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MBSヤングタウン(エムビーエスヤングタウン)は、MBSラジオ(毎日放送)が深夜に放送しているラジオ番組。 1967年10月2日に『歌え!MBSヤングタウン』として放送開始。通称 ヤンタン 。 概要 1960年代後半から深夜番組の黄金期を築いてきた番組。一時は、毎日22時から放送していた。 当番組へのレギュラー出演で人気を博したことを機に、活躍の場を全国にまで広げた著名人は、桂三枝(現・六代 桂文枝)、笑福亭鶴光、谷村新司、笑福亭鶴瓶、明石家さんま、嘉門達夫 、ダウンタウン、渡辺美里、つんくなど多数にのぼる。また、現在に至るまで、曜日ごとの放送を指す場合に『ヤン○』(○は放送曜日の頭文字、「月曜日」の場合には「ヤン月」)という略称を用いることが多い。 なお、MBS以外のラジオ局が制作・放送した『ヤングタウン』のうち、TBSラジオが1969年10月から1986年9月まで関東ローカルで毎週土曜日に放送していた『ヤングタウンTOKYO』シリーズは当番組の姉妹番組に当たる。NRNに加盟する地方局への裏送り番組として1975年4月から1986年3月まで文化放送が制作していた『ヤングタウンAM』については、「(『MBSヤングタウン』『ヤングタウンTOKYO』に次ぐ)第3の『ヤングタウン』」と呼ばれていたが、当番組とは直接の関係がない。 歴史 番組開始までの経緯 1960年代前半までのMBSラジオ(MBS)は、在阪ラジオ局の聴取率において、ラジオ大阪(OBC)・ABCラジオ(ABC)の後塵を拝していた。特に深夜帯では、『アナウンサーコーナー』(OBCが開局直後から放送を開始)と『ABCヤングリクエスト』(ABCが1965年4月から『ヤンリク』の愛称で生放送)の前に、大きく水をあけられていた。 MBSでは1967年春に、当時ラジオ制作部のディレクターで一番若かった渡邊一雄が、ラジオ編成部からの指示で若者向け深夜番組の準備を開始。テンポの早いトークで進行しながら、フォークソングやロックをふんだんに流す番組の計画を練り上げた。 ちなみにMBSでは、当番組の本放送を始めるまで、平日の深夜に15分間・半年限定のパイロット番組を放送。渡邊は、入社2年目ながら長髪などで「若者の兄貴分」という雰囲気を漂わせていたスポーツアナウンサー・斎藤努を、この番組のパーソナリティに抜擢した『ヤンタンの時代。』第一章「みんな名もない新人だった 斎藤努編」より。 1960年代 渡邊は本放送を前に、聴取対象を25歳以下の若者に限定しつつ「子供向きの内容」にしないことや、彼らに連帯感を持たせるべく毎日放送千里丘放送センター(当時)内で最も広い第1スタジオで放送日の夕方に公開収録を実施することを決定。『歌え!ヤングタウン』というタイトルで、1967年10月2日(月曜日)から本放送を開始した。 開始当初は、24 10 - 26 00の時間帯で放送。斎藤が全曜日の公開収録で司会を務めるとともに、高橋キヨシ(ギタリスト)と十川尚子(ピアノ・エレクトーン奏者)をレギュラーに起用した。また、関西地方で活動するアマチュアのフォークグループ(アマチュアバンド)2組を日替わりで出演させるとともに、プロのバンドやフォーク歌手を随時ゲストに迎えていた『ヤンタンの時代。』第二章「『ヤンタン今月の歌』関西に新しいフォークが生まれた ザ・フォーク・クルセダーズ編」より。。ちなみに、第1回のゲストは、当時アマチュアで活動していたザ・フォーク・クルセダーズであった前出の「ザ・フォーク・クルセダーズ編」より。当番組への出演時点で解散を決めていたが、出演直後に『帰ってきたヨッパライ』(自主制作によるLPレコード『ハレンチ』の収録曲)が空前の大ヒットを記録した。。 本放送に際しては、MBSラジオ編成部の計らいで、自社制作番組では最も多額の予算を付けられていた。開始当初こそ公開収録への人出や局内の評価は芳しくなかったが、回を重ねるたびに収録への参加者が増加。ヴィレッジ・シンガーズをゲストに迎えた公開収録(1968年1月)に観覧希望者が殺到したことから、以降の放送では、往復ハガキでの応募を条件に観覧希望者へ参加整理券を配布するようになった『ヤンタンの時代』第一章「みんな名もない新人だった 斎藤努編」より。 1968年からは、当時MBSのテレビ部門(MBSテレビ)で毎週日曜日に放送していた『スミ子と歌おう』(自社制作・公開収録による坂本スミ子司会の音楽番組)をヒントに、オリジナルソングを毎月1曲ずつ放送する「ヤンタン今月の歌」(後述)を始めた『ヤンタンの時代。』第二章「『ヤンタン今月の歌』関西に新しいフォークが生まれた ロック・キャンディーズ編」より。『スミ子と歌おう』は当時、MBSテレビで毎週日曜日の午前9時台に放送。エンディングで坂本が「今月の歌」を披露していた。『戦争は知らない』(寺山修司作詞・加藤ヒロシ作曲)も、最初は「今月の歌」として発表されていた。しかし、斎藤は同年4月から、プロ野球中継の実況・リポーターも兼務。当番組への出演日が週の前半(月~水曜日)に限られるため、放送開始後のオーディションを経て月曜日の1コーナーにレギュラーで出演していた桂三枝を、週の後半(木~土曜日)の司会に抜擢した。同時に、収録中の演奏を希望するアマチュアバンドの応募件数が増加の一途をたどっていたことから、千里丘放送センター第一スタジオなどで定期的にオーディションを実施するようになった前出の「ロック・キャンディーズ編」より。後に当番組でディレクターを務める大谷・増谷も、学生時代にオーディションへ参加していた。。 これを機に、番組の聴取率は、当時の深夜番組平均の20倍に相当する4%にまで上昇『ヤンタンの時代。』第一章「みんな名もない新人だった 斎藤努編」より。当時駆け出しの落語家だった三枝を、一躍スターダムに押し上げた。また、MBSテレビでは、1969年7月から斎藤・三枝の出演で『ヤングおー!おー!』(毎日放送千里丘放送センター内のミリカホールを中心とした公開収録番組)を放送。同年10月からは、MBSラジオの系列局・TBSラジオでも、毎週土曜日に公開生放送形式で『ヤングタウンTOKYO』を開始した。 ちなみに三枝は、当番組と並行しながら、『ヤングタウンTOKYO』にも放送開始から1975年9月までパーソナリティとして出演。毎週土曜日に大阪で当番組の収録を済ませてから、飛行機による移動を経て、当日の夜に東京で『ヤングタウンTOKYO』の生放送に臨んでいた。 1970年代 1970年には、『ヤングおー!おー!』や大阪万博(千里丘放送センターの近隣で開催)の人気に押されるかのように、当番組への参加者が激減。『ヤングおー!おー!』が軌道に乗ったこともあって、当番組では同年9月に公開収録をいったん終了した『ヤンタンの時代。』第二章「『ヤンタン今月の歌』関西に新しいフォークが生まれた 北山修編」より。。 1970年10月からは、千里丘センター内ラジオスタジオからの生放送へ移行するとともに、番組タイトルを現在の『MBSヤングタウン』に改称。当番組を放送する前の「初心」に還ることを目的に、斎藤を含むMBSの男性アナウンサーと女性タレントのコンビ(後述)が、週2日ずつパーソナリティを務めるようになった『ヤンタンの時代。』第一章「みんな名もない新人だった 笑福亭鶴光・角淳一編」より。しかし、半年後にタレントのレギュラー出演を復活させるとともに、お笑い主体の路線へ回帰。また、土曜日のみ公開収録を再開させたうえで、人気のアーティストやバンドを週替わりでゲストに迎えるようになった。 大阪府住宅供給公社が泉北ニュータウン内の堺市三原台に完成させた若年勤労単身者向け居住街区を「ヤングタウン」と命名した1972年ただし、大阪府は2000年代の前半に、「ヤングタウン」関連の事業を廃止。同事業向けに建てられた集合住宅も2012年2月までに解体されたため、「ヤングタウン」は南海バスの停留所に名を残すだけになった。には、4月に「今月の歌」を終了させる一方で、10月からは、放送時間を3時間に延長。1973年4月には、24 00からだった放送開始時間を22 00にまで繰り上げた。 1976年・1977年の在阪ラジオ局聴取率調査では、当番組の平均聴取率が10%台にまで到達。在阪全局・全番組では、谷村・ばんばひろふみ・佐藤良子(当時MBSの契約アナウンサー)が出演する「ヤン水」が1位、鶴光の相手を角淳一と佐々木美絵(いずれも当時は同局アナウンサー)が務める「ヤン木」が2位を記録している。なお、この時期を境に、MBS全体の聴取率もOBC・ABCを上回るようになった『ヤンタンの時代。』第一章「みんな名もない新人だった 笑福亭鶴光・角淳一編」より。この影響で、ABCは『ヤンリク』のリニューアル、OBCは1970年から裏番組として放送してきた『バチョンといこう!』シリーズの終了を余儀なくされたという。。 1980年代 『歌え!