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前ページ次ページゼロのエルクゥ 「ついに来たか!」 アルビオン国王、ジェームズ一世は、部下からの報告にしわがれた声で気勢を上げた。 「はっ! 『レコン・キスタ』総司令官、オリヴァー・クロムウェルの名で、明日の正午に全面攻撃を開始するとの次第、伝えて参りました!」 片膝を付いた衛兵が、威勢良く報告の声をあげる。 「恥知らずの坊主風情めが。言いおるわい」 「その連中にここまで追い詰められているのは僕達さ、パリー」 「腹立たしい事この上も無きですな。しかし、こちらには殿下のもたらした硫黄がございます。せめて死に際の恥ぐらいは雪ぐ事が出来ましょうぞ」 「めでたい事だ。これは今夜の宴が楽しみだな!」 「ほほ、早速準備させませぬとな。ほれ! 祝宴の支度じゃ! ぼやっとしとらんと各部に通達せい!」 「は、はっ!」 パリーの一喝に衛兵が慌てて駆け出していくと、玉座の傍らに立つウェールズとパリーは朗らかに笑った。 時は朝。アルビオンの寝ぼすけな太陽は、いまだ地平線に姿を見せていなかった。 § 「そう、明日にはもう……」 「ああ。先ほど向こうから宣戦布告があったそうだ。それに応じ、明日の朝にイーグル号とマリー・ガラント号が出港する。僕達はそれに乗って帰るわけだ」 与えられた客室で、ルイズは何をするでもなく外を見たり、貰った手紙をいじくったりしていた。耕一はその横で、手紙を奪おうとするような刺客が窓の外あたりから来ないかどうか目を光らせながら、デルフリンガーと雑談をしたりしている。 ワルドが報告を持ってきたのは、そんな折であった。 「ついては、今日の夜に祝宴が開かれるそうだよ。是非大使殿一行にも参加してほしい、だそうだ」 「祝宴……」 出陣前の宴席。 他の所の適当な戦争ならそれはさぞ華々しいパーティになるのだろうが、玉砕が目に見えている今この状況では、それは物悲しさ以上のものをルイズの心にもたらす事は出来なかった。 いや―――他のそういうパーティだって、華々しさなんて表面だけで、実はこんなに悲しいのかもしれない。 ノブレス・オブリージュ。力ある者の義務と誇り。 少し前までルイズの存在の基盤であったそれは、昨夜の思索とも相まって、随分ともろい物のように感じられた。 「さて、その余興というわけでもないのだが、ミスタに一つお願いがあるんだ」 「俺にですか?」 「ああ。……一手、お手合わせ願えないか、とね」 「ワルドッ!?」 ルイズが目を見開いて立ち上がる。耕一は、一手? はて暇潰しの将棋―――じゃなくてチェスか何かか。と首を捻っていたが、その反応でふと、学院にいる時の事を思い出した。 「決闘……ですか?」 ワルドは答えず、ニヤリと口元だけに笑みを浮かべた。その通りであったらしい。 「なに、他意はないよ。純粋に、現在のルイズのナイトである君と技をぶつけ合いたいだけさ。これでも、杖一本で衛士隊隊長まで昇りつめたという自負があるものでね。武人としての心が疼くのだよ」 決闘というより、組手だね。そう言ってワルドはまた笑った。 「……俺、亜人なんで、使えるのは持って生まれた力だけですよ。そういう武を競うみたいな戦いを期待されても困っちゃうんですが」 「構わんさ。僕のけじめでもあるんだ。そう固く構えてくれなくてもいい」 婚約者として他の男には負けられん、という事だろうか。なるほど、同じ男としてわからなくもない。 熟した男性の雰囲気を漂わせているが、案外熱い奴なのかもしれなかった。 「……まあ、そういう事なら。怪我しないようお手柔らかにお願いしますよ」 「ふふ。武装した夜盗の集団を秒で蹴散らす男の言葉じゃないぞ? 本気でやらせてもらうから、怪我をしたくなければ気張りたまえ」 ふっふっふ、と含んで笑いながら腕を合わせる男二人に、ルイズは付き合ってられないわ、とばかりに視線を外した。 空に一筋の流れ星でも駆けてやしないだろうか。それとも、稲光が荒れ狂っているか。 「ルイズも立ち会ってもらえないか?」 「ええ? 私も?」 しかし、そんな男の世界に入りきれないルイズを知ってか知らずか、ワルドは引き込もうとしてくる。 「男と男の決闘だ。両者に縁のある女が見てくれていれば気も張るというものさ」 すかした事を言いながらもどこか子供っぽいワルドの口調に、ルイズはやれやれ、と肩を竦めた後、仕方なさげに立ち上がった。暇だったのは確かであるし、彼らの実力自体にも興味があったからだ。 「わかったわよ。二人とも、そんなお遊びで怪我なんてしたら承知しないんだからね」 ワルドが、誰にも気付かれないぐらいに小さく、ニヤリと口元を歪めた。 § ニューカッスル城は、岬の突端に位置する。 それは陸の要所を守る砦ではなく、空の要所を見張る港だ。規模は小さくとも、そこは贅を凝らした貴族の邸宅ではなく、実用一点張りの軍施設の一つだった。洞窟の隠し港などはその最たる仕掛けだろう。 よって、練兵場などの施設には事欠かない。今回の戦の準備には使われないその一つを借り、ワルドと耕一は静かに対峙していた。 「音に聞くトリステイン魔法衛士隊の隊長と、亜人の使い魔殿との立会いとは!」 「なかなか粋な見世物をなさる! さすがは大使殿よ!」 「おやグレッグ候、もう飲んでいらっしゃるのか? 宴は夜からというのに、気が早いですぞ」 「かっかっか! こんな最高の肴を前にして、酒がなくっちゃ始まらんじゃろうが!」 「違いない! わっはっは!」 その周囲には、アルビオン貴族達が緩やかな輪を作って笑いあい、宴の準備からくすねてきたのか酒を持ち込んでいる老貴族までいた。 ルイズは、向き合う二人の真ん中に立って頭を抱えながら……隣に立っている、王立空軍大将、本国艦隊司令長官に目を向けた。 「……もう、ウェールズ殿下までこんなところにいらっしゃって。しかも介添人だなんて」 「ははは。この死地までついてきてくれた皆、生粋の武人だ。技を競う決闘と聞いてじっとしていられる者などおらんよ。その介添人になれるとあらば、これ名誉の一言だ」 端整な顔に人好きのする笑みを浮かべて、ウェールズは笑った。 明日の昼にはその死地の真ん中に飛び込むというのに、どうしてこんなに笑っていられるのだろう。 ルイズは、アンリエッタにアルビオン行きを誓った時の自分の心を思い返しながら、そんな事を思っていた。 あの時は、何の迷いも無かった。いや、今だって、この任務は何より大事のはずだ。命に代えてもと思う気持ちは変わらない。 なのに……この、彼ら誇り高きアルビオン王党派の、真に貴族の誇りたるべき場面を前にしての、この寂寥感は……何なのだろう―――。 「両者、よろしいか」 杖を高く掲げたウェールズの声と静まり返る場に、ルイズは思索から引き戻された。 ざり、と、どちらかもわからない靴が砂を噛む音がする。 ゆっくりと、金属と金属が擦れあう音がして、ワルドがその細身の突剣に見立てた自らの杖を抜き放ち、フェンシングのように構えた。 耕一は、足を軽く開いた自然体のまま、じっとそれを見据えている。 「―――はじめッ!」 ウェールズが杖を振り下ろす合図とほぼ同時に、ワルドが翔けた。 その迅さはまさに風。スピードだけなら、エルクゥにも遜色のない突進だった。 「『閃光』のワルド、参る!」 「くっ!」 二つ名通りの閃光のような突きが走る。 剣に見立ててあるとはいえ、あくまでも杖であるそれの突端は丸く、青銅ゴーレムの全力パンチですら平然と受け止める耕一には牽制の効果すら見込めない。 「相棒! 避けろ!」 「っ!?」 デルフリンガーの一喝で、耕一はざっと飛び退り、ワルドから距離を取った。 「よく見破った」 びゅうん、とワルドの杖の周りに風が渦巻く。目には見えない空気の刃がそこにある。 「『エア・ブレイド』だ。いつの間に唱えたんだ」 『ブレイド』。杖の周りに、地水火風四属性の刃を纏わせ、己が剣と成す魔法。 風のスクウェア・メイジであるワルドの使うそれは、『エア・ブレイド』。目に見えぬ風の刃は、距離を狂わせ、回避を困難とする。 「僕の『閃光』の二つ名は、詠唱の速度から来ているのだよ。さあ、この切っ先、触れれば斬れるぞ!」 ワルドが構える。 「……どんな装甲だろうと撃ち貫くのみ。とか言えばいいのかな、ここは」 右手の指を猛獣の爪のように見立ててパキパキと動かしながら、耕一は目を細めた。 じり、じり、とお互いに円を描き、目配せで牽制しあい……先に飛び出したのは、耕一の方だった。 神速で懐に飛び込み、腕を真横に一閃。 「速いな! だが、当たらぬ!」 「くっ!」 しかし、ヒラリと身軽にそれをかわしたワルドが『ブレイド』を袈裟懸けに振り下ろす。 耕一は真後ろに跳躍して回避し、二人は先程と同じ位置に戻った。 その一合で、周囲を囲むアルビオン貴族の喧騒はぱたりとやみ、皆顔を引き締めた。この試合、一瞬たりとも見逃しては恥だとその顔が心境を表していた。 「だああっ!」 「ふんっ!」 再び耕一が突撃し、ワルドがかわす。もう一度。しかし当たらない。 エルクゥの致命的なパワーもスピードも、当たらなければ意味は無かった。 「力だけでは風のメイジに当てる事は出来んよ。其は風に舞う木の葉の如く。落ちる木の葉を掴もうと力をこめればこめるほど、その力の起こす風に木の葉は飛ばされ、掴む事叶わぬ」 そんな事を言いながら、ヒラリヒラリと耕一の腕をかわして『ブレイド』を振るうワルド。反射神経で『ブレイド』をかわす耕一。 距離を離し、三度、遠目に対峙する。 「…………へへ」 知らず、耕一の顔に笑みが浮かんでいた。 魔法という反則が存在するとはいえ、エルクゥに比肩しうる技術と速度を持つヒト。 それは、耕一の心を躍らせた。 人なる身でエルクゥを打倒する。それが可能ならば―――呪われた一族は、ただの猛獣に過ぎなくなるのだから。 耕一は、笑みを隠さないまま、デルフリンガーをスラリと抜き放った。その左手のルーンが淡く輝き出すのを、ワルドが目を細めて見つめている。 「お、俺の出番かい? 相棒!」 「アレに武器なしじゃちょっと辛いもんでね。力を貸してくれ!」 「おう、任せな! へへ、やっとの出番だ。これはオイラ活躍フラグじゃね!?」 構えるは、八双の型。次郎衛門の記憶から、というより、体が勝手にこの構えを取っていた。 体が軽い。ワルドの微細な動きに合わせて自然に対応してくれる。まるで剣の達人にでもなったかのようだ。 「不思議な構えだな。だが隙は無い。君の故郷の技か……ふふ、興味深い。その力、見せてもらおうっ!」 ワルドが跳ぶ。 「相棒っ! 『ブレイド』に俺を当てろっ!」 「っ!」 「なにっ!?」 デルフリンガーの叫びに答える事が出来たのは、この不思議な体の軽さのおかげだっただろう。 長剣は杖の先に巻きつく風に当たり、そのまま鍔迫り合い―――をする事なく、何の衝撃も起こらずにその風の刃が掻き消えた。 「うおっ!?」 「くっ!」 てっきり剣同士のぶつかりあう衝撃があるものと思っていた耕一は、思いっきり剣を振り抜いてしまった。 ワルドも、なぜか消え失せてしまった『エア・ブレイド』を再び纏わせるのが精一杯だったのか、その隙の追撃はなく、二人はお互いに跳び退って距離を取る。 「へへっ、どーよ。チャチな魔法だったらいくらでも吸収してやるぜ!」 「先に言えっ!」 耕一の簡潔な抗議に、周囲を囲んでいたアルビオン貴族の中でまだ余裕のある者は、然りと頷いた。めんごめんご、と謝るデルフリンガーに、あまり謝意はなさそうだ。 「……魔法を吸収するとはね。城が一つ買える値段がつくぞ。ヴァリエール家の宝物か何かかい?」 ワルドが涼しげな笑みを浮かべながら、杖を構える。 「場末の武器屋で金貨100枚で買った、って言ったら信じる?」 「それは……掘り出し物もいいところだね。―――さて、やはり、まともに叩くのは無理か。二つで満足しておくしかあるまいな」 ワルドの笑みが、徐々に獰猛なそれに変わっていく。 「くるぞっ! 相棒っ!」 ワルドの『エア・ブレイド』が不意に解除されたかと思った瞬間、ぶおん! と大きな音が鳴った。 台風の中、暴風に煽られたかのような衝撃。『ウィンド・ブレイク』の魔法が耕一を襲う。足を踏ん張ってなんとか踏み止まり、本能的に剣を掲げた顔の正面だけに緩やかなそよ風が吹いた。 「横だっ!」 その隙に、ワルドは耕一の側面に回りこみ、『エア・ブレイド』を構えて突進してくる。 迎え撃つように耕一が跳ぶ。今度は振り切らないように、デルフリンガーを風の刃に当てて迎撃―――。 「フッ……」 「なにっ!?」 ぶぅん、と、ワルドの刃が振られるはずの場所を迎え撃とうとした耕一の剣が空を切った。ワルドは杖を微動だにさせないまま、耕一の横をそのままの勢いで通り過ぎていく。 その先には―――介添人である、ウェールズとルイズが立っていた。 § 二人の顔が驚愕に歪む前に、ガンダールヴが振り向く前に、周囲のボンクラどもが事態に気付く前に……自らの『ブレイド』はその使命を全うする。ワルドはそう確信して、疾駆する速度を上げた。 その使命とは―――彼の所属する『レコン・キスタ』の敵、アルビオン王国皇太子、ウェールズ・テューダーの命。そして、その傍らに立つルイズの持つ、アンリエッタの恋文。 その二つがあれば、『レコン・キスタ』は瞬く間にアルビオンとトリステインをその版図に含める事が出来るだろう。 もう一つの目的は、ルイズ自身であったが……手紙と一緒に気絶させて持ち帰り、もう一度話をすればいい。どうしても反抗するのであれば、その首を手折るまでだ。 そんなワルドの計算は、9割9分までが正解だった。 唯一の誤算は―――ルイズの心を、無力な子供と舐めすぎた事だった。 § コーイチの横をすり抜けて、ワルドが向かってくる。その顔には、見た事もないような獰猛な笑み。 心が真っ黄色に染まる。それは、エルクゥの警告信号。 『敵に、気をつけろ』 それまでのルイズであれば、きっと何も出来ずにいた。 事態を把握できず、事実を認識できず、状況の動く様子を眺めるだけであっただろう。 しかし、今のルイズは、違う。 事態を把握し、事実を認識し、状況を見据える。そうあろうと決めたルイズの心は、明確に判断を下した。あれは敵。狙っているのは、自らの傍らに立つ、おともだちの大事な人。 振り向きつつあるコーイチの足では間に合わない。周囲の貴族達もまだ事態に気付いていない。唯一間に合うのは―――自分だけだ。 ルイズは、とんっ、と軽く床を叩く靴音を残し、兇刃と、刃の狙う先との間に、その小さな体を滑り込ませた。 前ページ次ページゼロのエルクゥ
