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道糞の茶 所持武将 UC荒木村重 (画像) 必要士気 4 効果時間 一瞬 計略内容 敵と味方の兵力が回復し、自身は自城に一瞬で移動する。 詳細 兵力が90%以上回復 (1.10A) この表を編集
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所持武将 UC荒木村重 (画像) 必要士気 4 効果時間 一瞬 計略内容 敵と味方の兵力が回復し、自身は自城に一瞬で移動する。 詳細 90%以上回復。 用法 対処法
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武将名 あらきむらしげ 荒木村重 織田傘下の池田勝正に仕えたのち、織田家の配下となった。中国地方攻めの要となるが、突如として謀反を起こした。その後は自城に籠り、信長に対して徹底抗戦したが戦況は良くならず、単身敗走。その後、大坂で茶人になり、荒木道糞と名乗った。「殺られる前に殺る!それが乱世の鉄則じゃい!」 出身地 摂津国 コスト 2 兵種 槍足軽 能力 武力7 統率6 特技 防柵 計略 道糞の茶 敵と味方の兵力が回復し、自身は自城に一瞬で移動する 必要士気4 Illustration 岩元辰郎 平均的な武力と統率に防柵を備え、飛び抜けては居ないがバランスの良いスペック。 織田家の主力である鉄砲の護衛としては武力・統率両面で耐久力があり、柵も用意出来る貴重な武将。 計略の「道糞の茶」はやや特殊な性能を持つ、回復計略。 計略効果:範囲内の敵と味方の敵も含め、兵力を9割以上(兵力ミリ→100%)回復し、自身は自城に移動する。 計略範囲:自身中心円 なんと、 【敵も含めて】味方の兵力を9割以上(兵力ミリ→100%)回復する という驚異的な効果を誇る。 使いどころとしては、敵の主力をあらかた壊滅させたあとのカウンター、敵が戦場に現れていない時のマウントの一助など。 相手の兵力を回復させないよう、使いどころをよく考える必要があるだろう。 逆に立ち回りに失敗して一方的に兵力差を付けられた場合、状況をリセットする目的で発動し、場を立て直す事もできる。 他にも不意の端攻めなどが来た場合に忍法雲隠れのように使い、「自身を回復しつつ緊急対応に当たる」という使用法も可能。 このように、発動後に自身が城に戻る効果をよく理解し、鉄砲の護衛や攻めを継続している時はその点に注意して使いたい。 余談 茶人としては千利休の高弟として蒲生氏郷らと共に、利休七哲に数えられる事もある人物である。 「道糞」の道号は謀反をした際、妻子を見捨てて逃亡した自分を嘲って「道端の糞の如き者」と称した所から来ている。なお、後年には天下人となった秀吉に諭されて「道薫」に改めたという。
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武将名 あらきむらしげ 荒木村重 織田傘下の池田勝正に仕えたのち、織田家の配下となった。中国地方攻めの要となるが、突如として謀反を起こした。その後は自城に籠り、信長に対して徹底抗戦したが戦況は良くならず、単身敗走。その後、大坂で茶人になり、荒木道糞と名乗った。「殺られる前に殺る!それが乱世の鉄則じゃい!」 出身地 摂津国 コスト 2 兵種 槍足軽 能力 武力7 統率6 特技 防柵 計略 道糞の茶 敵と味方の兵力が回復し、自身は自城に一瞬で移動する 必要士気4 Illustration 岩元辰郎 茶人としては千利休の高弟として、蒲生氏郷らと共に利休七哲に数えられることもある人物。 なお道号があれだが、後年「道薫」に改めている。 鉄砲中心の織田家としては鉄砲の護衛として2コスの柵槍というのはありがたいところ。 特筆すべきはその計略で、兵力を9割以上(兵力ミリ→100%)回復するという驚異的な効果を誇る。 ただし範囲内の敵も回復してしまうので、敵の主力をあらかた壊滅させたあとのカウンターや 敵が戦場に現れていない時のマウントの一助など、使いどころをよく考える必要があるだろう。 逆に立ち回りに失敗して一方的に兵力差を付けられてしまった場合にも、状況をリセットする目的で発動し、場を立て直すことができる。 自身は城に戻ってしまうため、攻めを継続したい時はその点に留意して使いたい。
