約 285,540 件
https://w.atwiki.jp/progrews/pages/273.html
システム4-5-1 FW 1トップ 2トップ 3トップ MF 3人 4人 5人 フラット ダイヤ ボックス DF 3バック 4バック 5バック ポジション ステ memo GK RSB RCB LCB LSB DH + RWB LWB + ROH LOH FW 監督対応表 は初期リストアップ は2期以降リストアップ 各種顔アイコンは理解度をしめしています。 超攻撃型 カラヴァン ケルクホフ 攻撃型 アルメイダ ガウルテリオ ダビーサス チャールズ ベルナール ホッベル 千波 公一 バランス型 アクエル イ・ヨンス ゴンザレス シマク ジャンヌ ジョルジュ タウンゼント デューラー ドラゴビッチ フィオーセ フェルナンデス ブリッジス ルビーニョ 佐伯 玲子 守備型 J・フィルマーニ M・フィルマーニ イエーガー コンティ ザイド・ファタラ シモンズ ドイル ハッサン フルニエ ラクテオノフ 敏林 浩 超守備型 フィヨルトフト リッター 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/tosiyatosiya/pages/137.html
セ ネ ガ ル に つ い て 調 べ て み る。 セネガル セ ネ ガ ル に つ い て 調 べ て み る。 【初めてのアフリカ-セネガルの旅】 第5話)マルシェに行こう 《セネガル旅行記|ダカール|チエス|エールアフリック》 マルシェとは仏語で "市場" のことである。"カレー" じゃないよ。ダカールにはサンダカとケルメルという2大マルシェがある。特にケルメルの方はアラブチックな建物に入った可愛いマルシェだ。 マルシェ・ケルメル 市場にはいろんな輩がやってくる。当然怪しいやつも多い。マルシェの外を歩いていると 怪しい黒人A:「ハロー、マイフレンド!」 ハロー、マイフレンド!」だと、バンコクと同じじゃないか。その手には乗らないよ。無視しよう。 怪しい黒人B:「ボンジュール、モンナミ!」 仏語で来たか、こういう時は、「ジュ ヌ コンプロン パ フランセ !(僕、仏語わかんない)」だ。 すると、 怪しい黒人C:「コニチハ、トモダチ!」 僕 :「えっ!」 どーして日本語知ってるんだ!でも反応した僕の負けである。こいつには捕まってしまい、高い土産物を買わされそうになる。仕方ない絵葉書でも買っておくか。1枚150CFAフランだと言う。じゃ2枚買うか。 怪しい黒人C:「400フランだよ。」 僕 :「えっ300フランだろ。」(150x2=300。こんな単純な計算もできないのか!) 怪しい黒人C:「いや、こっちは250フランなのさ。」 僕 :「えっー。どうして?」 怪しい黒人C:「だってこっちはオネーチャンじゃん。」 しっ、しまった。たしかに250フランの一枚はセネガル美人のきれいなセミヌード絵葉書だったのだ。はめられた!「じゃ一枚にするよ。」僕は一枚をそっと返した。 その返した一枚が150フランの普通の絵葉書の方だったことは誰にも内緒である。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - さてさて、市場の裏の街なかから太鼓の音が聞こえてきた。楽団だ。大小様々なトーキングドラムの豊かな音が響きわたる。 楽団登場! 子供たちが集まり大騒ぎだ。これはシャッターチャンスとぱちりとやったら大変なことになってしまった。 楽団員A 「アルジャン!(お金!)」 楽団員B 「アルジャン!(お金!)」 子 供 C 「アルジャン!(お金!)」 野次馬D 「アルジャン!(お金!)」 いつの間にかアフリカ人達に囲まれ「アルジャン! アルジャン!(お金!お金!)」の大合唱。恐いよー。 ここ西アフリカでは写真をとるとお金を払う習慣のようなものがある(100%そうとは限らないのだが。。)それを忘れて堂々と撮影したのがまずかった! しかし僕はここを秘密兵器で乗り切った。 僕 「ジュ ナ パ アルジャン!(お金、もってません!)」と財布をとりだし中を見せる。むろん1CFAフランも入っていない。こういう時のためにお金の入っていない財布を用意しておいたのだ。この空の財布は水戸黄門の印篭のごとく絶大な効果を発揮した。みんなスーと引いちゃったぜ。 でも「しけた日本人」と冷たい視線も浴びちゃったけど。。。 (続く) もどる < 5 > つぎへ .
