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11.毛皮のエロス ダイアン・アーバス 幻想のポートレイト(FUR:An Imaginary Portreit Of Diane Arbus 2006年 アメリカ) 主演は、ニコール・キッドマン(Nicole Kidman)、共演は、ロバート・ダウニー・Jr(Robert Downey Jr)、監督はスティーヴン・シャインバーグ(Steven. Shainberg)で、異才な写真家・ダイアン・アーバスの物語です。 ダイアン・アーバス役のニコ-ル・キッドマンです。ダイアン・アーバスは、1923年ニューヨークの五番街に百貨店を持つユダヤ系富豪の家に生まれました。ファッション写真家アラン・アーバスと結婚後、夫のアシスタントとして写真を始めました。やがて写真史に残る異才を発揮しますが、1971年に自殺しました。 ダイアン・アーバスがいつも持ち歩いているローライフレックスです。映画の中でカメラがこんなにアップで登場しているのは、珍しいことです。さすが二眼レフカメラの元祖、ローライフレックスですね。アップに十分応えています。もちろんこの映画の主人公の役も十分こなしています。FRANKE HEIDECKEまで十分読みとれます。このローライフレックスは、シンクロナイザーがついていますから、X型かと思われます。しかし、フラッシュガンの足をファインダーレンズに挟み込んで取り付けています。ファイダーレンズ部のある前板部は焦点調節の時、微妙な動きを要求される部分ですから、そこに重量のあるガンを取り付けるのは、いい方法ではないと思います。映画用の取り付け方かもしれません。 ある日、コートで全身を覆い、顔は目の部分だけあいた赤いマスクを覆った謎めいた男が、ダイアンが住む同じアパートに越してきたのです。何故かその異形の姿に、ダイアン・アーバスは激しく興味を持ったのです。 それは、全身が毛むじゃらな多毛症の男で、多毛を隠すためにマスクをしていたのです。そしてこの多毛症の男との出会いが、ダイアン・アーバスの運命を決めるのです。異形の姿に興味だけでなく、愛情さえ感じるようになるのでした。ダイアン・アーバスは、人物の写真しか撮りませんでした。しかも美の基準からかけ離れた人達が対象でした。身体障害者、双子、小人、施設に収容された人、性倒錯者、ヌーディスト等です。写真を撮る方は、珍しいから撮るんだ。撮られる方は、珍しいから撮られるんだと思ってしまうのでは、生きた写真にならないのです。異形の人に愛情をも感じながら撮らなければ、生きた写真にならないのです。そのためには努力も必要だったと思います。例えば映画の中にも出てきますが、ヌーディストの写真を撮るには、自分もヌードにならなければならないのです。 映画の中で、ダイアン・アーバスがモデルとして撮ったと思われる人達が出てきますが、次のような人達です。 小人 双子 身体障害者 ヌーディスト (未完成) 名前 コメント すべてのコメントを見る
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カイト カイトは、最近現れた新キャラである。 情報が少ないので記述することがほぼ無に等しいが現状ではDarkZsakuの友人ということが判明している(本人の供述により)
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お小遣いサイトとは、まず会員登録しますするとだいたいの サイトで何ぼかポイントがもらえます次にスポンサーサイト 等に会員登録したり、ミニゲームをしたり、といろいろすると ポイントを貯めるとお金またはいろいろな商品と交換できる サイトです。 老舗サイトにフルーツメールとかがあります フルーツメール ↑フルーツメールのリンクです 現金の支払方法は銀行振込ですがどちらかというとネット バンクがオススメです! ネットバンクはネットで稼ぐのに特に重要です http //www.ebank.co.jp/index.html ↑は人気ネットバンクのイーバンクのURLです ネットバンクでないとせっかくの報酬が手数料で多く減って しまう場合があるからですネットバンクは手数料無料という のも結構あるんで探してみてはどうでしょう・・・
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Heat Ray 強力な熱線銃を放ち、敵を溶かす。 通常 ADJ 対象 スプレッド レアリティ Uncommon Rare 隕石破壊 ● 貫通 ● 追加効果 - ダメージ+5% 射程は画面50%ほど。 取得方法 通常 Homefrontで取得可能 (3rd)Preemptive Strikeで取得可能 (5th) ADJ ヒートレイを装備すると確率で取得可能 名前 コメント
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登録日:2018/12/21 (金) 22 56 45 更新日:2024/05/20 Mon 02 08 50NEW! 所要時間:約 16 分で読めます ▽タグ一覧 おっさんホイホイ ノスタルジー ブルートレイン レトロ 列車 国鉄 夜行 夜行列車 客車 寝台列車 寝台特急 急行 機関車 特急 走るホテル 鉄道 ピィィィィィィィィッッ 甲高い汽笛とリズムのいいジョイント音を響かせ、夜汽車が往く。 ブルートレイン、それは少年の日の憧れ……………。 ブルートレインとは、かつて運行されていた、車体が藍色で塗られていた寝台列車の総称。 本来の定義では「機関車に牽引されて走る客車」の編成を指していたが、晩年は電車である581系・583系もブルートレインの仲間に含めていた。 ☆概要 始発駅を夕方から夜にかけて発車し、目的地に早朝から昼にかけて到着する「夜行列車」の一種。 しかも寝台付き、食堂車付きなのに加え、ブルートレインは登場当時「完全電化、冷暖房完備の寝台列車」という優美な車両であった。 乗客からすれば「寝ている間に目的地へ連れて行ってくれるため、目的地での時間を有効活用できる」「夜行バスや飛行機と違い、移動中に完全に横になって熟睡出来る」「前泊不要」というメリットがある。 ブルートレインブーム ブルートレインを語るのに欠かせないのがこのブームである。 1978年、東京発着列車の牽引機がEF65形PFに交代した前後からマスメディアで取り上げられるようになった。この年の夏以降「ポスト・スーパーカー」として本格的なブームが到来し、発着する各駅には小中学生のファンが殺到するようになった。また、1979年からはテール部分に絵入りマークが入るようになり、人気は最高潮に達した。一方過熱するブームは関西地区を中心に(*1)深夜に小中学生が駅構内で撮影するなど、教育上の問題も引き起こした。 『ドラえもん』でブルートレインセットなるひみつ道具が登場したことや、水島新司の野球漫画である『ドカベン』にも「ブルートレイン学園」なる高校が対戦相手として登場したことからもブームの過熱ぶりがうかがえるだろう。