジェール川 マリギニア 1 次のアフリカの100万都市をそれがある国ごとにグループ分けしなさい エジプト ギザアレクサンドリア スーダン ハルツーム モロッコ カサブランカ ナイジェリア ラゴス カメルーン ドゥアラ 2 次の日本の出来事を起きた年代ごとにグループ分けしなさい 1990年代 山一証券が破綻関西国際空港が開港小選挙区比例代表並立制に 2000年代 拉致被害者5名が帰国ライブドアショック東国原英夫が宮崎県知事に 2 次のかつて日本に存在した省庁を2001年の中央省庁再編により編入された省ごとにグループ分けしなさい 総務省 自治省郵政省 国土交通省 運輸省建設省 2 次の機関を、属する省庁ごとにグループ分けしなさい 国土交通省 気象庁観光庁 経済産業省 特許庁中小企業庁資源エネルギー庁 農林水産省 林野庁水産庁 2 次の公表資料を刊行する省庁ごとにグループ分けしなさい 内閣府 青少年白書高齢社会白書 総務省 地方財政白書 外務省 外交白書政府開発援助白書 厚生労働省 労働経済白書働く女性白書 経済産業省 ものづくり白書通商白書 2 次の選挙を立候補できる年齢ごとにグループ分けしなさい 満25歳以上 衆議院議員選挙市長選挙 満30歳以上 参議院議員選挙都道府県知事選挙 2 次の日本の政党をトップの呼び方ごとにグループ分けしなさい 総裁 自民党 代表 民主党みんなの党公明党 党首 社民党 委員長 共産党 2 次の歴代内閣総理大臣を現在の都道府県にあてはめたときの出生地ごとにグループ分けしなさい 岩手県 原敬斎藤実米内光政 東京都 東条英機 石川県 阿部信行林銑十郎 京都府 西園寺公望東久邇宮稔彦 大阪府 幣原喜重郎鈴木貫太郎 山口県 伊藤博文寺内正毅山県有朋 鹿児島県 松方正義 2 次の日本の歴代総理大臣を選出された選挙区がある都道府県ごとにグループ分けしなさい 広島県 池田勇人宮沢喜一 山口県 岸信介安倍晋三 2 次の歴代の首相経験者を出身大学ごとにグループ分けしなさい 東京大学 宮澤喜一 慶應義塾大学 橋本龍太郎小泉純一郎 明治大学 三木武夫村山富市 2 次の政治家に付けられた愛称をそう呼ばれた人物ごとにグループ分けしなさい 吉田茂 ワンマン宰相今太閤白足袋宰相和製チャーチル 岸信介 昭和の妖怪カミソリ 三木武夫 バルカン政治家議会の子 福田赳夫 昭和の黄門上州の平手造酒 中曽根康弘 風見鶏青年将校不沈空母 竹下登 選挙の神様田中派のプリンス 宮澤喜一 自民党の徳川慶喜 2 次の自民党の議員を出馬した総裁選の時期ごとにグループ分けしなさい 2008年9月 与謝野馨石破茂石原伸晃小池百合子 2009年9月 谷垣禎一西村康稔 2 次の歴代内閣官房長官を任期時の内閣ごとにグループ分けしなさい 小渕内閣 野中広務青木幹雄 小泉内閣 福田康夫安倍晋三細田博之 安倍内閣 与謝野馨塩崎恭久 鳩山内閣 平野博文 菅内閣 枝野幸男 2 次の国務大臣のポストを務めたことがある政治家ごとにグループ分けしなさい 橋本龍太郎 運輸大臣大蔵大臣 森喜朗 建設大臣文部大臣 小泉純一郎 郵政大臣外務大臣農林水産大臣 2 次の国務大臣のポストを務めたことがある政治家ごとにグループ分けしなさい 麻生太郎 外務大臣総務大臣 菅直人 厚生大臣財務大臣 2 次の政治家を外務大臣を務めた内閣ごとにグループ分けしなさい 中曽根内閣 安倍晋太郎 宮澤内閣 渡邉美智雄 橋本内閣 小渕恵三 森内閣 河野洋平 小泉内閣 田中眞紀子町村信孝 福田内閣 高村正彦 麻生内閣 中曽根弘文 菅内閣 前原誠司松本剛明 2 次の国務大臣のポストを民主党政権下で就任したことがある政治家ごとにグループ分けしなさい 菅直人 財務大臣 前原誠司 外務大臣 江田五月 法務大臣 2 次の政治家を、民主党政権下で就任したことがあるポストごとにグループ分けしなさい 外務大臣 松本剛明玄葉光一郎 財務大臣 藤井裕久 法務大臣 千葉景子仙石由人平岡秀夫 防衛大臣 北澤俊美 2 