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ドデスカ君 どですかくん (代)鉄道マニアのこと。元ネタは黒沢明の映画「どですかでん」。鉄道好きな画伯を扱っている。
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映画。 主役:松本潤。 2008年5月公開予定。 同名の黒沢明監督作品をリメイクする。
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249 名前:|=^薔^)総裁 ◆KATAQiXexI [sage] 投稿日:2011/10/03(月) 22 31 29.77 ID jKQ1+4ZfP たそがれの銀座 口座…口座…たそがれの口座~~♪ 歌手:黒沢明とロス・プリモス 作詞:古木花江
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七人の侍 黒澤明の世界・七人の侍 リアルサウンドトラック 発売元・販売元 発売元:東宝レコード 販売元 発売日 価格 2200円(税抜き) 内容 SIDE1 Part1 Part2 Part3 Part4 Part5 Part6 Part7 SIDE2 Part1 Part2 Part3 Part4 Part5 Part6 Part7 備考 ドラマ編。光学フィルムから磁気テープに移し替えて再構成したもの。(解説書より) 黒沢明監修。 黒沢と音楽担当の早坂文雄の作詞による「侍のテーマ」の歌詞付き(使用も録音もされていない)。
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編集(管理者のみ) 1950年 「羅生門」黒沢明40歳 橋本忍32歳 1951年 「麦秋」小津安二郎48歳 野田高梧58歳 「めし」 1953年 「東京物語」 「ローマの休日」 日本でテレビの販売開始。NHKが放送開始 1954年 「女の園」 1956年 「流れる」成瀬巳喜男51歳 1959年 皇太子御成婚中継を機にテレビが普及 1960年 「女が階段を上る時」成瀬巳喜男55歳 菊島隆三44歳 1962年 「放浪記」 1977年 チャールズ・チャップリン 死去 注目点 笠智衆と杉村春子は実は2つしか違わない。「東京物語」しか見ていないと気付きにくい。また「東京物語」は「麦秋」の2年後であり、「東京物語」での笠智衆は老人の役を演じているが、実際にはずっと若く、「麦秋」の姿と殆ど変わらないであろう。 .
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罪深き海辺 題名:罪深き海辺 作者:大沢在昌 発行:毎日新聞社 2009.07.25 初版 価格:\1,700 二つの勢力が対立する地方の閉ざされた町に不意に現われる流れ者。彼が現われた時にすべてが動き出す。 この手の設定ときたら、黒沢明監督『用心棒』であり、ハメットの『赤い収穫(血の収穫)』であり、もちろんクリント・イーストウッドを一躍世界的スターにしたセルジオ・レオーネの黒沢リメイク『荒野の用心棒』であったのだ。 そんな世界に、作家なら誰もが挑みたいのかもしれない。かつて船戸与一が『山猫の夏』で挑んだように、冒険小説の最早大家と言っていいだろう、大沢が挑んだのである。 日本の田舎町ならではの空気が濃厚に出ているが、ちと複雑に絡み合うストーリーを追いすぎたのか、この人の欠点である旅情とか叙情というものの欠如がやはり目立つ感じがした。シミタツあたりがこれを書いてしまうと凄みが出るのだろうけれど、天はそう簡単に作家たちにもニ物を与えない。 モデルとなった海辺の田舎町に全くそぐわないマリーナやリゾートホテルやらに群がる開発業者たち。地元ヤクザと町の有力者たちの暗躍。9年前から現在に至る不振な死の歴史の真相が解き放たれるのは今なのか。アメリカからやってきたわれらが謎の風来坊。彼はこの澱んだ町にどんな波紋を巻き起こすのか。 都会派ハードボイルドの旗手との印象高い大沢としては、とても珍しいタイプの地方都市サスペンス。伝奇小説とまでは現実から離れてゆかないあたりで踏みとどまるところか本書の味噌かもしれない。 (2010.1.24)
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出典 2006年12月16日 読売・編集手帳 戦時中、黒沢明監督がシナリオを書き、映画化されなかった作品に「サンパギタの花」がある。内務省の検閲に引っかかった。自伝「蝦蟇(がま)の油」に書いている ◆登場人物が誕生日を祝うシーンがあり、「米英的で、けしからん」と検閲官に難詰された。天皇陛下の誕生日をお祝いする天長節も米英的ですか? 反論したが、「不可」の決定は覆らなかったという ◆この頑迷な検閲官氏を、戦後の日本人が笑えるかどうかは分からない。かつて米英的なにおいのするものを十把(じっぱ)ひとからげに忌避したように、わずかでも戦前のにおいのするものを自己検閲によって封印してきた戦後の歩みがある ◆「終戦の日の青空のなかに私たちは忘れ物をした」と語ったのは作家の久世光彦さんだった。忘れ物――「国を愛する心」や「国を守る備え」を説く声が、軍国主義の復活だ、戦前回帰だ、という批判にかき消された61年間である ◆戦後の日本は平和のおかげで復興し、いまの繁栄を手にした。誰よりも平和のありがたみを知り、かつての軍国主義が二度と手にしてはならぬ危険な廃棄物であることを知っている。忘れ物探しの旅に出て、廃棄物と忘れ物を混同することはもはやあり得ない ◆教育基本法の改正も、防衛庁の「省」昇格も、自己検閲に別れを告げる一歩だろう。旅の始まりである。