西村京太郎の十津川警部シリーズ第1作『寝台特急殺人事件』も、このブーム中に刊行されたものである。 これだけのブームにもかかわらず、国鉄の収益には一切貢献せず、ブーム期間中も多くの列車が廃止に追い込まれている(もっとも小中学生の財力ではブルートレインに乗ることすらなんて夢のまた夢だったのだが)。 関連グッズも多数発売されたが、当時は鉄道会社がグッズ監修やライセンス料を取るなんて発想すら無かったため(*2)、これも収益には結びつかなかった(*3)。 フィクションへの登場 動く密室という特徴が作家の諸氏の執筆翼を擽るのか、古今東西ブルートレインの車内における殺人事件を扱う推理・サスペンス小説は多い。日本だと前述した『十津川警部シリーズ』がそれだし、もとはと言えばアガサ・クリスティの『オリエント急行殺人事件』がその源流であろう。 米花市の小さな名探偵や金田一少年も実在架空を問わずブルートレインで殺人事件に直面している。 ☆ブルートレインの設備 ☆開放A寝台 車両中央の通路を挟んで定員2人のボックスが並び、利用者はレールに対して並行にセットされたベッドで寝る。2段ベッドで、幅は100cm。 通路とはカーテンで仕切られただけで、完全なプライベート空間にはならない。 長らく客車にしか存在しなかったが、国鉄最末期の1985年に電車にも登場した。 ☆開放客車B寝台 通路を片側に寄せ、利用者はレールに対して垂直にセットされたベッドで寝る。幅は20系以外70cm、20系は52cm。 通路とはカーテンで仕切られるだけなのは開放A寝台と一緒。 当初は大勢の人を運ぶために1ボックスの定員が6人の3段ベッドとなっていたが利用者の減少と快適性の向上を理由に1ボックスの定員が4人の2段ベッドに改良された。 ちなみに、出発時間が早い列車は寝台を展開せずに出発し、途中で列車ボーイが寝台の展開を行っていた。 ☆電車B寝台 581・583系のみ。作りは客車A寝台と同じだが、ボックスの定員が3人の3段ベッドなのが大きな違い。 昼夜兼用の581・583系は昼間は4人用座席として使われる関係で下段の幅がA寝台に匹敵するほど広く、ちょっとツウなお客は電車3段の下段を指名買いしていた。 もっとツウなお客はパンタグラフの下のボックスを指名買いしていた。 これはパンタグラフを搭載する場所だけ屋根が切り下げられており3段寝台が設置できなかったから。 中段と上段の幅は70cm。これは20系のB寝台よりも広く、後に登場する客車もこの幅に拡大された。 ☆個室A寝台 1人用から2人用まで。寝台スペースの入口に扉を設置し、完全なプライベート空間を確保。 歴史は意外と古く、1958年に登場した20系客車にルーメットと称する個室A寝台車が連結されている。 その後はしばらく開放式の増備が続き、再び登場したのは1976年のオロネ25形。 …が、膝が延ばせない狭さや各種設備の使い勝手がよろしくないと当時からあまり評価は高くなく、「走る独房」とも揶揄された。 それを分割民営化後にシングルデラックス扱いにしたのは詐欺だと思う。 本格的なグレードアップが進められたのは国鉄末期からで、内部には広々としたベッドとオーディオ機器などが備えられ、列車によってはトイレ・シャワールーム、ベッドとは別のリビングスペースまで設けていた。 ☆個室B寝台 1人用が「ソロ」、2人用が「デュエット」、4人用が「カルテット」と呼ばれた。 スペースの入口に扉を設置し、完全なプライベート空間を確保。1984年に「さくら」「みずほ」用14系に連結された「カルテット」が最初。 A個室に比べると狭いものの、カプセルホテルの感覚で利用できる。内部での着替えは頑張れば出来る。 ちなみに、前述の開放B寝台にも開閉扉を設置した車両も存在しており、そちらは「Bコンパート」と呼ばれた。 ☆食堂車 長距離列車のお供。始発駅出発後に夕食、翌朝到着前に朝食のサービスが提供されていた。 調理と言っても、地上のキッチンで調理・加工済みの食材を車内備え付けの電子レンジや電気コンロで温めるぐらいしか出来なかったが、駅弁と違って温かい食事を摂れるとあってそれなりに繁盛していた。 北斗星やカシオペア・トワイライトエクスプレスの食堂車は「列車の旅を楽しむ」目的の意味合いが強く、夕食は要予約でフランス料理のフルコースなどが提供され、ディナータイム終了後はパブタイムとしてコーヒーや軽食などが提供されていた。朝食営業もあった他、トワイライトエクスプレスの札幌行のみ発車時間の関係でランチ営業もしていた(*4)。 なお食堂車従業員の賄い飯として目玉焼き丼が提供されていたが、これは俗にハチクマ丼(ハチクマライス)と呼ばれていた。 ☆ラウンジカー/ロビーカー 乗客全員が自由に利用できるフリースペース。ホテルのロビーのようにソファーなどが設置され、車窓を眺めながらゆっくりくつろぐことが出来る。 一部の列車には車掌が手売りするシャワーカードを購入することで利用できるシャワーが設置されていた。 1985年に「はやぶさ」に連結されたのが最初。 ☆座席運用 寝台を使用しない時間帯に昼行特急の代わりに寝台料金を払わずにブルートレインに乗車することができる。通称「ヒルネ」。 開放A寝台はグリーン料金、開放B寝台は指定席特急券または立席特急券で利用可能。列車ごとに運用区間は決められており、B寝台しか開放されない事例もある。 なお、後年には「ゴロンとシート」や「ノビノビ座席」など、最初から指定席扱いで販売される形態も登場している。 ☆電源車 客車で消費される電力を提供する車両。冷暖房・食堂車の調理器具などの電力を一手に引き受けていた。 ただし客車でも、車掌室のある車両床下に自車を含む6両分の電力を賄う発電機を設置していた14系には電源車がなかった。 ☆ブルートレインの車両 本項では便宜上、車体が青くないものの、同種の用途で使用される形式についても解説する。 ☆20系 1958年に登場した元祖ブルートレイン。 それまで1両単位で管理していた客車に電車と同じ「固定編成」という概念を取り入れ、電源車+B寝台+食堂車+A寝台を基本とする編成を組んだ。『あさかぜ』を皮切りに様々な寝台列車に投入され、初代ブルートレインとして輝かしい功績を残した。一方で、編成内に電源車を1両しか置かない『集中電源方式』を採用したことで 分割・併合には対応できない(分離する編成には別に電源車を用意する必要がある) 10数両への電源供給能力を持つ電源車は、短編成においては過剰な出力である→需要に合わせた短編成化に向いていない と言った問題点も浮かんだ。 それまでの寝台車とは一線を画す冷暖房完備の車内から走るホテルとも称され、その優美なスタイルは多くの鉄道少年を虜にした。 ドアは自動式ではなく手動式ながら車掌室から一斉にロック出来る。開閉と個別の施錠は寝台の組み立て・解体を担当する列車ボーイが担っていた。 たまに全部のドアを外からロックしてしまい、走り始めた列車に車掌室の窓から飛び乗るボーイが居たという逸話もある。 登場時の日本人の体格に合わせてB寝台の幅を52cmとしたために、14系・24系客車の登場後は特急運用から外されるようになり、1970年代後半以降は老朽化が進んでいた夜行急行の寝台車に転用され、12系客車と併結できるように改造した車両も現れた。 