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1982年 1983年 1984年 1985年 1986年 1987年 1988年 1989年 1990年 1991年 アビスⅡ~帝王の涙~ 青い宇宙の冒険 アステカ ウィル (WILL) エルドラド伝奇 カムイの剣 軽井沢誘拐案内 クリティカル・マス ザ・カウント 白と黒の伝説(百鬼編) 白バラ連続殺人事件 セイバー タイムゾーン 探検隊第二弾 ~魔境アマゾンの奥地に黄金伝説を見た~ デゼニワールド 道化師殺人事件 ナナちゃんのスター誕生 NEW GODZILLA はーりぃふぉっくす バルトラッド (VAL TRAD) ファンハウスミステリー マスカレイド 魔法の泉 モリコ脅迫事件 ランギスタンからの脱出 リングクエスト 1982年 1983年 1984年 1985年 1986年 1987年 1988年 1989年 1990年 1991年
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1985年5月11日 イギリス・イングランド・ウェスト・ヨークシャー州ブラッドフォード(Bradford)にある バリーパレード(Valley Parade)サッカー場で地元のBradford CityとLincoln Cityが 試合を行っていたところ、ハーフタイムの5分前に突然スタンドから火柱が上がります 火は瞬く間に木製のスタジアムの屋根に燃え移り、初期消火が不可能な段階にまで延焼します 試合はすぐさま中断され、スタンドにいた観客は一斉にピッチ上に避難します スタンドは炎が急速に拡大し黒煙に包まれ、燃えた屋根が落下、多くの人がパニック状態に陥りました 火災発生から約5分30秒ほどでスタンド全体が炎に包まれ、全焼しました この火災で56人が死亡・250人以上が重軽傷を負いました これは英国のサッカー場火災で最も大きな被害となりました 火災の原因はサポーターの投げた捨てたマッチまたはタバコの火がゴミに燃え移ったためとされています 地元のテレビ局であるヨークシャーテレビの生中継映像です 映像の後半に出てくる火だるまの男性は病院に運ばれましたが、死亡しました この映像は画面にぼやけや乱れがあります、ご了承ください 1985年5月29日 ヘイゼルの悲劇 1985年9月1日 ベルギー・リエージュ州にあるシルキュイ・ドゥ・スパ=フランコルシャン で開催された 85WEC(世界耐久選手権)第7戦ベルギー・スパ1000km オー・ルージュのコーナーでステファン・ベロフ[Stefan Bellof](27歳) のブルン・ポルシェ962Cが前方のジャッキー・イクス[Jacky Ickx] のマシンを追い抜かそうとして、イクスのマシン左後部に接触 ベロフのマシンはイクスのマシンに押し潰されるようにコンクリート壁に 正面から衝突し、マシンは大破・炎上しました 即座に火は消され、20分後にマシンからベロフが救出されましたが、 即死の状態でした ステファン・ベロフについての紹介ページです http //www.f1journal.com/05-007/bellof/bellof_dd.htm http //www.ayrtonsenna.de/bellof.htm ジャッキー・イクスの車載カメラが捉えたクラッシュの瞬間です 映像の後半に前部が大破したベロフのマシンが映ります 1985年10月2日 中国・浙江(セッコウ)省を流れる銭塘江(セントウコウ)で発生した 海嘯(河口に入る潮波が河を逆流する現象)を見にきた見物人2人が 海嘯に飲みこまれ、河に転落してしまいます 周囲にいた人達が即座に救助し、2人は無事でした 開始7分ほどで転落の瞬間と救助の一部始終が映ります
