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ドラゴン族・封印の壺 パック:光りに導かれし龍(P) 50045299 永続罠 このカードがフィールド上に存在する限り、 全ての表側表示ドラゴン族モンスターは表側守備表示になり、 その後表示形式変更を行う事はできない。
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一 慶長のころ、鹿児島揖宿《いぶすき》郡、山川の津に、薩摩藩の御朱印船を預り、南蛮貿易の御用をつとめる大迫吉之丞という海商がいた。 慶長十六年の六月、隠居して惟新といっていた島津義弘の命令で、はるばる呂宋《ルソン》(フィリッピン)まで茶壺を探しに出かけた。そのとき惟新は、なにかと便宜があろうから、吉利支丹になれといった。吉之丞は長崎で洗礼を受けて心にもなき信者になり、呂宋から柬埔塞《カンポジヤ》の町々を七年がかりで探し歩いたが、その結末は面白いというようなものではなく、そのうえ、帰国後、宗門の取調べで、あやうく火焙りになるところだった。寛永十一年に上書した申状には、吉之丞のやるせない憤懣の情があらわれている。 惟新様申され候には、呂宋へ罷越、如何様にしても清香か蓮華王の茶壼を手に入れるべし、呂宋とか申す国は吉利支丹の者どもにて候に付き、この節は吉利支丹に罷成り、あいさつといたし、御用等相達すべきよし仰せ聞けられ候故、拙者、申し候は、御意とは申しながら、好き申さざる宗旨に候へ共、何事も奉公の儀に御座候故、上意に任せ、此の節は吉利支丹に罷り成るべきよしお受け仕り候。云々。 吉之丞の父の吉次は松永久秀の家臣で、主家断絶後、牢人していたのを島津貴久《たかひさ》に見出され、貴久の言付けで、長崎に船屋敷をおいて海外貿易をはじめるようになったのである。堺の木屋弥三郎、西類子九郎兵衛などとおなじように、武士から町人になった、いわゆる引込町人で、七十歳で死ぬその年の秋まで、舵場の櫓に突っ立ち、船頭や荷才領を叱陀しながら南方の広大な海を庭のうちを歩くような顔で乗りまわしていた。 慶長二年に父の吉次が死んで吉之丞の代になると、二度目の朝鮮征伐に義弘について泗川《しせん》に行き、粮米荷頭と小荷駄才領を兼帯でやり、矢丸《やだま》の下を駆けまわった。五年秋の関ケ原には出なかったが、東軍と戦って大敗し、身をもって遁れてきた義弘を堺で待ち受け、際どいところで船に乗せて鹿児島へ落した。 これも島津の御用をつとめる堺の薩摩屋祐仁は、いよいよ島津も滅亡かと、なにも手につかずにおろおろしていたが、吉之丞は、 「大阪城の屋根は、そぜとるけん、雨の洩《も》ったい」 といい、大阪の薩摩屋敷にあった弓矢鉄砲、玉薬のはてまで、軍道具を残らず船に積んで帰った。吉之丞は、当然、大阪城に立籠り、東軍を迎えて花々しい一戦に及ぶのだろうと推量していたが、それらしいこともないので意外の感にうたれた。聞きあわせたところ、義弘公は秀頼公に、このうえは籠城のお覚悟を、と申しあげると、秀頼公は、籠城までして戦うことはない。島津も、早々に国表へ引きとるようにとつれないお返事だったということだった。 これで秀頼公という方の底が知れた。たった一度の手合せで腰が砕けるようでは、なんのために徳川に戦争をしかけたのかわからない。君公が飛ぶようにして帰国されたのは、秀頼公に愛想をつかし、薩摩の領国で一と合戦するつもりなのだろうと、咄嗟の才覚で武具運送の手配をしたわけだが、それはとんだ見込みちがいで、君公は剃髪して隠居し、家康に誓詞を送って、ひたすら恭順の意をあらわしていられる。戦争の沙汰どころか、国中、湿りにしめって露もしとどのありさまだった。 その後、恩赦の沙汰があって、三男、家久をもって本領安堵したが、家康公への遠慮から、諸事、控え目に、父の代からつづいた南蛮貿易の後援も、自然にとりやめになったので、吉之丞は郷里の山川の津に帰って、トカラ、琉球の物産回漕をやっていた。 慶長十六年五月、惟新公からだしぬけに御用召があった。吉之丞が玉里の隠居所へ罷り出ると、惟新公は、 「吉之丞、呂宋《ルソン》へ行って来い」 と、いきなりいった。 吉之丞は南蛮貿易のおゆるしが出るのだと思い、勇みたってたずねた。 「御交易の作事をいたすのでござりましょうか」 「いや、壺をとりに行くのじゃ。それについて、なにかと便宜もあろうから、吉利支丹になるがええ……くわしいことは拙斎の入道に言うておいた。大口へ行って聞いてくれい。退ってもええぞ」 入道して拙斎。鬼武蔵といわれた新納《にいろ》武蔵の城は、鹿児島の北十里、伊佐郡の大口村にある。隠居所から退ると、吉之丞はその足で大口村へ行った。城に上り、取次を通して挨拶をすると、すぐ奥の居間に通された。 「なんでん、くわしいことは、ああたさまに聞けという仰せですけん、伺いに罷りでました」 勇武の士だが、すぐれた歌人でもある拙斎は、つるりと禿げあがった法師頭を撫でながら、 「ご隠居は、ときどき難題を出されるで」 というと、大きな声で笑った。 「よしよし、謎ときをしてつかわす。まあ、聞けえ、こういうわけじゃ」 口切りの茶の湯に葉茶壷はなくてはならないものだが、なかでも呂宋焼の壼が名品ということになっている。 秀吉は、千利休がこの壼一つ、一国二城に代わると極めをつけた清香という呂宋の葉茶壼を手に入れて自慢していたが、天正十九年の二月、利休は、道具の売買について曲事があったという叱責を受けて自裁した。 利休が死んだので、秀吉は呂宋の壼を求める道が絶えたと落胆していたが、文禄三年の七月、思いがけなく、堺の納屋助左衛門が呂宋の壺の名品を五十個ばかり持ち帰って上覧に供した。秀吉は、 「お手柄、お手柄。おのしは五十国、二百城を呂宋から奪って帰った」 と手を拍って喜んだという。 秀吉はまず自分が三つとり、残りを大阪城の西ノ丸の大広間に陳列し、壷の重さ一匁について銀子一貫目の割で諸大名に頒けた。 呂宋ではどういう向きに使っている壺なのか誰も知らない。千利休は茶器の新旧可否を鑑定して分限者になった男だが、親疎異同によって、贋物を真物、新を古と言い張って、よく人を欺いたということである。それはともかく、呂宋の壷にむやみな高値をつけてくれたおかげで、丈、八、九寸から一尺ほどの、あどけない陶物《すえもの》の壼が、一個、銀千貫目から二千貫目に売れたので、わずか四、五日のうちに、助左衛門は思わぬ大利を博した。 「それですめば、かような仕儀にならなんだろうが、あやつが呂宋へ欠落《かけおち》したので、むずかしい落着になった」 呂宋と姓をあらためた助左衛門が、邸の襖や天井に狩野永徳に絵を描かせ、七宝をちりばめ、金銀を貼るという豪奢に耽ったことが秀吉の怒りにふれ、家財を没収された。助左衛門はおどろいたような顔もせず、それならばといって、邸を大安寺に寄進し、一族をひきつれて飄然と堺の浦から発って行った。それは吉之丞も聞いて知っていた。 「あれは太閤さまがお亡くなりになる前の年、慶長二年の夏のことでござりました。かれこれ十四、五年になりましょう」 「十四、五年にもなろうかな……南蛮のどの国のどこの涯にいるのか知れぬやつを、ぬしゃ、探しに行くのだが、思えば、可哀想なようでもある」 「私めが、助左衛門を……」 この年、惟新公が駿府の城へ年賀に上ると、家康が、葉茶壺が払底して、只今のところ一つもない。口切りの茶の湯もできぬようでは、茶の湯の冥加も尽き果てた。お身どもは南蛮貿易をなさるゆえ、呂宋の壺など、水甕にするほど貯えてござるだろうが、と持ちかけるようなことをいった。 つまりは、呂宋の壺を二つ三つ寄進しろということなのである。島津はどういう無理でも聞かなければならぬ危うい境界にいるのだから、あるものなら喜んで差しだそうが、生憎と、そんなものは持合せない。松浦にも、牧野にも、出雲の松平にも、およそ呂宋の壺を所蔵する向きへ礼をつくして頼んでみたが、こればかりはと、誰も話に乗ってくれない。 助左衛門さえ堺にいたら、たやすく事が運ぶのだろうが、ならぬことをねがっても仕様がない。お前は、長年、南洋を渡り歩いて、国々の事情に通じているわけだから、ご苦労だが、呂宋まで壷をとりに行ってもらうことにした。 「それについて、ぬしに見せておくもんがある」 拙斎は床の間の木箱の蓋をはらって茶壼のようなものを出し、書院窓のそばの机の上に据えた。丈は一尺ほどで、形はやや平目・辮緇げ薄い轍癒があり、アッサリとして軽い出来で、底がすこし凹んでいる。土師物と陶物の間を行ったような見馴れぬ壷であった。 「これは博多の神屋宗湛から借りた真壼だ。よく似せてあるが、呂宋ではない。真物の真壼は、もうすこし茶の色が深く、いちめんに鶉斑が出て、揚底になっている。呂宋壷の上物は蓮華王と清香真壷……蓮華王は、壺の肩の蓮華の花の中に王という字がある。清香真壼は、これも肩に清香という文字がある。真物の呂宋なら真壼でもよいが、ならば、蓮華王か清香を探しだしてくれい」 呂宋へ行って壺をとってくることはわかったが、助左衛門の所在をつきとめるというのは、どういうことなのかとたずねると、利休も助左衛門も呂宋の壼だといっているが、それについては、両人の間になにか黙会があったので、自分の見るところでは、迦知安(広東)か暹羅《シヤム》あたりの物産だとしか思えない。呂宋に真壼があれば文句はないが、さもないと、助左衛門に逢って、どこの国で、どうして手に入れたか聞きだすほかはないからだといった。 「対馬の灰吹銀を千貫目、ペセダの銀銭を二十貫、ほかに錠銀と康煕銭《こうきせん》を用意しておいた。船のことじゃが、三浦按針のフラガタ船(フリゲート。砲備した商船)に朱印状を添えて売りに出たのを、アンドレア李旦《りたん》という支那の頭人が買って作事をし、来月の初旬に大波止から出る。吉利支丹しか乗せぬそうじゃけん、いっちょう吉利支丹にならな、いかんばな」 「いや、それでござりますが」 吉之丞は、かたちだけの信徒になっても、吉利支丹の行儀も知らず、十の掟を保つことなどは思いもよらない。どんな苦労もいとわないが、吉利支丹になることだけはごめんねがいたいといったが、拙斎は呂宋へ行くのは李旦の船しかないからといって、なんとしてもきいてくれなかった。 ニ アンドレア李旦の船は三梔二段帆のさよ船(和蘭《オランダ》造りの黒船)で、和船の前敷にあたるところに筒丈、八尺ばかりの真鍮の大筒を二挺据えつけてあった。 船名はサンチャゴ……サンチャゴとはイスパニヤ語の八幡大菩薩にあたり、合戦で鬨の声をあげるとき、サンチャゴと叫ぶのだということである。 船の長さ十二間、幅四間、荷頭、ルイス新九郎、船頭デリコ庄兵衛のほか、乗組は福建人、スマトラ人、マラッカ人で総数は百人ほど。船の大きさも乗組の数も御朱印船の三分の一にも及ばない。船の名は勇しいが、どう考えても、頼母しいような船ではない。長崎から高砂(台湾)の湊口まで六百五十里、高砂から呂宋のマニラまで八百里、合せて千四百里の海を、こんな小船でおし渡るのかと思うと、情けなくてならない。 吉之丞は舵場の櫓で、一波ごとに淡くなる琉球の島影を見送っているうちに、李旦がいっていた海賊船のことを思いだし、船室に置いてある灰吹銀の金箱が、急に重荷になってきた。 李旦は、この節、和蘭とイスパニヤ、ポルトガルの折合いがつかず、双方の船が行き合うと、かならず、どちらかが射ちかけ、積荷を奪ったあげく船を沈めるという風儀で、平穏無事な航海はいたって少い。あなたはたくさん銀を持っていられるようだから、心得までに申しあげるのだが、フレガタ船に追いかけられて船を押えられたら、逆らっても無駄である。観念して、奪るだけのものを奪らせれば、命だけは失わずにすむ。.見受けるところ、剛気なご人体だが、力をたのむものは、とかく大怪我をするものだから、私の忠言をお忘れないように、というようなことをいった。 呂宋の涯へ壼を探しに行く苦労だけでもたくさんなのに、そんな目にあうのではたまったものではない。それにしても、見栄のしない陶物の壺を買うのに、どうして千貫もの銀が要るのか、納得できない。銀六十匁一両換えとして、千貫といえば一万七千両……一二百九十人乗りの御朱印船を新造しても、十五貫とはかからない。長さ二十間、幅九間の大船一隻が二百五十両で、掌で支えられるような葉茶壺が一万七千両もするというのは、どこかにまちがいがあるのにちがいない。 「これでは、あまり空しいような気がする。大名方のなさることは、おいどもにはわからん」 吉之丞は呟き、考えてもわからないことは考えないほうがいいと、邪念を払うように強く頭を振った。 六月十日の夕方、吉利支丹の夕のお勤めをすませ、艫ノ間で夕食をしているところへ、荷頭の新九郎が駆けこんできて、 「いましがた、黒船が一隻、艫を横切って風下のほうへ行きよりました」 と息巻くような調子で李旦に報告した。李旦は象牙の箸をとめて考えていたが、思いついたように、 「そいで、東沙島はもう過ぎたかい」 とたずねかえした。 「へえ、いましがた呂宋の頭へ針を立てたところでござす」 「悪い船道にかかった。フレガタ船かもしれん。用心せな、あかんばな」 「そんこつです。明日は、夜明け前に見張りを出すようにしましょうたい」 翌朝、まだ暗い海の上を、一隻の黒船が船首を横切って影のように風上のほうへ走って行った。 夜があけると、四里ほど向うに、二梔三段帆の黒船がサンチャゴと並んで走っているのが見えた。 船頭の庄兵衛は、 「やいやい、まごまごするな」 とマラッカ人の水主《かこ》を怒鳴りつけ、筒眼鏡を持たせて大帆柱の物見台に追いあげた。 「どんなあんばいだ。早う、ぬかせ」 物見台のマラッカ人は、 「たいへんだ」 と叫び、それから、 「向うの物見台にも人が上って、筒眼鏡でこちらを見ている」 と報告した。 李旦という博多生れの福建人は、こんなことには馴れきっているふうで、急ぎもせずにゆっくりと舵場へ上って行った。 「庄兵衛どん、向うの船足はどうあるかい。逃げきれるとじゃろうか」 庄兵衛は、手庇をして向うの船足を計ってから、 「たいしたことはありますめえが、早駆けにしますか」 そういうと、一番かんぬきの帆係に、総帆あげうと命令をくだした。 サンチャゴが勢よく走りだすと、向うの黒船もにわかに船足を早め、海の上を電光形に間切りながら、サンチャゴのほうへ突っかけてくる。帆を撓《たわ》め、船足を隠していたとしか思えないような鮮かな追撃ぶりであった。 