変わり種ではジョイフルトレイン「ホリデーパル」として14系を併結して使用された車両もあり、年寄りの厚化粧派手な塗装に変更されて運用されていた。 特急運用は1980年、定期運用は1986年にそれぞれ終了したが、少数が臨時列車用としてJRに引き継がれ、1998年に全廃となった。 大宮の鉄道博物館、京都鉄道博物館をはじめ各地に保存されている。 それまでの客車とは一線を画す優雅なデザインに加え画期的な装備を持った名車であるが、実はブルーリボン賞・ローレル賞には縁がなかった。 実はデビューした1958年にはローレル賞の設定が無く(*5)、ブルーリボン賞も同時にデビューした「こだま型」こと151系に掻っ攫われてしまったのが理由。 ☆14系 20系の後継として1971年に登場。 ベースは波動輸送用として開発された12系客車で、これを特急用設備に変更したものである。この車両からブルートレインでも自動ドアが導入された。 電源車をなくし、小型化した発電機を車掌室のある車両の床下に搭載する「分散電源方式」を採用することで途中駅での切り離しや多層建て列車の運行などに対応し、20系の問題点を克服した。 20系と違ってスタイルは実用性一辺倒で個室寝台車は新造されなかったが、B寝台の幅が20系に比べて18cm拡大されたことで快適性がアップ。JRになってからも現役の車両が多く存在した。 しかし増備途中に北陸トンネル火災事故(*6)が発生。 「可燃性の燃料と乗客を同じ車両に乗せるのは危ないのでは?」 という意見から一旦増備が打ち切られ、下記24系の増備に移行。 その後、自動消火装置の搭載など安全対策を施し、外見も24系25形に揃えた14系15形にマイナーチェンジして増備が再開された。一部は耐寒改造を施されて北海道に渡っており、気動車と併結できるように改造した車両も存在する。 因みに波動輸送用の座席車タイプ(*7)も存在しており、一部の列車では寝台車と連結して運用された。 門司港の九州鉄道博物館や富士急行の富士吉田駅などで展示されている。他にも列車ホテルとして再利用されているものもあるので、昔を偲びながら一夜を明かしたい方にお勧め。 1972年鉄道友の会ブルーリボン賞受賞。 ☆24系 14系の改良型として登場した客車。20系と同じく電源車から電気を供給し、列車に合わせてB寝台車、A寝台車、食堂車を連結する。アニヲタWikiに世話になる世代だと、ブルートレインと言えばこの24系という印象が強いと思われる。 14系とほぼ同じ車体の24形と、寝台側の窓が小さくなり側面帯が銀色になった25形の2種類のグループに分かれる。 新造車は開放B寝台・開放A寝台・個室A寝台の3種類のみだったが、国鉄末期から改造で個室車やラウンジカーなどが追加され、バリエーションも多彩となった。北斗星・トワイライトエクスプレスの食堂車には485系改造車が編入されて使用されたほか、12系や50系から改造編入された車両も存在する。 また、1989年には次世代寝台特急の試作車として「夢空間」と名付けられた900番台3両が製造された。当初は横浜博覧会の会場として桜木町駅前に展示され、その後「北斗星」の臨時列車を中心に使用された。 引退後は全国各地で保存施設を筆頭に列車ホテルやレストランとして利用されているものがあるほか、大宮の鉄道博物館にはオロネ25の個室モックアップが保存されている(*8)。 ちなみに『夢空間』の2両はららぽーと新三郷、残り1両は川口市でレストランで保存されている。 ブルートレインとして唯一、本州・九州・北海道・四国の全エリアに乗り入れた車両である。 四国に乗り入れたブルートレインというのが、24系25型を使用した「瀬戸」しかいなかったが故のことである。 1975年鉄道友の会ローレル賞受賞。ローレル賞の選定基準変更後(*9)、別料金を取る特急形車両では初の授賞車両となった。 ☆581・583系 厳密にはブルートレインと言えるのか微妙なのだが、夜行列車…いや在来線の全盛時代を支えた名車。そして日本鉄道史上随一の珍車の一角…いや3角? 「利用者はどんどん増えていくし、それに合わせて列車も増やすけど車両基地が絶望的に足りない!」という国鉄の悲鳴に対する 「だったら昼は座席車、夜は寝台車として使えればいいんじゃね?」 という答えから生まれた昼夜兼用電車。24時間戦えますか?コンセプトを実現してしまったのである。 昼間は4人がけのボックスシートで、夜は3段寝台に転換できる専用設計。昼夜を問わず、本州と九州を休み無く駆け巡った。これは冗談でも何でもなく、 博多~名古屋を寝台特急『金星』として運転→車庫に入って寝台から座席に転換→名古屋~富山の特急『しらさぎ』として往復→名古屋の車庫で座席から寝台に転換し、博多行きの『金星』に投入 といった感じであった。 兼用ではあったが、寝台特急としての快適性をある程度考慮した結果、昼間の快適性が犠牲となってしまい(*10)ほぼ夜行専用に。しかも、他の車両=昼間or夜行車両に比べて一日当たりの稼働時間が長かった事で、後年足回りを損傷する車両も多かった。また、B寝台も2段化が進み時代に合わなくなったことや座席⇔寝台の転換作業は結構な重労働であったこと、新幹線開業に伴う在来線特急の廃止も相まって第一線を退くことに。 結果、同時期に製造された24系や485系に主力を譲ることになる。やはり、両用機では専用機には勝てないんである… A寝台は1985年に改造車が登場するまで存在しておらず、このため 「普通車の客は横になって寝られるのに、高いグリーン料金を払っているグリーン車の客は横になれない」 という逆転現象が起きていた。 余剰車は長らく大きな駅構内に留置されたのち近郊型電車に改造されており、それがかの有名な715系・419系である。 一方で昼行と夜行の双方に対応できることから定期運用離脱後も波動用車両として重宝され、細く長く走り続けて2017年に引退した。 現在も秋田に保留車名義で先頭車1両の車籍が残されており、京都鉄道博物館と台湾で保存車が展示されている。 1968年鉄道友の会ブルーリボン賞受賞。 ☆285系 1998年に登場したJR西日本・JR東海共同開発の特急型電車。 平均乗車率が高く、航空機への対抗も十分可能であると見込まれた「瀬戸」「出雲」の置き換えおよびスピードアップを目的に導入された。 従来のブルートレインと異なり朝をイメージした明るいカラーリングと住宅メーカーと共同開発した内装が特徴。 寝台車は全車両個室で、座席指定券だけで使用可能な「ノビノビ座席」もある。 1999年鉄道友の会ブルーリボン賞受賞。 ☆E26系 1999年に登場したJR東日本の寝台客車。 ご存じ「カシオペア」の車両であり、12両編成1本のみの存在。 JR東日本の特急車両では唯一となるステンレス製で、無塗装の車体に5色の帯が入る斬新なカラーリングが特徴。 客室は全室2人用個室A寝台で、全室にトイレとシャワーを設置していた。最後端部のラウンジカーを除いた全車が2階建てとなっている。 ラウンジカーは電源車を兼ねているが、その予備車として24系から改造したカヤ27という乗客にとっては残念だが鉄ヲタには大喜びな形式も存在する。 2000年鉄道友の会ブルーリボン賞受賞。 