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前ページ次ページゼロのエルクゥ 体の中心が引き裂かれるような衝撃。 スクウェアの風の刃は、容易く臓腑を貫き……痛み、なんて言葉では到底表せない致命傷の苦痛に、ゼロのメイジの意識は闇に落ちた。 ―――死ぬのかな。私。 ―――任務を果たせず申し訳ありません、姫さま。 ―――ワルド様が、なんで……。 ―――ああ、ウェールズ様。私などに構わず、お早くお逃げください……。 麻痺した意識とも夢の中ともつかない闇の中に、そんな言葉が浮かんでは消える。 ―――コーイチ。 最後に浮かぶのは、変貌した自らの使い魔の、大きな背中。 あれが、エルクゥ。なんと恐ろしい生き物だろう。なんと力強い生き物だろう。 命を賭してようやく人一人をなんとか一度庇えるぐらいでしかない『ゼロ』が、なぜあんなものを使い魔にできたのだろう。 わからない。なぜだろう。なぜ―――。 「―――?」 思考が螺旋に入り込んだところで、周囲の闇がゆっくりと晴れていく。 目に映ったそこは、街並み……おそらく、街並みであろうという風景だった。 見た事もない風景が流れていく。 灰色で幾何学的に窓がついている四角い建物。 魚の鱗のような奇天烈な屋根がついた三角の建物。 色とりどりの不可思議な……そう、コーイチと同じような、てぃーしゃつ、とか、じーんず、とかいう服を着た人々。 道の端には四角い建物と同じ灰色の柱が幾本も立ち並び、そのてっぺんには黒いひもが蜘蛛の巣のように張り巡らされている。足元は固い何かで綺麗に覆われ、舗装されていた。 やがて到着したのは、大きな邸宅だった。 魚鱗屋根のついたタイプで、周囲を大きく塀で囲まれている。 ヴァリエール家の本邸に比べれば猫の額に等しいが、これまで見てきた建物の中では、随一の広さを誇っていた。 木とガラスで出来た引き戸を開けて中に入ると、板張りの廊下の先に、なんと紙で出来た扉があった。 徹頭徹尾見慣れない、異国と言うのもおこがましいほどの異風景。 しかし、怪我のために意識の薄いルイズは気にもせず、足が歩くに任せていく。 靴を脱ぎ、廊下に上がり、見た事のない木々が生え揃う庭を眺めながら廊下を抜けて、紙の扉を開けた。 「おかえりなさい、耕一さん」 「おかえり、耕一」 「おかえりなさい! 耕一お兄ちゃん!」 「……おかえりなさい」 4人の女性が、そこにはいた。 優しげな微笑みを浮かべながら、どこか自らの長姉を思わせる鋭さを持つ女性。 活動的な短髪をヘアバンドでまとめたボーイッシュな外見のくせに、けしからん胸部装甲を持つ女。 それとは違ってかなり親近感の持てる体型の、ぴょこんと一本髪の毛の飛び出した、一番小さな女の子。年下っぽいのに雰囲気が次姉に近く、不思議な感じ。 そして……どこか陰を背負ったような、残りの一人。 「ど、どうも。お邪魔します……」 そこは『ただいま』と言うべきじゃないのかしら、と思ったが、『私』の口から出たのは、そんな他人行儀な挨拶だった。 彼女達は四姉妹であり、『私』の父の兄の子……つまりは従姉妹だった。 『私』の父は彼女達四姉妹と住んでおり、『私』の住んでいるところは、ここ―――隆山ではなく、遠くの東京というところで。 その父が死に、その葬式のために、この家に厄介になりに来た、というところであるらしい。 色々と複雑な事情でそうなっていたようだが、『私』にはそれ以上の事を彼らの会話から聞き取る事は出来なかった。 ……これは、コーイチの記憶。 流れるように時間が過ぎていく中でルイズが思ったのは、まずそれだけであった。 § 「きゃああああああああっ!!」 ニューカッスル城客室から、絹を裂くような悲鳴が響き渡った。 「ぐ、う、あああっ……!!」 「コーイチっ!? カエデ、あなた何を!?」 耕一が腕を抑えて膝をつき、キュルケが目を剥いて叫ぶ。 ―――耕一の左の手首から先が、すっぱりと切り落とされていた。 「……! 左手の、使い魔のルーンが?」 「……こりゃ、おでれーた」 「やっぱり、これが耕一さんを……っ!」 どくどくと床が赤く染まっていく。 床に落ちた左手の甲から、スゥッと使い魔のルーンが消え失せるのを見ていたのは、タバサと楓の二人と腰に差さっているデルフリンガーだけだった。 「使い魔のルーン? どういう事よ、説明して……ああもう! その前にコーイチを治さないと! ほらあんた! 混乱してないで早く治療して! ルイズの方は落ち着いたんでしょ!?」 「あっ、は、は、はいっ!」 あまりの光景に、最初に金切り声を上げたまま放心していた水メイジの女性は、キュルケの一喝に、慌てて耕一に向かって杖をかざす。 先ほどまで血を吐いて苦しんでいたルイズの呼吸は、うって変わって落ち着いていた。 落ちた手首を切断面に当て、杖をかざして呪文を唱える。 水色の光が患部に灯り、じわじわと出血が止まっていった。多量の出血のためか、苦悶に歪んでいた耕一の顔がふっと緩み、床に倒れ込んで眠り始めてしまう。 「……すいません。残っていた精神力では応急処置が精一杯で……見た目だけはくっつけられましたけど、中身は全然……」 「ありがとう。とりあえず命が助かったんならそれでいいわ。さあカエデ、説明してもらうわよ」 女性がふらつきながら言うのに頷いたキュルケは、騒動を引き起こした張本人―――今しがた、その手刀で恋人の手首を切り落とした少女に視線を向けた。 「……はい。ですが、その話は、行きがてらにしましょう」 「? どこへ行くのよ?」 「……耕一さんとルイズさんを、治せる人のところへ」 § どうやら、『私』はあまり父親の事が好きではなかったらしい。 お葬式の間、四姉妹達はひどく悲しみに暮れていたというのに、『私』の態度は平静そのものだったからだ。 式も終わり、しばらく父親の傍にいてやって欲しい、という姉妹の長女の頼みで、『私』はその家―――柏木家に滞在する事となった。 ブツダン、という、おそらく死者を弔うためのものであろう祭器におざなりに手を合わせ、やる事もなく退屈を持て余して日々が過ぎていく。 そして、夢を見る。 今の『私』が夢を見ているような状態なのに、その中でまた夢を見るというのは不思議な体験だったが、その夢は、そんなものを吹き飛ばすほどの衝撃だった。 怪物が、自分を乗っ取ろうとしてくる。 乗っ取られれば、その怪物は圧倒的な力で、周りの人間と言う人間を殺し尽くすだろう。 そんな事をさせるわけにはいかない。 少しでも気が緩めば、怪物は表へと出てくる。 気を張り詰め、心の中の檻を抑え付け、じっと目が覚めるのを待つ事しかできないのだ。 朝になれば、怪物は大人しくなる! 朝だッ! 朝はまだか! アサだあッ! アサあッ! 朝はまだかあぁーッ!! § 少しの後、未だ眼を覚まさないルイズと、出血の為に眠っている耕一を連れた5人は、空の上の人となっていた。 困憊していたシルフィードは一度ぐずったものの、特に急がなくていい&帰ったら好きなだけ肉を食べさせるという(彼女の主人にしては)破格の約束を取り付け、今は上機嫌で翼を広げていた。 「違和感はあったんです。エルクゥの力ではない、何か別のものが、耕一さんを動かしている……と」 「それが、使い魔のルーン?」 キュルケの答えに、こくりと楓は頷いた。その膝の上では、少し青い顔で、耕一が寝息を立てている。 「耕一さんが鬼となって暴れていた時と、先ほどルイズさんをエルクゥにしようとした時……何か金属の刃のような、熱いような、冷たいような感じがして……その時に、ルーンが光っているのが見えたんです」 「ルーンがコーイチの意志を無視して体を操り、ルイズの仇を取るために暴れさせて、ルイズの命を助けようとさせた……って事? そんな強力な強制効果、使い魔のルーンには無いわよ」 「でも、そうとでも考えないと……耕一さんが、他の人間をエルクゥに変えようとするなんて、するはずがないんです……」 「……と、言ってもねえ」 楓の言葉に嘘はないとはわかる。しかし、『コントラクト・サーヴァント』によって刻まれる使い魔の証の紋章にそんな強い服従の効果があるというのも、またキュルケの知識ではあまり考えられない事だった。 「……考えられなくはない」 「タバサ?」 風竜の背びれに背中を預け、本に目を落としていたタバサが、ぽつりと呟いた。 「『コントラクト・サーヴァント』は、危険な魔獣であっても主人に友好的にしたり、小さな小動物が人間の言葉を理解出来るようになったり、主従で感覚のやりとりが出来るようになったり……かなり強く、頭の中身を変えてしまう魔法とも言える」 最後の言葉を語る際、タバサの声がほんの少しだけ沈んだが、気付いた者はいなかった。 「人間に掛けられた例は、少なくとも記録にはない。人、もしくはそれに類する思考や意志を持つ者に掛けられた場合、その者の意志を、主人に友好的なように誘導、強制する効果は、どちらかと言えば、あると考えるのが自然」 そして、少しだけタバサの言葉が熱を帯びる。 「何かしらの行動が使い魔本人の性質や信条に著しく反するようなものであり、尚且つ、その行動をしなければ主人の命が危ない、というような極限の場合には……もしかしたら、無理矢理に体だけを強制させる、と言うような事もあるのかもしれない」 例として、通常の動物の使い魔が自発的に主人を庇って死んだと言う話は枚挙に暇がない、と付け加えた。 「……なるほどね」 「特に……彼についていたのは、ガンダールヴのルーン。どんな効果があっても不思議ではない」 タバサの言葉に、カチリ、と耕一の差している剣が微かな金属音を立てた気がした。 「がんだーるぶ? 何それ?」 「始祖ブリミルに仕えたという4体の使い魔の一人。神の左手ガンダールヴ」 「始祖ブリミルの使い魔って……ちょっとちょっと、初耳よ?」 「……どちらにしろ、今は消えてしまったもの。もう意味は無い」 「……はあ。もう、つれないんだから」 打ち切るように言葉を切ったタバサに、キュルケは髪を書き上げて溜め息を付いた。 「それにしても、珍しく饒舌ね、タバサ」 「……機会があって、調べた事があるから」 ふい、と、まるで照れて顔を背けるかのように、タバサは本に目を落とす。 それを見て、キュルケはくす、と小さく含み、楓に向き直った。 「話を戻すと、だからルーンのあった左手を切り落とした、って事?」 「はい。耕一さんにあんな事をさせるものを、放ってはおけなくて……」 「……無茶するわねえ。消えてくれたから良かったようなものの、右手とかに新しく出てきたりしたらどうするつもりだったの?」 呆れたような、微笑ましいような、そんな複雑そうな感情を滲ませて、キュルケは苦味を含んで笑った。 ……右手だったらヴィンダールヴ、とタバサが本に目を落としたまま小さく呟いた言葉は、風に消えていった。 「……ごめんなさい。衝動的にしてしまった事ですから、そこまでは考えていませんでした」 「私に謝られてもね。ま、後でゆっくりコーイチに謝っておきなさいな」 「はい……」 耕一のあまり整えられていないざんばらな髪をそっと手櫛で梳いて、楓はそっと顔を伏せた。 § ……うわぁ。コーイチって、ロリコンだったんだ。 目の前に展開されるピンク色の光景に浮かんだ感想は、ただそれだけだった。 滞在して数日。あれよあれよという間に、四姉妹の三女―――少し陰のあるカエデという少女といい仲になってしまい、その部屋で男女の関係を築いてしまっているのだから。 ―――いや待て。待つんだルイズ。そうじゃない、そうじゃないぞ。 だって、今この状況をロリコンだと認めてしまったら、このカエデとかいうあまり発育の良くない少女よりさらにヤバイ私は、ロリータなどという言葉では表しきれない幼児体型という事になってしまうではないか。 それはない。ないから、コーイチはロリコンではない。これ既定事項ね。破ったら殺すから。ここ、殺すから。 『私』が現実逃避をしている間に、二人は行為を終えて身なりを整え、真剣な顔で話し込んでいた。 それはいつか聞いたお話だった。そう、確か……『雨月山物語』。 剣士の男と鬼の娘の、悲しい恋の物語。 それはこの地方に伝わる昔話であり、コーイチとカエデはその二人の生まれ変わりだというのだ。 なるほど、と疑問が氷解した。それは、スッキリと心地よい感覚だった。エルクゥと、ジローエモンと、コーイチの関係。本人ではないが同一人物であったと。 何はともあれ、来世で再びと誓った二人は今ここに結ばれ、めでたしめでたし。 ―――とはいかなかった。 エルクゥとは、紛れも無い『鬼』であるのだから。 § そして数刻。シルフィードの背に乗った一行の目に、大きな森が見えてくる。 「あの森の中です。しばらく行ったところに森を切り開いた小さな村があります」 楓の指示通り、タバサはシルフィードを下降させ始める。 「そんなところに、腕のいい医者がいるっていうの?」 「……医者、というわけではなくて」 どう言ったものだろう、と思考を巡らせたところで、ふと気が付いた。 「……そういえば、お二人とも、エルフと言うのはご存知ですか?」 彼女は、この世界では迫害、敵対種族であるらしい、という事に。 「そりゃ知ってるわよ。この世界のメイジでエルフの事を知らない奴なんていないわ」 「ん」 二人ともが、肯定の意を示した。 彼女はきっと、そういう事に敏感だ。先に言っておくべきだろうと楓は判断した。 「怪我を治せる人というのは、エルフ……いえ、人間とエルフの間に生まれたハーフエルフらしいんです。見ても驚かないであげてください」 「ええええええええっ!!?」 見てもどころか、聞いただけで、キュルケが素っ頓狂な声を上げた。 「ちょっ、ハーフエルフっ? 何それ、なんでエルフがこんなところに? いや、そんな事より、エルフとの間に子供なんて出来るものなの? ああもうっ、今日は驚いてばっかりだわあたしっ!」 自棄になったかのような言葉だが、その語調は、どこか愉しげですらあった。 世界は、まだまだ新鮮な発見と驚きに満ちている! ゲルマニアの、ツェルプストーの血は、学院で楓に出会ってからというもの、騒ぎっぱなしだった。 「……そのハーフエルフが、治療を?」 「はい。耕一さんの痕跡を追っていた私を偶然召喚した方なんですが……私を送り出す際、誰かに怪我があれば戻ってこい、完全に死んでいなければ治す事が出来るから、と」 「エルフの治療、か。確かに良く効きそうではあるわね。オーケー、機嫌を損ねないようにしとくわ」 キュルケが爛々と目を輝かせて頷き……タバサは、俯いていた顔をゆっくりと上げた。 「……一つ、いい?」 「タバサ?」 「その人が治せるのは……怪我だけ?」 「……何を治したいのかは知りませんが、ごめんなさい、わかりません。私も、そう言われただけですから」 「……そう。……降りる」 特に何の感慨もないように言い、小さく宣言した通り、ばさっばさっと翼のはためく音が響き渡って、シルフィードは地に降り立つ。 そこは、港町ロサイスの近郊、ウエストウッドと呼ばれる森だった。いきなり村の広場に竜が舞い降りてきたので、遊んでいた子供達は驚きつつも、興奮を隠そうとせずにはしゃぎまわる。 ちょうど子供達の遊び相手をしていたティファニアは、最初こそ戸惑っていたものの、その背に乗っている人影の一人を見て、ぱあっと顔を綻ばせた。 「カエデさん!」 「テファさん、いきなりですいません、この人の治療をお願い出来ますか?」 眠ったままの耕一を抱えて風竜の背から降りた楓は、挨拶をするのももどかしいというように、耕一を地面に横たえた。 「この人は……わ、わ、手、手がっ!?」 ティファニアはその人物をぐるりと眺め回し、その左手首を見て仰天した。赤黒く幾筋もの血線が走っており、くっつききっていないところから向こう側の地面が垣間見える。 「水の魔法で外だけはくっつけたらしいのですが、中までは駄目だったと……」 「わ、わ、わかりました」 ティファニアは深呼吸をして気を落ち着けると、その指にはまっている指輪をかざし、目を閉じた。 「……お願い、お母さん。おともだちの大事な人を、助けてあげて……っ!」 その小さな願いの言葉が届いたのか、指輪と耕一の体が青く光りだし、みるみるうちに左手首の傷が無くなっていく。 光が消えた時には、手首だけでなく耕一の体全体が、すっかりと血色を取り戻していた。 すがりつくように、楓がその体を一度抱きしめる。続けて風竜の背から降りてきたキュルケ達が、その光景をほっとした様子で見守っていた。 「ありがとうございます……テファさん」 「う、ううん。治療したのは私じゃなくて、この指輪だし……そ、それに、わ、私達、おともだちでしょ?」 「……はい」 その透き通るような白い肌を朱に染めながら、ティファニアは言う。二人はじっと見つめあい、ほんわかとした雰囲気が流れ始めた。 入りにくい空気ねえ……と淑女らしくなくぽりぽり頭を掻いて、キュルケが一歩進み出た。 「あー、再会を喜んでるところ悪いんだけど、こっちも治してもらえるかしら?」 「は、はいっ!?」 「ご、ごめんなさい、キュルケさん」 ティファニアが飛び上がるように驚き、楓が我に帰って頭を下げた。 「あちらの桃色の髪の子も治してあげてくれますか。お腹を刺されたそうなんです」 「う、うん。わかったわ」 戸惑いつつも、ティファニアは同じように指輪をかざす。ぽうっとルイズの体に青い光が灯り、消えた。 「どうもありがとう。貴女がカエデを召喚したっていうハーフエルフのお方? 随分と可愛らしい方ですのね」 キュルケが一礼して胸を張ると、そのメロンのような双子の山が、まるでその正面にあるスイカに対抗するかのように、健康的に跳ねた。 「…………エイケニスト」 タバサは、じーーーーっと、そのティファニアの胸元のスイカだけを見つめ、誰にも聞こえないほど小さく何事かを呟いた。 「あ、あの、あ、あなたがたは? というか、ハーフエルフって……ええええっ!? わ、私の事、怖くないんですかっ!?」 「……なんだか、本当に可愛らしいわね。エルフって、皆こんなのなのかしら?」 夜に出歩く悪い子はエルフが来て食べられちゃうぞ、と母親が子供を躾るぐらいにハルケギニアで怖れられている種族を目の当たりにしたキュルケは、どこか気の抜けたような、安堵したような顔で、ほっと溜め息を付いた。 § 長く艶やかなその黒髪が、風もなく、自然と舞い上がる。 吹き付ける冷気が、彼女―――四姉妹が長女、千鶴の『鬼』を示していた。 そして、それに呼応するように、『私』も『鬼』を目覚めさせる。 目の前の千鶴は人の姿をとったままだが、『私』は違う。 目覚めた鬼の遺伝子が、体を作り変えていく。 人間の域を越え、骨と筋肉が増殖、再構成されていく。 膨張する体が内側から服を破り、膨れ上がった腕の先に刃のような爪が伸びた。 体の奥底から溢れ出る力。 『私』は目覚めた殺戮の本能のまま、近くにいた楓に爪を振るい、それを庇う千鶴との殺し合いを始めた。 何合も何合も、腕と爪を交差させる。 そのたびに風が舞い、地は震え、水を揺らし、火が身体中を駆け巡る。 人智を越えた戦いの神楽の中、『私』は思った。 ―――ああ。私も『これ』になってしまったのだ、と。 前ページ次ページゼロのエルクゥ