「えらく足が出だした。下手をすると追いつかるるたい」 と李旦がいった。 「弾箱を出しておきましたけん、いッちょ射とうじゃにゃあですか」 新九郎が気負ったような顔でいうと、李旦は大きくうなずいてみせた。 「ぬしゃ、大筒ば射ちきるか。射てるなら射って見さっし」 新九郎はスマトラ人の水主を呼びあつめると、前敷の大筒のところへ走って行って弾丸込めにかかったが、生憎と、弾丸が筒口より大きくて、この急場には間にあわなかった。 「あぎゃん弾丸、どやつが積みこんだものか。弾丸が大きゅうして、筒口におさまらんとです」 と頭を掻き李旦に報告した。 李旦は笑いながら、 「これやもう、追いつめられるにきまったけん、羅針盤と象限儀をはずして、わからんところへ隠しておいちくれ」 と言いつけた。 そんなことをしているうちに、黒船は半里ほどのところまで迫ってきた。小早船《こばや》といっているポルトガルの飛脚船で、大筒を四挺すえているのが、ありありと見えた。 「小早船じゃ、かなわねえ」 庄兵衛は音をあげたが、どうでも逃げ切るつもりらしく、うるさく帆形を変えて間切りだした。 小早船の帆柱にポルトガルの国旗が揚ったと思うと、大筒が火を噴き、円弾が唸り声をあげてサンチャゴの舳をかすって行った。 李旦が庄兵衛の肩を叩いた。 「もう、いかんばな。停めなし、停めなし」 サンチャゴが帆をおろすと、待ちかねたように、帯に短筒と抜身の刀を挾んだ十人ばかりのポルトガル人が小舟でやってきた。サンチャゴの乗組を後敷のところへ呼び集めると、頭立ったのが、 「船主はどやつか。何を積んで、どこへ行く船か」 と訊問した。 吉之丞は怒りを発して、 「なんじらの問いに答える義務はない」 という意味のことを叫びたてると、ポルトガル人が飛んできて、刀で吉之丞の腹を刺した。吉之丞は錠銀を腹巻に入れて腹に巻いていたので、いくどか刺されたが、いっこうにこたえなかった。 争うことはなんの益もない。はじめから重荷にしていたが、千貫という銀は、隠そうとしても隠しきれるものではない。吉之丞は、これも天命とあきらめかけたが、あれだけの銀子をむざと持ち去られるのかと思うと、無念でならない。みなとはいわないが、隠せるだけ隠しこんでやろうと、さり気ないようすで胴ノ間へ降りて行った。 吉之丞は渡海船を扱っていたので、さよ船の構造を知っている。和船ならいきなり棚板になるところに船梁が通っているため、舷の外板と内張の間に隙間があって、それが船底につづいている。舷の内張を一枚はずせば、船底へあるたけの銀子を落しこむことができる。咄嗟の仕事にしては骨が折れるが、やってやれないことはない。 内張の腰板は欅の大割で、脇差でこじりつけるくらいではビクともしない。それでも根気よくやっているうちに、板の合せ目が持ちあがってきて、手が入るだけの口があいた。 頭の上でいそがしく歩きまわる足音が聞える。どうやら賊どもが働きだしたらしい。グズグズしてはいられない。金箱から銀子をつかみだし、息づく暇を惜しんで、つぎつぎに船底へ落しこんだ。 頭上の騒動はいよいよ爛熟し、ポルトガル人の叱陀する声にまじって、帆柱の倒れる音や重いものを曳きまわす音、大鋸で木を挽く音、手斧で打ち割る音、大破壊によってひき起されるすさまじい騒音が、ものの半刻ばかり休みもなくつづいていたが、そのうちに木の枝でも撥ぜるような乾いた音とともに、えがらっぽい煙が胴ノ間に流れこんできた。 「こりゃ、いかんばい」 海賊どもは、船を壊して火を放けたらしい。これでポルトガル人の意図がはっきりした。海賊のくせに、金や積荷にかまけないのは、ふしぎだと思っていたが、サンチャゴに乗りこんできたのは、貨財が目あてなのでなくて、最初から船を焼くのが目的だったのだということがわかった。 吉之丞は汗を流して働いていたが、船を焼かれるのでは、こんなところへ銀子を隠しても無駄なことだと思い、つまらなくなってやめてしまった。 昨日の朝、東沙島の近くを通りすぎた。いまは、どちらへ向いても、島影も見えない大海のまっ只中にいるわけだが、こんなところで投げだされたら、助かる見込みはない。ポルトガル人に談判して、船を焼くことだけはやめさせなくてはならないと、艙口の梯子をあがって行ったが、上り口の戸が釘付けになって、出ようにも出られない。 艫ノ間の上り口はどうだろうと、艫ノ間へ駆けて行くと、乗組の百人、一人残らず後手に括られてころがっている。李旦はと見ると、十字架の前に跪いて一心に祈薦をしていた。 「あいつども、火ば放けよったけん、こぎゃんこつばしとると、焼け死んでしまうたい」 李旦は、それはよく知っているが、いま、お勤めをしているところだから、そっとしておいてもらいたいといった。 吉之丞も惘《あき》れて、なんということもなく庄兵衛のそばに坐りこむと、庄兵衛は慰め顔で、 「……むかしより、今に渡り来る黒船、縁が尽きれば、鱶の餌となる、サンタマーーヤ」 と鼻唄をうたって聞かせた。 半刻ほどすると、風が落ちて海が凪いだように、急に上の騒ぎがおさまり、舷をうつ波の音が聞えてきた。 吉之丞が立ちあがると、みなも立ちあがって一斉に上り口に殺到した。 上に出てみると、小矢柱が突き転がされて舵場の上に倒れ、帆はズタズタに切られ、舵柄はもぎとられ、船を動かす道具という道具は残りなく壊してあるという目もあてられない狼藉ぶりであった。火を放けられたのは前敷の水主どもの炊場で、油でも撒いたのだとみえてどす黒い煙をたちあげながら、さかんに燃えている。 小早船は、はるかむこうへ離れて行ったが、まだ帆影が見える。あまり早く消すと、また焼きにくるかもしれない。小早船の帆影が波の下に沈んだところで消し方にかかった。 三 六月十八日、サンチャゴはマニラの湊に入って、河口の南に船繋《がか》りした。 吉之丞は陸使に金箱を担がせ、みなに送られて船から降りると、道路をひとつへだてた船着場の正面の客舎に宿をとった。マニラは親子二代にわたる旧縁の地で、旅亭のあるじとは知友の仲である。 一夜寝て、翌日、朝早くから壼さがしにかかった。古陶器を扱う道具屋も土師物をひさぐ市の店も、どの辺にあるかだいたい見当がついている。永藤朝春が写した真壺の図を持っている。口数をきかなくとも、だまってそれを見せれば埓があくはずである。 そうして、三日がかりでマニラ中の店を見てまわったが、鶉の斑文をつけた、あどけない葉茶壺にめぐりあうことができなかった。 呂宋人は口細の壺を好んで使うが、トンドという村にその窯がある。翌日、そこへ行ってみた。真壺の絵を見せて、こんな壺を扱ったことはなかったかとたずねると、窯元のおやじは、古今を含めて、呂宋にあるかぎりの壷はみな知っているつもりだが、こんな壷は見たことも手にとったこともないと、立ち切ったようなことをいった。 尤もらしい口上だが、そのまま鵜呑みにするわけにはいかない。陶物を出す窯はほかにもあるのだ。市外のパリアンに明人の窯があるというので、翌日、行ってみたが、安南あたりのものらしいというだけで、かくべつな意見もなかった。 詮じつめたところ、助左衛門が持ち帰ったのは、呂宋のものではなかったらしいことはわかったが、これは、どこの国の、なんという陶物と言ってくれる人間がいないのが、もどかしい。それに、呂宋焼でもないものを、なぜ呂宋だなどと言いたてたのか、その辺のところが理解できない。なぜという疑問を解くには、拙斎入道がいったように、助左衛門を探しあてて、話を聞くよりほかに方法がない。 マニラの日本人町はカンデラリア天主堂の裏の一郭と、マニラの湊口、ディラオの郊外にある。 助左衛門ほどの男が、日本人町などに逼塞していようとは思えない。いるならいるで、着いた日のうちに消息が知れるはずだ。噂らしいものも聞かないのは、いないからなのだろうが、万一ということもあるものだと思い、ディラオへ行って町年寄に聞いてみた。 町年寄の浅井九郎右衛門は苦りきった顔で、 「あいつは慶長八年に、ミンダナオ島のカガヤンで海賊を働いたうえ、イスパニヤの兵隊の後押しをして、二万人からの明人を殺したことのあるやつだ。そういう始末だから、呂宋へなどやってくるわけはない。あいつのおかげで、われわれは迷惑をこうむっている。やってきたら、ただではおかぬ」 と口をきわめて罵った。 助左衛門が海賊を働いたとは意外だった。もし、それが事実なら、人別のはっきりしている日本町に住みつくわけはない。呂宋にいるとしても、名を変えて、人知れぬ里で暮しているにちがいない。理窟はそうだが、それでは探しだすあてがない。 九月の末ごろ、南呂宋のサンミゲルという町に、日本人らしい男が住んでいるという噂を聞いた。 サンミゲルは、呂宋島が東南に伸びだした半島の一角にあるささやかな漁村で、陸つづきになっているが、途中にモロという蛮族が住んでいるので、陸路の旅行はできない。マウバンというところまで行って、そこから土人の舟を雇う。夜は岸で野営をするので、半月がかりの辛い旅になる。 吉之丞はマウバンを発ったのが、十月十二日で、十一月の二日にサンミゲルに着いた。なるほど日本人は住んでいたが、摂津の沖から吹き流されて漂着した漁師輩で、助左衛門とは縁もゆかりもない男たちであった。 サンミゲルまで来たついでに、そこからまた南へ下ってミンダナオ島に行き、カガヤンの町で助左衛門の消息をたずねたが、なんの得るところもなかった。そんなことをしているうちに、その年も暮れた。 翌年の五月ごろまで、なすこともなくマニラの宿で日を消していたが、助左衛門の捜索をあきらめたのでも、やめたのでもなかった。この旅亭は日本人の定宿のようになっているので、ここに居据っていれば、新入の日本人から、助左衛門の踪跡を聞きだす便宜があると思ったからである。 六月の末、角倉の御朱印船が着いたが、沖鰡りしたまま、人も貨物もあげない。宿のあるじに聞くと、日本人の吉利支丹の癩者が百三十人も乗っているので、入港を許可するかしないかで、むずかしい掛合になっているということであった。 角倉の船は入港を許可しないことになって、翌日の夕方、乗客が二人だけサンバンで送られてきた。 いかにもよく似た姉弟で、姉のほうは十七八、弟のほうは十三ぐらいでもあろうか。どちらも気品のある凜々しいほどの面差で、たやすくは近づきかねるような、いかめしさがあった。姉のほうは紋綸子の大口の袴をつけ、弟のほうは堅苦しい野袴をはいているが、弟のほうは、どこかなよなよとしているので、姉弟というより、兄妹というほうが似つかわしいような感じだった。 宿の主人の調べが行届くので、間もなく二人の素姓がわかった。癩で眼がつぶれ、関ケ原の戦では輿に乗って指揮をしたという大谷刑部少輔吉継の子で、姉はモニカ真弓、弟はジェリコ菊丸。モニカは誇りの高い気質らしく、サンパンで送られてくる途中で、われわれ姉弟も癩者の血統だが、どうして二人だけを特別に扱うのかと、お舟手役人に抗議したということだった。 呂宋助左衛門の内儀は敦賀の大谷からきたひとだと聞いている。あの姉弟にたずねたら、助左衛門の所在がわかるのではなかろうかと、希望のようなものを感じだしたが、大谷の姉弟は、暑い盛りのマニラで、部屋からも出ずにひっそりと暮している。顔を見る機会もなかったが、ある日、宿の涼廊で行きあったのをひきとめて、助左衛門を探しまわっている苦心の段を披瀝すると、モニカは濡れ濡れした大きな眼で吉之丞の顔を見かえしながら、 「助左衛門は安南にいるはずです。さる方から書状を預っていますので、私も逢わなければならないひとですが、そうまでして、助左衛門を探しだそうとなさるあなたは、どういう方なのでしょう」 吉之丞は呂宋へ壼を探しにきた由来から、今日までのことを残らず話した。 モニカは、どうしたのか、急にうちとけたようすになって、 「ありがたい話を伺いました」 と笑いながらいった。 「私にも仕遂げなければならない仕事があります。私のは壺でなくて天・王堂……私も弟も癩者の血統です。この病の不幸の素因をよく知っていますので、癩で滅びた人々の追福のために、安南フェイフォの日本人町へ、死ぬまでかかっても、天主堂を建てるつもりでいます」 助左衛門が安南にいるとわかった以上、一日も早くそちらへ行きたい。モニカの都合をたずねると、角倉船で癩者といっしょに安南へ行きたかったのだが、こんなところで降ろされて当惑している。宿のあるじにも頼んでおいたが、早く交趾へ行けるように力をかしていただきたいといった。 宿のあるじの奔走で交趾へ行く船が見つかった。古ぼけた潭州(シンガポール)の二櫓船で、故郷へ帰る安南人が百人ほど、広くもない胴ノ間に押せ押せに詰めあっている。海の荒れる悪い時季だったが、それを承知で、七月二日の朝、マニラを発った。 思いのほか穏やかな航海だったが、十日の夜になると、東北の強風が吹きだし、船を揺りに揺すった。 十一日の朝、まだ夜が明けないのに、マレー人の水主どもがあわただしく駆けまわっている。 吉之丞が水主をつかまえて、なにがはじまったのかとたずねると、ひどく揺れたので舷の外板がゆるみ、そこからドンドン水が入りこんでいるのだといった。 船を停めて修理をすべきだと思うのだが、暴風に逆ってむやみに船を走らせている。吉之丞が上にあがってみると、大帆も矢帆もいっぱいに張り、小矢帆まで出してある。漏水で船が水びたしになるのが早いか、安南のフェイフォに逃げこむのが早いか、競争するつもりらしい。 走らせればそれだけ傷が大きくなる道理だから、これは大事になると、吉之丞は思わず吐息をついた。 十三日の午前になると、案の定、帆は残らず吹き千切られてしまい、否応なく船を停め、波と風に運命を任せるほか、しようがなくなった。 潭州船は暴風の後の長いうねりに押され、押し戻され、あてどもなく漂流していたが、そのうちに浸水の速度が速くなって、胴ノ間の天井まで水がつくようになった。 吉之丞と大谷の姉弟は、昨夜のうちに胴ノ間を出、甲板の隅に寝所を移していたので騒がずにすんだが、なにも知らずに胴ノ間に寝ていたマレー人どもは浸水におどろき、あわてふためいて甲板へ駆けあがってきた。 午後になると、水は甲板の上まであがってきて、誰の眼にも、遅かれ速かれ、船は沈没する運命にあるのだということがわかった。 夜の八時ごろ、船体が微妙に震動し、ひとの心をしめつけるような無気味な唸りが、どこからともなくひひいてきた。 水と甲板の間に圧し縮められた空気が、甲板を破って外に出ようとしている。 「こりゃ、ふっ飛ばされてしまうたい。