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ケツイ デスレーベル 【けつい ですれーべる】 ジャンル 弾幕シューティング 対応機種 ニンテンドーDS 発売元 アリカ 開発元 ケイブアリカ 発売日 2008年10月23日 定価 5,800円(税5%込) プレイ人数 1~8人 レーティング CERO A(全年齢対象) 判定 良作 ポイント DS唯一の弾幕STGボスラッシュがメイン気軽にドゥーム様と戦える現在はファンアイテム的な立ち位置 ケイブSTGシリーズ 概要 特徴 評価点 問題点 総評 余談 概要 ケイブの人気弾幕STG『ケツイ~絆地獄たち~』初の家庭用タイトル。 当時、アリカは『ケツイ』をPS2へ移植しようと考えていたが、完全再現できない部分があるため断念、お蔵入り状態になっていた。 そこでボス戦だけに的を絞ってDSにアレンジ移植という奇策を用いて発売されたのが本作である。 特徴 前述(そしてサブタイトル『デスレーベル』)の通り、本作は『ケツイ』における中ボスおよびボス戦のみに的を絞った移植が行われている。 移植元の原作とハードが全然違う、を通り越して「原作が縦画面仕様のアーケードゲームで本作がDSの通常保持前提のゲーム」という状態のため当然といえば当然なのだが、画面解像度が全く違う。ただし、その前提でゲームシステムやゲームバランスが本作独自の調整をされており、単体のゲームとして違和感のない造りになっている。 原作の解像度は縦画面で横224ドット×縦448ドット(1画素が正方形ではない)であり、本作の…というよりDSの1画面の解像度は横256ドット×縦192ドット。 シングルプレイと多人数でプレイ出来るマルチプレイ、他モードで保存されたリプレイを見るリプレイモードが用意されている。 シングルプレイには複数の難易度コースが用意されており、基本的にはコースごとに指定されたボスを順番に全て撃破し、新たなコースを解放していくという構成。 コースを中止せずクリアかゲームオーバーのどちらかまでプレイしきると、次に同じコースを挑戦する時の初期残機が最大20まで増加。ただし、DOOM MODEやEXTRAでは残機増加はしない。 登場するボスは原作の登場順とは関係なく、終盤のボスの後に1面のボスが登場するなどの変則的編成にアレンジされている。1度遭遇したボスはトレーニングで何度でも再戦可能。 初期出現しているコースは3つ。そのうち一つはACの真ボス「光翼型近接支援残酷戦闘機エヴァッカニア・ドゥーム」のバリエーションと連戦する「DOOM MODE」であり、攻略ルートから独立した存在となっている。 マルチプレイは、1VS1の「VSモード」と最大8人で協力プレイする「絆モード」の2つが用意されている。 「VSモード」は後述するEXTRAコースを易化したような専用ステージで稼いだ倍率を競う。倍率差を示すゲージが5秒間振りきれると決着、ステージ完走しても決着しなかった場合エヴァッカニア・ドゥーム戦のサドンデスになる。 「絆モード」では画面下部にゲージが表示され、このゲージがなくなるとランダムで選ばれた次のプレイヤーに交代していく、というリレー形式のシステムになる。またノーミス時間によってボムが支給される。 攻略内容がACと大幅に違う事もあり、基本システムも変更されている。 ACでは道中で稼いだ倍率チップを保った状態でボスを速攻するのが重要だったが、今作では道中がないためボスにショットを当て続けるだけで倍率チップが出現する。近づくほど高いチップが出現する点はAC同様だが、所謂「着火」(*1)はないため、いかにしてボスの近くをキープし続けるかが得点にダイレクトに響く。 ただ近づいて撃つだけでは高得点は出せず、ロックショットを展開しすぎてオプションのショット当てすぎないように、しかし敵に自爆されないようにロックショットを撃たなければならない。 ボス戦中に倍率チップが大量に飛び交うと視認性が悪くなることを考慮して、倍率チップの表示時間はコンフィグで変更可能(4フレーム(4/60秒)~無制限)。 オートボムが搭載。発動すると所持しているボムを全て消費して1回分撃墜を回避し、一定時間敵弾にスローがかかる。オプションからON/OFFの切り替えも可能。 手動ボムの効果が「敵弾を消して倍率チップに変換する」という稼ぎ用のシステムになった。これに伴いボムは次のボスが出る度に最大まで補充される。ノーミスで抜けるとボーナスとして1発おまけされてスタート。 ACではAタイプとBタイプで当たり判定の大きさが若干違ったが、今作では同じ大きさになっている。(後述する「「おしえて! IKDさん!!」」の中で具体的に説明される) ケイブ家庭用作品では珍しくおまけ要素も搭載。 「EVACリポート」は前述の通り、ゲームプレイで条件を満たすとパネルが解放されていく。パネルを全て揃えると各ボスのデザイン画が完成し、「おしえて! IKDさん!!」の内容が解禁されていく。 「おしえて! IKDさん!!」はメインプログラマーの池田恒基氏本人によるゲームの解説やACのプレイ動画を参照できる。主人公たちとの貴重な会話シーンも見れる。 評価点 ボス戦のみに的を絞ったおかげで弾幕は若干アレンジされつつも再現されている。 難易度が低いとさほど弾も出ないが、最終的にはやっぱりAC相当の弾幕が展開される。 最高難易度クリアで登場する(*2)「EXTRA」では、まさかのAC版のSTAGE5(*3)がまるごとプレイ可能。敵配置が別物になっているものの、AC版の雰囲気を味わうには十分な内容に仕上がっている。 例えば中ボス後の道路のあたりはスカイフィッシュ(雑魚戦闘機)ではなく大量の陸戦車が現れる等、ゲームとして違和感無く面白いアレンジが効いている。たまにやたら移動速度が速い戦車も混じっているネタから、「チョロQ地帯」なんて呼ぶ人もいるそうな。 ハード性能の影響もあり、難易度は全体的に下方修正がかかっており初心者でも手軽にプレイ可能。 ボムの使用を推奨するシステムやオートボム、またEVACリポートの長期間解除(*4)といった救済も多く初心者にもかなり優しめ、弾幕STGの入門としても良いと思われる。 リタイアさえしなければ、同じコースを繰り返すたびに問答無用で残機は増える。ボムの無敵時間の長さも相まって、初心者でも繰り返しプレイで確実にクリアに近づけるように設計されている。 とは言っても難易度曲線などを考慮すれば十分バランスは取れており、中・上級者でも楽しめる内容に仕上がっている。特に残機固定の終盤コースは上級者でも相当に手を焼く。 「おしえて! IKDさん!!」がなかなか面白い。 今作そのものだけでなく、AC原作版の攻略情報まで教えてもらえるため意外とためになる。文章だけでなく、イラストや実際のプレイムービーまで見せてくれるため非常に分かりやすい。 ちなみにユウマが初心者向け解説、アリスが上級者向け解説、スティールがAC版の要素の解説、エヴァンズマンがAC版暴露話担当。 地味に笑えるネタ要素。 ファンアイテム的な立ち位置ということもあってか、昨今のケイブらしいバカゲー的な要素も含む。例えば…… 「おしえて! IKDさん!!」で登場する池田氏は実写取り込み。地味にポーズのパターンも多いので爆笑必至。「おしえて!IKDさん!!」タイトル画面でエヴァッカニアの代わりに、たまに池田氏が登場することもある。(*5) 「アリスにのみ信頼を寄せている」「愛人が男性である」という裏設定通り、アリスを狙うロイド・エヴァンズマン(知らない人に解説すると、アリスとはパッケージやポスターにも登場している主人公の男キャラでありつまりそういう事である)。そしてそのエヴァンズマンの事情を知らず、根掘り葉掘り恨みの兄のことを聞かれ顔面蒼白するユウマ。 AC版の知られざる不具合や仕様を暴露しようとして池田氏にボコボコにされるエヴァンズマン。(ちなみにエヴァンズマンが暴露しようとした話の尽くは割と有名。ネットで調べれば出てくるレベル) 最終章では池田氏のみならず、アリカの三原副社長等ほかのスタッフも実写で登場。そしてメール文章ラストの選択肢が YES と OK 。 やたら多いエヴァッカニア・ドゥームのバリエーション。もはや看板キャラ扱い。 DOOM MODE限定の「光翼試作型」「光翼型試作支援機」「光翼型近接支援残酷戦闘機」「光翼重装迎撃型残酷戦闘機」他にもモードごとに多々。そしてこの大量のバリエーションで、本作の約半数のコースという幅広い難易度に対応している。 本作のコンセプトの1つに「気軽にドゥーム様と戦える」というものがあり、実際ゲーム開始直後にバトルへ直行可能(おまけにそのDOOM MODEコースは体験版にも搭載)。それでいいのか真ボス。 原作は至極硬派なミリタリーものだったが、それ相応に濃い裏設定・ネタ要素(特にエヴァンズマン関連)があったのも事実。それをケイブファン向けにはっちゃけさせちゃったのが今作である。 問題点 やはりDSの画面では弾が見づらく、この点で無駄に難易度が上がっている。 画面の大きさの問題で画面外にパーツが出ていたりする事が多いため、全パーツを剥がして撃破などが困難なケースがよくある。 現在ならLLシリーズを使用する事で多少は改善可能。 ボムの仕様が大きく変更されたため、AC版とは違った感覚でのプレイを要求される点はやや不評。 緊急回避用ではなくスコア稼ぎ用であり、二周目や隠しボスの条件といった制限も特に存在しないため、ACとは真逆で積極的に使いきって行った方が明らかに得。 トレーニングでは唯一エヴァッカニア・ドゥーム系列と戦えない。 かなり手軽にその一部に実戦を挑めるとはいえ、この点は惜しまれている。 総評 数少ない、というかほぼ唯一のDSで遊べる弾幕STG(*6)。家庭用ハードで『ケツイ』を遊べる最初のタイトルでもあり好評を博した。 「ケイブの弾幕を手軽に楽しむ」一点に関しては携帯機&ボスラッシュメインということもあり最も優れている作品の一つといえる。 加えてディープなファン要素もあり、STGライトプレイヤーからディープなケイブファンまで幅広く楽しめる一作である。 余談 需要に反して生産数が少なかった。 ソフト全てにスペシャル攻略DVDが付属して発売されていたためと思われる。現在はプレミアがついており中古でも定価以上、新品だと1万円越えということが多い(2014年1月現在)。 後にXbox360とPS3向けに原作の移植版が発売された。 収録されている資料や「おしえて! IKDさん!!」の存在から、本作は現在はファンアイテム的な位置づけになっている。 公式サイトでは「ガンナー」と表記されていたエヴァンズマンとユウマが、「おしえて!IKDさん」では「オペレーター」と名乗っている。
