約 4,353,157 件
https://w.atwiki.jp/gendaigoyaku/pages/34.html
238p 如来滅後五五百歳始観心本尊抄 (如来滅後五五百歳に始む観心の本尊抄) にょらいめつごごごひゃくさいにはじむかんじんのほんぞんしょう nyoraimetugo gogohyakusai ni hajimu kanjin no honzonsyou 本朝 沙門 日蓮撰 文永十年四月二十五日 五十二歳御作 富木常忍に与う 佐渡一ノ谷に於いて 1 一念三千の出処を示す 天台大師があらわした「摩詞止観(まかしかん)」の第五の巻に次の様にあります。 (一念三千をあらわすのに三千世間と三千如是とあるが同じ事である。 それは開と合のちがいなのである。) 「そもそも生命には、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏の 十種の界をそなえている。 その一つの界にまた十種の界を具えているので合して百種の界となる。 この百種の界の一界ごとに、十如是と三世間を合した三十種の世間を具えているので、 百種の界にはすなわち三千種の世間を具えているのである この三千世間は一念の心に具わっている。もし心がないのならそれまでであるが、 わずかでも心があれば、 すなわち三千世間を具えているのである。 だから名づけて不可思議境となすのである。 意(こころ)はじつにここにあるのである」等と。 (ある本には「一界に三種の世間を具えている」とある) 問うていうには、 天台の「法華玄義」に一念三千の名称を明かしているでしょうか。 答えていうには、妙薬大師は「明かしていない」と言っています。 問うていうには、 天台の「法華文句」に一念三千の名称を明かしているでしょうか。 答えていうには、妙楽は「明かしていない」と言っている。 問うていうには、その妙薬の解釈はどうでしょうか。 答えていうには、 妙楽は「止観輔行伝弘決(しかんふぎょうでんぐけつ)」に 「並びに未だ一念三千といっていない」等といっています。 問うていうには、 天台の「摩訶止観」の一・二・三・四の巻等に一念一三千の名称を明かしているでしょうか。 答えていうには、その名称はありません。 問うていうには、その証拠がどうですか。 答えていうには、妙薬は「止観輔行伝弘決」に 「ゆえに「摩訶止観」第五巻のまさしく観法を明かすにいたって、 ならびに一念三千をもってその指南としたのである」等といっています。 疑っていうには、「法華玄義」第二には 「又、一つの界に他の九の界をそなえているので百界となり、 一界ごとに十如是をそなえているから、百の界には千如是となる」等とあります。 「法華文句」第一には 「一入(にゅう)に十種(しゅ)の界をそなえているから、一界に十界を互具して百界となる。 十界にそれぞれ十如是があるので、即ち千如是である」等とあります。 天台大師のあらわした「観音玄義」には 「十法界が交互(たがい)にそなえているので百法界となり、 百法界に十如是をそなえて千如是となる。 その千種の如是は冥伏して心にある。目の前に現れていないといっても、 はっきりそなえている」等とあります。 これらの意はどうかとの疑いを設けている。 その答えはないがこれらの意はすべて千如是を明かしており、 一念三千を明かしていないことが文にあって明らかである。 問うていうには、 「摩訶止観」の前の四巻に一念三千の名称を明かしているでしょうか。 答えていうには、 妙薬は「明かしてない」といっています。 問うていうには、 その妙楽の解釈はどうなのでしょうか。 答えていうには、妙楽は「止観輔行伝弘決」の第五の巻に、 「もし「摩訶止観」の第五の巻 正観章(しょうかんしょう) 第七に対すれば、 それまでの一・二・三・四巻等は全く未だ観心の行を論じておらないで、 また二十五法の修行等を明かし、具体的な問題にことよせて理解をおこさせている。 正によく正修(しょうしゅう)のための方便の行とすることができるのである。 この様な訳で、先の六章(第四巻まで)は皆理解の段階に属して正行ではなかった」 等といっています。 また同じく、 「故に、「摩訶止観」のまさしく観法を明かすにいたって、 ならびに一念三千をもってその指南としたのである。 239p 即ちこれが最終究極の説法である。 だから章安大師は「摩訶止観」の序分の中に 「天台大師の己心の中に行ずる所の法門すなわち一念三千の法門を説かれたのである」 といっているが、まことに深い理由があるのである。 願わくは、たずね読もうとする者は、他のものに心をうばわれてはならない」 等といっています。 天台智者大師が法を弘めたのは三十年間です。 そのうち二十九年の間は「法華玄義」や「法華文句」等を 種々の義を説いて五時八教や百界千如を明かして、 それ以前の五百余年の間の中国における諸宗の誤りを責め、 さらにインドの大論師さえいまだかつて述べたことのない甚深の奥義・法門を 説きあらわしました。 奉安大師は天台を賛嘆して、 「インドの大論師さえなお天台大師に比べれば比較することができない。 いわんや中国の仏教学者をどうして一々挙げて批評する必要があろうか。 これは決して誇りたかぷっていうのではなくて、 まったく天台の説かれた法相・説く法門自体がそのように優れ勝っているからである」 等といっています。 浅はかなことに、天台の末の学者らは華厳宗や真言宗の元祖の盗人に 一念三千の重宝を盗み取られて、かえって彼らの門家となってしまいました。 章安大師はかねてこのことを知って嘆いていうには、 「この一念三千の法門がもし将来失墜するようなことがあれば実に悲しむべきことである」と。 2 一念三千は情・非情にわたることを明かす 問うていうには、 百界千如と一念三千とどう違うのでしょうか。 答えていうには、 百界千如は有情界に限られ、一念三千は有情界・非情界にわたっています。 いぶかっていうには、非情界にまで十如是がわたり因果が具わるならば、 草木にも心が有って有情と同じ様に仏道を修行して成仏することができるのでしょうか。 答えていうには、 このことは理解し難いことです。 天台の難信難解に二つあります。 一には教門、即ち言葉で説法された面での難信難解、二には観門、 即ち覚るべき法門の面での難信難解です。 その教門の難信難解とは、釈尊という同じ仏の諸説において、 爾前の諸経では声聞・縁覚の二乗と 一闡提(いっせんだい)の者は未来永久に成仏しないと説き、 また教主釈尊はインドで始めて悟りを成就したと説いたが、 法華経迹門では二乗と闡提(せんだい)の成仏を説き、 また本門では始成正覚を破って久遠実成を説き顕わして、 爾前経の二つの説を打ち破りました。 この様に爾前と法華経では所説がまったく相反するので 一仏が二言となり水と火の様に相入れない説で 誰人がこれを容易に信ずることができるでしょうか。 これは教門の難信難解です。 観門の難信難解とは、百界千如・一念三千であり、 非情界に色心の二法・十如是を具えていると説く点である。 しかしこの点が難信難解であるからと言っても木像や画像においては、 仏教以外の外道でも仏教の各派でもこれを許して本尊としているが、 その義は天台一宗からでているのです。 なぜなら非情の草木の上にも色心の因果を具えているとしなければ、 木画の像を本尊として崇めたてまつることがまったく無意味になるからです。 疑っていうには、 それでは非情の草木や国土のうえにも十如是の因果の二法を具えているということは、 どの文に出ているのですか。 答えていうには、「摩訶止観」の第五の巻に、 「非情の国土世間もまた十種の法すなわち十如是を具えている。 だから悪国土には悪国土の相・性・体・カ・作・因・縁・・本末究責等等の十如是があり、 同じく善国土にも二乗の国土にも菩薩の国土にも仏国土にも それぞれの十如是を具えている」等とあります。 妙楽のあらわした「法華玄義釈籤(ほっけげんぎしゃくせん)第六に 「相は外面に顕われたものだから唯色である。性は内在する性質だから唯心である。 また体は物の本体で色心をかね、力は外に応ずる内在性で、作は外部への活動、 縁は善悪の事態を生ずる助縁であり、 これらの体・力・作・縁は皆色心の二法を兼ね、因と果は唯心、報は唯色である」 等と説いています。 また同じく妙楽の「金錍論(こんぺいろん)」には、 「すなわち一本の草、一本の木、一つの礫(つぶて・小石)、 一つの塵等、それぞれ一つの正因仏性(しょういんぶっしょう)、 一の因果が具わっており縁因(えんいん)仏性・了因(りょういん)仏性も具えている。 すなわち実在する物はことごとく本有常住の三因仏性を具足しており 非情の草木であっても有情と同じく 色心・因果を具足していて成仏するのである」等と説かれています。 3 略して観心を述べる 240p 問うていうのには、 一念三千の法門の出処が摩詞止観の第五に説かれているということを既に聞いて了解しましたが 観心の意義はどうでしょうか。 答えていうのには、 観心とは自己の心を観察して、自己の生命に具わっている十方界を見る事です。 このことを観心というのです。 たとえば他人の眼・耳・鼻・舌・身・意(こころ)の六根を見ることはできますが、 自分自身の六根をみることができなければ、自分自身に具わっている六根を知りません。 明らかな鏡に向かったとき始めて自分の六根を見ることができるように、 たとえ爾前の諸経の中に、処処に六道ならびに四聖を説いているといっても、 法華経ならびに天台大師の述べられた摩詞止観等の明らかな鏡を見なければ 自身の生命に具わっている十界・百界・千如・一念三千を知ることは出来ないのです。 4 広く観心を述べる 問うていうのには、 十界互具・一念三千を説く法華経はどのような文があり、 天台の釈にはどのような釈があるのでしょうか。 答えていうのには、法華経第一の巻の方便品に 「衆生の生命の中にある仏の智慧を開かせたいと思う」等とあります。 これは総じて九界の衆生すべてに仏界が具わっていることをあらわしています。 寿量品に 「このように私が成仏してよりこのかた、はなはだ大いに久遠である。 その寿命は無量阿僧祇劫(むりょうあそぎこう)を経ており、常住不滅である。 諸々の善男子よ・私が本(もと)菩薩の道を修行して成就した所の寿命は、 今なお未だ尽きてはいない。 未来もまたその寿命は五百塵点劫(ごひゃくじんでんごう)の数に倍するのである」 等と説かれています。 この経文は仏界に九界が具わっていることをあらわしています。 提婆達多品(だいばだったほん)に、 「提婆達多は~天王如来となる」等とあります。 ごれは謗法の罪によって地獄へ堕ちた提婆達多すら仏界を具えていることを示しており、 地獄界に仏界が具っていることをあらわしています。 陀羅尼品(だらにほん)には 「十人の羅刹女(らせつにょ)の第一を藍婆といい、~十羅刹女たちよ、 よく妙法蓮華経をたもった者を守る者は、その福ははかりしれない」等と説かれています。 これは餓鬼界に十界が具わっていることをあらわしています。 捏婆達多品には 「竜女が ~等正覚を成じた」と説かれています。 竜は畜生であるから、これは畜生界に十界が具わっていることをあらわしています。 法師品には 「婆稚阿修羅王(ばじあしゅらおう)が、法華経の一偈一句を聞いて随喜の心を起こすならば 阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得る」等とあり、 これは修羅界に十界が具わっていることを示しています。 方便品に 「若し人が仏を供養する為に、形像を建立するならばこの人は必ず仏道を成就する」等とあります。 これは人界に十界が具わっていることを示しています。 譬喩品に 「大梵天王等の諸天子は、我等も亦舎利弗のように必ず成仏するであろう」等とあり、 これは天界に十界が具わっていることを示しています。 方便品に 「舎利弗は華光如来となる」等とあり、 これは声聞界に十界が具わっていることを示しています。 同じく方便品に、 「縁覚を求める比丘・比丘尼等が、仏に合掌し敬う心を以て具足の道を聞きたいと願った」等とあり、 具足の道とは、一念三千の妙法蓮華経であって すなわちこれは縁覚界に十界を具えていることを示しています。 神力品に 「地涌千界の大菩薩等は~真実に清浄な大法を得たいと願った」等とあり、 真実に清浄な大法とは事の一念三千の南無妙法蓮華経であって、 これは、即ち菩薩界に十界が具わっていることを示しています。 寿量品には 「或(あるいは)己身(こしん)を説き或は他身(たしん)を説き、或は己身を示し或は他身を示し、 或は己事を示し或は他事を示す」等と説いています。 即ち仏界に十界が具わっていることを示しています。 問うていうのには、 自分や他人の面にあらわれた六根は見ることが出来ます。 他人や自身の生命に具わっているという十界は、いまだ見た事がありません。 どうしてこのことを信じることができるでしょうか。 答えていうのには、法華経法師品には 「信じ難く解し難し」と説かれ、 同じく宝塔品には、 六難九易も挙げて法華経の難信難解が説かれています。 また、天台大師は「法華文句」に 「法華経は迹門・本門二門ともにその説はことごとく昔に説いた教えと反しているので 信じ難く理解し難いのである。」 と述べ、 241p また章安大師は「観心論疏(かんじんろんしょ)」に、 「仏はこの法華経をもって大事となしているのである。どうして理解し易いわけがあろうか」 等といい。 伝教大師は「法華秀句(ほっけしゅうく)」に、 「この法華経は最も信じ難く理解し難いのである。 なぜなら、衆生の意に随って説いた随他意の爾前経と異なって 仏が悟りの真実をそのままに説いた隋自意(ずいじい)の教えであるから」等といっています。 そもそも釈尊の生存中、釈尊の教化をうけた衆生の機根は、過去に下種をうけて宿習が厚いうえ、 釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏・地涌千界(じゆせんがい)の大菩薩・文殊菩薩・弥勒菩薩等が、 法華経をたすけて諫暁したのに、それでもなお信じない者がありました。 即ち、五千人の増上慢が席を去り、 多くの人界、天界の衆生が他の国土へ移されました。 まして仏の入滅後の正法・像法時代はますます難信難解であり、 さらに末法の初めは、なおさら難信難解です。 もしあなたがたやすく信じられるなら、それは正法ではないといってもいいでしょう。 5 一念の心に十界がそなわることを明かす 問うていうには、 法華経の文、ならびに天台大師や章安大師らの解釈については疑いありません。 ただし十界互具の説は、火を水であるといい、墨を白いといっている様なものです。 たとえ仏の説いた教えであっても信じられません。 今、しばしば他人の顔を見てみますと、ただ人界ばかりで他の九界は見られません。 