さ、立たっし」 吉之丞は大谷姉弟の手をとって、後帆柱の繩梯子に縋りつかせたその瞬間、落雷のような音をたてて、甲板のまんなかほどのところに大きな穴があいた。 「こんなところにいるわけにゃいかん。上の見張台へあがりましょう」 三人が後帆柱の見張台にあがったのを見ると、甲板にいるだけの人間が一斉に繩梯子のほうへ突進してきた。われ先にとひとをおし退けて上ってくるので、一間四方ぐらいの見張台はたちまち満員になり、遅れた組は鈴生りに繩梯子にぶらさがった。二十歳ばかりの一人の安南人はすごい形相で見張台を見あげていたが、あきらめて、はるか向うの前帆柱の見張台に上って行った。 船はいぜんとしてすこしずつ沈下していたが、帆柱下、十尺ほどのところまで沈むと、どうしたのか、それでもう沈まなくなった。 白波をたてて荒れ狂う海の上、蠅取紙にとられた蠅のように、びっしりと人間が貼りついた帆柱が二本、あわれなようすで突き出ている。汐の流れでもあるのか、水の中に沈んだ船体の讎癰につれて、帆柱が大きく傾く。そのたひに何人かが海にこぼれ落ち、二、三度、藻掻《もが》いただけで、あっけなく波に嚥《の》まれてしまう。 月影がさしかけたが、それも束の間のなぐさめで、最夜中近くになると、風が吹きつのり、十尺もあるような大波が寄せてきては、ものすごい勢いで帆柱にうちあたった。 十五日の朝がきた。 すくなくとも六十人以上の人間が繩梯子に縋りついていたはずだが、朝になってみると、何人というほども残っていなかった。 船体は波の下に沈んだまま、汐に引かれるように西のほうへ流れている。波と風の中でその日も終った。 十六日の午後、だしぬけに風がやんで、雲切れした雲の間から、灼くように太陽が照りつけ、誰も彼れも咽喉の乾きに悩まされた。 四 モニカは見張台にあがるとすぐ、弟の菊丸を抱いてやり、ずっとその恰好を保っていた。吉之丞は、もうすこし楽にしているようにいったが、微笑するだけで、姿勢を崩そうとはしなかった。 菊丸は荒々しい環境に脅、えて、ぐったりと弱りこんでしまったが、七日目ぐらいから、果敢《はか》ないようすになり、手足をひきつらせたり、うわごとを言ったりするようになった。吉之丞は大谷姉弟のそばに坐って、一日ごと菊丸が弱って行くのを見ているのだが、見ているだけで、どうすることもできなかった。 十九日の朝、吉之丞が菊丸の顔をのぞいてみると、菊丸は死んでいた。いつ息をひきとったのか、抱かれたままの恰好で固くなっている。モニカは菊丸が死んだことも知らずに、腕の中に抱きしめているのである。 そういう吉之丞自身、ただもう物憂いばかりで、眼玉をうこかす元気もない。窮屈なところにあおのけに寝て、うつらうつらしていると、頭の中に霞がかかったようになって、生きているのか死んでいるのか、わからなくなる時がある。すぐそばにいながら、モニカも吉之丞も、よほど前から口をきかなくなっていた。朝々、まだ生きていることを知らせるために、眼でうなずきあうのが精一杯のところである。 二十日の午後、俄雨があった。 難船してから、はじめての雨だった。吉之丞はあおのけに寝て、掌で受けをこしらえ、鼻のわきを流れるのも、顎から飛沫《しぶ》くのもいっしょくたに飲みこんだ。死んだとばかし思っていた、まわりのマレー入や安南人が、狂人のようにはね起き、空を仰いで飽くほど雨を飲んでいる。 モニカは雨水を帛《きれ》に浸ませて菊丸の口の中へ絞りこみ、どこかに生きているしるしがないかと、じっと顔をながめていたが、もう生きかえる宛がないことがわかると、急にキッパリとした顔つきになり、菊丸の死体をひきずって行って、なんの未練もなく海へ捨てた。 雨は一時間ほどで降りやみ、眼眩くような天気になった。ふと見ると、帆柱の蔭になるところで、マレー人が片肱を立てて壺から水を飲んでいる。 「ほう」 雨があがれば、つぎの雨を待つしかないが、壺があれば、溢れるほど雨水をためて、好きなときに飲むことができる。それにしても、あの混雑のなかで、壺を抱えだすというのは抜目のないやつだと、マレー人のすることをながめているうちに、なんともつかぬ感動に身のうちを貫かれ、われともなくマレー人のそばへ這い寄った。 「その壷、ちょっと見せてくれ」 ひったくるようにして壺をとりあげた。 なんどりとした茶釉の下から、火花が散ったようにいちめんに浮きだしている鶉斑……。肩下のあたりに、蓮華の花びらが透しになって、その中に、あるかなしかというように「王」という字が見える。底を見ると、話に聞いたとおり高い揚底で、底に曲《くせ》の凹みがある。まさしくこれだ。 「これが『蓮華王』だ」 吉之丞は腹巻から錠銀をつかみだしてマレー人の手におしつけると、壺を抱いておのれの座に這い戻った。 「夢のようだ」 蓮華王の葉茶壺を膝の前に据え、吉之丞は途方に暮れて呆然と空を見あげた。 長くてあと二、三日の命。それはもうまぎれもないことだ。こんな詰りきったときに、夢にまで見た蓮華王の葉茶壺にめぐりあうというのは、どういうことなのか。 本意をつらぬいたのだから、死んでも満足とすべきなのだろうが、そんな気持にはなれない。壼を抱いて死んだら、この世に思いが残るだろう。生も死もどうでもいいと、さらりと思いあきらめていたが、壼が手に入ったら、急に死ぬのがいやになった。……そうはいっても、助かるあてはないのだ。 吉之丞はぐったりとなり、あおのけに寝て胸の上で手を組んだ。いつもの楽な姿勢をとると、ひょっとすると、明日は眼がさめないのかも知れないと思いながら、うつらうつらしだした。 三十日の夕方、どこかで、 「陸《おか》だ」 と呟く声がした。 遭難してから二十日目のことで、見張台の上の人間どもは、かすかに息が通っているというだ けの、死の一歩手前の状態にあったので、「陸《おか》」という言葉がなにを意味するのか、思いだすことができなかった。しばらくして、また誰かが、 「陸だ」 と叫んだが、これも、なんの反応もおこさず、完全に無視された。 三度目に誰かが呟いたとき、吉之丞は、 「うん?」 といって首をあげた。 吉之丞は、自分がいまどこにいるのかよくわからなかったが、・さらしに包んだ枕元の葉茶壼を見ると、それで、いっぺんに記憶が甦った。 いま、たしかに陸といった。 助かるかも知れないと思うと、その期待で急に元気が出て来た。 吉之丞は起きあがって、陸のあるほうをながめた。 十町ほどむこうに、鉛色の泥湿地が、水面とおなじくらいの高さでひろがり、その涯は、ひょろりと伸びあがった生気のない樹林で区切られている。浅瀬の海にはところどころに泥堆が顔をだし、岸波がとどろくような音をたて巻きかえしている。 助かるどころの騒ぎではなかった。吉之丞は海岸のようすを見るなり、最悪の状態になっていることを一と眼で読みとった。水の中にある船体は、汐路に乗って岸へ曳かれているらしいが、泥堆にでも乗りあげたら、一挙にバラバラになり、誰も彼れもみな海に投げだされてしまう。二十日も飲み食いしない弱りきった身体では、高波にひとつ叩かれたらそれで最後だ。 普通の身体なら、こんな海は片手でも泳げる。せっかく壷を手に入れたのに、つい鼻の先に陸を見ながら、果敢ない最期を遂げるのかと思うと、無念でならない。 モニカのそばへ行くと、モニカは助かったのだと思いこんでいるらしく、痩せ細って眼だけになったような顔で、ほんのりと笑ってみせた。 吉之丞は笑いかえして、 「おいが連って泳いであげますけん、元気を出さんといきまっせんばい。今夜はしっかり休んでおきなさい」 モニカはうなずくと、眠るつもりになったふうで、うっすらと眼を閉じた。 翌日、朝の五時ごろ、突きあげられるような衝動を感じて眼をさました。吉之丞は、 「やった」 と叫びながら跳ね起きた。 つづいて二度、大きな震動があって、物見台がグラリと傾いだ。吉之丞はころげだそうとする壺を、やっとのことでおさえつけた。 船体はうまいぐあいに泥堆に乗ったらしくて、意外に堅固なようすをみせ、吉之丞が案じていたようなことにはならずにすんだ。 干潮の時間なのだとみえ、すこしずつ水位が下って、二十日ぶりに甲板があらわれだした。風も無く、岸波もおさまり、こういう凪が二日もつづいたら、なんとか助かるかもしれないという希望を感じさせた。 吉之丞は安南人やマレー人の水主のすることを見ていたが、むかし御朱印船で水主どもを追いまわした経験から推して、グッタリと長くなっている連中も、案外、弱っていないことを観破した。 モニカを無事に岸まで送り届けるには、どのみち、できるだけ大勢助人があるほうがいい。使えそうなのが六人いる。六人が手を揃えて庇ってやったら、泳ぎつかせることができるだろう。 吉之丞はマレー人のいるところへ行って、あの娘を陸へ渡すのだが、力を貸してくれないか、骨折賃に錠銀を一つずつやるが、と相談を持ちかけると、マレー人たちは異議なく承知した。 五 四時すぎに満潮になった。 モニカは襦袢と踏込《ふんごみ》だけの軽装になって甲板へ降り、吉之丞が行くのを待っていた。吉之丞はモニカのそばへ行って、 「こやつどもがお世話しますけん、ご心配なく……おいもすぐあとから行きますたい」 繩の垂繩をつけた十尺ばかりの角材を海におろし、両端をマレー人に支えさせておいてモニカを水に入れた。垂繩につかまらせると、四人のマレi人が前衛後衛になって、岸をめがけて泳ぎだした。 吉之丞が物見台にあがって見ていると、泥堆にうちあたる返波に揉まれながら、それでもすこしずつ陸岸のほうへ泳ぎ寄っている。船と岸のちょうど真中ぐらいのところに、白波が立騒いでいる潮路のようなものがある。どうなることかと思っていると、そこもどうやら無事に泳ぎ切った。 無理もないことだが、モニカは疲れてきたらしくて、ときどき頭が水の下に沈む。それでも垂繩から手を放さずにどうにかついて行く。とうとう六町たらずの海を泳ぎ渡って岸にあがった。 枯れた磯草を集めて焚火をしているのを見届けてから、吉之丞は仕度にかかった。錠銀がこぼれださないように腹巻をしめなおし、壼は風呂敷に包んで首に括りつけ、繩梯子をつたって甲板へ降りて行った。 死ぬ、ときめていた間は、なんとも思わなかったが、この船の中に千貫目の銀子が沈んでいるのかと思うと、妙な気がしないでもない。いささか思いが残るが、壼を千貫目で買ったと思えばあきらめがつく。 六尺ばかりの丸太を海へ落し、そうしておいて、太繩をつたって水に入った。 丸太に手を載せ、おしだすようにしながら泳ぎだしたが、手脚に力がなくて、思うようにやれない。しばらくやっているうちに関節が伸びて、いくらか調子がでてきた。 十間ぐらい泳いでは、ゆっくりと身体を休め、それからまた十間ぐらい泳ぐ。そんなことをくりかえしているうちに、泥堆の返波がさわいでいるところへさしかかった。波に巻かれて、丸太が際限もなくまわりだしてとまらない。丸太をとめようとあせっていると、大波がおしよせてきて頭のうえを越して行った。首に括りつけてあった壺が胸のほうヘグルリと下ってきて、その重みでグングン海の底へ引きこま淑て行く。吉之丞は、もうだめだと思い、無我夢中で壼をかいぐりとり、水を蹴って浮きあがると、鞴《ふいご》のような音をたてて息を吸った。 すぐそばに丸太が浮いている。丸太につかまってひと休みしているうちに、口惜しさがこみあげてきて思わず涙を流した。天下の珍宝を手に入れながら、波に脅えて捨ててしまった。この馬鹿さ加減は、なにに譬えようもなかった。 それからまた微々と泳ぎだしたが、陸に向いて泳いでいるのか、船のほうへ帰っているのか方角もつかず、ただもう藻掻きにもがいているうちに、自然と岸辺に流れつき、疲労困憊の極、砂浜に倒れて気を失ってしまった。 しばらくして気がつくと、焚火のそばに運ばれて、土人どもに介抱されていた。 土人の言うところでは、そこは安南のタム・キイという村から三日の行程のところにある無人の海岸の一地点で、狩猟にでも来るほか、ほとんど用のないところだということであった。 そんなことをしているところへ、船からつぎつぎに泳ぎついて来、二十日の間、苦楽をともにした見張台の上の人間の顔が洩れなく揃った。土人どもは吉之丞の腹巻に触って、分限を見極めているため非常に親切で、一同を猟小屋へ連れて行って水を飲ませ、飯を炊いたり鹿の肉を焙ぶったりし、そのたびに錠銀を一つずつ請求した。 揺れも動きもしない大地の上で五日ほど休養し、元気を恢復したところで、うち連れてタム・キイという村へ行った。吉之丞とモニカはそこで一同と別れ、日本人町のあるフェイフォに向った。フェイフォには二百五十人の日本人が住みつき、店舗が六十軒もあって、角屋七郎兵衛が差配していた。大谷刑部少輔の遺臣というのが何人か居て、モニカの無事な姿を見、菊丸の不遇な最期の話を聞いて、感動したふうであった。 町年寄の話では、呂宋助左衛門は慶長二年の秋、手持の船に一家眷族を乗せてツーランに入津し、フェイフォに落着きたい意嚮らしかったが、海賊の嫌疑があるので、大年寄がいい返事をしなかったら、腹を立てて暹羅《シヤム》のアユチャに行き、オロンという高位についているというようなことだった。 苦労してはるばるやってきたが、ここでも助左衛門にめぐりあうことができなかった。暹羅にいると聞いたうえは、暹羅まで行くしかないがそうだとすれば、破船の中にある千貫目の銀が必要になってくる。角屋七郎兵衛の北の方は安南王族|阮《げん》氏の出で、安南では権勢を持っているということなので、破船の取得を願いあげた。さっそくに許可がおりたので、金箱引揚の事務を監督するため、翌、慶長十八年の春までフェイフォに滞在した。 五月七日、フェイフォを発ち、二十三日に暹羅のバンコックに着いた。アユチャの日本人町には二千人の日本人が住みついていて、城井久左衛門が差配していた。助左衛門の所在をたずねると、柬埔塞《カンポジヤ》にいるはずだということで、アユチャにその年の冬まで滞在して、翌、慶長十九年の二月十八日、暹羅船でバンコックを発ち、同、二十七日、柬埔塞に行った。ピニャルーの日本人町には五百人の日本人が居付いていて森嘉兵衛が差配していた。 助左衛門のことをたずねると、つい先月、みまかったということであった。結局のところ、吉之丞はこの世では助左衛門にめぐりあうことができなかったのである。 墓参の帰り道、ピニャルーの市場をのぞくと、差掛の陶物屋で「蓮華王」と「清香真壺」を見つけた。手品の種明しを見るようなもので、今となっては、たいして興味はなかったが、錠銀二個を投じて壼を二つ買って帰った。 翌朝のことであった。 吉之丞が宿をとった旅亭の前の広場で、大勢の人声がするので、窓をあけてみると、何百人とも知れぬ男女が「蓮華王」か「清香真壺」を一つずつ抱え、列をつくって旅亭の木戸が開くのを待っている。ここに集った真壼の数はおびただしいもので、広場に入りきれぬ組が、つづきの横町に蜿蜒とつづいている。この騒ぎのもとはなにかというと鐚銭十文ですむところを、錠銀二個を投じたためであった。 元和元年、大阪、夏の陣をもって豊臣氏が滅亡したその五月一日、柬埔塞船でカンポチャを発ち、二十日、安南に着いた。元和三年五月までフェイフォに滞在し、同年七月、安南を発って、同、十月九日、七年ぶりで鹿児島に帰着した。 さっそく御隠居所に上り、真壷の上品二個、惟新公に差上げたが、真壺をおねだりになった家康公は、すでに元和二年におかくれになり、新納拙斎殿も慶長十七年に長逝し、せっかくの苦労も甲斐ないものになった。
