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とほほ思考錯誤投稿集 投稿者「とほほ」で検索した結果です。 個々の記事に行き着くには 「思考錯誤Treeのキャッシュで、スレッドトップの番号を知る 「思考錯誤 Archives index」を参照してスレッドのHTMLアーカイブを開く 開いたHTMLアーカイブのアドレス窓に「#(番号)」を書き加えて移動する の順を辿るか 記事タイトルでサイト内検索をして、スレッドのTEXTアーカイブを得る そこで閲覧するか、そこに記されたHTMLアーカライブアドレスにアクセスし、 開いたHTMLアーカイブのアドレス窓に「#(番号)」を書き加えて移動する の順でいける、という予定です。 とほほ思考錯誤投稿集_1 (2009-11-20 15 00 40) とほほ思考錯誤投稿集_2 (2009-11-20 15 07 36) とほほ思考錯誤投稿集_3 (2009-11-20 15 09 12) とほほ思考錯誤投稿集_4 (2009-11-20 15 09 55) とほほ思考錯誤投稿集_5 (2009-11-20 15 10 53) とほほ思考錯誤投稿集_6 (2009-11-20 15 16 58) とほほ思考錯誤投稿集_7 (2009-11-20 15 17 53) とほほ思考錯誤投稿集_8 (2009-11-20 15 18 34) とほほ思考錯誤投稿集_9 (2009-11-20 15 19 27) とほほ思考錯誤投稿集_10 (2009-11-20 15 20 10) とほほ思考錯誤投稿集_11 (2009-11-20 15 20 50) とほほ思考錯誤投稿集_12 (2009-11-20 15 21 33) とほほ思考錯誤投稿集_13 (2009-11-20 15 22 21) とほほ思考錯誤投稿集_14 (2009-11-20 15 23 03) とほほ思考錯誤投稿集_15 (2009-11-20 15 40 16) とほほ思考錯誤投稿集_16 (2009-11-20 15 41 02) とほほ思考錯誤投稿集_17 (2009-11-20 15 41 44) とほほ思考錯誤投稿集_18 (2009-11-20 15 42 46) とほほ思考錯誤投稿集_19 (2009-11-20 15 43 22) とほほ思考錯誤投稿集_20 (2009-11-20 15 44 08) とほほ思考錯誤投稿集_21 (2009-11-20 15 45 30) とほほ思考錯誤投稿集_22 (2009-11-20 15 46 11) とほほ思考錯誤投稿集_23 (2009-11-20 15 46 53) とほほ思考錯誤投稿集_24 (2009-11-20 15 47 39) サイト名 URL とほほ思考錯誤投稿集
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【Walker-thon】 (学校行事】 20km以上の道のりをひたすら、ただ歩き続ける行事です。人によっては苦行です。途中で自分がなぜ歩いているのか分からなくなりますが、とりあえず、踏破した時の達成感はこれ以上にないものです。保証します。
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web hosting domain names photo sharing 竜馬くんのページ 過去ログ1| 過去ログ2| 過去ログ3| 過去ログ4| 過去ログ 5 過去ログ6| 過去ログ7| 過去ログ8| 過去ログ9| 過去ログ10 過去ログ11| 過去ログ12| 過去ログ13 | 過去ログ14 ゆうさんのページ| 渡辺さんのページ| 掲示板に書き込む K-K - 02/10/16 01 40 13 電子メールアドレス 竜馬くん コメント 松尾さんのところから逃げてきたのですか? 可愛そうに・・・・。 坂本 - 02/10/16 01 34 44 コメント k-kくん では、簡潔にいきましょう。 よろしいですね? あなたの主張は30万でなく何人ですか? K-K - 02/10/16 00 46 09 電子メールアドレス 無意味なコピペと、意味のあるコピペの違いです コメント とうとう正体現しましたねk-kさん ダブルスタンダードの癖もあったんですか(苦笑 きみの荒らしコピペだらけだよ。 論点に返答がなければ、コピペするのは当然ですね。 竜馬くんの場合は、【 無意味 】なコピペですのであらし行為と判断したわけです。 証明どころか自身の見解すら示せない南京大虐殺を なぜ存在したかのようにここのHPで宣伝されて いるのです?説明してくださいね。 ですから、存在しない「宣伝」を私が説明出来るわけないのですよ、竜馬くん。 頑張って、「戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語」を、私のHPの中から探し出しましょう。 ■もちろん、その様なものは存在しませんが(苦笑)。 KOIL - 02/10/16 00 40 35 ホームページアドレス http //web.archive.org/web/20070315064434/http //alpha01.manekineko.ne.jp/s32311/index2.html 電子メールアドレス 発電所の復旧について コメント えーと、発電所の件ですけれど、この記述は参考になるでしょうか? 小原孝太郎日記 1938年1月8日 --------------------------------------------------- 検査がすんで部屋へ帰ったらパッと電気がつ いた。うわ!!とみんな喝采した。今迄ロウソクや種油や石油 で無理して来たのに、電気がついたとは有難い。南京もこれ で闇の世界から光明の世界にかへったわけだ。皇軍の努力を 有難く思ふ。水道は出るし電気はつくし、有難い次第だ。 --------------------------------------------------- 江口圭一・芝浦拓自編 『日中戦争従軍日記』(法律文化社)p152 坂本 - 02/10/16 00 39 18 コメント とうとう正体現しましたねk-kさん ダブルスタンダードの癖もあったんですか(苦笑 きみの荒らしコピペだらけだよ。 http //www5e.biglobe.ne.jp/~guuse/index.html http //6416.teacup.com/7867zxlotion5/bbs これにだけは答えてくださいよk-kさん 証明どころか自身の見解すら示せない南京大虐殺を なぜ存在したかのようにここのHPで宣伝されて いるのです?説明してくださいね。 よろしいですね? K-K - 02/10/16 00 05 14 電子メールアドレス 竜馬くんの主張の終演 コメント K-Kです。 先ほどの竜馬くんの投稿は、ただのコピペでしたので、あらし行為と判断し削除しました。 どうやら、竜馬くんはあらし行為に訴える以外できなくなったようですので、議論の結論として、以下のようにまとめさせて戴きましょう。 【結論】今までの竜馬くんの投稿には、何一つ根拠はありません。なぜならば、竜馬くん自身が、根拠が存在する証明が出来ないからです。 もともと、竜馬くんに議論の根拠など求めるのは酷だったかもしれません。やはり、竜馬くんを相手にするのは時間の無駄ですね。以降、この掲示板でも、相手にしないことにしましょう。 また、スペースがもったいないので、無駄な投稿は削除していきます。報告は、松尾さんの掲示板で行います。 K-K - 02/10/15 23 43 03 電子メールアドレス 渡辺さんへ コメント K-Kです。 こんにちは、渡辺さん。 『天皇の軍隊と南京事件』は、 www.amazon.co.jp に「お取り寄せ」で、 一応でていましたけど。 アマゾンですね。ずぅーっと、古本屋のウェブサイトを回っていたので盲点でした(笑)。さっそく注文しました。 それにしても、発電所について、あんなに資料があるとは知りませんでした。しかも、加藤実翻訳『『この事実を……』「南京大虐殺」 生存者証言集』からも資料を探し出しているところには驚きました。私も、『この事実を・・・』を持っては居るのですが、未だ、全然読み込めていません。 これは、相当な力作です。さっそく、WP化させて戴きます。 K-K - 02/10/15 23 03 50 電子メールアドレス 問われているのは、竜馬くんの主張に根拠があるか?ないか?ですよ コメント 竜馬くん、見苦しいですね(笑)。 いつまで、逃げ続けるのですか? あなたは、このHPにおいて、「戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語」という「宣伝」が存在する、と主張したのですよね? 存在したのでしょうか? 存在しないのでしょうか? ■はっきり答えましょう。 ■それで、議論は決着するでしょう。 ■もし、回答が示せないようでしたら、竜馬くんの主張には根拠が無いという結論に達します。よろしいですね? ※以下、竜馬くんの文章 ---- 引用 ---- ここで宣伝されている南京大虐殺は 中国の言う南京大屠殺=戦死者や巻き添えによる戦争犠牲者が30万人と言う意味でなく、戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語です。( 最近それに影響さだした中国人学者も現れているかもしれませんが) ---- 終わり ---- JOHN_VOID - 02/10/15 23 00 52 コメント 坂本さんへ >ここで宣伝されている南京大虐殺は 中国の言う南京大屠殺=戦死者や巻き添えによる戦争犠牲者が30万人と言う意 >味でなく、戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語です。 上に引用したのは、あなたの主張です。 あなたの主張が事実であることを証明してください。 まず、中国側の主張が、坂本さんが記述された内容であることを具体的な実例で示してください。 次に、このHPに掲載されている資料が、坂本さんの主張と一致していることを具体的な実例で示してください。 最後に、両者の主張が異なることを示してください。 それが出来ないのなら、坂本さんの主張は撤回してください。 とほほ - 02/10/15 22 54 02 コメント 渡辺さん そういうやり取りはメールでされては どうです。 他人の掲示板でえらそなこと言うな、坂本竜馬君(笑) JOHN_VOID - 02/10/15 22 54 00 コメント 証明どころか自身の見解すら示せない南京大虐殺を ここのHPにアップロードされている資料によって 南京事件の存在はすでに証明されているではありま せんか。 事実が存在するのに、見解を問うことは無意味で しょう。 それにこの掲示板は管理者のものであって、坂本 さんのものではありませんので、渡辺さんが資料を 提示することにイチャモンを付けるのは筋違いです。 渡辺 - 02/10/15 22 44 40 電子メールアドレス K-Kさん コメント 思いがけず、『梶谷健郎日記』にドイツ人技術者がきたことが載っていて、その判断に迷いました。 この日記は「大田寿男供述書」と対比させる目的で『南京戦史資料集』でとりあげられたわけです。 基本的には、記憶による「供述書」より、日記のほうが、日時場所など、より正確だとい考えられます。しかし、この記述は、ラーベの日記とは、日付けについて少し摩擦を感じたのです。 ただ、遺体処理については『南京戦史資料集』でいうほど「供述書」と矛盾があるようにはおもえません。 12月16、17日と、午前1時、2時といった時間にそれぞれ、2千名の「敗残兵」の射殺したことや、どうやら19日頃まで盛に射殺していたらしく、22日にも、まだ死体を揚子江に投じているわけです。 いったい、死体処理数がいくらかというと、この日記だけからでは4千名以上ということが分かるだけです。 坂本 - 02/10/15 22 39 38 コメント 渡辺さん そういうやり取りはメールでされては どうです。それとも宣伝効果の為の掲示板書き込みですか? もちろん何でやろうとあなたの自由なんですが、 今この掲示板の妥当性が問われているところへ その横槍は かえって閲覧者に誤解を与えますよ。 ただでさえ k-kさん自身の見解問われてずーと逃げ回っておられるんですから。 代わりに同じように証明できない存在をHPで宣伝されている渡辺さんが答え頂けますか? 証明どころか自身の見解すら示せない南京大虐殺を なぜ存在したかのようにここのHPで宣伝されて いるのです?説明してくださいね。 渡辺 - 02/10/15 22 23 11 電子メールアドレス 天皇の軍隊と南京事件 コメント K-Kさん、 『天皇の軍隊と南京事件』は、 www.amazon.co.jp に「お取り寄せ」で、一応でていましたけど。 坂本 - 02/10/15 22 15 38 コメント k-kさん 証明どころか自身の見解すら示せない南京大虐殺を なぜ存在したかのようにここのHPで宣伝されて いるのです?説明してくださいね。 渡辺 - 02/10/15 22 10 23 電子メールアドレス ラーベと発電所復旧 コメント K-Kさん、 「ラーベと発電所復旧」について、改訂版を下記に投稿いたしましたのでご利用ください。 よく調べてみると、この問題はいろいろなところに絡んでいるようです。とりあえず、wかる範囲で投稿しました。 http //bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=15767 range=1 坂本 - 02/10/15 21 57 29 コメント k-kさんやっと分かりましたね。(笑 >証明出来ない「存在」などというのは、UFOや幽霊>と変わりが無いことくらいは理解できていますね? 君のHPそのものと言うことです。(苦笑 K-K - 02/10/15 21 38 20 電子メールアドレス ゆうさんへ コメント K-Kです。 こんにちは、ゆうさん。 なるほど、吉田氏の「天皇の軍隊と南京事件」ですか・・・。以前、渡辺さんにも紹介して戴いたのですが、未だに読んでいませんでした。やはり、重要な研究書の一つですね。何とか、ネットで探して見よう思います。 また、いろいろとご紹介してくださって有り難う御座います。ぜひ、資料として使わして戴きます。 K-K - 02/10/15 21 34 58 電子メールアドレス はぐらかし続ける竜馬くん コメント 君の大虐殺物語宣伝が30万でないのなら何人なのか明確に示して下 さいね。まさか数字の明示なしに大虐殺を銘打てませんわな。今度こ そハグラカサズ男らしくしようね(笑 中国に言う南京大屠殺を拡大 解釈する意図も言い訳してくださいねー。 竜馬くん、「はぐらかし」は見苦しいですよ(笑)。 竜馬くんは、以下のように明記したわけです。 ---- 引用 ---- ここで宣伝されている南京大虐殺は 中国の言う南京大屠殺=戦死者や巻き添えによる戦争犠牲者が30万人と言う意味でなく、戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語です。( 最近それに影響さだした中国人学者も現れているかもしれませんが) ---- 終わり ---- しかし、ここには「戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語」などの宣伝は存在しないわけですね。 よろしいですね? えっ、存在する? ならば証明しましょうね。 証明出来ない「存在」などというのは、UFOや幽霊と変わりが無いことくらいは理解できていますね? JOHN_VOID - 02/10/14 20 36 13 コメント なぜ、それがキーワードなのだろう? 違いがあるんだろうか? 坂本 - 02/10/14 19 56 15 コメント 殺害人数=虐殺人数? そこはキーワードですので正確にお願いします。 JOHN_VOID - 02/10/14 18 39 44 コメント 陥落時の人口を明確にしない事には物語にすらなりません。議論に入って行けないわけです。 南京大虐殺は、捕虜に対して行われたものが過半を占めるので、 殺害人数は陥落時の人口とは関係ないと思いますが? 南京防衛軍の規模を問題にするのであればまだ理解できますが。 それに、なんとなくあったという論理展開をしている人を見たことありません。 否定派の受け売りをしているだけの人は沢山見たことがあります。 坂本 - 02/10/14 16 27 26 コメント 時期と範囲、その範囲における陥落時の人口に関して この物語を宣伝する偏向洗脳者の中でも 内容の当否はともかく自身のその見解を電脳掲示板で明確に示した事に関してはk-kくんよりもとほほ くんが評価されてしかるべきです。 少なくとも否定派や懐疑派にその根拠を順序立てて説明しよう という姿勢が見られるからです。 k-kくんの場合は、全く自身の見解も示さず、順序立てて相手に説明しようと言う姿勢が見られないと言うことです。 ある事柄や事件があった と主張する場合 当人がその概要を説明し、そこから順次証拠の提示 するのが義務であり、その後、詳細の当否の議論に入って行くのが当然です。 そういう手順を無視しハグラカシや曲解、議論のループ戦術により、ただなんとなくあったかのように印象誘導 に終始していたのでは議論以前に、それは 物語宣伝と 認定されて当然です。 とほほくんと見解が異なるのであれば、どこがどう違う のかを説明し、まず統一された時期、範囲とそこの 陥落時の人口を明確にしない事には物語にすらなりません。議論に入って行けないわけです。 我々のみならず、とっくに見解を示している とほほくんにも大きな迷惑が掛かっている事にも気付くべきでしょう。 よろしいですか?k-kくん? とほほ - 02/10/14 15 00 51 コメント その結論は科学的に表現される。現状における私に言える結論は「10数万人以上の虐殺があった」である、この結論はけして30万と言う数字を否定するものではない。 否定論者、歴史修正主義者、嘘吐きどもはこうした数字に対する誤謬を操りありとあらゆる「トンデモ」を創造し悦に浸る、これは南京事件に限らずである、手法がワンパターンなのである。 例えば南京否定論者である。勝手に「大虐殺派」「中虐殺派」「小虐殺派」などと分類し数字の相対化によりその科学的結論に対する「印象」を操作しあたかも各派が対立論争しているかのように読者を錯誤に誘う、その間隙を狙い己のトンデモまで一つの立場として見せかけるわけである。その実各論説の結論はそのどれも「30万」と言う数字を否定はしていないのである、各論説の提示している数字は現段階において科学的に確認できる数字の主張であり南京事件で虐殺された数字を言及するものではない。 法も歴史学も事実認定に対して非常に誠実で真摯な学問である、が、これをも否定論者、歴史修正主義者、嘘吐きどもは大前提を無視し錯誤を煽る。法と歴史学はその学問の目的が違う、法の目的は人を裁くものである、歴史学に人を裁くと言う目的はない、この認識が理解できていれば法の事実認定と歴史学の事実認定の取るべき立場がおのずと異なるべきであることは自明であろう。 私の現状における事件に対する認識をお尋ねの方もいるようなので、既に数年前から自分のサイト上に提示済みであるが、こういう頭の悪いワカランチンにもわかりやすいようにに以下に提示しておいてあげよう。 「南京大虐殺事件とは、南京攻略戦とその後の南京統治期間中に行われた[捕虜、敗残兵、投降兵等の軍兵軍属に対して行われた虐殺][民間人に対して行われた虐殺・略奪・暴力・強姦等]の蛮行を言う、その際に虐殺された軍兵軍属民衆は10数万人以上にものぼり、この数字は決して30万を否定するものではない」 JOHN_VOID - 02/10/14 13 02 37 コメント 戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語です。 寡聞にして、そのような日本国内の物語を聞いたことがありません。 これは捕虜の虐殺のことを指しているのですか? その場合は敗残兵の虐殺だけを指しているのですか? それとも敗残兵の殺害は「戦闘や巻き添え」に含めるのですか? 幕府山の虐殺は、場内の敗残兵狩りによる捕虜ではなく、戦闘中に投稿してきた捕虜を戦闘終了後に殺害したのですが、それは戦闘中に殺害したことに、どちらにカウントするのですか? 殺害数の正確な人数とは (1)どの地域 (2)どの期間 に起きた殺害数の人数ですか? また、正確な人数とはどれぐらいの誤差を含めているのですか? 秦郁彦氏は日本軍の戦闘詳報から殺害数を約4万人と計算して いますが、これは坂本さんの基準ではどの程度の精度にあたりますか? ゆう - 02/10/14 10 50 31 電子メールアドレス K-Kさんへ 「みんなが知っている」について コメント 「資料」ですので、もちろん自由にお使いいただいて結構です。ただ、内容的には、明らかな事実誤認もありますので、その旨のコメントは必要だと思います。 この小説の背景ですが、本の中には何のコメントもなく、またネットで調べても適当なものが出てきません。内容的にはほとんど「戦記」に近く、吉田裕氏「天皇の軍隊と南京事件」の中では、この小説の「捕虜虐殺」の記述が「証言」のひとつとして扱われています(P50)。 「モデル」の行動記録をいくつか引用しておきますので、どなたか詳しい方、何か気がついたことがありましたら、教えて下さい。ひょっとすると、「モデル」の正体を隠すため、設定を微妙に変えている可能性も、あるかもしれません。 >いわゆる<赤紙>の召集令状を受けとったのは、昭和十二年九月二十日。私は数え年で三十三になっていました。(P306) >かたどおりの身体検査がすむと、その日(引用者注.召集令状受け取りより「四日目」) のうちに私は輜重兵として、第十三師団に編入され、入隊後一週間目には広島の宇品へ送られました。(P306) >昭和十三年八月以降の私の軍隊手帳は、 十月三十日ヨリ十一月三日迄、武漢平地にオケル追撃戦闘。 十一月四日ヨリ十四年三月末迄、漢口及ビ其附近の警備。 四月一日より五月末日迄、袁東会戦。 六月一日ヨリ十一月十三日迄、安稑附近の警備。 十一月十四日、陸支機密第一一七○号ニ依リ、旧口鎮出発。 十二月十一日、宇品港上陸。 十二月十三日、仙台着。十二月二十日召集解除。(P323) *なお、「支那派遣軍が、(毒)ガス弾を使用した確証」についての記述もあります。見覚えのある文章なのですが、どの本で紹介されていたのか、捜しきれませんでした。 **「死体処理」について、興味深い部分を紹介しておきます。 >誰かが考えだして、河岸の楊柳を切り、先端を尖らすとそれを魚又のように使って屍体を二つ三つと櫛刺しにし、それを二人一組で水際までひきずって行きました。(P320) >水際に捨てた屍体も、溜水に浮んだ塵芥のようにいたずらにその層を拡げていくばかりでした。ニ、三人の兵隊が小舟で屍体の溜りの中に漕ぎ入れ、水の流れに乗せようとかかりましたが、五つか六つ流れに押し出したきりで、あきらめてしまいました。(P320~P321) 坂本 - 02/10/14 05 06 44 コメント k-kくん 君の大虐殺物語宣伝が30万でないのなら何人なのか明確に示して下さいね。まさか数字の明示なしに大虐殺を銘打てませんわな。今度こそハグラカサズ男らしくしようね(笑 中国に言う南京大屠殺を拡大解釈する意図も 言い訳してくださいねー。 ここで宣伝されている南京大虐殺は 中国の言う南京大屠殺=戦死者や巻き添えによる戦争犠牲者が30万人と言う意味でなく、戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語です。( 最近それに影響さだした中国人学者も現れているかもしれませんが) タラリさんの投稿で >「反戦意志」を持つと見られるほどの兵士の残虐性に>富む行動を臆することなく書いた、ということです 昨日もこれと同趣旨の投稿が削除されてしまいましたが 戦争というものは人間をそこまで鈍感にさせ、 一種の精神病(戦時精神病とでもいいますか) 平時の今から見ると異常な感覚にとらわれてしまう。 これは当然どこの国の人間にも共通するところです。 世界のいたる所でそういう忌まわしい異常な時代だったと言うことですね。 幸い日本は現在平和ですが、将来もあってはならないことです。 K-K - 02/10/14 00 30 02 電子メールアドレス ゆうさんへ コメント K-Kです。 こんにちは、ゆうさん。 この資料は、非常に興味深いものですね。 内容を見ると、微妙に時事関係に違いがある点と、事件の内容と一致する点が入り乱れています。どの様な過程でこの作品を書いたのか、明らかになればさらに面白いですね。 この資料をHPに掲載したのですが、構わないでしょうか?ご検討をお願いします。 ゆう - 02/10/13 21 20 44 コメント あれ、竜馬氏と坂本さんは、やはり同一人物だったわけですか。的外れなレスをしてしまいました(^^; あと、38秒待てばよかった(笑) 相手にするだけ、時間の無駄でした。 一言、「みんなが知っている」投稿に付け加えるのを忘れていました。 最初からいきなり「十二月八日前後」に「南京城はすでに陥落」という一文がありますが、これは「筆写ミス」ではありません。 他にも明らかな「事実の誤り」が散見しますが、「資料」として、すべて原文のまま引用しています。念のため。 ゆう - 02/10/13 21 00 04 電子メールアドレス 藤原審爾「みんなが知っている」 コメント 「文字化け」になりましたので、再投稿します。K-Kさん、申し訳ありませんが、前の分は削除しておいて下さい。 「文学作品における南京事件」が話題になっていますので、私も、ひとつ資料を提供します。 藤原審爾著「みんなが知っている」のうち、「南京大虐殺」の章の、最初の1/3くらいです。 最初に注意しておきますと、「文学作品」であるという制約、また、ソースが(おそらく)「第一三師団の兵士が他の一兵士から話として聞いたもの」という「また聞きのまた聞き」に過ぎないものであること、から、「正確性」の点ではかなり疑問があります。 しかし、内容はいわゆる「自衛発砲説」を明らかに否定したものであり、「栗原証言」が出るはるか前の1957年段階でこのような記述が存在することは、注目してもいいのではないか、と思います。 (以下引用) 私たちが南京市へあと一日行程という距離まで辿り着いたのは、上海上陸後まる二カ月、十二月八日前後のことで、南京城はすでに陥落し、城内居住一般民に対するあの悪名高い大虐殺が行われていた真唯中にあたっています。 ですから、私は幸いにも城内の惨禍に直接あずかることはなかったわけですが、そのかわり、南京城外北方の烏竜山麓における数万におよぶ虐殺死体の清掃を担当しなければなりませんでした。 官立学校だと聞かされた校舎に宿営した翌朝、食事が終ると突然、 「昼食携行、全員軽装にて直ちに集合ツ」 の命令が出ました。 行く先も、目的も全然知らされないまま二里ばかり歩かされ、十時頃着いたところが、烏竜山麓の殺戮現場でした。 一方が烏竜山麓の高地で、山添の道路から傾斜地を下ると揚子江の水際までゆるい起伏を持った広い砂原でした。その広い砂原いっぱいに、前夜半行われた惨劇の地獄図絵が生々しくひろがっていたのでした。それは戦場を歩き慣れて並大ていのことでは愕くことのない私たちでさえ、声をのんで立ちつくしたほどでした。 ここで焼殺された人達は二万ともいい、一説には四万ともいわれています。被害者は南京市の周辺地区から戦禍に追われて城内へ蝟集してきた避難民だったとの事ですが、それを部隊はこの砂原地帯に集結させたまま、一週間あまり兵糧攻めにしたのです。ただ一回だって食を与えず、水さえ飲ませませんでした。 その飢えた避難民の集団をその日の前夜、二個小隊の機関銃隊が上の道路から一斉射撃したのでした。 しかし、水一滴飲まされなかった二万人の群衆の日本軍に対する憤怒のエネルギーがどれほど凄絶なものか、それを指令した軍高級官も、出動した二個小隊の兵たちも、まったく考慮することが出来なかったのです。 夜陰に乗じて虐殺の銃火を点じた日本軍に対する怒りの爆発は、一週間の絶食で消耗しつくした二万の体力を再び復活させるのに役立ちました。異様な雄叫びを上げながら、彼等は道路上の機関銃隊へ向って逆に雪崩のように殺到したのです。二万の大群衆です。たとえば宮場前広場(ママ)を埋めつくすほどの人達が怒りに燃えたぎって殺到したのですから、二個小隊の機関銃隊は、あっという間に押し潰されてしまったのです。 小高い道路上からこれを見物していた自動車隊が臨機の処置をとらざるを得なくなったのです。ぐずついている間はなかった。積み込んでいた全部のドラム罐のガソリンを傾斜地へ放流し、マッチをすって投げ込んだのです。 この自動車隊の本来の任務は、機関銃隊が独力仕上げる筈の屍体の山に万遍なくガソリンをふりかけ、手際よく焼き尽くして、いくらかでも罪跡をくらます事にあったのでしょうが、それどころではなくなったものでした。しかし、この咄嗟の判断で、殺到する群衆を燃え足の早い猛火の垣でさえぎってしまいました。逃げ場を失った群衆は猛火のために焼殺されてしまったのですけれど、その代り、友軍の二個小隊もその道連れにされてしまったのです。これはその夜の自動車隊にいた一兵士から、その日きかされた話です。 (「藤原審爾作品集 みんなが見ている前で・みんなが知っている」所収「みんなが知っている」P318~P319) このあとには、死体処理の具体的な風景、「舟に南京市民を満載して」揚子江で「一挙に覆えした」話など、興味深い話が続きますが、長文になりすぎますので、省略します。 K-K - 02/10/13 20 54 38 電子メールアドレス 竜馬くん コメント ゆうさん この意見をどう論破したと言うのです? タラリさんは このHPの何処に30万という文字があるか見つけた んで沈黙なんでしょ? 見つけてないようですね。 みっともない大強弁は 新しい歴史教科書採択妨害の嫌がらせ・脅迫ま がいの電話・ファックス・放火など姑息な行動の思考回路を彷彿させる だけですよ(苦笑 「みっともない大強弁」とは、「存在しない」ものを「存在する」と主張する竜馬くんの姿ですね。 それとね、「嫌がらせ・脅迫まがいの電話・ファックス・放火など姑息な行動の思考回路」と「みっともない大強弁」との関連性は何でしょうか?関連性の無いものから、竜馬くんは「彷彿させる」ことが出来るのですか? まぁ、ここらへんが「みっともない大強弁」なのでしょう(苦笑)。 下の意見の何を論破したと言うんですか? 論理の根拠となる事実が存在しないのですから、「論破」する前に、「論」として成り立ってないということですね。 ■普通の人は「皆まで言わない」から、竜馬くんには理解できなかったようです。 ■皆さん、ご容赦ください。 ここのHPなどで宣伝されている南京大虐殺は 中国の言う南京大屠殺=戦 死者や巻き添えによる戦争犠牲者が30万人と言う意味でなく、戦闘や巻き 添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語です。( 最近それに影響さ だした中国人学者も現れているかもしれませんが) 「存在しない」事実とは、これのことですね。 竜馬くんは「存在する」と主張しているのですから、その証明ができなければ「存在しない」ということになるのです。 ■オワカリデスカ。 昨日もこれと同趣旨の投稿が削除されてしまいましたが 戦争というものは人間をそこまで鈍感にさせ、 一種の精神病(戦時精神病とでもいいますか) 平時の今から見ると異常な感覚にとらわれてしまう。 これは当然どこの国の人間にも共通するところです。 世界のいたる所でそういう忌まわしい異常な時代だったと言うことですね。 幸い日本は現在平和ですが、将来もあってはならないことです。 うーん、竜馬くん。なんていう文章を書いているの(苦笑)。 坊主の説教じゃないのだから、この様な紋切り型の文章を書いてもしょうがないでしょう? タラリさんは、君がいう「異常な時代」のさ中に、『「反戦意志」を持つと見られるほどの兵士の残虐性に富む行動を臆することなく書いた』と書いているのです。「異常な時代」だったのかどうかなど論点ではないし、日本の現状が平和であることも論点ではないし、日本の将来も論点ではないのです。 君が明らかにした「異常な時代」と、その「異常な時代」に書かれた石川達三の作品との関連性について書かないのですか?自分の一方的な思いを書いても、「あぁ、そぅ」と言う以外ないのですが・・・。 読書感想文ではないので、もう少し意味のあることを書きましょう。 特に「幸い日本は現在平和ですが、将来もあってはならないことです」なんて、小学生の作文なみですね(苦笑)。 ゆう - 02/10/13 20 54 00 電子メールアドレス 坂本さん・・・(たぶんこれで最後) コメント 坂本さんは、竜 馬 氏 と は 違 い(ここ、強調しておこう(笑)。一応、「ダブハン」ではない、と考えることにします)、まともな議論を望んでいるように見えたので、一応のレスをしたのですが、その後の展開を見ると、期待外れだったようです。 「否定派」の立場をとることは、一向に構いません。「否定派」に属する人の議論でもハッとするような鋭い見解に出会えることもありますし(板倉氏など、結構面白い議論をすることがあります)、私としては、私自身の「勉強」に参考になる意見を聞けるのであれば、どのような立場の方であれ、大歓迎です。しかし、申し訳ありませんが、坂本さんの議論は、今のところ、とてもそのようなレベルにはないように思います。 投稿の内容は乏しいし(まさか素晴らしい内容だと自認している・・・わけないですね)、タラリさんが「30万という数字がどこにありますか?」と質問すると「ここのHPなんですからご自分で見つけて下さい」と無責任な開き直りはするし(論破されていない、と思っているんでしょうか?)、紹介するページは誰でも知っている松尾氏の掲示板とグース氏のHPだし・・・。 坂本さんは、この掲示板での討論に、何も新しい論点・知識を付け加えていませんし、おそらく今後も付け加えることはない、と思います。大変失礼ですが、私としては、このままでは、坂本さんの投稿を読ませていただく意義を感じませんし、他の人も同様でしょう。 ・・・ちょっと言い過ぎたかもしれません。これが私の誤解であることを祈りましょう。次回の投稿が、この掲示板の皆さんの知的刺激になるような、素晴らしいものであることを期待します。 さて、あまりこだわるのもつまらないので(^^)、話題を変えます。 タラリ - 02/10/13 17 25 18 電子メールアドレス 答えがやはりない コメント 坂本さん、私の投稿とあなたのレスをよーく読み直してみて下さい。 >ここのHPなどで宣伝されている南京大虐殺は戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という物です。 これはあなたの主張です。 私はこのHPでそのような主張がされているとは一度も言っていません。 あなたの主張ですから、あなたが証明すべきものです。 まだ探していないのは坂本さんの方ですよ。自分が主張しておいて相手に 証明を強要する? 頭おかしいんちゃいますか。 もう一度聞きますよ。 30万人という数字がどこにありますか。答えられない場合は これ以上、これ以上相手しませんので、よろしく。 坂本 - 02/10/13 15 32 11 コメント それとタラリさんに、ゆうさん 大虐殺物語の宣伝に 洗脳されないようにこちらのHPも合わせて読まれる 事をお勧めしておきます。もう一度子供の時のように 純粋潔白な心で日本国民の歴史の真実を勉強し直されることを期待しております。 http //6416.teacup.com/7867zxlotion5/bbs http //www5b.biglobe.ne.jp/~nankin/index.html 坂本 - 02/10/13 15 10 34 コメント タラリさん探していなかったんですか? ここのHPなんですからご自分で見つけて下さい。 学問に王道なし(笑 どうしても ないと言うなら k-kの大虐殺物語宣伝が30万でなく何人なのか明確に示して下さいね。まさか数字の明示なしに大虐殺を銘打てませんので。 タラリ - 02/10/13 14 17 50 電子メールアドレス 質問に返事がないが コメント 坂本さん 30万という数字がどこにありますか? 私が聞いているのだが、返事がない。 >ここのHPなどで宣伝されている南京大虐殺は(略)、戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語です。 だから、そんな宣伝がどこにあるのか、返事は? 坂本 - 02/10/13 12 59 55 コメント ゆうさん この意見をどう論破したと言うのです? タラリさんは このHPの何処に30万という文字があるか見つけたんで沈黙なんでしょ? みっともない大強弁は 新しい歴史教科書採択妨害の嫌がらせ・脅迫まがいの電話・ファックス・放火など姑息な行動の思考回路を彷彿させるだけですよ(苦笑 下の意見の何を論破したと言うんですか? もう一度あなたの石川達三氏についての投稿からの流れを念頭においてわたしの文章をよーく読んで趣旨を理解してください。かなり偏った誤解をされているようです。 ここのHPなどで宣伝されている南京大虐殺は 中国の言う南京大屠殺=戦死者や巻き添えによる戦争犠牲者が30万人と言う意味でなく、戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語です。( 最近それに影響さだした中国人学者も現れているかもしれませんが) タラリさんの投稿で >「反戦意志」を持つと見られるほどの兵士の残虐性に>富む行動を臆することなく書いた、ということです 昨日もこれと同趣旨の投稿が削除されてしまいましたが 戦争というものは人間をそこまで鈍感にさせ、 一種の精神病(戦時精神病とでもいいますか) 平時の今から見ると異常な感覚にとらわれてしまう。 これは当然どこの国の人間にも共通するところです。 世界のいたる所でそういう忌まわしい異常な時代だったと言うことですね。 幸い日本は現在平和ですが、将来もあってはならないことです。 ゆう - 02/10/13 06 24 59 電子メールアドレス 坂本さん・・・ コメント どう読んでも、私にも、タラリさんが理解しているようにしか読めません。 