自分の顔もまた同じです。 どうして十界を具えていると信じられるでしょうか。 答えていうには、 しばしば他人の顔を見てみますと、ある時は平らかに、ある時は貪りの相をあらわし、 ある時は癡(おろ)かさをあらわし、ある時は諂曲(てんごく)です。 瞋(いか)るのは地獄、貪るのは餓鬼、癡かは畜生、諂曲なのは修羅、喜ぶのは天、平らかなのは人です。 このように他人の顔の色法には六道がすべて具わっています。 四聖は冥伏していて現れないけれども、くわしく探し求めれば必ず具わっているのです。 問うていうには、 六道については、明確にではないまでも、ほぼ、その説明を聞いて具えているように思います。 しかし、四聖はまったく見えないのはどうしてでしょうか。 答えていうには、 前には人界に六道が具わっていることを疑っていました。 そこで、しいて一つ一つの相似した例をあげて説明したのです。 四聖もまたこれと同じでしょう。 こころみに道理をつけくわえて、万分の一でもこれを述べてみましょう。 すなわち世間の生滅変化の姿は眼前にあります。 これを無常と見ているのですから、どうして人界に二乗界がないといえるでしょうか。 またまったく他をかえりみることのない悪人も、やはり妻子に対しては慈愛の心をもっています。 これは人界に具わっている菩薩界の一分です。 ただ仏界ばかりはあらわれにくいのです。 しかし、すでに九界を具えていることをもって、仏界のあることを信じ、疑ってはなりません。 法華経方便品の文に人界を説いて、 「衆生の生命の中にある仏の智慧を聞かせたいとおもう」とあり、 涅槃経に、 「大乗を学ぶ者は肉眼であったとしても、それは仏眼となづける」等とあります。 末法の凡夫が人間として生まれ、法華経(御本尊)を信ずるのは、人界に仏界を具えているからです。 問うていうには、 十界互具についての仏の言葉は明確になりました。 しかし、私達の劣等な心に仏法界を具えているということは、とても信ずることが出来ません。 いま、もしこのことを信じないなら、必ず一闡提(いっせんだい)となるでしょう。 願わくは、大慈悲をおこしてこれを信じられるようにし、 阿鼻地獄へ堕ちて苦しむことから救って下さい。 242p 答えていうには、 あなたはすでに法華経方便品の「唯一大事因縁」の経文を見聞していながらこれを信じないのだから、 釈尊よりはるかに劣る、 仏滅後に正法をたもって人々のよりどころとなった四依の菩薩や末法の理即の凡夫である私達が、 どうしてあなたの不信を救うことができるでしょうか。 そうではあるけれど、試みに述べてみましょう。 というのは、釈尊にお会いし教化されながら悟ることのできなかった者が、 阿難らによって得道した者があったからです。 そもそも衆生の機根には二種類があります。 一には仏に直接お会いし、法華経によって得道した者、ニには仏にはお会いしなかったけれども、 法華経によって得道した者です。 そのうえ仏教以前の時代に、中国の道士やインドのバラモン外道のなかには、 儒教や四韋陀(しいだ)などの教えをもって縁となし、正しい悟りの境涯に入った者がありました。 また、すぐれた機根の菩薩や凡夫たちのなかには、 華厳・方等・般若など種々の大乗経を聞いた縁によって、 三千塵点劫の昔に大通智勝仏より、 また五百塵点劫の昔に久遠実成の釈尊より法華経の下種をうけたことを 悟った者がたくさんいました。 たとえば独覚の人が、飛び散る花や落ちる葉などを見て悟るようなものです。 これを教化の得道というのです。 過去世に法華経の下種、結縁がない者で、 権教や小乗経に執着する者は、たとえ法華経に会いたてまつっても 小乗経・権経の考え方から出ることができません。 自分の考えをもって正義とするから、かえって法華経をあるいは小乗経と同じだといい、 あるいは華厳経や大日経と同じだといい、 あるいはこれらの経々より劣っているといって法華経を下すのです。 このように主張している諸師は儒教や外道の賢人・聖人よりも劣っている者です。 これらのことはしばらくおいておきましょう。 十界互具の説を立てることは、石の中に火があり、木の中に花があるというように信じ難いけれども、 縁にあって火や花があらわれる人々はこれを信じます。 人界に仏界を具えていることは、水の中に火があり、 火の中に水があるというように最もはなはだ信じ難いことです。 しかし、竜火は水から出現し、竜水は火から生まれるといわれています。 理解出来ないけれども現実の証拠があるからこれを信じてるのです。 すでにあなたは人界に地獄界から菩薩界までの八界が具わっていることを信じました。 それでは人界に仏界が具わっていることをどうして信じられないのでしょうか。 中国古代の堯王(ぎょうおう)や舜王(しゅんのう)らの聖人は、 すべての民に対して偏頗(へんぱ)無く平等な政治を行いました。 これは人界に具わった仏界の一分の顕れです。 不軽菩薩はみる人ごとに仏身を見ました。 悉達太子は人界から仏身を成就しました。 これらの現実の証拠をもって人界に仏界が具わっていることを信ずるべきです。 6 受持に約して観心を明かす 問うていうには、 教主釈尊は(これより以下は固く秘しなさい)見思惑・塵沙惑・無明惑の三惑を既に断じ尽くした仏です。 また十方世界の国主であり、一切の菩薩・二乗・人・天らの主君です。 釈尊が行かれるときは、大梵天王は左に、帝釈天王は右にお伴をし、 四衆や八部衆は後ろに従い、金剛神は前を導き、 八万法蔵といわれる一切経を演説して、一切衆生を得脱させるのです。 このように尊い仏陀を、どのようにして私達凡夫の己心に住せさせられましょうか。 また、法華経迹門および爾前経の意(こころ)をもって論じますと、 教主釈尊はインドに生まれて成道した始成正覚の仏です。 過去にどのような、成道の原因となる修行をしたのかと尋ねてみますと、 あるいは能施太子と生まれて布施を行じ、あるいは儒童菩薩と生まれて仏を供養し、 あるいは尸毘王(しびおう)と生まれて鳩にかわって身を鷹ににあたえ、 あるいは薩埵王子(さつたおうじ)と生まれて飢えた虎に我が身を施しました。 このような菩薩行をあるいは三祗(ぎ)百劫(こう)、あるいは動踰塵劫(どうゆじんこう)、 あるいは無量阿僧祗劫(むりょうあそぎこう)、あるいは初発心より正覚を成ずるまで、 あるいは三千塵点劫などという長遠のあいだ、 七万五千、七万六千、七万七千等といった多くの仏を供養し、 劫をつみ、修行を満足して、いまの教主釈尊となられたのです。 243p このような因位における諸々の修行が、 みな私達の己心に具えている菩薩界の功徳だというのでしょうか。 仏果の位からこれを論じますと、教主釈尊は始成正覚の仏です。 成道してより四十余年の間、蔵・通・別・円の四教を説くたびにそれぞれの仏身を示現し、 爾前経・法華経迹門・涅槃経等を演説して、一切衆生を利益されました。 いわゆる華蔵世界が説かれた華厳経説法の時は、十方台上の盧舎那仏(るしゃなぶつ)とあらわれ、 阿含経の時には、三十四の智慧心をもって見思の惑を断じ成道した仏としてあらわれ、 方等教や般若経の時には諸仏や千仏として、大日経・金剛頂経の時には千二百余尊としてあらわれ、 ならびに法華経迹門の宝塔品では同居土・方便土・実報土・寂光土の四土の仏の色身を示現し、 涅槃経の時には、会座の大衆があるいは一丈六尺の仏身と見たり、あるいは小身・大身とあらわれ、 あるいは盧舎那報身仏とみたり、あるいはその身が虚空と等しい法身仏と見ました。 このように四種の身を示され、さらに八十歳で御入滅の後は仏の身骨をとどめて、 正法・像法・末法の一切衆生を利益されたのです。 法華経本門の意をもってこれを疑ってみますと、教主釈尊は五百塵点劫以前の仏です。 因位もまた同じく長遠です。 それより以来、十方の世界に分身して出現され、一代聖教を演説し、無数の衆生を教化されました。 本門にいおいて明かされた弟子の数を迹門での弟子に比較してみますと、 一滴の水と大海と、一塵と大山とを比べるようなものです。 本門の一菩薩を迹門の十方世界の文殊・観音らの菩薩に並べると、 猿を帝釈天に比較してもその差はなお及びません。 その他、十方世界の、惑いを断じ悟りの果を証得した声聞・縁覚の二乗や、 梵天・帝釈・日天月天・四天の天界、 四輪王の人界、ないし無間大城の大火炎など、これらはみな我が一念に具わる十界なのでしょうか。 己身の三千だというのでしょうか。 たとえ仏の説だといっても、信じることは出来ません。 以上のことから考えてみますと、爾前の諸経のほうが真実であり、真実を説いています。 華厳経には 「究極の悟りは煩悩という虚妄を離れ、虚空のように清浄でけがれがない」とあり、 仁王経には 「煩悩・無明の根源、本性を窮めつくして、仏界の智慧だけがある」とあり、 金剛般若経には 「悟りにいたければ清浄の善だけがある」と説かれています。 馬鳴菩薩があらわした大乗起信論(だいじょうきしんろん)には 「如来蔵のなかには清浄の功徳だけがある」とあります。 天親菩薩があらわした成唯識論(じょうゆいしきろん)には 「煩悩を断じていない有漏(うろ)の人と、煩悩を断じても劣っている無漏の人とは、 金剛のごとき堅固な禅定が現れれば極円明純浄(ごくえんみょうじゅんじょ)の悟りに入ることが出来る。 余の有漏と劣の無漏は必要ないので、永久に捨てるのである。」等とあります。 爾前の経々と法華経とを比べ考えあわせますと、爾前の経々は数かぎりなく、 説かれた期間もはるかに法華経より長いのです。 ですから、このように互いに反する教えのうちどちらにつくかとなれば、爾前経につくべきです。 馬鳴菩薩は仏の一切の教説を付嘱し伝持した第十一番目の人で、仏の予言にしるされています。 天親菩薩は千部の論をつくった人で、仏の滅後に衆生のよりどころとなった四依の大菩薩です。 それに比べて、天台大師はインドからみれば辺ぴな地の小僧で、一つの論も述べていません。 だれが天台大師を信ずることが出来るでしょうか。 そのうえ、たとえ多いほうの爾前経を捨て少ないほうの法華経につくとしても、 十界互具・一念三千について法華経の文が明らかであれば、少しはよりどころとなるでしょうが、 法華経のなかのどこに十界互具・百界千如・一念三千を説いた明らかな証文があるのでしょうか。 したがって法華経を開いてみますと、方便品に 「諸法の中の悪を断ずる」等とあり、九界の悪を断ずるところに仏界があるとされています。 244p 天親菩薩の法華論、堅慧菩薩(けんねぼさつ)の「宝性論」にも、十界互具は説かれておらず、 中国南三北七の諸々の大人師、また日本の七宗の末師のなかにも十界互具の義はありません。 ただ天台一人の間違った考えであり、それを伝教一人が誤り伝えたのです。 ゆえに中国華厳宗第四祖の清涼国師は「天台の誤りである」といい、 中国華厳経の慧苑法師は「三蔵は大乗教・小乗教に通ずるものであるにもかかわらず 天台は小乗教を三蔵と名づけ、 誤り混乱させている」等といっています。 了洪は「天台ひとり、いまだ華厳の真意を理解していない」等といい、 日本の法相宗の得一は「つたないかな智公(天台大師のこと)よ、なんじはいったいだれの弟子か。 三寸にも足らない凡夫の舌で、広く長い仏の舌をもって説かれた三時教説をそしるとは」 等といっています。 また真言宗の弘法大師は弁顕密(べんけんみつ)ニ経論で、 「中国の人師たちはきそって六波羅蜜経の醍醐を盗んで、それぞれ自宗派を醍醐の宗と名づけている」 等といっています。 このように、一念三千の法門は、釈尊一代の権教・実経にもその名称はなく、 正法時代に衆生のよりどころとなった四依の諸論師もその義を著書に載せていません。 像法時代の中国や日本の人師もその義を用いていません。 どうしてこれを信じることが出来るでしょうか。 答えていうには、 この非難はもっとも厳しいものです。 ただし、爾前(にぜん)の諸経と法華経の違いは、経文にその根源があり明らかです。 すなわち釈尊自身、爾前経は未顕真実(みけんしんじつ)、 法華経は己顕真実(いけんしんじつ)と説かれ、 それを多宝・十方諸仏が証明されていること、 また教えの内容で、爾前経の二乗永不成仏(にじょうようふじょうぶつ)と法華経の二乗成仏、 爾前経の始成正覚と法華経の久遠実成などが、 爾前経と法華経のどちらを信ずべきかをはっきりあらわしています。 つぎに諸論師について、天台大師は摩訶止観に 「天親菩薩や竜樹菩薩は一念三千の法門を心の中でははっきりと知っていた。 しかし、外にたいしては時代に適した法門を立て、それぞれ権教によったのである。 ところが、その後の人師や学者はかたよって解釈し、それを学者達はいいかげんに信じて執着し、 ついには互いに争いを起こし、各派は仏教の一辺にとらわれて おおいに正しい覚りの道に背いてしまったのである」等といっています。 章安大師は 「インドの大論師でさえなお天台大師に比べればその比ではない。 中国の人師など、わずらわしく語るまでもない。これは決して誇り自慢していっているのではなく、 天台の説く法門自体が優れているからである」等といっています。 天親・竜樹・馬鳴・堅慧らの正法時代の論師たちは一念三千の法門を心の中では知っていましたが、 今だ流布する時が来ていなかったので、これを述べなかったのでしょうか。 像法時代の人師たちにおいては天台大師以前はあるいは一念三千の宝の珠を内心にふくんで 外に説かなかった人もいれば、あるいはまったくこれを知らない人もいました。 天台以後の人師は、 あるいは最初は天台の説を批判しましたが、後に帰伏した者もありますし、 あるいは最後までこれを用いない者もありました。 ただし、先にあげた法華経方便品の 「諸法の中の悪を断ずる」の経文について説明しておかなければなりません。 この方便品の文は、法華経に爾前の経文をのせているのです。 法華経をよく見てみますと、そこにははっきりと十界互具が説かれています。 いわゆる方便品に「衆生の生命の中にある仏の智慧を聞かせたいと思う」等という文がそれです。 天台大師はこの経文をうけて摩訶止観に 「もし衆生の生命の中に仏の智慧がないならば、どうしてそれを聞かせたいと論じるであろうか。 まさに仏の智慧は衆生の生命の奥底にあることを知るべきである」といっています。 さらに章安大師は観心論疏(かんじんろんしょ)に 「衆生にもし仏の智慧がないならば、どうしてそれを聞き悟ることができるであろうか。 もし貧しい女性に自分の蔵が無いならば、どうして示したりできるであろうか」等といっています。 ただし、説明することが難しいのは、さきにあげた権教・迹門・本門の教主釈尊が 私たちの己心に住するとは考えられないとの非難です。 このことを仏は遮って、次のようにいわれています。
https://w.atwiki.jp/21seiki-kyougaku/pages/10.html