https://w.atwiki.jp/tosiyatosiya/pages/138.html
セ ネ ガ ル に つ い て 調 べ て み る。 セネガル セ ネ ガ ル に つ い て 調 べ て み る。 【初めてのアフリカ-セネガルの旅】 第8話)セネガルグルメ事情 《セネガル旅行記|ダカール|チエス|エールアフリック》 アフリカ人はいったい何を食べているんだろう? 大きな疑問を抱いて僕はセネガルにやってきた。ワニとかライオンとか食ってるのかな??? 「?」という店名のレストラン ところが意外にも主食は米などの穀物であった。稲刈りするんだよアフリカで!知らなかった。クスクスみたいなのもポピュラーである。そしてそれらにシチューのようなソースをかけて食べる。思ってた以上に美味しいぞ。 メニューはどこも大体以下の4つが主流のようなので、ちょろっと解説してみよう。 Thiou(チュウ) トマトソースのシチュウ、というかハウスシチューそのものの味でびっくり Mafe(マッフェ) ピーナッツソースのシチュウ、香ばしい薫りがトレビアン! Yassa(ヤッサ) オニオンソースにマリネした鳥または魚、おいしいよ。 Soupou(スプ) ヤシ油ぎとぎとのスープ、これはちょっときつかった! それから、ストリートではいたるところでフランスパンのサンドイッチを売っている。街角にたばこの販売機ぐらいの小さな、うす汚いブースがやたら多いのだが、これ実はサンドイッチ屋なのだ。ブースの脇にはちゃぶ台みたいなテーブルと小さなイスがあって、そこで食べる。外見の汚さからは想像できないが、さすが旧フランス領だけあってフランスパンはとても上手い。定番のインスタントネスカフェと甘い練乳でできたカフェオレ、そしてちょっぴり辛いペーストを塗ったカリッと香ばしいバゲットのサンドイッチの朝食がたったの300CFA(=50円)。安くて味は最高! とってもセボンなひとときである。 不思議な、でも美味しいローカルジュースも紹介しよう。 Bissap(ビサップ) ハイビスカスのジュース。どことなく香るシソのような風味もデリーシャス。 Ditakh(ディタック) グリーンのライムの香りがするジュース。でもポテトのような甘味もある。今までこんなもの味わったことがなかったが、市場で原材料を発見!何とある植物の根っこなのである。その中にみかけからは想像できない爽やかなライム風味の実がつまっていたのだ。これもとっても美味しいよ。 Gingermbre(??) これはとうとう出会えなかった。季節が違ったのだろうか?残念。 おっとマトモなレストラン情報も入れとくか。 一押しはKeur N deye(なんて発音するんだ!) 料理も安くて美味しいけど、なんと言っても、夜になると伝統弦楽器コラの奏者が生演奏をしてくれる。複雑で美しい旋律のコラの響きを聞いているととても豊かな気分になれる。 どうですセネガル。行ってみたくなったでしょう? サンドイッチ屋台とネスカフェ屋台!! (続く) もどる < 8 > つぎへ .