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前ページ次ページゼロのエルクゥ 「はは。見たか? 驚いて目を剥いてたぞ」 「ぜーっ、ぜーっ、ぜーっ……うう、そんなの、見てる余裕なんかあるわけないじゃない……はぁ、はぁ、はぁっ……」 目的地らしき石の壁に囲まれた建物に到着したのでルイズを下ろすと、ルイズはそのまま地面にへたりこんでしまった。 荒い息をつきながら反論する口も、どこか勢いがない。 エルクゥの驚異的な動体視力ならともかく、時速100キロ超で駆け抜けていく人の表情なんて、通常の人間に観察できるわけもないのだが……。 「……ねえ。あなた、もしかして亜人なの?」 「あじん?」 息を整えながら、ルイズはそんな疑問を口にした。 なんかさっきも聞いたような言葉だな、と耕一は首をひねった。 「人の形をしてるけど、人じゃない種族よ。エルフとか、翼人とか、獣人とか、オーク鬼とか。あんな非常識なスピードで走ったり、『フライ』で飛んでる人のところまでジャンプだけで跳んだりなんて真似、メイジでもできないもの」 よどみなく解説を返す様子に、馬鹿にされてたわりには、結構頭いいんじゃないのかなこの子。などと場違いな感想を頭に浮かべつつ。 「ふぅむ……」 ひとつ唸って、考える。 亜人。人の亜種。 ニュアンス的には間違いではないかもしれない。『鬼』という生き物も、そのカテゴリーに入るようだし。 ―――それに、まあ、この身が純粋なホモ=サピエンスだ、とはお世辞にも言えないからなぁ。 いや、魔法使いが純粋なホモ=サピエンスと言えるかどうかはわからないけど。 事件の直後はちょっとその辺哲学的な意味で悩んだりもしたのだが、耕一よりはるか昔にエルクゥとして目覚めていた楓に心体共に慰められて、今ではそんな悩みもあったなぁ、程度のものだった。 貴方は貴方です。 愛する者からのその絶対の承認は、人をとても強くする。鬼を飼いならせるほどに、だ。 「まあ、厳密には違いそうだけど、そう思ってくれていいんじゃないかな」 「……そう、なの?」 答えを返すと、ルイズはどこかぼんやりした表情を浮かべた。 もしかしたらすごい使い魔を引き当てたのかもしれないという劣等生の期待と、得体の知れない力を振るう亜人に対する畏怖とが入り混じった、微妙な心境を表していた。 「と聞かれてもね……こっちの世界の生態系なんて俺にはわからないし、どうにも」 「……こっちの、世界?」 「ああ。たぶん、俺はこの世界の人間じゃないから」 ……しかしそれは、すぐに不機嫌な表情にとって変わってしまった。 「……なによ、それ」 「俺が住んでいたところじゃ、魔法なんて架空の存在だったんだよ」 「意味がわからないわ。ハルケギニアの人間じゃないって事?」 「うーん、この星というか、いや、星が違っても魔法なんか使えないか……この次元というか……ともかく、こことはまったく違うところ、というか……」 「…………」 首をひねりながら言葉を搾り出す耕一に、ルイズの眼が、どこかアレな人を見るようなソレに変わっていく。 一般相対性理論すらまったく知らない耕一には、次元やら空間やらをゲーム用語以上の言葉で語る事は出来なかった。 ……まあ、よしんば、真の統一場理論が完成していて耕一がそれを朗々と語れたとしても、 それがこの世界でも通用するものなのか、そしてルイズが納得してくれるのかどうかは、まったくの別問題であるが……。 「……まあ、とにかく、俺はその『亜人』のようなもので、すごく遠いところから来たと思ってくれればいい。だから、魔法も含めてこの辺の事は何もわからないんだ。その、はるけ? なんたらって言うのも、全然聞いた事がない」 「……ふぅん」 今のところは、それで納得してもらうのが妥当だろう。 ルイズは胡散臭げな視線だったが、それ以上追及する気はなさそうだった。 「あー、それで、ちょっと聞きたい……っていうか、さっきコルベールさんに言いそびれた事なんだけど」 「なぁに?」 塩粒ほどだった『フライ』で帰ってくる組が豆粒ほどに近付いてくるのを見やりながら、ルイズはぱんぱん、とスカートの砂を払いつつ立ち上がった。 ショックからはとりあえず立ち直ったらしい。変な話を聞かされて機嫌がナナメに傾いて、ショックどころの話じゃなくなった、というのも小さくない要因だったが。 「俺を元の場所に送り帰してくれないか?」 「へ?」 ルイズは、きょとん、と耕一を見つめた。 「いや、たぶんその『サモン・サーヴァント』の魔法だと思うんだけど、変な鏡みたいなのが目の前に出てきてさ。 それに吸い込まれかけてどう引っぱっても抜けられなかったから、近くにいた家族にすぐ戻るって言って鏡に飛び込んだらあそこに居た、というわけなもんで……」 「だ、ダメよ!」 できれば早く帰りたいんだけど、と続ける前にルイズが叫んだ。 「あ、あんたは私の使い魔として召喚されて、もう契約したのよ。さっきも、やり直しのできない神聖な儀式って言ってたでしょ?」 「……契約ってのは、お互いに同意があって成立するもんなんだけどね。まあ、そういう様子だったから言いそびれたんだけどね」 一応、空気は読めるほうだと自負している。この場合まったくありがたくなかったが。 「だ、だからよ。使い魔は主人を守るもの。ご主人様を置いてどこかに行っちゃうなんて許さないわ」 精一杯威厳があるように胸を張り、傲慢な言葉を口にしても……それが、せっかく召喚成功したのに逃げられでもしたらまた馬鹿にされる、という劣等感に満ちた震える声では、効果は半分以下だった。 同い年ぐらいの少年であれば売り言葉に買い言葉で有耶無耶になったかもしれないが、幸か不幸か、耕一は一応少女の虚勢や我侭を受け入れてやるぐらいの、青年と呼べるメンタリティは持っていた。 「……ね、君、家族はいるかい?」 「い、いるわよ。それがどうしたの?」 「どんな人がいるんだい? 聞かせて欲しいな」 「な、なによ、気持ち悪いわね。……両親と、姉様が二人いるけど」 「そうなんだ。その中で一番好きな人は?」 「……なんでそんな事答えなくちゃいけないのよ」 病弱ながらとても優しかった下の姉を思い浮かべながら、ルイズは不審がる。 「『今からお前とそいつを永遠に会えなくしてやる』」 「っ!?」 「『お前は今から見知らぬ土地でどこかの誰かに一生奉仕しろ。お前の一番好きなそいつは、お前に二度と会えない』」 「…………っ!」 少し迫力を込めた声色に、想像してしまったのだろう、ルイズの顔が蒼白になっていく。 「そう命令されたら、どうする?」 「ど、どうするって……そんな」 そんな横暴な命令聞けるわけないじゃない!と言おうとして、ルイズははっと口に手を当てた。 うん。気付いたか。やっぱり頭がいいし、いい子だな。と、耕一は頷く。 「そう。今君が言った事だよ」 「で、でも、平民は貴族に奉仕するのを喜ぶべきで」 「家族を好きな事に、好きな人と離れ離れになる悲しみに、貴族だの平民だのが関係あると思うのかい?」 「あ、あるわよっ! 平民なんて何よりも貴族への奉仕を喜びにすべきで、自分の悲しみなんて二の次でしょう!」 「じゃあ、貴族より偉い王様が君に命令しよう。『お前ごときの悲しみなんて二の次でくだらない事だ。王への奉仕に喜べ』」 「~~~っ! ヴァ、ヴァリエール公爵家の名誉にかけて、姫殿下の命は果たしてみせるわ!」 目尻に涙を浮かべて、声をあげるルイズ。 耕一は少し後悔した。このルイズという少女、予想以上に意地っぱりだった。こいつは梓以上だ。 自分で気付いてすら反発するタイプか……根はいい子っぽいんだけどな。よっぽど深く掘らないと根は見えなさそうだ。 「……とまあ、そういう事を言われると、今ルイズちゃんが感じているような心境になるわけだよ。ごめんな、変な事言って」 「べ、別に変な事なんて言ってないわ。下の者は上の者に従う。当然の事よ」 ……とはいえ、ルイズの根を包む土であるこれまでの言葉は、ここの社会では真っ当な常識なのだろう、とも思った。 それを異邦人である耕一が取り除けてしまったら、ルイズは社会に溶け込めなくなってしまわないだろうか。 鬼の血を引く柏木の者が、いかに人間社会に溶け込む事に尽力しているか。祖父や叔父、親父に、遥か昔のご先祖様、代々の表裏に至る努力を千鶴や楓から聞いている耕一は、ついそんな事を考えてしまった。 いっそ、そんな事に気付かない少年ならば、まっすぐにルイズの根まで掘り起こしてしまうのかもしれなかったが。 「それに……そもそも無理なのよ」 「何が?」 「あんたを……召喚したものを元の場所に戻す魔法なんてないもの」 「…………マジで?」 「マジよ」 それは予想外だった。いくら神聖な儀式と言っても、緊急の手段ぐらいはあってしかるべきじゃないのだろうか。 「それは、君が使えないというだけ……じゃないよな」 「ええ。そんなのがあるなんて、先生だって知らないと思うわ」 「マジか……」 「マジよ」 彼女が嘘を言っているようには見えない。 ……うーむ。あのコルベールさんの態度からして、生徒には隠されているだけ、という線もない気がしないではないけど。 呼べるなら戻せるだろう、と楽観的だった考えが覆されて、耕一もさすがに焦り始めた。 「わかった? あんたは私の使い魔をするしかないの」 「……うーむ」 悩み出す耕一に、有利に立ったと思ったのか、少女の虚勢が貴族の矜持に変わり、ルイズの言葉に余裕が出てくる。 逃げるのは簡単だろうが、剣と魔法のファンタジー世界に逃げてどうするというアテがあるわけでもない。 自然は多そうだし、身体能力を駆使すれば狩猟採集で生きていけるかもしれないが……それでは逃げる意味がないし、野良エルクゥとか洒落にもならない。 「……ぬー」 ……とにかく、彼女より知識のある人に話を聞かなければ。 元の世界への送還魔法なんて本当に存在せず、まったくのイレギュラーで呼び出されたのか。それとも何らかの関わりはあるのか。 「はぁ」 とりあえずのところは彼女についていって、機会を見つけて責任者に掛けあってみるしかないか。学院というぐらいなら、校長先生ぐらいはいるだろう。 『平民風情がこの校長に向かって軽々しく口を利くとは無礼者め』などと無礼討ちされそうになったら、その時にはエルクゥ全開で逃げ出せばいい。 当面の方針をそう結論付けて、耕一は『ごめんよ楓ちゃん。ちょっとすぐには戻れなさそうだ』と空に向かって懺悔をすると、ひとつため息をついた。 「わかったよ。帰るのを諦めるつもりはないけど、手がかりが見つかるまでは君に従おう」 「……態度が気に入らないけど、まあいいわ。ゆっくり上下関係を思い知らせてあげるから」 「王様にそう言われて心から忠誠を誓えるなら、そうするといい。子曰く、天下は恐怖でなく仁徳にて治めるべし、ってね」 「……ふん。もうその手は喰わないんだから」 物騒な事を口走るルイズに苦笑しながら、お手柔らかに、と握手を求めると、見事に無視されてしまった。 代わりに、手の甲を差し出される。一瞬意味がわからなかったが、昔見た演劇を思い出して、もう1回嘆息。 そして、膝をつき、せいぜい精一杯恭しく、その甲に口付けた。 「そうそう、あんた、君とかルイズちゃんとか呼ぶのやめてよね。ご主人様に向かって馴れ馴れしいわよ」 「ふむ。じゃあ……ミス・ヴァリエール?」 「……あんたに言われると、なんかムズムズするわね」 「ルイズ?」 「気安く呼ばないで」 「じゃあ、ルイズちゃんで」 「……うー。なんか納得いかないけど、それが一番マシな気がするわ」 そんな会話をしている内に、他の生徒たちが次々と到着して、門をくぐっていく。 「はあ。私たちも教室に行くわよ。えっと……カシワギコーイチ?」 「耕一、でいいよ。柏木が苗字で、耕一が名前だ」 「そう。まあ……ありがと。あんたのおかげで授業に間に合ったわ。あのまま歩いてたら、きっと間に合わなかったもの」 それだけ言うと、ぷいっと踵を返して、門に向かって歩き出してしまう。 ルイズちゃんの方はこれで様子を見て、とりあえずコルベールさんと話してみるか……と、これから取るべき手段を考えつつ、耕一は少しだけ微笑ましい気分でルイズの後についていった。 前ページ次ページゼロのエルクゥ
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前ページ次ページゼロのエルクゥ その日は、確かに普通の日だったはずだ。 千鶴さんが料理をしたわけでも、庭に生えていたキノコで料理をしたわけでも、庭に生えていたタケノコで料理をしたわけでもない。 北陸は有数の温泉地、隆山。 柏木耕一にとって、東京での大学生活の傍ら、長期休暇の折には、従妹の美人4姉妹が住むこの地に滞在するのがもはや恒例となっていた。 事件から、一年。 エルクゥの力の制御は、一応うまくやれていると思う。絶対の保障など誰にも出来ないが、少なくとも、あの時あれほど苦しめられた鬼の慟哭が、今は全く感じられないのは確かだ。 前世の因縁が果たされて満足しているのか。 楽観はしないが、耕一自身のノンビリ気味な性格からか、特に気にしているわけでもなかった。出来るもんは出来る、という事で。 彼にとっては、そんな些末事より、恋人でもある4姉妹のうちの三女、柏木楓との逢瀬の時間の方が、はるかに重要なのだった。 「この屋敷で二人っきりには、なかなかなれないからなあ」 「……そうですね」 二人以外の従妹たちは皆用事で出かけてしまい、誰もいない静かな屋敷。昼下がりの日当たり最高の縁側で、楓ちゃんの膝枕を楽しむ……これ以上の幸せは、なかなか無い。 まあ、直接肌を重ねるのも、もちろん最高の幸福ではあるのだが、それはそれ……などと、愚にもつかない思考で脳を満たす。 至福だった。 それが壊れる事なんて、考えもしなかった。 ……まぁ、以前の経験もあるし、取り戻せる可能性がある限り、そんな事で絶望してやるほど、鬼を飼う精神は弱くもなかったが。 "それ"が突然現れたのは、夕刻。 友達と遊びに行っていたという初音ちゃんの、ただいまー、という声に、体を起こした時だった。 「な、なんだこれっ!?」 「耕一さんっ!?」 目の前に、淡緑色に光る水の板、とでも表現すればいいのか、不可解なモノがあった。 タタミ1畳ほどの、人がすっぽり入る大きさの楕円形が、宙空に浮かんでいる。 体を起こした拍子にそれに触れた耕一の肘から先が、するりとそれに飲み込まれた。 「ぐっ……! ぬ、抜けないっ!? エルクゥの力でもっ!?」 縁側の床板が踏み折れるほどの"力"を込めても、"それ"から腕が抜ける気配はまったくない。 逆に、信じられないほどの引力でもって、"それ"は耕一を引き込もうとすらしてきた。 鬼と表現されるエルクゥの膂力をもってしても、耐えるのが精一杯。そんなデタラメな引力だった。 「か、楓ちゃん、離れるんだ。このままだと二人とも引き込まれる!」 「嫌です」 まだ引き込まれていない耕一の半身を掴み、離そうとしない。 苦も楽も、共に。 そう誓った恋人の想いは嬉しいし、立場が逆でも同じ事をしただろうが、耕一は歯噛みするしかなかった。 想像の埒外の事態に、耕一の頭はすーっと冷えていく。 事態を把握し、原因を探り、解決法を見出す。 人の強さ。鬼すら飼いならしうる人の理性でもって、頭脳を回転させ始める。 ―――吸い込まれた左腕の感覚はある。ものすごい力で引っぱられているから動かす事は難しいが、少なくともなくなってはいないし、怪我などもなさそうだ。 ―――この銀板の向こうは、どうやらどこか別の場所に繋がっているらしい。縁側のガラス戸に映った自分の横姿は、板を境に、もののみごとに体半分がなくなっていたからだ。 ―――つまり、この板は、どこか別の場所に通じたワームホール、という事だろうか? 「く……!」 普段なら、現実感のない妄想、と斬り捨てられるようなその結論に、疑義を差し挟む余裕はなくなっていた。 まあ、あれだ。柏木家の蔵の中とか竹林とかに比べれば、このぐらいの非現実、なんてことないだけ、とも言う。 