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八王子 はちおうじ 国分寺 こくぶんじ 八王子市 はちおうじし 国分寺市 こくぶんじし 立川 たちかわ 国立 くにたち 立川市 たちかわし 国立市 くにたちし 武蔵野 むさしの 福生 ふっさ 武蔵野市 むさしのし 福生市 ふっさし 三鷹 みたか 狛江 こまえ 三鷹市 みたかし 狛江市 こまえし 青梅 おうめ 東大和 ひがしやまと 青梅市 おうめし 東大和市 ひがしやまとし 府中 ふちゅう 清瀬 きよせ 府中市 ふちゅうし 清瀬市 きよせし 昭島 あきしま 東久留米 ひがしくるめ 昭島市 あきしまし 東久留米市 ひがしくるめし 調布 ちょうふ 武蔵村山 むさしむらやま 調布市 ちょうふし 武蔵村山市 むさしむらやまし 町田 まちだ 多摩 たま 町田市 まちだし 多摩市 たまし 小金井 こがねい 稲城 いなぎ 小金井市 こがねいし 稲城市 いなぎし 小平 こだいら 羽村 はむら 小平市 こだいらし 羽村市 はむらし 日野 ひの あきる野 あきるの 日野市 ひのし あきる野市 あきるのし 東村山 ひがしむらやま 西東京 にしとうきょう 東村山市 ひがしむらやまし 西東京市 にしとうきょうし
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低気圧 徳田秋声 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)去年《きよねん》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)三|人《にん》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)※[#「怨」の「心」に代えて「皿」、第3水準1-88-72] /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)いろ/\ 濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」 去年《きよねん》の夏《なつ》の末《すゑ》、お美代《みよ》お広《ひろ》の妹姉《けうだい》の家《いへ》で親《した》しくなつた宗匠《そうせう》の高柳《たかやなぎ》から、「明日《あす》の夕刻《ゆふこく》三|人《にん》で行《い》く、宜《よろ》しく」と云《い》ふ電報《でんぽう》を受取《うけと》つたとき、村山《むらやま》はちよつと腹《はら》が立《た》つた。高柳《たかやなぎ》と高柳《たかやなぎ》の持《も》ちもののお広《ひろ》とが二人《ふたり》で来《く》るとか、それにお美代《みよ》がついて来《く》るとか、お美代《みよ》一人《ひとり》ははづれるとか、そんな事《こと》で可《か》なりごたついてゐたことは、しばらく村山《むらやま》のところへ来《き》て遊《あそ》んでゐた甥《おひ》の芳太郎《よしたろう》が帰《かへ》つてから村山《むらやま》が受取《うけと》つた芳太郎《よしたろう》の手紙《てがみ》でも様子《やうす》が能《よ》くわかるのであつた。芳太郎《よしたろう》が其妹婿《そのいもうとむこ》と一|緒《しよ》に来《き》たときですら、女達《をんなたち》が来《く》る来《こ》ないで、手紙《てがみ》が芳太郎《よしたろう》と村山《むらやま》のあひだに、数回往復《すうくわいおうふく》されたほどであつた。孰《いづれ》にしても、村山《むらやま》の方《ほう》では、三|人《にん》となると泊《と》めるのに困難《こんなん》であつた。女二人《をんなふたり》なら気楽《きらく》に東京見物《とうけうけんぶつ》をさせうるだけの自信《じしん》が、村山《むらやま》にあつた。彼《かれ》はそのやうに妻《つま》の諒解《れうかい》を得《え》ておいたのである。