ヤングタウン』時代から当番組への出演を続けてきた三枝は、1979年12月1日(土曜日)の放送を最後に勇退。同年4月からレギュラーで共演していたさんまが、後任のパーソナリティに起用された。この時期から、鶴光・谷村・ばんばに加えて、さんま・紳助・原田伸郎・やしきたかじん・嘉門達夫・西川のりお・チャゲ 飛鳥など多彩なパーソナリティが台頭。ある曜日のパーソナリティが別の曜日の放送にもゲストで登場するなど、曜日の枠を越えながら番組を盛り上げるようになった。 また、土曜日の公開収録を1985年3月で終了させる一方で、リスナーも参加・鑑賞できるイベントを積極的に実施。「ヤンタンオールスターズ」(出演者・スタッフで結成した草野球チーム)が松山千春・とんねるずなどの芸能人チームと対戦した「ヤンタン野球大会」(後述)や、1981年にSABホールで開かれた角・鶴光による「ど角・ど鶴のええか、ええかコンサート」などはとりわけ人気を博した。その一方で、長年のライバルであった『ヤンリク』は、1986年10月3日で20年半もの歴史に終止符を打っている。 なお、1980年代の後半には、金曜日のみ『MBSヤングタウン』と『ヤンタンキンド館』の2本立て体制で放送。月~木曜日にも一時、『MBSヤングタウン』の後に、姉妹番組として25時台に『ヤンタンミュージックゾーン ザ・リクエスト』を放送していた。さらに、1987年度のナイターオフ期間には、平松邦夫(当時MBSアナウンサー、後の大阪市長)の出演で金曜日の19・20時台に『平松邦夫のミセスヤングタウン』を放送していた。 1990年代 MBSは1990年に、千里丘放送センター内の本社機能を現在の社屋(大阪市北区茶屋町)へ移転。当番組も、8月31日まで同センターから放送した後に、9月1日から現在に至るまで主に茶屋町本社内のラジオスタジオを使っている。 しかし当番組では、在阪FM局(FM大阪・FM802など)の台頭やコーナースポンサーの撤退などによって、1990年代初頭から人気に翳りが出始めた。また、1980年代の人気を担った前述のパーソナリティが続々と卒業。一時は、東京を中心に活動するタレント(主に女性アイドル)や若手ミュージシャンを前面に押し出す路線に転換した。 1991年10月から1993年3月までは、日曜日のみ『ヤンタンスペシャルサンデー』とのタイトルで放送。1994年1月からは、『MBSヤングタウン』月~木曜日の放送枠を24 00 - 26 00に繰り下げるとともに、同番組を放送していた22 00 - 24 00で音楽リクエスト番組『ヤンタンあそびのWA!』を開始した。また金曜日には、22 00 - 25 00に『ヤンタン はなまるフライデースペシャル』を放送したうえで、25 00からの1時間を『MBSヤングタウン』に充てていた。 さらに、『歌え!ヤングタウン』の放送開始から30周年に当たる1997年10月には、『ヤンタンあそびのWA!』『ヤンタン はなまるフライデースペシャル』を終了。『ヤンタンあそびのWA!』の後継番組として『MBSヤングタウンMUSIC MAX』を始めたため、『MBSヤングタウン』の放送日を金~日曜日の3日間にまで減らした。もっとも、このように放送内容や放送枠の変更を重ねても、かつての人気を取り戻すまでには至らなかった。 2000年代以降 MBSでは1997年10月から、月~木曜日の『MBSヤングタウン』を22 00 - 24 00で再開するとともに、『MBSヤングタウンMUSIC MAX』を月~水曜日24 00 - 26 00へ移行。『MBSヤングタウンMUSIC MAX』では、火曜パーソナリティのシンガーソングライター・aikoが、出演期間中の1998年7月にメジャーデビューを果たした。 しかしMBSは、1999年10月の改編で『MBSヤングタウンMUSIC MAX』を終了。同時に、『MBSヤングタウン』を平日の放送枠から撤退させた。当初は『MBSヤングタウン』の土・日曜日も一斉に終了させる予定であったが、当時「ヤン土」へ出演していたさんまや、「ヤン日」のパーソナリティとして同年4月に復帰したばかりの鶴瓶などが番組の続行を懇願。そこでMBSでは、土・日曜日の放送体制を維持するとともに、さんまを「ヤン土」・鶴瓶を「ヤン日」でそれぞれ続投させた。 現在は、「ヤン土」「ヤン日」とも22 00 - 23 30の時間帯で放送している。「ヤン土」については、原則として前日(金曜日)にMBS東京支社内のラジオスタジオで収録した内容を放送。ハロー!プロジェクトの新旧メンバー(放送上の通称は「ヤン娘。」)をはじめ、アップフロントグループ内の芸能事務所に所属する女性タレントが、代々さんまのパートナーを務めている。「ヤン日」では一時、「鶴瓶のすわるラジオ」というタイトルで、出演者の座りトークによる街頭収録を実施していた。現在は、MBS本社内のスタジオで収録した内容を中心に放送している。 なお2010年には、8月30日から同年9月3日まで、(平日を含む)1週間にわたって「MBS開局60周年記念番組 MBSヤングタウンスペシャル」を22 00(JST。ナイター中継で開始時間変更あり)から放送。三枝が六代 桂文枝を襲名する直前の2012年7月14日(土曜日)の16 00 - 17 38には、六代桂文枝襲名企画の第1部として、『復活!桂三枝の歌え!MBSヤングタウン』を公開収録形式で放送した。 現在の出演者 詳しい情報は各ページを確認。 ヤングタウン土曜日 明石家さんま 村上ショージ 道重さゆみ(モーニング娘。) 光井愛佳(元モーニング娘。) 中澤裕子 保田圭 吉澤ひとみ 藤本美貴 高橋愛 ※中澤・保田・吉澤・藤本・高橋の中から1名が出演(週により2、3名が出演する場合あり。その他のハロー!プロジェクトメンバーも出演する場合あり) 吉川友(月1回程度出演) ヤングタウン日曜日 笑福亭鶴瓶 吉竹史(毎日放送アナウンサー) 田口万莉 桂三四郎 負け越し(素人) 歴代パーソナリティ 1967/10-1968/3 斎藤努(当時・MBSアナウンサー) 開始当初は、深夜0時10分(24 10) - 2時(26 00)に放送される公開収録番組だった。 1968/03-1970/09 斎藤努(月 - 水曜日)、桂三枝(木 - 土曜日) 1970/10-1971/03 緒方憲吾・前田佳英子(月・火曜日)、池口和雄・壇上英子(水・木曜日)、斎藤努・横井久仁江(金・土曜日) 前述の事情で公開収録への参加者が減っていたことに加えて、学生運動の影響で公開収録をいったん終了。全ての曜日で当時のMBSアナウンサー(緒方・池口・斎藤)がパーソナリティを務めるとともに、スタジオからの生放送へ移行した。 1971/04- 以降のパーソナリティは、曜日別に記載。 元の番組内容に戻すとともに、土曜日のみ公開収録を復活( - 1985年3月)。 1994/01-1995/09 大角香里(平日) 月 - 木曜日は『ヤンタンあそびのWA!』、金曜日は「ヤンタン はなまるフライデースペシャル」と題し、2部構成に。1部は、大角が音楽中心のコーナーを担当。金曜日は従来平日にやっていた「はなまるリクエスト」を拡大したうえで、大角と上泉雄一(MBSアナウンサー)と共に放送していた。 1997/04-09 岡本真夜(月曜)、NOB(CURIO)(火曜)、バーバラよね(水曜)、種浦マサオ(木曜)、大角香里(月曜 - 木曜) 番組開始30周年を迎え、月曜 - 木曜は音楽リクエスト番組『MBSヤングタウンMUSIC MAX』となり、ヤンタンは金曜 - 日曜に縮小。 1997/10-1999/09 再び、月曜 - 日曜の放送に戻る。『MBSヤングタウンMUSIC MAX』は放送枠を平日深夜に移すとともに、aikoや林あさ美などがパーソナリティを務める。 1999/10- 明石家さんま(土曜日)、笑福亭鶴瓶(日曜日) 月 - 金曜日の平日枠を全て終了。土・日曜日のみの編成で現在に至る。 月曜日 1971/04-1972/03 西川きよし、堀悦子 1972/04-1972/09 斎藤努(毎日放送アナウンサー・当時)、桂文珍、河内まさ子 1972/10-1973/03 角淳一(毎日放送アナウンサー・当時)、シモンズ 1973/04-1975/03 諸口あきら、小林京子 1975/04-1975/09 諸口あきら、松峰ひろみ 1975/10-1982/03 笑福亭鶴瓶時代(第1次) 1975/10-1976/03 笑福亭鶴瓶、角淳一、平井陽子 1976/04-1978/03 笑福亭鶴瓶、浅川美智子(鬼首おりん) 1978/04-1979/03 笑福亭鶴瓶、浅川美智子(鬼首おりん)、中村行延 1979/04-1979/09 笑福亭鶴瓶、浅川美智子(鬼首おりん)、住出勝則 1979/10-1980/09 笑福亭鶴瓶、MANA、中村行延 1980/10-1981/09 笑福亭鶴瓶、横山みゆき、中村行延 1981/10-1982/03 笑福亭鶴瓶、堀江美都子、あさみあきお 1982/04-1989/09 明石家さんま時代(第2次・土曜日から異動) 1982/04-1983/03 明石家さんま、堀江美都子、あさみあきお 1983/04-1988/12 明石家さんま、長江健次、大津びわ子、伊東正治(毎日放送アナウンサー・当時) 1989/01-1989/09 明石家さんま、長江健次、大津びわ子 1989/10-1990/09 長江健次、喜多嶋舞、Mr.