https://w.atwiki.jp/webscrv/pages/5.html
★ ポジション 能力 属性 活躍する選手 GK ×デル・モンテ RSB ×デュラン RCB (S) ○マルシーニョ ★ LCB (P) ○エンゲルス LSB ×ゴレイヌ RDH ○ヨルセン ★ SW ○マイナー ★ LDH (T) ×ディマス ROH (S) ×クルティッチ LOH (T) 瑠威主 ★ CFW ○ロハス
https://w.atwiki.jp/tosiyatosiya/pages/141.html
セ ネ ガ ル に つ い て 調 べ て み る。 セネガル セ ネ ガ ル に つ い て 調 べ て み る。 【初めてのアフリカ-セネガルの旅】 第9話)ああ偉大なり、エールアフリック 《セネガル旅行記|ダカール|チエス|エールアフリック》 1月6日、たのしいセネガルの旅も今日で終わり。 夜の便で帰らなきゃならない。 世界遺産ゴレ島 伝統工芸村 郊外の漁村 ワイルドなローカルバス ダカール近郊の名所や風物詩を楽しんだ。 パリまではまたエールアフリックなのだが、僕は多いに心配している。またフライトがキャンセルされたらどうしよう? 本来ならパリには翌朝6 00ごろ着いて、18 00の東京行きに乗り継げばよい。十分過ぎるくらい接続時間はあるのだけれど、なにせ行きのエールアフリックは30時間遅れの前科者だ。もし東京便に接続できないかったら、これはまずい! 不安に思った僕は、実はダカールに着いた翌日、エールアフリックの市内オフィスに行って、帰りのパリ便を1日早く変更してくれと交渉に行っていた。 僕 :「もし6日の便が遅れたらどうするんだ! 僕はエールアフリックなんか 信じられない!5日の便に変えてくれ!」(かなり慌ただしかった僕) 係のネーチャン:「変更手数料がかかりますよ」 僕 :「いくらですか」 係のネーチャン:「4000フランです」 僕 :(4,000セーファー・フランなら約¥700。安いものである。) 係のネーチャン:「フランス・フランです、ムッシュー!」 なぬっ! フランス・フランなら、約¥70,000!! こんな金、払えるわけがないじゃん。 僕のチケットは一週間ルールという欧州アフリカ間のディスカウントチケットだった。これは現地に最低7日間滞在することが義務付けられている。1日フライトを早めると6日間の滞在になるので、大幅なペナルティがかせられるのだ。ドヒャー! もはや、僕はフライトが無事に飛ぶことに賭けるしかなかった。 ダカールの出国検査は異様に厳しかった。とりわけ日本のパスポートが珍しいらしく、何度も光に当ててチェックされた。パスポートに透かしが入っているなんてこの時初めて知ったぞ。 さて、どうやらパリ行きのRK304便は飛ぶようだ。もちろん定刻どおり出発するわけがなく2時間遅れ。だが、そんなの遅れの内に入らない。 ところが、いざ搭乗という間際になって搭乗券が差し替えられた。なんでだろう! 「お前は乗るな」とか言われるのかな。(不安) いぶかしく思いつつタラップを登り、搭乗する。新たに変更されたシートに向かうと、 なっ、なんとそれは、ビジネスクラスじゃん!!! ごめんねエールアフリック。 「信じられない!」なんて怒鳴っちゃって。 よーく分かってんじゃん、落とし前のつけ方が。 帰りのシートは実に快適! リクライニングシートが電動で倒れるなんて感激だ!(電動と気付くまで、一生懸命、力を入れて倒そうともがいていたことは秘密であるゾ。) 朝8 30ごろ飛行機はパリについた。乗り継ぎ便までは相当時間がある。いったん出国して、また例のエールアフリックの搭乗カウンターの様子でものぞいて見るか。おっ、いるいるアフリカ人がうようよだ。 僕の乗った飛行機は折り返し8 00発のダカール行きのはずなのだが、やはりモニターは「遅延」となっている。 どうやら今日も、レストラン「フレンチリビエラ」は遅延ランチの乗客で大繁盛のようだ。 ああ偉大なり、エールアフリック! =FIN= もどる < 9 > 目次へ .