そして結局《けつきよく》は高柳宗匠《たかやなぎそうせう》とお広《ひろ》とが団体《だんたい》で東京附近《とうけうふきん》の見物《けんぶつ》に来《く》るので、お美代《みよ》は又《ま》た秋《あき》にすると言《い》つて芳太郎《よしたろう》から手紙《てがみ》が来《き》たけれど、内気《うちき》なお美代《みよ》が遠慮《えんりよ》してゐることが、村山《むらやま》には解《わか》りきつてゐた。彼《かれ》は折角《せつかく》思《おも》ひ立《た》つたお美代《みよ》を東京《とうけう》に迎《むか》へることのできないのが、物足《ものた》りなかつた。そこで彼《かれ》はまた折返《をりか》へし手紙《てがみ》を書《か》いて、お広《ひろ》が宗匠《そうせう》と方々《ほう/″\》あるいてゐるあひだ、家《うち》に泊《とま》つてゐて、団体《だんたい》の時日《じじつ》の都合《つごう》で、宗匠《そうせう》が帰《かへ》つてから、お広《ひろ》と二人《ふたり》で遊《あそ》んだら可《い》いだらうと、決定的《けつていてき》に言《い》つてやつたのであつた。 「……どつちにしても三|人《にん》は都合《つごう》がわるいから。」村山《むらやま》はその手紙《てがみ》でも念《ねん》を押《お》しておいた。 ところが宗匠自身《そうせうじしん》が「よろしく」と打電《だでん》して来《き》たので、村山《むらやま》は自分《じぶん》の思《おも》ひどほりにならないことを牾《もど》かしく感《かん》じた。 「宗匠《そうせう》も来《く》るさうだよ。どうか都合《つごう》つくだらうか。」村山《むらやま》は茶《ちや》の室《ま》にゐる妻《つま》のお加奈《かな》に一|応《おう》当《あた》つて見《み》た。 不仕合《ふしあは》せなことには、お加奈《かな》の機嫌《きげん》が昨日《きのふ》から遽《には》かに悪《わる》くなつてゐた。村山《むらやま》が昨年《さくねん》遣《や》りちらした貧弱《ひんじやく》な庭《には》を、いくらか気分《きぶん》の落着《おちつ》く程度《ていど》に弄《いぢ》り直《なほ》さうと思《おも》つて、少《すご》し高《たか》い木《き》などを約束《やくそく》して来《き》たことが、原因《げんいん》であつた。さうでなくとも彼《かれ》は自身《じしん》で可《か》なり気《き》がひけてゐたところへ、お加奈《かな》の文句《もんく》が出《で》たので、傷《きず》に触《さ》はられたやうに感《かん》じてつひ怒り出してしまつた。彼はそんな事を好《よ》い気《き》になつて遣《や》つてゐるのではなかつた。しかし弄《いぢ》りだした庭《には》は、弄《いぢ》れば弄《いぢ》るほど拙《まづ》くなるばかりであつた。彼《かれ》は毎日《まいにち》見《み》てゐるのが気持《きもち》がわるかつた。一|切《さい》を払拭《ふつしき》してしまひたかつた。お加奈《かな》もやるなら、一|層《そう》思《おも》ひきつてやつた方《ほう》が好《よ》いやうな気《き》もしてゐたが、村山《むらやま》が何《なに》も彼《か》も放擲《ほうてき》して夢中《むちう》になるのが、傍《はた》から見《み》ると狂気《けうき》じみてみえた。 「家《うち》がこんなに汚《きたな》いのに、極《きま》りがわるいぢやありませんか。それも何《なに》か身《み》につくものなら格別《かくべつ》ですけれど。」 「そんなものは何《なん》にも欲《ほ》しいとは思《おも》はない。」 さうは言《い》つても、村山《むらやま》も愁《なまじ》つか手《て》をつけたところで、思《おも》ひどほりに行《い》くか何《ど》うかは解《わか》らなかつたし、色々《いろ/\》の点《てん》で不満《ふまん》のある居所《きよしよ》なので、何《ど》んなことで此処《ここ》にゐるのが厭《いや》になるかも知《し》れないと思《おも》つた。小《ちひ》さな趣味《しゆみ》に囚《とら》へられて、彼此《かれこれ》と小細工《こざいく》を施《ほどこ》すよりも、一|層《そう》周囲《しうゐ》の広々《ひろ/″\》した郊外《こうぐわい》へでも行《い》つて、思《おも》ふさま野生《やせい》の木《き》を植《う》ゑて、せい/\した森《もり》のなかに住《すま》つてゐたいやうにも感《かん》じた。