私には、論破された投稿をまたコピペして出してきているとしか思えないのですが・・・。(一般的には、同じ文章を繰り返し投稿するのは、掲示板のマナー違反だと思います) もし「かなり偏った誤解をされているようです」と主張するのであれば、前の文のコピペをしても意味はありません。あらためて、「誤解」の内容をきちんと説明するべきでしょう。 渡辺 - 02/10/12 23 40 06 電子メールアドレス 誤植訂正 コメント 『生きてゐる兵隊』初版序文(「誌」)に、いくつか誤植がありましてので訂正し、下記URLに投稿いたしましたのでお知らせいたします。 http //bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=15719 range=1 渡辺 - 02/10/12 23 20 52 電子メールアドレス タラリさん コメント タラリさん、はじめまして。 ご紹介のHPは、以前、訪問したことがありますが なぜか、全部読んでいませんでした。ご紹介いただいたおかげで、今回、きちんと読みました。 http //www.fujijoshi.ac.jp/dept/japanese_dept/sugamoto/guraduation-teses/gurad00/kakuta/kakuta00.html 裁判資料がどこに掲載されているか書かれていましたが、これは助かります。 この作品を見る視点はいくつかあると思いますが、私は、歴史資料として石川達三の作品を検証し、資料としてどう使うことができるかという視点で興味を持っています。 文学作品として見る場合でも、どこまで事実が書かれているかによって評価や見方が変わってくると思います。 たとえば、KOILさんが指摘したような、日本兵が正規に持っているはずのない「モーゼル銃」の件は、単に文学として読むと見落としやすい個所です。 作者が南京に到着した時期については、どうやら本人自身があいまいなようです。しかし、1月4、5日あたりのようです。 ご紹介のHPでは、『五人の補充将校』(昭和14年発表)という短編には触れていませんが、この作品には南京へ行く途上の様子と、三三連隊との出会いのきっかけが書かれています。 また、『包囲された日本- 仏印進駐誌』(昭和18年脱稿、集英社 1979年刊)も触れていませんが、この作品と比較すると『生きてゐる兵隊』は「小説」というより、むしろ現在でいうノンフィクションであったように思われます。この作品は最初から発表をあきらめていたようなので、『生きてゐる兵隊』のような、ねじれた表現はなく、非常にすっきりしています。 「前記」で、その取材方法に触れていますが、きわめて実証的で精力的な取材の姿勢には感嘆しました。 現在は、私は別のテーマで時間的余裕がありませんが、来年の初めくらいには、『生きてゐる兵隊』について まとめてみたいと思います。その節は、ご批判をお願いいたします。 坂本 - 02/10/12 21 22 40 コメント もう一度あなたの石川達三氏についての投稿からの流れを念頭においてわたしの文章をよーく読んで趣旨を理解してください。かなり偏った誤解をされているようです。 ここのHPなどで宣伝されている南京大虐殺は 中国の言う南京大屠殺=戦死者や巻き添えによる戦争犠牲者が30万人と言う意味でなく、戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語です。( 最近それに影響さだした中国人学者も現れているかもしれませんが) タラリさんの投稿で >「反戦意志」を持つと見られるほどの兵士の残虐性に>富む行動を臆することなく書いた、ということです 昨日もこれと同趣旨の投稿が削除されてしまいましたが 戦争というものは人間をそこまで鈍感にさせ、 一種の精神病(戦時精神病とでもいいますか) 平時の今から見ると異常な感覚にとらわれてしまう。 これは当然どこの国の人間にも共通するところです。 世界のいたる所でそういう忌まわしい異常な時代だったと言うことですね。 幸い日本は現在平和ですが、将来もあってはならないことです。 タラリ - 02/10/12 20 23 04 電子メールアドレス 虐殺主体 コメント 坂本さんへ >ここのHPなどで宣伝されている南京大虐殺は 中国の言う南京大屠殺=戦死者や巻き添えによる戦争犠牲者が30万人と言う意味でなく、戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語です。( 最近それに影響さだした中国人学者も現れているかもしれませんが) このHPのどこに30万人という文字があるのか教えて下さい。 >世界のいたる所でそういう忌まわしい異常な時代だったと言うことですね。 場所ということではなく、虐殺を起こした主体が問題です。どこでも行われたというのでは嘘になります。この当時、これだけの規模の虐殺を起こした軍隊は日本軍しかなかったというのが事実です。 坂本 - 02/10/12 19 53 38 コメント 言葉足らずを補足します。 ここのHPなどで宣伝されている南京大虐殺は 中国の言う南京大屠殺=戦死者や巻き添えによる戦争犠牲者が30万人と言う意味でなく、戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語です。( 最近それに影響さだした中国人学者も現れているかもしれませんが) タラリさんの投稿で >「反戦意志」を持つと見られるほどの兵士の残虐性に>富む行動を臆することなく書いた、ということです 昨日もこれと同趣旨の投稿が削除されてしまいましたが 戦争というものは人間をそこまで鈍感にさせ、 一種の精神病(戦時精神病とでもいいますか) 平時の今から見ると異常な感覚にとらわれてしまう。 これは当然どこの国の人間にも共通するところです。 世界のいたる所でそういう忌まわしい異常な時代だったと言うことですね。 幸い日本は現在平和ですが、将来もあってはならないことです。 坂本 - 02/10/12 19 06 17 コメント ここのHPなどで宣伝されている南京大虐殺は 戦死者や巻き添えによる戦争犠牲者が30万人と言う意味でなく、戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という物です。 タラリさんの投稿で >「反戦意志」を持つと見られるほどの兵士の残虐性に>富む行動を臆することなく書いた、ということです 昨日もこれと同趣旨の投稿が削除されてしまいましたが 戦争というものは人間をそこまで鈍感にさせ、 一種の精神病(戦時精神病とでもいいますか) 平時の今から見ると異常な感覚にとらわれてしまう 世界のいたる所でそういう忌まわしい異常な時代だったと言うことですね。 幸い日本は現在平和ですが、将来もあってはならないことです。 タラリ - 02/10/12 18 32 44 電子メールアドレス 残虐性の証明 コメント 坂本さんへ 「宣伝されているような大虐殺」というのが何を差すのか、私にはわかりません。 石川は当時の検閲者にとって許せないような残虐な記述、また文芸評論家たちからすると明らかに「反戦意志」を持つと見られるほどの兵士の残虐性に富む行動を臆することなく書いた、ということです。 石川は南京には1月4、5日に入り虐殺の現場は直接目撃していません。しかし、文学的な情熱に基づき、戦争中の兵士の「生きた」さまを活写するべく精力的に話を聞いて廻ったのは間違いないでしょう。 つまり、石川の小説は当時の兵士が戦場に送られるとともに虐殺の基礎となる残忍性を身につけていたことの証明です。そして兵士たちが自らの残忍性を意識することなく、隠すことなく石川に語ったということだけが確かに言えることです。 坂本 - 02/10/12 17 49 33 コメント タラリさん つまり宣伝されているような 大虐殺はなかったということですね? タラリ - 02/10/12 14 08 49 電子メールアドレス sakat37@nifty.com コメント 石川達三の「生きてゐる兵隊」についての文学的見地からのHPがあり、示唆に富みます。http //www.fujijoshi.ac.jp/dept/japanese_dept/sugamoto/guraduation-teses/gurad00/kakuta/kakuta00.html 石川の意図は戦争における兵士における日常からの変わり様を正確に描写することにあった。兵士の残虐行為は状況により「迫られて」したものと理解されており、そのような残酷な状況を銃後の日本国民も理解しなければならない、という使命感があって書いた。そのため、小説が発禁処分を受け、本人が刑を受けることなどはまったく予想の範囲外であったことが述べられている。 当局から反戦意図を持った小説して起訴されたのと同じく、文芸評論家からも反戦意図を持つものとして受けとめられたが、その際には兵士の行動を支えた国家意志への批判がないと非難された。この当局からの弾圧と同じく評論家からの批評もまったく彼の気にそまないものであった、というのが面白い。 ところで、極東裁判前後の彼の意識は敗戦という現実に面して残虐行為への認識を軌道修正しているようである(読売新聞インタビューなど)。それに反して死の直前におこなったとされる阿羅健一「南京事件」文庫本版ではおよそ生気のない、表現に対する意欲、残虐行為に対する憤りの感じられない短い文章に終始している。死の直前までには事件に対する姿勢に何らかの変化があったのかかどうか。また、そもそもこのインタビューは正確なものなのか、どうか。 阿羅本では南京入りを入場式から2週間後としている。角田論文では1月4、5日頃と推定している。「大殺戮」を否定しているが、「大虐殺」を否定しながら小虐殺の目撃はキチンと行っているのは阿羅本の他の証言にも多い。 渡辺 - 02/10/12 02 08 37 電子メールアドレス 資料『生きてゐる兵隊』初版序文(「誌」) コメント 石川達三『生きてゐる兵隊』初版の序文「誌」を、参考のため、下記URLに投稿いたしました。 ご自由に利用くださってけっこうですが、なるべく引用元をご自分で確認されるよう、お勧めいたします。 http //bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=15711 range=1 渡辺 - 02/10/12 01 56 43 電子メールアドレス 資料『石川達三インタビュー』(昭和21年5月9日『讀賣新聞』記事) コメント 『石川達三インタビュー』(昭和21年5月9日『讀賣新聞』記事)の全文を投稿いたしました。 ご自由に利用くださってけっこうですが、なるべく引用元をご自分で確認されるよう、お勧めいたします。 http //bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=15709 range=1 なお、投稿文中の説明について訂正いたします。 (誤)2000年10月24日に ash_28 の No.1847 の投稿を利用させていただきました。 (正)2000年10月24日の ash_28さんによる No.1847 の投稿を利用させていただきました。 KOIL - 02/10/12 00 59 24 電子メールアドレス 試し切りに追加 コメント 参考までに、試し切りに関する記事を追加投稿します。 描写がかなりリアルです。 白水橋?あたりだとおもわれます。 ------------------------------------------------------- 小原孝太郎 第16師団 輜重兵第16連隊 輜重兵特務兵 十二月十七日 (前略) 二十七班が乾草の徴発に行ったら農家の藁の中に敗残兵が 四名隠れてゐたので、それを捕へて来た。自分等の△△△が 業物を抜いてずばっと一刀のもとに切捨てたら、首がぶらん ぶらんしてゐた。次に△△△の△△△が抜くなりやったが、首 は落ちなかった。△△△△がついで、俺のを手本にしろとい ふなりずばっと飛閃一陣、首は前にころがって血汐がそれを 追っかけてほとばしった、物凄い腕だ。 (後略) ------------------------------------------------------- 江口圭一・芝浦拓自編 『日中戦争従軍日記』(法律文化社)p136 △は編者の判断によって伏字です.。 「ぶらんぶらん」は反復記号によって省略されていますが、 該当の文字が出せませんので、読みのとおりに表記しました。 K-K - 02/10/12 00 11 11 電子メールアドレス ゆうさんへ コメント K-K。 ゆうさん、こんにちは。 私も「正論」の阿羅論文を読みました。 細かい証言の間違いを取り上げて、「ウソだ」と主張するいつもの論調でした。 証言内容が食い違うことは当然のことなのですが、阿羅氏には理解できないようです。 実際、自身の著書『「南京事件」日本人48人の証言』でも、自分の上司である長勇中佐が中支那方面軍の参謀であったことを知らなかったなどと証言しており、矛盾が出ていますね。 どうも感情的な文章だという感想しか残りませんでした。 事実の前には、あの程度の反論しか出来ないのでしょうね(笑)。 ※アラシ君については、気づき次第削除しますので、お見苦しい点はご容赦ください(笑)。 ※週が明けたら、プロバイダーに通報しようかと思っています。 ゆう - 02/10/11 23 26 53 電子メールアドレス 試し切り コメント 有名なのは、「中島日記」の文章ですね。 ●「南京戦史資料集?」P218 中島今朝吾日記 十二月十三日 <一、本日正午高山剣士来着す 時恰も 捕虜七名あり 直に試斬を為さしむ 小生の刀も亦此時彼をして試斬せしめ頚二つを見込(事)斬りたり> (カタカナをひらがなに修正) こんなことを日記に平気で書くあたり、中島中将が「試斬」を「残虐行為」とは夢にも考えていないことがわかります。 「南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて」では、このあたりでしょうか。 ●P66 古川康三(16D33i第二機関銃中隊) 機関銃や地雷で殺す以外にも、残虐行為を見たことがありました。戦闘中に新しい将校、幹部候補生から上がった将校のほとんどが任官制少尉(一年間の教育を受けて任官)になって小隊長になるものだから、そういう人がよく試し切りといって敗残兵ということで中国人を捕まえて切っていました。・・・私は目の前ではっきりと首切りを見ました。部落を攻撃して敗残兵を捕まえると小隊長が切ってるのを南京の陥落の前にも何回も見てきました。 ●P266 上岡光雄 (16D33i 輜重特務兵) 私らが初めて捕まえた支那人は男でして、本当に悪いことをしたかしてないかも分からなくて、弱そうに見えたので外の二人と相談して駐屯地に連れて行きました。そしたら軍刀を持ったある下士官以上の人の試し切りになったようです。 「試し斬り」は、ほとんど「常識」だったようです。 「諸君」と「正論」で、早速「南京戦」の批判記事が掲載されましたが(両方買ってしまいました(^^))、細かい「日時」や「場所」はともかく、このような「具体的な体験談」については、十分な信憑性があると思います。 ・・・うっとおしいアラシ投稿がないと、この掲示板もすっきりしますね(笑)。 K-K - 02/10/11 22 54 16 電子メールアドレス JOHN_VOIDさんへ コメント K-Kです。 JOHN_VOIDさん、こんにちは。 南京事件当時の岡田酉次氏は、上海派遣軍司令部特務部に所属しています。 その前は、参謀本部支那課の所属です。 ありがとうございます。 なるほど、これは重要な資料ですね。 その割には余り利用されていないのではないでしょうか?私は、JOHN_VOIDさんに指摘されて初めて知りました。 機会があったら、ぜひ、目を通しておきたい資料の一つですね。 JOHN_VOID - 02/10/11 07 43 21 コメント 南京事件当時の岡田酉次氏は、上海派遣軍司令部特務部に所属しています。 その前は、参謀本部支那課の所属です。 K-K - 02/10/11 01 28 19 電子メールアドレス JOHN_VOIDさんへ コメント K-Kです。 こんにちは、JOHN_VOIDさん。 一点だけ質問をさせてください。 引用されている日記の筆者である岡田酉次少佐は、どの部隊に所属していたのでしょうか?JOHN_VOIDさん記述からみると、上海派遣軍司令部にいた様に思われますが? 渡辺 - 02/10/11 01 08 45 電子メールアドレス Koilさん コメント コメント 渡辺さん。はじめまして.m(__)m あれ、もう挨拶したんじゃなかったっけ? 今日はもう寝ますけど、とりあえずよろしく。 渡辺 - 02/10/11 01 04 37 電子メールアドレス JOHN_VOID さん、 コメント JOHN_VOID さん、 「朝香宮がいる司令部」は、そうとうなものだったようです。もちろん「朝香宮」はご存知なかったと思いますが。 『元102人~』をご覧ください。 JOHN_VOID - 02/10/10 23 59 54 コメント 陸軍の主計少佐の回顧録に、南京事件に関連した記述が少しありました。 >前進につれて通路の両側には死屍累々として目を覆わしめるものがあり、 >やっと城壁から逃れ出た中国兵士達-眼前で降伏する者あるいは捕虜と >なって後送される者売る者あり、また小広場では数珠繋ぎのママ互いに身を寄せ合って茫然自失している敗残兵があるなど-を >至る所で見かけたが、その中には女性さえ混じっているのに気づいた。 「日中戦争裏方記」p113(岡田酉次 当時陸軍主計少佐) 女性も混じっていたという証言もあるのは珍しいと思います。 主計少佐として、占領地で日本軍の軍票がどの程度流通できるか視察するのが目的なので、南京市の市場にも自ら出かけています。 > この頃になると、比較的戦火を免れた城外や近郊では、いずれの都市 >占領の場合にも見られる泥棒市場がポツポツ立ち始めるのが見受けられた。(中略) >平時でもたまに見かける例ではあるが、中国ではこうした混乱の際、 >盗難品をもって集まる難民による市場が生まれる。通称「泥棒市場」と >呼ばれる所以であろう。(中略) >もとより今回の場合は、良き掘り出しものがな、などという心のゆとり >もなかったが、紙巻き煙草の一本売りをするこれらの市場において、 >日本兵達の差し出す軍票に住民達がどんな反応を示すかが、私ども >の視察の目的だったのである。 市場が立っていたから、南京での虐殺はなく平和だったという否定派の主張への反証になるでしょう。 また、南京以外での捕虜殺害について、貴重な証言があります。 当時上海派遣軍司令部(朝香宮が司令官)のあった湯山に、中国軍の小部隊が迷い込んできて大騒ぎになった際に >この時数名の敵兵が捕虜になったとのニュースが伝わると、特に下 >士官連中がおっとり刀でこれに殺到せんとする光景を見せつけられ、 >戦場ならではの思いを深くした。おそらく伝来家宝の日本刀や高価 >を払って仕込んできた腰の軍刀がうづいていたのであろう。いずれ にしても戦場の夢ははかなかった。 朝香宮がいる司令部でさえ、こうなのであれば、南京攻略軍の軍記はかなり緩んでいたことや、捕虜を殺害するのがすでに常態と化していたことが推察できます。 とほほ - 02/10/10 17 49 30 コメント あらし投稿を削除しました。 なんであらしくん達、私の掲示板こないのだろう(T_T) 悪戯電話は竜馬くんから二回くらい来たけど(笑) KOIL - 02/10/10 07 12 23 ホームページアドレス http //web.archive.org/web/20070315064434/http //alpha01.manekineko.ne.jp/s32311/index2.html 電子メールアドレス はじめまして コメント 渡辺さん。はじめまして.m(__)m >なお「何万という」くだりですが、12月13日に揚子江上に浮遊した「敗残兵」「凡そ五万」が殺されたこと >は書いておりますので(中公文庫では p.141)、 これは、この部分ですね。 --------------------------------------------------------------------------------------------- ユウ(←KOIL注:字が出ない)江門は最後まで日本軍の攻撃をうけなかった。城内の敗残兵はなだれを打って この唯一の門から下関の碼頭に逃れた。前面は水だ。渡るべき船はない。陸に逃れる道はない。 彼らはテーブルや丸太や板戸や、あらゆる浮物にすがって洋々たる長江の流れを横切り対岸浦口に渡ろうとするのであった。 その人数およそ五万、まことに江の水をまっ黒に掩うて渡って行くのであった。そして対岸について見たとき、 そこにはすでに日本軍が先廻りして待っていた! 機銃が火蓋を切って鳴る。水面は雨に打たれたようにささくれ立ってくる。 帰ろうとすれば下関碼頭ももはや日本軍の機銃陣である。-----こうして浮流している敗残兵に最後のとどめを刺したものは 駆逐艦の攻撃であった。 『日本の文学56 石川達三』(中央公論社 昭和47年)p119 --------------------------------------------------------------------------------------------- >問題としているのは市民のことでしょう。 私は、初め中国側発表の30万と言う数字を石川は否定したのかと思いました。 けれどそれだったら、 「何十万の死体の処理は~ とはなっても、阿羅健一が書いているように 「何万の死体の処理は~ とはなりませんでしょうし。 いずれにせよ、該当の旬刊『世界と日本』を手に入れて読んでみたいと思います。 畠中と阿羅という、二つの名前を使い分けてる事も気にかかりますし・・・・・ >『生きている兵隊』のクライマックスとなるべき南京城内へ入る場面がなく、突然、筆のタッチも内容も変 わるのでいぶかしく思っていましたが、 >『讀賣新聞』昭和21年5月9日2面で、次のように述べています。 これは私も気がつきました。 上記の引用のすぐ次には、城内と場外における掃蕩についてかかれています。 「十四日城内掃蕩商店街の至るところに正規兵の服がぬぎすててある」と続き んで、続いて「十五、十六日城外掃蕩・・・」 全体として、とってつけたというか、書き飛ばした(石川氏に失礼かなぁ)ような感じを受けます。 >建物に閉じ込めて焼殺した跡を見たり、その話を聞いたという記録はありましたが、実際にやったという 資料はありませんでした。 >しかし『元兵士102人の証言』(社会評論社)で、その証言がでてきました。この証言集を見ると、いかに 脚色しても石川達三は、 >この事実を書くことができなかったことがわかります。 ご教示ありがとうございます。早速読んでみようかと思います。 >なお、それ以外にも、慰安婦が軍属に「命令」で送られていたことなど、いくつか興味深い記述がありま >す。また、そういうきわどい内容については、独特の技法で書いていますが、その件は、よくまとめてから >記事にしたいと思います。 記事については、たのしみにして待っております。(o ̄∇ ̄)o あと、興味深いといえば、モーゼルの件でも関連した記述があります。(陣中日誌よりは信頼性に劣るでしょうが) --------------------------------------------------------------------------------------------- 炊事係の兵は支那兵から占領したモーゼルの古めかしい大きな拳銃を持ち出し、まだ撃ってみないから当るかどうか試そうと、 豚を立木に繋いでおき十間も離れて射撃してみるのであった。 ---------------------------------------------------------------------------------------------p102 ただし↑は常州での話です。↓が南京での話。 --------------------------------------------------------------------------------------------- 平尾は夜道を帰るときの用心のために通訳が持っている支那兵からぶん取ったモーゼルの大きな古めかしい拳銃を借りに行った。 ---------------------------------------------------------------------------------------------p136 追記 http //www.ndl.go.jp/ ↑が便利になります。インターネットからでも複写の申しこみが出きるようになったり。 雑誌の目次を検索できたりするようになるみたいです。国はこういうところに金使ってほしいなあ。 K-K - 02/10/10 00 21 41 電子メールアドレス あらし投稿を削除しました コメント K-Kです。 以下の投稿を削除しました。 リバウンド REMOTE ADDR 218.42.223.15 - 02/10/09 21 08 10 ※アラシ行為を継続する場合は、(株)ケーオプティコムに通告することになるでしょう。 ■社 名 : 株式会社ケイ・オプティコム ■本社所在地 : 〒530-0047 大阪市北区西天満5丁目14番10号 梅田UNビル TEL 06-6315-6950(代表) FAX 06-6315-7001 URL http //www.k-opti.com K-K - 02/10/09 21 57 31 電子メールアドレス 名なしの投稿を削除しました コメント K-Kです。 投稿を削除しましたので、お知らせします。 IPは以下の通り。 REMOTE ADDR 218.42.223.15 - 02/10/09 21 08 10 渡辺 - 02/10/09 03 09 49 電子メールアドレス 訂正 コメント (誤) 『本兵士102人の証言』(社会評論社) (正) 『元兵士102人の証言』(社会評論社) 渡辺 - 02/10/09 03 05 57 電子メールアドレス 石川達三「生きている兵隊」 コメント KOILさん、 「畠中秀夫」の件は面白いですね。 石川達三『生きている兵隊』については、テーマの一つとしていますので、来年くらいには記事にしたいと思います。 『生きている兵隊』は、33連隊の戦闘詳報と平行しているので、戦闘詳報の元になるノートを見た可能性が高いと思います。33連隊の5人の補充将校と同船したことが、33連隊との関係を深いものにしています。 石川達三は、インドシナ進駐をテーマにした『仏印進駐誌(包囲された日本)』という「小説」を戦争中に書いていますが、非常に実証的です。自分でも、取材方法を詳しくのべています。 なお「何万という」くだりですが、12月13日に揚子江上に浮遊した「敗残兵」「凡そ五万」が殺されたことは書いておりますので(中公文庫では p.141)、問題としているのは市民のことでしょう。 『生きている兵隊』のクライマックスとなるべき南京城内へ入る場面がなく、突然、筆のタッチも内容も変わるのでいぶかしく思っていましたが、『讀賣新聞』昭和21年5月9日2面で、次のように述べています。 ---- 大きな建物へ一般の中国人數千をおしこめて床へ手榴弾をおき油を流して火をつけ焦熱地獄の中で悶死させたまた武装解除した捕虜を練兵場へあつめて機銃の一斉射撃で葬つた、しまひには弾丸を使うのはもつたいないとあつて、揚子江へ長い桟橋を作り、河中へ行くほど低くなるやうにしておいて、この上へ中国人を行列させ、先頭から順々に日本刀で首を切つて河中へつきおとしたり逃げ口をふさがれた黒山のやうな捕虜が戸板や机へつかまつて川を流れて行くのを下流で待ちかまへた駆逐艦が機銃のいつせい掃射で片ツぱしから殺害した [Yahoo!掲示板に、ash_28さんが投稿したもの:現在でも検索可能です。] ----- 建物に閉じ込めて焼殺した跡を見たり、その話を聞いたという記録はありましたが、実際にやったという資料はありませんでした。 しかし『本兵士102人の証言』(社会評論社)で、その証言がでてきました。この証言集を見ると、いかに脚色しても石川達三は、この事実を書くことができなかったことがわかります。 なお、それ以外にも、慰安婦が軍属に「命令」で送られていたことなど、いくつか興味深い記述があります。また、そういうきわどい内容については、独特の技法で書いていますが、その件は、よくまとめてから記事にしたいと思います。 k-k - 02/10/09 02 18 27 コメント えらいこっちゃでー JOHN_VOID - 02/10/08 22 47 23 コメント rialさん 敢て私が韓国軍の起こしたソンミ大虐殺と提示しました。 なぜ、素直に「間違えました」と言わないんですか? 神は細部に宿ると言いますが、あなたのこうした小さい間違いを認めず強弁する態度は、南京事件において歴史的事実を無視する態度と共通していますね。 渡辺さんなんか、しょっちゅう間違いを訂正しているじゃないですか? 事実を尊重せずに、思いこみを強弁しているのは南京事件否定派のほうではないですか? k-kさん観察者 - 02/10/08 22 23 35 コメント このかたやっぱり詭弁家!(*_*) K-K - 02/10/08 19 55 29 電子メールアドレス 証明になってません コメント やはりあなたがたは過去の悪について 日本と韓国、中国との扱いの違うことが証明されまた。 証明ですか(苦笑)。 敢て私が韓国軍の起こしたソンミ大虐殺と提示しました。これはご指摘の ようにアメリカ軍の起こしたものですが、それに連なるべき 韓国軍が起 こしたのは・・・ 口を噤んでしまいましたね。 まず、「証明した」と言いたいのでしたら、われわれが「口を噤ん」だ証明をしなければなりませんね。 私の正直な感想は、あなたの主張する「韓国軍が起こした」のが何なのかサッパリ解りません。他の方も同様でしょうね。 ・・・・となると、あなたの証明は早くも破綻したことになりますね。 これが、日本軍の起こしたソンミ大虐殺・・・ であればあなたがたはどう答えていましたか? ソンミ事件が起こしたのアメリカ軍です、と答えるでしょうね。 実例は以下の通り。 【JOHN_VOIDさん】 ---- 引用 ---- >韓国軍の起こしたソンミ虐殺などと差別化する ソンミ村の事件は、「アメリカ軍」が「ベトナム」で 起こしたものでしょう? 事実を元に議論しないと無意味だよ。 ---- 終わり ---- 必ず ソンミ・・・アメリカ軍、日本軍は南京・・・ とつずきますね?どうですか? 上記の通り、JOHN_VOIDさんは続きませんでした。 そこがあなたがたの自虐偏向たる証拠なのです。 続かなかったので、「自虐偏向」ではないということになりました。 よろしいでしょうか? 南京大虐殺など日本は事実として認めていませんよ 中国もそんなことは主張していません。 あなたがた歴史偏向主義者だけです。 はぁ、そうですか。 根拠の無い話でしたら、何とでも言えるわけですね。 UFOの存在、幽霊の存在、ホロコーストの有無等々。 お気楽な話だとは思いますよ。 rial - 02/10/08 18 44 27 コメント やはりあなたがたは過去の悪について 日本と韓国、中国との扱いの違うことが証明されまた。 敢て私が韓国軍の起こしたソンミ大虐殺と提示しました。これはご指摘のようにアメリカ軍の起こしたものですが、それに連なるべき 韓国軍が起こしたのは・・・ 口を噤んでしまいましたね。 これが、日本軍の起こしたソンミ大虐殺・・・ であればあなたがたはどう答えていましたか? 必ず ソンミ・・・アメリカ軍、日本軍は南京・・・ とつずきますね?どうですか? そこがあなたがたの自虐偏向たる証拠なのです。 南京大虐殺など日本は事実として認めていませんよ 中国もそんなことは主張していません。 あなたがた歴史偏向主義者だけです。 K-K - 02/10/08 09 11 28 電子メールアドレス 竜馬くん コメント K-Kです。 竜馬くん、名なしでの投稿は止めましょう。警告を出しておきます。3回の警告で処置しましょう。 日中国交正常化は 南京問題が事実であろうとなかろうと 双方が過去を清算、解決にたもの。 君みたいな主張をする人間が、未だ閣僚や与党の中に存在するのだから、精算が出来ているとは思えないですね。 南京大虐殺は過去の問題ですが、歴史認識は現在の問題です。 南京問題が君らの誇張して言う大虐殺であったか それとも中国人が起こした通州虐殺、済南虐殺 韓国軍の起こしたソンミ虐殺などと差別化する ようなものでないか、はたまたそれ程にも残虐では なかったのかは、議論中。 ソンミについては、JOHN_VOIDさんが指摘済みですね。 それと、「議論中」とはまた、便利な言葉です。 例えば、UFOの存否は議論中、霊の存在は議論中、ホロコーストがウソであることは議論中、北朝鮮の拉致事件は議論中、通州事件は議論中、済南事件は議論中、竜馬くんがアホであることは議論中。 すくなくとも、きみらの言う 大虐殺はほとんど 本気にしている者はいない。中国人もね(笑) 「根拠は無いけど」という文章が抜けているようですよ。 JOHN_VOID - 02/10/08 01 38 12 コメント 名無しさんへ >韓国軍の起こしたソンミ虐殺などと差別化する ソンミ村の事件は、「アメリカ軍」が「ベトナム」で 起こしたものでしょう? 事実を元に議論しないと無意味だよ。 - 02/10/08 00 31 52 コメント 日中国交正常化は 南京問題が事実であろうとなかろうと 双方が過去を清算、解決にたもの。 南京問題が君らの誇張して言う大虐殺であったか それとも中国人が起こした通州虐殺、済南虐殺 韓国軍の起こしたソンミ虐殺などと差別化する ようなものでないか、はたまたそれ程にも残虐では なかったのかは、議論中。 すくなくとも、きみらの言う 大虐殺はほとんど 本気にしている者はいない。中国人もね(笑) 渡辺 - 02/10/08 00 09 39 電子メールアドレス 前事不忘、後事之師。 コメント ななしさん:> ----- あなた規模に関わらないと言いましたね。 - 02/10/07 17 27 26 コメント 賠償問題で言いますと 日中間において国交正常化において すべて解決済であり 中国人の起こした通州、済南大虐殺 となんら違いはありませんよ。 ----- 規模と何が関係がないって?でも、「南京事件」は、ひど過ぎますね。 事実を認めるからこそ「解決」ですね。 「解決済」なら、いまさら「なかった」だの「捏造」だの言うのはやめましょう。 あげくのはてに、ティンパーリーが「工作員」だの、ラーベやマギーなど、人道的な働きをした人たちをうそつき呼ばわりをする論客が、手を変え品を変えて現れて困ります。 「解決済」ですから、教科書にも事件の大きさに応じて書きましょう。そいういうことで、いいですね。 しかし、「国交正常化において」「南京事件」のことは話題になったんでしょうか? それに、中国政府が「南京事件」で、賠償を求めていましたっけ? いずれにしろ、個々の事件を明らかにし、後世の教訓とすることは大切です。 賢人曰「前事不忘、後事之師」。 とほほ(^^; - 02/10/07 21 47 30 コメント 竜馬くんはこっちへきちゃったのね(^^; K-K - 02/10/07 21 06 05 電子メールアドレス 竜馬くんへ コメント K-Kです。 こんにちは、竜馬くん。 まず、ここで議論する場合は、名前を書きましょう。それが出来ない場合は、竜馬くんの投稿を定期的に削除することにします。 また、どこかの掲示板のログを転載していますが、無意味な内容なのでこちらは削除します。以降、この様な無意味な文章を垂れ流す場合は、「アラシ」行為と認識し、適当な処置をとりますのでご注意を。 さて、竜馬くんの投稿内容を確認してみましょう。 ならば中国人の起こした 通州事件、済南事件も大虐殺でいいですね。 ぜんぜん構いませんよ(笑)。 お一人でHPでも立ち上げては如何? 世界数ある中で 南京 を敢てクローズアップ されている動機と意義は何ですか? 事実を否定する竜馬くんの様な人が居るからですよ。 あなた規模に関わらないと言いましたね。 - 02/10/07 17 27 26 コメント 賠償問題で言いますと 日中間において国交正常化において すべて解決済であり 中国人の起こした通州、済南大虐殺 となんら違いはありませんよ。 渡辺 - 02/10/07 16 34 22 電子メールアドレス 訂正 コメント 下の投稿引用文中、 ----- 昭和十二年十二月二十三日の東京朝日新聞(二面)に、 通州事件解決 賠償百廿万円と陳謝 殷汝耕氏の嫌疑晴る ---- より 「昭和十二年十二月二十三日の東京朝日新聞(二面)に、」を削除し、 ----- 通州事件解決 賠償百廿万円と陳謝 殷汝耕氏の嫌疑晴る ---- と訂正いたします。 渡辺 - 02/10/07 16 30 17 電子メールアドレス 通州事件 コメント ななしさん:> ----- - 02/10/06 22 46 17 コメント ならば中国人の起こした 通州事件、済南事件も 大虐殺でいいですね。 ----- 「通州事件」を「南京事件」と対比させるむきもありますが、内容や規模においても比較するのは困難と思われます。 「通州事件」が根本的に違うのは、事件が中国政府の軍隊によるものではなく、謝罪と賠償で「解決」していることです。 参考資料として、当時の報道を掲載いたします。 (1937年12月24日) ----- 通州事件全く解決 未曾有の惨事として世人の記憶に新たなる通州事件の解決方に関し ては冀東政府長官宋墨氏と日本大使館森島参事官との間に折衛 が続けられてゐたが、廿四午後四時半池長官は北京大使館を訪問して公文を手交し、正式陳謝 と将来の保障をなし、併せてこの事件に上る被害者に對する弔慰賠償金を手交し、森島参事官よ り右に對する回答文を手交、ここに同事件は全く解決を告げるに至った。 [読売新聞社編輯局『支那事変實紀 第五輯』非凡閣、昭和十三年一月十一日発行(1938年)、p.266] ----- 12月23日の『東京日日新聞』(二)面に ----- 昭和十二年十二月二十三日の東京朝日新聞(二面)に、 通州事件解決 賠償百廿万円と陳謝 殷汝耕氏の嫌疑晴る ---- という、見出しの記事があります。 この記事によりますと、 「即ち冀東自治政府としては北京の中華民国臨時政府に正式合流をなすに先立ち日本国民に対する■■陳謝の態度を明らかにしたものである。」とあります。