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フレーベル少年合唱団の六義園コンサートとは、いったい何だったのか フレーベル少年合唱団 早春のコンサート 2月14日(土)・15日(日)各日13時~13時30分 六義園しだれ桜前広場(文京区本駒込) 無料(入園料別途) 少年たちがブランケットを脱ぎ去る 2009年(平成21年)2月の聖バレンタイン・デーの午後、フレーベル少年合唱団は月毎レギュラーの六義園コンサートを行った。前日吹き荒れた春一番の残り香か、花々のかすかな芳香の中で首都圏の気温は優に20℃を超え、開演時の文京区本駒込の温度計の目盛りは25℃を振り切ろうとしていた。いつものように六義園エンタランスのさざれを静かに踏みしだきながら少年たちが現れると、彼らのコスチュームの移変は誰の目にも明らかだった。2007年の2月24日25日(この頃はまだ午後2時のスタートだった)、昨年2008年の2月16日17日、…毎年2月のコンサート。彼らは紺ブレ長パンツの上下にブランケットを着込み、メロンとスミレのマフラーをピッチリと巻いて「早春コンサート」とは名ばかりの寒風の中で目を細め「北風小僧の寒太郎」を歌っていたと記憶する。今回の「早春のコンサート」でもオープニングに「雪の降るまちを」を歌い、次いで「早春賦」を演目へ組んでいた。だが、合唱団は防寒着をあっさりと脱ぎ置いて、赤ボウに紺ベストの合着のスタイルをフォーマル標準の側章パンツに組み合わせ颯爽と登場した。引き抜きのような彼らの早変わりは爽やかで男の子の合唱団独特の軽快なステップを感じさせる。同時に、これはフレーベル少年合唱団が蓄積してきた膨大な野外コンサートのノウハウを表してもいて頼もしい。MCの少年は「今日は暖かいですね。」という一文をさりげなく織り込んで観客をくすぐるのだが、翌日には一転して「今日は寒いですが…」といった内容にすげかえていく。 冒頭の隊列が「白手袋をして不規則」なのは毎回オープニングのファンファーレでハンドベルを担当する団員たちがいるからなのだが、意外なことに一見の観客にとってこれが良い意味でビジュアルセンセーションになっているようなのである。いずれにせよ、彼らの六義園コンサートのフォーマットとして開会宣言代わりのセレクトメンバーのハンドベル演奏(曲目は回によって異なっていることもあり、土日でも違っていたりする)を聞くことができる。ここで面白いのは、この合唱団独特の姿勢のため、最近のハンドベル担当の団員たちは白手袋を握りしめるか、はめたままで30分間歌い続け、客上げの子どもたちの手を引いたりMCを繰り出したりまでしているということに観客が殆ど気づいていないということなのかもしれない。 六義園コンサートとMC団員たち 曲紹介のMC担当はたいていの場合毎回異なり、同じ月の土曜日と日曜日では同じ基本原稿をダブルキャストで受け持つ。土曜日の開幕のMCを現役リーダー格が述べれば、日曜日には昨日出席できなかった現役トップソリストが同じ原稿で片をつけるといった具合。土曜日にソプラノの中堅団員がした曲紹介は日曜日にはまた別のソプラノ中堅団員が担当すると見てよい。六義園コンサートが基本路線として持っている、「土曜日と日曜日、同一内容の2回のマチネ」という構成が、実は非常に重要な意味を持つ。一つは1回の演出で2人の団員を相乗的に育てられるというマルチな利点。もう一つは男の子の合唱団にありがちな病欠や学校行事による突然の欠席に備えられるというフェールセーフな利点である。少なくとも、観客にとっては同じ構成の演奏会であるのにもかかわらず土日で違う少年の声や姿を楽しむことができるのだから、おトク感満載の連続来場サービス特典ということになる。 この日、MCマイクの前に立った団員の中には、マイクホルダーのクリップの可動を確かめて、過度にマイクヘッドを下げながらしゃべるという姿が散見された。六義園コンサートのマイクセッティングは常に2基のスピーカーに供応する位置へ施される。2ウェイバスレフのフロントメインが彼らの背丈より高い位置にスピーカスタンドをかましてセットされ、隊列の斜め後ろから伴奏を振りかけるという構成になっている。スタジオに入れば彼らもキューボックスを通じて伴奏を聞くだろう。だが六義園では彼ら自身が伴奏音をそこから聴き取らなければ歌えないし、観客も曲を理解できない。必要最低限の構成で成立したミニマムなユニットの中で、MCの少年たちは自分の声がどうしたらハウらずに済み、落ち着いたしっとりした音で鳴らす事ができるのかを耳や体で雰囲気として知っているのである。(スピーカーの位置が十分に遠いときやマイクホルダのピンチのきつい時、マイクスタンドの低さがマックスの場合には下級生たちはそれをやらない)。おそらく彼らが年間のステージパフォーマンスを通じ経験の中から無意識のうちに繰っているのが、このプロ仕様のバウンダリマイク顔負けな「マイクロフォーンの下向け」なのである。 連結式の解消から見えた「ぼくたちの合唱団 低学年の小さな子どもたちが低めに立てられたマイクスタンドの首をさらに下へとネジって自分の声を入れようとする姿は、昨年までは演奏会後半でしか見られない大変貴重なシーンの一つだった。 かつてフレーベル少年合唱団の六義園コンサートの基本構成として、A組セレクトの部隊のみが演奏会前半を担当し、途中からプレーンA組が合流して最後まで流すという連結式のキャスティングが堅持されていた。しだれ桜のはるかカミ手側の藤棚の近くで、矮小な列を作って入りを待つプレーンA組の小さな子どもたちの頼りなさそうな姿を記憶している人も多いことだろう。だが、その愛らしい隊列は2008年以降の六義園にはもはや存在しない。無くなってしまったのはプレーンA組ではなく、A組セレクトの方だととらえるのが穏当であるように思われた。合唱団がおよそ20年もの間保ち続けていたこの2分隊の編成が、現在のフレーベルの学年構成の上ではもはや成立し得なく(成立し難く)なってしまったと考えてはどうだろうか。 フレーベル少年合唱団が2008年の夏休み明けにチームの要となる12歳以上の団員をほぼ完全に失うということは、実は客観的な年齢構成の概算により2004年から2005年の段階で部外者にもほとんど明らかになって知られていた。平成20年…チームを牽引する6年生団員はおらず、最上級生の中学生団員たちは夏休みを終えれば一斉に変声をむかえる。そのとき合唱団に残っている上級生は、片手の指で数えれば終わってしまうくらいわずかな人数の10歳から11歳の小学5年の子どもたちでしかないということを2005年の私たちは覚めた頭で計算し震撼させられた。彼らが、子ウサギのように群れているイタズラっ子そうな目つきの低学年の子どもたちを引き連れてフレーベル少年合唱団をどう仕切るのか、その無謀で「バカげている」としか思えないような状況を私は考えないようにしたかった。それが実際、2008年の夏休みをまだ終えないほど早い段階で避けられない現実となったとき、少人数の、重圧に押しつぶされ消えてしまってしかるべきはずの男の子たちは、もたらされた責務をひょいと両肩に担い、うっとりするほど頼もしい楽しげな真摯な立ち姿で私たちの前に現れたのだった。高低のトップソリストを隊列の両翼に従え、アルト側のエッジに暖かい安定感のあるヘッドクウォーターを布陣し、ソプラノ後列の左翼には誠意あふれる声質の少年たちを配しながら。それは『芳しい』と呼べるほど鮮やかで魅力的な出来事だった。彼らは降ってきたただならぬ試練を少年らしい柔らかな心できちんと受け止めて支えきったのだ。今年度のフレーベルが俄然面白くなったのは、そういう彼らが「プレーンA組」に甘んじていたはずの小さな団員たちを「僕らのチームメイト」として大切に相手にしながら歌っているからだと私は思う。 林を抜け、僕らのハーモニーが聞こえる 六義園コンサートへの批評の代表的なもの2つに、野外演奏であることの意義を問うものと、カラオケ伴奏の是非を問うものがある。前者について言えば、そもそも残念なことに少年合唱の最も美しく爽快な瞬間を聞き逃している。あなたは知っているだろうか?森の中、深い茂みを抜けて聞こえ来る少年たちのコーラスの美しさ、楽しさ!六義園で試してみたらいい。そろいのユニフォームに身を包んだ子どもたちの姿や、それを幸せそうに取り囲む人々の輪から少し離れ、庭園の奥深く、だが子どもたちの声が木立を分け、木々の緑の梢を抜けハッキリとやってくる場所を注意深く探して静かに耳を傾けてみたらわかるというものだ。だが、もう長いこと少年合唱を聞き続けてきた私自身ですら、その驚くべき瞬間を最初に体験したのは、追っかけを始めてからすでに十何年も経ってしまった後のことだった(…しかも、そのとき歌っていたのは私が個人的にかなり良く知っていた少年たちで…それほど極端に想定外な出来事だった!)。私たちの誰もが、歌っている子らの表情や姿見たさに今日も彼らの隊列の前に当然のように陣取る。それは決して悪いことでも無駄なことでもない。だが、ボーイソプラノのハーモニーの美しさ、清らかさ、温もりが森や林の中では何倍にも増幅されて聞こえることをあなたも体験しておくべきだ。フレーベル少年合唱団がもともと株式会社フレーベル館の社会還元事業として位置づけられている以上、私たちはそれが安易に地域の六義園へと結びついているととらえがちだが、彼ら自身もまた、かつて人工物で取り囲まれた神田小川小学校の校庭で毎月コンサートを開きたいなどとは(可能ではあっても)決して思わなかったろう。 カラオケ伴奏をめぐって カラオケ伴奏の是非については、ここでさらに2つのことが言いたい。彼らは今年の「早春のコンサート」のアンコールの客上げで「崖の上のポニョ」を歌った。伴奏に使われたのは合唱譜のピアノパートをなぜたものではなく、正真正銘のメイド・イン・映画版宮崎アニメーション・サウンドトラックのカラオケ音源だった。大橋のぞみがスタジオ録音に使い、全国1000万人の観客が劇場のタイトルロールを前に胸震わせて聞いたあのサントラ音源だったのである。上級生団員たちがあまり奔走するまでもなくステージ上手に集まってきてくれたたくさんの「ちいさなお友だち」が、そのCDの冒頭の4秒590msのイントロを聞いただけで弾かれたように歌いだした光景は今さらここで書き記すまでもない。誰の脳裏にも容易に描き得るだろう幸せなワンシーンなのだった。ナマ・ピアノやナマ・キーボードの演奏で子どもたちが歌うことは、決して悪いことだとは思わないし、大切なことだとも思う。だが、目前で歌う子どもたちを見下ろしつつ心底ホッとした安堵の表情をたたえて歌うアルトの上級生団員らのユニフォームの肩が一番大切なことを言っていたのである。「うれしいなぁ!ありがとう!僕たちは伴奏が何で鳴っていてもいいんだ。僕らの仕事は聞いてくれている人たちを幸せな気持ちにしてあげることだから。」 現在でもときたま不都合の出ることがあるが、かつてフレーベル少年合唱団の六義園コンサートはCDの音飛びやハウリングなど、PA機器類のマシントラブルのオンパレードだった。初期の頃の団員たちは、こういうハプニングがあると、ただならぬ躊躇をためてから演奏自体を放棄してしまうことがあった。指揮者が何か指示なり対応なりを示してくれるのを待っていたのである。だが、現在の団員は既にこうしたハプニングの中で六義園デビューをはたしてきた老練の少年たちだ。伴奏が落ちれば平然とアカペラで歌ってボーイソプラノの素材そのものの声を見せつけてくれるし、CDが音飛びすれば、注意深くそのパターンを聞いてなんとか合わせてみようと試みる。前述の通り、マイクホルダを下向きにしてハウリングを避けようとする団員たちもいれば、マイクのリモートスイッチを疑ってみるような上級生もいる。現在のフレーベル少年合唱団は、オーディオ関係以外にも、およそ考えうる限りの様々なハプニングの洗礼をしだれ桜の前で受けながら今日ここに立っている。2008年の今、先生方が棒を振らず、5年生の男の子に指揮をさせて1曲を聞かせきるほどに団員が成長したのはこのためだ。六義園で起きた信じられない程多くのトラブルが、彼らをこのように頼もしく育てあげたのはもはや疑いようもない。コンサートの最中、自らもパートの中心として歌っているのに、客上げやハプニング等、一人でも多くの手が必要になれば誰からの指示が無くても隣の団員の肩をぽんぽんと叩いて目配せし「おい、行くぞ!」