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ふたご座はこんな人 ふたご座生まれの人は、頭の回転が早く、いつも物事の裏の裏まで考えがちです。 かなりの自信家の側面もあるかもしれません。 好奇心旺盛で、特に人の心や考え方を見抜く能力にたけています。 またサービス精神もあり、雰囲気を盛り上げる気配りを忘れないので、誰からも愛されます。 日頃の好奇心が培った、センス抜群の会話や持って生まれたユーモアの感覚は、機知に富んだ会話や仕種とあわせて、一緒にいる人を退屈させることがありません。 人見知りやものおじすることも少なく、初対面の人でもすぐあなたの魅力に引き込まれてしまうでしょう。 あなたの機知に富んだ行動は、困った問題に直面した時にも発揮され、臨機応変に物事を処理して、要領良く困難を切り抜けることができます。 古い因習や感情的なこだわりとは無縁な人で、合理的な考え方のもとにその時最良の行動を素早くとれます。 そのため言動や行動をくつがえしやすい傾向もあります。一度決断をして行動しても、心の中には絶えず他の可能性や不安を抱いていて、いつも迷っていることもあります。 気紛れ、優柔不断と誤解されない注意が必要かも知れません。 ふたご座の住人 【黄緑】
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ふしぎじけんと解決方法 ふしぎじけんと解決方法ししまい ゆきのじょおう ファントム 寮のドア開けると自動的にふしぎじかんになり その時間が終わると不思議な事件が起こります。 ししまい 登場期間:1月2日~7日 登場場所:学校 必要なもの:おモチ もらえるもの:ししおどし 学校の機械室にいるししまいに話しかけると おモチが欲しいというのでおもちをあげよう ↓ クラスメイトをペアリングでここまで連れてきて 噛んでもらう。 ↓ 合計10回連れていく 人間の世界では… 疫病を追い払うために獅子頭を作り、正月に獅子舞を舞わせたのが始まりといわれていて 正月に頭を噛んでもらうと、悪霊退散、幸福がくるという 踊りを主流としていて中に人が入っている。 ゆきのじょおう 登場期間:2月23日~28日 登場場所:公園 必要なもの:ゆきのけっしょう、クリオネ、ダイヤモンド、エメラルド もらえるもの:ゆきのかべ お城でひめさまに ゆきのじょおうについての話を聞く ↓ 公園にいるゆきのじょおうに話しかけて ゆきのけっしょう、クリオネ、ダイヤモンドを渡す。 ↓次の日… 公園にいるので話しかけオーロラのおまじないを使い もう一度話しかける ↓ お城のひめさまに話しかける 人間の世界では… ゆきのじょおうという童話に登場する。 ずっーと北の、世界の北の果てに住んでいて 鏡を投げつけてくる。 鏡が目に入ると性格が一変する。 ファントム 登場期間:3月25日~31日 登場場所:イベントホール 必要なもの:なし もらえるもの:リアスピーカー PM7時~AM4時の間にイベントホールのファントムに会う。 ↓次の日 PM7時~AM4時の間にイベントホールに行き ファントムの問いかけに「はい」と答える。 ↓ ひめさまと歌の勝負!! 「かなしみをこえて」を歌い勝利する。 人間の世界では… 西欧における、亡霊・幽霊のこと。
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ニルスのふしぎな旅 キャラクター コメント スウェーデンの女流作家セルマ・ラーゲルレーヴが1906年に執筆した子ども向けの物語。原題は「ニルス・ホルゲションの素晴らしきスウェーデン旅行」の意。 キャラクター スワンナ:モルテン コメント 名前 コメント すべてのコメントを見る 草案 キャラクター ピクシーorグランブルorトゲキッス:ニルス 妖精に小人に変えられた→XYでフェアリータイプに変更 ゾロアーク:ズル -- (ユリス) 2018-02-24 16 49 09
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当ページでは、橋爪大三郎と大澤真幸による『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書)に記述されている、聖書に関して発言された部分での膨大な量の間違い・誤りを扱う。間違いだらけの「ふしぎなキリスト教」が容量オーバーになったため、聖書篇を分割して作成。 2012年7月18日現在、130個以上の誤りが挙げられているが、まだ未完成。なおこの誤りの数は明らかな誤りのみをカウントしたものであり、疑問符が山ほどつく「ふしぎなキリスト教」に挙げられている項目数は含まれていない。まだまだ対応出来て居ない間違いがあるため、今後さらにページを分割することも有り得る。 ※ 当ページ編集者は、「少しくらい間違っててもいいじゃないか」という価値観・感想には拠らない。 間違いの量が桁違いに多い(当ページにまとめている通り)。「少しくらい」のレベルを遥かに超えて居る。 理系ではそんな事は許されないが、文系でも同じ。真面目な文系研究者や読者に失礼。 関連する研究をしている人々の努力と業績を一切無視して講釈するのは、学者も、金を払っている一般読者も愚弄している。 p254 大澤「「西洋」を理解するというぼくらの目標」と言ってながら、実際には西洋で一般的な解釈を説明する内容ではなく「橋爪独自解釈」がだらだらと書かれているというのでは、宣伝文句に偽りがある。 ※ 本ページにおける「参考文献」は、学術論文に使用出来るレベルのものとは限らない。一般向けにアクセスし易い便によって選定されることもある。 間違いだらけの「ふしぎなキリスト教」 歴史篇(上記ページが容量オーバーになったため分割されたもの、以下同様) 聖書篇(新約その1) ・ (新約その2) 神学篇 他宗教篇(仏教・神道・イスラーム)(間違いだらけの惨状は他宗教の記述でも同様。これで比較が可能なのでしょうか?) 疑問符が山ほどつく「ふしぎなキリスト教」 「ふしぎなキリスト教」以外の良い入門書(あるんです!)紹介 (誠実な著者による良書からこそ学びましょう^^) 聖書についての間違い 目次 1 総論 2 旧約 3 新約その1 新約その2 総論 頁数 誤りのある記述の引用 正しくは 参考文献 p182 「「地獄」というものは、ありません。聖書には書いていない。火で焼かれる。」 「地獄は永遠か」という設問は古くからキリスト教で問われてきた問題ではあるし、「地獄」の意味についても諸説あるが、聖書には「地獄」の単語は書かれている(本当に聖書を読んだのか?)。訳語の問題はある。γέενναとᾍδηςにつき、正教会訳では両方「地獄」の漢字を当てるが(但しルビで訳し分けている)、他方、新改訳聖書はそれぞれ「ゲヘナ」「ハデス」と訳している(但し新改訳聖書を使用する諸教会が「地獄は無い」と主張しているわけではない)。