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このページは街で見つけたかっこいいロボを紹介するページです。 NO、11 プレイヤー 無記名 白いいですねぇ~・・・そしてかっこいい! NO、10 プレイヤー ☆リボルバー☆さん スマ~トなところがきにいりました! NO、9 プレイヤー 無記名 ずばり!戦艦っぽいところが大好きです! NO、8 プレイヤー 無記名 コスモカイザーにベストマッチしたカッコイイ色です!スキンです! NO、7 プレイヤー kakki-さん なんかこのロボの見方が変わった(良い意味で)大好きな一体です!! NO、6 プレイヤー ☆モモタロス☆さん カエル・・・お化け・・・・・・・・・カワイイwww NO、5 プレイヤー 晃春さん 紳士の生き様を見せつけられました。(笑) NO、4 プレイヤー 晃春さん カッコイイ騎士のポーンジャーもサンタにするだけでカッコ可愛くなるんだなと思った一体です! NO、3 #ref error :画像URLまたは、画像ファイル名を指定してください。 プレイヤー kenyabbさん すいません、操作ミスでスクリーンショットで来ませんでした。ほんとにすいません。次に会いしだいSS撮ろうと思っています。ほんとうにすいませんでした。 ぺペンギンなんですがとにかくカワイイ!抱きしめたい!てっかんじです!! NO、2 プレイヤー KEMPFER-ZXさん このロボはとにかくカッコイイ!!とおもいました!! NO、1 プレイヤー 機械龍さん このロボはなんというか悪魔軍ロボってかんじのところが大好きです!! コメント なんか嫌な感想だったらここにコメントお願いします。すぐに修正します。 こんばんわ^^ 先ほどはどうも。何かこういうの初めてなのでうれしいです^-^ もっとかっこよくなるよう努力しますんで、そん時はまたよろしくです! NUEATAIPさんのブログが大きく成長するのを祈っておきます(-m-) -- KEMPFER-ZX (2007-11-06 22 39 54) わっかりました! -- NUEATAIP (2007-11-07 17 36 57) さ、先ほどサンタと紳士撮らせてもらったヤツです^^ -- [晃春]⊂(・ω・o) (2007-11-07 18 56 26) あら、エンター押したら投稿されt(死 またいつでも取材してくださいね^^ NUEATAIPさんのブログが有名になりますように^^ -- [晃春]はいきたえた (2007-11-07 18 59 18) お^^出てるw -- [晃春] (2007-11-07 20 58 06) 連レスすみません;;更新ありがとうございます^^ コメントも面白いですし、よく撮れてます^^ これからもお願いします^^ -- [晃春] (2007-11-07 20 59 57) お化けカエルのやつですコメントが遅くなってしまってすみません自分のロボを紹介していただきありがとうございます。これからもこのブログをずっとみさせていただきます。これからもよろしく~v(≧w≦)v~ -- ★モモタロス★ (2007-11-08 00 08 02) これから応援ヨロシク願いします -- NUEATAIP (2007-11-08 17 31 44) 名前 コメント
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『れいむのおべんとうさん(上)』 24KB 虐待 日常模様 野良ゆ 現代 虐待人間 分割になります。こちらは上巻です。 3作目です。稚拙な文章ですが、よろしくお願いします。野良ゆっくり親子が、虐待に会うだけのお話です。 10月。そろそろ冬支度を始めえた町の風。 静かな朝の住宅街。 駅から続く、一本道。 その電柱の下に、彼女たちはいた。 「にんげんさん!れいむを飼ってね!とってもゆっくりできるよ!ほんっとうだよ!」 「ゆっくち!まりしゃ、ゆっくりできるんだじぇ!」 バスケットボールサイズの丸い体は泥によごれ、赤いリボンのお飾りはところどころ破けてボロボロだ。 何の痕だろうか?体中に何箇所も、赤黒い筋状の傷がある。 その丸い体にぴったりとくっついている、これもまた汚い三角帽子。 傷こそないが、やはり泥で汚れ、ボロボロの三角帽子からのぞく金髪はパサパサで艶がない。 テニスボールサイズの小さな体をなすびのように伸ばし、道を通る人に、必死に可愛さを振りまいている。 大きいほうはれいむ、小さいのはまりさという。 ゆっくりと呼ばれる生き物らしいのだが、生き物であるという確証もない。 人の言葉をしゃべる不思議な饅頭として広く知られてはいるが、ゴミ捨て場や農作物を荒らすとされ、バッジ登録された「飼いゆっくり」以外のゆっくりは駆除対象となっている。 「おにいさん、れいむを飼おうね!飼おうね!れいむは、飼いゆっくりだったんだよ!れいむのかわいいおちびちゃんも、おぎょうぎよくできるよ!だかられいむを飼おうね!おちびちゃんと一緒に飼おうね!」 「まりしゃ、おといれさんもじょうずにできるよ!にょーびにょーびも、むーちゃむーちゃもかわいくできるよ!まりしゃはゆっくちできるんだじぇ、だからまりしゃを飼ってにぇ!」 二匹は駅へ向かうサラリーマンや学生たちに向かって、一生懸命愛嬌を振りまく。 れいむは赤い飾りのついた揉み上げを「ぴこぴこ」と上下させて。 幼い子まりさは、なすびのように体を上に伸ばし、「のーびのーび」しながら。 しかし、道行く人で彼女たちの話を聞こうとする者はいない。 朝の通勤時間に、駆除対象となる小汚い饅頭の相手をするような物好きなど、いる筈もなかったのだ。 「おねえさん、無視しないでねっ無視しないでねっ!れいむの話を聞いてね、れいむは飼いゆっくりだったんだよ、ほんとうだよ!おといれさんもじょうずにできるし、かわいいおうたも歌えるよ!」 立ち止まる人は誰もいない。 れいむと子まりさは、毎朝こうして電柱の下、決まった場所まで来ては、人間たちにお願いをするのが日課となっていた。 「ゆうううう・・・。今日もにんげんさんはれいむのお話を聞いてくれなかったよ・・。おちびちゃん、ゆっくり家までかえろうね。」 「ゆぅ。みゃみゃ、どうちてにんげんしゃんは、まりしゃを飼ってくれないの?まりしゃ、こんなにゆっくちしてるのに・・」 こうして今朝も暗い気持ちで、電柱の下からおうちまで、ずーりずーりとあんよを這わせることになるのだ。 「おちびちゃん、ゆっくりれいむに乗ってね。おうちにかえって、ごはんさんをむーしゃむーしゃしようね。」 「ゆっ!まりしゃ、おうちに帰って、ごはんさんをむーちゃむーちゃするんだじぇ!」 ご飯と聞いて子まりさの表情がパアアッと明るくなり、ぽいんと跳ねてれいむの頭の上に乗った。 ここからおうちのある場所まで、れいむのあんよで10分程度。 子まりさを頭に乗せたれいむが、ずーりずーりと早朝の町を這っていく。 「ゆっくりただいまだよ!おちびちゃん、ごはんさんをむーしゃむーしゃしようね!」 「ゆっくち!ごはんさん!まりしゃ、ごはんさんをむーちゃむちゃして、ゆっくりするにぇ!」 おうち、と言っても狭い小路の自動販売機の裏、そのわずかなスペースに口の開いた段ボールを置き、中を葉っぱや古新聞などで敷き詰めただけの粗末な作りだ。 粗末といってもゆっくりにとっては十分に、生活の拠点としての機能を果たすものとなっていた。 「きょうも、おべんとうさんの残りをたいせつにむーしゃむしゃするよ!あじわってたべようね!」 れいむが段ボールハウスの奥、新聞紙を被せて隠していた容器をくわえると、おうちの真ん中に置いた。 コンビニで廃棄となった弁当だ。 プラの上蓋を舌で器用に開けると、汚い食べ残しの惣菜が現れた。 「ゆわわわわわああっ!おべんとうさん、ゆっくりしてるにぇ!きょうも、かわいいまりしゃにむーちゃむーちゃされてにぇ!」 子まりさの表情が、また一段と明るくなる。 大好きなごはんさん。それも、人間の食べる物。普段食べている公園の草や、ゴミ捨て場で拾う野菜屑と違い、格段においしかった。 「ゆふふふ。おちびちゃん、もうおべんとうさん、今日で最後だね。れいむはお腹がへっていないから、おちびちゃんがぜんぶたべてね!」 れいむが、コンビニのゴミ袋から廃棄の弁当を拾ってきたのが四日前。 未開封の幕の内弁当を一つ、まるまる拾ってきたのだった。弁当を頭の上にのせ、ゆっゆっ!と上機嫌で跳ねておうちまで帰ってきたときのおちびちゃんの喜びようといったら。 そんなゆっくりできるお弁当も、残りは食べかけのカマボコ、鮭の骨と皮にわずかな白米と漬物を残すのみ。 すべて乾いてパサパサになり、とても人間の食べられたものではないが、ゆっくりにとってご馳走なのは言うまでもない。 「カマボコさん!むーちゃむーちゃ!ちちちち、ちあわせえええええええ!!さかなの骨さん!ちあわせえええ!!!」 弁当の容器の中に入り、食べカスを撒き散らしながらしあわせー!と連呼する子まりさを、れいむはにっこり笑顔で見守っていた。 その目尻にはうっすらと涙。 「ゆうううう。れいむのおちびちゃん。とっても、ゆっくりしてるよお。れいむのおちびちゃん、とってもとっても、かわいいよおおおお!!」 れいむのしあわせー!と子まりさのちあわせー!。 二匹の小さな命にとって、この町の喧騒はあまりにミスマッチだ。 もうすぐやってくるであろう冬。 「これで、おべんとうさんはおわりだね・・。明日からまた草さんをむーしゃむーしゃしながら、れいむがかりにいかないと・・・。それに冬さんも来るよ。さむいさむいがやってきたら、このおうちさんには住めないよ。一日も早く、にんげんさんに飼ってもらわないといけないよ・・・。」 子まりさは、ぺーろぺーろと空になった容器の中を舐めている。 まだ味がするのか、食べカスを舐めとっているのか。 やがて舐めつかれたのか、弁当容器の中で、そのままゆぴぃゆぴぃと寝息を立て始めた。 れいむは考えていた。 この段ボールでできた巣では、きっと冬は越せない。だから、おちびちゃんと一緒に、飼いゆっくりにならなきゃ。 今日もまた、お日さまがさよならする時間にいつもの場所で、にんげんさんにお願いしないといけないね・・。 日が沈み、学生が、サラリーマンが。駅から家に帰る時間。 再び、あの電柱の下で、2匹は行き交う人たちにお願いをするのだった。 「おでがいします!にんげんさん、れいむとおちびちゃんを、飼いゆっくりにしてね!」 「してにぇ!」 必死に頭を下げ、揉み上げをぴこぴこさせて。 子まりさはのーびのーびして。 「れいむは、かわいいおうたが歌えるよ!ゆー♪ゆーゆー♪」 れいむが歌を歌い始めると、まりさもそれに合わせて体をゆらし、のーびのーびする。 「まりしゃ、にょーびにょーびするよ!にょーびにょーび!」 やはり朝と同じで足を止める者はいない。 皆、見て見ぬふりをして通り過ぎるか、眉をひそめて避けて通るかだった。 だが、今日はいつもと違うことが起きた。 50代くらい、身なりの汚いおじさんが一人、電柱に近づいていく。 「ゆゆっ?」 れいむが、近づいてくる人間に気がつき、歌うのをやめる。 チャンスとうっらいっだよ!お話さえ聞いてもらえれば、きっとすぐに飼ってもらえるよ。だって、れいむもおちびちゃんも、こんなにゆっくりしているのだからねっ! 「にんげんさん!まりしゃ、にょーびにょーびだよ!にょーびにょーび!」 子まりさもおじさんに向かって、精一杯のかわいさでのーびのーびする。 こんなにかわいいまりしゃをみたら、にんげんさんはめろめろなんだじぇ! しかし、おじさんの反応は、彼女たちの期待を大きく裏切るものだった。 「にんげんさん、れいむはしんぐるま・・・ゆべっ!?」 バーン! れいむの頬におじさんの平手打ち。 「おめえらよ、うるせえんだよ。疲れて帰ってきて、クソみたいな雑音撒き散らしてんじゃねえよ!」 何が起こったかわからない、ただ涙目となり、呆然と立ち尽くすれいむの顔面に、おじさんの蹴りが入る。 バシッ!! 「ゆべべべべっ!!!」 ゴロンゴロン、ゴチン! 転がったれいむが、電柱に頭を打ち付けて止まる。 「ゆうううううううう!?ゆうううううううう!!??」 目から大粒の涙を流し、おじさんを見てガタガタと震えるれいむ。 「ゆえーんゆえーん!ゆっくちしてにぇ、みゃみゃー!ぺーろぺーろ、ぺーろぺーろ!」 子まりさは、ぽいんぽいんとれいむのところまで跳ねると、涙をこぼしながらぺーろぺーろを始めた。 「人間様をなめるんじゃねえ。誰がおまえらみたいなうす汚いゴミを飼うってんだ!」 おじさんが更なる暴力を振るうべく、れいむとの距離を詰める。 電柱に背中をぴったりとつけ、涙を流しながら震えるれいむは、久々に人間から受ける暴力に恐怖していた。 「に、にんげんざん!!ゆるじでくだざい!!いたいこと、しないでくだざい!れいむがわるかったら、あやばりますがら!!」 「やめてあげてにぇ?みゃみゃがいたがってるよ!まりしゃ、ぷくーするよ!」 子まりさは、大切な母親を守るべく、ぷくーと顔を膨らませる。 しかし、その膨らんだ頬を、大粒の涙が伝っていくのだった。 「ああ?謝ってすむなら警察はいらねーんだよ、このゴミゆっくりが!!」 おじさんがれいむを踏みつける。 何度も、何度も。 執拗に踏みつける。 ガスッ!ガスッ!ガスッ! ガスッ!ガスッ!ガスッ! 「ゆべっ!にんげんさん・・・おでがいゆべっ! しまず・・ゆべっ! いたいこと・・ゆべっ! じないで・・ゆべっ! くだざい・・ゆべっ!」 「ゆええええええん!みゃみゃー!ゆえええんゆえええええん!!」 子まりさは、ただただ踏みつけれるれいむにぴったりとくっつき、泣き喚くことしかできない。 電柱の前を通る人は、みな見て見ぬふりをして通り過ぎる。 野良ゆっくりをおじさんが駆除している。よくあること。そんな程度の認識だ。 「なんだ?このクソちびは。お前も踏まれたいのか?」 おじさんが足を振り上げる。 「ゆっ!? まってね!!まってね!!おちびちゃんにひどいごどじないでね!!おちびちゃん、ゆっくりしないで、はやくれいむのおくちのなかに入ってね!」 おじさんに散々踏まれ、地面に突っ伏したままのれいむは、子まりさを口の中へと避難させるべく、ずーりずーりと腹ばいのまま子まりさの方へ口を向ける。 「ゆぐっ・・ゆぐっ・・・!まりしゃ、ゆっくちひなんするよ!」 ベソをかきながら、子まりさはれいむの口の中へと避難した。 「はははっ!泣かせるじゃねーか。汚いゴミのくせになぁ!」 おじさんは、子まりさが入り、頬の膨れたれいむの顔面を、何度も蹴りつける。 バシッ!ドゴッ!バシッ!ドゴッ! 「んぐううううう!!・・・・・!!!・・・!! んぐううう!! んぎぎぎ・・・んんんん!!!!・・ぐっ・・・・!」 蹴られる度、口を閉じたれいむからくぐもった声が漏れる。 (おちびちゃんは・・・れいむのかわいいおちびちゃんだけは、ぜったいにまもるよ!) れいむは、涙の溢出る目を閉じ、おじさんの蹴りから逃れるように地面に顔をつけて丸くなると、背中でおじさんの執拗な暴力を受け続けた。 「オラッ!オラッ!オラッ!オラオラオラオラ!」 バシッ!ドガッ!バシッ! 「んーーーーーーーっ!!!んーーーーーー!! んぐううううううううううううう!!」 れいむは必死に耐える。 どうしてこんなことに・・・ただれいむは、おちびちゃんとゆっくりしたかっただけなのに。 にんげんさんに、おねがいしていただけなのに。 