「よし!やろう!」とばかり隊列を飛び出て行く少年たちの姿は見ていても常に颯爽として頼もしく清々しい。そして隣で歌う3年生団員がその数秒間の一部始終を傍視しつつ未来への記憶にとどめる。フレーベル少年合唱団の最も美しい瞬間が、またここにも見られるのである。 プログラムに関する若干の分析 毎月のコンサートには簡潔なタイトルがつき、次に副題としてのテーマが掲げられる。2009年2月のタイトルは「早春のコンサート」でテーマは「和を楽しむ」だった。また、場合によってその下にプログラム・コンセプトの紹介が添えられることもある。今回は「日本の歌を中心に」。これらは毎回、オープニングMCでアナウンスされる。だが、2月14日15日の実際の構成は、ハンドベル>「雪の降るまちを」>OpMC>「早春賦」>MC>「おてもやん」「会津磐梯山」「ソーラン節」>MC>「どこかで春が」「春よ来い」「うれしいひなまつり」>MC>「宝島」「勇気りんりん」「アンパンマンマーチ」>EdMC>「春よ来い」>アンコールMC>「崖の上のポニョ」>ボウとなっている。確かに日本製の曲ばかりだが、一般的に考えられている「日本の歌」直球路線のプログラムにしていない。特に「宝島」から後半とアンコールが、テレビと映画のアニメ音楽のラインナップになっている点が目を引く。 Op>本編>Ed+アンコールの大きな三部構成。これが六義園コンサートの誠意ある基本構造だ。今回の本編は団員MCをはさんでそれぞれテーマを持たされた3曲ごとのユニットからなっている。最初が「日本の民謡」で次が「春の童謡」。最後が「アニソン」。典型的な3-3-3構成だが、そこにはフレーベルならではの縦糸がさりげなく織り込まれている。「日本の民謡」の3曲はいずれも昨秋の定期演奏会でも歌われたもので、とくに最後の「ソーラン節」はNET系列の『題名のない音楽会』でオンエアされたものの改良バージョン。このコーナーは「僕らの活動報告」といった趣向で裏打ちされているのである。そこでは「僕たちの歌ったコマーシャル・ソングです!」というような真正面からのアプローチになることもあれば、今回のように、全体のテーマに沿ったものをさりげなく配して済ます場合もある。プログラムの中央に位置する次のコーナーには、メインテーマ通りの曲が並ぶ。最後のコーナーはややひねりの利いた選曲。こうした部分ではフレーベル少年合唱団のテーマソングとも言うべきアンパンマンの番組挿入歌や「リサイクルレンジャーの唄」「星のうわさ」などの彼らの所属がらみの作品がちりばめられている場合が多い。 前述の通り、1回のマチネに動員される少年は6名。2日間でのべ12名がマイクの前に立っている。今回のコンサートでは、珍しいことにソロやアンサンブル入りの演奏が供されなかった。また、団員による指揮も行なわれなかった。学校行事の影響をモロに被る秋口や、風邪の流行や中学受験など不確定要素の増える年明けの2ヶ月間などは、演目のためにソリストを確保しておきたい男の子の合唱団にとって頭の痛い時期にあたる。しかも、演奏会が必ず週末の2日間(たいていが連続の土日曜日に設定されている)にあたるため、春の運動会にはじまり、夏は学校の林間学校、秋は学芸会やその他の文化・体育行事、早春の式典行事、さらには学校公開や模擬テスト、私立の学校に通っている子どもの土曜授業など、年間を通じキャスティングのやりくりや見通しは決して良いものとは言えない。最悪なことに小学生の男の子の健康自己管理能力の水準といったら限りなくゼロに等しいものと相場は決まっている。どこの少年合唱団でもごく当たり前に見られることは開演ギリギリに楽屋へ駆け込んでくる団員。鼻水、嘔吐、瀉痢、失禁に鼻血など出血のオールスターキャスト。こうしたぐずぐずな水モノ状況をおしてソロや演出の少年を捻出する先生方はさぞや大変なことだろうと同情の念を禁じえない。 現在のフレーベルでは団体戦の重唱は比較的聞かれるが、厳密な意味でのソロは非常に少ない。2日間のコンサートで日曜日にのみ独唱がプログラムに上がるということもある。演奏会全隊のチームカラーは、出演しているソロ団員のメンバーで日によって微妙に異なる。市販されているCDで言うと、今回の初日は「ゲゲゲの鬼太郎」サウンドトラックの声質、2日目は「きかんしゃトーマスのテーマ」のセリフ部分や、「リサイクルレンジャーの唄」の3番のカンレンジャーのアンサンブル(「トーマス…」と「リサイクル…」の曲全体の色を決定づけているのはセリフ担当とソリストの声なのである)に声質が似ている。 観客は六義園コンサートをどう聴いているか 合唱団は六義園でもまた、終演に列ごとのボウ(&スクレイプ)を見せる。フレーベル少年合唱団の音楽が六義園で観客にどう聴かれているのか、この場面を見るにつけ思い知らされることがある。挨拶の開始は、冷静な目を持った横列ごとのコール担当の号令で始まる。 「気をつけッ!」 男の子が少年合唱団員らしいきりりとした通りの良い声で一言叫ぶと、…何と団員たちといっしょにお客様が姿勢を正すのである。背筋を伸ばし少年たちと相対するのである。私は、この美しい一瞬を目前で幾度と無く目撃し、ただ中に身を置いて来た。お客様は漫然とそこに腰を下ろし、また立っていたのではなく、どうも心の中で「少年たちといっしょに歌っていた」ようなのだった!合唱団がなぜ六義園で「客上げ」の企画にこだわり、誰もが知っている曲の中にオリジナリティーのあるナンバーを苦心して織り込もうと努めるのか。毎回、数多くの観客たちが見ず知らずの少年らの姿をなぜ我がことのように熱心に写真に収め続けるのか。そしてフレーベル少年合唱団の少年たちがどうしてこんなにも人々から愛され可愛がられているのか。六義園コンサートの30分間は観客にとって「私も合唱団とともにここに歌った小さな思い出の時間」なのである。 少年合唱団のコンサートの観客にとって、途中入団の少年のステージデビューの目撃者になれるということもまた最高の役得の一つだと思う。六義園のコンサートは、少しずつ繰り入れられる中途採用団員たちのために繁くステージデビューのシーンを提供してくれている。しかも、それは豆粒のようにしか見えない大ホールの遥か遠方の舞台ではなく、幸運な事に観客や新入団員保護者の至近で展開されているのである。今回、少年たちの終演の挨拶は直立のボウではなく、簡易の「ボウ&スクレイプ」だった。見慣れぬその団員が未だとってつけたようなかぶりかたの紺ベレーの頭を垂れてサッと彼の右脚を伸べたとき、春風のように温暖で爽やかな感動が私の固くなりかけた側頭をそよがせたのだった。 あまたの物語を持つボウの後も野外イベントらしい撤収が彼らには待ち構えている。挨拶の列がハケるとまず担当団員は白手袋着用の上ハンドベルの回収があり、その後は先生方が先頭に立ち、現在はアルト側の上級生が列を牽引しフレーベル館へ帰投する。ここではどの保護者にも我が息子の「バックステージ」を観察する絶好のチャンスが与えられている。ショッピングセンターのイベントや劇場出演の終演後には決して見ることのできない「一仕事終えた後の様々な想いをたたえた」愛息たちの表情を脇からそっと読む事が出来る。日本中のボーイソプラノ合唱団でも極めて稀な全保護者向け月毎デラックス特典なのである。 六義園コンサートとは、いったい何だったのか 最後に、フレーベル少年合唱団の六義園コンサートとは、いったい何であり続けてきたのかを考えてみたい。毎年のフレーベル少年合唱団の定期演奏会の客席には同じ在京のボーイソプラノの合唱団であるTFM少年合唱団の団員の姿を見かけることがある。彼らにとって水曜日の定演の開場時刻がちょうど訓練日の帰りにあたるらしく、保護者のピックアップを待って来場するのに良いタイミングなのだろうと思う。私は定演潜入中(?)のFMの団員たちをこれまでに4~5人は目撃したことがある。そういう彼らをつかまえて、どういうつもりで聴きに来たのかを尋ねると、全く他意の感じられないくったくの無い表情で「楽しみに来ました」と言われたりする。さすがFMの団員たちだけあって、実に的を得た発言だと思う。彼らは音楽技術やステージコンセプトを探りに来たのではなく、心から「ステージを、歌を、演奏を楽しみに来た」と言っている。フレーベル少年合唱団が演奏会で一番大切にしていること、観客が聴き取らねばならないことを、ライバル合唱団の彼らは良く判って聞いているのである。 タマゴと砂糖とバターと薄力粉が手に入ったら、必ずマドレーヌを作らなくてはいけないとは、誰も思わないだろう。また、酢豚の野菜を下茹でするか、油通しするか、固いもの以外は何も下ごしらえしておかないかは調理人に任せるべきだし、戒律の定めにより「酢豚」自体が食べられないという人も日本にはおよそ7万人いる。フレーベル少年合唱団の六義園コンサートは「変声前の男の子」という素材をどう料理して見せるか聴かせるかという意味では、私たちの楽しい「食」に酷似している。もしこの愛らしい小さなひとときを外見で区別するとしたら、それは調理が設備万全のワークトップ・キッチンで行われるか日本庭園に面した簡素なギャレーで行われるかでしかない。六義園コンサートをめぐって行われるだろう頻々な批判が有るとすれば、それは前もって味に結論を用意するかどうかだけのことだ。ドンツユ入りの小麦麺を北はホウトウから南は沖縄そばまで食べてみて、どれも全部「おいしかった!」と大喜びするか、「薄色で甘くないダシに柔らかい麺を入れ、稲荷鮨を添えたもの以外は『うどん』とは呼べない」と大人げなく言い張るのかの違いだけである。このように、かつての定期演奏会がそうであったように、「何がどう調理されて出てくるのかわからない」「季節ごと、日ごと、状況に応じていろいろやってみる」のヌーベル・キュイジーヌな楽しみこそがフレーベル少年合唱団の六義園コンサートの醍醐味として浮かび上がってくる。 初代指揮者である磯部俶が、1959年から60年に著した合唱団の極めて初期のレコードのライナーノーツにフレーベル少年合唱団をして「いろいろとやってみる」と書いているのを読んだことがある。 「きちんとした理論とメトードを確立した上で、計画通り粛々と運営を進める、演奏を展開する」とは書かれていない。この一文には、毎週末、遊びたいのを我慢して頑張って歌いに来ている少年たちや、それを楽しげにとり巻く大人たちの等身大の姿が見え隠れする。その人たちが思いきり少年合唱を楽しめるように「いろいろとやってみるのだ」と磯部は書いているのである。私たちは六義園に集う団員たちの姿を見るにつけ、初代指導者の想いは現在のフレーベル少年合唱団にも驚くほど不変のまま引き継がれていることに気づく。「ぼくらのため、聞いてくれる人のため」、彼らは今日も「いろいろとやってみる」気概を大切にしだれ桜の前へ隊列を作っている。 外部リンク 東京都公園協会 六義園 お知らせ - 六義園でのコンサート情報(最新)
