約 101 件
https://w.atwiki.jp/eirei/pages/520.html
胡惟庸(こ いよう)明(安徽省定遠県)????~1380統率:C 武力:C 政治:C 知力:B 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------李善長に推挙されて朱元璋に仕え紅巾の乱を戦った。明の成立後は中書省の役人から左丞相まで昇った。しかし劉基や自身の反対派を排除・弾圧したため朱元璋からうとまれるようになる。その後、謀反を画策したとして処刑され、多くの者が連座して粛清され胡惟庸の獄と呼ばれる。 洪武帝(こうぶてい)、太祖、(朱元璋(しゅげんしょう))明1328~1398統率:A 武力:A 政治:B 知力:B 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------明朝初代皇帝。貧農出身で、紅巾の乱に参加し、頭角を現し、淮南、江南を統一して南京で皇帝に即位し、明を興す。即位後は里甲制、衛所制を実施する一方で、功臣の粛清(胡惟庸の獄)を行なった。 徐達(じょ たつ)、字は天徳明(濠州鍾離)1332~1385統率:A 武力:A 政治:C 知力:B 文化:C 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------明初の将。朱元璋の旗揚以来の、明建国の元勲。安徽省の農民の出で、同郷の朱元璋の旧友とされる。朱元璋と共に紅巾軍に参加すると側近として活躍し、朱元璋の呉王即位後は大将軍・左相国となる。軍才に優れ、軍閥の張士誠との戦いや山東平定に功績を挙げ、明の建国後は、元朝の支配下の華北を奪取すべく北伐軍を率いて連戦連勝し、モンゴルの勢力を駆逐した。 馬皇后(ばこうごう)明1332~1382統率:C 武力:D 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------明の皇帝・朱元璋の皇后。紅巾の乱で頭角を現した郭子興の養女。慎み深く質素で、内助の功で夫を助けた。皇帝となり疑心暗鬼となった朱元璋に対して諫言できる唯一の人物でもあった。 李善長(り ぜんちょう)明(安徽省定遠県)1314~1390統率:C 武力:C 政治:B 知力:A 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------朱元璋が紅巾軍を率いて安徽省に攻めた時に、朱元璋の人柄に惚れ込んで軍師として仕えた。明の成立後は筆頭功臣として左丞相に就き行政と財政を整備した。胡惟庸が謀反の疑いで処刑されると連座して自害を命じられた。 劉基(りゅう き)、字は伯温明(浙江省文成県)1311~1375統率:C 武力:C 政治:C 知力:A 文化:A 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------朱元璋の旗揚げ時から軍師として仕えた。公正な人物で、明が成立すると綱紀粛正に取り組んだ。しかし、胡惟庸らの讒言が続いたため隠遁した。文筆家としても高名で『郁離子』、『覆瓿集』、『写情集』などを著し、予言詩ともされる『焼餅歌』を残す。
https://w.atwiki.jp/wiki6_piro/pages/9230.html
2022年9月3日(土) 東京早朝サイクリング 小金井市:小金井公園、多摩湖自転車道、村山貯水池、 立川市:デリシャス 国分寺市:新幹線資料館 国立市:旧国立駅舎 府中市:熊野神社(府中市)、武蔵府中熊野神社古墳、新田川緑道 多摩川 新宿区:クリスピーズバーガー 6時吉祥寺駅集合。玉川上水沿いを走る。薄暗い。 玉川上水 境水衛所跡 小金井公園でラジオ体操。 今まで一番活気ある会場。 ラジオ体操の歌、大きな声で歌ってる。 ラジオ体操が終わっても、皆帰ろうとしない。 すると、次の体操が始まった。 それが終わるとさらに次の体操。 最終的にさらにもう一つ体操やって終了。疲れた。 多摩湖自転車道。 村山貯水池に到着。 村山下ダムの親柱。 村山下第一取水塔、第二取水塔。 西武ドーム。 けっこう脇あいてるんだ。 村山上貯水池。水量少ない。 多摩湖自転車道。多摩湖の北部。ほとんど走っている人はいない。 一般道と並走。車もまったく走っていない。さびしい雰囲気。 曲がるべきところを通り過ぎてしまったので、通れそうな道へ。 グラベルだった。 多摩モノレールの終点。 モノレール沿いを走る。信号にことごとくひっかかり嫌になる。 今日の朝ごはんは、サンドイッチデリシャス。 ずらっと並ぶサンドイッチ。迷う。 おっちゃんのアクが強め。 鉄道総合技術研究所 新幹線だー 新幹線資料館。中に入れる。 中は資料館。入館料無料。 運転席も乗れる。 旧国立駅舎 国立駅から南へ伸びる大学通り。 歩道と車道から独立した自転車道がある。 一橋大学。 異様な光景に思わず止まる。 熊野神社(府中市) 武蔵府中熊野神社古墳。 国指定史跡。 新田川緑道 府中市立交通遊園。 今日、鉄分高めだ。 多摩川サイクリングロード 多摩川のベンチで朝ごはん。 多摩水道橋で解散。 荒玉水道道路。 水道管の上を通るまっすぐな道路。 桜上水駅の踏切。 開かずの踏切だった。長時間待った。 クリスピーズバーガー。 昼食を買って帰る。 ここも長時間待った。 関連項目 多摩湖自転車道 小金井公園 新幹線資料館 新田川緑道 東京サイクリング この項目のタグ 2022年 2022年9月 国分寺市 国立市 小金井市 府中市 日記 早朝サイクリング 東京サイクリング 東京都 立川市 タグ「早朝サイクリング」がついた項目 2015-03-31 / 2018-12-15 / 2022-08-07 / 2022-09-03 / 2022-09-04 / 2022-09-10 タグ「日記」「2022年」がついた項目 2022-08-27 / 2022-09-03 / 2022-09-04 / 2022-09-10 / 大井ふ頭緑道公園 タグ「2022年9月」がついた項目 2022-09-03 / 2022-09-04 / 2022-09-10 / 内川 / 円融寺 / 勝海舟記念館 / 川崎港海底トンネル / 川崎市 / 旧国立駅舎 / 熊野神社(府中市) / 黒茶屋 / 鴻巣橋 / 小金井公園 / 西郷橋 / ザトウキョウトイレット / 渋谷スクランブル交差点 / 城南島海浜公園 / 新幹線資料館 / 新田川緑道 / 新屋敷架道橋 / 洗足池 / 洗足池公園 / 高輪台小学校 / 多摩川 / 多摩川サイクリングロード / 多摩川スカイブリッジ / 多摩湖自転車道 / 十日森稲荷神社 / 中渋谷架道橋 / 七辻交差点 / 西六郷公園 / 呑川 / 東扇島東公園 / 妙福寺 / 武蔵小山商店街パルム / 武蔵府中熊野神社古墳 / 目黒新橋 / 八潮橋 / 谷戸前川 / 林試の森公園 / 六郷水門 / 六郷用水
https://w.atwiki.jp/worldhistory20/pages/13.html
東アジア・東南アジア世界の動向 清代の中国と隣接諸地域 トルコ・イラン世界の展開 ムガル帝国の興隆と衰退 [部分編集] 東アジア・東南アジア世界の動向 明の成立・発展 明 ①勇むや(1368年)明の朱元璋 ②(明の建国 1368年 珠元璋による) 明るいイサムは朱色が好き。 紅巾の乱 紅巾の乱( ~1366 ) ザコい(1351)紅巾 明と清の都 北京でミシンを買いましょう 北京 明・清 出典:『世界史でるとこ攻略法(文英堂}』 明の皇帝 ①コブできる程の喧嘩は永遠楽して勝てず正統派に負けステテコ踊らされる。 洪武帝 建文帝 永楽帝 正統帝 万暦帝 崇禎帝 ②明に 貢 献 、 衛 星 バ ス 明 洪武 建文 永楽 正統 万暦 崇禎 洪武帝 ①勇むやみんなの洪武帝!中出しやめて六階直行!黄色い魚を護るが利口 1368年 明 洪武帝 中書省の廃止 六部直属 六諭 賦役黄冊 魚鱗図冊 衛所制 里甲制 ②明の首都南京、建国朱元璋、彼は里甲制と衛所制で統治。 みんな(明)軟禁(南京)されてすげぇぞ(朱元璋)、利口(里甲制)で偉いでしょ(衛所制) 三省六部 ①理(吏)工学部の恵(刑)子(戸)さんが兵士にお礼した 門の下(門下)でチュー(中)しよう(尚)よぉ ②りこ(吏、戸)さんは高齢(工、礼)なので閉経(兵、刑)した。 礼部だけ、れいって読み方違うけど許せ ③注文しよう 注 :中書省→ 文 :門下省→ しよう:尚書省 ※実際の法律審議もこの順番! 朝貢貿易と北虜南倭 鄭和 石、奢ってええわ(鄭和) 1405 鄭和の遠征開始 韃靼(タタール) タタアアアアアアアアアアアアルンタン=ハン タタール アルタン=ハン 土木の変 ①石敷く土木(工事) →1449 土木の変 ②石敷くお江戸は正統派 1449年 オイラト エセン=ハン 土木の変(正統帝を捕らえる) ③おいらと僕/えせ(偽物)と正統 オイラト 土木の変(1449) / エセン=ハン 正統帝 ④正統帝「オエ~」 オイラトのエセ=ンハンに土木の変にて連行 ⑤1449年 土木の変 エセンハン対正統帝 いよっ、よくやった!エッヘン どう僕?正統帝 ⑥力石のテーマにのせて 「オイラ~、(正当でもえせでも)ボクサー♪」 オイラートのエセン=ハンのが正統帝を捕虜に(土木の変) 明の衰退と女真の発展 張居正 以後名に(1572)残る張居正 ↑万暦帝が即位して張居正を採用。同年サンバルテルミの虐殺。 李自成 李自成の乱(1631) ムサイ(631)ぞ李自成 ヌルハチ ヌルハチ→ヌル8→八旗 →八幡→満州文字 明代の社会 一条鞭法 1581 一条鞭法 怖い一条鞭法 明代の文化 「四書大全」「四庫全書」の見分け方 大全→たいぜん 全書→ぜんしょ "し"が入ってる方が清 入ってない方が明 ※「大」がついてないのは永楽帝ではない。 靖難の変起こして今で言う麻生みたいな支持率低状態で皇帝になったもんだから文化事業でイメージアップ ってことで大それた「大」がつく。 