けれどさうするには又《ま》た余分《よぶん》な労力《ろうりよく》と時間《じかん》とを費《つひ》やさなければならなかつた。因襲《いんしう》を打破《だは》すると云《い》ふことだけでも、彼《かれ》の生活《せいくわつ》に取《と》つては、容易《ようい》なことではなかつた。行《い》つた先《さ》きに安定《あんてい》しうるか何《ど》うかも疑《うたが》はしかつた。寧《むし》ろ因襲《いんしう》に余儀《よぎ》なくされてゐる方《ほう》が、却《かへ》つて自由《じゆう》のやうな気《き》もするのであつた。些細《ささい》な木《き》とか石《いし》とかいふものも、いくらか彼《かれ》を宿命《しゆくめい》づけてくれる因縁《いんねん》とならないとも限《かぎ》らないのであつた。 彼《かれ》は乱《みだ》された頭脳《づのう》を静《しづ》めようと思《おも》つて、やがてふらりと家《いへ》を出《で》てしまつた。 彼《かれ》は町《まち》をふら/\歩《ある》いてゐた。何処《どこ》へ行《い》くと云《い》ふ当《あ》てもなかつたけれど、目的《もくてき》なしに歩《ある》く癖《くせ》を彼《かれ》は元《もと》から持《も》つてゐた。少《すこ》し遠《とほ》くへ出《で》るつもりで、その用意《ようい》もして来《き》たのであつたが、それも臆劫《おくくう》であつた。今夜《こんや》着《つ》く筈《はず》のお美代《みよ》やお広《ひろ》を突《つゝ》ぱづしてしまふのも悪《わる》いと思《おも》つた。彼《かれ》は為方《しかた》なし古本屋《ふるほんや》の店頭《みせさき》を覗《のぞ》いてみた。兼々《かね/″\》読《よ》みたく思《おも》つてゐた本《ほん》があるかと思《おも》つて、目《め》を配《くば》つてみたが見当《みあた》らなかつた。震災後《しんさいご》掻集《かきあつ》めたやうな埃々《ごみ/\》したものばかりであつた。彼《かれ》は手当《てあた》り次第《しだい》表紙《へうし》をまくつて見《み》た。俳句《はいく》の大《おほ》きな短冊帳《たんざくてう》などを、一|枚《まい》々々《/\》めくつて見《み》てゐた。名《な》の知《し》れた人《ひと》は一《ひと》つも見当《みあた》らなかつたけれど、しかし字《じ》はみな善《よ》く書《か》いてあつた。俳句《はいく》にも好《よ》いものがあつた。村山《むらやま》はそれを閉《と》ぢてしまふと、今度《こんど》は書簡《しよかん》を綴《つゞ》り貼《は》つた大《おほ》きな帖《でふ》を引寄《ひきよ》せて見《み》た。新古《しんこ》色々《いろ/\》のものが、それに貼《は》られてあつた。伊藤博文《いとうはくぶん》や、大山《おほやま》や、鉄斎《てつさい》や良寛《れうくわん》の弟子《でし》や、子規《しき》などのものが目《め》についた。 「これは幾許《いくら》です。」彼《かれ》は子規《しき》のちよつとした短《みじ》かい手紙《てがみ》の価《ね》をきいて見《み》た。 「それは二十五|円《えん》でございます。子規《しき》さんのものも当節《とうせつ》はなか/\少《すく》なうございまして。」細君《さいくん》が答《こた》へた。 「さうですかね。」 「永代倉《えいたいぐら》がございますが……。」神《かみ》さんは暫《しば》らくするとさう言《い》つて、永代倉《えいたいぐら》の綺麗《きれい》な本《ほん》を二|冊《さつ》出《だ》して見《み》せた。大阪版《おほさかばん》であつた。 「成程《なるほど》。」 「これも以前《いぜん》は時々《とき/″\》出《で》ましてすけれど、震災後《しんさいご》は珍《めづ》らしございまして、昨日《きのふ》手《て》にいれたばかりでございますよ。」 「さうですかね。」村山《むらやま》はさう言《い》つて絵《ゑ》なんか見《み》てゐた。 「高《たか》いんですか。」 「さいですね。四十|円《えん》くらゐはするさうで。」 「さうですかね。」 