どんな困難をも乗り越える力が自身に備わっている――こう教えているのが日蓮仏法です。学生部員は今、この希望の哲学を胸に「正義・拡大月間」を驀進しています。「学生部年間拝読御書の解説」開目抄第3回では、凡夫成仏の要法である「文底の一念三千」について学びます。 大意 前回に続き、「五重の相対」を通し諸思想の浅深を判じられています。 前段で論及された儒家・外道の主師親を打ち破り、釈尊こそが真の主師親の三徳を具えた存在であるとされ、「内外相対」の立場から釈尊の一代聖教こそが真実の教えであると示されます。さらに「権実相対」し、法華経のみが釈尊の正言であると述べられます。 そして、「種脱相対」して、法華経本門寿量品の文底に秘沈されている一念三千こそが、真実の成仏の大法であることを示されるのです。 内外相対 幸・不幸の因果を説く仏教 「三には大覚世尊は……皆真実なり」(御書188ページ6行目~13行目) まず、釈尊こそが「一切衆生の大導師・大眼目・大橋梁・大船師・大福田」であると仰せです。 これに比して、外典・外道の四聖・三仙は「三惑未断の凡夫」であり、「因果を弁ざる事嬰児(=赤ん坊)のごとし」であるから、彼らを師としては「生死の大海」を渡ることも、「六道の巷」を超えることもできないと述べられています。 「三惑未断の凡夫」とは「見思惑・塵沙惑・無明惑」という3種の煩悩を断じていない凡夫のこと。「因果を弁ざる事」とは、人間に幸・不幸をもたらす因果(=原因と結果)を的確に説いていないということです。 続いて、釈尊一代の聖教(内道)は、ことごとく真実の言葉、「不妄語」であり、外典・外道と比較すると、多くの衆生を救う「大乗」、嬰児に対する「大人の実語」であると結論されています。 権実相対 万人の成仏を説く法華経 「但し仏教に入て……伏して懐うべし」(同188ページ14行目~18行目) 一代聖教のうち、法華経のみが釈尊の真意を説いた経であると仰せです。 法華経以外の大乗諸教(権教)では、二乗や悪人、女性の成仏を否定しています。それに対し、法華経(実教)は、一切衆生が平等に成仏できることを説いているのです。 前段で、釈尊の一代聖教は皆、実語であると仰せでした。しかし、釈尊の一代聖教も子細に分析すれば、そこには「小乗」(少数の人しか救えない低い教え)もあり、「大乗」の中でも「権経」(真実の教えを説くための方便として仮に説かれた経典)もあります。 さらに、「密教」(仏の真意を秘密にして説かれた教え)、あるいは「ソ<鹿の下に鹿2つ>語」(意を尽くさない語)、「妄語」(虚妄の言葉)、「邪見」(誤った考え)もあります。 そのなかで、仏の悟った究極の真理をそのまま明かした法華経のみが真実であると、日蓮大聖人は結論されるのです。 そして、そのことを示す経文として、無量義経の「未顕真実」(法華経以前の四十余年の経教は方便で、仏の悟った真実を明かしていない、との意)と方便品の「要当説真実」(釈尊は久しい間、権教を説いた後、今やまさに必ず仏の悟った真実を説き明かすだろう、との意)という釈尊自身の言葉を示されるとともに、多宝仏・十方分身の諸仏という他仏の証明を示されています。 種脱相対 末法の衆生を救う下種の法 「但し此の経に……これをいだ(懐)けり」(同189ページ1行目~3行目) 「二箇の大事」とは、迹門の諸法実相・十如是や二乗作仏によって示された「理の一念三千」と、本門の久遠実成、本国土妙によって示された「事の一念三千」のことです。 この凡夫成仏のカギとなる「一念三千の法門」について、諸宗は“名前さえ知らない”、華厳宗と真言宗は“ひそかに盗み入れて自宗の教義にしている”と弾呵されています。 そして、「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり」と仰せです。「一念三千の法門」が、法華経寿量品の文底にのみ秘沈されていることが示された、極めて重要な御文です。 日寛上人は、この「但」の字を三重に冠して拝され、「三重秘伝」の教判を立てられました。 すなわち一念三千は、一代聖教のなかでも「但法華経」(権実相対)、法華経のなかでも「但本門寿量品」(本迹相対)、本門寿量品のなかでも「但文の底」(種脱相対)に秘して伝えられた大法なのです。 法華経は一経ですが、その説かれた法門の深さから、迹門・本門・文底という三層になります。 そして一念三千にも、それぞれに応じて「迹門の理の一念三千」と「本門文上の事の一念三千」と「文底事行の一念三千」の相違があります。 このうち、「文底事行の一念三千」こそ、成仏の究極の要法です。 大聖人は、凡夫の生命に仏界の生命を現す凡夫成仏の道、つまり事実として一念三千・十界互具を実現する道を、寿量品の久遠実成の根底に洞察されました。 この凡夫の生命に仏の生命を現すのが、釈尊を含む一切の仏を成仏させた「下種の法」である南無妙法蓮華経です。 法華経の文上本門は、機根が整った衆生を仏の悟りに至らせる「脱益」の働きはありますが、機根が整っていない末法の衆生を成仏させることはできないのです。 この「文底事行の一念三千」は、末法弘通のために寿量品の文底に沈め残されました。正法時代の竜樹・天親、像法時代の天台大師は、この大法を心中では知っていたが、弘めることをしなかったのです(正像未弘)。 池田名誉会長の開目抄講義から 「文底の一念三千」は生命を無限に輝かす法 寿量品の「文底」に秘沈された、真の十界互具・一念三千による凡夫成仏は、「法華経の心」であり、「仏法の肝要」であり、また「宗教の根源」でもあると言えます。 私はこれまで、識者との対談や海外講演で、折に触れて「宗教的精神」や「宗教的なるもの」の大切さを強調してきました。 「宗教的精神」とは、虚無から勇気を、絶望から希望を創造する精神の力であり、また、その力を自他の生命に、そして宇宙の万物に見いだしていく精神です。 どんな苦難や行き詰まりがあっても、自分のなかにそれらを乗り越えていく力があることを信じ、行動し、新しい価値を創造していく魂が宗教的精神です。 ◇ 大聖人は、人々が無常なものに執着し、貪・瞋・癡に翻弄されて、不信と憎悪で分断されていく末法の時代は、宗教もまた、原点の宗教的精神を忘れ、人間から遊離して、硬直化し形骸化し細分化されたそれぞれの教義にとらわれ、争いあう時代であると捉えられました(闘諍言訟・白法隠没)。 そして、根源の宗教的精神を復活させなければ、人々も時代も救済できないと考えられたと拝されます。 ゆえに、事実として人間生命に仏界を開いていく真の十界互具・一念三千を「文の底」にまで求めていかれたのです。 だからこそ、人間の生命の永遠性を確かに把握し、人間が現実の行動のなかに永遠性を輝かせゆくことができる事行の一念三千として、文底の一念三千を確立されるに至ったと拝することができます。
https://w.atwiki.jp/gendaigoyaku/pages/35.html
245p 法華経法師品に 「已に説き(爾前経)、今説き(無量義経)、 当に説こうとする(涅槃経経々の中で法華経がもっとも信じ難く、理解し難い)」と。 また、その下に出てくる宝塔品の「六難九易」の文がこれです。 天台大師は法華文句に、 「迹門・本門の二門ともにその説はことごとく昔に説いた爾前経と反しているので信じ難く理解し難い。 戦場で鉾にぶつかっていくように難しいことである」といっています。 章安大師は観心論疏(かんじんろんしょ)に 「仏はこの法華経をもって大事としているのである。どうして理解しやすいわけがあろうか」と。 伝教大師は法華秀句に 「この法華経はもっとも信じ難く理解し難い。 なぜならば仏が悟りの真実をそのままに説いた随自意の教えであるから」 等といっています。 いったい仏の生きておられた時代より滅後千八百余年のあいだ、 インド・中国・日本の三国にわたってただ三人だけがはじめてこの正法を覚知しました。 すなわちインドの釈尊、中国の天台智者大師、日本の伝教大師であり、この三人は仏教における聖人です。 問うていうには、 それでは、インドの竜樹菩薩や天親菩薩たちはどうでしょうか。 答えていうには、 これらの聖人たちは、心の中に知っていましたが、外に向かっていわなかった人たちです。 あるいは迹門の一部の教義を述べて、本門と観心については説き示しませんでした。 あるいはこの時代は一念三千の法門を聞く衆生の機根はあっても 説くべき時代ではなかったのでしょうか。 あるいは機も時もともになかったのでしょうか。 天台、伝教以後は一念三千の法門を知った者が多くありました。 それは天台と伝教の二人の聖人の智慧を用いたからです。 すなわち、三論宗(さんろんしゅう)の嘉祥(かじょう)、 南三北七の各宗の百余人、華厳宗の法蔵や精涼たち、 法相宗の玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)や慈恩大師たち、 真言宗の善無畏(ぜんむい)三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵たち、律宗の道宣たちは、 はじめ天台に反逆していましたが、後には天台にまったく帰伏したのでした。 さて十界互具を論難した最初の大難を遮っていうならば、無量義経に次のようにあります。 「たとえば国王と夫人とのあいだに新たに王子が生まれたとする。この王子が一日、二日、 あるいは七日と日がたち、または一ヶ月、二ヶ月、あるいは七ヶ月にいたり、 あるいは一歳、二歳、あるいは七歳になり、いまだ国の政治をとることはできないにしても、 すでに国民に尊び敬われ、多くの大王の子供を伴侶とするようになるであろう。 国王とその夫人の愛心はただただ重く、いつもこの王子と語るであろう。 なぜかというと、この王子は幼く小さいからである。 善男子よ、この経を信じ持つ者もまたそのとおりである。 諸仏という国王とこの経という夫人が和合してこの菩薩の子を生じた。 この菩薩はこの経を聞いて、その一句一偈を、あるいは一回転読し、あるいは二転、 あるいは億万恒河沙・無量無数転読するならば、いまだ真理の究極を体得することはできないにしても、 すでに一切の四部の衆や八部衆に尊び仰がれ、諸々の大菩薩を眷属とし、つねに諸仏に護念され、 ひたすら慈愛におおわれるであろう。それは新学だからである」等とあります。 普賢経には、 「この大乗経典(妙法蓮華経)は諸仏の宝蔵であり十方三世の諸仏の眼目である。 乃至この大乗経典こそ三世の諸の如来を出生する種である。 乃至汝はただひたすらこの大乗経典(妙法蓮華経)を受持し信行を励んで 仏種を断ち切ってはならない」等とあります。 また同じく普賢経に、 「この方等経(方正平等な教え=法華経のこと・妙法蓮華経)は諸仏の眼である。 諸仏はこの方等経を受持し行じた因によって肉眼の上に天眼・慧眼・法眼・仏眼の 五眼を具えることができた。 すなわち諸仏の智慧は完成したのである。 また仏の法身・報身・応身の三身は方等より生じる。 この経こそ真実絶対の仏法であり、涅槃界に印するのである。 このような海中(広大無辺の中)からよく法・報・応の三種の仏の清浄な身を生じる。 この三種の身は人界・天界の衆生に利益をもたらす福田である」等とあります。 246p さて、釈迦如来一代五十年の説法の顕教と密教、大乗教と小乗教の二教、 華厳宗や真言宗等の諸宗がよりどころとしている経々を一つ一つ考えますと、 あるいは華厳経には十方蓮華台上の毘虞舎那仏が説かれ、 大集経には雲のように多く湧き集まった諸仏如来、 般若経には染浄の千仏が示現したと説かれ、 また大日経や金剛頂経などには千二百余尊が説かれていますが、 ただその近因近果を演説するだけで、久遠の本因本果をあらわしていません。 即身成仏を説いても、三千塵点劫、五百塵点劫の久遠の下種を顕さず、 化導がいつ始まっていつ終わったかについては、まったく述べられていません。 華厳経や大日経等は、一往見てみますと、別円、四蔵等に似て成仏できる教えのようですが、 再往これを考えますと、蔵通の二教に同じで、いまだ別教・円教にもおよびません。 一切の衆生に本来具わっている三種の成仏の因が説かれていませんから、 なにをもって成仏の種子とするのでしょうか。 ところが、善無畏三蔵等の新訳の訳者たちは中国に来入した際、天台の一念三千の法門を見聞して、 あるいは自分の持ってきた経経につけくわえたり、 あるいはインドから一念三千の法門を受持してきたなどと主張しました。 天台宗の学者等は、このように天台の法門を盗まれておりながら、 あるいは他宗でも天台と同じように一念三千を説き、自宗に同じであると喜び、 あるいは遠いインドを尊んで近くの中国に出現した天台をあなどり、 あるいは古い天台の法門を捨てて新しい宗派の教義を取り、 というように魔心・愚心が出てきたのです。 しかし、結局は、一念三千の仏種でなければ、有情の成仏も木像・画像の二象の本尊も有名無実です。 問うていうのには、先に人界所具の十界を論難しましたが、いまだその説明を開いていませんが、 どうなのでしょうか。 答えていうのには、 無量義経には、 「いまだ六波羅密の修行をしていなくても、六波羅密は自然に具わってくる」等とあり、 法華経方便品には、 「一切の功徳を具足する道を聞かせていただきたい」等とあり、 涅槃経には 「薩とは具足のことをいう」等とあります。 また竜樹菩薩は「大智度論」に「薩とは六である」等といっています。 中国・唐の均正があらわした「無依無得大乗四論玄義記」には、 「沙とは訳して六という。インドでは六をもって具足の義となすのである」といい、 吉蔵の「法華経硫」には、「沙とは翻訳して具足となす」といい、 天台大師は「法華玄義」に 「沙とは梵語である。中国語では妙と翻訳される」等といっています。 自分勝手に解釈をくわえますと、引用の本文の意をけがすようなものでしょう。 しかし、これらの文の意は、釈尊の因行と果徳の二法は、ことごとく妙法蓮華経の五字に 具わっており、私たちはこの妙法五字を受持すれば、 自然に釈尊の因果の功徳をゆずり与えられるのです。 法華経信解品で、 須菩提、迦旃延、迦葉、目犍連の四人の声聞が説法を聞いて悟りを理解して 「この上ない宝の聚りを、求めないのに自ずから得ることができた」等といっています。 これは私たちの自身の生命のなかの声聞界です。 法華経方便品には 「衆生を私(仏)と等しくして異なることがないようにしたいと、 私(仏)がその昔、願った事は、今はすでに満足した。 一切衆生を教下して、みな仏道に入らせることができたのである」と説かれています。 妙覚の悟りをそなえた釈尊は、 私たちの血肉です。 この仏の因果の功徳は、私たちの骨髄ではないでしょうか。 法華経宝塔品には、 247p 「よくこの経法を守る者は、すなわち私(釈尊)およぴ多宝仏を供養することになる。 またもろもろの集まり来られた化仏のそれぞれの世界を荘厳にし 輝かしく飾っている者を供養することになるのである」等とあります。 