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武将名 あらきむらしげ UC荒木村重 織田傘下の池田勝正に仕えたのち、織田家の配下となった。中国地方攻めの要となるが、突如として謀反を起こした。その後は自城に籠り、信長に対して徹底抗戦したが戦況は良くならず、単身敗走。その後、大坂で茶人になり、荒木道糞と名乗った。「殺られる前に殺る!. それが乱世の鉄則じゃい!」 出身地 摂津国(大阪府) コスト 2.0 兵種 槍足軽 能力 武力7 統率6 特技 防柵 計略 道糞の茶(どうふんのちゃ) 敵と味方の兵力が回復し、自身は自城に一瞬で移動する 必要士気4 Illustration 岩元辰郎 計略効果 カテゴリ 士気 武力 統率 速度 兵力 効果時間 その他 援軍 4 - - - +80% - 自身は自城に一瞬で移動する (以上2.12B) (最終修正2.12B) 解説 織田家唯一の2コスト柵槍。士気4で8割という物凄い回復効率を誇るが敵も回復してしまうこと、自身中心円範囲のため回転で範囲をずらすこともできないこと、自身が自城に帰還してしまい攻めを継続しにくいことの3点で扱いの難しいカードになっている。 大幅な回復を求められるデッキのコンボパーツとしての採用がメイン。一時期は無間射撃とともに活躍した。 備考 1.20A 兵力回復量減少(+100%→+80%) 2.12B 計略範囲拡大 台詞 \ 台詞 開幕 敵城の名物、見逃すでないぞ? 計略 まあ、茶の一杯でも飲んでいけや! タッチアクション - 撤退 うっ、ぐふぅ 復活 出るとするかのう! 伏兵 - 虎口攻め ワシの力を見せようかのう └成功 ガハハ! どんなもんじゃい! 攻城 ガハハ! 攻めろ攻めろぃ! 落城 ガハハ! この城はワシのもんじゃい! 熟練度上昇 ガハハハハ!
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50音別計略一覧 「マ行」 真柄の大太刀 まきびしの罠 又左無双槍 蝮の毒牙 護り手を呼ぶ声 満月の陣 三島明神顕現 水手断ち 乱れ八咫烏 道糞の茶 三矢の采配 美濃の援兵 無具の鉄拳 無間射撃 無の一字 無謀なる武 無明剣 村上舟戦要法 名将の采配 盟約の援軍 盟約の円陣 盟約の構え 盟約の攻陣 めっ! 猛進の陣
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毒を食らわばの味方が2%刻みになってそうなので細かい刻みに使えるかも - 名無しさん 2016-01-31 03 02 29 VerUpで豊臣伝 夢のまた夢 で使用できるコストが11に、復活時兵力の修正により信長が半端な兵力で復活するようになりました - 名無しさん 2016-01-27 11 27 53 マジか……対策としては増えたコストにSR秀吉入れて信長追い払う、道糞入れて回復する、低武力弓入れて兵力ゲージ本数が変わるのが目立つ100%ちょうどまで削るくらいかな。 - 名無しさん 2016-01-27 12 36 23 兵力がいくつで復活してくるか検証すればいけると思ったので今度調べます - 名無しさん 2016-01-28 02 13 49 100、103、106とばらつきが出ました。蔵屋で復活させたせいかもしれません。 - 名無しさん 2016-01-31 01 37 41 場内回復検証するときに、転身計略使った時既に城外に出してあっても1回分回復したことがあったので、それの分ずれることあるかも - 名無しさん 2016-01-31 03 01 40 愛の猪口令糖が神過ぎて生きているのが辛い - 名無しさん 2015-09-13 06 53 52 帰蝶の毒陣形が回転可能になってすごいうれしい - 名無しさん 2015-09-11 20 48 38 このページをまとめた人スゴイね。分かりやすい。 - 名無しさん 2014-12-23 11 54 12