(■記号は、復刻版が不鮮明なため判読できない文字を示す。) 「通州事件」を「南京事件」と対比させるということは、「南京事件」では、中国国民への「正式陳謝」と賠償で「解決」する必要あるとでも「ななしさん」は考えているのでしょうか。 JOHN_VOID - 02/10/07 07 08 29 コメント 名無しさん、名前ぐらい名乗りなさいよ。 世界数ある中で 南京 を敢てクローズアップ されている動機と意義は何ですか? 「南京事件などなかった」という連中がいるからです。 「ホロコーストなどなかった」というネオ・ナチの歴史修正主義の日本版だから、そういう嘘を正すためことに意義があります。 -------------------------------- 実際、頑迷なアウシュビッツ否定論者はどんな反論にも納得しない。 かし問題なのは、自分に知識が不足しているがために、寛容な態度や 公平な見方をしているつもりで、彼らの言うことにも一理あるかも知れ ない、と動揺する人々のほうである。そうした者たちには、 -ドイツの劇作家ベルトルト=ブレヒトの有名な文章を借りれば- もう一度言っておけば良かったと後で後悔しないように、何千回も言 われ尽くしたようなことでももう一度言わねばならない。 「アウシュビッツとアウシュビッツの嘘」P90 -------------------------------- -------------------------------- (ある者たちが抱く)愚かしい空想について学問的に研究すること、しかもそれに必要な時間と労力を惜しみなく注ぎ込むこと、そんな仕事の仕方に意味があると認めるのは難しいかも知れない。 (中略) しかし読む価値のある本とは、教養ある正気の者がまじめに受け止めることのできるものだけだ、と考えるのはとんでもない間違いだ。なぜなら(我々の社会には)ペテン師やいい加減な知識しか持たない狂信者たちによって、思想に偽装された病的な空想が、無知蒙昧な者を対象に大量に生み出されている地下世界が存在するからである。この地下世界が深淵からやおら地上に姿を現すことがある。そして普段は理性的で責任感もあった大勢の人々の魂を奪い、虜にして、思いのままに操るようになる。そのとき人々は正気を失い、責任も放棄してしまう。そして挙げ句の果てには、この地下世界が地上で政治の権力を握る日が来て、歴史の針路を変えてしまうこともあるのだ。 -------------------------------- 「ユダヤ人陰謀説」(デヴィッド=グッドマン、宮澤正典共著) - 02/10/06 22 46 17 コメント ならば中国人の起こした 通州事件、済南事件も 大虐殺でいいですね。 世界数ある中で 南京 を敢てクローズアップ されている動機と意義は何ですか? JOHN_VOID - 02/10/06 20 52 44 コメント 事件から大虐殺に変わってますね。 誰が命名したのか知らないの? 知りません。東京裁判で事実関係が初めて一般大衆の前に暴露されて、大量虐殺があった事実が明らかになったことから自然発生的に出来たものだとしか思えませんね。 「南京事件」では大量虐殺があったことが判らないから、事実を表さずに不適切です。 わたしは呼び名より、虐殺の実態を探求することを優先していますので。 まさか、「南京大虐殺」という言葉がなかったら、南京で大量虐殺もなかったというシニフィエとシニフィアンを混同した議論を展開するつもりではないでしょうね、 名無しさん? 何という名で呼ぼうとも、実態として虐殺があったことは明確なんですよ。日本軍の戦闘詳報にも記録が残っています。 ゆう - 02/10/06 19 56 35 コメント >「正論」平成10年6月号に掲載された板倉氏の論文「東中野論文『ラーベ日記の徹底検証』を批判する」でしょう。 ご指摘、ありがとうございました。 板倉氏のこの論文は、全く知りませんでした。松尾氏のHPにある東中野氏「改めて『ラーベの日記』を徹底検証する」が「正論」10年4月号である、ということですから、その2号あと、ということですね。ぜひ手に入れて読んでみたい、論考です。 引用文は、私のデータベースに追加させていただきました。またこの記事が議論になった時にでも、使わせていただきたいと思います。 - 02/10/06 16 40 10 コメント 南京事件などの言葉で、事件発生当時から呼ばれてましたよ。 当時のニューヨークタイムズとか読みましたか? 小学生でもわかる様に 事件から大虐殺に変わってますね。 誰が命名したのか知らないの? JOHN_VOID - 02/10/06 01 26 52 コメント >どこかの掲示板で、板倉氏が、この記事の内容は日本側の記録には存在せず信憑性に乏しい、 >と書いている、ということを見た記憶があります。まあ、妥当な推定でしょう。 「正論」平成10年6月号に掲載された板倉氏の論文「東中野論文『ラーベ日記の徹底検証』を批判する」でしょう。 --------------------------- よくみるとこの記事は、上海からの無電だが発信者の名もない。当時はまだ外国人記者は南京へ出入りできないのだから、誰がこのような情報を上海へ伝えたのだろうか。 結局どうもこの記事は、噂を埋め草記事にしたガセネタのような気がする。NYタイムズにも続報はなく、このような裏付けのない記事を、都合が良いからといって検証もせずに歴史の資料に使ってはいけない。 ------------------------ 「正論」平成10年6月号p287 JOHN_VOID - 02/10/06 01 17 40 コメント >だいいち 南京大虐殺 なんと言う言葉も東京裁判当時なく、 >朝日新聞の記者が作り出した造語だそうだ。 南京事件などの言葉で、事件発生当時から呼ばれていましたよ。 当時のニューヨークタイムズとか読みましたか? ゆう - 02/10/05 20 10 14 電子メールアドレス 英文資料の翻訳 コメント ここ1週間で、何点かの英文資料が集まりました。(渡辺さん、K-Kさん、そして未だ名前を存じ上げない資料提供者の方に感謝します) これまでほとんど暗記するくらいに熟知していたつもりの資料でも、原文を参照すると、結構ニュアンスが微妙に違うことを発見します。「解釈」をめぐって細かい議論を行うのであれば、「原文」の確認が不可欠であることを、改めて痛感しました。 その一例。国際委員会第六号文書(z9)です。 <当日夜半から翌朝の未明にかけてわれわれは十二月十四日付の手紙を認め、それを日本語に翻訳させました。それで、日本大使館の館員福田氏から貴下に伝えることと思いますが、ラーベ氏・スミス氏・フォースター師が日本軍高級将校をさがしだして、その手紙を手渡すことになりました。われわれはそれぞれに五人の将校と話し合いましたが、彼らの言うには、翌日最高司令官が到着するまで待つようにとのことでした。>(「南京大残虐事件資料集2」 P125~P126) 「われわれはそれぞれに五人の将校と話し合いました」―外国人3名が、ひとりずつ個別に、「五人の将校」と話し合いを持ったように読めます。しかし、原文はこうでした。 "That night and early the next morning we drew up our letter of December 14 and had it translated into Japanese. Then, as Mr. Fukuda, attache to the Imperial Japanese Embassy, may tell you, Mr.Rabe, Mr Smythe, and Rev. Forster went to find a high Japanese officer to whom we could present the letter. We talked to five different officers but they told us to wait for the arrival of the High Commander the next day."("DOCUMENTS ON THE RAPE OF NANKING" P13) 3人の外国人は、"five different officers"、すなわち「五人の異なった将校」と話し合いを持ったわけです。日本文だけ読んでいると、誤解します。さらに言えば、"talk to"ですから、「話し合いました」というよりは、一方的に「話しかけました」とする方が正確でしょう。 ついでに書けば、「手紙を認め」というのも、日本語として変です。”draw up" は、普通であれば「(文書を)作成する」という意味ですから、「手紙を作成し」で十分だと思います。 「日本軍高級将校をさがしだして、その手紙を手渡すことになりました」も、どうも原文とニュアンスが違う。"went to find a high Japanese officer to whom we could present the letter"ですから、「手紙を手渡すことができる日本軍高級将校を捜しに行きました」となります。翻訳では、「手紙を手渡す」ことが決定された、ということしか読み取れず、3人の外国人が具体的にアクションを起こしていることがわかりません。 以上、原文からは、3人の外国人が手紙を渡す相手を求めて奔走する様子が、はっきりと読み取れます。五人の将校に片っ端から話しかけるが、誰に聞いても、「翌日の最高司令官の到着を待て」という答えしか引き出せない。翻訳文では、このあたりの奔走ぶりが、どうも曖昧です。 実は、私がまともに英文に触れたのは、学生時代以来です(^^; 。ほとんどセンテンスごとに電子辞書(世の中便利になったもんだ)を引いている程度の英語力ですが、それでも「原書」を手に入れたことは決して無駄ではなかったようです。 なんだか、「南京事件」を論じるというよりは、「英文和訳」を論じる投稿になってしまいました(笑)。(・・・以上の英文解釈、これで合っていますよね? 自信を持ちきれないので、あえて全文の「"ゆう"訳」はつけません(^^)) ・・・拙い英語力の私ですらこんな「発見」ができるのですから、渡辺さんは、「ベーツ証言」以外にも、何か面白い「ネタ」をお持ちなのではありませんか?(笑) ゆう - 02/10/03 22 28 55 電子メールアドレス >k-k氏の誤訳、捏造? コメント 「誤訳」はともかく、「捏造」は完全な誤りですね。 「捏造」というのは、世間一般の定義としては、「意図して事実でないことを事実として主張すること」ということになろうかと思います。 渡辺さん(なんでK-Kさんの名が? 名無しさん、経緯を知らないんでしょ?)は、「March」を「五月」と勘違いしただけです。意図的なものがない以上、「捏造」とは言えません。 それよりも、渡辺さんが、このような貴重な資料を提供してくれた、という積極面に思いを致すべきでしょう。渡辺さんのおかげで、我々の議論に、貴重な「共有財産」がひとつ増えました。「日付け」のミスは、訂正すればいいだけの話です。 「南京事件」の真相に近づきたい、という気持ちがあるのであれば、このような「新資料」の提供は、大歓迎であるはずです。それをなぜ、ことすらに「ミス」をあげつらって、「捏造」という言葉で貶めるのでしょうか? 要するに、名無しさんは、「南京事件の真相」など、どうでもいいんでしょ? ただ、自分と論を反対にする者の「エラー」を見つけて(より正確には、「エラー」を発見した人の尻馬に乗って)喜んでいるだけでしょ? 私には、これは、「知的共同体」に参加する資格を自ら放棄した、貧しい態度に見えます。 私としては、こんなレベルのアホ投稿は、見たくないのですが。それとも、どうしてもこんなアホ投稿を繰り返したい?(笑) それならそれでいいけど、みんなが笑っていると思うよ。 ・・・私も原文を確認しましたが、あの「March」って、確かに一瞬、「5月」と勘違いしますね(笑)。 渡辺 - 02/10/03 02 38 17 電子メールアドレス ななしさん コメント ななしさんや、幼稚園児じゃあるまいし、「お名前」と説明くらいは書きなさいよ。 ご指定のURLから、「幼稚園児」の謂わんとするところを、推察して述べましょう。 『南京地区における戦争被害』は、調査可能な家族に質問した結果で、避難していたり「徴発」されている者、家族が全滅状態の場合は当然「死者」には含まれていません。 そのため、埋葬の調査をもとに「市部調査」の解説として「市内(the city)および城壁附近の地域」における集計として、12,000人の一般市民、「武装解除された何万人もの中国兵」について言及しているのです。[『日中戦争史資料 9』p.223 参照] 郷区での被害者は含まれていません。 『南京地区における戦争被害』の作成者の一人であるベイツはこのように、東京裁判で証言しています。 ----- ○ベーツ証人 中国兵隊ノ大キナ一群ハ城外ノ直グ外デ降伏シ、武装ヲ 解除サレ七十二時間後、機銃掃射ニ依ツテ射殺サレタノデアリマス。是 ハ楊子江ノ畔デアリマス。国際委員会ハ三万人ノ兵士ノ亡骸ヲ葬ル為メ 労働者ヲ雇ツタノデアリマス。是ハ我々ノ労働救済対策トシテ行ツタモ ノデアリマス。揚子江ニ葬ラレタ屍体及ビ他ノ方法ニ依ツテ葬ラレタ屍 体ノ数ハ数へルコトガ出来マセヌ。 〔林モニター 埋メラレタ屍体〕 [『日中戦争史資料 8』p.49] ----- 「揚子江ニ葬ラレタ屍体及ビ他ノ方法ニ依ツテ葬ラレタ屍体ノ数ハ数へルコトガ出来マセヌ」というのは当然のことです。 ウイルソンの「冷酷に虐殺された人々の控えめな推定数は、およそ10万人程度です」と述べていますが、ベイツの証言や『南京地区における戦争被害』の記述と何か矛盾があるでしょうか? K-Kさんは、「被害者数の認識」を問題としており、国際救済委員会が埋葬作業に直接関与していない埋葬の状況が「推定」であるのは当然です。 ヴォートリンの4月の日記の数字は、『大阪朝日新聞』1938年4月16日の記事と、一致しますが、ベイツの数字より多くなっています。しかし、ベイツは、この数字には従わず、自分が確認した数字を述べているのです。 件のURLの理論に従えば、時間的に後に来る文書の、ヴォートリンの日記と『大阪朝日新聞』の記事から、『南京地区における戦争被害』の結果は無意味となり、修正しなければならないということになります。 「認識」は、「Re k-k氏の誤訳、捏造?」(02/10/02 04 44 09)を見れば明らかでしょう。『大阪朝日新聞』の記事からも、その費用から7万以上とみられます。この数字には「紅卍会と自治委員会と日本山妙法寺に属するわが僧侶ら」が関与した以外の埋葬、例えば赤十字などについては、数字に含まれたいません。 間違っていることが確かなのは、ご指定URLの、「戦争被害調査で死体数の認識が軍民合わせて約4万に落ち着いた時点で、それより古い認識は修正されることになるでしょう」という奇妙な「理論」です。 (なお、「戦争被害調査で死体数の認識が軍民合わせて約4万に落ち着いた」わけではないことは、『南京地区における戦争被害』の記述から明らかです。[『日中戦争史資料 9』p.223 を参照のこと。) 間違いは日付だけではないようです。 - 02/10/02 23 56 18 コメント k-k氏の誤訳、捏造? - 02/10/02 02 35 32 コメント http //www5e.biglobe.ne.jp/~guuse/page020.html 渡辺 - 02/10/02 14 02 34 電子メールアドレス 註:「下関」 コメント しばしば、資料に現れる「下関」ですが、紅卍字会の埋葬記録にある埋葬地を見ますと、行政区としての「下関」より北側の草鞋峡、上元門、永清寺なども「下関」としています。 「下関」についても、「南京」と同じように、資料を読むときに注意が必要なようです。 渡辺 - 02/10/02 04 47 49 電子メールアドレス 訂正 コメント 前、投稿の一部を訂正いたします。 (誤)なお、遺体は重複の可能性がある一方、近隣の住民や家族によって始末された遺体数は含まれていません。 → (正)なお、埋葬記録には重複の可能性がある一方、近隣の住民や家族によって始末された遺体数は含まれていません。 渡辺 - 02/10/02 04 44 09 電子メールアドレス Re k-k氏の誤訳、捏造? コメント ななしさんや、幼稚園児じゃあるまいし、「お名前」くらい記入し、ちゃんとした日本語の文章を書きましょうよ。 さて、間違って3月7日を5月7日と投稿したのは私で、K-Kさんではありません。 ただ、日付が違っていたからといって、当時、殺害された人々の数がどのくらいと認識されていたかを示す貴重な資料であることには影響を与えません。 1) 1938年3月7日 ウイルソンの手紙 ------ 紅卍字会は、ここ1ヶ月間、安全区外や周辺農村部からの遺体を ものすごい勢いで埋葬しています。 冷酷に虐殺された人々の控えめな推定数は、およそ10万人程度です。もちろん、武器を放棄した多数の兵士達もその数に含まれています。 [渡辺訳] ["Documents On The Rape Of Nanking", Timothy Brook,Ann Arbor Paperbacks, 2002, P254] ------ 2) ヴォートリンは4月15日に紅卍字会の本部で次のようなデータをもらったと述べている。 ---- ...すなわち一月の中旬頃から四月十四日まで、紅卍字会は城内において一七九三体の死体を埋葬した。そのうちの八〇パーセントは民間人であった。城外ではこの時期に三万九五八九体の男性、女性、子どもの死体を埋葬した。そのうち約二五パーセントは民間人であった。これらの死体埋葬には私たちがきわめてむごい殺害があったことを知っている下関、三[シ叉]河の地域は含まれていない。 [「南京事件の日々」P240] ---- 合計すると、4月15日に「紅卍字会」の統計では41,382体となるが、ここで「これらの死体埋葬には私たちがきわめてむごい殺害があったことを知っている下関、三[シ叉]河の地域は含まれていない」と述べている。 同じ数字は、4月16日の『大阪朝日新聞』にあらわれている。 ------ そこで紅出会と自治委員会と日本山妙法寺に属するわが僧侶らが手を 握って片づけはじめた。腐敗したのをお題目とともにトラックに乗せ一 定の場所に埋葬するのであるが、相当の費用と人力がかかる。人の忌む 悪臭をついて日一日の作業はつづき、最近までに城内で一千七百九十三 体、城外で三万三百十一体を片づけた。約一万一千円の入費となってゐ る。苦力も延五、六万人は動いてゐる。しかしなほ城外の山のかげなど に相当数残ってゐるので、さらに八千円ほど金を出して真夏に入るまで にはなんとか処置を終はる予定である。 『日中戦争史資料 8』P.393、「昭和十三、四、十六『大阪朝日新聞』北支版より抜章〔弁証二六九〇〕南京便り第五章衛生の巻 林田特派員] ----- ここで「しかしなほ城外の山のかげなどに相当数残ってゐるので、さらに八千円ほど金を出して真夏に入るまでにはなんとか処置を終はる予定である」とされている。 8,000円なお必要ということは、単純計算で、41,382体 X 8、000円 ÷ 11,000円 = 30、095体 を「真夏に入るまでにはなんとか処置を終はる」ことになる。 すなわち、72,000体の遺体を埋葬しなければいけないことになる。 3) ヒットラーに送ったラーベの講演の草稿 1938年6月8日 --------------------------- 中国人の申し立てによりますと、十万人の民間人が殺されたとのことですが、これはいくらか多すぎるのではないでしょうか。われわれヨーロッパ人はおよそ五万から六万人とみています。遺体の埋葬をした紅卍会によりますと、一日二百体は無理だったそうですが、私が南京を去った二月二十二日には、三万体の死体が、埋葬できないまま下関に放置されていたといいます。 [ジョン・ラーベ著,エルヴィン・ヴィッケルト編/平野卿子訳「南京の真実」(講談社,1998) P267,P317] (ただし、「われわれ外国人は」と翻訳されているところを、「われわれヨーロッパ人は」に訂正して引用しました。) ---------------------------- 兵士の遺体は、少なくとも3万あったわけだから、軍民合わせて、8~9万はあったことになる。 4) 1938年12月11日 スチュワード(Albert N. Steward)の日記 ------ 日本軍は三方から市を攻撃したが、明らかに下関の揚子江に接した方面は開放されていた。中国軍が揚子江岸に溢れ出たところ、彼らの約四万は包囲され、機関銃でなぎ倒された。フィッチ氏は、占領後市外に出た最初の機会に、6フィートあるいはそれ以上の厚さに積み重なった死体の上を運転した。日本軍は(軍服を脱いで)紛れている兵士を求めて中立地帯の中まで市を捜索し始めたが、誰でも男たちは兵士と見なされた。ほとんどの場合、そのような男たちは百人づつ一緒にされて揚子江河岸に連れられて行き機関銃で撃たれたが、その後、遺体は揚子江に投棄された。そのような男たちの集団の少なくとも二、三の事例では、一緒に縛られてケロシンを浴びせられて生きたまま燃やされた。市が日本軍の手に陥ちたときに、全部で六、七万の人々が生命を失ったと見積られている。 [渡辺訳] Then the Japanese began searching the city, even inside the neutral zone,for soldiers in disguise,and any man was liable to be taken as such.In most instances such men were taken to the bank of the River in compa- nies of 100 and shot with machine guns,after which their bodies were dumped into the River. In at least two or three cases such groups of men,tied together were doused with kerosene and burned alive.Altogether, it is estimated that 60- 70,000 people lost their lives when the city fell into the hands of the Japanese. [Zhang Kayyuan "Eyewitnesses To Massacre", An East Gate, 2001, p.319-320] ----- ここで「市が日本軍の手に陥ちたときに( when the city fell into the hands of the Japanese)、全部で六、七万の人々が生命を失った」というのは、占領初期の状況について述べているように思われる。 彼らは、日本軍によって遺体が揚子江に投棄されていたことは知っていたから、当時、南京にいた外国人の推定していた殺害された人々の数は、だいたいウイルソンの「冷酷に虐殺された人々の控えめな推定数は、およそ10万人程度」であり、この記述が突出しているとは言えない。 以前、投稿したように、問題があるのは埋葬記録ではなく、日本軍によって始末された遺体数が不明であることです。 なお、遺体は重複の可能性がある一方、近隣の住民や家族によって始末された遺体数は含まれていません。 k-k氏の誤訳、捏造? - 02/10/02 02 35 32 コメント http //www5e.biglobe.ne.jp/~guuse/page020.html 渡辺 - 02/10/01 03 02 28 電子メールアドレス 資料『ラーベと発電所復旧』 コメント 資料『ラーベと発電所復旧』を、下記URLに投稿いたしました。ラーベの日記の中で、発電所復旧にまつわる部分の理解のためにご利用ください。 http //bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=15600 range=1 K-K - 02/09/27 23 09 52 電子メールアドレス こんにちは、渡辺さん コメント K-Kです。 こんにちは、渡辺さん。 確かに、東京裁判記録は、だいぶ問題がありそうですね。議論をする上では、この様な点を頭に入れていた方がいいと感じました。特に、細かいニュアンスを問題とする場合、例えば地理的な範囲などを問題とする場合などは、今回の渡辺さんの訳は非常に明確となると思います。 以下、渡辺さんの訳との差異を挙げてみました。 ●[東京裁判記録] 我々は安全地帯及び【此の附近の地方】に付て出来るだけ調査したのであります。 ○[渡辺さん訳] 我々が言いうることは、安全区と【隣接地域】の注意深い調査について、解析に最善を尽くしたということです。 ※【此の附近の地方】と【隣接地域】では、地理的な広さが変わってくると思われます。 ●「スミス」教授及び私は、色々な調査、観察の結果、我々が確かに知つて居る範囲内で、城内でー万二千人の男女及び子供が殺されたことを結論と致します。〔林モニター 男女及び子供を含む非戦闘員〕 ○スマイス教授と私とは、我々の調査、所見、埋葬調査の結果として、我々が確実に知る範囲では、一万二千人の市民、すなわち、男女、子供が城内で殺害されたと結論をいたしました ※「東京裁判訳」では【埋葬調査】という言葉が抜けています。この認識は、ある意味、重要ですね。 ※渡辺さんもご指摘のように、 「色々な調査、観察の結果、・・・・結論と致します 「調査、所見、埋葬調査の結果として・・・・結論をいたしました」 では、意味合いが変わってきますね。 ●又、【市外】でも殺された者が相当居ります。 ○また、【市のすぐ外側】で殺害された多数の市民もおります。 ※【市外】と【市のすぐ外側】。これも、地理的な範囲が変わってきます。 - 02/09/27 22 48 43 コメント スマイス教授と私とは、我々の調査、所見、埋葬調査 の結果として、我々が確実に知る範囲では、一万二千人の市民、すなわち、男女、子供が城内で殺害された と結論をいあたしました。 自暴自棄の中国軍と日本軍によるものですね? 事実ならひどいものです。 渡辺 - 02/09/27 17 24 56 電子メールアドレス 訂正 #2 コメント 「結論をいあたしました」→「結論をいたしました」 渡辺 - 02/09/27 17 23 18 電子メールアドレス 訂正 コメント スマイス教授と私とは、我々の調査、所見、埋葬調査の結果として、我々が確実に知る範囲では、一万二千人の市民、すなわち、男女、子供が城内で殺害されたのです。 → スマイス教授と私とは、我々の調査、所見、埋葬調査の結果として、我々が確実に知る範囲では、一万二千人の市民、すなわち、男女、子供が城内で殺害されたと結論をいあたしました。 渡辺 - 02/09/27 17 18 36 電子メールアドレス ベイツ証言 コメント 『日中戦争史資料 8』に掲載されている東京裁判記録は、その場で通訳されたもので、正確さに欠けます。 たとえば、ベイツの殺害数についての証言で、「結論ト致シマス」とありますが、誤解を招きやすい表現です。 "Eyewitnesses To Massacre"から、問題の部分を引用いたしますので、参考にしてください。(この本自体に誤植がありえますので、念のため。) もともと、会話を書き写したものですから、文章として分かりにくい部分もありますが、とりあえず試訳をつけました。 [東京裁判記録] 此ノ虐殺行為ノ及ブ全範囲ト云フモノ ハ非常二広イノデアリマシテ、全体ノコトヲ申上ゲルコトノ出来ル人ハ 一人モ居りマセヌ。我々ハ安全地帯及ビ此ノ附近ノ地方ニ付テ出来ルダ ケ調査シタノデアリマス。「スミス」教授及ビ私ハ、色々ナ調査、観察 ノ結果、我々ガ確カニ知ツテ居ル範囲内デ、城内デー万二千人ノ男女及 ビ子供ガ殺サレタコトヲ結論ト致シマス。 〔林モニター 男女及ビ子供ヲ含ム非戦闘員〕 其ノ他市内デ多数殺サレタ者ガアリマスガ、我々ハ其ノ数ヲ調査スル コトハ出来マセヌ。又、市外デモ殺サレタ者ガ相当居りマス。今マデ申 シタコトハ、中国ノ兵隊デアリ或ハ曾テ中国ノ兵隊デアツタコトノアル 何万人ノ男ノ虐殺ヲ全然含マナイモノデアリマス。 [『日中戦争史資料 8』p.49] [渡辺訳] この虐殺の全範囲は余りにも広く、その全体像を言える人は誰もいません。 我々が言いうることは、安全区と隣接地域の注意深い調査について、解析に最善を尽くしたということです。 スマイス教授と私とは、我々の調査、所見、埋葬調査の結果として、我々が確実に知る範囲では、一万二千人の市民、すなわち、男女、子供が城内で殺害されたのです。 我々の知る以外に、市内で殺害された他の多数の人がおりますが、その数は調べようもありません。 また、市のすぐ外側で殺害された多数の市民もおります。 これは、何万もの、中国兵士や中国兵士であったことのあるものの殺害には、全く関係がありません。 (ここでは、話題の範囲は「安全区と隣接地域」に限られており、また"immediately outside the city"との表現から、"the city"とは南京城内をさしていると思われる。) ----- 原文 ----- The total spread of this killing was so extensive that no one can give a complete picture of it. We can only say that we did our best to find out, in checking up carefully upon the safety zone and adjoining areas. Professor Smythe and I concluded, as a result of our investigations and ob- servations and checking of burials, that twelve thousand civilians, men, women and children, were killed inside the walls within our own sure knowledge. There were many others killed within the city outside our knowledge whose numbers we have no way of checking, and also there were large numbers killed immedi- ately outside the city, of civilians. This is quite apart from the killing of tens of thousands of men who were Chinese soldiers or had been Chinese soldiers. [Zhang Kayyuan "Eyewitnesses To Massacre", An East Gate, 2001, p.62] 毎度! - 02/09/26 04 26 49 コメント 真実とは - 02/09/25 19 20 00 電子メールアドレス 日本は良いこともしたんだー コメント 教科書での「南京大虐殺」という記述については、 つまり戦勝国側と敗戦国側との記述が平等になっていれば納得できます。 東京大空襲・広島長崎への原爆投下なら→南京事件 東京空襲大虐殺・広島長崎への原爆投下による大虐殺なら →南京大虐殺・・です。 ただ南京大虐殺についてはかなりの誇張がありそうで 同列で扱うのは如何なものか はありますが。 歴史に「朝鮮半島の人々に多大な苦痛を与えた・・」なんて書いてあるのですが、当時の日本がGNPの10%も朝鮮半島のインフラ整備に投資していたとか、優秀な教師を派遣していたとか・・そういうことは一切記述がないんですね。 こういうのは平等ではない、と思います。 日本は日韓併合前、30年の間に3度朝鮮民族の革命(日本における明治維新)に手を貸して、3度失敗し、しょうがないから併合したって、 「親日派の弁明」に書いてありましたが、そういう事って教科書には全然書いてない・・・やっぱり「つくる会」の教科書が、世に投げかけた問題って大きいですね。 - 02/09/25 18 11 14 電子メールアドレス 非愛媛県人支持 コメント 非愛媛県人 2002/09/25 17 59 New なにもあなたの行動に難癖つけてませんよ。ご自由に。邪魔しません。一般論としてサヨクの人は関係ないところに自分のイデオロギーを押し付けていると言ったまでです。気に食わんから抗議してやるってか?ただのガキとおんなじだよね。年食っても自分のわがままを通すようなガキだね。それが権力をもつと北朝鮮やスターリンのようになってしまう。おわかりですか?天皇制も自分が気に食わんから悪だと決めて”科学的に”否定しようと試みる。そして自己満足。僕は天皇制に反対する人がいても良いと思っています。それは自由ですから。あなたのような人が多数だったらもうとっくに天皇制は廃止されているでしょうね。でもまだ存続しています。ということは賛成派が多いことを意味します。わたしも賛成です。あなたはそれが我慢できずに何が何でも科学的に否定し民意を覆そうとしているだけです。あまり我慢せずにあなたが理想としている北朝鮮あるいは中国へ拉致された人との交換で行かれたらどうですか?もう一度言いますが勝手にどうぞ。ただ教育委員会の人などを自分の正義のために脅迫したり破壊行動をしたりしないで下さいね。それと自分の正義のためにうそやでっちあげもやめてください。何を言っても自由ですが実際に人を傷つけないようにして下さい。それをやったら北朝鮮工作員とまったくかわらなくなりますよ。民主主義を否定することにつながります。正義感にあふれ社会を変えようとすることは必要ですがそれを押し付けると文化大革命、千里馬運動、ひいては強制収容所への道となります。 竜馬 - 02/09/24 18 35 00 電子メールアドレス 自虐変態勢力へ コメント だいいち 南京大虐殺 なんと言う言葉も東京裁判当時なく、 朝日新聞の記者が作り出した造語だそうだ。 さらに社会党の議員が中国に記念館の創設を何度も依頼し それを中国が 30万大屠殺などととし現在に至っている。 これを 呆れた自虐変態者 と言わずになんと言う。 従軍慰安婦問題なども 自虐変態勢力のご注進が発端だそうだ。 k-kに 印象文の訂正を重ねて要求する。 そしてとほほに 大虐殺の確たる証拠があるのなら、その地名、 人数と内訳の列挙を重ねて要求する。 そしてそのあと 確たる証拠 の不毛の検証と言う事になるだろう。 その結果 新しい歴史教科書の表現が 多種ある中で最も適切か否か判明するわけだ。 K-K - 02/09/25 23 41 20 電子メールアドレス 英文・スマイス調査について コメント K-Kです。 先日、英文のスマイス調査の所在をお知らせ致しましたが、このコピーを送って送って戴けるというお話をいただきました。 詳細は未定ですが、届きましたら、ネット上で公開をしていこうと思います。 以上、連絡事項でした。 私のホームページへ | CollegeLife-Laboのページへ | メイン | 今すぐ登録 web hosting • domain names • video sharing online games • photo sharing free blog • advertising online
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ウォーターセブン 推奨レベル23 イベント後、行動開始。 造船島中心街 第一地区 ルフィの単独行動になります。 ガラスのバンド(宝) 何かの設計図Lv2(宝) スカイロブスター(宝) 爆炎の巻物(宝) 祭りの仮面(宝) 煙幕爆弾(宝) NEXTの看板の先に行くと次へ 造船島中心街 第二地区 ルフィ・ゾロ・サンジでの行動になります。 エレファントホンマグロ(宝) 光の匂玉(宝) 耐風風呂敷(宝) 壊し屋の服(宝) 宝の地図S(宝)(ウォーターセブンの南) エレファントホンマグロ(宝) 車掌の腕輪(宝) NEXTの看板の先に行くと次へ フランキー一味×6と戦闘 BOSS:ウソップと戦闘(HP約1850) 落:海軍基地の地図D(ウォーターセブンの東) 造船島中心街 第三地区 ルフィ・ナミでの行動になります。 大工の安全靴(宝) 友情のアフロ(宝) 剛雷の巻物(宝) トレジャーマーク(宝) パウリーの借金借用書(宝) BOSSの看板の先に行くと次へ BOSS:フランキーと戦闘(HP約2300) 造船島中心街 第四地区 ルフィ・ナミでの行動になります。 友情のアフロ(宝) 剛雷の巻物(宝) 目薬(宝) トレジャーマーク(宝) 宝の地図P(宝)(グランドライン南方) NEXTの看板の先に行くと次へ 造船島中心街 第五地区 伝説のたれ(宝) チョッパーの医学白書(宝) 闇の札ウソップ工房工具(宝) NEXTの看板の先に行くとイベント イベント後、クリア。エニエスロビーが出現。ポーチの最大数が50になる。