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自宅警備は時間との戦いでもある。 そんな我らの心を癒し、充実した時間を提供してくれる物を みんなで紹介しあうページ。 ニート御用達映画 ショーシャンクの空に 希望とはいいものだ。いいものは決して死なない。 自由であることを教えてくれる名作。 小さな恋のメロディー そんなに長く愛せねぇよ。 タクシードライバー 「暴力・セックス・反体制」のアメリカン・ニューシネマ後期の傑作。 この映画を模倣しようとした事件が、レーガン大統領暗殺未遂事件である。 法廷でこの映画が動機の証明として上映されるという異例の事態となった。 タイタニック リア充どもが喚き叫びながら溺死するメシウマ映画である。 ハルマゲドン 冷静に考えれば宇宙人が隕石に変わっただけではないか? 生きる 黒沢明のヒューマンドラマの傑作。 胃癌で残りわずかの命である事を知った渡辺は今までの人生の無意味さに絶望し、 自らの生きる意味を探そうとするが… コマンドー 奴が生きていればまだ死体は増えるはずだ! 面白い奴だな、気に入った。殺すのは最後にしてやる 容疑者は男性、190cm、髪は茶、筋肉モリモリマッチョマンの変態だ そしたらあたしまで追われる身よ!一体なにがあったのか教えて頂戴!→駄目だ お前は最後に殺すと約束したな。→そうだ大佐、た、助けてくれ→あれは嘘だ どこで使い方を習った?→説明書を読んだのよ! 何が始まるんです?→第三次大戦だ コマンドー!繰り返しますコマンドー! 来いよベネット、銃なんか捨ててかかってこい!→野郎ぉぉブッ殺してやぁぁぁる! まだ誰か残っているか?→死体だけです また会おうメイトリックス→もう会うことはないでしょう
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蟹喰い猿フーガ 蟹喰い猿フーガ (徳間文庫) 題名:蟹喰い猿フーガ 著者:船戸与一 発行:徳間書店 1996.1.31 初版 価格:\2,200 船戸与一には怖ろしく生真面目な作品の一方で、『山猫の夏』に代表されるような、娯楽作品としか言いようのない西部劇調の作品群がある。どちらかと言うと各国の先住民族にほんとうの人民史を見つめてきたような船戸の視線と表現への欲求は、こういう作品になるとかなり薄まり、別の娯楽小説作家としての明るく埃っぽい一面が浮き出てくる。 その娯楽作品群の中でもとりわけ多いのがロード・ムーヴィーならぬロード・ノヴェル。いわゆる複数のいわくありげな人間たちの「道行き」の物語なのだ。『緑の底の底』『黄色い蜃気楼』『炎 流れる彼方』などがそうした作品群だが、とりわけ本作は、そうした娯楽作の中でもスラップスティックな面で際立っていた『夜のオデッセイア』に一番近い。というより、焼き直しとさえ思える。ボクサー崩れは『炎 流れる彼方』以前に『夜のオデッセイア』でも描かれているし、ましてや二人のプロレスラーとなれば『夜のオデッセイア』の今度は女性タッグ版だとでも言わんばかり、オンボロ・リンカーン・コンティネンタルなんていうアメリカ的な巨大車へのこだわりもまた『夜の……』を思わせるではないか。 そういうわけで船戸にしては『蝦夷地別件』などのリキの入った小説の合間の息抜きに、肩の凝らぬ楽しい作品を書きたいだけ身軽に書いちまえ、とでも言った仕上がりになっている、良くも悪くも船戸流の作品なのだと思う。初期作品群に多く見られたこの粗削りのプロットと言い、完全に遊んでいる多くの会話部分と言い、本当に息抜き的な作品で、読者の側もリラックスできて楽しい。思わず吹き出してしまうおかしな場面も多いくせに、しっかりクライマックスに向けて情念が結集してゆく見せ場なんかも、黒沢娯楽映画に向かうように安心感があって頼もしい。 そう言えば黒沢明っていう監督も生真面目な作品と娯楽作品を作り分けている。うまい作り手の手になれば、それなりにいろいろな方向が味わえるということか。 (1996/02/10)
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新宿鮫 風化水脈 題名:新宿鮫 風化水脈 作者:大沢在昌 発行:毎日新聞社 2000.8.30 初版 価格:\1,700 もともとこのシリーズは、ある意味で警察構造の蘊蓄ミステリーとも言えるべき部分も物語とは別に一つの売りでもあったように思う。警察学でなくても、毎巻のように何らかの蘊蓄がこのシリーズの特徴でもあり、作家の執筆の背後の努力がいつも見え隠れしていた。真保裕一などはこの下調べの凄さで有名になっているが、『新宿鮫』シリーズも参考文献の多さではのっけから負けてはいなかった。 本書では、新宿学の教本とも言いたくなるところが目を引く。新宿史における蘊蓄をベースにしているのだ。もちろん新宿鮫シリーズの凄さは、そうした蘊蓄学を利用しながらも、独特のリズム・語り口でもって読者を虜にしてゆくストーリー展開の面白さにある。本書でもドラマチックな母娘の歴史、拳銃を盗まれた警察官(黒沢明映画『野良犬』を思い出していただきたい)のその後の半生など、人間の奥行きに届いてゆくような、ある意味とても大人な物語を紡いでくれている。 ぼくはもともとあまり蘊蓄が好きではないということが前提にあって、どんな本でも蘊蓄でだめになってゆくタイプではある。警察の使命についてあれこれ考えていないとやっていられない鮫島という警部の心情についても、あまりに女々しくて共感できないという鮫シリーズへの一種の反発もある。 逆に言えば、こういう物語については新宿鮫シリーズにしなくても何ら問題がなかった。いやシリーズ読者外も取り込むという意味では、さらに良かったろうにという感覚がどこかに残る。シリーズの功罪というやつかもしれない。鮫島も確かに枯れて来ている。しかし作品そのものも枯れてきているのなら、出版社を変えて違う傾向のシリーズにするよりは、こちらは独自の物語にして、いろいろな警察小説が書ける大沢の多才を世に知らしめたほうがいいような気もしてくるのだ。 (2001.03.18)