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モンゴル国 青木雅浩『モンゴル近現代史研究 1921‐1924年-外モンゴルとソヴィエト、コミンテルン』早稲田大学出版部 生駒雅則『モンゴル民族の近現代史(ユーラシア・ブックレットNo.69)』(東洋書店、2004年) 薄っぺらい本だが新しい研究が反映されている。19世紀末から1940年代に入るまで、特に独立モンゴルが社会主義路線へと舵を切っていく時期の研究としてよくまとまっている。 磯野富士子『モンゴル革命』(中央公論社、1974年) 小貫雅男『モンゴル現代史』(山川出版社、1993年) 山川だけど、使ってる研究や資料が社会主義時代の頃のままで最早参考に出来ません。 木村毅『モンゴルの真実』(中西出版、2002年) 注)1921年の革命と1990年の民主化について書かれている入門書。 小長谷有紀『モンゴルの二十世紀』(中央公論新社、2004年) 歴史書じゃなくて、モンゴル国で社会主義を建設した著名人(作家、牧民、官僚など)のライフヒストリー集。 小松久男編『中央ユーラシア史』(山川出版社、2000年) 橘誠(2011)『ボグド・ハーン政権の研究―モンゴル建国史序説1911‐1921』、風間書房 田中克彦『草原の革命家たち―モンゴル独立への道』(中央公論社、1973年) 注)書かれたのは少し古いが未だに説得力を持つ、モンゴル独立の立役者達にスポットを当てた名著。 田中克彦(2009)『ノモンハン戦争 モンゴルと満洲国』岩波書店(新書) これまで日本における「ノモンハン事件」を扱った本は、日本側の失策を問うものやソ連と日本を中心とした国際関係を論じたものだけだったが、戦争の当事者であるモンゴル人民共和国からの視点を大きく取り入れた画期的な書。色々な人にぜひ読んでほしいが、モンゴルの将校の記述について一箇所重要なな誤りがある。それについては二木博史(2009)「現代史が物語化されるとき―田中克彦『ノモンハン戦争 モンゴルと満洲国』の場合」(『日本とモンゴル 119』、日本モンゴル協会、pp.89-96)を参照のこと。 寺山恭輔(2009)『1930年代ソ連の対モンゴル政策-満洲事変からノモンハンへ-』東北大学東北アジア研究センター W.ハイシッヒ著/田中克彦訳『モンゴルの歴史と文化』(岩波書店、2000年) モンゴルの古典籍に関する記述が中心だが、モンゴルや内モンゴルの独立闘争に関しても書かれている。 萩原守「モンゴルの独立から現代まで」(小長谷有紀『アジア読本 モンゴル』河出書房新社、1997年) 矢野仁一『近代蒙古史研究』(弘文堂書房、1925年) O.ラティモア著/磯野富士子訳『モンゴル―遊牧民と人民委員』(岩波書店、1966年) ―モンゴル人民共和国で出版されたものの翻訳 Ts.バトバヤル著/芦村京、田中克彦訳『モンゴル現代史』(明石書店、2002年) モンゴル科学アカデミー歴史研究所編著/二木博史ほか訳『モンゴル史(全2巻)』(恒文社、1988年) 注)社会主義時代の政府公認のモンゴル史。2巻本。 Kh.チョイバルサン;D.ダシジャムツ;L.バトオチル著/田中克彦訳『モンゴル革命史 附・スヘバートルの生涯』(未来社、1971年) Yu.ツェデンバル著/新井進之訳『社会主義モンゴル発展の歴史』(恒文社、1978年) 注)戦後チョイバルサンの後を受けて、自身の痴呆が始まるまでモンゴルの指導者であり続けたツェデンバルの論文集。当時の人民共和国の国内外の問題への公式見解が分かる。 Т.ナムジム著、村井宗行訳『モンゴルの過去と現在』上・下(日本・モンゴル民族博物館、1998年) Ts.バトバヤル著/芦村京、田中克彦訳『モンゴル現代史』(明石書店、2002年) モンゴル人民革命党中央委員会付属党史研究所編纂/外務省アジア局中国課訳『モンゴル人民革命党略史』(外務省アジア局中国課、1972年) 注)1917~1966年までのモンゴル人民革命党(モンゴルの共産主義政党)の公式史。当時の党の立場が分かる。 (1972年)『モンゴル人民革命党略史』(日本モンゴル協会) 注)モンゴル人民革命党中央委員会所属党史研究所から1967年に出版した「モンゴル人民革命党略史」の訳。上記の外務省アジア局中国課のものと基本的に同じ。 <英語> C.R.Bawden/1989/"The Modern history of Mongolia"/London Kegan Paul International Onon, Urgungge/1976/ "Mongolian heroes of the twentieth century" /AMS Press Robert A. Rupen/1979/"How Mongolia is really ruled a political history of the Mongolian People s Republic, 1900-1978"/Hoover Institution Press, Stanford University Robrt A. Rupen/1964/"Mongols of the twentieth century"/Indiana University publications ; Uralic and Altaic series ; v. 37 Robert A. Rupen /1966/"The Mongolian People s Republic" /Hoover Institution on War, Revolution, and Peace, Stanford University Robert A. Rupen /1954/"Outer Mongolian nationalism, 1900-1919" /University Microfilms International 内モンゴルなど 加々美光行(2008)『中国の民族問題―危機の本質』、岩波書店 1947年の内モンゴル地自治政府成立の経緯などに章が割かれている。 