明代の学者 ①ホリの字 転送 ホ:本草綱目 リ:李時珍 の:農政全書 じ:徐光啓 てん:天工開物 そう:宋応星 ②『童貞の細いティンコをシゴこうにも,衛生的に無理!』 童貞(どうてい→すうていw)…崇禎暦書 細い(ほそい)…本草綱目 ティンコ…天工開物ww シ…四書大全 ゴ…五経大全 衛(えい)…永楽大全 …永楽帝の命で「四書・五経・性理大全」編纂 生(せい)→性理大全 上の3つは実学,下の4つは編纂事業に関する物。 実学書「農政全書」も重要だが抜けているw 「性理大全」はついでに入れただけ。 ③エ 園治 ス 崇禎暦書 テ 天工開物 の 農政全書 本 本草綱目 ※昔のサントリーウーロン茶のCM曲で作者と共におぼえるのがオススメ 明代の四大奇書 ①3 「水滸伝」 上二個の原作:施耐庵(元代) S 「三国志演義」 作者:羅貫中 「西遊記」 作者:呉承恩 (「悟」空が主役だから「呉」・・・) 1 「金瓶梅」 :不詳 エロ話 ②きしょっ、すさんだ最近 す …水滸伝 さん…三国志演義 さい…西遊記 きん…金瓶梅 [部分編集] 清代の中国と隣接諸地域 清の中国統一 1082年 清朝で白蓮教徒の乱を鎮圧 呉三桂と李成桂と李自成 呉三桂→三潘の乱(3繋がり) 李氏朝鮮の建国(李成桂) いざ、国をたてよう漢城に 1 3 92 壬辰丁酉の倭乱(李舜臣が活躍) 異国に攻めいる豊臣秀吉 李成桂→李形成 もしくは李整形 李舜臣と豊臣秀吉の臣つながり 李自成→自分で反乱を成す(明滅亡)→自成 1592 出来事順にすると李成桂→李舜臣 真ん中の文字とって成舜…せいしゅん…青春とか。無理矢理 ネルチンスク条約とキャフタ条約 ①忌む約束(1689年) ネルチンスク条約 いーな担いな(1727年)キャフタ条約 ②キャフタ条約→フタナリ条約→(17)27年 ③色は黒(1689・黒=黒龍江)きネルチンスク条約 ④井上が屋久島 1689 ネルチンスク ⑤1689 ネルチンスク条約 (いろんな約束ネルチンスク) ⑥ネルチンコスクスク条約 By康熙帝&ピョートル1世 キリスト教禁止 「キリスト教、よせって!」=キリスト教を雍正帝が禁止 出典:「Dr.Kの直観で覚える世界史Ⅴ用語600」 清の分割統治 直轄地―中国東北部・中国内地・台湾 藩 部―新彊・モンゴル・チベット・青海 朝貢国―朝鮮・ネパール・ミャンマー・タイ・ヴェトナム ⇒直下型(直轄)の大地震、東北・内地であったわん(台湾) ⇒(地震の)兆候(朝貢)はあったのだ。朝から(朝鮮)ネコ(ネパール)はミャ―ミャー(ミャンマー) 鯛(タイ)はベトベト(ヴェトナム) ⇒でも犯人(藩部)は新卒教師(新彊)モンペ(モンゴル)はいてて知性(チベット・青海)ゼロ ②ジュン(人名)とちゃちい世界 →ジュンガル部『チャハル、チベット、青海、回部』 清代の社会経済と文化 『四庫全書』 ①乾いたしっこで全焼 乾隆帝の時に四庫全書 考証学 「高校生退団」 明 高→黄宗ギ 末 校→顧炎武 清 生→銭大キン 退→戴震 初 団→段玉裁 段玉裁 玉砕自重 段玉裁 設問解字注 清代の文学 長 「長生殿伝奇」 寿の 「儒林外史」 (儒=役人 林=いっぱい)=役人の腐敗 こ 「紅楼夢」 (紅楼=華やかな生活 夢=終わった) と 「桃花扇伝奇」 り 「聊斎志異」 イエズス会宣教師の活躍 イエズス会宣教師 ①アダム、吸って。フェラビーストのように。 アダムシャールは徐光啓と「崇禎暦書」を作成。フェルビーストはアダムを補佐 した人物。 待てよ、今夜は無礼講よ全裸。 ↓ マテオ=リッチは坤輿万国全図、ブーヴェ、レジスが皇輿全覧図を作成。 ②待っても待ってもビッチは来んよ? マンコくせー女子高生のゆーっくりとしたコき加減は本物! マテオ=リッチ 坤與 万国全図 徐光啓 ユークリッド幾何学 幾何原本 を翻訳 清朝と東南アジア アユタヤ朝 アユタヤ朝(1351~1767) 遺産(目当ての)恋人なんてむなしい ラタナコーシン(チャクリ)朝 ちゃっかり独立更新たい! タイ、チャクリ朝(ラタナコーシン朝)、独立を維持 東南アジアの宗教 イスラム教国→アーバン待った! (アチェ、バンテン、マタラム) ヒンドゥー教国→マジャ(マジャコング)、心労ひでー (マジャパヒト、真臘、ヒンドゥー) ちなみにタイとビルマは上座部 ※大雑把に、大陸部は上座部でも良いと思う 清朝と東アジア 李氏朝鮮 ①利子を勘定、生計やばい。出資が苦で組員に恫喝 李氏(李氏)・漢城(勘定)・李成桂(生計)・両班(やばい)・朱子学(出資が苦)・訓民正音(組員)・銅活字(恫喝) ②1392 李成桂李氏朝鮮建国 いざくにつくらん李成桂 ③李成桂 いざ国作りに(1392) 挑戦だ!!(朝鮮) 鎌倉幕府 ①イイクニ(1192)作ろう鎌倉幕府 ②いいくにつくろう、がダメなのはそもそも1192年が東国政権成立の年とはみなせないからです。 征夷大将軍は朝廷から与えられる官名ですが、頼朝は後白河法皇を警戒し、後白河もまた同様だったので、後白河の死去後はじめ て鎌倉は征夷大将軍を受けた、という事情があったのですね。 おおむね鎌倉政権の確立は1185年におくのが現在では普通です。 予備校講師さんも、もっと本質的なところでつながっていないというところを指摘してほしかったですね。 江戸(徳川)幕府 ①1603 徳川家康が江戸幕府を開く (ヒーローのおっさん 徳川家康) ②ヒーローのおっさん 徳川家康誕生 1 6 0 3年 出典(①):ドランクドラゴンのネタ [部分編集] トルコ・イラン世界の展開 ティムール朝の興亡 ティムール朝 ①ティムールを誘(いざな)お~行こ~(1370~1500) ②いざ名を上げん!ティムール朝 (1370) ③茶 → ティー チャガタイ・ハン国 → ティムール ④1370:見直したよティムール君!(ティムール朝成立) 出典(②): オスマン帝国の成立と発展 オスマン帝国 ①肉食う国だ ohスマンm(_ _)m(1299~1922) ②1299:人肉食うのがオスマン・トルコ(オスマン帝国成立) ルーム=セルジューク朝 (グレゴリウス7世) (ホ ラズム)(ハインリヒ4世) 日暮れ後も、いれてながなが叫べども、ホーラ部屋へは、はいれん(リヒ) (10 7 7) (ルーム=セルジューク) カノッサの屈辱(神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が教皇グレゴリウス7世に破門され、解除を願う) ホラズム朝建国 ルーム=セルジューク朝建国 オスマン帝国のスルタン達 オスはムラムラばあやをめとるセオリー無視のスレンダー ①オスマン1世 ムラト1世 バヤジット1世 メフメト2世 セリム1世 スレイマン1世 めふめと以外はみんな1世だよー ②オスマン帝国 「オスはムラムラ、ハメセックス」 オス オスマン1世 ムラ ムラト1世 ハ バヤジット1世 メ メフメト2世 セ セリム1世 ッ ク ス スレイマン1世 ③「ばーや、じっとしてて!アメフトで擦りむいたんだから!」 ばーや、じっと→バヤジット一世 アメフト→メフメト二世 擦りむいた→セリム一世 ④おすばや、めふめせりまん(古文のノリで) ↓オスマン1世 ↓バヤジット1世 ↓メフメト2世 ↓セリム1世 ↓スレイマン1世 (このあと逆流してセリム2世、メフメト4世) オスマン帝国の都 「ブルーさ…、あっドリアン!と思ったらアイスだった…コーンスープ味の」 ブルーさ→ブルサ あっドリアン→アドリアノープル アイス→イスタンブール コーンスープ→コンスタンティノープル アンカラの戦い ①1402:石田鬼(アンカラの戦い) ②1402年アンカラの戦い →異様に(1402)強い!ティムール様 ③いっしょに(1402)行こうよアンカラの戦い ビザンツ帝国滅亡 ①ビザンツ滅亡と百年戦争終わり。 1453(石とゴミ) ②1453:石田ゴミ(ビザンツ帝国滅亡、百年戦争終結) ③いよいよ誤算(1453)が生じて東ローマ滅亡 ④意志ゴミ(1453)の如く東ローマ ⑤一日シコるの3回まで 1 4 5 3年 セリム1世 「セリム1世 サメッカメを守る」 サメとカメを守る感じで サ→サファヴィー朝に打撃 メッカとメディナを支配下 マムルーク朝滅ぼす 第一次ウィーン包囲 ①一言憎いウィーン包囲 (1529) 出典(①): ②以後憎(1529)しみ生む第一次ウィーン包囲 ③イチゴ肉 1529年 ウィーン包囲 ④1529第一次ウィーン包囲 以後憎まれるオスマン朝 第一次ウィーン包囲と第二次ウィーン包囲 ウィーン包囲は肉と野菜で覚える 1529(にく)年第一次ウィーン包囲 1683(“やさ”い)年第二次ウィーン包囲 プレウェザ海戦 ①トルコさんは(1538)好プレー(プレウェザ) ②『プレヴェザの海戦』 (連合艦隊の船が転覆しかかってるイメージで) 連合軍「ぎゃー、船が沈む!誰か丸太くれ~」 スレイマン1世「ゴミやな、滑ろ」 丸太くれ→クレタ島とマルタ島(帝国はクレタ、マルタを除く全地中海域の制海権を握ることとなった) ゴミや→1538年 滑ろ(スヴェロー)→スペイン、ヴェネツィア・ローマ教皇 ③以後惨敗のプレヴェザの海戦 ④1538プレヴェサの海戦 以後騒がれるオスマン朝 レパントの海戦 ①トルコ泣いた(1571)レパントの海戦 ②1571:以後泣いたよトルコ軍(レパントの戦い) ③ パンツ 1コない おっ、すまん! (レパント) (1571) (VSオスマン) ④1571年 レパントの海戦 →トレパンはいて以後無い人気 ⑤1571レパントの戦い 以後泣いて過ごすオスマン朝 サファヴィー朝の興隆 サファヴィー朝 以後多いシーア派サファビー朝 (1501) 出典: アッバース1世 アッバース1世、ホルムズ島奪回、イスファハーン遷都 アーッ!掘る、アッハーン [部分編集] ムガル帝国の興隆と衰退 ムガル帝国の盛衰 ムガル帝国 ①子風呂(1526)番小屋(1858)無ガール ②ムガルがイチゴ摘む、いや怖い(1526~1858) ③I go to ムガル帝国 1526年 ムガル帝国成立 ムガル帝国皇帝 ①ムガルばあしゃあん。 バーブル→アクバル→シャージャハーン→アウラングゼーブ ②ムガル帝国皇帝 バブルなアクバル処女は売らん バーブル→アクバル→シャージャハーン→アウラングゼーブ ヴィジャヤナガル 美女穴ガール →ヴィジャヤナガル ナーナク シクシク泣くナーナク インド=イスラーム文化の開花
