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訃報 55年度の金田圭市さんが、病気療養中でしたが2011年10月21日にお亡くなりになりました。心からご冥福をお祈り申し上げます。 59年度の渡辺光延さんが、病気療養中でしたが2011年6月18日にお亡くなりになりました。心からご冥福をお祈り申し上げます。 当クラブ創部者の52年度 豊永晶彌さんが、2011年2月26日にお亡くなりになりました。心からご冥福をお祈り申し上げます。(ご葬儀は近親者のみにて執り行われました) 当クラブ部友の『戸隠小舎・佐々木徳雄』様が、2010年10月8日にお亡くなりになりました。心からご冥福をお祈り申し上げます。 63年度の谷部高史さんが、病気療養中でしたが2009年11月3日午後11時40分にお亡くなりになりました。心からご冥福をお祈り申し上げます。 当クラブ部友の坂井篤様が病気療養中でしたが2009年7月23日お亡くなりになりました。心からご冥福をお祈り申し上げます。 59年度の村田充さんが、病気静養中でしたが2009年5月16日にお亡くなりになりました。心からご冥福をお祈りします。 60年度の岡本洋さんが、病気静養中でしたが2007年7月にお亡くなりになりました。心からご冥福をお祈りいたします。 58年度の渡辺邦彦さんが、病気静養中でしたが2007年3月26日にお亡くなりになりました。心からご冥福をお祈りいたします。 62年度の斎藤忠さんが、病気静養中でしたが2006年12月14日にお亡くなりになりました。心からご冥福をお祈りいたします。
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ああ哀しい訃報だ。たぶんよろこんでいるひともいるだろう?
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生と死 心不全… NHK「できるかな」の「ノッポさん」として知られる 俳優で作家の高見のっぽ(たかみ・のっぽ)さんが2022年9月10日、心不全のため東京都の病院で死去していたことが10日、分かった。88歳。京都市出身。https //t.co/kF4sUoFfnf — macaron (@fraisst) May 10, 2023 2022/08/13 「子どもが大人にだまされた」ノッポさんが訴える戦争の愚 終戦後先生が「民主主義っていいもんだ」って反対のことを言い出した 大人にいいように使われることを怒ったら中学で受け持ってくれる先生が居なくなっちゃった 今はスマホに夢中でみんな人が人を見ないhttps //t.co/EoQQW17zlv — macaron (@fraisst) May 10, 2023 macaron@fraisst この動画 2022/08/13 心不全でお亡くなりになったのは2022/09/10 喋り過ぎた?!…まさかね… フリーアナウンサーの岡副麻希(30) くも膜下出血で死去の母55歳に耳鼻科受診すすめ後悔 4月7日。母は突然がくも膜下出血で倒れました。二週間後21日に旅立ちました。 その週の前半から頭痛を訴えていた。 元々、偏頭痛があったり、花粉症だったので、耳鼻科をすすめたhttps //t.co/mYJKKiZ30B — macaron (@fraisst) April 30, 2023 2019年半ばに30代半ば… まだ40歳前後… 2019年春、5年ぶりに婦人科クリニックを受診 30代半ばになるまで検診を受けていなかった 子宮頸がんステージIII期。子宮全摘出手術 2019年6月に手術、抗がん剤や放射線治療 9月に治療終了 2020年7月10日がん再発し転移もあると診断https //t.co/lJmv0WIAvC — macaron (@fraisst) April 27, 2023 川商ハウス西田隆昭社長が死去 鹿児島県内で不動産事業を展開する川商ハウスの西田隆昭社長が、25日未明亡くなりました。70歳でした。 24日昼に出張先の福岡で具合が悪くなり、救急車で病院に搬送されましたが、亡くなったということです。https //t.co/6nic5Umgkb — macaron (@fraisst) April 25, 2023 茅ヶ崎市議会議員の山田悦子氏(自民)が4月17日、腎不全のため亡くなった。64歳。 山田氏の死去に伴って、23日に投開票される市議会議員選挙の補充立候補の届け出受付が18日から20日まで行われた。https //t.co/JU0ainjMGt — macaron (@fraisst) April 25, 2023 つい最近まで活動されていたのに… 2023/02/26 「山田えつこと茅ヶ崎の未来を語る会」https //t.co/Ac7MzxfKLd pic.twitter.com/BKaQ2kXdNs — macaron (@fraisst) April 25, 2023 女優の片桐夕子さん(かたぎり・ゆうこ、本名・小堺由美子=こさかい・ゆみこ)さんが2022年10月16日、胆管がんで死去した。70歳だった。告別式は近親者で済ませた。https //t.co/1xUDLRellg — macaron (@fraisst) April 13, 2023 ここ最近、毎月うちの会社で従業員の訃報が入ってくる。 40代〜60代前半。6月7月で4名。 実親、子まで入れると1ヶ月に30人越えてる。。 これまとめてる人、おかしい。ってならないのかな?🥲 — みみず (@namaniku_oniq) July 20, 2022 5月からチェックし始め、私ができる範囲で確認できた結果ですが、、 5月31人、6月27人、7月が現時点で16人です。。 — みみず (@namaniku_oniq) July 20, 2022 上島竜兵 61歳 死去① 三浦春馬 7月18日 2020 階戸瑠李 8月28日 芦名星 9月14日 藤木孝 9月20日 竹内結子 9月27日 津野米咲10月18日 窪寺昭 11月13日 神田沙也加 12月18日 2021 渡辺裕之 5月3日 2022 上島竜兵 5月11日 他殺なのに自殺とされるのが1番嫌です。一同 心よりご冥福をお祈りします。 — N.ジョイガール (No.9) (@N_JoyBoy) May 11, 2022 【森光子】 ■ 森光子の死 人の死について思う 「Ddogのプログレッシブな日々(2012.11.15)」より 敦盛(幸若舞) 思へばこの世は常の住み家にあらず 草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし 金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる 南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり 人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり 一度生を享け、滅せぬもののあるべきか これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ ーーーーーーーーーーーーーーー 世の中は起きて稼いで寝て食って後は死ぬを待つばかりなり 一休宗純 めでたい言葉 「祖死父死子死孫死」 仙崖和尚 【吉本隆明】 ■ 吉本隆明死去 「kojitakenの日記(2012.3.16)」より ・吉本隆明死去といっても何の感慨もなく、「あのオウム擁護の吉本がついに死んだか」というくらいのものなのだが、昨年の東電原発事故以降は「原発推進」論でも晩節を汚していた。 (以下、【吉本隆明】を。) 【吉田昌郎】 ※ 死亡の真偽が定かでないため、このページから『吉田昌郎』の記事は削除しました。 吉田昌郎をご覧ください。 nikaidouさんに、してやられましたかね?ww 意図あっての記事エントリーだったのでしょう。 .