鈴木仁麗(2012)『満洲国と内モンゴル―満蒙政策から興安省統治へ―』、明石書店 ドムチョクドンロプ/森久男訳(1994)『徳王自伝―モンゴル再興の夢と挫折』岩波書店 中尾正義、フフバートル、小長谷有紀編(2007)『中国辺境地域の50年 黒河流域の人びとから見た現代史』、東方書店 ボルジギン・フスレ(2011)『中国共産党・国民党の対内モンゴル政策―1945~49年 民族主義運動と国家建設との相克』、風響社 森久男(2000)『徳王の研究』創土社 森久男(2009)『日本陸軍と内蒙工作 関東軍はなぜ独走したか』講談社 楊海英編(2009)『モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料〈1〉―滕海清将軍の講話を中心に (静岡大学人文学部研究叢書―内モンゴル自治区の文化大革命) 』、風響社 楊海英(2009)『墓標なき草原 内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録 上・下』、岩波書店 楊海英編(2010)『モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料 2 (静岡大学人文学部研究叢書 23 内モンゴル自治区の文化大革命 2) 』、風響社 楊海英(2011)『続 墓標なき草原――内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』、岩波書店 楊海英編(2011)『モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料〈3〉打倒ウラーンフー(烏蘭夫) (内モンゴル自治区の文化大革命) 』、風響社 楊海英編(2012)『モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料 4 (静岡大学人文学部叢書 30 内モンゴル自治区の文化大革命 4) 』、風響社 戻る
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江上波夫『モンゴル帝国とキリスト教』、サンパウロ、2000年。 岡田英弘『モンゴル帝国の興亡 』(ちくま新書 、2001年) 岡田英弘(2010)『モンゴル帝国から大清帝国へ』、藤原書店 川本正知『モンゴル帝国の軍隊と戦争』、山川出版社、2013年 栗生沢猛夫(2007)『タタールのくびき ロシア史におけるモンゴル支配の研究』、東京大学出版会 志茂碩敏『モンゴル帝国史研究 正篇 中央ユーラシア遊牧諸政権の国家構造』、東京大学出版会、2013年 白石典之『チンギス=カンの考古学 (世界の考古学)』、同成社、2001年。 白石典之『モンゴル帝国史の考古学的研究』、同成社、2002年。 白石典之『チンギス・カン―“蒼き狼”の実像 (中公新書)』、中央公論新社、2006年。 杉山正明『大モンゴルの世界 陸と海の巨大帝国』(角川選書、1992年) 杉山正明(1996)『モンゴル帝国の興亡 上・下』講談社 杉山正明『モンゴル帝国と大元ウルス (東洋史研究叢刊)』、京都大学学術出版会、2004年。 杉山正明(2008)『モンゴル帝国と長いその後 (興亡の世界史)』講談社 杉山正明(2010)『クビライの挑戦 モンゴルによる世界史の大転回 (講談社学術文庫)』講談社 C.J.ハルパリン著/中村正己訳(2008)『ロシアとモンゴル 中世ロシアへのモンゴルの衝撃』、図書新聞 デイヴィド・モーガン/杉山正明、大島淳子訳『モンゴル帝国の歴史』(角川選書、1993年) 森平雅彦(2011)『モンゴル帝国の覇権と朝鮮半島 (世界史リブレット)』、山川出版社 モンゴルのブックリスト
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内モンゴル(1) [中国大紀行DVD 第5巻 シルクロードと内モンゴル より] 短いVTRですが、南モンゴルについての紹介映像です 日本初 南モンゴルデモ行進1 日本初、南モンゴルデモ行進2 モンゴル自由連盟党が中国大使館に抗議文書提出 7月5日東京六本木でモンゴル自由連盟党主催のデモ行進が行われました。 映像は三河台公園での集会の様子。殿岡昭朗氏、イリハム氏、永山英樹氏、ダシイ氏、吉 田康一郎氏らが演説を行いました。 以下のページで約30枚の写真もご覧になれます。 http //dadao.kt.fc2.com/ron154.htm 内容 南(内)モンゴルの現状とダイチン君一家難民申請 日本では余り知られていない中国領南モンゴル(内モンゴル)の人権問題ですが、同地は 既に人口比率では80%以上を漢族が占め、モンゴルの伝統文化や言語は消滅の危機に晒 されています。その南モンゴルから日本に留学してきたダイチンさん一家は、このたび日 本においてモンゴルの自由と人権改善を求めるモンゴル自由連盟党に参加、政治難民とし ての難民神聖を行っています、今回の読者の会ではダイチンさんをお迎えし、モンゴル民 族との連帯の可能性、日本のモンゴル支援のあり方などを考えていきたいと思います。是 非多くの方々のご参加をお願いします。 中国民族問題研究東京読者の会 1/4 中国民族問題研究東京読者の会 2/4 中国民族問題研究東京読者の会 3/4 中国民族問題研究東京読者の会 4/4
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楽器 歌唱法その他 蒙日音楽辞典 青木隆紘(2008)「モンゴル音楽用語小辞典」(『モンゴル研究 25』、モンゴル研究会、pp.54-74)の掲載前段階のものです。 音楽用語А-Д 音楽用語Е-Н 音楽用語О-Х 音楽用語Ц-Я オペラ・バレエあらすじ 団体、劇場 コンクールその他 戻る