彼《かれ》は別《べつ》に欲《ほ》しいとも思《おも》はなかつた。四十|円《えん》あれば、相当《そうとう》な木《き》が一|本《ぽん》買《か》へると思《おも》つたくらゐであつた。 彼《かれ》は無気味《ぶきみ》に手《て》についた埃《ほこり》を紙《かみ》で拭《ふ》きながら、そこを辞《じ》した。外《そと》は何《なん》だか変《へん》な陽気《やうき》であつた。夏《なつ》とも秋《あき》ともつかないやうな慵《もの》うさであつた。彼《かれ》はさういふ時《とき》訪《たづ》ねるのに適当《てきとう》した人《ひと》を物色《ぶつしよく》しながら、切通《きりどほ》しの方《ほう》へぶらついた。そして暫《しば》らく顔《かほ》を見《み》ない野瀬《のせ》を思《おも》ひ出《だ》した。 野瀬《のせ》の店頭《みせさき》には、相変《あひかは》らず好《い》い加減《かげん》な古物《こぶつ》が並《なら》んでゐた。いくらか景気《けいき》が好《よ》いのか知《し》らと、彼《かれ》はシヨウウヰンドウにある水石《みづいし》や、河鹿《かじか》などを覗《のぞ》いた果《はて》に、硝子戸《ガラスど》を開《あ》けて奥《おく》へ声《こゑ》かけた。若《わか》い細君《さいくん》が出《で》て来《き》た。 「ゐないんですか。」 「をります。ちよつと呼《よ》んでまゐります。」 さう言《い》つてゐるうちに、野瀬《のせ》が向《むか》ふ横町《よこてう》から出《で》て来《き》て、店頭《みせさき》にゐる村山《むらやま》の顔《かほ》を見《み》ると、にや/\しながら寄《よ》つて来《き》た。 「どうも御無沙汰《ごぶさた》で……」 「景気《けいき》は何《ど》うですか。」 村山《むらやま》はさう言《い》つて店《みせ》へ上《あが》つて、上《うへ》と下《した》とへ目《め》を配《くば》つた。上《うへ》には額《がく》や懸軸《かけじく》があり、下《した》には茶器《ちやき》の箱《はこ》などかこて/\並《なら》んでゐた。 「何《なん》だか変《へん》な山水《さんすい》があるぢやないか。」 「うむ、これ大聖寺《だいせうじ》の人《ひと》ださうだが、何《ど》ういふ人《ひと》だか御存《ごぞん》じありませんか。」 「知《し》らないな。小顔《せうひん》もあるね。」 「うゝん。」野瀬《のせ》は顔《かほ》を背向《そむ》けた。 「あの壺《つぼ》は。」 「やつぱり土中《どちう》もんです。」 「当《あ》てにならないな。そこに水石《みずいし》があるね。好《い》いの。」 「好《よ》くはないが、まあちよつと。」野瀬《のせ》はさう言《い》つて、苔《こけ》の蒸《む》した石《いし》に小匙《こさじ》で水《みづ》を掬《すく》つてはかけてゐた。水《みづ》の小砂利《こじやり》の上《うへ》を目高《めだか》がすい/\と蓄音器《ちくおんき》の針《はり》のやうな形《かたち》をして泳《およ》いでゐた。 「もつと好《い》いのがある。」 「お見《み》せなさい。」 野瀬《のせ》は庭《には》の方《ほう》から、錆《さ》びついた鉄《てつ》の水盤《すいばん》に盛《も》られた可《か》なり大《おほ》きい石《いし》を運《はこ》んで来《き》た。そして彼《かれ》は水石《みずいし》について、「……ださうです」といふ調子《てうし》で通《つう》を言《い》つたが、瀬戸《せと》ものほどには解《わか》つてゐないやうであつた。 「庭《には》は何《ど》うしました。」 「壊《こわ》してしまつた。」 「おや/\。」 それから最近《さいきん》にあつた或《あ》る大華族《だいくわぞく》の売立《うりた》てへ話《はなし》が移《うつ》つて行《い》つた。買《か》ひ取《と》つたものが、数日《すうじつ》のうちに倍《ばい》にも三|倍《ばい》にもなつた話《はなし》などを、野瀬《のせ》が話《はな》して聞《き》かせた。 「面白《おもしろ》い……と言《い》つちや悪《わる》いが、この頃《ごろ》は脳溢血《のういつけつ》がこわくて/\。」野瀬《のせ》はまた話《はな》しだした。 