https://w.atwiki.jp/1548908-card/pages/1070.html
ドラゴン族・封印の壺 パック:光りに導かれし龍(P) 50045299 永続罠 このカードがフィールド上に存在する限り、 全ての表側表示ドラゴン族モンスターは表側守備表示になり、 その後表示形式変更を行う事はできない。
https://w.atwiki.jp/nextgov/pages/67.html
29 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/05/19(月) 18 11 37 ID ab46KPJL しかし・・・・ 資本主義の定義すらないのに、不具合も何もw 30 名前:lambda ◆GLPLA.M.6I [] 投稿日:2008/05/19(月) 18 46 26 ID 3hR16Kzx 29 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%87%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9 資本主義(しほんしゅぎ、capitalism)とは、経済の仕組みの一種で、資本の運動が基本原理となる体制のことである。資本制とも言う。 社会に貨幣を投下し、投下された貨幣が社会を運動してより大きな貨幣となって回収される場合この貨幣が資本とよばれる。(資本を参照)資本が利潤や剰余価値を生む社会システムのことを資本主義という。 31 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/05/19(月) 19 30 02 ID lYsEiyF2 29 知能低い奴みっけ! 32 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/05/19(月) 19 59 59 ID ab46KPJL ? ああ、確かに○とかいう変な電波でそんな定義してたw 33 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/05/19(月) 20 28 25 ID WFYo61Qz 29 歴史的な成立過程は、前スレで書いた。マルクスに限らず資本主義とは ①生産手段の私的所有の法的承認 ②剰余価値のフィードバックによる資本の拡大(縮小)運動 ②②に対して、資本家・労働者という二つ在り方で関わる階層が存在する事 という三つの条件が成り立ってる経済体制の事を言う 補足すると、資本主義が発達し複雑化すると資本家・労働者の他に 投機家と言う第三の階層が出現するようになる 34 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/05/19(月) 20 46 17 ID WFYo61Qz 訂正 ×②②に対して ○③②に対して 36 名前:名無しさん@3周年[sage] 投稿日:2008/05/19(月) 21 47 40 ID 1rzdjc3d 29-30 資本主義の定義ね 定義はあるが、それが唯一でもなく、定説でもないだろうな で、定義がないと論じられないか? 例えば、人がどうあるべきかを論じるのに、人の定義から始めなければならないかね? 37 名前:名無しさん@3周年[sage] 投稿日:2008/05/19(月) 22 04 10 ID 1rzdjc3d 36 再録 資本主義というOSは不具合が多発だ!part6 http //money6.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1209274184/603 603 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/05/14(水) 19 10 48 ID HGAvOMY3 http //www.yk.rim.or.jp/~mitsunob/index.html ↑この掲示板は古典派~マルクス・近経も含めた経済学や社会学の 殆ど全てを簡潔に論じてて、非常に有意義で僕も毎回参考にさせて貰ってます よかったらご利用下さい。 38 名前:lambda ◆GLPLA.M.6I [] 投稿日:2008/05/19(月) 23 01 35 ID 3hR16Kzx 37 このサイトいいと思うわ。 39 名前:名無しさん@3周年[sage] 投稿日:2008/05/19(月) 23 02 38 ID 1rzdjc3d 33-34 歴史的な成立過程は、前スレで書いた。 こんな辺りの議論かな 資本主義というOSは不具合が多発だ!part6 http //money6.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1209274184/501 http //money6.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1209274184/552-554 http //money6.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1209274184/557-559 http //money6.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1209274184/562-565 http //money6.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1209274184/588-589 http //money6.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1209274184/600 http //money6.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1209274184/653 40 名前:名無しさん@3周年[sage] 投稿日:2008/05/19(月) 23 03 09 ID 1rzdjc3d 38 同意 41 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/05/19(月) 23 23 15 ID ab46KPJL ①生産手段の私的所有の法的承認 ②剰余価値のフィードバックによる資本の拡大(縮小)運動 ②②に対して、資本家・労働者という二つ在り方で関わる階層が存在する事 ①について 個人事業主でもない限り、生産手段を保有して生産している人間はいないのではないか? 現実の世界を見れば、生産手段は株式というシステムで社会に共有化されており、これは実は共産主義ではないのかw 資本家と労働者は現在限りなく=であり、そのような階層の分化は無い 何処の世界にこんな定義の資本主義をやってる国があるのかw 42 名前:名無しさん@3周年[sage] 投稿日:2008/05/19(月) 23 43 27 ID 1rzdjc3d 41 ま、いいけど 定義の話をやりだすとこうなる 昔、中学でユークリッド幾何学を熱心に教えていたんだ、おいらのころ で、ユークリッド幾何学では、定義があるんだ 点とは面積のないもだとか 線とは点の動いたものだとか それを続けてゆくと、最後は無定義用語に行き着くんだ これだけは、定義なしに認めないと話が始まらないってところへ行き着く ま、どうぞまたーりお願いします おれは参加しない 43 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/05/19(月) 23 49 00 ID 1rzdjc3d 経済は生き物であり、先に定義があって、その定義にそって経済が動くわけではない 政治も同じ 定義から出発して、果たして生きた政治が捉まえられるのか もちろん、経済や政治が安定した段階では、そういう整理をして、定義を論じることも必要だろう しかし、21世紀は始まったところだ 20世紀の資本主義、社会主義、共産主義という用語の定義をもって、21世紀の政治経済が論じられるかどうか おいらは疑問に思うし 21世紀の新しい概念や新しい用語が出て当然だと思うんだが 例えば、資本主義2.0とかw 44 名前:lambda ◆GLPLA.M.6I [] 投稿日:2008/05/19(月) 23 50 02 ID 3hR16Kzx 41 ①について 個人事業主でもない限り、生産手段を保有して生産している人間はいないのではないか? ここはOK。 現実の世界を見れば、生産手段は株式というシステムで社会に共有化されており、 これは実は共産主義ではないのかw ここはダウト。 社会に共有化されてるんじゃなくて、資産家たちに共有されている。 資産家が共産主義者なら、共産主義になるのかな(苦笑 45 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/05/19(月) 23 58 40 ID WFYo61Qz 41 個人事業主でもない限り、生産手段を保有して生産している人間はいないのではないか? それに関しては「資本家」を特定の人を指すのでは無く、非人格的なものと捉えるべきだろうな 簡単に言うと「法人」と「個人」の違いだな。非人格的な法人が「資本家」であり、そこで働く人が「労働者」 現実の世界を見れば、生産手段は株式というシステムで社会に共有化されており まったく逆で、株式会社の存在こそ資本主義の歴史的特徴なんだよ これに関しては、共産主義云々とは関係無くその定義を述べたんだが・・・ (まず最初に所有権の法的な承認と会社法の発達があった) ついでだけど、あなたの主張するように株式の所有のあり方を見直す事で 資本主義を共産化しようと提案した経済学者も居るがな 何処の世界にこんな定義の資本主義をやってる国があるのか 資本主義でクグレw 俺は定説を述べたに過ぎない 46 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/05/20(火) 00 26 14 ID WpIRD66v 45 法律的に言うと、法人には法人格が認められている。 これは人格の一種だから、非人格的な法人というのは現行法上ありえない。 47 名前:33[] 投稿日:2008/05/20(火) 00 38 12 ID 1RuvVBwz 少々うんざりしてきたが・・・ ×非人格的 ○自然人では無い で訂正。他に用語や文章に間違いがあったら添削してくれ。それじゃ 48 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/05/20(火) 00 39 54 ID 3eNV9XgT 社会に共有化されてるんじゃなくて、資産家たちに共有されている。 資産家が共産主義者なら、共産主義になるのかな(苦笑 つまり、金融システムで限りなく資本を共有していると考えれば、現在は共産主義と考えていいわけだw 49 名前:lambda ◆GLPLA.M.6I [] 投稿日:2008/05/20(火) 00 46 05 ID SOCdeHYk 48 そうだよ。 それで、そのことからどんな新しい知見が得られるのかな? 50 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/05/20(火) 06 53 58 ID 5mm9fWgQ 43 定義の話はお任せするとして 定義から出発しない議論の方法 1.日本と海外の国との比較をする(例えば北欧とか) 2.過去の日本と現在の日本との比較をする 3.理想的な日本の政治・経済・社会体制を考えて、それと現在の日本との比較をする 1,2は相対評価という手法なんだが、これは良く用いられるし、分かりやすい 所詮、絶対評価ってのは難しいんだ 3は、ワークデザインという方法で下記(マルクスの共産主義も理想を考えたので、これだったかも) http //www2s.biglobe.ne.jp/~coach/onepoint/sysdes/sd_wdes.html ワークデザインとは ワ-クデザインは、米国のナドラ-教授が創始した考え方であり、演繹的発想に属します。ワ-クデザインのキーワードは、機能展開と理想システムです。 51 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/05/20(火) 20 18 50 ID 5mm9fWgQ 50 定義の話はお任せするとして 定義から出発しない議論の方法 4.素朴な実感から議論する 例: 「なんか最近おかしくないか? 働いても生活苦しいのに、働かないのに楽しているやつがいる・・・」とか 「なんか格差大きすぎないか? 