「くっそ、なんて馬鹿力だ……っ!」 引っぱられる力はますます強さを増し、力を思考に回せなくなってくる。 ―――単純な力、というより、まるで空間そのものに引っかかって、引きずられているみたいだ……! 大学はバリバリの文系、理系の素養なんて無いに等しい耕一のそれは、物理学というより小説の修辞に近い感想だったが、確かに正鵠を射ていた。 それは、異界の扉。次元の境。空間を捻じ曲げ、時間を抉じ開け、時空を繋げるモノ。 「ぐ、う」 限界が近い、と感覚で悟った耕一は、思考を別の方向に変える。 ……つまりは、今必死に俺を助けようとしてくれている、この愛しい恋人をどうするか、という事。 このままなら、まずこれの中に引っ張り込まれる。 共に行くか。それとも、男の意地で彼女だけでも助けるか。 「耕一さん、耕一さん……!」 心が揺れる。彼女と一緒なら、どんな事でも大丈夫、と。 だが、とも心が揺れる。耕一も彼女も、お互いのためだけのものではない。 千鶴さんに、梓に、騒ぎを聞きつけたのか慌てた様子でこちらに走ってくる初音ちゃん。 彼女たちを放って行方不明になるというのも、またぞっとしない想像だった。 それは明確な理屈があったわけではなく、言うならば、『なんとなく』としか説明できないような決断だった。 「楓ちゃん。よく、聞いてくれ」 「耕一さんっ……!」 「どうやら、この板の向こうは、どこか別のところらしい。ほら、ガラス」 自分の姿が映っているガラス戸を顎で指すと、楓はわかっているとでもいう風に、首を左右に振るだけだった。 「このまま二人でこれに飲み込まれれば、千鶴さんや梓や初音ちゃんに、すごく心配をかけると思う」 「…………」 「二人で引っぱっても無理なんだ。このままじゃジリ貧だし、俺はちょっと向こうに行ってくるよ。楓ちゃんには、みんなに説明を頼みたい」 そうだ京都に行こう。とでも言うような軽い調子に、楓はぶんぶんと頭を振った。 「でもっ、でも、こんなの、帰ってこれるかどうかなんて……っ!」 「たぶん大丈夫……こっちの、吸い込まれてる方の腕、消えてるとかじゃなくて、ちゃんとある。一応、どこかに繋がってるみたいなんだ」 「耕一、さんっ……!」 涙を浮かべて、すがりつく楓。 「……俺だって、楓ちゃんと離れたくはないよ。でも、頼まれてくれないか」 「……また、待てと言うんですか」 「うう、事故だからなぁ……そんな可愛悲しい顔をされても困っちゃうんだが」 余裕のありそうな会話だが、二人には汗すら噴き出ていた。 「楓ちゃんを信じてるから、頼めるんだ。どこにいても心は共にあると誓ったから」 「…………」 「な?」 梓あたりに聞かれたら小一時間は笑い転げられそうなセリフを吐きながら引きつった笑顔を浮かべると、腕を掴んでいた楓の力がするりと緩んだ。 俯いたその顔は前髪で隠れ、表情を窺い知る事は出来なかった。 「うん。じゃあ、行ってくるな。すぐ帰ってくるよ」 「……はい。行ってらっしゃい」 視界が銀色に染まる最後の瞬間に耕一が見たのは―――彼も初めて見る、楓の泣き笑いの表情だった。 「あんた、誰?」 銀の視界を抜けた先にあったのは、不機嫌そうに眉を寄せた少女の顔であった。 ローティーンぐらいだろうか。自らの恋人を思わせる、体型や顔立ちにまだ幼さを残した少女だ。 違うといえば、楓ちゃんは言うなれば日本人形だが、この少女はフランス人形のようだ、という事。 桃色がかったブロンドの長い髪に、透き通るような白い肌。首から下を覆うような黒いマントに、ブラウスにブリーツスカート。 だがしかし、彼女の口から発せられたのは、まごうことなき日本語の『あんた誰?』だった。『Who are you?』でも、『Hoe heet u?』でもなく、『Annta dare?』。 「……柏木耕一、だけど」 「カシワギコーイチ? 変な名前ね。どこの平民よ」 少女の相手もそこそこに、耕一は、さっと周囲の様子を窺う。 「……どこだここ」 地平線まで続く大草原に、はるか彼方に霞む洋風の塔、なんて日本では絶対にお目にかかれない光景に、思わず呆気に取られてしまった。 そして、耕一と少女の周りを囲むように、同じような服装をした少年少女がたくさんと……まったく違った雰囲気の、中年の男が一人。 「っ!」 頭皮が見えているハゲ頭に小振りなメガネ、大きな木製の杖らしきものを持っている、などという怪しげな、しかし表面上はのんびりした風体のその男に……耕一は、嗅いだ事のある匂いを察する。 ……親父の死亡事件を調べていた刑事。長瀬と言ったか、あの飄々とした中年刑事と同種。 獲物に気取られぬよう、鷹がトンビの振りをして爪を隠している匂いだ。 「ルイズったら、『サモン・サーヴァント』で平民を呼び出してどうするのぉ?」 周囲を囲んだ少女の一人、目の前の子と違ってずいぶんと発育のいい、よく日に焼けた肌の少女が揶揄るようにそう言うと、どっと笑い声が溢れた。 「さすがは『ゼロ』のルイズ!」 「使い魔が平民とは! 『ゼロ』にはお似合いだな!」 それは、あまり気分の良くなる笑い声ではなかった。 何が起こるか予想もつかず、気だけを張りつめていた耕一にとって……その嘲笑の群れは、少々気分を害しすぎるものだった。 「―――黙れ。女の子を馬鹿にするのが男のする事か」 少しだけ、"力"を解放して呟くと、ひっ、と空気を飲む音と共に、ピタリとその嘲笑がやんだ。その言葉に反して、男女関係なく。 それは、目の前の少女も例外ではなかった。唯一違う反応を見せたのは、蒼い髪をした、これまた発育のよくない小さな少女だけ。 ピンク少女への揶揄へ参加していなかった少女の反応は、耕一の呟きを見て、その体躯より大きな杖を握り締め、キッと表情を引き締める、というものだった。 その傍らにいる大きな竜すら、少女にすがりつくような動きを見せている。 ざっ。と、靴が砂を噛む音とともに、中年男が、怯んだ少年たちを庇うように神速の一歩を踏み出した。 「……失礼。あなたに危害を加えるつもりはありません。矛をお収めください、ミスタ」 「別に俺は何もされてないですけどね。子供同士のイジメは、度が過ぎる前に止めてやるのが大人の役目じゃないんですか」 「諌言、耳が痛いですな。教育者としてはまだまだ未熟な身、心に留めおきましょう」 丁寧な物腰の中、両者から漏れ出る迫力に、周囲の生徒は、目を見開いて見つめていた。 「教育者って……あんた、先生なのか? という事は、この子たちはあんたの生徒?」 「左様です。申し遅れました、私、トリステイン魔法学院にて教鞭を取らせていただいております、ジャン・コルベールと申します」 「―――どこだって?」 自己紹介も忘れて、聞いた単語に唖然とする耕一。 中年男は、その様子に警戒を少しだけ解きながら、もう一度口を開いた。 「トリステイン魔法学院の教師、ジャン・コルベールと申します」 「……ま、まほうがくいん? まほう? 魔法だって!?」 「……魔法が、どうかしたのですか?」 まるで当然のように答える、自らをコルベールと名乗った中年男。 その名前は日本人ではありえないカタカナで、しかし彼の口から出るのは日本語でしかありえなかった。 「い、いや、冗談……ではないですよね?」 「杖に誓って。人が呼び出されるというのは前代未聞ではありますが、あなたは、彼女の唱えた『サモン・サーヴァント』によって、ここに召喚されてきたのだと思われます」 コルベールの答えは耕一の質問の意図を読み違えたものであったが、その質問の意味を察する事の出来る人間は、この世界には指を折るほどもいなかったであろう。 魔法に、召喚。 耕一は、どこのファンタジーRPGなのか、と頭を抱えたくなった。 まあ、もしかしなくても、耕一の存在そのものが、剣と魔法の世界以上のファンタジーだ。彼に頭を抱える資格があるかどうかは議論の残るところだが。 「その、『サモン・サーヴァント』ってのは、なんなんです?」 「あ、あなた、そんな事も知らないの? どこの田舎から来たのよ」 「ミス・ヴァリエール」 ぴしゃり、とコルベールが咎めると、牙をむきかけた少女は憮然として、一歩下がった。 「『サモン・サーヴァント』とは、魔法使いのパートナーとなる使い魔を呼び出す魔法です」 「使い魔? それって、フクロウとか黒猫とかの、あの使い魔?」 「はい。おそらく、イメージされている通りの物かと」 「という事は、そういう役割を、俺にしろ、というわけですか?」 「……そうなります。ここ、トリステイン魔法学院では、2年次への進級に際して使い魔の召喚が許され、呼び出された者を生涯のパートナーとするのです」 「……生涯のパートナーなら間に合ってるんですけどね。人権って言葉、知ってます?」 さすがの耕一も、怒りを通り越して呆れていた。勝手に呼び出しておいて、横暴もいいところだ。 「事こうなってしまった以上、耳の痛い話ですが……先程も言った通り、人間や亜人のような理性ある者が召喚される、などという事は、今までにない前代未聞な事なのですよ。それに……」 「それに?」 「おそらく、ゲルマニアかそれに類する国の方とお見受けしますが……ここ、トリステインの法では、平民にそういった"権利"というものは、無いのです」 「……あー」 そういえば、ここは中世だったか、と、妙な納得をしてしまった。 耕一は法学を習った事はないが、いわゆる『基本的人権』のような概念が出来たのは、かなり最近の事である、ぐらいは知っていた。 武士が農民を斬捨御免、より前の時代なら、推して知るべし、と言ったところだろう。封建社会での民衆とは、支配階級の所有物でしかないのである。 「ミスタ・コルベール、召喚をやり直させてください」 「ミス・ヴァリエール?」 「平民に説明するなんて、時間の無駄です。次はちゃんとした使い魔を呼び出します。お願いです!」 「……それは認められない」 女の子の提案に、コルベールは首を左右に振った。 「どうしてですか!?」 「決まりだから、だよ。初めての召喚により現れた使い魔を見て行使者の属性を判断し、それぞれの専門課程へと進むんだ。 その使い魔を、気に入らないから、という理由でいくらでもやり直しをしてしまえば、メイジとしての資質を見るという目的が台無しになってしまう。これは神聖な儀式なんだ」 「でも、でも……っ、人間の、それも平民を使い魔にするなんて、聞いたことがありません……っ!」 少女の目尻に涙が浮かぶ。 それを見て、周囲は再び笑いに包まれた。 「わはは。それって、平民風情が『ゼロ』の資質ってことかー?」 「ミスタ・コルベールも、なかなかのジョークセンスをしてらっしゃる!」 囃し立てられて、少女の涙は見る間に膨らんでいく。 ……なるほど。要するに彼女は、落ちこぼれ扱いされてるんだな。 エルクゥの血を受けたヒト。最強のエルクゥの転生たるこの身を、あんな無理矢理に召喚した事を以って落ちこぼれとは。魔法使いと言うのは、さっきの鬼氣に何も感じないものなのか、と、耕一は大人気なくもちょっと憤慨した。 「ミスタ・コルベール!」 「春の使い魔召喚の儀式は、他のどのルールにも優先される。儀式を知る者なら、呼び出したものが他人の飼い動物であろうと、呼び出されたものの飼い主は名誉と思いこそすれ、文句を言う者はない。そういう儀式だ。 勉強熱心なミス・ヴァリエールなら、知っているでしょう?」 「うう……」 ……人間扱いされてないなあ、と、耕一はちょっと疎外感を感じていた。 いっそエルクゥ全開モードになって脅してみるか、とも思ったが、 さっき程度の鬼氣で怯むようなこの場の生徒ならともかく、コルベールクラスの相手が多数出てきて、例えばメラ○ーマとかみたいな、いわゆるああいった魔法を撃ち込まれたらさすがに困るので、自重しておいた。 「……わかりました」 少女が、決心したように顔を上げ、耕一の顔を睨みつけるように見据えた。 「ちょっとしゃがみなさい」 「なんで、って聞いてもいいかい?」 「いいから!」 「……はぁ。わかったよ。これでいいかい?」 少女の剣幕に、しょうがなく腰を下ろす。 「ふん。あんた、感謝しなさいよね。貴族にこんな事されるなんて、普通なら一生ないんだからね」 やれやれ、何をされるのやら。 「"我が名はルイズ。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール"」 「っ!」 濃密な"力"をまとった言霊が、目の前の少女から吐き出されていく。 「"五つの力を司るペンタゴン。かの者に祝福を与え、我が使い魔となせ"」 その力に、内なるエルクゥが危機を訴える。 それに判断を下す間もなく、少女の手が耕一の頬に添えられ、その顔がすっと近付いてきて――― 「ちょっ! 待っ……むぐっ!?」 その唇が、重ねられた。 「……終わりました」 「お、終わったって、一体いきなり何を……ぐうっ!?」 触れ合った感触に、どこか恋人を思い出して固まってしまっていた耕一が我に帰った瞬間、痛みが襲った。 ―――あの鬼の爪で切り裂かれた時のような、熱と痛み。 「ぐ……!」 それはすぐに収まった。 「ふむ。『サモン・サーヴァント』は失敗を繰り返したが、『コントラクト・サーヴァント』はきちんと成功したようだね」 「……『コントラクト・サーヴァント』? それも、使い魔関連の魔法って奴ですか?」 「ええ。使い魔契約の魔法です」 「契約、ね。やれやれ……奴隷の焼き印じゃないんだから、わざわざこんな事までしなくてもねぇ」 「はは、耳が痛い」 そう呟いて、左手をかざす。 その甲には、謎の文字列が浮かび上がっていた。筆で書いたわけではもちろんない。 ……向こうでは、ピンク少女―――確か、ルイズ、フランソワ……なんたらと言ってたかー――と、他の少年少女の言い争いがまた勃発していた。 「ほう、珍しいルーンですね。何かの文字のように見えなくもない……」 さっと、コルベールがその紋様をスケッチに描きとめている。 ……良識があって腕が立つように見えても、平民をモノ扱いする価値観はそう変わらないか。やれやれ。 目の前の中年男はただの研究バカなだけであって、貴族相手でも同じような事をするだろう、というような事は、まだ耕一にはわかるはずもない。 「さあ。では皆さん、教室へと戻りますよ―――『フライ』」 コルベールが杖を一振りすると、ふわりとその体が宙に浮かび上がった。 続けて、周囲の少年少女たちも次々と杖を振り、離陸していく。一人だけ、竜の使い魔を召喚した女生徒だけは、その背に乗って飛びあがった。 彼らは、遠くに見えるあの塔を目指すらしい。 「はー……」 ―――魔法の世界と聞いていたとはいえ、実際に目にすると言葉も出ないな。 「ルイズ! お前は歩いてこいよ!」 「あいつ、『フライ』どころか『レビテーション』さえまともにできないもんな!」 「本当に平民がお似合いよね。あははっ」 果たして帰れるんだろうか俺。というか楓ちゃんマジごめん俺汚されちゃった……などと不安と後悔に懊悩していると、ルイズはふるふると震えて、俯いてしまった。 ……ま、あれだ。女の子のそんな表情を放っておくなんて、男としてあるまじき態度だろう。そして、そうさせるようなイジメ、も、だ。 「……さっきから聞いてると、君は何だか馬鹿にされてるみたいだな」 「……うるさいわね」 「悔しいか?」 「ほっといてよ」 「見返してやろうぜ」 「うるさいって言ってっ……! って、えっ?」 イタズラが成功した悪ガキのような耕一の表情に、悔しさに押し潰されそうだった少女の顔が、呆、と呆けた。 「メイジの資質は使い魔を見て決定される……だったか。ルイズちゃんだったよな。君が"何"を喚び出したのか……あいつらに教えてやろう」 思いやりのない子供には、躾が必要だからな。などと、自らの大人気なさを放り投げて自己正当化の言葉を並べつつ。 「あんた、何言って……って、わぁっ!?」 そのまま、耕一はルイズを抱きかかえる。いわゆるひとつの、お姫さまだっこ、という奴だ。 「は、離しなさい無礼者っ! 平民が貴族にこんな事っ……!」 「舌を噛むよ。しばらく口を閉じてた方がいい」 「意味わかんないわよっ! いいから降ろし」 足に力を込め……解き放つ。 「ぃあひゃあああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁっぁああぁあぁああああぁぁあぁぁぁああ!!!!!!!!!」 絶叫マシーンもかくやという悲鳴が、大草原に響き渡った。 何事かとそちらを見た巡航中の生徒は、思わず『フライ』の魔法の集中力が切れ、墜落するところだった。 凄まじい土煙を巻き上げながら、何かが爆走してくる。 その人間の形をしたなにがしかの腕の中には、見慣れた桃色のブロンドヘアーが見える。つまりあれは、先ほどの平民使い魔、という事だろうか? しかし、その疾駆する速度は尋常ではない。普通に走るのとは比べ物にならない速度が出るはずの『フライ』の魔法を使用している彼らに、あっという間に追いついてしまい、そして。 「いやあああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああぁぁああああああ!!!!」 ぴょーん、と、軽く飛び上がるような動作で、空を飛ぶ自分たちの高さまでジャンプを敢行したのだ! 「あああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………」 そして、飛行する一団のド真ん中を突っ切っていくと、ドップラー効果を残しつつそのまま放物線上に落下。何事も無かったかのように着地し、あっという間に土煙は遠ざかっていってしまう。 ぽかーん。 置いていかれた少年少女たち+中年男の表情は、そう表現されるのが最も適切であった。 「ぷっ。くくく……! やるじゃない、ルイズ。そうでなくちゃね」 「…………」 例外は二名。 心底楽しくて仕方ない、といった様子でころころと笑う褐色肌の女生徒と、それとまったく対照的に、無言のまま土煙の消えていく方向を見つめ続ける蒼髪の女生徒。 彼女の望むような波乱の種と、彼女の興味を引くような力。 今日は、それがハルケギニアに召喚された日だった。 前ページ次ページゼロのエルクゥ