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総論 ユ・ヒョヂョン、ボルジギン・ブレンサイン編著(2009)『境界に生きるモンゴル世界 20世紀における民族と国家』、八月書館 中華人民共和国領内のモンゴル系諸族(チャハル、バルガ、ダグール、オルドス、オイラート、青海、ほか) 塚田誠之編(2010)『中国国境地域の移動と交流 近現代中国の南と北』、有志舎 モンゴル帝国期におけるアス人の移動について、「民族分裂主義者」と「中華民族」—「中国人」とされたモンゴル人の現代史、など ブリヤート 池田秀實(1935)『ブリヤート・モンゴル共和國ニ於ケルブリアート族ノ研究』、蒙古事情研究會 宇山智彦編(2008)『地域認識論 多民族空間の構造と表象』、講談社 「カルムイク人とブリヤート人の民族意識—「モンゴル」認識と「独自の道」)」所収 クドリヤフツエフ/蒙古研究所譯(1943)『ブリヤート蒙古民族史』、紀元社 黒田悦子編(2002)『民族の運動と指導者たち 歴史のなかの人びと』、山川出版社 「国家なくして民族は生き残れるか—ブリヤート=モンゴルの知識人たち」所収 島村一平(2012)『増殖するシャーマン―モンゴル・ブリヤートのシャーマニズムとエスニシティ』、春風社 善隣協会調査部編(1935)『ブリャート蒙古の全貌』、日本公論社 南満州鉄道株式会社編(1936)『ブリャート民族の研究(ソ聯研究資料 ; 第20号)』、南満州鉄道経済調査会 渡邊日日(2010)『社会の探究としての民族誌 ポスト・ソヴィエト社会主義期南シベリア, セレンガ・ブリヤート人に於ける集団範疇と民族的知識の記述と解析, 準拠概念に向けての試論』、三元社 オイラート、カルムイク 宇山智彦編(2008)『地域認識論 多民族空間の構造と表象』、講談社 「カルムイク人とブリヤート人の民族意識—「モンゴル」認識と「独自の道」)」所収 臼杵陽監修(2009)『ディアスポラから世界を読む』、明石書店 「「三度目で最後の大陸」にいたるまで―カルムイク・ディアスポラの四〇〇年」所収 トゥバ人(タンヌ・オリアンハイ) 等々力政彦『シベリアをわたる風―トゥバ共和国、喉歌の世界へ』、長征社、1999年 鴨川和子(1990)『トゥワー民族』、晩声社(注:トゥワー=トゥバ) メンヒェン=ヘルフェン/田中克彦訳(1996)『トゥバ紀行』岩波書店 カザフ人 (モンゴル系とは言えないが、モンゴル国内にカザフ人がかなりの数居住していることから、ここではモンゴル国内のカザフ人問題に関わるものを挙げる) 国立民族学博物館友の会(2000)『季刊民族学』91号 「モンゴル国のカザフ人」チョナイ・クランダ・小長谷有紀・ イチンホローギーン・ルハグヴァスレン・田中克彦・大塚知則 その他 梅棹忠夫(1956)『モゴール族探検記』岩波書店 モンゴルのブックリスト
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モンゴル自由連盟党 http //www.lupm.org/japanese/index.htm Inner Mongolian People s Party strives for the freedom of the Mongols under communist Chinese rule内モンゴル人民党 http //www.innermongolia.org/ UNPO - Inner Mongolia http //www.unpo.org/content/view/7883/114/ 南モンゴルのニュースと評論(モンゴル自由連盟党発表) showrss プラグインエラー RSSが見つからないか、接続エラーです。 Southern Mongolian Human Rights Information Center http //www.smhric.org/Japanese%20SMW-table.htm SMK(スウェーデンのモンゴル委員会) http //www.mongol.org.uk/ 南モンゴル http //uygur.fc2web.com/south_mongolia.html 殿岡事務所 WEB http //www.tono-oka.jp/ uvur mongolchuud mini sain bain uu ! (南モンゴル人権フォーラム) http //bbsee.info/mongol_1/ ダイチンさん難民認定支援署名にご協力を! 掲示板 在日モンゴル人談話室ーdayaar mongol http //www3.ezbbs.net/cgi/bbs?id=buren dd=21 p=1 南モンゴルに自由を http //www2.rocketbbs.com/11/bbs.cgi?id=freemgl 内モンゴルの友・伝言板 http //8523.teacup.com/boochmon/bbs mixi [mixi] 南モンゴル(内モンゴル) http //mixi.jp/view_community.pl?id=749457 [mixi] 内蒙古自治区 http //mixi.jp/view_community.pl?id=243458 資料サイト 内モンゴル自治区 - Wikipedia http //ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%AB%E8%87%AA%E6%B2%BB%E5%8C%BA 内蒙古人民共和国、東蒙古自治政府、蒙古自治邦、蒙古連合自治政府 http //www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/syometsu/innermongolia.html 内モンゴルホーム http //www.ne.jp/asahi/overland/japan/uchimongolhome.htm 内(南)モンゴル http //www.geocities.jp/mongol_link/Obol_Mongol.html モンゴル情報局しゃがぁ http //www.shagaa.com/ 5.もう一つの満州国、幻の「内モンゴル独立国」 http //www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/mongol.html 「内モンゴルと外モンゴルのあいだ」 http //www.tscc.tohoku-gakuin.ac.jp/~orc/sympo/20031107-r.htm 内モンゴルの現況 --- Yet Another Mongolia http //homepage1.nifty.com/asimura/lim.html 動画はこちらにまとめました 「内モンゴル」に関するニュース一覧 新着記事は見つかりませんでした。 「内モンゴル」に言及しているブログ一覧 showrss プラグインエラー RSSが見つからないか、接続エラーです。 2ch「内モンゴル」に関してのスレッド一覧 showrss プラグインエラー RSSが見つからないか、接続エラーです。