「お国《くに》のお医者《いしや》で高野《たかの》といふ人《ひと》があつたでせう。あの人《ひと》も震災《しんさい》でひどくやられたところへ、婚期《こんき》の娘《むすめ》さんなんかあるので、以前《いぜん》拝領《はいれう》した手函《てばこ》をあのなかへ入《い》れて売《う》つて下《くだ》さいとお願《ねが》ひしたところ、素《もと》より××家《け》の古《ふる》い目録《もくろく》には載《の》つてゐるものだし、売《う》つてやらうといふので、その一品《ひとしな》を加《くは》へたんです。」野瀬《のせ》はさう言《い》つて、売立《うりたて》の目録《もくろく》を引張《ひつぱ》りだして来《き》て、頁《ページ》を繰《く》りながらその手函《てばこ》を示《しめ》しながら、 「本当《ほんとう》ならいくら安《やす》くも一|万《まん》五千|円《えん》くらゐのものだけれど、それでもまあ七千|円《えん》に売《う》れた。自分《じぶん》では買手《かひて》がつかないから、先生《せんせい》も大《おほ》きに悦《よろこ》んで、いくらか気《き》が弛《ゆる》んだものですかね、新聞《しんぶん》で御存《ごぞん》じでせう、取引《とりひ》きのあつた翌日《よくじつ》、不断《ふだん》のとほり患者《くわんじや》を診察《しんさつ》して、それから椅子《いす》にかけたまゝ死《し》んでしまつたんです。何《なん》ともお気《き》の毒《どく》な話《はなし》でね。」 「さうかね。」村山《むらやま》は空返事《そらへんじ》をしてゐたが、その医師《いし》がその頃《ころ》大学《だいがく》にゐた村山《むらやま》の友人達《ゆうじんたち》に色《いろ》々んな点《てん》で便宜《べんぎ》を与《あた》へてくれたことを、彼《かれ》は曾《かつ》て耳《みゝ》にしてゐたし、彼《かれ》の近所《きんじよ》でも徳望《とくぼう》のあつたことも知《し》つてゐた。 「とにかく七千|円《えん》あれば家《いへ》が建《た》ちますからね。」 「さうね。」 「年《とし》だつてまださう取《と》つてゐなかつたんですよ。」 村山《むらやま》は何《なん》となしに憂鬱《ゆううつ》になつた。野瀬《のせ》はそのあひだ蠅《はへ》を捕《と》つて河鹿《かじか》の籠《かご》のなかへ入《い》れてやつたりした。 「こんな処《ところ》で鳴《な》くかね。」 「鳴《な》くとも。こんなものでも結構《けつこう》時間《じかん》が潰《つぶ》せる。蟻《あり》を弄《いぢ》つて、半日《はんにち》怠屈《たいくつ》を凌《しの》いだことがあつたつけが……先帝陛下《せんていへいか》の御大葬《ごたいそう》の時《とき》さ。日比谷公園《ひびやこうゑん》の外《そと》で待《ま》つてゐるうちに、腹《はら》は減《へ》る、小便《せうべん》は出《で》たくなる。咽喉《のど》は乾《かは》く。為方《しかた》がないからステツキで蟻《あり》の穴《あな》をつゝいて、それで二|時間《じかん》も潰《つぶ》したことがある。」 「さうね、僕《ぼく》も六|時《じ》何《なん》十|分《ぷん》かに人《ひと》を迎《むか》へに上野《うへの》へ行《ゆ》くんだが、 もう何時《なんじ》かな。」 「六時半《じはん》に。それぢや未《ま》だ/\。」野瀬《のせ》はさう言《い》つて、俄《には》かに思《おも》ひ出《だ》したやうに、茶※[#「怨」の「心」に代えて「皿」、第3水準1-88-72]《ちやわん》を一《ひと》つ箱《はこ》から取出《とりだ》した。 「これは好《い》いんですよ。織部《おりべ》です。」 「呉器《ごき》に似《に》てゐるやうだ。」村山《むらやま》はさう言《い》つて、廻《まは》して見《み》てゐたが、好《い》いものを一|時《じ》に沢山《たくさん》見《み》たあとなので、何《なん》だか興味《けうみ》がなかつた。 村山《むらやま》がごろりと横《よこ》になつたので、野瀬《のせ》は終《しま》ひに竹《たけ》の花生《はない》けの一《ひと》つを棚《たな》から卸《おろ》して来《き》て、粉《こ》をつけて拭《ふ》きはじめた。 