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2008年~今(いま) PS2 Ver. 名前の使用:LEGO(2008~2014) 名前の使用:SCFW(2015~今(いま)) 名前の使用:RV63(2016~今(いま)) 2012年 シフトレバードリフト技術に関する成功した研究(PS2 Ver.) 2015年~今(いま) Outrun2SP SDX 名前の使用:SCFW(2015~今(いま)) 名前の使用:RV63(2016~今(いま)) 2020年4月 ホームsdx正常に作成されました 2020年6月 Outrunモード、技術を向上させました 2020年7月10日 旧コースOutRunモードゴールBの180万分突破 2020年9月25日 旧コースOutRunモードゴールA-E全一
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C2C mode TA mode(special) Outrun mode
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SP年表 OutRun2SPが世にリリースされてから丸2年。稼動から現在まで、 攻略の進捗度やIRの動向などを、時系列順にまとめています。 SP年表2004年 2005年 2006年 2007年 SP個人史 2004年 2004年9月頃 <出来事>クラブセガ秋葉原にて、OutRun2SPのロケテスト。早くも新要素の15連モードが解禁されていた。 2004年12月21日 <出来事>OutRun2SP、正式稼動開始。インターネットランキング(IR)公開。 2004年12月下旬 <出来事>※執筆依頼「カジノ・ミルキー渡り」 2005年 2005年2月下旬 <出来事>LTR氏による交流サイト開設。後に数多くのランカーが集結することになる。 2005年3月28日 <TAモード>2chスレッドの住人であった「テスタの人」が動画を公開。N/MTの攻略が広まる。 2005年5月7日 <ORモード>旧コース15連で500万点突破。 2005年7月24日 <TAモード>AIKO氏による革新的なドリフト走法が公開される。後に「維持ドリ」と命名。 2005年8月20日 <ORモード>新コース15連で500万点突破。 2005年8月21日 <出来事>歌舞伎町の居酒屋「北の家族」にて、“黄色のテスタロッサを駆る某氏”の妄想語録があまりに面白かったことから、その場でネコメ日記誕生。のちに掲示板「猫目電報局」も設立され、OutRunコミュニティが新たな広がりを見せる。 2005年9月下旬 <TAモード>名古屋勢初の新宿遠征。各プレイヤーごとに特色ある維持ドリの開発が進む。 2005年11月上旬 <TAモード>MEISYU氏によるサイト「ぷち動画の部屋」開設。N/ATの攻略、動画が公開される。 2005年12月中旬 <TAモード>上田オフにて、N/MT金沢勢独自の摩天楼走法が披露される。後に「天狗舞」と命名。 2006年 2006年1月上旬 <HAモード>新コース4Cのスペリク2。それまで難関だった右トンネルの追い抜きパターンが発見される。内輪で「紅天狗(舞)」と命名。これによりゴールDのルートが4D経由のR15から4C経由のR13に。 2006年2月下旬 <出来事>セガ、Chihiro基板の回収を目的に、全国のセガ直営店からアウトラン2SP一斉撤去。 2006年6月上旬 <出来事>東京ジョイポリスにて、OutRun2SP SDXのロケテスト。 2006年7月上旬 <出来事>Wiki開設。各モードのトップランカーによる攻略情報が集約される。 2006年9月16日 <出来事>第44回アミューズメントマシンショーにて、OutRun2SP SDX/DX出展。コンパニオンのお姉さんと2人プレイ可。 2006年10月1日 <出来事>「ぷち動画の部屋」にて、ドライバーズポイントランキング(DPR)公開。IR申請数に再び活況が訪れる。 2006年12月下旬 <出来事>OutRun2SP SDX正式稼動開始。 2007年 2007年2月8日 <出来事>OutRun2SP、国内PS2版発売。 2007年2月下旬 <出来事>OutRun2SP DX正式稼動開始。 (このページは編集途中です) SP個人史 あなただけのOutRun2SPの軌跡を、お好きなように書いてください。 SP個人史(1)鈴木さんの場合 SP個人史(2)“しょ”の場合 SP個人史(3)「KS?」氏 Special Tours SP個人史(4)“hina”の場合
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皆さん、こんにちは。香港プレイヤーのSCFW/RV63と申します。ベテランとは言えないが、Outrun mode旧マップの専攻プレイヤーです。この場を借りてまず香港のOutrunについて紹介します。 2016年6月3日、香港九龍灣であるゲーセンVirtual Zone(バーチャルゾーン)は閉店しました。これによって外でOutrunをプレイすることはできなくなりました。 その時私のSDXのOutrun歴はただ半年未満でした。けど元々PS2 ver.をしていたので、SDXでもルートを簡単に把握できます。 約四年後の2020年4月3日、私はネットワークであるSDXのOutrunを再現できるSimulator(エミュレータ)を見つけました。ある香港のOutrunグループのメンバーと一緒に研究して、ついにケームを完全に実現することができました。四年ぶりでしたが、それ以来毎日3~4時間ケームをしていて、すぐ熟練度を取り戻しました。このケームが大好きですから。
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SCFW/RV63 Outrun2SPの年表 旧コース OutRunモードの映像 Outrun2SP(PS2 Ver.)の映像 Outrun Mode基本ゲームプレイ Q A 雑談・質問 フレンド交換 その他 ホームsdx ここを編集