この釈迦・多宝十方の諸仏は私たちの仏界であり、妙法を護持する者は、 これらの仏の跡を受け継いで、その功徳を受得するのです。 法師品の 「わずかの間でもこれを聞くならば、すなわち阿耨多羅三藐三菩提を極め尽くす事が出来る」 というのはこれです。 寿量品には 「ところが、私が、じつに成仏してよりこのかた、無量無辺百千万億那由佗劫を 経ているのである」等と説かれています。 私たちの己心の仏界である釈尊は、久遠元初に顕れた三身であり、無始無終の古仏です。 同じく寿量品には、 「私が本菩薩の道を修行して成就したところの寿命は、 今なお未だ尽きてはいない。 未来もまたその寿命は上に説いた五百塵点劫の数に倍するのである」等と説かれています。 これは私たちの己心の菩薩等の九界です。 地涌千界の菩薩は己心の釈尊の眷属なのです。 たとえば大公は周の武王の臣下であり、 周公旦は幼稚の成王の眷属、武内の大臣は神功皇后の第一の臣であるとともに、 仁徳王子の臣下であったようなものです。 上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩等は、地涌の大菩薩の上主唱道の師たちは、 私たち己心の菩薩です。 妙楽大師は「止観輔行伝弘決」に、 「まさに知るべきである。正報である身も依報の国土も、私たち衆生の一念三千とあらわれる。 故に成仏の時にはこの本地難思境智の妙法にかなって、 一身も一念もともに法界に遍満するのである」と説いています。 7 略して本尊を述べる いったい、釈尊が寂滅(じゃくめつ)道場で成道して最初に説法した華厳経の華蔵世界から、 沙羅林(しゃらりん)で最後に涅槃経を説くまで一代五十余年の間、 華厳経に説くところの浄土である菩薩世界、 大日如来の住む密厳世界、法華経迹門宝塔品で清浄にされた三土、 涅槃経で説く四見の四土などは皆、 成(じょう)劫・住(じゅう)劫・壊(え)劫・空(くう)劫の四劫を繰り返す無常の国土の上に 変化して示された方便土・十報土であり、 寂光土たる阿弥陀仏の安養・薬師如来の浄瑠璃・大日如来の密厳世界等です。 能変の教主すなわちインド応誕の釈尊が涅槃に入ってしまうならば、 所変の諸仏もまた釈尊の入滅に従って滅尽します。 その国土もまた同様です。 いま法華経本門寿量品の説法で説かれた久遠の仏の常住する娑婆世界は 三災におかされることもなく 成・住・壊・空の四劫をぬけでた常住の浄土です。 仏はすでに過去にも滅することはなく、未来に生ずることもない常住不滅の仏であり、 仏の説法を聞いている所化たちも同体で、常住です。 これがすなわち、釈尊の声聞たちの己心の三千具足、三種の世間です。 法華経迹門十四品には、未だこのことを説いていません。 法華経の内においても、時期がまだ熟していなかったからでしょうか。 この法華経本門の肝心である南無妙法蓮華経の五字については、 釈尊は文殊師利菩薩や薬王菩薩等らさえもこれを什嘱されませんでした。 ましてそれ以外の者に付嘱されるわけがありません。 ただ地涌千界の大菩薩を召し出して、 涌出品かた嘱累品までの八品を説いてこれを付嘱されたのです。 その本門の肝心の南無妙法蓮華経の御本尊のありさまは、 久遠の本仏が常住される娑婆世界のうえに宝塔が空中にかかり、 その宝塔の中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏と多宝仏が並び、 釈尊の脇士には上行らの地涌の四菩薩が並び、 文殊菩薩や弥勒菩薩らの迹化の菩薩は本化四菩薩の眷属として末座に居り、 迹化の菩薩、多宝の国土の菩薩等大小の諸菩薩は、 万民が大地にひれふして殿上人をあおぎ見るようにして座し、 十方から集まりやってきた分身の諸仏は大地の上に座っておられます。 これは迹仏・迹土をあらわしているからです。 248p このような御本尊は釈尊の在世五十余年のあいだにはまったくありませんでした。 法華経八年のあいだにも涌出品から嘱累品までのただ八品に限られてあらわされました。 正法・像法二千年の間には、 小乗教の釈尊は迦葉と阿難を脇士とし、 権大乗教 及び涅槃経・法華経の迹門等の釈尊は 文殊菩薩や普賢菩薩らを脇士(きょうじ)としています。 これらの仏を、正法、像法時代に造り描きましたが、 未だ寿量品の文底に説かれた仏はあらわされていません。 この寿量品の仏は、末法の時代に入ってはじめてあらわされるべきだからでしょうか。 8 広く本尊を述べる 問うていうには、 正法・像法二千余年の間、正法時代の四依(しえ)の菩薩 及び 像法時代の人師たちは、 阿弥陀や大日などの仏や、 小乗教・権大乗教、爾前経・法華経迹門の釈尊らの寺塔は建立しましたが、 本門寿量品文底下種の大御本尊ならびに四大菩薩については、 インド・中国・日本の三国の王・臣ともに未だ崇重したことがない旨を申されました。 このことはほぼ聞きましたが、前代未聞のため耳目を驚かし、心を迷い惑わすばかりです。 重ねてこれについて説いていただきたい。 詳しく聞きたいと思います。 答えていうには、 法華経の一部八巻二十八品、それ以前には華厳より般若までの前四昧の爾前経、 それ以後には涅槃経などの、釈尊一代に説かれた諸経を総じてこれをまとめると、 ただ一経となります。 はじめ寂滅道場で説かれた華巌経から般若経に至るまでは序分です。 無量義経・法華経・普賢経の十巻は正宗分です。 涅槃経等は流通分です。 正宗分十巻の中においてまた序分・正宗分・流通分があります。 無量義経と法華経の序品第一は序分です。 方便品第二から分別功徳品第十七の半ばの十九行の偈に至るまでの十五品半は正宗分です。 分別功徳品の現在の四信の段から普賢経に至るまでの十一品半と一巻は流通分です。 また法華経と無量義経・普賢経の十巻においても迹門と本門の二経があり、 それぞれ序分・正宗分・流通分を具えています。 まず迹門においては無量義経と法華経の序品第一は序分です。 方便品第二から人記品第九に至るまでの八品は正宗分です。 法師品第十から安楽行品第十四に至るまでの五品は流通分です。 その迹門を説いた教主を論じますと、インドに生まれてはじめて成仏した仏です 本無今有の百界千如を説いて 巳説(巳に説き=爾前経)、今説(今説き=無量義経)、 当説(当に説く=涅槃経)に超過している、仏の悟りを自らの意のままに説いた法門であり、 信じがたく理解しがたい正法です。 その説法を開いた衆生の過去の結縁をたずねてみますと、 三千塵点劫の昔に釈尊が大通智勝仏の第十六王子として法華経を説いて、仏界の種を下し、 その時いらい調機調養して、 華厳経等の前四味をの法を助縁として大通の種子を覚知させ得脱させました。 しかし、これは仏の本意ではなく、ただ毒がたまたま効力を発したようなもので、 一部の者だけでした。 大多数の二乗・凡夫たちは前四味の法門を助縁とし、 しだいに法華経にいたって種子をあらわし、開顕を遂げて成仏した機根の人々です。 また釈尊の在世においてはじめて迹門の正宗分八品を開いた人界・天界の衆生らは、 あるいは一句一偈を聞いて下種とし、あるいは熟し、あるいは得脱しました。 あるいは普賢経・涅槃経にいたって得脱し、 あるいは正法・像法時代および末法の初めに、 小乗教や権大乗教等を助縁として法華経に入って得脱しました。 たとえていえば、釈尊在世に前四味の法門を聞いて助縁として得脱した者と同じです。 249p また法華経の本門十四品の一経に序分・正宗分・流通分があります。 涌出品の前半分を序分とし、 涌出品の後半分と寿量晶の一品と分別功徳品の前半分の一品二半を正宗分とします。 その他は流通分です。 この本門の教主を論じますと、 インドに生れてはじめて成仏した釈尊ではありません。 説かれた法門もまた天と地のような違いがあります。 十界の生命が久遠常住であるうえに、国土世間があらわれています。 しかし、文底下種の独一本門に比べると、 本門と迹門の一念三千の相違はほとんど竹膜を隔てるようなわずかなものです。 また本迹ならびに前四味の爾前経、無量義経、涅槃経等の巳・今・当の三説はことごとく 衆生の機根に随って説いた教えで、信じやすく理解しやすく、 それに対し、 本門は 三説に超過した信じがたく理解しがたい、仏の悟りを自らの意のままに説いた法門です。 また文底独一本門において序分・正宗分・流通分があります。 過去大通智勝仏の法華経から、 インドの釈尊が説いた華厳経をはじめ法華経迹門の十四品、 涅槃経などの一代五十余年の諸経も、 十方三世の諸仏が説いた無数の経々も みな寿量品すなわち文底独一本門の南無妙法蓮華経の序分です。 文底下種の一品二半より他は、全て小乗教・邪教・未得道教であり、 真実を覆いかくしている覆相教です。 そのような小乗教・邪教を信ずる衆生の機根を論じますと、 徳が薄く、煩悩の垢は重く、幼稚で、貧しくていやしく、 孤児のように孤独で、禽や獣と同じです。 爾前経や法華経迹門に説かれた「即身成仏」するという円教でさえなお成仏の因とはなりません。 まして大日経などの諸々の小乗教で成仏できるわけがありません。 さらに華厳経や真言宗などの七宗のような論師や人師が立てた宗ではなおのことです。 与えてこれを論じても、 蔵・通・別の三教の範囲を出ず、 奮ってこれをいえば、蔵教や通教と同じです。 たとえその法理は非常に深いといっても、 未だ、いつ下種し、どのように熟し得脱させるかを論じていません。 「かえって小乗教の灰身滅智に同じであり、化導の始終がない」というのがこれです。 たとえば王女であっても畜生の種を懐妊すれば、その子は旃陀羅にも劣っているようなものです。 これらのことはしばらくおいてきましょう。 9 文底下種三段の流通を明かす 法華経の迹門十四品の正宗分である方便品第二から人記品第九までの八品は、 一往これを見てみますと、 釈尊在世の二乗の者をもって正とし、菩薩・凡夫をもって傍としています。 しかし、再往これを考えれば、 凡夫を正とし、仏滅後の正法・像法・末法を正となしています。 正・像・末の三っつの時代の中でも末法の始めをもって正の中の正としています。 問うていうには、その証拠はどうですか。 答えていうには、法華経法師品に、 「しかもこの法華経は、信じ行ずるとき釈尊の現在でさえ なお怨みやねたみが多い。 まして、仏滅後においてはなおさらのことである」と説かれ、 宝塔品には、 「正法を長くこの世にとどめるのである。(中略)また、 法華経の会座に集まり来た分身の諸仏も、このことを知っておられたのである」 等と説かれています。 勧持品・安楽行品などにもこれについて説かれていますから見てみなさい。 迹門はこのように滅後末法のために説かれたのです。 法華経本門について論じますと、 一向に末法の初めをもって正機としています。 すなわも一往これを見るときは、久遠五百塵点劫に仏種を植えられたことをもって下種とし、 その後の大通智勝仏の時や前四味の爾前経、法華経迹門を熱とし、 本門にいたって等覚・妙覚の位に入らせ得脱させました。 しかし再往これを見ますと、本門は迹門とはまったく違って序分・正宗分・流通分ともに 末法の始めをもって詮としています。 釈尊在世の本門と末法の始めの本門は、 同じく一切衆生が即身成仏できる純円の教です。 ただし在世の本門は脱益であり、末法の始めの本門は下種益です。 在世の本門は一品二半であり、末法の本門はただ題目の五字です。 問うていうには、その証文はどうですか。 答えていうには、法華経湧出品に、 「その時に他方の国土からやって来た ガンジス河の砂の数の八倍を超える多数の大菩薩たちが、大衆の中で 250p 起立し合掌し礼をなして仏に申しあげるには、 『世尊よ、もし私たちに、仏の滅後においてこの娑婆世界にあっておおいに勤め精進して 法華経を護持(ごじ)し読誦(どくじゅ)し書写し供養することを許してくださるならば、 まさにこの姿婆世界において広く法華経を説くでしょう』と誓った。 その時に仏は、もろもろの大菩薩に告げられた、 『止めよ善男子よ、汝たちがこの法華経を護持することは用いない」等と説かれています。 この経文はその前にその前に説かれた、法師品より安楽行品までの五品の経文と、 水と火のように相入れません。 宝塔品の末には、 「仏は大音声をもってひろく比丘・比丘尼・優婆塞(うばそく)・優婆夷(うばい)の四衆に告げられた。 『誰かよくこの娑婆国土において広く妙法華経を説く者はいないか」と説かれています。 たとえ教主が一仏だけであっても、 滅後の弘教を このようにすすめられたならば、 薬王等の大菩薩、梵天・帝釈・日天・月天・四天等は このすすめを重んじるべきなのに、 さらに多宝仏、十方の諸仏も客仏として滅後の弘教を諫めさとされたのです。 もろもろの菩薩たちは、 この懇切丁寧な付属(ふぞく)を聞いて 「わが身命を借しまない」との誓いを立てたのです。 これらはひとえに仏の意に叶おうとするためです。 ところが一瞬の間に、仏の説く言葉は相違して、 ガンジス河の砂の数の八倍という多くの菩薩たちの この娑婆世界での弘教を制止されたのです。 進退きわまってしまいました。 もはや凡夫の智恵ではおよびません。 天台智者大師は、 他方の菩薩の弘教を制止した理由と地涌の菩薩を召し出し付嘱した理由を、 それぞれ三つずつ、あわせて六つの解釈をつくって、これを説明されています。 結局、迹化・他方の大菩薩らに仏の内証の寿量品(文底下種の大御本尊)を 授与するわけにはいかないのです。 末法の初めは謗法の国であり悪機であるため、 迹化・他方の菩薩たちの弘教を制止して地涌千界の大菩薩を召し出し、 寿量品の肝心である妙法蓮華経の五字をもって、全世界の衆生に授与させられるのです。 また迹化の大衆は釈尊の初発心の弟子たちではないからです。 天台大師は「法華文句」に、 「地涌の菩薩は我が(釈尊の)弟子であるから、 まさに我が(釈尊の)法を弘めるべきである」といい、 妙楽は「法華文句記」に、 「子が父の法を弘めるならば世界の利益がある」と説き、 「法華文句輔正記」に道暹(どうせん)は、 「法が久成の法である故に、久成の人に付属したのである」等と説いています。 また弥勒菩薩が疑いをおこして答えを求めていったことが涌出品に次のように説かれています。 「私たちは、仏が衆生の機根にしたがって説かれる事、 仏の出るところの言葉は未だかつて嘘偽りがなく、 仏の智慧は一切ことごとく通達されていると信じますが、 もろもろの新しく発心する菩薩が仏の滅後において、 もし地涌の菩薩は釈尊の久遠以来の弟子であるとの言葉を聞いたならば、 あるいは信受しないで法を破るという罪業の因縁を起こすでしょう。 どうか世尊よ、願わくは滅後の人々の為に解説して私たちの疑いを取り除いていただきたい、 そうすれば未来世のもろもろの善男子もこのことを聞けば、また疑いを生じないでしょう」等と。 