https://w.atwiki.jp/densin/pages/68.html
RO 伝心 Gv 雑魚 RMT 初戦敗退 BOT 諸星 Sig 絵里ママ 暴言 恒心 tia もじ オフ会で暴行 bal スパイ バグ利用 愚風 キモスレ 直結 ハゲ オタサー 無職 ラブライ豚 Sigrun 粘着wis Tiamet Baldur NEET DQN 脱糞 メンヘラ 恐喝 チート Qooaは鼻くそを食べる 15/07/114107788お薬増やしておきますね151ジェネティック♀ 15/06/204107788しゃもコンthe shadow spirits165ワンダラー♀ 15/05/314107788オタサーの姫99ソウルリンカー♀ 15/05/244107788しゃもじろう_TiEvlend果敢に攻めます165修羅♀ 15/05/234107788ガンガゼヤドリニナ165シャドウチェイサー♀ 15/05/234107788献身できません165ロイヤルガード♀ 15/05/124107788人造人間しゃもじ_Ti165ギロチンクロス♀ 15/05/054107788甲殻類の長165修羅♀ 15/04/304107788血に飢えたクワガタEvlendもうやだ!!!165ワンダラー♀ 15/01/244107788コンペイトウウミウシ165ギロチンクロス♀ 15/01/154107788ザリガニの恩返し147ソーサラー♀ 14/04/264107788しゃもじ商店99限スーパーノービス♀ 13/08/114107788よく冷えたカブトムシ113朧♀ 12/11/104107788しゃもじ_Tiアイスクリームください!もじもじじ150ジェネティック♀ 12/09/164107788付与用しゃもじ58セージ♀ 12/05/124107788ラリー用しゃもじI30アーチャー♀ 12/04/084107788しゃもじ(tiamet)98ジェネティック♀ 12/02/254107788ガンガゼヤドリニナ(tiamet)97チェイサー♀ 11/12/144107788Tiamet-094(loki)8ノービス♀ 11/10/264107788人造人間しゃもじ(tiamet)お断りします( ゚ω゚ )他力本願寺中衛所150ギロチンクロス♀ 11/10/054107788しゃもじろう(tiamet)101修羅♀ 11/08/134107788しゃもじ。(tiamet)110レンジャー♀ 10/08/304107788えんどれす☆しゃもじ(tiamet)86クルセイダー♀ 10/08/284107788みにしゃも(tiamet)悪意のあるペロス団ボク女の子だよ72養スーパーノービス♀ 10/08/064107788くっきんぐ!しゃもじ(tiamet)Doutei_Quest_Ⅳ1071ハイノービス♀ 10/07/234107788しゃもっこ(tiamet)VIPアカデミー大惨事199忍者♀ 10/06/144107788メカしゃもじ(tiamet)34マーチャント♀ 10/06/134107788πneo(tiamet)73モンク♀ 10/06/064107788えたーなる☆しゃもじ(tiamet)ペンギン帝国きせきのかーにばる77セージ♀ 10/04/034107788しゃもじすと(tiamet)バーボンハウス61アサシン♀ 10/02/254107788しゃもに(tiamet)バーボンハウス85ダンサー♀ 10/01/304107788ひき肉(loki)35アコライト♀ 15/07/054587173献身165ロイヤルガード♂ 15/06/204587173三六RAG FLAVOR.99チャンピオン♂ 15/06/144587173より強い奴に会いに行くthe shadow spirits筋肉まみれのPT1165修羅♂ 15/06/134587173ディフェンスに定評のある池上No respect2つめだよ99パラディン♂ 15/06/114587173四九六165メカニック♂ 15/05/304587173くにへかえるんだな123ギロチンクロス♂ 15/05/234587173ソードガーディアンNo respectいちばんぬ99ロードナイト♂ 15/05/164587173切間CLEMENTIA127421481ハイウィザード♂ 15/04/214587173二八110ソーサラー♂ 15/04/214587173|←樹海| ┗(^o^ )┓三165ルーンナイト♂ 15/03/074587173札束で殴る73マーチャント♂ 15/03/024587173諸星165シャドウチェイサー♂ 15/03/024587173三鷹150アークビショップ♂ 15/03/024587173一八七165ギロチンクロス♂ 15/01/034587173十字斬首者No respect春眠暁を覚え299アサシンクロス♂ 15/01/034587173四円150アークビショップ♂ 13/10/234587173お前が死ぬんやで104ギロチンクロス♂ 13/10/154587173五代150シャドウチェイサー♂ 13/08/254587173兆者Re Connectionいそげーいまだー150メカニック♂ 12/06/234587173九九お断りします!( ゚ω゚ )虫コナーズ99拳聖♂ 12/05/174587173兆者_Ti98メカニック♂ 12/05/164587173五代_Tiお断りします!( ゚ω゚ )オーラロード150シャドウチェイサー♂ 12/05/114587173五十_Ti98ロードナイト♂ 12/04/164587173兆者(tiamet)98メカニック♂ 12/04/144587173五十(tiamet)76ロードナイト♂ 12/04/084587173十字(tiamet)99ロイヤルガード♂ 12/04/084587173五代(tiamet)99シャドウチェイサー♂
https://w.atwiki.jp/wiki6_piro/pages/5071.html
玉川上水 たまがわじょうすい 東京都羽村市から新宿区に至る、江戸時代に造られた水路。 羽村取水堰で多摩川から取水し、武蔵野台地を通り、四谷大木戸(現在の四谷四丁目交差点付近)に置かれた水番所を経て江戸へと分配されていた。 一部が国指定史跡となっている。 上流部分は現在でも東京都水道局の水道施設として使用されている。 現在の玉川上水を流れる水 上流(羽村取水堰~小平監視所):多摩川から取水した水 中流(小平監視所~浅間橋):清流復活事業による下水処理水 下流(浅間橋~四谷大木戸):少量の湧水 上流部 多摩川から羽村取水堰で取水。 大部分は、約500m下流の第三水門から導水管(羽村線)で分水。山口貯水池(狭山湖)・村山貯水池(多摩湖)へ自然流下で送水される。 そのすぐ下流の羽村導水ポンプ所で分水。小作浄水場へポンプで送水される。 残りは小平監視所で取水。新堀用水及び導水管(砂川線)で東村山浄水場へ自然流下で送水される。 中流部 昭島市にある多摩川上流水再生センターで高度二次処理した下水が送水され、放流される。 境橋(西東京市・武蔵野市境界)付近で、千川上水に水量の20%を分水。 中央自動車道とぶつかる浅間橋付近から、導水管で600m北側の神田川に放流している。 下流部 大部分は暗渠で流れは見えないが、世田谷区・渋谷区の一部の開渠になっている部分で湧水による少量の流れが見える。 四谷大木戸まで流れた後、最終的には玉川上水余水吐の下を通る下水(千駄ヶ谷幹線)に流れている。 現在の状況 羽村市 羽村取水堰付近 右岸は羽村取水所園地となっており、多摩川兄弟の像があるほか、羽村取水堰を眺められる。 第二水門上は徒歩で通行可能。 左岸は東京都道29号が通っている。 羽村市 羽村橋~堂橋 右岸は東京都水道局の用地で、羽村導水ポンプ所等があるが、歩行者・自転車は通行可能。 水路は斜面を横切るように通っており、右岸は土手、左岸は擁壁になっている。 左岸は東京都道29号が通っている。 羽村市 堂橋~福生市 新堀橋 右岸は砂利道。 左岸は高低差が大きくなっている。東京都道29号が少し離れた部分の擁壁上は宅地となっている。 福生市 新堀橋~宮本橋 2022-09-03 吉祥寺駅から小金井公園まで 境水衛所跡 2022-08-11… 三鷹駅 2022-06-19… 2022-06-10… 2020-11-27 暗渠になり公園になっている。 渋谷区でも、暗渠になっていない部分もあるの知らなかった。 今でも所管は水道局なんだ。 昔とあまり変わらないであろう土手のまま。良い。 環状七号をくぐる地下歩道。 パイプが通って不思議な雰囲気。 京王線をくぐる。 甲州街道にぶつかるところ。 