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1984← →1986 1985 ●「きのこの音楽:ジョン・ケージを聴く」、書き下ろし、『ヘルメスの音楽』筑摩書房(水星文庫)、1985 ●「デルヴォー:あらゆる終わりのあと、永遠のクレビュスキュル黄昏の中にたたずむ」、書き下ろし、『ヘルメスの音楽』筑摩書房(水星文庫)、1985 ●「?」、『PLAYBOY』(日本版)1985年1月号 ●「ポストモダン・サイエンスの条件」、『中央公論』1985年1月号「特集=ヒュ-マン・サイエンスを超えて」 ●「虫めずるポップヒーローの時代が来ッたぜ:セイキマチック人間探検」(戸川純・中森明夫との対談か個別インタヴュー)、『朝日ジャーナル』1985年1月11日号「特集=世紀末大研究:あなた、楽しむ?ビビる?寝てる?」 ●「パフォーマンス・ナウ!:あなたは、パフォーマンスで何を表現したいのですか」本誌シンポジウム誌上再録 下(上の記事の続き?)、『朝日ジャーナル』1985年1月25日号 ●「Endless ミニマルミュージックからポスト・ミニマルへ」(細川周平との対談)、『W-Notation』no.1、1985.3、UPU、「特集=生成・パフォーマンス」 ●「ポスト・ミニマル・ミュージックの冒険」(ウィム・メルテンとの対談)、『宝島』1985年3月号 ●「ノン-オプティカル・オプティカル」、『美術手帖』1985年3月増刊号 ●"Le Phénomène A.A.", (propos recueillis par Pierre-Maurice Aubry), Magazine Littéraire, no.216-217, mars 1985, pp.40-41. ※こちらで転載原文を読むことができる。 ●「ポスト・ポスト・モダン」、『小説月光 創刊号』1985.3 ●「マンダラを破れ:パリで語った日本」(講演記録)、『朝日ジャーナル』1985年4月12日号 ●「社会科学における求心と遠心:伝統の保守と解体」(西部邁との対談)、『理想』no.623、1985年4月号「特集=経済学の現在」 ●アンケ-ト回答「私がすすめる3冊」、『経済セミナー』no.363、1985年4月号 ●「迷路がすべて水路だったら‥‥‥」、坂本龍一編『音楽図鑑 エピキュリアン・スクールのための』本本堂/冬樹社、1985.4:album『音楽図鑑』と同時期に出されたコンセプトブック。 ●「昆虫の音楽」、坂本龍一編『音楽図鑑 エピキュリアン・スクールのための』本本堂/冬樹社、1985.4:album『音楽図鑑』と同時期に出されたコンセプトブック。 ●「セル・オートマトン」、坂本龍一編『音楽図鑑 エピキュリアン・スクールのための』本本堂/冬樹社、1985.4:album『音楽図鑑』と同時期に出されたコンセプトブック。 ●「図鑑‥‥‥エピキュリアン・スクールのための」、坂本龍一編『音楽図鑑 エピキュリアン・スクールのための』本本堂/冬樹社、1985.4:album『音楽図鑑』と同時期に出されたコンセプトブック。 ●「日本語版への序」、ウィム・メルテン『アメリカンミニマル・ミュージック』細川周平訳、冬樹社、1985.5 ●「軽薄短小文化のあとに来るものは何か」(講演記録)、新自由クラブ政策委員会編『月刊新自由クラブ』1985年5月号 ●「テクノ少年の万博「遊園地」探検:明日から役立つ実戦ガイド!」(野々村文宏との対談)、『朝日ジャーナル』1985年5月10日号 ●書評「宇野邦一『意味の果ての旅』」、『中央公論』1985年5月号 ●「おしゃれな会話したい!だから、知っておきたいアイテム250 アイテムは知的記号か」(田中康夫との対談)、『Marie Claire』1985年5月号 ●「砂漠のポップス」、『6月の風』1985年6月号 ●「舞踊するセリー」、『フロマンジェ展カタログ』フジテレビギャラリー、1985 ●「軽薄短小文化のあとに来るものは何か 承前」(講演記録)、新自由クラブ政策委員会編『月刊新自由クラブ』1985年6月号 ●「いま『若者』は『小学生』だ -とんねるず、一気!-」、『Studio Voice別冊'85 勉強堂』1985.7 ●序文「差異果ての都市を歩くためのハンディなマニュアル」、ぼくらはカルチャー探偵団編『知的新人類のための現代用語集 第1版』角川書店(角川文庫)、1985.7 ●「[独立寸前!?関西的"ノリ"の探究] ”最底人“の開き直り笑殺パワーを」(毛利嘉孝・岡匡一・船門洋子・池田哲也との座談会。いずれも学部生)、『朝日ジャーナル』1985年8月23日号、pp.99-103. ●「アイロニーの終焉」(磯崎新との対談)、『現代思想』1985年8月号「特集=ディコンストラクション」 ●書評「柄谷行人『内省と遡行』」、『群像』1985年8月号 ●「ヴェネツィア・ノート」、『現代思想』1985年9月号「特集=ミシェル・セール」 ●「フローティング・オペラ」(坂本龍一との対談)、『WAVE』no.3、1985.9、「特集=オペラ」 ●「線と色彩の旅」(Gérard Fromangerへのインタヴュー)、『ユリイカ』1985年10月号「小特集=フロマンジェ」 ●「[浅田彰のブックインタビュー]西部邁『幻像の保守へ』にひそむ保守の実像。」