https://w.atwiki.jp/tosiyatosiya/pages/139.html
セ ネ ガ ル に つ い て 調 べ て み る。 セネガル セ ネ ガ ル に つ い て 調 べ て み る。 【初めてのアフリカ-セネガルの旅】 第3話)ついに着いたぞダカール。でも、、、 《セネガル旅行記|ダカール|チエス|エールアフリック》 エールアフリックのゲロ袋 1月1日、深夜2 00アビシャン発ダカール行のRK875便はようやく準備が整った。パリからアビシャンまでへは立派なエアバス機だったのだが、このRK875便の機体はスゴイおんぼろだ! なんたって座席のシートのビニールに穴が空いていて、中のスポンジがところどころ見える。こちらは、本当に空飛ぶローカルバスという感じだ。 気流が乱れていたのか、機体がぼろいのか、この飛行機はよく揺れた。浮力がなくなった瞬間を数度感じたのはの気のせいだったのだろうか。となりのアフリカ人も「ヒィー」とか叫んでたけどな。 夜間だ暗い早朝4 00、我がRK875便はようやくダカール国際空港に到着した。予定では30日の22 00に着く予定だから約30時間の遅れだ! 東京からは延べでおよそ70時間かかった。(後であらためて計算してみて自分でもびっくりした!) バおばちゃんは空港から知り合いが車で迎えに来ていた。そして街中まで送ってくれるという。ありがたい話しだ。アフリカの空港に真夜中に取り残されたらどうしようと実は不安だったのだ。 目当ての宿は満室であったので、バおばちゃんに近くの安い宿を紹介してくれとお願いした。ちょっとバおばちゃんは困った顔をしたが、しょうがないという感じで一件の宿に連れていってくれ、その HOTEL●●●で何やら交渉までしてくれた。そして バおばちゃん:「あんた、ホテルで何かあったらココに電話しなさい。あたしのケータイだよ」 僕 :「うん、メルシー」 バおばちゃん:「じゃ気をつけてね、じゃあね。」 バおばちゃん、いい人だったなぁ。 さぁてチェックインするかとフロントに行くと なんだこのホテルは!!! 朝の6 00だというのに、妙に人の出入りが激しい。しかも決まって男女カップルで、女性のほうはいかにもその道のプロって感じがプンプン。「あんた、ホテルで何かあったらココに電話しなさい。」とは、そういうことだったのか! フロントで手続きをする間にも、ネーチャンがこっちを見て「サヴァ?(元気)」と誘いかける。しかし長旅で疲れた僕にはもはや宿を変える気力など到底ない。昼まで泥のように眠った。 さて、これから僕はどうなってしまうのだろうか? 昼間は一見まともに見えるHOTEL●●●なのだが、、、 (続く) もどる < 3 > つぎへ .
https://w.atwiki.jp/websakatentlers/pages/35.html
超高速のスピードサッカー ポジ 推定必要能力 ◎評価王級の活躍 ○活躍した選手 △及第点の選手 ×活躍しなかった選手 GK ゴーン ブッチ ディアス ローラン RSB S シュレーダー サンタクルス RCB P+α ヒメネス マルゲリータ ギード ★LCB T+P ヒメネス ロスタ マンチーニT期 LSB S+組織? マンチーニS期 ジャンニケッダ アルノー ババヤロー サントス RWB P ガリアーノ ヌタップ シュレーダー ヨルセン カンコフスキー デルピン ビヨルンビー ★DH T+CB適性 岡本 センニーニ ヒューズ ペトレスク マテレレ ★LWB S ハシェック ヒューズ ジャンニケッダ ROH S+T ドールマン オルテガ フットレ LOH T マルセリーニョ コジーニョ ジノラ リベリーノ ドールマン デスピサロ ★CF S ロベルト ユリアーノ アルフォンス リマゴメス 使用感: 2019季に使用して本A6位。 選手評価の割には勝ちにくい印象が強く、揃っても優勝するのは至難の技だろう。 キーポジを揃えることはもちろん、他ポジも穴を作らないようにしないと降格しかねない。 キーポジで目につくのがDHで、ここはCBとDHに適性のある選手でテクニックの高い選手を配置したい。岡本が安定して3点台を叩きだしアシストも10以上マークする他、センニーニでも穴埋めできるだろう。LWBはハシェックがファーストチョイスでターヒュッツも使えそうであるがデータは無し。 LCBのキーポジは比較的楽なところでロスタ、ヒメネスの他にはT期マンチーニも及第点。CFも比較的楽でありS系のストライカータイプのロベルト、ユリアーノらを筆頭にロハス、ファンローイ、ピレリなども使えるだろう。 