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- あ行:歴史上の人物(世界編)の別名 あ い う え エジソン(えじそん)→発明王 お か行:歴史上の人物(世界編)の別名 か き く け こ さ行:歴史上の人物(世界編)の別名 さ し す せ そ た行:歴史上の人物(世界編)の別名 た ち つ て と な行:歴史上の人物(世界編)の別名 な に ぬ ね の は行:歴史上の人物(世界編)の別名 は ひ ふ へ ほ ま行:歴史上の人物(世界編)の別名 ま み む め も や行:歴史上の人物(世界編)の別名 や ゆ よ ら行:歴史上の人物(世界編)の別名 ら り る れ ろ わ行:歴史上の人物(世界編)の別名 わ
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喜田貞吉「日本歴史物語〈上〉」図版 小村雪岱 こむら せったい 1887-1940(明治20.3.22-昭和15.10.17) 底本 底本:『日本歴史物語(上)No.1』復刻版 日本兒童文庫、名著普及会 1981(昭和56)年6月20日発行 親本:『日本歴史物語(上)』日本兒童文庫、アルス 1928(昭和3)年4月5日発行 [#図版(img00.jpg)、天の岩屋戸] [#図版(img01.png)] [#図版(img02.png)] [#図版(img03.png)] [#図版(img04.png)] [#図版(img05.png)] [#図版(img06.png)] [#図版(img07.png)] [#図版(img08.png)] [#図版(img09.png)] [#図版(img10.png)、武内宿禰] [#図版(img11.png)、百濟の使者佛像を奉る] [#図版(img12.png)、聖徳太子] [#図版(img13.png)、小野妹子隋の天子に會ふ] [#図版(img14.png)] [#図版(img15.png)] [#図版(img16.png)、奈良の都] [#図版(img17.png)、法隆寺] [#図版(img18.png)、大佛殿] [#図版(img19.png)] [#図版(img20.png)、平安京地圖] [#図版(img21.png)、菅原道真] [#図版(img22.png)、藤原道長] [#図版(img23.png)、一遍上人貧民に施行] [#図版(img24.png)、僧兵の図] [#図版(img25.png)、海賊] [#図版(img26.png)、秀郷] [#図版(img27.png)、空也上人] [#図版(img28.png)、坂上田村麿] [#図版(img29.png)、八幡太郎] 以上、30件。 2012.12.30:公開 しだひろし/PoorBook G3'99 翻訳・朗読・転載は自由です。 カウンタ: - 名前 コメント
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白峰の日本歴史ミステリー アニメ声優白峰がほとんどの人が知らない日本の歴史に隠されたミステリーを解説する ☆★☆―――――――――――――――――――――――――――――――― ☆ようこそ☆ 白峰の日本歴史ミステリー ――――――――――――――――――――――――――――― 第一号 おっす!、読者の皆さんはじめまして、 アニメ遊戯王ダイナソー竜崎の声を担当した白峰です☆ ほとんどの日本人が知らない日本の歴史ミステリーのお話を教えていきます 本日のテーマは「本能寺の変の黒幕」です その前に俺の簡単な経歴を教えます *本能寺の変の黒幕(前編) ___________________________________ 本能寺の変。 天下統一を目前にした織田信長に対し、明智光秀が起こした謀反。 歴史の教科書ではそれだけの説明しかされていない。 しかし、近年、黒幕の存在が指摘されつつある。 その黒幕とは何者であるのか 今一度、検証してみたい。 光秀という人物 本能寺の変には光秀を動かした黒幕がいた 本能寺の変を起こした光秀とはどのような人物であったのか。 近年のドラマの中(特に大河ドラマ)で描かれている光秀像は正しく描かれていると感じる。 反逆者から紳士としての光秀像となりつつある。 そして、信長の西国戦略の中で秀吉と競うことになる。 播磨から山陽道を攻めた秀吉と丹波から山陰を攻めた光秀。 二人そろって知略の長けた武将であった。 さて、そんな光秀が安易に主君を殺し、自分も無様二たった10日で討ち取られるのだろうか? そこで浮上したのが黒幕説である 容疑者1人目:秀吉説 ご存知、「中国大返し」による「敵討ち」である。 経緯はこうある。 秀吉は毛利方の高松城を水攻めにしている最中であった。 6月3日の夜、秀吉の腹心・黒田官兵衛の陣に毛利の安国寺惠慶への使者というものが迷い込んだ。 捕まえてみると光秀からの書状で6月2日未明に信長を討ち取ったいう内容であった。 秀吉は高松城主・清水宗治の切腹を条件に、毛利と和睦を結び、5日かけて約200kmを急遽引き返し、 山崎の戦いで明智光秀を倒し討ち取ったとするものだ。 ただ、この和睦に疑問を持っている。 中国の大大名であり天才謀将と呼ばれた毛利元就がこうもたやすく秀吉の思う壺で和睦を結ぶであろうか? そこで浮上するのが秀吉黒幕陰謀説である。 本能寺の変の前にはすでに毛利との和睦交渉が開始されていたとする。 そして、それは信長が死ぬことが前提でである。 秀吉は毛利との和睦を成立させると直ちに引き返す。 しかし、引き返すには準備が必要であり、その準備期間は本能寺の変の起こる前の10日前後であったと考えられる。 最終的に本能寺の変が発生して最も得をしたのが秀吉である。 事実、秀吉は明智光秀を倒した後に、自分が織田信長の後継者としての地位を確立し 後の秀吉の天下統一につながっているからだ。 容疑者一人目:家康説 家康は長男・信康を信長の命で切腹させられている。 信長との同盟に嫌悪感が沸いたという話もある。 