橋爪氏は新改訳聖書しか読んでいないのかもしれないし、「『地獄』とは誤訳だ」と言いたいのかもしれない。しかしだとしたらきちんとそう言うべきだ。「聖書には無い」などと断言する前に、日本聖書協会訳の新共同訳聖書と口語訳聖書で検索をかけてみる事くらいは、学者としてやっておくべきではないか。 新共同訳聖書の「地獄」検索結果 口語訳聖書の「地獄」検索結果 p244, p246, p247 「まず聖霊は、使徒行伝に出てくる」(p. 244) 「でも、イエス・キリストはいなくて、代わりに聖霊がいる。ともかく、使徒行伝には聖霊の記述がある」(p. 246) 「なぜ聖霊が必要かというと、パウロの書簡を神の言葉(聖書)」にするためなんです」(p.247 彼の記述や論理だと聖霊が登場するのは使徒行伝が最初のようだが、使徒行伝が最初ではない。旧約では意見が分かれるが、ギリシャ語訳ユダヤ教聖書(いわゆる「70人訳聖書」)にも新約聖書と同じ単語で「聖霊αγιον πνευμα」が出てくる(詩51 13;イザ63 10,11;ダニ5 12;6 4etc)。(ヘブライ語からだと聖霊とは訳せないが。明らかに「聖霊」となる語を新約から探しても、「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。」(ルカ 1.35)、「民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。」(ルカ 3.21~22)「彼らに息を吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい』」(ヨハネ20.22)、その他ヨハネ14 15-17,26, 16 5-15など。ヨハネ14 15-17,26, 16 5-15 は助け手(パラクレーシス)たる聖霊の役割についても詳しく言及されている。聖霊のこの役割に触れないのも不可解。あるいは不勉強。 新共同訳聖書の「聖霊」検索結果 口語訳聖書の「聖霊」検索結果 p291 「聖書が成立したあと、公会議で聖書の読み方(学説)を決めたが、それも含めて聖書と考える」 そのような聖書の定義をしている教派は無い。公会議で定められた信条は聖書に収められていない。教会が聖書の正典を定めたことを指しているのだろうか?聖書につきカトリックでは旧約46巻・新約27巻、計73巻編成の文書を正典とし(ウルガタ訳聖書の影響)、正教では旧約49巻、新約27巻を正典とし(70人訳ギリシア語聖書)、プロテスタントは旧約39巻、新約27巻、計66巻を正典とする(旧約をマソラ本文のあるものに限定したため)。また、その他の正典を定める教派もある。しかし、正典の編纂と考えてもおかしい。なぜなら、プロテスタントは公会議で聖書の正典を定めたわけではないからである。カトリックは「聖書と聖伝」とし、プロテスタントは「聖書のみ」(聖書自身が聖書であることを証する限りにおいて)、正教は「聖伝は聖書を含む」と考えるが(聖書も公会議も聖伝の構成要素)、「公会議で聖書の読み方を決めた」教派は無いし、「公会議の内容も含めて聖書とする」教派も無い。 教え-聖書:日本正教会 The Orthodox Church in Japan Holy Scripture In The Orthodox Church "The Bible" Compiled by Father Demetrios Serfes CATHOLIC ENCYCLOPEDIA The Bible Canon of the Old Testament Canon of the New Testament 旧約 頁数 誤りのある記述の引用 正しくは 参考文献 p17 「『メシア』はヘブライ語で、救世主という意味」 ヘブライ語での意味は「油つけられし者」(「メシア」のギリシャ語訳である「キリスト」も同様の意味)。「ヘブライ語で」などと言わず、「メシアとは救世主を意味するようになった単語です。」などという説明であれば正解だったが。 CATHOLIC ENCYCLOPEDIA MessiahХристос(Краткий церковнославянский словарь) p29 「たとえば、王妃のイザベラがバアル神を拝んだので、預言者エリヤがバアルの祭司四百五十人を殺害した事件(『列王記上』18章)は有名です」 どうしてイゼベラだけを取り上げるのか、理解に苦しむ。『列王記上』16章31節によれば、王アハブが「進んでバアルに仕え、これにひれ伏した」とある。そもそも、エリヤが「バアルの祭司四百五十人」を殺したのはイザベラがバアル神を拝んだから、というまとめは、読解力の欠如を疑わせる。もっとも、「風が吹けば桶屋が儲かる」というような理屈を理解しろと言うのであれば、話は別であるが。なお、ここで橋爪氏は「バアルの祭司」という言葉を用いているが、正確には「預言者」である。55頁及び109頁に見られる誤り(下記参照)のため、つまり、自説に都合良くするためにバアルの預言者という言葉遣いを避けたのであろう。 列王記上16 31列王記上18章 p33 「さて、ヤハウェにどうやって仕えるか。(中略)第一は、儀式を行う。牛や羊などの犠牲を献げるのですね。犠牲の献げ方にもいろいろあるが、特にヤハウェに献げる場合には、「全焼の供儀」といって、黒焼きにした。」 動物だけが捧げ物ではない。まるで他の祭儀は神に捧げていないかのような口ぶりだが、灌祭(ブドウ酒を捧げる)も素祭(種なしパンを捧げる)も神に献げられるもの(祭司は分け前にあずかるだけ)。 レビ記「素祭」検索結果 民数記「灌祭」検索結果」 p49-50 「ニネベはアッシリアの首都で、そんな異教徒の国のど真ん中で、ヤハウェの言葉を伝えるなんて、自殺行為です。ヨナは嫌だから、反対の方向に向い船に乗った」 確かにヨナは神の言葉に従わなかった。しかし、ニネベで「ヤハウェの言葉を伝える」のが「自殺行為」で、それが嫌だから逃げた、とは、ヨナ書の1章にもどこにも書かれていない。むしろ、4章2節から、神の命令通りにニネベの人びとに神による災いを伝えても、神が思い直し、結果として自分の預言活動が無駄になることが嫌で逃げた、と考えられよう。 ヨナ1章ヨナ4 2 p50 「でも、沖合に出たら大嵐になって、『こいつのせいだ』と、ヨナは海にほうりこまれた」 ヨナ書の記述と異なる。ヨナは自分から申し出て海にほうりこまれたのである。 ヨナ1:12 p50 「ヨナはニネベが破壊されるのを楽しみにしていたのです」 ヨナは「ニネベが破壊されるのを楽しみにしていた」、とはどこにも書かれていない。神が思い直したのが腹立たしいのである。他の箇所でもそうであるが、橋爪氏は聖書を勝手に書き換え、自分の理屈に合うように読む傾向がある。 ヨナ4 2 p50 「ヤハウェは、いや、私は悔い改めたニネベが栄えるのを見るのがうれしい、と答える。」 