「ちよつと好《い》い竹《たけ》だね。」 「こいつ漏《も》るんで、漆《うるし》を塗《ぬ》つたんだけれど。」彼《かれ》はさう言《い》つて、こき/\磨《みが》いてゐた。野瀬《のせ》は色《いろ》々んな芸能《げいのう》と技術《ぎじゆつ》をもつてゐた。お茶《ちや》、長唄《ながうた》、漆《うるし》いぢり、飾《かざ》り屋《や》、それから歯科《しくわ》、一|番《ばん》堂《どう》に入《い》つたのが篆刻《てんこく》であつた。 「さあそろ/\出《で》かけて見《み》よう。」村山《むらやま》はさう言《い》つて、袴《はかま》を掻《か》き合《あは》した。 村山《むらやま》はさうして話《はな》してゐるうちも、今夜《こんや》の事《こと》が気《き》にかゝつた。何《ど》うせ旨《うま》くは行《い》かないだらうと思《おも》つた。今更《いまさ》ら加奈子《かなこ》と妥協《だけう》するのも業腹《ごうはら》だつた。費用《ひよう》は少《すこ》しかゝつても、とにかく三|人《にん》のために宿《やど》を決《き》めておかうと思《おも》つて、来《く》る途中《とちう》部屋《へや》を極《き》めて来《き》たのであつた。 仮建築《かりけんちく》のステイシヨンは相変《あひかは》らず震災当時《しんさいとうじ》のやうな気分《きぶん》であつた。村山《むらやま》はその人込《ひとご》みのなかに交《まじ》つて、時《とき》の来《く》るのを待《ま》つてゐたが、お美代《みよ》たちをそこに発見《はつけん》するのに、さう長《なが》くはかゝらなかつた。二|方口《ほうぐち》から出《で》て来《き》た多勢《おほぜい》の乗客《ぜうきやく》が、殆《ほと》んど出払《ではら》つた時分《じぶん》に、彼《かれ》はそこに立《た》つてゐる、先刻《さつき》から彼《かれ》に気《き》のついてゐたらしいお美代《みよ》の涼《すご》しい目《め》とばつたり出会《であ》つてしまつた。汽車《きしや》のなかで直《なほ》したらしい、つや/\した髪《かみ》も彼《かれ》の目《め》をひいた。彼女《かのぢよ》は手《て》に籠底《かごそこ》の更紗《さらさ》の袋《ふくろ》をもつて、そこに立《た》つた。 「お気《き》の毒《どく》な。」 「お広《ひろ》さんは。」さう言《い》つて村山《むらやま》は傍《かたはら》を振《ふり》かへると、そこに小作《こづく》りなお広《ひろ》が、姉《あね》よりもやゝ派手《はで》な姿《すがた》をして、荷物《にもつ》を下《した》におろして立《た》つてゐた。 「私《わたし》は又《ま》た今度《こんど》にしようと思《おも》ひましたけれど。」お美代《みよ》は言《い》つた。 そこへ高柳宗匠《たかやなぎそうせう》もやつて来《き》た。 「やあ先生《せんせい》。」 「どうも其《そ》の節《せつ》は。」 簡短《かんたん》な挨拶《あいさつ》を取《と》り交《かは》してゐるうち、村山《むらやま》は彼等《かれら》の照《て》れてくるのを恐《おそ》れて、急《いそ》いで乗物《のりもの》を慨《やと》つた。タキシイのなかで、彼《かれ》は自分《じぶん》の都合《つごう》については、何《なん》にも語《かた》らなかつた。 「とにかく宿《やど》を取《と》つておきましたからね。高柳《たかやなぎ》さんには少《すこ》しお気《き》の毒《どく》のやうな家《うち》なんで。」彼《かれ》は言《い》つた。 小心《せうしん》なお美代《みよ》は少《すこ》し困惑《こんわく》の色《いう》を眉《まゆ》のあたりに浮《うか》べたが、直《すぐ》に都会《とくわい》の光《ひか》りと人込《ひとご》みとに気《き》をとられて、窓《まど》から目《め》を放《はな》さなかつた。村山《むらやま》はお美代《みよ》を東京《とうけう》のなかに発見《はつけん》することを、夢《ゆめ》のやうに感《かん》じた。 直《じ》きに宿《やど》へついた。 「こゝなら静《しづ》かだからね。」部屋《へや》におちついてから村山《むらやま》が元気《げんき》づけるやうに言《い》つた。 「ほんたうに静《しづ》かだね。」