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- 【 訃報 】 皆さんの中でもご存知の通りだと思いますが 本日、「クレヨンしんちゃん」の原作者として おなじみの漫画家、臼井義人さんの死亡が確認されました。 小さいころからリアルタイムで「クレヨンしんちゃん」に 親しみ、物語の経過を見てきた俺としては 今回の事件は非常に残念で、悲しいニュースです。 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 発売当時に手にした「クレヨンしんちゃん」の原作第一巻。 今でも大事に(?)保存してあります。 アニメ開始当時、俺もたしかしんのすけと同じ、5歳児くらいでした。 しんのすけと共に成長し、野原家の歩みを見てきた俺。 埼玉紅さそり隊のメンバーも全員覚えています(一巻では出てきていませんが)。 まさかこんな形で生涯を終えることになろうとは 俺らはもちろんのこと、何より本人が 全く予想していなかったことでしょう。 人々の間ではいろいろな憶測が飛び交っている中なので、 こんな言い方は不適切かもしれませんが 事件性のない、ただの不幸な事故であったことを祈ります。 そして「クレヨンしんちゃん」が、 今後も変わらず、人々に愛され続けることを願います。 戻る コメント 臼井義人さんが亡くなったなんて信じられませんね。 -- サーモン (2009-09-22 18 02 21) youtubeでneeeet 拾い物というものがあるんですけど、それって痴音ミクさんの作品ですか? -- サーモン (2009-09-22 18 13 58) 私も持ってますよ一巻。入手当時はガキだったから「プロレスごっこ」だの「ガム」だのの意味が分からなかったけど。。本当に偉大な漫画家さんでした、合掌。。。 -- pocari (2009-09-23 02 59 07) 名前 コメント
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- 【訃報日記】 【双葉十三郎】映画評論家 2010年 01月 15日(金曜日)の日記 映画評論家・双葉十三郎氏旧臘12日死去の報。 99歳。ヒッチコックとは11歳違い、ビリー・ワイルダーとは4つ違いの同時代人。 映画黄金時代を肌で感じて生きてこられた幸運な人。 膨大な数の映画をわかりやすく評価した『ぼくの採点評』(1〜5巻、別巻1.トパーズ・プレス)は映画マニアのバイブルだが、ここにおける批評の基本型は、きちんと論理的にその映画の善し悪しを説明した映画評の後に、一行か二行、「主役がイモじゃいくら脚本がよくてもネ」「ヒロインの曲線美さえ見てれば満足、満足」などという寸評があり、これが実に的を射た金言で、私はもっぱらそっちの方で、観るべき映画かどうかを判断していた。 本文の方でクサしているのにこっちの一言で褒めていたり、またその逆、というのもあったからである。 映画ファンというのは、教科書的ないい映画ばかりを好むものではなく、B級C級の安っぽさもまた愛する。 昨今のB級C級マニア評論家のように泥沼の中に首までひたるということなく、A級はA級として別格とし、それを批評の基準とした上でBC級の面白さもちゃんと理解し評価するといった、オトナの鑑識眼が何とも頼もしかった。 もうこういう映画評論家は出てこないだろう。 何も今の若い世代の評論家をクサしているわけではない。 映画の黄金時代が過ぎ去ってしまったからである。 その最後の香りを感じさせてくれる人だった。黙祷。 【田の中勇】声優 2010年 01月 15日(金曜日)の日記 帰宅の車中、Taka@モナぽさんからの連絡で、田の中勇さんの他界を知る。驚きと落胆と、それから、せめて生前にインタビューしておいてよかった、という気持ちとが交錯して、複雑な気持ち。自室で何はともあれ追悼文を書く。あっという間にコメントがずらりと。やはり声優さんの訃報は反応が違う。しかし、今年は何とまあ、訃報が続くことよ。 7月にインタビューさせていただいたときhttp //www.tobunken.com/diary/diary20090702113927.htmlには声も衰えておられず、むしろ「目玉親父の声なんか、この年になってやっとやりやすくなりましたね」とおっしゃっていたのに。 登山を愛し、音楽(シャンソン)を愛し、芝居を愛しという、多才、多趣味な方だった。文化的な家庭に育った恩恵だろう。だから、声優というお仕事に対しても、“その中のひとつの選択肢”で、声優が本業と思われたのはつい、最近、と飄々と笑っておられた。思えば私は田の中さんのお仕事では、目玉親父よりもむしろ『ウメ星デンカ』の王様が一番役にハマっていたと思っていたのだが、それは田の中さんご本人のイメージと、あの人のいい王様が重なるからだったのだ。 「鬼太郎だって、いっぺんにやりすぎるとね。数年にいっぺん、2クールくらいでいいんですよ。それくらいがこっちも楽だから。周夫ちゃん(大塚)なんか、もっとやろう、もっとやろうって言うけど、イヤですよ、そんな頑張ってやるの」……頑張っていただきたかったけど、そういう生き方が何となく似合っておられたようにも思う。 お話の中で見えてきたことで、敢て訊かなかったこともある。『問答有用』で、徳川夢声が“あえて距離を置くこともインタビューには必要”と言っていたことを履行したまでで、それは後悔していない。今はただ、ご自分では大した仕事とは思っておられなかった声優のお仕事における、その“唯一無二の声”がどれほどわれわれの子供時代を豊かにしてくれたか、そのことを生前にお伝えできたことだけを慰めとしたい。ご冥福をお祈りする。 ……しかし、これから目玉親父は誰が演じればいいのだろうか。 【柴野拓美】 2010年 01月 17日(日曜日) 訃報、止まらず。SF作家・翻訳家 柴野拓美(ペンネーム・小隅黎)16日死去・83歳。山本弘氏によってロング・インタビュー『僕らを育てたSFのすごい人』が出たのがせめてもの救い。後書き的解説を書かせていただいたのだが、編集をした高嶋氏によると柴野さん、これを読んでとても喜んで下さっていたとのこと。 あえて功績については繰り返さない。上記のインタビュー本を手にとっていただきたいがhttp //shop.comiczin.jp/products/detail.php?product_id=3380その後書きの最後の文をいま、ここでもう一度繰り返させていただく。 