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ホンダが開発したオープンスポーツカー「S2000」。 各社マフラー音まとめ動画↓
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Q 1955年に第1回が開催された、日本で初めてメーカーが参加した、群馬の山道を使ったロードレースは通称「○○○○レース」? A 浅間火山 Q 1989年のエフワン日本GPで優勝したレーサーで、1990年に自家用ヘリの墜落事故で右腕を切断したのはアレッサンドロ・○○○○? A ナニーニ Q 1991年のエフワン日本GPで服部尚貴がスポット参戦した、一口2万円で個人スポンサーを募ったことで知られるチームは? A コローニ Q 1992年にエフワンに参戦したが、1度も予備予選を通過することができなかった女性レーサーはジョバンナ・○○○○? A アマティ Q 1994~1997年にロードレース世界選手権の250ccクラスで4連覇を果たしたライダーはマッシミリアーノ・○○○○? A ビアッジ Q 1996年から1999年にかけて、4年連続で世界ラリー選手権の王者となったフィンランド出身のレーサーはトミ・○○○○? A マキネン Q 2005年にプロダクションカー・世界ラリー選手権で、日本人初となる総合優勝を果たしたラリードライバーは? A 新井敏弘 Q 2006年にスーパーアグリからエフワンデビューしたものの、シーズン途中にライセンスを剥奪された日本人レーサーは? A 井出有治 Q 「SUPER GT」にも参戦している、オートバックス・スポーツカー研究所(ASL)が開発したスポーツカーは? A ガライヤ Q F3のマカオGPを、日本人として初めて制したレーサーは? A 佐藤琢磨 (上記分岐)ですが、日本人として初めて表彰台に乗ったレーサーは? A 伊藤大輔 Q アプリリアやモトグッチも傘下に収めているイタリアのオートバイメーカーで、スクーター「ベスパ」が特に有名なのは? A ピアジオ Q エフワンのウィリアムズチームが初めてコンストラクターズ選手権でチャンピオンに輝いたのは西暦何年? A 1980 Q エフワンのブラジルGPが開催されるサーキットにその名を残すブラジル人レーサーはホセ・カルロス・○○○○? A パーチェ Q オートバイレースの最高峰である「ロードレース世界選手権」で、最も排気量が多いクラスの略称は○○○○GP? A Moto Q カーレースのサーキットで、ドライバーに減速をうながすために設けられたS字状のコーナーを何という? A シケイン Q かつてはWRCの一戦に数えられていた、アフリカのケニアを走るラリーは○○○○ラリー? A サファリ Q かつてはエフワンも開催された、南アフリカのヨハネスブルグ近郊にあるサーキットは○○○○サーキット? A キャラミ Q 実業家・松下幸之助の孫にあたるレーサーで、日本人で初めてアメリカのCARTシリーズにフル参戦したのは? A ヒロ松下 Q シルベスター・スタローンとキップ・パルデューが共演した、2001年公開のレース映画は? A ドリヴン Q スーパーバイク世界選手権やSUPER GTを開催してきた、宮城県にあるサーキットは「スポーツランド○○○○」? A SUGO Q 日本人として初めて「ル・マン24時間耐久レース」で優勝したレーサーは? A 関谷正徳 Q バーレーン、イスタンブール、上海など、エフワンが開催されるサーキットを多数デザインした人物はヘルマン・○○○○? A ティルケ Q モナコGPで5勝を記録し、「モナコマイスター」と称された、1962年、68年のエフワン世界王者は○○○○・ヒル? A グラハム
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Q:これがあだ名のヤクルトスワローズの選手 C:(ペンギンの絵) A:安田猛 (1947年福岡生まれ1971年ヤクルト入りし、1年目で新人王と最優秀防御率獲得独特のフォームが「ペンギン投法」と呼ばれた) Q:第1回ドラフト会議で阪神が一位指名した選手 C:石床幹雄 A:いしとこみきお Q:ヤクルトスワローズの大投手 C:「松岡弘」 A:まつおかひろむ (1947年岡山生まれ1969年サンケイ(現ヤクルト)入り通算190勝を挙げ、引退後は2005年まで二軍のコーチを務めた) Q:ノーヒットノーランを3度達成 C:「外木場義郎」 A:そとこばよしろう (1945年鹿児島生まれ1965年広島入団ノーヒッターは1965年10月2日阪神戦(プロ2戦目)、1968年9月14日大洋戦(完全試合)、1972年4月19日読売戦3度達成は他に沢村栄治のみ) Q:ハマの大魔神 C:「佐々木主浩」 A:ささきかずひろ (1968年宮城生まれ1989年大洋入り1999年マリナーズへ移籍し、2004年横浜に復帰するも2005年に引退した) Q:みちのくプロレスのリーグ戦の名称 C:「鉄人」 A:てつんちゅ Q:ヤクルトの代打の切り札「度会博文」 A:わたらいひろぶみ (1972年千葉生まれ1993年ヤクルト入り) Q:相撲の技です C:「撞木反り」 A:しゅもくぞり (「そり」は不可)(撞木=鐘を鳴らすための棒状の仏具で、転じて犯罪人を捕らえるための突棒を指すようになった) Q:かつてのプロ野球のコミッショナー C:「大浜信泉」 A:おおはまのぶもと (1891年沖縄生まれ1952年に早稲田大学の第6代総長に就任し、沖縄の本土復帰運動などでも活躍1971年に第5代コミッショナーに就任) Q:中日、ロッテで監督をした今は亡き人 