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前ページ次ページゼロのエルクゥ 「おっほぉ! 王子さん達も無茶しやがるねぇ! おお、飛び降りやがった! こりゃ壮観だ! はっはぁ!」 爆音を上げ、砲弾を撒き散らしながら上空を通過していくイーグル号に、デルフリンガーはその刀身でオーク鬼の首を刎ね飛ばしながら興奮しきった声を上げた。 その甲板から、降下部隊の如く、マントを翻したメイジ達が出撃していく。勇壮な光景だった。 全ての乗組員が飛び降りたのか、イーグル号はそのままの速度で地面に激突し、まるで焼き討ち船と見紛うばかりに大きく爆発、炎上した。おそらく艦そのものも弾丸のつもりで、あの時の硫黄から作った火薬をしこたま積んであったのだろう。 「あ、あれは本陣の方向じゃないか!?」 「て、撤退だ! 撤退しろ! 本陣を守れぇ!」 「うわぁ! 化け物がこっちにきたあああ!!」 その腹に響くような地響きに、周囲の混乱がやにわに激しくなる。 れっきとした敵軍の襲撃を目の当たりにして、ただでさえ眼前の正体不明の黒い鬼に半ば以上崩壊していた戦線は、決定的に崩れた。 ガラ空きのはずのニューカッスル城に突撃するか、本陣に駆け戻るかして一手柄上げてやろう、という判断ができる腕と経験を持つ者は極わずかであり……そして、そのような猛者は、とっくの昔に黒き鬼から遠く逃げ出した後であった。 「■■■■■■■■■■■■■■■ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!」 響き渡る咆哮は、精神を灼く。 中堅から後方に配置されていた、まだ徴兵されたばかりといった風情の若い兵達が、足元を黄色い水で濡らしながらばたばたと倒れ伏した。 かろうじて意識を保った兵達の逃げ惑う背中に爪を突き立てようと四肢に力をこめた、その時。 「ずいぶんと暴れてくれたじゃないか。ガンダールヴ」 背後から、強烈な風が吹きつけた。 『ウィンド・ブレイク』。猛烈な風を塊にし、相手にぶつける魔法。 それをぶつけられた身長3メイルの黒き鬼は、小揺るぎもせずにそちらへと振り返る。 「……吹き飛ばすつもりだったのだがね。まったく、規格外もいいところだ」 その黒い羽帽子とグリフォンが形どられたマントに、鬼の内なる黒い業火が音を立てて燃え上がる気がした。天を焦がし、地を焼く巨大なかがり火は鬼の心をも焼き、その四肢に莫大なるエネルギーを満ち渡らせる。 「くくく、まだ心が震えやがるか。なんてぇ使い手だ。おいそこのヒゲ。今の相棒の前に立つのはやめといたほうがいいぜ?」 「ご忠告感謝するよ、インテリジェンスソード君。なに、心配するな。そんな事、とっくの昔にわかっている」 赤い瞳の先では、ワルドが一分の隙もなく杖を構えていた。 「君のおかげで、『レコン・キスタ』陸戦隊五万が壊滅だ。ここで君を討ち果たさねば、僕の目的が果たされぬ。本陣には今から全力で飛んでも間に合わぬ故、僕の役目はここで君を討ち果たす事だ」 鬼は、肉食動物が今にも飛び掛らんとするように、全身を震わせている。 「……どうやら、その姿では言葉を話せぬようだな。ワーウルフ……にしては、随分と物騒だ。それとも、言葉が出ぬほど僕が憎いか」 既に二人の周囲には、生きて彼らを眺めるものは一人もいなかった。血臭をたっぷリ含んだ湿った風が通り抜けていく。 「行くぞ。『風』の真髄を以って君を討つ」 ユビキタス・デル・ウィンデ―――。 呪文と共にワルドの姿が蜃気楼のように揺らぎ、その幾つもの揺らぎがそれぞれに形を持ち始め、そして。 「風は『遍在』する」 「風の吹くところ、何処となくさ迷い現れ」 「その距離は意思の力に比例し」 「その身を風そのものと成す風のメイジは、世界に遍在する!」 4人のワルドが、全く同じ姿でその場にいた。間髪要れず別の呪文を唱えると、それぞれの杖が青白く光を放つ。 「風の刃を作り出す『エア・ブレイド』はそこの剣にやられたが……この『エア・ニードル』は杖そのものを超振動の刃と化す! 吸い込む事はできぬぞ!」 4人のワルドが刃と化した杖を構え、躍りかかるのに呼応するように―――エルクゥも、その身を大きくしならせた。 「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!」 § 「『エア・ハンマー』!」 ウェールズの杖の一振りで数人の警備兵がまとめて吹き飛ばされ、手近な天幕に激突した。布と柱に潰されて、しばらくは動けないだろう。 「パリー! 本幕はっ!」 「定石通りであれば、あれのはずですな」 傍らを駆ける侍従が指したのは、多くの衛兵が周囲を囲む一番大きな天幕だった。 「いかがなされますか?」 「こんなところまで連れてきておいて愚問だな、パリー!」 「ほっほ。この老骨、殿下の意向に従う事が仕事です故、なっ!」 パリーがぶん、と杖を振ると、地面から巨大な土のモノリスが隆起し、飛来した火球と風の矢を苦もなく受け止めた。 「さあ、行かれませ殿下! ここはこの『鉄壁』に任せられい! かぁーっ!」 一喝と共に、身の丈10メイルの黒光りするゴーレムが、侍従の左右に1体ずつ現れる。 二人の後ろを追っていたメイジが、その威容にたたらを踏んだ。 「来い! ケツの青い小僧どもが、この『鉄壁』を貫けると思うでないぞ!」 轟音と共に、鉄の巨人はその腕を振り上げた。 § 「か―――ふっ」 勝負は、一瞬でついた。 「く、ははっ」 体の一部がこそげ落ちた3人のワルドが、風に溶けるようにして消えていく。 残った一人の左胸を、丸太のような漆黒の腕が貫いていた。 「まったく……女性のご機嫌を伺うというのは、一番苦手なのだがね……勝利の女神というのは、ご機嫌を取らないと、ずいぶんへそを曲げてしまうらしい……」 「けっ、よく言うぜ。娘っ子相手にはさんざん愛想振り撒いてたじゃねーか」 「娘は騙せても、女神は騙せまいよ。あのような、下手な演技ではね。まあ……」 腕が引き抜かれ、ワルドがどさりと地面に崩れ落ちる。 「世間知らずのお嬢さんすら、騙せなかったようだけど、ね……」 剥き出しの地面に、赤い水たまりがゆっくりと広がっていく。 「ああ、苦しいなあ……苦しい、とは、一体何なのだろうなあ……」 誰に聞かせるでもないうわごとのように呟くと、ワルドはそのまま動かなくなった。 「…………」 「相棒」 まるで、周囲のもの全てを焼き尽くしてしまった炎のように、黒き鬼は鎮まり、無音でそれを見つめている。 ひゅう、と、血塗れの風が、そこに音を運んだ。 剣戟。爆発。悲鳴。怒号。それは、戦いの旋律。鬼の心を躍らせる血風の神楽。 「■■……■■■…………!」 その首が微かに動いた。 いまだ炎と煙が上がるその一角を眺めると、喉奥から、獣の呻きがせり上がってくる。 まだ殺す者がいる。 戦いを続けるものがいる。 ならば殺さねばならない。 殺し殺される場を作り出す人間など、主を危険に晒す人間など、すべて殺し尽くさねばならないッ! 『耕一さん!』 「■■■……―――ッ!?」 大きく雄叫びを上げようと鬼がその肺を膨らませた、その時だった。 「ア……ぐぁ……ぁ……!!」 「相棒? どうした、相棒!」 獣の声しか生み出さなかったその口が、人の声を放った。 がくり、と膝をつき、手で頭を支えるように抑える。 『耕一さん! 耕一さん! 耕一さんっ!!』 「あ、ぐあァッ! ぐああぁあっっ!!」 頭の中に直接響く声。 それは、懐かしい声。求めていた声。愛する者の声。 そして―――左手から身体中を貫いていく、強烈な激痛。 「あぁァぁぁぁああああぁっ!!」 牙を剥き、苦悶の声と共に吐き出した。 「か……え、でぇっ!!」 その眼に理性の光が灯り、弾かれるように天を仰ぐ。 「耕一さあんっ!!!」 確認する暇もなく、上空から落下してきたその人影は、そのままの勢いで鬼の首元に抱きつき、ぎゅうと手を回した。 衝撃に抗わず、鬼が尻餅を付く。からん、と音を立て、握られていた剣が手を離れて地面に落ちた。 黒く硬質な光を放つその腕が、震えながら、小さな背を抱き返す。 「耕一さん! 耕一さん!! 耕一さんっ!!!」 抱きついてすすり泣く声。抱きしめた小さな体の感触。戦場の血煙の中にそっと香る柔らかな髪の匂い……全てが、彼の、柏木耕一の愛する恋人だと示していた。 鬼が、ゆっくりと、その体躯を縮め始める。 巨躯を構成していた老廃物がばさばさと周囲に降り積もり、先程まで全ての命を狩り尽くす鬼であったそれは……ただの人間の青年にまで、その姿を変えた。 「楓、ちゃん……?」 「耕一さんっ……! よかっ、良かった……っ! 戻って、くれたっ……!」 抱きついたままの少女は、わんわんと声を上げて泣き出してしまう。 「俺、は……」 楓を抱きながら、耕一は鈍痛の走る頭を抱えた。 いつか見たあの夢のような、しかし確実に夢ではない実感―――命を奪う実感に、静かに体が震え出す。 「俺は、エルクゥに……っ!」 「違いますっ!」 エルクゥに支配されて暴走してしまった―――そう言葉にしようとした瞬間、楓がそれを遮った。 「楓ちゃん……?」 「さっきまでのは、きっと……違います。変だったんです」 「変、って……?」 呆然と問う耕一に、ゆっくりと首を横に振る楓。 「……わかりません。けれど、エルクゥの心が無かった。あの残忍な狩猟者じゃない、何か別の、黒い金属みたいなものに無理矢理力を引き出させられているような……そんな感じがして……」 まだ涙を浮かべながら言うそれはきっと、嘘ではない。 けれど、幾千もの人を殺した肉の感触は、体にありありと染み付いていて―――。 「……ありがとう、楓ちゃん」 「耕一さん」 耕一はゆっくりとうなだれ、すがりつくように楓を抱きしめた。 「く……ぅっ」 「……耕一さん」 その胸に顔を埋め、小さく肩を震わせる。 しばらく、くぐもったような嗚咽の声が、戦場の跡に静かに染み渡っていた。 § 幾人かの側近と共に衛兵を薙ぎ倒し、本幕に雪崩れ込んだウェールズが目にしたのは、たった一人の人影だった。 「やあ、皇太子。久しぶりだね」 「クロムウェル司教……」 緑色の法衣に丸帽を被った中年の僧は、静かに微笑みを湛えていた。 「覚悟を決めたか、司教」 「ああ、君達の秘密兵器にしてやられたよ。あれはなんだい? あの……我が軍勢をことごとく殺したという、黒い鬼というのは」 「…………我が王国への、最後の大使殿さ」 「それは、また私も運がない」 少し考えていったウェールズに、クロムウェルはくつくつと軽快に喉を鳴らす。 「さあ、その杖で私を討ちたまえ。君達の勝ちだ、皇太子」 「言われずとも!」 ウェールズの杖に渦巻いた『エア・ブレイド』が、寸分の狂いなくクロムウェルの心の臓に吸い込まれる。 ざしゅ、と粘ついた水音が、天幕に響いた。 「ふ、ふふ……」 「何が可笑しい、司教」 「いや、なに……久方ぶりに私を縛る糸が切れたのが、何とも爽快でね。思わず踊り出したくなりそうだ」 「糸、だと?」 「ああ。操り人形の糸さ。私の身体中に絡みついていた、ね」 ウェールズと側近の顔が、驚愕に強張った。 「……黒幕が、いるというのか?」 「ご聡明で何よりだ。私はただの傀儡だよ。魔法も使えぬただの司教に、これほどまでの勢力を築く力などないさ」 「何者だ! このアルビオンを同胞の血で汚そうとしたその者はっ!」 「ガリア王、ジョゼフ一世」 「なっ!?」 ためらいなく、クロムウェルはその名を口にした。答えが返ってくると思っていなかったウェールズは、目を見開く。 「ジョゼフ? あの『無能王』が!?」 「『無能』と侮られる事こそ、彼奴の狙いよ。武人である皇太子殿ならば、自らを侮る相手の足をすくう事がいかに容易いか、わかろう?」 法衣を血に染め、息を切らしながら話を続けるクロムウェルに、ウェールズは杖を鞘に収めた。 「……なぜ、僕に話した」 「感謝の気持ちだよ。私を縛る糸を断ち切ってくれた、ね」 膝をつき、傷口を抑え、クロムウェルは天を仰いだ。 「ジョゼフは智謀の王。私もその姦計に掛かり、こんな舞台に昇らされてしまった。ゆめゆめ気をつけられよ、皇太子。アルビオンを、頼む」 笑みを絶やさぬまま、その場に倒れ伏す。 すると、湯の中に入れた氷のように、見る見るうちにその体が縮んでいき……ころりと、一体のアルヴィーが床に転がった。 「『スキルニル』……!」 それは、血を与える事で、その者の写し身へと変化する魔法人形。 彼は、文字通りの傀儡であったのだ。 「……全軍に伝えよ。総司令官オリヴァー・クロムウェルは討ち取った。この戦、我等の勝利であると」 「はっ!」 ウェールズの言葉に、側近の一人が天幕の外へと駆け出していく。 「……許さぬぞ、ジョゼフ」 物言わぬアルヴィーを見つめながら、ウェールズは低く呟いた。 § 「負けちゃいましたね、クロさん」 「そうだね、サイトくん」 「はあ。やれやれ、あいつに何て言おうかなあ……」 中年とその秘書は、一騎の風竜の背の上で、揃って体操座りをしていた。 時は夕方。水平線の向こうに太陽が身を隠しつつある、束の間の朱の時間だった。 「……クロさん、なんか嬉しそうっすね」 「……そう見えるかい?」 その中年の方―――アルビオン反乱軍前総司令官オリヴァー・クロムウェルは、どこか憑き物が落ちたかのような穏やかな顔で、流れ行く雲を見やっていた。 「まあ、肩の荷がようやく降りたってところさ。元々、私は王なんて器じゃないんだからね」 「……羨ましいっす。俺なんて、やめたくてもやめられないし」 「はは。あんな物騒な舞台から五体満足で降りられるとは、私は幸運だな」 秘書の顔を隠していたフードは、吹き付ける風にはためき、その役目を果たしていなかった。 ハルケギニアには珍しい、まだ子供っぽさの残る黒髪の少年は、穏やかな表情のクロムウェルとは真逆の深刻な顔で、言葉を切り出した。 「クロさん、この前話した事なんですが」 「うむ。この『アンドバリ』の指輪だね。間違いなく、君の言う通りにしよう」 「そうです。すんません。危険な事頼んじゃって」 「気にするな。あの無能王に逆らえぬ身でありながら私を救ってくれた君への、せめてもの礼だよ。あんな事態を引き起こした私が楽隠居に落ち着く為の試練とでも思わせてもらうさ」 「お願いします」 深く頭を下げた少年が、思いついたように手を鳴らす。 「そうだ、これを持ってってください」 「これは……短剣?」 少年が差し出したそれは、細かく意匠の凝らされた銀色の短剣であった。 「"地下水"、頼めるか」 「ふふん。ま、お前についていくよりかは退屈そうだが、しゃーねえな。お前さんの恋しい恋しい娘っ子は、俺様が華麗に助けておいてやるぜ」 「な、ななな、何言ってんだ! そ、そ、そんなんじゃねーよ!」 けけけ、という意地の悪そうな笑い声は、その手の短剣から響いている。 「イ、インテリジェンス・ソードかい?」 「そうです。こいつ自身が魔法を使えるし、持ち主の体を操る事もできます。護衛にはもってこいだと思います」 「……すごいものだね」 クロムウェルが、短剣を手に目を丸くしていた。 「無事に終わったら、適当な賊にでもあげてください。そいつの体を操って、ついでに盗賊団でも一つ潰しながら勝手にこっちに戻ってくると思うんで」 「わ、わかった。ありがたく使わせてもらうよ」 クロムウェルが頷くと、眼下に夕陽に染まったハルケギニアの大地が近付いてくる。 俯瞰の世界は、変わらず静かに佇んでいるだけだった。 前ページ次ページゼロのエルクゥ