次の人物を、国民栄誉賞が授与された時の首相ごとにグループ分けしなさい 福田赳夫 王貞治古賀政男 中曽根康弘 植村直己長谷川一夫 宮澤喜一 長谷川町子服部良一藤山一郎 橋本龍太郎 渥美清 小渕恵三 黒澤明 森喜朗 高橋尚子 麻生太郎 森光子遠藤実 鳩山由紀夫 森繁久彌 2 次の国会議員を所属する政党ごとにグループ分けしなさい たちあがれ日本 平沼赳夫 みんなの党 江田憲司川田龍平 国民新党 下地幹郎 2 次の政治家を所属したことがある政党ごとにグループ分けしなさい 新党さきがけ 鳩山由紀夫菅直人玄葉光一郎 日本新党 海江田万里 2 次の人物を知事を務めた都道府県ごとにグループ分けしなさい 東京都 青島幸男石原慎太郎 大阪府 横山ノック橋下徹 2 次の政治家を知事を務めた県ごとにグループ分けしなさい 富山県 中田幸吉 石川県 谷本正憲 福井県 栗田幸雄 愛知県 大村秀章神田真秋 三重県 野呂昭彦 2 次のものをそれがデザインされているバッチが用いる職業ごとにグループ分けしなさい 裁判官 八咫の鏡 検察官 朝日菊 弁護士 天秤ヒマワリ 2 次の組織・団体を国連の専門機関か否かでグループ分けしなさい 専門機関である IBRDFAOILOIMF 専門機関でない FBICIAWWFWBCUEFA 2 次の国際連合の専門機関を本部を置く都市ごとにグループ分けしなさい ワシントンD.C. 世界銀行国際通貨基金 パリ 国際連合食糧農業機関 ジュネーブ 国際労働機関世界保健機関世界気象機関世界知的所有権機関 ローマ 国際農業開発基金 2 次の国際連合総会の補助機関を本部を置く都市ごとにグループ分けしなさい ニューヨーク 国際連合開発計画 ジュネーブ 国連難民高等弁務官事務所 ナイロビ 国際連合人間移住計画 2 次の国連加盟国を加盟した年代ごとにグループ分けしなさい 1990年代 クロアチアナミビアパラオ 2000年代 スイス 2 次の国を、20世紀の冷戦下で掲げたイデオロギーごとにグループ分けしなさい 社会主義 ソ連北朝鮮東ドイツモンゴル 資本主義 アメリカフランスオーストラリア西ドイツ 2 次の国を、大統領の任期ごとにグループ分けしなさい 5年 フランス韓国 6年 ロシア 2 次の歴代のアメリカ大統領を所属した政党ごとにグループ分けしなさい 民主党 グロバー・クリーブランドウッドロウ・ウィルソンF・ルーズベルトハリー・トルーマンジョン・F・ケネディリンドン・ジョンソンビル・クリントンバラク・オバマ 共和党 セオドア・ルーズベルトカルビン・クーリッジハーバート・フーバードワイト・アイゼンハワーリチャード・ニクソンジェラルド・フォードロナルド・レーガンジョージ・W・ブッシュ 2 次の歴代アメリカ国務長官を任期時のアメリカ大統領ごとにグループ分けしなさい ニクソン キッシンジャー クリントン クリストファーオルブライト ブッシュ コリン・パウエルコンドリーザ・ライス オバマ ヒラリー・クリントン 2 次の歴代アメリカ国防長官を任期時のアメリカ大統領ごとにグループ分けしなさい ケネディ マクナマラ クリントン ペリーコーエン 2 次のイタリアの政治家を務めたポストごとにグループ分けしなさい 大統領 オスカル・スカルファロジョルジョ・ナポリターノ 首相 シルビオ・ベルルスコーニ 2 次のドイツの政治家を務めたポストごとにグループ分けしなさい 連邦首相 アンゲラ・メルケル 連邦大統領 ローマン・ヘルツォークホルスト・ケーラー 2 次の政治家を大統領を務めた国ごとにグループ分けしなさい イラン アフマディーネジャードモハンマド・ハータミー イラク ジャラル・タラバニ ペルー アルベルト・フジモリオジャンタ・ウマラ ウルグアイ タバレ・バスケス 2 次の国を通貨単位ユーロを導入しているか否かでグループ分けしなさい 導入している フランスドイツギリシャイタリアオランダスペインポルトガルベルギーフィンランド 導入してない 