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フレーベル少年合唱団の六義園コンサートとは、いったい何だったのか フレーベル少年合唱団 早春のコンサート 2月14日(土)・15日(日)各日13時~13時30分 六義園しだれ桜前広場(文京区本駒込) 無料(入園料別途) 少年たちがブランケットを脱ぎ去る 2009年(平成21年)2月の聖バレンタイン・デーの午後、フレーベル少年合唱団は月毎レギュラーの六義園コンサートを行った。前日吹き荒れた春一番の残り香か、花々のかすかな芳香の中で首都圏の気温は優に20℃を超え、開演時の文京区本駒込の温度計の目盛りは25℃を振り切ろうとしていた。いつものように六義園エンタランスのさざれを静かに踏みしだきながら少年たちが現れると、彼らのコスチュームの移変は誰の目にも明らかだった。2007年の2月24日25日(この頃はまだ午後2時のスタートだった)、昨年2008年の2月16日17日、…毎年2月のコンサート。彼らは紺ブレ長パンツの上下にブランケットを着込み、メロンとスミレのマフラーをピッチリと巻いて「早春コンサート」とは名ばかりの寒風の中で目を細め「北風小僧の寒太郎」を歌っていたと記憶する。今回の「早春のコンサート」でもオープニングに「雪の降るまちを」を歌い、次いで「早春賦」を演目へ組んでいた。だが、合唱団は防寒着をあっさりと脱ぎ置いて、赤ボウに紺ベストの合着のスタイルをフォーマル標準の側章パンツに組み合わせ颯爽と登場した。引き抜きのような彼らの早変わりは爽やかで男の子の合唱団独特の軽快なステップを感じさせる。同時に、これはフレーベル少年合唱団が蓄積してきた膨大な野外コンサートのノウハウを表してもいて頼もしい。MCの少年は「今日は暖かいですね。」という一文をさりげなく織り込んで観客をくすぐるのだが、翌日には一転して「今日は寒いですが…」といった内容にすげかえていく。 冒頭の隊列が「白手袋をして不規則」なのは毎回オープニングのファンファーレでハンドベルを担当する団員たちがいるからなのだが、意外なことに一見の観客にとってこれが良い意味でビジュアルセンセーションになっているようなのである。いずれにせよ、彼らの六義園コンサートのフォーマットとして開会宣言代わりのセレクトメンバーのハンドベル演奏(曲目は回によって異なっていることもあり、土日でも違っていたりする)を聞くことができる。ここで面白いのは、この合唱団独特の姿勢のため、最近のハンドベル担当の団員たちは白手袋を握りしめるか、はめたままで30分間歌い続け、客上げの子どもたちの手を引いたりMCを繰り出したりまでしているということに観客が殆ど気づいていないということなのかもしれない。 六義園コンサートとMC団員たち 曲紹介のMC担当はたいていの場合毎回異なり、同じ月の土曜日と日曜日では同じ基本原稿をダブルキャストで受け持つ。土曜日の開幕のMCを現役リーダー格が述べれば、日曜日には昨日出席できなかった現役トップソリストが同じ原稿で片をつけるといった具合。土曜日にソプラノの中堅団員がした曲紹介は日曜日にはまた別のソプラノ中堅団員が担当すると見てよい。六義園コンサートが基本路線として持っている、「土曜日と日曜日、同一内容の2回のマチネ」という構成が、実は非常に重要な意味を持つ。一つは1回の演出で2人の団員を相乗的に育てられるというマルチな利点。もう一つは男の子の合唱団にありがちな病欠や学校行事による突然の欠席に備えられるというフェールセーフな利点である。少なくとも、観客にとっては同じ構成の演奏会であるのにもかかわらず土日で違う少年の声や姿を楽しむことができるのだから、おトク感満載の連続来場サービス特典ということになる。 この日、MCマイクの前に立った団員の中には、マイクホルダーのクリップの可動を確かめて、過度にマイクヘッドを下げながらしゃべるという姿が散見された。六義園コンサートのマイクセッティングは常に2基のスピーカーに供応する位置へ施される。2ウェイバスレフのフロントメインが彼らの背丈より高い位置にスピーカスタンドをかましてセットされ、隊列の斜め後ろから伴奏を振りかけるという構成になっている。スタジオに入れば彼らもキューボックスを通じて伴奏を聞くだろう。だが六義園では彼ら自身が伴奏音をそこから聴き取らなければ歌えないし、観客も曲を理解できない。必要最低限の構成で成立したミニマムなユニットの中で、MCの少年たちは自分の声がどうしたらハウらずに済み、落ち着いたしっとりした音で鳴らす事ができるのかを耳や体で雰囲気として知っているのである。(スピーカーの位置が十分に遠いときやマイクホルダのピンチのきつい時、マイクスタンドの低さがマックスの場合には下級生たちはそれをやらない)。おそらく彼らが年間のステージパフォーマンスを通じ経験の中から無意識のうちに繰っているのが、このプロ仕様のバウンダリマイク顔負けな「マイクロフォーンの下向け」なのである。 連結式の解消から見えた「ぼくたちの合唱団 低学年の小さな子どもたちが低めに立てられたマイクスタンドの首をさらに下へとネジって自分の声を入れようとする姿は、昨年までは演奏会後半でしか見られない大変貴重なシーンの一つだった。 かつてフレーベル少年合唱団の六義園コンサートの基本構成として、A組セレクトの部隊のみが演奏会前半を担当し、途中からプレーンA組が合流して最後まで流すという連結式のキャスティングが堅持されていた。しだれ桜のはるかカミ手側の藤棚の近くで、矮小な列を作って入りを待つプレーンA組の小さな子どもたちの頼りなさそうな姿を記憶している人も多いことだろう。だが、その愛らしい隊列は2008年以降の六義園にはもはや存在しない。無くなってしまったのはプレーンA組ではなく、A組セレクトの方だととらえるのが穏当であるように思われた。合唱団がおよそ20年もの間保ち続けていたこの2分隊の編成が、現在のフレーベルの学年構成の上ではもはや成立し得なく(成立し難く)なってしまったと考えてはどうだろうか。 フレーベル少年合唱団が2008年の夏休み明けにチームの要となる12歳以上の団員をほぼ完全に失うということは、実は客観的な年齢構成の概算により2004年から2005年の段階で部外者にもほとんど明らかになって知られていた。平成20年…チームを牽引する6年生団員はおらず、最上級生の中学生団員たちは夏休みを終えれば一斉に変声をむかえる。そのとき合唱団に残っている上級生は、片手の指で数えれば終わってしまうくらいわずかな人数の10歳から11歳の小学5年の子どもたちでしかないということを2005年の私たちは覚めた頭で計算し震撼させられた。彼らが、子ウサギのように群れているイタズラっ子そうな目つきの低学年の子どもたちを引き連れてフレーベル少年合唱団をどう仕切るのか、その無謀で「バカげている」としか思えないような状況を私は考えないようにしたかった。それが実際、2008年の夏休みをまだ終えないほど早い段階で避けられない現実となったとき、少人数の、重圧に押しつぶされ消えてしまってしかるべきはずの男の子たちは、もたらされた責務をひょいと両肩に担い、うっとりするほど頼もしい楽しげな真摯な立ち姿で私たちの前に現れたのだった。高低のトップソリストを隊列の両翼に従え、アルト側のエッジに暖かい安定感のあるヘッドクウォーターを布陣し、ソプラノ後列の左翼には誠意あふれる声質の少年たちを配しながら。それは『芳しい』と呼べるほど鮮やかで魅力的な出来事だった。彼らは降ってきたただならぬ試練を少年らしい柔らかな心できちんと受け止めて支えきったのだ。今年度のフレーベルが俄然面白くなったのは、そういう彼らが「プレーンA組」に甘んじていたはずの小さな団員たちを「僕らのチームメイト」として大切に相手にしながら歌っているからだと私は思う。 林を抜け、僕らのハーモニーが聞こえる 六義園コンサートへの批評の代表的なもの2つに、野外演奏であることの意義を問うものと、カラオケ伴奏の是非を問うものがある。前者について言えば、そもそも残念なことに少年合唱の最も美しく爽快な瞬間を聞き逃している。あなたは知っているだろうか?森の中、深い茂みを抜けて聞こえ来る少年たちのコーラスの美しさ、楽しさ!六義園で試してみたらいい。そろいのユニフォームに身を包んだ子どもたちの姿や、それを幸せそうに取り囲む人々の輪から少し離れ、庭園の奥深く、だが子どもたちの声が木立を分け、木々の緑の梢を抜けハッキリとやってくる場所を注意深く探して静かに耳を傾けてみたらわかるというものだ。だが、もう長いこと少年合唱を聞き続けてきた私自身ですら、その驚くべき瞬間を最初に体験したのは、追っかけを始めてからすでに十何年も経ってしまった後のことだった(…しかも、そのとき歌っていたのは私が個人的にかなり良く知っていた少年たちで…それほど極端に想定外な出来事だった!)。私たちの誰もが、歌っている子らの表情や姿見たさに今日も彼らの隊列の前に当然のように陣取る。それは決して悪いことでも無駄なことでもない。だが、ボーイソプラノのハーモニーの美しさ、清らかさ、温もりが森や林の中では何倍にも増幅されて聞こえることをあなたも体験しておくべきだ。フレーベル少年合唱団がもともと株式会社フレーベル館の社会還元事業として位置づけられている以上、私たちはそれが安易に地域の六義園へと結びついているととらえがちだが、彼ら自身もまた、かつて人工物で取り囲まれた神田小川小学校の校庭で毎月コンサートを開きたいなどとは(可能ではあっても)決して思わなかったろう。 カラオケ伴奏をめぐって カラオケ伴奏の是非については、ここでさらに2つのことが言いたい。彼らは今年の「早春のコンサート」のアンコールの客上げで「崖の上のポニョ」を歌った。伴奏に使われたのは合唱譜のピアノパートをなぜたものではなく、正真正銘のメイド・イン・映画版宮崎アニメーション・サウンドトラックのカラオケ音源だった。大橋のぞみがスタジオ録音に使い、全国1000万人の観客が劇場のタイトルロールを前に胸震わせて聞いたあのサントラ音源だったのである。上級生団員たちがあまり奔走するまでもなくステージ上手に集まってきてくれたたくさんの「ちいさなお友だち」が、そのCDの冒頭の4秒590msのイントロを聞いただけで弾かれたように歌いだした光景は今さらここで書き記すまでもない。誰の脳裏にも容易に描き得るだろう幸せなワンシーンなのだった。ナマ・ピアノやナマ・キーボードの演奏で子どもたちが歌うことは、決して悪いことだとは思わないし、大切なことだとも思う。だが、目前で歌う子どもたちを見下ろしつつ心底ホッとした安堵の表情をたたえて歌うアルトの上級生団員らのユニフォームの肩が一番大切なことを言っていたのである。「うれしいなぁ!ありがとう!僕たちは伴奏が何で鳴っていてもいいんだ。僕らの仕事は聞いてくれている人たちを幸せな気持ちにしてあげることだから。」 現在でもときたま不都合の出ることがあるが、かつてフレーベル少年合唱団の六義園コンサートはCDの音飛びやハウリングなど、PA機器類のマシントラブルのオンパレードだった。初期の頃の団員たちは、こういうハプニングがあると、ただならぬ躊躇をためてから演奏自体を放棄してしまうことがあった。指揮者が何か指示なり対応なりを示してくれるのを待っていたのである。だが、現在の団員は既にこうしたハプニングの中で六義園デビューをはたしてきた老練の少年たちだ。伴奏が落ちれば平然とアカペラで歌ってボーイソプラノの素材そのものの声を見せつけてくれるし、CDが音飛びすれば、注意深くそのパターンを聞いてなんとか合わせてみようと試みる。前述の通り、マイクホルダを下向きにしてハウリングを避けようとする団員たちもいれば、マイクのリモートスイッチを疑ってみるような上級生もいる。現在のフレーベル少年合唱団は、オーディオ関係以外にも、およそ考えうる限りの様々なハプニングの洗礼をしだれ桜の前で受けながら今日ここに立っている。2008年の今、先生方が棒を振らず、5年生の男の子に指揮をさせて1曲を聞かせきるほどに団員が成長したのはこのためだ。六義園で起きた信じられない程多くのトラブルが、彼らをこのように頼もしく育てあげたのはもはや疑いようもない。