この経文の意は、 寿量品の法門は仏滅後の衆生のために請われて説かれたということです。 寿量品に、 「毒を飲んだ子供のなかで、あるいは本心を失ってしまった者と、 あるいは本心を失わなかった者があった。(中略) 本心を失わなかった者は、 父の良医が与えた良薬の色香ともすばらしいのを見てすぐにこれを飲んだところ、 251p 病いはことごとく治ってしまった」等と説かれています。 久遠の昔に成仏の因となる種子を植えられ、大通智勝仏の十六王子に縁を結び、 そして、前四味である爾前経、法華経迹門にいたるまでの一切の菩薩・二乗・人天らが、 法華経本門で得脱したのがそれです。 寿量品には、 「その他の、本心を失ってしまった者は、自分たちの父が帰ってきたのを見て喜び、 病をなおしてほしいと尋ね求めるけれども、父がその薬を与えても飲もうとしない。 理由はどうしてかというと、 毒が深く食い入って本心を失っているために、このよき色香のある薬をよくないと思ったのである。 (中略) 父はいま方便をもうけてこの薬を飲ませようと思い 『このよき良薬をいま留めてここにおいておく。 おまえたちはこの薬を取って飲みなさい。病気がなおらないといって心配することはない』。 このように子供たちに教え終わって、また他の国へ行って、 使いを遣わして父は死んだと伝えたのである」等と説かれています。 また分別功徳品には、 「悪世未法の時」等と説かれています。 問うていうには、 寿量品の「使いを遣わして還って告ぐ」というのはどういう意味でしょうか。 答えていうには、 使いというのは四依の人々のことです。 四依には四種類があります。 第一に小乗の四依は多くは正法時代一千年のうち前半の五百年に出現しました。 第二に大乗の四依は多くは正法時代の後半の五百年に出現しました。 第三に迹門の四依は多くは像法時代一千年に出現し、少しは末法の初めに出現しました。 第四に本門の四依は地涌千界の大菩薩であり、末法の初めにかならず出現するのです。 いまの「遣使還告」とは地涌の菩薩の事であり、 「是好良薬」とは寿量品の肝要である名体宗用教の南無妙法蓮華経、 すなわち三大秘法の大御本尊です。 この良薬を仏はなお迹化の菩薩にさえ授与されませんでした。 まして他方の国土から来た他方の菩薩に授与されるはずはありません。 法華経神力品には、 「その時、千世界を砕いて塵にしたほどの、地から涌出した地涌の大菩薩たちは みな仏の前において一心に合掌し、仏の顔をふり仰いで申し上げた、 『世尊よ、私たちは仏の滅後に、世尊の分身が存在する国土や 御入滅された国土においてまさに広く法華経を説くでしょう」等とあります。 天台はこれについて「法華文句」に 「大地より涌出した本化地湧の菩薩だけが滅後末法の弘教の誓いを立てるのが見られた」等といい、 道暹は、 「付属とは、この経をただ大地より涌出した菩薩にだけ付属したことである。 なぜかというと、付嘱する法久成の法であるから、久成の人である地湧の菩薩に付属したのである」 等といっています。 文殊師利菩薩は東方の金色世界の不動仏の弟子であり、 観音菩薩は西方の世界の無量寿仏(阿弥陀仏)の弟子であり、 薬王菩薩は日月浄明徳仏の弟子であり、 普賢菩薩は宝威徳上王仏の弟子です。 これらの菩薩は、一往、釈尊の説法・教化を助けるために裟婆世界へ来たのであり、 また爾前・迹門の菩薩です。 妙法という本源の法をたもっている人でないので、 末法に法を弘める力がないのでしょう。 法華経神力品には、 「その時に世尊は、一切の大衆の前において大碑力をあらわされた。 広く長い舌を出し、空高く梵天までとどかせ、(中略) 十方世界からやって来て、もろもろの宝樹の下の師子の座の上に座っている諸仏も、 また同じように広く長い舌を出された」等とあります。
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/869.html
「戦争を知っていてよかった」 曽野綾子 新潮社2006.6.15 「新潮45」h15.1~17.3 戦争を知っていてよかった 世の中のすべてのことは―時には病苦でさえ―知らないより知っていた方が重厚な人間を創るものだが、戦後の日本には、あくまで知らない方がいい、という信念に囚われたものがたくさんあった。 病気はその一つで、これだけは確かに、人間を創るから病気にかかる方がいいという発想はどこにもない。 しかしそれ以外のことは、求めて悪い状態を体験することはないが、自然にそうなってしまった場合は、充分にその意味を評価する道が残されている。貧乏、親との死別、失恋、勤め先の倒産。どれもない方がいいが、そうなればなったで、その体験が別の人間を完成するきっかけになることが期待できる。 知らない方がいい、という信念の元に扱われた第一のものが戦争である。戦後、日本にはまともな軍事学も発達しなかった。孫子の言う「彼を知り己を知れば、百戦して殆(あや)うからず」という知恵も定着しなかった。しかし今度アメリカのイラク侵攻を見ながら、私個人は戦争を死っていてよかった戦争を体験として知っていてどんなによかったか、としみじみ感謝したのである。 私は十三歳の時に大東亜戦争の終戦を迎えた。その前に、アメリカの爆撃を受けて、東京が焦土になる姿を見た。知人の青年たちが、戦場から二度と帰らなかった現実の無残さを知識としてではなく体験として知った。 空腹、栄養失調、個人的・社会的貧困、女子工員の生活、アメリカ軍の進駐、戦後復興の姿も私小説的に見た。体験が明確な記憶に組み込まれる年頃になっていて幸いであった。ここ数カ月の間に私はあらゆるマスコミやいわゆる「その道の通」の友人たちから、イラク侵攻に予想される裏話を聞かせてもらい、読み続けて来た。どれも政治や経済にうとい私にとっては、眼の覚めるような貴重な知識であった。しかし同時に私は戦争を体験したおかげで、戦争について言われるさまざまな話に迷わされなくて済んでいる面もあることを感じた。 たとえば民間人を巻き込まない戦争などというものがあり得るという言い方ほどおかしなものはない。アメリカが敵とするのはサダム・フセインとその息子たちの政権であって、戦争は一般人を巻き込むものではないとアメリカ側は開戦前から言い、民間人の犠牲者が出たことは国際世論でも大きな非難の理由になっている。その時私は密かに思ったものだ。それならアメリカはCIAの名において、サダムに対して向こう何十年でも執勘に刺客を放つ宣言をし、それを実行に移す方が、確実に民間人を巻き込まなくて済むというものではないか? 一九四五年当時でも、戦争はあらゆる民間人を巻き込んだ。広島・長崎は非戦闘員を当然傷つけることを予測した攻撃ではなかったか。先日、当時十歳前後だった「往年の子供たち」(今はかなり年をくったおじさん・おばさんたち)が数人集まって空襲の話をしたのだが、アメリカの油脂焼夷弾は、火のついた油の飛沫が建物や人間にべたりと貼りつくもので、人間は生きながら火達磨になったという。 私の知人は一九四五年の三月九日夜の東京大空襲で焼け出された翌朝、隅田川にかかる橋の一つを渡る時、無数の小さな雪のようなものが、風に乗ってさらさらと足元に流れて来るのを見た。初めは気がつかなかったが、やがてそれは人間原の骨片であることがわかった。その夜を含めて、東京では十万人以上もの民間人が焼死したのである。そうした結果をアメリカが予想できなかったはずはない。つまり今とは比べものにならないほどの素朴な構造の武器しかなかった時代から、戦争は常に巻き添えになって殺される人も出ることを意味していた。 もし戦争がピンポイントで、敵の大統領官邸や作戦司令部だけを完全に制圧できるものなら、そして民間人には少しも被害なしで済むなら、戦争はお互いに納得した「戦争のプロ」同士の、西部劇の一騎討ちと同じで、少しも悪いものではないではないか。戦争が悲惨なのは、戦う意志も方途も持たない民間人が必ず巻き込まれるからなのだ。だからイラクで子供が負傷するのも女性が殺されるのも、それは第一にその国の長であるサダムの責任であり、次に他国に侵攻したアメリカの責任である。 大東亜戦争の時、国民はすべて大本営発表という報道管制下に置かれていた。そこで知らされたのは、すべて敗北を隠した偽りの発表であったが、それは程度の差こそあれ宣伝戦というものとしては当然のことだと私は今でも思う。もし戦時の発表が冷静で自制的で正直に真実だけを伝えるものなら、この点でも戦争は悪くないものであろう。 戦争は戦いなのだから、欺瞞と威嚇が基礎なのだ。エリマキトカゲだって、敵を打ち負かそうとして、エリマキの部分(あれは本当は何の部分なのだろう)を広げる。現実以上に自分の力を大きく錯覚させるのが戦いの常道だ。戦いだけでなく、政治も外交も、この欺瞞なしにやれることではないだろう。だから戦争における欺瞞にいちいち怒ることはないのである。 それにしても大東亜戦争の頃、私たちは(子供だったせいもあるが)相手の国について何も知らなかった。私の夫は開戦の時、中学四年生だったが、同級生に船会社の経営者の息子がいた。宣戦布告の翌日、夫はこの友人からアメリカと日本の船舶保有量の統計を見せられて、この戦いは負けると思った、という。しかしそんな客観的判断の資料を与えられていた日本人は当時例外中の例外であった。 アメリカがバグダッドに侵攻する前に、民兵の服(私服)を着た初老に見える男が、銃を片手にテレビのカメラマンに向かって、「バグダッドは死守する、アメリカは必ず負ける」と根拠のない明るさで決意を述べていたが、私たちはまさに同じ顔をして日本には神風が吹くから必ず勝つのだ、と確信し、割烹着を着て愛国婦人会のたすきを掛けたおばさんたちも、イラクの民兵と同じことを喋っていたのだと思う。 しかし私はごく最近にいたるまで、アメリカには(日本と違って)優秀なアラビストがたくさんいて、かなり現実を知って開戦に持ち込んだ、と考えていたのである。もちろん知っていたから、その通りにするということではない。しかし少なくとも「自由社会の指導理念」「公的見解」「表面上の理由」としてアメリカが述べた侵攻の理由、サダム政権後のイラク、のイメージが、あまりにも単純で現実離れしたものであり、恐らくアラブ通の間では全く通用しないものだろうと思われることに、私は煩悶している。 アメリカは、最初から繰り返しイラク国民を残虐なサダム政権から解放し、イラク国民を民主化し、真の自由の尊さを教えるために戦っているのだ、としている。しかしもしまともなアラビストがこの計画に噛んでいたなら、このような見解が、イラクに住む人々の「習憤と体質」「好みと安定」を反映するものではないことを強調しただろうと思う。 二〇〇三年四月五日には、アメリカはバグダッド国際空港を一応制し、ジャーナリストたちの質問は急にサダム以後の人道支援・暫定政権をどうするか、ということに移行した。アメリカはクルドと結んで、クルド地区への侵攻をたやすくしたから、クルド人たちがアメリカ軍を歓迎して笑ったり踊ったりする光景も放映されたのである。 しかしクルドもしたたかな人々だ。クルドはサダムに一九八八年に化学兵器で約五千人とも言われる人々が虐殺された歴史を持っている。アメリカに近づいて来たのは、「敵の敵は味方」という最も普遍的で単純な力の原則に則っているだけだ。アメリカが必要なくなれば、「金の切れ目が縁の切れ目」である。これはアフガニスタンでもイラクでも同じことだ。 アフガニスタンの時に私が初めて知ったのは、あちこちに群雄割拠していた部族の長たちのことを英字新聞が「ワーロード」と表現したことだった。ワーロードは「揶揄的な意味での将軍」だということになっている。つまり一番適切な日本語の訳は清水次郎長のような「親分」である。 民主主義が存在し得ない土地では―その理由は後に述べる―部族支配がその代行をするのは、全世界で見られる自然な成り行きである。アラブ国家の中でも、例外的にエジプトなどのように地中海文化圏に属し、長い年月の間に西欧的国家経営の理念と現実とに触れた国は別として、多くのアラブ国家の民衆は、現在も民主主義ではないし、またそれを本気で目指してもいない。百年、二百年先の遠い未来はわからないが、数十年で民主的国家が形成されるとは到底思えない。彼らにその能力がないというのではない。日常生活の中でそうした政治形態は全くそぐわないからである。 戦後のアフガニスタンに、西側は多額の金を出したが、あの金は一体どういう形でどこへ行ったか。忘れっぽいマスコミはこの頃アフガニスタンの状況をほとんど報道してくれないから、私たちにはわからないのだが、アフガニスタンで俄にインフラの整備もよくなり、放牧民的生活の中に、日本やアメリカ型の文化生活が進んだという話は、私たちの耳にはあまり入って来ていない。もちろん一部の金は、学校建設、道路の復旧、医療設備の改善に使われたであろう。しかし大部分の金は、部族の族長たちに配られて儲けになったはずだ。誰もが配分には決して満足してはいないだろうが、何しろいい儲けにはなったのだから、今のところはじっとしている。 当時アメリカからカルザイという不思議な人物が突如として出て来た。恐らく彼はアメリカの利権の代表者としてひっぱり出されたのだろうと皆思っているが、とにかくあの時アメリカから最も多くの金を引き出せるのは、グッチのデザインによる「民族どてら」をこざかしく着ているという噂のカルザイ以外にいなかったのだから、と、現実主義者の親分たちは仕方なく呑んだのだと識者たちは見ている。親分たちの関心は、つまり自分たちの部族にいくら分け前が廻って来るか、ということだけだ。彼らは常に分け前を多くくれる人に付くから、その同盟の構図は流動的である。そして多くのヨーロッバの国々とアメリカとソ連は、そうした力関係の中で「旦那」になり続けることに、多かれ少なかれ失敗して来ているのである。 アメリカにとって、日本に民主主義が定着したということは、判断を大きく狂わせる元になったと私は思うことがある。それはアメリカが自分流の民主主義を、ほとんど実験的に他の国家に植えつけた外交政策の奇蹟的成功例だったのだ。理由は二つある。 第一に、日本には国民全体にもう数百年間にわたる基礎教育があった。幕末の頃の日本人の識字率は恐らく世界最高であったろう。 第二に、戦後の日本は、初めに火力、次に水力で、国中に安定した良質の電力を供給することに成功した。既に達成されていた初等教育のおかげで、日本では電力整備を達成することが、制度的にも技術的にも意識的にも可能になっていたのである。 一九三〇年代には既に多くの家にラジオがあった。ラジオを持っている人は御自慢で大きな音でそれを鳴らしたから、木と紙でできた日本の家屋からは容易にその音が漏れ、隣近所でラジオを持っていない人もそれを聞いてラジオの恩恵に浴した。当時のねじ式の時計は一日に五分くらいは平気で狂ったが、ラジオが正午の時報をポーンと鳴らせば、人々は律儀に時計の針をなおせた。こうした電力の普及が、戦後の日本の工業化、近代化、民主化を底辺から可能にした。