余談だがこの年はローレル賞に同社のE231系も選定されたため、JR東日本は同一鉄道事業者で両賞同時受賞という史上初の快挙を成し遂げている。 ☆ブルートレインを牽引した機関車達 ブルートレインは客車自体に電源装置を備えていたため牽引機は原則選ばなかったが、長編成を牽引する故比較的大型の機関車が主に使用され、ブルートレインの興隆とは対照的に運用を減らしていった蒸気機関車も先頭に立つことがあった。 本項では定期列車で使用された機関車について解説する。 ☆EF58形 戦後に製造された本線用大型電気機関車。機構面ではいわゆる旧型電機に属するものの、安定した運用実績と高速性能から20系「あさかぜ」の運行開始時に指定機に選ばれた。 後継機の導入や運用列車の電車化などで1968年10月を以て一度はブルートレイン牽引の任を終えるも、1972年に関西発着のブルートレインを牽引する運用が復活した。 分割民営化後もイベント用としてJRの本州3社に引き継がれたので旧型電機の中では非常に知名度が高く、JR化後も臨時ブルートレインの牽引実績がある。 ☆EF60形 500番台 EF58の後継機として開発。貨物用の0番台をベースに、20系を牽引するのに必要な装備を加えたもの。 0番台との区別のために専用塗装で登場し、この塗り分けはEF65形にも引き継がれた。 しかしEF60は貨物列車の牽引を前提として設計されたため高速性能が不足しており、それを無理やりEF58時代と同等のダイヤで走らせたので故障・遅延を相次がせた。 ☆EF65形 500番台 EF60で問題になった高速性能の不足を解消し、将来のスピードアップにも対応させた設計の機関車。EF65は基本型の0番台が高い高速性能を持っており、小改良だけでも十分に対応することが出来た。初号機である501号機が今も現役である。 ☆EF65形 1000番台 500番台の改良型で、旅客・貨物双方の牽引に対応するPF形。外観上の大きな違いは正面に貫通扉を持つスタイルになったこと。 EF66の投入で東海道本線のブルートレイン牽引からは原則撤退したが、JR発足後にEF66の代走などで先頭に立つことがあった。 JR貨物・東日本・西日本で今なお現役であり、貨物列車や業務用の輸送列車を担当している。 ☆EF66形 0番台 もともと高速貨物列車の牽引用に製造された機関車だが、1985年3月のダイヤ改正で「はやぶさ」にロビーカーが増結されるとEF65では牽引力が不足すると判断され、貨物列車の削減で余裕が出た本形式がブルートレイン牽引機となった。どこか欧州の機関車に似たスタイリングや、大出力と高速巡航を両立できる高い性能で人気を博した。 JR発足後はJR西日本所属機が牽引していたが、運用の都合でJR貨物所属機が牽引することもあった。下記の「富士・はやぶさ」の運行終了に伴い西日本所属機はすべて引退。貨物に残っていた機体も、2022年をもって最後の一両が定期運用から離脱している。 1969年鉄道友の会ブルーリボン賞受賞。通常特急形車両が受賞する傾向が強いブルーリボン賞で、機関車が選定された例はこれが唯一。 ☆EF64形 中央本線などの山岳路線向けに開発された電気機関車。基本型の0番台と改良型の1000番台があり、双方ともブルートレインの牽引実績を持つ。主に山岳路線の上越線で運用されていた。 JR東日本に引き継がれた0番台の37号機、1000番台の1001号機は茶色に塗り替えられ、これがブルトレ運用に入ると大きく注目された。 ☆EF81形 直流と交流50/60Hz全ての電源をスルー運転可能な3電源対応の電気機関車。 当初は貨物列車中心に運用されたが、国鉄末期から複数の電化方式が混在する常磐線・東北本線・日本海縦貫線・関門海峡を走るブルートレインの先頭に立つようになる。 特に民営化後に設定された本州~北海道間のブルートレインでは専用の塗装をまとって活躍した。 ☆EF510形 500番台 北斗星・カシオペアを牽引するEF81形の老朽化に対処するべく、JR貨物が開発したEF510形に旅客列車牽引に対応する装備を追加し、JR東日本に導入された。 青色の北斗星色と銀色のカシオペア色の2種類が用意され、平成の世にPF形が復活と話題になった。 なお北斗星・カシオペアの定期運行廃止後はJR貨物へと売却され、塗装はほぼそのままの状態で貨物列車の牽引で運用されている。 ☆ED75形 交流電気機関車と言えば真っ先に名の上がる車両。 0番台・700番台・1000番台が存在し、東北方面のブルートレインはと言えばこの形式・・だが、実は60Hzに対応した300番台という九州向けの少数派が存在し、こちらもブルートレインの先頭に立っていた。 ☆ED79形 0番台 青函トンネルに対応できる機関車として開発された、国鉄最後の新形式機関車。 余剰かつ経年の若かったED75形700番台から改造され、ATCやサイリスタ位相制御など青函トンネルに対応した専用機器類を設置した。 末期には国鉄型の電気機関車では唯一、パンタグラフがシングルアームに交換されていた。 ☆ED76形 ED75の交流60Hz版ともいえる交流電気機関車で、九州島内でブルートレインの先頭に立った。 こちらにも北海道向けの50Hz対応車である500番台が存在し、道内のブルートレインで先頭に立ったほか、青函トンネル直通対応改造をした550番台も登場した。 ちなみに500・550番台は前面に貫通扉が付いており、九州向けの同型機とは見た目が大きく異なる。 ☆DD51形 本線用大型ディーゼル機関車。箱型ではなく凸型車体を持つのが大きな特徴。 北海道・東北・山陰・九州の4エリアのブルートレインで先頭に立った他、下記のDF50を置き換えた紀勢本線での運用もあった。 JR北海道所属機は青色に星の模様を入れた専用塗装に所属機全てが塗り替えられ、函館-札幌間のブルートレイン牽引の任を担った。 ☆DD54形 1966年に登場したディーゼル機関車。流線型が少し入った箱型の車体が特徴。 DD51とDE10の中間を担う形式として福知山線・山陰本線に導入された。 機器類で西ドイツメーカーとのライセンス契約を結んで開発された…のだが、運用開始当初からトラブルが頻発し登場から15年持たずに全車廃車となってしまった。 ブルートレインにはブレーキ増圧工事を実施した32~37号機が充当され、京都鉄道博物館に保存されている33号機も「出雲」の先頭に立った。 ☆DF50形 DD51よりも先に登場した本線用ディーゼル機関車。DF200登場までは唯一の電気式で、本格的な客貨両用ディーゼル機関車である。 当時の技術の未成熟さからアンダーパワー気味で比較的早くに姿を消してしまったが、紀勢本線・日豊本線でブルートレインの先頭に立った。 ☆C62形 日本最大級の旅客用蒸気機関車で、アニヲタ的には『銀河鉄道999』の牽引機関車としてもおなじみ。 『あさかぜ』『ゆうづる』において電化までの数年間牽引を担当した。 『ゆうづる』は蒸気機関車が定期的に牽引した最後のブルートレインであり、前面にヘッドマークを装着し、大きなインパクトを残した。ただし、実際には主要幹線での特急牽引には既に難があったようで、夕張産の最高級石炭をわざわざ指定して使用していたというエピソードもある。 ☆C59・C60・C61形 九州では、ブルートレインの設定が比較的早くからあったにも関わらず電化は遅れており、当初は門司駅から各終着駅まで蒸気機関車で通して運転されていた。この内長崎本線は規格の関係上C60・C61が運用されていた。 C59の1号機は、ナンバープレートがブルートレインの車体色を彷彿とさせる青色に塗られており、静態保存されている現在もそのまま残されている。 ☆JRになってからも走り続けたブルートレイン ▷ 長く数多いため格納 ☆☆北海道内 面積が広いこと・季節によっては自動車よりも鉄道の方が信頼性が高かったなどの理由で、道内夜行と言われる北海道内で完結する夜行列車が国鉄時代から多数運行されてきた。青函トンネル開業後は本州と往来する列車が複数設定された。 また需要が限られる→短編成が主力となることから14系のみが投入され、折り戸を引き戸式にするなど道内向けの改造がなされた。 後年の道内夜行は、気動車に寝台客車を1-2両挿入するという、他の地域では見られない形態で運行していたことも特徴である。 ☆大雪 運転区間:札幌-網走 運行会社:JR北海道 運転終了:1992年3月 札幌と網走の間を結んだ急行列車。もともと昼間の列車もあったが、昼間の列車は同区間の特急オホーツクに格上げ・吸収され、末期は夜行1往復のみが残っていた。 その夜行便も特急『オホーツク』に編入されて消滅した。 『大雪』は2017年3月のダイヤ改正で『オホーツク』が旭川で系統分断されたことで誕生した旭川~網走間を結ぶ特急の名称として復活を遂げた。 ☆まりも 運転区間:札幌-釧路 運行会社:JR北海道 運転終了:1993年3月 札幌と釧路の間を結んだ急行列車。1993年3月のダイヤ改正で特急『おおぞら』の夜行便として格上げ・吸収され消滅。 その後2001年に再度『おおぞら』から分離される形で復活したが、気動車の中間にB寝台客車を挟み込むスタイルとなりブルートレインではなくなった。 ☆利尻 運転区間:札幌-稚内 運行会社:JR北海道 運転終了:1991年3月 札幌と稚内の間を結んだ急行列車。1991年3月のダイヤ改正で客車から気動車に置き換えられてブルートレインの仲間から外れる。 ただし寝台車は従来どおり客車を使っていた。 ☆☆本州⇔北海道 青函トンネル開通後、つまりJRになってから設定された列車ばかりである。 既にブルートレインは移動手段としての魅力を失いつつあり、乗る事自体が目的の豪華列車としての性格をもつ列車が多かった。このグループを総称して青函夜行と呼ぶこともある。 防火の観点から青函トンネル内は気動車の運用が行われておらず(*11)、583系列が投入されることもなかったので、夜行列車は機関車+客車のスタイルすなわちブルートレインの独壇場であった。 ☆はまなす 運転区間:札幌-青森 運行会社:JR北海道 運転終了:2016年3月 最後の定期急行列車、最後の青函トンネルを通過する定期客車列車、最後の定期客車列車という「最後尽くし」の急行列車。青函夜行だけど豪華列車ではない。ビジネス客や地元客を対象とした、道内夜行の延長上にある列車。 運転開始が青函トンネル開業後のため、厳密にはブルートレインに含まないとされる場合もある。 北海道新幹線開通によって従来の機関車が使えなくなるため、乗車率は悪くなかったのだが廃止された。 広義では、この『はまなす』が最後まで残ったブルートレインだった。 ☆北斗星 運転区間:上野-札幌 運行会社:JR東日本・JR北海道 運転終了:2015年3月(定期)・2015年8月(臨時) 青函トンネル開業に合わせて運転を開始したブルートレイン。従来のブルートレインにはなかった広々とした1人用個室やフルコースなどの高級料理を提供する食堂車など、列車の旅を楽しむのがメインに置かれた列車で、豪華ブルートレインブームの火付け役。当初は定期2往復の設定だったが、最盛期には定期3往復+臨時1往復が設定されていた。また増発と同時に個室化・豪華化が進み、客車のバリエーションが豊富で珍車が多かった。 本州内・道内で牽引を担当する機関車に、流れ星をあしらった専用塗装が用意されていたことも特筆される。 使用する24系客車はJR北海道とJR東日本が折半で保有しており、切磋琢磨の結果豪華で多種多様な個室寝台やロビーカーが生まれた。そして鉄道ファンは少量多品種車両の形態整理に明け暮れ、立石の模型会社は全形態を製品化することに執念を燃やしたまた『夢空間』という編成(3両)を連結していることもあった。 北海道新幹線開通準備と車両の老朽化により、臨時列車への格下げを経て廃止された。 生徒会の一存(TVアニメ版)では、壁陽学園生徒会の面々が札幌駅からこの列車に乗っている。 おそらく女性陣は4名用個室Bコンパートを、杉崎は解放B寝台で拘束されていたを使用したものを思われる。 米花市の名探偵が乗車したのもこの列車。 諸々の理由で上述の様に使用車両のバリエーションが豊富だが、TOMIXがモデル化に精力的である。というか毎年のように新規金型をつぎこんでいき、2021年現在ではあらかた網羅した疑惑が…何が立石を駆り立てたのか…(*12) ☆エルム 運転区間:上野-札幌 運行会社:JR東日本・JR北海道 運転終了:2006年8月 繁忙期の北斗星の救済を目的として運転された臨時列車。北斗星は「乗ることそのものが目的」なのに対し、エルムは「移動することが目的」という大きな違いがある。 車両はB寝台と電源車のみで、食堂車の連結はなし。ある意味古くからのブルートレインそのものという質素な編成で、豪華列車がひしめく青函夜行の中では逆に異色だった。 ☆トワイライトエクスプレス 運行区間:大阪-札幌 運行会社:JR西日本 運転終了:2015年3月 日本最長の旅客列車のタイトルホルダー。東の北斗星と対をなす豪華寝台列車だったが、こちらは臨時列車である。そのため、和歌山始発に延長されるなどダイヤが柔軟に変更されていた。 24系客車を使用するが、改造の上で緑色に塗り替えられた専用編成と専用塗装の機関車(EF81)を用意した。外見がブルーではない、という理由でブルートレインから外す人もいる。 専用編成は3本用意されたが、最後まで定期列車になることはなかった。いや、出来なかった。 というのも、上り列車の所要時間は24時間以上!全編成をフル回転していたかき入れ時なら、同じ列車と2度すれ違うという他に類を見ない長時間列車だったのである。通常なら上りと下りに1本ずつで2本、検査用の予備1本の計3本があれば事足りる。だが、片道が24時間以上となれば、上りに2本、下りに1本(*13)予備1本で合計4本必要になる…という計算である。数が足りないしそこまでの需要はなかったのだろう。 その流動性を生かしてか、特別列車として関東や九州に出張運行した実績もある。 北海道への乗り入れ終了後、個室車両ばかりを集めた超豪華編成で西日本管内のツアー列車に投入されたが、2016年に車両の検査期限が切れるため完全に引退した。 翌2017年には名前を受け継いだクルーズトレイン・TWILIGHT EXPRESS瑞風が登場。こちらの運行ルートは前述のツアー列車を踏襲している。 ☆カシオペア 運転区間:上野-札幌 運行会社:JR東日本 運行終了:2016年3月 北斗星の更なる上位列車としてJR東日本がぶっこんだ豪華寝台列車。