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前ページ次ページゼロのエルクゥ 隆山は柏木邸の居間には、どんよりと重く暗い空気がのしかかっていた。 「楓のヤツ、メシも食わないで部屋に篭っちまって……クソっ、何処ほっつき歩いてんだ、あいつは」 苛立ちを隠し切れない様子なのは、次女の梓。 「今はそっとしておきましょう。たぶん、一度倒れるまではやめないと思うわ」 長女の千鶴は、慈愛と強さを湛えた瞳を、夜の帳へと向けていた。 「楓お姉ちゃんも、お兄ちゃんも、大丈夫かな……」 耕一をして『天使の笑顔』と言わしめた末娘の初音も、今は表情が暗い。 楓から事の顛末を聞いた姉妹の反応はそれぞれだった。 最初に聞かされた初音は驚きに声を失い、信じられないと暴れかけた梓を、『非現実というなら鬼などという存在の方が非現実である』と千鶴が諌め、なんとか惨事は免れている。 あれから夜になっても耕一は戻ってこず、説明するなり部屋に戻ってしまった楓は、夕食に呼んでも自室から出てこなかった。 「梓は、すぐに楓のフォローに回れるようにしておいてね。初音も手伝ってあげて。耕一さんについては……鶴来屋の方でも調べてもらってみるけど、まずは私たちが信じてあげなくちゃ。ね?」 「うん、わかったよ、千鶴お姉ちゃん」 「言われなくてもそのつもりだよ。ったく、面倒ばっか掛けやがって」 暗い雰囲気の中にも、そこには確かな暖かさと強さがあった。 楓は、ひたすら自らの内に潜っていた。 エルクゥは、意識を通じあわせる事が出来る。宇宙に進出した人類が得た精神世界のネットワークには、距離など関係ない。 人間の脳が知覚できる限界として、距離的なものはある。東京にいる耕一と、いつでもテレパスで会話が出来るわけではない。 しかし、存在を感じるだけならば、人の身でも可能だ。なんとなく、としか表現しようのない、気配とか、雰囲気とか、空気とか、温度とか、重さとか、そんな感覚的な、しかし確固たる"存在感"ならば、いつでも感じていた。 そして、『それ』が『無くなってしまった』事に、楓は焦っていた。 それは、『この空間』に彼は存在しない事を意味する。大気とか真空とか地上とか宇宙とか、そういう事ではなく、200億光年の彼方に続いていく、『空間』に、だ。 愛しき者を喪う。 かつては、自らが喪われる側だった。一族の掟に背いたエディフェルは、愛し愛された次郎衛門を残し、同族に殺された。 それは、柏木にまつわる全ての悲劇の始まりであり、幼い頃からエディフェルの転生として記憶を押し付けられた楓には、忌むべき感情だった。 エディフェルや次郎衛門の気持ちもわかるが、もう少しなんとかならなかったのか、と。 しかし、喪う側になってわかる。これは、ダメだ。 現実的な対処をしろ、といくら理性が訴えても、心は狂おしく暴れ、食事を求めて泣く乳幼児のように、ただ求め続けることをやめてくれない。 それは、次郎衛門を喪ったエディフェルのものではない。 柏木耕一を見失ってしまった柏木楓の、素のままの感情だった。 ネットワークを伸ばし、探り。ぽっかりと空いてしまった心の穴に戻ってきてくれる『存在』を求め続ける。 ―――その奇跡を、あえて言葉にするなら……とどのつまり、『恋する乙女は無敵なのだ』と。そういう事なのだろう。 楓は、あまりにも細く、しかし確かに、耕一が飲み込まれたあの緑の楕円形と同じ波動を持つそれの存在を感じ取ると、意識の全てをそれに委ねた。 前ページ次ページゼロのエルクゥ
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前ページ次ページゼロのエルクゥ その身の丈は3メイルほどか。オーク鬼より一回り大きく、トロール鬼やオグル鬼よりは二周りほど小さい。 でっぷりと腹の出た鬼どもと違い、鍛え上げられた逆三角形を連想させるスラリとしたフォルム。その姿は狼が二足歩行に立ち上がったようであり、亜人というよりも獣人といった方がふさわしい。 確かに見たことがない種族だったが、大きさからいって、5メイルのトロール鬼兵士が振るう棍棒の一撃に耐えられるはずがない。 耐えられるはずがないのだ。なのに。 ―――ばしゅっ、と血風が舞い、上半身の右半分が丸々吹き飛んだトロール鬼兵士が、地響きを上げて崩れ落ちる。 なのに、なぜ。 ―――別のトロール鬼兵士が振り下ろした棍棒が、軽々とその掌に受け止められる。左手に握られている剣が一閃、トロール鬼の首を綺麗に斬り飛ばした。 なぜ、この『鬼』は事も無げに、それらを屠りながら前進してくるのだ。 そう、オークやトロールなど、『鬼』という言葉を使うにはあまりにも惰弱に過ぎる。そう、思わせられる。 目の前のこれこそ、まさに『鬼』。その表す意味に、最もふさわしい存在だ。 ―――ゴォゥッ、と風を巻き、背後にいた指揮官のメイジから『フレイム・ボール』の魔法が『鬼』に向かって放たれる。 普通の人間がまともに受ければ、炭の塊になる火の玉。 その光景も、何度も見た。 ―――『鬼』が左手の剣を振るう。火の玉と剣とがぶつかり合い……『フレイム・ボール』は、跡形もなく消え失せてしまうのだ。まるで、その刀身が炎を吸い込んでいるかのように。 「ひぎゃあああああああああああああっ!!!」 どんっ。軽い地響きがして、黒き『鬼』の姿が掻き消える。直後、響き渡る断末魔。 ものすごい速度でジャンプし、手前の槍ぶすまを飛び越え、先ほど『フレイム・ボール』を放った指揮官のメイジが叩き潰されたのだ。……文字通りの意味で。 「ば、化け物おおおっ!」 「なんだっ、なんなんだあああーっ!!?」 腕を振るい、脚を振るい、剣を振るい、その度に血飛沫が舞う。平民も、貴族も、亜人も……その前では、全て獲物に過ぎなかった。 自分は、手に持っていた愛銃を構える気も起こらなかった。これまで数多の戦場でメイジを十は撃ち抜いた自慢の相棒だったが……そんなもの、あれに効くはずもない。 「■■■■■■■■■■■■■■■ーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!」 」 意識を黒く塗り潰すような咆哮。 自分はその甘美な誘いに抗う気も起きず……幸運な事に、そのまま気を失う事ができたのだった。 § 勝ち気に逸っていた『レコン・キスタ』軍は、急転直下、死地へと投げ出された。 突如現れた、謎の『鬼』が想像を絶する力で暴れまわり、前線の将兵をことごとく薙ぎ倒している、と。 命からがら後退に成功した兵、高地ややぐらからの物見、また風のメイジによる遠見の魔法、それら全てが伝えてくる出来事は、その荒唐無稽な報告が事実である事を示していた。 最前線を担っていた二個大隊のうち、果敢にも(あるいは所詮一匹だと侮って)それに立ち向かっていった者は、平民貴族亜人正規傭兵を問わず、ことごとく死んだ。 勝ち戦にある者は、死にたくないものだ。 死んではせっかくの勝利の美酒を味わう事が出来ない。略奪する宝、戦功への恩賞、武勇に与えられる名誉……それらが惜しくて、命を惜しむ。 利益を惜しみ、命を惜しむ者が、誰構わず死と恐怖を振りまく正体不明の化け物に立ち向かっていくわけがあろうか。 二個中隊、およそ数百の歩兵や指揮官のメイジがその爪にかかり、腕に押し潰され、脚に踏み潰され、剣に首を飛ばされたところで―――勝利を確信し、その先の略奪に思いを馳せてすらいた正面隊の士気は完全に崩壊した。 兵達は犬死にを恐れて散り散りに逃げ出すか、恐怖に気を失うか、やぶれかぶれにニューカッスル城に突撃し、城壁の守りに散らされていった。 そしてその化け物は、今も目に付く者全てに襲い掛かり、殺戮を繰り広げている―――。 § 殺す。 ―――爪を振るう。槍を構えていた兵士が六枚に下ろされて絶命した。 殺す。 ―――腕を振るう。折れた槍を捨てて脇差を振りかぶった兵士の上半身が、空き缶のようにひしゃげた。 殺す。 ―――跳び上がる。着地点にいた銃兵が、足の裏の下敷きになって落としたトマトのように潰れた。 殺す。 ―――剣を振るう。飛んできた魔法がその刀身に吸収され、ついでに近くにいた兵士数人が、山刀に刈られる背の高い草よろしく、それぞれ適当なところを斬り飛ばされてもんどりうった。 殺す。 殺す。殺す。殺す。 儚く消える間際に、命の炎が一際燃え上がる。だが、そんなものはどうでもよかった。エルクゥの悦びなど欠片も感じない。 あるのは、ただ炎。それは蝋燭の消えゆく炎ではなく、そのまま本人を包み込んでその身を荼毘に伏す業火。 「かははっ、なんてぇ心の震えだ! いいねぇいいねぇ、主人の仇討ちに震えるハート! 燃え尽きてヒート! ガンダールヴ最後の大仕事だぜえ!!」 漆黒の肌の中に、眩しいほど煌々と光を放つ左手のルーン。そこに握られた剣が景気よく声を出し、目前に差し迫った『ジャベリン』の魔法による巨大な氷の矢を、瞬時に蒸発させた。 「■■■■■■■■■■■■■■■■■■ーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!」 呼応するようにエルクゥが咆哮を上げる。 だんっ、と血染めのその場から、『ジャベリン』が放たれた方向へとまっすぐに跳躍し―――その風のトライアングル・メイジは、刹那の後に絶命した。 § 軍隊、というのは、人間社会での集落同士が戦う為の組織である。 それが戦う事を想定しているのは、同じ数、同じ種類の人間だ。どれほどの腕があろうと、それが『人間』という枠に収まる以上、一人の達人では十人の雑兵に勝てない。 数の力。そういう理屈だ。 しかし。人ではない、たった一体の超越者と戦うには、軍隊は向かない。千を集め、万を集めても、その『数』という力を発揮出来ないまま無駄に命を散らすだけだ。 ドラゴンの暴君を討つのは、軍隊ではなく、英雄なのだ。 まだドラゴンなら、巨大なドラゴンならば、千の兵士によって一斉に銃を撃つことにも意味があるかもしれない。その巨体には、千の銃弾を集める事が出来るのだから。(逆に言えば、ドラゴンの炎の息も、百や千の兵を一斉に焼く事だろう) しかし、3メートルしかない少し大きな人型程度には、百人の兵士を殺到させたところで百人が同時に斬りかかれるはずもない。千人でも万人でも、せいぜいそれを相手に発揮される『数』の力は十人分。 その十人分を蹴散らすぐらい、超越者にとっては呼吸をするにも等しい。呼吸の回数が百回だろうと千回だろうと、それは等しく『時間の問題』でしかないのだ。 さらに『数』を増やそうとその外から弓や銃、魔法を撃てば、その近くにいる味方に当たるかもしれない。百人が一斉に囲めるような距離があっても、その人型は跳躍一つで銃の射程など飛び越えてくる。 業を煮やし、使い捨ての傭兵など知った事かと広範囲に及ぶ魔法をぶっ放した貴族などは、化け物の持つ剣に魔法を無効化された挙句、周囲の傭兵達によって逆襲を受け、それを守る兵との同士討ちが始まっている。その隊は、もはや軍としての用を成さないだろう。 前線のそんな混乱ぶりを間近で見ていた後方の隊では、機を見るに敏な傭兵や、戦の経験のない徴募兵が、次々と逃亡を始めていた。 堅城を落とす為に集められた五万の軍。それは、たった一匹のエルクゥに、全くの無力であった。 「……なんという」 ニューカッスル城の天守からは、『レコン・キスタ』軍五万の呆れ返りたくなるように巨大な陣容が一望できた。横っ腹への奇襲など微塵も警戒していない、岬の突端に位置する城の城壁にただひたすら殺到する為だけの、縦に長く伸びた突錐陣。 そして、今まさにその只中で殺戮の神楽を踊り続ける、使い魔の姿。 それを眺めるウェールズには、それを戦いと呼ぶのは憚られた。殺戮か、虐殺か……それとも、狩猟か。見るものを圧倒させる五万の陣は、瞬く間に見るも無残な血の海へと変貌していく。 「今なら、我らごと逃げ延びる事も可能かもしれませんな」 「……かもしれないな」 傍らの侍従の呟きに、ウェールズは重く頷いた。 城壁に張り付いてくるはずだった無数の兵がことごとく血に沈んでいく。もはや前線に展開していた部隊は壊滅状態だった。恐慌状態のままその横を走り抜けて城壁に取り付く兵士も散見されるが、見張りの兵だけで追い散らせる程度だ。 「まあ、逃げ延びる先がない我らには、ここを守るしかないのだがね。我らの名誉ある敗北は、彼に譲ってしまったのだから」 「いや、そうとは限りませんぞ」 「……パリー?」 かつて『鉄壁』の二つ名を欲しいままにした初老の侍従。その衰えぬ鋭い視線が、眼下に広がる五万の軍容の、そのさらに向こうを睨みつけている。そんな気がした。 「殿下、およそ全ての戦いと呼べるものには、一つの鉄則がございましてな」 「ほう。その心は?」 「『攻撃は最大の防御』と言うものです」 § 「もう一度報告を繰り返せッ!」 「は、はっ! 本日一〇一七、ニューカッスル攻略部隊が敵の襲撃を受け、先陣を担っていたハイランダーズ連隊は全滅。連隊長サザーランド侯以下、第一大隊長ランカスター伯、第二大隊長アーガイル伯、全てご殉死なされました」 全滅した隊のは言うに及ばず、後方の隊の傭兵や徴募兵までも逃亡を始めており、被害は今なお増大中、というその報告は、怒鳴り返した幕僚長には全く理解の出来ないものだった。 「敵の戦力は!? あやつら、玉砕覚悟で打って出たか!?」 「は。そ、それが……」 「何だ! わからんのか!?」 「て、敵は、一騎の亜人であるとの事です!」 搾り出すように叫んだ若き伝令の仕官の言葉に、簡素な野陣テントにしつらえられた軍議の場がざわついた。 「貴様、冗談を聞いているのでは―――!」 「詳しく説明しなさい。騎士ノーマン」 「ク、クロムウェル閣下……」 激昂しかかった幕僚長を遮ったのは、中心に座っていた司教服の男であった。いかつい勲章ときらびやかなマントばかりのその中心には、この場にそれ以上ないほど不似合いな、緑色の法衣姿がある。 『レコン・キスタ』総司令官、オリヴァー・クロムウェルが、顔の前で手を組み合わせ、テーブルに肘を付いていた。 その傍らには、真っ黒いローブに身を包み、フードで顔を隠したその秘書が侍っている。わずかに垣間見える口元や体つきから見るに、中肉中背の、青年と少年の境目にある男性、という風情だが、クロムウェル以外の誰も、その顔を見た者はなかった。 「ヘイバーン統幕僚長。怒りは我らの鉄の結束を崩す。冷静に報告に耳を傾けたまえ。疑問があれば、理でもって問いたまえ。彼は年若くして竜に認められた、誠実で誇りある騎士だ。余が保障する。偽報であるかどうかは、彼の責にはない」 「は、はっ」 「さあ、詳細を、我らが同志ノーマン」 にっこり、と笑いかけた司教に、伝令仕官は平伏して答えた。 「手に持った剣で魔法を弾き、風のメイジ以上の俊敏さを持ち、トロール鬼以上の力を振るう見た事もない『鬼』と報告が上がっております。突如としてニューカッスル城門前に現れ、襲い掛かってきたと」 「それが数千の我が軍を殺し尽くしたと? 信じられぬ話だが、間違いはないのだね?」 「はっ。全ての物見が、同じ事実を報告致しました。自分も伝令に飛び立つ際に報告どおりの姿を見ましたが……その勢いは全く衰えず、我が軍を、蹂躙しておりました」 場が静まり返る。その場にいるのは全て軍部の高官だったが、皆、『信じられない』といった表情を浮かべている。 目を閉じて黙り込むクロムウェルの耳元に、傍らの黒いローブの人物が口を寄せた。 丈の長い漆黒のローブが重力に引かれ、二人の顔を隠す。 その裏で、威厳と不気味さを保っていた二人の相好が―――盛大に崩れた。 「どどどどどどーしようサイトくん! そんな化け物の事、知ってたかい!?」 「お、俺だって知りませんよ! ジョゼフの野郎もそんな奴がいるなんて一言も……!」 「さ、サイトくんのマジックアイテムで何とかできないのかい!?」 「一匹でメイジ込みの数千人ブチ殺すような化け物倒せるアイテムなんて貰ってませんて!」 「どーしよ!?」 「どーしろと!?」 「バス降りて歩いてたら」 「後ろからイキナリ!?」 