あまりに元の文章からかけ離れている。元は「ましてわたしは十二万あまりの、右左をわきまえない人々と、あまたの家畜とのいるこの大きな町ニネベを、惜しまないでいられようか。」(口語訳聖書ヨナ書4 11)「栄える」も「うれしい」も書いておらず、疑問文。ヨナ書は神からのヨナへの問いかけであるこの疑問文で終わっている(聖書に、神からの問いかけ・疑問文に人がどう答えたかを敢えて書かないことで、読者自らが自分の答えを出すことを期待していると、教派によって解釈し得る箇所が時々出てくる。)。「惜しむ」という単語は、直前でヨナが日よけのとうごまの木が枯れたことを惜しんでいることと対応している。この文章が重要なのは、「異邦人の人々」に神の配慮が行き届く信仰内容が示されているにとどまらず、「家畜」という動物にまで神の配慮が行き届くことが示されてもいることにもある。これらの意義が全く抜け落ちてしまう橋爪氏の紹介文は、もはや国語でいう要約の態をなしていない。 口語訳聖書ヨナ書4 11"The Orthodox Study Bible Ancient Christianity Speaks to Today s World" p1023, Thomas Nelson Inc; annotated版 (2008/6/17) p53 橋爪「ヤハウェは、ノアに語りかける。神の声を聞いたノアは、預言者みたいなものですが、ノアの一族以外の人びとは洪水で全滅していますから、人類の一部分に語りかけたわけではない。ノアの子孫が地上に拡がったあと、ヤハウェは今度は、アブラハムに語りかけた。人類の一部に語りかけたというのは、アブラハムが最初でしょ?」大澤「言われてみると確かにそうですね。」橋爪「これが、イスラエルの民(のちのユダヤ民族)の出発点になる。」 創世記4 6で、神はカインに語りかけている。さらにノアについても、まだ洪水の起きる前に話しかけているから(創世記6 13)、やはり「一部に」語りかけている。口語訳聖書で15頁にも満たない創世記の冒頭部分すら、橋爪氏も大澤氏も碌にチェックしていない。ちなみに「語りかけられた」だけでは神の民の出発点にはならないことは、カインがその後どうなったかを見れば明らか。こうして橋爪氏と大澤は、既に出発点の意義から、テーマとなっている一民族について理解していない。 創世記4 6創世記6 13 p54 「イスラエルの民は…エジプトに移り…人数が増えて六十万人にもなった。それが、モーセに率いられて、エジプトを脱出した」 正確には、エジプトを脱出した「一行は、妻子を別にして、壮年男子だけでおよそ六十万人であった。そのほか、種々雑多な人々もこれに加わった」のである(出エ12 37。更に民11 21参照)。 出エジプト記12章37節民数記11章21節 p55 「モーセのあとにも、預言者が大勢現れ、ヤハウエはイスラエルの民に語りかけ続ける。アブラハムの子孫以外には、預言者が現れない。この意味で、彼らは、神に選ばれた民族なのです」 ユダヤ人以外でヤハウェから語りかけられた預言者として、バラムがいるので、誤り。 民数記22、23、24章 p68 「『ヨブ記』は、さっきの『ヨナ書』と同じく旧約聖書の「諸書」の一つです」 『ヨブ記』が「諸書」の一つであることは正しいが、『ヨナ書』は「後の預言者」に分類される。 和田幹男 プロテスタントとカトリックにおける旧約正典の比較 p69 「(ヨブは)友達もなくしてしまった」 批判した相手は友達ではない、と考えているのだろうか。個人的にそのように考えて振る舞うのは勝手だが、ヨブ記にあてはめるべきではない。ヨブを批判した三人が批判し終わった後でもヨブにとっては友人であり続けた、と考えられていることは、42章10節「ヨブが友人たちのために祈った」から明らか。 ヨブ42 10 p69 「わしはリヴァイアサンを鉤で引っかけて、やっつけたんだぞ。ビヒモス(ベヘモット)も退治した」 ヨブ記で神はそのようなことは言ってはいない。誰がリヴァイアサンを鉤で引っかけられるか」、「お前ヨブはベヘモットを捕らえられるか」とは語っているが。尤も、橋爪氏がヘブライ語からそのように読めると主張するのであれば話は別であるが(ヘブライ語からそのように理解するのは大変難しいが) ヨブ40章 p69 「ヤハウェも、ちょっとやりすぎたかなと反省した」 そのようなことはどこにも書かれていない。 (各自ヨブ記を読まれたし) p75 「エデンの園には、食べ物が十分にあって、働かなくていい」 創世記2章15節に「主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた」とあるが、この「耕し」はヘブライ語で「働く」を意味する単語である(LXXでも同様)。エデンの園でも人間は働いていたのである。 創世記2章15節ヘブライ語版創世記ギリシャ語版創世記 p75 「この二つの樹の実を食べてはいけないよ、それ以外の実は食べてもいいけど、と言い置いて、神様は(楽園から)出て行ってしまうわけです。」 どこに「出て行った」というのか?そのようなことはどこにも書かれていない。「最強のキリスト教入門書」を謳うなら、聖書に書いていない橋爪氏による創作物語ではなく、(同箇所は短い文章なのだし)聖書をそのまま引用すべきだろう。なお橋爪氏は他の箇所でも「神が留守」「神が出て行った」という表現をしており、「瑣末な間違い」ではなく、橋爪氏の一貫した誤解であることが判る。→下記p76と、間違いだらけの「ふしぎなキリスト教」(神学篇)(p312) 創世記2章参照創世記3章9節「あなたはどこにいるのか」の注解 p76 「で、神の留守に、蛇が出てくる。蛇はサタン。反対者ですね。イブに「知恵の実を食べてみないか、きっとおいしいよ」とそそのかす。」 「神の留守」「食べてみないかとそそのかす」そのようなことはどこにも書かれていない。蛇の誘惑はより狡猾なものであった。イブは自らの意思で食べたのである。またイブに勧められたアダムも、自分の意思で食べている。蛇は「食べたらどうだ」とは言っていない。この後、神からの問いかけに対して人が責任転嫁を行っていることが、神の前に罪を犯した人間の好ましくない有り様であると捉えることが、殊に正教会、カトリック教会における重要な告解理解に繋がるのであって、瑣末な間違いではない。ここも、「最強のキリスト教入門書」を謳うなら、聖書に書いていない橋爪氏による創作物語ではなく、(同箇所は短い文章なのだし)聖書をそのまま引用すべきだろう。なおここから先は「細かい間違い」かもしれないが、橋爪氏は「蛇はサタン。」と述べているが、そう捉えない教派・解釈例もあるので、特定教派もしくは特定思潮の立場をとらない書籍において簡単に断言してしまうのは、厳密には不適当もしくは偏向である。 