北斗星に連結されて運転していた『夢空間』の後継に当たり、24系・14系の改造車ばっかりだった既存の列車と違い、新造されたE26系を使用する。本州内を牽引する電気機関車にも専用塗装が用意された。ただし、製造されたのは一編成のみだったことから、臨時列車としての運行であった。 定期運用終了後北海道への乗り入れは四季島に譲る形で終了し、本州内を周遊するクルーズ列車に転用された。2021年現在、四季島と並ぶ看板列車として現役である。運が良ければ東北・関東甲信越を走る姿を見られるだろう。 こちらも、本州内の機関車には専用塗装が施されていた。 ☆☆東北⇔首都圏 国鉄時代から多数の夜行列車が運行されていた…が地味な印象の列車が多い。 こと客車については九州方面から転用された車両が回されることも多く、東北地方が経済的に弱かったことを感じさせる。 ☆あけぼの 運転区間:上野-青森 運行会社:JR東日本 運転終了:2014年3月(定期)・2015年1月(臨時) 上野と青森の間を上越線・信越本線・羽越本線・奥羽本線経由で結んだブルートレイン。 元々は東北本線・奥羽本線を経由する列車だったが、山形新幹線・秋田新幹線の建設による奥羽本線の一部標準軌化に伴い、次述の『鳥海』の経路に切り替えて運行を継続した。 上越国境の山越えは急勾配が介在する関係で、山越えに強い機関車を使用していた。また、臨時列車として増発される際は583系が投入された実績もあった。ヒルネ運用の行われた代表的な列車としても知られている。 首都圏-東北地方を結ぶブルートレインとして最後まで踏ん張った列車だった。 同じB寝台でも浴衣やスリッパ類を省略して寝台料金を半額にした「ゴロンとシート」が連結されていたのはこの列車である。 ☆鳥海 運転区間:上野-青森 運行会社:JR東日本 運転終了:1997年3月 上野と青森の間を上越線・信越本線・羽越本線・奥羽本線経由で結んだブルートレイン。元は485系を使用した昼行特急列車だった。 二往復あったあけぼの号のうち片方が運行経路と名称を改めて『鳥海』となったが、最終的には歴史の深い『あけぼの』の名前が残った。 ☆出羽 運転区間:上野-秋田 運行会社:JR東日本 運転終了:1993年3月 上野と秋田の間を上越線・信越本線・羽越本線経由で結んだブルートレイン。要するに上記の『鳥海』の秋田発着バージョンにあたる補完列車である。この項目でも忘れられていたくらいには影が薄く、所要時間も前身の急行とあまり変わらなかったとか。 ☆はくつる 運転区間:上野-青森 運行会社:JR東日本 運転終了;2002年11月 上野と青森の間を東北本線経由で結んだブルートレイン。 運行当初は客車で運行されていたが、東北本線電化が完成したいわゆる「ヨン・サン・トオ」改正で電車の583系に置き換わったが、その後1994年12月に客車の24系に再度置き換えられた。一度583系電車に置き換えられた後に客車運行に戻された珍しい列車のうちの一つである。 東北新幹線八戸開業に伴う東北本線の経営分離と利用者減少を理由に廃止。 ☆ゆうづる 運転区間:上野-青森 運行会社:JR東日本 運転終了:1993年11月 上野と青森の間を常磐線経由で結んだブルートレイン。 東北本線は貨物列車が多数走っており余裕がなく、また新幹線がなく人口豊富で線形が良いということもあって常磐線を経由していた。最盛期には583系電車3往復・24系客車4往復で合計7往復が設定されており、これはブルートレインとしては最多である。 しかし兄弟列車である『はくつる』より衰退も早く、1988年には電車のみでの運行となり、1993年に廃止された。 なお、客車最末期には北斗星用に改造されたツインDX個室が暫定連結されていた。 ☆☆東海道・山陽ブルトレ 首都圏から東海道線・山陽線へ向かう。特に九州へ向かう列車が多く、元祖ブルートレインである『あさかぜ』もここに含まれることから、ブルートレインの発祥の系統と言える。その行き先から、「九州特急」「九州ブルトレ」と呼ぶ人も多い(*14)。 ☆あさかぜ 運転区間:東京-下関・博多 運行会社:JR東日本・JR西日本 運転終了:2005年3月 ブルートレインの元祖とも言える列車。博多発着の1・4号と下関発着の2・3号が存在した。 1・4号は車体塗装の金帯化や個室の連結など、後の「北斗星」等の手本にもなる大規模な車両グレードアップが実施された最初の列車であるが、九州ブルトレで「みずほ」とともに最初に廃止されたのもこの列車であった。グレードアップ第一号なのに一番最初に廃止された点でも列車として詰んでいたことがわかる。 一方で下関発着は中国地方の駅にもこまめに停車することもあって需要があり、廃止後も臨時ではあるものの『サンライズゆめ』が後を継いでいた。 1990年に、2・3号は全区間直流電化となるためディーゼル発電機を搭載する電源車の連結をやめ、ラウンジカーにパンタグラフを設置し、床下にインバータを設置して車内の電力を賄う変わった方式をとっていた。余った電源車はトワイライトエクスプレスに供出された。 ☆銀河 運転区間:東京-大阪 運行会社:JR西日本 運転終了:2008年3月 東京と大阪の間を結んだ夜行急行列車。最終の新幹線より遅く出発し、始発の新幹線より早く到着できることからビジネス客を中心に一定の人気を誇った。 運用の都合で、トワイライトエクスプレスの電源車が使用されたことがあった。 なお、銀河の名称は2020年からJR西日本の長距離列車「WEST EXPRESS 銀河」として復活しているが、名称以外の関連性はない(*15)。 ☆富士 運転区間:東京-大分・南宮崎・西鹿児島 運行会社:JR九州 運転終了:2009年3月 日本最古の列車愛称である「富士」の名を冠したブルートレイン。晩年は『はやぶさ』との併結運転となった。 全盛期は東京~西鹿児島(現・鹿児島中央)を日豊本線経由で結んでおり、日本鉄道史上最長の定期旅客列車だった。その後南宮崎まで短縮され、晩年は大分止まりとなった。 EF66の導入以降は、そんな生まれ持った格を示すように、単独運転時代のヘッドマークに他の列車のような丸型ではなく、富士山の形を模した独自のものが使われていた。 一方で地域が限定されるその名前ゆえか、東京発着九州ブルトレの列車では「あさかぜ」とともに新幹線の名前にはいまだに使われていない。 ☆はやぶさ 運転区間:東京-熊本・西鹿児島 運行会社:JR九州 運転終了:2009年3月 現在は東北新幹線の愛称となっているブルートレイン。 晩年はさくら、次いで富士との併結運転となったが、『富士』の短縮や『さくら』の廃止後は定期列車としては日本最長距離の運行距離を誇った。 『富士』と共に九州ブルトレ/東海道ブルトレの有終の美を飾った。 ☆さくら 運転区間:東京-長崎/佐世保 運行会社:JR九州 運転終了:2005年3月 現在は山陽・九州新幹線の愛称となったブルートレイン。廃止までJRの定期列車として最長距離の運行距離を誇った。長らく長崎行きと佐世保行きの多層建てで運行され、肥前山口(現・江北)で分割していた。 一方、最晩年は『はやぶさ』との併結運転とされ、単独で長崎行きのみでB寝台5両という非常に寂しい編成内容となっていた。 