バスッ!バスッ!! 「ふう、まぁ、こんなとこかな。おまえの母性(笑)に免じてこれくらいで許してやるよ。次見かけたら、こんなもんじゃ済まさねーからな。覚えとけよ!」 おじさんは満足したのか、あるいは蹴り疲れたのか、ペッとれいむに唾を吐きかけると、何事もなかったかのようにその場を去っていった。 後に残されたのは蹴られてボロボロのれいむと、同じく悲しくて悔しくてボロボロ泣く子まりさだった。 「ゆぐっ・・・ゆぐっ・・・おちびちゃん・・・ゆっくり口の中から出てきてね・・・。」 「ゆえーん!ゆえーーん!みゃみゃ、ゆっくち!ゆっくちしてね、ぺーろぺーろ!ぺーろぺーろ!」 口の中から出てきた子まりさは、ボロボロと涙を流しながら、何度もれいむの傷をぺーろぺーろする。 「ありがとう、おちびちゃん。れいむはへいきだよ・・・・ゆぐっ・・ゆぐっ・・。」 おじさんの靴の痕が生々しい。 もう夜がそこまで来ている。薄暗い夕方の町。 れいむと子まりさは、饅頭肌をぴったりとくっつけて、すーりすーりをする。 涙を流しながら。悲しい、とっても悲しいすーりすーり。 「みゃみゃ・・・ゆっくち・・・しゅーりしゅーり・・・。」 「キミたち、酷い目にあったね。大丈夫かい?」 しばらくすーりすーりをしていると、突然別の人間が、彼女たちの前へ現れる。 「ゆうううううううううううううううううううう!!!??」 新たな脅威に目を白黒させながら、人間のほうを振り返る2匹。 れいむはふたたびガタガタと震えだし、目からは涙が溢れ出す。 子まりさにいたっては、またやってきた緊張感からか、まむまむからしーしーがチョロチョロと漏れ出している。 「ゆうううううううううっ・・・!にんげんざん!!もうやべでくだざい!!もうゆるじでくだざいいいい!! おでがいじまず!!おでがいじまず!!!」 れいむは泣きながら何度も頭を下げ、もう許してと懇願する。 「ゆえーんゆえーん!みゃみゃをいじめたらいけないんだじぇー!!」 子まりさは、しーしーをもらしながら泣き叫ぶ。 「ああ、驚かせちゃってすまないね。大丈夫、危害を加えるつもりはないよ。」 そう言って2匹と同じ目線になるように、屈んでしゃべるお兄さん。 20代くらいだろうか?スーツ姿から想像するに、会社帰りのサラリーマンといったところだ。 「ゆううう?ほんとにい・・・?ほんとにいたいことしない??」 優しそうなお兄さんの声に、泣き止んだれいむが、半ベソをかきながらお兄さんを見る。 まだまだ警戒しているようだ。 あんなことがあった後では、当然と言えるかもしれない。 「ゆうううう。みゃみゃをいじめにゃい?おにーさんはゆっくちできるひと?」 体をれいむの頬にぴったりとつけたまま、子まりさが聞く。 「ああ、ゆっくりできるひとだよ。ゆっくりしていってね。」 その言葉を聞いた瞬間、2匹の表情がぱああっと明るくなる。 「ゆううううううう!!おにーさん!れいむはれいむだよ、ゆっくりしていってね!!」 「まりしゃはまりしゃだじぇ!ゆっくりしていってにぇ!」 2匹はこの日初めて、とてもゆっくりとした挨拶を交わしたのだった。 「こっぴどくやられたようだね。この辺りはゆっくりをあまり快く思っていない人がいるから、気をつけないといけないよ。」 お兄さんは胸のポケットからハンカチを出すと、蹴られて汚れたれいむのからだを優しく拭う。 「ゆうううぅう。おにいさん、ゆっくりありがとうだよ・・ふーきふーきはゆっくりできるよ。」 礼を述べるれいむの饅頭肌に染み付いた汚れは、ハンカチで拭いたからといってすぐ取れるものではなかったが、優しいお兄さんにすーりすーりしてもらっているような感覚。 れいむは、とてもゆっくりできるのだった。 お尻側を拭こうと、後ろ向きにしたれいむのあにゃるの辺りを見て、お兄さんがあることに気がつく。 「おや・・・・?れいむ、このたくさんの筋は何だい?」 あにゃるから背中まで、びっしりと付いた赤黒い筋。 傷跡のようだが、蹴られたとはまた違う。野良ゆっくりとはいえ、この傷は不自然だ。 「ゆ・・・それは・・・。ゆっぐ・・ゆっぐ・・・。」 傷のことを聞かれて、れいむの目には再び涙が浮かぶ。 「れいむはね、飼いゆっくりだったんだよ・・。」 れいむが、涙を流しながら辛かったであろう過去をお兄さんに話し始めた。 「れいむは、こわいお兄さんの飼いゆっくりだったんだよ。 お兄さんは、れいむをぶったり、けったり、無理やりすっきりーしたり、ゆっくりできないことをたくさんされたよ・・ うんうんさんをすると、れいむはゆっくりできないおしおきをされたよ。 むーしゃむーしゃも、ごーくごーくもさせてもらえないで、たくさんいたいいたいをされたよ。 お兄さんは、ムチさんでれいむをたくさん、たくさん叩いたよ。 くそまんじゅう、くそまんじゅうっていいながら、れいむを毎日いじめたよ。 れいむおまんじゅうさんじゃないのに・・ ゆっぐ・・ゆっぐ・・・れいむがごめんなさいしても、お兄さんはゆるしてくれなかったよ。 れいむは必死にお兄さんの部屋を逃げ回ったよ。でもすぐにつかまって、ムチさんで叩かれたよ・・ ムチさんはいたくて、ゆっくりできないよ。ムチさんに、れいむは何度もあやまったけど、やっぱりゆるしてくれないよ・・ れいむは、お兄さんが狩りにいっているときに、石さんをくわえて、窓にぶつけて、逃げてきたんだよ。 それで、ピカピカのお帽子のとてもゆっくりしたまりさに出逢って、すっきりーして・・・・。」 ゆぐゆぐと涙に声を詰まらせながら、その過酷な反省を語るれいむ。 つまり、飼い主の虐待に耐えかね、部屋にあった灰皿で窓ガラスを割り、逃げた。 町でまりさとつがいになり、母親となったが、まりさと他の姉妹は駆除され、残ったのは子まりさ一匹。 背中に走る筋は、以前飼い主から受けた鞭打ちの傷らしい。 今は野良ゆっくりとなり、再び人間に飼ってもらえるよう、こうして町で歌っているというわけだ。 「みゃみゃー、ゆっぐぢ!ゆっぐぢしてにぇー・・ぺーろぺーろ、ぺーろぺーろ。」 左右の揉み上げを目にあて、むせび泣くれいむに、子まりさも泣きながら寄り添い、ぺーろぺーろをした。 「おちびちゃん・・・泣き虫なママで、ごめんね・・・ゆっぐ・・ゆっぐ・・・。」 れいむの話を黙って聞いていたお兄さん。 今も背中に残る凄惨な虐待の傷跡。 何より、ゆっくりとはいえ彼女の心の傷は、癒えることはないだろう。 「そうだったのか・・。思い出させてしまって、すまなかったね。」 お兄さんは立ち上がり、鞄からキャンディーを2つ取り出し、包みを取ると、寄り添ってゆんゆん泣いている2匹の前に置いた。 「僕はキミたちを飼うことは出来ないけど・・優しい飼い主が見つかるといいね。」 目の前のキャンディーを見て、子まりさが笑顔になる。 「ゆゆっ!?あまあましゃん!みゃみゃー、あまあましゃんだよ!」 子まりさはキャンディをぱくっと口の中に入れると、ゆゆゆゆ・・と小刻みに震える。 「ちちちちちちち、ちあわせえええええええええええええ!!!」 だらしなく涎を四方に撒き散らしながら、まりさはぴょいん!と跳ねて叫んだ。 初めて食べるあまあま。その濃厚な甘さが口いっぱいに広がる。 子まりさの小さな口に入ったキャンディー。ゴロゴロと口の中で転がし、幸せを噛みしめる。 「お兄さん、ゆっくりありがとう!おちびちゃんも、ゆっくりお礼を言おうね。」 れいむが頭を下げ、子まりさにも礼を促す。 「おにーしゃん!あまあまはゆっくちできるんだじぇ!ありがとうなんだじぇ!」 さっきまでの泣き虫はどこへやら。 2匹はとてもゆっくりとした笑顔で、その場をあとにするお兄さんを見送った。 すっかり暗くなった町。 家までの道をずりずりと這うゆっくり親子。 れいむの口の中を、ごろごろと転がるキャンディー。 頭の上にでは子まりさが、キャンディーの入った頬を膨らませ、涎を垂らしては恍惚の表情を浮かべている。 30分後、自動販売機裏のれいむのおうち。 段ボールハウスの中、ゆぴぃゆぴぃと寝息を立てる可愛いわが子に、そっと古新聞をかけるれいむ。 「れいむのかわいいかわいいおちびちゃん。とってもゆっくりしてるよ・・・。」 れいむは子まりさの寝顔を見ながら、今日の出来事を思い出していた。 そして考えていた。 「あまあまさんをくれたお兄さん、とってもゆっくりしていたよ・・れいむ、お兄さんに飼ってほしいよ・・・。 お兄さんと一緒にたくさんゆっくりしたよ・・・。でも、どうしたらお兄さんに飼ってもらえるか、わからないよ・・。」 とてもゆっくりとした、優しいお兄さん。 お兄さんの飼いゆっくりになりたい。 でも、どうしたらいいかわからない。 れいむは夜通し考えた。 どうしたらお兄さんに飼ってもらえるのだろう? どうしたら、どうしたら―。 やがて、夜が明けた。 れいむは子まりさをすーりすーりで優しく起こすと、いつものように挨拶をする。 「おちびちゃん、ゆっくりしていってね!」 「ゆっくちしちぇいっちぇにぇ!!」 れいむは、子まりさのお帽子をいつものようにぺーろぺーろして綺麗に整えると、いつになくキリっとした表情で話す。 「おちびちゃん、ゆっくり聞いてね!」 「ゆっ?ゆっくち聞くよ!」 「きのうのお兄さんは、とてもゆっくりしていたよ。だから、れいむとおちびちゃんは、お兄さんに、飼ってもらうことにしたよ!」 「ゆっくちー!まりしゃも、おにいしゃんに、飼ってもらいたいんだじぇー!」 れいむは考えた。 どうしたらお兄さんに飼ってもらえるか。 それには、お兄さんをゆっくりさせればいい、ゆっくりさせれば、れいむたちもゆっくり飼ってもらえるだろう。 所詮はゆっくり。 餡子脳で一晩かけて導き出した考えは、あまりに稚拙だった。 お兄さんをゆっくりさせるにはどうしたらいいか。 れいむのゆっくりできるお歌。子まりさのゆっくりできる踊り。 それに加えてもう一つ。 決定的なものが欲しい。 れいむは考えた。 自分たちが、ゆっくりできるもの。 今まで、自分たちをゆっくりさせてくれたもの。 それは何か―。 「お兄さんに、ゆっくりできるおべんとうさんをつくるよ!!」 「ゆっくちー!まりしゃも、おべんとうしゃんをつくるんだじぇ!」 こうして、ゆっくり親子の「おべんとうづくり」が始まった。 人気のいない早朝の公園。 そこにれいむと、子まりさはいた。 れいむは、昨日中身をすべて食べてしまって、空となったプラの弁当容器を頭に乗せて運び、子まりさとともにこの公園まで来たのだった。 「おちびちゃん!お兄さんのために、美味しい草さんをたくさん集めようね!」 「ゆっくちりかいしちゃよ!」 れいむと子まりさは、公園に生えている雑草をゆっゆっと口で引き抜いては、弁当容器の隣にせっせと集めた。 成体ゆっくりの一食分ほどになったところで、れいむは舌を器用に使い、集めた雑草を自身の口の中へ運ぶ。 「ゆっくりこーねこーねするよ!」 「ゆっくち!みゃみゃのおだんごしゃんは、とってもゆっくちできるにぇ!」 クチャクチャと、れいむは口の中で雑草を咀嚼する。 クチャクチャ、ニチャニチャ。もぐもぐ、もぐもぐ。 繊維をすり潰し、唾液と混ぜる。 雑草の形がなくなったろころでペッと吐き出すと、今度は舌で器用に丸め始めた。 「ぺーろぺーろ。ゆっくり丸めるよ!ぺーろぺーろ。」 「ゆっくちまるまってにぇ!まりしゃ、こーろこーろしておうえんするんだじぇ!」 コロコロと草だんごの廻りを転がる子まりさ。 ペロペロクチャクチャと、汚い音をたて、れいむは草だんごを丸めていく。 「かんっせいだよ!」 そうこうしているうちに、一つ目の草だんごが完成したようだ。 「ゆわわわああああ~!ゆっくちしてるにぇー!」 子まりさが口から涎をたらしながら、キラキラと目を輝かせ、れいむの作った草だんごを見つめている。 「ゆふふふ!おだんごさんは、れいむのとくいりょうりっ!だよ!たくさんつくるよ!」 れいむが再び雑草の咀嚼を始める。 もぐもぐ・・・クチャクチャ ペチャクチャ、ぺーろぺーろ。 5分後、そこにはピンポン玉サイズの草だんごが4つと、一回り小さな草だんごがひとつ。 れいむは丁寧に三つの草だんごを咥え、プラの弁当容器に入れていく。 その様子を、子まりさはやはり涎をたらしながら眺めているのだった。 「おちびちゃん、この小さなおだんごさんは、おちびちゃんの分だよ!ゆっくりむーしゃむーしゃしようね!」 「ゆうううう!?ゆっくちー!!」 れいむが舌で小さな草だんごを子まりさの前に押しやると、子まりさは驚喜の声を上げる。 「ゆっくちむーちゃむーちゃするよ!むーちゃむーちゃ!ちちちちち・・ちあわせえええええええ!」 れいむ特製の草だんごに、涎が四散するのもかまわずむしゃぶりつく子まりさ。 母親の手料理は通常の食事に比べて、本能をゆっくりさせるのだろう。 食べカスを汚く撒き散らしながら、しあわせー!と叫ぶ。 それを見ているれいむといえば、顔を綻ばせ、可愛いわが子のゆっくりした姿に、またしあわせー!を感じるのだった。 「ゆううううう・・。れいむのかわいいおちびちゃん。とってもとってもゆっくりしてるよぉ。しあわせー!」 しばらくゆっくりした後、れいむたちはおべんとう作りを再開させる。 公園での狩りは、子まりさの応援もあってか、大収穫だった。 芋虫、蝶といった昆虫から、木の実や花、まだ甘味の残るアイスの棒。 野良ゆっくりにとってはご馳走だ。 れいむは食材を丁寧に弁当容器に入れると、頭の上に乗せ、子まりさと共におうちへと戻る。 「おちびちゃん、これを見てね!たいっりょうだよ!」 「ゆうううう!ごちそうさんだにぇー!ゆっくちー!」 段ボールハウスの中で、“ごちそうさん”の入った弁当容器を囲み、2匹はとてもゆっくりした。 子まりさの目は、大好物である芋虫に釘付けだ。 「ゆぅぅぅ。いもむししゃん・・とてもゆっくちしてるのじぇー・・。ゆゆゆゆゆ。」 子まりさの口からは、涎がとめどなく溢れる。 「おちびちゃん、いもむしさんはとってもゆっくりしてるね!でも、お兄さんのために、今はゆっくりがまんしようね。」 「ゆゆゆゆ・・。まりしゃ、ゆっくちがまんするよ!」 「それじゃあ、すーやすーやしたら、今度は別のばしょでかりをしようね!」 「ゆっくちりかいしたよ!・・・・すーやすーや。」 朝から動き回っていたため、さすがに疲れたのだろう。 2匹は体を寄せ合って、昼寝を始めた。 午後からは別の場所で狩りをしよう。れいむは考えながら、子まりさと同じようにゆぴぃ、ゆぴぃと寝息を立てるのだった。 2時間後。 近くのゴミ捨て場に、2匹はいた。 投棄された大きなゴミ袋を噛み千切り、穴に頭からつっこんでは、ぷりんぷりんとお尻を振るれいむ。 生ゴミだけを口にくわえ、路上にペッと吐き出しては、子まりさとともに選別する。 「お野菜さんがあるよ!これもおべんとうさんに入れようね。」 「おやさいしゃんは、とってもゆっくちだにぇ!」 腐りかけのキャベツの芯、にんじんの皮、大根の葉などの野菜屑を集めては、持ってきた弁当容器に入れていく。 弁当容器は、れいむたちの集めた食材によりあらかた埋まり、もうすぐ完成といったところだ。 「ゆううぅぅ!ゆっくちできるぴかぴかさんだにぇー!まりしゃの宝物にするんだじぇ!」 どうやら、子まりさがビール栓、いわいる王冠を発見したらしい。 れいむに一通り自慢した後、大事そうにお帽子の中へとしまう。 それからもれいむたちはゴミを漁り、肉の脂身や卵の殻、味噌汁の残りであろうしじみ貝などを見つけては、弁当容器に入れていった。 そろそろ夕暮、といった時間まで必死にゴミをあさっていた甲斐もあり、ついに弁当容器は隙間なく埋まった。 れいむは弁当容器にフタを被せると、揉み上げを使い、容器ごと頭に乗せる。 子まりさの方へ向き直ると、キリっとした表情で高らかに宣言した。 「れいむのおべんとうさん、かんっせい!だよ!」 「ゆっくちー!!」 パアアァっと明るい表情になる2匹。 れいむの目には、うっすら涙が浮かんでいる。 今日一日。お兄さんのために、一生懸命頑張った。 まだ幼い子まりさも、れいむを応援して、支えてくれた。 達成感で2匹は、胸がいっぱいだった。 「とっても、とってもゆっくりしたおべんとうさんだよおおお。お兄さんもきっと、よろこんでくれるよ!」 「しょうだにぇー!ゆっくちだにぇー!」 れいむと子まりさは、のーびのーびしたり、すーりすーりしたりして、お弁当の完成を喜びあった。 「おちびちゃん、そろそろお兄さんが帰ってくる時間だよ。ゆっくり電柱さんまで行こうね!」 すっかり日も暮れ、夜はすぐそこ。 れいむは、頭の上に乗せた大事なお弁当を落とさぬよう、慎重にずーりずーりと足を進める。 「ゆっくち!ゆっくち!まりしゃのおべんとうしゃん、ゆっくち!」 上機嫌の子まりさは、這い進むれいむの隣でぴょいんぴょいんと跳ね回る。 ゆうううう。はやく、お兄さんに会いたいよ。 お兄さんに、れいむのおべんとうさんを食べてもらいたいよ。 れいむのおべんとうさんで、ゆっくりしてほしいよ― つづく anko3213 れいむのおべんとうさん(下) へ続きます。 過去作 anko3175 ごうっもん! anko3185 まりさのくつみがきやさん