C:「濃人渉」 A:のうにんわたる (1916年広島生まれ1936年金鯱入り戦後国民野球を経て1948年金星入り社会人監督を経て1961年中日、1964年東京(現ロッテ)の監督に就任した) Q:(問題文不明) C:「佐野仙好」 A:さののりよし (1951年群馬生まれ中大から1973年阪神入り1989年に引退し、現在は球団スカウトを務める) Q:(問題文不明) C:「吉村禎章」 A:よしむらさだあき (1963年奈良生まれ1982年読売入り1988年に左膝靭帯が断裂し、翌年復帰した1998年引退2006年に2軍監督に就任) Q:(問題文不明) C:「中尾碩志」 A:なかおひろし (1919年三重生まれ1939年東京巨人入り終戦後1946年に復帰1957年引退1977年死去し、1998年野球殿堂入り) Q:1985年優勝時に活躍した阪神のエース C:「池田親興」 A:いけだちかふさ (1959年宮崎生まれ1977年阪神からドラフト指名されるが拒否し、法大・社会人を経て1984年入団1985年の日本シリーズでは初登板で初勝利) Q:元中日・中利夫の打法の名前 C:(提灯の画像) A:ちょうちん(打法) (投球の高低で体を提灯のように伸び縮みさせてストライクゾーンを変化させることでボールカウントを稼ぐ中利夫=1936年群馬生まれ1955年中日入り「三夫「暁生」「登志雄」など、複数の登録名を使った) Q:覆面レスラーでSuperCrewの校長 新幹線E2系の画像 A:はやて (本名西田秀樹はやてとしては2002年にデビューした「こまち」とタッグを組んでいたSuperCrew=ディック東郷主宰のプロレススクール) Q:女子プロレスラーのユニット C:「CAZAI」 A:キャッズアイ (キャンディー奥津・浜田文子・秋野美佳・藤田愛の4人) Q:女子バレーボール選手・吉原知子の出身高校 C:「妹背牛」 A:もせうし (北海道中北部にあるアイヌ語の「モセユーセ(イラクサの茂る所)」に由来吉原とは関係ないが、1977年妹背牛商業高校女子バレーボール部が全国制覇した(吉原は1970年生まれ)) Q:サンフレッチェ広島のFW C:「盛田剛平」 A:もりたこうへい (1976年愛知生まれ1999年浦和入りC大阪などを経て2004年広島入りする) Q:これはボクシングのどういうパンチ C:ファイティングポーズを取っているボクサーの画像 A:アッパーカット (写真が微妙) Q:阪急の黄金時代を支えた選手 C:「大橋穣」 A:おおはしゆたか (1946年東京生まれ亜大から1968年東映入り1971年5月3日のロッテ戦では、日本記録の5者連続本塁打の3本目を放った1982年引退) Q:プロ野球初代コミッショナー C:「福井盛太」 A:ふくいもりた (1886年群馬生まれ1946年検事総長に就任し、1950年にプロ野球初代コミッショナーに就任正力松太郎を初代コミッショナーとする説もある) Q:プロ野球六代目コミッショナー C:「金子鋭」 A:かねことし (1900年新潟生まれ富士銀行頭取を経て1976年コミッショナーに就任「江川事件」の時のコミッショナーだった) Q:アルゼンチン生まれの力士 C:「星誕期」 A:ほしたんご Q:かつて新日本プロレスで修行をしていた韓国人レスラー C:「力抜山」 A:りきばつざん (「りきばっさん」でも可) Q:韓国人の力士 C:「春日王」 A:かすがおう (本名金成澤1977年生まれシルム(韓国相撲)を経て春日山部屋から1998年初土俵) Q:セレッソ大阪の選手 C:「布部陽功」 A:ぬのべたかのり (1973年大阪生まれブラジル留学を経て1995年V川崎(当時)入りその後磐田・神戸を経て2001年からC大阪) Q:1956年のパリーグ盗塁王 C:「河野旭輝」 A:こうのあきてる (1935年和歌山生まれ社会人松下電器を経て1954年阪急入り1956,57年は阪急で、1962年中日で盗塁王史上唯一の両リーグ盗塁王) Q:横浜フリューゲルスや柏レイソルで活躍した選手 C:「薩川了洋」 A:さつかわのりひろ (1972年静岡生まれ1991年横浜F入りし、1999年に柏へ移籍) Q:川崎フロンターレの選手 C:「中村憲剛」 A:なかむらけんご (1980年東京生まれ中大から2003年に川崎入り) Q:川崎フロンターレの選手 C:「寺田周平」 A:てらだしゅうへい (1975年神奈川生まれ1999年に川崎入り) Q:鹿島アントラーズの若手ディフェンダー C:「羽田憲司」 A:はねだけんじ (1981年千葉生まれ2000年に鹿島入り) Q:近鉄で活躍した打者 C:「羽田耕一」 A:はだこういち (1953年兵庫生まれ1971年近鉄入り2004年まで近鉄打撃コーチだったが、球団合併により2005年からオリックス球団職員となる) Q:大リーグで活躍する日本人投手 C:「多田野数人」 A:ただのかずひと (1980年東京生まれ横浜から指名寸前だったが、AV出演が発覚して取消となるその後インディアンズとマイナー契約し、2004年からメジャーへ) Q:パンクラスの選手 C:「冨宅飛駈」 A:ふけたかく (1969年大阪生まれUWF、藤原組を経て1993年に船木誠勝らとパンクラスを旗揚げ) Q:鹿島アントラーズの左サイドバック C:「新井場徹」 A:あらいばとおる (1979年大阪生まれガンバ大阪ユースから1998年デビューし、2004年に鹿島へ移籍) Q:競走馬・ワカタカの馬主 C:「乾鼎一」 A:いぬいていいち Q:ダンプ松本が組んだユニット