日本全国の旅客列車を通じてただ一本の列車番号『1』を与えられていた、栄光の列車である。日本国民に広く親しまれている桜の花を愛称に戴いていただけのことはあった。特に国鉄時代にはこの列車を担当することはステータスであったという。 ☆みずほ 運転区間:東京-長崎/熊本 運行会社:JR東日本・JR九州 運転終了:1994年12月 途中で長崎行きと熊本行きに分割されるブルートレイン。 長崎は『さくら』、熊本は『はやぶさ』と運転区間が重複し、94年12月のダイヤ改正で臨時格下げとなる。これにより、東海道ブルトレで最初に愛称が消滅し、臨時列車としての運転実績が一度もないまま消滅するという少々不遇な最期を辿った。 ブルートレインとしてはいまいち地味な列車ではあったが、これも今は山陽・九州新幹線の愛称となっており、しかも『さくら』『つばめ』を上回る最速列車種別にあてがわれている。 ☆出雲 運転区間:東京-出雲市・浜田 運行会社:JR東日本 運転終了:2006年3月 東京と出雲市の間を山陰本線経由で結んだ夜行列車。東海道ブルトレで最後まで1日複数本運転されていた列車で、廃止される日まで食堂車が非営業ながら連結されていた。 現在の『サンライズ出雲』は2往復運転されていた『出雲』のうち、JR西日本が運行を受け持っていた1往復(出雲市行き)を伯備線経由に置き換える形で1998年より運行を開始したもので、『サンライズ』デビューから『出雲』廃止まで短い間だが併存していた時期があった。ちなみに客車『出雲』が山陰本線を経由する間に伯備線経由の『サンライズ』に追い抜かれるダイヤとなっていた。 ☆瀬戸 運転区間:東京-宇野・高松 運行会社:JR西日本 運転終了:1998年3月 東京と高松の間を結んだブルートレイン。 瀬戸大橋開通前は宇野線の宇野駅発着で宇高航路に連絡する運行形態を組み、瀬戸大橋開通後は高松まで乗り入れるようになった。四国に足跡を残した唯一のブルートレイン。 最終的に、『サンライズ瀬戸』への発展的解消を遂げた。 ☆☆関西発着列車 文字通り、関西を発着するブルートレイン。こちらにも九州を目指す列車が多い。上記のトワイライトはこちらにも該当する。 晩年は大阪始発の列車が多かったが、山陽新幹線開業前は新幹線連絡のため新大阪始発の列車もあった。また、一部に京都始発の列車があった。 ☆なは 運転区間:京都・新大阪-熊本・西鹿児島 運行会社:JR九州 運転終了:2008年3月 京都と熊本の間を結んだブルートレイン。 元々は昼行列車だったが山陽新幹線博多開業に際し夜行列車となった。さらに設定当初は583系で運行されていたが、1984年ダイヤ改正で24系客車による運行に変更され名実とともにブルートレインとなった。583系電車から客車に置き換えられた珍しい列車のうちの一つでもある。 JRグループの列車名として唯一、鉄道を持たない沖縄県が由来の愛称がつけられていたが、 これは列車の運転開始に際し、沖縄県の新聞社が将来の本土復帰を願って沖縄由来の列車名をつけようというキャンペーンを展開したのと、終着鹿児島でフェリーに乗り換えることで沖縄へのアクセス列車となったから。 ☆あかつき 運転区間:京都・新大阪-長崎/佐世保 運行会社:JR西日本 運転終了:2008年3月 京都と長崎の間を結んだブルートレイン。関西-九州ブルトレのその全ての時代を見届けた生き証人。最盛期には毎日7往復が設定されていた『ゆうづる』と並ぶ高頻度列車だった。 JR発足後は高速バスへの対抗策として、3列独立シートを採用したやたら派手な塗色の座席車のレガートシート車が連結されていた。東京発の『さくら』同様に佐世保行きを分割させていた時期があった。 一部の列車は早岐駅ではなく門司駅で佐世保行きを切り離し、佐世保行きは筑豊本線を経由するという時刻表マニアに好まれる珍運用となっていた。前述の十津川警部シリーズではこれをトリックに使った回があり、ドラマ化もなされている(*16)。 ☆彗星 運転区間:京都・新大阪-南宮崎 運行会社:JR西日本 運転終了:2005年10月 京都と宮崎の間を結んだブルートレイン。晩年は運転区間の多くが一緒のあかつきと併結して運行され、単独での編成はB寝台のみ6両という寂しいものだった。 ☆きたぐに 運転区間:大阪-新潟 運行会社:JR西日本 運転終了:2012年3月(定期)・2013年12月(臨時) 大阪と新潟の間を東海道本線米原経由で結んだ夜行急行列車。 特急列車ではないが、583系を使って寝台車も引き続き設定されていたのでここで扱う。 当初は客車で運行され(*17)、1985年3月改正から583系に車両が変更された。 583系にとっては寝台・座席を1列車に混在させるこの使い方がある意味理想的ではあった。 京都鉄道博物館に展示されているのは、この列車に使用されていた583系の内の1両である。 ☆つるぎ 運転区間:大阪-新潟 運行会社:JR西日本 運転終了:1994年12月(定期)・1996年12月(臨時) 大阪と新潟の間を結んだブルートレイン。 きたぐにが北陸地方の駅にもこまめに止まって集客していたのに対し、こちらは関西と新潟をほぼ一直線に結んでいた。 今では北陸新幹線の愛称となっている。 ☆日本海 運転区間:大阪-青森 運行会社:JR東日本 運転終了:2012年3月(定期)・2013年1月(臨時) 大阪と青森の間を日本海縦貫線経由で結んだブルートレイン。一時期は函館まで延長運転されたこともある。 大阪を発着する高速バスの北限が仙台と山形のため、山形県庄内地方や秋田県、青森県から大阪まで乗り換え無しで夜間移動できる唯一の交通機関でもあり、春と夏の甲子園シーズンには東北地方の応援団がこの列車を利用していたこともある。 末期の『あけぼの』同様、庄内地区を始めとする東北地方日本海側の一部地域からの利便性が高いことから長生きした。 ☆ちくま 運転区間:大阪-長野 運行会社:JR西日本→JR東海 運転終了:1997年10月(客車運行)・2003年10月(定期)・2005年10月(臨時) 大阪と長野の間を結んだ夜行急行。 1997年10月にブルートレインからJR東海の383系電車に置き換えられ、2003年10月の臨時格下げ以降は波動用の381系車両に置き換えられた。 383系への置き換えで寝台車はなくなったものの清潔で広い車内の車両となったが、臨時格下げでオンボロに逆戻りした。 夜行列車にしては運転距離が短く、早く着きすぎないようゆっくり運転していたとか。 ☆だいせん 運転区間:大阪-米子 運行会社:JR西日本 運転終了:1999年10月(客車運行)・2004年10月(定期) 大阪と米子の間を結んだ夜行急行。 1999年10月に客車の老朽化と利用者減少を理由に2両でも運行できるキハ65系(エーデル改造車)に置き換えられ、寝台車の連結が廃止された。 ☆☆その他 ☆北陸 運転区間:上野-金沢 運行会社:JR東日本 運転終了:2010年3月 上野と金沢の間を上越線・信越本線・北陸本線経由で結んだブルートレイン。運行経路の都合上、長岡駅で列車の前後が入れ替わるついでに、機関車を交換していた。 