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男01「”一見、普通の女の子の日記ですが、 ある事をした後に更新しています。 かなり中毒性が高いので注意が必要かもしれないです。”だって。 …ちょっと見てみるか」 女01『八月十八日、晴れ。 やほー、カナコです!今日は30歳くらいの人だったよー。 老け顔っぽいからまだ20歳くらいだったかもです。 若い人ってギャーギャーうるさくてつまんない! 次は大人なオジサマ希望!連絡待ってます!』 男02「はー……これはこれは……」 女02『八月十九日、曇り?ちょっと雨。 カナコです。今日はちょっとだめぽ~。 最後になってから文句言うひと多すぎ、もういい加減にしてよ~。 やるって言ったのそっちでしょって感じッス。 次はいい人にあたるといいな~』 男03「やっぱりそういう……だよな……。エグイわぁ……でも見ちゃう」 女03『八月二十日、ゆき』 男04「……雪?」 女04『きょうはいっぱいちがでた』 男05「うわっ……」 女05『ちはきたない…いたい、いたい』 男06「おいおい……大丈夫か?」 女06『いたいって…さっきからさけんでるばかみたいほんとばかみたい!』 男07「……えっ?」 女07『じぶんからしたいっていったくせに!そんなひとばっかりほーんとばか! しにたくないならしにたいなんていうんじゃないっつーか、ふざけんな』 男08「え……なに、何これ?」 女08『若い人ってギャーギャーうるさくてつまんない!』 男09「やめてくれええええ!!!死ぬ、死ぬううう!!!!」 女09『最後になってから文句言うひと多すぎ、もういい加減にしてよ~。』 男10「違うんだ、そんな、ほんとうに死ぬつもりじゃ……」 男11「これって……」 女10『八月二十一日、晴れ!快晴! 昨日は暗い日記書いてごめんなさい!みんな心配したよね?ごめんね! お詫びに、カナコからサプライズプレゼント! 明日、カナコのブログに一番に来てくれた人には、特別に、タダで・・・・してあげる♪』 男12「あし……た?」 女11『八月二十二日、晴れ。 うーん、アクセス数下がっちゃった~平日だし悪かったかなーごめんね。 じゃあ、発表します。IP 501,442,220,666さん。石川県、DION軍のアナタ!当選です! おめでとーパチパチー!! 石川県は遠いなー。行くの夜中になっちゃうかもです、ごめんねー! でも、今日ぜったい行くから!眠くなったら寝ててもいいからね!そのまま・・・・してあげるから』 男13「八月二十二日、晴れ。…時々、血の雨」
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目次 1.性と罪悪感 2.性的未熟 3.性の不一致 4.性的不能と不感症 5.楽しい性生活 (1988年9月12日の霊示) 1.性と罪悪感 高橋信次です。みなさんこんにちは。お元気でしょうか。秋も日に日に深まってまいりました。この本が出るのがいったいいつごろになるのか、さっぱりわかりませんが、おそらく冬場には出るのではないかと希望しています。 さて本章は、たいへんむずかしい問題ですね。宗教家たちが避けて通ったところ、すなわち、性というのは罪悪であると言って、一刀両断してしまえばそれですむことですね。ところが、現代ではそれではすまない。したがって、宗教家が本来の使命を果たすためには、このセックス・トラブルの問題について、解決せざるをえない。話をせざるをえない。そのように思うんですね。 じやあ、私としていったいどのように考えるのかということですね。これは、一定の考えをもちろん述べるつもりですが、では、それはお前の実体験に基づいているのかどうかと聞かれた場合には、私は知らない顔をしたい。と、このように思いたいのですね。天上界の霊の意見であると、まあ、このように思っていただければ結構であって、まだ『人間・高橋信次』という本を出すにはですね、生々しさが消えていないと思いますね。生前、『人間・釈迦』なんて書きましたけれども、『人間・高橋信次』を出すには、まだ関係者が生きとりますもんで、できないんですね。まあそういうふうに思ってください。 さて、性と罪悪感という最初の問題なんですが、まあ嫌なもんだよねえ、みんな違うかい。いやだよねえ、ほんともう考えるだけでもいやんなっちゃうね。とくに思春期なんていうのは、性欲なんてなきゃもうほんと、どんなにいいかと思うよね。司馬遷じゃないけど、もうカットでもしてくれたら、すっきりするなあと思って、これがあるためにこんなに苦しんで、毎日ねえ、夜な夜な苦しみ、なかには昼間から苦しみ、朝から苦しんでいる人もいるかもしれませんが、大変ですね。 特に十七、八の男性、十七、八から二十二、三ていうのは、もうなんと言いますかねえ、もうモヤモヤしてくると、お椀(わん)かぶっているような感じで大変なんですね。一日中モヤモヤモヤモヤして、図書館行ってももう勉強はできないしね、学校へ行っても、もう女性のほうに目が血走って、もう目がキョロキョロキョロキョロする。夕方ごろになってきたら、もう自分が痴漢になるんじゃないかと思って、恐ろしくなってくる。こういうふうになります。 じゃあ女性というのは、ほんとうに清廉潔白でなにも感じないかと言うと、そんなことないんですね。女性のほうがもっと恐ろしいんですね。独身の男性なんて、よく性欲って男性だけの持ついやらしいもんで、女性っていうのは全然性欲がないんだと思いますね。その証拠に、女性に声かけたり手をさわろうとしたら、「まあ、いやらしい」と言ってつっぱねられますね、普通ねえ。だから、こういういいことしようとしたらいやらしいって言う以上、女性というのはひじょうに潔癖な動物であって、こういうふうに不純なことを嫌なことだと思うんだと、こう考えるんですね。 ところが実際はどうかというと、女性の方はもう毎晩、毎晩、男のことばっかり考えとるんですね。いかにしてくどかれるかね、いかにして玉の輿(こし)に来るか、いかにしてということばっかり考えているんですね。これが女性の実態で、むしろ男性よりは激しい面があります。女性同士の会話なんて、とても聞けるもんじゃありません。それに比べれば男の会話なんてもっとかわいいです。もっと純朴なところがあります。女性の会話はもっとえげつないです。すごいこと言ってます。 でね、この罪悪感の問題ですが、まあ罪悪感なしとすれば、またじゃフリー・セックスかというような、考えが出てくるでしょうね。このへんの兼ね合いがむずかしいところですが、要するにね、性にタブーがあるかどうか、必要かということですが、古来より今まで、知恵として一種のタブーはあったほうがいいんではないかと、まあこういうふうに言われていたんですね。 なぜかというと、性の問題というのは、ひじょうに使い方によっては人間の幸、不幸を分けるものになるんですね。この意味において、タブーがあったんですね。アラブのように顔まで隠してしまうかどうかっていう問題は、また別なんですがね。ただ、幸せな旅立ちというものを考えたときにはね、やはり新しいカップル、新婚のカップルがね、おたがいに汚れない心と体で出発するほうが、それは望ましいことは望ましいんですね。 なぜかと言うとね、人生、夫婦で四十年、五十年生きていくわけですが、その間いろんなことがあるんですね。いろんなことがあって、浮き沈みがあります。他の仕事もあれば辛いこともあります。でもどんなときにでもね、いっしょにやっていけるっていうのはね、相手が自分にとっては、もうほんとうにたとえば初めての女性だった、初めての男性だったというような気持ちがあるとね、この人以外ではもうやっていけないという、そういう気持ちがあってやっていきやすいんですね。この意味で、幸福論の見地に立って考えた場合には、性に多少のタブーがあって、結婚によって祝福される男女以外の性的行為は避けられるべきだと、こうした見地は出てきやすいんですね。 ただこの逆もあります。性的に未熟で、まあ次の節でも話するけども、いい年になっても女性を知らない、男性を知らないなんていうふうになってくるとね、病的なまでに潔癖症が高まってくるんですね。それで、ちょっと遅れて結婚すると、結婚生活がうまくいかないということがあります。 女性で三十、あるいは四十になってね、初めて結婚するなんて言うので、男性経験が少ないと、結局、潔癖症になって、はねつけるような性格になってきますね。嫌らしい、汚らしい、不潔だという、そういう考えが前面に出てきます。男性でもあまり女性との接触が遅すぎると、今度は自信がなくなっていって、後に出てくる不能の問題が出てきますね。やっぱり嫌なもんなんですね。したがって、これも時期の問題がだいじだなあと思っています。 ただ私は、人類の父という立場でですね、娘や息子をどういうふうに指導したいかと言えば、もちろん性のことについても知っておく必要があるけれども、できればある程度の年齢まで、がまんできるものはして、そしてスマートに旅立ちをさせてやりたいなあという気持ちはあります。やっぱり女性であれば、二十から二十三、四までに、できたら結婚させてやりたいなあと思います。なぜなら、このぐらいまでの年齢ならなんとか持ちこたえられるからです。なんとか我慢ができるんですね。花嫁修業をし、学校の勉強をしているうちに、なんとか持ちこたえられるのはこのへんまでです。二十五過ぎると持ちこたえられなくなります。もたないですね。 男性の場合は、もっと苦しい問題はあるんですね。なんせ十代後半からモヤモヤですから、それ以後十年もたせるというのは大変なことですね。この間にいろいろ遍歴される方もいるでしょうね。まあこのへんについては、もう私も言えないですね。みなさんごめんなさい。あんまり言えない。アッハハハハ、むずかしいです。ただ、できたら早めに経済的基盤を築いて、結婚できるような態勢に持っていきたいもんだね。あんまり浪人なんかしないでね、ほどほどにして、二浪も三浪もしたら結婚遅れちゃうよ。だから早めにしてね、やればいいと思います。でも伴侶を選ぶというのは、だいじなことだしねえ、むずかしいですね。 それで、罪悪感自体はどうかというと、そのような意味で、ある程度の倫理基準のためにはあってもいいけども、これは強調しすぎるといけないということだね。本来セックスというのは、霊的に見ては別に善でも悪でもありません。善でも悪でもないんですね。むしろ、そうしたものが作られたということは、神は人間への喜びとして作られたということですね。これが言えると思います。人間を慰めるために、また男女がともに愛していけるためにね、そういう営みを与えたんだと考えていいでしょう。たとえば、もし男女の交わりというものがなければ、世の中がどれほど殺伐としているかね、考えてみればいいと思いますが、いっしょに住んでいるだけなら女中さん、お手伝いさんと変わらないですね。これ以上のものがあるから、なんとなく神秘感があって、深い結びつきができるんですね。よくも考えたものだと思います。 だから、本来的に言うと、この性の問題も善だと考えてもいいと思います。ただ、その扱われ方によって、いろんな悪を生み出すわけです。したがってその意味で、この性の問題は、お金の問題とひじょうによく似ていますね。お金も本来的には別に悪ではないはずですね。使われ方によって大きな力になります。そして、人生にとってもよいものです。 ところが、その使い方をまちがうと、なんて言いますかね、やくざの問題になったり、ギャンブルになったり、犯罪につながったり、いろんなことがありますね。一般的に言えば、お金も平均以上あったほうがいいことはいいですね。いろんなことで困らないので、平均以上あったほうがいいでしょう。ところが、不当な利益をあげようなんてすると、いろんなとこでつまずく、まあこういう問題がありますね。 だから、セックス問題についても、一般的に言えば、まあ正当に男女が結婚することによって、性的経験をしていくことは、これは人生の喜びを増進させると考えてよいでしょう。ただ、この性的なものに過度にのめりこんでいくと、いろんなところでまちがいが起きていくと、そのように考えていいでしょう。 2.性的未熟 いやらしい題ですね。ほんと、こういう題見ると私も反省が始まるんですね。男性にとっては情けない言葉でもあります。女性はえてして男性がリードするもんだから、女性はなにもわかんなくてもいいんだと、まあ、こういうふうに考える方もいるでしょうし、また週刊誌よろしく性的な指南がね、あちこちで行われるわけでもありません。だから、この性的未熟の問題というのは、結構大きいんですね。離婚の原因も、このへんにあります。もちろん性の不一致もありますが、性的未熟もかなりあります。 なんというかねえ、女性で言えば、女としての喜びを知らない、主婦になっても女としての喜びを知らないで生きていると、どうしても不平、不満がたまりますね。男性にしてもそうですね、そういうところがあると思います。これはねえ、不思議なもんなんだけども、また良家の子女に限ってよけい未熟であることが多いんだね。まあ育ちが悪くてね、若い頃やくざな生き方した人間なんて、性的未熟なんてほとんどないんですね。みんなエキスパートになっちゃってね、学校で勉強しなかったけれども、社会で勉強したなんて言ってものすごくエキスパートになっているんですねえ。そうすると、そういう男性であれば、女性喜ばすことぐらいかんたんにできちゃうんですねえ。それがまた、女性のほうも社会的経験積んで性的エキスパートになっていると、男性を喜ばせる演技なんてじゅうぶんできたりするんですねえ。 ところが、いいとこのお嬢ちゃん、お坊ちゃんに限って、かえってできないんですねえ。苦しいです。しかも罪悪感が手伝ってね、なかなかできないんです。