オクレ、加藤康裕(毎日放送アナウンサー) 1990/10-1993/12 根本要時代(第2次・金曜日から異動) 1990/10-1992/09 根本要、笑福亭笑瓶、野沢直子 1992/10-1993/03 根本要、笑福亭笑瓶、森高千里、谷口宗一 1993/04-1993/12 根本要、笑福亭笑瓶、小川恵理子、谷口宗一 1994/01-1995/03 ベイブルース1994年10月31日にメンバーの河本栄得が他界。、種浦マサオ、WENDY(「ヤンタンあそびのWA!!」2部) 1995/04-1995/09 ベイブルース高山、種浦マサオ、吉田朋代(「ヤンタンあそびのWA!!」2部) 1995/10-1996/04 種浦マサオ、T・K・O、吉田朋代 1996/04-1997/03 FUJIWARA、一番星哲也、藤原みわ 1997/10-1998/03 メッセンジャー、三木拓次(RAZZ MA TAZZ) 1998/04-1999/03 メッセンジャー、ゆうたろう(プロペラ)、河島あみる 1999/04-1999/09 松村邦洋、小島可奈子 火曜日 1971/04-1972/09 笑福亭鶴光・角淳一時代(第1次) 1971/04-1972/03 笑福亭鶴光、角淳一(毎日放送アナウンサー・当時)、北原早苗 1972/04-1972/09 笑福亭鶴光、角淳一、山本恵子 1972/10-1973/03 杉田二郎、小林京子 1973/04-1973/09 笑福亭鶴光、角淳一、佐々木美絵 1973/10-1974/03 キャッシー、山本雄二、近藤光史(毎日放送アナウンサー・当時) 1974/04-1975/03 キャッシー、山本雄二 1975/04-1975/09 角淳一、麻田ルミ 1975/10-1977/03 海原千里・万里、松井昭憲(毎日放送アナウンサー・当時) 1977/04-1977/09 キャッシー、桂小軽 1977/10-1979/08 きたむらけん、有吉ジュン、オール阪神・巨人 1979/09-1980/04 イルカ、沢田聖子 1980/05-1980/12 イルカ、桂べかこ 1980/12-1983/03 岩崎宏美、やしきたかじん、オール阪神・巨人 1983/04-1984/03 チャゲ 飛鳥 1984/04-1984/06 チャゲ 飛鳥、八島洋子 1984/07-1989/02 河合奈保子・嘉門達夫時代 1984/10-1986/03 河合奈保子、嘉門達夫、長井展光(毎日放送アナウンサー・当時) 1986/04-1987/09 河合奈保子、嘉門達夫、寺崎要 1987/10-1989/02 河合奈保子、嘉門達夫、寺崎要、伊藤秀志 1989/03-1992/09 嘉門達夫時代 1989/02-1989/09 嘉門達夫、結城めぐみ、伊藤秀志、ぜんじろう 1989/10-1990/09 嘉門達夫、田中義剛、芳本美代子、ぜんじろう 1990/10-1992/09 嘉門達夫、石田敦子(毎日放送アナウンサー・当時)、ぜんじろう 1992/10-1993/03 トミーズ、週替わりゲスト(上岡龍太郎、円広志、やしきたかじんなど)、ピンクダック・ミチ(コーナーのみ) 1993/04-1994/09 トミーズ、奥山佳恵、やるじゃねえかーず(コーナーのみ) 1993/10-1993/12 トミーズ、松井愛(毎日放送アナウンサー)、やるじゃねえかーず(コーナーのみ) 1994/01-1995/03 ますだおかだ、松井愛(毎日放送アナウンサー)、嶋田博子(「ヤンタンあそびのWA!!」2部) 1995/04-1995/09 よゐこ、松本麻希(「ヤンタンあそびのWA!!」2部) 1995/10-1996/03 よゐこ、松本麻希 1996/04-1997/03 種浦マサオ、T・K・O、梶山三保子 1997/10-1998/09 ジャリズム、松岡充(SOPHIA) 1998/10-1999/03 ジャリズム、搭堂なつ 1999/04-1999/09 シャンプーハット、柳明日香 水曜日 1971/04-1972/09 斎藤努(毎日放送アナウンサー・当時)、中田カウス・ボタン 1972/10-1973/03 西岡たかし 1973/04-1975/03 月亭八方、斎藤努、田中美紀 1975/04-1975/09 笑福亭仁鶴、久保田ひろみ 1975/10-1976/03 月亭八方、近藤光史(毎日放送アナウンサー・当時)、佐藤良子(毎日放送アナウンサー・当時) 1976/04-1978/03 谷村新司、佐藤良子 1978/04-1987/12 原田伸郎時代 1978/04-1980/09 原田伸郎、大津びわ子、笑福亭笑光(嘉門達夫)、伊東正治(毎日放送アナウンサー・当時) 1980/10-1981/03 原田伸郎、ザ・ぼんち、松原みき、桂雀々、伊東正治 1981/04-1981/09 原田伸郎、松原みき、桂雀々、伊東正治 1981/10-1982/09 原田伸郎、イリア、桂雀々、伊東正治 1982/10-1983/03 原田伸郎、イリア、嘉門達夫、伊東正治 1983/04-1984/09 原田伸郎、イリア、嘉門達夫、金指誠(毎日放送アナウンサー・当時) 1984/10-1985/03 原田伸郎、水島依子、MAKOTO、金指誠 1985/04-1987/03 原田伸郎、渡辺美里、MAKOTO、金指誠 1987/04-1987/12 原田伸郎、西岡芽生、笑福亭笑瓶、金指誠 1988/01-1989/01 兵藤ゆき、MAKOTO、子守康範(毎日放送アナウンサー・当時) 1989/02-1990/09 兵藤ゆき、本木雅弘、子守康範 1990/10-1991/03 長江健次、喜多嶋舞、Mr.オクレ 1991/04-1992/09 古田新太、羽野晶紀、山西惇 1992/10-1993/03 古田新太、青木直子、よゐこ 1993/04-1993/09 当時日曜深夜放送だった「ラジオディス茶屋町学園」(ヤンタンの姉妹番組)を引き継ぐ。 よゐこやCoCo、高橋由美子、酒井法子、武田真治らも出演 1994/01-1994/03 よゐこ、堀みやこ 、おちゃめ組(「ヤンタンあそびのWA!!」2部) 1994/04-1995/03 よゐこ、松本麻希(「ヤンタンあそびのWA!!」2部) 1994/04-1995/09 ますだおかだ、松井愛(毎日放送アナウンサー)(「ヤンタンあそびのWA!!」2部) 1995/10-1997/03 ますだおかだ、濱田マリ(モダンチョキチョキズ・当時)、松井愛 1997/10-1999/03 T・K・O、NOB(CURIO) 1999/04-1999/09 ベイブルース高山、NOB(CURIO)、中村舞子 木曜日 1971/04-1971/09 桂三枝、市丸 1971/10-1972/09 レツゴー三匹、高野久仁子 1972/10-1973/03 谷村新司 1973/04-1974/03 林家小染、末広真樹子 1974/04-1975/03 林家小染、桂きん枝、麻田ルミ 1975/04-1975/09 近藤光史(毎日放送アナウンサー・当時)、月亭八方、佐藤良子 1975/10-1976/03 近藤光史、桂きん枝、紀平まり子 1976/04-1984/03 笑福亭鶴光・角淳一時代(第3次・金曜日から異動) 1976/04-1977/09 笑福亭鶴光、角淳一(毎日放送アナウンサー・当時)、佐々木美絵(毎日放送アナウンサー・当時) 1977/10-1978/03 笑福亭鶴光、角淳一、原田伸郎、佐々木美絵 1978/04-1979/09 笑福亭鶴光、角淳一、佐々木美絵 1979/10-1982/03 笑福亭鶴光、角淳一、石川優子 1982/04-1983/03 笑福亭鶴光、角淳一、石毛礼子 1983/04-1984/03 笑福亭鶴光、角淳一、西端弥生 1984/04-1987/07 島田紳助時代 1984/04-1985/09 島田紳助、白井貴子、パンチみつお 1985/10-1986/09 島田紳助、白井貴子、土建屋よしゆき、藤田寿代 1986/10-1987/03 島田紳助、今井美樹、土建屋よしゆき、藤田寿代 1987/04-1987/07 島田紳助、今井美樹、土建屋よしゆき 1987/08-1991/10 ダウンタウン時代 1987/08-1989/01 ダウンタウン、勇直子、今田耕司 1989/01-1990/04 ダウンタウン、芳本美代子、今田耕司 1990/04-1990/10 ダウンタウン、YOU、今田耕司 1990/10-1991/04 ダウンタウン、YOU、メンバメイ・ココ 