お美代《みよ》もお広《ひろ》も不思議《ふしぎ》さうに言《い》つた。 それから夕飯《ゆふはん》を吩咐《いひつ》けたりした。そして宗匠《そうせう》とお広《ひろ》とが前後《ぜんご》して、風呂《ふろ》へ行《い》つてから、お美代《みよ》が今度《こんど》の上京《ぜうけう》について、少《すこ》しごた/\した様子《やうす》を仄《ほの》めかした。 「己《おれ》の言《い》ふとほりにしないんだからな。」 やがてお美代《みよ》も出《で》て行《い》つた。 彼等《かれら》は落着《おちつ》きなく食事《しよくじ》をすました。 「いや、家《うち》の方《ほう》も何《ど》うにかならんこともないかと思《おも》ふが、まあ 一|両日《れうじつ》。」 お美代《みよ》は着《つ》いたときから、先《ま》づお加奈《かな》に挨拶《あいさつ》に行《い》かうと言《い》つてゐた。 「翌朝《よくてう》でもいゝぢやないか。」村山《むらやま》が言《い》つた。 「もう九|時《じ》です。」宗匠《そうせう》は言《い》つた。 「でも悪《わる》いわ、今夜《こんや》のうちお伺《うかゞ》ひしておかないと。」 お美代《みよ》はさう言《い》つて、仕度《したく》に取《と》りかゝつた。 「ぢや汚《きたな》いところだけれど、高柳《たかやなぎ》さんもお広《ひろ》さんにも来《き》てもらひますか。そして都合《つごう》で何《ど》うにかなるでせう。」 外《そと》へ出《で》ると、雨《あめ》がぽち/\顔《かほ》に当《あた》つた。冷《つめ》たい風《かぜ》が吹《ふ》いてゐた。 彼等《かれら》を迎《むか》へたお加奈《かな》は、いつものやうに調子《てうし》づいてはゐなかつたけれど、形勢《けいせい》は村山《むらやま》に取《と》つてさう険悪《けんあく》ではなかつた。 「どうか都合《つごう》できるかい。」村山《むらやま》は一《ひ》とわたり挨拶《あいさつ》がすんでから、お加奈《かな》に言《い》つた。 「え、まあ何《ど》うにか。」 とにかく荷物《にもつ》を受取《うけと》りに、女中《ぢよちう》たちをやることにした。彼《かれ》は漸《やつ》といくらか安心《あんしん》した。[#地付き](大正14[#「14」は縦中横]年8月「女性」) 底本:「徳田秋聲全集第15巻」八木書店 1999(平成11)年3月18日初版発行 底本の親本:「女性」 1925(大正14)年8月 初出:「女性」 1925(大正14)年8月 入力:特定非営利活動法人はるかぜ
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プロモカード PYW-063 きみのともだちが うらやまし~!僕も仲間 に入れないかな~? PYW-145 きみのともだちが うらやまし~! 仲間にはいれないかな? 通常 うらしまたろう? りゅうぐう城行けて うらやましいよね~
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東根(村山大久保)郵便局 郵便番号:〒995-01 集配地域:村山(むらやま)市の旧・北村山(きたむらやま)郡大久保(おおくぼ)村域および旧・北村山郡富本(ふもと)村域。 村山大久保郵便局局舎 2.jpg 村山大久保郵便局取集時刻掲示 達成状況[20**年*月**日現在] 普通のポスト ●マッピング済**本。撤去**本。 コンビニポスト ●マッピング済**本。撤去**本。 ポスト考察 ●一口メイン。 ポスト番号考察 ●編集中 設置傾向考察 ●編集中 取集時刻考察 ●編集中 取集ルート考察 ●編集中 時刻などの掲示 ●編集中