、『広告批評』no.76、1985年10月号 ●「〈オリエンタリズム〉をめぐって」」(柄谷行人との対談)、浅田彰・伊藤俊治・四方田犬彦責任編集、『GSたのしい知識』vol.3、1985.10、「特集=千のアジア」〔→改題「オリエンタリズムとアジア」、『ダイアローグIII (1984-1986)』第三文明社、1987.1.〕 ●「ナム・ジュン・パイクへの質問」(四方田犬彦とともに執筆したナム・ジュン・パイクへの質問書簡とパイクによる返答書簡が、インタヴュー式に構成されている)、浅田彰・伊藤俊治・四方田犬彦責任編集、『GSたのしい知識』vol.3、1985.10、「特集=千のアジア」→『ダイアローグIII (1984-1986)』第三文明社、1987.1. ●「クレークリスタル」、『現代世界の美術ART GALLERY 13 KLEE』集英社、1985.10 ●「流転するカオスとコスモス」(宇敷重広との対談)、『WAVE』no.4、1985.11、「特集=マシナリー・イマジネィション」 ●「序;密室を出るアート」、畑祥雄『西風のコロンブスたち 若き美術家たちの肖像』ブレーンセンター、1985.11 ●「ノンジャンル ベスト60」、ぼくらはカルチャー探偵団編『読書の快楽 ブックガイド ベスト1000』角川書店(角川文庫)、1985.12 ●「序文 クロソウスキー/ドゥルーズを読む」、ピエール・クロソウスキー、小島俊明訳『バフォメット』ペヨトル工房、1985.12 ●「発光の少女」、『毎日グラフ独特別冊 活人』創刊号、1985.12、「創刊快特集=少女光線」 ●「ポスト・メディア時代への展望」(Félix Guattari・粉川哲夫との座談会)、 『朝日ジャーナル』1985年12月27日号「新・政治状況論」 ●「[浅田彰のブックインタビュー]貧乏人は蓮實重彦を無視すべきである。」、『広告批評』no.78、1985年12月号 ●「TV EV MANIFESTO」、坂本龍一+ラディカルTV/浅田彰『TV WAR』CBSソニー、1985.12〔→『GS たのしい知識』第II期vol.5W、1987.4、浅田彰・武邑光裕責任編集「特集=電視進化論」[TV進化論 TV EVOLUTION]、pp.2-3に一部再録〕 1984← →1986
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1984← →1986 5月、河出書房新社から『闘争のエチカ』刊行。5月、作品社から『ポスト・モダニズム批判』刊行。5月、講談社から『内省と遡行』刊行。10月、トレヴィルから『批評のトリアーデ』刊行。11月、『マルクスその可能性の中心』で亀井勝一郎賞受賞。 代表的論文:「探究」「テクノロジー」 ●「探究(第一回)」、『群像』1985年1月号 →『探究I』講談社、1986.12→講談社学術文庫、1992.3 ●「無作為の権力」、『文芸』1985年1月号 →『批評とポスト・モダン』福武書店、1985.4→福武文庫、1989.1 →『差異としての場所』講談社学術文庫、1996.6 ●「テクノロジー」、『朝日新聞』1985年1月8日号 →『批評とポスト・モダン』福武書店、1985.4→福武文庫、1989.1 →『差異としての場所』講談社学術文庫、1996.6 ●「阪神はなぜ優勝できないか」、『東京タイムズ』1985年1月17日号→山口昌男編『越境スポーツ大コラム』TBSブリタニカ、1987.3 ●「漱石の多様性」(1985.2.27.