「ところでサイトくん、『ばす』ってなんなのかね?」 「えっと、俺の世界での乗り合い馬車っていうか……って現実逃避してる場合じゃないですってクロさん!」 「だ、だって、どうしろっていうんだい?」 「と、とりあえずあの騎士さんを下がらせて、ここの人達にアイディアを出してもらいましょう。もう間が持ちません」 「う、うん。わかった。―――落ち着きたまえ、同志諸君。指揮官が取り乱しては、兵が不安がりますぞ」 二人が体勢を戻し、ごほん、とクロムウェルが咳払いすると、騒然となっていた軍議の場はさあっと静かになった。 「忠実なる我等が騎士ノーマン、貴重な報告ご苦労であった。貴君のもたらした情報は、必ずや我が同志達を勝利へと導くであろう。下がってゆっくりと休み、次の任務に備えたまえ」 「はっ!」 クロムウェルが何度も頷き、笑顔を浮かべると、伝令の竜騎士は深く頭を下げて退室していった。 「さて、諸君、親愛なる我が『レコン・キスタ』の同志諸君。今の報告を真実だとして、どのような対処をするべきだと思うかね?」 その言葉に、軍議は再び紛糾を始めた。 どのような化け物でも五万の軍勢には勝てまい。いや被害を無闇に広げるだけだ一度全軍を下がらせて正体を見極め選りすぐりの竜騎士で討伐すべきだ。いやいやそれでは王党派に時間を与える事になる宣戦布告破りが他国にばれようものなら我等の正当性が問われ―――。 「……なんとかなりそうっすかね」 「……その化け物って、何者なんだろうね」 「さあ……敵の秘密兵器かなんかでしょうか?」 「報告します!」 「「っ!」」 息を切らせた伝令兵が陣幕に飛び込んできたのは、議論の熱が高まり、ひそひそ話をする総司令官と秘書の顔に落ち着きが戻ってきた時だった。 「何事だ!」 「お、王立空軍の旗を掲げた艦が、この陣に向かい最大戦速にて突撃してまいります!」 その報告に、高官達は先ほどまでの舌の熱も忘れ、文字通り跳び上がって驚いた。 § 「弾薬は全て下に向けて撃ち尽くせよ! 敵の艦など相手にするな! イーグル号、及びその乗員はこれよりその全てを以って『レコン・キスタ』本陣への弾丸となる!」 『鉄壁』の号令に、おぉぉー! と艦中から鬨の声が上がる。 「『鉄壁』の名にふさわしくない荒っぽさだね、パリー!」 「言ったでありましょう、『攻撃は最大の防御』ですとな! それとも殿下には、座して死を待つ趣味がおありでしたかな!」 「まさか!」 機動力を重視した設計の、その最大戦速にて五万の兵を飛び越えていくイーグル号の甲板で、主人と侍従は抑えきれぬ笑みを漏らしていた。 「狙うは総司令官、オリヴァー・クロムウェルの首級のみ! おのおのがた、気張りなされよ!」 どんっ! と腹に響くような重音とともに、敵艦の砲撃が船体を掠めていき、イーグル号が大きく揺れた。 甲板にて杖を構え、楽しくて仕方ないという風に顔を歪めるメイジ達に、取り乱す気配は全くない。 「総員、突撃ぃっ!!!」 怒号と共に、二百余名のメイジ達はマントを翻し、こぞって甲板から飛び降り始める。 その眼下には、開けた地に張られた野陣がある。『レコン・キスタ』軍、ニューカッスル攻略拠点の陣であった。 前ページ次ページゼロのエルクゥ
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前ページ次ページゼロのエルクゥ 「ヴェストリの広場で待つ! トリステインが武門、グラモン伯爵家が四男、このギーシュ・ド・グラモンに向かってあれだけの言葉を放ったのだ。逃げるなよ平民!」 ギーシュは言い放つと返事も聞かずにばさぁっとマントを翻し、大股で食堂を出ていった。 なんだなんだ、決闘、決闘だって? と周囲にざわめきが広がっていき、さっきまで耕一と同じようにぽかんと口を開けていた彼の友人連中は、一転わくわくした顔でギーシュについていく。 「……やれやれ。やりすぎたかな」 子供と大人の境目。人との関わりに興味はあるがまだ人を思いやれない年頃。遊ばせすぎても締めつけすぎても歪んでしまう時期。 大学では一応教職課程を取っているが、教師なんて絶対無理そうだ、と耕一は嘆息して、帰ったら取るのやめようと決心した。 「決闘、ねぇ……」 何をやるのかはわからないが、ま、たぶん子供のケンカと変わるまい。 さて面倒な事になった。 挑発した(つもりはないが、目下の者からの諌言など素直に受け入れない性質だとわかっていた上で淡々と事実を指摘するだけでも、その言葉は挑発として十分な効果を発揮するだろう)のは耕一自身だから、悔やんでもしょうがないのだが。 傍らでは、ギーシュの友人の一人が自分を見ている。どうやら逃げないように見張っているらしい。 「ちょ、ちょっとコーイチ! あんた、何やってんのよ!?」 面倒だしこのまま逃げてもいいけど……ともう一度ため息をついたところで、聞き覚えのある怒鳴り声。 見ると、ルイズが席を立ち、肩を震わせながらこっちに歩いてくるところだった。 「何、と言われてもね……ちょっと教育的指導をしたらケンカ売られた、としか」 「……まあ、見てたから知ってるし、私もあの二股は酷いと思うけど、そうじゃなくて!」 とぼけたような耕一の声に、ルイズが頭を抱える。 「どうすんのよ。勝てるの?」 「ま、子供相手に負ける気はないけどね」 「はぁ……ならいいけど。ご主人様に恥だけはかかせないでよね」 「努力するよ」 「……なんだか、大した自信ね」 ルイズと耕一のどこか余裕の態度に、ルイズの後ろについてきていたキュルケが、パチパチと瞳を瞬かせた。 「ギーシュはドットとは言えメイジ。戦争ならともかく、1対1だと平民じゃ逆立ちしても勝てないわよ? ルイズだって知ってるでしょう?」 「……そりゃ、知ってるわよ」 魔法が使えないルイズだからこそ、それは誰よりもわかっている。貴族を絶対上位たらしめている魔法というものの便利さと、恐ろしさを。 しかし彼は、エルクゥは、そんな世界の枠外も枠外の存在であった。 キュルケは、ルイズの態度に何かを感じとったのか、すぐに肩をすくめた。 「ま、あなたがいいならこれ以上は何も言わないけど」 「いいのよ。あの色ボケにもいい薬でしょう」 そう言うルイズも内心、耕一の妙な自信には半信半疑であったが、これで確かめてみればいい、と考えていた。 ―――口ほどにもなく弱かったら……覚悟しなさいよ。 「さて、じゃあ、ヴェストリの広場に行きますか」 ルイズのおっかないシグナルを背に受けて、耕一達は食堂を出た。 ヴェストリの広場は、人でごった返していた。 中央にギーシュが立っており、その周囲を囲むように野次馬が盛り上がっている。 「諸君! 決闘だ!」 耕一の姿を見つけると、ギーシュが手に持っていた薔薇の花を、ばっ、と天にかざした。 次いで、周囲の野次馬から歓声が飛ぶ。 「ギーシュが決闘するぞ! 相手はルイズの使い魔の平民だ!」 言っている間にも、野次馬の生徒はどんどん増えていく。 アイドルのコンサートよろしくギーシュは手を振り、歓声に答えていた。 そして、ようやく存在を認めた、とでも言うように耕一に向き直る。 「とりあえず、逃げずにきた事は誉めてやろうじゃないか」 「……一つ、確認しておきたいんだが」 「なんだね、言ってみたまえ。謝罪なら受け付けないぞ」 勝ち誇ったように、ギーシュは薔薇を口元に当てる。 「勝っても負けてもお前に得はないんだが、わかってるのか?」 「貴族の名誉を土足で踏みにじった平民に対する罰だ。十分に意味はあるさ」 ……冗談とか強がりじゃなくて、本気で言っているんだろうか、と耕一はちょっと心配になった。 現代日本の高校生が相手なら、耕一の感性も正しかったのかもしれない。しかし、彼は日本の高校生ではなく……名誉と誇りと形式と伝統を重んじる、トリステイン貴族の子だった。 「だからお前、もし勝ったら『二股がバレて弱い平民に八つ当たりした奴』になって、もし負けたら『そんな弱い平民にも負けた奴』になるんだぞ。どっちにしてもお前は女の子からモテなくなる。わかってるか? さっきの騒動、女の子達の視線はかなり冷たかったぞ」 つまりは、『平民にバカにされた』という形式的な名誉に気を取られて、本質の部分を忘れているのであった。 まあ、ただ単に頭に血が昇っただけとも言う。 「うぐっ!?」 耕一の言葉を聞いて、びしぃ! とギーシュが固まった。 そう、よく見れば、周囲を囲んでいる野次馬、大多数が血の気の多そうな男だった。 「俺を痛めつけた後に、さっきの二人に『君の名誉を汚した平民は僕が罰を与えておきました!』とか言って許してもらえると思ってるのか? 本気で思ってるなら、女心の前に人の心を勉強してこい。彼女達が何に怒ったのかもわからないんならな」 「う、うぐぐ」 「まあ、弱い奴を痛めつけただけでキャーキャー言ってくれるような尻の軽い女が好みというなら止めないが」 「だ、黙れ! それ以上喋るなっ!」 ギーシュは弾かれたように薔薇を振る。 その花弁がふわりと花を離れ、地面に舞い落ちると―――ぴかっと光を放ち、地面が軽く抉れると共に、忽然と人影が現れた。 女性のシルエットを模した、青緑色をした鎧騎士。 「行け、ワルキューレ! 奴にこれ以上囀らせるなっ!」 ギーシュが叫ぶと、鎧騎士―――ワルキューレは、猛然と耕一に向かって突進した。 人の肉体と違い、壊れる事をいとわないその動きは十分に速く、あっという間に距離を詰め、耕一の顔めがけて拳を振りかぶり、そのまま右ストレートを放ち―――耕一は、微動だにしないまま、それを顔にくらった。 ひっ、とどこからか息を呑む音がして―――ぐわぁぁん、という金属の打ちつけられた音と、ぐしゃあ、という金属の潰れた音が同時に響いた。 「―――へ」 ギーシュが、息の抜けるような間の抜けた声を上げた。 「こりゃ、金属の人形か。さすがに響くなあ」 その場に立ったままの耕一が、本当の本当に『目の前』でひしゃげた人形の腕を、手で払うようにどけた。 片腕を失ったワルキューレは、払われただけの手に突き飛ばされるようにして横に飛ぶ。 「ば、バカな。僕のワルキューレが!? 青銅のゴーレムの腕が!?」 「なるほど。青銅なのかこれ。よく出来てるなあ」 耕一の声はどこまでも平常で、ギーシュのみならず、目を伏せずに見ていた野次馬の大半が、言葉を失っていた。 昼下がりの学院長室。 秘書であるロングビルは席を外しており、その部屋ではオスマンだけがキセルをくゆらせていた。 「うむ。どれ」 オスマンが何かに頷いて、背の丈ほどある杖を振ると、机の上に置かれていた小さな手鏡が光り出した。 光が収まると、そこには……妙な場所が映し出されていた。 何かの陰なのか薄暗く、木目のある物体が見える。それは、どこか机の下から椅子を見上げている図だった。椅子の上に誰かが座ったら、その股間部がよく見えるに違いない。 「うむ、ベストポジションじゃモートソグニル。ようやった! ようやったぞ!」 オスマンが喜色満面に頷くと、無人の秘書机の下から、小さなハツカネズミが飛び出してくる。 得意げに胸を張るネズミにナッツを頬張らせてやるオスマン。 コンコン。 そんな平和な学院長室の日常は、ノック音により中断された。 「失礼します、オールド・オスマン」 「なんじゃ、ミス・ロングビルか。かしこまってどうしたんじゃ。ささ、早く机に座って仕事に戻りなさい」 「いえ、少しご報告が」 「ふむ。ま、いいから座りなさいミス・ロングビル」 「いいえ、まだ仕事は終わっていませんので……それでご報告ですが、ヴェストリの広場で決闘をしている生徒がいるようで、大きな騒ぎになっています。止めに入った教師もいましたが、集まった生徒の数が多すぎて止められないと」 オスマンは呆れたように肩をすくめた。 「まったく、ヒマを持て余した貴族ほど性質の悪い生き物はおらんな。まぁ座って話せばよかろう、ミス・ロングビル。それで、決闘なんぞしておるのはどこのどいつじゃ」 「いえ、すぐに出かけますので。一人は、ギーシュ・ド・グラモン。そして、もう一人が……生徒ではなく、ミス・ヴァリエールの使い魔の青年のようです」 ロングビルの言葉を聞いた瞬間、オスマンの表情が一転、引き締められた。 「教師達は、騒ぎを止めるため、『眠りの鐘』の使用許可を求めております」 オスマンは目を閉じ、暫しの間沈思黙考した後、さっと杖を掲げた。 壁に掛かっていた大きな姿見がぱあっと光り、そこにはヴェストリの広場―――ではなく、何かの物陰が映っていた。部屋の中なのか、壁と椅子のようなものが見える。椅子に誰かが座っていたら、その股間部がよく見えそうだった。 「おっと。間違えた」 再び杖を振ると、今度は人の集まる広場の風景が映し出される。 ちょうど、戦乙女を模したゴーレムが件の青年に殴りかかり……その腕が、自らの力によってひしゃげるところだった。 「…………」 「…………」 平然として立ったままの青年を見て、二人の顔が複雑な表情を描いた。 『呆気に取られる』と『戦慄を覚える』を同時に混ぜ合わせたような、そんな顔だ。 「ミス・ロングビル。『眠りの鐘』の使用を許可する。どちらかが血を流した瞬間に鐘を鳴らすよう言っておいてくれたまえ」 「そのように伝えておきます」 「うむ」 「ところでオールド・オスマン」 「なんじゃね? ミス・ロングビル」 「私の机の下に仕掛けた遠見の鏡、次までに撤去しておかなければ叩き割りますね。修理費は学院長のポケットマネーから出しておきますので」 「カーッ!」 学院長室は、今日も平和だった。 「―――で、これで終わりかい? こっちが話をしている時にいきなり襲うなんて、貴族の名誉ってのは随分と軽いんだな」 「くっ! それ以上の侮辱は許さんっ!」 ぶん、ぶん、とギーシュが薔薇を振り乱すと、次々と光が生まれ、ゴーレムが生み出されていく。 「もう手加減はしない! 『青銅』のギーシュが奥義、七体のゴーレムによる同時攻撃を受けるがいい!」 素手だった最初の人形とは違い、剣や槍をそれぞれに持ったワルキューレ達が、ざっ、とギーシュの前に整列し、その武器を耕一に向けた。 耕一は、慌てる事もなく、ゆっくりと左手をあげ……覆うように、顔を隠した。 「力で他に言う事を聞かせる。それは自然の摂理なんだろうな」 だからエルクゥは生まれた。復讐の力の為に。 「い、今更命乞いかっ!?」 「だが、全てを力で解決するのならば、それは人である必要がない。事に当たり、知恵を、情を、言葉を尽くす者を人と呼び、人こそが鬼を従える」 だから、人でしか、鬼は飼えない。 「な、何を言っている!」 「お前は餓鬼だ。どうしようもない餓鬼。そして、餓鬼ならば鬼だ。ちっちゃな糞餓鬼とはいえ鬼ならば、力を振るう事に容赦はしない」 ぴぃん、と空気が張り詰め―――耕一の左手の甲に描かれた使い魔のルーンが淡く光を放ち始めたのを見る事が出来たのは、正面からそれを見つめていたギーシュと、最前列でじっと彼を見つめていたルイズだけだった。 「見せてやろう。我は鬼。人を狩る鬼。宵闇の狩猟者―――エルクゥ」 ギーシュには、手で顔を覆った耕一の眼が、赤く、鮮血のように赤く光ったように見えた。 「行くぞ。糞餓鬼」 微かに彼の足がブレた次の瞬間、耕一の姿は、整列するワルキューレの目の前にあった。 「ひぃっ!?」 「っ!?」 ギーシュだけでなく、耕一にも驚きの表情が走った。 ―――体が軽すぎる。 だが、鈍いよりは問題ではなかった。思考を切り替え、そのまま右腕を真一文字に一閃させる。 しゅりぃぃん、と耳障りな金属音がして、7体の青銅人形は、例外なく真っ二つに切り裂かれた。 腰から上下に別たれた人形達が崩れ落ち、文字通り土に還っていき……腕を振り抜いた風圧で、真後ろにいたギーシュが弾き飛ばされるように吹き飛んだ。 「がふっ!」 したたかに背中を打ち付け、息が漏れる。その飾りシャツの胸元が、風圧によるものか、ぱっくりと真横に切り裂かれていた。 次の瞬間、どんっ、と鈍い音と共に、目の前に耕一の顔があった。 滲む目で彼の右腕を見ると、自らの顔の横の地面にそれが突き刺さっている。ありえない、とギーシュは身体中が震えるのを感じた。 「続けるかい」 ギーシュは言葉もなく、ぶるぶる、と首を横に振った。 耕一が地面から腕を抜き、立ち上がっても……ヴェストリの広場は、静寂に包まれたままだった。 「……『眠りの鐘』は、必要ありませんでしたわね」 「そうじゃな」 ロングビルが許可の旨を報告に出て行こうとした時には、既に決着はついてしまっていた。 「神の左手『ガンダールヴ』……あらゆる武器を使いこなす、との事でしたが」 「武器なぞ使わんかったな」 「さすが伝説、と言えばよろしいのでしょうか。それとも、伝説と違う、と言えばよろしいのでしょうか」 「今の時点でわかる人間がいたら、そいつは始祖の生まれ変わりじゃろうて」 オスマンは、どうでもいい、というように髭をしゃくった。 「『眠りの鐘』についてはもういいじゃろう。ミス・ロングビル、ミスタ・コルベールをここに呼んでくれたまえ」 「かしこまりました」 ロングビルは一礼して、学院長室を出て行った。 「さて、どうするかのう……」 オスマンは、思い詰めたようにため息をついた。 「……名残惜しいが、さすがにマジックアイテムを弁償するのは勘弁じゃしのう。はーあ」 そっちかよ! と肩の上にいたモートソグニルはツッコミを入れざるを得ず、少しだけ知能が上がったのだった。 前ページ次ページゼロのエルクゥ