「作品を作る人は大勢いる。どの時代どの時代にも、数え切れない才能が輩出するだろう。だが、それらの才能が、存分に活動できる“場”を作る才能の持ち主、これは滅多に出てくるものではない。日本SF界はその黎明期に柴野拓美という、まれにみる場作りの才能の人を得た。その、作家活動としてのペンネーム、“小隅黎“の”黎”の字は、今考えてみて、まことに氏にふさわしい、一種の予言めいた名前であったのだ」 柴野氏の訳したハヤカワ文庫のアンドレ・ノートン『大宇宙の墓場』は、買ってしばらく放っておいたのだが、たまたま読んだ某アニメのノベライズの、あまりの文章の拙劣さに嫌気がさし、急いでこれを読んで、質の高いSFの文章というのはこれだ、と安堵した記憶がある。翻訳ばかりでない、創作の方の文章も、理系の人らしい論理的なところと平明さがあり、地味だが文章力は他のプロパーの作家より上だと秘かに感心していた。 最初にお会いしたのも、最後にお会いしたのも、SF大会の会場でだった。柴野さんにふさわしい場所であったと信ずる。深く、深く黙祷。 日記 2010年 01月 18日(月曜日) 小林繁、浅川マキ、そして郷里大輔と訃報立て続け、とても追討記事、追いつけるものにあらず。郷里氏は自殺ということでさらに悲哀感が高まる。しかも刃物による、というのは只事でない動機があったと思われる。何があったのか? 小林繁氏はあの“空白の一日”のことを、出会った人全員から言われるのを非常に気にしていたという。浅川マキ氏は70年代アンダーグラウンド・シーンとばかり自分の歌を結びつける評論にウンザリしていたという。とはいえ、やはりどんなに本人が嫌がっても、世間というのは人をそのように標本箱の中に展示して数行の記載をつけてこれがこの人というもの、と規定してしまう。世の中とはそういうものなのだろう。 【ロバート・B・パーカー】 2010年 01月 19日(火曜日) 18日、『市立探偵スペンサー』シリーズのロバート・B・パーカー死去の報。77歳。“アメリカの池波正太郎”と言いたくなるような、食い物の描写の多い作風だった。内容が大して作品により変わらなくてもシリーズの新作が出るだけで読者がうれしがるというあたりも、池波正太郎とパラレルであった。 【ミッキー安川】 2010年 01月 19日(火曜日) 同じ18日、ミッキー安川氏肺炎で死去。76歳。こないだスペル星人の奥村公延氏が亡くなったと思ったら、ペロリンガ星人の回の蕎麦屋『増田屋』の親父、シゲさん、ミッキー安川氏が亡くなった。妙に実相寺監督に縁のある人が続けて亡くなる。 この増田屋の親父、漫画家の加藤礼次朗にソックリということで(いや、順番から言えば逆だが)一部の友人知人たちにとっては見るたびに笑えるキャスティングだった。そう言えば礼ちゃんも蕎麦屋の息子だ。ウルトラシリーズにはときどき“なんでこの人が?”というような役者が登場するが、中でも意外性抜群なキャスティング。 以前の著書にはコント作家と肩書きがついていたが、書いたコントを見たことはない。子供のころから、アメリカ放浪の武勇談(ホントに金につまったとき、路上で“日本人のウンコの仕方”というのを見せて金をとったとか)などばかりが有名だった。後はテレビのレポーターであり、また毒舌で知られたラジオのパーソナリティであった。近年はアメリカナイズされたキャラがウソのような、愛国主義的発言が目立ったが。 独特の、口ごもるような声質が特長で、ちょっとでも聞けばすぐミッキー安川だとわかったが、ここ一〜二年、目立ってその滑舌が聞き取りにくくなっていた。体調が悪いのかしらんと心配していたが今日の訃報の前兆だったのだろうか。 そう言えば芸能界裏ばなし的な本の草分けでもあった。それ以降の暴露本がどうにも誹謗中傷の匂いがあってイヤな感じだったが、ミッキー氏の本に書かれたエピソードはみんな短いコントみたいで、ユーモラスな雰囲気があって憎めなかった。この筆致を見ると、コント作家という自称も故あるものかと思えるのである。私にとって彼もまた、昭和のテレビ界を形作っていた顔、であった。黙祷。 【ジーン・シモンズ】女優 2010年 01月 23日(土曜日) 訃報コミュにジーン・シモンズ死去の報。かなりコメントがついていたので、そんなにファンがいたのかと思ったら、キッスのジーン・シモンズかと思って驚いた人がたくさんいたのだった。英文ならばキッスの方はGene、こっちのシモンズははJeanで間違いようがないのだが。 代表作のところに『シーザーとクレオパトラ』(1945)が入っていたものがあったが、この映画は主演がビビアン・リー。シモンズはハープ弾きの少女役で、顔も一瞬しか映らぬホンのチョイ役だった。もっとも、この映画の出演者に、後の亭主であるスチュワート・グレンジャーがいる。 そのビビアン・リーの亭主だったローレンス・オリビエの目にとまり、『ハムレット』(1948)ではオフィーリア役に大抜擢。はっきり言ってそんな美人とは思えなかったが、精神に異常を来し、城の床に伏したあたりのシーンで太股がチラリと見える、19歳のその色気は40年代のあんちゃんたちにはもう、たまらなかったろうと想像できる。 やがてかの曲者スタンリー・キューブリック監督の『スパルタカス』(1960)に出演、スパルタカス(カーク・ダグラス)と結ばれて彼の子を身ごもる女奴隷役。時代の変遷を物語る色っぽいシーン(スパルタカスの前で衣服を脱ぐ)もあるのだが、そこでは31歳のシモンズの端正さが逆に作用して、妙に堅苦しくなってしまっていた。アカデミー賞候補に2回もなる演技派でありながら、いまいち女優としての華麗さに欠けるイメージがあったのは、理性が勝っていた、そのキャラクターにあったかもしれぬ。 晩年は声優としての仕事が多く、『ハウルの動く城』のソフィー役は訃報記事でも触れられていたが、他に『ファイナル・ファンタジー』等にも出演していて、日本製アニメに縁が深かった。大物俳優の晩年仕事としてのアニメ出演はもはやハリウッドでは定番になっており、オーソン・ウェルズの遺作が『トランスフォーマー・ザ・ムービー』というのも、あながち“落ちぶれた”というイメージではなくなっていると思う。 ともあれ、『ハムレット』のイメージでもう前時代の女優、という風に(恥ずかしながら)思っていた女優さんが、ついこのあいだまで現役だった、ということに嬉しさと、80歳という年齢は、現代ではまだまだだろう、ということに寂しさを感じる。黙祷。 【徳南晴一郎】漫画家 2010年 01月 23日(土曜日) 徳南晴一郎氏死去の報あり。その人生の、世の中というもの、運命というものへの親和力のなさは自伝『孤客』にあきらかで、異常な読後感のあったことを思い出す。孤客とは誰がつけた書名が知らないが、まことに実をついたタイトルであるなあ、と読んでため息をついたものであった。晩年に意外な評価を受けたことは徳南氏にとってどういう意味があったのか。他者の伺い知られることではないと思うが、今は慎んで黙祷を捧げたい。