可能性の高い個人タイトル: 得点王:CF、LOH 公式フォーメンション紹介文: 速攻とカウンター中心のフォーメーション。そのためにほぼ全てのポジションにスピードが要求される。欧州流の組織プレーを取り入れることで、安定した守備と高い組織力を誇る。 守備的なポジションに選手を多く配置するため、前線の人数が少なく、カウンターを活かす為には前線の3つのポジションの選手に高い能力が必要とされる。もし、前線の3人が高い能力を持っていなければ、点を取る事は難しくなるだろう。 右のオフェンシブハーフにはスピード、左にはテクニックが要求される。 守備に関してはセンターバックの2人が特に重要でここで相手の攻撃を止めないとズルズルと得点を許すことになるだろう。右のセンターバックにはスピード、左にはパワーが必要とされる。 名前 コメント すべてのコメントを見る 今日: - 昨日: - トップページの合計: -
https://w.atwiki.jp/tosiyatosiya/pages/140.html
セ ネ ガ ル に つ い て 調 べ て み る。 セネガル セ ネ ガ ル に つ い て 調 べ て み る。 【初めてのアフリカ-セネガルの旅】 第6話)大統領に謁見する? 《セネガル旅行記|ダカール|チエス|エールアフリック》 ダカールで2泊したのち、ちょっと郊外のTHIES(チエス)という田舎街に行ってみた。セネガルには日本のような長距離バスは存在しない。タクシーブルースと呼ばれる乗合タクシーがメインの交通機関である。 ダカールの長距離タクシー乗場に行くといつのまにか客引きにつかまり、 とあるタクシーの中に拉致されてしまった。 THIESに着くとぼくは悲しいアフリカの現実を見てしまった。タクシーを降りるなり、片手に空缶を抱えた物乞いの子供たちに囲まれる。本当にみんな薄汚い格好をしているゾ。でも残念だけど、僕にはどうすることもできない。 広場の真ん中では、屋台が並んでいる。朝からなにも食べていない僕は、ここでコーヒーとサンドイッチの朝食をとる。もちろん、物乞いの子供は入れ替わり立ち代わりやっては来るが。。。 タクシースタンド脇の軽食屋台 でも、少し救いも見たような気もした。現地の人はサンドイッチを全部食べず、少し残して、子供たちに与えていた。ささやかなアフリカ式社会福祉なのだろうか。サンドイッチを全部食べきってしまったことを、僕は少し後悔した。 THIESの街は並木通りの美しい静かな街である。ただ今でも馬が主力交通機関なので、ちょっと馬糞の香りが漂ってはいるのだが。。。 THIESの街 こんなプリミティブな街だけどインターネットカフェが2軒もあったのは超驚きである。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 夕方、駅の方で、太鼓の音がするので行ってみた。楽団がトーキングドラムで激しいリズムを打ち鳴らし、着飾った人々がどんどんやってくる。お祭りだろうか? 僕 :「何があるの?」 村人A:「大統領がおらが街にやってくるのさ」 僕 :「大統領はどこからやってくるの?」 村人B:「列車でお出ましになるのさ」 見ると、ホームの一角が飾られていて、街のお偉方が鎮座している。街中の人がますます集まってる。太鼓の音が気分を盛り立て、何かロックコンサートのようだ。楽団の演奏に合せて見事なダンスが始まった。すごい熱気だ。 続々と駅に集まる人々 楽団とダンスは延々と続く。でもセネガルのWADE大統領を乗せた列車は表れない。 2時間はたっただろうか、ますます人々は熱狂してきた。ホームは押すな押すなの大混雑。ここまできたらぜひ大統領を見てみたい。しか~し、炎天下で待っているのはもう限界だ。 根性のない僕は、6時半ごろ宿に帰ってシャワーを浴びた。蛇口をひねったその瞬間であった。駅の方から大歓声が聞こえた。大統領が来たのだろう。僕は少し我慢が足りなかったようだ。 夜、宿のおじさんが話しかけてきた。 宿のおじさん:「今度お前の国の首相がセネガルにくるってよ。」 僕 :「えっ本当?」(僕は全く知らなかったが本当だったようだ) 宿のおじさん:「お前の国の首相の名前はなんて言うんだっけ?」 僕 :「えっ、えーっと。」 どーしても思い出せない僕。答えられないのは悔しいので答えておいた。 僕 :「えーと、誰だっけ」 僕 :「うーん」 僕 :「あっ、マキコ・タナカでいいや!」 (続く) もどる < 6 > つぎへ .