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前ページ次ページゼロのエルクゥ ルイズは、夢を見ていた。 今日の舞台は、数年前まで住んでいた生家、ラ・ヴァリエール家の本宅。 「はあ、はあ……」 十ほども幼い姿の自分が、当時の自分の背格好からは迷路のようにしか見えなかった庭木の植え込みの間を、息を切らせて走っていた。 「ルイズ、ルイズ、どこに行ったの? まだお話は終わっていませんよ! ルイズ!」 後ろから、厳しい母の声が響き渡る。 ルイズはぎゅっと目を瞑り、必死に足を動かした。彼女の安息の場所に向かって。 そこは、広すぎる公爵家の屋敷の中で、住人達に忘れ去られた場所。 訪れる者は世話をする庭師だけになった、舟遊びをする為の大きな池。 池のほとりに繋がれた小舟の中が、優秀な姉達と違って魔法の出来ない自分が父や母に睨まれる事のない、幼いルイズの数少ない安心できる場所だった。 「うう、ぐすっ……」 持ち込んである毛布にくるまると、ぎいぎいと小舟がきしむ音と、ちゃぷちゃぷと揺れる水音が、聞こえる音の全てになる。 水と土が織り成すその調べを聞いていると、次第に悲しみに暮れていた気持ちが慰められていくのだった。 「はあ……」 そうして、どれくらいの時間が経っただろうか。 この光景は、過去のものだった。この後、婚約者である憧れの子爵様が慰めに来てくれたはずだ。 しかし、これは夢。過去を回想しているわけではなく、霞に見ているただの夢だった。 「あれ……?」 水と土の演奏が、どこか遠くに聞こえる。代わりに響いているのは―――轟と燃え盛る炎と、全てを切り裂く風からなる鋭い旋律。 「え―――?」 毛布から顔を出し、舟の縁から周囲を見たルイズは、絶句するしかなかった。 そこは綺麗に剪定された実家の池ではなく、どこかの河原。砂利と泥水の流れる河原に浮かぶ舟の中だった。 「ど、どこ、ここ……?」 きょろきょろと周囲を見渡すと、瞬間、そこは舟の上ですらなくなった。 「おお、おお、エディフェル! しっかりしろエディフェル……!」 『えっ?』 自分の口から、野太い男の声が漏れ出る。 その視線の先には、見た事もないような服を身にまとい、河原に横たわり、炎に照らされ、太い腕に抱かれた女性の姿があった。 まるで、自分が抱きかかえているような視点だったが……私の腕はこんなに太くないわよ、とルイズは妙に冷静な事を考えた。 抱きかかえている女性の胸に大穴が空いていて、その白磁のような肌にべっとりと血糊が張り付いているのも、どこか朧に目に映る。 『な、何よこれ……!』 口を動かそうとしても、言葉にならない。胸を焼くような焦燥だけがそこに渦巻いていた。 「……わかっていたのです。こうなるであろう事は……」 ごぼ、とその女性の口から赤い飛沫が弾ける。 「貴方を助け、貴方と共にある事は、一族への裏切り……皇女である私には、それが最大限の報復でもって贖われる事を……」 「もういい、喋るな。すぐに治療を」 静かに、女性は首を横に振った。 「助かりません。それに……私が助かってしまったら、今度はリズエルが……」 「構わぬ。お前以外の誰がどうなろうと構わぬ。そう言ってわしを鬼としたのはお主であろうが……!!」 「ふふ、そうでしたね……」 血を吐きながら、女性は穏やかな……酷く穏やかな表情を浮かべる。 その儚い笑顔に、ルイズはどこか、優しい下の姉の面影を見出していた。 「ああ、愛しています、次郎衛門。願わくば、姉を……エルクゥを恨まないで」 『えっ?』 聞き覚えのある単語に、夢心地だったルイズの意識が急に鮮明となる。 「愛している。愛しているエディフェル。だから死ぬな。わしを鬼とした主が死ぬな。その貸し、一生を捧げなくば返せぬものと知れ……っ!」 『あ、あ、う……!』 激情。 溶けた鉄にも似た、真っ赤な色をした激烈な感情が、容赦なくルイズの意識に流しこまれる。 それは、耕一の『シグナル』を受け取る時と同じ感覚で―――そして、同じでは到底ありえなかった。 耕一のシグナルが後ろからそっと肩を叩かれる程度の驚きであるとすれば、これは"ファイヤーボール"の直撃。骨まで灰になるような、溶鉄の温度だ。 「ふふっ……相変わらず厳しい方。ご心配召さらず。この身、既に全て貴方に捧げております故に……」 「ならば、ならばっ……!」 女性の手がふらふらと伸び、自分の頬を撫でた。その指が、微かな水気に濡れる。 それでも、身体中を焼き尽くすような溶鉄の激情は、少したりとも衰えない。 「エルクゥの御魂は、ヨークによって滅する事叶いません。幾星霜かの時の後に、また」 「……違えたら、許さぬ。お前はわしのものだ。必ずまた、来世で」 「はい。次の世でも、必ず貴方の元に」 そうして、二人の顔が、紅に濡れた唇が近付き――― § 「はっ!?」 ルイズは、がばっ、と布団を跳ね上げて目を覚ました。 「はーっ……はーっ……」 どくん、どくん、と心臓ががなり立てている。 「な、なに、今の、夢……」 夢、であったのだろう。実家にいたはずなのにいきなり見も知らない場所にいたり、何者かもわからないような男女の死別に居合わせたりと。 「エル、クゥ……」 でも。 いつもなら、浮かび上がる意識の底に置いていかれてしまう夢の内容を、今はありありと思い出す事が出来た。 炎。風。血。微笑み。そして、溶けるような―――想い。 「ううっ」 思い出して、ぶるりと背筋が震えた。 「なんだったのかしら……エルクゥ、って言ってたし、コーイチに関係ある事なの?」 「さあなあ。俺にゃわかりよーもねえなあ」 「ひっ!?」 夜明けの暗がりの中、独り言に反応する声が上がって、ルイズは文字通り飛び上がった。 「なんでえなんでえ。そんなお化けでも見たような顔で驚くなってんだ」 「あ、あんたね……」 カタカタ、と金具が鳴る音がする。それは、まだ寝息を立てている使い魔の横に立てかけられている、喋る剣の声だった。 「もう、寝る時は鞘に入れときなさいって言ったのに……」 「そんな寂しい事言うなよ娘っ子。こちとら作られてから数千年、久々に気のいい使い手に出会って充実した時を過ごせてるんだからよ」 カタカタカタ、と大きく飾りを鳴らして笑うデルフリンガーに、ルイズはそれに負けない大きなため息をつき……続けて、大あくびをかました。 「うう、まだこんな時間じゃないの……はぁ」 まだ薄暗がりの外を見て、布団を被りなおす。 「なんだ、また寝るのか。たまには早起きもいいもんだぞ」 「それ以上喋ったら鞘に押し込むわよ」 「むぎゅ」 そう言ったら押し黙ったので、ふんと鼻を鳴らして目を閉じた。 けれど、あの溶鉄のような激情を思い出して心臓は落ち着きを見せず、眠ってしまったらあの続きを見てしまうような気がして……ルイズは寝直す事の出来ないまま、段々と日が昇っていくのを眺める羽目になったのだった。 § 「恐れ多くも先の陛下の忘れ形見、我がトリステインがハルケギニアに誇る可憐な一輪の花、アンリエッタ姫殿下が、本日ゲルマニアご訪問からのお帰りに、この魔法学院に行幸なされます」 黒ずくめの怪しい先生の授業もハゲ頭に乗っかった金髪ロールのカツラも、睡眠の足りない胡乱な頭で見聞きしていたルイズは、その一言にはっと目を覚ました。 「姫殿下が……」 脳裏に、懐かしい記憶が蘇る。 それは、ちょうど朝夢に見たような、幼き日々。魔法を使えないと言う事が、まだ母の説教で済んでいた頃。 「……ふぅ」 しかし、ルイズは首を振って、開きかけた記憶の扉を閉めた。 「覚えていらっしゃるはずがないものね」 物心はついていた頃だから、聞けば思い出すかもしれないが、それだけだろう。 しかも、今の自分は『ゼロ』のルイズ。何かの折に小耳に挟まれていたら、失望されているかもしれない。そんな者と幼少のみぎりに遊んでいたのか、と。 そう考えると、知らず、ぶるりとルイズの背が震えた。 「……もう慣れたと思ったんだけどな」 最近は、そんな事気にもしない奴等がずっとそばにいるものだから、忘れかけていたのかもしれない。『ゼロ』という二つ名に込められた意味を。 「―――生徒諸君は正装し、門に整列すること。諸君が立派な貴族に成長したことを、姫殿下にお見せする絶好の機会ですぞ! 御覚えがよろしくなるように、しっかり杖を磨いておきなさい! よろしいですかな!」 皆が引き締まった顔でコルベールの激を聞いているのを、ルイズはどこか張りのない表情で見つめていた。 「トリステイン王国王女、アンリエッタ姫殿下のおなーーーーりーーーーッ!」 そして昼を過ぎ。 門に整列した生徒達の前、猛々しい声と共に、老人に手を取られた女性が、一角獣ユニコーンが綱を引く絢爛な馬車から姿を現した。 その横には、幻獣グリフォンに跨り、大きな羽帽子で顔を隠した護衛らしき衛士の姿。 そのどちらにも覚えのある面影を見つけ、ルイズは周囲の生徒と同じ杖を掲げた格好のまま、じっとそれを見つめている。 不安と憧れが半々に混じった視線が、ゆらゆらと二人の間をさまよっていた。 「……キュルケさんとタバサちゃんは杖を掲げなくていいのか?」 「あたしはゲルマニアの者だもの。興味がなきゃ義理もないわ。お姫様って言っても、あたしの方が美人だしね。ま、あの衛士隊の殿方は素敵そうだけれど」 「…………」 「はは……」 その横に控えている耕一が、同じくその横でつまらなそうにしている二人に聞くと、キュルケはいつものペースを崩さないまま、タバサなどは木陰に座って本を広げる事で、それぞれらしい返事をした。 § 「……なるほど。誰も気付かぬうちにと、そういうわけですか」 「その通りですじゃ、枢機卿殿。ディテクト・マジックにも反応はなく、今のところどう盗んだのかすら不明ですわい」 「さて、伝統あるトリステイン魔法学院の威信が問われますな。盗まれたのが宝物ではなく生徒であったとしたら、いかがするおつもりでしたか」 「……さて、返す言葉もないですな」 夕刻。学院長室では、昼間にアンリエッタ姫をエスコートしていた老人、このトリステインの政務を仕切る実質上の宰相であるマザリーニ枢機卿が、飄々としてはいるが、どこか弱った表情を隠せないオスマンの報告を聞いていた。 一週間前に起こった、『土くれ』のフーケによる盗難事件の報告である。その横では、アンリエッタ姫が苦い顔で二人の話を聞いていた。 「枢機卿。過ぎた事を責めても」 「然りです殿下。ですが、これからの話に入る為には必要な事でもあるのです。オールド・オスマン。これから警備体制に関しては、こちらからも口を出させていただきますぞ。このトリステイン魔法学院には、他国からの留学生も多く預かっておりますでな」 それが誘拐される事も有り得る。言外にそう言っていた。 もしそうなった場合、その相手国との関係がどうなるかは、語るまでもない。 「……仕方ありますまいな」 口だけじゃなく手も足も出す気じゃろうに、という内心を隠しながら、オスマンは弱った様子で重く頷くしかなかった。 学院の自治は重要ではあるが、生徒の安全には代えられないのだ。そして、目の前の老人には、その担う重責―――まだ齢四十だが、その重き荷が、彼をそこまでに枯れさせてしまったほど―――に相応の、それが出来るだけの力があった。 「さて、まずは―――?」 具体的な話を詰めようと開いたマザリーニの口はしかし―――びりびり、という大地の震えに閉じられた。 「地震ですかな。珍しい」 アンリエッタを庇うようにマントを広げ、マザリーニが周囲を見渡す。 「ああ、枢機卿殿、これは違いますぞ。お気になさらず」 「オールド・オスマン?」 妙に落ち着き払ったオスマンの態度に、マザリーニが怪訝な表情を浮かべた。 再び、大きく震えた。 「とある生徒の魔法の練習ですじゃ。最近張り切っておるようでしてな。毎夜の事なのです」 「……魔法の練習? これがかね?」 「珍しい事ですが、その者は魔法を失敗すると爆発してしまうのです。この通り」 オスマンが杖を一振りすると、横の姿見が、一人の少女の姿を映し出した。 それを見た瞬間、アンリエッタの目と口が驚きに見開く。 「……ふむ」 段々と夜が深くなっていく宵闇の中、桃色の長いブロンドを汗に濡らし、杖を振り続ける少女。その傍らでは、蒼い髪の小柄な少女が、その使い魔であろう大きな風竜に、爆発からの盾にするように背を預け、本を広げている。 桃髪の少女が必死の表情で杖を振ると、近くにあった握り拳ほどの石が盛大な爆発を起こし、濛々と煙を吐き出した。 「本来は爆発音もするのですが、ちと近所迷惑だと生徒からの苦情がありましてな。とはいえ生徒の自助努力を止めるというのも心苦しいです故、彼女の友人や教師が交代で、サイレントの魔法をかけておるのです」 振動と映像は、一致している。 しばらくの間、杖を振っては爆発して建物が響くのを見つめた後、マザリーニは大きくため息をついた。 「……話を進める雰囲気ではなくなりましたな。追って書状にてご連絡致しましょう」 「あいわかり申した」 マザリーニは部屋を出て行こうと踵を返す。 アンリエッタは同じくその少女が映る鏡を見つめていたが、その表情はマザリーニとは真逆の、どこか懐かしく嬉しいようなものを含んでいた。 「……ルイズ・フランソワーズ」 「殿下、参りますぞ」 彼女の唇から紡がれた小さな言葉は、扉を開けてアンリエッタを待つマザリーニの耳には届かなかったようだった。 § 「よう娘っ子、今日も絶好調だったみてぇだな」 「黙りなさい溶かすわよ」 ルイズは不機嫌そうに剣を蹴飛ばすと、湯上りで赤みの差した肌をごろんとベッドに横たえた。 「ちょっ、蹴るなってあぁん♪」 「へ、へへ、変な声を出すなぁぁぁっ!」 「ぐへ! 娘っ子それはさすがに痛えってちょっ! 相棒タンマ! ストップ! ストップ・ザ・スローイン!」 「すまんデルフ。さすがに俺もキモかった」 「ひでえよ相棒……ちょっとしたお茶目じゃねえかよ」 デルフリンガーの声はどう聞いても中年のおっさん声であるので、冗談でも『あぁん♪』などという可愛らしい文字列は似合わなかった。 思わずルイズがカカトで踏みつけ、耕一が窓から投げ捨てようとしてしまったのも無理ない事であったろう。 「やれやれ、ひでえ目にあったぜ」 「自業自得よ。まったく……」 ルイズはベッドに入り直すと、早々に布団を被る。魔法の練習が疲れるのか、最近はとても健康的な時間に就寝してはいるが、それにしても早かった。まだ月が昇ってそれほども経っていない。 「もう寝るのか?」 「……今日はちょっと張り切っちゃったのよ。おやすみ、コーイチ」 「ああ、おやすみ」 ルイズが背中を向け、さてさすがに俺も寝るには早すぎるけどどうしよう、と耕一が暇を潰す先を考え始めた時。 コン、コン と長めのストロークでドアがノックされた。 「はーい、どなたで―――」 コココン 耕一が応対の為に立ち上がろうとすると、再び短く三回。 「えっ!?」 「る、ルイズちゃん、どうした?」 何か閃くものがあったのか、ノックを聞いて飛び起きるルイズ。 数秒ほどそのドアの方を見つめると、眉を寄せながらブラウスを身に付け、おそるおそるといった感じでドアを開けた。 「……あ、あなたは」 そこにいたのは、長く黒いマントで体を隠し、黒いフードをすっぽりと被った人物だった。 見るからに怪しげだったが、ルイズの表情は、どこかそういう"怪しんでいる"というのとは違う驚きだった。 黒マントはそっと唇に指を当てると素早く部屋の中に潜りこみ、フードを取り去る。その素顔に、ルイズの目が今度こそ見開いた。 「……ルイズ・フランソワ―ズ」 「ひ、姫殿下……!」 「ああ! 覚えていてくれたのね。ルイズ、懐かしいルイズ!」 黒フードの少女―――アンリエッタ・ド・トリステインは、感極まった声でルイズに抱きつき、心から嬉しそうな笑顔を浮かべた。 前ページ次ページゼロのエルクゥ