碓氷峠区間の廃止でそれまで信越本線を経由していた急行能登が北陸と同じ経路に変更されたが、座席車オンリーで急行列車の『能登』とは最後まで共存していた。 ブルートレインの中では運転時間が短く、一時期、金沢駅に到着した列車を一旦隣の東金沢駅まで引き上げさせ、9時まで寝台個室を利用可能とするチェックアウトサービスを実施していた。 ☆能登 運転区間:上野-金沢・福井 運行会社:JR西日本 運転終了:1993年3月(客車運行)・2010年3月(定期)・2012年2月(臨時) 上野と金沢の間を信越本線・北陸本線経由で結んだ急行のブルートレイン。 上述の『北陸』とは兄弟列車で、当初はともに上越線経由、上越新幹線が開通するとこちらは信越本線経由、碓氷峠区間の廃止で再び上越線経由に戻るといった歴史を歩んでいる。 ブルートレイン客車での運行は93年3月に終了し、特急白山と共通の489系電車に置き換え。これにより寝台車の連結がなくなった。 高崎線の終電よりも後に出発することから終電を逃した人の救済も兼ねていたが、寝過ごすと翌朝最初の停車駅である直江津まで降りられない。 新潟県中越地震の発生後、利用者の増える週末限定でほくほく線経由で運行したことがある。一方で列車名の由来である能登半島には定期で入線したことがなく、客車時代末期の数年間に臨時で延長運転されたのみだった。 ☆かいもん 運転区間:門司港-西鹿児島 運行会社:JR九州 運転終了:1993年3月 九州島内で完結したブルートレイン。門司港-小倉間は普通列車扱いで運行していた。 車両がブルートレイン客車から787系電車に置き換えられ、特急「ドリームつばめ」に格上げされて消滅。 ☆日南 運転区間:博多-西鹿児島 運行会社:JR九州 運転終了:1993年3月 博多と西鹿児島の間を日豊本線経由で結んだ夜行急行列車。末端の宮崎-西鹿児島間は普通列車扱いとして運行していた。 車両がブルートレイン客車から783系電車に置き換えられ、特急「ドリームにちりん」に格上げされて消滅。 ☆カートレイン 運転区間:浜松町-広島・東小倉・白石 熱田-東小倉 白石-新富士・東青森 運行会社:JR北海道・JR東日本・JR東海・JR西日本・JR九州 運転終了:1999年8月(カートレインさっぽろ) 季節臨時列車の扱いだったが、20系・14系・24系(*18)が使用されていたのでブルートレインの仲間として特別に紹介。 欧米で早くから実用化されていたマイカーの積み込み可能な列車で、1985年に運行開始。 自動車を積み込む関係上、発着駅は貨物専用・あるいは貨物併設駅になっていたのが特徴。 そのため首都圏の発着駅は汐留→恵比寿→浜松町と3度変更されている。 開始当初は徹夜で並ばないと切符が取れない程人気を誇ったが、1990年代以降急速に利用者数が減少した。これは1990年代以降乗用車の3ナンバー拡大が急速に進み、積載車種が5ナンバー車に限られていた(*19)カートレインは敬遠されるようになったことが主な理由。 ちなみに、バイクを積載可能な「MOTOトレイン」なる列車も存在しており、こちらは上述の「日本海」や夜行急行「八甲田」に荷物車を連結して運用されていた。 ☆ブルートレインの終焉 だが、ブルートレイン含む夜行列車は現在はほぼ全滅してしまった。 大きな理由は新幹線網や航空路線の拡充に負けてしまったから。 今まで夜行列車でないと目的地での滞在時間が確保できなかった地域でも、新幹線や飛行機の早朝便の利用で滞在時間がたっぷり取れるようになった。 地方にビジネスホテルが増えたのも敗因の一つ。 更に設備がどんどん古くなっていくのに寝台料金は据え置きで高かった。 具体的にいえばB寝台一泊で6,000円(税抜き)である。 仕切りはカーテンのみ、プライバシーとセキュリティの保証がない、各種アメニティやインターネットも無しで2段ベッドにその価格で一泊したいだろうか? これに運賃と特急料金が別途加算される。 「何万も払ってこんなオンボロに乗せられるのかよ!」 となってしまうと、お客は離れていくばかり。 JR側も手をこまぬいていたわけではなく、一部車両では個室への改造車も存在したのだが、編成全体での連結比率は低く、全車個室が実現したのは新造車の「カシオペア」「サンライズ」のみ。 21世紀初頭まで2段ベッドの車両が主流だったのはさすがに時代錯誤も甚だしかった。 廃止報道が出る直前の乗車率が2割程度というのも珍しくなかった(そして廃止報道が出ると一気にプラチナチケットと化すのがお約束)。 2015年3月、上野と札幌を結んでいた北斗星が定期運転を終了、翌年に札幌と青森を結んでいた急行はまなすが廃止され、日本からブルートレインの灯火が消えた。 最後まで残ったはまなすは ☆7両中寝台車は2両 ☆残り5両は座席車。 と往年のブルートレインからすれば寂しい編成ではあったものの、走っているだけありがたかったし乗車率も悪くなかったからこそ継続できたが、北海道新幹線の開通で従来の機関車が使えなくなるのだけはどうしようもなかった。また、大抵の車両が落成から40年ほど経過しており老朽化も深刻になっていた。 今や夜行列車も東京-高松/出雲市を結ぶ『サンライズ瀬戸・出雲』を残すのみとなった。 ブルートレインではないが、車内で横になって寝ることが出来る貴重な夜行列車の生き残りである。 ブルートレインに思い出のある人は追記・修正お願いします △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] ドラえもんの宇宙開拓史に出てきた敵メカの名前はブルトレインでこいつのパロディだったな。そういえばどことなく似てる -- 名無しさん (2019-02-28 12 40 18) ガタゴト揺られながら眠るのって最高に気持ちいいんだよなあ。あの思い出は忘れられん -- 名無しさん (2019-09-03 23 51 40) 乗り物酔いが酷くて車内食堂の食事を一口も食べられなかった僕 -- 名無しさん (2019-09-04 00 07 38) 「ぼくは王様」シリーズでこの単語を知って今久々にこの言葉を聞いた -- 名無しさん (2022-07-25 20 41 13) 「大きくなってお金貯めていっぱい乗りなさい」と言われていざ大きくなってお金がたまったら何も残っていませんでしたという世代が一定数いる -- 名無しさん (2022-12-26 21 18 25) ↑それで思いついたんだが、ブルートレインの利用者の中にはそういう悔しい思いをし、乗るために過去に来たタイムトラベラーが相当数まじっているのではなかろうか。 -- 名無しさん (2022-12-26 23 40 25) ↑本当にそれな… -- 名無しさん (2022-12-29 21 17 30) 友人から聞いた話だけど夜行フェリーの雰囲気はブルートレインを含む夜行列車と似ているみたいだから乗ろうか気になっている。 -- 名無しさん (2023-05-31 13 46 55) 新幹線や飛行機でスイスイ行ける今じゃ時間をかけて移動するのが逆に贅沢になってしまった -- 名無しさん (2024-05-20 02 08 50) 名前 コメント
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