うれしそうな顔をしたら、これはまちがいではないかとかね、何だかんだと、まあこれは活字になるからほんとに言いにくいですね。言いにくい問題がいっぱいあるんですが、そういうことですねえ。だからこのへんの問題なんですね。 ただね、僕は世にまあエロ番組て言いますかねえ、エロ本のたぐいがいっぱいあって、ほんとうにいやだなあということで、社会から締め出されていますが、もうちょっと正当なものも、僕はあってもいいんじゃないかと思うんだね。性的なもの全部しめ出せばどうかっていうと、性的未熟による問題もやっぱりあると思う。 だから、結婚式なんか挙げる場合はね、結婚式場手配でかまわないと思いますが、たとえば文部省推薦(すいせん)、NHK編集のね、夜のひめごとビデオかなんかねえ、あげるべきだと思うよ。だって勉強しなきゃわかるはずないもん、そうだろう。みんな想像の世界でしょう。あのあやしげなエロ本や裏ビデオなんか見なきゃわからないんで、そんなもんだって、いろいろチェックがあってむずかしいんでしよう。こんなんじゃなくて、やっぱりねえ、だいじなことではあると僕は思いますよ。 ですから、そうしたいやなものを排除するなら排除していいから、公的機関がね、ちゃんと必要度に応じた実用なんとか講座というのを、やっぱり作ったらいいと思いますね。通信講座まで始めちゃったりしてね、主婦のための実用夫婦講座なんて言ってね、始めちゃったりして。そんなのあるかもしれませんが、むしろ、結婚する、新しく結婚する人のためには、そうしたガイドブックがいると思います。今、そんなものなんにもありませんね。結婚式場なんかだったら、三三九度のやり方とかを書いてあるのをくれるけれど、そういうのはありませんね。そういうのは秘めごとで、勝手にやりなさいというように言っているけども、このへんの罪悪感は、たしかに若い男女にとってはマイナスの部分もあると思いますね。 だから、不純なものを排除するなら、旅立ち前の男女に対しては一定の教育が必要だと僕は思っています。なにかそういうものを考えていいんじゃないかねえ。そうしなけりゃあ、やっぱりねえ、その未熟の部分ゆえに、悩みをつくっているところもあると思いますよ。これは次の節で、もっとくわしく話をしていきましょう。 3.性の不一致 離婚原因の第一番と言われているものは、性格の不一致ということですが、ほんとうは、この性格の不一致は、下の「格」の部分を取って落としたほうがいいのではないかと、よく言われてるんですね。性の不一致が問題ではないかと、こういうふうに言われることが多いです。 ではなぜ、性の不一致があるのかということですね。これは、結婚前の男女のキャリアにも問題があります。たとえば、男性、女性とも両方とも性的に未熟であって結婚した、そして、苦労しながら、なんとかカップルを築いていったという人もいるでしょう。未熟ゆえにうまくいかなかった、という人もいるでしょう。その次は、男性、女性ともひじょうに性のエキスパートであった、まあ言葉はいいですね、別な言葉で言うとすれっからしであったと、まあこういうことになるわけですが、この場合も、当初両方あきらめがある場合は、それなりにいいですね。 次なる問題はね、片方だけがエキスパートの場合ですね、これが大きな問題になっているんですね。たとえば、女性のほうが性のエキスパートである、もう男性経験十人、ニ十人、あるいは五十人、百人あった。男性のほうは全然なかった。こういうので結婚するとどうかっていうと、やっぱりそれは苦しいですね。苦しいです。なぜ苦しいかって言うと、男性は奥さんの要求に応えられないんですね。そんなのわかるはずがないんですね。そんなベテラン相手にまわして、それで相手を満足させるというのは、相当空想能力かなんか、洞察能力でもなければできるはずもありませんね。 また逆もあります。男性だけはものすごい性のエキスパートで、女性はもう子供の場合ですね。ままごとのような感じなんですね。お嫁行ってままごとやっている感じで、営みに入ろうとしたら「何をなさるんですか、あなた」って言って、抵抗するようなタイプね、こういうのも世の中におりますねえ、結構いるんです。こういうのは、カトリック系とか、そういうキリスト教系の学校なんか出たら、こんなのがいるんですね。 「え、何のために結婚したの」と言いたくなるような人、ほんとうにいるんです。 そうすると、経験豊かな男性は不安になってきますね。「私は藁(わら)人形抱いているんじゃないんだ」と「デク人形抱いているんじゃないんだ」「人間がほしいんだ」と、「人間として反応してくれる相手がほしいんだ」と、まあこういうふうになりますね。このように、経歴の部分、キャリアの部分で差があると、このギャップが結構苦しいです。結婚の際に、このへんについて指導してくれる人はあまりいないと思います。ただ、やはりギャップがあると苦しいです。 とくにねえ、まあ、この両者のどっちが問題かと言うと、やっぱり問題としては、男性のほうに経験がなくて、女性のほうが経験豊富な場合は、やはり悲劇的になることが多いと思います。男性は経験豊富で女性が経験がないというのは、極端に差がある場合には、もちろんおもしろくないということで、男の夜遊びなんかが始まったりすることもありますけれども、多少男性に体験があって女性にないというのであれば、男性がリード役をして、それなりにうまくいくこともあると思います。 ところが、女性がものすごく経験豊富で男性がまったくなかった場合、これが男性を結構今の世の中では苦しめているんですね。読者のみなさん、胸に手を当ててください。苦しんでいるでしょう。どうですか、「あの野郎」と思ってること結構あるでしょう。「自分はもうほんと清純だと思って結婚したのに、まあ次から次へとずいぶん遊んでおったもんだ。しまった。わしゃあキャリアなかったのに、うちの家内のほうが十年のキャリアをつんどった。十五歳から二十五歳まで、十年間みっちリキャリアをつんどったんだ」なんて、「ああ悔しい」と思って、涙を流している人もいるでしょう。そうした諸君のためにも私はこの本を出しています。 このへんはねえ、まあたしかにつらい、つらいねえ。だから、そういう経験をした男性は、もう悔しまぎれで夜の世界に行くことがあります。歓楽街ですね、このへんに出入りするようになります。憂さ晴らしなんですね。女房が遊んどったのかと思うと、悔しいもんだから、自分もおそまきながら遊んでみたいんですね。そして酒飲んで、夜の歓楽街に出ていって、そして自分も汚れてみればいっしょじゃないかってね、汚れたものどうしならわからなくなるっていうんで、自分を汚そうとしていきますね。そして、多少すさんでいくことになると思います。 それでねえ、やっぱり性の不一致の問題を考えるときに、基本的な原則は、やはり男性が多少リードできたほうがいいことは事実で、女性の場合には、男の自信をくじくようなことはなるべく避ける、ということがだいじではないかと思います。とくに、テクニックの不足を言ってはならないね。だから、テクニックの不足を言う場合には、夫婦でともに勉強会を開くほうがむしろいいです。本買ってくるなり、ビデオでもなんでも買ってくるなりしてね。あるいは外国へ行って見てくるなりしてね、夫婦でともに勉強会やったほうがいいですね。一方的に相手のテクニックを非難すると、家庭の崩壊になります。 とくにねえ、女性で未熟な方の場合は、要するに新婚生活が楽しくないのは、もう彼のテクニックの不足であると一方的に決めつけてしまうことがよくあります。しかしね、これはかならずしもそうではないんですよ。女性がねえ、女性として喜びを感じるまでには時間がかかるんです。そして、女性のなかの何割かは、永久に、永久にと言ったらあれになりますが、結婚生活で喜びを得ないままに生きている人もいるんですね。 それはねえ、まあこのへんホント、活字にしていいのかどうか僕も困っちゃうんだけど、映倫かなんかにひっかかっちゃいますからね、文部省許してください。なんと言いますかね、個人差がやっぱりあるんですね。人間の肉体的なものというのは、いろんなスポーツやらしても個人差があるでしょう。同じように夜の生活においても、個人差というのはやっぱりあるんですね。そして、それは無視しがたいものがあるんですね。すなわちね、一人の女性を喜ばそうとしても、女性相応でね、男性がおんなじような行為をしても、喜ぶ女性と喜ばない女性がいるんですね。それは、それぞれの女性の感覚のフィールドがあってね、こういうことをされると喜ぶけれど、こういうことをされるといやだっていう領域があるんですね。だから、このへんの勉強がいるんですね。 とくに性の不一致が起きる場合には、その準備期間において問題があることが多いように思います。たとえば、ある種の女性たちは、やはり甘いささやきから始まって、そういう言葉から始まってゆかないと、なんというかね、ムードになれないという人がいるんですねえ。だから、男性が粗野である場合にね、とってもその気になれないと言って、つっぱねる場合があります。これも性の不一致によくある例です。 たとえば、女性のほうはいいとこのお嬢さんで育ちました。東京の山の手育ち、そしてミッション系の学校かなんか出てね、そして花嫁修業して結婚しました。男性の方は、山の奥から出てきた粗野な男なんですね。ロマンチックな言葉なんてひとつも知りゃしない。もうバリバリバリバリやってきて、きこりをやっていた、それで材木商をやったあ、そして猟師もやったあ、なんていうような、まあこんな結婚するかどうか知らんけども、たとえばあったとするわね。 こういうカップルであるとね、男のほうはどうするかっていうと、仕事から帰ってきた、そして御飯、腹一杯食べた、そしたら、「よう寝るか」と言って、もういきなり襲いかかるわけですね。そうすると、女性の場合は「キャー何するのよ、あなたエッチ、痴漢、馬鹿」なんてこうひっかきますねえ、バシッとたたく。すると「なにすんだよ、おれ亭主じゃないか。法律上ちゃんと亭主と認められているぞ」と言うと、「亭主だからって、あなた、私だって言うことがあるわよ。妻だってイヤなものはイヤよ」と、こうなりますね。そうすると「なんだあ、だれに食わしてもらっていると思うんだ。おれが自由にして何が悪い」と言ってね、「イヤなものはイヤよ」と言ってひっかいたり、殴ったりして、犬と描の喧嘩みたいなの始まりますね。こうやって家庭不和ができてくるんですね。 この原因のひとつはなんであるかと考えてみたら、おたがいのニーズがわかっていないんですね。男性というのは、もう自分の欲望晴らせばいいと思っているかもしれない。ところが、その深窓の令嬢にしてみればですね、やっぱり手順踏んでほしいんですね。つまり、まずロマンチックな言葉のささやきから始まってほしい。ロマンチックな話を三十分したうえでね、少しずつ少しずつ手順を踏んでほしい。まあこう思っている。ところが、その山男風の男では、それがわからない。とにかくもう疲れ果てとるからね、もうとにかくコトにおよべばいいと、こういうことであれば、こうしたことが夫婦の不一致になっていきます。 特に、現在問題になっているのは、男性が異常に疲れているということです。会社勤めは疲れるんです、みなさんね。特に新婚のころって言うのは、仕事のプレッシャーと家庭の問題とでね、男っていうのはだいぶまいってます。精神的にまいっているんですね。それゆえに、なかなか余裕がないんですね。心に余裕がない。それと、早く寝ないと明日の朝起きなきゃいかんという、このプレッシャーがありますね。みなさんわかるでしょう。サラリーマン諸氏はね、新婚のころは夜寝れないですねえ。不眠症になりますね。そうすると、朝フラフラで出ていくと仕事でチョンボが続出するんですね。これが恐いので、早いとこ寝たいと思うんですね。このへんがね、女性の理想と一致しない部分があってうまくいきません。 だからねえ、僕は思うんだけれどもね、女性も男性もおたがいの生理というのを、もうちょっと知る必要があるかもしれませんね。だから、爪を立てて争いやる前に、なぜそうなるのかね、この部分をもっともっと研究してみる必要があるよ。 それと女性なんかが、まあこんな言葉は、僕はあまり使いたくなかったんだけど、まあ一応テーマがテーマだからもう使っちゃうけどね、女性の場合、とにかく前戯がなければだめだというのが一般的で、その前戯の時間を要求するわけですね。もちろん、人によって個性差はずいぶんあります。ほとんどなくてもいいというのは、これエキスパートですね。アッという間にいけるというのがあります。私も知っています、それはありますが、ふつうの素人の場合には時間が適当にいります。ないとできません。 ところが、男性の場合は疲れていると前栽ができないんです。女性のみなさん、わかっているでしょうか。すなわち、前栽というのは、ひじょうに根気がいるんです。前戯によって男性が興奮するということは、あまりないんです。女性のみなさんごぞんじでしょうか。ないんですよ。三十分、一時間もねえ、一生懸命マッサージしているだけで、興奮するというようなことないんですよ。男性は、もう興奮は一瞬で終わるんです。 だから、あれは明らかに、男性の側から見ればサービスなんですね。いいですか。ところが、女性はそれを当然だと思っている。このへんが疲労度によって違いが出てくるんですね。だから、そういう点でうまくいかないなら、ご主人さまがどれほど疲れているか、よーく配慮する必要があるんですね。そして、ご主人さまの疲れをまずとってもらう必要があります。 そのためには、たとえば、もう私はこんな話、なんでしなきゃいかんのかよくわかりませんが、ご主人さまがグッタリ疲れているならば、もう帰ってきたらすぐ寝れる体制でね、とにかく寝かしてやる。自分も寝てもいいけども、とりあえす寝かしてやって、仮眠をとってから、あとおもむろにがんばるとかね。あるいは早めに寝てね、夜もう帰ってくるなりバタンキューで寝て、朝一時間早く起きてガンバル。こういうようにして、やっばりリフレッシュしてやらないともう無理ですよ。 くたびれ果てて、あなた、ネクタイよれよれになって帰ってきてね、さあ、これから一時間前栽してなんて言ってたら、もう男性死んじゃいますよ。これ言っとくよ。僕もいやだったから、できませんよ。だから、リフレッシュする。あるいは、そういう濃厚なのは、もう休みの日に限らしていただくとかね。土曜日、日曜日、祝祭日、これに限らしていただいて、ふだんの日にはもうあきらめる。こういうこともあるかと思いますが、この欲求不満、ひじょうに多くて、家庭不和の陰の原因になっています。だから、よくそのへんの理解をしてください。男性は疲れているとそのへんのサービスができないんです。ところが、女性は文句を言うんです。ここが、いちばん大きな性の不一致となる部分なんですね。 ところが、ほんとうは両者に余裕があれば、そんなものはじゅうぶん克服できるんです。実際はね、できるんですよ。だから、休みなんかにもうちょっと濃厚なのをがんばってみて、ふだんはもう手軽なので我慢すると、まあこの程度でもいいんじゃない。あきらめも肝心だよ。世の、サラリーマン社会が、どれほど苦しいかね、疲れるか、女性の方も知ればいいよ。特に、まあ勤めの経験のある女性は、多少わかるんだけどね、それがまったく学生からすぐ主婦になった人、こういう人は、やっぱりわからないですね、その感覚がね。通勤でもまれて帰ってくると、どれほど疲れるかね、この感じがわからないでいると思います。