日本アメリカイギリスアルゼンチンデンマークルーマニア 2 次の中南米の国を通貨単位ごとにグループ分けしなさい USドル エクアドルエルサルバドル ペソ ドミニカ共和国チリキューバ 東カリブ・ドル ドミニカ国グレナダ 2 次の南米の国を通貨単位ごとにグループ分けしなさい ~・ドル スリナムガイアナ ~・ペソ アルゼンチンコロンビアウルグアイ 2 次のアジアの国を通貨単位ごとにグループ分けしなさい ~・ドル シンガポール ~・ルピー ネパールスリランカ 2 次の中東の国を通貨単位ごとにグループ分けしなさい ~・ポンド レバノン ~・ディナール クウェート ~・リアル カタールイエメンオマーン 2 次のアフリカの国を通貨単位ごとにグループ分けしなさい ~・ドル ジンバブエリベリア ~・フラン ジブチルワンダ ~・ディナール リビアスーダン ~・シリング タンザニア ~・ルピー セーシェルモーリシャス 2 次の紙幣の肖像画になった人物を描かれた紙幣の額面ごとにグループ分けしなさい 千円 伊藤博文夏目漱石野口英世 五千円 新渡戸稲造樋口一葉 一万円 福澤諭吉 2 次の人物を、肖像が描かれた紙幣の額面ごとにグループ分けしなさい 五十円札 高橋是清 百円札 藤原鎌足板垣退助 五百円札 岩倉具視 千円札 日本武尊伊藤博文夏目漱石 二千円札 紫式部光源氏 五千円札 新渡戸稲造 一万円札 福澤諭吉 2 次の税金を日本の法律で実際にあるかないかでグループ分けしなさい ある 相続税法人税贈与税消費税関税印紙税揮発油税石油石炭税軽油取引税ゴルフ場利用税 ない 印税脱税年齢税宗教税未婚税自転車税パソコン税ニート税カラオケ税サッカー場利用税 2 次の税を、日本において国税か地方税かでグループ分けしなさい 国税 法人税贈与税事業税揮発油税石油石炭税 地方税 軽油取引税固定資産税不動産取得税ゴルフ場利用税 2 次の税を、日本において直接税か間接税かでグループ分けしなさい 直接税 相続税所得税法人税自動車税 間接税 消費税関税印紙税 2 次の銀行を、それを母体に成立した銀行ごとにグループ分けしなさい 三井住友銀行 住友銀行さくら銀行 みずほ銀行 富士銀行第一勧業銀行日本興業銀行 2 次の企業を属するグループごとにグループ分けしなさい 三菱グループ 日本郵船JXホールディングス東京海上日動火災保険旭硝子ニコン 三井グループ トヨタ自動車東芝日本製紙 2 次の企業を、本社の所在地ごとにグループ分けしなさい 大阪市 江崎グリコ日本ハムシャープカプコン 京都市 王将フードサービス宝酒造任天堂ローム 神戸市 伊藤ハムネスレ日本 2 次のアジアの企業を本社を置く国ごとにグループ分けしなさい 中国 青島ビールハルビンビール 韓国 ヘテ飲料ハイト眞露 2 次のビール会社を本社を置く国ごとにグループ分けしなさい アメリカ ミラークアーズ イギリス バス・ブリュワリーディアジオ メキシコ モデーロ ブラジル アンベブカイザー 2 次の電気機器メーカーを本社を置く国・地域ごとにグループ分けしなさい 中国 ハイアール・グループ 韓国 サムスン電子LGエレクトロニクス 台湾 エイサークアンタ・コンピュータ 2 次の電機メーカーを本社を置く国ごとにグループ分けしなさい アメリカ IBMゼネラル・エレクトリックゼロックス イギリス ダイソンシンクレア・リサーチ イタリア デロンギ 2 次の通信社を本社を置く国ごとにグループ分けしなさい アメリカ AP通信UPI フランス AFP ドイツ EPA通信 2 次の新聞を発行されている国ごとにグループ分けしなさい イギリス ガーディアンデイリー・テレグラフ アメリカ ワシントン・ポスト フランス フィガロ 2 次のアジアの新聞・通信社を本社を置く国ごとにグループ分けしなさい 中国 新華社 韓国 世界日報中央日報東亜日報 2 次のタブロイド紙を発行されている国ごとにグループ分けしなさい イギリス ザ・サンデイリー・ミラー アメリカ ザ・グローブデイリーニューズ 