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20世紀外モンゴル地域における音楽史研究 私の大学での専攻はモンゴル語とその文化である。モンゴル人の居住する地域は、モンゴル国に加えて中国の内蒙古自治区、ロシア連邦内のブリヤート共和国、カルムイク共和国などがあるが、それぞれ異なった歴史的経緯を持つため、ここではモンゴル人の所有する国家であるモンゴル国に限定して話を進める。さてこの現在のモンゴル国には、もちろん素晴らしい音楽の伝統がある一方、主に社会主義革命以降、ソ連・ロシアを通じての近代化と共に西洋的な音楽を受容してきた。現在でもポップミュージックは盛んであるし、オペラも日常的に興行を続けている。西洋音楽は十分に浸透していて、その状況は非常に興味深い。一方でモンゴルは特異な歴史を持つ。この歴史と先の音楽状況を重ね合わせると、モンゴルの音楽状況においての興味深く、また難しい問題が浮かび上がる。そのうち私は2つの点に注目したい。 一つはモンゴルにおける近代化と西洋音楽受容の問題である。そしてもう一つは全体主義のもとでの音楽の状況である。 以前私はモンゴル音楽のこの二つの問題において、日本における研究、資料の収集不足のため、ソ連や戦前の日本のこの種の問題との比較でそれを補おうとしていた。しかし国内での資料探索を進め、更に今年5月、2週間モンゴルに滞在する機会を得、そこでモンゴル人の幾人かの音楽家、音楽研究者と会って話を聞き、また当地で出版された音楽に関する書籍を入手することができた。これにより、ある程度、モンゴルの音楽状況を通時的にまとめることができよう。 同時に上記二つの問題についても考察を進められる、と考えている。最終的に私の目標は上記二つの問題を軸にし、近現代モンゴルの音楽状況を、現在日本に流布しているような、おぼろげな、草原と遊牧の伝統的世界観に偏ったイメージよらず、より現実に即した形で紹介できれば、と考えている。 ところでモンゴル国のその特異な歴史について少し述べてみよう。1691年以降清朝の支配下に入った外モンゴル地域は1911年にボグド・ジェブツンダンバ・ホトクト(ボグド・ゲゲーン)というチベット人活仏を国家元首に、ボグド・ハーン制モンゴルとして独立する。これは、清朝がその末期に、辺境防備とロシアとの国境策定を有利に進める必要から辺境地域に漢人を積極的に入植する政策を実施したのに対し、モンゴル人側は遊牧社会存続への危機感、漢人商人、入植農民のやり方への反感からナショナリズムが高揚し、辛亥革命の混乱に乗じて独立に至ったものである。この時モンゴルはそれまでの主に代わって、帝政ロシアに援助を求めた。結果として1915年の露蒙中で行われたキャフタ条約で、露中間の思惑により中国の宗主権下の自治に格下げされ、モンゴル軍が解放した内モンゴル諸地域を放棄させられるということはあったにせよ、実質的な主権は保った。1919年ロシア革命でのロシア弱体化に乗じて侵入した中国軍による「外蒙自治取り消し」、ロシア白軍残党の侵入など苦難の後、それに対し1921年、ソ連、コミンテルンの支援を取り付けたモンゴル人民党による義勇軍が首都他外モンゴル各地を解放、近代化に端緒をつけたとはいえ伝統的な遊牧社会を保ち、封建制であったボグド・ハーン制モンゴルに代わって人民政府を発足させる。そしてモンゴル人民党は人民革命党となり1924年第3回党大会で「非資本主義的発展の道」による社会主義国家建設を決定し、同年第1回国民大会議で「モンゴル人民共和国」を宣言する。その後は国家の近代化が進む一方、ソ連の影響力の増大、急激な牧畜集団化に対する暴動や粛清、親ソ派でモンゴルのミニ・スターリンと言われたKh.チョイバルサンによる独裁、引き続きYu.ツェデンバルを中心とする人民革命党の長い一党独裁時代を経て1990年代に複数正当性に移行、民主化されて現在に至る。 つづいて、この歴史状況と重なり合う部分にある、音楽における事象について、現在調査している分だけ述べる。 まず近代化に関してであるが、ボグド・ハーン制国家の下で行われた西洋式近代化への第一歩、その中で音楽に関係する事象には、まず西洋式軍楽隊の設置が挙げられる。これは同政権下で1913年に首相サインノヨン=ハン・ナムナンスレンを中心とする第2次遣露使節が、現在はロシア連邦ブリヤート共和国の首都となっているウラン・ウデを訪れた際、ロシア側から軍楽隊による歓迎を受け、それに感銘を受けたことによる(R.Oyunbat /2005/ “Huree duu hugjmiin uusel, hugjil”)。サンクト・ペテルブルグに着いた一行は早速軍楽隊の楽器を買い求めるが、それに対してロシア側が援助を申し出、ロシア人の指導も入ったようだが、1914年、ボグド・ゲゲーンの宮殿脇に西洋式軍楽隊設置された(モンゴル国立文化芸術大学文化芸術研究所編纂(1999)『Mongoliin soyoliin tu ukh(モンゴル文化史)』)。この時期の音楽近代化としてはロシア人やアメリカ人貿易商がマンドリンやアコーディオンを持ち込み、広めたことも言及すべきだろう。 革命後は更に国家が積極的に先導して経済、産業など様々な分野の近代化に携わる。音楽も例外ではなかった。国家は劇場(ただし、モンゴルで「劇場」という場合、それは建物のみならず、専属の出演者や演奏家、演出関係全般の人員も含めた全体を指す)、オペラハウス、またアマチュアからプロ養成までの芸術活動の拠点であったクラブの建設というハード面での近代化を進めた。