1991/04-1991/10 ダウンタウン、YOU、木村祐一 1991/10-1992/03 YOU、ローリー寺西、きんた・ミーノ 1991/04-1992/09 大竹まこと、YOU、ローリー寺西 1992/10-1993/03 桂小枝、羽野晶紀、千葉猛(毎日放送アナウンサー) 1993/04-1993/12 桂小枝、羽野晶紀、つんく 1994/01-1995/09 FUJIWARA、つんく、宮田まさみ(「ヤンタンあそびのWA!!」2部) 1995/10-1996/03 FUJIWARA、つんく、藤原みわ 1996/04-1997/03 よゐこ、松本麻希 1997/10-1999/03 ベイブルース高山、種浦マサオ、中村亜紀 1999/04-1999/09 岡本真夜、なるみ、鳥羽潤 金曜日 1971/04-1971/09 北山修、松尾千里 1971/10-1972/03 杉田二郎、横井くにえ 1972/04-1972/09 杉田二郎、田中恵子 1972/10-1973/09 キャッシー、山本雄二 1973/10-1975/03 笑福亭鶴光、角淳一(毎日放送アナウンサー・当時)、佐々木美絵(毎日放送アナウンサー・当時) 1975/04-1975/09 ばんばひろふみ、小山乃里子 1975/10-1976/03 笑福亭鶴光、角淳一、佐々木美絵 1976/04-1977/03 ピーター、キャッシー 1977/04-1978/03 ピーター、鈴木美智子、伊東正治(毎日放送アナウンサー・当時) 1978/04-1986/12 谷村新司・ばんばひろふみ(チンペイ・ばんばん)時代 1978/04-1983/03 谷村新司、ばんばひろふみ、佐藤良子(毎日放送アナウンサー・当時) 1981/04-1981/09(第2部) 矢沢透 1981/10-1982/09(第2部) 矢沢透、ジーン長尾 1982/10-1983/03(第2部) 矢沢透、牧田朋子 1983/04-1984/03 谷村新司、ばんばひろふみ、岩崎良美 1983/04-1983/09(第2部) 根本要、牧田朋子 1983/10-1984/03(第2部) 根本要、白井貴子 1984/04-1985/03 谷村新司、ばんばひろふみ、三田寛子 1984/04-1984/09(第2部) 長江健次、西端弥生 1985/04-1986/03 谷村新司、ばんばひろふみ、松本明子 1986/04-1986/12 谷村新司、ばんばひろふみ、佐藤良子 1986/10-1987/03(キンド館) 兵藤ゆき、MAKOTO、中川勝彦、子守康範(毎日放送アナウンサー・当時) この「キンド館」は元々の番組企画段階では存在しなかったが、以前からヤンタンの大ファンだった兵藤ゆきの懇願により出来た番組である。ちなみに「キンド館」の名前の由来は、「金曜日と土曜日の間にやっている番組」という所から。 1987/01-1990/09 根本要時代(第1次) 1987/01-1987/12 根本要、野沢直子、中村里花 1987/04-1987/12(キンド館) 兵藤ゆき、MAKOTO、ひかる一平、子守康範 1988/01-1990/09 根本要、野沢直子、笑福亭笑瓶 1988/01-1989/06(キンド館) 越前屋俵太、芳本美代子、笑福亭恭瓶、亀山房代 1989/07-1990/03(キンド館) BaBe(近藤智子・二階堂ゆかり)、東野幸治、石田靖 1990/10-1993/03 Wコウジ時代 1990/10-1991/03 今田耕司、東野幸治、中村綾、加藤康裕(毎日放送アナウンサー) 1991/04-1992/03 今田耕司、東野幸治、中村綾 → 設楽りさ子 1992/04-1992/09 今田耕司、東野幸治、加藤貴子、加藤紀子(7月以降) 1992/10-1993/03 細川ふみえ、高橋由美子、羽田恵理香(CoCo・当時)、三浦理恵子(CoCo・当時)、今田耕司、東野幸治 この時期は女性アイドルを番組のメインに据え、今田・東野はサブに回っていた。 1993/04-1993/12 細川ふみえ、高橋由美子、羽田恵理香、吉田真希子、TEAM-0(山崎邦正・軌保博光) 1995/10-1996/03 トミーズ、週替わりゲスト 1996/04-1997/03 トミーズ、川村結花、トクトミトコナミ 1997/04-1999/03 よゐこ、松本麻希 1999/04-1999/09 山本太郎、遠山景織子 土曜日 MBS千里丘放送センター・第一スタジオ(のちにミリカホールに変更)で公開録音( - 1985年3月)。その後はスタジオ収録となり、2011年現在は東京都港区・赤坂Bizタワー28階にある毎日放送東京支社スタジオで毎週金曜日に収録されている。 1971/04-1979/12 桂三枝時代 1971/04-1971/09 桂三枝、斎藤努(毎日放送アナウンサー、当時)、週替わりゲスト、桂朝丸(現・桂ざこば)、ジローズ(隔週でTBSラジオ制作・ヤングタウンTOKYO) 1971/10-1972/03 桂三枝、斎藤努 1972/04-1972/09 桂三枝、近藤光史(毎日放送アナウンサー、当時)、亀本友子 1972/10-1973/09 桂三枝、近藤光史 1973/10-1974/09 桂三枝、近藤光史、桂きん枝、海原千里・万里 1974/10-1975/03 桂三枝、近藤光史、月亭八方、コメディNo.1(坂田利夫・前田五郎) 1975/04-1975/09 桂三枝、近藤光史、月亭八方、笑福亭鶴瓶、林家染二、桂文福、鬼塚泰子 1975/10-1976/03 桂三枝、月亭八方、大地真央 1976/04-1977/03 桂三枝、月亭八方、中村京子 1977/04-1977/09 桂三枝、月亭八方、中村京子、太平サブロー・シロー 1977/10-1979/03 桂三枝、月亭八方、やしきたかじん、中村京子 1979/04-1979/09 桂三枝、月亭八方、明石家さんま、中村京子、中村行延、桂三と九、タロー&タロー 1979/10-1979/12 桂三枝、月亭八方、明石家さんま、中村京子、桂三と九、島田紳助・松本竜介 1979/12-1982/03 明石家さんま時代(第1次) 1979/12-1980/03 明石家さんま、月亭八方、中村京子、桂三と九、紳助・竜介 1980/04-1980/09 明石家さんま、オール阪神・巨人、松田晃、桂三と九、鈴江真理 1980/10-1981/09 明石家さんま、オール阪神・巨人、松田晃、長江健次、桂小つぶ、榊原久美子 1981/10-1982/03 明石家さんま、オール阪神・巨人、松田晃、安藤久美子 1982/04-1988/12 笑福亭鶴瓶時代(第2次・月曜日から異動) 1982/04-1983/03 笑福亭鶴瓶、松田晃、安藤久美子 1983/04-1983/09 笑福亭鶴瓶、笑福亭笑瓶、松田晃、黒田伊佐子、安藤久美子 1983/10-1984/09 笑福亭鶴瓶、笑福亭笑瓶、松田晃、黒田伊佐子、牧田朋子 1984/10-1985/03 笑福亭鶴瓶、笑福亭笑瓶、牧田朋子、ザ・バッテリー 1985/04-1985/09 笑福亭鶴瓶、西端弥生 1985/10-1986/03 笑福亭鶴瓶、西端弥生、森脇健児 1986/04-1986/09 笑福亭鶴瓶、宮崎ますみ、森脇健児 1986/10-1988/01 笑福亭鶴瓶、宮崎ますみ、吉條英希 1988/02-1988/12 笑福亭鶴瓶、福井希容、ビッグブラザーズ 1989/01-1989/09 北野誠、関口誠人、福井希容 1989/10-1990/09 北野誠、関口誠人、羽野晶紀 1990/10-1991/03 北野誠、古田新太、羽野晶紀、きんた・ミーノ(おかげ様ブラザーズ) 1991/04-1991/10 北野誠、シンデレラエキスプレス、久松史奈 1991/10-1992/09 兵藤ゆき、たまごどんぶり(公募で選ばれた現役中高生) 1992/10-現在 明石家さんま時代(第4次・日曜日「スペシャルサンデー」より異動) 1992/10-1997/02 明石家さんま、玉井健二、加藤紀子、村上ショージ(ゲストとして頻繁に出演、のち1995年頃から正式レギュラー) 1997/03-1999/03 明石家さんま、玉井健二、村上ショージ、吉村麻希(マキ凛子) 1999/04-2000/09 明石家さんま、玉井健二、村上ショージ、太陽とシスコムーン(のちに「T Cボンバー」に改名、信田美帆・稲葉貴子・RuRu・小湊美和) 2000/10-2002/03 明石家さんま、玉井健二、村上ショージ、安倍なつみ、保田圭、りんね 2002/04-2003/03 明石家さんま、玉井健二、村上ショージ、中澤裕子、松浦亜弥、カントリー娘。