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基礎知識 基礎知識製品情報OutRun2 OutRun2SP OutRun2SP SDX OutRun2SP DX OutRun2とSP/SDX/DXとの相違点OutRun2 SP/SDX/DX SDX/DX 車種紹介250 GTO 365 GTS/4 Daytona Dino 246 GTS 512 BB 288 GTO Testarossa F40 F50 360 Spider Enzo Ferrari コース紹介OutRun2SPコース(新コース) OutRun2コース(旧コース) バグ・不具合仕様上の不具合 筐体上の不具合 製品情報 OutRun2 アウトラン2 1986年、世界中で大ヒットした前作OutRunの続編として登場 キャッチフレーズは「跳馬・美女・絶景」 SEGA-AM2開発 Chihiro基板 2003年12月中旬稼動開始 OutRun2SP アウトラン2 スペシャルツアーズ ヨーロッパをイメージしたOutRun2コースに、アメリカを舞台としたSPコースを追加 SEGA-AM2開発 Chihiro基板 2004年12月21日稼動開始 OutRun2SP SDX アウトラン2 スペシャルツアーズ スーパーデラックス 2人乗りムービングキャビネット4台 新機能ドライバーチェンジシステム搭載 LINDBERGH基板 2006年12月15日稼動開始 OutRun2SP DX アウトラン2 スペシャルツアーズ デラックス 2人乗りムービングキャビネット2台 新機能ドライバーチェンジシステム搭載 LINDBERGH基板 2007年2月下旬稼動開始 OutRun2とSP/SDX/DXとの相違点 OutRun2 コースは5面モードのみで、15連続モードはない。 車種毎に最高速が異なる。Daytona/Dino・・・288km/h 288 GTO/Testarossa/F50/360 Spider・・・293km/h F40/Enzo Ferrari・・・300km/h 敵車との接触や、コースアウト時の減速幅が大きい。 タイムアタックのゴーストは、車種に関係なくコース毎に最速と最遅の結果が記録される。 テスタロッサのデザインがピニンファリーナ・スパイダー。 SP/SDX/DX 新コース、旧コースが選択可能。 設定によりアウトラン/タイムアタックの各モードで15連続モードが選択可能。 車種毎の性能差は廃止。Nomal:293km/h、Tuned:300km/hの2種類の性能を全車種で選択可能。 タイムアタックのゴーストは、ステージ別/性能別/トランスミッション別に両分岐の最速の結果が記録される。 旧コースの一部でコーナー区間に存在したセクターポイントが直線区間へ移動した。 250GTOと512BBが追加。 BGMに初代(1986版)の3曲と、ターボアウトラン(1989版)の4曲が追加。 アウトラン/ハートアタックの各モードでスリップストリームが使えるようになった。 アウトラン/タイムアタックの各モードで分岐イベントが発生する。 アウトランモードにラインボーナス追加。 ハートアタックモードにボーナス追加。 テスタロッサのデザインが初代アウトランと同じ。 SDX/DX 画面サイズが16 9に変更。 対戦モード及びアウトランモードにおいて、1人プレイと2人プレイが選択可能に。 アウトランモード、ハートアタックモードにおいて、敵車の数、配置に若干の変更あり。 車種紹介 250 GTO 1962年式モデル 公道も走れるレーシングカーとして、クラシック・フェラーリのなかにあって最も人気の高いモデル。 250GTOは全てのバージョンを合わせても、39台しか作られておらず希少価値も高い伝説的なフェラーリである。 365 GTS/4 Daytona 1971年式モデル 1967年に「デイトナ24時間レース」で3台のフェラーリが並んでゴールをする、「1-2-3フィニッシュ」を決めたことから、デイトナの愛称が広く親しまれた。 ベースとなったクーペモデル、365GTB/4の前期型はヘッドライトが丸形4灯の固定式で、リトラクタブルのGTS/4とはまた違った表情を持つ。 Dino 246 GTS 1972年式モデル フェラーリ社創始者エンツォ・フェラーリの息子で、この車に搭載されるV6エンジンの設計を担当しながら、白血病のため24歳の若さでこの世を去ったアルフレディーノの愛称「Dino」を冠した、フェラーリ社初の量産ミッドシップモデルである。 初期型の206GTは、フルアルミボディを職人が手造りするという非常に手の込んだもの(年産僅か150台)だったため、後期モデルではスチール製プレスボディに変更。これに合わせ排気量も2.4リットルに拡大され246GTとなった。246GTSは、この246GTのタルガトップモデルである。 実はこの車正確にはフェラーリではなく、その証拠に車体のどこにもフェラーリのエンブレムがない。理由は諸説あり、一説には創始者エンツォが当時「12気筒以外はフェラーリではない」と公言していたためとも言われるが、他説ではこの(フェラーリにしては)小さなV6エンジンが、実車に搭載される姿を見届けることなく逝ってしまったアルフレディーノに対する最大の敬意として、敢えてフェラーリの銘を外したとも言われている。理由はどうあれ、世界がフェラーリと認めている車であることに間違いはない。 余談ではあるがこのDinoエンジン、「SEGA RALLY 2」に登場する名車、ランチア・ストラトスにも搭載されている。 512 BB 1976年モデル 365 GT4/BBのマイナーチェンジとして登場した512 BB。この流麗で美しいボディは現在のフェラーリに通じるデザインでもあり、フェラーリが世界に誇る水平対向(正確には180゚V型)12気筒エンジンを搭載している。 オーナーズマニュアルにも掲載される最高速302Km/hという数字は、当時の最高速戦争で一躍有名になった値である。 ランボルギーニカウンタックの対抗馬(300km)として半年遅れでのデビューでスーパーカーブームの主役級ではあったが、王者としての軍配はカウンタックに上がった。 因みに「BB」はベルリネッタ(クーペ/セダンの総称)・ボクサー(水平対向)の略。 288 GTO 1984年式モデル フェラーリにとって忘れられない名車である288 GTOは1984年ジュネーブ・ショウで発表された。 不朽の最高傑作、250 GTOからちょうど20年、この288 GTOも同じ「ホモロゲーション」(レース用の認定)を取得する為の特別モデルで作られた。 F40,F50,Enzo Ferrariと続くプレミアム・フェラーリの元祖 Testarossa 1984年式モデル。第二次スーパーカーブームの立役者で、言わずと知れた初代アウトランに登場する車。 圧倒的な存在感。鮮やかなフォルムの美しさ。走る姿だけでなく、停まっていてもフェラーリの存在感を感じさせる。 テスタロッサ以降のフェラーリの美点は、ここに確立されたといっていい。 