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靖国参拝 日本の政治家の間で流行っている度胸試し。 日本版ロシアンルーレット。
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靖国参拝問題とは 靖国神社とは 中曽根首相が参拝を中止した経緯 A級戦犯合祀-松平宮司の言 小泉首相参拝 天皇はA級戦犯合祀されたがゆえに参拝を中止されたのか?- NO 外交カードの一つ 冤罪戦犯の遺書 The intention of PM Abe s visit to the Shrine 米国に失望~鍛冶俊樹の軍事ジャーナル、より~ アメリカの反応・続編 - テレ朝が、でっち上げの靖國報道 中国が靖国参拝を批判しはじめた原因が朝日新聞という説について 「国家の輪郭」としての靖国神社 — 首相の靖国参拝に求められる「論理」について 2014/1/2 川端祐一郎
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靖国参拝問題 すべての起因は朝日新聞の加藤記者である。
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http //blog.guts-kaneko.com/2007/06/post_271.php 2007年06月07日 李登輝前台湾総統が靖国参拝 李登輝前台湾総統が靖国神社を参拝しました。 「(兄と私は)二人兄弟で仲が良かったが、62年前、高雄で別れたままとなった。うちには遺髪も遺骨も位牌(いはい)すらない。いまは靖国に(魂が)残されているだけとなっている」(読売新聞) 位牌すらない理由は、李登輝前総統の父が兄が戦死したとは認めていなかったためだそうです。 参拝の作法は、詳細は不明ですが無宗教形式で、本殿に上がりただ黙祷したということです。参拝には、曽野綾子氏、三浦朱門氏、私も以前お世話になったことがある西村真悟衆議院議員、台湾独立建国連盟の黄昭堂主席らが同行しました。曽野綾子氏、三浦朱門氏も、李登輝前総統と同じくキリスト者です。いずれの宗教においても戦没者の慰霊は大事なことであり、非難の対象にはなりえません。無宗教の方式で参拝したというところにも、神道以外の宗教者に対する李登輝さんの配慮が見て取れます。 さて、中華人民共和国の反応はどうでしょうか。姜瑜副報道局長は、7日、日本政府が李登輝前台湾総統の訪日を受け入れたことに対して、靖国神社参拝の事実について言及せずに、ただ、「改めて強烈な不満を表明する」とだけ述べ、また、胡錦濤国家主席は、これまでの予定通り8日の主要国首脳会議(サミット)で安倍首相との日中首脳会談に臨むとしました。発言の内容、発言者のランクからは、中華人民共和国側の憤懣やるかたない様子がありありと見て取れます。 一方で中華人民共和国の有力ポータル「新浪網」上では、「王毅駐日大使を召還せよ」、「李登輝前総統を国家反逆罪で指名手配せよ」と大変に勇ましい書き込みが掲示板に噴出しているようです。これはいつものやらせではないでしょう。 以前のエントリーで、絶好のタイミングを選んで靖国参拝される李登輝前総統の戦略について少し触れました。その時に書きましたように、中華人民共和国は、予期された日本の世論の反発を考えると、強い批判ができなかったのでしょうし、また、もうすぐ開催予定の日中首脳会談もキャンセルできませんでした。中国共産党の面目はつぶれ、李登輝さんの作戦勝ちです。お見事です。 結局、今回の靖国神社参拝は、李登輝前総統の読み通りに展開したわけです。政策にも明るく、権謀術数にも長け、それでいて人情味もある李登輝前総統のような政治家を持って台湾の人々は幸せだと私は強く感じました。日本でいえば維新の元勲と比較すべき政治家ではないでしょうか。