徳川家康は本能寺の発生時、大阪の堺で海を遊覧していた。 そして、本能寺の変発生を知ると、危険な「伊賀越え」を行い、故郷・三河に帰還している。 しかし、家康が怪しいのはその後の話だ。 容疑者3人目:朝廷説 変革者信長の最終目標はもちろん天下統一であったが、その天下統一とは何をもってなすのか。 信長は自らを神とした。 そして、征夷大将軍の職を辞退しているという説もある(一説には本能寺の変がなければ就任予定であっというものもある)。 本能寺の変に先立つ信長の愛宕山の連歌の会は朝廷の公家衆も参加しており、 その1人に太政大臣・近衛前久もいた。 ただし、この近衛前久なる人物は本能寺の変により運命が暗転している。 信長が朝廷の権威をも否定し、自ら篤胤に代わって君主となろうとしていたことはありえる話かもしれない。 この先は立花京子氏の説であるが公家の勧修寺晴豊が明智光秀の家臣である斉藤利三が 京で引き回されているのを見て「彼など、信長打ち談合の衆なり。」と日記に書いている。 「談合の衆」=「談合に加わっていた」である。 なぜ、公家の勧修寺晴豊が談合があったことを知っていたのか。 つまり、勧修寺晴豊自身も談合に加わっていた可能性が高いということだ。 次回のメルマガでは「本能寺の変の黒幕(後編)」をお伝えします ___________________________________ ■次回以後に配信する予定のメルマガのタイトルの紹介 ___________________________________ 次回以後に配信する予定のメルマガのタイトルのご紹介です 本能寺の変の黒幕(後編) 織田信長は本能寺の変以後も生存していた 新羅系の源氏、百済系の平氏の隠された構図 神話の因幡の白兎はシリウス系宇宙人だった 何故文部科学省は真実の歴史を教科書に載せないのか? ___________________________________ ■最後に ___________________________________ 最後まで読んでくれて本当にありがとう! 次回もよろしく! ___________________________________ メールマガジン「白峰の日本歴史ミステリー」 ☆発行責任者:白峰 ☆音楽配信ページ:http //www.muzie.ne.jp/artist/r028502 ☆問い合わせ先: ___________________________________ 古代中国の異民族九夷はシュメール人末裔の可能性を検証 前の記事最新の記事 次の記事 九夷の原点は、前20世紀、東アジアの中国に突如として姿を現した、9つの部族からなる異国人の集団にあります。 九夷については夷・于夷・方夷・黄夷・白夷・赤夷・玄夷・風夷・陽夷と9部族の名前が具体的に挙げられるも、抽象的な名称しか用いられていないことから、 その実在は疑う声もあがっているようです。 しかしながら夏王朝と同時期、西アジアで勢力を持ち始めたイスラエル12部族も、年の月や、個別の色に結びついてそれぞれの部族がシンボル化されていました。 ナフタリ族は1月の緑、ヨセフ族は2月の白、ベンジャミン族は3月の黒、ルベン族は4月の銀、シメオン族は5月の金、レビ族は6月の紫、 ユダ族は7月の茶、イッサカルは8月の黄、ゼブルン族は9月の桃、ダン族は10月の青、アシェル族は11月の赤、ガド族は12月の灰と、 各部族には年の月と色が割り当てられていたのです。 つまり、古代社会において抽象的な名称が使用されることに何ら不思議はなく、 むしろ九夷が、黄、白、赤という同じ色彩のアイデンティティーをイスラエルと共有していることに、九夷とイスラエルの関連性を垣間見ることができます。 イスラエルのルーツは、元を辿れば古代メソポタミア南部に興ったシュメール文化圏の大都市、 ウル出身のアブラハムに遡るため、シュメール人が先祖と言えます。 そのシュメール人こそ、当初、東アジアを訪れた九夷の正体である可能性が高いのです。 当時、シュメール文化圏では統治国家としての都市の雛型が存在していたと考えられ、 人類最古の文字とも言われる楔形文字が体系的に整理されていました。 また戦車を発明し、車を活用していただけでなく、高度な天文学の知識も携え、 農業や灌漑、そして航海技術まで会得していたのです。ところが、シュメール国家は前21世紀頃、 アモリ人によって征服され、突如として歴史から姿を消してしまいました。 p シュメール人の一部は、アブラハム一家のように北西にあるカナンの地へと旅立ち、中には後にエジプトを支配する「ヒクソス」の先駆者となった者もいたことでしょう。 しかしながら、他の大勢の民は、大陸を横断して東アジア方面に移動したと考えられます。 また、沿岸伝いに船で東方に旅し、東南アジアまで辿りつき、そこから内陸へと移動する民もいたのではないでしょうか。 国家を失ったシュメール人の行方はこれまで歴史の謎に包まれていましたが、 シュメール国家の消滅と同時期に九夷が中国史に姿を現していること、その部族の筆頭が夷(Chuan-Yi)と呼ばれ、シュメールの頭文字ではないかと考えられること、 そして後述するように九夷の文化的特徴が西アジアの中でも特にシュメールや、イスラエルと類似していることからも、 多くのシュメール人は東アジアに移動し、九夷の原点となったと考えるのが自然です。 長い年月を経て、九夷は徐々に大きな影響力を持つ存在となり、 殷代(前17~前11世紀)には中国の東部を拠点として数を増し、やがて東夷と呼ばれるようになります。 そして後漢書や「通典」の東夷序略によると、周代(前10世紀以降)では中国の東方、 淮河流域周辺や泰山周辺を拠点として、その勢力はきわめて盛んになり、現地の民から恐れられるまでになりました。 外部リンク 声優ユニットアセンション 声優ユニットアセンション-プロフィール 声優ユニットアセンション-声優出演情報 中村春香FaceBook 声優ユニットアセンション-muzie 声優ユニットアセンション-OKMUSIC 声優ユニットアセンション-インディーズバンド試聴サイトAudioLeaf おもしろフラッシュの館 八咫烏陰陽道公式サイト 愛国公党