そしてソフト面では1930年代の中央劇場付属スタジオや1950年代以降の専門学校における音楽家の養成、交響楽団、民族歌舞団の設置、演奏会の機会の拡大、地方への巡業(これはしばしば党の集会などとむすびつけられたが)を行った。音楽家養成に関しては1924~28年に文部大臣を務めたエルデネ・バトハーン(1890-1937粛清?)が先駆的な役割も果たしていて(田中克彦(1973)『草原の革命家たち』)、彼についての論文はThe Mongolia Society,Inc.の冊子に掲載されているとのことだが、目下探索中である。これらのみならず、新しい合唱音楽の創造や多分に宗教儀式的な側面もあった英雄叙事詩など伝統芸能を「国民芸能」へ発展させることにも関わっているという(上村明(2000) 「国民芸能としての英雄叙事詩」)。また革命記念の作品を委嘱することもこのうちに入るであろう。この例としてはN.ツェグメデ(指揮者、作曲家1927-1987)の革命50周年委嘱作品《草原の祭り》がそうである。 ソ連の影響も見逃してはならない。モンゴル近代音楽の祖とされるM.ドガルジャブが西洋の記譜、作曲法を学んだのはロシア人からであるし、彼はまたソヴィエトでモンゴル人として初の商業用レコード録音もしている。1940~45年、B.F.スミルノフがソヴィエトから音楽技術指導に派遣されている。在任中彼はB.ダムディンスレンとの共作でモンゴル初の本格的創作オペラ《悲しみの三つの丘》を完成させ、またモンゴル音楽の研究にも貢献した(D.バトスレン(1989)「B.スミルノフの遺産、研究の功績に関して」)。彼の派遣された時期はソヴィエトの大ロシア主義の時代、すなわちあらゆる少数民族へロシア的な影響が行使された時期なのであるが、それは後にも述べる。1943年にはF.I.クレシコがソ連より派遣され声楽指導を行っている。また多くの優秀な音楽家はチャイコフスキー名称モスクワ音楽院を中心にソ連圏へ留学をした。これは特にモンゴルのオペラの分野の発展に関して多大なる影響を及ぼしている。他にも、戦後にモンゴル政府が主催したアマチュア芸能オリンピアードなどはソ連のそれを参考にしたものであろう。1957年設立の作曲家同盟もそうかもしれない。 こうした近代化と発展の一方で、社会主義体制の下で、音楽活動に制限が加えられたり、宣伝に利用されるということはあった。 音楽のイデオロギー的利用に関しては革命初期の段階から、義勇軍には楽器をもった叙事詩の語り手が付いて行き、行く先々で皆を鼓舞する歌や、革命の意義を説く歌を即興で歌ったという(田中克彦(1973)『草原の革命家たち』)。ちなみにそのような中から生まれたのが、モンゴル近代歌曲の先駆け《Shivee hyagt(キャフタの丘)》である。民謡を元にしていながらそのように扱われたのは行進曲調のリズムもさることながら、革命歌であるという思想的な面が大きいのであろう。1930年代からすでに行われていた歌曲コンテストや地方巡業音楽会、戦後の芸能コンテストなどでも革命的、社会主義的な内容が賛美され、これも社会主義宣伝の一翼を担ったのであろう。 音楽の制限の問題に移ろう。例えばモンゴルではソヴィエト初期におけるような、音楽の表現上の自由と社会主義文化の求める音楽像との葛藤のようなものはほとんど見られない。作曲されたものは民族的な雰囲気で、民謡、民俗音楽からの直接的な影響と、西洋の伝統的な作曲技法が平明に組み合わされたものが多い。題材は、自然が多く、他に生活、愛などである。ソ連ではそのような作品は社会主義リアリズムの観点から歓迎されていた。モンゴルではショスタコーヴィチとジダーノフの攻防のようなことは起こらなかったようだ。しかし圧迫はあった。それをいくつか見ていこう。 1923年の党大会決定では、音楽他の芸術文化は「世界の国々をよく知るため」に必要である、と非常に外へ開かれた内容である。しかし1928年には全戯曲を検閲し、「音楽および演劇サークルを再構成しその活動を政治的文化的により向上させること」が決定されている。狭量な社会主義政策にとらわれない開明的政策を打ち出していたダムバドルジ執行部解任前後の決定である。またソ連から正式の音楽の技術指導が入ったのは、スターリン体制の完成期でありソヴィエト政府がロシア的な文化をソヴィエトの各少数民族にまで拡大させた時期である。この時期はモンゴルでも公用文字のキリル文字化がモンゴル政府を飛び越して、ソ連の意向により決定された(荒井幸康(2006)『言語の統合と分離』)時期でもあった。このような出来事の中で最も衝撃的なのは後に人民芸術家として顕彰されるリンベ笛(モンゴルの伝統的横笛)演奏家L.ツェレンドルジと、歌手で作曲もし、官僚だったM.ドガルジャブの逮捕であろう。これは独裁者チョイバルサンの粛清の嵐吹き荒れる頃の出来事であった。L.ツェレンドルジは1938年、中央劇場長の任に就いていた時、罪状は今のところ不明だが、2年間投獄された。M.ドガルジャブは1941年在トヴァ人民共和国大使であったところを急に呼び戻され、そのまま逮捕、1946年に獄中で痴呆性精神病により死亡している(田中克彦(1973)『草原の革命家たち』)。トヴァ人民共和国は元々モンゴルが領有権を主張し、自らもモンゴルへの帰属を望みながら、1921年に7万たらずの国家としていきなりの独立、1944年には「トヴァ人民の切望により」ロシア共和国の一自治州となったいわくつきの土地である。トヴァについて知りすぎた、或いは何か正論を発してしまったがためにの逮捕であり、その死も薬によるものである可能性も否定できない。なんにしろドガルジャブは中央劇場の専属歌手も務めたこともあり、今でも知る人が多い。若くして革命に身を投じ、モンゴル初の楽譜集出版や、西洋の技法を取り入れた革命歌曲の作曲、雑誌論文で音楽家の組織の必要性を説く(Sh.Natsagdorj編纂(1981/1986)『モンゴル人民共和国文化史(BNMAU-iin soyoliin tu ukh)』)など、まさに八面六臂の活躍をした人気音楽家を、政府は人民から奪ってしまったのである。 最後に、社会主義時代の音楽の制限に関して、合唱、歌や各種付随音楽の分野を中心に活躍する、労働英雄にまでなった作曲家D.