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- 【訃報日記】 【双葉十三郎】映画評論家 2010年 01月 15日(金曜日)の日記 映画評論家・双葉十三郎氏旧臘12日死去の報。 99歳。ヒッチコックとは11歳違い、ビリー・ワイルダーとは4つ違いの同時代人。 映画黄金時代を肌で感じて生きてこられた幸運な人。 膨大な数の映画をわかりやすく評価した『ぼくの採点評』(1〜5巻、別巻1.トパーズ・プレス)は映画マニアのバイブルだが、ここにおける批評の基本型は、きちんと論理的にその映画の善し悪しを説明した映画評の後に、一行か二行、「主役がイモじゃいくら脚本がよくてもネ」「ヒロインの曲線美さえ見てれば満足、満足」などという寸評があり、これが実に的を射た金言で、私はもっぱらそっちの方で、観るべき映画かどうかを判断していた。 本文の方でクサしているのにこっちの一言で褒めていたり、またその逆、というのもあったからである。 映画ファンというのは、教科書的ないい映画ばかりを好むものではなく、B級C級の安っぽさもまた愛する。 昨今のB級C級マニア評論家のように泥沼の中に首までひたるということなく、A級はA級として別格とし、それを批評の基準とした上でBC級の面白さもちゃんと理解し評価するといった、オトナの鑑識眼が何とも頼もしかった。 もうこういう映画評論家は出てこないだろう。 何も今の若い世代の評論家をクサしているわけではない。 映画の黄金時代が過ぎ去ってしまったからである。 その最後の香りを感じさせてくれる人だった。黙祷。 【田の中勇】声優 2010年 01月 15日(金曜日)の日記 帰宅の車中、Taka@モナぽさんからの連絡で、田の中勇さんの他界を知る。驚きと落胆と、それから、せめて生前にインタビューしておいてよかった、という気持ちとが交錯して、複雑な気持ち。自室で何はともあれ追悼文を書く。あっという間にコメントがずらりと。やはり声優さんの訃報は反応が違う。しかし、今年は何とまあ、訃報が続くことよ。 7月にインタビューさせていただいたときhttp //www.tobunken.com/diary/diary20090702113927.htmlには声も衰えておられず、むしろ「目玉親父の声なんか、この年になってやっとやりやすくなりましたね」とおっしゃっていたのに。 登山を愛し、音楽(シャンソン)を愛し、芝居を愛しという、多才、多趣味な方だった。文化的な家庭に育った恩恵だろう。だから、声優というお仕事に対しても、“その中のひとつの選択肢”で、声優が本業と思われたのはつい、最近、と飄々と笑っておられた。思えば私は田の中さんのお仕事では、目玉親父よりもむしろ『ウメ星デンカ』の王様が一番役にハマっていたと思っていたのだが、それは田の中さんご本人のイメージと、あの人のいい王様が重なるからだったのだ。 「鬼太郎だって、いっぺんにやりすぎるとね。数年にいっぺん、2クールくらいでいいんですよ。それくらいがこっちも楽だから。周夫ちゃん(大塚)なんか、もっとやろう、もっとやろうって言うけど、イヤですよ、そんな頑張ってやるの」……頑張っていただきたかったけど、そういう生き方が何となく似合っておられたようにも思う。 お話の中で見えてきたことで、敢て訊かなかったこともある。『問答有用』で、徳川夢声が“あえて距離を置くこともインタビューには必要”と言っていたことを履行したまでで、それは後悔していない。今はただ、ご自分では大した仕事とは思っておられなかった声優のお仕事における、その“唯一無二の声”がどれほどわれわれの子供時代を豊かにしてくれたか、そのことを生前にお伝えできたことだけを慰めとしたい。ご冥福をお祈りする。 ……しかし、これから目玉親父は誰が演じればいいのだろうか。 【柴野拓美】 2010年 01月 17日(日曜日) 訃報、止まらず。SF作家・翻訳家 柴野拓美(ペンネーム・小隅黎)16日死去・83歳。山本弘氏によってロング・インタビュー『僕らを育てたSFのすごい人』が出たのがせめてもの救い。後書き的解説を書かせていただいたのだが、編集をした高嶋氏によると柴野さん、これを読んでとても喜んで下さっていたとのこと。 あえて功績については繰り返さない。上記のインタビュー本を手にとっていただきたいがhttp //shop.comiczin.jp/products/detail.php?product_id=3380その後書きの最後の文をいま、ここでもう一度繰り返させていただく。 「作品を作る人は大勢いる。どの時代どの時代にも、数え切れない才能が輩出するだろう。だが、それらの才能が、存分に活動できる“場”を作る才能の持ち主、これは滅多に出てくるものではない。日本SF界はその黎明期に柴野拓美という、まれにみる場作りの才能の人を得た。その、作家活動としてのペンネーム、“小隅黎“の”黎”の字は、今考えてみて、まことに氏にふさわしい、一種の予言めいた名前であったのだ」 柴野氏の訳したハヤカワ文庫のアンドレ・ノートン『大宇宙の墓場』は、買ってしばらく放っておいたのだが、たまたま読んだ某アニメのノベライズの、あまりの文章の拙劣さに嫌気がさし、急いでこれを読んで、質の高いSFの文章というのはこれだ、と安堵した記憶がある。翻訳ばかりでない、創作の方の文章も、理系の人らしい論理的なところと平明さがあり、地味だが文章力は他のプロパーの作家より上だと秘かに感心していた。 最初にお会いしたのも、最後にお会いしたのも、SF大会の会場でだった。柴野さんにふさわしい場所であったと信ずる。深く、深く黙祷。 日記 2010年 01月 18日(月曜日) 小林繁、浅川マキ、そして郷里大輔と訃報立て続け、とても追討記事、追いつけるものにあらず。郷里氏は自殺ということでさらに悲哀感が高まる。しかも刃物による、というのは只事でない動機があったと思われる。何があったのか? 小林繁氏はあの“空白の一日”のことを、出会った人全員から言われるのを非常に気にしていたという。浅川マキ氏は70年代アンダーグラウンド・シーンとばかり自分の歌を結びつける評論にウンザリしていたという。