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ヘロドトス『歴史』巻七に、ペルシア戦争においてクセルクセスがギリシアへ遠征を開始して間もない時、 白昼にわかに暗黒と化したことがあり、クセる癖巣がこれをマゴスらに尋ねると、 「ペルシアでは未来の事は月が示すが、ギリシアでは太陽が示す。この現象は神がギリシア人に対して その町々の消滅を予示したものである」と答えたので、クセルクセスは喜んで軍を前進させたという。 同書訳者注釈に、この時期に該当しそうな日食はBC481年(W)4月の皆既日食(インド洋諸地域およびスサ)、 BC480年(W)10月の部分日食(コリントスおよびサルディス)、 BC478年(W)2月の金環食(サルディス)の三つに限られると云々。 アッリアノス『アレクサンドロス大王東征記』巻三に、アレクサンドロス大王がティグリス川を渡河した日の夜に 月食が起こり、大王は日月に供犠を捧げたという。 参考文献 『歴史(下)』ヘロドトス 『アレクサンドロス大王東征記(上)』アッリアノス 歴史 下 (岩波文庫 青 405-3) アレクサンドロス大王東征記〈上〉―付インド誌 (岩波文庫)
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567 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/05/26(月) 13 38 20 ID +KQbc713 キリノのモデルは性格的に豊臣秀吉の正室・おねの方っぽい 568 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/05/26(月) 13 44 23 ID 9AvCVIFf それは子宝に恵まれないという事かね。 569 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/05/26(月) 13 44 41 ID agFU2LFN つうことはコジローとサヤの間の息子が 室江高校を滅ぼすわけか。 570 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/05/26(月) 13 55 05 ID iiIIt6b+ 歴史上の人物だと 龍⇔虎、千葉つながりで龍馬とさな子だと完璧なんだが それだと悲恋になってしまう… 571 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/05/26(月) 14 08 35 ID Ak7JLgy6 静かなる狼と笑う牝豹 問題は、残念ながら二人ともあそこまで強くはない 572 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/05/26(月) 14 10 12 ID qx5TH7uM やっぱ前も書いたがあれが一番しっくりくる 妻が髪の毛を売って懐中時計の鎖を買い、 夫が懐中時計を売って櫛を買うっていうお話のあの夫婦。 なんか知らんけどもうまさにコジローとキリノの数年後じゃん!って気が凄くするんだ 573 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/05/26(月) 14 11 50 ID tgnH7+AJ しずかちゃんとのびた 574 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/05/26(月) 14 30 11 ID DTEg99zY おじいさんとおばあさん 575 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/05/26(月) 14 54 17 ID toNdaHqR 572の元ネタなんだっけ、って調べてたら… 元ネタの文章が余りに上手すぎて軽くSSとか書く自信が無くなったorz Oヘンリーってある意味究極のSS書きさんだな…かくありたい。 http //www.hyuki.com/trans/magi.html 579 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/05/26(月) 16 37 24 ID BMeWW4q6 しかし、コジローこと石田虎侍氏が家に帰って二階のアパートに着くと、 すでにキリノとしてご紹介済みの石田夫人が、「先生」と呼びながら、 いつでもぎゅうっと夫を抱きしめるのでした。これはたいへん結構なことですね。 「せんせぇっ!せんせぇっ!せんせぇ~~!!」 「……ただいま」 これはたいへん結構なことですねw
https://w.atwiki.jp/oiko2009/pages/183.html
あ 網野善彦(あみの・よしひこ) 歴史を考えるヒント(2001) い う え お か 川口素生(かわぐち・すなお) 千利休101の謎(2009) き く け こ さ し す せ そ た 竹田恒泰(たけだ・つねやす) 日本人はなぜ日本のことを知らないのか(2011) ち つ て と な 中西輝政(なかにし・てるまさ) 日本人として知っておきたい近代史 明治篇(2008) に ぬ ね の は ひ ふ 福井雄三(ふくい・ゆうぞう) 「坂の上の雲」に隠された歴史の真実(2007) へ ほ ま み む め も や ゆ よ ら り る れ ろ わ