(準レギュラー、りんね・あさみ・里田まい、りんねは途中降板) 2003/04-2004/04 明石家さんま、玉井健二、村上ショージ、中澤裕子、あさみ、里田まい、月1レギュラー(後藤真希、石川梨華、加護亜依、高橋愛の中から1人) 2004/04-2004/06 明石家さんま、玉井健二、村上ショージ、準レギュラー(藤本美貴、高橋愛、後藤真希、柴田あゆみ、稲葉貴子の中から2人) 2004/07-2004/11 明石家さんま、玉井健二、村上ショージ、安倍なつみ、準レギュラー(藤本美貴、高橋愛、後藤真希、柴田あゆみの中から1、2人) 2004/12-2006/03 明石家さんま、玉井健二、村上ショージ、準レギュラー(藤本美貴、高橋愛、後藤真希、柴田あゆみの中から2人、後期は藤本、高橋が実質レギュラー) 2006/04-2007/03 明石家さんま、玉井健二、村上ショージ、藤本美貴、高橋愛 2007/04-2007/06/02 明石家さんま、村上ショージ、藤本美貴、高橋愛 2007/06/09-2009/10/03 明石家さんま、村上ショージ、高橋愛、道重さゆみ 2009/10/10-2011/09/24 明石家さんま、村上ショージ、高橋愛、道重さゆみ、週替わりレギュラー(藤本美貴、保田圭、吉澤ひとみ、中澤裕子の中から1人) 2011/10/01-2012/03/31 明石家さんま、村上ショージ、道重さゆみ、週替わりレギュラー(藤本美貴、保田圭、吉澤ひとみ、中澤裕子、高橋愛の中から1 、2人) 2012/04/07- 明石家さんま、村上ショージ、道重さゆみ、光井愛佳、週替わりレギュラー(藤本美貴、保田圭、吉澤ひとみ、中澤裕子、高橋愛の中から1人) 日曜日 1982年4月から放送開始。 1982/04-1990/10西川のりお、小林千絵 → 澤知香、柏木宏之(毎日放送アナウンサー)、トミーズ健、のりはじめ、西川小のり、西川のりのり(西川ボソボソ)、桂きん太郎 1990/10-1991/09 兵藤ゆき、たまごどんぶり(公募で選ばれた現役高校生) 1991/10-1992/09 「ヤンタンスペシャルサンデー」時代 明石家さんま、石田敦子(毎日放送アナウンサー・当時)(「ヤンタンスペシャルサンデー 明石家さんまのなんでもこい!」22 00-23 00) 浜村淳、関岡香(毎日放送アナウンサー)(「ヤンタンスペシャルサンデー 浜村淳の茶屋町クスクス」23 00-23 45;1993年3月まで) 1992/10-1994/12 ぜんじろう、種浦マサオ、小高紀子(現・小高麻友美)、お笑い番長 1993年3月までは公開録音放送で23 00まで放送。それ以降は従来の放送スタイルに変更される。 1995/01-1996/10 ぜんじろう、比嘉栄昇(BEGIN)、渡辺たかね 1996/10-1997/03 ぜんじろう、 ベイブルース高山、高木郁乃(Jungle Smile) 1997/10-1999/03 ぜんじろう、宮内見、週替わりゲスト 1999/04-現在 笑福亭鶴瓶時代(第3次) 1999/04-2000/09 笑福亭鶴瓶、西靖(毎日放送アナウンサー)、堀ちえみ 2000/09-2004/03 笑福亭鶴瓶、西靖、松嶋尚美(オセロ) 2004/04-2006/04 笑福亭鶴瓶、西靖、井上智栄子 2006/04-2007/03 笑福亭鶴瓶、西靖、オラリー(素人)、田口万莉(松竹芸能)、國丸純(松竹芸能) 2007/04-2009/04 笑福亭鶴瓶、西靖、オラリー、田口万莉、笑福亭瓶成 2009/05-2009/07 笑福亭鶴瓶、西靖、オラリー、田口万莉 2009/08-2010/02 笑福亭鶴瓶、西靖、負け越し(素人)、林実里(素人)、田口万莉 2010/03-2010/09 笑福亭鶴瓶、西靖、負け越し、田口万莉 2010/09- 笑福亭鶴瓶、吉竹史(毎日放送アナウンサー)、負け越し、田口万莉 MBS開局60周年記念番組 MBSヤングタウンスペシャル 2010年8月30日から9月3日まで放送された。 8月30日「さんまのヤンタンスペシャル」 明石家さんま、村上ショージ、大津びわ子、藤本美貴、伊東正治(元MBSアナウンサー) 8月31日「伸郎のヤンタンスペシャル ねたナイト」 原田伸郎、嘉門達夫、奥野敦子(イリア) 9月1日「ヤンタンスペシャル なつかしSONGリクエスト!」 根本要、渡辺美里、バーバラよね 9月2日「ヤンタンスペシャル なつかしSONGリクエスト!」 ばんばひろふみ、イルカ 9月3日「鶴瓶のヤンタンスペシャル」 笑福亭鶴瓶、西靖(MBSアナウンサー)、田口万莉、負け越し、吉竹史(MBSアナウンサー) 復活!桂三枝の歌え!MBSヤングタウン 当番組で三枝と長らく共演した後に、羽衣国際大学で名誉教授になった斎藤努が久々にラジオ番組へ登場。三枝のパートナーとして、公開収録の進行役を務めた。また、月亭八方、桂きん枝、杉田二郎などがゲストで出演。かつて当番組で使われたジングルや音源を挿入したり、『歌え!MBSヤングタウン』時代の企画を復活させたり、杉田などが歌と演奏を披露したりしていた。なお、三枝は当番組の放送の翌々日(2012年7月16日)に「六代 桂文枝」を襲名するため、毎日放送では当番組が「桂三枝」名義で出演する最後の番組になった。また、放送のオープニングでは、西靖が口上代わりのナレーションを担当した。 主なスタッフ 渡邊一雄(わたなべ かずお) 「ヤンタン」の生みの親(創始者)。1967年10月に『歌え!ヤングタウン』の放送を開始してから、1987年にテレビ制作部の部長職へ異動するまで、20年間にわたってプロデューサーを務めた。出演した多くのタレント・アナウンサーの育ての親もあり、後述する渡辺姓のスタッフと区別する意味で、オオナベさんとも呼ばれていた。 テレビ制作部への異動後は、一時次長職でラジオ局に復帰したが、1997年6月に定年でMBSを退職。その後は音楽プロデューサーとして活動するかたわら、2005年7月に『ヤンタンの時代。』という著書を刊行した(発行:キッズネット・発売:角川書店。2005年7月発行。書籍コード:ISBN 4048943405)。2010年10月11日に75歳で逝去。 渡辺高志(わたなべ たかし) 1979年から1983年までディレクターを担当。コナベさんという通称でも知られた。 この他にも、大谷武文、田中文夫、宇野幹雄、増谷勝己、三村景一、新堂裕彦などが、ディレクターやプロデューサーを歴任。1970年代から1980年代までは、『ヤングおー!おー!』のスタッフから放送作家に転じた寺崎要が、番組全体を統括するチーフ構成の任に当たっていた。 エピソード 1968年1月から始まった「ヤンタン 今月の歌」では、通算で52曲ものオリジナルソングを発表した『ヤンタンの時代。』に所収の「ヤンタン今月の歌リスト」より。放送を終了した1982年4月には、「今月の歌」の歌詞などをまとめた『ヤンタン・ソング集』がミリカ音楽出版から発売。1993年8月には、『歌え!MBSヤングタウン』の放送開始から25周年を記念した企画の一環として、「今月の歌」から19曲を収録したCDアルバム『MBSヤングタウン 今月のうた 復刻版』がポリスターから出されている。 「今月の歌」からは、『戦争を知らない子供たち』(ジローズ、1970年8月放送分)などのヒット曲を輩出。『今はもうだれも』(ウッディ・ウー、1969年5月放送分)は、後にアリスのシングル曲として広く知られるようになった『今はもうだれも』は、1969年7月にウッディ・ウーがシングル曲としてリリース。1975年9月にアリスが再びシングル曲として発表したところ、アリス初のヒット曲になった。また、谷村(ロック・キャンディーズ→アリス)・ばんば(ジャッケルズ→バンバン)・杉田二郎(ジローズ)・北山修(ザ・フォーク・クルセダーズ)・はしだのりひこ(ザ・フォーク・クルセダーズ→はしだのりひことシューベルツ)・桑名正博(ファニー・カンパニー)・西岡たかし(五つの赤い風船)・瀬尾一三などの人材を世に送り出した。 当時公開収録の司会やパーソナリティを務めた三枝も、1969年8月放送分の「今月の歌」において、「桂三枝とダボーズ」という名義で『夕陽のアンジェロ』を発表。後にレコードとして発売された。ちなみに三枝は、発表当時大学生のバンドだったダボーズと、前述の『復活!桂三枝の歌え!MBSヤングタウン』で約40年振りの共演を果たしている。 「今月の歌」には含まれないが、『嘆きのボイン』(月亭可朝)『恋人もいないのに』(シモンズ)『坊や大きくならないで』(マイケルズ)『僕にさわらせておくれ』(ピンク・ピクルス)も、当番組から生まれたヒット曲である前出の「『ヤンタン今月の歌』」より。ベトナムのヒット曲であった『坊や大きくならないで』については、当時ベトナム戦争の取材で現地に赴いていたMBS報道部の浅井記者による紹介を機に、瀬尾の編曲・浅川しげるの日本語詞によるバージョンをマイケルズが歌っていた。。また、バンバンでの活動を経てソロ歌手に転じた高山厳は、学生時代に宇野と組んで本名で公開収録のバンドオーディションに参加していた前出の「ロック・キャンディーズ編」より。 