2013-08-29 関連サイト Wikipedia 玉川上水 玉川上水散策地図 関連項目 2013-05-25 2013-08-29 2013年8月北多摩 2020-11-27 2022-08-06 2022-08-27 2022-09-03 多摩川 新東京百景 東京サイクリング 神田川 箒銀杏 羽村市 自転車写真 近代水道百選 この項目のタグ 2013年 2013年8月 2020年 2020年11月 2022年 2022年6月 2022年8月 2022年9月 国指定史跡 土木建造物 東京都 歴史 歴史的建造物 水路 タグ「東京都」「歴史」がついた項目 愛宕神社(港区) / 安藤記念教会 / 井草八幡宮 / 出雲大社東京分祠 / 伊勢丹新宿店本館 / 市谷亀岡八幡宮 / 市ヶ谷水管橋 / 上野駅 / 上野恩賜公園 / 円融寺 / 大隈講堂 / 大鳥神社(目黒区) / 大宮八幡宮 / 小笠原伯爵邸 / 岡田商事 / 奥氷川神社 / 尾崎観音 / 外苑橋 / 学士会館 / 学習院旧正門 / 数馬 / 数馬分校記念館 / 勝鬨橋 / かちどき橋の資料館 / 勝海舟記念館 / カトリック神田教会 / 上恩方郵便局 / 亀戸水神社 / 亀戸天神社 / 亀の子束子西尾商店本店 / 寛永寺 / 北里記念医学図書館 / 吉祥寺(文京区) / 九段会館 / 九品仏浄真寺 / 慶應義塾大学信濃町キャンパス / 京華女子中学・高等学校校舎 / 小石川後楽園 / 小石川植物園 / 広徳寺 / 国立科学博物館日本館 / 小平ふるさと村 / 国会議事堂 / 国会前庭 / 堺屋酒店 / さかえビル / 幸神神社 / 三福ビル / 塩船観音寺 / 市政会館・日比谷公会堂 / 品川神社 / 下高井戸八幡神社 / 下山八幡神社 / 承教寺 / 巣鴨庚申塚 / 千住大橋 / 千住宿 / 千住神社 / 増上寺 / 大円寺(目黒区) / 大悲願寺 / 多摩川浅間神社 / 多摩川台公園 / 十日森稲荷神社 / 常盤小学校 / 常磐橋 / 常盤橋 / 富岡八幡宮 / 中渋谷架道橋 / 中目黒八幡神社 / 名倉医院 / ニコライ堂 / 二重橋 / 抜弁天 / 幡ヶ谷氷川神社 / 八幡橋 / 原宿駅 / 宝禄稲荷神社 / 堀江歯科医院 / マーチエキュート神田万世橋 / 将門塚 / 万世橋 / 三崎稲荷神社 / 三宿神社 / 御田八幡神社 / 亀塚公園 / 三井本館 / 三越日本橋本店 / 妙正寺 / 妙福寺 / 山梨中央銀行東京支店 / 弓町本郷教会 / 吉原神社 / 代々木競技場 / 代々木八幡宮 / 六義園 / 両国駅 / 両国橋 / 六郷用水 / 和光 タグ「国指定史跡」がついた項目 足尾銅山 / 伊能忠敬旧宅 / 石見銀山 / 小田城跡 / 小田原城跡 / 金沢城跡 / 旧有壁宿本陣 / 旧余市福原漁場 / 小石川植物園 / 高知城跡 / 高麗石器時代住居跡 / 首里城跡 / 尚古集成館 / 清見寺 / 仙台城跡 / 高遠城跡 / 高松城跡 / 玉川上水 / 多摩川台公園 / 鶴岡八幡宮 / 出島 / 東禅寺(港区) / 韮山反射炉 / 野上下郷石塔婆 / 箱根旧街道 / 橋野高炉跡 / 原城跡 / 平沢官衙遺跡 / 弘前城跡 / 福山城跡 / 富士山 / 堀川用水 / 松本城跡 / 松山城跡 / 丸亀城跡 / 武蔵府中熊野神社古墳 / 湯島聖堂 / 龍河洞 / 若松城跡
https://w.atwiki.jp/pnssty/pages/64.html
姉・瓔寧(ヨウネイ)の死の真相を探っていた魏瓔珞(ギヨウラク) 容疑者として浮上した傅恒(フコウ)とは和解、犯人探しは振り出しに戻ることに… すると瓔寧が襲われた日は皇帝の宗室(皇族)の宴があり、王・公・貝勒(ベイレ)全てが集まっていたと分かります となると黒幕は真相を隠すためなら内情を知る者を殺して口封じすることも厭わない人物のはず 傅恒は瓔珞を心配して調査を諦めるよう警告しますが、瓔珞は危険な行動はしないと約束します 富察(フチャ)皇后は長春宮で愉(ユ)貴人のお産の面倒を見ることに すると太后のお供で留守の日に限って陣痛が始まってしまいます ともあれ愉貴人は無事に皇子を出産、しかし赤子は金色でした 高(コウ)貴妃はこの機に乗じて愉貴人と皇子を排除すべく、規則に従い不吉な赤子を即刻、埋葬しろと命じます 明玉(メイギョク)は連座を恐れて傍観しているだけ、そこで瓔珞は皇后の金印を勝手に持ち出し、必死に抵抗しました そこへちょうど皇帝と嫻(カン)妃が現れ、ひとまず話し合うことに… 嫻妃の進言で江南の名医・葉天士(ヨウテンシ)が呼ばれることになります 葉天士は太医の診断を退け、五皇子は黄疸が出ているだけで完治すると断言しました その時、純(ジュン)妃がやって来ます 実は赤子が黄色く生まれたのは高貴妃が故意に愉貴人に甘いものを大量に食べさせたせいだとか 瓔珞は確かに愉貴人が好んで焼餅(チャパティとホットケーキの間?)を食べていたと証言 葉天士もならば母体の胆汁が赤子の身体に蓄積されて黄疸が出るはずだと合点が行きます 料理人はすでに遺体で発見されていましたが、血書で高貴妃の指示だったと書き残していました これが決定的な証拠となり、高貴妃は皇帝から怒りを買って禁足を命じられてしまいます 瓔珞が持ち出した金印の小箱の中身はすずりというオチでした 皇帝からの処罰は免れましたが、瓔珞は黒幕が純妃だと分かります 高貴妃の仕業ならこんな簡単に馬脚をあらわすはずないと気づいたんですね~ 瓔珞に指摘された純妃は意外にもあっさり自分が画策したと認めます (๑•̀ㅂ•́)و<深宮では今日、勝った者も明日には消える…@ハイジ←知っている人だけでw 善意など捨てることだと戒める純妃 これまでしとやかで善良そうでしたが、皇帝の寵愛を避けたり、傅恒を見つめたりと謎の多い妃でした どうやら裏がありそうですが、詳しい事情はまだ先の話 さて儲秀(ショシュウ)宮で軟禁となった高貴妃 重臣で父・高斌(コウヒン)が皇帝の許しを得て面会に来ましたが、それは娘を慰めるためではなく、後妻の娘である妹を入宮させるという話 高貴妃は母が死んだのは父のせいだと恨んでいて、しかも母が亡くなって間もなく後妻を娶ったこともあり確執があるんですね 憤慨した高貴妃はその夜、かつて皇帝が自分を見初めてくれた得意の歌声で再び寵愛を取り戻すことに成功 腹違いの妹を後宮には入れないと約束させました そんなある日、皇帝は身体中に発疹があらわれ、疥癬だと診断されます 皇后は伝染病と知りながら自ら介抱すると決め、瓔珞を同行 瓔珞は合間を見て李総監にそれとなく姉が襲われた1月10日の宴のことを聞いてみます しかし李総監は乾清宮で行われた宗室の宴の時、席を離れた人は1人もいなかったと断言しました 皇后の献身的な介抱もむなしく、皇帝の全身の湿疹はなかなか快方に向かいません そこで再び名医の葉天士が呼ばれます 治療法を見つけた葉天士はこっそり瓔珞に伝えましたが… 全身のかゆみで苛立つ皇帝が皇后に八つ当たりをするのを目撃した瓔珞 そこですかさず明君の行動とは思えないと非難しました さらに以前、皇后をドタキャンして儲秀宮に泊まった皇帝への不満を爆発させ、高斌の顔色をうかがって高貴妃を寵愛していると暴言を吐いてしまいます (=^▽^)σ<な~にが堂々たる帝王よ、九五之尊(キュウゴノソン/天子のこと)の威厳なんてこれっぽちもないじゃない、ぶはははは~ すると激高した皇帝は興奮のあまり喀血してしまいます そこへ葉天士が現れ、血痰が出たのでこれで完治したと喜びました 瓔珞がわざと自分を怒らせと分かったものの、皇帝はただでさえ気に食わない瓔珞の無礼を見過ごせません しかし瓔珞が急にばったり倒れてしまいます 皇帝は疥癬が移った瓔珞を処罰することもできず、隔離して休ませるよう命じました 傅恒は深夜、眠っている瓔珞を介抱し、そっと帰ります 実は瓔珞は皇帝の病が伝染したわけではなく、落花生の食べ過ぎという仮病 これも保身のためで、皇帝の怒りが鎮まるまで待っていようということでしょうか? 回復した瓔珞は看病してくれたのが傅恒だと確信して会いに行きますが、傅恒は否定しました しかしちょうど海蘭察(カイランサツ)が現れ、うっかり口を滑らせてしまいます 傅恒は瓔珞の名誉を考えて嘘をついたと釈明、瓔珞と傅恒の仲はいっそう親密に♪ 未だ寝所に呼ばれない舒(ジョ)嬪・納蘭淳雪(ノウランジュンセツ)は皇后の歓心を買おうと考えましたが、明玉に追い返されてあえ無く失敗 次に嘉貴人に取り入ろうとするも、日和見な態度を見透かされたのか皮肉を言われてしまいます そこで高貴妃の信頼を得ようと皇帝の誕生日の宴で瓔珞に罠を仕掛けることに(納蘭氏は第1話で秀女選びに落選した烏雅青黛の妹分、だからその原因を作った瓔珞はもともと敵認定) しかしまたしても機転の利く瓔珞にやり込められて完敗します またこの時に明玉も瓔珞に協力したことから2人の関係も雪解け~(←IKKOさん風 噂を聞いた宮女たちが仙女を見に行こうと急いでいると、皇帝が話を聞いて長春宮へ現れました 美しい皇后の姿に皇帝は喜び、そのまま長春宮で一夜を過ごすことに…男ってヤツは(ry しかしそのせいで舒嬪は初めての夜伽を潰されてしまいます 翌朝、後宮には皇后の仙女コスプレに憧れて額に印を描いている宮女たちの姿がありました 昨夜の話を聞いた舒嬪は皇后に夜伽を阻まれたと逆恨みし、高貴妃に泣きついて再びチャンスをもらうことに… そこで皇太后の園遊会で宮女に騒ぎを起こさせ、2階から落下した宮女が死亡 高貴妃と舒嬪は皇后の仙女姿のせいで内廷の風紀が乱れていると吹き込みました しかし瓔珞は皇太后に高貴妃の芝居の影響だと説明、その証拠に宮女の亡骸を見せると、確かに京劇風メイク 実は一足先に現場に到着した瓔珞が染色に使われる花を摘んで潰し、あらかじめ宮女の顔に塗りたくっていました 皇太后は黙って引き上げましたが、即刻、儲秀宮の演舞台を解体させ、高貴妃の大事な芝居の衣装を燃やしてしまいます 再び失敗した舒嬪は何とか挽回すべく、高貴妃に瓔珞と親しい繍坊の張(チョウ)嬷嬷(モーモー)から秘密を聞き出そうと献策 家族のことで脅迫された張嬷嬷は瓔珞が姉の事件を調べていると暴露してしまいます そこで瓔珞を儲秀宮に呼び出し、事件当夜の様子を目撃した宦官と引き合わせました 年端も行かない宦官は1月10日が御花園の当番で、侍衛が宮女を築山に連れ込んで襲っていたと証言します しかもその自衛は富察傅恒だとか 瓔珞もさすがに鼻で笑ってしまいますが、その証拠に宦官は当時、築山で拾った朝帯を渡しました 舒嬪は愕然とする瓔珞に毒薬を渡し、姉の敵である富察姉弟を討つようそそのかします 結局、瓔珞の皇后への忠誠心が揺らぐことはなく、毒薬が使用されることはありませんでした ただ傅恒が何か隠していると確信し、朝帯を返して問い詰めます しかし傅恒は瓔珞を守るため真相を明かすことができず、かえって瓔珞を怒らせました 皇帝は四皇子を亡き嘉貴人の妹に扶養させようと決め、承乾宮を訪ねます 話を聞いた嫻妃は意外にも黙って従い、皇帝は後ろめたさからその夜、泊まっていくことに すると嫻妃が夜泣きする四皇子のもとに裸足のまま駆けつけ、足から血を流して世話をしている姿に心を打たれます 嫻妃の作戦は功を奏し、皇帝は嫻妃に四皇子の養育を任せると決断しました(実は四皇子の部屋に駆けつける時、わざと足の裏を切っておいたんですw) 