https://w.atwiki.jp/tosiyatosiya/pages/134.html
セ ネ ガ ル に つ い て 調 べ て み る。 セネガル セ ネ ガ ル に つ い て 調 べ て み る。 【初めてのアフリカ-セネガルの旅】 第4話)ダカールのエコノミーホテル事情 《セネガル旅行記|ダカール|チエス|エールアフリック》 日本ではなじみの薄いセネガルであるが、ヨーロッパ人にとっては安近短のリゾートだ。子供連れや老人グループもわんさと来ている。とりわけ旧フランス領だったこともあり、やはりフランス人が圧倒的に多い。 初日の朝、変な宿に泊まってしまった僕は、早速昼からガイドブックで評判のいいHotel Oceanicに宿を変えた。ダカールの宿代は激安とは言い難い。Hotel Oceanicも一泊17,000CFA(セーファーフラン、CFAはフランスフランFRFと連動している。100CFA=1FRF)約3,000円ぐらいだ。でもフランス植民時代のコロニアルな雰囲気と心地よい中庭があって、とても居心地がよい。ここには2泊してしまった。 Hotel Oceanic もう一つHotel St-Louis Sunにも泊まった。ここも値段はHotel Oceanicと同じくらい。中庭のあるコロニアルな宿は観光客に大人気で、いつも予約で一杯のようだ。飛び込みで泊まれたのは運がよいとしか言いようがない。 夜、中庭から幻想的な弦楽器の音が聞こえてきた。 「なんだろう?」 急いで中庭の方に降りていく。伝統弦楽器コラの奏者がやってきたのだ。コラとは、コラナッツの実の共鳴板に、高音、低音の複雑な弦を貼った楽器である。これ一つで力強いリズムも複雑なメロディも奏でてしまう。 アフリカの夜空の下で聞くコラの音色は、なんとも心にしみて素敵だ。 コラの奏者 そもそも僕が西アフリカに行きたかったのはこの地の音楽に興味があったからだ。西アフリカは、コラやトーキングドラムなどの伝統音楽と現代音楽を融合させた世界的なミュージシャンを多数生み出している。その筆頭はなんといってもユッスー・ンドゥールであろう。彼がどのくらいすごいミュージシャンかというと、98仏ワールドカップのテーマソングをまかされたと言えば分かってもらえるだろう。 そんなアフリカ音楽のルーツを生で聞くことができて僕はとても感動した。わざわざセネガルまで来て本当によかった。 (続く) もどる < 4 > つぎへ .