2 次の広告代理店を本社を置く国ごとにグループ分けしなさい アメリカ インターパブリック フランス パブリシスグループアヴァス 2 次の金融機関を本社を置く国ごとにグループ分けしなさい イギリス ロイズTSB アメリカ シティバンクJPモルガン・チェースワコビア スイス UBS オランダ ABNアムロ銀行 2 次の証券会社を本社を置く国ごとにグループ分けしなさい イギリス バークレイズ・キャピタルRBS証券 アメリカ ゴールドマン・サックスメリルリンチ 2 次の製薬会社を本社を置く国ごとにグループ分けしなさい アメリカ ファイザーメルク イギリス グラクソ・スミスクライン フランス サノフィ・アベンティス 2 次の保険商品を取り扱っている会社ごとにグループ分けしなさい アフラック どなたでもGIFT メットライフアリコ ずっとあなたとやさしくそなえる医療保険 オリックス生命 BridgeFineSave 2 次の原子力発電所を保有する電力会社ごとにグループ分けしなさい 東京電力 柏崎刈羽原子力発電所 関西電力 大飯発電所高浜発電所 2 次の施設を管理する自衛隊ごとにグループ分けしなさい 航空自衛隊 美保基地防府北基地築城基地那覇基地 海上自衛隊 下関基地佐伯基地 2 次の陸上自衛隊の駐屯地をそれが位置する都県ごとにグループ分けしなさい 茨城県 霞ヶ浦駐屯地 群馬県 相馬原駐屯地新町駐屯地 千葉県 下志津駐屯地 神奈川県 久里浜駐屯地武山駐屯地 2 次の陸上自衛隊の駐屯地をそれが位置する府県ごとにグループ分けしなさい 京都府 福知山駐屯地桂駐屯地大久保駐屯地 大阪府 八尾駐屯地信太山駐屯地 兵庫県 川西駐屯地青野原駐屯地 2 次の陸上自衛隊の駐屯地をそれが位置する県ごとにグループ分けしなさい 愛知県 春日井駐屯地守山駐屯地豊川駐屯地 三重県 久居駐屯地明野駐屯地 兵庫県 青野原駐屯地千僧駐屯地 福岡県 前川原駐屯地小郡駐屯地 長崎県 相浦駐屯地竹松駐屯地 鹿児島県 国分駐屯地川内駐屯地
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【作品名】フロンティア 【ジャンル】漫画、作者石渡洋司 【名前】黒木武 【属性】北朝鮮の人で暗殺者 【大きさ】青年並み 【攻撃力】黒の技法:筋肉の振幅を一点に集中し相手に叩き付ける打撃 同種の技と相殺しあった際に、余波のみで石畳の地面に直径4m深さ50cmのクレーターを作るので、一人ならその半分の威力 また応用として相手の体の内部に衝撃を通す事で、骨や内臓を粉砕する事もできる内部破壊も可能 普通に殴るのと同じ速度で瞬間発動 【防御力】達人並み 【素早さ】目黒勇一と互角の格闘戦ができる反応と戦闘速度 目黒勇一:エイブラムス戦車の砲撃した瞬間(マズルフラッシュが描かれている)の後から動いた後で砲弾が砲口から出る前に、膝と肘を砲塔に叩き込める戦闘速度 自分の格闘攻撃を避けられる相手と格闘戦で互角の反応 反応相応の一瞬で3mは移動できる短距離移動速度 他は達人並み 【長所】主人公っぽい容姿 【短所】片目を失った 【備考】主人公の目黒勇一と戦闘、殺しあった 106スレ目 180格無しさん2020/09/04(金) 22 40 52.55ID C8jFtmPG 黒木武 考察 エイブラムス戦車砲の初速は1,490m/sほど。エイブラムスの砲身長は5mほどなので 主人公の攻防は1mからの音速の0. 8764倍 秒速297m/s反応 それと互角に戦える黒木の反応と戦闘速度。 2m爆発程度の打撃力 アントワヌのほぼ下位互換なのでそのあたりから見る 〇 マダム・アニエス 黒の技法勝ち 〇 ジェイ 黒の技法勝ち △ 劉蕪生 当たらないが倒せない 〇 ガウ・ルゲイラ 黒の技法勝ち △ カルミス・ウィッシュバーン 当たらないが倒せない △ 柳川裕也 当たらないが相手も堅いし再生も早いので倒せない × アントワヌ 上位互換無理 × 大杉大和 相手の方が早い無理。 カルミス・ウィッシュバーン>黒木武>ガウ・ルゲイラ 185格無しさん2020/09/06(日) 05 50 17.95ID HkBDGpPm 180 その戦績ならカルミス・ウィッシュバーンと=じゃないか 186格無しさん2020/09/06(日) 13 57 44.98ID TIryLkhM ほんとだ。こうだね。 カルミス・ウィッシュバーン=黒木武>ガウ・ルゲイラ