公開収録を実施していた1968年・1970年・1971年には、当番組と縁の深い歌手やバンドの出演による「ヤンタンフェスティバル」を、年に1~2回開催。1970年1月7日にフェスティバルホールで開かれた第2回については、開催後に実況録音盤のレコードを発売した。 1981年5月28日には「ど角・ど鶴のええか、ええかコンサート」(前述)、1985年と1987年の8月には「明石家さんまコンサート」、1988年6月にはダウンタウンによる「もくもくコンサート」をそれぞれ開催。1988年には、「ヤン金」レギュラーだった根本・野沢などが「フライデー・モンスターズ」というバンドを結成した。1989には、当時の「ヤン土」レギュラー(北野・関口など)で結成したバンドが、12月24日の「クリスマス御陽気にコンサート」でライブデビューを果たしている『ヤンタンの時代。』に所収の「 ヤングタウン出演者年表1967 - 90 」より。 1983年と1986年~1988年の5月には、「ヤンタンオールスターズ」と芸能人チーム(1983年:松山千春チーム「スーパースターズ」、1986年:チェッカーズチーム、1987年:とんねるずチーム、1988年:仲村トオルチーム「デンジャーズ」)による「ヤンタン野球大会」を、西宮球場(1983年)・甲子園球場(1986年)・大阪球場(1987年、1988年)で実施。当時の「ヤン月」レギュラーで、スポーツアナウンサーでもあった伊東が、場内で実況を担当した。また、開催日の深夜には、MBSテレビで特別番組の生放送を実施した。 当番組でレギュラーを務めたMBSアナウンサー(出演時点)のうち、現在に至るまで、出演期間が最も長いのは角と伊東である(いずれも12年間)。 紳助が「ヤン木」のパーソナリティを務めていた1985年8月には、放送中に紳助が「モトクロスやろうや」と発言したことをきっかけに、生駒山上で「ヤン木モトクロスフェスティバル」を開催。当時共演していた白井も、自身のバンドと共に参加した前出の「 ヤングタウン出演者年表1967 - 90 」および『ヤンタンの時代。』第一章「みんな名もない新人だった 島田紳助・白井貴子編」より。 1989年8月6日に千里丘放送センターで開催の「ヤンタンTeen s 学園祭」では、長らく「ヤン日」のアシスタントを務めた小林千絵の後任を決める目的で、「ヤン日オーディション」を実施。オーディションで優勝した現役高校生の澤が、同月から1990年9月まで「ヤン日」のアシスタントを務めた(前述)前出の「 ヤングタウン出演者年表1967 - 90 」より。 澤は当番組の卒業後に、大阪市立大学を経てアナウンサーとして東北放送へ入社。退社・帰阪後に「フリーアナウンサー・さわともか」として、MBSラジオの生ワイド番組(『ノムラでノムラだ♪』→『子守康範 朝からてんコモリ!』)でアシスタントを務めている。 2010年12月6日にシアターBRAVA!で開かれた渡邊の「偲ぶ会」には、歴代パーソナリティの三枝・谷村などに加えて、活動休止中のCHAGE and ASKAが久々に顔を揃えた渡邊一雄さん:ヤンタンの名プロデューサーを「偲ぶ会」チャゲアスも久々ツーショット - 毎日新聞デジタル、2010年12月7日。 脚注 関連項目 ヤングおー!おー! ヤングタウンTOKYO(TBSラジオ) ヤングタウンAM(文化放送からの裏送りによってNRN系列局の一部で放送。文化放送やMBSでは未放送) ヤングジャパングループ/アップフロントグループ(初期から現在まで数多くの所属ミュージシャン・タレントが出演) 歌え!MBSヤングタウン同窓会 毎日放送千里丘放送センターの解体を前に、「MBS千里丘フェスティバル」の一環で放送された公開収録番組。齋藤努・桂三枝らが出演。 外部リンク ヤングタウン土曜日 - 毎回の収録直後に更新される「message(ヤン土スタッフメッセージボード)」で、収録回の出演者や放送内容を発表。 ヤングタウン日曜日 - 直近の放送音源を1週間限定・ストリーミングで配信 {{Navboxes |list1= Template 桂文枝 (6代目) Template 明石家さんま Template やしきたかじん Template 嘉門達夫 Template よゐこ Template 島田紳助 Template ダウンタウン Template 今田耕司 Template 東野幸治 }} Template DEFAULTSORT MBSやんくたうん
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【えむびーえすやんぐたうんどようび】 1992年10月から毎日放送で放送されていたラジオ番組。現在は毎週土曜日の22 00~23 30に放送(ナイター中継による繰り下げ有り)。略称は「ヤンタンメン」。 masasan2017がレギュラー出演している。 収録日は基本的には金曜日のお昼過ぎに、毎目放送農協支社のスタジオで録音されている。 目次 概要現在レギュラー出演中のハロプロメンバー 過去レギュラー出演していたハロプロメンバー(準レギュラーも含む) 過去にゲストで出演したことのあるハロプロメンバー ハロプロ結成前のヤン土のアシスタント パーソナリティ 概要 パーソナリティはmasasan2017、kimiyo2017、tomoyoshi2017。 現在のアシスタントの女性は秘密結社アーから選ばれているが、アー結成前からUFWA所属の女性レスラーがセコンドを担当している。これはヤンタンメンの生みの親であるオオナベダダさんことダダ●名がきみおプロデューサーが毎日放送を定年退職後UFAへ移動したからとの話もある。なお明石家さんまによるとヤンタンメンのレギュラーであるヤン娘。を決めるのは、山崎会長とオオナベさんの2人とのことで、さんまの意向で決めることは出来ない。現在はオオナベさんは亡くなっているので会長の独断と思われる。 女性アシスタントをいわゆるヤン娘。と呼び始めたのは初代ヤン娘。(安倍なつみ・保田圭)からのことで、秋の番組改編の2000年10月から(この回は初回登場でヤン娘。いきなり欠席でりんねとあさみが代役)。 関西では非常に伝統があるラジオ番組で、当初は1967年10月に月曜から日曜の帯番組としてスタートした。番組開始当初から旧ヤングジャパングループ→アップフロントとは繋がりがあり、ヤン土の前にはアリス、兵藤ゆき、ばんばひろふみ、やしきたかじん、根本要(スターダストレビュー)、つんく、長江健次、森高千里等のアップフロント所属のタレント・アーティストがヤンタンのパーソナリティを担当していた。現在は土曜と日曜のみ放送で、日曜日は笑福亭鶴瓶が担当している。笑福亭鶴瓶は「さんまがやめるまではオレもやめない」と言っている。 安倍なつみ盗作事件の舞台となった番組。この番組のリスナーからの指摘で事件に発展した。 藤本のスキャンダル時には事務所スタッフによりアップフロント包囲網が形成されたが、ほとんど意味はなかった。 名物コーナーに、アシスタントにリスナーから募集された言葉を色っぽく発してもらう「パックンチョのコーナー」がある。さんまの厳しい演技指導が聴き所。当初はかなり過激なコーナーだったが、モー娘。メンバーが出るようになってからは過激度は幾分下げられた。その後セクハラとの指摘により一時中断したが、「さんまさんをいやしたい!」と改題し、さらに過激度は引き下げられたが復活。しかしヤン娘。メンバーの不出来っぷりに何度もタイトルが変更され、最終的に「高橋愛は絶対いやせません」というタイトルに落ち着いた(高橋が卒業したため、現在は「ヤン娘。はいやせません」に改題)。 現在レギュラー出演中のハロプロメンバー 道重さゆみ 飯窪春菜 この二人に加えて「週替わりヤン娘。」としてもう一人ハロプロメンバー・OGが出演する。吉川友も出演することがある。 コンサートなどでレギュラーの二人が出演できない場合は3人全員OGになる。 過去レギュラー出演していたハロプロメンバー(準レギュラーも含む) T&Cボンバー(小湊美和、信田美帆、稲葉貴子、RuRu )※2009年に再結成ライブを行った際も出演 安倍なつみ りんね あさみ 松浦亜弥 中澤裕子※現在もゲスト出演する場合あり 吉澤ひとみ※準レギュラー。現在もゲスト出演する場合あり 保田圭※現在もゲスト出演する場合あり 藤本美貴※現在もゲスト出演する場合あり 高橋愛 光井愛佳※現在もゲスト出演する場合あり 里田まい 加護亜依 石川梨華※現在もゲスト出演する場合あり 後藤真希 柴田あゆみ(メロン記念日) 岡田唯 過去にゲストで出演したことのあるハロプロメンバー モーニング娘。(現役)譜久村聖 生田衣梨奈 石田亜佑美 モーニング娘。OG久住小春※2013年1月19日に光井の代役として出演したが、一回限りで事務所NGとなり番組出入禁止に 新垣里沙 亀井絵里 田中れいな 矢口真里 紺野あさ美 小川麻琴 辻希美 市井紗耶香 飯田圭織 石黒彩 メロン記念日斉藤瞳 村田めぐみ 大谷雅恵 ココナッツ娘。ミカ アヤカ カントリー娘。みうな Berryz工房嗣永桃子 徳永千奈美 ℃-ute矢島舞美 中島早貴 岡井千聖 なお、鈴木愛理と萩原舞は2011年3月12日放送分に二人で出演する予定だったのだが、収録日に東日本大震災が発生したため収録が中止となり、出演の機会がないまま現在に至っている。 スマイレージ和田彩花 福田花音 中西香菜 竹内朱莉 ソロ平家みちよ 真野恵里菜 ハロプロ結成前のヤン土のアシスタント パーソナリティ 加藤紀子※現在もゲスト出演する場合あり マキ凛子(吉村麻紀) トミー 玉井健二 2021-09-05 10 55 14 (Sun)編集 タグ モーニング娘。 ラジオ 光井愛佳 道重さゆみ 名前 コメント