とはいえ、やはりどんなに本人が嫌がっても、世間というのは人をそのように標本箱の中に展示して数行の記載をつけてこれがこの人というもの、と規定してしまう。世の中とはそういうものなのだろう。 【ロバート・B・パーカー】 2010年 01月 19日(火曜日) 18日、『市立探偵スペンサー』シリーズのロバート・B・パーカー死去の報。77歳。“アメリカの池波正太郎”と言いたくなるような、食い物の描写の多い作風だった。内容が大して作品により変わらなくてもシリーズの新作が出るだけで読者がうれしがるというあたりも、池波正太郎とパラレルであった。 【ミッキー安川】 2010年 01月 19日(火曜日) 同じ18日、ミッキー安川氏肺炎で死去。76歳。こないだスペル星人の奥村公延氏が亡くなったと思ったら、ペロリンガ星人の回の蕎麦屋『増田屋』の親父、シゲさん、ミッキー安川氏が亡くなった。妙に実相寺監督に縁のある人が続けて亡くなる。 この増田屋の親父、漫画家の加藤礼次朗にソックリということで(いや、順番から言えば逆だが)一部の友人知人たちにとっては見るたびに笑えるキャスティングだった。そう言えば礼ちゃんも蕎麦屋の息子だ。ウルトラシリーズにはときどき“なんでこの人が?”というような役者が登場するが、中でも意外性抜群なキャスティング。 以前の著書にはコント作家と肩書きがついていたが、書いたコントを見たことはない。子供のころから、アメリカ放浪の武勇談(ホントに金につまったとき、路上で“日本人のウンコの仕方”というのを見せて金をとったとか)などばかりが有名だった。後はテレビのレポーターであり、また毒舌で知られたラジオのパーソナリティであった。近年はアメリカナイズされたキャラがウソのような、愛国主義的発言が目立ったが。 独特の、口ごもるような声質が特長で、ちょっとでも聞けばすぐミッキー安川だとわかったが、ここ一〜二年、目立ってその滑舌が聞き取りにくくなっていた。体調が悪いのかしらんと心配していたが今日の訃報の前兆だったのだろうか。 そう言えば芸能界裏ばなし的な本の草分けでもあった。それ以降の暴露本がどうにも誹謗中傷の匂いがあってイヤな感じだったが、ミッキー氏の本に書かれたエピソードはみんな短いコントみたいで、ユーモラスな雰囲気があって憎めなかった。この筆致を見ると、コント作家という自称も故あるものかと思えるのである。私にとって彼もまた、昭和のテレビ界を形作っていた顔、であった。黙祷。 【ジーン・シモンズ】女優 2010年 01月 23日(土曜日) 訃報コミュにジーン・シモンズ死去の報。かなりコメントがついていたので、そんなにファンがいたのかと思ったら、キッスのジーン・シモンズかと思って驚いた人がたくさんいたのだった。英文ならばキッスの方はGene、こっちのシモンズははJeanで間違いようがないのだが。 代表作のところに『シーザーとクレオパトラ』(1945)が入っていたものがあったが、この映画は主演がビビアン・リー。シモンズはハープ弾きの少女役で、顔も一瞬しか映らぬホンのチョイ役だった。もっとも、この映画の出演者に、後の亭主であるスチュワート・グレンジャーがいる。 そのビビアン・リーの亭主だったローレンス・オリビエの目にとまり、『ハムレット』(1948)ではオフィーリア役に大抜擢。はっきり言ってそんな美人とは思えなかったが、精神に異常を来し、城の床に伏したあたりのシーンで太股がチラリと見える、19歳のその色気は40年代のあんちゃんたちにはもう、たまらなかったろうと想像できる。 やがてかの曲者スタンリー・キューブリック監督の『スパルタカス』(1960)に出演、スパルタカス(カーク・ダグラス)と結ばれて彼の子を身ごもる女奴隷役。時代の変遷を物語る色っぽいシーン(スパルタカスの前で衣服を脱ぐ)もあるのだが、そこでは31歳のシモンズの端正さが逆に作用して、妙に堅苦しくなってしまっていた。アカデミー賞候補に2回もなる演技派でありながら、いまいち女優としての華麗さに欠けるイメージがあったのは、理性が勝っていた、そのキャラクターにあったかもしれぬ。 晩年は声優としての仕事が多く、『ハウルの動く城』のソフィー役は訃報記事でも触れられていたが、他に『ファイナル・ファンタジー』等にも出演していて、日本製アニメに縁が深かった。大物俳優の晩年仕事としてのアニメ出演はもはやハリウッドでは定番になっており、オーソン・ウェルズの遺作が『トランスフォーマー・ザ・ムービー』というのも、あながち“落ちぶれた”というイメージではなくなっていると思う。 ともあれ、『ハムレット』のイメージでもう前時代の女優、という風に(恥ずかしながら)思っていた女優さんが、ついこのあいだまで現役だった、ということに嬉しさと、80歳という年齢は、現代ではまだまだだろう、ということに寂しさを感じる。黙祷。 【徳南晴一郎】漫画家 2010年 01月 23日(土曜日) 徳南晴一郎氏死去の報あり。その人生の、世の中というもの、運命というものへの親和力のなさは自伝『孤客』にあきらかで、異常な読後感のあったことを思い出す。孤客とは誰がつけた書名が知らないが、まことに実をついたタイトルであるなあ、と読んでため息をついたものであった。晩年に意外な評価を受けたことは徳南氏にとってどういう意味があったのか。他者の伺い知られることではないと思うが、今は慎んで黙祷を捧げたい。
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年代 1982年頃 内容 漬物メーカー「しんしん」のCM? 出演者の逝去によってサンスキップのような感じの編集がなされていた。 元々mixiのトピックに書かれていたCMの記憶だったため長年企業名や出演者名も不明な状態が続いていた。 スレの情報・内容 【ヒトガタ】未出、迷宮入りCM捜索スレ3【サンスキップ】 205 :提供:名無しさん:2010/12/14(火) 15 33 59 P mixiのトピより 「ちなみにボクは子供の頃のボンヤリとした記憶で、 とある漬物屋のCMで、画面に向かって話している男性の下に、 「このOOさんは、先日OOのため、お亡くなりになりました」 というテロップが入った怖いCMを記憶してます。 その後、そのCMは、 その男性の顔を隠すように、 手もとだけをUPした拡大画像に処理され、 やがて、男性のナレーションは消えて、 別の声に変わり、やがて流れなくなりました。 」 これが実在するならサンスキップと同じテイストのCMなはず…。 