C:「桃色豚豚」 A:ピンクトントン Q:女子プロレスラー C:「美咲華菜」 A:みさきかな Q:北尾光司が1994年に空手家を集めて結成したプロレス団体 C:「武輝道場」 A:ぶこうどうじょう (1998年に北尾が引退、翌年闘龍門へ合流した北尾光司=1963年三重生まれ1979年初土俵で、1986年第60代横綱「双葉黒」となる1987年廃業し、1990年新日本でプロレスデビュー) Q:川崎フロンターレのMF C:「鬼木達」 A:おにきとおる (1974年千葉生まれ2000年から川崎でプレー) Q:セレッソ大阪のMF C:「久藤清一」 A:くどうきよかず (1974年兵庫生まれ1994年磐田入り2000年からC大阪で、2006年からは福岡でプレーする) Q:(問題文不明)野球選手 C:「西村一孔」 A:にしむらかずのり (1936年山梨生まれ1954年阪神入り翌年22勝17敗で最優秀新人賞受賞1960年引退し、レストラン・ビクトリアに入社、取締役専務となった) Q:相撲で場所の優勝者に送られる C:「賜杯」 A:しはい (天皇から授けられる(賜る)杯であることから) Q:羽根のついたボールを打ち合うバレーに似たスポーツ A:インディアカ (Indiaca1936年、ドイツのカールハンス・クローンがブラジルのペテカpetecaをベースに考案した) Q:2003年にスティルインラブで牝馬三冠を制した騎手 C:「幸英明」 A:みゆきひであき (1976年鹿児島生まれ1994年デビューし、4月に阪神で初勝利スティルインラブとのコンビで桜花賞でG1初勝利、そのままオークス・秋華賞も勝利した) Q:横浜ベイスターズの背番号27 C:「龍太郎」 A:りょうたろう (本名土居龍太郎1981年高知生まれ2002年法政大から自由枠入団2005年5月26日ソフトバンク戦でプロ3年目にして初勝利2004年に土肥義弘が入団し、名字が同じで紛らわしいため登録名を変更した) Q:(問題文不明) C:「新垣諭」 A:しんがきさとし (1964年沖縄生まれ1984年IBF世界バンタム級王者に就任ただし、IBFはJBC未公認) Q:巨人のピッチャー C:「高橋尚成」 A:たかはしひさのり (1975年東京生まれ1999年東芝から読売入り1年目は9勝を挙げたが、その後は伸び悩んでいる「宴会部長」と呼ばれたこともある) Q:(問題文不明) C:「借力」 A:チャクリキ (韓国武術やトム・ハーリンクが1972年に創設した格闘技などの名前) Q:ラジオ体操第二の作曲者 C:「團伊玖磨」 A:だんいくま (1924年東京生まれ太平洋戦争中は軍楽隊に所属し、戦後作曲家として活動1948年にはNHK専属、1954年には東宝専属となるラジオ体操第二は1952年に制定された) Q:(問題文不明) C:「放駒」親方 A:はなれごま (四股名は魁傑將晃、本名西森輝門1948年山口生まれ1966年初土俵で、1975年大関に就任1979年に引退して放駒を襲名、1981年花籠部屋から独立した) Q:中嶋勝彦、土屋修平らの格闘家を輩出した空手道場 C:「璞名館」 A:はくめいかん (元新日本プロレスの武内惣が1995年に設立) Q:日本書紀に記述のある、日本最初の相撲で勝った力士 C:「野見宿禰」 A:のみのすくね (出雲国生まれ垂仁天皇の命で角力(相撲)を行い、相手の足の骨を折って勝利した菅原道真の先祖にあたる) Q:野見宿禰の対戦相手 C:「当麻蹴速」 A:たいまのけはや (正しくは「當麻蹶速」大和国生まれ野見宿禰に敗れ、所有していた土地を没収された) Q:『殺戮ピラニア』と呼ばれる日本人PRIDE選手 C:「長南亮」 A:ちょうなんりょう (1976年山形生まれ極真会館を経て田村潔司主催のU-FILEへ入門するも離脱しフリーとなる2001年DEEPでデビューし、2003年には桜井“マッハ”速人に勝利2005年にはPRIDEに参戦) Q:全日本女子プロレス中継の実況で知られるアナウンサー C:「志生野温夫」 A:しおのはるお (1932年大分生まれ1954年日本テレビに入社し、1972年にフリーとなる全日本女子プロレスのコミッショナーも務めた) Q:(問題文不明) C:「法被」 A:はっぴ (もとは「はふひ」と呼ばれていたものが転訛した能楽や禅僧の着物にも同じ名前がついている) Q:阪神のジョーンズが初めてつけた背番号 C:「00」 A:ダブルオー (ルパート・ジョーンズRuppertS AndersonJones(1955年テキサス州生まれロイヤルズ、パドレスなどを経て阪神入り)が1988年に付けたバースと入れ替わりだったが、結果が残せず同年シーズン終了後退団した) Q:サッカー日本代表 C:「加地亮」 A:かじあきら (「りょう」ではない1980年兵庫生まれ1998年C大阪入りし、翌年ワールドユースで準優勝大分・FC東京を経て2006年G大阪へ移籍代表は2003年のチュニジア戦から) Q:(問題文不明) C:「輪島大士」 A:わじまひろし (本名博1948年石川生まれ1970年初土俵、1973年第54代横綱に就任1981年引退するが、金銭問題で廃業しプロレスへ転向した) Q:2002年のサッカーワールドカップでベスト4入りした国 C:韓国国旗の画像 A:かんこく (「だいかんみんこく」も可) Q:ロッテのクローザーとして活躍 C:「河本育之」 A:かわもとやすゆき (1967年山口生まれ1991年新日鐵光からロッテ入り2000年に石井浩郎とのトレードで読売に、2004年には中村隼人とのトレードで日本ハムに移籍2005年からは楽天でプレー) Q:タリア・セリエAで活躍の水球選手 