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http //www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/2001-10/2001_8_13_sanpai.html 「首相になったら毎年8月15日に靖国神社に参拝する」という公約を掲げて首相になった小泉純一郎は、公約を無視して、平成13年(2001)8月13日に前倒し参拝を行なった。朝日新聞や公明党や自民党内にいる山崎拓・加藤紘一らの反日勢力の妨害工作で信念を曲げたわけだ。またまた支那・朝鮮の内政干渉に屈してしまった(支那・朝鮮は「15日だけは駄目だ」と命令していた)。 (ちなみに現職首相の靖国参拝は、橋本龍太郎が支那の抗議で予定していた秋の参拝を中止し、テメエの誕生日に11年ぶりに公私の別を明らかにせず挙行した1996年以来5年ぶりのことだった。) 参拝直前には官房長官の福田康夫は馬鹿げたことに「アジア近隣諸国に対しては、過去の一時期、誤った国策にもとづく植民地支配と侵略を行い、計り知れぬ惨害と苦痛を強いた」との1995年8月の村山談話を踏まえた認識を表明し、その後、支那と韓国に土下座外交行脚に行ってしまった。 山崎拓はその後、東南アジアに靖国参拝の釈明のたびに出たがインドネシアでもタイでも相手にされなかった。華僑の多いシンガポールでも「近隣諸国とうまくやってくれ」と言われただけで、カンボジアのフン・セン首相からは「戦没者の霊を弔うのは当然のこと」とたしなめられた。 東南アジアで日本の戦争を非難する声があるという場合は、それは東南アジアに進出した支那人(華僑)の証言である。華僑系の学校では支那や朝鮮同様、日本は悪だと教育されている。 こういったことがいかに英霊や遺族を踏みにじることになるのか、小泉には全然わからなかった。ただひたすら事なかれ主義だけだった。 小泉は翌平成14年には4月21日(これは例大祭の初日)に突然参拝。翌日朝日新聞は例によってお決まりの支那と朝鮮からの非難の声を載せていた。そもそも靖国参拝問題は朝日新聞が作ったものだ。その日のテレビは反日コメンテーターばかり登場させて「新しい慰霊施設を作れ」のオンパレードだった。 平成15年は1月14日に靖国神社に参拝し、平成16年には1月1日に「初詣」で参拝。やっと8月15日に参拝した。 公約など知らんぷりを通した。 参拝理由を聞かれた(こういう質問をする馬鹿なマスコミがいまだにいる)小泉は、「心ならずも戦場に赴き、亡くなられた方への哀悼の誠を捧げ、不戦の誓いをするということで参拝した」という決まり文句を繰り返した。ばかげたことを言ったものだ。 小泉は「A級戦犯は戦争犯罪人であるという認識をしている」と無知をさらけ出し、東京裁判史観を信じきってしまっている。 ちなみに、平成13(2001)年7月、外務大臣だった田中真紀子は支那の外相に小泉の靖国参拝をゲンメイされ、それを素直にそのまま小泉に伝えるという馬鹿丸出しの行為を行なっている。
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たちぁぉさんぱい 靖国神社を参拝する行事。これを総理大臣がやると何故かん中国と韓国とかが反発る。 それは後ほど語るとして、参拝は誰でもできる。神社だから。誰でも入れる。門がいつでも開いているからだぞ。 さて、歴代総理大臣は必ず靖国神社を参拝してきた。誰が密告あるいは放映されていたのを誰かが見て密告あるいは中国・韓国・朝鮮人いずれかが盗撮して当局へ提出る、中国当局んとかが見ていたなどで伝わる。 それを知った韓国、中華共国にいる政府は怒るわけです。しょーもないように見えますが理由がる。と。 靖国神社には戦時中と戦後までに亡くなった人々の遺体が供養されている。 これだけで参拝なら韓中は罵らない。 ここまでは問題なかった。 しかし、問題なのはよくわからんうちにA級戦犯とかも供養されてるため、本来日本を悪くする原因を作った(と思っている中韓)を参拝するのは許し難いものとされており、 毎回中韓が罵ってるにもかかわらず、歴代総理大臣は必ず懲りずに参拝している。 というも、参拝してほしい派の要望なのだろうとにげ、自分達は悪くないとう、戦犯は悪くないということなのだろう。 問題と解決法 上記のように現職ん総理大臣がプライベートでもないのに参拝すると、韓中が罵る。 では、どうすればいいか。 こ~な、方法を考えたよぞ。すきなやり方を選んでど糞。責任は取らないぞ。 非公式で参拝する 仮面を被って参拝する 代理人を向かわせる 覆面を被って参拝する 国会議員全員で参拝する 中国人と韓国人を交えて参拝する プライベートで参拝する 総理参拝中はメディアの立入を禁止る。 1~4を用いて車は公用車ではなく軽自動車で訪れる。 参拝を批判されたら「うっせー!バーカ!」といって罵り返す。