338 :提供:名無しさん:2011/03/04(金) 11 54 36.33 0 205 これ本当だとすると3回も編集されたものが放送されたのか? だとしたらすごいな。 まず漬物屋のCM自体が珍しいけど、 漬物の企業で全国で流している企業なんて フジッコや東海漬物ぐらいだからローカルの可能性が高いよね。 しかも出演者が故人になっても新作CM作れないからそんなに 大きな企業じゃないはず。 【ヒトガタ】未出、迷宮入りCM捜索スレ4【サンスキップ】 524 :提供:名無しさん:2012/08/24(金) 09 41 43.82 P 以前にも貼ったことあったあったと思うけど、mixiの 「怖いCMコミュ」で管理人の方が「子供の頃こんな漬け物屋のCMを見た」 という話をしていた 役者?の男性が映ってる下に 「この○○さんは先日○○の為お亡くなりになりました」とテロップが入り、 その後顔を映さないよう手元をアップした映像になって、 更に声も別の人に差し替えられやがて流れなくなったという… 昔ならサンスキップのような編集をしたCMは他にもあったんじゃないかな? 530 :提供 名無しさん:2012/08/24(金) 20 18 03.63 0 524 それずっと気になってるんだよね。漬物屋のCM。 これも調査対象にいれてもいいんじゃないでしょうか? ヒトガタみたいに違う情報も出てきそうだけど、 まずは覚えている人がいるかどうかだけ聞いてみたい。 534 :提供:名無しさん:2012/08/24(金) 22 01 41.18 0 役者は坂本九(日航機123便墜落事故で死去)、東海漬物の『きゅうりのキューちゃん』と 考えてみたけど、うーん… 538 :提供:名無しさん:2012/08/25(土) 00 51 44.34 0 534 もっとローカルな企業じゃないか? 「漬物屋のCMなんてあるんだ」みたいなコメントもあったし 535 :提供:名無しさん:2012/08/24(金) 22 17 52.66 P 漬物の話を書いてた管理人さんの年齢が分からないのだが 子供の頃キッチンマザー(1982年~)を見ているらしいのとその他の情報から 30後半~40代前半くらいか? とすると漬物CMは70年代後半から80年代前半くらいに流れたもの?? 536 :提供:名無しさん:2012/08/24(金) 22 20 30.51 0 サンスキップに限らずとも、80年代のSSKのCMを見てみたいな。 今見られるSSK製品のCMはプリンゼだけだし 537 :提供:名無しさん:2012/08/25(土) 00 51 19.56 0 「漬物屋」って時点でローカル臭がプンプンする。 540 :提供:名無しさん:2012/08/25(土) 08 04 24.06 0 漬け物の地方ローカルとしたらまずその報告者さんの見た地域わからないとね… ○○屋だよ とか言われてもそれは何でせう になってしまうw 546 :提供:名無しさん:2012/08/26(日) 08 20 40.52 0 524 534 537-540 漬物屋でも備前漬物と東海漬物はテレビでCMしていたような気がする 特に東海漬物は昭和38年よりテレビCMを開始していたようだし (ソース) http //www.kyuchan.co.jp/company/history/index.html 【浄瑠璃】未出・迷宮入りCM捜索スレ6【ヒトガタ】 613 :提供:名無しさん:2013/10/25(金) 20 38 45.23 0 そういえばどこかの漬物屋さん?のCMも全然情報ないですよね。 ローカルCMというのは確実だと思うけど、せめてどのあたりの地域で いつ頃流れていたのかがわかれば、もしかしたら手がかりがつかめてくるかもな…と思うのですが。 615 :提供:名無しさん:2013/10/25(金) 22 18 48.69 0 614 そうです。それです。 でも80年前後(確実じゃないけど)となるとなかなか難しいかも? YouTubeとかで結構古いローカルCMアップしてる人もいるから、 もしかしたら…って思ってしまう。しかも何度も差し替えられているから、 放映もそれなりに多かったのかもしれないし。 【浄瑠璃】未出・迷宮入りCM捜索スレ12【エクソダス】 754 :提供:名無しさん:2016/02/09(火) 19 10 36.95 0 ○○コンサートは指揮者死亡の為別の指揮者になりましたってCMなら見たことあるんだがな 755 :提供:名無しさん:2016/02/09(火) 21 05 34.30 0 754 それニコニコでもう出てるね ちなみに宮城ローカルだったが http //www.nicovideo.jp/watch/sm9214968 (編注 4分45秒~) 【浄瑠璃】未出・迷宮入りCM捜索スレ25【シンクロ手】 753提供:名無しさん 2020/08/26(水) 17 46 55.20ID aoEgTSlXF 例の漬物屋の訃報CMの有力な情報と思われるツイートを発見した https //twitter.com/Lev1026/status/755568816692736002?s=19 https //twitter.com/tama_shikebaku/status/1065602153769709568?s=19 755提供:名無しさん 2020/08/26(水) 17 58 55.10ID NowXzj+k0 名前と東海漬物で検索したら、ちょっと内容書いてる人いるね http //ota100.blog.shinobi.jp/その他いろいろ/懐かしの漬物といえば 756提供:名無しさん 2020/08/26(水) 18 01 08.73ID NowXzj+k0 ごめん貼れてなかった 1973年くらいからCMに出てたみたいだけど、ナレーションだけのCMって書いてるからだからこれではないか TBSの三井奥さま劇場(劇場もへちまもなく、単にいろんなドラマの再放送だった。ほれ、マンガの国というタイトルで中身はワニのワリイや突貫カメ公だったりするのと同じ感じ?)なんかの前後に、「♪ノヅのつーけーものー!!」という粋な女性コーラスで始まるCMがやってたんですよ。 子供の頃の私は福神漬けとたくあん以外の漬物に対する興味はゼロだったんだけど、突然昨日「♪ノヅのつーけーものー!!」だけ思い出した。 そういえば最近ぜんぜん見ないぞ、ノヅの漬物。どうしたかな。 …と思ってちょっと調べてみたら、野津漬物食品株式会社は1973年からキューピーグループとなり、現在は株式会社菜華となっている、だそうな。 へー。そうだったのか。 同時期かそのちょっと後くらいに、藤村有弘がやはり漬物のしんしんのCMをやってたんじゃなかったかね。チャイナ服に帽子かぶって中国人風に「シンーシン」とか、エセ外人コスプレメドレーで何カ国語かのしんしん発音を展開するやつ。(こういうインチキ外国語は藤村有弘の持ちネタだったのね) コメント しんしんって最近大根おろしのCM流してる会社かな? -- 名無しさん (2020-09-08 22 32 51) 再現→ https //youtu.be/TAt5GpOLZ6w -- 名無しさん (2020-09-16 00 36 20) 藤村有弘、糖尿病、1982年ってことを考えると「しんしん」なのは間違いないね。 -- 名無しさん (2020-09-21 02 08 53) 白い割烹着を着て眼鏡をかけた昔のお母さんの格好で出演していたバージョンも有るらしい→https //www.google.co.jp/amp/s/gamp.ameblo.jp/jlys-150/entry-12524464021.html -- 名無しさん (2021-01-06 19 08 00) 1985年に -- 名無しさん (2021-09-17 01 02 16) 途中送信失礼。1985年にこのcmが流れてることを考えると、少なくともそれまでの間には切り替わってるってことなのか? https //youtu.be/vFsjxw37AzA -- 名無しさん (2021-09-17 01 03 54) しんしんのCMで間違いないです -- 名無しさん (2021-12-06 23 18 04) 藤村有弘さんが顔出しで出演していましたが藤村さんが亡くなってからもしばらく声はそのままで首から上が映らないように別人が演じていました -- 名無しさん (2021-12-06 23 24 30) さらに詳細を、再現CMを観ましたが全く違う感じです。 -- 名無しさん (2021-12-07 13 39 16) 出演者や会社名が分かっても見つからないのは相当やな -- 名無しさん (2022-09-18 01 26 34) テロップはないけど藤村有弘のしんしん -- 名無しさん (2022-10-17 01 04 15) 貼り忘れhttps //youtu.be/33LqfUkaLK0 13:9秒から -- 名無しさん (2022-10-17 01 04 45) テロップ顔隠しバージョンのcmは流石に難易度高そう -- 名無しさん (2022-10-17 17 37 07) 一応割烹着ヴァージョンは見つかったね。 -- 名無しさん (2022-10-17 17 54 17) うp主はシオノギ包帯女のVTR持ってる人か…。 -- 名無しさん (2022-10-18 19 33 54) いちいち変なテロップ入れる人か… -- 名無しさん (2022-10-22 23 32 29) 割烹着バージョン消えた?捜索対象ではなかったけど、当時の藤村有弘を知らない人にもエセ外国人ネタってこういう感じねっていうのが一発で伝わる良い資料だったのに -- 名無しさん (2023-03-10 19 02 04) https //twitter.com/Tonepleromas55/status/1673223744511447042?t=V-LhxPFgSJGD-D22I4Ohsw amp;s=19 -- 名無しさん (2023-06-26 16 30 43) ↑この放送、曜日的に1974年と1985年の可能性があるけど、85年にしては古臭すぎるから74年だと思う。藤村有弘が亡くなったのは82年だから多分違うんじゃないかな。 -- 名無しさん (2023-06-26 17 05 51) 違うっていうのは訃報のCMではないって事で、藤村有弘ではあると思う。 -- 名無しさん (2023-06-26 17 13 05) サンスキップみたいな編集版なら発掘されたね -- 名無しさん (2023-06-26 19 56 15) 真偽はともかく動きはあったな -- 名無しさん (2023-06-26 20 07 18) 最初の証言だと訃報テロップ入り→手元アップ→ナレーション差し替え、の順番で編集されていったらしいけど、2番目のバージョンは初めからあって編集されたものでは無かったってことかな?サンスキップの顔無し編集は明らかに解像度が荒く編集しました感がプンプンしたけどこっちは元からこんなCMだったっぽいんだよね -- 名無しさん (2023-06-26 20 46 58) たまたま顔が映ってないCMが過去に存在していて、顔を編集で消す代わりにそれを復活させて流したとか?商品のラインナップやパッケージデザインが変わってたら使えない技だけど -- 名無しさん (2023-06-26 23 29 20) 貼られてるリンクがどれもこれも見れないやん -- 名無しさん (2023-06-27 01 23 59) 本気で探索してるなら魚拓でも取っとけばいいのに -- 名無しさん (2023-06-27 01 26 53) 「私の音楽会」という番組自体が1973〜1983年までらしいので1985年放送回ではなさそうだな。サンスキップのような編集の荒さがほぼ感じられないし、自分もこの手元アップCMは最初から手元アップだけで作られてて、顔出し版はまた別にあったのではないかという印象を受けた -- 名無しさん (2023-06-27 03 27 40) CM出演者が亡くなった際にテロップを入れる事は時々ある(五代目圓楽師匠が亡くなった時の日本香堂のCMとか)ので、仮にしんしんの当該CMが長期間流れていたとすれば、藤村さんが亡くなった際にテロップが出された可能性もあるかと思いました…。 -- 名無しさん (2023-06-27 05 27 12) 首なしなのが怖い。その前の演奏も不協和音… -- 名無しさん (2023-06-27 21 40 41) 昔のCMがずっと流れるケース、ザラにあるからね。藤村さんが亡くなったから首なし編集をしたと依頼主は思い込んでて、実際は元々こういうCMだったという線かもね。このCMのテロップ入りバージョン見たいなぁ -- 名無しさん (2023-06-27 22 57 24) 最後の「しんしん、漬物なのです」の部分、手に持ったパッケージをカメラに近づける動作をしているのに、わざわざそれを遮って商品のドアップに切り替わってるところにサンスキップ的な違和感を覚えますね。