C:「青柳勧」 A:あおやぎかん (1980年京都生まれ1998年に史上最年少で日本代表となる2004年にベルガモへ移籍日本人初・唯一のセリエ A日本人選手) Q:メドレーリレーの最初の泳法 C:「背泳」 A:はいえい (「せおよぎ」も可)(メドレーリレー=背泳ぎ→平泳ぎ→バタフライ→自由形の順) Q:女子プロレスラー C:「輝優優」 A:らんゆうゆう (本名宮口知子1975年大阪生まれ1994年デビュー) Q:"楽天のナベツネ"ともいわれるイーグルスの投手 C:「渡邊恒樹」 A:わたなべこうき (1978年神奈川生まれ社会人NTT東日本から2004年楽天入りちなみに父の名前は「恒雄」) Q:(問題文不明確)ボクシングのチャンピオン C:「大東旭」 A:おおひがしあきら (1970年大阪生まれ1996年には日本スーパーウェルター級チャンピオンとなるその後2005年にK-1に転向) Q:(問題文不明)力士 C:「大砲」 A:おおづつ (大砲万右エ門本名角張萬次1869年宮城生まれ1900年に第18代横綱に就任) Q:相撲の番付表の中央に書かれている C:「蒙御免」 A:ごめんこうむる (幕府から興行を許可されていることを示す江戸時代には度々相撲禁止令が出されていた) Q:(問題文不明) C:「毒島」章一 A:ぶすじま (1936年群馬生まれ1954年東映入りし、三冠王を4度獲得する1971年に引退するまで東映一筋だった) Q:西武ライオンズで活躍した選手 C:「安部理」 A:あべおさむ (1962年岩手生まれ東北高から1980年西武入り1996年に近鉄へ移籍、1999年に引退現在は解説者の傍らマスターズリーグに参加) Q:ZERO-ONEMAXで小笠原和彦が結成した空手家軍団 C:「押忍闘夢」 A:ストーム (プロレス団体ZERO-ONEで小笠原と小林昭男が組んでいたコンビ) Q:(問題文不明) C:「前褌」 A:まえみつ (相撲のまわしや褌(ふんどし)の前の部分) Q:(問題文不明確) C:「石床幹雄」 A:いしとこみきお (詳細は既出のス択参照) Q:セレッソ大阪で活躍するベテランMF C:「森島寛晃」 A:もりしまひろあき(1972年広島生まれ東海大第一高からJFLのヤンマー (現セレッソ大阪)入り2002年W杯で得点を挙げた日本人4選手の1人) Q:四国アイランドリーグの代表 C:「石毛宏典」 A:いしげひろみち (1956年千葉生まれ社会人プリンスホテルから1980年西武入り1996年ダイエーで引退し、その後ダイエー2軍監督やオリックス監督を経て2004年アイランドリーグ設立) Q:ヨット教義のスナイプの語源となった C:「鴫」 A:しぎ (snipeチドリ目の主にシギ科の鳥の総称) Q:ヤクルトのマスコットキャラ C:「燕太郎」 A:えんたろう (1994年のつば九郎、1999年のつばみに次いで2005年に登場背番号は102) Q:(問題文不明) C:「熱田孝高」 A:あつたよしたか (モトクロスライダー1977年宮城生まれ2001年全日本モトクロス選手権国際 A級250ccのチャンピオンとなる) Q:2000年パリーグの最優秀防御率 C:「戎信行」 A:えびすのぶゆき (1972年兵庫生まれ兵庫育英高校から1990年にオリックス入りし、ヤクルトを経て2004年近鉄の消滅と同時に引退) Q:広島東洋カープで活躍しました C:「水谷実雄」 A:みずたにじつお (1947年宮崎生まれ1965年投手として広島入りするも腎臓病で野手転向1978年には首位打者、1983年には打点王となっている) Q:サッカー日本代表で、FC東京のGK C:「土肥洋一」 A:どいよういち (1973年熊本生まれ「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の企画がきっかけでJFL日立(現柏レイソル)と契約2000年にFC東京へ移籍連続試合出場のJリーグ記録を持つ2006年ワールドカップの日本代表に選出された) Q:浦和レッズのMF C:「堀之内聖」 A:ほりのうちさとし (1979年埼玉生まれ東京学芸大から2002年にレッズ入り) Q:1952年にノーヒットノーランを達成した巨人の投手 C:「大友工」 A:おおともたくみ (1925年大阪生まれ1949年に巨人入りし、1953年には最優秀防御率、最多勝利の二冠獲得後に近鉄を経て1968年中日で引退1959~61年まで登録名を大友工司としていた) Q:(問題文不明確)プロレスラーとミュージシャン~ C:「矢口壱狼」 A:やぐちいちろう
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高機能性スポーツウェア・下【こうきのうせいすぽーつうぇあ・した】 「プロ選手御用達」 『4』に登場する装備アイテム(ボトム)の一つ。 『4』では2年目からアイテムショップで購入できる。 値段は70リッチ。 着用すると運動の上昇率を10%アップさせるが、容姿を5Pダウンさせる効果を持つ。 また前田一稀のときめき度がジャージ・下よりも上がりやすくなる。 関連項目 アイテム 高機能性スポーツウェア・上