エンジンルームを開けると、その名前の由来となった深紅のカムカバーを見ることが出来る。(TESTA=頭/ROSSA=赤) 尚、この車のカタログモデルにオープン仕様はなく、OutRun2ではピニンファリーナがたった1台、FIATグループ総帥のために作成した特別製のスパイダーのデザインが採用されたが、後方からのデザインが思いの外不評だったためか(?)、SPでは初代で使用された外部カスタマイズメーカー製スパイダーのデザインに戻された。 F40 「フェラーリ史上もっとも過激なロードカー」 1987年7月に行われたプレス・コンファレンスで、フェラーリ社創始者エンツォ・フェラーリ自らによって発表された。 一般路上で走れ、そのままレースにも参加できてしまうようなフェラーリ伝統に則ったクルマをふたたびつくれないだろうか、というエンツォの提案を受け288 GTOからメカニズムを受け継いで、フェラーリF40は形づくられた。 発表当時バブル絶頂にあった日本でも絶大な人気を博し、一時は市場価格が2億円を越え、「走る不動産」と揶揄されたことも。 「ターボアウトラン」のプレーヤーカーだが、ゲーム中に登場するオープン仕様は実際には存在しない。もちろんターボボタンもない(笑)。 ちなみにドアノブなんてものはなく紐を使う。 F50 1995年式モデル フェラーリ創立50周年を記念して作られた。当時フェラーリ史上最もF1に近いモデルとして作られ「公道を走るフェラーリF1」といわれている。 97年までにわずか349台が限定生産された。 360 Spider 2000年式モデル フェラーリ8気筒モデルがF355からF360へと次世代交代し、2000年ジュネーブ・ショーで発表されたのが360 Spider。 キャビン背後に固定式ロールバーを備え、魅力的な存在感を放つオープンスタイルを形成している。 Enzo Ferrari 2003年式モデル フェラーリ社創始者の名を付けたエンツォ・フェラーリF40、F50に続く最新プレミアムモデルとして2002年パリ・サロンで発表された。 F1で得たテクノロジーを余すことなく盛り込むと共に、快適性をも両立させた超弩級スーパースポーツ。 当初349台の限定生産の予定だったが、世界のフェラーリファンからの声に応え、最終的に399台が作られることになった。 ちなみにデザインは、日本人の奥山清行。 コース紹介 OutRun2SPコース(新コース) 1A Sunny Beach(サニービーチ) 2A Bay Area(ベイエリア) 2B National Park(国立公園) 3A Water Falls(滝) 3B Big Forest(巨大な森) 3C Canyon(渓谷) 4A Lost City(失われた街) 4B Casino Town(カジノタウン) 4C Ice Scape(氷の世界) 4D Jungle(ジャングル) 5A Giant Statues(巨石遺跡) 5B Legend(伝説の都) 5C Floral Village(花畑の村) 5D Milky Way(天の川) 5E Skyscrapers(摩天楼) OutRun2コース(旧コース) 1A Palm Beach(椰子浜辺) 2A Deep Lake(深い湖) 2B Alpine(アルプス山脈) 3A Castle Wall(城壁) 3B Coniferous Forest(針葉樹林) 3C Desert(砂漠) 4A Cloudy Highland(曇り高原) 4B Industrial Complex(工業地帯) 4C Snow Mountain(雪山) 4D Ghost Forest(幽霊森) 5A Tulip Garden(チューリップ畑) 5B Metropolis(大都会) 5C Ancient Ruins(巨大遺跡) 5D Imperial Avenue(帝国大通り) 5E Cape Way(岬道) バグ・不具合 仕様上の不具合 旧コースTAモードを強制終了した場合、プレー中に更新したゴーストが反映されない不具合あり 旧コースTAモードで、15連続コース全15ステージのゴーストを更新しても、ネームエントリーでは3ステージ分しか表示されない不具合あり アドバタイズの筐体ランキング表示画面で、各カテゴリ15連続コースのハイスコアが正しく表示されない不具合あり 2005/02頃に配布された新バージョンではいずれも修正されていると見られるが、旧バージョンのままの筐体も多い 新コースHAモード、ミルキーウェイのスペシャルリクエスト3「星を獲って」のリクエスト中に、強制終了または時間切れゲームオーバーとなった場合、その後のタイトル画面の車種紹介のあたりで、ロードに失敗して画面がフリーズする。 筐体上の不具合 ステアリングのセンターが合っていない、手を離していても車体が左右に勝手に曲がるテストモードでセンタリング調整が必要 ステアリングを操作していないのに、車体が急に左へ動く(通称スベルン)パーツの磨耗が原因、ステアリングを外してボリューム交換が必要 ブレーキペダルを踏んでいないのに、ブレーキランプがチカチカ点滅する(通称ブレチカ)パーツの磨耗が原因、ペダルのボリューム交換が必要 アクセルペダルをベタ踏みしているのに、最高速度に達する前に加速が止まる、又はドリフト中に急減速を起こす(通称アク抜け)パーツの磨耗が原因、ペダルのボリューム交換が必要 解禁されていたはずの15連続コースが選択できない、ゴーストやスコアがリセットされているメモリのバッテリー切れが原因、バッテリー交換が必要 店舗によってはメンテナンスの対応をしない不具合もあるので要注意
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限定ワザ タイムアタックの特別な走法や、個性的なスコアの稼ぎ方、あっと驚く魅せワザなど、 モード、カテゴリ、ステージを限定した「一点モノ」のワザについてまとめています。 限定ワザジェットストリームアタック走法 天狗舞 ひな鳥 ひな祭り ジェットストリームアタック走法 TimeAttack MODE TUNED/MT OutRun2コース 3B Coniferous forest(針葉樹林) いわゆる「“森”の最終4連S字」 サンプル動画 攻略テキストはこちら 天狗舞 TimeAttack MODE NORMAL/MT OutRun2SPコース 5E Skyscrapers(摩天楼) いわゆる「大ヘアピン」 サンプル動画 攻略テキストはこちら ひな鳥 HeartAttack MODE OutRun2SPコース 1A Sunny Beach(サニービーチ) 第2リクエスト(ドリフトして!) いわゆる「本来ドリフトなんか全く必要としないコーナー」 攻略テキストはこちら ひな祭り HeartAttack TimeAttack MODE NORMAL/MT OutRun2SPコース 5E Skyscrapers(摩天楼) いわゆる「大ヘアピン」 サンプル動画(N/MT) 攻略テキストはこちら