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名前 リンクス・ナイトウォーカー(インディアン名:陽の当たる場所を歩く者) 年齢 12~14?歳くらい 性別 男性 種族 人間 TR3(プロ) 獲得カルマ 81(キャラメイク残り+1有り) 利用可能カルマ 20(+1) 現在所持金 37135新円 評判 7 悪名 1 公的認知度 2 セッション回数 10 ダウンタイム 6 ライフスタイル 不法居住(500新円/月) 支払い済み生活費 1ヶ月(500新円) + 参加セッション 参加セッション シナリオ名 獲得カルマ 収入 支出 備考 アーバン・ギャングスタ 5→7 3000 0 TR3のため修正 20の質問 20カルマ ナップスター 5カルマ 2000新円 矢(強化炸裂鏃)5本消費 炸裂手榴弾1個消費 エンフォーサー 4カルマ 4000新円 矢(ゲル鏃)4本消費 ロビンフッド 9カルマ 5000新円 矢(爆裂鏃)2本、炸裂手榴弾1個 備考 懐かしい物語 5カルマ 8000新円 逆棘鏃10本(鉄製)経費で落ちた(笑) 炸裂鏃2本消費、焼夷弾鏃1本消費、逆棘鏃1本消費(鉄製) 悪魔のラメント 8カルマ 7000新円 支出 焼夷弾鏃3本消費、炸裂鏃3本消費 ハンマーヘッド2本 美女の野獣 6カルマ 3650新円 支出 備考 怒れる梅光 5カルマ 収入:2000新円 支出:逆棘鏃+矢が1 ハル(AI/ハッカー)1/2のコネGet うちのポチ知りませんか? 8カルマ \12000 ナルコジェクト 備考 闇の中で猫と過ごす 1カルマ 2000新円 Revenge of Friedchicken 8カルマ 10000新円 + ダウンタイム処理 ダウンタイム処理 シナリオ名 期間 支出金額 成長 備考 リビルド成長その1 五か月 2500新円、13+16+19=48カルマ イニシエーション三階梯(擬態術、アデプト集中術、PP(反射強化R2→R3) リビルド成長その2 1か月 500新円、20カルマ 意思を3→4 複合弓(5)スマートガン内蔵 \1000 爆裂鏃 10*\15 棘鏃 10*\10 焼夷鏃 5*\100 鏑矢 5*\5 スティックンショック鏃+矢 10*\150 注入筒R5 12*\100 ナルコジェクト10*\50 γスコポラミン4*\200 トランシスアヴァロン \5000 ゴーグル[6]¥300+映像リンク \25+映像拡大 \250+スマートリンク \2000+低光量補正 \500+視覚強化R2 \1000 イヤホンR3 \150+聴力強化R3 \1500 タグ・イレーサー \450 バグ・スキャナーR6 \600 防具改造:パルスウェーブ \3000 カメレオン・スーツ \1700(装甲9) セキュリティ・タグ \5*3 ステルス・タグ \10*5 矢 \5*50 ハンマーヘッド \5*10 追跡シャフト50*\45 \27515 人種E 魔力に1 能力A 24 特殊C アデプト魔力4 技能2を1つ 資産E \6000 技能A 46/10 能力値A 24 強靭5 敏捷6 反応5(8) 筋力5 魅力4 直観5 論理1→2(10カルマで成長) 意志1→4(45カルマで成長) エッジ2 魔力5 階梯3(擬態術、アデプト集中術、PP) エッセンス6 IN 4D6+13 ヒット制限 物理8 精神5 社交6 資質 最初のカルマ 25 両手効き -4 中規模ストリートギャング/コネ値2 忠実1 -10 論理力1→2 -10 意志力1→3 -25 オメルタ 15 自信喪失/パフォーマンス 10(ギャングボスに一発芸を無茶振りされ続け冷たく駄目だしされ続け自信喪失) 技能グループ 10 潜入SG 5 演技SG 5 計10 技能 46+2(特殊能力Cのボーナス) ランニング1 体術5 刀剣(ナイフ)6(8) 呪文行使(マナブレード)2(4) エチケット4 交渉4 追跡1 弓術(弓)6(8) 知覚6 霊視6 脅迫(拷問)1(3) アルカナ(イニシエーション)1(3) 知識と言語初期ポイント12(直観5+論理1の二倍) 言語技能 英語 N スペイン語 1 ストリート知識 シアトルのランナーチームR1 シアトルの治安組織R1 シアトルのセーフハウスR1 盗品売買R1 シアトルの犯罪組織 R4 職業知識 セキュリティ(セキリティホール)R2 アデプトパワー 計5+1 アストラル知覚 1PP 反射強化R3 3.5PP アデプトスペル(マナブレード)1PP 魔力感知 0.5PP 呪文 マナブレード 階梯3 階梯1:擬態術 階梯2:アデプト集中術 階梯3:PP コンタクト 計12(魅力4*3) ストリートギャングリーダー 4/1 タリスモンガー 6/1 中規模ストリートギャング2/1 10カルマ(グループコンタクト) 装備品とインプラント コンバットナイフ\300 1個計300新円 複合弓(5)スマートガン内蔵 \1000 弓R5\500 1個計500新円 矢R5\5 64本計70新円 追跡シャフト \45 50本 ハンマーヘッド\5 15個計25新円 棘鏃\10 15個計50新円 鏑矢\5 7個計10新円 爆裂鏃 10*\15 焼夷鏃 5*\100 スティックンショック鏃+矢 10*\150 注入筒R5 12*\100 ナルコジェクト\50 10個 γスコポラミン\200 5個 拘束具(金属)\20 1個計20新円 アーマージャケット\1,000 1個計1000新円 パルスウェーブ \3000 トランシスアヴァロン \5000 メタリンクR1\100 1個計100新円 偽造SINR1\2,500 1個計2500新円 ゴーグルR3\150 1個計150新円 映像リンクR1\25 1個計25新円 低光量補正R1\250 1個計250新円 映像拡大R1\250 1個計250新円 ゴーグル[6] ¥300 映像リンク \25 映像拡大 \250 スマートリンク \2000 低光量補正 \500 視覚強化R2 \1000 イヤホンR3 \150 聴力強化R3 1500 タグ・イレーサー \450 バグ・スキャナーR6 \600 カメレオン・スーツ \1700(装甲9) セキュリティ・タグ \5*3 ステルス・タグ \10*5 不法居住 \500 1か月 \500 装備品価格合計 \6000 インプラント価格合計\0 残金 \0
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TEXT 過去ログ2 このページはTEXTモードです。 投稿順は<下>から<上>です。 ページ内検索、入力 「************************************************************」 を使って下からスキップしてください。 ************************************************************ るふと - 02/01/11 04 29 19 電子メールアドレス たびたびすみません コメント 「ラーベの日記」を読んでみたいのですが、日本語訳 で適当なものがありましたら紹介して頂けないでしょ うか。 ************************************************************ るふと - 02/01/11 04 22 30 電子メールアドレス ありがとうございます コメント >K-Kさん、とほほさん どうもありがとうございます。また疑問が湧いたらお 世話になると思いますので、よろしくお願いします。 ところで、ここのサイトの資料はとても充実していて 大変ためになりますね。勉強させていただいていま す。 ************************************************************ とほほ - 02/01/07 07 42 46 コメント 『(1)安全区から押収された武器 』について 実際のところ、安全区からはどれくらいの武器が押収されたのでしょうか。 「安全区で押収された武器」というのもラーベの日記等を読むと実際の所どうなのでしょう?安全区に隠し持っていた、などと表現されますが、実際のところは安全委員会が武装解除させ、押収していた武器の可能性は否定できない気がする。 現に安全委員会の押収した武器を日本軍が引き取っている。 ************************************************************ とほほ - 02/01/07 01 09 07 電子メールアドレス 証言資料とは何か?歴史研究とは何か? コメント 例えば現在においても小さな資料一つ一つを探求し研究されている方方がいます。ネット上を検索していると例えばこのような研究もあります。 ご参考までに、、、。 a href="http //www7.gateway.ne.jp/~swtamura/asaba.htm" target="_blunk" 南京大虐殺と軍事郵便 /a ************************************************************ K-K - 02/01/06 18 25 22 電子メールアドレス 東京裁判以前については コメント 「南京大虐殺」という言葉が東京裁判以前に使われた事例を、渡辺さんが問答有用の方で列記していますので、そちらを参照するのがよいでしょう。 問答有用、渡辺さんの投稿 http //bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=12413 range=1 ************************************************************ K-K - 02/01/06 18 18 21 電子メールアドレス RE:証言資料の謎 コメント K-Kです。 こんにちは、謎解き希望さん。 基本的に私の見た資料は 南京大虐殺と言う言葉が出てきた以降のモノです。 東京裁判の段階では南京大虐殺とか それに類似する大量虐殺の話は出てなかったと思います。 昭和21年8月29日に行われた東京裁判での検察側の証拠提出において、南京地方裁判所附検察官報告「南京地方院検察処敵人罪行調査報告」というものが出されています(『日中戦争史資料集8』P142~)。この報告書の中に以下のような文章が入っています。 「南京地方院検察処敵人罪行調査報告」 以上の如き理由に依り五百件余件の調査事実は何れも異常なる難を経て調査せるものにして、就中【南京大虐殺】は、前代未聞の大残虐たると同時に敵軍罪行の重点なるを以て、特別の注意を払ひて慎重調査を期し、種々探索訪問の方法を講じ、数次に亙り行われたる集団屠殺に関する貴重なる資料を獲得する毎々一々之を審査し、確定せる被害者既に三十万に達し、此外尚未だ確証を得ざる者合計二十万人を下らざる景況なり。 『日中戦争史資料集8』P143 (注:【】はK-K挿入) また、東京裁判判決にも、「南京大虐殺」と大量虐殺の内容は出てきます。 「レイプ・オブ・ナンキン」などの本が出て 南京大虐殺という言葉ができたのは戦後十年以上たって からだったと思います。(記憶違いならごめんなさい) 日本では、洞富雄氏が人物往来社から出版した『近代戦史の謎』(1967年)が南京事件を本格的に取り上げた出版物だと思われます。しかし、有名になったのは本多勝一氏の『中国の旅』と、それにまつわるイザヤ・ペンダサン(山本七平)氏との論争であったといえるでしょう。これは昭和47~48年頃だと思います。 そういったモノを見ると 四肢切断やら女性器を串刺しにするとか 食人行為などが頻繁に見られるということです。 「レイプ・オブ・ナンキン」とはアイリス・チャン氏の著作のことと思われますが、残念ながら私はこの本を読んでいません。どの様な記述がされているかは解りません。「レイプ・オブ・ナンキン」については、資料の利用法等に問題があることが指摘されていますので、ご覧になるのでしたら日本の物を読まれるのが良いと思います。岩波新書の『南京事件』笠原十九司著、中公新書の『南京事件』秦郁彦著などが手頃です。 こういった書物の証言と 東京裁判における証言に かなりの食い違いが見られるのも謎ですね。 謎がある場合は、調べてみるに限ります。ご自分でお調べになっては如何ですか?結構おもしろいと思いますよ。もし、東京在住の方でしたら、東京都立中央図書館が非常に便利です。貸し出しはありませんが、古今の著書を幅広く網羅していますので、突っ込んだ研究も可能です。 東京都立図書館のホームページ http //www.library.metro.tokyo.jp/ ************************************************************ 謎解き希望 - 02/01/06 01 44 36 電子メールアドレス 証言資料の謎 コメント K-K氏へ 基本的に私の見た資料は 南京大虐殺と言う言葉が出てきた以降のモノです。 東京裁判の段階では南京大虐殺とか それに類似する大量虐殺の話は出てなかったと思います。 「レイプ・オブ・ナンキン」などの本が出て 南京大虐殺という言葉ができたのは戦後十年以上たって からだったと思います。(記憶違いならごめんなさい) そういったモノを見ると 四肢切断やら女性器を串刺しにするとか 食人行為などが頻繁に見られるということです。 こういった書物の証言と 東京裁判における証言に かなりの食い違いが見られるのも謎ですね。 ************************************************************ 長田幸久 - 02/01/05 21 27 43 ホームページアドレス http //web.archive.org/web/20070315064308/http //plaza25.mbn.or.jp/~hinode_kogei/ 電子メールアドレス 大阪でひったくりなんか見たことない コメント >南京事件は日本軍がやってない!内のヒイ爺ちゃんも言ってる! >この非国民!左翼!自分の国の恥を作り出してどうするんですか? よくテレビなんかで、大阪はひったくり日本一なんて言うてるけど、大阪に住んで30年来、俺、ひったくりなんか目撃したことないで。目撃してない俺が言うから間違いない。大阪ではひったくりなんか起こってないぞ。もちろん、資料なんか見てないけどな。 ・・・なんてね。馬鹿なんじゃないの。 ************************************************************ K-K - 02/01/05 17 09 35 電子メールアドレス RE:殺戮方法の謎 コメント K-Kです。 はじめまして、謎解き希望さん。 すでにとほほさんが答えてくれているので、それで十分だと思いますが・・・・とりあえず一言。 虐殺方法が伝統的な日本の虐殺?方法ではないとのことですね。ところで、このWPのコンテンツとして「市民殺害・便衣兵摘出」というものがあります。その中に日本軍の具体的な「虐殺方法」が多数のっているので、どの「虐殺方法」が日本の伝統に則していないのかご呈示ください。また、部隊別資料にも載っていますので、そちらも参照してみてください。。 「市民殺害・便衣兵摘出」 http //www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/8596/mondai/simin.html 部隊別資料「山田支隊」 http //www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/8596/butaibetu/yamada.html 同「第114師団」 http //www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/8596/butaibetu/114D.html 同「第16師団」 http //www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/8596/butaibetu/16D.html 同「第9師団」 http //www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/8596/butaibetu/9D.html 同「第6師団」 http //www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/8596/butaibetu/6D.html 同「第3師団」 http //www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/8596/butaibetu/3D.html ************************************************************ とほほ - 02/01/05 16 41 47 ホームページアドレス http //web.archive.org/web/20070315064308/http //www.ddt.or.jp/~tohoho/ 電子メールアドレス 日本軍の謎の行動、(笑) コメント 某所とダブルポストのようですが(笑) それを踏まえて殺戮、虐殺の証言内容を見ると 日露戦争以前、戦国時代にまで遡ってみても それと類似するモノが見つけることができない。 ですが、中国史を紐解いてみれば 類似すると言うより 同じモノを頻繁に見つけることができます。 そのなぞは、あなたが一生懸命といてください。 謎であるから、事実では無い、とはならないのです。こういう議論をする前に、あなた自信が日本軍の日露戦争以降の行動が史実である事を認めているのか否かを、はっきりさせるべきです。 そうで無い限り、あなたの議論の前提が崩れているからです。 つまり、否定論に成っていると言う事です。 虐殺の証言内容について、具体例を示すべきです、食人の風習は中国に限らず、全世界的に実在してますし、実際に日本軍の虐殺内容には前例がない、と言うあなたの認識している「証言にある虐殺内容」を提示してみてください。 「我々は子供の頃からナチスドイツ帝国は悪の帝国と教育を受け信じて疑いませんでした。私もその事を疑って見ると言う事は今まで一度もありませんでした、、、、。 ところが調べて見るとある我々が知らされていない事実が判明したのです。今ここに公開します、教えられていない歴史、、、、。 なんとあのドイツ帝国では自国民に対して泥棒や人殺し等を犯罪とし、処罰していたのです。言われているような「悪の帝国」であるならばこのような行為は推奨されるべきであり処罰されるはずもありません。 いかがですか皆さん我々はもう一度歴史を見直すべきではないでしょうか。 うーーーん、すばらしい理論だ(゜o゜)」 あなたの言っていることはこれと全く同じ論法です。 例を挙げるなら食人行為 中国史では、三国志などにも出てくるほどで 奇怪な行動ではありません。 ですが、日本の文化で見れば 現代の犯罪史に数例出るかでないか もしくはよほどの飢餓状態でもなければ発生しない 極めて希有な行為です。 では、首狩り、の風習はどこから派生しているのでしょう? つまり証言内容が正しいとするなら 日本兵は 特に上層部から命令や通達もないのに 突然、南京に行くときに個別に分かれている集団が 日本の文化背景からは考えられないような虐殺方法を 一斉に思いつき、 しかもそれが何故か中国のモノと酷似していた。 ということになります。 では、証言内容が間違いとするのであれば、なぜそのような間違いが生まれるのでしょう? 間違いであると仮定するならば、「うそ」以外にには考えられません。なぜ「うそ」をつく必要があるのでしょうか? 歴史というのは、我々に理解できるか否か?の問題ではありません。事実はどうであったか?が問題なのです。 ************************************************************ 謎解き希望 - 02/01/05 03 39 55 電子メールアドレス 殺戮方法の謎 コメント 南京の虐殺について ちょっと調べたにすぎないのですが 証言などで聞く日本兵の残虐さについて 理解できないモノがあるので 説明できる方がいればお教え願いたい。 まず、日本兵の殺戮の手段ですが 私の調べた限りでは 日露戦争以前、戦国時代頃までさかのぼっても 類似の殺戮手段が見つけられませんでした。 逆に中国史で見てみると 類似の殺戮、虐殺が多くあると感じました。 つまり私が見聞きした範囲内において 日本兵がわざわざ中国風の殺戮方法を用いて 虐殺を行っているということになります。 何故、このような奇妙な行動を日本兵がとったのか どうしても解りません。 当時、圧倒的な優勢を誇っていた日本兵が わざわざ、中国人と同じ方法で殺戮を行う。 これについてその行動の理由などが解る方がいらしたなら 是非ともご教授願います。 ************************************************************ とほほ - 02/01/04 07 21 59 電子メールアドレス ぷぷ(^^) コメント ひいじいちゃん、て、おいらとおないとし、だったりして(笑) ************************************************************ Hide - 02/01/03 23 58 30 電子メールアドレス 素朴な疑問 コメント 南京事件では、30万の数字がいろいろ議論を呼んでいますが、ドイツ人は、600万も殺していないと主張している人はいないのでしょうか。600万という数字に納得しているのでしょうか。 ************************************************************ - 02/01/01 00 23 01 コメント 南京事件は日本軍がやってない!内のヒイ爺ちゃんも言ってる! この非国民!左翼!自分の国の恥を作り出してどうするんですか? ************************************************************ HIde - 01/12/31 00 22 54 電子メールアドレス 映画「南京」について コメント 渡辺様 こんばんは Hideと申します。 渡辺様の「問答有用」の投稿を拝見しております。資料に基づいた緻密な分析はいつも参考になります。今回は映画「南京」につきご教示頂きありがとうございました。この映画についても南京大虐殺否定派は、秩序ある光景を取り上げて南京大虐殺はなかったと主張していますが、プロパガンダ映画なので虐殺シーンはあるわけもなく、その中に虐殺の根拠(例えば焼け跡、廃墟)を笠原先生や渡辺様のように見出されているのですね。 問答有用掲示板はROM(時々書き込み)しておりますので今後の渡辺様のご活躍を楽しみにしております。 ************************************************************ 渡辺 - 01/12/30 23 02 07 電子メールアドレス 映画「南京」について -誤植訂正 コメント 誤植を訂正いたします。 実物を見た者して若干コメントいたします -> 実物を見た者として若干コメントいたします チーフカメラマン白石茂 -> チーフカメラマン白井茂 です。失礼しました。 ************************************************************ 渡辺 - 01/12/30 22 54 37 電子メールアドレス 映画「南京」について コメント 東宝の「南京」について、すでにK-Kさんが投稿されましたが、実物を見た者して若干コメントいたします。 東宝の「南京」は1995年に中国で発見されました。ビデオは日本クラウン(株)の戦記映画・復刻版シリーズNo.21「南京」として5000円で販売されています。 ただし、失われている部分がかなりあります。これは、見ていてもシーンが飛ぶので分かります。 残念ながらフィルムの状態が相当悪くなっていることもあり、内容は期待はずれです。しかし、数少ない貴重な映像には違いありませんし、いくつか興味のある映像もありました。 注目した場面のひとつは、良民証の交付のとき日本兵が市民の手のタコを調べている場面です。これは文章では記述がたくさんありますし、写真もあったように記憶していますが、映像で見るのは初めてでした。 なお、すべてが実写ではなく、攻撃をどのようにしたかを数人で再現したシーンも含まれています。 ピータ B. ハーイ著「帝国の銀幕 - 十五年戦争と日本映画 -」(名古屋大学出版会、1995年)に「南京」のチーフカメラマン白石茂による市内の様子や捕虜の悲痛な顔についての回想が「日本教育映画発達史」から引用されています。 ---- 高い柵について支那人が一列に延延と並んでいる。側を通ると、私をつかまえてシワクチャな煙草の袋や小銭を差し出し、悲痛な顔で哀願する。この人たちはこれから銃殺されるので、命乞いの哀願を私のような者に向かっても必死になって訴えているのだ。それがそうと分かっても、どうしてやることも出来ない自分の無力さが悲しかった。 [「日本教育映画発達史」P180 を、ピータ B. ハーイ著「帝国の銀幕 - 十五年戦争と日本映画 -」 (名古屋大学出版会、1995年)P90-91 より再引用] ---- 本書によれば、戦死兵の火葬の「パチパチという炎の音」、「支那負傷兵の呻き声」がありましたが、現存する「南京」ではこの部分が失われています。 この映画は「戦勝ニュースの域をでなかった」(野田真吉の評、同書P92)と評価されていたようです。一方、「現地録音」を評価する声があったようですが、たしかに、戦没者慰霊祭がものすごい強風の中で行われたことが映画で実感されました。 なお、「帝国の銀幕」は1995年刊行なので、映画「南京」のフィルムは「現存せず」(P90)と書かれています。 「この映画を見れば南京の真実がわかる」と書いているHPがありますが、この映画からどうしてそんなことがわかるのか理解に苦しみます。 件のHPでは、恐いはずの日本の憲兵と子供が遊んでいるシーンがあるから、事件がなかったと考えているようです。件のHPの作者(記事のほとんどは受け売りだが...)のセンスが分かるというものです。 <参考> ------------- (1)東宝映画「南京」: 1938年製作。中国大都市三部作「上海」「北京」「南京」のひとつ。 撮影・白井茂、編集・秋元憲(中国には行かなかった)、音楽・江文也、現地録音・藤井愼一、解説・徳川夢聲 現存するフィルムの上映時間は約56分 (2) ピータ B. ハーイ著「帝国の銀幕 - 十五年戦争と日本映画 -」(名古屋大学出版会、1995年): この本は当時の映画界の様子がくわしく、かつ実証的に書かれています。例えば、映画人の「転向を誘引する柔らかなテクニック」(P45)の分析など非常に具体的です。映画法により「思弁的領域を避け」て『「純粋」科学映画』が日本で発達したという分析にはおもしろいものがあります。 また、個々の作品や監督、俳優にも焦点をあてて詳しく解説しています。休憩中にちょっと読むという内容ではありません。なお、この本でも評価されている1938年の戦闘シーンのない戦争映画「五人の斥候兵」を是非見たいと思っていますが、ビデオは販売されていないようです。 ************************************************************ K-K - 01/12/29 21 44 53 電子メールアドレス RE:南京事件に関する質問 コメント K-Kです。 はじめまして、ふるとさん。 『(1)安全区から押収された武器 』について 実際のところ、安全区からはどれくらいの武器が押収されたのでしょうか。 押収された武器に関する資料は、今、すぐに思いつくのはこのチャイナプレスぐらいしかありません。残念ながら、この点に関しては、詳細な資料を提供できません。 またこのことが、捕虜処刑を正当化する理由になるのでしょうか。 捕虜の処刑を正当化する理由とはならない思われます。もし、この事実から捕虜を処刑するにしても、この事実が捕虜と関係のあることを法的に証明する必要があります。この「法的に証明する」という手続きとして、通常の裁判にかけるか、または、軍律法廷という戦争時に軍が行う裁判を経なければならないでしょう。通常の裁判にかけるとなると、審理や手続きが煩雑になるため戦時には向かないので、戦時の一般的な慣習として軍律法廷にかけることになると思われます。軍律法廷の内容については、北博昭氏の「軍律法廷」に詳しく書かれていますのでそちらを参考にするのがいいでしょう。 さて、南京事件の場合、この様な裁判手続きを抜きとした「処刑」(殺害)が行われたことが、資料から読みとることが出来ます。例えば、幕府山の収容所に収容された捕虜では、山田支隊が捕虜を殺害を担当したことが資料により判明していますが、その資料のには、軍が捕虜を殺害すること促している記述が見られます(山田栴二日記、飯沼守日記、上村利通日記、資料としての信憑性は低いが両角業作手記、共に当HPの「部隊別資料・山田支隊」に載せています)。この事件の場合で言えば、明らかに軍が捕虜殺害を命じています。そして、その殺害の手続きとして「裁判」を行った形跡はありません。とすると、この幕府山の捕虜は必要とされる「裁判」という手続きが無かったことが明らかになる訳です。 以上の様な具体的な例もさることならば、この「裁判(軍律法廷も含む)」にかけられる主体は、あくまでも容疑のある個人であり、ある集団をまとめて裁判にかけたりすることはありえません。その様なことは、軍律法廷の手続き上あり得ないことなので、容疑を明らかにしていない集団を集団として殺害している場合は、裁判を行ったかどうか不明な場合でも、裁判を行っていないことは明白といえます。 捕虜殺害を正当化する一般的な根拠として武器弾薬の押収を挙げたとしても、捕虜個々人の処刑の為の法的な具体的根拠とはならないと思われます。 (2)国民党資金 ティンパーリ記者やスマイス博士に国民党からの資金が渡っていたことを指摘して、 「彼らは国民党側に偏向している」と主張する人がいるのですが、真相はどのよう なものなのでしょうか。 たしか、最近出版された今村稔『「南京事件」の探求』に、その様な論を展開されているとのことですね。たぶん、この本がネタ元といえるでしょう。さて、私はまだこの本を読んでいないので、具体的にその主張というのが解らないので、大雑把な答えとなることをお許しください。 まず、ティンパーリーの著書「戦争とは何か」ですが、この本に載っているもので南京に関する記述のほとんどが「南京在住の外国人」からの手紙の転載となっていますが、この「南京在住の外国人」とはベイツであると思われます。ティンパリーとベイツは手紙によってかなり頻繁にやりとりをしており、この本の出版に関わっていたようです。 もし、ティンパーリーが国民党から資金を貰っていたとしていたとしても、ベイツには預かり知らぬ事であり、「戦争とは何か」に収録されているベイツの手紙にはなんら影響するところはないでしょう。つまり、ティンパーリー「戦争とは何か」が「色つき」の本だとしても、その内容であるベイツの手紙自体には「色がついていない」、内容的な偏向などはないものだといえるでしょう。 スマイスについては、その資金の流れがスマイスに流れていたかどうかがよく解りませんので、なんとも言えません。また、スマイス調査が偏向しているとするならば、それはスマイス調査のどの部分であるのか具体的に指摘してもらう必要があるのではないでしょうか? 幾つかの点に関してお答えが出来ませんでしたが、この程度よいでしょうか?他に何か問題点がありましたら、また、掲示板に書き込んでください。 ************************************************************ るふと - 01/12/29 10 13 54 電子メールアドレス 南京事件に関する質問 コメント はじめまして。 #先ほど、間違えて送信してしまいましたm(__)m 最近、南京事件に興味を持つようになって、本を数冊かじってにわか勉強している者です。知れば知るほど、「なかった派」がいかにいい加減な事を言っているか分かり、腹立たしく思っています。 今、ある掲示板で「なかった派」の人たちと議論しているのですが、そこで2点疑問に思うことがありました。お忙しいところすみませんが、お答えいただけると幸いです。 (1)安全区から押収された武器 「12月28日、安全区で摘発があり、高級将校23名、初級将校54名、下士官、兵1498名が逮捕。 大砲1基、チェコ製機関銃21丁、ライフル50丁、手榴弾7000発押収。 彼らの中の八十八師副師長馬中将の指令で、反日感情と動乱を扇動、掠奪強姦、市民に対する脅迫をしていた。」(チャイナプレス) 安全区からも大量の武器が押収されたことによって、「捕虜処刑は正当」との意見があるのですが、実際のところ、安全区からはどれくらいの武器が押収されたのでしょうか。またこのことが、捕虜処刑を正当化する理由になるのでしょうか。 (2)国民党資金 ティンパーリ記者やスマイス博士に国民党からの資金が渡っていたことを指摘して、「彼らは国民党側に偏向している」と主張する人がいるのですが、真相はどのようなものなのでしょうか。 よろしくお願いします。 ************************************************************ るふと - 01/12/29 09 52 40 コメント ************************************************************ Hide - 01/12/26 23 06 50 電子メールアドレス Re 映画「南京」について コメント K-Kさん、こんばんは 早速のご回答ありがとうございました。 南京事件については少しかじっただけなのですが、今までの資料をそのまま解釈すると「南京大虐殺」はあったということになると思いますし、今のところ私自身もあったと思っていますが否定している人の意見(怪しい意見が多いと思いますが)についても併せて勉強していきたいとも思っております。 また、これからも訪問させて頂きますのでよろしくお願い致します。 ************************************************************ K-K - 01/12/26 20 57 03 電子メールアドレス 映画「南京」について コメント K-Kです。 はじめまして、hideさん。 件の映画は最近見つかったといっても、確か6~7年前の事だったはずです。 実は私は映画自体は見たことがないのですが、この映画の撮影とおぼしき場面を南京国際委員会のマッカラムが日記に書き留めています。 //// 引用開始 //// マッカラム日記 1938年1月9日----難民キャンプの入口に新聞記者が数名やって来て、ケーキ、りんごを配り、わずかな硬貨お難民に手渡して、この場面を映画撮影していた。こうしている間にも、かなりの数の兵士が裏の塀をよじ登り、構内に侵入して10名ほどの婦人を強姦したが、こちらの写真は1枚も撮らなかった。 //// 引用終わり //// (『南京事件資料集(1)』P266) もちろん、言うまでもありませんが、当時の日本の映画は検閲をされていたのですから、この映画に残虐なシーンが写っていることは無いでしょう。検閲の基準については、以下のようなものがあったそうです。 //// 引用開始 //// 四 左に列記するものは掲載を許可せず (12)我が軍に不利なる記事写真 (13)支那兵または支那人逮捕訊問等の記事写真中、虐待の感を与える虞あるもの (14)惨虐なる写真、ただし支那兵または支那人の惨虐性に関する記事は差し支えなし 五 映画は本要領に準じ検閲するものとす //// 引用終わり //// (『不許可写真1』毎日新聞社、一九九八年、P223) ちなみに、この『南京』を見た笠原十九司氏は以下の様に述べています。 //// 引用開始 //// さきの日本陸軍検閲要領の「映画は本要領に準じ検閲する」を考えれば、日本の映画カメラマンが虐殺現場を撮影する可能性はゼロに近かった。それでも1938年に東宝文化映画部が作成した「南京」という記録映画(ビデオが「戦記映画復刻シリーズ21」として日本クラウン社から販売)は、「我が軍に不利になる」場面の撮影は当然避けられているが、南京占領直後の南京城内の掠奪、破壊、放火された街のようす、疲弊し無気力な表情の難民など、隠しようのない南京事件の舞台跡が撮影されており、見る者が見れば、南京事件を物語る映像記録の1つになっている。 //// 引用終わり //// ************************************************************ Hide - 01/12/26 00 39 59 電子メールアドレス 映画「南京」について コメント こんばんは、初めて投稿致します。 最近、某ビジネス雑誌で櫻井よしこ氏の南京虐殺の信憑性を問うコラムが2週掲載されましたが、非常に内容に乏しいものでした(問答有用にその内容につき投稿したところ、クマさんに軽く一蹴されました)。このHPの資料は膨大な資料がコンパクトにまとめられていて、南京事件真実派の論拠を知る上で非常に勉強となります。ところで南京事件否定派のHPで昭和13年に撮影された「南京」という映画が紹介されており、「この映画を見れば南京の真実がわかる」といったような触れ込みでした。その映画では日本軍南京入場後の秩序に富んだ南京市街の光景が映し出されているとのことです。ここで気になるのが、その信憑性で、プロパガンダ的な目的で製作されたのなら、都合のいいところだけ取り上げられているかも知れないし、そもそも、最近見つかったということですので当時本当に製作されていたかも疑問です。すでに、本映画の信憑性も決着はついているかもしれませんが、ご教示のほどよろしくお願いいたします。 ************************************************************ クマ - 01/11/24 19 44 36 ホームページアドレス http //web.archive.org/web/20070315064308/http //www.tyuukiren.org/ 電子メールアドレス 改装&更新ありがとうございます コメント K-Kさん、こんにちは。クマです。 東京裁判速記録からのテーマ別の抜書きとテキスト化とHTML化、本当にお疲れ様です。今回は市民虐殺や性暴力の問題ということで、読むのもツラいのですが、抜書きして文字化する、ミスがないように校正する、つまりは何度も読むというのは、精神的に大変な作業だったと思います。ありがとうございます&お疲れ様です。 今度また、お時間のあるときにお茶でも飲みましょう。 ************************************************************ 渡辺 - 01/11/18 16 41 13 電子メールアドレス 「考える」前に基礎知識を コメント ななしのごんべいさん:> ---- usakoさんへ - 01/11/16 09 40 55 コメント 戦争する国家がはずかしいって?戦争せざるをえない状況に追い込まれたんだよ、アメリカに。 南京虐殺も学校で習ったはいいけど自分でもよく考えてみたら?核も使わずにどうやってあの短期間に何万人もころせるの?先生の言う事なんてとりあえず疑ってかかった方がいいよ。特に歴史なんかは。