一方、いつも私が言うことだが、安定した良質の電気が供給されていない土地には民主主義はあり得ないから、彼らは昔ながらの族長支配の下で暮らすことを守られていると感じて来たのである。 イラクには国の隅々にまでは電気がないから、人々は民主主義というものを知らないに等しいし、またその欲求もないだろう。民主主義がなければ、自動的に族長支配が機能し、族長によって人々は安全を守られている。 歴代の族長たちと比べて、サダムがどれほど「悪い支配者」だったか、私には充分な知識がない。しかしそもそも慈愛に満ち、部族民に湿情で接し、自分も部族民と苦楽を共にした族長などというものの存在はなかったはずだ。程度の差こそあれ、族長は常に収奪的圧政と時々わずかなお慈悲とを見せて支配して来たのだ。基本的にそうした社会形態以外、人々は馴染んでいないから、それ以外の政治形態は恐いし、嫌悪するのである。 私はそのことをインドで学んだ。三十年来私が働くことになった小さなNGOは、インドのイエズス会の神父たちにも経済的な支援をし、神父たちが不可触民の子供や青年たちの教育をする仕事を見て来た。神父たちはカトリック、不可触民はヒンドゥである。神父たちはしかしヒンドゥの生徒たちに、決してキリスト致をおしつけることはしなかった。彼らはただ子供たちをかわいがり、人間の尊厳を教えた。しかし私が驚いたのは、一番差別を受けている多くの不可触民が、特別な教育を受けている人は別として、決定的に差別が好きだということであった。これは不思議な情熱であった。彼らは、自分が最下層であると差別されることを、更に下の階層を設定し意識することで安定させていたのである。不可触民より下の部族というのは、私が見た限りでは、ヒンドゥ社会の外にある部族―例えばランバーディと呼ばれるジプシー、かつてアフリカからゴアに奴隷として連れて来られた肌の黒いシーディー、今でも森の奥深くに隠れて人を見ると逃げるゴーラ、遊牧して牛飼いをするガウリ、などという部族である。不可触民が、こうした人々を差別するのは、差別社会以外の形態を知らないので、同じような社会形態の中で同じようなやり方で矛盾を解消しようとするからである。 アフガニスタソもイラクも、民主主義などというものを知らないから、さし当りそんなものは要らない。サダムよりましな部族の支配者がくれば、それは望ましいが、どっちみち強力な支配者などというものは、多かれ少なかれ権力と財力をほしいままにして来たものだ。サダムを憎む人は多い。しかしその残忍さは理解し得るものだ。部族統治以外の政治形態を押しつける者は―ブッシュであろうと誰であろうと―もっと不愉快な存在なのである。自分にとっていいものを他人にもいいものとして押しつける。アメリカという国が、自国の行動の原理としてそれを口にする時、その説明の幼さに、私は辞易している。(二〇〇三・四・五)
https://w.atwiki.jp/gendaigoyaku/pages/21.html
1338p 草木成仏口決 文永九年二月二十日 五十一歳御作 与最蓮房日浄 1 非情成仏の経証を示す 問う、草木成仏とは有情・非情のうちいずれの成仏であるか。 答えていう、草木成仏とは非情の成仏である。 問う、有情も非情も今経(法華経)において成仏できるのか。 答えていう、成仏できる。 問う、その文証はどうか。 答えていう、妙法蓮華経の五字がそれである。 妙法とは有情の成仏であり、蓮華とは非情の成仏である。 また、有情は生の成仏、非情は死の成仏である。 生死の成仏というのが有情非情の成仏のことなのである。 1339p そのゆえは、我等衆生が死んだ時に塔婆を立てて開眼供養をするが、 これが死の成仏であり非情草木の成仏である。 2 止観等の論釈の文を挙げる 止観の第一に「一色一香といえども中道実相の理でないものはない」とあり、 妙楽大師がこの文を受けて 「しかるに(世人)色香ともに中道であることを認めるが仏性を具えていると説くことは 耳を惑わし心を驚かす」と言っている。 この一色とは青、黄、赤、白、黒の五色のなかのどの色であるかといえば、 五色を一色としているのである。 一とは法性真如の一理のことである。 これを妙楽大師は「色香中道」と釈し、天台大師も「無非中道」と言ったのである。 一色一香の一は、二や三に相対した一ではなく、 中道実相の法性をさして一というのである。 要するに、この中道法性のうちには、十界の依正、森羅三千の諸法のすべて、 具えていないものはないのである。 この色香の成仏は草木の成仏であり、これはすなわち蓮華の成仏である。 色香と蓮華とは、言葉は違っても草木成仏のことである。 3 草木成仏の口決を説く 口決にも「草にも木にも成る仏」云云とあるが、 この仏とは非情の草木にまでも成られる法華経如来寿量品の釈尊をいうのである。 寿量品に「如来秘密神通之力」云云と説かれているが、 十方法界はことごとく、釈迦如来の御身でないものはない。 4 事理の顕本に約して説く 理の顕本は死を表し妙法の二字と顕れ、 事の顕本は生を表し蓮華と顕れるのである。 したがって、理の顕本は死であり、有情をつかさどり、 事の顕本は生であって、非情をつかさどるのである。 我ら衆生にとってたのみとなるものは非情の蓮華がなっているのである。 また、我ら衆生の言語音声、の位には妙法が有情となっているのである。 5 一身所具の有情非情を示す 我らの一身にも有情とを具足している。 爪と髪とは非情で、切っても痛みは感じない。 その他は有情であるから、切れば痛さも苦しさも感じる。 これを一身所具の有情非情というのである。 この有情非情ともに、十如是の因果の二法を具足している。 衆生世間、五陰世間、国土世間の三世間が有情非情なのである。 6 本尊に約して草木成仏を説く 一念三千の法門を振りすすいで立てたのが大曼荼羅である。 当世の習いそこないの学者が、夢にも知らない法門である。 天台、妙楽、伝教も内心にはこのことを知っていたが、外には弘められず、 ただ「一色一香も中道にあらざるものはない」とか、 「無情に仏性があると説くのを聞いて、耳に惑い心に驚くのである」などといって、 南無妙法蓮華経というべきを円頓止観と言葉を変えて弘められたのである。 7 草木成仏の忘失を戒めて結す ゆえに、草木成仏とは死人の成仏をいう。 これらの深甚の法門は知る人が少ない。 所詮、妙法蓮華経の元意を知らないところからくる迷いである。 以上の法門を必ず、忘れてはいけない。恐々謹言。 二月二十日 日 蓮 花 押 最蓮房御返事
https://w.atwiki.jp/gendaigoyaku/pages/27.html
186p 開目抄 上 文永九年二月 五十一歳御作 門下一同に与う 佐渡・塚原に於いて 1 三徳を示す 一切衆生がもっとも尊敬すべきものが三つあります。 それは主人と師匠と親です。 また、習学すべきものが三つあります。 それは儒教(道教もふくむ)と、インド古来のバラモン教の外道と内道である仏教です。 2 儒教の三徳 儒教においては、 中国古代の名君主であった三皇「伏義(ふつき)・神農(しんのう)・黄帝(こうてい)」 五帝「少昊(しょうこう)・顓頊(せんぎょく)・帝告・堯(ぎょう)・舜」 三王「兎王(うおう)・湯王(とうおう)・文王(ぶんのう)」たちを 天尊と名づけて崇敬し、 諸臣たちの頭目(親・師)であり、国民すべての橋(主人)とあおいでいます。 三皇時代以前は、自分の父を知らず、 母さえ尊敬する事を知らないで、人々はみな禽(とり)や獣(けもの)と同じでした。 しかし、三皇・五帝の時代から父母をわきまえて孝行をするようになりました。 その零として、重華(舜)は頑固で愚かな父を敬い、 沛公(はいこう)は中国・漢の国の高祖となって帝王となりましたが、 なお父の太公を拝しました。 中国・周の武王は、父・西伯の木像を作り、父の遺志をついで紂王の討伐に出陣し、 中国・後漢の丁蘭は母の死後、その姿を刻んで、あたかも生きている母の様に仕えました。 これらは孝行の手本です。 中国・殷の忠臣であった比干は、紂王の暴虐な政治の為に、殷の世が滅びる事を見て、 しいて紂王を諌めましたが、かえって首をはねられ殺されました。 中国・衛の公胤という人は、主君の懿公が殺され、はらわたが散乱しているのを見て、 自分の腹を裂いて主君の肝を隠し入れて死にました。 これらは忠の手本です。 尹寿(いんじゅ)は堯王(ぎょうおう)の師、務成は舜王の師、 太公望は文王の師、老子は孔子の師です。 これら四人を四聖と呼び、 堯・舜ら天尊も頭をたれて敬い、全ての人々も手を合わせて尊敬しました。 これらの聖人が説いたものに、「三墳」「五典」「三史」など三千余巻の書物があります。 しかし、その根本は三玄を出ないものです。 三玄とは、一には有の玄と言われるもので、周公らがこれを立てました。 二には無の玄と言われるもので老子らが立てました。 三には亦有亦無(やくうやくむ)といわれるもので荘子の玄がこれです。 玄とは黒(こく)という事で、人間が世に生れる以前はどうかといえば、 あるいは元気より生じたといい、 あるいは貴賎、苦楽、是非、得失などの現象はみな自然で あるなどといっています。 この様に巧みにその理論を立ててはいますが、 まだ過去世・未来世については一分も知りません。 玄とは暗黒であり、幽(かす)かで良く分からないという事です。 それで玄というのです。 ただ現世の事だけは少し知っている様に見えます。 現世において仁義などの道徳を制定し、これを実践する事によって身を守り、 国を安穏におさめる事が出来る。 もしこの仁義などの道に相違すれば一族一家を滅ぼしてしまうと教えています。 これら儒教で賢聖と仰がれている人々は聖人であるとはいっても、 過去世を知らない事は、あたかも凡夫が自分の背を見る事が出来ないのと同じであり、 来世を知らないのは、盲人が目の前を見る事が出来ない様なものです。 ただ現世において、家をあさめ、孝行を尽くし、 かたく仁・義・礼・智・信の五常を行ずれば、 同僚達もこの人を敬い、 名声は国中に広まり、賢王もこの人を召し出して、あるいは臣下となし、 あるいは師と頼み、あるいは王位をゆずり、諸天善神もやってきて守り仕えるといいます。 いわゆる周の武王には五人の老師が来て仕え、後漢の光武帝には天の二十八宿が天下って 二十八人の将軍となり、守り仕えたというのがこの例です。 この様に儒教の徳は高いけれども、 187p 生命が過去と未来にわたる事を知らないから、父母・主君・師匠が死んだ後、 その来世を助ける事が出来ない、結局は不知恩の者です。 従って本当の賢人でも聖人でもありません。 孔子が「この国に賢人・聖人はいない。西の方に仏図(ふと=釈尊の事)という者があり、 その人が真(まこと)の聖人である」といって、 外典の教えを仏法へ入るための門としたのはこの意味です。 すなわち儒教においては礼儀や音楽などを教えて、後に仏教が伝来した時、 戒・定・慧の三学を理解しやすくさせるために、 王と臣下の区別を教えて尊卑をしめし(主の徳をあらわす)、 父母を尊ぶべき事を教えて孝道の高い理由を知らせ(親の徳をあらわす)、 師匠と弟子の立場を明らかにして、師に帰依すべき事を教え知らさせたのです (師の徳をあらわす)。 妙楽大師は「止観輔行伝弘決(しかんぶぎょうでんぐけつ)」に 「仏教の流布・化導はじつに儒教が先にひろまって人々を教化(きょうけ)していたからである。 儒教の礼楽が先に流布されて、真の道である仏法が後に弘通されたのである」といっています。 天台大師は「摩訶止観」に 「金光明経にいうには『一切世間のあらゆる善論はみな仏教によっているのである。 もし深く世間の法を識(し)れば、すなわちこれは仏法である』と説いている」といっています。 さらに天台大師は「摩訶止観」で 「釈尊は三人の聖人をつかわして中国の人々を教化した」といっています。 それを受けて妙楽大師は「止観補行伝弘決」で 「精浄法行法にいうには『月光(がっこう)菩薩はかの地に生れて顔回と称し、 光浄(こうじょう)菩薩はかの地で孔子と称し、 迦葉(かしょう)菩薩はかの地で老子と称した』と。 インドからこの中国をさして、かの地といっているのである」と述べています。 3 外道の三徳 第二にインドの外道について述べてみましょう。 外道においては三つの目と八本の臂(ひじ)をもっている 摩醯首羅天(まけいしゅらてん)と毘紐天(びちゅうてん)とを二天といい、 この二天を一切衆生の父であり母であり、また天尊であり、主君であるといっています。 また迦毘羅(かびら)・漚楼僧佉(うるそうぎゃ)・勒娑婆(ろくしゃば)の三人を 三仙と呼んでいます。 これら三人は釈尊の出生前八百年前後の仙人です。 この三仙の説いている教えを四韋陀といい、その所説は六万蔵あるといわれます。 釈尊が出世するころ、六人の外道の師が、この外道の経を習い伝えて、 五天竺すなわち東・西・南・北・中央の全インドの王の師となり、 その支流は九十五、六派にもなっていました。 その一つ一つの流派にまた種々の流派が多くあって、 それぞれ自分の流派が最高であると慢心の幢(はたほこ)が高い事は非想天にもすぎ、 執着の心のかたい事は金石をも超えていました。 さらにその見解が深く、巧みなさまは、儒教の遠くおよぶところではありません。 あるいは過去世の二世・三世から七世までを知るだけでなく、 ある者は万劫の過去まで照見する事が出来、 またあわせて未来の八万劫も知る事が出来ました。 その所説の法門の極理は、あるいは「因の中に果あり」という説、 あるいは「因の中に果なし」という説、 あるいは「因の中にまたは果あり、または果なし」という説などです。 これが外道の極理です。 なかでも、いわゆる模範的な善い外道の修行者は、 五戒や十戒や十善戒などの戒律をたもち、有漏(うろ)の禅定(ぜんじょう)を修めて、 色界の天、無色界の天を極め、最上界(非想天)を涅槃(悟り)と立てて、 尺取り虫のように一歩一歩修行してのぼっていくけれども、 非想天より、かえって三悪道に堕ちてしまい、一人として非想天に留まる者はいません。 しかし外道を信じる者は、一度非想天を極めた者は永久にかえらないのだと 思っていたのです。 おのおの自派の師匠の義を受けてかたく執着する故に、 あるいは寒い冬に一日三回ガンジス河に沐浴し、 あるいは髪の毛を抜き、あるいは巌に身を投げつけ、 あるいは身に火をあぶり、あるいは両手両足と頭の五ヶ所を焼く。 あるいは裸体になったり、あるいは馬を多く殺せば幸福になれる、 あるいは草木を焼き払い、あるいは一切の木を礼拝するなど々、 これらの邪義は数え切れないほどです。 しかも、その師匠をつつしみうやまうさまは、あたかも諸天が帝釈天をうやまい、 諸臣が皇帝を拝するようでありました。 188p しかしながら、外道の法は九十五派ありますが、 それらの修行では、善い外道であっても、悪い外道であっても、 一人として煩悩に支配された生老病死の迷いからはなれる事はできません。 