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■MEGAZONE23 III 演出助手 ■THE 八犬伝 演出 3 6 ■DETONATORオーガン キャメラワークアドバイザー(2話) ■超時空要塞マクロスII -LOVERS AGAIN- 演出 1 3 ■THE 八犬伝 ~新章~(あお木武名義) 絵コンテ 6 演出 6 ■モルダイバー テクニカルディレクター 演出 3 ■魔法少女プリティサミー2 電脳帝国の逆襲 演出(あお木武名義) ■魔法遊戯 飛び出す!!ハナマル大冒険 コンポジットディレクター ■高校鉄拳伝タフ コンポジット・ディレクター ■天地無用!GXP コンポジットディレクター ■ぷちぷり*ユーシィ コンポジションディレクター ■関連タイトル 超時空要塞マクロスII Blu-ray Box
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日本の防衛 / 南スーダン駐留韓国軍への弾薬提供 / 日本の軍事産業 ● 武器輸出三原則〔Wikipedia〕 ★ 武器輸出三原則〔ロイター:サイト内検索〕 ■ 武器輸出三原則 「余命3年時事日記(2014.3.14)」より (※ あちこち略、詳細はブログ記事で) / 韓国が米国を無視し、民主党鳩山がとぼけている中で2010年10月対馬侵攻を疑わせる韓国軍部隊移動とそれにあわせた北朝鮮と中国の兵力移動があって、それを掴んだ米軍は中国に対し脅しをかけて、北朝鮮による延坪島砲撃という荒療治で事態を収束させました。 この流れについては「中国、韓国ここ10年時系列検証」をご覧ください。 韓国のこの一連の異常行動について、結果的に米国は韓国の指揮権委譲を2015年末まで延長したものの、米軍撤退時期を早めるとともに、兵器メンテナンス、最新兵器売却、GPS新規更新をすべてストップしてしまいました。現状イージスシステムは使えません。強襲揚陸艦独島は乗せるヘリがありません。空軍は単独行動しかとれません。もはや韓国軍は半身不随といった状態です。そのため合同軍事演習では決定プランでしか共同作戦ができません。 / 太平洋への列島線突破を阻止するには日本もここで踏ん張るしかなく、ASEANとの政治、軍事、経済の友好関係の構築が絶対的に必要となりました。特に軍事援助に関しては、日本は武器輸出三原則の縛りがあって自由がききません。そこでこれについての対応が急がれる状況になっております。 インドへのUS2飛行艇輸出、韓国への銃弾提供、ベトナム、フィリピン、インドネシアへの巡視艇供与等は、その都度問題となっております。今後予想される通信衛星をはじめとするASEANへの対応には武器輸出三原則の見直しが必要です。タイミングとしては公明党への踏み絵となるほか、ポーズではありましたが民主党も見直しには手をつけていた経緯もあって問題はなさそうです。 / 日本国内の防衛産業については、日本は自衛隊装備の大半を国内開発あるいはライセンス生産品でまかなう方針を採っているが、アメリカを除いて国際共同開発を行なっておらず、生産数が限られている。2000年代にはアメリカに限定されない国際共同開発や生産環境の整備が提言された。 世界には軍需産業を持つ国にアメリカ、イギリス、フランス、イタリア、韓国、中国、イスラエル、カナダなどがあるが、日本の防衛・軍需産業は三原則によって世界の兵器開発の流れから切り離されており、全面的な輸出禁止ではなく、国益に沿った輸出管理等のあり方を再検討すべきことも提言されている。 