遺跡の事にしたってそうでしょ ---- 「戦争せざるをえない状況に追い込まれたんだよ、アメリカに 」って、基礎的なところで間違ってますよ。 日中戦争とアメリカとどういう関係があるの? 戦車の石油も弾丸の鉄も、多くはアメリカから買ったものなんでしょ。 「あの短期間に何万人もころせるの?」って、「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」(大月書店)に収録された複数の兵士の日記に書かれていますよ。 「考える」前に基礎知識を勉強しようよ。 ************************************************************ とほほ - 01/11/16 15 19 50 電子メールアドレス 開戦前夜 コメント 00031 99-08-17 14 37 07 TOHOHO Re 22)陸軍中央の混乱 ∥ この宣戦布告を伴わない無防備都市への爆撃は中国全土に及び、南京城区だ ∥ けで民間人392人死亡、破壊家屋七、八百戸に達した。 ∥ 世界の世論は一斉に日本を非難した。 ∥ が南京市民にとっては単なる前兆に過ぎなかった、、、、、。 この海軍の戦略爆撃は、外国からの非難を外交的手段でかわし孤立を避る為に上海戦を、局地的な紛争で片付けたかった軍中央及び政府の思惑を吹き飛ばしてしまった。 軍部内の拡大派が急速に台頭してきたのである。 この状況を踏まえて、話を戻し陸軍の動きを追って見たい。 海軍の南京爆撃は解説したようなわけでしっかりとした作戦計画に沿った、行動であったが、陸軍は対照的に行き当たりばったりのなし崩し的な戦争突入であった。(笠原見解) ○盧溝橋事件発生時陸軍中央参謀本部首脳 *(拡)拡大派 *(不)不拡大派 参謀総長 閑院宮載仁親王 元帥 +参謀次長 (不) 今井清 中将 +総務部長 中島鉄蔵 少将 +第一部長(作戦) (不) 石原莞爾 少将 +作戦課長 (拡) 武藤章 大佐 +戦争指導課長 (不) 川辺虎四郎 大佐 +第ニ部長(情報) (不) 渡久雄 中将 +欧米課長 丸山政男 大佐 +支那課長 永津佐比重 大佐 +ロシア課長 笠原幸男 大佐 +第三部長(運輸) (拡) 塚田功 少将 +第四部長(戦史) (拡) 下村定 少将 (参照資料、笠原「南京事件」、ただし一部派閥判定は とほほ の主観) 盧溝橋事件発生時事実上の統括責任を持つ今井清参謀次長は病気欠勤中。 次長代行の立場にたつ石原莞爾少将は不拡大派の筆頭論者である。 石原少将は「事件不拡大、現地解決」の方針を打ち出し各部長を説いて閑院宮参謀総長の決済を取りつけ参謀本部の不拡大方針を決定させた。 しかしこの決定に従い迅速に行動すべき直属の武藤章大佐はこれまた拡大派の筆頭論客であった。彼はこの参謀本部の決定に真っ向から反対し石原少将と激しく対立した。 さて軍内部に置いて上層部の決定に逆らい反抗するなど当時の日本軍の状況を持ってしてもあるまじき事である。なぜ武藤大佐のこのような姿勢が通用したのかは検証せねばなるまいが後に回して拡大派と不拡大派のそれぞれの論旨を先に見てみよう。 ○石原を中心とした不拡大論 目下は満州国建設の完成に専念し、対ソ軍備を完成し、これによって国防の安固を図らねばならぬ時期に、もし支那に手を出してこの計画を支離滅裂にしてはならない。 今や支那は昔の支那でなく、国民党の革命は成就し、国家は統一せられ、国民の国家意識は覚醒している。日支前面戦争になったならば支那は広大な領土を利用して大持久戦をおこない、日本の力では屈伏できない。日本は泥沼にはまった形となり、身動きができなくなる。日本の国力も軍事力も今貧弱である。 日本は当分絶対に戦争を避けて、国力・軍事力の増大を図り、国防国策の完遂を期する事が必要である。 ○武藤を中心とした拡大論 支那は統一不可能な分裂的弱国であって、日本が強い態度を示せばただちに屈従する。この際支那を屈伏させて概して北支五省を日本の勢力下に入れ、満州と相まって対ソ戦略体制を強化することが必要で、盧溝橋事件はそれを実現するため、願ってもない好機の到来を示すものである。この事件は楽観を許さない。これに対処するには力をもってする他に方法はない。それには兵力を増派して、状況によっては機を失せず一撃を加える。これによってのみ時局の収集ができるのである。 (以上『軍務局長武藤章回想録』、笠原(南京事件)より) #この論戦を見てもわかるとおり拡大派の論旨は戦略政策等に乗っ取ったものではなく偶発的に起こったこの事件を口実になんの戦争準備もないに関わらず、戦略外交上の大義名分もなく単にその領土欲から発していることは万人が頷けるのではないだろうか? どなたかこの論の中にに国策上必要であった、等と言う論理を組み立てられる方がいましたら屁理屈でも構わないので是非ご披露願いたい。 この武藤大佐の拡大論が軍上層部に対し対立しえたのは陸軍中央中堅層の多数派であった事が下地にはなっているとしても軍内部の軍事作戦が多数決で決まるような軍は古今東西ありえず、軍として成り立つはずもない。 もう少し検証してみようと思う。 -------------------------------------------------------------------------------- 00043 99-08-22 11 47 45 TOHOHO Re 31)陸軍中央の混乱、その2 ∥ この武藤大佐の拡大論が軍上層部に対し対立しえたのは陸軍中央中堅層の ∥ 多数派であった事が下地にはなっているとしても軍内部の軍事作戦が多数 ∥ 決で決まるような軍は古今東西ありえず、軍として成り立つはずもない。 ∥ もう少し検証してみようと思う。 この辺の様子は「笠原『南京事件』」でよく検証されている。 笠原によるとつまりは当時の陸軍上層部は所謂下克上の風潮があり、手柄をたてた者の勝ち、と言う体質であったと言う。 例えば不拡大論者筆頭の石原莞爾少将自身がその様にしてその地位に上り詰めた人間であった。 彼が関東軍参謀時代中央や上層部の統制を無視して謀略による柳城湖事件でもって満州事変を主導し成功を収めた、と賞され中央要職に栄転した者であった。 つまりその彼の姿勢を部下である武藤は見習ったのだ。 「われわれは[満州事件のときの]あなたのされた行動を見習い、その通りを内蒙で、実行しているものです」と答え、「そういうや否や、他の青年参謀どもが口を合わせて哄笑した」と言うのである。今村はさらに、石原や板垣征四郎らの「出世物語」が陸軍中央の参謀将校や外地の各軍幕僚多数のあいだに、「軍人の第一義は大功を収める事にある。功さえたてれば、どんな下克上の行為を冒しても、やがてこれは賞され、それを抑制しようとした上官は追い払われ、統制不服従者がこれにとってかわって統制者になり得るものだ」という軍紀紊乱の機運を醸成した。と記している (藤原『南京の日本軍』、笠原『南京事件』) とこれは南京事件の前年36年の出来事であるがこのような機運が陸軍中央に蔓延しており武藤を初めとする不拡大派は独断専攻をものともしない野心家を中心に形成されていた。 石原は上海出兵を断固阻止したく精力的に説得を続けたがついに押さえる事は出来なかった。 「今次の上海出兵は海軍が陸軍を引きずって行ったものといっても差し支えないと思う・・・・・・私は上海に絶対出兵したくなかったが実は前に海軍と出兵する協定がある」 (「石原莞爾中将回想応答録」) とあるように実体は統制力のない陸軍を海軍内部の戦略野心による作戦行動が牽引し上海出兵が敢行された、と見るのが私には自然である。 どこをどう見たら大東亜共栄圏の理想や正義感による出兵であったと見る事が出来るのか摩訶不思議、、、。 海軍の開戦理由 対英米との決戦を見越した航空戦力の自軍戦艦巨砲主義者に対するデモンストレーション。 陸軍の開戦理由盧溝橋事件は現地指揮官の顕示欲によるもの。 中央は拡大派の暴支庸懲にみられる弱国に対する侮蔑差別観に支配された出世欲によるもの。 政府の開戦理由何事も軍隊様のおっしゃる通り。 私にはどこをどう見てもこの様にしか見えない。 どこに大東亜の理想や正義が在ったのだろうか?ぜひ教えてもらいたい。 それはさておきついに海軍との共同作戦を伴った第2次上海事変が勃発する事になった、南京事件の前哨戦となったこの戦い、、、。 熾烈な戦闘を繰り広げた上海派遣軍は独断で戦後南京へ向かうそして起こった悲劇、東京裁判で南京大虐殺の罪を一身に受け処刑された上海派遣軍司令官松井石根大将の行動を中心に問題の核心へ迫ってみたい。 ************************************************************ usakoさんへ - 01/11/16 09 40 55 コメント 戦争する国家がはずかしいって?戦争せざるをえない状況に追い込まれたんだよ、アメリカに。 南京虐殺も学校で習ったはいいけど自分でもよく考えてみたら?核も使わずにどうやってあの短期間に何万人もころせるの?先生の言う事なんてとりあえず疑ってかかった方がいいよ。特に歴史なんかは。遺跡の事にしたってそうでしょ。 ************************************************************ 渡辺 - 01/11/15 12 36 38 電子メールアドレス Re ハズカシクないんですかねー。 コメント usakoさん、多重投稿することもハズカシイことだよ。 宮崎県では、きちんと歴史教育がされているようだけど、もう少し具体的に「日本軍」のどこが、「ハズカシ」いのか書いてね。 ただし、はずかしいかどうかが問題ではなく、いったいどういうことが起こったのか、その事実を確認することがまず大切だと思います。 日中戦争の中に、招集されて送り込まれた人達を揶揄する気持ちはありません。近代化に向けて建設途上にある隣国である中国を荒廃させるような戦争をなぜしたのかにこそ一番の問題があります。 「大東亜戦争」がアジア解放戦争だと合理化しても、隣の中国や朝鮮に何をしたかを見れば、実態は明らかです。 --- usako - 01/11/12 10 27 07 件名:ぎゃーーーーー! コメント 今、学校で、南京事件、ならいましたよーーーー!!!まったく、日本軍は、ハズカシクないんですかねー。 ************************************************************ とほほ - 01/11/14 00 17 49 電子メールアドレス うーーん、日本軍は、、云々より コメント 戦争する国家、ってのが恥ずかしいんだと思うな。 ************************************************************ usako - 01/11/12 10 28 20 電子メールアドレス ぎゃーーーーー! コメント 今、学校で、南京事件、ならいましたよーーーー!!!まったく、日本軍は、ハズカシクないんですかねー。 ************************************************************ usako - 01/11/12 10 28 44 電子メールアドレス ぎゃーーーーー! コメント 今、学校で、南京事件、ならいましたよーーーー!!!まったく、日本軍は、ハズカシクないんですかねー。 ************************************************************ usako - 01/11/12 10 28 05 電子メールアドレス ぎゃーーーーー! コメント 今、学校で、南京事件、ならいましたよーーーー!!!まったく、日本軍は、ハズカシクないんですかねー。 ************************************************************ usako - 01/11/12 10 27 07 電子メールアドレス ぎゃーーーーー! コメント 今、学校で、南京事件、ならいましたよーーーー!!!まったく、日本軍は、ハズカシクないんですかねー。 ************************************************************ usako - 01/11/12 10 28 07 電子メールアドレス ぎゃーーーーー! コメント 今、学校で、南京事件、ならいましたよーーーー!!!まったく、日本軍は、ハズカシクないんですかねー。 ************************************************************ usako - 01/11/12 10 26 52 電子メールアドレス ぎゃーーーーー! コメント 今、学校で、南京事件、ならいましたよーーーー!!!まったく、日本軍は、ハズカシクないんですかねー。 ************************************************************ usako - 01/11/12 10 26 02 電子メールアドレス ぎゃーーーーー! コメント 今、学校で、南京事件、ならいましたよーーーー!!!まったく、日本軍は、ハズカシクないんですかねー。 ************************************************************ クマ - 01/11/01 14 22 17 ホームページアドレス http //web.archive.org/web/20070315064308/http //www.tyuukiren.org/ 電子メールアドレス ありがとうございます&お疲れ様です コメント K-Kさん、こんにちは。クマです。 日中戦争史資料―南京事件―に収録されている東京裁判関係資料一覧の公開、ありがとうございます。活用させていただきます。 ************************************************************ とほほ - 01/09/15 10 57 25 電子メールアドレス 馬鹿は死ななきゃ直らない コメント 我々、人間、と言うのは基本的に社会を認識して生きていく、生物学的に見ても特殊な存在である。 「蟻社会」と比喩されるが、全く異なる、蟻は社会のことなどしらん、自己の欲望のもとに行動しているだけであり、その行動が社会に還元される。 この論理の原点が左派社会である、と論評するアホ右翼もいる。 我々は「生きたい」のである、「生きたい」の概念はアホ右翼にとっても同様の主張である(生き残るべき人間いて、妥当である、を主張するのが右翼であるが) では、死ぬべき人間が存在するか?、に対して右翼って奴は自己正当化に走る。 でもって「特攻隊的」自己犠牲の精神を多いに鼓舞する、本当に頭悪い。 ************************************************************ - 01/09/02 19 16 58 コメント なるほど、では洞氏も「だれしもいちおう疑問符をつけたくなる」と書いてある、崇善堂の4月9日から5月1日までのわずか23日間に104718体もの遺棄死体を埋葬したという、あまりにも不自然な数字はどういう説明がつけられるのだろうか?悪く見ると整合性の為の改ざんかでっちあげとも取れかねない。 何に対する「整合性」をでっち上げたのですか? その「何」に対してあなたの論理の中に「妄想」があるのですよ。 ************************************************************ 大江山 - 01/08/28 14 36 41 ホームページアドレス http //web.archive.org/web/20070315064308/http //www.ooeyama.com/ 電子メールアドレス 初めまして! コメント 日本人が、闇に葬り去ろうとしている事件、問題は沢山ありますが、南京事件はその最も大きなものだと思っています。ハンセン病の問題も日本の国が犯した大きな間違いでしょうが(私、こんなサイトを作りました。 www2.to/hansen です。 人の褌で相撲をとっているのですが)南京事件も、人間として、日本人の一人として放置しておいてはいけない問題だと思います。では、どうすればよいのか・・・考えたいことです。ではまた、いずれ・・・ ************************************************************ - 01/07/23 11 45 33 コメント ************************************************************ とほほ - 01/07/20 23 03 12 コメント 一次資料とかなんとかってのは、歴史探求における便利性の問題。(笑) だって日本古代史に持ち出される、古事記とかが一次資料か否か考えればわかるジャン(^^; こういう手の議論をする歴史専門家もどきは繭につばつけて間違い無い。(笑) ************************************************************ 渡辺 - 01/07/19 02 40 56 電子メールアドレス Re どれが一次史料? コメント ひばり さん:> ----- ときどきこのHPからコピペした資料が 「一次史料ではない」と言われたりします。 一次史料と2次資料?の区別があるといいと思います。 あと、崇善同埋葬記録についての一次史料はほとんどない と言う事ですが、本当でしょうか? ------ 私は歴史学が専門ではないですが、まだ、返信がないようですので参考意見として: 1次資料、2次資料というのは資料の分類であって、信頼性を現すものではありません。 (1)1次資料: 元になる資料、源情報。 論文、研究・調査報告書、会議資料など 手書き、写本は専門家による校正を経て印刷されたものを含む (2)2次資料 1次資料に手を加えたもの。(元になった1次資料が現存する) (3)3次資料 2次資料を使った資料、教科書も通常は3次資料 翻訳は2次資料としての扱いになるんじゃないでしょうか?統計表など翻訳によっても内容が変わらない場合は1次資料とみなすことができるように思います。 崇善同埋葬記録 自体は崇善同が作成した文書で「崇善同埋葬記録」の源資料ですから1次資料です。中国語の「侵華日軍南京大屠殺档案」の「崇善同埋葬記録」も崇善同埋葬記録をそのまま活字にして印刷した学術書ですから1次資料としていいのではないでしょうか。 将来、「崇善同埋葬記録」の元になった数字を書いた文書が発見されても、それらを表にまとめた「崇善同埋葬記録」自体は「崇善同埋葬記録」の1次資料です。 要するに、資料の引用が「直接引用」か「また引き」かという問題だと思います。 「資料論」参考URL http //www.ulis.ac.jp/~j108/tikanote/notedata/note2/siryoron.htm ************************************************************ ひばり - 01/07/18 06 28 10 電子メールアドレス どれが一次史料? コメント ROMです。 南京関係ウォッチャーですが ときどきこのHPからコピペした資料が 「一次史料ではない」 と言われたりします。 一次史料と2次資料?の区別があるといいと思います。 あと、崇善同埋葬記録についての一次史料はほとんどない と言う事ですが、本当でしょうか? 本当だとしてら理由も聞きたいのです。 ************************************************************ ゴジラズワイフ/鐵扇會 - 01/07/18 01 14 16 ホームページアドレス http //web.archive.org/web/20070315064308/http //tetsusenkai.net/official/yasukuni/ 電子メールアドレス ■■靖国参拝問題研究WEB更新!■■ コメント こんにちわ ここのテーマとは直接関係ないかもしれませんが 今、焦点の靖国問題集大成のWEBが出来ましたので お知らせさせていただきます。 長くて恐縮ですが、よろしくお願いします。 @@@@@@@@@@@ 小泉首相の靖国参拝に合わせて、過日、設置のお知らせをいたしました 当會の「靖国参拝問題特別企画」WEBをこのたび更新いたしました。 ○政府自民党側資料 = 見やすい形に再編集 ○靖国神社側資料 = 新規設置 ○千鳥ヶ淵側資料 = 新規設置 ○新聞メディア側資料 = 新規設置 ○その他の資料 = 新規設置 ○ネット内既存データ = 新規設置 (1)政府自民党側資料 1,靖国参拝を行った戦後の首相一覧 2,靖国問題自民党変遷史 3,時代別・代表的な国会論議の変化 黎明期(政府・靖国蜜月時代) 昭和40年・高瀬発言(一つの総括と歴史の皮肉) 昭和50年代・混沌の時代の幕開け 4,胡耀邦中国共産党総書記あて靖国神社公式参拝の取り止めに関する 中曽根康弘書簡(昭和61年) 5,保守党野田毅・自民党渡辺喜美対談(平成13年) 6,板垣正証言 (2)靖国神社側資料 1.全体説明 2.津村忠臣「靖国神社と兵士」(「若き日の大東亜戦争」より) 3.終戦後から千鳥ヶ淵建立までの靖国神社関連史 4.靖国神社宮司・松平永芳「靖国神社」(昭和60年・中曽根参拝について等) 5.当會會員より靖国神社への質問メールとその回答1 6.重要! 鎮霊社というもの 7.当會會員より靖国神社への質問メールとその回答2 8.当會會員より日本共産党への質問メールとその回答 9.当會會員より靖国神社への質問メールとその回答3 10. 神道政治連盟資料「A級戦犯とは何だ!」 11. 靖国神社A級戦犯合祀の真実と「分祀論」の虚構 (3)千鳥ヶ淵戦没者墓苑側資料 1.全体説明 2.倉林和男「靖国神社をめぐる動向」 3.城西教会牧師・徳永五郎「改めて千鳥ヶ淵戦没者墓苑を思う」 4.浄土真宗各派・靖国参拝中止要請文* 5.浄土真宗本願寺側資料1(「共に歩む」43号)* 6.浄土真宗本願寺側資料2(第19回千鳥ヶ淵全戦没者追悼法要)* 7.浄土真宗本願寺側資料3(第20回千鳥ヶ淵全戦没者追悼法要)* 8.新宗連側資料* 9.日蓮宗・千鳥ヶ淵戦没者慰霊法要 10.日本カトリック司教協議会・日本カトリック正義と平和協議会「靖国神社公式参拝反対要望書」 11.新宗教新聞社・首相の靖国参拝批判資料 12.日本福音同盟「靖国神社「公式」参拝への抗議 13.キーストーンメーリングリスト(靖国と千鳥ヶ淵の変遷資料)* 14.INTERNET PHOTO SCOOP - 千鳥ヶ淵戦没者墓苑拝礼式* (4)メディア側資料 1,三木武夫談話~YOMIDASランド「この10年」(外部リンク) 2,昭和60年・中曽根参拝に関する新聞各社の見出し一覧 3,昭和61年元旦・朝日新聞社説 4,朝日新聞昭和61年社説 5,「自民党田中派の変遷と中曽根公式参拝及び中国の動向」年表 6,平成13年6月27日・読売新聞「スキャナー」(1135×1403jpg画像・383KB) (5)その他 1,明治期の神道非宗教論についての一考察 1~4 2,靖国参拝問題基本!いわゆる「神道指令」(GHQ・昭和20年12月15日) 3,政教分離・海外の場合 (6)ネット内既存外部資料 1,「岩手県靖国参拝違憲訴訟」分 2,「有事戦略研究所」分 3,「仙台高裁判例」分 4,「東京大学大学院人文社会系研究科博士課程論文」分 5,「クリスチャン新聞」分 6,「西日本新聞社説」分 7,「近現代宗教研究批評の会」分 8,「産経新聞」分 9, 時事通信社2000年度8月15日靖国関連記事」分 10, 日本の戦後50年とこれからの進路」分 11, 「しんぶん赤旗・平成13年5月6日」分 12, 「昭和60年08月12日・日弁連意見書」分 13, 「2000年 靖国神社参拝国会議員リスト」分 となっております。政治・宗教ともに、さまざまな立場の意見を網羅しつ つ、今夏の首相参拝のあり方について、少しでも多くの方々が真摯にこの 問題に取り組む一助となれば幸甚に存じます。 平成13年(紀元2661年)7月17日 鐵扇會 ************************************************************ 戦史おたく - 01/07/17 21 56 45 電子メールアドレス 崇善堂の件 コメント なるほど、では洞氏も「だれしもいちおう疑問符をつけたくなる」と書いてある、崇善堂の4月9日から5月1日までのわずか23日間に104718体もの遺棄死体を埋葬したという、あまりにも不自然な数字はどういう説明がつけられるのだろうか?悪く見ると整合性の為の改ざんかでっちあげとも取れかねない。 ************************************************************ とほほ - 01/07/17 00 27 48 電子メールアドレス RE 教えてください。 コメント 当時の政治的背景を検証し、崇善堂の活動目的に対しその利益とコストを検証するとおのずと結論が出るような気がします。 崇善堂は宗教的ボランティア団体です。かといって政治的癒着は否定できませんが、政治的にしても虚偽の活動報告が崇善堂という団体活動において利益を為さない、という事がひとつの信憑性における信頼性の根拠になり得ると思います。 なにより、歴史を検証する上で資料は資料でありその信頼性を根拠付けるのは全体像からの整合性だと思います。 その点で崇善堂の記録に不審があればそれを主張すべきだと思うのです。 ************************************************************ 戦史おたく - 01/07/15 22 01 08 電子メールアドレス 教えてください コメント 埋葬関係資料の埋葬表のうち,崇善堂埋葬活動一覧表の信憑性についてお尋ねしたい。私は洞氏の[決定版南京大虐殺]を読んで、どうしても理解できないのがこの「崇善堂埋葬数」を正しい資料であるという判断なのです。「紅卍字会」の埋葬統計表が「大阪朝日新聞」の記事と同じ数字があるから「紅卍字会」の資料は正しい、だから崇善堂も信憑性があると云うように読めました。でも、私は納得いきません。洞氏も崇善堂埋葬数には、かなり疑問を抱いているようにもみえますが、結局はこの数を採用しています。 そこで教えて頂きたいのは、この崇善堂の埋葬数が信憑性のあるものであるという論理的な説明を誰か教えていただけませんか?タコレベルの質問で申し訳ありません。 ************************************************************ 渡辺 - 01/07/10 01 56 43 電子メールアドレス 「交戦法規」を適用せず コメント K-Kさんが丁寧に答えておられるので、邪魔にならないようにROMしておりますが、以前から気になっている文書がありますので参考意見として投稿いたします。 KーKさん:> >上海戦でも南京戦でも、日本軍は捕虜の殺害が違法であるとして明確に禁止をしたり、その旨の命令・通達を出してはいません。 むしろ、その逆と思われるような通牒が上海事変の直前に出されています。 ------ ○交戦法規の適用に関する陸軍次官通牒 交戦法規の適用に関する件 陸支密一九八号 昭和拾弐年八月五日 次官より駐屯軍参謀長宛(飛行便) 今事変に関し交戦法規等の問題に関しては左記に準拠するものとす 右依命通牒す 左記 一、現下の情勢に於て帝国は対支全面戦争を為しあらさるを以て「陸戦の法規慣例に関する条約其の他交戦法規に関する諸条約」の具体的事項を悉[ことごと]く適用し行動することは適当ならす <二、 三、省略> 四、軍の本件に関する行動の準拠前述の如しと雖帝国か常に人類の平和を愛好し戦闘に伴ふ惨害を極力減殺[げんさい]せんことを顧念しあるなるか故に此等の目的に副ふ如く前述「陸戦の法規慣例に関する条約其の他交戦法規に関する諸条約」中害敵手段の選用等に関し之れか規定を努めて尊重すへく又帝国現下の国策は努めて日支全面戦争に陥るを避けんとするに在るを以て日支全面戦争を相手側に先んして決心せりと見らるゝか如き言動(例えは戦利品、俘虜等の名称の使用或は軍自ら交戦法規を其の儘[まま]適用せりと公称し其の他必要己むを得さるに諸外国の神経を刺戟するか如き言動)は努めて之を避け又現地に於ける外国人の生命、財産の保護、駐屯外国軍隊に対する応待等に関しては勉めて適法的に処理し特に其の財産等の保護に当たりては努めて外国人特に外交官憲等の申出を待て之れを行ふ等要らさる疑惑を招かさるの用意を必要とすへし <五、六、省略> 追て右諸件堀内総領事にも伝へられ度外務省諒解済 [偕行社「南京戦史資料集?機?平成5年)P457-458よりかな表記にして引用、読みにくい語にはふりがなを[]内に記入] ------ 要するに、 (1)これは事変(このときはまだ「北支事変」)で戦争ではないから「陸戦の法規慣例に関する条約」などの条文を全部は適用しない。 (2)「戦利品」「俘虜」のような語を使って、戦争を決心したかのように受け取られる言動は避けよ。 という内容です。 よく、南京戦について国際法が云々されますが、「陸戦の法規慣例に関する条約」などはそのまま適用しないと指示していたのです。 「俘虜」は取らない方針、つまり殺して戦闘での戦果に入れてしまう遠因になっていると思います。 事変だから「陸戦の法規慣例に関する条約」などをそのまま適用しない、そのまま適用すると「戦争」と受取られるという理論は納得は行きませんが、そういう内容です。 ************************************************************ K-K - 01/07/09 23 52 09 電子メールアドレス 返信:柳さん コメント 私は、中支那方面軍がどの程度、捕虜の殺害についての違法性を認識していたか非常に疑問を持っています。秦郁彦氏は、上海戦時の戦闘詳報に捕虜の処断が戦果として記載されていることを指摘していますが、戦闘詳報という公文書に違法な捕虜の殺害が記載されているということは、当時の日本軍の捕虜に対する認識を理解出来るのではないでしょうか? その上海戦の後の南京攻略戦では、第16師団長中島中将が「捕虜にしない方針」があったことを日記に記し、おそらく多くの捕虜を殺害したようです。114師団では捕虜の殺害を命じる文書記録が残っています。中支那方面軍の直轄部隊であった山田支隊は捕虜殺害の命令を受けて、1万4千人以上の捕虜を殺害しています。 上海戦でも南京戦でも、日本軍は捕虜の殺害が違法であるとして明確に禁止をしたり、その旨の命令・通達を出してはいません。日本軍のその様な態度から考えると、捕虜の殺害が彼らにとって「名誉を毀損するが如き行為」であるとそれ程認識していなかったとも考えられます。 私には、「南京城の攻略及び入城に関する注意事項」が捕虜殺害命令に明確に反するものであるとは思えません。 ************************************************************ 柳。 - 01/07/08 21 42 58 電子メールアドレス 矛盾する命令が出ていた事になります。 コメント たしかに、現状でぼくがそれに反証する事はまだ不勉強 なのでできない「殺害命令」文書があったようですね。 まだ、不勉強なので、何ともいえなくなってきました。 (申し送れましたが、ぼくは素人の一介のアマチュア歴 史研究者の魚屋に過ぎません)少しづつ、勉強していき ます。 しかし、逆にこういった資料があるので、提示させてい ただきます。 ■12月13日歩兵第六旅団「右翼隊命令」 <1、城内の残敵を掃蕩す。 2、掃蕩に際しては入城に関する注意事項を厳守す。 但し、敵の抵抗する地帯は此の限りに非ず。> ■「南京城の攻略及び入城に関する注意事項」 <1、皇軍が外国の首都に入城するは、有史以来の盛事 にして(略)正々堂々将来の模範たるべき心組を以て、 各部隊の乱入、友軍の相撃、不法行為等、絶対に無から しむるを要す。 2、部隊の軍紀風紀を厳粛にし、支那軍民をして皇軍の 威風に敬仰せしめ、いやしくも名誉を毀損するが如き行 為の絶無を期するを要す」(12月7日) ************************************************************ K-K - 01/07/07 22 18 23 電子メールアドレス 返信:「投降兵の処置」 コメント >では、日本軍の投降兵の処置はどうであったかを考えて >みます。 >ぼくは、日本軍は「投降兵は武装解除ののち、戦場から >追放」が方針だった、と書きました。 >それにはいくつかの根拠があります。 >これは、1933年陸軍歩兵学校が刊行した『対支那軍戦闘法 >の研究』の中の『捕虜の処置』という項目です。 >「…必ずしもこれを後送監禁して、戦局を待つを要せず、 >特別の場合のほか、これを現地又は他の地方に移し、釈 >放して可なり」 >こえが根拠です。 しかし、秦郁彦氏の指摘によれば、この処置の仕方は「軍閥戦争時代は、捕虜を寝返らせて手兵を増やす便法が習慣化していた」影響ではないか、とのことです。 だだ、1933年の陸軍の教科書にそう書いてあったからと言って、南京事件の中支那方面軍の投降兵の処置がそうであったことにはなりません。ここで問題になっているのは、南京攻略戦における中支那方面軍が実際に行った投降兵・捕虜に関する処置の方法です。 児島・沢田両証言、114師団、山田支隊(ここでは議論になっていませんが)にあるとおり、実際に捕虜殺害命令は出ており、中島日記には、捕虜殺害について書かれたと思われる記述が存在するのです。また、同じく秦氏の指摘に依れば、すでに上海戦の頃から捕虜処断の数を戦果として戦闘詳報に記している様ですので(秦「南京事件」P194)、捕虜殺害は当時の日本軍の暗黙の了解であったと考えられます。 秦郁彦「南京事件」P196~199には、「日本軍の捕虜観念」として考察が記されているので読んでみてはいかがでしょうか?「捕虜処刑の習慣は日中戦争全期を通じて変わらなかったようだ」と結論付けていますが、私も同感です。 ************************************************************ K-K - 01/07/07 22 18 13 電子メールアドレス 返信:「16師団に関して」 コメント >しかし、どうしても「投降兵即時処刑」と読みとるのは納 >得できないのです。 >今一度、その疑問点を整理させていただきます。 少し誤解があるようです。私は、「投降兵即時処刑」とは考えていません。捕虜として受け入れた後(武装解除、出来れば身体拘束などをした後)に殺害したと考えています。 当然のことでしょうが、「方針」なのですから、その具体的実行手段については命令・指示・方針を受けた各部隊が考えて実行したと思われます。ですから、部隊によっては投降兵を即時殺害したところもあったかも知れません。しかし、別便で述べたとおり、それでは部隊の安全が損なわれます。 もう少し詳しく説明するならば、「捕虜はせぬ方針」というのは軍の方針であり、「片端より之を片付くる」というのは中島中将の希望であると考えています。 >1)「投降兵即時処刑」が方針だとすると、それは16師団 >以外の師団にも下知されていた筈だが、公式記録において >はそれがない。 これは、既に渡辺さんが指摘しているように、114師団に同様の捕虜殺害の命令が出ています。 >2)「片端」とはいわゆる「カタッパシ」という意味なの >でしょうから、とKーKさんが指摘したように、原文に忠 >実に解釈すれば、やはり「ゾロゾロついてくる」のは不自 >然。このことに関してぼくはまだ納得していません。 (1)中国兵が「ゾロゾロついてくる」理由は日本軍が投降を受け入れる考えた、という点では柳さんも同意見であると考えていいのでしょうか? (2)この「千~1万」の投降兵(原文「千五千一万の群衆」)は、「ゾロゾロついてきた」時点で、投降兵が殺されている様を見たのでしょうか? この二点がはっきりすれば、問題は解決すると思います。つまり、中国兵は日本軍が投降を受け入れると考え、ゾロゾロ付いてきた。しかし、ゾロゾロ付いていき、日本軍に武装解除されたのちに殺害された。こういう状況であったと思います。 そして、「カタッパシ」というのは中島中将の希望であり、それは、「千五千一万」という大人数であったことにより実行は不可能だったことは、日記に記された通りです。 >3)同じく「カタッパシ」であれば、「その場で直ちに処 >刑」する筈であり、中島師団長が部隊を「トラックにて増 >派して監視と誘導」にあたらせるのは不自然。「増派して >片端より之を処刑」であれば通じるのだが、そうは書かれ >ていない。 すでに、上記に説明した通り、「千五千一万」という大人数で「カタッパシ」から殺害が出来る状況では無かったから、『部隊を「トラックにて増派して監視と誘導」にあたらせ』たのだと思います。その『「カタッパシ」から殺害が出来る状況では無かった』というのは、その様なことを行えば部隊の安全が損なわれる状況、つまり、大人数で武装解除出来ない状況です。 ************************************************************ K-K - 01/07/07 22 16 43 電子メールアドレス 返信:柳さんへ コメント >武装解除もできず、がゆえにおっとり刀で駆け付けた部 >隊が武装解除を満足にできているとは思えません。 それは違うと思います。「武装を解除することすら出来ず」に、「騒擾せば始末に困る」から「部隊をトラックにて増派して監視と誘導に任じ」たのですから、部隊の増派の目的が部隊の安全をはかることだと読みとれます。部隊の安全のために「増派」したのですから、武装解除が出来なかったら「増派」した意味がありません。 >別の記録で、小銃を捨てても拳銃や手榴弾を隠し持って >いるものがあったという記録があったと記憶しています。 これは、私も何か読んだ記憶がありますが、それが中島日記の記述の件と同じものであったかどうかは解りません。この点は、調べてみます。 >しかし、それだと16師団は日本軍として矛盾した行為を >していたことになりますね。 >1933年の陸軍歩兵学校で示された対支戦術の研究、 >及び陸軍次官通達(調べておきます)では、適宜、解放 >して可なり、とあります。 それは、この事でしょうか? //// 秦郁彦「南京事件」P195 //// 軍閥戦争時代は、捕虜を寝返らせて手兵を増やす便法が習慣化していた。