内務府へ行った瓔珞は皇帝が御花園で茶会を開き、皇族が参加していると知ります そこで姉を襲った犯人をあぶり出そうと、帰り道の皇族たちを待ち伏せ 雷鳴が轟く激しい雨の中、幽霊騒ぎを起こします すると身に覚えのある和(ワ)親王・弘昼(コウチュウ)はその場で錯乱し、化けの皮が剥がれることに… 傅恒はすでに瓔寧を襲ったのが弘昼だと気づいていたんですね あの日、傅恒は出宮していたため制服は侍衛所に残してありました 自分に扮してこんな事ができるのは幼なじみの弘昼しかいないと分かっていたようです そこで瓔珞の暴走を止めるため、皇后を証人として弘昼に謝罪させることにしました 弘昼は酔った勢いで阿満を汚してしまったと認め、後悔して賠償しようと思った時には出宮していたと言い訳します 悪びれる様子のない弘昼に怒りが収まらない瓔珞、しかしそこに魏父が… 実は弘昼、先回りして厚遇を条件に魏父を懐柔 瓔珞は父からこの件を蒸し返さないよう命じられ、その場では妥協するしかありませんでした さすがに皇后も弘昼の君子らしからぬ態度に憤慨、弟の解決法に不満をあらわにします しかしこれが瓔珞を守る唯一の方法だと納得するしかない傅恒… そんな傅恒の瓔珞への想いを知ってブラック化する人物が登場、長春宮の筆頭宮女・爾晴(ジセイ)です 皇后から重用され、今や明玉とまで仲良しになった瓔珞 長春宮での存在感が増して行く中で傅恒まで奪われたと知り、壊れてしまったのでしょうか 功績をあげた葉天士は太医となって入宮 しかしもともと民間の医者で才能があることから、嫉妬されて太医院の雑役を押し付けられています 瓔珞はそんな葉天士を助け、ふたりは仲良しに そこで瓔珞は安眠に使う曼陀羅の葉を分けてもらいます まったく懲りない様子の弘昼 そこで瓔珞は思わせぶりな態度を見せると、案の定、弘昼は瓔珞に目をつけます ある夜、瓔珞が出かけて行く姿を見かけた弘昼は、お付きの宦官に衣を取り替えるよう強要して後をつけました すると築山の中で姉の供養をする瓔珞の姿を発見 宮中での祭祀はご法度、弘昼は告発すると脅します 驚いた瓔珞はわざとつまづいて弘昼の胸に飛び込み、色目を使いながらまずは供養がしたいと曼陀羅の葉を仕込んだ火付けを点火 瓔珞は泣いているフリをして手巾で鼻と口を押さえていましたが、隣で屈んでいた弘昼は次第にもうろうとして来ます ついに姉の敵を打つ時が来た瓔珞、しかし弘昼は危ないところで逃げ出すことに成功しました 築山を飛び出したものの瓔珞に追いつかれてしまった弘昼は必死に衛兵を呼びます 瓔珞はもはや手を下すことができないと判断するや否や衣をはだけ、弘昼に襲われたと見せかけることにしました すると騒ぎに気付いた皇帝が現れ、乱れた姿の瓔珞を見て愕然となります 裕(ユウ)太妃は息子が養心殿でひざまずいていると聞いて急いで駆けつけました そこでようやく弘昼が大罪を犯したと知ります 裕妃は激怒して息子を鞭で猛打し、皇帝に兄弟の情に免じて見逃して欲しいと懇願しました しかしそこまでしても皇帝は弟の処遇をまだ決めかねている様子 結局、弘昼は曼荼羅の毒と裕妃からのムチ攻撃で床に就き、瓔珞への恨みを募らせます
https://w.atwiki.jp/studykorea/pages/214.html
トップページ>韓国>東方学志 『東方学志』60、1988 鄭璟喜「三国時代社会と儒教経典の研究」 金容燮「朝鮮後期の麦作技術」 박석윤、박석인「朝鮮後期財政の変化時点に関する考察:1779年(正祖3年)から1881年(高宗18年まで)」 남기심「「辞課指南」考」 金容徳「明治初地租改正に対する農民抵抗の形態」 資料 「アペンゼラーとバンカーの書簡⑥」 『東方学志』59、1988 허웅「16世紀国語助詞研究:15世紀から変化して来た足跡を辿る」 김석득「構成要素の意味と総合体の意味との関係」 丁奎福「九雲夢老尊本の二分化」 李光麟「尹致昊の日本留学」 閔庚培「3・1運動と外国宣教師たちの関与問題」 김중섭「1920年代衡平運動の形成過程:晋州地域を中心に」 資料 「アペンゼラーとバンカーの書簡⑤」 『東方学志』58、1988 発表論文 黄元九「韓国における実学研究とその成果」 李佑成「初期実学と性理学との関係:磻渓柳馨遠の場合」 金容燮「朝鮮後期の社会変動と実学」 李龍範「李朝実学派の西洋科学受容とその限界:金錫文と李瀷の場合」 「総合討論」 資料 「アペンゼラーとバンカーの書簡④」 『東方学志』57、1988 金杜珍「羅末麗初桐裏山門の成立とその思想:風水地理思想に対する再検討」 南文鉉「世宗朝の漏刻に関する研究:報漏閣自擊漏」 金容燮「『農事直説』と『四時纂要』の木綿耕種法増補」 林熒澤「17世紀閨房小説の成立と『倡善感義録』」 趙興胤「韓国装潢史料(1):影幀模写都監儀軌」 Daniel M.Davies「ヘンリー・ガーハード・アペンゼラー:彼の韓国独立、民主主義、近代化への貢献」(英) L. Vandermeersch「古代中国における礼と法の制定」 J. Pigeot「16世紀日本小説を通じて見た首都の新しい面貌」 資料 「アペンゼラーとバンカーの書簡③」 『東方学志』54・55・56、1987 姜信沆「韓国漢字音内舌音系字音の変化について」 姜銓燮「「東国歴代歌」の作者模索」 権錫奉「韓清通商条約の締結」 金文経「唐日文化交流と新羅神信仰:日本天台僧最澄・圓仁・圓珍を中心に」 김석득「屈折接辞の敬語最小型形成論」 金泳鎬「茶山実学における倫理と経済」 金容燮「農家月令の農業論」 金駿錫「許穆の礼楽論と君主観」 羅逸星「英祖の測雨器復元」 閔庚培「金益斗牧師の復興運動と彼の治病問題」 朴成桓「太祖の石刻天文図と粛宗の石刻天文図との比較」 손보기「わが国の稲作の新しい事実:インド型種籾の痕跡を探す」 元裕漢「朝鮮後期官僚学者徐栄輔の貨幣経済論:丁若鏞の貨幣経済論との比較検討」 柳東植「韓国人の霊性と宗教文化」 尹炳泰「敦岩印書体字考」 李景植「17世紀土地折受制と職田復旧論」 李光麟「開化期知識人の実学観」 이옥「檀君神話に現れるいくつかの疑問点」 이융조「韓国旧石器遺跡と植物相の分析研究」 이혜구「致倭兵と真勺」 李煕徳「竜飛御天歌と瑞祥説」 林炳勲「茶山丁若鏞の国営鉱業政策・経営論:社会改革思想の発展及び社会改革論武井と関連して」 張存武「歴史比較研究時代の到来を迎えて」(中) 鄭良婉「梅泉黃玹の自矜について」 鄭亨愚「『諸仏如来菩薩名称歌曲』の輸入とその普及・誦習問題」 趙誠乙「丁若鏞の尚書研究文献の検討」 趙興胤「シベリアから来た手紙:ハンス・フィンダイゼン(Hans Findeisen)の行状」 周采赫「元朝色目官人の種族構成研究」 池培善「北燕について(Ⅰ):高句麗王族後裔高雲とその在位時を中心に」 陳捷先「「旧満州档」の中韓関係史料」(中) 千恵鳳「義天の入宋求法と宋刻注華厳経板」 河炫綱「高麗太祖の内外政策の樹立背景とその性格」 홍재성「韓国語辞典における多義語処理と同型語処理の選択:「찾아가다/찾아오다」の場合」 『東方学志』53、1986 李光麟「『皇城新聞』研究」 崔在錫「新羅時代の骨品制」 曺喜雄「韓国説話学史起稿:西欧語資料(第Ⅰ・Ⅱ期)を中心に」 金泳「燕巌の「士」意識と読書論」 洪性讃「巻末・日帝下の地主制研究:50町歩地主宝城李氏家の地主経営事例」 강전섭「「金剛永言録」研究序説」 許璧「四書全書考」 조홍윤「宗教体験研究Ⅰ」 資料 「アペンゼラーとバンカーの書簡②」 『東方学志』52、1986 최철「「三句六名」の新しい解釈」 金容燮「閑情録の農業論」 印権煥「「鼈主簿伝」漢文本考」 Daniel Boushez「韓国学の先駆者、モリス・クラン(下)」 申栄祐「1894年嶺南尚州の農民軍と召募営(下)」 李亨求「渤海沿岸北・東部地区(満州)旧石器文化」 盧泰敦「高句麗史研究の現況と課題:政治史理論」 成百仁「初期満州語辞典について」 閔斗基「19世紀後半朝鮮王朝の対外危機意識:第1次、第2次中英戦争と異様船出没の対応」 나일성「アペンゼラーとバンカー、両宣教師の書簡を連載して」 資料 「アペンゼラーとバンカーの書簡①」 『東方学志』51、1986 崔在錫「韓国社会史における一制度の通時的追求」 申賢淑「新羅元暁の遊心安楽道撰者考」 趙誠乙「丁若鏞の身分制改革論」 金泳「18世紀嶺南地方文学・思想論争研究:江左と大山の論争の性格と訥隠・霽山の仲裁論理」 Daniel Boushez「韓国学の先駆者、モリス・クラン(上)」 申栄祐「1894年嶺南尚州の農民軍と召募営(上)」 曺永禄「明代前期における科道官体系の形成過程」 『東方学志』50、1986 李煕徳「韓国古代の自然観と儒教政治思想」 崔在錫「新羅の始祖廟と神宮の祭祀:その政治的・宗教的意義と変化を中心に」 金容燮「千一録の農業論」 方基中「朝鮮後期軍役税における金納租税の展開」 김서득「18世紀硬音形態音素化:ㅂ系の硬音化の音韻条件」 임용기「我々の言葉の音節構造の歴史的変遷過程について」 홍재성「現代韓国語対称句文分析の一局面」 이기동「単語の意味と範疇化」 金源模「朝鮮報聘使のアメリカ使行(1883)研究(下)」 『東方学志』49、1985 禹澈九「丙寅洋擾小考」 金源模「朝鮮報聘使の米国使行(1883)研究(上)」 李光麟「甲申政変と褓負商」 洪性讚「巻末・日帝下の地主制研究:谷城曺氏家の地主としての成長とその変動」 신동욱「李孝石小説に関する研究」 趙興胤、G. Prunner「装潢:韓国における東アジアの絵画処理法」 周采赫「元帝国下の漢人と南人(下):支配層構造と関連して」 全相運「高句麗の科学と技術、その研究現況と課題」 盧重国「高句麗対外関係史研究の現況と課題」 『東方学志』46・47・48、1985 庸齋白楽濬追悼論叢 閔泳珪「鄭澹園広開土境平安好太王陵碑文釈略校録并序」 李玉「古代韓国人の動物観とその描写」 金哲埈「李奎報「東明王篇」の史学史的考察:旧三国史記資料の分析を中心に」 김용덕「郷飲礼考:成宗代の郷約について」 李殷晟「大理石製新法地平日晷と昭顕世子」 