コンサートの最中、自らもパートの中心として歌っているのに、客上げやハプニング等、一人でも多くの手が必要になれば誰からの指示が無くても隣の団員の肩をぽんぽんと叩いて目配せし「おい、行くぞ!」「よし!やろう!」とばかり隊列を飛び出て行く少年たちの姿は見ていても常に颯爽として頼もしく清々しい。そして隣で歌う3年生団員がその数秒間の一部始終を傍視しつつ未来への記憶にとどめる。フレーベル少年合唱団の最も美しい瞬間が、またここにも見られるのである。 プログラムに関する若干の分析 毎月のコンサートには簡潔なタイトルがつき、次に副題としてのテーマが掲げられる。2009年2月のタイトルは「早春のコンサート」でテーマは「和を楽しむ」だった。また、場合によってその下にプログラム・コンセプトの紹介が添えられることもある。今回は「日本の歌を中心に」。これらは毎回、オープニングMCでアナウンスされる。だが、2月14日15日の実際の構成は、ハンドベル>「雪の降るまちを」>OpMC>「早春賦」>MC>「おてもやん」「会津磐梯山」「ソーラン節」>MC>「どこかで春が」「春よ来い」「うれしいひなまつり」>MC>「宝島」「勇気りんりん」「アンパンマンマーチ」>EdMC>「春よ来い」>アンコールMC>「崖の上のポニョ」>ボウとなっている。確かに日本製の曲ばかりだが、一般的に考えられている「日本の歌」直球路線のプログラムにしていない。特に「宝島」から後半とアンコールが、テレビと映画のアニメ音楽のラインナップになっている点が目を引く。 Op>本編>Ed+アンコールの大きな三部構成。これが六義園コンサートの誠意ある基本構造だ。今回の本編は団員MCをはさんでそれぞれテーマを持たされた3曲ごとのユニットからなっている。最初が「日本の民謡」で次が「春の童謡」。最後が「アニソン」。典型的な3-3-3構成だが、そこにはフレーベルならではの縦糸がさりげなく織り込まれている。「日本の民謡」の3曲はいずれも昨秋の定期演奏会でも歌われたもので、とくに最後の「ソーラン節」はNET系列の『題名のない音楽会』でオンエアされたものの改良バージョン。このコーナーは「僕らの活動報告」といった趣向で裏打ちされているのである。そこでは「僕たちの歌ったコマーシャル・ソングです!」というような真正面からのアプローチになることもあれば、今回のように、全体のテーマに沿ったものをさりげなく配して済ます場合もある。プログラムの中央に位置する次のコーナーには、メインテーマ通りの曲が並ぶ。最後のコーナーはややひねりの利いた選曲。こうした部分ではフレーベル少年合唱団のテーマソングとも言うべきアンパンマンの番組挿入歌や「リサイクルレンジャーの唄」「星のうわさ」などの彼らの所属がらみの作品がちりばめられている場合が多い。 前述の通り、1回のマチネに動員される少年は6名。2日間でのべ12名がマイクの前に立っている。今回のコンサートでは、珍しいことにソロやアンサンブル入りの演奏が供されなかった。また、団員による指揮も行なわれなかった。学校行事の影響をモロに被る秋口や、風邪の流行や中学受験など不確定要素の増える年明けの2ヶ月間などは、演目のためにソリストを確保しておきたい男の子の合唱団にとって頭の痛い時期にあたる。しかも、演奏会が必ず週末の2日間(たいていが連続の土日曜日に設定されている)にあたるため、春の運動会にはじまり、夏は学校の林間学校、秋は学芸会やその他の文化・体育行事、早春の式典行事、さらには学校公開や模擬テスト、私立の学校に通っている子どもの土曜授業など、年間を通じキャスティングのやりくりや見通しは決して良いものとは言えない。最悪なことに小学生の男の子の健康自己管理能力の水準といったら限りなくゼロに等しいものと相場は決まっている。どこの少年合唱団でもごく当たり前に見られることは開演ギリギリに楽屋へ駆け込んでくる団員。鼻水、嘔吐、瀉痢、失禁に鼻血など出血のオールスターキャスト。こうしたぐずぐずな水モノ状況をおしてソロや演出の少年を捻出する先生方はさぞや大変なことだろうと同情の念を禁じえない。 現在のフレーベルでは団体戦の重唱は比較的聞かれるが、厳密な意味でのソロは非常に少ない。2日間のコンサートで日曜日にのみ独唱がプログラムに上がるということもある。演奏会全隊のチームカラーは、出演しているソロ団員のメンバーで日によって微妙に異なる。市販されているCDで言うと、今回の初日は「ゲゲゲの鬼太郎」サウンドトラックの声質、2日目は「きかんしゃトーマスのテーマ」のセリフ部分や、「リサイクルレンジャーの唄」の3番のカンレンジャーのアンサンブル(「トーマス…」と「リサイクル…」の曲全体の色を決定づけているのはセリフ担当とソリストの声なのである)に声質が似ている。 観客は六義園コンサートをどう聴いているか 合唱団は六義園でもまた、終演に列ごとのボウ(&スクレイプ)を見せる。フレーベル少年合唱団の音楽が六義園で観客にどう聴かれているのか、この場面を見るにつけ思い知らされることがある。挨拶の開始は、冷静な目を持った横列ごとのコール担当の号令で始まる。 「気をつけッ!」 男の子が少年合唱団員らしいきりりとした通りの良い声で一言叫ぶと、…何と団員たちといっしょにお客様が姿勢を正すのである。背筋を伸ばし少年たちと相対するのである。私は、この美しい一瞬を目前で幾度と無く目撃し、ただ中に身を置いて来た。お客様は漫然とそこに腰を下ろし、また立っていたのではなく、どうも心の中で「少年たちといっしょに歌っていた」ようなのだった!合唱団がなぜ六義園で「客上げ」の企画にこだわり、誰もが知っている曲の中にオリジナリティーのあるナンバーを苦心して織り込もうと努めるのか。毎回、数多くの観客たちが見ず知らずの少年らの姿をなぜ我がことのように熱心に写真に収め続けるのか。そしてフレーベル少年合唱団の少年たちがどうしてこんなにも人々から愛され可愛がられているのか。六義園コンサートの30分間は観客にとって「私も合唱団とともにここに歌った小さな思い出の時間」なのである。 少年合唱団のコンサートの観客にとって、途中入団の少年のステージデビューの目撃者になれるということもまた最高の役得の一つだと思う。六義園のコンサートは、少しずつ繰り入れられる中途採用団員たちのために繁くステージデビューのシーンを提供してくれている。しかも、それは豆粒のようにしか見えない大ホールの遥か遠方の舞台ではなく、幸運な事に観客や新入団員保護者の至近で展開されているのである。今回、少年たちの終演の挨拶は直立のボウではなく、簡易の「ボウ&スクレイプ」だった。見慣れぬその団員が未だとってつけたようなかぶりかたの紺ベレーの頭を垂れてサッと彼の右脚を伸べたとき、春風のように温暖で爽やかな感動が私の固くなりかけた側頭をそよがせたのだった。 あまたの物語を持つボウの後も野外イベントらしい撤収が彼らには待ち構えている。挨拶の列がハケるとまず担当団員は白手袋着用の上ハンドベルの回収があり、その後は先生方が先頭に立ち、現在はアルト側の上級生が列を牽引しフレーベル館へ帰投する。ここではどの保護者にも我が息子の「バックステージ」を観察する絶好のチャンスが与えられている。ショッピングセンターのイベントや劇場出演の終演後には決して見ることのできない「一仕事終えた後の様々な想いをたたえた」愛息たちの表情を脇からそっと読む事が出来る。日本中のボーイソプラノ合唱団でも極めて稀な全保護者向け月毎デラックス特典なのである。 六義園コンサートとは、いったい何だったのか 最後に、フレーベル少年合唱団の六義園コンサートとは、いったい何であり続けてきたのかを考えてみたい。毎年のフレーベル少年合唱団の定期演奏会の客席には同じ在京のボーイソプラノの合唱団であるTFM少年合唱団の団員の姿を見かけることがある。彼らにとって水曜日の定演の開場時刻がちょうど訓練日の帰りにあたるらしく、保護者のピックアップを待って来場するのに良いタイミングなのだろうと思う。私は定演潜入中(?)のFMの団員たちをこれまでに4~5人は目撃したことがある。そういう彼らをつかまえて、どういうつもりで聴きに来たのかを尋ねると、全く他意の感じられないくったくの無い表情で「楽しみに来ました」と言われたりする。さすがFMの団員たちだけあって、実に的を得た発言だと思う。彼らは音楽技術やステージコンセプトを探りに来たのではなく、心から「ステージを、歌を、演奏を楽しみに来た」と言っている。フレーベル少年合唱団が演奏会で一番大切にしていること、観客が聴き取らねばならないことを、ライバル合唱団の彼らは良く判って聞いているのである。 タマゴと砂糖とバターと薄力粉が手に入ったら、必ずマドレーヌを作らなくてはいけないとは、誰も思わないだろう。また、酢豚の野菜を下茹でするか、油通しするか、固いもの以外は何も下ごしらえしておかないかは調理人に任せるべきだし、戒律の定めにより「酢豚」自体が食べられないという人も日本にはおよそ7万人いる。フレーベル少年合唱団の六義園コンサートは「変声前の男の子」という素材をどう料理して見せるか聴かせるかという意味では、私たちの楽しい「食」に酷似している。もしこの愛らしい小さなひとときを外見で区別するとしたら、それは調理が設備万全のワークトップ・キッチンで行われるか日本庭園に面した簡素なギャレーで行われるかでしかない。六義園コンサートをめぐって行われるだろう頻々な批判が有るとすれば、それは前もって味に結論を用意するかどうかだけのことだ。ドンツユ入りの小麦麺を北はホウトウから南は沖縄そばまで食べてみて、どれも全部「おいしかった!」と大喜びするか、「薄色で甘くないダシに柔らかい麺を入れ、稲荷鮨を添えたもの以外は『うどん』とは呼べない」と大人げなく言い張るのかの違いだけである。このように、かつての定期演奏会がそうであったように、「何がどう調理されて出てくるのかわからない」「季節ごと、日ごと、状況に応じていろいろやってみる」のヌーベル・キュイジーヌな楽しみこそがフレーベル少年合唱団の六義園コンサートの醍醐味として浮かび上がってくる。 初代指揮者である磯部俶が、1959年から60年に著した合唱団の極めて初期のレコードのライナーノーツにフレーベル少年合唱団をして「いろいろとやってみる」と書いているのを読んだことがある。 「きちんとした理論とメトードを確立した上で、計画通り粛々と運営を進める、演奏を展開する」とは書かれていない。この一文には、毎週末、遊びたいのを我慢して頑張って歌いに来ている少年たちや、それを楽しげにとり巻く大人たちの等身大の姿が見え隠れする。その人たちが思いきり少年合唱を楽しめるように「いろいろとやってみるのだ」と磯部は書いているのである。私たちは六義園に集う団員たちの姿を見るにつけ、初代指導者の想いは現在のフレーベル少年合唱団にも驚くほど不変のまま引き継がれていることに気づく。「ぼくらのため、聞いてくれる人のため」、彼らは今日も「いろいろとやってみる」気概を大切にしだれ桜の前へ隊列を作っている。 外部リンク 東京都公園協会 六義園 お知らせ - 六義園でのコンサート情報(最新)