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M-Tea*5_20-日本歴史物語〈上〉(五)喜田貞吉 2012.12.8 第五巻 第二〇号 日本歴史物語〈上〉(五) 喜田貞吉 四十一、地方政治の乱(みだ)れ(一) 四十二、地方政治の乱れ(二) 四十三、地方政治の乱れ(三) 四十四、地方政治の乱れ(四) 四十五、武士・僧兵・海賊のおこり(一) 四十六、武士・僧兵・海賊のおこり(二) 四十七、武士・僧兵・海賊のおこり(三) 四十八、武士・僧兵・海賊のおこり(四) 四十九、平安朝の仏教 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第五巻 第二〇号】 (http //www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/215404) ※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 (952KB) 定価:200円 p.168 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(91項目)p.749 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ 現代表記版に加えてオリジナル版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて校正中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、引用・印刷および転載・翻訳・翻案・朗読などの二次利用は自由です。 (c) Copyright this work is public domain. けんちゃなぺこぽん。週刊おきゅぱい宇宙軍。 じっさい平安朝時代には、貴族と平民とのあいだにはたいそうな隔(へだ)たりがありました。貴族たちが京都で好き勝手な栄華にふけっているあいだに、平民は地方で国司らにいじめられていました。そこで平民らは、自分で国民たるの権利を捨てて諸国に浮浪するというようなありさまでしたから、世の中の人気もしだいに荒くなります。活きるに困っているものは、活きるためにはやむを得ず悪いこともします。どうでこの世の中に活き長らえていたからとて、その末がよくなるという見込みがあるではなし、またすでに悪いことをしている身であれば、死んだのちには地獄へ落ちると仏教は教えています。こうなってはどんなものでも、自然やけになってくる。(略) このような気の毒な人たちを救うて、たといその日その日の暮らしは苦しくても、せめては心だけにでもゆっくりした安心をあたえて、無暗(むやみ)にやけにならぬようにと親切に教えをひろめたのは、念仏の宗旨(しゅうし)でした。口に南無阿弥陀仏ととなえて、阿弥陀如来にすがりさえすれば、どんな罪の深いものでも、死んだのちにはみな必ず極楽へ行くことができるという教えです。 はじめてこの教えを民間に説きすすめたのは、空也上人でありました。東には平将門、西には藤原純友(すみとも)の謀反があったのち、世の中がますます騒がしくなり、食うに困るような浮浪民がそこにも、ここにも、うようよしているというころに、空也は盛んにその仲間に説いてまわったものですから、いたるところに信者がたくさんにできました。平民らはこれがために、ひどくやけにもならず、救われて安心を得たものがはなはだ多かったのです。 そののち平安朝も末になり、源平二氏の戦争が長いあいだ続いて、武士は多くの人を殺し、その罪のむくいがおそろしくなる。また一般の民衆は、多年の戦争に苦しんで、ますます貧乏のどん底に落ちこむというように、多数の人がひどく悩んでいるころに、法然上人が出て、盛んにこの教えをひろめました。(略)(「四十九、平安朝の仏教」より) 5_20.rm (朗読:RealMedia 形式 484KB、3 55) milk_tea_5_20.html (html ソーステキスト版 224KB) 喜田貞吉 きた さだきち 1871-1939(明治4.5.24-昭和14.7.3) 歴史学者。徳島県出身。東大卒。文部省に入る。日本歴史地理学会をおこし、雑誌「歴史地理」を刊行。法隆寺再建論を主張。南北両朝並立論を議会で問題にされ休職。のち京大教授。 ◇表紙:恩地孝四郎 おんち こうしろう ◇図版:小村雪岱 こむら せったい ◇参照:Wikipedia 喜田貞吉、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)、『日本人名大事典』(平凡社)。 底本:『日本歴史物語(上)No.1』復刻版 日本兒童文庫、名著普及会 1981(昭和56)年6月20日発行 親本:『日本歴史物語(上)』日本兒童文庫、アルス 1928(昭和3)年4月5日発行 http //www.aozora.gr.jp/index_pages/person1344.html NDC 分類:K210(日本史) http //yozora.kazumi386.org/2/1/ndck210.html 難字、求めよ 非人法師 ひにん ほうし 西船東馬 せいせん とうば むしとりホイホイ 一且《いつたん》 → 一旦《いったん》 【旦か】 主從《しゆうじゆう》 → 主従《しゅじゅう》 【う】 釆《さい》 → 采《さい》 【采】双六の采 燒《や》き討《う》き → 焼き討ち 【ち】 以上4件。底本は左辺のとおり。 スリーパーズ日記* 十六日(日)晴れ。天童駅までひさしぶりのダッシュ。村山市、甑葉(しょうよう)プラザ。県埋蔵文化財センター発掘調査速報会。参加者二〇〇名ぐらいか。 縄文時代、高畠町押出(おんだし)遺跡。ネフライト(ひすい)製のケツ状耳飾り、縄紐、彩漆土器など。彩漆土器は片手のひらにおさまるくらいのかわいらしい浅鉢・椀状で、ふちまわりに穴が点々と一周あけられている。赤漆。内側には木のけずりくずのような繊維がつめられている。漆保存のため、水につけられた状態で展示。 口の周りに孔が一周する彩漆土器……という解説を聞いた瞬間に思い浮かんだのは、小林達雄『縄文の世界』(朝日選書、1996.7)が紹介している有孔鍔付土器。