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関連リンク 公式サイト 開発者インタビュー http //sega.jp/archive/creators/vol_26/1.html ランキング 公式インターネットランキング前期?最終日版 http //homepage3.nifty.com/~hina/outrun2sp/or2sp_ir_final/ ウィキペディア アウトラン http //ja.wikipedia.org/wiki/OutRun OutRun2(英語) http //en.wikipedia.org/wiki/OutRun_2 ターボアウトラン http //ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3 ファンサイト OUTRUN2 まったり日記 http //ip.tosp.co.jp/i.asp?i=littera_or OutRun2SP Heart Attack ひなピヨはぁと http //homepage3.nifty.com/~hina/index.html OutRun2SPの記録とその他もろもろなサイト http //www.ait.to/~lance/OutRun2SP/index2.htm がらくた置き場 http //www.geocities.jp/tp_560x/garakuta.html ゲーセン情報 am-net http //www.am-net.jp/ 全国ゲームセンター情報 ゲマセン http //game.ge-sen.com/ AOU会員店舗 http //www.aou.or.jp/03/03-01/02nenkan/zenkokutenpo.htm 全国ゲーセン地図Wiki http //www5.atwiki.jp/gesen/ 栃木のゲーセン事情@Wiki http //www6.atwiki.jp/totigigesen/ 埼玉ゲーセン事情 http //www6.atwiki.jp/saitama_gesen/ 新宿・中野ゲーセンマップ http //wiki.livedoor.jp/tck_s/ 北陸ゲーセンまとめwiki暫定版 http //wiki.livedoor.jp/gecen_location/d/FrontPage 和歌山のゲーセン情報wiki http //www3.atwiki.jp/w2ch/ 姫路ゲーセン情報 http //www10.atwiki.jp/himeji/
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“しょ”の場合 「イエローEnzoの“森”使い」の“しょ”です〜 オイラの場合は、年ではなく、 「無印時代」「SP時代」に分けて、執筆させていただきます〜 (オマケ?も付けました〜) Edited by "sho"(2007.02.12) “しょ”の場合無印時代(OutRun2) SP時代(OutRun2SP) 「KS?」氏 Special Tours 無印時代(OutRun2) 2003年07月XX日 <出来事>セガが「OutRun2」を製作中との情報。間もなく公式ホームページオープン 2003年08月26日 <出来事>サイト、リニューアルオープン 2003年12月16日 <出来事>インターネットランキング、オープン 2003年12月2X日 <出来事>“しょ”、地元の「権堂プラス1」にOutRun2入荷。初走行 2003年12月2X日 <出来事>“しょ”、Enzo Ferrari/MT R03 を集中的に走り込む。 理由は、ラクなステージを繋いだ結果 (「針葉樹“森”の冒険・回想・帰還・事件簿」参照) “しょ”、マシンをEnzo Ferrari固定を決心。 理由は、なんとなく自分にあったダケと、 当時のTOPが皆、F40ばかり使っていた事に対する、 「アマノジャク的」発想から (「針葉樹“森”の冒険・回想・帰還・事件簿」参照) 2004年01月XX日 <出来事>“しょ”、Enzo Ferrari/MT R03 でインターネット・ランキング、 30位から50位をうろうろ しかし、上位の極僅かなプレイヤーが、“森”抜けルートの 「R05」だったコトも気にはなっていた。 2004年01月1X日 <出来事>「権堂プラス1」、1クレ¥100設定に 2004年02月14日 <出来事>「上田セガワールド」の1クレ¥200設定に音を上げて、 「権堂Plus1」に遠征に来た 「RVI-KT」氏「Tiny-MID」氏と“しょ”、偶然出会う キッカケは、「RVI-KT」氏の「ドリフト、上手いね」との“しょ”への声かけから なお、この当時「RVI-KT」氏は、「RVI-KT 35歳」と ハンドルネームで名乗っており、“しょ”も声かけられ後、 どう切り出していいか解らず、 とりあえずI.R.では「RVI-KT 35歳」と名乗られていたので、 “しょ”は「35歳さんですよね〜」と切り出したら、 「RVI-KT」氏に軽く引かれたが(笑)、それからその後の会話に繋がったのは、 今になると懐かしい思いで 当時の”しょ”は、ムカシからタイムとか雑誌に載るとかを全く意識しておらず、 お二人の「タイムのためならどんな些細な事でも探求する姿勢」に 感銘&脅威を受けた また、“しょ”がプレイするR03に、お二人が興味を示し、 走り出された事に影響を受ける。 その後お二人は、1クレ¥100設定を求め、毎週末「権堂Plus1」へお見えに 2004年02月XX日 <出来事>“しょ”、ブレーキがかからない程度にブレーキを微踏みすると、 ブレーキは掛からないが、ブレーキランプは点灯する状態を発見 後の、「AT:ブレーキ無作動ランプのみ点灯でのアクオフによるドリフト起動」 の基礎を発見していた模様 2004年02月XX日 <出来事>「RVI-KT」氏「Tiny-MID」氏のR03参戦の脅威から逃れるため、 "しょ”、R03から“森”通過のR05に鞍替え ココから“森”と“しょ”との、長い長〜い「闘い」「苦悩」「情熱」 「葛藤」「試練」「愛情」が始まる。 流石の「RVI-KT」氏「Tiny-MID」氏もR05&“森”には参戦せず。 (「針葉樹“森”の冒険・回想・帰還・事件簿」参照) 2004年02月XX日 <出来事>“しょ”、“森”との闘いに明け暮れる。 1セク、2セク、3セク全ての難易度が高く、 悩みに悩む(「針葉樹“森”の冒険・回想・帰還・事件簿」参照) 2004年03月XX日 <出来事>“しょ”、マシンカラーを2日だけ“銀”に。 しかし、あまりパッとせず、次に"黄”に変更。 ココから、「イエローEnzoの"森”使い伝説」が始まる? 2004年03月XX日 <出来事>“しょ”、“森”との闘いに明け暮れる。 特に3セクの「最終4連S字」の攻略が進まず、試行錯誤を繰り返す。 (「針葉樹“森”の冒険・回想・帰還・事件簿」参照) 2004年03月XX日 <出来事>「上田セガワールド」も1クレ¥100に 「RVI-KT」氏、「Tiny-MID」氏、長野「権堂Plus1」遠征が無くなる。 2004年04月XX日 <出来事>“しょ”、“森”との闘いに明け暮れる。 特に3セクの「最終4連S字」の攻略が進まず、 通常考えられる方法?で、 まぐれで通過しても「なっとくいかね〜」感が心に残り、 さらなる探求へ(「針葉樹“森”の冒険・回想・帰還・事件簿」参照) 2004年05月30日 <出来事>"森” 0 53"180:“しょ”、「“森”の最終4連S字」で、フと閃き、 自身が納得する走法を確立する。 (「針葉樹“森”の冒険・回想・帰還・事件簿」参照) コレが後の「ジェットストリームアタック」走法の基礎となる。 2004年06.03日 <出来事>"森” 0 53"096:Enzo Ferrari/MT R05 トータル 4 17"819 8位 「コメント:視える。俺にも森が視える。」 2004年06月19日 <出来事>"森” 0 53"0XX:Enzo Ferrari/MT R05 トータル 4 17"147 7位 「コメント:森にイエローのエンツォ。映えるなぁ〜。」 2004年06月23日 <出来事>"森” 0 52"928:Enzo Ferrari/MT R05 トータル 4 16"910 6位 「コメント: ・・・・楽しい。」 2004年06月XX日 <出来事>“しょ”、自己のホーム、長野市「権堂プラス1」へは行かずに、 毎週末「上田セガワ」に遠征。ほとんど「上田セガワ」がホーム状態に やっぱ一人じゃ燃えない〜 2004年07月03日 <出来事>"森” 0 52"849:Enzo Ferrari/MT R05 トータル 4 16"769 6位 「コメント:森は友達!」 2004年07月14日 <出来事>"森” 0 52"714:Enzo Ferrari/MT R05 トータル 4 16"564 5位 「コメント:やっぱホームで更新するのはうれしいな。」 2004年07月17日 <出来事>改良版?「OutRun2SP」のロケテ情報を得、RVI-KT氏と池袋へ 2004年07月23日 <出来事>「森の最終(Excel版)」作成。 未だにアレがExcelで作成されているコトに驚かれる。(笑) 2004年07月XX日 <出来事>Virtua Fighter 4 の組み手イベントで、 「上田セガワ」にお見えになった「キャサ夫」氏と、 OutRun2でも盛り上がる。 まさか、「キャサ夫」氏も、 OutRun2で盛り上がれるとは思っていなかったようで、 バーチャとアウトラン2、 どっちがメインか解らないような来店であった模様(笑) また、“しょ”の“森”の走りをご覧になっていただき、 「“森”で、あんな抜け方するの、初めて見た」 と、おっしゃってもらえ、オイラも満足? その日は夜中の2時近くまで閉店後の店の前で、 「キャサ夫」氏、「RVI-KT」氏、「Tiny-MID」氏、“しょ”で、 OutRun2談義で盛り上がる(もう一方おられたが、失念〜!) 2004年07月XX日 <出来事>「Tiny-MID」氏、“しょ”の執拗な勧誘?により、 “森”通過のR05へ参戦を決意! (「針葉樹“森”の冒険・回想・帰還・事件簿」参照) そして、「Tiny-MID」氏の“森”との「闘い」「苦悩」「情熱」 「葛藤」「試練」「愛情」が始まる。 2004年07月XX日 <出来事>「Tiny-MID」氏、「イエローEnzoの"森”使い」に対抗してか?、 Enzoで黒を選択するようになり、 “しょ”に「黒いEnzo使い(通称:黒Enさん)」と呼ばれるようになる。 2004年07月24日 <出来事>"森” 0 52"708:Enzo Ferrari/MT R05 トータル 4 16"397 4位 「コメント:アーサーにて。GILさんUJIさん感謝です。」 2004年08月15日 <出来事>"森” 0 52"685:Enzo Ferrari/MT R05 トータル 4 16"262 3位 「コメント:黒いEnzo使いが来てます。来てますっ!」 2004年09月16日 <出来事>"森” 0 52"606:Enzo Ferrari/MT R05 トータル 4 16"251 4位 「コメント:ルート選択ミス!?で更新。まぁぼちぼちと」 2004年09.XX日 <出来事>“しょ”、不意に、「5C“遺跡”にはナニかがある。」と 「Tiny-MID(黒いEnzo使い)」氏に発言。 後のR09"遺跡”攻略開始のキッカケになる。 2004年09月19日 <出来事>“しょ”、「森の秘伝書」として、“森”ステージ全を、 文章による攻略記事で、 コース「序盤」「中盤」「終盤」としてテキストで作成(ぢつは失敗作〜) 2004年10月XX日 <出来事>「Tiny-MID(黒いEnzo使い)」氏、R09"遺跡”を研究し始める。 “しょ”も参加し、「Tiny-MID(黒いEnzo使い)」氏を中心に “遺跡”の攻略が始まる。 2004年11月07日 <出来事>“しょ”、「森の考察」として、最終4連S字の侵入前を、 アウト側ダートまで使って侵入する方法に変更。 絶大な効果を得、タイムが一気に0 52"4xx台に 2004年11月XX日 <出来事>「Tiny-MID(黒いEnzo使い)」氏、 5C“遺跡”で革新的な走法を編み出す。 5C“遺跡”の攻略が、徐々に煮詰まっていく 2004年11月20日 <出来事>"森” 0 52"468:Enzo Ferrari/MT R05 トータル 4 16"065 3位 「コメント: 復活〜!またルート選択画面から攻略〜(^^;」 2004年11月21日 <出来事>"森” 0 52"444:Enzo Ferrari/MT R05 トータル 4 15"898 3位 「コメント:更新〜! 残念っ! 黒Enさん来てる斬りぃっ!」 