そのもっとくわしいことは、次の話でまた進めます。 4.性的不能と不感症 また恐ろしい題をつけました。これは、決して〇〇先生がつけたんじゃありませんよ。みなさん、〇〇先生の弁護のために私は言っときますが、本書の表題および各章の題名、および各節の標題は、高橋信次がつけました。私がつけて私がしゃべっていますから、〇〇先生の関心に基づいてつけたもんじゃありません。そのへんを弁護しておきたいと思います。 まあ性的不能と不感症ですね、もうこの手の本ですからあきらめましょう。あきらめて、もう用語を使わしていただきますからね。もってまわるとひじょうに時間がかかってしようがないんで、使わしていただきますからね。私は、もうちょっと崇高な理論を、他の本でいっぱい言ってますから、これだけを手にとって、高橋信次は悪霊だとか、色情霊だとか認定しないでいただきたい。これは、パーニャパラミタがあって、いろんなことを知っているだけであって、これは特別にそういう具体的な救済のために書かれている本なので、どうかこの本書だけを読んで私を判定しないでいただきたい。もっと純粋な本もいっぱいありますから、そっち読んでくださいね。具体的に悩める衆生を救うために、言っているんですからね。こんなこと言うのは、最近の人でないとできないんですよ。まあ谷口先生にもどうかまた聞いてくださいね。 性的不能ですね。男で言えば、これはインポテンツですねえ。一言で言えば、立たないという問題です。これで悩んでいる人は結構います。結構いる。どの程度いるかというとね、うーん、これはパーセンテージは難しいわね。まったくできないのは、そりゃおります。まったくできないというのは、そうだねえ、僕の見るかぎりでも、やっぱり百人のうち三人はいるね。その程度いると思います。コトにおよんで立たないんです。それから、場合によってダメになる、状況においてダメになるっていうのが、アッハッハッハッ、これがねえ、だいたい一割から一割五分ぐらいいますねえ。 なぜそうなるかですね。男性自身が機能しないのはなぜかというとね、女性のみなさんに私は言っときたいんですが、男性っていうのは、ひじょうに繊細なんです。ひじょうに繊細なんですよ。だから、精神的にいったん自信を失ってしまうと、ダメになりますよ。これは、いろいろなところとひじょうにつながっているんです。劣等感がひじょうに強かったり、女性の一言で自信を失ってしまうとできなくなってきますね。 だから、きつい奥さんをもらった人に、インポが多いんです。はっきりしています。奥さんがきつい場合です。その一言でダメになっていくことが多いです。胸に手を当ててごらんなさい。ご主人の言葉を記憶してても、自分の言葉はあまり記憶していないはずだ。 「あんたってダメね」とかね、「あなたってへたくそね」とかね、「あなたって汚いわね」とかね、「あなたってほんとうにダメなのね」とかね、あるいは、月給袋の軽さ、月給が少ないということでさんざん言われた後でできるかといったらできないですねえ。自信がないからです。「何よ、この月給袋、なんかもう空中飛んでいきそうだわ。ペラペラよ、あなた。これうちわでもできるし、何でもできるわ」なんてね、「こんな薄い月給袋でたたいたって、蚊だって死にゃしないわ」なんて、こんなこと言われた後で、じゃあ蚊みたいに刺してみなさいなんていったってね、あなた立ちませんよ。無理です。男っていうのは、やっぱりね、立ててやらないと立たないです。そういうことで、しっかりね、その気にさせなきゃいけないんで、やっぱりつねに立てる必要はあるんですね。 だから、この性的不能で悩んでいる男性が、よくなんというかね、歓楽街に行くことが多いんです。プロの治療を受けに行くんですね。奥様では立たない、だけどもプロの女性のところへ行くと立つんですね。現実に立つことがある。機能するんですね。 じゃあ、なんでその違いがあるかっていうことですが、プロの女性というのは、優しいんですね。まず徹底的に優しいんですね。優しいことと、それと肉体的欠陥をまず絶対に責めないね。これは商売上の道徳で、責めないようになっていますね。それで「素晴らしい」とかね、「あなたのは立派よ」とか、こういろいろ言葉はありますわね。「りっぱですわねえ」とか、「すっごいです。こんなりっぱなのは初めて見た」とか、プロの人というのは絶対こういうことを言うわけですね。こうしてやる気満々、元気にさせるんですね。そうすると、自分がものすごいテクニシゃンになった気になるんですね。そしたらできるんですね。ところが、家で、家庭でと思うと、全然ダメなんですね。なぜダメかと言うと、そこに違いがあるね。結局、奥さんに原因がやっぱりあるんです。それはねえ、旦那さまを裁いているんです。 だから、この意味においてね、よく色街であるとか、歓楽街、夜の女性のことを悪く言うこともありますが、彼女らが救世主になっている面もあるんですね。これを忘れてはいけない。世の主婦たちに見離され、裁かれ、地獄に堕とされた男性たちを、救っている面もあるんですよ。それは、彼らにも社会復帰の道を開いているからです。こうしたプロの手を借りないと、社会復帰ができないんですね。治療を受けているんです。ほんとうにあるんですね。そうなんです。 これがね、男の心理を知らない女性にかかると、ダメになる例なんですね。すなわち、やっぱりほめなきゃいけないんです。男性はほめなければダメです。いいところを見てほめなければ、くさしていたんでは絶対にダメになっていきます。これだけを、私は何度も何度も言っておきます。なぜそれほど言うかについては、各人で検討してください。考えてくださいね。 では次は、女性の不感症というのがありますね。これもあるんです。感じないって言うんですね。これも結構いるんじゃないでしょうかね。私はそれほど経験豊富じゃないからよくわからないんですが、聞くところによれば、女性の不感症というのは、やっぱり十人に一人ぐらいはいると聞いています。あんまり感じないんだそうです。 じゃあなぜ感じないのか、というところですが、これはふたつほど理由があります。ひとつは、痩(や)せすぎの人です。要するに、女性ホルモンの分泌が悪いんですね。そして、脂肪質のからだをしていないんですね。今、拒食症といって、ガリガリに痩せるのが流行っていますが、そういうふうになると感じなくなっていくことあります。これでは男性たまりませんね。こういうことがある。 もうひとつはねえ、やっぱり性的に潔癖症であって、この感じることが罪悪だというような考えを持っている人がいるんですね。こういう人のなかには、たとえば幼いころに、両親のこのセックス・シーンなんかを見てしまったというのがあるんですね。両親がセックスをするのを見てしまって、そしてものすごく罪悪感といやらしいという感じ、こういうものを受けてしまって、成人してから忘れていることもあるんだけれども、なにかもうダメなんですね、感じないんですね。ご主人が向かってきても、何かいやらしいっていう、けだものっていう感じがして、感じないんですね。こういうのがあります。フロイト的に言えば、幼少時のその傷ですね、その傷があって不感症になる人がいます。 だから、こちらのほうの人の場合は、よく自分の幼い頃から反省してください。何かね、ショックを受けたり、あるいはその言葉ですね、言葉を受けたりしたことがあると思います。子供のときに、この子はほんとにエッチな子だとかね、親にいつも叱られたとかね、こういうことが魂の傷になって、なにか感じなくなったとかいうことがあります。だから、こういうとげは、刺さっているとげは抜くことですね。 もうちょっと開放的な考えになって、親のいやらしいところをもし見たとしても、まあ親だってやっぱり人間だったんだなあと、そういうように思ってやることですね。わが家だけ、ペリカンで子供が運ばれてきたわけではなかったんだと、まあそういうふうに思ってやることですね。お釈迦さまだって、子供をちゃんとつくっているね。それで、奥様以外におめかけさんまでちゃんといた。そして全部捨ててきたと、もうあきあきしていやになるほど経験されたはずだと、そういうこともよく考えてね、まあ馬鹿にしちゃいけないし、軽蔑してもいけないんですよ。まあそういうことがあると思います。 だからこの問題はねえ、今、正法のなかから取り残されているけれども、だいじな問題でもあるんだよ。だから、読者の男性、女性で、もしほんとうに悩んでいることがあればね、また手紙でもください。僕は、自分の人格は下がるかもしれないし、評価は下がるかもしれないけれども、みなさんがほんとうに楽しくなって幸福になるためなら、あえてこういう本も出します。第2集でも出しましょう。ほんとうに悩んでいることあれば、答えてあげよう。霊的にどうなるのかね。私たち高級霊の目から見てどうなのか、答えてあげるよ。 それも、ひとつの現代的救済なんでね、避けて通れないんだ。だれかが言わなければいかんので、言う人いなければ私が言いましょう。アール・エル・ランティーだなんていばっているくせになんだ、なんて言われるかもしれないけれども、まあしかたないわ、人類の悩みを救済するのが救世主の仕事、だからこれもやりましょう。イエス様もこれは答えられなかったはずです。だから私ががんばります、ね。
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概要 北央帝国全土に伝わるおとぎ話に登場する少女。 帝国中枢が作成した一種のプロパガンダである すべてに疑問を抱き「いや」と言い、旅することを夢みて、皇帝にさえ逆らった少女であるという。最後は《世界の水殻》へと消えて、命を落としたと言われている。 自己判断で体制を拒絶し、定住し管理されることを拒否し、帝国(皇帝)に逆らう者は、少女といえども死するのみ──という帝国のメッセージが込められている。 文化人類学の碩学の間では、ディーラ・ドゥーラのモデルは《探索姫》ローラ・ネーデルマンであるとされる。 ディーラ・ドゥーラのおとぎ話 帝都生まれの ディーラ・ドゥーラ かわいい赤毛 ディーラ・ドゥーラ ディーラ・ドゥーラを知っていますか? 知っているなら ちいさな声で 知っているなら 知らない顔で あの子のくちぐせ 知っていますか? 知っているなら 真似しないで 知っているなら 知らない顔で 知ってる人も「知らない」と笑う かわいそうな ディーラ・ドゥーラ やせっぽちの ディーラ・ドゥーラ ディーラ・ドゥーラは 誰も知らない あの子のことは 誰も知らない ディーラ・ドゥーラは 嫌がる子 何でも イヤ イヤ イヤ イヤ と言ってしまう ディーラ・ドゥーラはすべてが嫌い 空が嫌い 雲が嫌い 水が嫌い 「嫌い 嫌い だいっきらい」 ディーラ・ドゥーラはママに言いました 「にごったものは ぜんぶきらい」 ディーラ・ドゥーラはパパに言いました 皇帝陛下のお言葉 だいっきらい 碩学さまの機械も だいっきらい おかしいね ありがたいのに おかしいね ディーラ・ドゥーラは おかしな子 ディーラ・ドゥーラは かわいそう ディーラ・ドゥーラは おかしな子 何でも嫌の 女の子 元気いっぱい ディーラ・ドゥーラ かわいそうな ディーラ・ドゥーラ でも 皇帝陛下はやさしいおかた ディーラ・ドゥーラに お声をかけます 「嫌い嫌いの ディーラ・ドゥーラ 私のことも 嫌いかい」 「嫌い 嫌い だいっきらい」 「それじゃあ 好きなものは なんだい」 「好きなものなんて なにもないわ だから遠くへ行きたいの どこかの国で 好きをさがすの」 皇帝陛下は優しいおかた ディーラ・ドゥーラにうなずきました 「嫌い嫌いのディーラ・ドゥーラ。 きみの望みを かなえてあげよう」 「ほんとうに?」 「ほんとうだとも。 でもね あの"海"だけは いけないよ」 「――嫌!」 イヤイヤイヤの ディーラ・ドゥーラ かわいそうな子 ディーラ・ドゥーラ パパも「だめ」 ママも「だめ」 皇帝陛下も「だめ」と言いました なのに ディーラ・ドゥーラは 行ってしまった 小さな船で たった一人で 世界の果てへ あの"海"へ 《最果ての海》のむこう 《世界の水殻》 その先へ ――そこには 何もないのに 備考 この話が出るのは蒼天のセレナリア冒頭。 つまりスチームパンクシリーズの冒頭を飾る話でもある。 登場作品 蒼天のセレナリア -What a beautiful world- 関連人物 ローラ・ジョサイア・ネーデルマン コニー・イル・リクール リリィが紡いだおとぎ話(詩篇)に受け継がれてる気がした。無闇に勝気で反抗心も… -- 名無しさん (2013-10-23 22 11 41) 名前 コメント 合計: - 今日: - 昨日: -
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以下は、http //takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1231502591/から引用 176 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/01/10(土) 01 17 29.73 ID NI5Z+dx20 ふみ 180 :◆SENAs8NCE2 2009/01/10(土) 01 19 55.62 ID NI5Z+dx20 ちょwふんじまったwまじかよwふみとかふざけてたらふんじまったww じゃあ、子供の頃大切な友人が死んだ話でいいか。 ダイヤルアップで、きれたらいかんのでちょっとコテつけさせてもらう 182 :◆SENAs8NCE2 2009/01/10(土) 01 22 36.54 ID NI5Z+dx20 1985年8月12日、日本航空123便墜落事故。この事故で当時 中学生だった俺は、大切な友達をなくした。 187 :◆SENAs8NCE2 2009/01/10(土) 01 26 28.81 ID NI5Z+dx20 1985年8月5日、いつものように俺はその友達と遊んでいた。 友達は金持ちで、ファミコンなる次世代ゲーム機をもってたんだ。 イメージで言えば、スネ夫かね。まあ多少自慢性なとこもあった。 そして、微々たるジャイアニズムもあった。 けど、仲がよかった。書いたとおり、この日もそいつの家でファミコンしてた。 189 :◆SENAs8NCE2 2009/01/10(土) 01 31 04.84 ID NI5Z+dx20 友達「明日から俺東京に旅行いくから。すまんが遊べない」 友達がこんな話を急にしてきやがった。 大阪から贅沢に飛行機に乗って、お盆明けあたりに帰ってくるらしい。 当時俺にとって、飛行機にのるなんて夢のような話だった。 そして、東京という大都会にいく友人がとても羨ましかった。 大量のおみやげを持って帰ってくることを約束し、俺は家に帰る そいつとしゃべることができたのはそれが最後だった 194 :◆SENAs8NCE2 2009/01/10(土) 01 39 27.06 ID NI5Z+dx20 文才なくてすまん。伝えたいことが伝わらないかもしれんが ゆるしてくれ 1985年8月12日 友達が帰ってくる日はずの日だった。そいつの話だとたしか 夕方に東京を出るらしかったので、夜に土産でも頂戴しにいこうと 俺はうきうきしてた頃だ。別の友人と海で泳いで帰宅し、ちょうど 夕飯を食ってた時だった。