栽培作物の種子壷説(藤森栄一)、果実酒の醸造器説(武藤雄六・長沢宏昌)などあるらしいが、山内清男は土器太鼓説をとなえ、打楽器奏者の土取利行や小林達雄らがその説を支持している。 「穴にひもを通して皮をはって太鼓をつくったとする説を読んだことがあるが……」と、若い展示員に話をふってみたところ、にがい顔で首を横にふった。「太鼓として使うには小さすぎる」との返答。たしかにそのとおり。口径一〇センチほど、深さが五センチぐらい。けれども、小さいことは太鼓説を否定する条件になりうるだろうか。 大太鼓のような野太く、遠くまで大音量が響きわたる音量はないだろうけれども、甲高く、携帯に適し、小集団が陶酔するにはふさわしいような気もする。タヌキ、キツネのような小動物の皮を使える利点もある。鼓(つづみ)説。 青空。白くなった葉山が西側に大きく見える。はるか南に陽がおちる。おだやかな夕暮れ。 12.7(金)17 18 青森・岩手・宮城、震度5弱。津波警報。 震源三陸沖。震度、村山4、天童3、東京4。M7.3(=阪神大震災)。 県内、停電なし。 12.13 「製本かい摘みましては」四釜さんって、山形そだちだったのか。。。 12.15 13 30、天童弱震。 ブラックおきゅぱいの、7つのおきゅぱいな習慣。 マイライフ・アズ・ア・ブック。 2012.12.15:公開 おきゅぱい迷人。 目くそ鼻くそ、しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ: - 名前 コメント
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M-Tea*5_15-日本歴史物語〈上〉(四)喜田貞吉 2012.11.3 第五巻 第一五号 日本歴史物語〈上〉(四) 喜田貞吉 三十一、奈良の都(上) 三十二、奈良の都(下) 三十三、奈良朝仏教の隆盛(上) 三十四、奈良朝仏教の隆盛(下) 三十五、奈良時代の行きづまり 三十六、平安遷都 三十七、藤原氏の全盛(一) 三十八、藤原氏の全盛(二) 三十九、藤原氏の全盛(三) 四十、藤原氏の全盛(四) imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第五巻 第一五号】 (http //www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/213316) ※ クリックするとダウンサイトへジャンプします。 (1.4MB) 定価:200円 p.199 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(180項目)p.1116 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ 現代表記版に加えてオリジナル版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて入力中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、引用・印刷および転載・翻訳・翻案・朗読などの二次利用は自由です。 (c) Copyright this work is public domain. すべての電子本は消耗品である。週刊くじらにほえろ♪ そんな勢いですから宇多天皇は、こう藤原氏ばかりにすべての政治をおまかせになりましては、ますますそのわがままがひどくなることをご心配になりまして、菅原道真をお引き上げになり、藤原氏の勢力をおさえようとなさいました。かくてつぎの帝(みかど)第五十九代醍醐(だいご)天皇の御代には、基経(もとつね)の子時平(ときひら)は左大臣、道真は右大臣というぐあいに、あいならんで政治にあずかることになりました。 しかしながら菅原氏はもと学者の家で、むかしから大臣になったことなどは一度もなかったのであります。されば、いかに天皇のご信任がお厚かったとは申せ、この藤原氏のさかんな時代に、そんな家から出た道真が大臣となって藤原氏とならぶということは、時平にとっては不平でたまりません。その他のものも、道真がその家柄の低いのにかかわらず出世があまりにひどかったので、自然それをねたむようになります。そんなしだいで道真は、のちに太宰府にうつされまして、せっかくの宇多天皇の御心も、かえって藤原氏の勢力をいっそう盛んならしめる結果となりました。 道真が退けられましてのちは、もはや藤原氏と張りあってその勢力を分かとうというほどのものもありません。これからのち藤原氏の人々は、ご幼少の天皇をお立て申しては自身摂政に任ぜられ、天皇がご成長あそばしますと関白に任ぜられるというふうに、おそれ多いことではありますが、天皇はただ尊く上にましますばかりで、政治はすべて藤原氏まかせというような、ひどい御ありさまになってしまいました。(「三十八、藤原氏の全盛(二)」より) 5_15.rm (朗読:RealMedia 形式 360KB、2 54) milk_tea_5_15.html (html ソーステキスト版 260KB) 喜田貞吉 きた さだきち 1871-1939(明治4.5.24-昭和14.7.3) 恩地孝四郎 おんち こうしろう 1891-1955(明治24.7.2-昭和30.6.3) 小村雪岱 こむら せったい 1887-1940(明治20.3.22-昭和15.10.17) ◇参照:Wikipedia 喜田貞吉、恩地孝四郎、小村雪岱、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)、『日本人名大事典』(平凡社)。 底本:『日本歴史物語(上)No.1』復刻版 日本兒童文庫、名著普及会 1981(昭和56)年6月20日発行 親本:『日本歴史物語(上)』日本兒童文庫、アルス 1928(昭和3)年4月5日発行 http //www.aozora.gr.jp/index_pages/person1344.html NDC 分類:K210(日本史) http //yozora.kazumi386.org/2/1/ndck210.html 難字、求めよ 国分僧寺 こくぶん そうじ むしとりホイホイ 藤川 → 藤原 【原か】 スリーパーズ日記* 11.3(土)晴れのちくもり。