https://w.atwiki.jp/tosiyatosiya/pages/133.html
セ ネ ガ ル に つ い て 調 べ て み る。 セネガル セ ネ ガ ル に つ い て 調 べ て み る。 【初めてのアフリカ-セネガルの旅】 第1話)アフリカ、それはパリから始まった 《セネガル旅行記|ダカール|チエス|エールアフリック》 20世紀も終わりの2000年12月30日、僕はダカール(西アフリカのセネガル共和国の首都)行のエールアフリックRK303便をパリ・シャルルドゴール空港で待っていた。前日から空港で一泊、14 45発RK303便まで時間を持て余していたので、朝から空港内をぷらぷらしていた。 エールアフリック機 取りあえずエールアフリックのカウンターに行ってみると、いるいる、アフリカ人たちが大きな荷物を抱えて大集合だ。これは11 00発コートジボワール行のRK101便の乗客だろう。それにしてもなんだか騒がしいな。カウンターで文句を言っている乗客はいるし、ちょっと殺気だっている。。。 もしやと思い案内モニターを見ると、コートジボワール便は「Annule」の表示が。これは仏語でキャンセルの意味だ。哀れなアフリカ人たちよ、多いに騒いでくれたまえ。災難は君たちだけで十分だよ。 <このとき僕は、自分がこれ以上の災難に巻き込まれるなど夢にも思っていなかった。> 念のためカウンターに僕の乗る303便について尋ねてみる。「大丈夫!」と黒人ネーチャンの返事。よしよし、良かった、僕の乗る飛行機はチャンと飛ぶようだ。日頃の行いがいいもんね、僕は。 そして、しばらくして、もう一度モニターを眺めてみる。 ん? え"~っ!! なぜだ! 僕の乗るダカール便も「Annule」の表示が!!!! もう一度さっきのカウンターの黒人ネーチャンのところに行ってみる。 僕 :「303便はキャンセルか?」 ネーチャン :(かったるそうに)「そうよ」 僕 :「さっきは時間どおりだって言ったじゃん!」 ネーチャン :(いかにも事務的に)「でもキャンセルなの」 ネーチャン :(よくある事という感じで)「2番のカウンターに行きなさい」 哀れ、僕の便もキャンセルになってしまったのだ。2番の窓口には今度はダカール行きの乗客が溢れかえっていた。9割以上は出稼ぎ里帰りのアフリカ人だ。みんな山のような荷物を抱えている。 隅の方で待っていると、どう見ても体重100kgはこえている黒人のおばちゃんがやってきた。 おばちゃん :「あんた荷物はそれだけかい?」 僕 :「えー、そうですよ」 おばちゃん :「悪いけど、あたしの荷物、一部あんたの物ってことにしてくれない。 超過料金取られちゃうのよ。」 おばちゃんの名前はバ。バおばちゃんだ。なるほど、バおばちゃんの荷物はカートに山と詰まれていた。「何か麻薬とか入っていたら嫌だな」と思ったけれど、この巨漢のおばちゃんに抵抗したら何されるかわからない。思わず「ウィ、マダム」と言ってしまったのは言うまでもない。 バおばちゃん 2番カウンターで受付けが始まった。まあ他社便に振り替えてくれるのだろう。何やら発券が始まったようだ。当然、受付けではバおばちゃんの連れということで、荷物を預ける。 ところが、渡されたチケットが変だ、飛行機の便名も何も印刷されていない。よく見ると汚い手書きで「FRENCH RIVIERA」と書いてある。ど、どーしてアフリカがフレンチリビエラ行きになるんだ!! 僕 :「マダム、フレンチリビエラって書いてあるよ?」 バおばちゃん:「あんたそれは昼食券だよ」 僕 :「えっ、でもフレンチリビエラって。。。」 バおばちゃん:「それは空港レストランの名前さ。とりあえず昼を食べてからまたおいで だとさ、全くエールアフリックときたら。。。。」 と言うわけで、僕はバおばちゃんとフレンチリビエラでランデブーとなってしまった。驚いたことにここフレンチリビエラには、大きな看板で「遅延ランチはこちら」と広告されていた。よほど遅延ランチの出番が多いのだろう。でも、さすがグルメの国フランス。遅延ランチでも内容は充実していた。 昼食を済ませ、また2番のカウンターに行く。係員がやってきて、何やら説明をし始めた。 「みな様にホテルを提供いたします。夕食朝食込みです。明日のあさ10 00にこちらにまた来てください」 絶句! と言うことは、僕はこの空港で2泊目に突入することになる。 アフリカの混沌は既にパリから始まっていたのだった。 (続く) もどる < 1 > つぎへ .