川口市栄町公民館にて川口私立前川図書館主催の講演)、『言葉と悲劇』第三文明社、1989.5→講談社学術文庫、1993.7 ●「日本文化の系譜学」執筆〔trad. par Ryoji Nnakamura(中村亮二), «Généalogie de la culture japonais», Magazine littéraire, no.216-217, mars 1985〕、『海燕』1986年1月号、福武書店 ●「探究(第二回)」、『群像』1985年2月号 →『探究I』講談社、1986.12→講談社学術文庫、1992.3 ●「探究(第三回)」、『群像』1985年3月号 →『探究I』講談社、1986.12→講談社学術文庫、1992.3 ●「プロ・スポーツは国境をこえる」、『東京タイムズ』1985年3月14日号 →山口昌男編『越境スポーツ大コラム』TBSブリタニカ、1987.3 ●「物語をこえて」、『国文学 解釈と教材の研究』1985年3月号「特集=中上健次と村上春樹:都市と反都市」 →改題「今ここへ:中上健次」、『批評とポスト・モダン』福武書店、1985.4→福武文庫、1989.1 →『坂口安吾と中上健次』太田出版、1996.2→講談社文芸文庫、2006.9 ●「この大変な時代を解読む」(中上健次・村上龍との座談会、1984.10.第1回UPU Street Fighting Talkoutにて)、『W-Notation』no.1、1985.3、UPU →『文藝別冊 中上健次』河出書房新社(KAWADE夢ムック)、2002.8 ●「探究(第四回)」、『群像』1985年4月号 →『探究I』講談社、1986.12→講談社学術文庫、1992.3 ●「あとがき」(1985.3.18.記)、『批評とポスト・モダン』福武書店、1985.4→福武文庫、1989.1 ●「政治と文学にかんする諸命題」、『杼』no.4、1985.4、エディションR ●「探究(第五回)」、『群像』1985年5月号 →『探究I』講談社、1986.12→講談社学術文庫、1992.3 ●「批評における盲目と明視」(加藤典洋との対談)、『文芸』1985年5月号 →改題「自己免疫・エイズあるいは異物の肯定」、『ダイアローグIII 1984-1986』第三文明社、1987.1 ●「連合赤軍事件について」、『ポスト・モダニズム批判』作品社、1985.5 ●「あとがき」(1985.3.記)、『内省と遡行』講談社、1985.5→講談社学術文庫、1988.4 ●「転回のための八章:「探究」からの抄録」、『内省と遡行』 1985.05.31 講談社 ●「言葉と悲劇」(1985.5.15.青山女子短期大学にて日本シェイクスピア学会主催の講演)、『言葉と悲劇』第三文明社、1989.5→講談社学術文庫、1993.7 ●「探究(第六回)」、『群像』1985年6月号 →『探究I』講談社、1986.12→講談社学術文庫、1992.3 ●「[シリ-ズ・戦後文学とは何か]共同討議 「戦後文学」は鎖国の中でつくられた」(青野聰・中上健次・坂本龍一との座談会)、『文學界』1985年6月号 →高澤秀次編『中上健次[未収録]対論集成』作品社、2005.12 ●「『幻の男たち』について」(浅川マキとの対談、1985.6.6.)、浅川マキ『幻の男たち』付録冊子、講談社、1985.6 ●「文学の〈外部〉」(岩井克人との対談)、『海燕』1985年7月号 →『ダイアローグIII 1984-1986』第三文明社、1987.1 ●「探究(第七回)」、『群像』1985年7月号 →『探究I』講談社、1986.12→講談社学術文庫、1992.3 ●「パラダイム論と言語ゲーム」(大森荘蔵・野家啓一との座談会)、『現代思想』1985年7月号「特集=パラダイム論以後:科学的真理と相対主義」 ●「文庫版へのあとがき」(1985.6.15.記)、『マルクスその可能性の中心』講談社文庫、1985.7 ※学術文庫版には掲載されていない。 ●「戦後文学の「内部」と「外部」」(中野孝次・秋山駿・中上健次との座談会)、『文學界』1985年8月号 →高澤秀次編『中上健次[未収録]対論集成』作品社、2005.12 ●「探究(第八回)」、『群像』1985年8月号 →『探究I』講談社、1986.12→講談社学術文庫、1992.3 ●「アジア・ブームの中で:日本オリエンタリズム」、『読売新聞夕刊』1985年8月13日号 ●「探究(第九回)」、『群像』1985年9月号 →『探究I』講談社、1986.12→講談社学術文庫、1992.3 ●「[シリ-ズ・戦後文学とは何か] 「政治化した私」をめぐって」(大岡昇平との対談)、『文學界』1985年9月号 →『ダイアローグIII 1984-1986』第三文明社、1987.1 ●「解説」(1985.7.