創世記3章参照『旧約聖書略解』p14, 日本基督教団出版局, 1986年5月10日 40版"The Orthodox Study Bible Ancient Christianity Speaks to Today s World" p6, p8, Thomas Nelson Inc; annotated版 (2008/6/17) p80 大澤「だいたい、理由も言わずにただ」知恵の樹と生命の樹の実を「『食べてはいけない』なんて言われたら」(橋爪氏、これを否定せず) 理由は神によって語られている。「食べると必ず死んでしまう」からである(創世記2章17節及び3章3節参照) 創世記2章17節 3章3節 p84 大澤「ところが神については、逆で、『俺は神を見た』と言ってしまえば、それはほんものの神ではなくて、偶像になってしまいます。神に関しては、その存在を確認するうえでのあらゆる方法が禁じられている。預言者でさえも、たとえばモーセでさえも神をまともに見ていない」(橋爪氏、これを否定せず) 大澤氏が念頭に置いている聖書箇所は恐らく出エジプト記33章20節以下及びヨハネの福音書1書18節、ヨハネの手紙一4章12節などであろう。なるほど、出エジプト記33章20節には「人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである」(新共同訳)とあり、モーセが見れたのは神の後ろ姿だけであったと述べられている。しかし、大澤氏(と恐らく橋爪氏)は出エジプト記33章11節に「主は人がその友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られた」とあることも、更に同書24章9節以下でモーセのみならず「アロン、ナダブ、アビフおよびイスラエルの七十人の長老」がイスラエルの神を見たと語られていることも無視している。更に言えば、創世記32章31節でヤコブも神を見たと語られている。士師記13章22節では、マノアとその妻が「神を見てしまった」ことが語られている(尤も、神とマノアが呼ぶ存在は、地の文では「神の御使い」と呼ばれているが)。案外と神を見た人間はいるのである。 出エジプト記33章11節以下、同24章9節以下、創世記32章31節、士師記13章22節 p93 「(契約の)箱には、金属の輪が四隅について、棒を通して担げるようになっている。その構造の詳しい説明が、旧約聖書の『レビ記』に載っています」 契約の箱の構造について詳しい説明があるのは、『レビ記』ではなく、『出エジプト記』の25章10節以下である。なお、どの刷からかは不明であるが、『出エジプト記』と修正されていることを付記しておこう。なるほど、誤った情報が正しい情報に訂正されたのは喜ばしいことではあるが、版を改めるではなく内容を修正するというのは、業界の慣習かもしれないが、問題であると思われる(これは著者にではなく、講談社に対する批判)。 出エジプト記25章 p100 「サラが亡くなったとき、墓地が必要になって、ブドウ畑の隅っこでいいから売って下さいと、(アブラハムは)地元民に交渉するのですが、なかなか売ってくれない。」「寄留民の土地所有は認められていなくて、墓地なら例外的に取得できたのです。ヤハウェに約束の地を与えられたというものの、実態はこんなものだった。そうやって苦労のすえ墓地を手に入れたと、いかにも自慢そうに『創世記』は記しています。」 そのようなことは創世記に書かれていない。むしろ「じゅうぶんな対価を払って」購入を希望するアブラハムに対し、地元民(ヘテびとエフロン)は「わたしはあの畑をあなたにさしあげます」と提案している(23章11節)。それに対してアブラハムは「代価を払います」と述べ、無償で譲渡されることを断わっている。そこでエフロンは畑の価格を「銀400シケル」と述べるが、ここでもエフロンは「売ります」とは言っておらず、とにかく「あなたの死人を葬りなさい」とだけ言っている。これに対し、アブラハムはエフロンに対して銀400シケルを量って渡し、無償譲渡の申し出を断って購入している。「『創世記』にはこう書かれているが、実態は某説によればこんなものだったろう」といった言い方なら場合によっては成立するかもしれないが、結局「自慢そうに『創世記』は記しています。」の文言で、単純な誤りになってしまった。他の個所でも同種の傾向を有するものがあるが、「アブラハムの寄留民としての実態はこんなもの」という橋爪氏の考える結論がまず先にあり、その結論に合わせて前提となる事実(記述内容)が捻じ曲げられているのが、この誤りの本質的問題である。 創世記23章 p109 「預言者。これは一神教にしか、考えられない存在です」 所謂「多神教」にも預言者がいたとは、たとえば列王記上18章などに明記されている(「バアルの預言者」「アシェラの預言者」)。なお、「バアルの預言者」「アシェラの預言者」という表現の「預言者」に当たるヘブライ語名詞は、ヤハウェの「預言者」を指す際に用いられるのと同じものである。 バアルの預言者アシェラの預言者 p146 『列王記下』4章42~44節では、エリシャが「わずかな食糧で」「百人を満腹させた」奇跡が語られていると橋爪氏は語る。 満腹したとは書かれておらず、「食べ残した」と書かれている。なるほど、満腹したから食べ残したのであろうが、エリシャの奇蹟はイエスの奇蹟との関連で言及されており、そのイエスの奇蹟では、人びとが食べ残した点に強調点が置かれている記事もあるのだから、正確に語るべきである。 列王記下4:43、44節及びマルコ8:19-21参照 p151 「イエスは、預言者として、活動した。預言者だと思った人が大勢いた。だから、「エリヤの再来」と言われたのです。ちなみに、預言者エリヤは、生きたまま天に上げられたと信じられたので(『列王記下』2章11節)、再来してもおかしくない」。 イエスは預言者と考えられていた、というのは福音書に記されているので(マルコ6章15節、8章28節等)、イエスを預言者と考えた人びとが実際にいたかもしれない。しかし、イエスは預言者として活動した、「だから」、エリヤの再来と言われた、という言葉は、「再来のエリヤ」思想を無視していると思われる。イエスをイザヤでもなくサムエルでもなくエリヤだとする考えの背後には、終末の直前にエリヤが再来するという思想があるからである(マラキ書3章1、23-24節、シラ書48章10節)。つまり、イエスは終末の接近を告知しており、それが終末直前に再来するエリヤという伝承を思い出させた、だからイエスを再来のエリヤと同一視した人がいた、と考えられるのである。預言者として活動したからではない。 マルコ6:158:28等マラキ3:1、23-24シラ48:10 p153p167 「イエス・キリストは『神の子』だ、という考え方です。…これはもう、ユダヤ教の考え方ではない」「ユダヤ教には、…神の子という考え方はなかったと思う」 創世記6章2、4節、詩篇28章1節、知恵の書2章18節、5章5節、18章13節に「神の子」という表現が見られる。