ものすごいニュースが飛び込んできた。 日本航空のジャンボジェットが、行方不明らしい。 そのときは、どこから飛行機が飛んだかも知らないし家族で 「怖いね」なんて言ってただけだった。 そいつはそのときは、まだいきてたのかもしれない。 197 :◆SENAs8NCE2 2009/01/10(土) 01 46 00.66 ID NI5Z+dx20 1985年8月12日 たぶん7時30分くらい 日本航空のジャンボジェット、123便が墜落したらしい。 テレビではたくさんの情報がながれてたが、どの局も うそっぱちばかりで、俺はそろそろ飽きてきた頃だった。 そのときは、悪いけどまだ自分にとってどうでもいいことだった。 でも、そいつはもう死んでただろう。。。 123便の詳細が明らかになった時おれはびっくりした。 東京→大阪の便らしい。もしかしたらあいつが乗っていたのかも。 そんなわけがない。そう思って俺は友人の家に電話したが いつまでたってもでなかった。まだ帰ってきてないんだろう。 事故のせいで空港も混雑してるかもしれないし、なにせUターン客 がいっぱいで、予定通りになんていかないかもしれない。 おれはそうおもって、ニュースを見続けた。 200 :◆SENAs8NCE2 2009/01/10(土) 01 54 10.43 ID NI5Z+dx20 1985年8月12日 午後10時ごろ 友達はまだ帰ってこなかった。まさかとは思ったが もしかしたら123便にのってたのかもしれない。 でも、まだ墜落現場がはっきりしなく、救助も難航しているらしい。 ニュースでは、123便がどうなったかすぐ伝えるために 常にキャスターがうつっていた。とてもあわただしかったのを覚えてる。 1985年8月12日 午後11時 つぎつぎと詳細がわかる123便の墜落事故。500人を越える人が乗っていて 生存者がいる可能性は少ないらしい。 友人は帰ってこない。どんどん不安になっていって、頭がおかしくなりそうだったのを 覚えてる。寝ようとしたが眠れなかった。 201 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/01/10(土) 01 56 52.37 ID 35fd7MOv0 wikiで申し訳ないが事故の一連の様子 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%88%AA%E7%A9%BA123%E4%BE%BF%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85 ごめんなんか目から塩水が・・・ 203 :◆SENAs8NCE2 2009/01/10(土) 02 04 35.41 ID NI5Z+dx20 1985年8月13日 目が覚めると母さんがすごい勢いではしってきて、123便の犠牲者の 新聞を見せてきた。 「○○(友人の名前)さんとこの名前が」 母はそういって、名前を指さした。たしかに友人とその家族の名前は きっちりと記されてあった。 「学校から連絡があってね、クラスの子は集まってほしいって」 涙をこらえて、ずっと部屋で丸まってたのを覚えてる。 テレビを見るために下へ降りると、テレビはすごいことになっていた 墜落現場の航空写真をみると、大きい飛行機の欠片がそこらじゅうにひろがってた 1985年8月13日 午後3時 学校へ行くと、クラスのみんなだけでなく学年全員がいた。 いつもうるさい奴らが、泣いていた。 先生が涙ぐみながら前に立ち、大声で叫んだ。 「まだあきらめるな。生存者がいるか、現在捜索中らしい。 ○○はまだ生きてるんだ。おまえらがくよくよしてどうする。」 みんなにならんで俺も泣いて、みんなで大声で友人に「がんばれ」と 叫んだ。 206 :◆SENAs8NCE2 2009/01/10(土) 02 14 35.78 ID NI5Z+dx20 好きな子も泣いていたし、普段クールな奴も、怖い先生も みんな泣いてた。泣いて、ひたすら友人の無事を願った。 先生が運んだテレビから、数々の著名人もなくなったという 声がきこえてきた。 外が暗くなる頃、みんなはただひたすら黙って願っていた。 帰りたいとか、そんなこと言う奴は1人も居なかった。ほんとうに みんな真剣だった。そして友人がいきていると信じ続けた。 1985年8月14日 お昼 友人らしき遺体がみつかったらしく、大阪へと帰ってきた。 そいつの死体は胸につけていたキリストの十字架と ちいさな骨だけだった。友人の家にはたくさんの人がいて 地元のテレビ局まできていた。クラスの暴れん坊は、テレビの奴らに 泣きながら怒鳴り、帰ってくれとたのんでいた。すごく印象にのこっている 208 :◆SENAs8NCE2 2009/01/10(土) 02 19 31.75 ID NI5Z+dx20 キリスト教のお葬式はよくわからなかった。だけど 仏教の俺らはみんな黒い服だった。俺はこれがほんとうに友人の死体で 本当に死んだのかまだ分からなかった。あまりにも話がおかしすぎる。 なんで友人が死ぬ羽目になったのかわからなかった。俺がよく友人に シネとか、悪口いったのがいけなかったのかと本気で考えた。 すごい人数の中で友人とその家族は天へのぼった。 211 :◆SENAs8NCE2 2009/01/10(土) 02 31 22.16 ID NI5Z+dx20 日本航空123便は、1985年8月12日午後6時25分頃に垂直尾翼を失い エンジンを頼りに空を迷走しながらついに墜落した。 友人は揺れ動く機内でなにを思っただろうか。 新学期、校長先生から詳しい話があったが、現在の事故の結論と 全く違う内容だった。 マスコミがいかに適当な報道をし、多数の人を混乱させたのか。 友人は偶然にも、早期に遺体がみつかったが結局あふれる情報に のみこまれるかのように忘れられた遺体もあるらしい。 日本航空123便墜落事故で得た、命の大切さや人の愚かさ この事故は絶対に風化させてはならない。 そういう思いで、大切な友人を失った出来事を、某作家風にかかせていただきました。 見苦しい文章ではありましたが、ほんとうにこのように細切れで無機質な 気持ちが、ずっと続いてたんです。あまりにもショックすぎました。 ということでそろそろ。長い時間トロトロすいませんでした。 安価+10で。
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【ないしょごと】/れいん とぼとぼと歩く。 風は冷たくて向かい風。まるで、せつなの行く手を阻むかのようだ。 通常なら、そんな風もなんのその、脇目も振らずに走って帰っただろう。 ――――愛しの我が家へ。 けれど今日は違っていた。 (……どうしてかしら?) それは、自分自身も分からない。 ただ、何となく……足がすすまない。 きっとみんな待っているだろう。おおよその到着時刻は、あらかじめ伝えてあるのだから。 年末年始に帰ることができなかったから、「楽しみにしてるよ」と言ってくれていた。 チリリ……。 楽しみにしてくれている“彼女”の顔を思い浮かべたら、胸の奥で燻ったような煙が上がった。 (もう、本当に……なんなのこれ?) いつからこうなったかなんて、覚えてはいない。 でも、最近はずっとそうだ。 体の奥底で、チリチリチリチリ……。 焦げるような疼き。 彼女の事を考えるだけでこうなってしまうのだ。だから、実際に会って顔を突き合わせてしまったら、自分は一体どうなってしまうのだろう? それを考えると、やはり歩みは鈍くなる。 (これが……原因?) 泣きそうだ。 自分だって、今回の帰郷をどれほど待ちわびていたことだろう。 彼女にだって、会いたかった。 いや、会いたいと言う気持ちは、今も変わらないのだけれど……。 (心臓が……苦しい) 特に運動をしているわけでもないのに、鼓動が速くなって、息が苦しい。 今は寒くて枯れてしまったクローバーの丘。 せつなは堪らなくなって、その場所にしゃがみ込んだ。 (もう……イヤ) 誰か、助けて――――――。 「………………なっ!」 急に誰かが肩を掴み、ゆさゆさと揺さぶった。 「!」 驚いて顔を上げると、そこには会いたくて、会いたくて、会いたかった彼女の顔。 どうやら到着の遅いせつなを、心配して捜しに来てくれたようだった。 「せつな、だいじょうぶ!? どこか痛いの??」 心配そうに顔を覗き込んできて、よしよしと背中をさすってくれる。 その行為に、心臓が破裂しそうに激しく脈を打つ。だけど、何故だか苦しくはなくて戸惑う。 「……へいきよ。ありがとうラブ」 そう答え、ラブの支えに体を預けながらゆっくりと立ち上がった。 「ほんとうに?」 ラブは眉間にしわを寄せ、訝しげにこちらを睨む。 「……ほんとうよ」 そう言って、せつなはニッコリと笑顔をつくった。 (不思議……) 会いたくて、会いたくて、でも会うのが怖かった。 そんな気持ちが、ラブに会ったら、ウソのように溶けて消えてなくなってしまった。 その代りに、頬がポカポカと火照って、心臓が勢いよく送り出した血液が、体の中を心地よく廻る。 「じゃあなんでしゃがみこんでたのよぅ、心配になっちゃうじゃん!」 ラブは熱を測るように、せつなの額にオデコをコツンと当ててきた。 ふわっとラブらしい柑橘系の匂いが香って、鼻頭同士がかすって、少しくすぐったい。 「ふふっ、ラブの方が熱高いんじゃない?」 「あれぇ? ホントだぁ」 せつなが噴き出すと、ラブも安心したようにニカッと笑う。 「でも、具合が悪くなかったんなら、どうしてしゃがみこんでたの?」 尚も食い下がって理由を問うラブに、せつなは少しだけ困って、首を傾げた。 「さあ、どうしてかしら?」 何となく、自分ではその理由に気づき始めたのだけれど……。 ――――――でもそれは、今は誰にも教えない。
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アイデアや要望があったらコメントをどうぞ ちょっとコーナーの名前変えてもらえませんか? -- ヘヴン (2012-02-16 19 59 43) あと画像は、荒川アンダーザブリッジの画像お願いします -- へヴン (2012-02-16 20 02 40) これ以上要望したら攻撃するよ? ヘル -- スプー (2012-02-17 21 00 47) コーナーの名前戴して変わってない!! -- ヘヴン (2012-02-18 14 27 20) ヘヴンはちょっとコーナの名前変えてもらえませんか?といったじゃんだからちょっとかえたのw -- 3世 (2012-02-18 16 37 55) ひどすwww -- ヘヴン (2012-02-18 18 40 34) どこが?言われた通りやっだけでしょ?ねえ、管理人さん -- スプー (2012-02-19 10 12 13) うんいわれたとおりやった・・ -- 3世 (2012-02-19 12 43 42) じゃあ、ちゃんと『きもヘヴンのコーナー』にしてもらえません?? -- ヘヴン (2012-02-19 23 36 19) ↑またアップロードするのめんどいからだめw -- 3世 (2012-02-20 15 38 09) (^#^;)わ・・・笑笑 -- スプー (2012-02-25 11 08 22) ほんとうにめんどいよw -- 3世 (2012-02-25 13 50 33) まあ、面倒くさいことはイヤだよね -- スプー (2012-02-26 08 37 41) 一週間以上コメ無しの人は何らかの罰を与える。なんてのはどう? -- スプー (2012-03-04 19 18 45) それだめ -- 3世 (2012-03-10 23 34 24) そうか・・・・。 -- スプー (2012-03-11 08 19 11) ┃┃¨━━━━━━ヾ(・∀・)ノ゙━━━━━━ ╋┓ -- 名無しさん (2012-03-16 13 33 39) なんかみやすくなってるよ!!!!!!??!!!!!!! -- たら (2012-04-06 22 28 14) IPPONグランプリ見てておもったけどここでもやったら? -- 名無しさん (2012-04-09 11 20 37) それはどんなのですか? -- 3世 (2012-05-03 14 48 32) なになに!? すごい気になります! -- サドンマ【スプー】 (2012-05-08 17 46 46) 一本グランプリ?しらんな -- 3世 (2012-05-09 17 41 37) 調べてみたおww→http //www.fujitv.co.jp/ippon/index.html -- 紫電 (2012-05-10 17 34 27) お×→よ○ -- 紫電 (2012-05-10 17 35 06) おまえはよけいなことしなくていいから -- 3世 (2012-05-10 20 52 49) 拙者もみたいでござる -- 侍 (2012-05-12 14 06 28) どうでもいいからしなくていいや -- 3世 (2012-05-12 15 45 58) そうなの。ま、まあこれをどうやって再現するかだけど -- スプー (2012-05-15 19 14 57) 無理だろうな -- スプー (2012-06-09 11 26 32) 無理無理おもしろそうじゃないし -- 3世 (2012-06-09 14 47 58) はっきりと言うね・・・(^_^;) -- スプー (2012-06-09 20 48 36) ほんとうのこと -- 名無しさん (2012-08-06 14 17 49) 名前 コメント