三原則により日本の兵器生産企業は輸出が行えず結果的に生産数が少なくなる。このために調達価格が高くなる傾向がある。 冷戦後に防衛予算は減少される中で調達数も削減されている。そのため中小企業の中には生産体制を維持できなくなり撤退するものも現れている。企業の撤退による技術、生産基盤の喪失によって防衛に支障をきたすことが問題視されている。 このような日本の現状についてウォール・ストリート・ジャーナルは、「自国防衛企業の利益粉砕する日本政府」と報道している。 / ★ 中国にらみ機動力強化、輸出三原則見直しへ=新防衛大綱 「ロイター(2013.12.17)」より / [東京 17日 ロイター] -政府は17日、「防衛計画の大綱(防衛大綱)」など中長期の安全保障の基本方針を閣議決定した。中国の海洋進出をにらみ、陸海空の自衛隊の一体運用と機動力強化を一段と鮮明にするとともに、その裏付けとして今後5年間の防衛費を増額。離島の防衛を念頭に、新型輸送機や無人偵察機、水陸両用車などを調達する計画を打ち出した。 さらに武器輸出三原則を見直す方針も盛り込んだ。一部の例外を除いて禁じてきた防衛装備品の輸出や他国との共同開発に道を開くことになる。 +続き <過去5年から2.6%増額> この日閣議決定したのは、外交と防衛の指針を初めて包括的にまとめた「国家安全保障戦略」と、およそ10年後の防衛力の姿を示す「防衛大綱」、今後5年間の自衛隊の装備目標を定めた「中期防衛力整備計画(中期防)」。 このうち具体的な装備計画である中期防で、今後5年間にかかる費用を約24兆6700億円と設定し、民主党政権が2010年にまとめた5年間の費用から約1兆2000億円積み増した。 ただ、調達改革などで7000億円ほど圧縮する方針で、実際の予算額は23兆9700億円程度に収める。今年度分を含む過去5年間の支出からは2.6%の増額となる。 国家安全保障戦略、防衛大綱とも、尖閣諸島(中国名・釣魚島)をめぐる中国の動きや、北朝鮮のミサイル開発をにらみ、陸海空の自衛隊一体運用や機動力、警戒監視能力の強化を打ち出しているが、根底にある考え方は2010年に民主党がまとめた前大綱と大きく変わらない。 しかし、今回の中期防で防衛費を増額し、実質的にオスプレイを指すティルト・ローター機や、無人偵察機など最新装備の調達、水陸機動団の新設計画を示すことで、防衛力強化の姿勢を裏付ける。 一方、ストックホルム国際平和研究所によると、中国の国防費は過去20年で6倍に増大。現在は日本の3倍近い年間予算を計上している。日本は自前の防衛力を強化すると同時に、米国を中心に韓国やオーストラリア、東南アジア諸国連合(ASEAN)、インドなどとの関係も強化していく。 <敵基地攻撃能力を検討> 閣議決定したいずれの文書も、武器輸出三原則の見直しに言及した。輸出や技術を移転する場合の審査や、目的外の使用、第三国への移転などについて、新たなルール作りを進める。 武器輸出三原則は、1967年に当時の佐藤栄作内閣が1)共産国、2)国連安保理決議で武器輸出が禁止されている国、3)紛争当事国やその恐れのある国──に輸出を禁じたのが始まり。 79年に三木武夫内閣がすべての国への禁輸を決めた。しかし、兵器の共同開発が世界的に主流になりつつあることなどから、日本政府は官房長官談話として個別に例外を認めてきた。 自衛隊の装備品受注額で上位に位置する日本企業は、三菱重工業(7011.T 株価, ニュース, レポート)や川崎重工業(7012.T 株価, ニュース, レポート)などの大手。こうした大企業には財務体力があるが、その下に連なる中小の下請けは専業者が少なくない。防衛費削減で生産設備の稼働率が低下しており、市場を海外に広げることで「防衛生産・技術基盤の維持・強化を早急に図る」(防衛大綱)という狙いがある。 