金容燮「朝鮮後期の大邱夫仁洞洞約と社会問題」 慎鏞廈「金玉均の開化思想」 朴元善「韓国の場市:商法史的考察」 黄元九「明史紀事本末「援朝鮮」弁証:明史稿・明史関係記事の底本問題」 朴英宰「『大勢三転考』と日本史の時代区分」 千恵鳳「李蕆と世宗朝の鋳字印刷」 尹炳泰「朝鮮純祖代訓蒙書考:而已广の著作を中心に」 이융조「韓国先史文化における立石の性格:忠清道地方の諸事例を中心に①」 李光麟「旧韓末獄中におけるキリスト教信仰」 李萬烈「キリスト教宣教初期の医療事業」 박영신「初期改新教宣教師の宣教運動戦略」 閔庚培「宣教政策決定過程における宣教本部影響力の問題:延禧専門学校設立を中心に」 羅逸星「アルビオン(Albion)から来た二人の科学者:ベッカー(Arthur Lynn Becker)とルーフス(W. Carl Rufus)の教育と思想」 박대인(Edward W. Poitras)「韓国教会史の新しい歴史編纂のための提言」 金亨錫「南岡李昇薫研究:3・1運動を中心に」 崔鍾庫「第一共和国と韓国改新教会」 崔載植「韓国宗教伝統に現れた肯定の論理:思想史の理解と歴史変革の問題」 한태동「考える百姓として歩んだ道」 趙興胤「世昌洋行、マイアー、ハンブルク民族学博物館」 김석득「16世紀国語の農音形態音素化:農音化の規則と農音増加現象の測定」 安秉禧「訓民正音使用に関する歴史的研究:創製から19世紀まで」 姜信沆「現代国語に関する語彙論的研究:特殊語を中心に」 李家源「朝鮮漢文学の変遷と展望」 『東方学志』45、1984 許興植「仏教と融合した高麗王室の祖上崇拝」 韓泰東「楽学軌範の楽理小考」 方基中「17・18世紀前半金納租税の成立と展開」 宋炳基「金允植・李鴻章の保定・天津会談(下):朝米条約締結(1882)のための朝清交渉」 周采赫「元帝国下の漢人と南人(上):支配層構造と関連して」 정명기「洪純彦物語の分化とその意味」 『東方学志』44、1984 盧泰敦「5-6世紀東アジアの国際情勢と高句麗の対外関係」 金相鉉「新羅中代専制王権と華厳宗」 金成俊「朝鮮初期臟吏子孫禁錮法の成立」 김태준「『熱河日記』を成す洪大容の話題:18世紀実学の性格と関連して」 宋炳基「金允植・李鴻章の保定・天津会談(下):朝米条約締結(1882)のための朝清交渉」 申栄祐「1894年嶺南醴泉の農民軍と保守執綱所」 崔喆「江原道山間部落民俗研究」 『東方学志』43、1984 李進煕「日本における広開土王陵碑研究」 李殷晟「武寧王陵の誌石と元嘉暦法」 Daniel Bouchez「『北軒集』の南征記説」 李萬烈「朝鮮後期の高句麗史研究」 趙興胤「巫(シャーマニズム)研究について」 朴在烈「現代音楽における国楽的特性の応用に関して」 尹貞粉「明代軍戸制と衛所制について」 『東方学志』42、1984 김석득「訓民正音(解例)の作者並書と15世紀形態資質との関係:15世紀農音音素の機能負担量測定のために」 崔喆「朝鮮朝前期説話の研究:慵齋叢話・筆苑雑記・秋江冷話・稗官雑記を中心に」 姜銓爕「「関東別曲」の原典模索」 金容燮「朝鮮初期の勧農政策」 李景植「高麗末の私田救弊策と科田法」 柳仁煕「退・栗以前朝鮮性理学の問題発展」 羅逸星「朝鮮時代の天文儀器研究:天文図篇」 『東方学志』41、1984 鄭璟喜「先三国時代社会と経済:政治権力の性格と流通経済の発展を中心に」 姜仁求「新羅王陵の再検討(1):柳花渓の「羅陵真贗説」と関連して」 金容燮「韓末高宗朝の土地改革論」 金栄子「宮中女舞服色に表れた美意識研究:朝鮮朝後期を中心に」 李成珪「秦国の政治と墨家」 金容徳「明治初地租改正の実施過程について:美濃地方を中心に」 閔斗基「清末湖南省の改革運動(1895-1898):民権・平等論を中心に」 1-20 21-40 41-60 61-80 81-10 101-120 121-140 141-160 161-180
https://w.atwiki.jp/studykorea/pages/138.html
トップページ>韓国>国史館論叢 『国史館論叢』100、2002 DL-Site 李南姫「朝鮮前期教育政策に関する一研究:雑科技術教育機関と政策を中心に」 鄭在薫「国祖宝鑑を通じて見た朝鮮前期の政治思想:四祖宝鑑と宣廟宝鑑の比較を中心に」 林学成「朝鮮後期慶尚道彦陽地域主-挾型家戸の族的結合様態:1861年度彦陽戸籍の事例分析」 呉蓮淑「大韓帝国期高宗の人事政策と官僚層の形成:議政府勅任官級官僚を中心に」 権立、金成鎬「延辺地域朝鮮民族抗日革命闘争の特殊性研究(1):延辺地域社会の特殊性と朝鮮人問題を中心に」 金成鎬「延辺地域朝鮮民族抗日革命闘争の特殊性研究(2):1930年代民生党事件の一部問題を中心に」 朴杰淳「喜田貞吉の朝鮮観批判」 장영민「開放直後政府樹立以前の歴史書と歴史教科書」 『国史館論叢』99、2002 DL-Site 鄭成一「漂流記録を通じて見た朝鮮後期漁民と商人の海上活動:『漂人領来謄録』と『漂民被仰上帳』を中心に」 남희숙「朝鮮後期王室の仏教信仰と仏書刊行:『仏説長寿滅罪護童子陀羅尼経』の刊行を中心に」 金淳碩「朝鮮後期仏教界の動向」 주강현「朝鮮後期ファンドゥ(황두)共同労働研究」 尹善子「20世紀前半期宗教界の民族主義と世界主義の受容と調律についての研究」 김기승「趙素昻の六聖教構想に現れた民族主義と世界主義」 金泳信「日帝下韓人の台湾移住」 김인호「太平洋戦争期朝鮮人資本家の中国侵略」 М.Малевинская「ロシア海軍省文書保管所の韓国近代史資料:19世紀末~1917年」 『国史館論叢』98、2002 DL-Site 宋鎬晸「衛満朝鮮の政治体制と三国初期の部体制」 尹善泰「韓国古代の尺度とその変化:高句麗尺の誕生と関連して」 申衡錫「6世紀新羅貴族会議とその性格」 趙景徹「百済聖王代大通寺創建の思想的背景」 鄭載「新羅の百済故地占領政策:完山州設置背景を中心に」 鄭求先「高麗時代の薦挙制:運用実態の検討を中心に」 李正浩「高麗後期の農法:農法発達と武臣政権期社会変化との関係を中心に」 朴平植「高麗後期の開京商業」 韓明基「壬辰倭乱期明・日の協商に関する研究:明の講和執着と朝鮮との葛藤を中心に」 『国史館論叢』97、2002 DL-Site 朴真淑「渤海の地方支配の首領」 文叔子「高麗時代の相続制度」 李成妊「16世紀李文楗家の収入と経済生活」 金素銀「16世紀両班家の婚姻と家族関係:李文楗の黙斎日記を中心に」 金景淑「16世紀士大夫の喪祭礼と盧墓関係:李文楗の黙斎日記を中心に」 沈羲基「16世紀李文楗家の奴婢に対する体罰の実態分析」 정호훈「17世紀後半礼法論の拡大と経書理解の変化:北人系南人学者を中心に」 『国史館論叢』96、2001 DL-Site 李圭根「朝鮮後期疾病史研究:朝鮮王朝実録の伝染病発生記録を中心に」 金義煥「17-18世紀ソウルと京江一帯の塩の流通」 金允嬉「1899年大韓天一銀行の設立背景と目的:ソウル地域金融環境を中心に」 박이준「全羅南道地域3・1運動の性格」 洪善杓「日帝下アメリカ留学研究」 박수현「1930年代初盤の水利組合費抗争」 박철규「民主主義民族戦線研究」 이주철「北韓最高人民会議研究:1期~8期大議院を中心に(1948-1990)」 김인식「左右合作運動に参加した右翼主体の合作理論」 『国史館論叢』95、2001 DL-Site 박찬규「百済の馬韓社会併合過程研究」 李仁哲「6-7世紀の靺鞨」 権悳永「在唐新羅人社会の形成とその実態」 南武煕「高句麗後期仏教思想研究:義淵の地論宗思想受容を中心に」 金昌賢「高麗時代限職制度」 崔永好「高麗時代寺院手工業の発展基盤とその運営」 권순형「高麗の家族制度と女性の生活」 홍영의「高麗末田制改革論の基本方向とその性格」 李宗峯「朝鮮前期度量衡制研究」 趙允旋「19世紀奴婢訟の様相:債訟的性格を中心に」 『国史館論叢』94、2000 DL-Site 姜昌錫「統監府設置期政治主導勢力の対日姿勢に関する研究」 변은진「日帝植民地支配文化政策の実態と性格」 윤정란「日帝下韓国女性の存在形態」 이상의「日帝強占期労資協調論と工業法論議」 金日洙「日帝下大邱地域資本家層の存在形態に関する研究」 金炯睦「1910年代夜学の実態と性格の変化」 崔惠珠「青柳綱太郎の来韓活動と植民統治論」 서현주「京城地域の民族別居住地分離の推移」 최봉대「1950年代ソウル地域帰属事業体払い下げ実態研究」 오유석「民主党内新旧派閥間葛藤に関する研究」 유병용「4月革命と革新勢力に関する研究」 『国史館論叢』93、2000 DL-Site 車美姫「朝鮮後期粛宗代己卯科獄についての研究」 金友哲「朝鮮後期地方軍制の変遷に関する研究」 洪性徳「朝鮮後期対日外交使節問慰行研究」 원유한「韓百謙の『東国地理誌』成立背景と性格」 趙誠乙「丁若鏞の歴史理論の展開とその性格」 金駿錫「朝鮮後期進歩的歴史観の成立」 姜世求「安鼎福の歴史理論の展開とその性格」 趙宰坤「大韓帝国期特権商業体制の廃設過程」 延甲洙「甲申政変以前の国内政治勢力の動向」 『国史館論叢』92、2000 DL-Site 류영철「曹物城の戦いをめぐる高麗と後百済」 金成圭「高麗前期の麗宋關係」 朴宰佑「高麗時代の宰枢兼職制研究」 姜玉葉「高麗時代の西京制度」 이영「「庚寅年倭寇」と日本の国内情勢」 朴宗基「朝鮮初期の部曲」 李章雨「世宗27年(1445)7月の田制改革の分析」 沈載祐「朝鮮前期流配刑と流配生活」 崔鍾鐸「朝鮮初郷村支配勢力の力学構図」 李源明「麗末鮮初性理学理解過程研究」 金敬洙「壬辰倭乱関連民間日記鄭慶雲の孤臺日録研究」 崔珍玉「朝鮮後期壮元及第者研究」 『国史館論叢』91、2000 DL-Site 조태섭「動物化石を通じて見た我が国旧石器時代の洞窟遺蹟の性格」 金建洙「元始及び古代人の食生活」 최성락「全南地域古代文化の性格」 李栄文「全南地域古代文化の成立背景」 余昊奎「高句麗千里長城の経路と築城背景」 尹明喆「新羅下代の海洋活動研究」 申瀅植、趙二玉、徐日範「中国学界の韓国古代史研究活動」 『国史館論叢』90、2000 