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ウェーラのまたたき (6) 不意にウェーラは言葉を途切れさせる。 「あれ?」 巻き舌気味につぶやく 自習室で頬に人差し指をあてて、何か思い出そうとするかのように天井へと目を向ける。ノイナは問う。 「・・・・・・どうか、されましたか?」 え?と声を上げかけ、ウェーラは今まで饒舌だった口元を手のひらで隠す。それからノイナから目を逸らし、斜め上のどこかをちらりと見て、ぱちぱちとすこし照れくさげにまたたいてみせる。 自習室は変わらずざわめいているけれど、あたりは少し静かになった。一緒の聖歌隊の一期生が、軽くウェーラを覗き込む。 「・・・・・・」 何でもない何でもない、というようにウェーラは小さく手を振って打ち消してみせる。一期生たちはそれほどおかしいと思わないらしい。そのまま、それぞれの話に戻ってゆく。 聖歌隊の一期生はまだ多くがソロルを選んでいなかった。入学の時の組み合わせの者が多かったけれど、幾人かはすでに一人になっていた。 新歓コンサートが終わるまで、ソロルという気になれない、と言うのが一期生たちの言い分だ。二期生から聖歌隊に正式に入ったのはノイナだけで、それ以外はまだ正式入隊には至っていない。今も自然に新歓コンサートの話になっている。 自習室は、正しくは自習のためのための部屋で、部屋のざわめきは無駄話ではなく「高昇のための対話」ないしは「善導」のため、あるいは学年や学級の自治運営に関わる話し合いのため、ということになっている。ただのおしゃべりは本来はふさわしくはない。 ふさわしくはないのだが、人というのはそうそう根を詰めて勉強できないものだし、女の子たちは寄ると触るとおしゃべりになってしまう。始まってしまえば流れのままで、時には声が大きくなり、そうなると恥ずかしげに連れ立って自習室から出て行ったりもする。 こうやって、誰に言われるでもなく自ら自習室で勉強をする習慣に、ノイナは少し驚いていた。ノイナ自身もまた、ここではそうしなければならなそうだとも思っていた。授業のレベルは高い。人の知とは何か、知とはなんであるかから始まる。その認識なしに、見聞きしたことをただ覚えていることを、知とは見なさない。それにノイナは入学試験の結果のような、優劣の差の激しい成績を残すつもりは無い。 ウェーラは、わからないことがあったら相談してね、と言ったのだが、自身の勉強もまた大変そうではあった。一生懸命勉強した、と言っていたし、一生懸命にやることはウェーラの信条であるらしい。眉根を寄せて参考書を睨みつけるように読んでいる様子は、かわいくすらある。そう思うのもどうだろうと、ノイナも内心で自分に問うのだけれど。 「学院」では知とは読み、そして覚えることのみではないとされていた。それは対話を通して高められるものだというのが教えだった。 教授は講義中に学生に対してよく審問を行ったしまた、学生同士のそれも推奨されていた。自習室はそれを行う場でもある。判らないことについて助けを求めるのと同じくらい、わかったことについて説明を行い、聞かせ納得させることも大事なことであるらしい。ノイナは公爵家教育役の口頭審問を思い出していた。そんな役割があったのだとはその時にはわからなかったけれど。 だから自習室で机を囲む顔ぶれは同じではない。聖歌隊のメンバーも、良く別のグループに参加している。というより聖歌隊でまとまってしまうことの方が珍しいらしい。いつもはウェーラも、聖歌隊ではないグループと勉強していたりしたという。 「クラウディア様や、エウセピア様ともね」 彼女らの姿は少し離れた別の集まりの中にいる。「親友」ということなのだろうかとノイナは思う。 ノイナはこの「学院」で、公爵家のナディアとそうであったように、心を打ち明けあったりできるのだろうか、とも。 ウェーラは、ノイナに心を打ち明けてくれているのだろうかと、ふと思った。 今のウェーラは前とは様子が変わったような気がする。ウェーラは初めて相対した時から明るかった。良くしゃべったし、喋るだけでなく、ノイナの言うことをよく聞いてもくれた。だいたいのところはノイナが問う前に、ウェーラの側から不足なく聞かされていたのだけれど。 だからノイナはこの学院で、困ったことはほとんどなかった。洗濯やベッドメイキングのように、できると思っていたことがままならないようなことはあったけれど、どうしてよいか判らずに途方に暮れることはなかった。 多くのことはウェーラがさりげなく、時には笑い話を交えて手助けしてくれていた。 良い先輩に恵まれたと思って安心していた。 何かおかしい。 就寝時間が近づき、自習室をひけて、自室へ戻りながらノイナは思った。今はそう思える。何がということではなく、ただそう思える。就寝までの時の静けさすら気にかかる。 静かに着替え、それからノイナは振り返る。行わなければならないことがあるのなら、行うべき者が、自ら進んで行うべきだ。ノイナはそう教えられてきたし、それを正しきことと信じてもいた。 「ウェーラさま、よろしいですか」 はい、といつもの声でウェーラは応じ、それから振り向く。何か言いかけ、けれどウェーラは口をつぐむ。 「・・・・・・」 ウェーラは問い返すように小首をかしげる。ここの所のように、幾度もまたたきはしない。 「ここの所、お疲れのように見えました。急に黙り込まれたりされて、お加減よろしからずやと案じておりました」 ノイナは言う。ウェーラは、すこし驚いた風で、なぜかぱちぱちとまたたく。それからかぶりを振った。 それがウェーラのこたえなのだろうか。 「・・・・・・」 その先に、もう一歩踏み込んで聞くのが怖かった。 「・・・・・・もしかして、私が何か気に障るようなことしいたしましたか」 「そんなことない」 かぶりを振ってウェーラは言う。 「聖歌隊に入ってくれてうれしかったし、同い年だって聞いてうれしかったし、きっと仲良くなれると思ったの。ほんとうに」 ウェーラの緑の瞳が、ノイナを見つめ、それからそっと逸らされる。ウェーラはときどきそうしたし、そうしているときには少し困っているのもなんとなくわかった。 まばたきはないけれど、いつも通りのそれがあったとすれば、一つ、二つと行われただろう時が過ぎてゆく。 言うべきことがあるのならば言わねばならぬ者が言えと祖父は言った。それこそ外様にしてケイロニウス一門となった当家の役割であったのだと。 けれど、何を言えばよいのかわからない。 「・・・・・・ごめんなさい」 「ほんとうに、ほんとうだから」 「・・・・・・はい」 ようやくノイナはそううなずいた。 途中で考えてたことがすっとんで消えて忘れちゃったからえっらい苦労したんだが、 なんとか最初に考えたところに戻ってきたw でもこんなに重くするつもりは無かったんだけどなあw 長く書けば、長く書いた分の重みがオチにかかってきちゃうから、逆の意味でガクガクブルブルしてるんだけどw 次は若干暴走気味だが、いつものことなので生暖かくひとつ
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目次 1.二元論的世界観 2.光明一元のとらえ方 3.具体的勢力としての闇 4.闇を打ち破る方法 5.謙虚さの重要性 (1988年7月19日の霊示) 1.二元論的世界観 高橋信次です。引き続いてきょうも話をしています。 だんだん私もなんと言いますかねえ、よく出るんで歓迎されていないと申しますか、なんと申しますか、もうごく短期間でかたづけてくれと、よく言われはじめましてね。私の本作るなんてもう一日、二日ですよ、みなさん。もう突貫作業って言いますかなんて言いますかね。他の重要な神様だと一週間かかって録(と)らしてくれるんですが、私なんかもう一日、二日ですね。もう他の人詰まっているから早くやってくれ、もうシャーッとやってくれっていうような感じでね、言われているんですよ。つらいですねえ。まあもっともっと人気が出てほしいなあと思います。 それと、これは私のほうからお願いでねえ、これだけシリーズのなかで高橋信次ものを入れさしていただいているんですが、あんまり高橋信次ばかり出ると恥ずかしいわねえ、それはあるよね、著者として恥ずかしいっていうかね。高橋信次で食ってるんじゃねえかなんて言われたらいやだもんねえ。だからそれはわかるんだよね。だけど、私がこれだけやりたいやりたいと言うもんだからやらしてもらっているんだ。著者がひじょうに寛容なんでね、やらしてもらっているんですよ。 じっさいまあ勘ぐりする人がいて、高橋信次の名で商売しとるんじゃないかなんて勘ぐりもあるんでしょうが、実際は残念ながら高橋信次の霊言より理論書のほうが売れてるんですねえ。残念だけど理論書が売れて高橋信次の霊言、霊示集が連れ売れするというのが現状なんですね。これは私の口から説明しておきたいと思います。 それゆえに、私の本だけが異常に売れるのでいっぱい作ってるわけではありません。それは言っておきます。本人の意志ですね。私が霊として異常なまでにやりたがっているんですね。どうしてもやりたいんです。 なぜやりたいかっていうとね、まあいろんなとこで話したけど、私も九次元霊なんですね。みなさんなかなか信じられないでしょう。私のファンは信じるでしょうけども、ファンというのはありがたいもんでいつでもそんなもんですけれども。じゃあイエスやモーゼやブッダやねえ、孔子、こういう人がいるという世界に、ほんとうに十二年ほど前に死んだ高橋信次っていうのが行っとるのかどうかね、みなさん疑問に思いませんか。思わなかったら頭おかしいですよね、常識的に言えばね。そりゃあ高橋信次は偉いんだと、それはまあ弟子とか信者が信じるのはいいとして、一般的な日本人の頭脳からみてね、じゃあ高橋信次がほんとうにイエスや釈迦やモーゼや孔子というような歴史上の偉人だね、もうこれは値打ちの固まった偉人ですが、彼らとおんなじとこに行っているのかどうかって言ったら、そりゃ疑って当然だと私は思いますよ。 なぜ疑って当然かと言うと、生前GLAというところを創って、そして七、八年やりました。そして一時期何十万人かまでパッと増えましたが、死んだ後その団体もがタガタになったし、会員数ももう一万人いるかいないかわからないぐらいまで落ちこみましたね。日本には宗教団体は十八万くらいありますが、相当小さな団体にまでなりました。 こうしたものを見てもね、そんな九次元の大如来が出たとは思えないと言えるでしょう。たとえば創価学会が千七百万ねえ、立正佼成金八百万、霊友会四百万ねえ、天理教二百万、こちらのほうがよっぽど大きいですわね、だから中山みきさんのほうが高橋信次の二百倍ぐらい偉いんじゃないかなんて思うかもしれないね。まあこういうことがあります。 それはね、私も生前の悟りとしては九次元の悟りまで行っていましたが、仕事そのものですね、仕事そのものというのをとったときには、やはり九次元の大如来としては仕事は足りなかったという事実があるんですね。それだけの影響力をじゅうぶん駆使しえなかったということがあって、まあそれもこうした復活ということが用意されていたんで、ダブルで考えられているんですけどね。だからこの復活をして仕事を続けなければ私はほんとうに九次元霊として仕事したことにならないんですね、それゆえに、私は霊となって生前以上の仕事を絶対にしたいんです。なんとかこの自己実現をやりたいと思っているんで、そのへんをよくよくわかっていただきたいなあと思います。 結局なにが言いたいかというと、「二元論的世界観」なんです。二元論的世界観、つまりなんて言いますかね、私がこのようなみごとな復活をして喜んでいる人がいる半面、私が復活しても信じない、まゆつばだって言うような人がいるんですね。こういうことが現に私の復活ということを通しても起きますね。これほどむずかしいんです。もちろん二分法じゃなくて三分法、四分法といろいろ方法はあるでしょう。高橋信次の復活を信じる人、信じない人、どちらとも言えない人、これで三分法はできあがりですね。どちらとも言えないけど、信ずるほうに傾いている人と信じないほうに傾いている人、これで四分法のできあがりですね。これをもっと分けていくと、たとえば霊を信じる人と信じない人とに分けて、信じる人のなかで高橋信次の復活を信じる人信じない人、あるいはどちらでもない人、このようにでも分け方はあります。 このようにいろいろと分け方はありますが、いちばん基本的スタイルとしては信じるか信じないかということですね。神を信じるか信じないか、あるいは霊を信じるか信じないか、高級霊であると信じるか、信じないかというようにイエス・オア・ノーで考えるのが考え方の基本でもありますね。だから、こうした二元論的な発想というものが考え方の基礎にあるので、それゆえにたとえば善悪二元論というものが出てきやすいというところもあるんですね。 もし人間の発想が二元的になっていなくて、たとえば四元的、あるいは五元的、あるいは十元的な発想、十人十色というように、いつもある問題について論議されると十通りの答えが出るというような形式であれば、善悪の二元論というのはひじょうに出にくい状態にあると思います。けれども、人間の頭の理解のしかたはやはりイエス・オア・ノーで理解しやすいんですね。このようなことがあって、二元論的な世界観が支配的になっているんだと思います。ですから、他の星に行くと、もっと違った考え方ももちろんいくらでもあります。 2.光明一元のとらえ方 さて、こうした二元的なものの見方とある意味で対立しているように見えるのが、いわゆる「光明一元」の考えですね。「光一元」というような考え方が強烈に出されています。これは天之御中主之神(あめのみなかぬしのかみ)様のような方が中心になって出されています。 もちろんこれもわかるんですね。おそらくそれはそのとおりですね。ただ私は立場が違うという感じはするんですね。というのは光明一元、光一元を説いておられる方々は、自分の立場に立って言ってるんじゃないかなって感じがするんですね。つまり神様の世界にいて、神様の立場から見て光一元とおっしやっているように感じるんですね。だからその立場をどこに置くかっていう問題があると思います。地上の立場で見たらかならずしもそうとは言えないということですね。しかし、実在界の立場から見たらそのように言うこともできるということですね。 したがって、善悪二元論、光一元論というように対立したもののようにとらえるけれども、これはものを見ている立脚点、立場が違うんじゃないかと言ってもいいんだと思いますね。地上の人間から見たら、いろいろと価値観が分かれて対立しているように見えるけれども、神の世界から見たらもう光そのものであり、そして人間は神の子であるし、そうした世界の投影なんだから本来光一元なんだと、このように言えるということですね。だから立場の違いとして考えていいと思います。 ただ、現実の現時点における地上での感覚からいくとどうかと言うと、やっぱり二元論的なものの考え方がある程度幅をきかしていると言ってもいいし、現実にも妥当しているのではないかと思うわけです。霊界の世界といっても、まあ高次元世界は別としても四次元ぐらいまではこの二元論は妥当しているのではないかとこのように言えるんじゃないかと私は思うんですね。だから、どちらのほうがより人間の理解のためにはわかりやすいか、ということが言えると思うんです。 つまりね、光一元、光明一元と言っておれば、もう努力の余地が多少なくなるんじゃないかという感じが私はするんですね。ああそうですか、そのとおりですね、お説ごもっともですね、それでどうされるんですかって言ったら、いや輝いているだけだ。光っているだけだと言われたらもうどうしようもないですね。 ところが、私はやはり人間は人間としてある程度、主体性をもって努力して生きていくべきだと思うんですね。その主体性をもって努力していく人間のとりあえずの目標はなにかというと、人生を生きていく過程でいろんな出来事が起きるし、それに対していろんな思いが出てくるけれども、その思いおよび行動というものがね、ほんとうに神様の歓迎するような思いであり、行動であるのかどうかを一つ一つ点検していく生き方、これがやはりだいじなのではないかと思うんです。 そういうことですから、究極には光一元があるとしても、ただ出発点においてはやはり人間というものは正しい行ないもすればまちがった行ないもする傾向があるのだから、だからこそ正しい方向へ善導していく必要があるんだということですね。また、闇というものはもちろん積極的存在ではないけれども、善というもの、光というものをくっきりと浮かび上がらせるという、そうした素材としては消極的に存在が許されているのではないか、すなわち悪は善を伸ばすための素材としてありうるのではないかと、そのような感じもしないでもありません。 それゆえにね、九次元まで行ってまだ二元論言ってるのかという人もいるかもしれませんが、人間という視点から見たときにはどうしてもそうした考え方を取らざるをえない、と私は思うんですよ。だって現に私の霊言読んで、これを本物だという人と偽物だという人と二人いるんですね。