ロブサンシャラフ氏(1926-)にインタビューする機会があったのでこれを紹介したい。氏によると、作曲に関する制限はなかったが、歌の歌詞に関する制限は党から出されていたとのことである。封建時代のもの、チンギス・ハーンを称えるもの、生活の苦しみを歌ったものなどは制限され、社会主義の中庸な生活ぶりをうたったものが歓迎されたのだという。これをわざと破ろうとするような反体制的音楽家はいなかったし、もし、密かに旋律や構造に政府批判を込めようとしたところで、党指導部の人間は音楽のことはよく分からず、気づかなかっただろうとのことだった。また海外の音楽はほぼ全てがソ連経由で入ってくるために、ソ連で禁止になったものは自動的に入ってこなかったという。現代的な表現技法についてはそれほど興味はなく、常に聴衆に聴いてもらうことを意識しているとのことだった。そして社会主義時代の社会や音楽全般の発展そのものは非常に肯定的に捉えておられた。この肯定的な意見は他の音楽家や音楽研究家からも聞いた。 こうした時代を乗り越え、今モンゴルの音楽界は民主化後もそれまでに発達した分野に加えヒップホップの隆盛もあり、厳しい経済状況の中、奮闘している。こんな今でもロブサンシャラフ氏のように、特に社会主義時代に嫌悪感を表すことがない音楽家が他にもいるのは、ロシアのように帝政末期からソ連時代初期にかけて、芸術の爆発的な発展をみたのとは違い、O.ラティモアの指摘するように「『社会主義リアリズム』は模倣されはしたが、モンゴルの文芸復興、創造性と知的活力の途方もない爆発に従属させられたように見える。モンゴル人にとっての真の問題は往々にして、あることをブルジョワ的なやり方ですべきか社会主義的なやり方ですべきかではなく、それが一体モンゴル人の手でやれるか否かであった」のであり、モンゴル人にしてみれば、社会的に硬直はしていても、希望に満ち、近代の芸術を貪欲に取り込む時期だったのかもしれない。また自然を歌った、平明な音楽にしてみても、それはすぐ数十年前には伝統的な自然への賛歌や脈々と受け継がれている民謡の中で生活していた人々が急激な近代化を経験し、しかし生活のかなりの部分が農牧業で、首都の周りはすぐ草原であることを考えれば、聴衆にとっても作曲家にとってもそのような創作は当然かもしれないのである。 終わりに 今後の方針と目標 私は近現代モンゴルにおける文化、歴史と音楽の関わりを深く理解したい。具体的には、上記の報告の中でも、党政府と音楽の関わり、つまり党政府がモンゴル音楽の発展にどのように寄与し、どのような制限を加えたか、を中心にもっと深く研究をしたいのである。更に細分化するなら1:国家が音楽に対してどのような思想を持っていたか(社会主義リアリズム、ソ連からの影響)、2:その思想をどのような形で実行したか(ソ連の文化面での指導、モンゴルの音楽政策、音楽家養成、音楽家の統制組織、演奏団体の組織、巡回音楽会の活動内容など)、3:そのような状況下で音楽家たちがどのような活動をしたのか(演奏の内容、演奏レパートリー、作曲された作品、反体制音楽家やそれに近い活動をした音楽家がいなかったか、などの問題)、4:その結果どのような影響が社会にあったか(音楽と民族主義、音楽と思想、他の芸術分野との協力、どのような音楽が歓迎されたか、などの問題)を調べたい。 論文を書いた先には、最終的にモンゴルの近代音楽の歴史を総括し、それを日本語あるいは英語で発信できるようにしたい。それをできるだけ多く人たちに読んでもらい、民族オペラや歌、オーケストラ、軍楽隊、民族音楽を含む近代モンゴル音楽史の紹介を広くできるようになりたいと願っている。 参考文献 J.Badraa/2005/ "IKH DUUCHNII YARIA (Mongol ulsiin aldart gaviyaat duuchin Jigzaviin Dorjdagviin yarianii soronzon bichlegiin tsomog)", Erkhlen niitlesen Natsagiin Jantsannorov,Ulaanbaatar D.Bat-suren/J.Enebish /1971/ “Duunaas duuri hursen zam” J.エネビシ(1989)「M.ドガルジャブの生涯と作品」(N.Jantsannorov /1989/ “Mongoliin hugjmiin sudlal”) D.バトスレン(1989)「B.スミルノフの遺産、研究の功績に関して」(N.Jantsannorov /1989/ “Mongoliin hugjmiin sudlal”) Sh.Natsagdorj編纂(1981/1986)『モンゴル人民共和国文化史(BNMAU-iin soyoliin tu ukh)』モンゴル国立出版所 R.Oyunbat /2005/ “Huree duu hugjmiin uusel, hugjil” U.Zagdsuren /1967/ “MAHN-aas urlag utga zohioliin talaar gargasa togtool shiidveruud(1921-1966)” 青木信治;橋本勝編著(1992)「入門・モンゴル国」より“音楽―国際化する伝統音楽” (平原社) 荒井幸康(2006)『「言語」の統合と分離 1920-1940年代のモンゴル・ブリヤート・カルムイクの言語政策の相関関係を中心に』(三元社) M.アリウンサイハン(2001)「モンゴルにおける大粛清の真相とその背景 ソ連の対モンゴル政策の変化とチョイバルサン元帥の役割に着目して」(『一橋論叢』第126巻第2号、2001年8月号) 生駒雅則(2004)『モンゴル民族の近現代史』(ユーラシア・ブックレットNo.69)東洋書店 磯野富士子(1974)『モンゴル革命』(中央公論社) 小貫雅男(1993)『モンゴル現代史』山川出版社 神沢有三(1981)『モンゴルの教育・亀跌・異音畳語』長崎出版 上村明(2000)『喉歌フーミーとモンゴル(人民共和)国の芸能政策』国立民族学博物館 上村明(2000) 「国民芸能としての英雄叙事詩」『日本モンゴル学会紀要』No.30日本モンゴル学会 上村明(2001)「モンゴル西部の英雄叙事詩の語りと芸能政策」『口承文芸研究』24, 日本口承文芸学会 小長谷有紀(1995)『モンゴル草原にひびく音―音の概念 草原の音環境 二〇世紀の普遍性』(櫻井哲男編「二〇世紀の音(二〇世紀における諸民族文化の伝統と変容1)」ドメス出版、P159-174) 芝山豊(1987)『近代化と文学』アルド出版 田中克彦(1973)『草原の革命家たち―モンゴル独立への道』(中央公論社) Ts.