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フレーベル少年合唱団の六義園コンサートとは、いったい何だったのか フレーベル少年合唱団 早春のコンサート 2月14日(土)・15日(日)各日13時~13時30分 六義園しだれ桜前広場(文京区本駒込) 無料(入園料別途) 少年たちがブランケットを脱ぎ去る 2009年(平成21年)2月の聖バレンタイン・デーの午後、フレーベル少年合唱団は月毎レギュラーの六義園コンサートを行った。前日吹き荒れた春一番の残り香か、花々のかすかな芳香の中で首都圏の気温は優に20℃を超え、開演時の文京区本駒込の温度計の目盛りは25℃を振り切ろうとしていた。いつものように六義園エンタランスのさざれを静かに踏みしだきながら少年たちが現れると、彼らのコスチュームの移変は誰の目にも明らかだった。2007年の2月24日25日(この頃はまだ午後2時のスタートだった)、昨年2008年の2月16日17日、…毎年2月のコンサート。彼らは紺ブレ長パンツの上下にブランケットを着込み、メロンとスミレのマフラーをピッチリと巻いて「早春コンサート」とは名ばかりの寒風の中で目を細め「北風小僧の寒太郎」を歌っていたと記憶する。今回の「早春のコンサート」でもオープニングに「雪の降るまちを」を歌い、次いで「早春賦」を演目へ組んでいた。だが、合唱団は防寒着をあっさりと脱ぎ置いて、赤ボウに紺ベストの合着のスタイルをフォーマル標準の側章パンツに組み合わせ颯爽と登場した。引き抜きのような彼らの早変わりは爽やかで男の子の合唱団独特の軽快なステップを感じさせる。同時に、これはフレーベル少年合唱団が蓄積してきた膨大な野外コンサートのノウハウを表してもいて頼もしい。MCの少年は「今日は暖かいですね。」という一文をさりげなく織り込んで観客をくすぐるのだが、翌日には一転して「今日は寒いですが…」といった内容にすげかえていく。 冒頭の隊列が「白手袋をして不規則」なのは毎回オープニングのファンファーレでハンドベルを担当する団員たちがいるからなのだが、意外なことに一見の観客にとってこれが良い意味でビジュアルセンセーションになっているようなのである。いずれにせよ、彼らの六義園コンサートのフォーマットとして開会宣言代わりのセレクトメンバーのハンドベル演奏(曲目は回によって異なっていることもあり、土日でも違っていたりする)を聞くことができる。ここで面白いのは、この合唱団独特の姿勢のため、最近のハンドベル担当の団員たちは白手袋を握りしめるか、はめたままで30分間歌い続け、客上げの子どもたちの手を引いたりMCを繰り出したりまでしているということに観客が殆ど気づいていないということなのかもしれない。 六義園コンサートとMC団員たち 曲紹介のMC担当はたいていの場合毎回異なり、同じ月の土曜日と日曜日では同じ基本原稿をダブルキャストで受け持つ。土曜日の開幕のMCを現役リーダー格が述べれば、日曜日には昨日出席できなかった現役トップソリストが同じ原稿で片をつけるといった具合。土曜日にソプラノの中堅団員がした曲紹介は日曜日にはまた別のソプラノ中堅団員が担当すると見てよい。六義園コンサートが基本路線として持っている、「土曜日と日曜日、同一内容の2回のマチネ」という構成が、実は非常に重要な意味を持つ。一つは1回の演出で2人の団員を相乗的に育てられるというマルチな利点。もう一つは男の子の合唱団にありがちな病欠や学校行事による突然の欠席に備えられるというフェールセーフな利点である。少なくとも、観客にとっては同じ構成の演奏会であるのにもかかわらず土日で違う少年の声や姿を楽しむことができるのだから、おトク感満載の連続来場サービス特典ということになる。 この日、MCマイクの前に立った団員の中には、マイクホルダーのクリップの可動を確かめて、過度にマイクヘッドを下げながらしゃべるという姿が散見された。六義園コンサートのマイクセッティングは常に2基のスピーカーに供応する位置へ施される。2ウェイバスレフのフロントメインが彼らの背丈より高い位置にスピーカスタンドをかましてセットされ、隊列の斜め後ろから伴奏を振りかけるという構成になっている。スタジオに入れば彼らもキューボックスを通じて伴奏を聞くだろう。だが六義園では彼ら自身が伴奏音をそこから聴き取らなければ歌えないし、観客も曲を理解できない。必要最低限の構成で成立したミニマムなユニットの中で、MCの少年たちは自分の声がどうしたらハウらずに済み、落ち着いたしっとりした音で鳴らす事ができるのかを耳や体で雰囲気として知っているのである。(スピーカーの位置が十分に遠いときやマイクホルダのピンチのきつい時、マイクスタンドの低さがマックスの場合には下級生たちはそれをやらない)。おそらく彼らが年間のステージパフォーマンスを通じ経験の中から無意識のうちに繰っているのが、このプロ仕様のバウンダリマイク顔負けな「マイクロフォーンの下向け」なのである。 連結式の解消から見えた「ぼくたちの合唱団 低学年の小さな子どもたちが低めに立てられたマイクスタンドの首をさらに下へとネジって自分の声を入れようとする姿は、昨年までは演奏会後半でしか見られない大変貴重なシーンの一つだった。 かつてフレーベル少年合唱団の六義園コンサートの基本構成として、A組セレクトの部隊のみが演奏会前半を担当し、途中からプレーンA組が合流して最後まで流すという連結式のキャスティングが堅持されていた。しだれ桜のはるかカミ手側の藤棚の近くで、矮小な列を作って入りを待つプレーンA組の小さな子どもたちの頼りなさそうな姿を記憶している人も多いことだろう。だが、その愛らしい隊列は2008年以降の六義園にはもはや存在しない。無くなってしまったのはプレーンA組ではなく、A組セレクトの方だととらえるのが穏当であるように思われた。合唱団がおよそ20年もの間保ち続けていたこの2分隊の編成が、現在のフレーベルの学年構成の上ではもはや成立し得なく(成立し難く)なってしまったと考えてはどうだろうか。 フレーベル少年合唱団が2008年の夏休み明けにチームの要となる12歳以上の団員をほぼ完全に失うということは、実は客観的な年齢構成の概算により2004年から2005年の段階で部外者にもほとんど明らかになって知られていた。平成20年…チームを牽引する6年生団員はおらず、最上級生の中学生団員たちは夏休みを終えれば一斉に変声をむかえる。そのとき合唱団に残っている上級生は、片手の指で数えれば終わってしまうくらいわずかな人数の10歳から11歳の小学5年の子どもたちでしかないということを2005年の私たちは覚めた頭で計算し震撼させられた。彼らが、子ウサギのように群れているイタズラっ子そうな目つきの低学年の子どもたちを引き連れてフレーベル少年合唱団をどう仕切るのか、その無謀で「バカげている」としか思えないような状況を私は考えないようにしたかった。それが実際、2008年の夏休みをまだ終えないほど早い段階で避けられない現実となったとき、少人数の、重圧に押しつぶされ消えてしまってしかるべきはずの男の子たちは、もたらされた責務をひょいと両肩に担い、うっとりするほど頼もしい楽しげな真摯な立ち姿で私たちの前に現れたのだった。高低のトップソリストを隊列の両翼に従え、アルト側のエッジに暖かい安定感のあるヘッドクウォーターを布陣し、ソプラノ後列の左翼には誠意あふれる声質の少年たちを配しながら。それは『芳しい』と呼べるほど鮮やかで魅力的な出来事だった。彼らは降ってきたただならぬ試練を少年らしい柔らかな心できちんと受け止めて支えきったのだ。今年度のフレーベルが俄然面白くなったのは、そういう彼らが「プレーンA組」に甘んじていたはずの小さな団員たちを「僕らのチームメイト」として大切に相手にしながら歌っているからだと私は思う。 林を抜け、僕らのハーモニーが聞こえる 六義園コンサートへの批評の代表的なもの2つに、野外演奏であることの意義を問うものと、カラオケ伴奏の是非を問うものがある。前者について言えば、そもそも残念なことに少年合唱の最も美しく爽快な瞬間を聞き逃している。あなたは知っているだろうか?森の中、深い茂みを抜けて聞こえ来る少年たちのコーラスの美しさ、楽しさ!六義園で試してみたらいい。そろいのユニフォームに身を包んだ子どもたちの姿や、それを幸せそうに取り囲む人々の輪から少し離れ、庭園の奥深く、だが子どもたちの声が木立を分け、木々の緑の梢を抜けハッキリとやってくる場所を注意深く探して静かに耳を傾けてみたらわかるというものだ。だが、もう長いこと少年合唱を聞き続けてきた私自身ですら、その驚くべき瞬間を最初に体験したのは、追っかけを始めてからすでに十何年も経ってしまった後のことだった(…しかも、そのとき歌っていたのは私が個人的にかなり良く知っていた少年たちで…それほど極端に想定外な出来事だった!)。私たちの誰もが、歌っている子らの表情や姿見たさに今日も彼らの隊列の前に当然のように陣取る。それは決して悪いことでも無駄なことでもない。だが、ボーイソプラノのハーモニーの美しさ、清らかさ、温もりが森や林の中では何倍にも増幅されて聞こえることをあなたも体験しておくべきだ。フレーベル少年合唱団がもともと株式会社フレーベル館の社会還元事業として位置づけられている以上、私たちはそれが安易に地域の六義園へと結びついているととらえがちだが、彼ら自身もまた、かつて人工物で取り囲まれた神田小川小学校の校庭で毎月コンサートを開きたいなどとは(可能ではあっても)決して思わなかったろう。 カラオケ伴奏をめぐって カラオケ伴奏の是非については、ここでさらに2つのことが言いたい。彼らは今年の「早春のコンサート」のアンコールの客上げで「崖の上のポニョ」を歌った。伴奏に使われたのは合唱譜のピアノパートをなぜたものではなく、正真正銘のメイド・イン・映画版宮崎アニメーション・サウンドトラックのカラオケ音源だった。大橋のぞみがスタジオ録音に使い、全国1000万人の観客が劇場のタイトルロールを前に胸震わせて聞いたあのサントラ音源だったのである。上級生団員たちがあまり奔走するまでもなくステージ上手に集まってきてくれたたくさんの「ちいさなお友だち」が、そのCDの冒頭の4秒590msのイントロを聞いただけで弾かれたように歌いだした光景は今さらここで書き記すまでもない。誰の脳裏にも容易に描き得るだろう幸せなワンシーンなのだった。ナマ・ピアノやナマ・キーボードの演奏で子どもたちが歌うことは、決して悪いことだとは思わないし、大切なことだとも思う。だが、目前で歌う子どもたちを見下ろしつつ心底ホッとした安堵の表情をたたえて歌うアルトの上級生団員らのユニフォームの肩が一番大切なことを言っていたのである。「うれしいなぁ!ありがとう!僕たちは伴奏が何で鳴っていてもいいんだ。僕らの仕事は聞いてくれている人たちを幸せな気持ちにしてあげることだから。」 現在でもときたま不都合の出ることがあるが、かつてフレーベル少年合唱団の六義園コンサートはCDの音飛びやハウリングなど、PA機器類のマシントラブルのオンパレードだった。初期の頃の団員たちは、こういうハプニングがあると、ただならぬ躊躇をためてから演奏自体を放棄してしまうことがあった。指揮者が何か指示なり対応なりを示してくれるのを待っていたのである。だが、現在の団員は既にこうしたハプニングの中で六義園デビューをはたしてきた老練の少年たちだ。伴奏が落ちれば平然とアカペラで歌ってボーイソプラノの素材そのものの声を見せつけてくれるし、CDが音飛びすれば、注意深くそのパターンを聞いてなんとか合わせてみようと試みる。前述の通り、マイクホルダを下向きにしてハウリングを避けようとする団員たちもいれば、マイクのリモートスイッチを疑ってみるような上級生もいる。現在のフレーベル少年合唱団は、オーディオ関係以外にも、およそ考えうる限りの様々なハプニングの洗礼をしだれ桜の前で受けながら今日ここに立っている。2008年の今、先生方が棒を振らず、5年生の男の子に指揮をさせて1曲を聞かせきるほどに団員が成長したのはこのためだ。六義園で起きた信じられない程多くのトラブルが、彼らをこのように頼もしく育てあげたのはもはや疑いようもない。