善師につかえても、二生・三生の後には悪道に堕ち、悪師につかえては、 次の生をうけるごとに順々に悪道に堕ちていくのです。 結局のところ、外道というものは、仏教へ入る為の第一段階なのです。 ですから、ある外道は「千年以後に仏が世に出られる」と予言しました。 また、ある外道は「百年以後に仏が出世される」と予言しました。 大涅槃経には 「一切世間の外道の経書は、すべてこれ仏説であって、外道の説ではない」とあります。 さらに法華経五百弟子受記品には 「声聞の弟子たちはまた貪・瞋・癡の三毒ある凡夫と生まれ、邪見の相をあらわすのである。 わが弟子はこのように方便して衆生を誘引し救済する」と説かれています。 4 内外相対(ないげそうたい) 第三に大覚世尊・釈迦仏は一切衆生の大導師・大眼目・大橋梁・大船師・大福田です。 (主・師・親の徳をあらわしている) 儒教の四聖や、外道の三仙は、その名は聖人であるとはいっても、 実際には見思惑・塵沙惑・無明惑の三惑のうち一つさえ断ち切っていない迷いの凡夫であり、 その名は賢人であるといっても、実は因果の道理をわきまえていない事は、 まるで赤子のようなものです。 そのような聖賢を船とたのんで、この苦悩と迷いの生死の大海を渡る事が出来るでしょうか。 彼らを橋として六道の迷いの巷をこえる事は難しい事です。 それに対して、わが釈迦仏は、 変易(へんにゃく)の生死すなわち二乗や菩薩の迷いをさえ超えられた方です。 まして六道を輪廻する凡夫の生死(分段の生死)はもちろんの事です。 生命に本来そなわっている根本の迷いをも断ち切られているのです。 まして見惑・思惑など枝葉の根の浅い迷いを断たれているのはいうまでもありません。 この釈迦仏は、三十歳で成道されてより八十歳ご入滅にいたるまで、 五十年の間一代の聖教を説かれました。 その一字一句はみな真実の言葉であり、一門一偈として偽りの語はありません。 外典や外道のなかの聖人・賢人の言葉ですら、その言っている事に誤りはなく、 事と心が相かなっています。 ましてや仏陀は無量劫というはるか遠い昔よりウソ偽りの言葉を言われなかった方です。 ですから、その一代五十余年の説教は、外典や外道に対すれば、すべて大乗であり、 大人(仏の事)の真実の言葉なのです。 三十歳成道のはじめより、釈尊最後の説法の時にいたるまで、説くところの法は みな真実なのです。 5 権実相対(ごんじつそうたい) ただし、仏教のなかに入って、五十余年の間に説かれた経々、 すなわち八万法蔵といわれる数多くの経について考えてみますと、 そのなかに少数の人しか救えない小乗経もあり、多数の人を救える大乗教もあります。 大乗教のなかでも法華経を説く為に説かれた権経もあり、実教の法華経もあります。 また衆生の機根に応じてあらわに説かれた顕教(けんきょう)、 仏の真意を秘密にして説かれた密教、あるいは意をつくした語、粗雑で意をつくさない語、 真実の言葉、偽りの言葉、正見、邪見などなど、種々の差別があります。 ただし法華経だけが教主釈尊の正直真実の言葉であり、 三世十方すなわち全宇宙の一切の仏のま事の言説(げんせつ)です。 釈尊は法華経以前の四十余年という年限をさして、 そのうちに説いた数多くの経々を無量義経で「いまだ真実を顕さず」と述べられ、 最後の八年間に説く法華経は 「必ずまさに真実を説くべし」(法華経方便品)と決定されたので、 多宝仏は大地より出現して 「釈尊の説法はみなこれ真実である」(法華経見宝塔品)と証明しました。 そして分身の諸仏は十方の世界から集まり来たって、長舌を梵天につけ、 法華経が真実である事を証明しました。 この法華経が真実であるという言葉は光り輝いて、 晴天の太陽よりも明らかであり、夜中の満月のように明るくはっきりしています。 あおいで信じ、ふして思うべきです。 189p 6 文底真実を示す ただし、 この法華経に二つの大事な法門(迹門理の一念三千と本門事の一念三千)があります。 一念三千については倶舎宗(くしゃしゅう)・成実宗(じょうじつしゅう)・ 律宗(りっしゅう)・法相宗(ほうそうしゅう)・三論宗(さんろんしゅう)などは、 その名さえ知りません。 華厳宗と真言宗との二宗は、一念三千の法門をひそかに盗んで自宗の教義の骨目としています。 一念三千の法門(三大秘法の御本尊)は釈尊の一代仏教のなかでもただ法華経、 法華経のなかでもただ本門寿量品、 本門寿量品のなかでもただその文底に秘し沈められています。 正法時代の竜樹菩薩や天神菩薩は、 一念三千の法門が説かれている事は知っていましたが、それを拾い出して説く事はせず、 ただ像法時代の正師である中国の天台智者大師だけが内心に悟って「摩訶止観」を顕しました。 7 一念三千の数量で諸宗を判定する 一念三千は十界のおのおのに、さらに十界を具えているという事からはじまっています。 法相宗と三論宗は、八界を立てて十界を知りません。 ましてや十界互具を知るわけがありません。 倶舎・成実・律宗などは阿含経を依経としています。 この阿含経は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六界は明らかにしていますが、 声聞・縁覚・菩薩・仏の四界を知りません。 「十方世界にただ一仏のみあり」といって、釈尊以外に一方の仏さえ明かしていません。 涅槃経のように「一切有情に事ごとく仏性がある」とまでは説かないにしても、 なお一人の仏性さえゆるしておりません。 であるのに、律宗・成実宗などが「十方に仏あり、仏性あり」などというのは、 釈尊入滅後の人師らが大乗教の教義を自宗に盗み入れたものでしょう。 そのありさまは、例えば、 外典・外道等でも、仏教がひろまる以前の外道は、その執着する邪見も浅いものでした。 仏教がひろまったあとの外道は、深遠な仏教の教義を聞き見て、 自宗の欠点を知り、それを巧みにとりつくろう心が出てきて、 仏教の義を盗み取り、自宗に取り入れて、邪見が最も深くなりました。 本来は外道でありながら小乗の義を立てる附仏教、 また大乗の義を立てる学仏法成などといわれる外道がこれです。 儒教の外典もまたこの通りで、 中国に仏法がまだ伝来してない時代の儒教・道教は、のんびりして赤子のように はかないものでした。 しかし、後漢の世に仏教がわたってきて、 外典と仏教が対論した結果、仏教が勝れている事がわかり、 次第にひろまるにつれ、仏教の僧侶が戒を破ったため、 あるいは出家の身から再び俗人に還って家に帰ったり、 あるいは俗人と心を合わせて儒教・道教の中に仏教の義を盗み入れたりしたのです。 天台大師は「摩訶止観」の第五に 「今の世には多くの悪魔のような僧があって、戒律を守れず家に帰り、 処罰を畏(おそ)れて、またもとの道士へ逆もどりしている。 また名誉や利益をもとめて、荘子・老子の道を自慢して談じ、 仏法の義を盗んで道教などの邪典につけ、高い仏法の義を低い外典につけ、 尊い仏法を摧(くだ)いて卑しい外典の教に取り入れ、ならして道教と仏教を 平等なものにしている」といっています。 妙楽大師はそれをさらに「止観輔行伝弘決」に 「僧侶の身となって仏法を破滅する者もある。 もしくは戒律を守れず家に帰るというのは、衛(えい)の元崇(げんすう)らのような者である。 すなわち在家の身をもって仏法を破壊している。 このような人が正しい仏教の教えを盗んで、邪典に添えたのである。 『高きを押して』等とは、 道士の心で道教と仏教をならして邪と正を等しいものにさせてしまった事であり、 義を考えれば、このような道理はない。 かつて仏法に入って正しい教えを盗み、外典の邪義を助け、 八万法蔵・十二部経の高い仏教を押して五千余言・上下二篇の低い道教の経典につけ、 以(も)って、かの道教の邪卑の教えを解釈する事を『尊きを摧いて卑しきに入れる』 と名づける」と釈しています。 この妙楽の釈を見なさい。 すなわち、上に述べた「摩訶止観」の文の意味なのです。 8 中国への仏法伝来 仏教もまたこの通りです。 後漢の永平十年に中国へ仏法がわたって、 儒教・道教の邪典がやぶれて内典(仏教)が立てられました。 その後、 仏教内に南三北七の各宗派が乱立してそれぞれ自宗に執着し、 仏教内が乱れましたが、 190p 陳・隋時代の天台智者大師に事ごとく打ち破られ、 仏法は再び一切衆生を救いました。 その後、法相宗と真言宗がインドから伝えられ、 また華厳宗も立てられました。 これらの宗々の中にも、法相宗はまったく天台宗に対立する宗派で、 その法門は水と火のように相容れないものでした。 しかしながら法相宗の開祖の玄奘(げんじょう)三蔵も第二祖の慈恩大師も、 事こまかに天台の御釈を見るうちに、自宗の誤りに気がついたのでしょうか、 自宗を捨てないけれども、その心は天台に帰伏したとみえます。 華厳宗と真言宗とは、もとは権経であり、権宗です。 ところが中国・真言宗の善無畏三蔵、金剛智三蔵は、 天台の一念三千の義をぬすみとって自宗の肝心とし、 そのうえに印(指で種々の形をつくる修行)と 真言(仏の真実の言葉であるといい、呪文のようなもの)とをくわえて、 法華経より大日経が勝れているという心をおこしました。 そのくわしい事情を知らない学者らは、 もともとインドから、大日経に一念三千の法門があったのだと思っています。 一方華厳宗は、中国・華厳宗の第四祖澄観(ちょうかん)の時、 華厳経の「心は工なる画師のごとし」の文に天台の一念三千の法門を盗み入れたのでした。 しかし人々はこの事を知らないのです。 9 日本への仏法伝来 日本わが国へは、 華厳宗などの六宗(華厳・倶舎・成実・律・法相・三論)は、 天台宗・真言宗が伝来する以前にわたってきました。 華厳宗・三論宗・法相宗は、たがいに教義を争う事、水と火のように相容れませんでした。 ところが伝教大師が日本に出現して、六宗の邪見を打ち破っただけでなく、 真言宗が天台の法華経の一念三千の理を盗み取って自宗の極理とした事も 明らかになってしまいました。 伝教大師は各宗派の人師たちが邪見に執着するのを捨てて、 もっぱら経文を本として邪義を責められたところ、 六宗の高僧ら八人、十二人、十四人、三百余人、ならびに弘法大師らは破折されてしまい、 日本国中一人ももれなく天台宗に帰伏し、 奈良の諸寺、東寺、日本全国の山寺はみな比叡山(ひえいざん)天台宗の末寺となりました。 また中国の諸宗の元祖たちが、天台大師に帰伏した事によって、 謗法の罪をまぬかれた事も明らかになりました。 また、その後次第に世が衰え、人の智慧も浅くなっていくうちに、 天台の深義(じんぎ)は習い失われていきました。 そして他宗が自宗の義に執着する心が強盛になるにつれ、 だんだんと六宗・七宗(六宗に真言宗を加える)に、天台宗はおとされ弱まっていき、 そのために、ついには六宗・七宗などにも及ばなくなってしまいました。 それだけではなく、取るに足らない禅宗や浄土宗にもおとされて、 はじめは檀家が次第にかの邪宗に移っていき、 ついには天台宗の高僧と仰がれる人々も皆おちていき、 かの邪宗を助ける結果になってしまったのです。 そうするうちに六宗・八宗(六宗に真言・天台の二宗を加える)の田畠・領地さえ 皆失ってしまい、正法が失せはててしまいました。 天照大神・正八幡・山王など、 もろもろの法華経守護の善神も正法の法味をなめる事も出来ず、 国を捨て去られた為か、悪鬼が便りを得て、国は既に破れようとしています。 10 権迹相対 ここに、日蓮が愚見をもって、釈尊一代の教法について、 法華経以前に説かれた四十余年の爾前の経々と、 最後の八年間に説かれた法華経との相違について考えてみますと、 その相違は数多いといっても、まず世間の学者もみとめ、 191p 自分もそうだと思う事は、二乗作仏と久遠実成です。 11 一仏二言は信じ難い事 さて法華経に明らかに説かれている文を拝見すると、 舎利弗は華光如来、迦葉(かしょう)は光明(こうみょう)如来、 須菩提(しゅぼだい)は名相(みょうそう)如来、 迦旃延(かせんねん)は閻浮那提金光(えんぶなだいこんこう)如来、 目蓮(もくれん)は多摩羅跋栴檀香仏(たまらばせんだんこうぶつ)、 富楼那(ふるな)は法明(ほうみょう)如来、 阿難(あなん)は山海慧自在通王仏(さんがいえじざいつうおうぶつ)、 羅睺羅(らごら)は蹈七宝華(とうしつぽうけ)如来、 五百・七百の阿羅漢(あらかん)は普明(ふみょう)如来、 学・無学の二千人は宝相(ほうそう)如来、 摩訶波闍波提比丘尼(まかはじゃはだいびくに)と 耶輸多羅比丘尼(やしゅたらびくに)らは、 それぞれ一切衆生喜見(いっさいしゅじょうきけん)如来と 具足千万光相(ぐそくせんまんこうそう)如来、等々とと、 未来の成仏を明らかにされています。 これらの人々は、法華経を拝見する限りにおいては、尊い人のようですが、 爾前の経々をひらき見るとき、実にがっかりする事が多くあります。 その訳は、 仏世尊は真実の言葉を述べる人です。 ですから聖人といい大人と名づけられているのです。 外典・外道の中の賢人・聖人・天仙などというのも、 実語をいう人であるから付けられた名称です。 これらの人々よりもすぐれて第一であるから世尊を大人と申し上げるのです。 この大人たる世尊は法華経方便品で、 「ただ一大事の因縁のために、この世に出現したのである。」と仰せられ、 無量義経には、 「四十余年にはいまだ真実をあらわさず」といわれ、 法華経方便品で、 「仏は長い間、権経を説いた後、必ずまさに真実の教えを説くのである」、 「正直に方便権経を捨てて」等と説かれました。 これに対して、 多宝仏は釈尊の所説が真実であると証明し、 分身の諸仏は舌を出して真実であると証明したのですから、 舎利弗(しゃりほつ)が未来に華光如来となり、迦葉が光明如来となる等の説法を、 だれが疑う事が出来るでしょうか。 12 永不成仏(ようふじょうぶつ)の文を引く しかしながら、爾前の経々もまた仏の真実の言葉です。 大方広仏華厳経には、 「如来の智慧をたとえたところの大薬王樹は、 ただ二か所だけは成長し利益をほどこす事が出来ない。 その二か所とは、いわゆる声聞と縁覚の二乗が小乗教で得る最高の悟りの境地という 広大な深い坑(あな)に堕ちるという事、 仏道修行の善根を破る謗法一闡提(ほうぼういっせんだい)の衆生が 大邪見(だいじゃけん)・貪愛(とんない)の水に溺れるという事である。」 とあります。 この経文の意は、雪山(せっせん)という山に大樹があり、 それを無尽根(むじんこん)と名づけ、大薬王樹とよんでいます。 この木は世界中のあらゆる木の中の大王です。 この木の高さは十六万八千由旬(ゆじゅん)もあり、 世界中の一切の草木はこの木に根ざし、 この木の枝葉や華菓(けか)の状態に従って華菓がなるのです。 この木を仏の仏性にたとえ、一切衆生を一切の草木に譬えています。 