バトバヤル著/芦村京、田中克彦訳(2002)『モンゴル現代史』明石書店 メンヒェン=ヘルフェン著/田中克彦訳(1996)『トゥバ紀行』(岩波書店) モンゴル科学アカデミー歴史研究所編著/二木博史他訳(1988)『モンゴル史』恒文社 モンゴル国立文化芸術大学文化芸術研究所編纂(1999)『Mongoliin soyoliin tu ukh(モンゴル文化史)』 O.ラティモア著/磯野富士子訳(1996)『モンゴル―遊牧民と人民委員』(岩波書店)
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演奏団体、劇場 国立歌劇場(Монгол Улсын Дуурь Бүжгийн Эрдэмийн Театр) 公式HP http //opera-ballet.mn/ 1924年設立のスフバートル記念クラブの芸能サークルが1927年建設の人民娯楽場(“緑ドーム”の愛称で呼ばれた)に移ったのが前身。同じ建物内で1931年国立中央劇場(劇団)が組織され1949年同建物が家事で消失するまでそこで活動。1943年には専属のオーケストラを設立(それまでは伝統楽器で劇の伴奏をしていた)。1951年に開場した現在の国立歌劇場の建物で活動再開。1963年に演劇部が分離、国立ドラマ劇場に本拠地を移し、オペラ、バレエ中心の国立歌劇場として再スタート。名称を変えながら現在に至る。510人収容。現在の正式名称はモンゴル国立オペラ・バレエ・アカデミック劇場。総合芸術監督B.ジャミヤンダグワ(バレエマイスター)、首席指揮者N.トーライフー、常任指揮者J.ブレンベフ、エルデネバートル。 ちなみに「オペラ・バレエ・アカデミック劇場」という名称はいかにも不自然であるが、モンゴル語の"Дуурь Бүжгийн Эрдэмийн Театр"のうち、他の劇場・楽団名にも登場する"Эрдэмийн"の語はロシア語の"Академический"の翻訳語である。このロシア語の意味は「(プロフェッショナルの舞台)芸術」というほどの意味の形容詞であり、日本語には訳しづらい。中国の「ナントカ芸術団」などの名称のうちの「芸術」もおそらくこの"Академический"の翻訳からきていると推測できる。 国立民族歌舞芸術団(Монгол Улсын Үндэсний Дуу Бүжгийн Эрдэмийн Чуулга) 公式HP http //www.mongolianensemble.com/index.php 1945年に設立された国立エストラーダ・コンサート局が前身。当時は楽器6人、歌手5人、ダンサー6人、曲芸2人、朗読1人というメンバーだった。その後1950年に国立人民歌舞アンサンブルに改称して陣容を拡大、1961年には民族楽器の大オーケストラも設立された。2002年に国立民族歌舞団に改称され現在に至る。最初は総合的な大衆娯楽を見せており、歌謡曲やジャズ、人形劇などのステージも行っていて、一時はソヨル・エルデネというロック・バンドも抱えたが、後に伝統芸能的なステージに特化。1980年代には民俗音楽や民俗舞踊に基づいた新しい音楽劇の創出なども盛んに行われる。現在は伝統芸能に基づいてステージ・ショー化された短めの舞踊や音楽の組み合わせで公演を行っている。スフバートル広場南側の国立ドラマ・アカデミック劇場内に居を構える。 国立人形劇場(Монгол Улсын Хүүхэлдэйн Театр) 国立フィルハーモニー(Ц.Намсрайжавын нэрэмжит Монгол Улсын Филармони)所属団体 1972年閣議決定により国立フィルハーモニー協会を設立。交響楽団、ジャズバンドの“バヤン・モンゴル”、老舗ロックバンドの“ソヨル・エルデネ”の3つの運営からスタートした。1992年に長年音楽監督を務めていた功労者Ts.ナムスライジャブの名を冠した。正式名称は「人民芸術家・国家賞受賞Ts.ナムスライジャブ記念モンゴル国立フィルハーモニー」。 公式HP http //philharmonic.mn/ 国立フィルハーモニー交響楽団(Монгол Улсын Филармоний Симфони найрал хөгжим) 1957年、国立放送交響楽団として設立されたものがその前身。1972年に現在の名称・所属に変更。人民芸術家の指揮者・作曲家Ts.ナムスライジャブが長年音楽監督を務めた。1990年より息子のN.ブテンバヤルが芸術監督・首席指揮者。他にB.ルハグワスレン、B.バトバータルが常任指揮者。2003年にアジアオーケストラウィークの一環として来日し、ブテンバヤル、山下一史の指揮により、ワーグナーのオペラの抜粋からB.シャラフの馬頭琴との協奏曲まで幅広いプログラムを披露した。社会主義時代は80数名の陣容を誇り(1980年代)、毎月定期公演を行っていたようだが、現在は不定期にしか公演を行っていない。2008年現在の団員数は51名だが、大統領令の古典芸術発展プログラムにより82名まで再び編成拡大する計画がある。 “バヤン・モンゴル”ジャズ・オーケストラ(Баян Монгол Чуулга) 前身は1969年、ポーランドでの研修を生かし、国立放送局付属として設立された軽音楽楽団。その際国立民俗歌舞団やラジオ局で作編曲、合唱指揮をしていたT.チミッドドルジが中心となった。1972年に現在の名前になり、フィルハーモニー付属のコンサートを専ら行う団体となった。モンゴル国のポピュラー・ミュージックの牽引役となってきた。 国立馬頭琴楽団(Морин хуурын чуулга) モンゴルを代表する馬頭琴奏者G.ジャミヤンが馬頭琴によるオーケストラを提案、1992年に大統領令により設立された。