従って、イエスが神の子であるという主張はユダヤ教の考え方であってもよく、仮に問題があるとすれば、ユダヤ教の観点からイエスが神の子と言えるかどうかであろう。 新共同訳聖書「神の子」検索結果 p158 大澤「(人の子の)もうひとつのとらえ方として、聖書学の田川建三さんが次のようなことを書いていました」 この後に大澤氏が語るアラム語での「人の子」理解は、『イエスという男』(三一書房、1980年、333頁)からのものであり(引用元を書かないのは問題である)、田川氏の本からの要約引用にそれほど間違いは無い。しかし、田川氏は自身の「人の子」理解を「主としてC・コルペによる」と明記しているのだから、大澤氏はこの点まで引用しておく、あるいはC・コルペの研究に目を通し、C・コルペ氏の主張と語るべきであろう。 田川建三『イエスという男』三一書房、1980年 p158-9 大澤「『人の子』と言えばメシアのことだなというのは、当時のユダヤ教に精通している人たちには通じたんだと思うんですね。…、もちろんイエスは旧約聖書に精通しているわけだから、『人の子』と言えば、旧約聖書に由来する救世主という含みももちうることがわかっていたはずです」 「人の子」はイエスの生前のユダヤ教においてメシア的称号であったという学説に対しては、様々な批判が寄せられていることを考えれば、このように簡単には言えない。尤も、本書が新書であること、そして大澤氏も橋爪氏も聖書学者ではないことを考えれば、このような単純化はしょうがないかもしれない。 上村静「メシア的称号としての『人の子』の起源」『イエス―人と神と』関東神学ゼミナール、2005年、pp105-135 p188 「動物もひとつがいずつ箱舟に乗り込んで、助かった」 創世記7章3節に従って正確に言えば、「清い動物」は七つがいずつ、清くない動物は一つがいずつである 創世記7:3 p228 「カインは…弟のアベルを…刺し殺してしまった」 これは創世記4章8節のことであるが、そこでは「刺し殺した」とは書いていない。 創世記4:8 新約 当ページが容量オーバーになったため、別ページに分割→間違いだらけの「ふしぎなキリスト教」(新約聖書篇)を参照 外部リンク 間違いだらけの『ふしぎなキリスト教』とそれを評価する傾向につき 誤りと誤解と偏見に満ちている本, 2011/7/13 映画瓦版の読書日誌 ふしぎなキリスト教 橋爪大三郎×大澤真幸『ふしぎなキリスト教』に対する批判まとめ一覧 - Togetter 橋爪大三郎×大澤真幸『ふしぎなキリスト教』に対する批判100- Togetter 最新 橋爪大三郎×大澤真幸『ふしぎなキリスト教』に対する批判1 - Togetter(2以降と別のまとめ製作者によるもの) 橋爪大三郎×大澤真幸『ふしぎなキリスト教』に対する批判2 - Togetter(2以降のまとめの始まり)
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当ページでは、橋爪大三郎と大澤真幸による『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書)に記述されている、聖書に関して発言された部分での膨大な量の間違い・誤りを扱う。間違いだらけの「ふしぎなキリスト教」が容量オーバーになったため、聖書篇を分割して作成。 2012年7月18日現在、130個以上の誤りが挙げられているが、まだ未完成。なおこの誤りの数は明らかな誤りのみをカウントしたものであり、疑問符が山ほどつく「ふしぎなキリスト教」に挙げられている項目数は含まれていない。まだまだ対応出来て居ない間違いがあるため、今後さらにページを分割することも有り得る。 ※ 当ページ編集者は、「少しくらい間違っててもいいじゃないか」という価値観・感想には拠らない。 間違いの量が桁違いに多い(当ページにまとめている通り)。「少しくらい」のレベルを遥かに超えて居る。 理系ではそんな事は許されないが、文系でも同じ。真面目な文系研究者や読者に失礼。 関連する研究をしている人々の努力と業績を一切無視して講釈するのは、学者も、金を払っている一般読者も愚弄している。 p254 大澤「「西洋」を理解するというぼくらの目標」と言ってながら、実際には西洋で一般的な解釈を説明する内容ではなく「橋爪独自解釈」がだらだらと書かれているというのでは、宣伝文句に偽りがある。 ※ 本ページにおける「参考文献」は、学術論文に使用出来るレベルのものとは限らない。一般向けにアクセスし易い便によって選定されることもある。 間違いだらけの「ふしぎなキリスト教」 歴史篇(上記ページが容量オーバーになったため分割されたもの、以下同様) 聖書篇(総合・旧約) 聖書篇(新約その1) 神学篇 他宗教篇(仏教・神道・イスラーム)(間違いだらけの惨状は他宗教の記述でも同様。これで比較が可能なのでしょうか?) 聖書についての間違い 目次 1 総論 2 旧約 3 新約その1 新約その2 新約その2 (その1はこちら) 頁数 誤りのある記述の引用 正しくは 参考文献 p208 「福音とは、これを聞いている人は救われるという意味です」 「福音」とは元来、「良い知らせを持って来た使者に与えられるほうび」あるいは「そのような良い知らせを受けた時、神々にささげる供え物」あるいは「良い知らせそのもの」のことであり、それが所謂キリスト者によって、イエスが伝えたメッセージあるいはイエスに関するメッセージを指すために用いられるようになった。福音を聞いた結果救われる、と考えるキリスト者がいることは事実であるが、福音の意味は「これを聞いている人は救われるという意味」ではない。 W・バークレー『新約聖書のギリシア語』滝沢陽一訳、日本キリスト教団出版局、2009年、108頁以下 p231 「十二人も直接の弟子がいた」 「十二人も」と言うが、この十二人は数多いるイエスの弟子の中から選ばれたのであって(ルカ福音書6章12節では、はっきりとこう書かれている)、つまりイエスの弟子は十二人だけに限られない、と考えるのが適切であろう。例えば、ルカ福音書10章1節でイエスは十二人の「ほかに七十二人を任命し」とある。その他、十二人以外の弟子が現れる個所は福音書に多数ある。にも拘らず、イエスの弟子が12人だけというのが史実で、弟子が沢山いたという記事が史実を反映していないというならば、証拠を挙げて論じるべきであろう。 参考として、ルカ福音書において「弟子」が現れる個所 p232 「あるとき、パウロは、馬に乗ってエルサレムからダマスコに移動する最中、突然、イエス・キリストに『会って』しまう。目が視えなくなって馬から転がり落ちた」 パウロの所謂「回心」(或は「召命」)の物語は、使徒言行録9章1節以下、22章6節以下、26章12節以下に記されているが、「馬に乗って」いたとも、「馬から転がり落ちた」とも書かれていない。