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アウディスポーツ クワトロ S1 ラリーカー ‘86 Image Credit gran-turismo.com メーカー アウディ 英名 Audi Sport quattro S1 Rally Car '86 年式 1986 タイプ レーシングカーラリーカー カテゴリー Gr.B PP(初期値) 543 総排気量 2,142cc 最高出力 476ps/7,500rpm 最大トルク 48.9kgfm/5,500rpm パワーウエイトレシオ 2.28kg/PS 駆動形式 4WD(35 65) 吸気形式 TB 全長 4,240mm 全幅 1,860mm 全高 1,344mm 車両重量 1,090kg 重量バランス 50対50 トランスミッション 6速 最高速度 XXXKm/h (フルノーマル/フルチューン時) (知らない場合は抜かしてよい) 登場 グランツーリスモ6 備考 ラリー界に四駆革命を起こしたクワトロの最終進化形 概要 無敵を誇っていたアウディが、その優位性を保つために、クワトロA1/2の後継として開発したのが「スポーツ クワトロ」である。 本車は85年のラウンド5より投入された「S1」であり、更に同年のラウンド12に投入された後期型が収録モデルにあたる。 シフトノブに当時最新鋭の装備であったクラッチセンサーがあるセミATをF1の世界よりも早く装備し、ボディはウィング・フェンダー・スポイラーを大型化して空力を重視・強化してあり、その姿はもはや市販車の面影も無いサーキットを走るシルエットフォーミュラのマシンである。 エンジンはミスファイアリングシステムを備えた改良型であり、初期でさえ390馬力、中期はこの476馬力、末期には何と600馬力を超えていた。まさにこのクワトロはグループBの怪物的な進化を象徴するモンスターであろう。 解説 アウディ・スポーツクワトロS1は、1980年代に世界ラリー選手権(WRC)とパイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムで活躍した伝説のラリーマシンだ。 アウディは、1981年にフルタイム4WDテクノロジーをWRCに導入し、ライバルたちを圧倒した。1982年と1984年にはマニュファクチャラーズタイトルとドライバーズタイトルのダブル優勝を果たし、1983年にはドライバーズタイトルを獲得した。クルマは年々改良を続け、1983年の秋にはグループBのホモロゲーション用に2,133ccの5気筒ターボエンジンを搭載したスポーツクワトロを200台販売し、1984年からレースに参戦した。 スポーツクワトロは、ホイールベースを320mm短縮し、ボディはウィング・フェンダー・スポイラーを大型化して空力を重視・強化した特別なモデルだった。1985年のツール・ド・コルスでは、さらに改良されたスポーツ・クワトロS1がデビューした。エンジンの最終出力を599PSまで向上させたほか、シフターにクラッチセンサーを備えた6速セミオートマチックや、フロントスポイラーとリアウイングを備えた空力ボディなどを採用した。この時までに、究極のラリークワトロに成長していた。 同時期にアウディは、WRC仕様のスポーツクワトロS1をヒルクライム仕様に改造し、パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムに参戦した。パイクスピークは、アメリカのコロラド州にある標高4,300mの山で、19kmの舗装されていない道を登るレースだ。アウディは、この過酷な環境に対応するために、エンジンの出力を750PSにまで高めたほか、大型のウイングやダクトを装備した。結果は目覚ましく、1985年にはミシェル・ムートンが女性として初めて優勝し、1987年にはヴァルター・ロールが10分47秒85という新記録を樹立した。 アウディ・スポーツクワトロS1は、WRCとパイクスピークで新たな歴史を刻んだ名車だ。しかし、その強さは一時的なものであり、ライバルたちの追い上げには耐えられなかった。1986年には、プジョーとランチアのミッドシップ4WD車に完全に敗れ、グループBも死傷事故の多発により廃止された。アウディは、グループSに向けて新型のスポーツ・クワトロRS002を開発していたが、これも計画中止となった。その後、アウディはしばらくはWRCに参戦し続けたが、次第に消極的になり、1992年を最後にWRCから撤退した。 アウディ・スポーツクワトロS1は、アウディの4WDの歴史において、最も強力で最も特別なモデルだった。しかし、その強さは一時的なものであり、ライバルたちの追い上げには耐えらなかった。アウディ・スポーツクワトロS1は、WRCの黄金時代の象徴として、今もなお多くのファンに愛されている。 登場シリーズ グランツーリスモ6 Cr.145,000,000で購入。 コメント 名前 コメント すべてのコメントを見る
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QMA6 スポーツ ページ1