その影響か、昭和8年1月に歩兵学校が作成した「対支那軍戦闘法の研究」と題する教科書には、「捕虜は他列国人に対する如く必ずしも之れを後送監禁して戦局を待つを要せず、特別の場合の外之を現地又は他の地方に移し釈放して可なり」と述べている。 /////////////////////////////////// しかし、「捕虜にしない方針」=「殺害」は、16師団固有の問題ではなく、すでに渡辺さんが指摘しているように、114師団は明確に「捕虜は全部殺すべし」という命令を出しています。このことは、上海派遣軍(16師団)だけではなく、第10軍にも「捕虜にしない方針」=「殺害」が伝わっていたことが読みとれます。つまり、この「捕虜殺害命令」は、上海派遣軍・第10軍より上の組織から命令が下され、その結果、捕虜殺害を行った考えるのが妥当でしょう。 また、沢田証言「軍司令部に報告したところ、”直ちに銃殺せよ”と言ってきた」とあるように、「師団司令部」ではなく「軍司令部」と表現していることから、この命令が「上海派遣軍」もしくは「中支那方面軍」から伝えてきた命令であると考えることができます。 >そんな事実はなかったと考えます。そういったものを摘 >発して、それら戦時国際法違反のものをまとめて移動さ >せて処刑したことは当然にあるでしょうけれど。 国際法違反であるかどうかを審判するのは軍律裁判です。軍律裁判によって審判していない「処刑」は違法行為です。 また、「戦時国際法違反のものをまとめて移動させて処刑した」という話は聞いたことがありません。歩兵第33連隊の戦闘詳報には ///////////////////////////// [俘虜] 将校14、准士官・下士官兵3、082、馬匹52 [備考]1、俘虜は処断す (略) //////////////////////////// となっており、将校を含めた3096名の捕虜を殺害していることが書かれています。この戦闘詳報には解放した捕虜については書かれておらず、おそらく、この3096名がこの連隊の総ての捕虜だと思われます。そして、この捕虜すべてが殺害されました。つまり、『そういったものを摘発して、それら戦時国際法違反のものをまとめて移動させて処刑した』のではなく、なんの区別をせずに捕虜を殺害したと思われます。 >しかし、膨大な捕虜を抱える余裕はなく、ましてそれが >数千、数万であれば、その捕虜のために人員を裂かれる >ことのほうがデメリットになるので、おかしいとは思え >ません。また、先述資料にも、それで可としてあります。 私が指摘している「安全」とは、「人員を割かれる」というようなものではなく、実質的な被害(自軍兵士の死傷)についてです。 まず、捕虜にしない方針、つまり捕虜を殺害する方針がある。しかし、武装解除もせず(大人数で出来ない)に「投降してきたそばから撃つなり斬るなりした」のでは、すぐに中国兵に日本軍が投降を受け入れないことを察知され、反撃が行われ被害がでる。だから部隊を増派して武装解除を行った。武装解除を行い安全となったところで、捕虜を殺害する方針を実行する。 「膨大な捕虜を抱える余裕」が無かったのは、部隊を増派する前です。捕虜を殺害する方針であると読むならば、その捕虜をいかに効率的に殺害するか、そして自軍に被害が無いようにするかという為に、人員を割くのは当然の事と思います。 >ただ、石川達三氏の著作に関して >は、非常にきになっています(「従軍慰安婦」問題で敗訴 >した吉田清治のような例があるので、戦後、その件がクロ >ーズアップされて以降の回想文は信用できないと思うので >す)。 『「従軍慰安婦」問題で敗訴した吉田清治』というのが、どういう裁判であったかよく知りませんが、吉田清治氏の問題になっている部分が捏造であるとは思っていませんし、この問題を現地で調べたという秦郁彦氏のレポートには多くの問題が含んでいると思っています。 とりあえずその様な問題は置いておくとして、石川達三の著作を「非常に気に」しているようですが、児島証言・沢田証言・中島日記記述という石川達三の記述を裏付けるものがある中、なぜ、この様に裏付けのある一記述を「回想文」であるとして疑問を投げかけるのか理解できません。 この記述自体の意味が理解できません。 ************************************************************ 柳。 - 01/07/07 13 29 58 電子メールアドレス 投降兵の処置 コメント では、日本軍の投降兵の処置はどうであったかを考えて みます。 ぼくは、日本軍は「投降兵は武装解除ののち、戦場から 追放」が方針だった、と書きました。 それにはいくつかの根拠があります。 これは、1933年陸軍歩兵学校が刊行した『対支那軍戦闘法 の研究』の中の『捕虜の処置』という項目です。 「…必ずしもこれを後送監禁して、戦局を待つを要せず、 特別の場合のほか、これを現地又は他の地方に移し、釈 放して可なり」 こえが根拠です。 ************************************************************ yanagi - 01/07/07 13 18 22 コメント ************************************************************ 柳@昼休み - 01/07/07 13 17 49 電子メールアドレス 16師団に関して。 コメント しかし、どうしても「投降兵即時処刑」と読みとるのは納 得できないのです。 今一度、その疑問点を整理させていただきます。 1)「投降兵即時処刑」が方針だとすると、それは16師団 以外の師団にも下知されていた筈だが、公式記録において はそれがない。 2)「片端」とはいわゆる「カタッパシ」という意味なの でしょうから、とKーKさんが指摘したように、原文に忠 実に解釈すれば、やはり「ゾロゾロついてくる」のは不自 然。このことに関してぼくはまだ納得していません。 3)同じく「カタッパシ」であれば、「その場で直ちに処 刑」する筈であり、中島師団長が部隊を「トラックにて増 派して監視と誘導」にあたらせるのは不自然。「増派して 片端より之を処刑」であれば通じるのだが、そうは書かれ ていない。 やはり、中島師団長の陣中日誌を「虐殺」の証拠とするこ とは出来ないと思います。 ************************************************************ 柳。 - 01/07/06 20 44 51 電子メールアドレス すみません、会社から。 コメント 本日、帰宅してからよく手元の資料と検討した上で再度書きこみさせていただく考えでしたが、仕事の都合で叶わず、会社より(爆!)簡単なレスをさせていただきます。 うろ覚え頼りですので、間違っていたらご指摘下さい。 >トラックを増派した時点で、武装解除を行っていると >見るべきでしょう。とすれば、武器を隠し持つことは >不可能です 武装解除もできず、がゆえにおっとり刀で駆け付けた部 隊が武装解除を満足にできているとは思えません。 別の記録で、小銃を捨てても拳銃や手榴弾を隠し持って いるものがあったという記録があったと記憶しています。 >16師団司令部の方針が「捕虜の殺害」であったこと >は明白だと思います。 しかし、それだと16師団は日本軍として矛盾した行為を していたことになりますね。 1933年の陸軍歩兵学校で示された対支戦術の研究、 及び陸軍次官通達(調べておきます)では、適宜、解放 して可なり、とあります。 >1人便衣を着ている者がいたからといって、その集団 >を総て殺害する理由とはなりません。 そんな事実はなかったと考えます。そういったものを摘 発して、それら戦時国際法違反のものをまとめて移動さ せて処刑したことは当然にあるでしょうけれど。 >それでは、部隊の安全が損なわれます しかし、膨大な捕虜を抱える余裕はなく、ましてそれが 数千、数万であれば、その捕虜のために人員を裂かれる ことのほうがデメリットになるので、おかしいとは思え ません。また、先述資料にも、それで可としてあります。 すいません、舌足らずでして。 よく、勉強してきます。ただ、石川達三氏の著作に関して は、非常にきになっています(「従軍慰安婦」問題で敗訴 した吉田清治のような例があるので、戦後、その件がクロ ーズアップされて以降の回想文は信用できないと思うので す)。 どうも資料毎に違う事が書かれていたりするので、あた まの中を整理するのがたいへんです(′人`;;) ************************************************************ 渡辺 - 01/07/06 01 04 17 電子メールアドレス 参考資料 コメント 資料というのは、他の資料とも突き合わせて内容や当否を判断すべきです。 参考として、十六師団などについて他の軍人は何と言っているかご紹介いたします。 谷寿夫の南京軍事法廷での申弁書(1948年1月15日) ---- 又南京に於て中島部隊と共に南京大屠殺を発動せりと論せられあるも、被告の聞知する所にては南京大屠殺は、中島部隊の属せる南京攻略軍の主力方面の出来事にして、其被害者者に対しては真に気の毒なるも、柳川軍方面の関係なき事項にして、即ち被告の部隊に関係なき事項なり。 [「南京作戦の真相 熊本第六師団戦記」(東京情報社,昭和40年)P226 よりかな表記にして引用] [註]中島部隊=中島今朝吾の第十六師団 ---- 岡村寧次 ---- 岡村寧次の日記抄 (1947年)三月十日 .... 中国側も谷寿夫の第六師団よりも中島今朝吾第十六師団の方が遥かに罪状が重いことを知っていて、わが連絡班に対しても、中島師団長、同各団隊長《これらの氏名は先方は既に調査済であった》の所在、場所を調査して報告せよと命じてきたこともあったが、中島は既に死亡、その他団隊長等の所在は当地当班では調査不可能と答えておいたことがある。 罪の深い第十六師団関係者は罰せられず、ほとんど罪のない方を代表して谷中将のみ極刑に処せられる。感無量。 [「岡村寧次大将資料(上)](原書房,昭和45年)P150] [註]なお、第六師団も「掠奪強姦などの非行を軽視する」と新任の稲葉師団長から第六師団司令部で聞いたと記している。[P291] 回想「武漢攻略前後」 .... それなのにこのたび東京で、南京攻略戦では大暴行が行われたとの噂を聞き、それら前科のある部隊を率いて武漢攻略に任ずるのであるから大に軍、風紀の維持に努力しなければいけないと覚悟し、差し当り「討蒋愛民」の訓示標語を掲げることにした、それはわれらの目的は蒋介石の軍を倒滅することであって無辜の人民には仁愛を以て接すべしというに在った。 上海に上陸して、一、二日の間に、このことに関して先遣の宮崎周一参謀、中支派遣軍特務部長原田少将、杭州特務機関長萩原中佐等から聴取したところを総合すれば次のとおりであった。 一 南京攻略時、数万の市民に対する掠奪強姦等の大暴行があったことは事実である。 一 第一線部隊は給養困難を名として俘虜を殺してしまう弊がある。 註 後には、荷物運搬のために俘虜を同行せしめる弊も生じた。 一 上海には相当多数の俘虜を収容しているがその待遇は不良である。 一 最近捕虜となったある敵将校は、われらは日本軍に捕らえられれば殺され、退却すれば督戦者に殺されるから、ただ頑強に抵抗するだけであると云ったという。 [「岡村寧次大将資料(上)](原書房,昭和45年)P290-291] ---- ************************************************************ K-K - 01/07/04 23 42 25 電子メールアドレス 横レス:柳さんへ コメント >■「片付くる」 >この言葉を、即ち投降兵の処刑か追放か、で考えるから不条理が生じ >るのであって、片端より「投降兵に関する事案を処理する」という意 >で捉えれば、不自然ではないと思われますが。 すでに、沢田証言・児島証言・石川達三の記述を示したとおり、捕虜の殺害が方針であったと思われます。 「事案を処理」するのだったら、「片端より」と表現するのも変でしょう。「片端」とはいわゆる「カタッパシ」という意味なのでしょうから、自然な表現としても「殺害」を意味していたと思われます。 >そんなイメージで判断していたのでは、プロパガンダに容易 >に扇動されるだけだと思います。 日本軍の間での噂なのですから、プロパガンダというのは変だと思います。 >責任者のはっきりしない情報は、ソースとして扱うべきで >はないと判断します。 そうでしょうか?例えば、柳さんが「合法」的殺害と判断した以下の文章中の情報について、その情報はどの様に判断しているのでしょうか? 小原孝太郎日記 「彼等の中には支那服を軍服の上に着てカムフラージュしてゐるのもあると。そこで一応しらべて、銃殺なり使役に使ふなり解放するなりするわけである。後ろの山には、銃殺された捕虜の屍体が山のやうになってゐるさうだ。 」 この記述はどれも、伝聞であることは明白です。誰から訊いた話なのかは出てきません。しかし、やはり考慮すべき資料であると私は思います。 >そもそも、資料原文をどのように解釈するか、は大切な争点ではな >いでしょうか。それを否定しないでいただきたいと思います。 渡辺さんが「資料原文の解釈を否定した」とは思えません。渡辺さんは、「噂が立ったこと自体がその存在の証明である」と主張し、柳さんは噂だから「ソースとして扱うべきではない」と主張しているのだと思います。私はどちらも、資料批判として成立していると思えます。 >しばらく、でかけてきますので、次にこれるのは金曜の深 >夜か土曜になると思います。 >よろしくお願いします。 ごゆっくりしてください。特にあわてる問題ではありません。 ************************************************************ K-K - 01/07/04 23 38 07 電子メールアドレス 返信:柳さん 7/4 コメント >まず、最初にお願いしたいのですが、鹿児島の某掲示板では、どう >も論点が散逸してしまうので、ここに場所を移したいのですが、よ >ろしいでしょうか。 問題ありません。 >ぼくとしても、単身、乗り込んでゆくようなものですから(笑)相当 >の覚悟がいるわけですが。 お気になさらずに。この掲示板を見ている人は、非常に少ないので(笑)。 >ところで、何ゆえか掲示板本体の記入フォームが機能しないのです >が(前の記事を参照しつつ書くと言うことができないので非常に不 >便です) 、私の側の問題でしょうか。 >動作確認をお願いします。 早急に改善します。 >しかし、それでは「片端より之を片付くる」という前文 >と矛盾しませんか? >処刑ではなかったとしたら、矛盾しませんが。 >なぜなら、最初の数百人の時点で、銃撃音や悲鳴が響き >渡る筈で、それでもなお、「捕虜にされるものだと思っ >てゾロゾロついて」くるわけがないでしょう。 中島日記の記述は「片端より之を片付くることとなしたるも」です。つまり、「片端より捕虜を片付けたい」という、希望を記しています。しかし、この希望は「千五千一万の群衆となれば之が武装を解除することすら出来」ないことにより、果たせませんでした。だから、「部隊をトラックにて増派して監視と誘導」をしたようです。この「監視と誘導」には武装解除が含まれていると思われます。 つまり、中国兵が殺害されると気付いたときには、すでに武装解除が行われており、逃げ出すことも出来ない状況になっていたと考えられます。その後に殺害されることになったのでしょう。 しかし考えてみると、この「百二百二分割したる後適当のカ処に誘きて処理」というのは、あくまでも「予定」なので実際にどの様に「処理」されたのかは解りません。もしかすると、別の方法である可能性もあるでしょう。 >当然、そうですが、だからこそ不当な大量処刑が行われ >ていなかった、と考えるのが自然ではないでしょうか。 「ゾロゾロついて来る」のは「誘くる」前であり、殺害を行う前です。「ゾロゾロついて来る」ことが、「不当な大量処刑が行われていなかった」根拠とはなりません。 >これは、私の推論で、根拠はないものなのですが、「防 >空壕」や「退避壕」という言葉もあるので、細長いもの >と断定はできないと思います。 常識的に考えて、戦場で「壕」といえば塹壕を指すものと思われます。しかも、総勢7~8千人の人数を収容できるほど戦場に防空壕・退避壕が存在したとは思えません。 >「誘導」といった言葉もあるので、膨大な投降兵に通訳 >不足した日本軍がなんとか誘導する、という意味ではな >いでしょうか。 これは、中島中将の表現です。中島中将が、「誘きて」つまり「誘い出して」と表現しているのです。「誘導」とは意味が違います。 また、中島中将は、別の箇所で「誘導」という言葉を使っているので、「誘きて」と「誘導」を使い分けているようです。 >しかし、支那軍の投降兵の中には、小銃などを捨てたも >のの、手榴弾などを隠し持っていたり、こちらが少数と >みるや多数を頼んで暴動を起こすものなどが多く、多人 >数を一箇所に収容しておくのは危険です。 >むしろ、一箇所に集めていなかった事の方が自然に思わ >れます。 トラックを増派した時点で、武装解除を行っていると見るべきでしょう。とすれば、武器を隠し持つことは不可能です。また、分割したところで、少数(日本軍)対多数(中国兵士)の構図が変わるわけではありません。すでに戦意を失い、武装解除もされた時点で、仮に収容するのに100~200という様な小分けにすることは不自然です。 >■「捕虜」に関する件 >>まず、「捕虜」とは戦意を失しなった者のことです。 ~略~ >私服ゲリラ(便衣兵)が投降しても、それは「出頭した >犯罪者」に過ぎません。 渡辺さんの指摘は投降兵に関するものであり、便衣兵の問題ではありません。 >■「片付くる」の意味 >>収容を「片端よりこれを片づくる」と言いますかね?) そうはいわ >>ないでしょう。 >日本軍の方針は「適宜、武装を解除したのち、戦場から >追放する」という方針だったと思われます。 16師団司令部の方針が「捕虜の殺害」であったことは明白だと思います。 ●第16師団 佐々木支隊所属 独立攻城重砲兵 第2大隊 第1中隊 観測班長 砲兵中尉 沢田正久氏 証言 『やがて友軍増援部隊が到達し、敵は力尽き、白旗を揚げて正午頃投降してきました。その行動は極めて整然としたもので、既に戦意は全くなく、取りあえず道路の下の田圃に集結させて、武装解除しました。多くの敵兵は胸に「首都防衛決死隊」の布片を縫いつけていました。俘虜の数は約一万(戦場のことですから、正確に数えておりませんが、約八千以上おったと記憶します)でしたが、早速、軍司令部に報告したところ、”直ちに銃殺せよ”と言ってきたので拒否しましたら、”では中山門まで連れて来い”と命令されました。”それも不可能”と断ったら、やっと、”歩兵四こ中隊を増援するから、一緒に中山門まで来い”と言うことになり、私も中山門近くまで同行しました。』 ●第16師団 歩兵第30旅団 歩兵第38連隊 副官 児玉義雄氏 証言 『 連隊の第一線が、南京城一、二キロ近くまで近接して、彼我入り乱れて混戦していた頃、師団副官の声で、師団命令として「支那兵の降伏を受け入れるな。処置せよ」と電話で伝えられた。私はこれはとんでもないことだと、大きなショックを受けた。 師団長・中島今朝吾将軍は豪快な将軍で好ましい御人柄と思っておりますが、この命令だけは何としても納得できないと思っております。参謀長以下参謀にも幾度か意見具申しましたが、採用するところとならず、その責任は私にもあると存じます。 部隊としては実に驚き、困却しましたが、命令やむを得ず、各大隊に下達しましたが、各大隊からは、その後何ひとつ報告はありませんでした。激戦の最中ですからご想像いただけるでしょう。』 「16師団」・「軍司令部」と、軍上層部が捕虜殺害の命令を出していることが、証言として存在しています。また、石川達三の文章にあるとおり、捕虜殺害の方針の存在したと思われます。 石川達三「生きている兵隊」 『「捕虜は捕らえたらその場で殺せ」それは命令というわけではなかったが、大体そういう方針が上部から示された。 』 >中島師団長日記 >「だいたい捕虜はせぬ方針なれば、片端よりこれを片づく ~略~ >逆に「片づくる」を「武装解除の後、追放」と解釈すると >文章に不自然がありません。 それでは、部隊の安全が損なわれます。上記の証言にあるように、末端部隊としては投降してきた兵士を捕虜として受け入れるのは当然のことであり、捕虜として受け入れるからには武装解除をすることは当然です。その後に、捕虜の処置を軍上層部に訊き、その結果、「捕虜にしない方針」である「捕虜の殺害」を命じられたものと思います。 >>彼等の中には支那服を軍服の上に着てカムフラージュ >>してゐるのもあると。 >この個所は、支那軍がハーグ陸戦規定「交戦者の資格」に >反して軍事行動をとっていたことを意味しませんか? もちろん、そうともとれるとは思います。この行為が「交戦者資格」に反して処刑されたのでしたら、それはやむ得ないものもあるでしょう。 しかし、それには手続きが必要です。軍律裁判を開いた後に処刑するというのが当時の国際慣行です。日本軍はその様なことを行っていません。 また、これは個別に判断すべきことです。つまり、「支那服を軍服の上に着てカムフラージュ してゐる」者を個別に裁判をして、処刑すべきことなのです。1人便衣を着ている者がいたからといって、その集団を総て殺害する理由とはなりません。 >>そこで一応しらべて、銃殺なり使役に使ふなり解放する >>なりするわけである。後ろの山には、銃殺された捕虜の >>屍体が山のやうになってゐるさうだ。 >「銃殺」されたのは「しらべて」戦時国際法違反であるこ >とが判明したものについてでしょう。これは合法。 「銃殺」したのが、『「しらべて」戦時国際法違反であることが判明したもの』であるのかどうかは判りません。何を基準に殺害し、使役とし、解放したのかは判りません。 >「解放」という語は上段で言う「武装解除ののち追放」が >方針であったという主張の傍証になるでしょう。 この資料では、「殺害」・「使役として利用(拘引)」・「解放」と3通りのケースに分かれています。「武装解除ののち追放」とは意味が違います。 >そのたの記事は伝聞や風聞なので、事実の証拠と即断 >はできません十五日には南京城外の捕虜の監視する。第六中隊と共に >七千名の支那兵、.. それは違うと思います。 何よりも、件の「小原孝太郎日記」の以下の部分が伝聞・風聞であることは明白です。 小原日記 『話によると、約七〇〇〇人の捕虜があったさうだ。彼等は白旗を掲げて降参したのを武装解除させたものである。 中には勿論戦闘中に捕虜になったものもあり、色々だ。 彼等の中には支那服を軍服の上に着てカムフラージュしてゐるのもあると。そこで一応しらべて、銃殺なり使役に使ふなり解放するなりするわけである。後ろの山には、銃殺された捕虜の屍体が山のやうになってゐるさうだ。』 ************************************************************ 柳@昼休み - 01/07/04 13 05 30 電子メールアドレス 「片付くる」 コメント >渡辺さん ■「片付くる」 この言葉を、即ち投降兵の処刑か追放か、で考えるから不条理が生じるのであって、片端より「投降兵に関する事案を処理する」という意で捉えれば、不自然ではないと思われますが。 ■うわさ >書かれたままではないかもしれないが、うわさの元にな >る事実があったのでしょ。 そんなイメージで判断していたのでは、プロパガンダに容易 に扇動されるだけだと思います。 責任者のはっきりしない情報は、ソースとして扱うべきで はないと判断します。 そもそも、資料原文をどのように解釈するか、は大切な争点ではないでしょうか。それを否定しないでいただきたいと思います。 しばらく、でかけてきますので、次にこれるのは金曜の深 夜か土曜になると思います。 よろしくお願いします。 ************************************************************ 渡辺 - 01/07/04 04 39 32 電子メールアドレス 捕虜 コメント 柳。さん:> >日本軍の方針は「適宜、武装を解除したのち、戦場から 追放する」という方針だったと思われます。 戦場から追放するって、上海から南京まですべて戦場だったんですよ。何万人も「追放」したら兵士の日記に記録が残るはずですが、発掘された日記には、多かれ少なかれ、殺したという記事がほとんどで、追放したなんて見たことがありません。 「片端よりこれを片づくる」を捕虜開放の意味に使いますか?言葉を置き換えても意味が通るという問題ではないと思いますが。 だいたい、捕虜開放になぜそんな遠回しな言い方をしなければいけないのですか?そのまま言えないことだから、遠回しに言っているのでしょ。 また、昭和13年になぜ、捕虜は殺す「方針」だったと石川達三は書いたのでしょうか?そういう事実があったからでしょ? >まず、「捕虜」とは戦意を失しなった者のことです。 これは、なぜ捕虜が従順であっかを説明したもので、捕虜の定義は話題にはなっていませんでしたよ。 捕虜がどのように集められ、処刑されたかという実例は、小野賢二「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」(大月書店)に収集された兵士の日記や偕行社「南京戦史資料集」に掲載の日記などにあります。 多くの場合は、処刑されるとは知らないので従って行ったのです。また、その事実を知って嘆願して泣き叫んだというものもあります。 想像だけで、恣意的にこうとも言える、こういう意味にもとれるとやっていれば、こういう言葉で置き換えたら意味が変わると部分的にはいくらでも解釈ができます。 しかし、他の資料でも、捕虜を開放した事例はほとんどありません。 また、いなかに防空壕はありませんし、なぜ防空壕に捕虜を収容しなければいけないのでしょうか? 戦闘詳報には捕虜殺害の事実がちゃんと書かれていますよ。例えば、偕行社「南京戦史資料集」にある33連隊の戦闘詳報では12月13日に捕虜約3000人を殺害したと明記しています。 「交戦資格」というのは「民兵と義勇兵」に対する条文です。第1条をごらんください。制服は義務ではありません。これは、ゲリラを交戦者から除外するための条項で、正規兵の服装のことではありません。現に交戦していないのですから、「特殊徽章」も問題にはなりません。 また、なんらかの制裁を加える場合は軍律裁判を開く必要がありますので、その場で殺害することはできません。 なお、当時、南京やその付近で軍律裁判をした事実はありません。それから「交戦資格」がないことは犯罪ではありませんよ。 そのたの記事は伝聞や風聞なので、... さかなのエサの件は断定です。また、なぜそんなうわさがたったのでしょうか?それは、そういう事実があったからです。書かれたままではないかもしれないが、うわさの元になる事実があったのでしょ。実際、下関で捕虜が殺害されていたことは複数の証言があります。 ************************************************************ 柳。 - 01/07/04 00 10 16 電子メールアドレス 一理ありますね。皆様へのレスです。 コメント まず、最初にお願いしたいのですが、鹿児島の某掲示板では、どうも論点が散逸してしまうので、ここに場所を移したいのですが、よろしいでしょうか。 ぼくとしても、単身、乗り込んでゆくようなものですから(笑)相当の覚悟がいるわけですが。 ところで、何ゆえか掲示板本体の記入フォームが機能しないのですが(前の記事を参照しつつ書くと言うことができないので非常に不便です) 、私の側の問題でしょうか。 動作確認をお願いします。 ■戦意を失ってぞろぞろついてくることに関する疑問について 『一、此七八千人、之を片付くるには相当大なる壕を要し中々見当らず一案としては百二百二分割したる後適当のカ処に誘きて処理する予定なり』 これを、処刑と捉えた場合ですが、やはり疑問が残ります。 >中国兵側から考えれば、すでに戦意を失っており投降 >したつもりになっていたのでしょう。だから、無駄な >抵抗をせず、「ぞろぞろ」ついて来たのだと考えられ >ます。 しかし、それでは「片端より之を片付くる」という前文 と矛盾しませんか? 処刑ではなかったとしたら、矛盾しませんが。 なぜなら、最初の数百人の時点で、銃撃音や悲鳴が響き 渡る筈で、それでもなお、「捕虜にされるものだと思っ てゾロゾロついて」くるわけがないでしょう。 >中国兵は捕虜にされるものだと思って「ゾロゾロつい >て来」たのであり、処刑(殺害)されるとは考えいな >かったのだと思います。 当然、そうですが、だからこそ不当な大量処刑が行われ ていなかった、と考えるのが自然ではないでしょうか。 ■「壕」に関する渡辺氏の指摘に関して これは、私の推論で、根拠はないものなのですが、「防 空壕」や「退避壕」という言葉もあるので、細長いもの と断定はできないと思います。 ■投降兵の収容に関する件 >「収容」するのに誘い出す(「誘きて」)必要はある >のでしょうか? 「誘導」といった言葉もあるので、膨大な投降兵に通訳 不足した日本軍がなんとか誘導する、という意味ではな いでしょうか。 >また、7~8千の兵士を、100~200に分割して >収容するというのは、余りにも手間がかかりすぎると >思います。 しかし、支那軍の投降兵の中には、小銃などを捨てたも のの、手榴弾などを隠し持っていたり、こちらが少数と みるや多数を頼んで暴動を起こすものなどが多く、多人 数を一箇所に収容しておくのは危険です。 むしろ、一箇所に集めていなかった事の方が自然に思わ れます。 ■「捕虜」に関する件 >まず、「捕虜」とは戦意を失しなった者のことです。 それだけでは戦時国際法に基づく「捕虜」にはなり得ま せん(主にハーグ陸戦規定)。 「交戦者の資格」を満たした者が、はじめて、投降して 「捕虜」としての扱いを要求できるのです。 私服ゲリラ(便衣兵)が投降しても、それは「出頭した 犯罪者」に過ぎません。 ■「片付くる」の意味 >収容を「片端よりこれを片づくる」と言いますかね?) そうはいわないでしょう。 日本軍の方針は「適宜、武装を解除したのち、戦場から 追放する」という方針だったと思われます。 中島師団長日記 「だいたい捕虜はせぬ方針なれば、片端よりこれを片づく ることとなしたる(れ)ども、千、五千、一万の群衆とな ればこれが武装を解除することすらできず、...」 ですが、「片端よりこれを片づくる」が「片端よりこれを 処刑する」と解釈すると、なぜいちいち「武装を解除」し たのでしょうか。投降してきたそばから撃つなり斬るなり した筈です。 逆に「片づくる」を「武装解除の後、追放」と解釈すると 文章に不自然がありません。 ■第一一四師団 歩兵第一二七旅団 六六連隊 12月13日 戦闘詳報 これに関しては、はじめてみました。 これだけ読むと、どうもわからなくなります。 >「笠原「南京事件」(岩波新書)は是非ご一読くださ >い。 ありがとうございます。 ■(2)にあげられた資料について。 >彼等の中には支那服を軍服の上に着てカムフラージュ >してゐるのもあると。 この個所は、支那軍がハーグ陸戦規定「交戦者の資格」に 反して軍事行動をとっていたことを意味しませんか? >そこで一応しらべて、銃殺なり使役に使ふなり解放する >なりするわけである。後ろの山には、銃殺された捕虜の >屍体が山のやうになってゐるさうだ。 「銃殺」されたのは「しらべて」戦時国際法違反であるこ とが判明したものについてでしょう。これは合法。 「解放」という語は上段で言う「武装解除ののち追放」が 方針であったという主張の傍証になるでしょう。 そのたの記事は伝聞や風聞なので、事実の証拠と即断 はできません十五日には南京城外の捕虜の監視する。第六中隊と共に七千名の支那兵、.. ************************************************************ K-K - 01/07/03 00 15 24 電子メールアドレス 返信:柳さん コメント K-Kです。 こんにちは、柳さん。 >第一、処刑するのであれば「戦意を失ってぞろぞろ」とついてくる筈 >ないと思いますが? ふつう、逃げるでしょう。 これは、以下の文と密接な関係があると思われます。 中島日記 『一、此七八千人、之を片付くるには相当大なる壕を要し中々見当らず一案としては百二百二分割したる後適当のカ処に誘きて処理する予定なり』 中国兵側から考えれば、すでに戦意を失っており投降したつもりになっていたのでしょう。だから、無駄な抵抗をせず、「ぞろぞろ」ついて来たのだと考えられます。 そのことは日本軍側も十分理解していたことは、「適当のカ処に誘きて」という文で判断できます。日本軍は、中国兵を捕虜にすると見せかけて誘い出したものだといえるでしょう。 中国兵は捕虜にされるものだと思って「ゾロゾロついて来」たのであり、処刑(殺害)されるとは考えいなかったのだと思います。 >壕、は彼らを収容するためのものだったのでは? >と思います。 「収容」するのに誘い出す(「誘きて」)必要はあるのでしょうか?「収容」するのでしたら通常に引率すればいいでしょう。戦意を失い、抵抗を止めている集団なのですから、誘い出す必要は無いと思います。 また、7~8千の兵士を、100~200に分割して収容するというのは、余りにも手間がかかりすぎると思います。最小35、最大80の集団が出来るわけですが、その1つ1つの集団に対して警備を行わなければならなくなり、非効率に思われます。 ************************************************************ 渡辺 - 01/07/02 23 57 41 電子メールアドレス 追伸:「壕」 コメント 柳。さん 01/07/02 19 20 33 「片付ける」の意味も即処刑とはいいがたいですね。 第一、処刑するのであれば「戦意を失ってぞろぞろ」とついてくる筈ないと思いますが? ふつう、逃げるでしょう。 壕、は彼らを収容するためのものだったのでは? と思います。 まず、「捕虜」とは戦意を失しなった者のことです。 「壕、は彼らを収容するためのものだったのでは? 」とのことですが、「壕」は具体的に何んだと思われてこのようにおっしゃっているのでしょうか? 壕は戦闘中に身を隠すためのもので、通常は長細く直線的ではありません。こんなところに捕虜をどうやって収容するんでしょうか?捕虜は柵で囲うか、適当な建物に収容するのが普通です。 「七、八千人」の死体を入れるには「相当大なる壕を要」する(生きたままなら、壕の長さは何キロにもなります。)のでできない。 だから「百、二百に分割したる後、適当のヶ処に導きて処理する予定なり」ということになったのです。「適当のヶ処」は文脈から「壕」のことではありませんよ。 ************************************************************ 渡辺 - 01/07/02 20 01 43 電子メールアドレス 「片づくる」の件再び コメント 柳さん 01/07/02 19 20 33 >さて、中島16師団長の日記を虐殺の根拠としてあげていらっしゃるようですが、「大体捕虜はせぬ方針」が即ち全員処刑だったというのは短絡的ではないでしょうか。 「片付ける」の意味も即処刑とはいいがたいですね。 こんにちわ、何度も同じような内容の質問がありますので、以前こちらに投稿したものを2つを再度掲載します。(捕虜収容を「片端よりこれを片づくる」と言いますかね?) ----(1)------- 「捕虜はとらぬ」方針とは、「捕虜は殺す」という意味であることは明白です。 第一六師団 中島今朝吾日記 12月13日 --------------------------- だいたい捕虜はせぬ方針なれば、片端よりこれを片づくることとなしたる(れ)ども、千、五千、一万の群衆となればこれが武装を解除することすらできず、...<一部省略> その仙鶴門付近に集結したるもの約七、八千人あり、なお続々投降しきたる。 この七、八千人、これを片づくるには相当大なる壕を要し、なかなか見当たらず、一案としては百、二百に分割したる後、適当のヶ処に導きて処理する予定なり。 -------------------------- 第一一四師団 歩兵第一二七旅団 六六連隊 12月13日戦闘詳報 -------------------------- [一三日午後二時]連隊長より左の命令を受く。 旅団(歩兵第一二七旅団)命令により捕虜は全部殺すべし。その方法は十数名を捕縛し逐次銃殺してはいかん。 -------------------------- [以上、偕行社「南京戦史資料集」に掲載されていますが、ここでは笠原「南京事件」(岩波新書)P154-155 と P156 から再引用しました。] 石川達三「生きている兵隊」より中島今朝吾日記の内容を支持する個所 -------------------------- (句容付近の追撃戦での中島師団[本文中では中島師団は高島部隊とされている]についての記述。)(今回追記:なお「生きている兵隊」は十六師団三十三連隊に取材したものです。) 「捕虜は捕らえたらその場で殺せ」それは命令というわけではなかったが、大体そういう方針が上部から示された。 [石川達三「生きている兵隊」中公文庫,1999年 P115](「生きている兵隊」は昭和13年中央公論3月号で発表されましたが、ただちに発禁になりました。) -------------------------- 「方針」はどこからきたのだろうか?一六師団長 中島今朝吾の「上部」は皇族の朝香中将、その上は松井岩根大将、その上は天皇しかいない。 具体的な方針は中島今朝吾が出したと思われますが、第十軍でも同様な命令が出されていたので、上海派遣軍だけの「方針」ではなかったようです。中島今朝吾日記の記述からはさらに上部の方針とみられるので、中支那方面軍の総責任者 松井岩根大将がこの方針を了解していたと考えざるをえません。 笠原「南京事件」(岩波新書)は是非ご一読ください。 ----(1)終わり---- -----(2)-------- 江口圭一・芝原拓自編「日中戦争従軍日記」(法律文化者)=小原孝太郎の氏の日記 ---------------- 十二月十五日 (丹陽を少し南京方向に行ったあたりの村での記述) そこに驚くべき光景にぶつかった。竹矢来で囲まれた広場の中に、無慮二、〇〇〇人の捕虜が我が軍の警戒裡にうよ[うよ]してゐるのだ。これには驚いた。後で分ったのであるが、これは南京総攻撃に於てこれだけの捕虜があったのだと。話によると、約七〇〇〇人の捕虜があったさうだ。彼等は白旗を掲げて降参したのを武装解除させたものである。 中には勿論戦闘中に捕虜になったものもあり、色々だ。 彼等の中には支那服を軍服の上に着てカムフラージュしてゐるのもあると。そこで一応しらべて、銃殺なり使役に使ふなり解放するなりするわけである。後ろの山には、銃殺された捕虜の屍体が山のやうになってゐるさうだ。 十二月十七日 (白水橋?あたりで記述 ************************************************************