ただ、74年の時点でそういう編集をする必要性がわからない。 -- 名無しさん (2023-06-28 00 53 47) 一応貼っておきます(27 10〜) https //www.youtube.com/watch?v=kSPtIZ6Tmlk -- 名無しさん (2023-06-28 09 15 41) でも初めから首を映さないのも不自然に感じる。かっぽう着バージョンタレントさんの顔出ているし -- 名無しさん (2023-06-28 09 30 20) 中国語風に「シン、シン」と言うシーンがあるけど、あの手振りって中国語のピンイン(発音記号)と一致してるんだよね。わざわざジェスチャーが必要ということは最初から表情が見えない前提の演出なんじゃないかと?訃報テロップの後に顔カット編集されたバージョンがこれとは別に存在する可能性もあるのでは -- 名無しさん (2023-06-28 14 20 08) たしかにジェスチャーに注目してもらいたい演出かも知れない。ただ顔ちょんぎる理由も特にないんだよね。 -- 名無しさん (2023-06-28 14 50 34) 思っていた以上に普通に明るいCMでびっくり……確かに編集後は少し不気味さあったけど……それでもそこまで怖いってレベルではなかったね!発掘ほんとにおめでとうございます!!!! -- 名無し (2023-06-29 00 24 54) これは捜索対象のCMではないと思う。1974年の映像みたいだし -- 名無しさん (2023-06-29 07 15 19) ようやく見つかったと思ってたのにちょっと残念やな。。。 -- 名無しさん (2023-06-30 12 51 50) 割烹着バージョンhttps //www.youtube.com/watch?v=vJSbgeLpMjM -- 名無しさん (2023-07-01 06 23 25) 今日もう7月か! -- 死ん死ん (2023-07-01 06 55 56) 割烹着バージョンが残っていてよかった。ろだにも投げてくださってる。 -- 名無しさん (2023-07-01 07 36 48) 1978年と書いてあるからかっぽう着の方はその後に作られたのかな。 -- 名無しさん (2023-07-02 05 27 09) ごめんかっぽう着が1978年 -- 名無しさん (2023-07-02 05 28 10) まーたリンク消えてるやん。探索するつもりがあるのかないのか分からんな -- 名無しさん (2023-07-07 18 42 42) うpろだにあるからセーフ -- 名無しさん (2023-07-07 20 26 56) つぶろさんがまとめてくてて映像も見れるよ。後初めは声優として起用した説も上がってた。声は本人だけど体は別人らしい。 -- 名無しさん (2023-09-21 14 49 57) その人1974年放送のものを編集後のものと勘違いしているみたい https //x.com/THEtubro/status/1673241758862577665?s=20 -- 名無しさん (2023-09-21 16 31 39) いや 動画内で最初のcmと言ってるよ。 -- 名無しさん (2023-09-21 20 47 25) https //www.youtube.com/watch?v=oCndq_-8W0c -- 名無しさん (2024-03-19 14 22 44) ↑ 8 02〜多分初出のCM。スレに載せたけどこっちにも一応 -- 名無しさん (2024-03-19 14 23 59) ↑ザテレビジョン創刊号とかカネボウ秋のキャンペーンから察するに、82年9月頃のCMと思われるね。藤村有弘さんは82年3月に亡くなられ、訃報のCMはその直後だったと考えると、藤村有弘出演なしの一番最初のCMだったのかもね。 -- 名無しさん (2024-03-20 00 12 58) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/ja2047_memorial/pages/819.html
とほほさんの訃報 CMLより、伊達純さんの一報とニ報を転載します。 http //list.jca.apc.org/public/cml/2009-October/thread.html#1797 [CML 001823] とほほ(平志朗)さんが亡くなられました 伊達 純 jundandy at ms12.megaegg.ne.jp 2009年 10月 27日 (火) 18 00 07 JST 伊達 純です。 この[CML]の前身と言ってもよい[AML]に投稿されていたとほほ(平志朗)さんが亡くなられたということです。 ちょうど[AML]が閉鎖した頃に発足した反貧困ネットワーク広島に、とほほさんは参加されました。そこで初めて私は、とほほさんに直接お会いました。 反貧困ネットワーク広島のメーリングリストでも、とほほさんは相変わらずの調子でしたが、一方でJR広島駅地下通路で反貧困ネットワーク広島が行なった「まちかど生活相談会」では、スクリーンに映し出す映像を編集・制作するなど精力的に貢献されていました。 また「ホームレス」の人たちを支援する「野宿労働者の人権を守る広島夜回りの会」の学生さんたちの読書会にも参加し、発言しておられました。 彼に対する批判は多々あるとは思いますが、在りし日の彼のことを公正・公平を期して書き記しておきたいと思います。 また、このメーリングリストでも御存知の方も多いと思われますので、お知らせした次第です。 [CML 001830] とほほ(平志朗)さんの通夜・告別式 伊達 純 jundandy at ms12.megaegg.ne.jp 2009年 10月 28日 (水) 10 07 35 JST 伊達 純です。 とほほ(平志朗)さんの通夜と告別式は以下の通りです。 本日(28日)午後6時から通夜 明日(29日)午後1時から告別式です。 場所はいずれも祇園カトリック教会です。 祇園カトリック教会 http //www.gionkyokai.jp/ 〒731-0138 広島市安佐南区祇園3-6-1 TEL:082-874-5198 E-mail:hikari at gionkyokai.jp http //www.mapfan.com/m.cgi?MAP=E132.27.47.5N34.26.19.2 トップページ