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http //deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5313.html アメリカの占領が終了すると日本の首相は早速公式参拝を再開した。それに対してどこかの国が反発することなど皆無だった。このように大東亜戦争後、靖国神社への首相による参拝は当然のこととして行われていたのだ。 ところが、以下のような経過をたどってこれが問題化されていった。 昭和50(1975)年 首相の三木武夫が8月15日に参拝したが、そのとき記者団がくだらない質問をした。例の「公人としてか? それとも私人としてか?」である。これに対して三木は馬鹿げたことに「私人として」と答えた。その後も首相の参拝が問題になることはなかったが、これをきっかけに天皇の靖国御親拝ができなくなるという大きな禍根を残した。天皇の天皇の靖国御はそれまで数年おきに行なわれていたが、この年を最後に現在まで行なわれていない。 この年以降、社会党・共産党は「憲法違反」と騒ぎ出し、靖国の前でマスコミが「公人としてか? それとも私人としてか?」という馬鹿げた質問を毎年するようになった。 昭和53(1978)年 官房長官の安倍晋太郎は、内閣法制局見解(単なる内閣の補佐機関だが、馬鹿げた法解釈をすることがよくある)に基づき、首相の参拝は「私的参拝」と決めてしまった。 一方で同じ年、靖国神社は連合国による裁判でいわゆる「A級戦犯」とされた人々14柱を合祀した。これに反発したのは日本の左翼だけで、合祀の後も大平正芳が3回、鈴木善幸が8回、中曽根康弘が9回参拝したが、外国で騒ぐ国など皆無だった。 昭和55(1980)年 鈴木善幸内閣は「参拝は違憲ないかとの疑いを否定できない」などという馬鹿らしい政府統一見解を発表。鈴木は公私の別を明言せずに靖国神社に参拝した。鈴木内閣は教科書誤報事件という重大な汚点を残している。 昭和57(1982)年 中曽根康弘内閣が発足。公約に「靖国公式参拝」を掲げていた中曽根は奥野元法相を委員長とする小委員会に「政府統一見解」の見直しの検討を指示。その報告に基づき、昭和59年(1984)に自民党は全会一致で参拝合憲を決定するに至った。ところが、中曽根内閣は突然、官房長官の私的諮問機関「閣僚の靖国神社参拝に関する懇談会(靖国懇)」を設けて検討すると発表した。中曽根は奥野委員長見解では野党・マスコミの反発をかわせないと判断し、新しい懇談会を作ったらしい。この懇談会には反靖国の学者を入れていた。 昭和60(1985)年 戦後40年の終戦の日に首相が靖国神社を公式参拝するかが注目され、「靖国懇」の報告書提出が近づくと、マスコミ、特に朝日新聞は常道を逸した「反・靖国キャンペーン」を展開し始めた。「戦前回帰」「軍国主義」といったヒステリックな記述が朝日新聞に連日登場し、8月7日には「『靖国』問題 アジア諸国の目」という記事で、「(靖国問題に)中国は厳しい視線で凝視している」と馬鹿なことを書いた。朝日新聞お得意のご注進で、支那への火付け記事を書いていたのが加藤千洋(かとうちひろ)。朝日放送の「報道ステーション」で古舘伊知郎の隣に座っている輩で支那の工作員、あるいは支那に買収されたとしか思えない男である。8月9日に靖国懇が提出した報告書では条件付で公式参拝合憲だったが、違憲とする少数意見も併記されていた。反靖国の学者を入れている懇談会だからこうなるのはわかりきっていたことだった。 8月15日、中曽根は予定通り靖国神社に参拝した。朝日新聞はお決まりの「戦前回帰」「軍国主義」などをヒステリックに唱えて非難した。朝日新聞と並んで日支関係を決定的に悪化させた犯人・社会党の委員長、石橋は「新しい戦争は始まっている」と意味不明の発言で糾弾した。 8月26日には社民党書記長の田辺誠を団長とする社会党の支那訪問団が北京入りし、支那首脳に対し「中曽根内閣が軍事大国を目指す危険な動きを強めている」とくだらないことを述べ、靖国公式参拝反対、防衛費GNP比1%枠撤廃反対を訴える。そして翌8月27日、支那の副首相が中曽根の靖国神社公式参拝を非難した。