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性別 牡 アルファベット表記 Happy Swing 毛色 鹿毛 馬名の由来 曲名の一種 戦績 16戦14勝(内海外5戦4勝) 主な勝鞍 ドバイDF BCマイル 香港マイル 主な受賞歴 9S最優秀4歳以上牡馬 9S最優秀短距離馬 系統 セントサイモン アニキ ヒワイナバナナ モリノヨウセイ リトルラヴバード スペシャルウィーク ビワハイジ S 日時 競馬場 R レース クラス 距離 馬場 斤量 頭数 着順 人気 タイム 9 10月1週 日 中山 11 スプリンターズS GⅠ 1200芝 良 57.0 11 6 1 1 06.5 9 9月1週 日 海外 11 Prix du Moulin de Longchamp GⅠ 1600芝 重 58.0 9 1 1 1 32.6 9 8月3週 日 海外 10 Prix Jacques le Marois GⅠ 1600芝 良 58.0 11 2 1 1 31.7 9 7月2週 日 阪神 10 プロキオンS GⅢ 1400ダ 良 59.0 16 1 1 1 23.0 9 6月2週 日 東京 11 安田記念 GⅠ 1600芝 良 58.0 18 1 1 1 31.0 9 5月1週 土 優駿 11 かしわ記念 JpnⅠ 1600ダ 稍重 57.0 6 1 1 1 34.7 9 3月5週 日 海外 11 Dubai Duty Free GⅠ 1600芝 良 57.0 8 1 1 1 31.2 9 2月4週 日 東京 11 フェブラリーS GⅠ 1600ダ 良 57.0 9 1 1 1 35.0 9 2月1週 日 東京 11 根岸S GⅢ 1400ダ 重 58.0 7 1 1 1 22.2 8 12月2週 土 海外 10 Hong Kong Mile GⅠ 1600芝 稍重 56.0 7 1 1 1 31.9 8 10月4週 日 海外 10 Breeders Cup Mile GⅠ 1600芝 稍重 56.0 6 1 1 1 31.8 8 9月3週 日 阪神 10 セントウルS GⅡ 1200芝 良 55.0 9 1 1 1 06.2 8 8月2週 土 菊花 11 クラスターC JpnⅢ 1400ダ 良 54.0 11 1 1 1 23.3 8 7月4週 日 優駿 11 3歳OP OP 1600ダ 良 56.0 9 1 1 1 35.4 8 6月2週 土 皐月 6 3歳500万下 500万下 1600芝 良 56.0 9 1 1 1 32.9 8 1月4週 日 皐月 4 3歳未勝利 未勝利 1200ダ 良 56.0 5 1 1 1 14.1 戻る(最優秀4歳以上牡馬) 戻る(最優秀短距離馬) 戻る(競伝賞9S) トップ 名前 コメント
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思01_6307t "ガザ攻撃抗議" http //www21.atwiki.jp/tohohopeacewalk/pages/168.html http //pipponan.fc2web.com/shikosakugo_01/shi-6307.htm -------------------------------------------------------------------------------- [6307]ガザ攻撃抗議 とほほ 09/2/9(月) 13 58 [6308]ハマスの先制攻撃? とほほ 09/2/9(月) 14 11 [6315]ハマスを美化してはならない。 とほほ 09/2/9(月) 18 50 [6323]Re(1) ハマスを美化してはならない。 とほほ 09/2/12(木) 10 24 [6309]反イスラエル?(裸の王様) とほほ 09/2/9(月) 14 30 [6310]イスラエルボイコット運動? とほほ 09/2/9(月) 15 00 [6311]反イスラエル運動は平和運動ではない。 とほほ 09/2/9(月) 15 21 [6318]経済制裁は戦火を拡大する、南アとは違う。 とほほ 09/2/9(月) 19 36 [6320]ボイコット運動の効果? とほほ 09/2/9(月) 21 18 [6312]イスラエルの歴史とパレスティナ問題 とほほ 09/2/9(月) 17 06 [6313]イスラエル大使追放は平和運動ではない。 とほほ 09/2/9(月) 17 55 [6314]ユダヤ陰謀論は放逐せよ。 とほほ 09/2/9(月) 18 22 [6324]中東と反ユダヤ主義 とほほ 09/2/12(木) 10 38 [6325]Re(1) 中東と反ユダヤ主義 とほほ 09/2/12(木) 19 04 [6316]パレスティナ和平のために。 とほほ 09/2/9(月) 19 02 [6319]パレスティナ和平のために(その2) とほほ 09/2/9(月) 20 51 [6321]反ユダヤ主義への警戒にたったイスラエル批判 とほほ 09/2/9(月) 21 47 [6317]日本政府・当局への働きかけ とほほ 09/2/9(月) 19 12 [6322]イスラエル総選挙 とほほ 09/2/12(木) 10 11 -------------------------------------------------------------------------------- [6307]ガザ攻撃抗議 ←back ↑menu ↑top forward→ とほほ - 09/2/9(月) 13 58 - -------------------------------------------------------------------------------- 引用なし パスワード イスラエルのガザ攻撃は、一段落しているとはいえ、現状は軍事占領下にあり、攻撃以前よりもガザの状況は悪化しています。これまでに私も色んな抗議をしてきましたが、賛同できない抗議活動に批判を加えたりもしてきました。 ここでひとまず、一連の私の言動をまとめておきたいと思います。 しかも、ブッシュからオバマへという、政権移管期の空白状態を狙って、イスラエルはこのような非人道的報復を行ったのでしょう。 私はとりあえず駐日大使館なら翻訳する人もいるだろうと考えイスラエルとアメリカ大使館に以下のようなFAXを送りました。 FAX番号は以下の通りですので、皆さんもとにかく送ってみてはいかがでしょう。 私の文面を雛形にしてもよいし、「こんな抗議文はおかしい」と言う人は自分で考えて、、、(^^; ○駐日アメリカ大使館 FAX 03-3505-1862 J・トーマス・シーファー駐日米国大使 ○駐日イスラエル大使館 広報室/文化部 FAX 03-3264-0792 日イスラエル特命全権大使ニシム・ベンシ -------------------------------------------------------------------------------- イスラエル軍によるガザ市民に対する無差別爆撃への抗議 私は日本の広島に住む1市民で、米国での9.11同時多発テロ事件以来、歯止めの効かなくなった、中東アラブ民衆に対する、欧米社会やわが日本を始めとした国際社会の暴力を常日頃から憂慮していたものです。 本日、驚くべきニュースが飛び込んできました。第1報は「イスラエル軍がガザ地区に対してハマスへの報復として空爆を行った、200名以上が死亡した」というものでした。 この時期に、どこのだれがこのニュースを額面通りに受け取るものでしょうか? 私たちは、9.11以降、歯止めの効かなくなった現状に対して、米国の新大統領に大きな期待を寄せている矢先でした、「オバマ氏ならきっとこの暴力の連鎖を食い止められる」との期待に胸を膨らませていたこの時期に行われたイスラエルの空爆なのです。この空爆は決してテロに対する怒りの報復などではなく新米国大統領に対する政治的メッセージ以外の何者にも見えません。 しかもインターネットを飛び交う情報は(政治組織や政府機関、報道機関の情報では無く、ガザに住む平穏な生活を望み穏健に暮らしている人たちの悲鳴とも呼べる情報のことです)、ガザに対する無差別爆撃を示唆しています。 このような政治的メッセージのための無意味な大量虐殺を直ちに中止してください。皆様方の国家指導者であればこのメッセージを理解するに十分な賢明さを備えているはずです。この攻撃は無意味です。直ちに中止し援助活動を開始してください。国際社会はこの事件を真剣に注視しています。 駐日イスラエル大使館 駐日イスラエル特命全権大使ニシム・ベンシトリ 殿 駐日アメリカ合衆国大使館 J・トーマス・シーファー駐日米国大使 殿 広島県広島市安芸区矢野東6-5-16-204 082-889-0353 平 志朗 -------------------------------------------------------------------------------- 269 hits -------------------------------------------------------------------------------- [6308]ハマスの先制攻撃? ←back ↑menu ↑top forward→ とほほ - 09/2/9(月) 14 11 - -------------------------------------------------------------------------------- 引用なし パスワード いくら勉強してもきりがないので、どこかで意見を言うことは否定できないと思う。 なので敢えていいますが、どのようなことを勉強した結果、ハマスの先制攻撃をスルーしてイスラエルの報復だけを攻撃できるのか、その根拠を教えてください。そのような根拠があるなら、「歴史を勉強しなさい」と言う前に、端的に指摘すべきではないですか?それが誠実さと言うものでしょう。 **さん、そんなことはどうでもいいのですよ。とにかく今行われている暴力をとめさせることが先決でしょう? 矢野さんがそう思うのであれば、矢野さんが思う抗議文の雛形を作るなりしてみんなに呼びかけたらよいのです。矢野さんに賛同する人はそうするでしょう。私もハマスのテロは承認しませんししてません。 テロに軍事行動を起こしてはならないのは一次大戦以来の世界の教訓です、しかしブッシュ政権以降「テロとの闘い」が公認されてしまったのです。 「テロとの闘い」と言う言葉にはそういう歴史的意味合いも強いのです。 ハマスをテロとみなすか、国家政権と承認して軍事行動とみなすのか、矢野さんに応えるためにはもう少し議論が必要ですが、そんなことを言っている場合じゃないでしょう? 最初の攻撃がどちらでしょうか?どちらが悪いのでしょうか?などと関係ないのです、今行われている暴力を止めさせるのです。 217 hits -------------------------------------------------------------------------------- [6309]反イスラエル?(裸の王様) ←back ↑menu ↑top forward→ とほほ - 09/2/9(月) 14 30 - -------------------------------------------------------------------------------- 引用なし パスワード イスラエルの行為に「理解を示す」のは、かつての日本のアジア侵略に理解を示すのと同じことですよ。 これは、多少違うと思います。 イスラエルの民(ユダヤ人)はある意味、ユダヤ陰謀論と反ユダヤ主義によってイスラエルの地に二次大戦後強制移住させられたのです。それを行ったのは国際社会です。責任は国際社会とシオニストにありますがユダヤ人にはありません。 日本の侵略戦争の責任は日本と日本人にあります。 私は思うのですが、今回のマスコミ報道の問題点はここにもあると思うのです。 マスコミのインタビューに答えるイスラエル市民は皆同様に「ガザ攻撃を支持する」という証言をしている人ばかりを放送してますし、世論調査も支持していると報道してます。これも確かなことかもしれません。 だからどうしても「イスラエル人」への共感が薄れていきます。まあ事実は事実なのでしょうから仕方が無いのでしょうが、イスラエルを孤立させてはならないと思います。 でも、イスラエル人の意思は報道とは私は違うと思うのです。ある意味現代のイスラエル人は「裸の王様に支配された民衆」です。 これは加藤典洋という人の書いた「日本の無思想」と言う本に書いてあった「裸の王様」の解釈なのですが、、、。 王様が裸であることは皆知っていたのだけど、それを口にすることがはばかられるので皆黙っていた、しかしある少年が「王様は裸だ」と叫んだことで、皆もそれを声にすることが出来たのだ、と言う解釈もあるし私なんかもそういう物語だと思ってました。 でも、そうではないのだ、と言うのが加藤典洋さんの解釈では、皆は「王様が裸に見えているのは自分だけだ」と思い込んでいたのだ、というのです。つまり自分以外の他の人間には王様の豪奢な衣服が見えているのだけど自分だけが見えない、このことを皆に気づかれたくない、と言う自己防衛が事実を語れなくさせているのだというのです。 今のイスラエルの人たちだって同じだと思うのです。皆が絶対におかしいと思っているはずです。なぜなら我々と同じ人間だからです。でもイスラエルの人皆が、「今のイスラエルの行いが悪いと思っているのは自分だけだ」と考えて真実が語れなくなってしまっているのではないでしょうか?。 214 hits -------------------------------------------------------------------------------- [6310]イスラエルボイコット運動? ←back ↑menu ↑top forward→ とほほ - 09/2/9(月) 15 00 - -------------------------------------------------------------------------------- 引用なし パスワード in article "[*** 23007] パレスチナ市民社会からのボイコット呼びかけ" **** wrote 1.アラブの人々の土地に対する占領と植民地化の一切を終わらせること、そして壁を撤去すること、 アラブの人々の土地を占領から解放すると言う意味は、イスラエルが現在所有している土地をパレスティナに返還すると言う意味でしょうか? 2.イスラエル内のアラブ=パレスチナ人市民の基本的な諸権利を、完全に平等なものとして承認すること、 これには無条件に同意賛同します。 3.国連決議194号に明記されている通り、パレスチナ人難民たちが自らの家に帰還し、財産を取り戻すという彼らの権利を尊重し、保護し、そして支援すること、である。 これは現在イスラエル人民が所有している土地財産を、放棄せよ。ということでしょうか? 質問の趣旨を説明しておきます。 国連は国連決議181号決議において、明確にパレスティナの土地を2分割しイスラエルの生存権を認証してます。 一方、今回の呼びかけで指摘された194号決議は上記の181決議を撤回したものではなく、181決議と全く矛盾する内容を決議しており問題が多いことは中東問題に携わるものであれば常識です。181決議もユダヤ人の生存権を保証したもので守られなくてはならない決議です。 イスラエル支援企業ボイコットは194決議のみを一方的に提示しておりますが、もしこれが「イスラエルの軍事行動抗議の意思表示」と言うことであれば賛同しますが、論調が経済制裁も視野に入れた胡散臭いものとなってます。 「戦争犯罪」の意味やボイコット運動の意味をかなり誤解されているようです。 ボイコットについては、先ほど投稿しました[AML 23007]のパレスチナ市民社会からの対イスラエル・ボイコットの呼びかけを熟読いただければと思います。 重ねてお尋ねしたいと思います。 パレスティナ市民社会からの要請はもちろん友人である我々は十分に熟慮し共感し彼らの人権を全力で守らねばならないものです。しかしこれは例えるのであれば犯罪被害者家族に対し十分な共感と援助と共感を示すのは当然ではあるものの復讐を思いとどまらせることも友人としてつらくとも行わねばならないことであります。 しかし、もう一人のかけがえの無い友人であるイスラエル市民社会の安全と権利も我々は十分に視野に入れておかねばなりません。 経済制裁の成功例として都度都度南アフリカの例が引き合いに出されますが、これは唯一うまくいった例にすぎず、しかも南アフリカの国内問題でありますので当事者として対象となった主権は一国です。 しかし国家主権の対立する状況下においては経済制裁はなんら効果を挙げた例はありません。経済性や国際社会からの孤立化はますますイスラエル国内の御馬鹿勢力を付け上がらせ、イスラエル市民は一丸となって国難に立ち向かうことでしょう。 私たちには「怒り」は当然必要で、イスラエルに対する厳重抗議も必要で全力でこの暴力を止めさせる地球市民としての義務があります。しかし私たちが友人として介入すべきは暴力追放に対してであり、両者の生存権も十分に視野に入れておかねばなりません。 安易な経済制裁の発動はヒズボラやハマス、アルカイダといったイスラム原理主義カルトへの同調へも繋がることを懸念しているのです。 222 hits -------------------------------------------------------------------------------- [6311]反イスラエル運動は平和運動で... ←back ↑menu ↑top forward→ とほほ - 09/2/9(月) 15 21 - -------------------------------------------------------------------------------- 引用なし パスワード あなたが反対だと言うのはあなたの自由だが,ボイコット運動をやろうとしている相手=組織を捕まえて言う以上、ではそれ以外になにが具体的にできるのか、明確な対案を出すべきです。 そりゃ、自民党の理屈と一緒です(笑) やっちゃいかんことはいかん、と言っているのです。やってはいけないことの代替案なんか必要ありません。大体どっかのアホが何をいっているか知りませんが同じにせんように、、、。 パレスティナや中東のアラブ社会を取材するフリージャーナリストがどうしてもアラブ諸国人民に肩入れしていくことや反ユダヤ主義に傾倒していくことは十二分に理解できますし木村愛二氏などはかわいいくらいにその典型でしょう。 中東問題は我々50歳代60歳代の人間にとっては自分の人生とその歴史がほぼ重なります。学生の頃からその議論に口角泡飛ばしてきたことです。ブッシュ以降におけるパレスティナ問題はブッシュが9.11の報復としてアフガニスタンを攻撃したことで、絶望的な気分になってしまったことも事実です。 しかし、中東の平和運動はもうすでに反イスラエルの立場を明確にして行われることが、あなたが言うように事実なのであれば、残念ながら**なんとかとか**なんとかの言うとおり「日本の平和運動はおしまいだ」と言う主張を認めざるを得ませんが、私はあきらめません。 いろんな署名運動や要請の中で注意をしておかねばならないのは、この部分です、皆さん。こういうことはチベット問題も同じことです。対立を煽る要請には慎重に、、、、。 平和運動が行うべきことは、暴力否定、軍事行動否定です。経済制裁と言うのは軍事行動を前提にしないかぎり全く効果はありません。 また、もしイスラエルがひどすぎるから少しパレスティナの暴力を強化したほうがよい、なんて考える人がいたら、その考え方こそが中東問題をこじらせているのだと言うことを自覚した方が良い。 イスラエル社会の人たちが理解できない、なんてことは日本に住んでいる我々であれば理解できないことはないと思います。 北朝鮮がもしロケット弾を数発打ち込んできたら「拉致問題」でヒステリックに戦争を煽る連中がどれだけ飛び上がって喜び勇みあがるか、現実にそういう連中が権力に入り込んでいくか、容易に想像できますでしょう? 日本は、イスラエルのように北朝鮮にひどいことをしていない? もしこう考える人がいるのであれば、まさに「イスラエルの人々もアラブの現状を理解していない」と考えることに無理なく理解が出来ると思います。 拉致事件が頻発していた時期は「日本は北朝鮮と戦争していたのですよ」知らなかったでしょう?今のイスラエルの人々も一緒です。これだけインターネットも発達した情報社会でイスラエル人が知らないはずがない? 日本人は六ヶ国協議から全くはじかれており歴史認識問題のおかげで国際社会でほぼ信用失い、どこからも相手にされていないことを誰も知らないでしょう? 9.11事件直後、アメリカの報道番組でパレスティナの高校生とイスラエルの高校生とアメリカの高校生の討論番組をやっていたのを覚えてます。非常にしっかりとした平和主義に根ざした発言をその高校生たちはしていたのを覚えています。その年代がそろそろ30歳代になります。まだまだ希望はあります。 -------------------------------------------------------------------------------- お勧めしたいサイトです。 ご紹介のサイト勉強になりました。 特に「パペから学ぶ歴史認識と多文化共生」と言うページのパペ氏の論説には感銘を受けました。 歴史を正しく認識することがこそが平和に繋がるものなのだ、ということが良くわかります。 以下はその一部です。皆様にもお勧めしたいです。(メール用、また文字化け防止用に段落改行等編集してます) パペ氏の研究の専門は、48年のイスラエル建国をめぐる国際政治史、およびパレスチナ社会の破壊に関する実証史研究です。イスラエルの国家的「正史」は、「世界に離散するユダヤ人が荒野のパレスチナに結集し、自らの手で土地を耕しゼロから国家をつくった」というものであり、建国にまつわる暴力性は完全に隠蔽されています。 しかし実際には、500にも達する数のパレスチナ人の村が48年前後に破壊され、100万人ものパレスチナ人が虐殺・追放されたとも言われます。つまり、イスラエル国家はパレスチナの村々の廃墟の上に建てられたというわけです。この相対立する歴史観は、イスラエルにおける「歴史修正主義論争」として知られ、1990年代に活発化しました。 パペ氏はこの論争のなかで、もっとも厳しくイスラエルの正史を批判した歴史家であると同時に、イスラエル国家をユダヤ人だけの独占物にしようというシオニズムを断固として批判する「反シオニスト」の論客でもあります。ユダヤ人のパペ氏は、このために「裏切り者/非国民」というレッテルを貼られ、イスラエル国内では窮屈な思いをさせられていますが、しかしアラビア語にも堪能な彼は、それゆえに他の群を抜いた歴史検証の厳密さからイスラエルの正史批判を行なっており、その研究能力・言語能力によって多くのパレスチナ人の友人を得ています。 -------------------------------------------------------------------------------- それは、これらの企業がイスラエルという抑圧的侵略国家を積極的に支援しているという事実と、それはおかしいということを広く知らしめることにある、と私は思います。 そういうことであれば、賛同しても問題はないと思います。これは質問しているだけですから。 ただ、南アフリカなどを例に出して経済制裁を視野に入れた要請をそのまま引き受けることは危険だと思います。 221 hits -------------------------------------------------------------------------------- [6312]イスラエルの歴史とパレスティ... ←back ↑menu ↑top forward→ とほほ - 09/2/9(月) 17 06 - -------------------------------------------------------------------------------- 引用なし パスワード これは181号決議を撤回してもいないし、矛盾もしないと思いますが。 181号決議がパレスチナにおける「ユダヤ人国家」の設立を認めたからといって、その領域内に住んでいるパレスチナ人の土地や財産を奪って彼らを追放しても良い、などと言っているわけではないでしょう? すみません、確かに私の書き方だとそういう意味になってしまう、と考えていたところですので書き直します。 181決議でイスラエルの生存権を認めたが、当然アラブ人民に納得のいくものでも無くイスラエルはイスラエルで無視して侵略を広げているわけです。アラブもイスラエルも、つまり合意されていない、合意されていないところへ「帰る権利」も何もないのではないですか、矛盾です。アラブの人たちは侵略は不当だと訴えている段階での決議であり、イスラエルの生存権を認めることでユダヤ難民と言う厄介者を処理した国際社会はその決議により発生したパレスティナ難民という厄介者をイスラエルに押し付けたわけです。イスラエルは既に何十万人ものユダヤ難民を受け入れているわけです、その上パレスティナ難民の面倒も見よ、と言う国際社会の命令です。 パレスティナ問題の大きな問題点の一つがパレスティナ難民の問題です。パレスティナ難民はイスラエルの支配が嫌だから難民なのです。帰還権云々ではなくて国際社会が彼ら難民に対して最大の責任があります。 イスラエルを悪者にして難民を押し付けるのは不当です、最大の悪者は国際社会とシオニストです。シオニズムと言うのはある種の思想で特殊なわけではありません、日本人はそういう意味ではユダヤ人より根深いシオニズムの持ち主です。 -------------------------------------------------------------------------------- パレスチナ難民たちは、ユダヤ国家イスラエルが嫌いだから出て行ったのではなく、土地を奪われて強制的に追放されたり、虐殺を逃れて避難していったわけでしょう? ここです。181決議と言うのは「ユダヤ国家・ユダヤ人の国」を認めてしまったのです。これの業罪をどう評価するかと言うことです。 「民族自決・国民国家」の概念がもっともその悪性を示す部分です。 確かに**さんのおっしゃることはわかるのですよ(^^ゞ そうした罪を裁き責任を取らせる、差別政策を撤廃すると言う考え方も反論はない、でも私はユダヤ国家にパレスティナ人が残っていたとしたら、帰還したとしたら、もっと大きな紛争や虐殺、アラブ人とユダヤ人の殺し合いがあったと思います。 アラブ人を虐殺したのはイスラエル国家だけではない、ユダヤ入植者のテロリスト集団もそうです、そうしたテロリストがイスラエルの権力の中枢にももぐりこんでいった。 アパルトヘイト撤廃を成功例と言うけど、もし現状が成功した状態だと仮定したとしても、この問題だって諸手を挙げて万歳できるほど犠牲を出していないわけではありません。アパルトヘイト撤廃直後は南アフリカの色んなニュースが流れたので経済の停滞による治安の悪化、そうした中で白人社会・黒人社会双方で多大な犠牲が出ました。 イスラエル・アラブ人民・国際社会人民の中にパぺ氏のような国家概念が生まれるまでは、難しい、、、。(もっともこれは私が国民国家に失望しているだけなのかも) 私が前田朗さんにやっつけられるのはこの問題の時なのです。 「国際法に実効性があれば、中東問題はとっくに片付いている」と言う発言をしてしまう。今でも納得はしてない、頑張って勉強しなくては、、、。 -------------------------------------------------------------------------------- イスラエルは” イスラエルはその国家の成立から、私にとっては敵です。”と書いた方がいますが、そもそも、ユダヤ人にイスラエルを建国せざるを得ない状況に追い込んだのはドイツでしょう。 イスラエル建国の責任は100%ドイツにあります。 私もイスラエル建国の責任をイスラエルにだけ押し付けるのは不当だと思いますが、ドイツが100%責任があるという認識はちと欧米社会にある反ユダヤ主義に対する認識不測ですね。 映画の話で恐縮ですが、シンドラーのリストのラストシーンでソ連軍が収容所を解放したと告げに来ます。それを聞いたユダヤ人たちが「これから私たちはどこに行けばよいのでしょうか?」とそのソ連軍の兵士に聞きます。兵士は「この先に町があるよ、ただ、私の知る限りでは君らが行く場所は世界中のどこにもないね」と答えるわけですが、印象的ですよね。 二次大戦の終戦後多くのユダヤ難民が発生しました。終戦直後はパレスティナ地域はイギリス領です。パレスティナを目指したユダヤ難民をイギリスは追い返したのです。このことでイギリスは国際的な非難を浴びます。イギリスはすねてしまい、じゃ後は知らん、ということで国連に任せて統治を放棄します。 国連はパレスティナの土地をアラブ人から取り上げてユダヤ国家を認めます。そのようにして厄介者のユダヤ難民を処理しました。 従ってイスラエル建国の責任は、国際社会全体にあります。国際社会は真剣にこの問題を解決する責任があり、パレスティナの人々への迫害に対する責任もイスラエルとともに背負わねばなりません。 イスラエルはその国家の成立から含めて敵であるとは、この国際社会の行いをも含めて人類に対する敵対思想が敵である、と言っているのではないでしょうか? #余談:パレスティナと言うナショナリズムもイスラエル建国後に出来たものです。もともとパレスティナと言う民族は存在しません。パレスティナと言う国名はイスラエルに対する批判的な国名なのだそうです。 201 hits -------------------------------------------------------------------------------- [6313]イスラエル大使追放は平和運動... ←back ↑menu ↑top forward→ とほほ - 09/2/9(月) 17 55 - -------------------------------------------------------------------------------- 引用なし パスワード この二人が名誉領事を辞退せざるを得ないところまで、圧力をかけることができれば、ヴェネズエラのイスラエル大使国外追放に次ぐ快挙ということになるのではないでしょうか??? 領事が辞退するほどのプレッシャーを欠けるべきだとは思いますが、ベネズエラの大使追放に関してもう少し詳しい情報が必要ですね。ベネズエラはイスラエルから大使を引き上げたのでしょうか?となればこれは国交断絶を意味しイスラエルに対する宣戦布告の前哨になります。 「パレスチナの平和を考える会」がどのような会であるかは知りませんが、大使追放を快挙などと言っていてはパレスティナに決して平和は訪れません、さらなる戦火の拡大を意味します、断言しておきましょう。 日本は決してイスラエルとの交渉窓口を追放してはなりません。和平とは暴力を排斥し外交交渉で問題を解決することです。その交渉窓口をふさいでしまったら戦争するしかありません。過去の戦争すべてがここから始まってます。 -------------------------------------------------------------------------------- さて、貴社の発行されているガイドブック「地球の歩き方」のシリーズでイスラエル編が発行される予定であることをホームページにて知りました。ホームページ上の情報によれば、「世界遺産やイエスの足跡、スパ&リゾートなどイスラエルの知られざる魅力」とありますが、「イエスの足跡」の多くはイスラエルではなく、パレスチナ被占領地にあります。この一例をもっても、「イスラエル編」の内容が、イスラエル政府による一方的な情報宣伝のバイアスを受けているという懸念を私たちは強く持たざるを得ません。 イスラエル(エルサレム)は私不良カトリック信徒にとっても聖地です。私の家族でエルサレム巡礼に行っていないのは私だけという不良信者ですが、現実にイスラエル編に記されているイエズスの足跡に嘘があるのですか?私も海外に行く時にはこのシリーズを参考にすることが多いのですが、イスラエル大使館のホームページを見ても嘘は書いてありません。確かにガリラヤ地方などイエズスにゆかりの地域で占領地となっていることも多いんですが、そもそもイスラエル全土が占領地です。 こういう運動には意味がないと考えます。 207 hits -------------------------------------------------------------------------------- [6314]ユダヤ陰謀論は放逐せよ。 ←back ↑menu ↑top forward→ とほほ - 09/2/9(月) 18 22 - -------------------------------------------------------------------------------- 引用なし パスワード 現在のパレスチナ情勢については、現地の状況が心配ですが、それとともに国際政治全体の中で今回の問題がどういう意味があるのか、考える必要があると思います。私は、21世紀前半の世界の平和の最大の課題は、中東大戦争と中華覇権主義の膨張を阻止することにあるのではないか、という仮説をたてていますので、現地の悲惨な状況を強調するだけでは不十分と思います。最近読んだものの中では、以下の田中宇氏の論文(1月13日号)がピカ一です。田中氏の論旨に私は全面的に賛成です。 http //search.jword.jp/cns.dll?type=lk fm=127 agent=11 partner=nifty name=%C5%C4%C3%E6%B1%A7%A4%CE%B9%F1%BA%DD%A5%CB%A5%E5%A1%BC%A5%B9%B2%F2%C0%E2 lang=euc prop=500 bypass=2 dispconfig= 田中氏も触れていますが、世界のユダヤ人の中で動揺と分裂が始まっています。 田中宇氏のメルマガは私も欠かさず目を通しており氏の慧眼には驚かされることも多いですが、氏はユダヤ陰謀論には以前からかなり傾倒してますので、注意が必要です。 再度、ユダヤ陰謀論の馬鹿馬鹿しさを指摘しておきましょう。確かにフランス革命により解放されたユダヤ人は世界経済の中枢で大きな力を持つようになりました。しかし、それって財閥の論理と同じことなのです。 例えば日本の各財閥にしろ、これは言ってみれば、ある一族に支配されていることはAMLの皆さんであればご承知でしょう。その一族の中から政界・財界の大物は出現しております。これが世界的な規模(特にアメリカ)で力を持つのがユダヤ資本です。 しかし、だからと言って日本の資本が世界で力を持つようになったとして「日本人の陰謀」なんていうのは変でしょう?これらの資本はそれぞれに特殊な経済構造の上に成り立っており自己の資本力を維持するためにはこの経済構造を維持する必要があり、その為に資本は連帯します。日本なんか資本の連帯と言う意味ではユダヤ資本の比ではないですよ。 ユダヤ陰謀論が邪悪なのは、ユダヤ人たちの陰謀、としている妄想であることです。このことにより、イスラエル問題は発生しているのに、相も変らぬユダヤ陰謀論には辟易します。そうしたユダヤ人への偏見がどれだけ多くの悲劇をもたらしてきたか、イスラエルvsパレスティナ二元論に陥ってしまうとすぐに忘れてしまう。 イスラエル糾弾は反ユダヤ主義の邪悪への反省の上に立って行われねばなりません。 ユダヤ人というナショナリズムはあってもユダヤ民族というものは存在しません。自分たちが先祖から受け継がれた文化や宗教を根拠にユダヤ人を名乗っているのです。エチオピア飢饉の時、エチオピアの多くのユダヤ難民をイスラエルは自国に引き取り輸送してきました、黒いユダヤ人として有名な話ですよね? 陰謀論を平和運動に取り入れてはなりません。 230 hits -------------------------------------------------------------------------------- [6315]ハマスを美化してはならない。 ←back ↑menu ↑top forward→ とほほ - 09/2/9(月) 18 50 - -------------------------------------------------------------------------------- 引用なし パスワード (ジャーナリストが締め出されているのだから已む無いとしても)、いつ取材したか分からないイスラエルの垂れ流した覆面ハマースの訓練場面を繰り返し映し出す手法。あたかもハマースが「テロリスト」の代表であるかのように。 イスラム原理主義テロリスト集団であることには代わりがないでしょう。 これと同じ場面を、かつても観たことがある。9・11直後のアフガニスタン侵攻のときのアルカイダ、そしてイラク戦開始時のフセイン「幻の大量破壊兵器」のときである。 犯人がアルカイダであるのか、フセインであるのかは別問題であり、テロリストが存在しテロが行われたことは紛れもない事実です。 アメリカもイスラエルも、「敵」を徹底的に悪の象徴として喧伝する手法は、インターネット時代の今日、ナチのゲッベルスを百万倍も凌いで全世界を覆う。 日本の大東亜戦争正当化論者も同じことを行ってます。 ●イスラエル・プロパガンダの三点セット・フレーム 1、ハマース(あるいはヒズボラ)やパレスチナ民衆の攻撃からイスラエルは「自国を防衛する」権利がある。 