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(投稿者 Cet) 少女は夕陽を受けて微笑んでいた。 少女とトリアは、夕焼けの橋の、一方の終端の近くに佇んでいた。 二人は、お互いの表情を見遣りながら、現実との距離を推し量ろうとしているようだった。 そしてトリアの表情は、懸念が破れ、何かを考えることができないようだった。それに対して、少女は笑みを浮かべている。 ポーズとしての笑みだ。 「どうする? なんだか、興がそがれちゃったみたいだけど」 少女は言う。否定的な色は、抑制されているものの明白であった。 トリアはそれに何かを答えることができないでいた。夕焼けの橋の上で、夕日を背負って、それでいて二人は佇んでいた。 沈黙を振り切るように、少女が俯く。 「ごめん、今日のところはもう」 トリアが微かな悲壮を表情に浮かべる。でもやはり何も言いだせない。 「はい」 「また、今度」 少女は、橋を渡っていく。 トリアはそこにとどまっていて、動き出すことができないでいた。 そして少女は、トリアから背を向けて離れていった。橋の傾斜が再び動き出して、二人の間はどんどんと開いていく。やがて、お互いの姿を見れないくらいに二人の距離は開いていった。その頃になって少女が走り出した。 奥歯を強く噛み締めて、その目は何かを探していた。 走っていく。その足先は自宅へと向いている。 夕焼けの道を、少女は走っていた。この時刻において、下校路は彼女以外に児童の姿はなかった。彼女は走っていた。息が切れる。 足元がおぼつかなくなって、走るのをやめた。そのまま惰性で数歩を進むと、もう走れなくなったのか膝に手をついて前かがみになった。 呼吸の間隔はひどく短い。少女は何か声にならない声を上げる。呻き声のように、その声は響いた。 何かを喋ろうとするのだが、それは声にならなかった。 切迫した呼吸だけが夕焼けの時間を満たしている。そして、少女は顔を上げた。何かを決意しているような顔だった。しかし一瞬でその表情は崩れてしまう。どこか、頼りなさげな表情へと一転してしまう。もとより少女にどうしようもないことなのだ。自分の記憶のありかについて考えることは、そもそも少女の能力の範疇を越え出ていた。 口元だけが、声なくして動いた。それは問いだった。一体どうして、という疑問が口を突いた。 結局、少女はそこで数分か、それ以上の時間を立ちつくしていた。 どこに進めばいいのか分からなくなっていた。 それでも動き出す。少女は一歩を踏み出して、時間の流れに忠実になろうとしていた。ただ、その目には不信があった。現実に対する不信だった。 一体どうして、という問いに対して、回答者は一人もいない。少女自身がその問いに答えることもできたが、しかし有力な回答が彼女にできるはずもなかった。分かり切ったことだった。 少女は歩いていた。 夕焼けの道を歩いて、自宅の前まで来ていた。 少女はそこで立ち止まっている。 自分の家の戸をくぐることができないでいる。少女の目には、不信と、それ以上の不安が浮かんでいた。世界との接点が急激に揺らいでいた。 導き出された暗唱によって、これまでに彼女と繋がっていたあらゆるものが彼女に対して疎遠なものに変貌していた。 彼女は、結局玄関をくぐった。 まだ、夕日はその片端を世界に残している。 ただいま、という響きすら、反響の中で疎遠さを増していくよう。 おかえり、という響きは、彼女の中に冷たい反応を残した。本当に帰ってきてよかったのだろうか? 彼女の中に、一つの問いを発させた。勿論、有力な回答などなかったけれど、少女はその問いに対して否定的な面持ちで眺めていた。 少女はまず廊下につっ立っていて、歩き出した。リビングへと向かった。 玄関から連なる廊下をくぐって、そしてリビングに辿り着く。キッチンの方から水音が聞こえる。鼻歌も。勿論その響きは疎遠だった。 しかし、どこか少しだけ、少女は懐かしさにも似た感覚を覚える。 ほんの少しだけであった。 少女はリビングのソファに腰掛ける。ほとんど腰が抜けたかのような気の抜け方だ。彼女は宙を見つめる。彼女の中で意識が反省を繰り返している。それは、どこへもいけない反復の連鎖だった。ただ、それをやめることができないだけだ。 少女は暫く反省を繰り返していた。過去をただし、その上で自分の接点をいずれでもいいから見出そうとするその行いは、虚しかった。 少女の表情が歪んだ。ほとんど泣きそうなくらいに目元をしかめた。それでも彼女は、それ以上の感情表現を行わなかった。彼女は彼女自身の反省、省察に対して忠実にあっていたのだ。自分の理性が決着を付けるだろう、というひとまずの目途があったのだ。 勿論、それは現状維持を唱える一つの機能的なものに過ぎなかった。考えていれば、考える以上のことをしなくて済むということに過ぎなかった。少女は再び泣きそうな表情になる。しかしその時にはっと、母がリビングへと足を向ける気配を敏感に察して、彼女は自分の頬を撫でた。 母がリビングに姿を現した。濡れた手をエプロンで拭きながら、微笑んでいた。 キッチンとリビングの境目に彼女は立って、遅かったね、と言った。 「うん」 何でもないことのように少女は言う。だめだ、と思う。誤魔化しきれないのだ。 ただの沈黙が、夕日に照らされて少しだけ色合いを変えた。母は表情を変えないまま立っていた。 「何かあったの?」 そして問いがあった。 だから少女は少しだけ、かなわないな、と思いながら、自分の返答を、出るに任せた。 「うん」 娘の肯定に母は少し視線を下げて、ほんの少しの間にその相槌を様々な角度から考察した。 それから視線を上げる。 「何が?」 少女は答えなかった。中立的な表情をして、相手の促しを待っていた。 母は微笑んだ。しかし、それすら、微かな疎遠さを少女に感じさせた。少女は、少しだけ悲しそうな表情をした。隠せなかったし、隠す必要も、それほどないのだ。母の嘆息。少しだけ親密な雰囲気の嘆息だ。母がようやく、リビングに完全に足を踏み入れる。フローリングの軋む音がして、母は少女の隣にまでやってくると、ゆっくりとソファに腰かけた。 「質問があるなら、答えるよ」 微笑みを携えながら言う。 少女の曖昧な表情は揺るがなかった。もう先程の微かな悲しみの色は、彼女の表情を去っていた。 少女は無言だった。一分程が経って、母は娘の肩を抱いた。 何よりも、それは回答だった。解答では無いにしても少女の心は震えた。固くなりかけていた心の表層と深層の境目が、少しだけぬくもりを取り戻して、静かに脈打った。 