ツェンディーン・バトチョローンが団長、芸術監督、指揮者を兼任する。国内でのコンサート、劇伴音楽の活動のみならず海外へのツアーも積極的に行い、何度も来日もしている。編成は標準の馬頭琴(モリン・ホール)、中音用のチェロ型馬頭琴(ドンド・ホール)、低音用の大型馬頭琴(イフ・ホール)、大小のヤタグ(琴)、ヨーチン(楊琴)、フルート、ピアノ、打楽器。楽器奏者だけでなく人民芸術家Sh.チメッドツェイェーらの歌手も抱える。 モンゴル国軍所属団体 全軍歌舞芸術団(Бүх Цэргийн Дуу, Бүжгийн Эрдэмийн Чуулга) 1932年に軍中央クラブ付属団体として「演劇音楽芸能隊」の名で設立。1934年国軍中央劇団に改組。現在は防衛省の付属団体。設立当初は伝統音楽の歌手や演奏者が所属し、催しでは革命歌や組体操が演じられた。1934年より軍楽隊指揮者V.A.リャリンが指導し、楽譜の習得を開始。1940年にソ連より派遣されたR.I.レシェントニャクの指導によりドンブラのアンサンブルを結成し、その後しばらくこのアンサンブルが劇団の中心となり、1955~56年には中国、北朝鮮、ヨーロッパへ演奏旅行も敢行。1958年には民族楽器と西洋管楽器による混成オーケストラが中心に据えられて以降80年代まではその路線で陣容を拡大していった。しかし1997年に大幅な改組が行われ、現在は舞踊団、合唱団、専属歌手、民族楽器の小アンサンブル、ビッグバンドとストリングスの「シンフォ-ジャズ・オーケストラ」からなる。 国軍参謀本部付属模範軍楽隊(Зэвсэгт Хүчний Жанжин Штабын Үлгэр Жишээ Үлээвэр Найрал Хөгжим) モンゴル国軍の中央軍楽隊(吹奏楽団)。1914年、ボグド・ハーン制モンゴル時代に設立された軍楽隊の指導者A.S.コリツォフを迎え、1922年ごろ結成された人民軍軍楽隊が前身。現在の形で正式に設立されたのは1950年で、作曲家G.ビルワーが音楽監督として中心になった。社会主義時代の正式名称はモンゴル人民軍模範軍楽隊(Монгол Ардын Армийн Үлгэр Жишээ Үлээвэр Найрал Хөгжим)。スフバートル広場での公式儀礼や国賓の来モ時、ナーダムの開会式などには必ず登場。モンゴル帝国時代の鎧を模したユニフォームが特徴。 国境警備隊歌舞団(Хилийн Цэргийн Дуу, Бүжгийн Чуулга) 国境警備庁公式HP内楽団紹介ページ http //bpo.gov.mn/suborgan/1206270001 1942年内務大臣令により辺境・内務省歌舞アンサンブルとして設立。1953年人民革命軍アンサンブルに統合。1960年代後半からの国境地帯の緊張に伴う国境警備隊の増強の一環として1971年に再度設置され、現在に至る。 警察庁所属団体 モンゴル国警察庁HP http //www.police.gov.mn 警察庁音楽隊「スルデ」(Цагдаагийн "Сүлд" чуулга) 吹奏楽団も所属している。 警察音楽隊「ソヨンボ」(Цагдаагийн "Соёмбо" чуулга) その他私営団体 ウランバートル鉄道公社歌舞団(УБТЗ Дуу бvжгийн чуулга Салбар) モンゴルを南北に縦断する鉄道に所属する。 鉄道公社HP http //www.ubtz.mn/ ツキ・ハウス(月の石アンサンブル) ウランバートル市の国立サーカスの西側にある。主に外国人観光客向けに民族歌舞を演じる小劇場。シルクロード音楽やロックの要素、工夫された照明演出とショーアップされた派手な演出が売り。 トゥメン・エフ民族歌舞団(Түмэн Эх Үндэсний Дуу Бүжгийн Чуулга) 1989年設立。ウランバートル市のナイラムダル公園内に本拠地を置く。2006年3月に独立採算に。モンゴルの伝統楽器のアンサンブル、民族舞踊、仏教舞踊「ツァム」などを演じ、海外からの観光客にも比較的よく知られる。日本にもトゥメン・エフ所属のメンバーはよく訪れる。2006年5月にはデンバー、ニューヨーク、ワシントンなどを周る大規模なアメリカツアーも行った。 (参考:インターネット版「モンゴリン・メデー」紙) 公式HP http //tumenekh.wordpress.com/ その他地方劇場など
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「モンゴルのことがもっと知りたい」 「モンゴル語を大学で専攻しているけど、本は何から読んでいいか分からない」 「モンゴルを旅行する前にモンゴルについての知識を身につけておきたい」 といった人たちのためのブックリスト 概説書 歴史―通史(含論集) 歴史―古代 歴史―モンゴル帝国時代 歴史―モンゴル帝国以降 歴史―近現代 牧畜・生活 宗教 政治・経済・社会 教育 言語 文学・古典籍・口承伝承 旅行記 伝記・回想録 芸術・スポーツ 音楽 モンゴル系諸民族・民族問題 書誌 漫画 その他モンゴル関係など(含エッセイ) モンゴル文化のデータベース
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モンゴルの近現代音楽とは モンゴル音楽研究ノート1 よく分からずに書いたもの。とにかくどういう研究がしたいのか、自分の方向性を明らかにしたかったので・・・・ モンゴル音楽研究ノート2 調べたことをまとめてみましたが、まだまだ読めたもんじゃないです。 卒業論文 2006年度の卒業論文です。内容は・・・・。 モンゴル音楽研究事始 大学で出したレポートです。 モンゴル国歌を聴こう! こちらのページでモンゴル国歌のオーケストラ演奏が聴けます。 モンゴルのオーケストラを聴こう! こちらのページでモンゴル国のオーケストラ作品が聴けます。 モンゴルの民謡を聴こう! こちらのページでモンゴルの民謡が聴けます。 モンゴルの歌謡曲を聴こう! こちらのページでモンゴル国の懐メロが聴けます。 モンゴルのバンドを聴こう!? こちらのページでモンゴルの懐メロ(バンド編)が聴けます。 モンゴル音楽史を知るデータベース