二種類の人間が明らかにいるんです。ところが真実は一つですね。違いますか、みなさんどうでしょうか。これが高橋信次の霊示集かどうかね、これは真実は一つですよ。まあ本人が本人だと言っとるんだから私は正しいものだと思ってますが、しかし信じる人と信じない人と二種類いるでしょう。でも答えはどっちかなんですね。するとどっちかがまちがっているはずでしょう。違うでしょうか。正しいと言う人が合っているのならば、偽物だと言っている人はまちがっているわけですね。これは悪ですね。違いますか。そうでしょう。だから、イエス・オア・ノーがはっきり出るんですね。これはどうしようもないんです。 ただ、これを一元論的にとらえるとすれば、今私の霊言を認めていない人であっても将来的には認める可能性のある人なんだ、ただ気づくのが遅いだけなんだと。まあこのような考え方もあるでしょう。時間の流れというものを見たらそうした考え方もあるでしょう。そちらのほうがいいならいいということも言えるでしょうが、やっぱり会議でもなんでも結論を出すときは一定の時間のなかで出さなきゃいけないんでね、締め切りっていうものがあるわけです。だからこの締め切りという観点から見たときに、やはり善悪は出てくることはあると、このように考えてよいと思います。 3.具体的勢力としての闇 では、闇はそのように消極的な産物で、光の部分がまだ現われていないだけなのであるのかどうかという問題について、さらに話をしてみたいと思います。 たしかに、あらゆる霊には仏性が宿っているということは真実です。地獄にいる者たちであっても、その本質は神の子としての光を宿しています。これは事実です。なぜならば、彼らも反省ということを通して悟ることが許されているからです。そして、悟りによって天国に上がることが許されているからですね。その意味において、たしかにあらゆるものは仏性を含んでおり、善の芽生えを持っているということは言えるでしょう。しかし、今一歩現象論として見たときに、実際論として見たときに、闇の勢力というものがあるということも事実であります。 それはね、ある意味ではたとえば酔っ払って車の運転をしているような人たちかもしれません。彼らは酔っ払ってるからもう感覚がマヒしていますね。それゆえに、道路の右側を走ったり、人をはねたりすることがありますね。こうしたものはなにかっていうと、これはやはりひとつの悪の現象が出ているわけですね。本来まともな人間だからと言っても酒を飲んで暴走しているという現実がある場合、こうしたときにはこれをなんとかして阻止するのはこれは当然のことであると思うんですね。そうしないと、多くの人たちがますます傷つくことになり、苦しむことになるわけです。そうしたことがあるわけです。それゆえに、そのような一時的な姿ではあるし、迷える姿でもあるとは言えましょうが、闇というものが具体的勢力として出現していることも事実です。 現に多くの宗教団体を迷わしている悪霊群の存在、これは事実としてあります。そしていろんな人のところにとり入って、彼らを操っています。また、霊能力を持っていたり霊道を開いたりした人たちであっても、その心の状態が悪化すると、すなわちこの闇の勢力のとりこになっていくことが多いのです。自らの正しき心の探究ということを忘れて、自分は偉いんだというように増上慢になっていったときに、この心を舵(かじ)取る人がいなくなっていきます。そうして、こうした具体的勢力としての闇に支配されていくようになってゆくのです。 そしてこれは光の天使であっても阻止することがひじょうに困難であるのです。なぜならば、人間の心にはすでに説明したように、波長の原則というのがあります。つまり同じ波長の者どうしが引きあうという法則があるのです。それゆえに、地獄の悪魔たちの波長に合うような波長を出している人たちは、彼らのとりこになってゆかざるをえないのです。たとえ霊能者であっても、波らに私たちから通信が送れるかと言えば送ることができないでいるのです。 たとえば、今私は〇〇さんという方にこのような霊示を送っています。瞬時にコンタクトすることができ、送ることができますが、では〇〇さん以外の人に私が霊示を送れるかっていうと、送っても受け取ることができないんです。なぜ受け取ることができないかというと、九次元の波動を受け取るには九次元の波動を受けとるだけのアンテナがいるんです。その周波数に合ったアンテナがなければ、私たちがいっくら電波を発信してもそれを受け取ることはできないんです。 もしこれができるならば、歴史上の預言者は必要がなくなるんです。そうじゃないでしょうか、皆さん。旧約聖書の時代から預言者というものがいっぱい出てきました。なにゆえにですか。神の言葉を伝えるためにでしよう。違いますか。神の言葉を伝えるために、預言者という優れた人たちが出てきたんでしょう。そして、アンテナ役になって神の声を受け取り、それを人びとに伝えたんでしょう。たとえばエレミヤだってそうでしよう。エリヤだってそうでしょう。違いますか。そういうことですね。 したがって、過去預言者が続々出てきたということ自体が、神の声を伝えることができるのは選ばれた人であるということを意味しているのです。どのような意味において選ばれているかというと、ふつうの人ではそのキャッチができないということですね。キャッチできないんです。なにゆえにできないかというと、心の波長を整えることができないからなんです。 みなさん、電流はいったいなにに流れますか。電流を流すことができるのはそれは伝導体ですね。伝導性があるものだけです。たとえば、銅の線でふつうは電流がよく流れますね。銅線によく流れますが、この銅線に絶縁体をかぶせたら電流は流れると思いますか、みなさん、流れないでしょう。違いますか。そうですね。絶縁体をかぶせたら銅線にも流れなくなっていきます。同じように、地上に生きている人間というのは心がひじょうに三次元的波動に染まっているんです。そして、その心の曇りがちょうど銅線にかぶせた絶縁体のような役割を果たしていて、電流が流れなくなっているのです。この電流を流すためには、こうした精妙な波動を出せるところまで心を浄化しなければ無理なんです。 そして、高次元の霊の波動を受けるところまで心を浄化するということは、末法の世の中においてはひじょうにむずかしいことなんです。そのためには地上に生きている人間の努力もいりますが、やはりそれだけの大きな力量を特った人が出る必要も同時にあるのです。それだけの実力者が出なければ、なかなかそうしたことはできないという事実があるんですね。こうしたことを知っていただきたいと思います。この法則がじゅうぶんに理解できていないと、魔というのが人間にとり入ってきます。そして、霊能を持っているだけで、あるいは霊道を開いているというだけで高級霊から通信を受けたと称し、あるいは彼らとコンタクトができるということを称するようになって、そして迷わされていくことになるんです。 したがって、具体的勢力としての闇と戦ってゆくためには、この心を浄化させるということがひじょうにたいせつです。そして、彼ら高級霊の波動と同じ波動を出さなければ無理だということを知ってください。特に地上にいて怒りに燃えているような人、愚痴に燃えているような人、憎しみに燃えているような人に、八次元や九次元の如来の通信は絶対にできないということを、私は声を大にして言っておきたいと思います。 4.闇を打ち破る方法 さて、具体的な方法として、さらに闇を打ち破るためにはどうしたらよいのでしょうか。その方法はいったいどこにあるのでしょうか。これを考えてみたいと思います。 闇というちのも、人間的な視点から見たら実在するようにも見えるし、現に敵対するようなこともあるということを私は話をいたしました。この闇を打ち破る方法はね、ひじょうに困難な方法ではあるんです。またひじょうに遠回りな方法でもあるんです。しかし、それは確実な方法でもあります。闇を打ち破るのは力ではありません。それを打ち破るのは、忍耐のある愛なのです。 人をほんとうに善くしようと思ってじっと耐え忍びながら愛していくような力、こうしたジワジワと太陽の光のごとく雪を解かしてゆくような力、これが根本的に闇を打ち破っていく方法のひとつなんです。彼らをひっ捕らえてギロチンにかけるというような方法は、これはまた地獄のあり方なんですね。春の太陽がさんさんと射し始めて、根雪が少しずつ少しずつ解けて春の小川となって流れていくように、闇を打ち破る方法はじつは積極的なる方法というものではないのです。 みなさんは、あの北風と太陽の話をごぞんじでしょうか。旅人がコートを着て歩いているのを見て、北風と太陽がそのコートを脱がそうとして競いあうわけです。そして、まず北風が「私がこの力でもってビュンビュン吹いて吹いてすれば、あの旅人の着ているコートはすぐに吹き飛んでしまうよ」と、このようなことを言って北風がビュンビュンと吹きつけますが、そうすると旅人はどうしたかというと、これはたいへんな寒さだ、これでは凍えてしまうということで、しっかりとコートをおさえてしまい、コートをますます脱がなくなってしまったんです。そして、北風がいくらやってもダメたったわけです。 そこでとうとう北風もギブ・アップしまして、「太陽さん、ダメだったよ」とこう言いますねえ。では太陽が「じゃあ私がやってみようか」ということで乗り出してきます。北風は、太陽みたいなあんななまぬるいことで絶対コートなんか脱がせられないと思うんですが、太陽が出てきてニコニコニコニコしながら光を射していると、旅人はだんだんだんだん暑くなってきてポカポカポカポカしてきました。それでとうとう汗だくになってたまらなくなってコートを脱いでしまいました。北風は腕力でやろうとしてだめだった。太陽のやさしさに勝てなかった、という寓話ですね。 私はね、闇と闘うということも結局こういうことだと思いますよ。叩き潰すなんていう考え方は、北風ビュンビュン吹かしてコートを脱がそうとしたのと同じことですね。闇と闘うにあたっては、この太陽のようでなければいけないのです。すなわち、少しずつ少しずつ熱エネルギーを放射して暖かくしていくことです。そうしてコートをいつまでも着ていられなくするようにすることです。まあこうした方法論がいちばんだいじであると思います。ですから、きわめて回り道ではありますけど、結局それしかないんですね。 そして、自分自身のことを言うとするならば、自分自身はどうしたらいいかというとあのストーブの反射板かなんかのようにね、ピッカピッカに光っておいて、そしてストーブの光をはね返す、熱をはね返すことですね。そのようにしておけばいいんです。心のなかがいかに苦しくともね、いろんな批判を受けて傷つくようなことがあっても、心をつねにピッカピッカに磨いておくことです。そうすれば、いろんなものがみんなはね返っていきますね。そうしたものです。ですから、個人の努力としては自分の心を一生懸命光らすように努力すること、これがだいじです。そして、他を説得する方法としては、あの太陽のごとくジリジリと照りつけていくことですね。こうした方法がいちばんであると言えましょう。 5.謙虚さの重要性 さてここで、私は前にも言ったことがあると思いますが、「謙虚さの重要性」ということをもう一度くリ返しておきたいと思います。 いろんなところで神理を説いている人、教えを説いている人が多くいるでしょう。そうした人たちは、とにかく我こそ神理なりと居丈高(いたけだか)になりやすいのですね。これが神理だ、どうしても伝えなければいけない、世の人びとをめざめさせなければいけない、彼らの頭をたたいてでも目を覚まさせたいと、こうした気持ちでもってやるんですが、そうして魔と闘っているうちにね、いつの間にか逆に彼らの掌中(しょうちゅう)にはまってしまって、術中にはまってしまってとりこになっている人が多いんですね。心の窓を開いたときには高級霊の光を受けることができ、守護霊の声を聞くことができた人が、いつのまにか彼らの術中にはいっていくことが多いんです。 なぜかと言うと、まず霊道を開いたという経験によって非凡なものを経験することですね、これによって自分はまったく違った人間ではないのか、まったく別種の人間ではないのかという自覚が生まれてきます。そのうちそれが確信になってくるわけです。そうすると、「自分は決してまちがいをするはずもない。自分は人に頭を下げるような人間ではないのだ。世の人びとは自分の決めたことをとにかく鵜呑(うの)みにすればよいのだ」と考えるようになり、そして自分の考えを人びとに押し付けていくようになります。そして、それを受け入れない人に対してはサタンだというようになります。こうして、裁きというものを始めるようになってくるのです。 したがってね、どんな優れた人であっても、だんだんに人を裁く傾向が出てくるんですね。この人を裁く傾向が出てきたときに、これはひとつの危ない迷い道であるということを知らなくてはいけません。そうかんたんに偉くなってしまわないということがとてもだいじであると、私はそのように思います。 この方法はいったいどこにあるかと言うとね、やっぱり謙虚さだと思いますよ。謙虚に生きることですよ。「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」の心境でね、実れば実るほど頭を垂れていくということですよ。それとね、評判が上がれば上がるほどね、「まだまだこんなものでは本物ではない。自分はもっともっと基礎力をつけてじっくりと仕事をしなきゃいけない」という、こうした気持ちがだいじだと思います。 したがって、たとえば学校の生徒であれば、試験を受けてその点数がよければすぐ有頂天になるんじゃなくてね、よければよいほどね、ますます勝って兜(かぶと)の緒を締めよで、「これではいけない。こうした力はまだほんとうに自分の実力であるはずがない。もっともっとこれは勉強しなきゃいけない」という、こうした気持ちで努力していくことです。そこにほんとうの道が開けてくるんですよ。 だから私は正法行者たちに、宗教家たちに言いたい。謙虚な気持ちを持つことです。謙虚な気持ちを持つためには、ひとつには目標を高く持つことです。遠大な目標を持つことです。人類の悪がなくならない限り、自分の使命をまだ果たしていないと思うことです。さすれば自分ちそれほど不完全な人間であるならば、使命が果たせていない人間であるのならば、どうして他の人を裁くことができましょうか。他の人をダメだと言い切ることができましょうか。そのようなあったかい気持ちで生きていくということが、とてもとてもだいじなことであると私は思うのです。 何度も何度もくり返して言っておきます。どうか謙虚であっていただきたい。かりに過去世にあなたがなんであるということを聞いたとしても、あるいは今世においてあなたが大臣であろうが、どんな偉い方であろうが、どんな収入を持っているような方であろうが、しかしそうした外見の飾りがりっぱであればあるほど、ますます謙虚に生きていく、ほんとうの中身を創っていくという態度がだいじになってくるのです。自分だけが決してまちがわないとか、特殊な人間だとか、どうかこうした考え方を持たないようにしてください。そして、自分の仕事というものを、生き方というものを第三者の目で正しくみつめなおしてください。そこに、ほんとうに正法行者としての正しい生き方があると思うのです。