尤も、この場面を描く絵画等で馬から落馬しているパウロがしばしば描かれることから、古来よりそのように考えられていた、ということは指摘しておこう。しかし、パウロがダマスコ途上で復活のイエスを見ただろうことはほぼ確かだろうが(ガラ1:16-18参照)、この使徒言行録に収められている形でのパウロの回心/召命物語は、後代の創作である可能性が非常に高い、と一般に考えられているが、それはパウロ自身がこの出来事について詳細に語っていないからである。この点もここで指摘しておきたい。 使徒9章使徒22章使徒26章 p233 「パウロがなぜ手紙を書いたかというと、布教活動をしている最中に、拘禁状態になって、自由がなくなったんですけど、ローマの市民権を持っていたので、手紙が書けた。で、手紙をたくさん書いた。それがいくつか残っているのです。」 パウロの真正書簡の内、彼が獄中で書いた書簡、所謂「獄中書簡」は、『フィリピの信徒への手紙』と『フィレモンへの手紙』のみである。パウロは拘禁されていない時にも手紙を書いている。 サンパウロホームページ p234 「まず、十二人の弟子の能力があまりに低かった。ユダは、金銭の管理もまかされているし、ほかの連中よりも学があった。と言うか、他の連中は学がなさすぎた。シモン(ペテロ)がいちおう弟子たちのリーダーということになっているが、漁師とか、まあふつうの人びとですね」 何を根拠にこのように言っているのか、不明である。聖書ではシモン(とその兄弟アンデレ、そしてゼベダイの子ヤコブとヨハネ)が漁師であることは語られているが、その「能力」がどの程度であったかは語られていない。またマタイは徴税人であったのだから、金銭の計算には一定程度の職能を有していたと思われる。シモンが漁師であることに言及して「十二人はふつうの人びと」で、だから「能力があまりに低かった」と言う橋爪氏の主張は、職業差別ではないだろうか。 教皇ベネディクト十六世の55回目の一般謁見演説教皇ベネディクト十六世の64回目の一般謁見演説 p238 「キリスト教徒は扉を閉めてこっそり祈る。いつ祈るかは個人の勝手でわからない、というふうになっていました」 キリスト教の初期において、迫害を恐れたために扉を閉めてこっそり祈る人々もいただろう。しかし、「いつ祈るか」が「個人の勝手」とは意味不明である。これはキリスト者は個々人が自分の都合に合わせて祈っていた、という意味か。この想定が正しいとするならば、橋爪氏は、キリスト者は扉を閉めてこっそりと隠れて、それぞれの都合に合わせて祈っていたから、祈りの様子はおろか祈っているかどうかも分からない、と言いたいのだろう。しかしこれは誤りである。個人で祈ることももちろんあったが、初期の教会でも現在と同様に、集団での祈りがあったことは、例えばコリントの信徒への手紙一14章1節以下、使徒言行録1章14節に記されているし、祈っていることがキリスト者以外にも伝わることもあったことは、使徒言行録16章25節に記されているからである。なるほど、使徒言行録は史実を語っているとは言えないかもしれない。しかし、使徒言行録はまったくのフィクションではなく、ある程度史実を反映しているとも言えるだろうから、全くの間違いとして退けることもできまい。そもそも、使徒言行録がまったくのフィクションであり史実を反映していない、という見解は少数意見である。使徒言行録が史実に忠実ではない、ということと、史実を反映していない、ということは別問題である。 使徒1:14使徒16 25 p245 「イエス・キリストが出番を終わって退場したあと、もう預言者が現れることはできない。預言者は、イエス・キリストの出現を預言していたわけで、もう用済みだ」 「イエス・キリストが出番を終わって退場したあと」のパウロの時代にもまだ預言者が教会にいたことが、そして重視されていたことが『コリントの信徒への手紙一』12章28節以下から明らかである 『コリントの信徒への手紙一』に現れる預言者 p245-6 「聖霊がルートを変えなさいと教えてくれた。これはパウロの第六感かもしれないし、パウロが関わっていた諜報機関の友人が情報をこっそり教えてくれたのかもしれない。こうしたはたらきがみな、聖霊です」 第六感が聖霊の働き、と言うのであればまだ分かるが、「パウロが関わっていた諜報機関の友人が情報をこっそり教えてくれた」のを聖霊の働き、というのは理解に苦しむ。これは人間の働きであろう。聖霊が「諜報機関の友人」に働きかけて、パウロに教えてくれた、という意味であると言うことか?それでは言葉が足りない。そもそも、パウロが関わっていた諜報機関とは意味不明であり、新約聖書にはそんな機関はどこにも書かれていない。 p246 「信徒が集まっているところには、私もいると思いなさい、とイエス・キリストが語っていた。でも、イエス・キリストはいなくて、代わりに聖霊がいる」 根拠不明。橋爪氏が語っているのはマタイ福音書18章20節であるが、ここの前後にもマタイ福音書の全てを見ても、「イエス・キリストはいなくて、代わりに聖霊がいる」、とは一言も語られていない。自説に都合の良いように聖書を書き換えてはいけない。 マタイ福音書18章20節 p247 「パウロは…復活のイエスとも会っていない。旅の途中で幻をみただけ」 例えばパウロは『コリントの信徒への手紙一』15章8節で、キリストが自分に現れた、とはっきりと語っている。 『コリントの信徒への手紙一』15章8節 p343 掲載されている主の祈りの「最終行(編者注。マタイ福音書では6章13節)は福音書にない、付加部分」 福音書にないのではなく、後代の付加である、というのが正しい。そもそも橋爪氏は日本語の主の祈りに続けてKJVのマタイ福音書6章9節以下の主の祈りを引用しているが、そこには「福音書にない、付加部分」と橋爪氏が呼ぶ個所が記されている("For thine is the kingdom, and the power, and the glory, for ever. Amen")。これを橋爪氏あるいは大澤氏はどのように説明するのか。KJVに含まれているマタイ福音書は福音書ではない、と主張するのか。この橋爪氏あるいは大澤氏の説明を敷衍して考えると、KJVだけでなく、同様の箇所を含むルター訳聖書などのマタイ福音書も福音書ではないことになり、日本語の聖書の新改訳聖書などのマタイ福音書も福音書ではないことになる。 KJV版マタイ福音書 外部リンク 間違いだらけの『ふしぎなキリスト教』とそれを評価する傾向につき 誤りと誤解と偏見に満ちている本, 2011/7/13 映画瓦版の読書日誌 ふしぎなキリスト教 橋爪大三郎×大澤真幸『ふしぎなキリスト教』に対する批判まとめ一覧 - Togetter 橋爪大三郎×大澤真幸『ふしぎなキリスト教』に対する批判100- Togetter 最新 橋爪大三郎×大澤真幸『ふしぎなキリスト教』に対する批判1 - Togetter(2以降と別のまとめ製作者によるもの) 橋爪大三郎×大澤真幸『ふしぎなキリスト教』に対する批判2 - Togetter(2以降のまとめの始まり)