コンサートの最中、自らもパートの中心として歌っているのに、客上げやハプニング等、一人でも多くの手が必要になれば誰からの指示が無くても隣の団員の肩をぽんぽんと叩いて目配せし「おい、行くぞ!」「よし!やろう!」とばかり隊列を飛び出て行く少年たちの姿は見ていても常に颯爽として頼もしく清々しい。そして隣で歌う3年生団員がその数秒間の一部始終を傍視しつつ未来への記憶にとどめる。フレーベル少年合唱団の最も美しい瞬間が、またここにも見られるのである。 プログラムに関する若干の分析 毎月のコンサートには簡潔なタイトルがつき、次に副題としてのテーマが掲げられる。2009年2月のタイトルは「早春のコンサート」でテーマは「和を楽しむ」だった。また、場合によってその下にプログラム・コンセプトの紹介が添えられることもある。今回は「日本の歌を中心に」。これらは毎回、オープニングMCでアナウンスされる。だが、2月14日15日の実際の構成は、ハンドベル>「雪の降るまちを」>OpMC>「早春賦」>MC>「おてもやん」「会津磐梯山」「ソーラン節」>MC>「どこかで春が」「春よ来い」「うれしいひなまつり」>MC>「宝島」「勇気りんりん」「アンパンマンマーチ」>EdMC>「春よ来い」>アンコールMC>「崖の上のポニョ」>ボウとなっている。確かに日本製の曲ばかりだが、一般的に考えられている「日本の歌」直球路線のプログラムにしていない。特に「宝島」から後半とアンコールが、テレビと映画のアニメ音楽のラインナップになっている点が目を引く。 Op>本編>Ed+アンコールの大きな三部構成。これが六義園コンサートの誠意ある基本構造だ。今回の本編は団員MCをはさんでそれぞれテーマを持たされた3曲ごとのユニットからなっている。最初が「日本の民謡」で次が「春の童謡」。最後が「アニソン」。典型的な3-3-3構成だが、そこにはフレーベルならではの縦糸がさりげなく織り込まれている。「日本の民謡」の3曲はいずれも昨秋の定期演奏会でも歌われたもので、とくに最後の「ソーラン節」はNET系列の『題名のない音楽会』でオンエアされたものの改良バージョン。このコーナーは「僕らの活動報告」といった趣向で裏打ちされているのである。そこでは「僕たちの歌ったコマーシャル・ソングです!」というような真正面からのアプローチになることもあれば、今回のように、全体のテーマに沿ったものをさりげなく配して済ます場合もある。プログラムの中央に位置する次のコーナーには、メインテーマ通りの曲が並ぶ。最後のコーナーはややひねりの利いた選曲。こうした部分ではフレーベル少年合唱団のテーマソングとも言うべきアンパンマンの番組挿入歌や「リサイクルレンジャーの唄」「星のうわさ」などの彼らの所属がらみの作品がちりばめられている場合が多い。 前述の通り、1回のマチネに動員される少年は6名。2日間でのべ12名がマイクの前に立っている。今回のコンサートでは、珍しいことにソロやアンサンブル入りの演奏が供されなかった。また、団員による指揮も行なわれなかった。学校行事の影響をモロに被る秋口や、風邪の流行や中学受験など不確定要素の増える年明けの2ヶ月間などは、演目のためにソリストを確保しておきたい男の子の合唱団にとって頭の痛い時期にあたる。しかも、演奏会が必ず週末の2日間(たいていが連続の土日曜日に設定されている)にあたるため、春の運動会にはじまり、夏は学校の林間学校、秋は学芸会やその他の文化・体育行事、早春の式典行事、さらには学校公開や模擬テスト、私立の学校に通っている子どもの土曜授業など、年間を通じキャスティングのやりくりや見通しは決して良いものとは言えない。最悪なことに小学生の男の子の健康自己管理能力の水準といったら限りなくゼロに等しいものと相場は決まっている。どこの少年合唱団でもごく当たり前に見られることは開演ギリギリに楽屋へ駆け込んでくる団員。鼻水、嘔吐、瀉痢、失禁に鼻血など出血のオールスターキャスト。こうしたぐずぐずな水モノ状況をおしてソロや演出の少年を捻出する先生方はさぞや大変なことだろうと同情の念を禁じえない。 現在のフレーベルでは団体戦の重唱は比較的聞かれるが、厳密な意味でのソロは非常に少ない。2日間のコンサートで日曜日にのみ独唱がプログラムに上がるということもある。演奏会全隊のチームカラーは、出演しているソロ団員のメンバーで日によって微妙に異なる。市販されているCDで言うと、今回の初日は「ゲゲゲの鬼太郎」サウンドトラックの声質、2日目は「きかんしゃトーマスのテーマ」のセリフ部分や、「リサイクルレンジャーの唄」の3番のカンレンジャーのアンサンブル(「トーマス…」と「リサイクル…」の曲全体の色を決定づけているのはセリフ担当とソリストの声なのである)に声質が似ている。 観客は六義園コンサートをどう聴いているか 合唱団は六義園でもまた、終演に列ごとのボウ(&スクレイプ)を見せる。フレーベル少年合唱団の音楽が六義園で観客にどう聴かれているのか、この場面を見るにつけ思い知らされることがある。挨拶の開始は、冷静な目を持った横列ごとのコール担当の号令で始まる。 「気をつけッ!」 男の子が少年合唱団員らしいきりりとした通りの良い声で一言叫ぶと、…何と団員たちといっしょにお客様が姿勢を正すのである。背筋を伸ばし少年たちと相対するのである。私は、この美しい一瞬を目前で幾度と無く目撃し、ただ中に身を置いて来た。お客様は漫然とそこに腰を下ろし、また立っていたのではなく、どうも心の中で「少年たちといっしょに歌っていた」ようなのだった!合唱団がなぜ六義園で「客上げ」の企画にこだわり、誰もが知っている曲の中にオリジナリティーのあるナンバーを苦心して織り込もうと努めるのか。毎回、数多くの観客たちが見ず知らずの少年らの姿をなぜ我がことのように熱心に写真に収め続けるのか。そしてフレーベル少年合唱団の少年たちがどうしてこんなにも人々から愛され可愛がられているのか。六義園コンサートの30分間は観客にとって「私も合唱団とともにここに歌った小さな思い出の時間」なのである。 少年合唱団のコンサートの観客にとって、途中入団の少年のステージデビューの目撃者になれるということもまた最高の役得の一つだと思う。六義園のコンサートは、少しずつ繰り入れられる中途採用団員たちのために繁くステージデビューのシーンを提供してくれている。しかも、それは豆粒のようにしか見えない大ホールの遥か遠方の舞台ではなく、幸運な事に観客や新入団員保護者の至近で展開されているのである。今回、少年たちの終演の挨拶は直立のボウではなく、簡易の「ボウ&スクレイプ」だった。見慣れぬその団員が未だとってつけたようなかぶりかたの紺ベレーの頭を垂れてサッと彼の右脚を伸べたとき、春風のように温暖で爽やかな感動が私の固くなりかけた側頭をそよがせたのだった。 あまたの物語を持つボウの後も野外イベントらしい撤収が彼らには待ち構えている。挨拶の列がハケるとまず担当団員は白手袋着用の上ハンドベルの回収があり、その後は先生方が先頭に立ち、現在はアルト側の上級生が列を牽引しフレーベル館へ帰投する。ここではどの保護者にも我が息子の「バックステージ」を観察する絶好のチャンスが与えられている。ショッピングセンターのイベントや劇場出演の終演後には決して見ることのできない「一仕事終えた後の様々な想いをたたえた」愛息たちの表情を脇からそっと読む事が出来る。日本中のボーイソプラノ合唱団でも極めて稀な全保護者向け月毎デラックス特典なのである。 六義園コンサートとは、いったい何だったのか 最後に、フレーベル少年合唱団の六義園コンサートとは、いったい何であり続けてきたのかを考えてみたい。毎年のフレーベル少年合唱団の定期演奏会の客席には同じ在京のボーイソプラノの合唱団であるTFM少年合唱団の団員の姿を見かけることがある。彼らにとって水曜日の定演の開場時刻がちょうど訓練日の帰りにあたるらしく、保護者のピックアップを待って来場するのに良いタイミングなのだろうと思う。私は定演潜入中(?)のFMの団員たちをこれまでに4~5人は目撃したことがある。そういう彼らをつかまえて、どういうつもりで聴きに来たのかを尋ねると、全く他意の感じられないくったくの無い表情で「楽しみに来ました」と言われたりする。さすがFMの団員たちだけあって、実に的を得た発言だと思う。彼らは音楽技術やステージコンセプトを探りに来たのではなく、心から「ステージを、歌を、演奏を楽しみに来た」と言っている。フレーベル少年合唱団が演奏会で一番大切にしていること、観客が聴き取らねばならないことを、ライバル合唱団の彼らは良く判って聞いているのである。 タマゴと砂糖とバターと薄力粉が手に入ったら、必ずマドレーヌを作らなくてはいけないとは、誰も思わないだろう。また、酢豚の野菜を下茹でするか、油通しするか、固いもの以外は何も下ごしらえしておかないかは調理人に任せるべきだし、戒律の定めにより「酢豚」自体が食べられないという人も日本にはおよそ7万人いる。フレーベル少年合唱団の六義園コンサートは「変声前の男の子」という素材をどう料理して見せるか聴かせるかという意味では、私たちの楽しい「食」に酷似している。もしこの愛らしい小さなひとときを外見で区別するとしたら、それは調理が設備万全のワークトップ・キッチンで行われるか日本庭園に面した簡素なギャレーで行われるかでしかない。六義園コンサートをめぐって行われるだろう頻々な批判が有るとすれば、それは前もって味に結論を用意するかどうかだけのことだ。ドンツユ入りの小麦麺を北はホウトウから南は沖縄そばまで食べてみて、どれも全部「おいしかった!」と大喜びするか、「薄色で甘くないダシに柔らかい麺を入れ、稲荷鮨を添えたもの以外は『うどん』とは呼べない」と大人げなく言い張るのかの違いだけである。このように、かつての定期演奏会がそうであったように、「何がどう調理されて出てくるのかわからない」「季節ごと、日ごと、状況に応じていろいろやってみる」のヌーベル・キュイジーヌな楽しみこそがフレーベル少年合唱団の六義園コンサートの醍醐味として浮かび上がってくる。 初代指揮者である磯部俶が、1959年から60年に著した合唱団の極めて初期のレコードのライナーノーツにフレーベル少年合唱団をして「いろいろとやってみる」と書いているのを読んだことがある。 「きちんとした理論とメトードを確立した上で、計画通り粛々と運営を進める、演奏を展開する」とは書かれていない。この一文には、毎週末、遊びたいのを我慢して頑張って歌いに来ている少年たちや、それを楽しげにとり巻く大人たちの等身大の姿が見え隠れする。その人たちが思いきり少年合唱を楽しめるように「いろいろとやってみるのだ」と磯部は書いているのである。私たちは六義園に集う団員たちの姿を見るにつけ、初代指導者の想いは現在のフレーベル少年合唱団にも驚くほど不変のまま引き継がれていることに気づく。「ぼくらのため、聞いてくれる人のため」、彼らは今日も「いろいろとやってみる」気概を大切にしだれ桜の前へ隊列を作っている。 外部リンク 東京都公園協会 六義園 お知らせ - 六義園でのコンサート情報(最新)