記)、夏目漱石『それから』新潮文庫、1985.9 →改題「『それから』」、『漱石論集成』第三文明社、1992.9→『増補 漱石論集成』平凡社ライブラリー、2001.8 ●「探究(第十回)」、『群像』1985年10月号 →『探究I』講談社、1986.12→講談社学術文庫、1992.3 ●「〈オリエンタリズム〉をめぐって」(浅田彰との対談)、『GS』vol.3、1985.10、浅田彰・伊藤俊治・四方田犬彦責任編集「特集=千のアジア」、冬樹社 →改題「オリエンタリズムとアジア」、『ダイアローグIII 1984-1986』第三文明社、1987.1 ●「解説」(1985.8.記)、夏目漱石『三四郎』新潮文庫、1986.2 →改題「『三四郎』」、『漱石論集成』第三文明社、1992.9→『増補 漱石論集成』平凡社ライブラリー、2001.8 ●「阪神優勝を「哲学」する:マゾを突き抜けた倒錯が「想像力の危機」に襲われる日」(高橋源一郎・渡部直己との座談会)、『朝日ジャーナル』1985年10月18日号 ●「阪神優勝の今後」、『東京タイムズ』1985年10月24日号 →山口昌男編『越境スポーツ大コラム』TBSブリタニカ、1987.3 ●「探究(第十一回)」、『群像』1985年11月号 →『探究I』講談社、1986.12→講談社学術文庫、1992.3 ●「他者に教えることまたは〈言語ゲーム〉の共有」(木村敏との対談)、『現代思想』1985年11月号「増頁特集=教育のパラドックス」 →改題「〈他者〉そして〈言語ゲーム〉の共有」、『ダイアローグIII 1984-1986』第三文明社、1987.1 ●「江戸の注釈学と現在」(1985.11.1.早稲田大学にて早稲田大学文学研究会主催の講演)、『言葉と悲劇』第三文明社、1989.5→講談社学術文庫、1993.7 ●「語ることと教えること:ウィトゲンシュタイン論」、『現代思想』1985年12月臨時増刊号「総特集=ウィトゲンシュタイン」 ●「探究(第十二回)」、『群像』1985年12月号 →『探究I』講談社、1986.12→講談社学術文庫、1992.3
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1985年生まれ 満年齢で36歳になる年 1月17日:カンイン?(Super Junior) 2月14日:イ・ヘリ?(Davichi) 9月28日:シンドン?(Super Junior) 今日 - ; 昨日 - ; 合計 - ;
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1985年TV出演データ ラジオ出演データ TV出演データ 番組名 放送局 放送日 放送された曲 備考 Do Up 歌謡テレビ テレビ朝日 85.02.17 誘惑のベルが鳴る Do Up 歌謡テレビ テレビ朝日 85.02.24 オンリー・ロンリー LIVE G TBS 85.03.29 スティーリン / 誘惑のベルが鳴る / オンリー・ロンリー 憂歌団と共演 3時にあいましょう フジテレビ 85.03.31 チャゲ婚約会見 85 POPCON 30th つま恋本選会 フジテレビ 85 C Aゲスト さんまのまんま フジテレビ 85.06.17 C Aゲスト ヤンヤン歌うスタジオ テレビ東京 85.07.10 THE 地球CONCERT LIVE AID フジテレビ 85.07.12 棘 「アフリカ難民救済」を目的として、1985年7月13日に行われた、チャリティー・コンサートに参加。 アイドル歌手大集合 ―第3編― アナログ衛星第1 85.08.25 標的(ターゲット) 吉川 晃司,早見 優,菊地 桃子,倉沢 淳美,荻野目洋子 夜のヒットスタジオDELUXE フジテレビ 85.11.20 ボヘミアン NEW AGE MUSIC テレビ東京 85.12.20 誘惑のベルが鳴る / ボヘミアン / マリア(Back To The City) / MOON LIGHT BLUES / Darlin NEW AGE MUSIC テレビ東京 85.12.27 東京CARRY ON / TWILIGHT ZONE / オンリーロンリー / 熱い想い / あの娘にハ・レ・ル・ヤ 年末特別企画・大晦日チャリティースペシャル 世界紅白歌合戦 フジテレビ 85.12.31 ボヘミアン 衛星中継で欧米の国際的アーティストが続々登場、日本の人気ミュージシャンと歌の競演を繰り広げる。ステージはホノルル、ロサンゼルス、ロンドン、東京などに設置。同時にチャリティー活動を繰り広げ、収益金はアジア・アフリカの恵まれない子供の救済などにあてる。 