働きに応じて収入があるというが、何億円もの収入って、どんな働き方なんだよ・・・」とか 52 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/05/20(火) 20 27 09 ID 5mm9fWgQ それから、結局日本は代議制なんで、あまり細かい政策を議論をしても仕方ない 例えば 6 「外交政策 世界会議 日独同盟 中露外交 将来予測」 何が言いたいのかさっぱり分からん 自分が外務大臣でもやるならともかくwww 現実的な議論としては、我々国民に提示されるのは、GかMかの二者択一 G:GIMIN M:MINSYU 二大政党がいいか悪いかの議論はあるも 現在の衆議院小選挙区制では、どうしても当選は二大政党のうちの一人でしょうよ、例外はあるとしても それが現実なんだから、だれかみたいにあまり現実離れした議論してもなー 53 名前:筆者 ◆mn./N732Wo [] 投稿日:2008/05/20(火) 20 40 56 ID YDWk+TZP 統一教会の腐れ洗脳親父が今日も騒いでいるな。気色の悪い事だ。 54 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/05/20(火) 22 12 32 ID 5mm9fWgQ 筆者、乙w ありがとうよww 君は、ほんとうに釣られやすい人間だなwww 56 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/05/20(火) 23 01 56 ID 3eNV9XgT ろくに定義も出来てない資本主義を持ち出して、これは資本主義か社会主義かを議論しても無意味なんじゃねw 57 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/05/21(水) 00 03 56 ID 5mm9fWgQ 必要ない あるのは二者択一の選択肢 52 細かい定義など不要 国民は代議制の政治家に不具合を突きつければ十分だ 政策を考えるのは、彼らの仕事だよ 58 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/05/21(水) 00 25 29 ID SrdKvv0F 資本主義と民主主義って組み合わせがそもそも合わないような気がする 59 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/05/21(水) 01 34 18 ID Wu6LdBzH つか、共産主義が存在しない以上、資本主義1拓しかないだろうw 社会主義は政府主導型の資本主義でしかないしw 61 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/05/21(水) 05 56 22 ID 8jOMQ5sp 60 つか、共産主義が存在しない以上、資本主義1拓しかないだろうw 社会主義は政府主導型の資本主義でしかないしw 完全同意 ”社会主義とは、広義では資本主義の自由放任によって生じる不平等に対して、国家、あるいは社会が何らかの干渉を行い、公正を実現しようというものである。” 60 というならば、資本主義1択しかない しかし、レギュラシオン学派によれば、資本主義は5択だ 60 63 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/05/21(水) 11 48 33 ID Wu6LdBzH レギュラシオン学派だと日本はアジアモデルでね トヨテズムとかいって、トヨタがモデルのはずw 65 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/05/21(水) 18 47 17 ID 8jOMQ5sp 63 ああ、そうなん で、これからどうするかだな 70 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/05/21(水) 19 26 29 ID 8jOMQ5sp いま、832が良い事を言った あそこは、いま499KBで、もう500KBオーバー直前だ なので、こっちに引用する 資本主義というOSは不具合が多発だ!part6 http //money6.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1209274184/832 832 名前:名無しさん@3周年[sage] 投稿日:2008/05/21(水) 12 48 07 ID fZk41wp9 日本滅びて資本主義あり。 人類の大多数が死に絶えようとも資本主義は山や河のように生き残るよ。 <引用終わり> これ、結構共感できる 1.資本主義は、結構エンタメ系に強い。共産主義になって、民放がなくなったら、多くのエンタメ系芸人は失業だろうw。がっかりする人も多いだろうww 2.資本主義は、雑草的なしぶとさがある。確かにマルクスなどに批判された。しかし、それから百年以上雑草のように生き延びてきた。修正を加えながら・・ 3.雑草的なしぶとさにも理由がある。もと、雑草でしょ? 「資本主義」という立派なお名前は、だれか人がつけたもの。もと雑草の生き残りだwww 71 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/05/21(水) 19 35 30 ID 8jOMQ5sp 70 ああ、米国やヨーロッパ、中国、インド、ロシアにも触れておく必要がある ”日本滅びて資本主義あり。” 日本国が滅びたら、その隙間にはお近くの米中ロのどこかが入るだろうぜ 日本は、資本主義陣営に軸足を置いてというのは、大前提 広義の社会主義 70 :資本主義の自由放任によって生じる不平等に対して、国家、あるいは社会が何らかの干渉を行い、公正を実現しようというもの ならば、おそらく世界中の資本主義国は(アメリカも含め)、なんらかの意味でそういう政策をとり、広義の社会主義 ならそれでいいじゃないか それを前提に議論すれば・・
https://w.atwiki.jp/mh-f/pages/49.html
MH2のデータを元に作りました。フロンティアになっての変更点や間違い等があればご指摘ください。 -- (JJ) 2007-05-18 05 58 10 応急薬(支給品専用)携帯食料(支給品専用)怪力の種は入れれないことを確認しました -- (名無しさん) 2007-06-30 15 53 08 なんでにゃかつぼとマカつぼごったになってんのこれwwwwwww -- ( ) 2007-07-01 18 50 54 もえないゴミの青煙で薬草出ました -- (名無しさん) 2007-07-03 15 15 44 って、合ってた。ゴメン -- (名無しさん) 2007-07-03 15 23 01 マタタビを入れて虹まで待っても出来た個数は5個です-- (AKI) 2007-07-15 09 14 53 携帯食料とマカ壷調合できないのは私だけ? -- (名無しさん) 2007-07-19 06 34 00 サボテンの花がボテンの花に・・・・ -- (名無しさん) 2007-09-07 08 50 37 サボテンの花がボテンの花に・・・・ -- (あああああああああ) 2009-04-08 15 42 26
https://w.atwiki.jp/ishigamism_wiki/pages/73.html
作者:岡嶋二人 初版:2000年X月X日 感想: 【1回目】 期間:2008年5月 日数: SF サスペンス 岡嶋二人
https://w.atwiki.jp/nextgov/pages/121.html
88 名前:名無しさん@3周年[sage] 投稿日:2008/06/09(月) 07 23 28 ID /nndEQ/3 85 今、あんたがやってることは、普通に荒らしと変わらん。 おいおい 1はおれだし、スレタイは”資本主義というOSは不具合が多発だ!part9” ”社会民主主義を左派の主流派に戻して国民本位の政治をやろう”じゃないよ 多くの日本人が求めているのは一億総中流時代の再現であり、 キーワードは(結果の)平等、人間らしい生活、社会主義の理念そのものだ。 多くの日本人が求めているのは、まずは具体的政策だろう、新しい21世紀日本の キーワードは政策を考える中から出てくると思うよ ただ、具体的政策を実現するのは与党政府であり、そのためには政権交代がのぞましいと 1 90 名前:名無しさん@3周年[sage] 投稿日:2008/06/09(月) 07 36 35 ID /nndEQ/3 79 あんたがネオリベや新保守に対して怒りを感じている人物ならこんな反応は示さないだろう。 怒りをそのまま外に出すのはこどもだ 怒りを一旦内におさめて、冷静になってまわりを見回せ、そしてなにをすべきか考えろ 91 名前:名無しさん@3周年[sage] 投稿日:2008/06/09(月) 07 42 25 ID /nndEQ/3 69 社会民主主義を左派の主流派に戻して国民本位の政治をやろうよ。 おっちゃん、かなりの年配かな 内容見るとそう思う しかし、”社会民主主義を左派の主流派に戻して”てのが その時代は、ずっと自民党政権だったろ ところが、自民党が国民を裏切ったろ で、自民党のご主人様はアメリカか日本国民かを、彼らにはっきり分からせるには政権交代だと思うけどね で、自民党が反省すれば戻しても良いと思うよw 93 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/06/09(月) 08 08 22 ID N5Pz95c4 88 ”社会民主主義を左派の主流派に戻して国民本位の政治をやろう”じゃないよ そ、荒らしてるのはあんた。誰がどう見てもね。 しかし、自分の意見に歯向かったら荒らし認定ってあんた大丈夫か? 言動がまともじゃないぞ。 多くの日本人が求めているのは一億総中流時代の再現であり、 キーワードは(結果の)平等、人間らしい生活、社会主義の理念そのものだ。 多くの日本人が求めているのは、まずは具体的政策だろう、新しい21世紀日本の キーワードは政策を考える中から出てくると思うよ キーワードは(結果の)平等、人間らしい生活、社会主義の理念そのもの、 これを現実のものとする「具体的政策」を求めてるって話だろ。 求めてるのが「社会主義の理念そのもの」でリベラル(自由主義)でないという話は動かん。 キーワードは政策を考える中から出てくると思うよ 要するにあんたは自分の独り善がりな政策の中からキーワードが出てくるといいたいわけだな。 というより、自分の政策は正しいから国民に支持させようって発想だな。なんだそれは? ただ、具体的政策を実現するのは与党政府であり、そのためには政権交代がのぞましいと 1 もうこうなってくると民主党に対するネガキャンやってるとしか思えんわw あんたみたいに「政策の中からキーワードが出てくる」とか言ってる奴が一番危険なんだよ。 こんなもの昔の改革狂い時代の民主党と全く同じ手口じゃないか。 94 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/06/09(月) 08 13 14 ID N5Pz95c4 90 あんたがネオリベや新保守に対して怒りを感じている人物ならこんな反応は示さないだろう。 怒りをそのまま外に出すのはこどもだ 怒りを一旦内におさめて、冷静になってまわりを見回せ、そしてなにをすべきか考えろ あんたの態度はネオリベや新保守を擁護する立場だと言ってるんだよ。 普通に読めばそう読めるようにこっちはきちんと書いてるぞ。 91 社会民主主義を左派の主流派に戻して国民本位の政治をやろうよ。 おっちゃん、かなりの年配かな 内容見るとそう思う しかし、”社会民主主義を左派の主流派に戻して”てのが その時代は、ずっと自民党政権だったろ 確実にあんたより若いと思う。 あんたみたいにリベラルや自由主義にしがみつき、社会主義を過剰に敵視するのは冷戦時代の人間だ。 そんな下らない思考はこっちは持ち合わせてないんでね。 それに旧社会党が政権を取れなかったのはCIAによる左派政権潰しの為の分裂工作が大きい。 社会党が右派の民社党と左派の社会党とに分裂した為に双方の右傾化・左傾化が進み、政権が取れなかった。 それ以上でもそれ以下でもない。 ところが、自民党が国民を裏切ったろ で、自民党のご主人様はアメリカか日本国民かを、彼らにはっきり分からせるには政権交代だと思うけどね 改革路線時代の民主党はまさにアメリカの犬で役立たずだったがその件はスルーか? そしてそのアメリカの犬まがいの奴らが民主党にはまだ腐るほど残ってて力を持ってるよな。 で、自民党が反省すれば戻しても良いと思うよw 意味が不明。 95 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/06/09(月) 08 22 45 ID N5Pz95c4 89、92 このウィキって人、俺には今ひとつよく分からないんだわ。 社民主義の復活を阻止する立場と、民主党政権を作ろうという立場であることは非常にハッキリしている。 反資本主義的なスレで資本主義以外に選択肢はないと豪語している点から、 高まるであろう反資本主義的勢力の台頭を阻止したい側の人という事も読み取れる。 しかし、それ以外の部分がまるで分からない。 上記から見えてくる姿は、アメリカの意向通りに動く、親米派であるという点だけ。 96 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/06/09(月) 08 28 52 ID Eoou35H8 92 このスレで断トツにガキっぽくて精神年齢が低いのは誰が見ても筆者だろ。(爆) 97 名前:日本からの社民主義を含む社会主義勢力追放はアメリカの悲願[] 投稿日:2008/06/09(月) 08 29 57 ID N5Pz95c4 CIA:日本の左派勢力の弱体化狙い秘密資金工作 米中央情報局(CIA)が1950年代から60年代半ばにかけ、日本の左派勢力を 弱体化させ保守政権の安定化を図るために、当時の岸信介、池田勇人両政権下の自民党 有力者に対し秘密資金工作を実施、旧社会党の分裂を狙って59年以降、同党右派を財 政支援し、旧民社党結党を促していたことが18日、分かった。 国務省が編さん、同日刊行した外交史料集に記された。