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足利家 荒木村重 (アラキムラシゲ) レベル 55 7体 職業 僧 配置 右翼後詰大将 戦闘開始時セリフ ○○○○? 無名の輩とて容赦はせぬぞ。 人は誰しも無名から始まる。 構成 名前 職業 レベル 初期付与 特殊技能 荒木村重 槍僧 55 結界 ▲ 紫電一閃、天部光輪、天部光輪・弐、薬師如来法、全体完全回復、後光、冥護結界・弐 将軍家兵法者 斧侍 50 蘇生・壱、沈黙の霧・壱、n連撃・改 水破中忍 忍者 50 足利上級陰陽 陰陽師 50 結界 昇竜 八坂巫女精鋭 懐剣巫女 50 反射 詠唱の韻・極 京鍛冶屋 鉄砲鍛冶屋 50 鞍馬山伏 薬師 50 再生 蘇生・壱 ドロップアイテム 兵庫の壷 兵法之書・弐 特徴 撃破することで京極高吉(四天王)を5体に弱体 列伝 弥介、弥助、十二郎、道薫、摂津守、信濃守。荒木義村(一説には高村)の子とされる。1535年の生まれとされ、有力とされるが諸説ある。系譜はいまひとつはっきりしない。摂津の豪族あたりであると想像される。 父同様に池田長正とその子である池田勝正に仕える。1552年には合戦で功を上げ、このときに父から家督を譲られたとされる。その後池田二十一人衆にも列せられた。 1568年に信長が畿内に入ると主君である池田家は信長に降伏し和田惟政、伊丹親興とともに摂津の守護を任される。 1570年には主君池田家が内部抗争を起こす。これによって勝正は池田家を追われ、子である直正が継ぐがまもなく追放されたようである。その後池田家は知正が継ぐ。この混乱に乗じて池田家での力を強める。 1571年には三好、松永と主家池田家が通じて信長勢に反旗を翻し、和田惟政を攻撃、これを敗死させる(このときに戦死したかは諸説ある)。 このころ元主君であった池田勝正が信長勢として原田城に入る。その後この混乱は信長の介入で収まるが、このころから村重は池田家からほぼ独立(池田家は村重の実質的配下となる)、同時に織田家に近づく。 1573年には信長より摂津守を任じられ、名実ともに摂津を収める権利を得る。同年には将軍家側についた池田勝正を攻め、これを高野山に追放、翌年には伊丹氏を攻めて居城である伊丹城に入城、これを有岡城と名前を変えて居城とする。 この前後に池田家は池田城を回復するも、信長の命で荒木村重与力となる。完全な主従交代である。これにより村重は摂津を完全に支配下とする。 その後も信長の下各地を転戦する。 しかし1578年、信長に対して突然の謀反を起こす。原因は今もって不明であり、戦国期における謎のひとつである。諸説あるが一説には従兄弟の中川清秀が、当時織田と敵対していた本願寺勢に米を売り渡しているという風説が流れ、村重に異心ありとうわさされる。これの釈明に赴こうとした村重を清秀が弁明は無意味とさえぎり、謀反を決意したというのである。真偽は不明であるが一説として存在する。 しかし、謀反を始めるとともに謀反を起こした高山右近や従兄弟であった中川清秀はすぐに信長に降伏してしまう。そのため村重は有岡城に籠城、10ヶ月もの抵抗を続ける。しかし村重は降伏せずに子である村安が守る尼崎城へ逃げる。この際城にいた妻子を見捨て単身で逃げた。そのため妻子は皆殺しになってしまう。後世にまで卑怯者と揶揄されるのはこのためである(なお、このときのことを村重自身が自嘲しており後に号を「道糞」として自分を嘲ていたという)。 その後毛利家に亡命する。 1582年に信長が死去、秀吉が台頭すると堺に帰還、荒木道薫(道糞は後に秀吉から許された経緯で道薫としている。どちらもドウクン、と読む言葉いじりである)と名乗り千利休とも親交を深め、利休七哲の一人に列せられる。1586年に死去(一説には1595年まで生きたともされている)。 彼を語る上で最大の謎は1578年におこした謀反の理由である。いまもって定説を見ない。その後の動向からもいまひとつ計画性に欠ける。戦国期における大きな謎のひとつであろう。 なお、浮世絵の世界では彼は1579年自害とされている。しかしこれは彼の子である岩佐又兵衛(浮世絵の祖といわれる)か、それに近い人物が改竄したと考えられて、信憑性は薄い。しかし、息子である岩佐又兵衛にとって、父が卑怯者であったと嘲笑されるのが耐えがたかったという心境は想像に難くない。有岡落城時に自害とすれば、武士の面目も立つ。そう考えての改竄であろう。 情報募集中 名前 コメント