天童、わくわくランド道の駅にて震災パネル展、ビデオ鑑賞。パンフ『忘れない。』国土交通省、東北地方整備局。路上に堆積した地震や津波のがれきをかたずけてルート確保することを「啓開」というらしい。切り開くこと。たぶん、軍事用語っぽい。 東北自動車道と国道4号を縦に、そこから沿岸地域へ横にのびる15本の国道を確保。さらに、沿岸沿いの国道45号・6号を縦に確保。「くしの歯作戦」。 パネルとパンフの最後に、「巨大地震の今後の可能性」として、過去の巨大地震の連動関係が明瞭にまとめてある。過去2000年間、M8以上の東日本太平洋側の巨大地震は869年、1611年、1896年、1933年の4つあって、その4つとも10年以内で首都圏直下型地震と連動。さらに4つのうち3つが18年以内で東海・南海・東南海地震と連動。 山形産の柿、1箱Sサイズ36個入りで1000円を購入。 2012.11.8:公開 玲瓏迷人。 目くそ鼻くそ、しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ: - 名前 コメント
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M-Tea*5_12-日本歴史物語〈上〉(一)喜田貞吉 2012.10.13 第五巻 第一二号 日本歴史物語〈上〉(一) 喜田貞吉 児童たちへ 一、万世一系の天皇陛下 二、日本民族(上) 三、日本民族(下) 四、天照大神 五、天の岩屋戸ごもり 六、八岐の大蛇退治 七、因幡の白兎 八、出雲の大社 九、天孫降臨と三種の神器 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第五巻 第一二号】 (http //www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/210224) ※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 (940KB) 定価:200円 p.157 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(68項目)p.375 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ 現代表記版に加えてオリジナル版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて入力中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、引用・印刷および転載・翻訳・翻案・朗読などの二次利用は自由です。 (c) Copyright this work is public domain. 着ぐるみ、ぱんだみっく! 週刊ねつぞー* (略)そこで天照大神は、いよいよ御孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)をこの国にお降しになって、これを安い国として平らかにお治めしめなさることになりましたが、それにはまずもって、大国主神の国をたてまつらしめなければなりません。これがために、三度まで使いをつかわしになりました。しかし、なにぶん大国主神の威勢がさかんなものですから、使いの神もその方へついてしまって帰ってまいりませんでした。最後に武甕槌神(たけみかづちのかみ)と経津主神(ふつぬしのかみ)とがお使いに立ちました。武甕槌神はのちに常陸の鹿島神宮に、また経津主神はのちに下総の香取神宮に、それぞれ軍神としておまつり申したほどの武勇すぐれた神々でありましたから、大国主神の威勢にもおそれず、よく利害をお説きになり、国を天孫にたてまつるようにとお諭しになりました。天孫とは瓊瓊杵尊の御事を申すのです。しかしこれは大国主神にとってはまことに重大な事件です。ご自身だけのお考えでは、おはからいかねになりました。そこでまずもって御子の事代主神(ことしろぬしのかみ)のご意見をお問いになりましたところが、このとき出雲の美保が崎で、魚を釣っておられました事代主神は、 「それはもちろん、大神のおおせにしたがいますよう」 と、いさぎよくご同意申し上げました。出雲の美保神社は、ここで釣りをしておられました縁故で、この事代主神をおまつりしてあるのです。 かく事代主神がご賛成申したので、大国主神も今はご異存もなく、久しく治めておられました国を天孫にさしあげましたが、事代主神の弟神の建御名方神(たけみなかたのかみ)は、たいそう元気のさかんな神でありましたから、なかなかそれを承知いたしません。 「それなら大神のお使いの神たちと、力競べをしてみよう」 と申しました。しかし建御名方神の力は、とても武甕槌神にかないっこはありません。とうとう信濃の諏訪まで逃げて行って、そこでおそれ入りました。今の諏訪神社は、その土地にこの神をおまつり申したのです。 大国主神は、いよいよその国をさしあげましたについて、杵築の宮にお引きこもりになりました。これは今の出雲の大社で、その御殿は天孫のご宮殿と同じようにお造り申したということであります。命(みこと)が大神の命を奉じて、いさぎよくその国を治めることを天孫におまかせ申しあげましたので、天孫の方からは、特別の尊敬をもってこれをご待遇なされましたわけなのです。(「八、出雲の大社」より) 5_12.rm (朗読:RealMedia 形式 504KB、4 04) milk_tea_5_12.html (html ソーステキスト版 228KB) 喜田貞吉 きた さだきち 1871-1939(明治4.5.24-昭和14.7.3) 歴史学者。徳島県出身。東大卒。文部省に入る。日本歴史地理学会をおこし、雑誌「歴史地理」を刊行。法隆寺再建論を主張。