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【タイトル一覧】 ふしぎ遊戯 玄武開伝外伝 鏡の巫女 ふしぎ遊戯 朱雀異聞 ふしぎ遊戯 玄武開伝外伝 鏡の巫女 ふしぎ遊戯 玄武開伝外伝 鏡の巫女 ふしぎ遊戯DS ※『ふしぎ遊戯 玄武開伝外伝 鏡の巫女』と『ふしぎ遊戯 朱雀異聞』を一本にまとめたDS版タイトル。 簡易紹介 漫画『ふしぎ遊戯 玄武開伝』のゲーム化作品。 プレイヤーは、謎の鏡を通じて四神天地の世界に入り込んでしまったゲームオリジナルキャラクターとなり 原作主人公の多喜子や玄武七星士と行動を共にすることになる。 PS2版→PSP版の変更点 主人公の名前が固定から変更可能になった 新規スチルがおまけで閲覧可能 新ムービーの追加 データ 公式サイト PS2版製品情報、PSP版製品情報、DS版 発売元 アイディアファクトリー 開発元 デザインファクトリー ジャンル 恋愛アドベンチャー 対応機種 PlayStation2、PSP、DS 発売日 PS2版:2005年6月23日、PSP版:2006年9月28日DS版:2009年6月25日 価格(税込) PS2通常版:7140円、PS2限定版:9240円、PSP版:5040円DS通常版:5040円、DS限定版:7140円 廉価版 PS2版が2008年5月29日に2940円で発売 原作(漫画) 渡瀬悠宇 キャラクターデザイン カズキヨネ シナリオライター 音声量 攻略対象キャラのみフルボイス 主人公 小林麻理子(声:なし)※PS2版は名前固定。PSP版は名前変更可能 攻略対象 望月匠(声:野島裕史)女宿(声:櫻井孝宏、長沢美樹)虚宿(声:岩永哲哉)斗宿(声:檜山修之)紫義(声:福山潤)修羅(声:岡野浩介) 備考 CERO:B 該当するキーワード 版権もの、ファンタジー世界、異世界トリップ、共通部分多戦闘あり(玄武のみ) 関連リンク ふしぎ遊戯 玄武開伝 - Wikipedia ふしぎ遊戯 朱雀異聞 ふしぎ遊戯 朱雀異聞 ふしぎ遊戯DS ※『ふしぎ遊戯 玄武開伝外伝 鏡の巫女』と『ふしぎ遊戯 朱雀異聞』を一本にまとめたDS版タイトル。 簡易紹介 漫画『ふしぎ遊戯』(朱雀・青龍編)のゲーム化作品。 原作のストーリーをベースにしているが、主人公と親友のみ、原作の夕城美朱と本郷唯から 鳳まどかと氷室美咲というゲームオリジナルキャラクターに置き換えられている。 鬼宿以外との恋や、原作で助けられなかったキャラの運命を変えることが可能。 データ 公式サイト PS2版製品情報、DS版 発売元 アイディアファクトリー 開発元 デザインファクトリー ジャンル 女性向け恋愛AVG 対応機種 PlayStation2、DS 発売日 PS2版:2008年5月29日、DS版:2009年6月25日 価格(税込) PS2通常版:7140円、PS2限定版:9240円DS通常版:5040円、DS限定版:7140円 廉価版 なし 原作(漫画) 渡瀬悠宇 キャラクターデザイン シナリオライター 音声量 主人公 鳳まどか(声:なし) ※名前変更可能 攻略対象 鬼宿(声:宮野真守)星宿(声:小西克幸)柳宿(声:皆川純子)井宿(声:宮田幸季)翼宿(声:鳥海浩輔)軫宿(声:三宅健太)張宿(声:木村亜希子) 備考 CERO:B 該当するキーワード 版権もの、ファンタジー世界、異世界トリップ 関連リンク ふしぎ遊戯 - Wikipedia 上へ
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ネタポケwikiで作成した者ですが追加加筆しました。 -- (名無しさん) 2010-09-03 21 23 50 プーモは外見がアグノムに似ていると思いました。 -- (名無しさん) 2012-12-15 11 51 08 XY発売後はカエンジシでリオーネはどうですか?ポニーテールですし。 -- (ジャイポ) 2013-10-09 20 31 44 草案 その他 エンペルト:ローマン オノノクス:レジーナ ミミロップ:ミーア ムウマージ:チューバ -- (ユリス) 2013-10-10 08 16 28 ・眠りの妖精:エルフーン くさぶえでどんどん相手を眠らせよう。 ハイパーボイスやばくおんぱをくらったら逃げること。 ・ミルロにアマルルガ、プリンセスグレイスにメガサーナイトも似合うと思う。 -- (シトラス) 2013-11-01 06 33 17 漫画版 ・ムーンバード:ホウオウorクレセリア ・スカイドラゴン:カイリュー げきりん(ウロコにカビが生えて暴れていたので。) ・ビッグモール:ダグトリオ ・エクリプス:アブソルorゾロアーク -- (ニシキギ) 2014-01-28 18 38 35 ブースター→リオーネ サンダース→アルテッサ グレイシア→ミルロ ニンフィア→ソフィー クチート→エリザベータ エーフィorリーフィア→ビビン 見た目重視ならこのあたりもいいかと思います。 -- (ライン) 2014-04-04 09 18 11 虫タイプで統一するなら ビビヨン(モダンなもよう):ファイン アメモースorビビヨン(マリンのもよう):レイン -- (ユリス) 2014-12-05 08 29 29 サンムーン オドリドリ(めらめらスタイル):ファイン ヨワシ(たんどくのすがた):レイン ジャラコ:アルテッサ カプ・テテフ:ソフィー ガオガエン:リオーネ アシマリ:ミルロ メテノ:ミルキー カリキリ:タネタネプリンセス コスモウム:パールちゃん -- (名無しさん) 2017-07-17 17 16 45 ウルトラビーストで統一するなら ズガドーン:ファイン ウツロイド:レイン -- (名無しさん) 2018-03-11 09 54 14 ブイズで統一するなら ブースター:ファイン シャワーズ:レイン -- (ユリス) 2018-03-11 10 34 29 600族で統一するなら ジャラランガ:ファイン ガブリアス:レイン -- ( ˙-˙) 2018-06-03 10 10 42 ネイティオ:ティオ 名前ネタ -- (アーボ) 2018-06-10 11 17 32 カプ神で統一するなら カプ・テテフ:ファイン カプ・レヒレ:レイン -- (ユリス) 2018-06-10 14 10 53 ディアンシー:アルテッサ -- (ビードル) 2018-06-17 19 21 06 ♀のみで統一するなら フラエッテ(あかいろのはな):ファイン フラエッテ(あおいろのはな):レイン -- (スピアー) 2018-07-01 16 33 51 コオリッポ:ペギー船長 -- (ロケット・ガチャット) 2020-07-26 