DL-Site 鄭誠嬉「西学が儒教的天文観に及ぼした影響」 全寅永「中日甲午戦争前後中国の朝鮮認識の変化」 서인한「壬午軍乱当時の中央軍組織と軍備形態」 権大雄「乙未義兵期義兵部隊内部の葛藤要因」 韓明根「統監府時期日帝の侵略論」 강명숙「1920年代日本人資本家に対する朝鮮人資本家の抵抗」 孫科志「日帝時代上海居住韓人の法的地位と韓人社会の司法問題」 任椿洙「1920-30年代中国新聞に載った韓国関係記事研究」 張錫興「6・10万歳運動と統一戦線運動」 『国史館論叢』89、2000 DL-Site 심승구「朝鮮初期族譜の刊行形態に関する研究」 崔豪鈞「壬辰・丁酉倭乱期人命被害についての計量的研究」 崔洪奎「正祖代の対華城農業振興政策と農業生産力の発展:特に水利政策と農業環境の変化を中心に」 李相培「18-19世紀自然災害とその対策に関する研究」 김현목「韓末技術職中人出身官僚の身分と動向」 구희진「甲午改革期新学制の推進と実用教育の志向」 金仁徳「政友会宣言と新韓会創立」 曺圭泰「新韓会京城支会の組織と活動」 金亨国「1929-1931年社会運動論の変化と民族協同戦線論」 李萬烈、金英喜「1930-40年代朝鮮女性の存在様態」 『国史館論叢』88、1999 DL-Site 金貞培「東北アジアの琵琶形銅剣文化についての総合的研究」 李炯基「加耶地域連盟体の構造とその性格」 金賢淑「延辺地域長城を通じて見た高句麗の東扶余支配」 허수「戦時体制期青年団の組織と活動」 한긍희「日帝下戦時体制期地方行政強化政策」 배성준「戦時下京城地域の工業統制」 許英蘭「戦時体制期(1938-1945)生活必需品配給統制研究」 『国史館論叢』87、1999 DL-Site 権寧国「高麗前期軍役制の性格と運営」 金アネス「高麗初期地方支配と使」 尹京鎮「高麗前期戸長の機能と外官の性格」 배상현「高麗時代寺院村落研究」 최연식「高麗時代国王文書の種類と機能」 李碩圭「高麗時代民本思想の性格」 오영선「高麗後期戸口資料の記載内容と形式についての一考察」 유애령「蒙古が高麗の肉類食用に及ぼした影響」 『国史館論叢』86、1999 DL-Site 金燉「朝鮮中期士林の公論とその具現形態」 崔完基「17世紀の危機論と孝宗の経済政策」 李煜「均役法を通じて見た18世紀朝鮮の商業課税政策」 林学成「朝鮮後期公奴婢の身分変動相に関する一考察」 강병수「朝鮮後期近畿南人の対中国観研究」 韓文鍾「朝鮮後期日本に関する著述の調査研究」 김환수「朝鮮後期北方種粟法の再認識」 『国史館論叢』85、1999 DL-Site 金貞培「中国東北地域の支石墓研究」 지병목「シベリア・バイカル湖沿岸地域の青銅器文化」 尹龍九「三韓の対中交渉とその性格」 金相鉉「新羅中代の仏教思想研究」 韓圭哲「古墳文化を通じて見た渤海国」 金太順「渤海墓研究」 卞麟錫「8世紀東アジア情勢から見た唐・渤海関係」 酒寄雅志(韓圭哲 訳)「日本と渤海・靺鞨との交流」 『国史館論叢』84、1999 DL-Site 全旌海「光武年間の産業化政策とフランス資本・人力の活用」 徐紘一「日帝下北間島キリスト教人の民族教会形成に関する研究(1906-1921)」 金周溶「1920年代満州における韓人青年運動研究」 鄭泰憲「解放前後金融機関の資金受給構造と銀行券濫発の背景についての研究」 金成俊「鶴山李仁栄の歴史認識」 李剛秀「反民族行為特別調査委員会の組織と構成」 김점숙「1948-53年時期、大韓民国政府の貿易政策に関する研究」 朴鎮希「民主党政権の経済第一主義と経済開発五カ年計画」 『国史館論叢』83、1999 DL-Site 裵亢燮「高宗親政初期軍事政策と武衛所」 金興洙「開化勢力の教育思想」 金度勲「韓末韓人のアメリカ移民と民族運動」 朴容玉「韓末女性運動の特性と女性の社会進出」 최유리「日帝下通婚政策と女性の地位」 이배용「日帝下女性の専門職進出と社会的地位」 李銀順「日帝下農村女性の生活と民間信仰」 李松姫「日帝下釜山地域女性団体に関する研究」 『国史館論叢』82、1998 DL-Site 최몽룡、신숙정、이동영「南漢江流域紅陶の科学的分析:青銅器時代赤い研土器政策手法について」 林起煥「高句麗前期山城研究」 김영심「百済官等制の成立と運営」 李喜寛「武寧王買地券を通じて見た熊津時代百済の租税制度」 曺凡煥「新羅末聖住山門と新羅王室」 金恩国「渤海末王大時期対外関係研究」 李宗峯「高麗時代の量制」 申安湜「高麗武人執権期在地勢力の動向」 이필영「忠南西海島嶼地方の堂祭研究」 『国史館論叢』81、1998 DL-Site 高英津「朝鮮中期郷礼に対する認識の変化」 楊普景「朝鮮中期私撰邑誌に関する研究」 李弘斗「17世紀対清交易に関する研究」 韓基範「17世紀庶孼の宗法的地位:『礼問答書』の分析を中心に」 李成茂「朝鮮後期党争史についての諸説の検討」 원유한「実学及びその展開に関する諸説の整理」 金鉉丘「朝鮮後期造船業と造船術に関する研究」 원재연「朝鮮後期西洋に関する著述の調査研究」 金徳珍「18-19世紀地方場市に関する研究:場市商業の特徴を中心に」 61-80 81-100 101-120
https://w.atwiki.jp/studykorea/pages/63.html
トップページ>東アジア・東洋>韓日関係史研究 『韓日関係史研究』40、2011.12 企画論文:日本歴史教科書の分析と歴史教育の実態:2011年検定通過日本歴史教科書を中心に 孫承喆「日本歴史教科書歪曲の史的展開と対応」 남상구「2011年日本中学校教科書問題検討」 김보한「2011年度自由社歴史教科書東アジア叙述の変化と特徴:前近代教科書内容を中心に」 森晋一郞「日本の教科書における日韓関係史:朝鮮王朝時代(14世紀末-18世-紀)に焦点をあてて」(日) 최영호「2011年検定通過日本歴史教科書の近代叙述に表れた変化と特徴:韓日関係関連叙述を中心に」 辛珠柏「『韓国史』教科書における東アジアの歴史と歴史教育:韓国近現代史を中心に」 玄明喆「韓・日歴史葛藤の根を探して:韓日関係の変化と総督府観光朝鮮史記述検討を中心に」 一般論文 羅幸柱「倭国の対韓半島政策:「任那の調」政策の展開過程」 『韓日関係史研究』39、2011.8 엄찬호「古地図を通じて見た韓・中・日境界認識の変化」 남의현「元・明交替期韓半島北方境界認識の変化と性格:明の遼東衛所と三衛(東寧・三萬・鉄嶺)を中心に」 김보한「中近世日本人の朝鮮に対する境界認識考察」 閔徳基「中・近世東アジアの海禁政策と境界認識:東洋三国の海禁政策を中心に」 韓文鍾「朝鮮の南方地域と日本に対する境界認識」 柳在春「中・近世韓・中間国境緩衝地帯の形成と境界認識:14世紀15世紀を中心に」 孫承喆「中・近世朝鮮人の島嶼経営と境界認識考察」 申東珪「江戸時代後期日本経世論家の蝦夷地に対する侵奪的認識考察」 洪性和「百済と倭王室の関係:王室間婚姻関係を中心に」 河宇鳳「東アジア国際戦争としての壬辰倭乱」 朴漢珉「1878年豆毛鎮収税をめぐる朝日両国の認識と対応」 『韓日関係史研究』38、2011.4 延敏洙「輔国将軍・本国王と金官国」 白承玉「古代蔚山の歴史地理的性格と朴堤上」 尹明喆「蔚山の開港都市的性格と国際港路:新羅と関連して」 小宮秀陵「8世紀新羅・渤海の情報伝達と日本の対唐外交:遣唐使研究の批判的検討のために」 李薫「費用から見た交隣儀礼:1811年辛未通信使派遣時礼物交換を中心に」 김수희「開拓令期鬱陵島と独島に渡った巨文島の人達」 James B. Lewis, 지영해 翻訳「大英博物館所蔵1748年朝鮮通信使行列絵巻」 洪性徳「『朝鮮王朝実録』韓日関係史翻訳検討」 金宗植「1910年代植民地朝鮮関連日本国内政治議論の一様相:帝国議会の植民地朝鮮制令立法過程を中心に」 『韓日関係史研究』37、2010.12 金東哲「朝鮮後期統制と交流の場所、釜山倭館」 孫承喆「朝鮮時代『行実図』に表れた日本の表象」 허지은「近世対馬の幕府への情報報告と流通」 정예정「草梁客舎造営に関する研究」 鄭成一「日本人に偽装した琉球人の済州漂着:1821年恒運等20人の漂着事件」 김동명「1929年慶尚南道道評議会予算案返上事件研究」 『韓日関係史研究』36、2010.8 洪性和「4-6世紀百済と倭の関係:『日本書紀』内の倭の韓半島派兵と百済・倭の人的交流記事を中心に」 韓文鍾「朝鮮前期倭使の宴享接待と女楽」 이승민「朝鮮後期対馬島求貿の概念と実態」 양흥숙「朝鮮後期通信使に随行した謹官の構成と役割:掌務官と乾粮官を中心に」 中村修也「白村江戦闘以後の日本社会」 이영「東アジア国際秩序の変動と倭寇:14世紀後半から15世紀初を中心に」 閔徳基「壬辰倭乱の「戦後処理」と東アジア国際秩序の変動」 趙明哲「清日・露日戦争の戦後処理と韓国問題」 남상구「日本の「戦後処理」と植民地問題」 『韓日関係史研究』35、2010.4 申東珪「日本の中世的世界観から近世的世界観への変化と朝鮮の伝統的世界観変化についての比較考察」 김문자「日本大河ドラマに見られる秀吉像:「利家とまつ」と「功名が辻」を中心に」 박정민「朝鮮初期の女真関係と女真認識の固着化」 李尚奎「仁祖代前半問慰行研究」 岩方久彦「憲宗代大坂易地通信交渉と朝鮮の対応策」 朴炳渉「日本人の第3次鬱陵島侵入」 남상구「韓国・韓国人と靖国神社問題」 『韓日関係史研究』34、2009.12 洪性和「石上神宮七支刀についての一考察」 박재용「『日本書紀』に引用された『百済記』」 이영「唐津鏡神社所在高麗水月観音図の由来」 韓文鍾「『海東諸国紀』の倭人接待規定と朝日関係:三浦における接待規定を中心に」 閔徳基「壬辰倭乱期朝鮮の北方女真族に対する危機意識と対応策:「南倭北虜」という側面から」 李薫「朝鮮後期対日が以降窓口関連「実務文書」の数量と収録実態:『分類紀事大綱』の収録文書を中心に」 김경남「1930・40年代戦時体制期釜山市街地計画の軍事的性格」 곽진오「日本人と靖国神社:参拝と反対における神社をめぐる性格糾明に関する研究」 『韓日関係史研究』33、2009.8 