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東根(白鳥)郵便局 郵便番号:〒995-02 集配地域:村山(むらやま)市の旧・北村山(きたむらやま)郡戸沢(とざわ)村域および旧・北村山郡大高根(おおたかね)村域。 (山形県)白鳥郵便局局舎 2.jpg (山形県)白鳥郵便局取集時刻掲示 達成状況[20**年*月**日現在] 普通のポスト ●マッピング済**本。撤去**本。 コンビニポスト ●マッピング済**本。撤去**本。 ポスト考察 ●一口メイン。数少ない6号は交換された。 ポスト番号考察 ●編集中 設置傾向考察 ●編集中 取集時刻考察 ●編集中 取集ルート考察 ●編集中 時刻などの掲示 ●編集中
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東根(村山)郵便局 郵便番号:〒995 集配地域:村山(むらやま)市の旧・北村山(きたむらやま)郡楯岡(たておか)町域、旧・北村山郡西郷(にしごう)村域、旧・北村山郡大蔵(おおくら)村域および旧・北村山郡袖崎(そでさき)村域。 (山形県)村山郵便局局舎 2.jpg (山形県)村山郵便局取集時刻 達成状況[20**年*月**日現在] 普通のポスト ●マッピング済**本。撤去**本。 コンビニポスト ●マッピング済**本。撤去**本。 ポスト考察 ●一口が基本。 ポスト番号考察 ●編集中 設置傾向考察 ●編集中 取集時刻考察 ●編集中 取集ルート考察 ●編集中 時刻などの掲示 ●編集中
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山形南郵便局 郵便番号:〒990-97・〒990-23(元は(山形県)金井郵便局が集配)・〒990-24 集配地域:山形市の旧・南村山(みなみむらやま)郡滝山(たきやま)村域、旧・南村山郡南沼原(みなみぬまはら)村域、旧・南村山郡金井(かない)村域、旧・南村山郡蔵王(ざおう)村域、旧・南村山郡本沢(もとさわ)村域、旧・南村山郡村木沢(むらきさわ)村域、旧・南村山郡柏倉門伝(かしわくらもんでん)村域および旧・東村山(ひがしむらやま)郡大曽根(おおそね)村域。 1.jpg 山形南郵便局局舎 2.jpg 山形南郵便局取集時刻掲示 達成状況[20**年*月**日現在] 普通のポスト ●マッピング済**本。撤去**本。 コンビニポスト ●マッピング済**本。撤去**本。 ポスト考察 ●編集中 ポスト番号考察 ●編集中 設置傾向考察 ●編集中 取集時刻考察 ●編集中 取集ルート考察 ●編集中 時刻などの掲示 ●編集中
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山形中央郵便局 郵便番号:〒990・〒990-21(元は(山形県)出羽郵便局が集配)・〒990-22(元は楯山郵便局が集配)・〒999-33(元は山寺郵便局が集配) 集配地域:山形市の元々の山形市域、旧・東村山(ひがしむらやま)郡鈴川(すずかわ)村域、旧・東村山郡千歳(ちとせ)村域、旧・東村山郡大郷(おおさと)村域、旧・東村山郡金井(かない)村域、旧・南村山(みなみむらやま)郡飯塚(いいづか)村域、旧・南村山郡椹沢(くぬぎざわ)村域、旧・南村山郡東沢(ひがしざわ)村域、旧・東村山郡高瀬(たかせ)村域、旧・東村山郡楯山(たてやま)村域、旧・東村山郡出羽(でわ)村域、旧・東村山郡明治(めいじ)村域および旧・東村山郡山寺(やまでら)村域。 1.jpg 山形中央郵便局局舎 2.jpg 山形中央郵便局取集時刻掲示 達成状況[20**年*月**日現在] 普通のポスト ●マッピング済**本。撤去**本。 コンビニポスト ●マッピング済**本。撤去**本。 ポスト考察 ●編集中 ポスト番号考察 ●編集中 設置傾向考察 ●編集中 取集時刻考察 ●編集中 取集ルート考察 ●編集中 時刻などの掲示 ●編集中
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ノーマルメダル 説明 他人のことならどんなに小さなことでもうらやましがる妖怪。でもそれを手に入れる努力はしようとしない。