2、停戦を破棄しカッサムロケット弾でイスラエル民間人を攻撃しているハマースが悪い。 3、「国際テロリスト」ハマース、ヒズボラ、イランはイスラエル国家を認めず「地図上から抹殺すべし」と言っている。 これはいずれも事実でしょう? 事実から目をそむけていたのでは正しい判断は下せませんよ。 BBC、CNN、NHKのビッグTV局、大手新聞など世界の巨大メディアは、この三点セットの枠組み(フレーム)の中でガザ空爆やパレスチナ問題を報道・放映している。 問題は、これです。 マスコミ報道に客観性がないということです。上記のテロの事実を踏まえた上でイスラエルの軍事行動には正当性はない、と言う主張をしなくてはなりません。 ハマスなんてのは、ガザ市民を盾にしている卑怯者テロリスト集団です。ハマスはイスラエルと戦争しているからこそ力を持ったわけです。ハマスにとってもイスラエルとの戦争は止められない構造になってます。和平など実現したらハマスを支持するパレスティナ人なんていなくなってしまい、権力を維持できない、だからこそハマスも戦争をしたいのです。 -------------------------------------------------------------------------------- しかしホワイトハウスの報道官はエジプトの停戦案にハマースを同意させる可能性に疑問を呈し、ハマースの実際の行動を見守るよう求めた。 アメリカはアホか、ハマスの真意を確認するのがまず先決だろう、行動を見守ることは停戦後であっても当たり前の話だ、停戦後に行えばよい話しだ。エジプト案へハマスが合意するはずがない、と決め付けている、ということはアメリカは合意の可能性がないエジプト案を支持し、停戦を呼びかけている、と言うポーズをとっているだけ、ということだ。ハマスの条件を検討すべきだ。こういうコメントを出すのは停戦の意思がないことの証明だ。ハマスが民主主義の敵であることは間違いはないが、停戦はまず第一の目的とすべきだ。 アメリカ大使館にもさらに抗議文を送りつけてやろう -------------------------------------------------------------------------------- まさか、アメリカやイスラエルが民主主義国家だからそれに抵抗するハマスが非民主主義だ、とは言わないでしょうが・・・・・・。(笑) もちろんです。(^^; 私は民主主義を達成している国家はまだ世界中に出現してはいないと思っていますから、イスラエルやアメリカ、特にイスラエルなどが民主主義国家だとは考えてません。 ハマスの思想的根幹をなす、イスラム原理主義が民主主義の敵であるのです。これはタリバン、ヒズボラ、アラブ諸国の王政の例を見れば明らかです。 個人資産で世界一の金持ちはどこにいるのかご存知ですか?確かギネスブックによるとアラブ首長国連邦のどっかの王様だか王子様ですよ、その資産はその国の国民総生産の90数%です。 私はアラブ諸国体制は民主主義の敵だと認識してます、が、アメリカが民主主義を代表する国家だとも認めてません。民主主義と言うのは絶えざる民主主義への敵への警戒が必要で、イスラエルもアメリカも日本もその敵に支配されています。 アラブ市民の「これが、アメリカの言う民主主義なのか?」と言う悲鳴に対しては、私たちは自信をもってこう答えたらよいのです。「違う、そんなものは民主主義ではない、民主主義とは自由・平等・博愛の精神を持って、人民が主権をもち国権を司るという思想のことです」とね。 217 hits -------------------------------------------------------------------------------- [6316]パレスティナ和平のために。 ←back ↑menu ↑top forward→ とほほ - 09/2/9(月) 19 02 - -------------------------------------------------------------------------------- 引用なし パスワード イスラエルの暴力に暴力では対抗できない、更なる戦火の拡大を招くだけあることはわかりすぎるほどにわかっているはずだ。 しかしながら、復讐原理からの脱却は中々難しいようだ。 たとえばパレスティナを支援する、と言う名目で平和運動を名乗る団体の中にもイスラエルに制裁を、ボイコットを、と呼びかけるものも少なくない。これらの精神性の貧困さはどこから来るのだろう。おそらくは自身の無力感の裏返しであり無力感に対するエクスキューズに過ぎない。 南アフリカの例が、今回の紛争と全く異質なものであることは自明である。南アフリカのアパルトヘイト体制は南アフリカと言う国内の問題でありしかも少数派が体制を掌握していたもので、民衆は経済制裁という暴力を受けたとしてもアパルトヘイト体制の転覆を望んだからこそ実現できたのである。つまり、南アの例は反体制側も経済制裁による暴力に甘んじたのである。 イスラエル制裁はそれとは全く違う、この制裁はパレスティナ民衆に対する制裁ではない、つまり利害が対立する主権同士の争いにおける一方に対する制裁なのだ。イスラエルが悪いだのハマスが悪いだのの議論に意味はない、目の前で殺されていく人々、殺している人々を止めることが目的なのだ、イスラエルに制裁を加えたところで何の効果ももたらさない。 実際にイスラエル市民の8割がガザ攻撃を支持しているのである。 南アの場合は、ほとんどの民衆がアパルトヘイト撤廃を望んでいたのである。 この違いもわからずに本気で経済制裁を求めているのだろうか、だとしたら愚の骨頂である。事実から目をそむけて、自分自身の良い訳の為に経済制裁などと愚かなことを言う、経済制裁が平和的手段などと言う主張がダブスタであることは、イスラエルのガザに対する経済制裁がどれだけのパレスティナの人々を殺害してきたのか、、、。 その南アの例にしても、決して血が流されなかったわけではない、黒人社会、白人社会双方で多大な犠牲がでたのである。 イスラエルへの経済制裁が平和的闘争だと言う人は、そこで流される血に対しては無責任に言い逃れるのだろう、「イスラエルが悪いからだ」、と言い訳も出来るのだろう、しかし経済制裁で真っ先に死んでいくのは子どもや弱者たちである。 イスラエルへの経済制裁が平和的闘争だと言う人々は、イスラエルが行ってきたガザへの経済制裁も平和的手段だと認めなくてはならないだろう。 つまりは、彼らの価値観はイスラエルの体制と同じものなのだ。 が、しかしそれほど、馬鹿でもあるまい、この違いに気が付かないはずがない、「自分は頑張っているぞ、パレスティナのために闘っているぞ」と言う身勝手な自己満足にしか過ぎない、その結果がいかなる災厄をもたらそうと自分が満足できれば良いのである、無責任な精神の貧困さである。 196 hits -------------------------------------------------------------------------------- [6317]日本政府・当局への働きかけ ←back ↑menu ↑top forward→ とほほ - 09/2/9(月) 19 12 - -------------------------------------------------------------------------------- 引用なし パスワード ◆日本政府が、決議の履行、とりわけガザへの国際調査団派遣を緊急に実現するために積極的に動くよう、外務省や各政党に働きかけて下さい! 以下のような、要請文を添えて国連人権理事会決議を送付しました。 国連決議の実行を要請します。 中曽根弘文外相殿 志野光子人権人道課長殿 小沢一郎(民主党代表)殿 鉢呂吉雄(民主党ネクスト外相)殿 犬塚直史(民主党ネクスト外務副大臣)殿 志位和夫(共産党委員長)殿 福島瑞穂(社民党党首)殿 田中康夫(新党日本代表)殿 太田昭宏(公明党代表)殿 綿貫民輔(国民新党代表)殿 日本国政府は栄えある平和憲法制定国家として、次に送る2009/01/12国連人権理事会決議に従った行動を、積極的に、世界的リーダシップをとって、迅速に実行してください。 国際社会ではイスラエルとの国交を断絶する国まで出現しております。また、国際世論は一斉にイスラエルを非難しており、中には制裁も辞さない、と言う非常に緊迫した状態にあります。 しかるに日本では、この重大な人間にとって今世紀最大のホロコーストに対して、第2次大戦時と同じように「同盟国がやっていることだから」との理由でマスコミは何も報道せず、報道しても日本の同盟国でありイスラエルの支援国であるアメリカに追従し、イスラエルとハマスのテロによる暴力の連鎖であるがごとき印象操作プロバガンダ報道を政府とマスコミが翼賛体制下のごとく行っている始末です。現実には例え、イスラエルの軍事行動がハマスへの報復を口実にしたものだとしても、すでにそうした口実は有名無実である戦争状態に突入し、ガザ市民の無差別虐殺の様相に至っていることは明白です。 今こそ、憲法9条を持つ国家としてふさわしい行動を取るべきときであります。 アメリカに追従して軍隊を派遣することが国際貢献ではありません。日本政府が真に国際貢献を望むのであれば、この国連人権理事会決議を世界に先駆けて日本が行動することを要請します。 住所 氏名 電話番号 196 hits -------------------------------------------------------------------------------- [6318]経済制裁は戦火を拡大する、南... ←back ↑menu ↑top forward→ とほほ - 09/2/9(月) 19 36 - -------------------------------------------------------------------------------- 引用なし パスワード 20年前、南アフリカから多くの企業を撤退させた背景には、このような冷たい商業的計算がある。パレスチナにおいて、あまりにも長い間拒否されてきた正義に至る、私たちの最も現実的な希望を形作るのは、まさに、このような計算である。 つまり、イスラエルがそうしてきたように我々も経済制裁でイスラエル人の子どもを何人か殺せば、シオニストも反省して態度を改めるだろう。と主張しているわけですね? イスラエルの経済制裁でパレスティナ人は屈服しましたでしょうか? ハマスの暴力を正当化しているのは、イスラエルの経済制裁への反抗である、と言う理屈ではなかったのでしょうか? それなのになぜイスラエルへの経済制裁でシオニストが屈服すると考えられるのでしょうか?完璧な論理矛盾ではないですか? 完璧な復讐原理に基づく主張なのではないですか? 南アフリカの例にしても、論点そらしです。 「南アフリカとは状況が違う」と言う主張は、アパルトヘイト体制とシオニズム体制は違う、と言う主張ではありません。南アフリカへの経済制裁とイスラエルへの経済制裁は構造が異なる、と言う主張です。 しかしナオミ・クライン氏の反論は「アパルトヘイト体制とシオニズム体制は違う」と言うことに反論しており、その二つの体制は同じものだと反論しているのです。 「南アフリカとは状況が違う」と言う主張はそんなことを論点にはしてません。 南アフリカへの経済制裁は構造が異なるので効果がない、と言う主張です。再度、論難しておきます。 ○南アでは、南アフリカ市民のほとんどがアパルトヘイト体制の転覆を望んでいた、だから南アフリカ市民は経済制裁という暴力を甘んじて受け入れた、だから経済制裁が効果を示してアパルトヘイト体制転覆に成功した。 ○イスラエルの場合は8割以上のイスラエル市民がガザ攻撃を支持している、このように二国間の利害が対立する状況下での制裁はなんら効果をもたらさないばかりかさらなる戦火の拡大に繋がる、効果をもたらさないことの証明がパレスティナ人がイスラエルの経済制裁に屈服しない、と言う現実ではないか。 210 hits -------------------------------------------------------------------------------- [6319]パレスティナ和平のために(そ... ←back ↑menu ↑top forward→ とほほ - 09/2/9(月) 20 51 - -------------------------------------------------------------------------------- 引用なし パスワード 犯罪が発生し、犯罪被害者に共感し、同情し、我々は犯罪に怒り、犯罪者を糾弾し、犯罪者に裁きを求める、当然のことである。 しかし、このような状況下にあるときに、必ずといって良いほど力を持つのが「復讐の呼びかけ」である、「犯罪者は殺せ、犯罪者の弁護士などいらない、犯罪者を弁護するような奴は弁護士の資格はない」「北朝鮮を潰せ、金正日を葬れ、北朝鮮のガキが飢え死にしようが知ったことではない、経済支援などするな」。 こうした怒りを代行する声の中で、良心的な人々はひっそりと声を潜めなりゆきを見守るしかない。 そうなのだろうか?いまこそ勇気を持ってこうした声を押しとどめ「それは間違っている」と声に出して諌めねばないのではなかろうか? 我々がパレスティナの友人であれば、復讐を押し留めることが真の友情ではないのだろうか? 犯罪被害者家族の前でそれが言えるか?パレスティナの苦しみも知らず平和の中に安穏としている我々がパレスティナ人にそれが言えるか?パレスティナの苦しみを現実をわからないからこそ、そんなことがいえるのだ。 そうなのかもしれない、われわれは曲がりなりにも平和で豊かな生活を謳歌している、しかし、もし、そういう我々にしか、「正しい主張が出来ない」と言うのであれば、平和な社会に暮らす我々にしか、「正しい主張が出来ない」と言うのであれば、我々は平和社会の一員であることに誇りを持って、我々にしか言えない、と言う「正しい主張」を行って行こうではないか。 イスラエルに対する制裁は、平和と言う目的に対して、なんら効果をもたらさない、イスラエルの暴力は法によって裁かれなくてはならない。責任者を法で裁き、体制から邪悪を追放しなくてはならない、しかし【法は決して、経済制裁でイスラエルの子どもを殺しても良い、とは言わない。】 193 hits -------------------------------------------------------------------------------- [6320]ボイコット運動の効果? ←back ↑menu ↑top forward→ とほほ - 09/2/9(月) 21 18 - -------------------------------------------------------------------------------- 引用なし パスワード イスラエル内外の人々が立ち上がれば、状況は変わるかもしれない。 ボイコットによって主要なダメージをうけるのは、イスラエル国民ではない。 あまりにも、楽観的な見方です。 わが日本を見てみたらよい、このAMLをはじめ多くの良心的な多くの人々が日本政府の間違いを指摘し批判し糾弾しています。が、実際に拉致問題を北朝鮮が認めたときの日本世論はどうなりましたか? いやさ、太平洋戦争突入直前、アメリカを始めとした経済制裁を受けた日本国民はどうなりましたか?、「一億総火の玉」になったのではないですか? 「ボイコットによるダメージは庶民を苦しめない」等と言うのは、資本主義経済というものの弱点、と言うより悪徳と言う部分を全く無視したもので、馬鹿げています。社会を封鎖し、そこに制裁を加えたら、真っ先に被害を受けるのは弱者なのですよ、権力者、強者、富裕層は弱者から富を巻き上げより裕福になっていきます。 経済制裁とはそういうものなのです、だから反対しているのです。 経済を停滞させれば、弱者が犠牲になる典型例が我が日本でしょう、バブルがはじけ社会全体の経済が停滞する、社会全体、市民一人一人の生活が少しずつ悪化するのではなく、弱者は路上に放り出され、強者はより裕福な生活を手に入れます。路上に放り出された弱者を待つものは「死」です。 イスラエルの軍事力も資本もシオニズムも決して打撃を受けません、まずはイスラエル社会の弱者が犠牲となる現象が出現します。権力への打撃に到達させるにはより多くの弱者の犠牲が必要なのです。 断言しておきましょう、ボイコット運動が、イスラエルへの抗議の意思表示であるのであれば、それをきちんと明示しておかねばなりません。「経済制裁」であるとか、その効果があるとか、嘘で民衆を扇動してはなりません、そのような扇動はさらなる戦火を拡大させます。 -------------------------------------------------------------------------------- もうひとつ付け加えますと、国家による経済制裁とイスラエルの資本による製品の不買・ボイコット運動とはイコールではありません。 もちろんその通りなのかもしれません、しかし経済制裁に発展しないように、十分な警戒が必要なのです。それを経済制裁を視野に入れて行ったのでは「戦争扇動」に他ならないといっているのですよ。 2次大戦時のアメリカの日本に対する経済制裁も、日中戦争開戦によって始まったアメリカ市民のボイコット運動に始まっているのですよ、そしてボイコット運動の目的もアメリカ政府に経済制裁をさせることが目的だったのです。そして太平洋戦争開戦直前にアメリカは日本への石油輸出禁止措置を取ることが出来たのです。 そしてその戦争は広島・長崎への原爆投下で終結したのです。 日本は負けて当然だったのです、日本は悪逆の限りをつくした当然の報いだったのです。しかし戦争で死んでいった一人一人が報いを受けて当然だったのでしょうか?戦争で死んだ人間を利用して遺族年金という名目で政権党は富を蓄財し、生き残った権力者は少しも反省などしてません。 我々の闘いは非戦です。悪い奴をやっつけることではありません。 203 hits -------------------------------------------------------------------------------- [6321]反ユダヤ主義への警戒にたった... ←back ↑menu ↑top forward→ とほほ - 09/2/9(月) 21 47 - -------------------------------------------------------------------------------- 引用なし パスワード 私たちがイスラエル大使館に抗議に行くことに対して、日本が過去に行った恐るべき非人道行為を未だに公式に謝罪もせず補償もしていない日本人に、イスラエルを非難する資格はない、イスラエル憎しを煽るな、と言う方もいらっしゃいますが、私はそうは思いません。 そういうアホは、世界広しと言えどもAMLに若干1名いるだけで、その主張内容は支離滅裂ですので、あまり気にすることはないと考えます。以前にも私が書きましたが、イスラエルの行いに抗議し糾弾しそれを止めさせることは我々の地球市民としての義務です。この義務を放棄した者にこそ日本の戦争犯罪や国家犯罪を裁く資格はありません。 ただ、梶村さんが言いたいことはこういうことだと思うのです。 相対化させて邪悪を表現しては危険だ、という事です。もちろんTERAO Terumiさんが紹介した写真家の方にはそのような意図はないのかもしれませんが、意図があろうがなかろうがやっていることは同じなのです。差別と同じです。 差別というのは、その意図があろうがなかろうが、差別なんです。 私たちは日本社会というかなり閉鎖的な社会の中にいますので「反ユダヤ主義」の邪悪性を肌で感じることができず、日本に来てテレビで活躍するノーテンキタレント(例えばデブ・スペクター氏)などの言動をみて「アメリカ人だって、、、。」程度の判断しかできません。 私は、デブ・スペクター氏が日本にいるのは、日本社会がデブ氏と同じ差別主義社会だからうけているだけだと思っています。アメリカに帰れば氏は「KKK」と糾弾されても仕方のない差別主義者です。 何を言いたいのかというと、反ユダヤ主義、ユダヤ人差別というのは欧米においては黒人差別よりも歴史の長い根深い差別だという認識を十分に理解しておかねば、決してパレスティナ問題は解決しない、ということです。極論すれば「反ユダヤ主義は正しいのだ」という暴論にもなりかねないほどの力を持つのが反ユダヤ主義なのです。特に中東では一般的にホロコースト否定論は信じられているのです。パレスティナの人々にとっては「パレスティナの土地を奪うためのユダヤ人の陰謀でホロコーストはでっち上げられた」のです。 我々は、我々の想像以上に反ユダヤ主義への警戒の上に立って、反ユダヤ主義を糾弾するのと同じ論理の上に立ってイスラエルへの徹底糾弾をしてゆきましょう。 ただ、梶村さんが言いたいことはこういうことだと思うのです。 相対化させて邪悪を表現しては危険だ、という事です。 これは、もう少し論理的に書いたほうが若干1名のアホ以外の方にはわかりやすいと思いますので連投になりますが、投稿しておきます。 「犯罪を相対化させて見せる」この技法は歴史修正主義と戦ってきた皆さんにはお馴染みの技法だと思います。 「例えば中国だって日本人居留民を虐殺した(通州事件)、戦争なんだから南京虐殺だって悪くはない、なぜ日本の虐殺だけ悪く言われるのか?中共の陰謀で虐殺数を過大に捏造したでっちあげだ。」 の類ですね。 ナチスの犯罪とイスラエルの犯罪を相対化することは論理構造的に、この南京虐殺否定論と同じなのです。もちろん、相対化したとしても結論の方向が逆なのであれば同じ論説とはいえません。 例えば、「ナチスのホロコーストとイスラエルは同じことをしていることになぜ気がつかないのか?イスラエルはこれを自覚し、直ちに虐殺・虐待を中止せよ。」 という論説とは異なります。 しかし、しかし同じ論理構造の上にあるために、真実が隠蔽されてしまうのです。真実が隠蔽された状況下ではあらゆる否定論・陰謀論が大手を振って歩きはじめます。 たとえばamlでは若干1名のアホであるところの**某なる人物が「イスラエルを糾弾するな」と主張するわけです、つまり日本の戦争犯罪とイスラエルの戦争犯罪を相対化させているからこその妄論、が出現してくるわけです。 この手のアホの妄想は放って置いても目障りなだけで影響力はありませんが、いろんな形での他の影響力を持つことになりかねないのです。イスラエル右翼の立場で見て見ましょう。 「自分たちはホロコーストという人類最大の虐殺を受け、数百年もの差別に耐えてきた、アメリカや欧米、いや世界中の国家(これは日本もそうですね)は先住民を抹殺して建国したのだ、その権利はある」 これに対抗するアラブの論理は前述しました。 つまり悪を相対化させた価値観で事象を見ることが決して平和には繋がらないことが、理論的に理解できると思います。 日本の発達した平和学に基づいた平和運動は、この危険の排斥をこそ主張していると考えます。 212 hits -------------------------------------------------------------------------------- [6322]イスラエル総選挙 ←back ↑menu ↑top forward→ とほほ - 09/2/12(木) 10 11 - -------------------------------------------------------------------------------- 引用なし パスワード 明日10日がイスラエル総選挙のようです。 報道などによると、情勢は大変に悲観的です。最悪なのは極右政党の躍進です。 この政党は国内のアラブ人追放を公言している政党です。予想では第3党になりそうです。 ガザ攻撃以降、極端に右傾化するイスラエル政情は予想していましたが、こんな極端な右傾化はいくらなんでも、、、。という感じです。まさに日帝末期の症状を呈しています イスラエル民衆に超右翼政党を選択させている原因は何なのでしょうか?どう考えてもテロへの恐怖とは思えません。日本のように選挙がエンターテイメント化してお笑い政党が躍進している現象とも違えば、ヨーロッパのEU反動右傾化とも様相が異なります。 オバマ就任によるアメリカのイスラエル離れに対する不安・恐怖なのでしょうか? いずれにせよ、日本では突っ込んだ報道がありませんのでわかりませんが、ガザ情勢は楽観視できません。 205 hits -------------------------------------------------------------------------------- [6323]Re(1) ハマスを美化してはなら... ←back ↑menu ↑top forward→ とほほ - 09/2/12(木) 10 24 - -------------------------------------------------------------------------------- 引用なし パスワード 占領であり、60年続いているテロと虐殺と植民地政策と民族浄化に他ならない。あのチャチなロケット(軍事的にはほとんど成果の上がらない)は、こうした圧殺と完全封鎖に対する怒りと苦痛の表現だという以外に、何といえるのか。 ハマスの売名行為でしょう。 イスラム原理主義体制確立のためには、イスラエルと戦争をしたほうが得だからです。そのちゃちなロケット弾でも死者は出ているのです。イスラエルの市民は、その脅威にさらされているのです。 効果がないことをわかっていながら殺害することは、まさにキチガイ沙汰です。 ハマスを美化してはなりません。虐殺の規模がどちらが多いのか?という議論に意味はありません。 確かに、その原因を突き詰めていけば60年続く植民地政策ですが、では元々国家を持たなかったユダヤ人の建国を認めたことは原因から除外してもよいのでしょうか?ユダヤ人を排斥した国際社会は原因からはずしてもよいのでしょうか? 私も何度でも言いますが、先に手を出したハマスの方が悪いだの、イスラエルが悪いだの、一般民衆に関係ないです。言うべきことはたった一つ、ベ平連がいみじくも掲げたスローガン、「殺すな」です。これはイスラエルに対してもハマスに対しても、です。 #余談:このベ平連が行った運動(アメリカの新聞の全面広告に「殺すな」の抗議文を掲載した)なんか、イスラエルの新聞に載せると絶対効果があるように思いますがね。 ただ、ハマスを交渉相手として認めるべきだ、という主張には賛同します。オバマ政権は、どうやらハマスを承認する気はないようです、これには抗議してゆくべきでしょうね、ハマスをパレスティナ人民に選択させたのは、そうしたイスラエルやアメリカの傲慢さであるのですから責任を持ってハマスと交渉すべきでしょう。 幸いなことにブッシュとは異なり「アメリカ単独行動はしない」として国際協力を求めています。これは裏を返せば国際社会はアメリカを止められる、という事です。我々にできることが一つ増えました、日本政府が戦争協力をしないようにがんばりましょう。 212 hits -------------------------------------------------------------------------------- [6324]中東と反ユダヤ主義 ←back ↑menu ↑top forward→ とほほ - 09/2/12(木) 10 38 - -------------------------------------------------------------------------------- 引用なし パスワード そう、イスラエルはジェノサイドを利用して植民地主義を露骨に押し進めていますが、それへの反動としてのジェノサイド否定が中東で起きているということです。 は上記の1節に尽きると思うのですが、イスラエルがホロコーストの被害を利用して植民地主義を推進している、と言うのは妄想ではないのですか? ユダヤを虐待した国際社会民衆心理の中にホロコーストへの負い目があることは、確かなので、その負い目が生み出している妄想でしょう。現実にはイスラエル政府がナチのホロコーストを利用してその存在や行為を正当化したことはありませんよね?イスラエルは常に(侵略国家の常套ですが)自国の防衛を理由としてますよね?シオニズムも決してそのような主張はしてません。 アラブの人々にとっては、突然自分たちの土地にやってきたユダヤ人が建国することは納得のいくものでもなく、国際社会がイスラエル国家を認めていること自体が理不尽なことですのでホロコースト否定が大衆心理の中で醸造されることは、イスラエルがホロコーストを利用していなくとも、自然なことです。 占領地を撤退、と言いますが、そもそもイスラエル全土がアラブにとっては占領地です、アラブの大衆心理としてはイスラエルが存在することそのものが不当なのですよ。 実はイスラエル(シオニスト)の心理もそのことがよくわかっている、イスラエルの存在の正当性をカバーする理屈がない、だからこそアラブが恐怖なのではないですかね? その理屈を無理やり作り出そうとしたときに始めて、ホロコースト被害に対する賠償としてのイスラエル建国、と言う心理はありえますがその心理は侵略を正当化することはできないでしょう。 イスラエルの常軌を逸した侵略行為は、その恐怖の裏返し、と見たほうが適切に思えます。 パレスティナの和平を本気で達成するのであれば、双方からこの恐怖心理を排斥していくことではないでしょうか? 梶村氏の批判はまさにそこのところなのです。**さんが陥ってしまった「妄想」を許可してしまうのが歴史修正主義なのです。 211 hits -------------------------------------------------------------------------------- [6325]Re(1) 中東と反ユダヤ主義 ←back ↑menu ↑top forward→ とほほ - 09/2/12(木) 19 04 - -------------------------------------------------------------------------------- 引用なし パスワード in article "[AML 24246] ユダヤ・ナチという言葉を使ってのイスラエル批判~とほほさんへの反論" ヘナチョコ wrote イスラエルが1996年にレバノンへ凄まじい攻撃を仕掛け、カーナで100人以上の市民を虐殺したとき、『ハーレツ』紙のコラムニスト、アリ・シャヴィットは言った。―─イスラエルは何をしても大丈夫だ、「われわれには名誉毀損防止連盟と・・・・・・ヤド・ヴァシムとホロコースト博物館がついている」。 ユダヤを虐待した国際社会民衆心理の中にホロコーストへの負い目があることは、確かなので、その負い目が生み出している妄想でしょう。 私にはユダヤ人への負い目はありませんから、私は妄想しないと言っていると同じですが・・・。 理解いただけないようで難しいですね(^^; 国際社会にある負い目の心理が生み出した妄想が元になっている論説であってヘナチョコさんの妄想だと、と私は言っているのではないです。それがユダヤ陰謀論なのです。世の中にはいろんなことを言う人がいます。イスラエル右翼にも当然その負い目心理を利用する輩はいることでしょう。 しかし、現実としてイスラエルがそれを理由に植民地政策を推進した事実はありませんでしょう?と言っているのですよ。言論社会では色んなことを言う人がいます。もしイスラエルがそれを利用していると言うのであれば、その言論が意図的にイスラエルによってばら撒かれている事実を立証せねばなりません。 そして、これを論点にしているのは、イスラエルの蛮行の原因解明です。 もしイスラエルがジェノサイドを利用していないとしたら、こんな戯言は瞬時に論破されるものでしょうが、私たちにもしみこんでいるジェノサイドの被害者としてのユダヤ人という考えがもたげてきて、反論の勢いをそぐ働きをします。イスラエルの政治家も盛んにその言葉を言います。だいたいパレスチナ人の生存権を徹底的に奪っている加害者が自らの生存権を主張することこそ、ジェノサイドの利用でしょ?こんな発想は植民地主義者がするものではありません。 【もしイスラエルがジェノサイドを利用していないとしたら】 は妄想に分類されます。 【だいたいパレスチナ人の生存権を徹底的に奪っている加害者が自らの生存権を主張することこそ、ジェノサイドの利用でしょ?】 は感想であって事実を提示したものではありません。 実際、それが事実ではないですか。イスラエルの生存権を認めていない、イスラエルもパレスティナを認めていない。国連決議と言うのは無意味とは言いませんが、国境問題に関してそれを当事国に押し付けることはできないのですよ。国際法は当事国同士の合意が最優先なのです。つまり、まだ、181決議さえきちんと合意されていないのです。 そして、重要なのは平和運動がやることは、イスラエルとパレスティナの和解を目指すことです。イスラエルをやっつけることではないのです。 そして、よーーく考えてください。 反論の勢いをそぐ働きをします。 事実は事実として議論しないといけません、反論の勢いをそぐから、妄想(陰謀論)を主張してもよいことにはならないのです。イスラエルをやっつけることが目的になってしまっていると、和平は実現しません。 そのような陰謀論に基づかなくてもイスラエルの蛮行は十分に実証できますし糾弾できます。 205 hits --------------------------------------------------------------------------------
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広島8・6大行動 思考錯誤 [771] とほほ - 05/8/6(土) 19 54 - この投稿は携帯からの投稿です。 今日はタイトルの平和デモ行進に参加してきた。私はなんらかの団体に所属しているわけでもないわけだが、枯れ木も山の賑わい、の言葉もあるし、よくわからんがついて歩く事にしようと考えたのだった。大体、このデモは毎年開かれる有名なデモである、私が参加しようがしまいがなんの関係もない、と考えていたら、発表によると3000人の参加者との事。と、言うことは私が参加しなければ2999人しかいなかったことになる、やはりとほほは偉い。 入院中位おとなしく寝てろ、の罵声にめけず、携帯投稿第二弾である。それにしても携帯入力とはかったるい、私のように思いつきで文章を書く人間には向かない。てな事書いてるうちに制限字数になっちゃうぞ。とにかく最初の集会の時は「こりぁやっぱり場違いだったかな」と思った、なにせ団結だの労働者だのという言葉がばんばん出てくる。第一ワシは労働者ではなくプータローだ、こりゃ肩身がせまい^^; まあ、日本の民衆運動を引っ張ってきたのだから仕方あるまい。 断わっておきたいのは、私は労働運動の批判記事を書きたいのではない、どころか常に「この人達にばかり負担をかけてばかりで良いのだろうか」と考えている。だからよしりん漫画をよみ、ろくすっぼ運動史も知らない、自分では何一つできもせん連中が【プロ市民】等と嘲るのを見掛けると心底腹がたつ。しかしその馬鹿連中のおかげで【左翼】の株が上がったように【プロ市民】のかっこよさが一般化するのも時間の問題だろう。プロ市民とはプロ右翼とはちがい、金もうけの為の活動ではなく活動の為の資金調達なのだから、かっこよさが違う。 とはいえ、妙なのも居る。会場の外で映画の俳優さんのようなきれいな白人男女がパンフレットを配っていた。私は外国人と話すのが好きである。不思議に思われるかも知れないが言葉は不要なのである。人はこれを親父パフォーマンスとよび、この最中は私の家族は他人の振りをする。ともあれ、私はきれいな女性から100円でパンフレットを買った。共産主義グループらしい、共産主義への偏見は薄らいでいるつもりだが、レーニン・トロツキ辺りが出てくるに至ってマユツバをつけ始めた。案の定【北朝鮮核武装支持】である。 ここを、どこだと思っておるのか?広島である。大体金正日体制にシンパシーを持つ時点でダメダメなの。ブルジョア民主主義だの社会主義民主主義だのと言う問題ではない。 原理を重んじる事は大事、しかし真理を捉えてこそ原理は意味をもつ、人権という真理を掴んだ人類はより正しい原理に基づき行動せねばならない。それが人権という概念だ。ブルジョアにも皇帝にも人権はある。まずこれを認識すべきであり、社会に資本は必要だ。不平等を認めてはならない、しかし自由を否定してはならない。人権と言う真理にこそドグマを求めよう。 この共産グループに比べたらデモ隊にビラを配っていた爺さまのほうが(多分右翼)ましだ。江沢民糾弾ビラである。右翼にもまっとうな活動をする人もいるのか、とビラをよんだ。例の法輪功弾圧問題だ。当局の拷問写真が沢山載ってる。うさんくさい^^; これ以上言及は東中野と同レベルなので避けるがせめて何故弾圧を受けるのか、位書けるだろう。反体制的だとか、、。宗教弾圧だとが。宗教ではないと主張してるが、なぜ他の宗教や大極拳とかはよいのだ?もちろん事情はどうあれ拷問は許されるべきではないが、、。もう少し納得のいく説明ができそうな。 とまれ。 私がこの稿を書き始めたのは、評論する為ではない。感動を伝えたかったからである。なんと私は迂濶にも行進中に涙が溢れてしまったのである。幸い猛暑であった為、汗を拭う振りで誤魔化せた。思考錯誤でも紹介した【400】今、教育現場の最前線では。の根津さんも参加していた。私のようなネットワーカーは口では強がったところで所詮孤高の闘いである。馬鹿どもの挑発的な罵詈雑言をけちらしながらの闘いであることは各戦場における常連諸氏も同様であろう。しかし何千人ものひと達が平和にかける熱い思いを持っているのだ。道行く人も応援してくれる。 皆がビラを受け取ってくれる。たまたま同じ方向に歩く老若男女まで一緒になってシュプレヒコールだ。私のすぐ後ろを歩く一団がやたら元気だ、見ると小学生20人位のグループが戦争反対差別反対を声を限りに叫んでいる。この時私の涙腺は壊れた。この子達に絶対に戦争させてはならない。外国人観光客も大勢見ている、誇らしかった、日本人は平和を愛するのだ、ネットにいるのはただ馬鹿がわめいているだけなのだ、と叫びたかった。今回は韓国や中国からも参加している、少しでも安心してもらえただろうか。 Pick-up