鄭在貞「韓日歴史教科書問題の史的展開:歴史教科書研究と歴史教科書対話に焦点を合わせて」 金恩淑「戦後日本の教科書検定制と歴史教科書:家永教科書裁判を中心に」 이재석「「新しい歴史教科書をつくる会」の日本古代史構想の特質と問題点:自由社教科書と扶桑社「教師用指導書」を中心に」 孫承喆「『日本人の歴史教科書』(自由社)の近世韓国史関連叙述と日本近世史像」 辛珠柏「自由社版中学校歴史教科書の現代史認識」 韓成周「朝鮮前期「字小」についての考察:対馬島倭人及び女真勢力を中心に」 김흥수「雲揚号事件と伊藤博文」 金宗植「近代日本内務完了の朝鮮経験:丸山鶴吉を中心に」 『韓日関係史研究』32、2009.4 尹永水「近江朝以前の文学と政治:文学を中心に」 허지은「近世対馬朝鮮語通事の情報収集経路と内容」 洪性徳「朝鮮後期通信使随行医員について」 鄭成一「海南大芚寺僧侶の日本漂着と体験(1817-1818)」 하종문「帝国の統合機制としての天皇制とその変化」 『韓日関係史研究』31、2008.12 이연심「「倭系加耶官僚」を媒介にした安羅国と倭」 이영「高麗末倭寇と南朝:庚申年(1380)の倭寇を中心に」 張舜順「朝鮮後期対日交渉における尹趾完の通信使経験と影響」 김동명「植民地時期茶の文化接変」 김주용「満州地域間島特設隊の設立と活動」 윤성익「戦前・戦中期日本における倭寇像構築」 남상호「「大東亜戦争」と『大東亜概説』編纂」 『韓日関係史研究』30、2008.8 鄭在貞「 総論 2007年度検定合格日本歴史教科書の韓日関係記述と問題点」 延敏洙「古代韓半島文化の日本伝来:2007年度検定高等日本史教科書を中心に」 이재석「古代史叙述の特徴と問題点:2007年検定高校「日本史」教科書を中心に」 김보한「中世の倭寇:学術成果と高校教科書を中心に」 李薫「近世韓日関係」 박재광「壬辰倭乱:日本高等学校歴史教科書分析」 玄明喆「開港期日本歴史教科書叙述の検討」 鄭在貞「日本史教科書に記述された植民地支配と民族運動:2007年度検定合格本の場合」 許東賢「アジア・太平洋戦争期(1931-1945)」韓国関連叙述の分析:2007年度検定高校日本史を中心に」 남상구「日本歴史教科書の日本軍「慰安婦」記述変化」 오일환「北韓核・日本人拉致問題関連記述の分析」 金恩淑「日本「世界史」教科書の前近代韓国関連叙述分析:2007年度検定本を中心に」 김문자「壬辰倭乱期日本史料研究:豊臣秀吉の朝鮮侵略関連史料を中心に」 최종길「植民地朝鮮と治安維持法の適用:1926・1927年を中心に」 『韓日関係史研究』29、2008.4 나행주「新羅と「任那の調」:新羅側から見た従来説批判」 宋浣範「9世紀日本律令国家の転換と百済王氏の変容:日本律令国家研究のための提言」 延敏洙「国史教科書の古代東アジア叙述と認識」 허지은「対馬島朝鮮語通詞の成立過程と役割」 金剛一「朝鮮後期倭館の情報収集に関する研究:『分類紀事大綱25』「風説之事」を中心に」 方琪喆「栗谷李珥の対日認識」 곽진오「日本の対韓経済政策と韓国の立場:1960-1970年代を中心に」 『韓日関係史研究』28、2007.12 李鍾書「高麗~朝鮮前期鶴城李氏の地域内位相と役割」 이현호「朝鮮初期対日関係と通信使についての歴史教育方案:李芸を中心に」 이명훈「朝鮮王朝実録の蔚山人」 韓文鍾「朝鮮初期の向化倭人と李芸」 김영미「日帝末期(1938-1945)江原地域軍人動員についての研究:動員の事例と実態を中心に」 유지아「戦後在朝日本軍の武装解除過程において形成された韓米日関係」 남상호「生活・組織の中の総力戦/日本」 『韓日関係史研究』27、2007.8 孫承喆「『海東諸国紀』の史料的価値」 柳在春「『海東諸国紀』の中の三浦を中心にした軍事防御について」 심보경「『海東諸国紀』地名に反映された韓日中世語表記法」 엄찬호「『海東諸国紀』の歴史地理学的考察」 申東珪「『海東諸国紀』から見た中世日本の国王観と日本国王使の性格」 李薫「朝鮮後期東萊府と倭館の意思疎通:両訳関連「実務文書」を中心に」 岩方久彦「1876年修信使研究:高宗の旧好回復論を中心に」 정애영「「併合事案」を通じて見た韓国併合認識:中井喜太郎を中心に」 현진덕「日本と中央アジア関係の歴史的展開過程」 『韓日関係史研究』26、2007.4 延敏洙「6-7世紀高句麗の対倭関係」 金恩淑「7世紀東アジアの国際関係:隋の登場以後百済滅亡までを中心に」 이영「14世紀の東アジア国際情勢と倭寇:恭愍王15年(1366)の禁倭使節の派遣を中心に」 하태규「壬辰倭乱初期全羅道官軍の動向と湖南防御」 金徳珍、변광석、李薫、鄭成一、池内敏「外交と経済:朝鮮後期通信使外交と経済システム:通信使礼単を通じて見た朝日外交の特徴とその変化」 이상규「17世紀初中盤倭学訳官洪喜男の活動:通信使派遣時随行訳官活動を中心に」 金宗植「1919年日本の朝鮮問題に対する政治過程:人事と官制改革を中心に」 김광열「被強制動員韓人生死不明者についての韓日両国の戦後処理」 辛珠柏「韓日間の流動する国民的記憶:歴史教科書における安重根義挙と伊藤博文狙撃事件、そして「韓国併合」関係(1945-2007)」 『韓日関係史研究』25、2006.10 이재석「日本の歴史事典・概説(論)書に見える古代韓日関係」 孫承喆「高麗朝鮮前期韓日関係史記述の共通点と差異点」 洪性徳「日本歴史概説書及び事典類叙述内容分析:壬辰倭乱及び通信使叙述内容を中心に」 玄明喆「日本概説書と事典類の開港期記述分析:1860年代から露日戦争前まで」 김동명「日本史概説書及び事典類の韓日関係叙述の問題点:露日戦争から第2次世界大戦終結まで」 최영호「日本史事典と概説書の戦後現代史叙述に表れる問題点」 송완범「8世紀中葉「新羅征討」計画から見た古代日本の対外方針」 한승희「己亥通信使に対する各藩の御馳走役:岡山藩の接待を中心に」 申東珪「前近代日本の西洋異国船漂着処理」 엄찬호「清日戦争に対する朝鮮の対応」 趙成雲「1920年代初日本視察団の派遣と性格(1920-1922)」 金仁徳「在日本朝鮮人連盟「第5回全体大会」についての小考」 『韓日関係史研究』24、2006.4 延敏洙「神功皇后伝説と日本人の対韓観」 정지연「朝鮮前期対日私貿易研究:太祖~成宗代を中心に」 韓文鍾「壬辰倭乱時の降倭将金忠善と『慕夏堂文集』」 이상규「17世紀前半倭学訳官康遇聖の活動」 윤성익「「後期倭寇」としての乙卯倭変」 곽진오「戦後日本の在日同胞国籍処理問題考察」 閔徳基「朝鮮後期対日通信使行が期待した反対給付:日本から受けた私礼単の処理と関連して」 孫承喆「1696年、安龍福の第2次渡日公述資料:『元禄九丙子年朝鮮舟着岸一巻之覚書』について」 류종현「日本清見寺所蔵通信使の遺墨調査報告」 書評 김동철「田代和生(鄭成一 訳)『倭館』논형、2005年」 『韓日関係史研究』23、2005.10 남기훈「17世紀朝日両国の鬱陵島・独島認識」 閔徳基「金仁謙の『日東壮遊歌』に見る対日認識:趙曮の『海槎日記』との比較を通じて」 심민정「朝鮮後期通信使員役の選抜実態に関する研究」 岩方久彦「1811年対馬島僻地通信研究:羈靡策を中心に」 玄明喆「明治政権と独島」 이송희「日帝下釜山地域日本人社会の教育(1):日本人学校設立を中心に」 新川登亀男、나행주 訳「聖徳太子:その格闘と創造」 『韓日関係史研究』22、2005.4 김문자「情報、通信と壬辰倭乱」 申東珪「「VOC」の東北アジア進出に見える朝鮮貿易の断絶と日本貿易維持政策」 이승민「朝鮮後期対日貿易商の弊害と己巳約條(1809)の締結」 김수희「漁業根拠地建設計画と日本人集団移民」 남상구「戦後日本における戦没者追悼使節をめぐる対立:靖国神社と千鳥ケ淵戦没者墓苑を中心に」 李光来「日本現代史を解読する:『坂の上の雲』と「坂の下の沼」」 『韓日関係史研究』21、2004.10 韓文鍾「朝鮮前期日本国王使の朝鮮通交」 孫承喆「松雲大師(四溟堂)対日使行の外交史的意味」 閔徳基「崔天宗殺害事件から見た19世紀中盤通信使の対馬島認識」 李薫「1836年、南膺中の乱入事件取り扱いと近世倭館」 김동명「日帝下「同化型協力」運動の論理と展開:崔麟の自治運動の模索と挫折」 김주용「満州保民会の設立と「鮮満一体化」」 1-20 21-40 41-60
https://w.atwiki.jp/hit-taiikukai/pages/14.html
競技ダンス部の新歓情報! こんにちは!私たち競技ダンス部は、社交ダンスでの音楽性、芸術性などを競う競技ダンスというスポーツを行っています。…と書くと難しそう&ひいてしまいそうですが、誰でもできるスポーツです。大学から始めるスポーツで、部員は全員大学生から始めた人です。これまでのスポーツ経験も問いません。月木の練習会、土日の自主練などを通じて全国優勝を目標に努力しています。ここ10年で4回の全国優勝をしており、一橋大学の中で最も日本一に近い部活の1つだと言えます。部員は2年から4年まで合わせて53人で、男女比は3:4です。また、部活は一橋大学、津田塾大学、東京女子体育大学の3大学で構成されています。あっ、もちろん一橋の女性も多くいますので、ご心配なく。 少しでも興味を持ったら、いや持たなくても、デモンストレーションを見に来てください!!また、随時体験会も実施していますのでぜひ一度お越し下さい!ダンスはやってみないと分かりませんよ! デモンストレーション 3/30(日)サークル紹介1日目 13:00~13:30 @東守衛所前 3/31(月)サークル紹介2日目 14:30~15:00 @生協前ステージ 15:30~16:00 @東守衛所前 練習時間 月木 14:30~21;00(練習会は17:30~19:00) 土 17:00~21:00 日 12:00~17:00 練習会以外の時間は自主練として体育館が使える時間です。 活動場所:一橋大学東キャンパス体育館 担当者名:三田元気(経3)who-inside.g-m.@docomo.ne.jpHPアドレス:http //pro.tok2.com/~stdance/top.html