編さんに携わった国務省担当 者は共同通信に対し「日本政界への秘密資金工作を米政府として公式に認めるのは初め てだ」と語った。 米ソ冷戦の本格化や共産中国の台頭で国際情勢の緊張が高まる中、米国が日本を「反 共のとりで」にしようと自民党への財政支援に加え、旧社会党の分断につながる工作ま で行っていた実態が裏付けられた。日本の戦後政治史や日米関係史の再検証にもつなが る内容だ。 ニューヨーク・タイムズ紙は94年、マッカーサー2世元駐日大使の証言などを基に 、CIAが自民党に数百万ドルの資金援助をしていたと報じたが、当時の自民党当局者 は「聞いたことがない」としていた。(共同) 毎日新聞 2006年7月19日 10時08分 左派弱体化へ秘密資金 米CIA、保革両勢力に 【ワシントン18日共同】米中央情報局(CIA)が1950年代から60年代にか けて、日本の左派勢力を弱体化させ保守政権の安定化を図るため、当時の岸信介、池田 勇人両政権下の自民党有力者と、旧社会党右派を指すとみられる「左派穏健勢力」に秘 密資金を提供、旧民社党結党を促していたことが18日、分かった。 同日刊行の国務省編さんの外交史料集に明記された。同省の担当者は「日本政界への 秘密工作を米政府として公式に認めたのは初めて」と共同通信に言明した。 米ソ冷戦が本格化した当時、日本を反共の「とりで」にしようと、自民党への支援に 加え、左派勢力を分断する露骨な内政干渉まで行った米秘密工作の実態が発覚。日本の 戦後政治史や日米関係史の再検証にもつながる重要史実といえそうだ。 2006年 7月19日 (水) 10 50共同 98 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/06/09(月) 08 43 20 ID Eoou35H8 97 そんなの常識じゃん。わざわざコピペしても無意味だな。ここには親米派なんていないよ。 勝手に妄想して仮想敵相手に戦ってなさいw 103 名前:名無しさん@3周年[sage] 投稿日:2008/06/09(月) 20 54 50 ID /nndEQ/3 95 乙! このウィキって人、俺には今ひとつよく分からないんだわ。 ま、いい マターリしていきな 自分が訴えたいこと、社会主義かい? それがなぜ必要か なぜいま社会主義かを訴えてみなよ そうすりゃ、みながどんな反応をするか見えるだろう すくなくとも、いまのところあなたの主張に拍手喝さいする人は少ないみたいだが ”今ひとつよく分からない”というのは、あなたが20世紀のコンセプトでおれを理解しようとするから いま21世紀だよ。 反資本主義的なスレで資本主義以外に選択肢はないと豪語している点から、 資本主義は一つではない。レギュラシオン学派による資本主義類型は下記 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%87%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9 資本主義 4 レギュラシオン学派による資本主義類型 4.1 市場原理型資本主義:アングロサクソンモデルとも言われる。 4.2 福祉国家型資本主義:北欧モデルとも言われる。 4.3 コーポラティズム型資本主義:大陸ヨーロッパモデルとも言われる。 4.4 自営業型資本主義:地中海モデルとも言われる。 4.5 大企業型資本主義:アジアモデルとも言われる。 (引用おわり) 106 名前:名無しさん@3周年[sage] 投稿日:2008/06/09(月) 21 03 26 ID /nndEQ/3 74 じゃ、”社会民主主義を左派の主流派に戻して国民本位の政治をやろう”という新スレでも立ててみなよ 人が集まるかどうか ま、人は集まらない。分かっているよ。ま、ここを使いな 日本人には、社会主義や社会民主主義にアレルギーを感じる人は多い ここで自分の主張を訴えて見て、体で感じろよ 社会主義的政策に反対しているわけではない 23 ただ、それを社会主義という言葉で訴えても、耳を傾ける人は少ないだろうということだ 120 名前:名無しさん@3周年[sage] 投稿日:2008/06/09(月) 21 37 32 ID /nndEQ/3 94 確実にあんたより若いと思う。 あんたみたいにリベラルや自由主義にしがみつき、社会主義を過剰に敵視するのは冷戦時代の人間だ。 確実に若いか・・・。「冷戦時代の人間だ」? とするとソ連崩壊後の世代? ソ連崩壊が1991 15 いま2008だから17年か なら、20代後半から30代か 69 社会民主主義を左派の主流派に戻して国民本位の政治をやろうよ。 自民党は社会主義政策をやっていたんだ。そのとき社会党が野党第一党だった http //ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%B8%BB%E7%BE%A9 自由民主党による長期政権下の日本を、「世界で最も成功した社会主義国」と称する事がある。 自由民主党は資本主義の擁護と発展を基本理念とし、社会民主主義やマルクス主義を支持する日本社会党や日本共産党を抑えて、1955年の結党以来ほぼ一貫して政権与党の座にある保守政党である。 しかし、自由民主党は資本家だけではなく農林漁業者や自営業者、さらに賃金労働者まで広範囲にわたる支持層を得ていたため、各階層への漏れのない利益配分をする必要があった。 そこで、「自由民主党は強力な官僚機構が持つ行政指導・調整能力を利用して、資本家の意向を政策展開により強く反映させながらも、 アメリカ合衆国などと比較すると貧富の差が比較的少ない「総中流社会」の形成と全体の経済水準の底上げに成功した 244 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/06/11(水) 01 13 50 ID VfVhdmDw 197 あんた、本当に最低だな。 で、筆者の取り巻きくんは、具体的には何も語らず、”社会民主主義を左派の主流派に戻して国民本位の政治をやろうよ。” 69と それはないんじゃないの? 具体的に「ここを手直ししていこう」という訴えるものなしに・・・ おいおいおいおい。93で思い切り キーワードは(結果の)平等、人間らしい生活、社会主義の理念そのもの、 これを現実のものとする「具体的政策」を求めてるって話だろ。 求めてるのが「社会主義の理念そのもの」でリベラル(自由主義)でないという話は動かん。 って書いてるだろ。それに関して詭弁を弄しまくって訳の分からん事を言いまくったのはあんたじゃないか。 印象操作だけは呆れるくらい一人前だな。まあそれがあんたが工作員である証にもなるんだが。 ウィキさん、こういう気違いは適当に相手しておくのがいいよ。 了解! 要するにあんたは都合の悪いレスをつける俺と話さなくて済むようにこういう言動を引き出したかっただけだろ。 つまり「こういう気違いは適当に相手しておくのがいい」って書いた奴はあんたの自演か工作仲間ってことじゃないか。 207 一言でいえば、”筆者の未熟な非常識 vs 世間の常識(おいら)”かなw 「世間の常識」なんてものは実体がないもので、一個人が体現できるものじゃない。 245 名前:筆者 ◆mn./N732Wo [] 投稿日:2008/06/11(水) 01 16 30 ID nsGPUCDu 244 なるほど、それが民主党の意見なわけですか? 246 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/06/11(水) 01 19 25 ID VfVhdmDw 245 筆者、俺はウィキじゃなくて、あいつとやりあってる側w 247 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/06/11(水) 01 20 03 ID VfVhdmDw 208 だからそれがCIA工作の傷跡だって言ってんのに何回も同じ事を言わせるなよ。 209 今、求められているのは、社会民主主義であり、リベラリズムではない。 求められているのは民社党と旧社会党・社民連が合流した「政権獲得が可能な」本当の社会党なんだよ。 211 社会主義なんて、抽象的なわけわからんことを主張するより、個別具体的な政策で格差解消とか資本主義の不具合を是正すれば良いと 社会民主主義だとはっきり書いてるんだから抽象的でもなんでもないだろ。 広義の社会主義である社会民主主義が理解されて伸びてくる事を阻止したい側の人間だってよく判るよ。 それを誰かが”ぐだぐだ”いうなら、これからも折に触れて日本社会党の恥部を書くぞ!w (いままで遠慮してあまり書かなかったけどねww) さっさと書いてね。その方が工作員が常駐してると分かり易くなって好都合。 249 名前:筆者 ◆mn./N732Wo [] 投稿日:2008/06/11(水) 01 28 30 ID nsGPUCDu 246 あ、よく読むと…めんぼくない。長文=ウィキと見る癖がついているみたいですね(汗 250 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/06/11(水) 01 31 39 ID VfVhdmDw 231 必死になって社会党を否定する言動は民主党の人間の特質なんだよね。 ただし連中は社民主義を否定し、社民主義が主要に返り咲く事まで異様に敵視しているので、 民主党でも新自由主義に傾斜していた改革路線時代の民主党主流派系の人間でしょう。 ↓要するにこういう事を言ってるお馬鹿な連中。別名、外資族とも言いますが。 996 :無党派さん:2008/06/09(月) 12 50 58 ID +d4auHCN 976 良し悪しは別にして、自民だの民主だの関係なく、庶民受けが良いのは 橋下や長妻を見れば分かるとおり、官僚・公務員を叩く勢力。 この流れは郵政選挙以前から続いており、ここ数年変わっていない。 その意味で、官公労と一体の左派=横路グループはお荷物でしかない。 改革の是正を言うにしても、旧来型の社民路線ではなく、 90年代の菅直人のような「リバタリアン寄りのリベラル」路線でいくべき。 251 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/06/11(水) 01 39 09 ID VfVhdmDw 249 気にしなくていいよ。 ウィキを相手してると疑心暗鬼になってくるのは俺も同じだから。 256 名前:筆者 ◆mn./N732Wo [] 投稿日:2008/06/11(水) 01 58 49 ID nsGPUCDu 250 251 いやはや、正直いって、民主党にもあんまし期待は出来そうもありませんね(汗 261 名前:新自由主義改革を見直し、政権交代を ◆awGf4Sny.k [] 投稿日:2008/06/11(水) 05 38 15 ID HYWZHeJn いいスレになってきたねw さて、世の中の時計の針は、どんどん進む 筆者と社会主義者のその取り巻き君が予想を外していることは、その内明確になるだろう 衆議院の任期は後1年。1年以内に確実に選挙がある まずは、そのときにどの党を選んで具体的にどういう政策をして欲しいのか(当然新自由主義改革の見直しだと思うが 205) 理念を語るのも必要だが、これも必要 262 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/06/11(水) 06 00 17 ID gxuS8s59 261 民主党内の改革派(=外資族)が巻き返して再び主導権を握りなおし、 改革賛美の外資族メディアと結託して民主党政権で小泉改革継承ですか? 表向きは新自由主義の修正であると大々的な大嘘を垂れて。 そして日本社会を徹底的に破壊して新自由主義社会に変える、と。 未だに第三の道詐欺をやる気満々のリベラル≒新自由主義者が力を持ってる事は認める。 果たしてウィキペディア=左派系新自由主義者の思い通りに行くかな? もしも思い通りにいったら日本は強制終了だ。 263 名前:新自由主義改革を見直し、政権交代を ◆awGf4Sny.k [] 投稿日:2008/06/11(水) 06 07 32 ID HYWZHeJn 261 さて、世の中の時計の針は、どんどん進む 浜田 和幸からのメールは、どうも来そうもないね 68 (一週間ほど待つけど、返信こなけりゃ決着でいいよな? 浜田のガセってことで) ま、”一週間ほど待つ”としたから金曜日が期限だが、メールって2-3日経つと新しいのがどんどん来て埋もれる。もう埋もれだろう 浜田がガセ書いたというのは、ほぼ確定かな いや、こう書くのは浜田信者が読んでいたら、浜田様にご注進して浜田に返信するチャンスを与えるためだけど (一週間過ぎても、もちろん浜田から”一次資料はこれです”と名誉回復の余地は残っているが、ま、それ出来ないから”メールを無視した”可能性が大だろうと これ前スレからの議論で(下記) http //money6.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1212179384/663 浜田信者よ、早く浜田様にご注進してやってくれ。”ガセ記事書いたといわれています”とw http //money6.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1212179384/603 つべこべ言ってないでいいからさっさと氏にメールで問い合わせなさい。 そしてその結果をここに書きなさい。それで全て片はつくだろ? ) 264 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/06/11(水) 06 11 48 ID gxuS8s59 それにしてもこのウィキペディアのおっさんはw 予想を外していることは、その内明確になるだろう 予想を外すも何も、俺は民主党政権が誕生すると普通に言ってるわけだが。 あんたと議論してるのは「社民路線」を巡る点だけであって、 より厳密には「社民路線」と「社民主義」は別物だと意味不明な詭弁を吐き、 「社民主義」は支持されないだのと訳の分からん事をあんたが一人で言ってるだけだろう。 