15 51 04 草案 ふしぎ星の王族 <おひさまの国> レシラム:トゥルース国王 名前の由来が真実なので アマージョ:エルザ女王 捕獲日・孵化日 ファイン:10月24日 レイン:8月28日 プーモ:11月14日 トゥルース国王:3月13日 エルザ:3月30日 キャメロット:4月9日 リオーネ:1月10日 アルテッサ:8月28日 ブライト:12月24日 タネタネプリンセス:7月26日 ミルキー:3月17日 ミルロ:3月29日 ソフィー:5月2日 推奨オシャボ ファイン:レベルボール レイン:スピードボール プーモ:ヒールボール トゥルース国王:ウルトラボール エルザ女王:ネストボール キャメロット:クイックボール リオーネ:プレシャスボール アルテッサ:ヘビーボール ブライト:ゴージャスボール タネタネプリンセス:フレンドボール ミルキー:ムーンボール ミルロ:ダイブボール ソフィー:プレシャスボール リボン ファイン:あかつきのあかし レイン:あめふりのあかし プーモ:りせいのあかし トゥルース:やさがたのあかし エルザ:ふんぬのあかし リオーネ:じょうねつのあかし アルテッサ:きどっているあかし ブライト:ひとになれてるあかし タネタネプリンセス:ひとをしらないあかし ミルキー:りせいのあかし ミルロ:そぼくなあかし ソフィー:わんぱくなあかし -- (ユリス) 2020-07-26 18 45 31 推奨オシャボ おひさまの国:プレミアボール 宝石の国:ゴージャスボール かざぐるまの国:クイックボール メラメラの国:プレシャスボールにしたいとこだがさすがに不可能か しずくの国:ダイブボール 月の国:ムーンボール タネタネの国:フレンドボール 海の国:ダイブボール -- (麻宮穹) 2020-08-13 20 39 38 訂正 推奨オシャボ しずくの国:ルアーボール -- (麻宮穹) 2020-08-13 20 42 35 主題歌 オープニング ディアンシー:プリンセスはあきらめない -- (ロケット・ガチャット) 2020-12-27 13 57 07 GYU!のメンバー <ナニワン星> モスノウ:メロン 某ジムリーダーの名前から -- (ロケット・ガチャット) 2021-01-10 11 00 34 ポケットモンスター サンおよびポケットモンスター ウルトラサンの女性主人公の名前をファインにするのもレインにするのもOK ポケットモンスター ムーンおよびポケットモンスター ウルトラムーンの女性主人公の名前をミルキーにするのもOK ポケットモンスター ムーンおよびポケットモンスター ウルトラムーンの男性主人公の名前をシェイドのにするのもエクリプスにするのもOK -- (麻宮穹) 2021-01-30 17 22 30 草案 主題歌 エンディングテーマ ドレディア:おしゃれファンタジー 挿入歌 ラブカス:らぶ☆らぶ★まじっく -- (ユリス) 2021-03-20 16 45 22 草案 ふしぎ星のプリンセス イーブイズで統一するなら エーフィ♀:ファイン 分類は「たいようポケモン」、色は合わないが。 色違いニンフィア♀:レイン 色は合うかも。 ふしぎ星のプリンス イーブイズで統一するなら 色違いブラッキー♂:シェイド -- (麻宮穹) 2023-01-16 13 49 34 草案 孵化日 ファイン:3月20日 レイン:3月20日 -- (麻宮穹) 2023-01-16 13 53 43
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【作品名】ふしぎ遊戯 OP 【曲名】いとおしい人のために 【歌手】佐藤 朱美 【ジャンル】アニメ 【価格】¥200 □■iTMS■□ 【作品名】ふしぎ遊戯 ED 【曲名】ときめきの導火線 【歌手】今野 友加里 【ジャンル】アニメ 【価格】¥200 □■iTMS■□ 【作品名】ふしぎ遊戯 【アルバム名】ふしぎ遊戯 オリジナルサウンドトラック 【ジャンル】アニメ 【曲数】16曲 【価格】¥200均一(アルバム価格¥2,000) □■iTMS■□ 【作品名】ふしぎ遊戯 【アルバム名】我・愛・ふしぎWorld!! ふしぎ遊戯バラエティ・アルバム for Epilogue of TV series 【ジャンル】アニメ 【曲数】12曲 【価格】¥200均一(アルバム価格¥2,000) □■iTMS■□ 【作品名】ふしぎ遊戯 【アルバム名】「ふしぎ遊戯」キャラクターズ・ヴォーカル・コレクション 1 美朱 【ジャンル】アニメ 【曲数】4曲 【価格】¥200均一(アルバム価格¥800) □■iTMS■□ 【作品名】ふしぎ遊戯 【アルバム名】「ふしぎ遊戯」キャラクターズ・ヴォーカル・コレクション 2 鬼宿 【ジャンル】アニメ 【曲数】4曲 【価格】¥200均一(アルバム価格¥800) □■iTMS■□ 【作品名】ふしぎ遊戯 【アルバム名】「ふしぎ遊戯」キャラクターズ・ヴォーカル・コレクション 3 星宿 【ジャンル】アニメ 【曲数】4曲 【価格】¥200均一(アルバム価格¥800) □■iTMS■□ 【作品名】ふしぎ遊戯 【アルバム名】「ふしぎ遊戯」キャラクターズ・ヴォーカル・コレクション 4 唯 【ジャンル】アニメ 【曲数】4曲 【価格】¥200均一(アルバム価格¥800) □■iTMS■□ 【作品名】ふしぎ遊戯 【アルバム名】「ふしぎ遊戯」キャラクターズ・ヴォーカル・コレクション 5 柳宿 【ジャンル】アニメ 【曲数】4曲 【価格】¥200均一(アルバム価格¥800) □■iTMS■□ 【作品名】ふしぎ遊戯 【アルバム名】「ふしぎ遊戯」キャラクターズ・ヴォーカル・コレクション 6 井宿 【ジャンル】アニメ 【曲数】4曲 【価格】¥200均一(アルバム価格¥800) □■iTMS■□ 【作品名】ふしぎ遊戯 【アルバム名】「ふしぎ遊戯」キャラクターズ・ヴォーカル・コレクション 7 翼宿 【ジャンル】アニメ 【曲数】4曲 【価格】¥200均一(アルバム価格¥800) □■iTMS■□ 【作品名】ふしぎ遊戯 【アルバム名】「ふしぎ遊戯」キャラクターズ・ヴォーカル・コレクション 8 軫宿 【ジャンル】アニメ 【曲数】4曲 【価格】¥200均一(アルバム価格¥800) □■iTMS■□ 【作品名】ふしぎ遊戯 【アルバム名】「ふしぎ遊戯」キャラクターズ・ヴォーカル・コレクション 9 張宿 【ジャンル】アニメ 【曲数】4曲 【価格】¥200均一(アルバム価格¥800) □■iTMS■□ 【作品名】ふしぎ遊戯 【アルバム名】「ふしぎ遊戯」キャラクターズ・ヴォーカルコレクション Special 青龍の逆襲篇!! 【ジャンル】アニメ 【曲数】13曲 【価格】¥200均一(アルバム価格¥2,000) □■iTMS■□
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