このほか、北朝鮮の弾道ミサイルに対しては、ミサイル防衛システムを強化していく。発射基地を攻撃する能力について「対応能力のあり方についても検討の上、必要な措置を講ずる」(防衛大綱、中期防)と明記した。 国家安全保障戦略には、安保政策を支える社会的な基盤として「わが国と郷土を愛する心を養う」との記述も盛り込んだ。 (久保信博 編集:田巻一彦) ★ 韓国軍に弾薬提供、武器輸出3原則見直しへ布石 「読売新聞(2013.12.25)」より / +記事 政府は、国連南スーダン派遣団(UNMISS)に参加している陸上自衛隊の弾薬1万発を韓国軍に無償提供したことをきっかけに、武器の輸出を禁じた「武器輸出3原則」に代わる新原則作りの議論を本格化させる方針だ。 今回の無償提供は例外と位置付けているが、安倍首相が進める「積極的平和主義」に取り組むには、3原則見直しが不可欠と見ている。 「武器弾薬の供与が要請されることは想定していなかった。緊急時における例外的措置だ」 小野寺防衛相は24日の記者会見でこう述べ、武器輸出の基準が拡大したわけではないと説明した。 だが、想定外の事態があること自体、「現在の3原則が国際貢献の現実に対応できていない」(政府関係者)ことを浮き彫りにしたとの見方が出ている。歴代政権はこれまで、今回も含めて官房長官談話を出し、個別に3原則の例外を認めてきた。しかし、今回のような韓国軍や避難民の安全を守るために一刻を争う事態では、例外化では対応しきれないことは明らかだ。 (2013年12月25日09時30分 読売新聞) ーーーーーーーーーーー ★ PKO弾薬提供 政府「武器三原則の例外」 「毎日新聞(2013.12.23)」より / +記事 政府は23日、アフリカ東部・南スーダンで国連平和維持活動(PKO)を実施中の陸上自衛隊が保有する弾薬1万発を、同国でPKO実施中の韓国軍に国連を通じて無償譲渡した。PKOにおける日本からの武器・弾薬の譲渡は初めて。外国への武器輸出を禁じた武器輸出三原則に抵触するため、菅義偉官房長官は23日、「緊急の必要性、人道性が極めて高い」として三原則の例外とする談話を発表した。政府は従来、PKOで武器・弾薬の譲渡を要請されても応じない方針だったが、安倍晋三首相の掲げる「積極的平和主義」を踏まえて方針転換した。 国連南スーダン派遣団(UNMISS)と韓国軍が22日に日本政府に要請していた。譲渡の対象は、陸自が携行している5・56ミリ小銃用の弾薬。南スーダン東部ジョングレイ州で活動中の韓国軍工兵隊(約280人)の弾薬が不足し、治安悪化に対応できないとして要請していた。 首相は要請を受け23日昼、公邸で菅氏や岸田文雄外相、小野寺五典防衛相ら国家安全保障会議(NSC)の4者会合を開き、現地情勢を分析。譲渡を決め、同日の持ち回り閣議で決定した。 官房長官談話は、譲渡の必要性を(1)韓国部隊と避難民の生命・身体の保護(2)UNMISSで活動中の部隊で共通する弾薬を保有するのは日本のみ(3)緊急の必要性・人道性が極めて高い−−と指摘。弾薬が生命・身体の保護のみに使用されることや、UNMISS以外への移転が厳しく制限されることを前提に、三原則の例外と位置づけた。 PKO協力法は、日本から国際機関に対する「物資協力」を認めている。ただ、政府はこれまで「人の殺傷、物の破壊を目的とする武器・弾薬の供与を要請されることは想定していない」としてきた。政府は今回の譲渡を「法律には『武器・弾薬を除く』とは書かれておらず、人道性も高いため必要な措置だ」と説明している。【本多健、青木純】 ◇「国連南スーダン派遣団(UNMISS)に関わる物資協力についての内閣官房長官談話」の骨子 韓国隊が使用可能な弾薬を保有するUNMISSの部隊は日本隊のみ 緊急の必要性・人道性が極めて高い 韓国隊の隊員及び避難民の生命・身体の保護のためのみに使用され、UNMISS以外への移転が厳しく制限されていることを前提に、武器輸出三原則によらないこととする .