少女は目を閉じて、少しだけ母親に体重を任せた。 母は、娘の髪を優しく撫でた。微かに暖色を帯びた清潔な綿のシャツはすこしだけ温かい。でも、その親密さも、波を立てて引いていく。少女は目を開ける。現実との距離の縮まりを感じている。それでも、普段の現実には及ぶべくもないのだ。 「ねえ」と少女は言う。「なに?」と母は答える。 「私ってどこから来たの」と少女は言う。母は悲しそうな顔をした。思わず娘の肩を強く抱こうとしようとして、それを努力の末に思いとどまった。 どういうこと? と母は言うにとどめた。 「私って、ひょっとしてどこか遠くから来たのかもしれない」という言葉に母は思わず肩を抱き寄せていた。少女は驚いた。シャツの肌触りの、暖かさと清潔さに。「そんなことないよ」と母は目を閉じて言った。 勿論、娘が母の目を見遣っていたからだ。彼女の瞼の下では、目まぐるしく悲しみが行き交っていた。 「ずっとここにいたんだよ」 そう言った。 娘は頷く。 二人は暫くそのままでいて、母が不意に、でもゆっくりと立ち上がった。 「カレーだよ」少女は母を見つめている。 そして、母はキッチンへと一旦は姿を消す。 少女はぼんやりとした視線をキッチンへと送っていたが、やがて窓の方へと向きを変えた。 夜がざわめいているようだった。 彼女は続けてポケットの携帯を意識する。それは、夕暮れ以降まだ一度も震えていない。少女は一つ溜息を吐いた。でも、彼女の指は携帯電話のすべすべとした表面に微かに触れているだけだった。 ◇ 翌日、少女は静かに朝食を取った。父はいつもの通りだった、多弁でも無いが無口でもない父の声が朝食の場に散見された。そして母の声はいつも美しく響いていた。少女はあまり表情を見せなかったが、しかしそれでも、現実に対するアプローチをやめたわけではなく、彼女は彼女なりの努力を続けていたのだ。そして母はその娘の努力を、静かに見守っていた。 少女がいってきます、と言う。父が同じタイミングで玄関を出る、車庫に向かう途中で、父は行ってらっしゃい、という。少女は頷く。 その後ろ姿を見て、父はぽりぽりと短く刈られた頭を掻いた。 少女は歩いていた。昨日のような、躍動というものはそこにない。しかしそれでも、歩いていた。それだけは確かだった。 そして橋の手前の十字路にトリアが立っていた。少女は面喰って立ち竦んだが、すぐに歩き出して「おはよう」と言った。少女はおはようございますと返す。そして並んで歩き出した。 昨日のことは大丈夫です。とトリアは先に言った。少女の胸に現実が近接する。そしてトリアは少女を後ろから抱きすくめた。「な、なに」と慌てて少女が返すと、少女は別に、と笑った。現実が再び親密さを増そうとしていた。 二人は橋の上を歩いていく。二人はお互いに一つのことを考えていた。勿論、それは少女の姿をした幽霊のことだ。 そしてそれはただの幽霊ではないかもしれない。 「あれから何か分かりましたか」 そうやって話は切り出された。 「母親がちょっと変な様子だった」 「えーと」 「私はどこから来たんだろう、って言ったら抱きしめられた」 「どういうことでしょうね」 「さあ」 小気味良いやりとりは颯爽と終わりを告げた。そして二人は再び無言になり、歩いていく。 少女が不意に頭を上げて、隣のトリアを見遣った。 「ひょっとしたら、私、あの家の子じゃないのかもしれないね」 「な、何でそう思うんですか」 だって、と言いかけて少女は口をつぐんだ。だっても何も、明白に近い事実であるように思えたからだ。知らない記憶と、幽霊。ただあの家の娘として生まれただけでは勝ち得ない筈の運命。 むしろこの世界の住人ですら無いのではないか、と考えることの方が自然とすら思えるのだ。 「トリア」 「はい」 呼びかけたまま、会話に展開は無かった。 トリアは黙って寄り添っているだけだ。 ゆっくりとした歩調が続いていた。 ◇ いつもの十字路まで来ると、放課後の約束をした上で二人は別れた。少女は自分の学校への道のりを行く。橋のふもとの十字路を左に折れて、二、三分歩けばすぐに学校へと着くのだ。 何かが変わろうとしているのだ。それは少女にも分かっていた。でも、何がどう変わるのか、そもそもそれが分からなかった。さらに言うならば、少女には自分自身が何者であるかということすらも分からないのだ。親に聞けるような状態でもないし、どうすればいいのか少女には皆目見当が付かなかった。 「おはよう」 そんな状態の背中に友人が声を掛けた。 黒い髪を後ろでくくった少女。黒いセーターに、暗色のワンピースという服装だった。 「おはよう」、と少女が返すと、友人の表情は曇った。少女はその反応を見て、何を言っていいのか分からなくなる。 「あのね、シーアちゃん」 「うん」 「何か悩んでる?」 「いいや」 「嘘」 「嘘だけど」 母親にもばれるわけだった。 ポーカーフェイスを気取っているわけではないが、表情がそうめまぐるしく変わる性質ではないのは確かの筈だ。 「ねえ、聞いていい?」 少女は、友人に尋ねる。友人は声に出さず仕草で促した。 「何で分かるの?」 「何でって、分かるに決まってるよ。 だって、すごい困ってそうな顔してるから」 知らず少女の眉が寄った。 「そうかな」 「そうだよ」 「でも、大丈夫」 「そう、よかった」 友人が笑うのを見て、少女も笑う。 共に校門をくぐった。 それから授業を経ると、少女は教室を出て行くことにする。その中で、教室の中から心配そうな視線が飛んでくるのは少女にもよく分かった。そちらの方を向いてじゃあね、と言って、笑顔の応酬をした後で十字路へと向かった。 十字路へと向かう途中には特に何かを考えることはない。