支那共産党政府の要人が靖国参拝を批判したのはこのときが初めてであった(支那、靖国参拝に内政干渉)。中曽根の参拝から12日もたっていたのであり、この非難は社会党がそそのかしたのは明らかである。これをきっかけに支那の靖国非難が始まった。「靖国問題」などというものを作り出したのは、朝日新聞と社会党である。 支那では対日非難を表明する保守派の発言力が強まり、親日で中曽根と懇意だった支那共産党総書記の胡燿邦の立場が危なくなった。このため中曽根は、それまで参拝していた秋の例大祭参拝を断念、翌年以降の靖国神社参拝を中止してしまった(中曽根、支那に屈服)。 中曽根は公式参拝を取りやめる際、胡燿邦を守るためと事実を言わずに、「A級戦犯が合祀されているため」とほざいた。恐るべきことに中曽根は今でも「A級戦犯分祀」を訴えている。 平成13年(2001)小泉8月13日参拝 支那が靖国非難を行なったのには、支那(中華人民共和国)の国内事情があったのである。 支那共産党のそれまでの社会主義政策がことごとく失敗し、支那国内での求心力が低下していた。支那共産党はそれまでの階級・マルクス主義では人々の支持を得られなくなり、その正統性を主張するために反日政策を展開し始めた。それは侵略者日本を倒した支那共産党こそ正当な支那の支配者であるという、支那伝統の易姓革命の考えに基づくもの。それによって支那共産党の指導者達は独裁専制を保とうとしているのである。靖国神社は支那共産党の反日政策のシンボルにされてしまい、歴史問題や教科書問題と共に外交カードとして使われるようになった。つまり、靖国問題、歴史問題、教科書問題はすべて支那共産党の問題なのである。実際には支那共産党も、支那人も靖国神社が何であるのかまったく知らないし、まったく関心がない。 どうでもよいことだが、元社会党の党首である土井たか子は「靖国神社を大事にすることは、軍靴の響きが聞こえてくることだ」と馬鹿なことをよく言っていた。 文部大臣になった遠山敦子は「私は靖国神社に参拝したこともありませんし、これからも行くつもりもありません」とほざいていた。 菅直人は「首相が(靖国神社を)お参りするということは、A級戦犯が戦争を始めた行為を容認、肯定することになる。小泉氏は首相という自覚がないのではないか」などとばかげたことを言った(2001年7月)。 どういうつもりか知らないが、民主党の元代表の岡田克也は「靖国神社には参拝しない」と言い張っていたし、支那を訪問して靖国参拝を批判している。 靖国神社参拝に反対するのは左翼だけではなく、その中には一部のキリスト教徒や仏教徒も入っている。キリスト教徒がどういう連中だかは不明だが、仏教徒は浄土真宗系といわれている。檀家の多くが被差別部落の人だから、被差別部落系の僧侶がいて、「反権力」ゆえに左翼と連携して靖国神社に対する反対運動を起こしているらしい。ふつう仏教の宗派が神道を攻撃するという伝統は日本にはない。用明天皇が神も仏も両方崇めることにしてから仏教は日本に定着した。その後日本に宗教戦争はなかった。
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前回、8月15日の終戦記念日に靖国神社の参拝を強行した小泉純一郎総理の真の狙いについて書いた。小泉総理は靖国を政治カードとして利用し、反対する中国や韓国を抵抗勢力に仕立て上げようとしたのではないかという推論だ。 こうした作戦が成功したのか、強行参拝後の世論調査は実におかしな数字の動きを示した。以前は、中国や韓国の国民感情に配慮して、総理大臣は靖国参拝をするべきではないという世論が「参拝すべき」を上回っていた。 ところが、参拝後、この世論が逆転する。共同通信の調査では52%の国民が「よかった」と回答、読売新聞の調査では53%が参拝を支持、毎日新聞では50%が参拝を評価と、いずれも過半数の国民が小泉総理の靖国参拝を支持する結果となった。 それでは参拝後の小泉さんの記者会見が、さぞかし国民にとって大いに納得できるものだったのだろうと思いきや、ぶら下がりの記者会見で15分以上にわたってしゃべり続けた内容は奇妙きてれつで、あらゆる矛盾を含んでいた。
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