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ヨーロッパハウス内旧2階の一区画。 同じく旧2階のフリースペース、スタジオ部屋よりも一段高くなっている。 その名の通りの遊び部屋。 壁一面の棚には、マンガ、雑誌、小説などが所狭しと並べられ、反対側にはテレビとハードディスクレコーダー、PS2やWiiといったゲームハードが常設されている。 ほかの部屋が片付いているわけではないが、ヨーロッパハウスで唯一散らかすことが容認されている部屋。 by 酒井
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シール ジェントル久留米クラブ シカ 事件 獅子座流星群 シノプシス シャッター ジャンボ永野 シュガーフィールズ 衝撃のカーテンコール シルバニア共和国 新感覚クイズ ジンジャー 新2階 深夜劇場へようこそ
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本店:北九州市小倉北区室町一丁目1番1号 ゼンリンドライバーズステーション 【商号履歴】 株式会社ゼンリン(1983年7月~) 株式会社善隣(1974年3月15日~1983年7月) 【株式上場履歴】 <東証1部>2006年3月1日~ <福証>1994年9月21日~ <東証2部>1996年9月13日~2006年2月28日(1部に指定替え) <大証2部> 年 月 日~2005年9月12日(上場廃止申請) 【合併履歴】 1983年8月 日 株式会社善隣出版社 1983年8月 日 日本住宅地図出版株式会社 【沿革】 昭和49年3月 住宅地図・各種地図・図書等の企画出版を目的とする株式会社善隣を北九州市小倉区に設立(組織変更、資本金10百万円) 昭和58年7月 株式会社善隣を株式会社ゼンリンに商号変更 昭和58年8月 株式会社善隣出版社及び日本住宅地図出版株式会社を吸収合併し、札幌、仙台、東京、名古屋、大阪他全国各地の事業所を引継ぎ地図情報企業として全国展開が可能な体制を確立 昭和59年5月 株式会社日立製作所と共同で「住宅地図製作自動化システム」を確立、さらに「住宅地図情報利用システム」を開発 昭和60年11月 株式会社日立製作所及び株式会社写研との共同により、文字・図形情報を入力した磁気テープから直接印刷用の刷版を作る「レーザー製版システム」を開発 昭和61年11月 地図情報のデータベース「Zmap電子地図」及びソフトウェアプログラム「Zmap-PC」を開発 昭和63年1月 東京都23区の「Zmap電子地図」及びソフトウェアプログラム「Zmap-PC」を発売開始(以降、政令指定都市を重点に全国に拡販) 平成2年3月 外注先である株式会社天地堂印刷製本所(現㈱ゼンリンプリンテックス、連結子会社)を事業の緊密性を図り、製版・印刷の効率化を高めるため子会社化 平成3年10月 汎用化を狙ったカーナビゲーション用のナビゲーションシステム研究会の統一規格に沿ったソフト「ナビソフト」を開発 平成4年5月 作業の効率化を図るため、生産本部の一部(製版・印刷・製本部門)を株式会社ゼンリンプリンテックス(連結子会社)へ移管 平成4年6月 全国版・関東リゾートガイド等の「ゼンリン・ナビソフト」を新発売 平成4年12月 北九州市戸畑区に「ゼンリンテクノセンター」を竣工、開発本部が当センターに集結 平成6年9月 福岡証券取引所に上場 平成8年9月 東京証券取引所市場第二部に上場 平成9年1月 電子地図事業の生産効率化を図るため、株式会社ダイケイ(連結子会社)並びに同社の子会社である上海大計数据処理公司(連結子会社)及び大計数据処理(深圳)有限公司(連結子会社)を子会社化 平成9年4月 電子地図の欧州海外拠点として、ZENRIN EUROPE B.V.(連結子会社・当時)をオランダに設立 平成12年4月 電子地図の北米海外拠点として、ZENRIN USA,INC.(連結子会社)をアメリカに設立 平成12年4月 電子地図のインターネット配信事業のため、株式会社ゼンリンデータコム(連結子会社)を設立 平成13年8月 電子地図の立体映像技術の研究、開発のため、株式会社ジオ技術研究所(連結子会社)を設立 平成14年7月 CD-ROM版住宅地図「デジタウン」を新発売 平成15年5月 本社を北九州市小倉北区下到津から同市小倉北区室町の「リバーウォーク北九州」業務棟に移転 平成16年9月 当社グループ内での事業変革に対する機動性、柔軟性を高めるため、株式会社ダイケイ(連結子会社)を完全子会社化 平成17年10月 市場環境の変化に対応するためZENRIN EUROPE B.V.(連結子会社・当時)を清算し、電子地図の欧州海外拠点として、ZENRIN EUROPE GmbH(連結子会社)をドイツに設立 平成18年3月 東京証券取引所市場第一部に上場
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永野がノリノリの状態に時に使う言葉。 「ザ・スタンバイズの生こたつ会議」放送中に1度だけ使った。 by みやこしさん
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永野がかなりの頻度で日記をアップする時刻。 その人となりが如実に現れている。 by kiiiさん
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『ヨーロッパ企画』で上演されたコント「パレード」のパロディ。 会場であった吉田寮食堂ホールに泊まり込んでいた際、深夜のテンションで撮ったビデオに収録された一作品。オリジナルメンバー中川・瀬戸中・坪倉をそれぞれ石田・諏訪・玉田が担当した。 実際の舞台で本番用の衣装まで着用しての収録だったが、途中で調子に乗りすぎてオリジナルメンバーに怒られるのが怖くなったのか、3人がカメラに向かって相当謝るというラストで唐突に締めくくられている。
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『衛星都市へのサウダージ』に登場した人類の移住先。 21世紀、人類の過剰な人口増加に対応するために他惑星への移住が進められていた。 「エメラルドグリーンの海、二つの月」がうたい文句だったが、実際は海の水は生身で入ると溶けてしまう緑色の金属溶液という割とおっかない星。しかし、太陽の光を受けてエメラルドに輝く姿が宇宙からはとても美しい。
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諏訪雅の愛称。といっても普段この愛称で呼ばれることは皆無と言ってさしつかえない。たまに日記でかかれたり、テンションの上がった上田が使うくらいのものである。
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ヨーロッパハウスの一室で、事務室兼応接室。上田製菓の母屋を出た庭に隣接しているために、こう呼ばれている。 石田と元メンバーの玉田が学生時代に引っ越しをした際、二人とも引っ越し先に入居できるまで一週間程度のタイムラグがあり、その期間の滞在場所として上田が二人に提供したことがきっかけでメンバーが集まるようになった。 もともとは工場の従業員が住んでいた下宿であったらしい。 2004年にメンバーの手で、オフィスとして使えるように土間を埋める、フローリングシートをはるなどの改装がされた。 さらに2008年、メンバーも手伝いつつ大工さんに工事をしてもらい、実際にフローリングになる、壁をはり替えるなどの大幅な改装が施された。 by 酒井
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上田家の近所にあった美容院。上田、酒井御用達の店。酒井が初めてパーマをあてた時に上田に教えてもらったが、上田に「俺の名前は決して出すな」と釘をさされていたため、結局最後までこの店では上田と酒井は違う劇団の人ということになっていた。 永野も一度だけ利用。現在は閉店している。