約 14,383 件
https://w.atwiki.jp/okinawaroots/pages/58.html
小橋川(こばしかわ・クヮシチャ) 発祥・伝承 門中一覧 門中名 読み方 名字 備考 東風平 与那嶺 部落の創始家。津花波の分かれ。絶家。 喜屋武 喜屋武 部落の創始家。首里の分かれ。首里に戻った 高江洲 大城 部落の創始家。内間『田場』の分かれ。絶家。 呉屋 呉屋 恩納間切『前田』が津花波を経て小橋川に来た。始祖の妻は津花波『前呉屋』の娘 大嶺 大嶺 島尻の糸数城主の若按司の子孫。 上門 宮城 具志川間切宇堅村の分かれ 伊田 大城 嘉手刈大家の二男腹という。 宮平 呉屋 与那城間切伊計村 大仲門門仲 与那嶺 幸地『仲門』の分かれ。津花波『後仲門』は分家
https://w.atwiki.jp/okinawaroots/pages/63.html
与那城(よなぐすく・ユナグシク) 発祥・伝承 門中一覧 門中名 読み方 名字 備考 儀保 ジーブ 米須 クミシ 仲門 ナカジョウ 西新屋 イリミーヤ 小橋川 8、9代前、久志間切辺野古から来た 城間 グスクマ 城間 約8代前、与那城間切宮城島上原『ギマタ』の分かれ 小橋川 クヮシチャ 小橋川 6、7代前に我謝『読谷』の分かれ 伊芸 イゲイ
https://w.atwiki.jp/okinawaroots/pages/59.html
内間(うちま・ウチマ) 発祥・伝承 『糸数』は中城間切安谷屋から来た。津記武多按司と姻戚関係にあった。 跡取りがなく三代続けて養子をとったこともあり、戦前、『新垣』より養子を迎えたが沖縄戦で一家全滅した。 桃原や与那原には分家がいる。戦前、我謝『我勢頭』も宗家を拝んでいたという。 『御殿小』。読谷村座喜味に『島袋小』という末裔がいる。 門中一覧 門中名 読み方 名字 備考 宇根 ウーニ 大城 根屋。具志川村『西ヌ屋田場』から養子が入り『大西田場』に改称 新川 与儀 ノロ元。『山根』『外間』は分家 糸数 イチカジ 安谷屋 草分け。中城間切安谷屋の分かれ。津記武多按司と姻戚関係にあった 佐敷 宜野湾大山の分かれ。 高門 具志川村ミジクンヤーの分家。 新垣 四代前に那覇市湧田村からきた 御殿小 ウドゥングヮー 草分け。絶家。 外間 『新川』の分かれ 山根 ウガンニー 『新川』の分かれ
https://w.atwiki.jp/nintama_rakuran/pages/161.html
魚座のキャラクター: 虎若 数馬 兵助 小松田秀作 間切 伊助の父 斉藤幸隆 しぶ鬼 雷蔵 新野先生 西長洲本通九丁目
https://w.atwiki.jp/nintama_rakuran/pages/107.html
あなたは 虎若・数馬・兵助・小松田秀作・間切・伊助の父・斉藤幸隆 タイプです。
https://w.atwiki.jp/okinawaroots/pages/60.html
掛保久(かけぼく・カキブク) 発祥・伝承 『當山』は150年前に絶家した。 子孫(照屋姓)は大里真境名、古堅、与那原町字与那原、与原等にいる。 門中一覧 門中名 読み方 名字 備考 當山 トウヤマ 照屋 国元。絶家。 玉城 玉城 草分け。300年前、中城間切屋宜から来た 城間 城間 草分け。北谷間切から来た 新川 新川
https://w.atwiki.jp/okinawaroots/pages/74.html
安仁屋(あにや・) 発祥・伝承 門中一覧 門中名 読み方 名字 備考 美地 ミージ 仲村 松堂 マチドー 仲村 喜屋武 キャン 喜屋武 前門 メージョー 大城 上門 ウイジョー 島袋 金城 カナグシク 天久 花城 士族。琉球処分前後に羽地間切仲尾次から移住 当真 士族。 名嘉真 士族。 田里 士族。
https://w.atwiki.jp/okinawaroots/pages/62.html