逆に民主党政権が出来れば、俺の説を証明・強化してくれるだけなんだがな。 190 :名無しさん@3周年:2008/06/10(火) 01 12 44 ID 9GCmDgWU ただ、それを社会主義という言葉で訴えても、耳を傾ける人は少ないだろうということだ こんなものにしてもそうだが、仮に事実だとしてもだ、 社会民主主義に対する認識を広める努力をすればいいだけだろう。 実際に「社会主義思想そのもの」が求められている現状があるのだから楽な話だ。 民主党は第二社会党とも叩かれ、 また、実態は全く異なるのに社会主義政党とも叩かれてきたが、 そんな民主党がその誤解を解かれない形でも伸びている現実がある。 つまりウィキペディアが言ってる話は現状に即さない嘘八百と言うこと。 265 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/06/11(水) 06 18 09 ID gxuS8s59 大体、小沢・菅が代表選を戦って小沢が勝ち、党の路線も社民路線に切り替えられ、 それで民主党の支持が本格的に政権を取れる勢いに転じた時点でリベラルの敗北は確定だろうが。 小沢の勝利と社民路線への転換に大きな役割を果たしたのは旧社会党が小沢支持に回った為。 あとは組織固めの為に左傾化しつつある連合の県連化を小沢氏が進めた事な。 266 名前:新自由主義改革を見直し、政権交代を ◆awGf4Sny.k [] 投稿日:2008/06/11(水) 06 20 15 ID HYWZHeJn 262 もしも思い通りにいったら日本は強制終了だ。 その答えは、 199 ”オンオフ制御。民主党に対する制御装置として、自民党の”真の国民政党”への再生を望む”だ 自民党が”真の国民政党”への再生すれば、強制終了の前に民主党をオフして制御すればいいべw 改革賛美の外資族メディアと結託して民主党政権で小泉改革継承ですか? これ 1 ”新自由主義改革(=竹中-小泉改革)を見直し、政権交代を実現する” コテはこれから取っているけどw どう曲解したら、小泉改革継承になるのかわからんww 果たしてウィキペディア=左派系新自由主義者の思い通りに行くかな? おれコテ付けたんで、”新自由主義改革を見直し、政権交代を”さんと正しく呼んでくれるかなwww 267 名前:新自由主義改革を見直し、政権交代を ◆awGf4Sny.k [] 投稿日:2008/06/11(水) 06 26 40 ID HYWZHeJn 264-265 予想を外すも何も、俺は民主党政権が誕生すると普通に言ってるわけだが。 そうなん? より厳密には「社民路線」と「社民主義」は別物だと意味不明な詭弁を吐き、 「社民主義」は支持されないだのと訳の分からん事をあんたが一人で言ってるだけだろう。 おいらには、あんたが民主党に「社民主義」のレッテル貼りをして、アンチ民主党のキャンペーンをやっているとしか思えんけどね そもそも、政権交代は最初から入っているわけだし、 1で 269 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/06/11(水) 06 27 27 ID gxuS8s59 265はちょっと日本語がおかしかったな。まあ意味は通じたとは思うが。 あとひとつ触れると、昨年末には社民党と民主党との合流話も持ち上がってる。 もともと労組が社民・民主で分裂している状況を変えて欲しいって話があり、 また社民合流は旧社会党組織の統合を意味し、党内での旧社会党の影響力が増大する。 のみならず、新社・共産を除く革新勢力が民主党に総結集した事にもなる。 リベラル派は第三の道が英独でこけて思想を失い、ふらついた形になっているし、 今後はリベラル派が消えて社民主義への集約とかが起きる可能性が高い。 リベラル派と社民派との関係が完全に、劇的に逆転したのがここ数年の流れだからな。 気の毒だがリベラルはもう終わりだ。 266 今さら自民工作員のふりなんぞするなよ。違うのは分かってるからさ。 270 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/06/11(水) 06 31 46 ID gxuS8s59 267 だから嘘つくなって言ってんだろ。 今の民主党を社民であるとみなして応援してる人は多い。 民主党の人間ならその事は普通に知ってるだろ。 民主党を社民主義だと呼ぶ事はプラスになってもマイナスにはならない。 千葉補選の時に負け組を作らない社会という社会主義的スローガンで戦い、 自公から社会主義だ、共産主義だと叩かれたが勝利しただろう? あの頃から明らかに風向きが変わってる。 271 名前:新自由主義改革を見直し、政権交代を ◆awGf4Sny.k [] 投稿日:2008/06/11(水) 06 34 37 ID HYWZHeJn 266-267 補足すれば、おいらは手放し民主党マンセーじゃないし 「社民主義」というレッテル貼りも好まない キーワードは、 199で書いた”真の国民政党” それと、具体的政策では、”ポイントは、日本の政治が米国金融グローバリズムをうまく制御すること” 15 ”3.欧米のハゲタカファンドの買収に対する防衛策は当然で、正当な行為(野放しなら1952年のキューバになるよ)” 205 272 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/06/11(水) 06 37 32 ID gxuS8s59 271 それってもしかして勝共連合だからとかw 民主党の一部は変なお方達(統一教会)と仲良しだからね。 社会民主主義はレッテルではないし、そんなネガティブなものでもない。 273 名前:新自由主義改革を見直し、政権交代を ◆awGf4Sny.k [] 投稿日:2008/06/11(水) 06 40 26 ID HYWZHeJn 271 ”野放しなら1952年のキューバになるよ”の補足下記 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%90#.E7.95.A5.E5.B9.B4.E8.A1.A8 キューバ 1952年にバティスタはクーデターで政権を奪取し、憲法を停止した上で独裁政治を開始した。 二度目のバティスタ政権は一度目とは違い、腐敗、弾圧、独裁が続いた。 これにより、アメリカのキューバ支配は頂点に達し、バティスタ政権とアメリカ政府、アメリカ企業、アメリカマフィアの4者がキューバの富を独占し、その富がアメリカ本土に流れるような社会構造が形成された。 (引用おわり) 275 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/06/11(水) 06 42 51 ID gxuS8s59 民主党の迷惑応援団・統一教会w 民主党の支援団体 世界基督教統一神霊協会(統一教会) 従来、自民党を支持する団体と考えられてきたが、近年、統一教会の民主党への接近が一 部で指摘されている。鳩山由紀夫が民主党メンバー10数人とともに統一教会の『救国救世 全国総決起大会』に出席したことや、地方選挙で教会幹部とされる人物の出馬などが報じ られている。 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E4%B8%BB%E5%85%9A 276 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/06/11(水) 06 45 50 ID gxuS8s59 273 それをやろうとすると 世論の風を使って外資族を封じ込めつつ非外資族で政権運営 民主から外資族を追い出し、自民の非外資族と連携する のどっちかしかない。ただし後者は絶望的。 277 名前:新自由主義改革を見直し、政権交代を ◆awGf4Sny.k [] 投稿日:2008/06/11(水) 06 48 06 ID HYWZHeJn 269 265はちょっと日本語がおかしかったな。まあ意味は通じたとは思うが。 多少通じた まじ、あんたアンチ民主党のキャンペーンやってるおもたw (悪いが、いまでもその警戒は解いていない) 気の毒だがリベラルはもう終わりだ。 そういうレッテル貼りもなんだかなー ”リベラル”って、意味が広いし、新自由主義者やネオコンの代名詞みたく使うのは抵抗あるけど。あんたの仲間内ではそうかも知れないがね そういう言い方が、アンチキャンペーンぽい 社民主義をもっと幅広く捉えたらいいと思うけどね(幅広く捉えないと政権は取れないぞ) 279 名前:新自由主義改革を見直し、政権交代を ◆awGf4Sny.k [] 投稿日:2008/06/11(水) 06 51 45 ID HYWZHeJn 276 のどっちかしかない。ただし後者は絶望的。 まあ、待て あんたの考え方は、固い いま、lambdaさんが制御理論を応用して、新しいモデルを作ろうとしている おいらの考えは、それもオンオフ制御。中間路線もありだと 280 名前:新自由主義改革を見直し、政権交代を ◆awGf4Sny.k [] 投稿日:2008/06/11(水) 06 57 44 ID HYWZHeJn 269 今さら自民工作員のふりなんぞするなよ。違うのは分かってるからさ。 いや、自民工作員が政権交代を主張するのはおかしいでしょw 266 その答えは、 199 ”オンオフ制御。民主党に対する制御装置として、自民党の”真の国民政党”への再生を望む”だ 自民党が”真の国民政党”への再生すれば、強制終了の前に民主党をオフして制御すればいいべw おいらにしてみれば、民主党と”真の国民政党へ再生した自民党”とが二つそろって、オンオフ制御が成り立つわけで オンオフ制御が成り立って、真の国民主権が成り立つと 140 282 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/06/11(水) 07 05 51 ID obkILjse 277 そういう言い方が、アンチキャンペーンぽい 社民主義をもっと幅広く捉えたらいいと思うけどね(幅広く捉えないと政権は取れないぞ) その理屈で新自由主義傾斜の第三の道を社民だと言い張り、新自由主義者を増やしたのがこれまでだろ。 それをやめて社民派を増やしていかなきゃならんのが現在の情勢であって話があべこべだ。 その手の連中を、数合わせの問題もあるので叩き出す気はないが、大人しく黙っててくれって話だ。 第三の道というのは社民主義でもなんでもなく、ただのネオリベだったわけで、 ドイツ社民党も新中道をやめ、イギリス労働党はじきに政権を失うところまで追い込まれた。 しかもアメリカでも旦那ビルの第三の道路線を継承するヒラリーはより左派のオバマに敗れた。 もう完全に「新自由主義+社民」の第三の道の時代は終わったんだよ。 もしもリベラル派が昔みたいに「新自由主義改革とブレアが必要なんだ」と豪語したら それこそ自公から突っ込まれる、社民共産国民新からも突っ込まれて政治生命絶たれるぜ? そういうレッテル貼りもなんだかなー ”リベラル”って、意味が広いし、新自由主義者やネオコンの代名詞みたく使うのは抵抗あるけど。 あんたの仲間内ではそうかも知れないがね リベラル派の菅氏が新自由主義=リベラルと使ってる証拠なら何回も挙げてるだろ。 都合の悪い部分だけ見ざるか聞かざるって姿勢をいい加減に改めろよ。 280 欧州では普通に保守政党と社民政党とが政権交代を繰り返しているわけで、 保守政党と自由主義政党による二大政党制をやってるのは英米圏だけだろ。 社民からリベラルへの転換を唱えていた菅氏はアメリカを手本にすると言っているし、 裏を返せば保守政党と社民政党とによる二大政党を作らなければ駄目だということ。 283 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/06/11(水) 07 23 32 ID Sr8qOYTm 民主党の支持が増えたのは社民派が支持されるようになったからではなくて、自民党に対する失望感から消極的選択の対象になっただけなんだよね。 それに社民系に関しては、「早く離党して社民党と一緒になればいいのに」という見方が一般的だな。 俺は新自由主義は好きではないが、そもそもなぜ新自由主義が出てきたかというと、英国では、かつての社会主義的な労働党政権下で停滞が著しくて英国病と呼ばれる程になっていたからだろ。 新自由主義についても社民主義についても冷静かつ公平に長所短所を語れなきゃな。 284 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/06/11(水) 07 24 00 ID obkILjse ↓一応、断っておくが、これはネガキャンじゃねえからな。 改革路線時代の民主党が政権を取り、新自由主義改革を実行していたなら、 新自由主義改革推進の為の純粋な政治勢力として、強烈な改革が実行されただろう。 連合も正規雇用の大企業社員の利益のみに固執してそれに賛同したはずだ。 そして中小企業とその労働者や非正規雇用は悲惨な生活を強いられ、 自殺者や医療難民が山のように出て一億総中流社会は跡形もなく破壊される一方、 新自由主義改革の恩恵による大富豪達が続々と誕生しただろう。 そして民主党政権に対する国民の怒りは自民党が一身に受けることとなり、 自民が政権を奪還すると、議席が大激減した民主党は解党に追い込まれたはずだ。 冗談抜きで、もしも民主党が改革路線時代に政権取ってたらこうなってたはずだ。 多分、自民党は下野した後に分裂するか解党するかのどちらか。 ウィキが望むような自民党の国民政党としての再生の可能性は限りなく低い。 285 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/06/11(水) 07 31 10 ID obkILjse 283 民主党の支持が増えたのは社民派が支持されるようになったからではなくて、 自民党に対する失望感から消極的選択の対象になっただけなんだよね。 残念でしたね。