南北両朝並立論を議会で問題にされ休職。のち京大教授。 恩地孝四郎 おんち こうしろう 1891-1955(明治24.7.2-昭和30.6.3) 版画家。東京生れ。日本の抽象木版画の先駆けで、創作版画運動に尽力。装丁美術家としても著名。 小村雪岱 こむら せったい 1887-1940(明治20.3.22-昭和15.10.17) 日本画家、挿絵画家。本名、安並泰輔。埼玉県川越生まれ。時代風俗の考証に通じ、のち舞台装置家、新聞雑誌の挿絵画家として活躍、その繊細で鮮烈な描線のかもし出すエロチシズムで、広くファンを熱狂させた。挿絵は泉鏡花作『日本橋』、邦枝完二作『お伝地獄』など。(人名) ◇参照:Wikipedia 喜田貞吉、恩地孝四郎、小村雪岱、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)、『日本人名大事典』(平凡社)。 底本:『日本歴史物語(上)No.1』復刻版 日本兒童文庫、名著普及会 1981(昭和56)年6月20日発行 親本:『日本歴史物語(上)』日本兒童文庫、アルス 1928(昭和3)年4月5日発行 http //www.aozora.gr.jp/index_pages/person1344.html NDC 分類:K210(日本史) http //yozora.kazumi386.org/2/1/ndck210.html 難字、求めよ 水がかり むしとりホイホイ 親《おや》があり。 → 親《おや》があり、 【、か】 鎌足《かまたり》だ。 → 鎌足《かまたり》だ、 【、か】 私《わたくし》の名《な》は手名椎《てなづち》、妻《つま》の名《な》は足名椎《あしなづち》 【この部分、筆者の誤認か】 以上3件。底本は左辺のとおり。 スリーパーズ日記* 新シリーズ、いよいよ問題の書、喜田貞吉『日本歴史物語〈上〉』に突入! 目次を一見してわかるとおり、天の岩屋戸、八岐の大蛇、因幡の白兎といった神話・伝説から話をおこしている。いくらなんでもそりゃないだろ、とつっこみたくなる。さらに序文を読むと、「大日本帝国の臣民」「万世一系の天皇陛下」といったことばが並ぶ。 そのはず、本書は一九二八年(昭和三)四月の発行。関東大震災から五年後。この年の六月四日に満洲で張作霖爆殺事件、三年後の一九三一年(昭和六)九月に満州事変がおこる。時代の雰囲気は、本文の端々(はしばし)にも現われている。 おそらく、悪名名高い“戦前の歴史教科書”に類するとみていい。神話の時代から話をおこしているのは、現代の感覚からは相当ずれている。けれども、この国の歴史を本気で語ろうとすれば天孫降臨のエピソードにふれないわけにはいかないし、オオクニヌシの国譲りと出雲への隠遁、三種の神器の由来も避けてとおれない、ということだろう。 問題ありまくりにも関わらずこの書を選んだのは、次号以後につづく「渡来人」や「蝦夷」に関する記述が豊富な点を評価したいため。児童向けの書き下ろしではあるが、喜田貞吉は一九三九年の没だから、彼の中~後期の著書に属する。 蛇足。三種の神器について。吉野裕子『蛇』と本書をつづけて読んだせいか、あることに思い至る。鏡や刀剣を神聖視する向きは、道教や山岳修験にも見られ、三種の神器との関連が示唆されている。鏡はとぐろを巻いた蛇、刀剣は長く伸びた蛇……もし、そう考えることが妥当ならば、三種の神器のうちの八咫鏡と天叢雲剣の二つは、いずれも蛇をなぞらえた器物ということになり、天皇の誕生と継承には蛇がまとわりついている、もしくは、天皇家は蛇によって守護されている、という想像が可能になる。 2日、大滝秀治、87歳。 13日、丸谷才一、87歳。 ろうど、ちゅーちゅーアイス。 結納論、ヒガンバナ。 事件はバックヤードでだんしんぐ~。 つるぱげ助産院。 2012.10.15:公開 玲瓏迷人。 目くそ鼻くそ、しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ: - 「NDC 分類:K210」に変更。移動先ページはまだなし。 -- しだ (2013-01-31 14 53 39) 名前 コメント
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M-Tea*5_21-日本歴史物語〈上〉(六)喜田貞吉 2012.12.15 第五巻 第二一号 日本歴史物語〈上〉(六) 喜田貞吉 五十、蝦夷地(えぞち)の経営 五十一、前九年の役(一) 五十二、前九年の役(二) 五十三、後三年の役 五十四、平泉の隆盛(りゅうせい) 五十五、古代史の回顧(かいこ) 先生や父兄の方々に imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第五巻 第二一号】 (http //www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/215405) ※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 (916KB) 定価:200円 p.159 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(103項目)p.740 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ 現代表記版に加えてオリジナル版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて校正中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、引用・印刷および転載・翻訳・翻案・朗読などの二次利用は自由です。 (c) Copyright this work is public domain. けんちゃなぺこぽん。週刊おきゅぱい宇宙軍。 