小那覇(おなは・ウナファ) 発祥・伝承 『才口』の宗家がある一帯は海岸線だったといわれ、門中名も潮口、河口の意であるという。 『宮城』の初代は『才口』の娘を妻にした。 『安謝名』の宗家は安室に分家していたが(崎間姓)、宗家に跡取りがなく、『新川』から養子を迎え、家を小那覇に構えるようになったという。 門中一覧 門中名 読み方 名字 備考 才口 セーグチ 玉那覇 国元。550年前、国頭久志間切汀間からきた 宮城 ナーグスク 玉那覇 500年前、大里・高宮城『宮城(知念姓)』の三男が分家。 井ヌ端 カーヌハタ 新川 中城安谷屋の分かれ 新川 アラカー 新川 美里伊波『仲門』の分かれ 安謝名 アジャナ 新川 美里伊波『仲門』の分かれ
https://w.atwiki.jp/okinawaroots/pages/67.html
小波津(こはつ・クファチ) 発祥・伝承 『内原』の始祖、小波津爾也(クファチマー)は520年前の人物といわれ、尚泰久の王女と夫婦となり、その子が始まりという。 南風原町津嘉山、那覇、浦添市安波茶、宜野湾市嘉数、名護市屋我地、羽地、海外に分家がある。 『上月』は津記武多按司の後裔。津記武多按司は北山今帰仁按司の子で、その末裔は内間の安谷屋、糸数ともいわれる。 門中一覧 門中名 読み方 名字 備考 内原 ウーチバラ 小波津 根屋。小波津爾也が始祖 上月 イングヮチ 与那嶺、糸数、呉屋 津記武多按司の後裔という ノロ殿内 久保田 玉城間切玉城からきた 井ヌ前 カーヌメー 呉屋 字幸地『仲門』の分かれ 西門 呉屋 字呉屋『井ヌ端』の分かれ 新屋 呉屋
https://w.atwiki.jp/okinawaroots/pages/50.html
真栄里(まえざと・メーザトゥ) 発祥・伝承 真栄里は元々、イトゥブ、メーザトゥ、クールーという三つの独立した集落から形成されたという。 クールーは先中城とも言われ、護佐丸の中城入りに伴って、先中城按司が移ってきたのでその名がついたという。 先中城按司の孫・真栄里按司二男高嶺大主がイトゥブ村を作り、糸部大屋子と称したという。 『大栄』は護佐丸の遺児盛親の乳母の実家といい、盛親は国吉ヌ比屋に守られ、『大栄』に匿われ、先中城按司に武術を教わりながら成長したといわれる。国吉ヌ比屋の妻と乳母は姉妹だったとも言われる。乳母は後に真栄里ヌル殿内の始祖となった。 『仲門』は美里間切伊波按司の子孫・勝連按司が先祖という。後に西原幸地村から養子が入ったという。 『山城』の先祖は美里間切山城村から来たという。 『大栄』『仲門』『山城』は墓地を共用している。 『仲門』の祖先の男と『大栄』の祖先の女が兄弟姉妹であったという。『仲門』の先祖と『山城』の祖先も兄弟だという。 『東門小』は那覇市銘苅から旧具志頭村に移り、そこから真栄里に来たという。 先中城按司の長男真栄里按司の子孫と伝わる、『川門』が長男筋、『仲添』が二男筋、『仲ヶ小』は三男筋。 『仲間』は護佐丸の三男盛親の子孫。『東仲間』と『クール仲間』は分家。 『保才』はチングスクのチン按司の子孫と言われる。 墓を共用する『前原』と字国吉『金城』と共に保才門中と総称される。 『のう殿』の始祖は王様と大栄ヌルとの間にできた子との伝承がある。 門中一覧 門中名 読み方 名字 備考 東門小 アガンジョーグヮー 伊敷・玉城 那覇市銘苅→具志頭村→ 栄元 イームトゥ 玉城 糸満市字真栄里『栄元』腹。嶽元。戦前は『伊元』。 大栄 ウーヒー 金城 ノロ元。護佐丸の遺児盛親の乳母の出自 川門 カージョー 玉城・嘉数 先中城按司の長男真栄里按司の子孫。長男筋 仲添 ナカシ 玉城・嘉数・宮里 先中城按司の長男真栄里按司の子孫。二男筋 仲ケ小 ナーカグヮー 賀数 先中城按司の長男真栄里按司の子孫。三男筋 仲間 ナカマ 玉城・宮里 護佐丸の三男盛親の子孫。 クール仲間 クールーナカマ 仲間・玉城 『仲間』腹の分かれ 東仲間 アガリナカマ 玉城 『仲間』腹の分かれ 仲門 ナカジョー 宮里・伊敷・嘉数・玉城 美里間切伊波按司の子孫・勝連按司が元祖 山城 ヤングスク 山城 美里間切山城村。『仲門』腹の祖先と兄弟 仲ケ ナーカ 新垣・宮里 玉城按司の子孫。玉城村の『仲嘉』を拝む 越地 クィージ 伊敷 のう殿 ヌールン 玉城 大栄ヌルとの子が始祖 比嘉 ヒジャ 比嘉・伊敷 保才 フセー 伊敷 保才門中。チングスクのチン按司の子孫 前原 メーバル 伊敷 保才門中。 前盛 メームイ 徳里・伊敷