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attachref デスレーベル 概要 [#na2b4d00] 操作法 [#f67db3c5] 取得方法 [#ufa06502] ランク別性能表 [#t9300539] コメントフォーム [#sf262516] 概要 攻撃後、敵に死の烙印を付与します。死の烙印は同一種族の他のモンスターにも付与され、烙印のある敵すべてに追撃することができます。 ランクF消費スタミナ50 操作法 マウス [左クリック]3回+[右クリック]+[E] キーボード [S]3回+[D]+[W] 取得方法 バトルサイズマスタリDランク以上 ランク別性能表 ランク F E D C B A 9 制限 8 7 6 5 4 3 2 1 必要Lv 32 AP 必要 - 40 85 135 190 250 累積 0 40 125 260 450 700 ターゲット数 2 3 4 範囲[+%] 1 2 3 4 5 6 ダメージ増加[%] 増加 0 10 2 累積 0 10 12 14 16 18 ダウン確率[%] 増加 1 累積 1 2 3 4 5 6 コメントフォーム 9でキャップ確認,ソロなら結構使う機会があるもののPTだとボス位しか使えないスキル -- スピリットバインド同様移動しながら使用すると隙が減る代わりに消費スタミナが増える -- B以上のランクにしてレッドセンチネル*4を一人で相手にすると楽しいw -- 仕掛けておけば任意で爆破できるのでダウン維持の保険としても使える。 -- 刻印の持続時間は30分だが、スピリットバインドのストック時間と競合する。 -- あまり知られていないがダメージ増加は「烙印された対象にスマッシュを与えたダメージ」も増やす事ができる。烙印したまま戦えばPT全体の火力を挙げられる素敵スキル -- ↑説明じゃ確かにスマッシュダメージがアップするみたいに書かれてるけど、他のスキル例から考えるとデスレーベルのダメージアップの間違いな気がしなくはない……検証しないと怪しい内容だよね? -- ↑本国ではPT全員に効果があるらしいが、日本だとどうかは検証してみないとわからんだろうね -- Aまで上げたらNEXTが最高ランクって出るんだけど・・・。表だと9以降があるような感じだけどどうなのかね。 -- 表ってこの上の表なら単に作っておいただけだと思う。 -- ↑3 蜘蛛相手にそのまま1打スマと念のため2打スマ、刻印したあと1打スマと2打スマ両方のオーバーキル分比べてみたが、どちらもほとんど変化なかったよ。本国ではPT全員に効果がある、って判断したソースがあるなら教えて。 -- 本国は知らんけど日本では何回か検証された結果少なくとも自分のスマッシュダメージは増えない事が確認された。仲間のダメージについては検証待ち -- おそらく烙印のついた敵にスマッシュキーで与えるダメージの増加 なんだろうけどね。翻訳については怪しい所が多いし -- BSの事考えると烙印後の右クリック=スマッシュってことじゃないのか -- 3打スマことソウルスキュアーは対象とした敵1体を鎌に引っ掛けて叩き付けるというものだが、そのとき引っかかっている敵にデスレーベルを追加でつけるというイメージです。 -- 倒しきってないにも関わらずひっかけた敵からイーヴルコアが出る。その後ダメージを与えず放置すると少し動いた後に石化して倒した事になる -- 名前 コメント
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label 自作 元々はレコードの盤面中央に貼られるレコード会社や曲名などが書かれた紙のこと。 転じて現在ではレコード会社そのものを指すようになった言葉は何でしょう? (2010年11月22日 某所で出したよ ) タグ:音楽 Quizwiki 索引 ま~英数
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どどんぱち だいふっかつ BLACKLABEL DoDonPachi Resurrection 機種:AC, 360, Win 作・編曲者:ベイシスケイプ(並木学、工藤吉三、上倉紀行、千葉梓、阿部公弘)、Jake Kaufman(編曲) 発売元:ケイブ 発売年:2010、2011(360)、2016(Win) 概要 『怒首領蜂 大復活』のブラックレーベル版。音楽は全曲一新されている。 360版では『ケツイ~絆地獄たち~』風にアレンジしたアレンジモード(ケツイモード)を収録。 ケツイモードでは『ケツイ』の音楽のアレンジが使用され、ケツイモードの楽曲の編曲はJake Kaufman氏が行っている。 2018年発売の『ケツイ Deathtiny ~絆地獄たち~』ではJakeアレンジが逆輸入され、『ケツイ』で『大復活BL』の曲を流してプレイ可能になった。 ただしダウンロード販売分に関してはDLC扱いなので要注意、パッケージ版は付属。 2016年にはPCにも移植、ブラックレーベル及びケツイモードともに ゲーム本体となるDoDonPachi Resurrectionに無料で同梱されている為お得である。 収録曲 曲名 作・編曲者 補足 順位 Sally 並木学 Select Vertex Stage1 第4回617位第6回662位第7回374位第8回576位第9回593位第10回912位シューティング23位2010年38位第2回アーケード271位一面134位 Xanadu (Stage2-A) 千葉梓 Stage2-A 第2回掘り出し115位 Flotage (Stage3-A) 上倉紀行 Stage3-A 第6回957位2010年85位 Presentiment (Stage4-A) 工藤吉三 Stage4-A Endorphin Boss1 Superb 並木学 Stage Clear Xanadu (Stage2-B) 千葉梓 Stage2-B Flotage (Stage3-B) 上倉紀行 Stage3-B 第5回782位第6回957位第7回409位第8回498位第9回726位第12回986位2010年85位第2回アーケード271位 Presentiment (Stage4-B) 工藤吉三 Stage4-B Frenzy 上倉紀行 Boss2 2010年123位 Vertigo 並木学 Stage5 第5回603位第6回633位2010年49位 Desperado 上倉紀行 Final Boss 2010年189位 Mercilessness 工藤吉三 True Final Boss 2010年28位シューティング184位 Zatsuza 並木学 Secret 2010年104位 Resurrection 阿部公弘 Ending Factoid 並木学 Name Entry ケツイモード収録曲 DOOMSDAY 並木学 Jake Kaufman Select INTERCEPTION-喧騒の街 Stage1 2011年265位 DARKENED Boss BREAKTHRU StageClear SUBURB - 機甲の緑 Stage2 2011年248位 CANAL FLEET - 夕暮の艦隊 Stage3 DEFENSIVE LINE - 闇に潜む Stage4 EVAC INDUSTRY - 審判の日 Stage5 第5回782位2011年248位 SCAFFOLD LastBoss NO REMORSE TrueLastBoss ラストバトル348位2011年50位 AFTERGLOW NameEntry LAST WORDS Ending サウンドトラック 怒首領蜂大復活ブラックレーベル オリジナルサウンドトラック ブラックレーベル本編の楽曲を収録 怒首領蜂大復活ブラックレーベル アレンジモードアルバム ケツイモードの楽曲を収録 怒首領蜂大復活ブラックレーベル アレンジモードアルバム PS3ソフトである『ケツイ~絆地獄たち~EXTRA 初回限定版』の一部店舗での予約特典であったサントラ 収録内容及び収録状況は上記の「怒首領蜂大復活ブラックレーベル アレンジモードアルバム」と変わりはない DoDonPachi Resurrection BLACK LABEL Original Sound Track ダウンロード配信、当初はゲーム本体を購入しなければ聴けなかったが、現在は単体で聴取可能 収録内容は『怒首領蜂大復活ブラックレーベル オリジナルサウンドトラック』と同じであるものの MP3データ及びFLACデータを同梱している DoDonPachi Resurrection BLACK LABEL Arrange Mode Album ダウンロード配信、当初はゲーム本体を購入しなければ聴けなかったが、現在は単体で聴取可能 収録内容は『怒首領蜂大復活ブラックレーベル アレンジモードアルバム』と同じであるものの MP3データ及びFLACデータを同梱している PV 使用曲 Vertex、INTERCEPTION-喧騒の街(ブラックレーベルアレンジモード版)
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ブラックレーベルの感想 131:名無しさん@そうだドライブへ行こう :2005/08/03(水) 13 45 47 ブラックレーベル使ってみたのでインプレしまっす。 使ったのはS.E.Fでしたっけ?一番上のグレードです。 えっと下地は、過去2年間WAX等かけてません。 それと鉄粉取り(粘土にて)と水垢取りシャンプーをつかいました。 約1ヶ月前に施工しました。 132:131 :2005/08/03(水) 13 55 24 続き 施工性は非常に伸びがよく、ふき取りも楽でした。 1ヶ月たった現在でもリアバンバー以外は撥水しています。 保管は青空駐車で、洗車は3日に1回くらい高速洗車機をつかっています。 リアバンパーも撥水しないだけで艶はあります。 ちなみに色はパールホワイトです。(日産WK0) はっきり言ってFバンパーは傷だらけで(サーキット等よく行くため) すぐだめになるのかな?と思っていたのですが、現在もツヤツヤで 触ってもスベスベしています。 私としてはいい買い物したとおもっています。 購入を検討中の方いましたら聞いてください。 実体験の範囲でお答えします。
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五十音順 GA文庫 HJ文庫 MF文庫J 一迅社文庫 一迅社文庫アイリス ガガガ文庫 角川スニーカー文庫 講談社X文庫ティーンズハート 講談社X文庫ホワイトハート コバルト文庫 スーパーダッシュ文庫 電撃文庫 トクマ・ノベルズedge ハヤカワ文庫JA 富士見ファンタジア文庫 富士見ミステリー文庫 メガミ文庫
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海外レーベル一覧(その他)[Labels which release various-style tracks] ハードコアのほかにも様々なジャンルをリリースしているレーベルや、ハードコアがメインではないがまれにリリースすることもあるレーベルをまとめています。 レーベル サブレーベル A All Around The World(AATW) Antropofagia Records Attack The Music B C D Dance Corps E F G H HEX MANIA I J K Ketacore Records KyokudoCore Records L Legs Akimbo Records M Monstercat N Nukleuz O P Q R S Splitterkor Rekords Dziwko!!! T U Underground Core Collective V W X Y Z