2004年11月23日 <出来事>"森” 0 52"379 2004年12月15日 <出来事>OutRun2も1年経った事もあり、 自分の中の“森”への愛情?を込めて、 mixi版「針葉樹森の冒険・回想・帰還」原稿を執筆(全23夜) SP時代(OutRun2SP) 2004年12月24日 <出来事>"森 ”0 52"XXX:TUNED/MT(Enzo Ferrari) R05 トータル 4 15"949 1位 「コメント:参考記録(追い風?向い風?)」 2005年04月XX日 <出来事>LTRさんの「まったり?日記」に参加 2005年05月XX日 <出来事>イニシャルDプレイヤーだった「RYO」氏が、 OutRun2SPに参戦。N/MT15連をメインにプレイ 2005年06月11日 <出来事>「SAT.」氏、長野「権堂Plus1」にチャリでお見えに 「SAT.」氏が醤油の古里、野田から長野市までチャリでお見えに 長野勢では、「RVI-KT」氏、「RYO」氏、“しょ”が参加、 久々の長野「権堂Plus1」OFFが開催される。 千葉県野田市から長野県長野市までチャリで走ってきてしまう 「SAT.」氏に一同オドロキ さらに「SAT.」氏は翌日、戸隠奥社まで、 もんのスゴい坂道をチャリで走破したとのこと、スゴいです。 2005年07月15日 <出来事>上田セガワールド新装開店 2005年09月04日 <出来事>"森 ”0 52"XXX:TUNED/MT(Enzo Ferrari) R05 トータル 4 15"916 1位 「コメント 牛歩戦術〜(乳牛?肉牛?)」 2005年09月XX日 <出来事>「上田セガワールド」の「OutRun2SP」が4台になる。 2005年10月03日 <出来事>"森 ”0 52"XXX:TUNED/MT(Enzo Ferrari) R09 トータル 4 16"015 1位 「コメント 敬丁氏森高速突破記念参考記録」 2005年10月03日 <出来事>"森” 0 52"247: 2005年10月22日 <出来事>上田セガワOFF:関東から「ネコメ」氏、 「ゆくり」氏、「政府開発援助」氏が来店。「RVI-KT」氏、 「RYO」氏、“しょ”が参加。呑み会が「時代屋」で開催される。 噂のホテル「湯楽」に、「ネコメ」氏、「ゆくり」氏、「政府開発援助」氏、 「RVI-KT」氏、“しょ”が宿泊。ハダカの付き合いが実施?される。 「ネコメ」氏、「ゆくり」氏が相部屋になり、二人の間に関し、 当夜から様々な憶測が流れる。(笑) 翌日も「上田セガワOFF」。名古屋から「KEN」氏、「がわがわ」氏が合流。 「RVI-KT」氏、ひどい二日酔いで5年前の薬を服みナントカ復活? 関東から「SAT.」氏、群馬県から「MON」氏、「ありんどう」氏も合流。 総勢11名のOFFとなる。 「ネコメ」氏、大鼻血事件勃発するも大事に至らず、順調に?OFFが終了する。 この後、「上田セガワールド」が長野勢はモチロンのこと、 OutRun2SPの日本の“聖地”的役割を果たす。 (が、上田セガワOutRun2SP撤去事件により、短命な“聖地”となる) 2005年10月XX日 <出来事>上田在住の「KS?」氏、OutRun2SPに参加。 長野勢は5人となる。 また、「KS?」氏の独特な言い回しの掲示板カキコが密かに話題となり、 皆燃える。(笑) 2005年10月24日 <出来事>"森 ”0 52"XXX:TUNED/MT(Enzo Ferrari) R09 トータル 4 15"787 3位 「コメント 森の貯金を遺跡でスられる日々〜」 (1位はAIKOさん 4 14"874) 2005年10月30日 <出来事>"森 ”0 52"XXX:TUNED/MT(Enzo Ferrari) R09 トータル 4 15"601 2位 「コメント “しょ”の森とMIDさんの遺跡のコラボ〜」 (1位はAIKOさん 4 14"874) 2005年11月18日 <出来事>猫電:“しょ”、「寝ても醒めても森」執筆 2005年11月28日 <出来事>猫電:“しょ”、「ナガレンジャー」執筆 2005年11月30日 <出来事>猫電:“しょ”、「森の妄想」執筆 2005年12月03日 <出来事>猫電:“しょ”、「森上げ委員会」執筆 2005年12月04日 <出来事>"森 ”0 52"XXX:TUNED/MT(Enzo Ferrari) R09 トータル 4 15"577 2位 「コメント 森抜けたら手ぇつった〜」(1位はAIKOさん 4 14"470) 2005年12月12日 <出来事>"森” 0 52"220:TUNED/MT(Enzo Ferrari) R09 トータル 4 15"442 2位 「コメント みなさん〜、森上げていきましょ〜」 (1位はAIKOさん 4 14"470) 2005年12月11日 <出来事>"森” 0 52"211:TUNED/MT(Enzo Ferrari) R05 トータル 4 15"675 1位 「コメント:3ヶ月ぶりに左へ〜」 2005年12月17日 <出来事>第2回 上田セガワOFF:関東から「ネコメ」氏、 「ゆくり」氏、「政府開発援助」氏、「LTR」氏が来店。 石川県から「ヨW∀N−ON」氏、「熊ひろし」氏来店。 お土産に「天狗舞」を渡される。これが後の摩天楼大ヘアピン攻略名、 「天狗舞」になろうとは・・・・ 「RVI-KT」氏、「RYO」氏、「KS?」氏、“しょ”も参加。 初日、石川組の「ヨW∀N−ON」氏、「熊ひろし」氏はお帰りに またも「時代屋」で呑み会が開催される。 そのままオヤクソクで噂のホテル「湯楽」に。 「RVI-KT」氏持参の「裏DVD鑑賞大会(OutRun2SPプレイ動画)」で 大盛り上がりになるも、「湯楽」支配人から騒ぎ過ぎとの指摘を受け、 騒いでも安全?な両部屋が内輪モノで固めた 「政府開発援助」氏の部屋に会場変更するハプニングも。 その後、呑み、喰いっちらかしたママ皆各自部屋へ、 「政府開発援助」氏、キレる。(笑) 翌日早朝、「LTR」氏、帰京。朝、「Tiny-MID(黒いEnzo使い)」氏、 徹夜で湯楽へご出勤。(笑) 「ネコメ」氏、念願の「雪だるま(手のひらサイズ)」を、 上田セガワ駐車場で制作。ご満悦に 群馬県から「MON」氏、「ありんどう」氏も合流。 ナゼかマリオカートが流行る。(笑) 「RVI-KT」氏、「Tiny-MID(黒いEnzo使い)」氏、 両名による「旧T/MT交代プレイ」発動! 記録は 13 31"496 で交代回数57回の偉業?を達成し、 「第2回 上田セガワOFF」は盛大に幕を閉じる。 (ナガレンジャーの握手会は忘れられたため未実施)(笑) 2005年12月30日 <出来事>年末OFF 「アウトランスペシャルツアーズ(O.R.S.T.)」