平安朝のはじめのころは、朝廷のご威光が盛んで、坂上田村麻呂や文室(ぶんやの)綿麻呂の蝦夷征伐があり、これがために蝦夷の地がおおいに開けてまいり、蝦夷人もだんだん日本民族の仲間になってきましたことは、前に申したようなしだいでありましたが、なにぶんにも国の政治が乱れて、地方が騒々しくなり、武士や海賊が盛んにおこるという時代になりましては、蝦夷のいた奥羽地方だとて、その影響を受けないではいられません。第五十七代陽成(ようぜい)天皇の御代(在位八七六~八八四)には、今の秋田県あたりにいる蝦夷がそむきまして大騒ぎがおこりました。しかしこれというのも、もともと国司の政治が悪いからであります。はじめは蝦夷のいきおいがつよく、官軍も容易にこれをしずめることができなかったのですが、藤原保則(やすのり)という人が新たに国司になって、よくこれを諭し、よい政治をおこないますと、かれらはことごとく降参して、おとなしくなりましたのを見ても、その罪がおもに国司にあったことがわかりましょう。(略)(「五十一、前九年の役(一)」より) そのうちに、いよいよ頼義(よりよし)二度目の国司の任期がすみまして、新しい国司がやってまいりました。しかしこんな騒ぎの最中でやって来たもののなんともしてみようがありませぬ。さっそく都へ逃げて帰りました。そこで頼義は、今はどうでも自分の手で安倍氏を滅ぼして、自分の命ぜられたつとめを完(まっと)うして、新しい国司に引きわたさなければならぬと、しきりに清原氏の助けを催促します。武則(たけのり)も頼義の誠意に感じて、一万余人という大勢の仲間をつれてやってまいりました。こうなってはさすがの貞任も、とてもかないっこはありません。(略)最後に今の盛岡市の近所の、厨川(くりやがわ)の館までも攻め落とされ、貞任は殺されて、弟の宗任(むねとう)らは降参しました。頼義が国司となってから十二年かかって、やっと安倍氏征伐の目的を達することができたのです。世間でこれを奥州十二年の合戦と申しました。奥州とは今の福島・宮城・岩手・青森の四県の地方のことで、むかしはこれを陸奥といい、出羽とあわせて奥羽地方というのです。(「五十二、前九年の役(二)」より) ※ 蝦夷=「えぞ」の読みは底本のとおり。 5_21.rm (朗読:RealMedia 形式 472KB、3 49) milk_tea_5_21.html (html ソーステキスト版 212KB) 喜田貞吉 きた さだきち 1871-1939(明治4.5.24-昭和14.7.3) 歴史学者。徳島県出身。東大卒。文部省に入る。日本歴史地理学会をおこし、雑誌「歴史地理」を刊行。法隆寺再建論を主張。南北両朝並立論を議会で問題にされ休職。のち京大教授。 ◇表紙:恩地孝四郎 おんち こうしろう ◇図版:小村雪岱 こむら せったい ◇参照:Wikipedia 喜田貞吉、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)、『日本人名大事典』(平凡社)。 底本:『日本歴史物語(上)No.1』復刻版 日本兒童文庫、名著普及会 1981(昭和56)年6月20日発行 親本:『日本歴史物語(上)』日本兒童文庫、アルス 1928(昭和3)年4月5日発行 http //www.aozora.gr.jp/index_pages/person1344.html NDC 分類:K210(日本史) http //yozora.kazumi386.org/2/1/ndck210.html 難字、求めよ 藤原経清 ふじわらの つねきよ 三浦平次郎為次 みうら へいじろう ためつぐ 天下大赦 てんか たいしゃ 希婦の細布 けふの ほそぬの ※『日本史広辞苑』『国史大辞典』『日本人名辞典』いずれも「藤原経清」の項なし。 むしとりホイホイ 頼義《よりいへ》 → 頼義《よりよし》 【「よし」か】 雲慶 → 運慶 【運か】 ※『吾妻鑑』に「雲慶」あり(国史) 糠部《ぬかべ》 → 糠部《ぬかのぶ》 【「のぶ」か】 ところから → ところから、 【、】 以上4件。底本は左辺のとおり。 スリーパーズ日記* 九州の松浦党(肥前松浦) 渡辺氏=松浦氏、安倍氏。 村上水軍(瀬戸内海) 熊野水軍(紀州) → 九鬼水軍 大河『平清盛』で加藤浩次扮する海賊・兎丸が登場したものの、当時の実在する水軍との関係描写が希薄だったのが、かえすがえすも残念。現在の歴史学では謎のままということなんだろうか。 清盛、平家と親しかったのは、どの水軍か。複数の水軍との親密度のちがいや確執があったはず。位置的には村上水軍が最も近いだろうけれども……。 馬と弓と養蚕の源氏に対し、船と交易の平氏のイメージがある。とくにこの時代、長い平安の世から乱世への転換期、馬具や武具・刀剣の需要が急激に増大したはず。加えて、造船・社寺建築・仏像作製などがさかんだったことを考えると、時代をあらわすキーワードの上位に「鉄製品」があげられるんじゃないだろうか。 木造船、木造建築、製鉄、鉄製品……、ここから推測できるのは、当時の西日本、平家の領有地では急激に山林が伐採されただろうということ。東日本、鎌倉に政権が移った背景のひとつに、山林の疲弊度合いの差があった可能性。どちらが優れていたか、、、ということではなく、どちらの山林が余力を有していたか。 もうひとつ。 飛鳥時代に船団を組んで蝦夷・粛慎討伐にあたったのが阿倍比羅夫。平安中期、奥州で源頼義・義家親子に討たれたのが安倍一族。そのさいに筑前宗像に配流されたのが安倍貞任の弟、宗任。 「山」のイメージの強い奥州安倍氏だけれども、勢力を持っていたのが奧六郡から北上川沿いであったこと、ついで奥州藤原氏が都とひんぱんに交流していたこと、宗任の子孫が松浦水軍に加わったことなどを考えあわせると、九州松浦党、奥州安倍氏、あべ、あんべ、あまべ、海部・海人部、阿倍比羅夫……「海」の類推説は強烈に捨てがたい。 12.18 米長邦雄、死去。69才。 2012.12.15:公開 おきゅぱい迷人。 目くそ鼻くそ、しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ: - 名前 コメント