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土曜日定例大会 将棋のお部屋を盛り上げるために三毛猫システムが考案した大会である。 言いだしっぺの三毛猫システムが編集している。 大会開催日 毎週土曜日 運営 大会開催場所 大阪道場 大会形式 予選は総当たり形式、最強決定戦及び、最弱決定戦はトーナメント形式 持ち時間 予選は早指し、最強決定戦及び、最弱決定戦は持ち時間15分 そのほか 大阪道場へログインするときに地域名にIGMと入力してください。 おもしろい! と思ったら棋譜をアップしましょう。 感想戦はなるべく行ってください。 IGMを導入して、将棋のお部屋へ入室してください。IGMへこないと参加できません。 大会は夜遅くまで続きますので身の回りのことは済ましておきましょう。
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きっかけ ゲーム内ギルド「まったり」のギルド企画イベントとして、2006年2月4日に企画されたのが 「汝は人狼なりや? in Trickster 土曜日版」です。 当時、ギルドについて悩んでいた団長のなかしゅんは、ギルドイベントを作って皆に楽しんでもらおうと思いました。 しかし、ゲーム内で実装されているものは既に他のギルドで行こなっているし、それ以外のゲームを考えても「かくれんぼ」くらいしか思い付きませんでした。 しかし、既にかくれんぼをギルドイベントにしているギルドがあり、ギルドまったりのイベントはイベントをやろうと思ってから1ヶ月を過ぎてもまだ決まっていませんでした。 「どうせイベントをするならば、どこのギルドでもやっていない新しい遊びを考えてたいなー」 そう思っていたので余計に決らなかったのかもしれません。 しばらく経ったある日、ふと思い付いたのが、以前学校の友達に誘われてやっていた「汝は人狼なりや?」という推理ゲームをトリックスター内でできないか、という案でした。 正直、自分は新しいゲームを考えたかったのですが、新しいゲームを考えるのは難しいし、人狼はチャットを使ったゲームで気軽にできる事や、他に思い付かなかったこともあり、人狼をギルドの看板イベントにする企画が始まりました。 苦労話 人狼をイベント化するにあたり、大変だったのは人数の確保です。 ギルドまったりは十数名しか団員がおらず、更に土曜日に出席できない団員も居ました。なので、人狼をするには一般の方を誘わなければならない事に加え、ルールも従来のルールではズレが出る上にルール自体割と難しいので、なかなか人が集まりませんでした。 よって、まずはルールをトリックスターに合わせて改善し、ルールの表記もなるべく初心者にも解るように書き直し、人数確保もギルドメンバーに協力してもらい、やっと2月4日に行なうことができたのです。 しかし、宣伝をし、一時期的には人数が集まったものの、私はGMとして未熟過ぎな事を思い知らされました。 未熟さ故に時間がかかってしまい、只でさえ時間がかかるゲームに更に時間をかけてしまったり、慣れないGMによりストレスが溜まり、参加者の方々に対して無礼な態度をとった事もあり、気が付いた時には毎週5、6人しか集まらなくなっていました。 それにより、一時期は「人狼を運営するのを諦めよう」と思った時もありました。 しかし、後にギルドが解散した後も、ギルドメンバーだった一部の人はイベントを支えるから続けてくれと申し出てくれていたし、人数が減っても参加し続けて頂いていた方もいました。そんな方々が居るのにイベントを諦めてしまっては、あまりにも申し訳ないと思い、人狼の廃止を踏みとどまることができました。 そして伝説へ…(嘘) そんな方々の努力のお陰で最近は非常に多くの方々にゲームを楽しんで頂いております。先日、無事に2周年を迎えることができました。これもそれもあれもどれも、全て人狼を支えて下さった皆様のお陰だと思っています。 これからも、トリックスターが無くならない限り例え毎日が忙しくなっても、支えて下さる皆様と共に、人狼を続けていきたいと思っています。どうかお付き合い下さい。 土曜日人狼の歴史 回数 実行日 最大人数(GM含まない) 実行回数 2006年 1 2/4 13 1 2 3/11 14 3 3 3/18 11 4 4 3/25 12 4 5 4/1 10 2 6 4/22 7 2 7 5/6 8 3 8 5/13 12 2 9 5/14 7 2 10 5/20 12 3 11 5/27 14 4 12 6/3 13 4 13 6/10 12 2 14 6/17 12 3 15 6/24 12 3 16 7/1 10 3 17 7/8 7 2 18 7/15 6 2 19 7/22 6 2 20 7/29 7 2 21 8/5 8 2 22 8/12 6 1 23 8/19 7 2 24 8/26 11 3 25 9/2 6 1 26 9/16 9 2 27 9/23 9 3 28 9/30 9 3 29 10/7 6 2 30 10/14 9 2 31 10/21 14 3 32 10/28 15 5 33 11/3 7 2 34 11/4 13 3 35 11/11 15 3 36 11/18 12 4 37 11/25 10 2 38 12/2 14 5 39 12/9 11 2 40 12/16 12 2 41 12/23 15 (クリスマスパーティ) 3 42 12/30 8 5 2007年 43 1/6 13 5 44 1/13 13 6 45 1/20 13 6 46 1/27 14 3 47 2/3 17 (1周年記念野外人狼) 4 48 2/10 8 2 49 2/17 11 3 50 2/24 7 3 51 3/3 14 3 52 3/10 12 2 53 3/17 8 1 54 3/24 13 5 55 3/31 12 4 56 4/7 10 4 57 4/14 13 3 58 4/21 13 5 59 4/28 10 4 60 5/5 13 4 61 5/12 10 6 62 5/19 13 4 63 5/26 6 2 64 6/2 12 5 65 6/9 14 5 66 6/16 17 6 67 6/23 11 4 68 6/30 18 5 69 7/7 14 5 70 7/14 16 4 71 7/21 15 4 72 7/28 13 5 73 8/4 20 4 74 8/11 12 5 75 8/18 17 4 76 8/25 13 5 77 9/1 13 3 78 9/8 13 3 79 9/15 14 3 80 9/22 13 3 81 9/29 14 3 82 10/6 14 4 83 10/13 14 3 84 10/20 14 5 85 10/27 15 3 86 11/3 17(TS秋の大文化祭) 2 87 11/10 15 5 88 11/17 12 6 89 11/24 15 4 90 12/1 17 3 91 12/8 12(ゴールド出張版) 3 92 12/15 13 2 93 12/22 12(クリスマススペシャル) 3 94 12/29 12 4 2008年 95 1/5 15 2 96 1/12 9 3 97 1/19 14 3 98 1/26 11 5 99 2/2 14 6 100 2/9 15(2周年記念+100回記念) 5 101 2/16 14 4 102 2/23 9 3 103 3/1 13 4 104 3/8 12 4 105 3/15 10 5 106 3/22 10 3 107 3/29 8 3 108 4/5 12 5 109 4/12 12 2 110 4/19 10 5 111 4/26 14 3 112 5/3 9 3 113 5/10 10 4 114 5/17 16 2 115 5/24 ? ? 116 5/31 ? ? 117 6/7 ? ? 118 6/14 ? ? 119 6/21 13 2 120 6/28 7 3 121 7/5 7 2 122 7/12 11 4 123 7/19 11 3 124 7/26 8 2 125 8/2 9 2 126-146 8/9-12/27 データ無し ?