と銘打って、 「SAT.」氏、「KEN@」氏、「がわがわ」氏が、 「名古屋」→「金沢」→「上田」→「大宮」→「東京」→「名古屋」 (→「オマケで更に大阪」)を巡業?する年末の大企画を実行 この時の「金沢レジャランOFF」で初めて 「SP N/MT T.A 5E 摩天楼の大ヘアピン」での「天狗舞」が、 「ヨW∀N−ON」氏をはじめとする「金沢勢」から披露され、 「O.R.S.T.」の三人組が驚愕の走りを目の当たりにする。 ところで、「上田セガワ」には31日到着とのこと “しょ”は、年末年始、自分実家とヨメ実家に行かねばならぬので、 当日は午後3時上がりの予定に 当初は、「SAT.」氏、「KEN@」氏、「がわがわ」氏が 朝7時頃、電車で長野駅に着いたら”しょ”と落ち合い、 “しょ”のスーパーエイト号で「上田」に向かう予定だった。 が、午前6時頃、電車が倒木のため信越本線「新井駅」でストップ。 偶然その情報が「猫電」にUPされた直後、 “しょ”はその情報を得たため、急遽、救出に向かう事に 結局、電車の復旧時間と、 “しょ”の到着時間の差は5分ほどの遅れだったようだが、 「O.R.S.T.」の三人組は“しょ”のスーパーエイト号で移動、 三人組はしばし仮眠 どうやら、金沢から直江津まで、 マトモな状態で電車に乗れてなかったようで、 かなりの疲労困憊の様子であった。 そのまま「上田」まで高速で直行し、 上田と言えばオヤクソクの「デニーズ」で朝飯 朝9時の開店から「上田セガワOFF」スタート! 「天狗舞」をモノにしようと張り切る?「O.R.S.T.」の三人組 昼、「ネコメ」氏が新幹線で上田入り。の予定がハプニング発生! 日に2本しかない「上田に止まらない」 新幹線「あさま」に乗ってしまった「ネコメ」氏 そのまま「長野駅」まで行き、立ち食いそばを喰って時間調整の後、 またまた新幹線で「上田駅」へ。 “しょ”も、スーパーエイト号で迎えに行くが、ハプニングのため、 こちらも立ち食いそばを喰って時間調整 結果、30分ほどのロスで「ネコメ」氏を「上田セガワOFF」会場に 「Tiny-MID(黒いEnzo使い)」氏が合流、 長野勢5人がそろい、上田OFF、一時総勢9人になるも、 「Tiny-MID(黒いEnzo使い)」氏の来店と入れ替わるカタチで、 「SAT.」氏が戸倉上山田温泉へ、“しょ”が自分実家へと、 それぞれ私用でOFF離脱 その後、上田OFF会場では車内爆睡が続出 午後6時過ぎ、上田OFF終了 「KEN」氏、「がわがわ」氏、「RVI-KT」氏、「KS?」氏、 「Tiny-MID(黒いEnzo使い)」氏が春日部へクルマで異動 「埼玉春日部レジャラン」に、午後9時到着 「戦闘狂」氏、「ひな」氏、「Mrまふぃあ」氏、「おぬ〜」氏、 「ありんどう」氏、「MON」氏、「鈴木さん」氏、「ネコメ」氏、 「KEN@」氏、「がわがわ」氏、「KS?」氏、「MID」氏、 「RVI-KT」氏の13名で春日部OFF開始 ・・・・正月を迎える。 「Mrまふぃあ」氏と「KS?」氏の師弟愛が発覚(笑) 約10時間におよぶ埼玉OFFも、三々五々、帰路に着く者が出始めるも、 さらに参加者が入り、「LTR」氏、「KEN@」氏、「がわがわ」氏、 「新横」氏、「おぬ〜」氏、「神咲」氏、 「ナレーターB」氏の7名となる。 その後、会場を東京新宿三平にしつつ、「koo」氏、「北に帰れさん」氏、 「蕨パンダ」氏、「らっっきぃ」氏を交え、計16名でのOFF 誰がいるのかよく把握できないままOFFは続く 名古屋に帰るはずの「KEN@」氏、「がわがわ」氏、ナゼか大阪に 「西の神・降臨」最終第9ラウンドOFFが開催された模様 「ネココ」氏、「YK」氏、「AIKO」氏を交え、 このラストのOFFで、「O.R.S.T.」OFFが終了 2006年01月XX日 <出来事>長野市「権堂プラス1」から、 OutRun2SPが撤去される。(悲) この時期、全国で一斉撤去の嵐が吹き荒れる。 "しょ”のホームは自動的に「上田セガワ」へ 2006年01月29日 <出来事>川崎ウェアハウス&藤岡レジャーパーク閉店記念OFF 川崎ウェアハウスにある初代OutRunを求め、 「RVI-KT」氏、「Tiny-MID(黒いenzo使い)」氏、 “しょ”の三名で、“しょ”エイトで向かう 川崎ウェアハウスで、「おぬぅ」氏、「鈴木さん」氏、 「J-WELLTH 新横浜」氏と対面 「Tiny-MID(黒いenzo使い)」氏&“しょ”は、 「J-WELLTH 新横浜」氏と初めて会う 特に、「Tiny-MID(黒いenzo使い)」氏は、 それまでのONでのやり取りでウマが合っていたらしいものの、 OFFでは過去にすれ違い経験多く、 今回は感動&号泣?のOFF初対面となった (「J-WELLTH 新横浜」氏、思わず抱擁してしまう。 ハタから見たら、ちょっと引くホド・・・・(笑))。 その後、閉店となる「藤岡レジャーパーク」へ、 向かう予定の無かった「J-WELLTH 新横浜」氏までも拉致し、 完全4人乗り車である“しょ”のRX-8にナゼか5人強引に乗り向かう これが、「J-WELLTH 新横浜」氏、初の遠征OFFとなる。 (“しょ”が後部座席で強引にフェラーリ要求ポーズで乗り込んだ上、 「しゃぶれよ!アッー!!」と、 「J-WELLTH 新横浜」氏の永久に記憶に残る迷言?まで発する。 後に猫電で、「“暫定”エロい人.IR」として、 “しょ”が1位となり、新横さんに悔しがられる(笑)。 運転は「Tiny-MID(黒いenzo使い)」氏) 「藤岡レジャーパーク」では、地元の「ありんどう」氏、「モン」氏、 名古屋勢の「MAL8」氏、「KEN@」氏、 関東勢の「政府開発援助」氏、「おぬぅ」氏、「J-WELLTH 新横浜」氏、 「ネコメ」氏、「SAT.」氏、 長野勢の「RVI-KT」氏、「Tiny-MID(黒いenzo使い)」氏、 「KS?」氏(車で会場一番乗り)、“しょ”の総勢14名でのOFF会となる。 長野勢三人の帰り道、“しょ”運転のRX-8 高速で面パトにスピード違反でパクられる(笑)。 2006年02月28日 <出来事>「上田セガワ」の「OutRun2SP」も撤去の波に呑まれる。 事実上、“しょ”の近場(クルマで30分以内)のOutRun2SPは消滅する。 2006年03月XX日 <出来事>長野勢の「RYO」氏、「KS?」氏、 OutRun2SPの撤去を受け、事実上の「引退」となる。 2006年03月04日 <出来事>「上田セガワ」の「OutRun2SP」撤去追悼?のため、 「それでも(筐体が無くても)行くよ!」