参院選では農家に対する所得保障という社会主義政策が勝因となっています。 それに社民系に関しては、「早く離党して社民党と一緒になればいいのに」という見方が一般的だな。 今では経済に疎いネットウヨクとネオリベの人が勝手にそう言ってるだけになりましたね。 それとも一般的見解というのはごく一握りのネットウヨクとネオリベの意見を指すのでしょうか。 俺は新自由主義は好きではないが 言い訳がましく嘘は吐かなくていいですよ。 英国では、かつての社会主義的な労働党政権下で停滞が著しくて英国病と呼ばれる程になっていたからだろ。 新自由主義についても社民主義についても冷静かつ公平に長所短所を語れなきゃな。 単なる新自由主義者の戯言。中立性の欠片もない。「だろ」の部分に怒りと焦りが感じられて笑えますw サッチャーはイギリス経済にとどめを刺した無能政治家として歴史に名をとどめる事でしょう。 286 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/06/11(水) 07 36 03 ID obkILjse 保守派からも左派(社民派)からも新自由主義という毒を抜き去り、 新自由主義はやらない、福祉国家維持で左右双方が見解の一致を見る、 この状況にしないと駄目だな。道のりは険しい。 287 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/06/11(水) 07 37 30 ID b7IshCF+ 1 この男は社会から阻害されているため、現政権に不満を抱いている不満分子である。 政権が変われば、こんなはずではなかったと益々不満を抱くようになり、危険分子となる。 288 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/06/11(水) 08 17 52 ID Sr8qOYTm 284 民主党が強烈な新自由主義政策を実施できる程一枚岩だった時期は今も昔もない。妄想乙だなw。 285 事実を都合よく解釈した酷いカキコだな。それだから「狂信者」って言われるんだぜ。 農家の所得補償自体はいい事だと思うね。でも財源はどうするんだ?特別会計のムダを省いて捻出って言ってたが順番が逆だろ? 英国でかつての労働党政権が深刻な英国病を招いた一方でサッチャーが英国を復活させたのは歴史的事実だが何か? 君はいつも英国病について語らないで逃げるよね。 289 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/06/11(水) 08 29 36 ID Sr8qOYTm 285 狂信者君は的外れなカキコが多いから面白いよね。 前のカキコに付け加えるが、俺が民主党の支持増について言ったのはごく最近の話だけではない。 以前から、民主党の支持が増えているのは、自民党が劣化して頼りないため消極的選択の受け皿と見なされているからだというのは報道機関の調査でも明らかなんだよね。君の言ってるのはごく最近の話だよ。 俺は平沼氏あたりの保守系を支持しているし、新自由主義者じゃないね。残念だったねw。 どんな主義についても長所短所を冷静に分析する事のどこが不公平なんだい?面白い事言うね。 290 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/06/11(水) 08 32 57 ID 7dWf8USx 民主党、社民党、共産党=竹島・北方領土売国集団 民主党、社民党、共産党=対馬、沖縄売国構想集団 民主党、社民党、共産党=日本株を暴落させロシアSWF、中国SWFに 日本企業を叩き売りさせる構想の売国集団。 291 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/06/11(水) 08 33 38 ID Sr8qOYTm さて、じゃあ狂信者君に質問。 君は1970年代以前に英国を「英国病」という長期の停滞に陥れた社会主義的労働党政権に関して、どう考えているのかな? 君はいつもこの質問から逃げるが、今回はぜひ君の意見を聞かせてほしいな。 292 名前:名無しさん@3周年 ◆9YzZouIJBw [sage] 投稿日:2008/06/11(水) 13 00 30 ID LXzqazCl 284 民主党が政権を取ったらどうなるかはなかなか不確定要素がおおく、判断が難しいところがあります。 しかし、少なくとも前回の参議院選挙で民主党が躍進した結果が自民党政治にも重大に影響している可能性がおおいにあるように感じます。 つまり、自民党が参院選で勝利していたら、 肝炎問題に関してより高圧的な対処がなされていた。 道路財源の一般財源化を自民党から提唱しなかった。 後期高齢者医療制度の改善案が自民党から提示されなかった。 国家公務員制度改革がなされなかった。 などなどの傾向があったかもしれません。 自民党内部の改革派(一概によいとはいえない)が改革するうえで、こうしないと自民党がつぶれてしまうという格好の理由を得た状態が現出しています。 改革派の目的が、日本をよくすることなのか、自民党政権の存続なのか、自己利益の追求なのかは私にはわかりませんが、 野党が躍進しなければ、彼らの提案は自民党内部で封殺されていたことでしょう。(そして現在でも封殺される可能性があります) 296 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/06/11(水) 16 43 35 ID GvuDfBEQ 211 これは重要な情報ですね。 例えば自民与党が法案を通すときに野党を買収していたということもあったのでしょうね。 勉強になりました。 297 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/06/11(水) 16 52 21 ID sfHroXui 児玉誉士夫と社会党に関係があったのは間違いない。 298 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/06/11(水) 18 10 27 ID xKbUXymu 296 カネが動いているとすればそれはそれで問題だが、この辺はそれほど単純 ではなくてね、外見的には対立しながら与野党で国の方針を造っていく 局面も在るから。 一つ例をあげれば核戦略とかね。一応、政府は非核三原則を堅持すると 言いつづけてるでしょ。たまに野党側が米軍の核兵器持ち込み疑惑を問う、 政府は事前協議が無いから・・とのらりくらり答える。これは質問も正しく、 答弁も正しい。 こういう作業によって実は日本はかなり強力な核抑止力を保持しているんだ けど、この論理わかる?。 299 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2008/06/11(水) 18 37 09 ID fyLsHAKI 298 おれ庶民なんでそんなことどうでもいいんですけど。 アキバとかが怖い街にならないような政治しなよ。 CIAのカネとか共同通信のソース貼ろうか?
https://w.atwiki.jp/nioka/pages/554.html
1 名前:どうですか解説の名無しさん mailto sage [2007/11/14(水) 01 25 33.23 ID t7WQohqz] 遠投の腕輪「しゃーない」 2 名前:どうですか解説の名無しさん [2007/11/14(水) 01 27 58.31 ID 0FzgsNGM] 涙なしには語れない 3 名前:どうですか解説の名無しさん mailto sage [2007/11/14(水) 01 28 26.08 ID oGkvThml] ペケジ「マイナスあるで」 5 名前:どうですか解説の名無しさん [2007/11/14(水) 01 33 55.96 ID b39RXoWu] これは笑えない 6 名前:どうですか解説の名無しさん [2007/11/14(水) 01 34 03.87 ID +2kmyoOJ] どんでん「めぐすり草あるで」 7 名前:どうですか解説の名無しさん [2007/11/14(水) 01 37 09.65 ID dWh9F/bo] 二岡、やくそうを食べて最大HPが1あがる 9 名前:どうですか解説の名無しさん mailto sage [2007/11/14(水) 01 41 26.65 ID oGkvThml] フェイ「シレンがアホやから(新しい)ダンジョンがでけへん。」 10 名前:どうですか解説の名無しさん [2007/11/14(水) 01 41 58.62 ID WyDK6q7f] 店主「残念だが当然。男らしい最期と言える。」 11 名前:どうですか解説の名無しさん [2007/11/14(水) 01 42 23.30 ID hHMVMTwe] 二岡、セルアーマーに弾かれた剣が店主に命中。 12 名前:どうですか解説の名無しさん [2007/11/14(水) 01 43 10.74 ID 2UR77TbP] 二岡、階段まで後一歩でつるはしが壊れる 13 名前:どうですか解説の名無しさん [2007/11/14(水) 01 44 35.58 ID qAFhWwiv] 二岡「(剛剣マンジカブラに)切り替えていく」 14 名前:どうですか解説の名無しさん [2007/11/14(水) 01 46 58.44 ID WyDK6q7f] 二岡、イッテツ戦車にボコボコにされる 15 名前:どうですか解説の名無しさん [2007/11/14(水) 02 00 38.78 ID CSIgL/xS] 二岡、盲目の少女にいたずらをしようとするも逮捕 17 名前:どうですか解説の名無しさん [2007/11/14(水) 02 03 16.61 ID BbSsajgJ] 「小坂ハウスだ!」 18 名前:どうですか解説の名無しさん [2007/11/14(水) 02 30 39.21 ID tHQ7zErg] 二岡大部屋→かなしばりで泥棒を企むも間にエーテルでビルがいたため死亡 19 名前:どうですか解説の名無しさん [2007/11/14(水) 02 32 57.55 ID Qd6cdiy7] 二岡、テーブルマウンテンのボスが同士討ちであっさり倒せてビビる 21 名前:どうですか解説の名無しさん [2007/11/14(水) 02 40 30.31 ID +2kmyoOJ] フェイ「二岡にはやまびこの盾無しでゲイズと殴り合うような選手になってほしい」 22 名前:どうですか解説の名無しさん mailto sage [2007/11/14(水) 02 45 55.73 ID Fl+koYt/] 二岡、ジェノサイドの巻物を小坂に向かって投げるも外す 30 名前:どうですか解説の名無しさん [2007/11/14(水) 06 20 11.73 ID gRDIpsWO] . 17 みんな二倍速移動二回攻撃してきそうだなww それも守備力高いww 32 名前:どうですか解説の名無しさん [2007/11/14(水) 08 21 55.27 ID 55WL/WRE] 二岡、鈍足状態で打球に追いつけない
https://w.atwiki.jp/toruneko3/pages/111.html
壷 壷購入価格 売却価格 とじこめの壷は容量が必ず1で中にアイテムを入れることができない 回復の壷、まものの壷、すいこみの壷は押す壷で中身は「アレ」、ワープの壷は押す壷だが中身は何も入っていない 購入価格 名前(赤は非売品) 買値 その他 回復の壷倉庫の壷大砲の壷ふつうの壷水がめ 1000G 倉庫の壷は31階以降の床落ちのみ大砲の壷と水がめは名称識別済 とじこめの壷保存の壷 1500G インパスの壷 2000G 合成の壷祝福の壷呪いの壷まものの壷ワープの壷 3000G 祝福の壷の床落ちは49階まで(店売りは99階まで有)ワープの壷は店売限定 火薬壷 4000G 草の神の壷すいこみの壷へんげの壷 5000G 売値で識別可能 うそつきの壷魔法の壷 10000G 魔法の壷は識別済・90階と98階の宝部屋のみ 売却価格 名前(赤は非売品) 売値 その他 回復の壷倉庫の壷大砲の壷ふつうの壷水がめ 500G 倉庫の壷は31階以降の床落ちのみ大砲の壷と水がめは名称識別済 とじこめの壷保存の壷 750G インパスの壷 1200G 合成の壷祝福の壷すいこみの壷呪いの壷へんげの壷まものの壷ワープの壷 1500G 祝福の壷の床落ちは49階まで(店売りは99階まで有)すいこみの壷とまものの壷は買値で識別可能へんげの壷は買値で判別可能ワープの壷は店売限定 火薬壷うそつきの壷草の神の壷魔法の壷 2000G 買値で識別可能魔法の壷は識別済・90階と98階の宝部屋のみ
https://w.atwiki.jp/boy-yangasu/pages/12.html
モリーの壷、上モリーの壷、特モリーの壷は、最初から名前が表示されているので判定不要。 黄金の壷は、魔導の宝物庫のボスフロアで入手か、最初からの持ち込みなので判定不要。 《手順1》 壷を見てコマンド「こする」がある → 回復の壷、まものの壷 壷の容量が1 → 強化の壷、メッキの壷 壷の容量が2 → 強化の壷、メッキの壷、合成の壷 《手順2》 ガーゴイルショップの値段で判定 《手順3》 壷を使用した結果で判定。(まものの壷の可能性があるときは通路で確かめる) 壷の名前 買値 売値 使用結果 備考 保存の壷 100 50 アイテムが取り出せる 回復の壷 200 100 HPが回復した 倉庫の壷 200 100 アイテムが無くなる 祝福の壷 240 120 アイテムが祝福された 識別済アイテムのみ 呪いの壷 240 120 アイテムが呪われた インパスの壷 400 200 アイテムが識別された 弱化の壷 400 200 アイテムが弱化された 武器、盾、指輪、杖のみ まものの壷 600 300 モンスターが出現した メッキの壷 600 300 アイテムにサビずの印がついた 武器、盾のみ 強化の壷 1000 500 アイテムが強化された 武器、盾、指輪のみ へんげの壷 1000 500 違うアイテムになった 合成の壷 2000 1000 アイテムが合成された