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ORION106土曜日番組表 4 30 おはDo430! 6 00 おはよう地球さん斉藤晃ショー 8 00 IOTアニメラッシュ 8 00 THE学園ハングタン 8 30 フットサルバトラーK 9 00 制服学園キュンキュンCURE 9 30 この青空に約束を 10 00 夢見師 10 30 デジアナ.30(ドットサーティ) 11 00 Liveな土曜日 気分はHigh! 14 00 IOTウィニング競馬plus 17 15 いわて風景録 17 30 IOTニュースサタデー 18 00 IOTゴールデンサタデー 21 30 いわてマル秘指令ザ・新選組 22 30 オリオンTHEベストテン 23 00 GZ-Dash!!WIDE 23 45 オリオンTHEスペシャル 25 15 ヒーリングサロン 25 25 ニコニコミッドナイト (27 55終了予定)
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登録日:2012/03/27(火) 15 17 17 更新日:2023/03/11 Sat 22 21 17NEW! 所要時間:約 4 分で読めます ▽タグ一覧 TCGアニメ三連チャン ぶらり途中下車の旅 めちゃイケ もうひとつの土曜日 インスタントラーメン サイボーグクロちゃん ジュエルペット ズームイン!!サタデー デビチル プリティーリズム 一週間シリーズ 世界ふしぎ発見! 休日 ←学生限定 ←ゆとり 半ドン 名探偵コナン 土6 土9 土曜ワイド劇場 土曜日 嵐にしやがれ 暴れん坊将軍 曜日 土曜日とは、月曜日から数えた場合の6日目、金曜日と日曜日の間の曜日である。 名称は七曜の一つである土星に由来する。 元々は古代バビロニアにて生まれた概念であり、七星が地球周囲を巡り加護を与えてくれると言う考えから始まった。 この中でも、土星は最も遠くから地球を守護していたとされる(天動説に基づいたものなので科学的根拠は無い)。 この思想が中国に渡り、更に唐に留学していた僧侶から日本に伝搬する事となった。 とはいえ、当初は占いやまじないなどの参考程度であり、一般浸透はしていなかった模様だが。 江戸時代になってもいちいち数えるのが煩わしかったため、曜日が一般的に認知されるのは明治になってグレゴリオ暦が採用されるのを待つ事となった。 ■半ドン 現代の子供には馴染みが無いであろうが、かつて、小学校、中学校では、土曜日と言えば午後からは休日であり、これは通称、「半ドン」と呼ばれていた。 これは、明治の初めにイギリスの法律を基に休日を定めた際、日曜日を休日にするのと同時に導入されたものだった。 ちなみに、更に源流を辿れば、ユダヤ教の「安息日」に行き着く事ができ、ユダヤ教では土曜日の昼からは一切の労働を「禁止」されていたと言う。 ちなみに半ドンの語源は諸説あり、オランダで休日をあらわす言葉ドンタク(英語で言うdon't work)から、半分のドンタクで半ドンだとか、 かつて正午に打ち上げられた大砲の「ドーン」と言う音からだとか、土曜日のドの字からとか、様々な説がある。 午前中だけ学校に行き、午後からは、家に帰って昼ご飯を食べ、遊びに行く…。 完全な休日では無いが、土曜日は土曜日で子供達の楽しみであった。それも、翌日は楽しみな日曜日が待っているのだ。 ちなみに、土曜日の昼食はインスタントラーメンだった方もいたのでは? 実際、インスタントラーメン率の高い家庭は多かったらしい。 ■週休二日 近年始まった土曜日を完全に休みにすると言う週休二日制だが、これは、アメリカからの影響である。 キリスト教の教えで、土曜日は自分の生活を振り返り日誌を書かせ、それによって子供の自主性を引き出そうとするものがあった影響である。 (もちろんアメリカでもごく一部の州だが) 実は、戦後間もなくの1947年頃、一部の県にて既に導入された過去がある。 しかし、その当時は、「子供が家にいても勉強しない」「家事の邪魔」などクレームが相次ぎ、すぐに廃止された。 時を経て、1992年、ゆとり教育導入の手始めのような感じで、月の第二土曜日を休日にするようになり、そして1995年より、第4土曜日も休日となり、 果てには2002年度より、ついに完全な週休二日制度が導入されるに至った。 導入当初、喜ぶと共に戸惑った方々もいた事だろう。 金曜日の夜のワクワク感を得ると同時に、お昼のインスタントラーメンの楽しみがなくなってしまったのだから…。 休みの日の昼としてのインスタントラーメンと、午前中は学校にいて帰ってきてからのインスタントラーメンでは、味が違ってはいなかったか…。 ■昨今の土曜日 さて、現在、脱ゆとりが掲げられる中でも、土曜日は休日であり続けている。 もはや完全に定着してしまったと言って良いだろう。 土曜日にも学校に行っていった方々はもう良い歳だろう。 最後の半ドン時の小学校高学年なんて、この間成人式を迎えたくらいである。 現在の子供達は、あの「半ドン」を知らないので、たまにジェネレーションギャップが生じる事にもなった。 「よーし、土曜日は学校が終わったら遊びに行くぞ!」 ↑のような事を言ったら頭がおかしいくらいに思われるかもしれない…。 だが、脱ゆとり教育の一環とし、土曜日を「補講」と言う形で授業をしている学校などもボチボチあるようである。 さらに私立校は土曜日も授業はある。 週休二日制に対して否定的な意見もあるので、いつか、「半ドン」が復活する事もあるかもしれない。 追記、修正は、土曜日にシューズを持って帰って風呂場で洗いながらお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 最後ので込み上げた -- 名無しさん (2013-11-25 19 16 17) 私立では土曜は普通に午前中の授業があったりする。 そこから友人と遊んで帰ったりと楽しみもあった。 -- 名無しさん (2013-12-24 15 00 11) 実際に私立だから -- 名無しさん (2014-08-05 14 39 59) 朝7時半のTBSアニメが学校で見られなくて録画したあの時が懐かしい。午後の楽しみだった。 -- 名無しさん (2014-08-05 19 33 52) シューズ洗ったなあ -- 名無しさん (2014-08-05 20 57 34) 私立でも土曜休みなってる学校も結構ある -- 名無しさん (2014-08-06 00 41 02) 学校の先生からしたら土曜日まで仕事あるのは苦痛 -- 名無しさん (2014-08-06 19 49 20) 土曜日も学校だった俺からしたら羨ましい限りだった。 -- 名無しさん (2015-02-15 11 31 32) 土曜日だからこそ塾かラグビークラブへ行きなさい -- 名無しさん (2016-12-27 22 14 53) 俺が小学生の頃は、土曜授業は毎週あったけど、今はもう無いのか -- 名無しさん (2018-10-24 10 51 56) 1994年度生まれが最後の半ドン経験者か -- 名無しさん (2018-10-24 10 55 06) 何故振り替え休日が適用されない… -- 名無しさん (2021-03-31 14 11 54) 土曜日の祝日ほどイヤな物は無い、祝日の日数は減るし交通機関のダイヤは祝日ダイヤが適用されてややこしいし -- 名無しさん (2023-03-11 20 18 01) ↑わかる。土曜祝日の振替休日とか支持する人はとても多そうなのに、何か取り入れられない理由とかあるんだろうか。労働は美徳だなんて、時代錯誤のブラックな思想だというのに -- 名無しさん (2023-03-11 21 46 52) ↑ほんと土曜祝日振替休日実装はよって思う。ちなみに今年は残念ながらハズレ年。建国記念日、昭和の日、秋分の日ぜーんぶ土曜日祝日……!連休が減ってしまう -- 名無しさん (2023-03-11 22 21 17) 名前 コメント
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- 月曜日 火曜日 水曜日 木曜日 金曜日 土曜日 日曜日 【土曜日】がタイトルにある曲 曲名 歌手 作詞 作曲 編曲 メモ 年度 【土曜日】が歌詞にある曲 曲名 歌手 作詞 作曲 編曲 メモ 年度 →トップページに戻る ↓同キーワード曲の追加情報をお願いします。 名前 コメント
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土曜日イベント 初級 スタミナ5 WAVE3 難易度5 ドロップアイテム コイン1000 コイン1000 コイン1000 ドロップコンプリート 中級 スタミナ10 WAVE4 難易度15 ドロップアイテム コイン1000 コイン1000 コイン2000 コイン5000 ドロップコンプリート コイン10000 上級 スタミナ15 WAVE5 難易度25 ドロップアイテム コイン2000 コイン2000 コイン5000 コイン5000 ドロップコンプリート コイン20000
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■ 土曜日 銀座deフットサル大崎(個人参加ページ) 8 30-10 30 多摩スポーツスタジオ(個人参加ページ) 13 30-15 30 多摩スポフットサルスタジアム(個人参加ページ) 18 30-20 30 フットサルコート品川(個人参加ページ) 19 00-21 00 多摩スポーツスタジオ(個人参加ページ) 20 00-21 30 -