と、「ネコメ」氏、「ゆくり」氏、 「政府開発援助」氏が、わざわざ上田にお見えになってくださる。 が、その時、長野新幹線で「上田駅」に到着した御一行が、 フラリと入った上田駅前のイトーヨーカドーのゲームコーナーにて、 OutRun2SPを1台発見(「政府開発援助」氏?) その朗報に驚愕で歓喜の長野勢も交え、 「即席?、上田イトヨーOFF」が同日直ちに開催される。 また、同日、呑み会開催予定地であった、 オヤクソクの「時代屋」であったが、残念ながら休業日だったため、 これまたオヤクソクのホテル「湯楽」近くの呑み屋にて代理?開催 即席?代理?と、 「びっくり」&「良い」&「面白い」ハプニング続出の1日であった。 が、上田イトヨー閉店時間が夜9時と早い事がネックとなり、 地元の「RVI-KT」氏も毎夜満足なプレイ時間を得る事ができず、 長野勢ではその後、週末に2〜3回OFFが行われた程度で、 上田イトヨーが長野勢の第二の“聖地”となることはなかった。 2006年04月08日 <出来事>「RVI-KT」氏、T/MT “森”で0 52"250 長野勢の「RVI-KT」氏も、「ジェットストリームアタック」走法を、 半ば習得される。 ここに「長野の、《“森”の三連星(FOREST TRISTAR)》」が完成する。 2006年04月15日 <出来事>群馬太田OFF(今後編集) 2006年04月20日 <出来事>まったり日記:「SAT.さん 権堂プラス1筐体発見〜」 (撤去された「権堂プラス1のOutRun2SP筐体」が、 「茨城県境町「サティ」2Fのゲームコーナー」で、 “しょ”のゴーストとともに発見される) 2006年04月30日 <出来事>群馬太田OFF(今後編集) 2006年05月04日 <出来事>群馬太田OFF(今後編集) 2006年05月05日 <出来事>"森” 0 52"209: 2006年05月11日 <出来事>「まったり日記」版、 「針葉樹“森”の冒険・回想・帰還・事件簿」執筆 (全30夜だが、文字数制限のためセク分けし、結果全69夜) 2006年07月08日 <出来事>無印遠征 「Tiny-MID(黒いEnzo使い)」氏からの誘いを受け、 伊勢崎市内のドン・キホーテに設置されているという、 “無印”OutRun2をプレイしに行く 懐かしい赤と青と白のセンスのいい筐体が懐かしく、 また、SP全盛の今となっては尋常では無い、 「コスリ」「アタリ」「ハミ出し」判定のシビアさ、減速率の大きさに 改めて“無印”を感じる。 “しょ”、“森”の第1激緩左ターンに、オヤクソクでコスって大減速! 二人で大笑いとなる。 その後、「思い出は美しいままにしておこう」と、 二人とも数プレイで“無印”にさよなら 同市内のOutRun2SP設置店に移動し、プチOFF開催 2006年07月1X日 <出来事>この頃から“しょ”は、 OutRun2SPを全くプレイしないまま、2007年02月10日の、 金沢OFFを向かえるコトになる。 約半年間、全くプレイしなかった。 理由は、「“森”で燃え尽きた」から まぁ、療養期間ってコトで〜 2006年07月11日 <出来事>猫電:無印ネタ〜 2006年07月17日 <出来事>mixi版「針葉樹森の事件簿」 (「まったり日記」版の拡大部分(事件簿)のみを編集再掲載)」執筆) (全13夜:mixi版・総計36夜) 2006年08月05日 <出来事>Wiki:「ジェットストリームアタック」走法についてを執筆 2006年08月13日 <出来事>名古屋OFF(今後編集) 2006年11月05日 <出来事>Wiki:「ジェットストリームアタック」走法についてを加筆 2007年02月10日 <出来事>Wiki:この「SP攻略史:SP個人史:“しょ”の場合」を初執筆 2007年02月10日 <出来事>上越&金沢OFF前 「RVI-KT」氏と“しょ”と二人で金沢へ “しょ”は、半年以上プレイしていないとゆー、 プレッシャーとの闘いになると思われる。 が、その前に、時間調整で上田イトヨーにあるOR2SPにて、 “しょ”一人で黙々とリハビリプレイを1時間強 そしたらナゼか、“森”の自己ベ更新してしまう 2007年02月10日 <出来事>"森” 0 52"204: 2007年02月10日 <出来事>上越&金沢OFF(今後編集) 2007年02月12日 <出来事>Wiki:「SP攻略史:SP個人史:「KS?」氏 Special Tours」を初執筆 2007年10月06日 <出来事>長野県佐久MOCOオフ1日目 「J-WEELLTH新横浜」さんの初?遠征、 佐久のゲーセン「MOCO」で、オフ会が開催される 初日は、「新横」氏、「RVI-KT」氏、「MID」氏、 “しょ”の4人でオフ T/MT旧Aコースをメインに、 “しょ”以外のみなさんがプレイ “しょ”は完全に観戦モードで、プレイ数ゼロ 「新横」氏が、旧4Aで、驚異的なタイムを残し、 初日のオフは終了 その後、長野市上田のオヤクソクの宿泊施設、 「湯楽」に異動、名古屋勢の、「MAL8」氏、 「KEN@」氏、「YK」氏、そして、 呑み会&湯楽宿泊のみ参加の「ありんどう」氏と合流し、 居酒屋「時代屋」へ移動、OutRun2SP談義の呑み会となる 呑み会後、「湯楽」へ戻り、「MID」氏は一時帰還 残りのメンバーで、「湯楽 オティンティンチャンバラ」 大会となる(要は入浴) 入浴後は、風呂場ロビー?で小一時間ほど皆で談笑 あまり遅くならずに解散、就寝となる 2日目、「ありんどう」氏は帰宅、残りのメンバーで、 高速道路経由で「MOCO」を目指す 途中、東部湯の丸SAで朝食 「RVI-KT」氏のカレー&ご飯追加&ざるそばや、 「YK」氏のソースカツ丼など、朝からの喰いっぷりに脱帽 「MOCO」に到着、 皆さんT/MT旧Aコースをメインに走る しばしの後に、「MID」氏、「MON」氏も合流 総勢8名のオフ会となる “しょ”はまたまた完全に観戦モードで、プレイ数ゼロ 遅い昼食後、「新横」氏の出した、旧4Aのタイムを、 「MID」氏が塗り替える、流石 「新横」氏、「MOCO」での自分のゴーストが、 24時間も持たずに更新され、ヘコむ 午後4時半、「新横」氏、帰宅、 あわせて“しょ”も帰宅となった 結局"しょ”は、OutRun2SPプレイ回数ゼロ、 「MOCO」に落としたお金は、1日目と2日目、 それぞれ缶コーヒー1本ずつの、計240円にとどまる しかし、皆さんの熱いプレイを見、 「湯楽」でも楽しいひとときを過ごし、 とても充実したオフであった 「KS?」氏 Special Tours
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