考えても、結局のところ無駄だからだ。今自分が何かを考えたところで、何かが変わるというわけでもない。だから、少女は朝の悩ましい表情などすでに去った後のように歩いた。 少女が十字路に着いたとき、トリアは既にそこで待っていた。 「お待たせ」 「待ってませんよ」 そう言ってトリアは微笑む。彼女の笑みはどこかしら雰囲気を穏やかにした。 「さて、これからどうしますか?」 トリアの問いに対して、少女の返答には迷いが無かった。 「貴方の学園に行ってみましょう……でも、今から行って大丈夫かしら?」 その問いにトリアは首を振る。 「大丈夫です、保証します」 「じゃあ」 二人はそして同じ道を歩き始める。 ◇ 学園に辿り着くまでには十分と少しほどの時間があれば足りた。そして少女はその建造物を見上げた。白い壁、並ぶ窓、特に目立つようなもののない普通の学校だ。 少女はトリアと共に、正面の玄関から校舎の中に入った。静かだった。ふと耳を澄ませても、微かな喧騒がよぎるだけで、少なくとも校舎の中に人の気配は感じることができなかった。 二人は廊下を歩く。トリアが向かう場所は多分、例の第三教棟の四階とやらだろう。 「部活とかは?」 その中で少女は不意に聞いた。 「はい?」 「ひどく静かだけど」 「さあ……そういえば、そうですね」 二人は歩いている。 遠くから、微かな喧騒が聞こえていた。子供がはしゃいでいるような、まるでそれは――。 「なんだろう、なんだか懐かしい感じ」 「そうですね、私も、そう思います」 トリアも同意して、頷く。歩く。トリアが廊下の左手の階段を上っていく。少女もそれに続く。既に夕焼けに差し掛かっていて、踊り場は窓から差し込んだ夕日によって微かな赤を帯びていた。比重の感じられそうな、踊り場の空間をすっとすり抜ける。 何かをすり抜ける。何かがそこにはある。 少女は踊り場を抜けて、階段を上る。同じく階段を上るトリアは何も気にしていないようであった。 「なにかがおかしい気がする」 「そうですか?」 何気ない答えだった。 「ちょっとだけ空気が重い」 「確かに、気楽だとは言えないですね」 そう言ってトリアは微笑んだ。 少女は釈然としないような表情で歩く。 階段を上って、三階にまで着いた。 トリアはそのまま四階を目指さず、廊下へと足を向ける。 「ここから、渡り廊下を使って第三教棟にいきます。それから四階に行きましょう」 「ええ」 少女は頷いた。 二人は廊下を歩いていく。 今のところ、何もおかしなところは無かった。渡り廊下を歩く際に、少女は窓から自分が入ってきた校門の方を見遣ったが、人の姿は無い。静かな放課後だった。ただ時折、どこかから楽しげな笑い声が聞こえてくる以外には、何も無かった。 渡り廊下を通り過ぎると、眼前の階段の前でトリアは立ち止まった。当然少女も立ち止まって、その表情を仰ぐ。少しだけ緊張しているようだ。唇を結んで、目を見張っている。 「いきましょう」 トリアの声に、少女は頷いた。 階段を上る。比重のある夕日が、踊り場を同じように埋めている。彼女はその赤い空間を通り過ぎる。何もおかしなところは無かった。ただただ、すこし空気が重いだけだった。静寂がそうさせるのかもしれないというだけだ。 静寂の中で、踊り場で折り返して、四階への階段を上る。 足音が響く。少しだけリズムのずれた、二組の足音が階段を踏みしめて、そして四階へと辿り着いた。 階段から左を見遣ると、そこは行き止まりで、右手の方向に廊下が続いていた。 トリアが右手の方を眺めている。夕焼けが廊下のせまい空間を満たしていた。歪んでなどいない。光は平等に視界を満たしていた。 トリアが歩く、少女のことを気にしている様子は無かった。ただ自分の記憶に引きずられるように――もう一人の少女を探していた。 少女はその後ろ姿を眺めている。何故か足が動こうとしなかった。 ふと、少女はトリアの左側に目を遣った。扉だ。 何度も目にしてきた引き戸ではなくて、両開きの鉄の扉だった。 ◇ 「やっぱり、誰もいませんね」 赤い光を目に映しながら、表情らしい表情もなくトリアは呟く。 「戻りましょうか」 微笑みを顔に浮かべて、振り向いた。 誰もいない。 きょとんとした表情で、シーアさん、と呼びかけた。 どこか緊張した様子で、彼女は一歩を踏み出した。 がちゃん、と扉を閉めると、部屋の中は真っ暗だった。 少女は歩いていく。後ろを振り返る気は起こらなかった。広い部屋だった。窓が開いているのか、どこかから風が吹いた。少女は歩いていく。足の裏に土を踏み締める感覚があった。 少女は歩いた。風の音に混じって、何かがかさかさと揺れていた。多分、草か何かのゆれる音だった。 それから彼女は上を仰いだ。 何も見えなかった。暗かった。それでいて彼女は歩いていく。土の感覚、そして地面には傾斜が掛かっていて、僅かに上り坂になっていた。彼女は歩いた。 数歩も歩かない内に、微かな灯りを正面に覗うことができた。そこには切り株が一つあった。一人の少女がいた。地面に腕を突いて、項垂れていた。 その少女に向かって、歩いていく。 地面を踏み締める音が、かさ、かさ、と響いたけれど、項垂れた少女がこちらに気付くような様子はなかった。微かな光のもとに進み出る。そこは森の中にある一つの広場だった。そして、その少女の眼前に立って、ようやく、彼女は顔を上げた。 ぼんやりとした様子で、焦点の合わない瞳で、少女はこちらを見ていた。 青い瞳。 赤と白の軍服。肩には勲章と思しきエンブレムがあった。 でもそれは、間違えようもなく、少女自身だった。
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