ラジオ出演データ 番組名 放送局 放送日 放送された曲 備考 ニュー・サウンズ・スペシャル NHK-FM 85.04.06 オンリー・ロンリー / マドンナ / 棘 / 標的(ターゲット) / 誘惑のベルが鳴る / ボヘミアン Lo-D LIVE CONCERT TOKYO-FM 85.06.15 標的(ターゲット) / 誘惑のベルが鳴る / オンリーロンリー / 夢のかなた / マリア(Back To The City) / 棘 / TWILIGHT ZONE / MOON LIGHT BLUES スタジオライブ MC,井上尭之 チャゲ 飛鳥 THE夏祭り 85 小戸 TWILIGHT ZONE FM福岡 85.07.27 SHAKIN NIGHT / 標的(ターゲット) / マリオネット / 万里の河 / オンリーロンリー / 星屑のシャンデリア / 終章(エピローグ) / 熱い想い / マリア(Back To The City) / 棘 / TWILIGHT ZONE / ひとり咲き 85.7.27 福岡市西区小戸公園で開かれたTHE夏祭り 85の模様
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1985年 全15枚 アサヒエンペラーSP66 逃D先B差A追G 芝◎ダ× 1700-3500 パS柔S精B賢A 普通 早め カツラギハイデンSP66 逃G先B差S追G 芝◎ダ× 1000-1800 パA柔A精B賢B 普通 早熟 スーパーショット ダイシンフブキ ダイナアクトレスSP67 逃G先B差S追B 芝◎ダ× 1200-2200 パA柔A精A賢A 荒い 早め ダイナガリバーSP72 逃D先S差B追G 芝◎ダ× 1800-3200 パS柔A精A賢A 普通 早め ダイナコスモス ダイナフェアリーSP65 逃B先A差C追G 芝◎ダ× 1500-2300 パS柔B精A賢S 荒い 早め ニッポーテイオーSP73 逃B先S差G追G 芝◎ダ× 1300-2300 パS柔A精A賢S 大人 遅め フレッシュボイスSP70 逃G先G差C追S 芝◎ダ× 1400-2400 パS柔A精S賢B 普通 早め ポットテスコレディSP64 逃G先B差A追E 芝◎ダ× 1200-2200 パS柔A精A賢S 普通 遅め メジロデュレンSP68 逃G先B差S追D 芝◎ダ× 1800-3200 パS柔A精A賢A 普通 早め メジロラモーヌ ラグビーボール ランニングフリーSP66 逃G先A差B追C 芝◎ダ△ 1700-3300 パS柔S精A賢B 荒い 遅め 1983年度 / 1984年度 / 1985年度 / 1986年度 / 1987年度 1988年度 / 1989年度 / 1990年度 / 1991年度 / 1992年度 1993年度 / 1994年度 / 1995年度 / 1996年度 / 1997年度 1998年度 / 1999年度 / 2000年度 / 2001年度 / 2002年度 2003年度 / 2004年度 / 2005年度 / 2006年度 / 2007年度 2008年度
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第4戦 モナコGP(モンテカルロ) 決勝 [初] Part18(173) R.パトレーゼ と N.ピケ が、接触からクラッシュ。 formula 1 Montecarlo 1985 crash between Piquet and Patrese (YouTube) ‥ 削除済み Monaco_1985_Crash_of_the_year_Piquet-Patrese (YouTube) ‥ 削除済み ( ´・ω・)y━・~~~ この記事は更新待ちです。 第10戦 オーストリアGP(エステルライヒリンク) 決勝 [初] Part3(350) A.デ・チェザリスが、パノラマコーナーで単独スピン、コースアウト。 マシンが芝生の上で何度も横転したが、ドライバーは無事であった。 F1 Crash (YouYube) 最終戦 オーストラリアGP(アデレード) 決勝 [初] Part38(371) N.ラウダ(McLaren MP4/2B) 最後のレース、56周目にトップのA.セナを抜き先頭に立つが、58周目の単独クラッシュにより完走で終えることが出来なかった。 ( ´・ω・)y━・~~~ この記事は更新予定です。