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足利家 荒木村重 (アラキムラシゲ) レベル 55 7体 職業 僧 配置 右翼後詰大将 戦闘開始時セリフ ○○○○? 無名の輩とて容赦はせぬぞ。 人は誰しも無名から始まる。 構成 名前 職業 レベル 初期付与 特殊技能 荒木村重 槍僧 55 結界 ▲ 紫電一閃、天部光輪、天部光輪・弐、薬師如来法、全体完全回復、後光、冥護結界・弐 将軍家兵法者 斧侍 50 蘇生・壱、沈黙の霧・壱、n連撃・改 水破中忍 忍者 50 足利上級陰陽 陰陽師 50 結界 昇竜 八坂巫女精鋭 懐剣巫女 50 反射 詠唱の韻・極 京鍛冶屋 鉄砲鍛冶屋 50 鞍馬山伏 薬師 50 再生 蘇生・壱 ドロップアイテム 兵庫の壷 兵法之書・弐 特徴 撃破することで京極高吉(四天王)を5体に弱体 列伝 弥介、弥助、十二郎、道薫、摂津守、信濃守。荒木義村(一説には高村)の子とされる。1535年の生まれとされ、有力とされるが諸説ある。系譜はいまひとつはっきりしない。摂津の豪族あたりであると想像される。 父同様に池田長正とその子である池田勝正に仕える。1552年には合戦で功を上げ、このときに父から家督を譲られたとされる。その後池田二十一人衆にも列せられた。 1568年に信長が畿内に入ると主君である池田家は信長に降伏し和田惟政、伊丹親興とともに摂津の守護を任される。 1570年には主君池田家が内部抗争を起こす。これによって勝正は池田家を追われ、子である直正が継ぐがまもなく追放されたようである。その後池田家は知正が継ぐ。この混乱に乗じて池田家での力を強める。 1571年には三好、松永と主家池田家が通じて信長勢に反旗を翻し、和田惟政を攻撃、これを敗死させる(このときに戦死したかは諸説ある)。 このころ元主君であった池田勝正が信長勢として原田城に入る。その後この混乱は信長の介入で収まるが、このころから村重は池田家からほぼ独立(池田家は村重の実質的配下となる)、同時に織田家に近づく。 1573年には信長より摂津守を任じられ、名実ともに摂津を収める権利を得る。同年には将軍家側についた池田勝正を攻め、これを高野山に追放、翌年には伊丹氏を攻めて居城である伊丹城に入城、これを有岡城と名前を変えて居城とする。 この前後に池田家は池田城を回復するも、信長の命で荒木村重与力となる。完全な主従交代である。これにより村重は摂津を完全に支配下とする。 その後も信長の下各地を転戦する。 しかし1578年、信長に対して突然の謀反を起こす。原因は今もって不明であり、戦国期における謎のひとつである。諸説あるが一説には従兄弟の中川清秀が、当時織田と敵対していた本願寺勢に米を売り渡しているという風説が流れ、村重に異心ありとうわさされる。これの釈明に赴こうとした村重を清秀が弁明は無意味とさえぎり、謀反を決意したというのである。真偽は不明であるが一説として存在する。 しかし、謀反を始めるとともに謀反を起こした高山右近や従兄弟であった中川清秀はすぐに信長に降伏してしまう。そのため村重は有岡城に籠城、10ヶ月もの抵抗を続ける。しかし村重は降伏せずに子である村安が守る尼崎城へ逃げる。この際城にいた妻子を見捨て単身で逃げた。そのため妻子は皆殺しになってしまう。後世にまで卑怯者と揶揄されるのはこのためである(なお、このときのことを村重自身が自嘲しており後に号を「道糞」として自分を嘲ていたという)。 その後毛利家に亡命する。 1582年に信長が死去、秀吉が台頭すると堺に帰還、荒木道薫(道糞は後に秀吉から許された経緯で道薫としている。どちらもドウクン、と読む言葉いじりである)と名乗り千利休とも親交を深め、利休七哲の一人に列せられる。1586年に死去(一説には1595年まで生きたともされている)。 彼を語る上で最大の謎は1578年におこした謀反の理由である。いまもって定説を見ない。その後の動向からもいまひとつ計画性に欠ける。戦国期における大きな謎のひとつであろう。 なお、浮世絵の世界では彼は1579年自害とされている。しかしこれは彼の子である岩佐又兵衛(浮世絵の祖といわれる)か、それに近い人物が改竄したと考えられて、信憑性は薄い。しかし、息子である岩佐又兵衛にとって、父が卑怯者であったと嘲笑されるのが耐えがたかったという心境は想像に難くない。有岡落城時に自害とすれば、武士の面目も立つ。そう考えての改竄であろう。 情報募集中 名前 コメント
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足利家 荒木村重 (アラキムラシゲ) レベル 55 7体 職業 僧 配置 右翼後詰大将 戦闘開始時セリフ ○○○○? 無名の輩とて容赦はせぬぞ。 人は誰しも無名から始まる。 構成 名前 職業 レベル 初期付与 特殊技能 荒木村重 槍僧 55 結界 ▲ 紫電一閃、天部光輪、天部光輪・弐、薬師如来法、全体完全回復、後光、冥護結界・弐 将軍家兵法者 斧侍 50 蘇生・壱、沈黙の霧・壱、n連撃・改 水破中忍 忍者 50 足利上級陰陽 陰陽師 50 結界 昇竜 八坂巫女精鋭 懐剣巫女 50 反射 詠唱の韻・極 京鍛冶屋 鉄砲鍛冶屋 50 鞍馬山伏 薬師 50 再生 蘇生・壱 ドロップアイテム 兵庫の壷 兵法之書・弐 特徴 撃破することで京極高吉(四天王)を5体に弱体 列伝 弥介、弥助、十二郎、道薫、摂津守、信濃守。荒木義村(一説には高村)の子とされる。1535年の生まれとされ、有力とされるが諸説ある。系譜はいまひとつはっきりしない。摂津の豪族あたりであると想像される。 父同様に池田長正とその子である池田勝正に仕える。1552年には合戦で功を上げ、このときに父から家督を譲られたとされる。その後池田二十一人衆にも列せられた。 1568年に信長が畿内に入ると主君である池田家は信長に降伏し和田惟政、伊丹親興とともに摂津の守護を任される。 1570年には主君池田家が内部抗争を起こす。これによって勝正は池田家を追われ、子である直正が継ぐがまもなく追放されたようである。その後池田家は知正が継ぐ。この混乱に乗じて池田家での力を強める。 1571年には三好、松永と主家池田家が通じて信長勢に反旗を翻し、和田惟政を攻撃、これを敗死させる(このときに戦死したかは諸説ある)。 このころ元主君であった池田勝正が信長勢として原田城に入る。その後この混乱は信長の介入で収まるが、このころから村重は池田家からほぼ独立(池田家は村重の実質的配下となる)、同時に織田家に近づく。 1573年には信長より摂津守を任じられ、名実ともに摂津を収める権利を得る。同年には将軍家側についた池田勝正を攻め、これを高野山に追放、翌年には伊丹氏を攻めて居城である伊丹城に入城、これを有岡城と名前を変えて居城とする。 この前後に池田家は池田城を回復するも、信長の命で荒木村重与力となる。完全な主従交代である。これにより村重は摂津を完全に支配下とする。 その後も信長の下各地を転戦する。 しかし1578年、信長に対して突然の謀反を起こす。原因は今もって不明であり、戦国期における謎のひとつである。諸説あるが一説には従兄弟の中川清秀が、当時織田と敵対していた本願寺勢に米を売り渡しているという風説が流れ、村重に異心ありとうわさされる。これの釈明に赴こうとした村重を清秀が弁明は無意味とさえぎり、謀反を決意したというのである。真偽は不明であるが一説として存在する。 しかし、謀反を始めるとともに謀反を起こした高山右近や従兄弟であった中川清秀はすぐに信長に降伏してしまう。そのため村重は有岡城に籠城、10ヶ月もの抵抗を続ける。しかし村重は降伏せずに子である村安が守る尼崎城へ逃げる。この際城にいた妻子を見捨て単身で逃げた。そのため妻子は皆殺しになってしまう。後世にまで卑怯者と揶揄されるのはこのためである(なお、このときのことを村重自身が自嘲しており後に号を「道糞」として自分を嘲ていたという)。 その後毛利家に亡命する。 1582年に信長が死去、秀吉が台頭すると堺に帰還、荒木道薫(道糞は後に秀吉から許された経緯で道薫としている。どちらもドウクン、と読む言葉いじりである)と名乗り千利休とも親交を深め、利休七哲の一人に列せられる。1586年に死去(一説には1595年まで生きたともされている)。 彼を語る上で最大の謎は1578年におこした謀反の理由である。いまもって定説を見ない。その後の動向からもいまひとつ計画性に欠ける。戦国期における大きな謎のひとつであろう。 なお、浮世絵の世界では彼は1579年自害とされている。しかしこれは彼の子である岩佐又兵衛(浮世絵の祖といわれる)か、それに近い人物が改竄したと考えられて、信憑性は薄い。しかし、息子である岩佐又兵衛にとって、父が卑怯者であったと嘲笑されるのが耐えがたかったという心境は想像に難くない。有岡落城時に自害とすれば、武士の面目も立つ。そう考えての改竄であろう。 情報募集中 名前 コメント