ただし、 この大樹は火の坑(あな)と水輪(すいりん)の中には生長しません。 二乗の心中を火の坑に譬え、 一闡提(いっせんだい)の心中を水輪に譬えたのです。 この二乗と一闡提の二類は永久に成仏する事ができないという経文です。 大集経には次のようにいっています。 「二種の人があり、必ず死して活きる事がない。 その結果、恩を知り恩を報ずる事が出来ない。 それには、一には声聞であり、二には縁覚である。 たとえば、人があって、深い坑(あな)におちこんで、 この人は自身を利益(りやく)する事も、他人を利益する事も出来ないように、 声聞・縁覚もまたこの通りである。 二乗界の悟りの坑におちこんで、 自分自身を利する事も、他人を利する事も出来ないのである。」 と。 外典三千余巻に説かれた結論に二つあります。 192p 考とは高という事で、 天は高いけれども考より高くはありません。 また考とは厚という事で、大地は厚いけれども考よりは厚くありません。 儒教の聖人・賢人といわれる二類の人も考行を根本にしています。 まして仏法を学ぶ人が、恩を知り恩を報ずる事がないわけがありません。 仏弟子は必ず四恩を知って知恩・報恩の誠(ま事)をつくすものです。 そのうえ舎利弗・迦葉ら二乗の弟子は、 出家の僧が持(たも)つべき二百五十戒、三千の行儀を良く持ち整えて、 味禅(俗人の禅定)・浄禅(俗人のなかで善行を修した者の禅定)・ 無漏(むろ)禅(出家した者の禅定)の三種の禅定をおさめ、阿含経をきわめ、 三界の見惑・思惑を断じ尽くしたのですから、 知恩・報恩の人の手本であるはずです。 ところが、二乗は不知恩(ふちおん)の者である、と釈尊は定められました。 その訳は、父母の家を出て出家の身となるのは、必ず父母を救うためです。 しかし二乗の者は自分自身は悟ったと思っても、他を利益する行が欠けています。 たとえ分に応じた少々の利他の行があるといっても、 父母等を永久に成仏出来ない道に入れてしまうので、かえって不知恩の者となるのです。 維摩経(ゆいまきょう)には 「維摩詰(ゆいまきつ)がまた文殊師利(もんじゅしり)菩薩に問うて 『何をもって成仏の種となすのか』。 文殊が答えて 『一切の貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)の三毒の類は成仏の種となる。 五逆罪をおかして無間地獄に堕ちる罪を具えていても、 なおよく大道意すなわち成仏を願う心をおこす事ができる』」 とあります。 また維摩経に 「たとえば善男子(ぜんなんし)よ、 高原の陸土には青蓮華(しょうれんげ)は生じないで、 ひくい湿った汚い田にこの華が生ずるのと同じである」とあります。 同じく維摩経に 「すでに小乗の最高の悟りの境地である阿羅漢果を得て応真となった者は、 ついに再び成仏を願う心をおこして仏法を持(たも)つ事は出来ないのである。 それはあたかも、 五根(眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん))をやぶり損じた者は 五根によってうける五欲の楽しみも再び味あう事ができないのと同じである」 とあります。 これら維摩経の文の心は、 貪欲(どんよく)・瞋恚(じんに)・愚痴(ぐち)などの三毒は成仏の種となる、 父を殺す等の五逆罪は成仏の種となる、 また高原の陸土に青蓮華が生じたとしても、二乗の者は仏に成る事は出来ない。 その意味は、二乗の諸々の善と凡夫の悪とを相対すると、 凡夫の悪は仏になる因となっても二乗の善は仏になる因とはならないという事です。 諸々の小乗経には悪を戒(いまし)めて善を褒(ほ)め称(たた)えています。 ところが、 この維摩経には二乗の善を謗(そし)り、凡夫の悪を褒めているのです。 これではかえって仏の教えとも思えず、外道の法門のようですが、 詮ずるところは二乗が永久に成仏出来ない事を強く決定されたのではないでしょうか。 方等陀羅尼経(ほうどうだらにきょう)に 「文殊師利菩薩が舎利弗に語って言うには 『枯れた木に再び華が咲くかどうか。また山の水がもとの所にかえるかどうか。 割れた石がもとのように合うかどうか。燋った種が芽を出すかどうか。』と。 舎利弗が言うには 『そのような事はありえない』 文殊が言うには 『もしありえないなら、 どうして私に成仏出来るかどうかを尋ねて心に歓喜が生ずる事があろうか』」 とあります。 この経文の意味は、 枯れた木に華は咲かない、山の水は再び山へはかえらない、割れた石はもとどおりに合わない、 燋った種は芽が出ない。 193p 二乗の者もまたこれと同じで、 仏になる種を燋ってしまったのだから成仏出来ないというのです。 大般若経には 「諸々の天子よ、今、未だに悟りを求める心をおこさないならば、 まさにおこすべきである。 もし声聞の正位に入ってしまうと、この人は悟りを求める心をおこさないのである。 何故かというと、声聞の正位に入ると再び三界の中に生れる事が出来ない為に 菩提心をおこす事も出来ないのである。」 とあります。 この文の意味は、二乗は悟りを求める心をおこさないから仏は喜ばない、 諸々の天子は菩提心をおこすので仏は喜ばれるだろうという事です。 首楞厳経(しゅりょうごんきょう)には 「五逆罪を犯した人でも、この首楞厳経三昧(しゅりょうごんきょうざんまい)を聞いて 菩提心をおこすので、かえって成仏する事が出来る。 世尊よ、煩悩を断じ尽くした小乗の聖者(しょうじゃ)は、 なお破れた器のように、永くこの三昧をうけるに堪えないのである」 とあります。 浄名経には 「なんじら声聞にほどこす者は、福田とはいえない。 なんじを供養する者は三悪道に堕ちる」 とあります。 この経文の意味は、 迦葉(かしょう)や舎利弗(しゃりほつ)らの二乗の聖僧(しょうそう)を供養する 人界・天界の衆生は必ず三悪道に堕ちるという事です。 迦葉らの聖僧は、 釈尊を除きたてまつれば、人界・天界の眼目であり、 一切衆生の導師であるとばかり思っていたのに、 それほど多くの人界・天界の衆生が集まった説法の場において、 このように度々(たびたび)責め仰せられたのは、どうにも納得出来ない事です。 ただ結局はご自分のお弟子方を責め殺そうとなされたのでしょうか。 この他にも、牛乳とロバの乳の譬え、瓦(かわら)の器と金の器の譬え、 蛍火(けいか)と日光の譬えなど数多くの譬えを取り上げて、二乗を責められました。 それも一言(ごん)や二言ではなく、 一日や二日ではなく、一月や二月ではなく、一年や二年ではなく、 一経や二経ではありません。 四十余年の間、数知れないほどの多くの経々で、 計り知れない説法の座に集まった人々に対して、一言も二乗の成仏をゆるされる事もなく、 そしられたのですから、釈尊はウソを言わない方であると自分も知り人も知っている、 天も地も知っている、一人二人ではなく百千万人、 三界の諸天・竜神・阿修羅・五天・四州・六欲・色・無色、 十方世界より雲のように集まってきた人天・二乗・大菩薩らは 皆、釈尊がウソを言われない方である事を知っており、 また、釈尊が二乗を責められたのを聞きました。 各々国々へ還って娑婆世界の釈尊の説法をそれぞれの国において いちいち語ったので、十方無辺の世界の一切衆生の一人ももれなく、 迦葉や舎利弗らは永久に成仏出来ない者で、 彼らを供養する事は悪い事だと知ったのです。 13 多宝分身の証明を示す ところが最後の八年の説法である法華経において、 二乗は永久に成仏しないといっていたのを俄(にわ)かに悔い還して、 二乗は成仏すると釈尊が説かれても、 説法の座に集まった人界・天界の衆生の誰が信じ疑う事が出来るでしょうか。 そのような説は用いる事が出来ないうえ、 先後の経々に仏説が相違している事に疑問をおこし、 釈尊一代五十余年の説教も全てウソの説となってしまうでしょう。 ですから 「四十余年には未(いま)だ真実をあらわさず」等の経文があるのですが、 しかし大衆は、 天魔が仏となって最後八年の法華経を説かれたのだろうかと疑っているところに、 ま事に真実の様に、劫・国・名号といって、 194p 二乗が成仏する国を定め、その仏としての寿命をしるし、 化導をうける弟子などまでを定められたので、 教主釈尊の御言葉はすでに二言となってしまいました。 自語相違というのは、この事です。 外道が、仏陀を大ウソつきの者だと笑ったのは、この事です。 会座の大衆が、興醒めしている時に、 東方の宝浄世界の多宝如来が、高さ五百由旬、広さ二百五十由旬の、 七つの宝で飾られた大きな塔に乗って、 教主釈尊が大衆から自語相違を責められ、あれこれと様々に説明されましたが、 大衆の不審は少しも晴れる様子もなく、もてあましておられた時、 仏前に大地より涌き出てて大空にのぼられました。 その有様は、例えば暗夜に満月が東の山よりのぼり出たようなものでした。 七宝の塔は大空にかかって、大地にもつかず、大空にもつかず、天中にかかり、 宝塔の中から多宝如来が梵音声(ぼんのうじょう)出して釈尊の言葉を証明していいました。 「その時に宝塔の中から大音声を出してほめ称えていった。 『善き哉善き哉、釈迦牟尼世尊よ、一切衆生を平等に救っていく広大な仏の智慧は、 成仏を願う一切の菩薩を教化し、仏の境界に入らせる法であり、 三世十方の諸仏が護り念じてきたところの大法である妙法蓮華経を大衆のために説かれた。 その通りである。その通りである。釈迦牟尼世尊の説くところは みなこれ真実である』(法華経見宝塔品)」と。 また法華経神力品には 「その時に世尊は、文殊師利菩薩らの無量百千万億の古くからこの娑婆世界に住している菩薩、 ないし天竜・夜叉などの人間でない衆生など一切の衆の前において大神力を顕された。 すなわち、広長舌を出して上空の梵世にまでつけたり、 一切の毛穴より数知れないほど多くの色の光をはなってみな事ごとく十方世界を照らされた。 諸々の宝樹のもとの師子座の上の諸仏も、またこのように広長舌を出し、 無量の光をはなたれた」 とあります。 また同じく嘱累品(ぞくるいほん)には 「十方世界から来られた諸々の分身の仏を、おのおの本土に帰らさせ、 『多宝の塔もまたもとのようにしなさい』」とあります。 釈尊が初めて悟りの道を成ぜられたとき、 諸仏が十方にあらわれて釈尊を慰め諭されたうえに、諸々の大菩薩をつかわされました。 般若経を説かれたときには、 釈尊が長舌をもって三千大千世界をおおって真実である事を証明し、 千仏が十方に出現され、金光明経(こんこうみょうきょう)のときには、 四方に四仏が出現されました。 阿弥陀経の説法のときには、六方の諸仏が真実の証明のため舌を三千大千世界におおいました。 大集経(だいしゅつきょう)のときには、十方の諸仏・菩薩が大宝坊に集まられました。 これら諸経の真実証明の儀式を法華経にひきあわせて考えてみますと、 たとえば、黄色の石を黄金と、白雲と白山と、白米と銀鏡と、黒色と青色とを、 かすんだ目の者や、すがめの者や、一眼の者や、邪(よこし)まな者は、 見間違えるように、法華経のすぐれている事がわからないのです。 華厳経を説かれたときは、最初の説法であり、 先にも後にも経がないので、仏の言葉に相違がありません。 どんな事で大きな疑いが出てくるでしょうか。 大集経・大品経・金光明経・阿弥陀経などは、 諸々の小乗経の二乗を叱責(しっせき)するために、 十方に浄土があると説き、凡夫や菩薩に浄土を欣(よろこ)び慕(した)わせて
https://w.atwiki.jp/gendaigoyaku/pages/36.html
252p 釈尊一代に説かれた顕教・密教のニ道にも、 一切の大乗経・小乗経の中にも、釈迦仏と諸仏が並んで座り、 広長舌を梵天にまで届かせた という文は法華経以外にはありません。 阿弥陀経に仏の広長舌が三千大千世界を覆ったとありますが、これは有名無実です。 般若経には広長舌が三千大千世界を覆い、その舌から光を放って般若を説いたというのも、 まったく真実の証明ではありません。 これらの諸経はみな権教を兼ね帯びているために仏の久遠の本地を覆いかくしているからです。 法華経神力品では、 このように十種類の神力をあらわして地涌の菩薩に妙法の五字を付嘱した状況について つぎのように説かれています。 「その時に仏は上行らの菩薩の大衆に告げられた。 『諸仏の神力はこのようにはかりしれないほど不可思議である。 もし、私がこの神力をもって無量無辺百千万億阿僧祗劫のあいだ、妙法五字を付嘱するために この法華経の功徳を説こうとしても、なお説きつくすことはできない。 いまその肝要をいうならば、如来の一切の所有している法、如来の一切の自在の神力、 如来の一切の甚深の事が、みなこの経に宣べ示し説き顕されている』」と。 この経文について天台大師は「法華文句」に 「『その時に仏は上行らに告ぐ』より下は、第三の結要付嘱である」 等と述べています。 また伝教大師はこれを解釈して「法華秀句」に、 「また神力品には『肝要を取り上げていうならば、如来の一切の所有の法を(中略) 宣べ示し説き顕されている』と説かれている。 これによって明らかに知ることができる。 仏果の上の一切の所有の法、一切の自在の神カ、 一切の秘要の蔵、一切の甚深の事が みな法華経において宣べ示し説き顕されたのであるということを」等と述べています。 この十種の神力は、 妙法蓮華経の五字を上行・安立行・浄行・無辺行らの四大菩薩に授け与えるために顕されました。 前の五神力は釈尊の在世のため、 後の五神力は釈尊の滅後のためです。 しかしながら、一歩立ち入って論ずるならば、全て滅後のためなのです。 ですから、次の下の文に 「仏の入滅した後に、よくこの経をたもつであろうから、 諸仏はみな歓喜して無量の神力をあらわされたのである」(神力品)等とあります。 神力品の次の嘱累品に、 「その時に釈迦牟尼仏は法座より起って大神力を顕された。 右の手をで無数の菩薩の頭の頂をなで、(中略)今 汝たちに付属する」と説かれています。 すなわち地湧の菩薩を先頭にして迹化・他方の菩薩、 ないし梵天・帝釈・四天王等にこの経を付嘱されたのです。 この付属が終わると 「十方世界から集まり来ていた諸々の分身の諸仏を各々の本土へ還らせ、(中略) 多宝仏の塔も閉じてもとのようにしなさい」(嘱累品)等と説かれています。 つぎの薬王品以下の各品や涅槃経等は、 地湧の菩薩が去り終わった後、迹化や他方の菩薩たちのために重ねてこの経を付属されています。 いわゆる 君拾遺嘱(くんじゅういぞく)」というのがこれです。 10 地涌出現の時節を明かす 疑っていうには、 正法・像法二千年のあいだに地涌千界の大菩薩が閻浮提に出現してこの経を 流通されるのでしょうか。 答えていうには、そうではありません。 驚いていうには、 253p 法華経全体、および法華経本門は仏滅後を本として、まず地涌千界の大菩薩に授与されました。 どうして仏滅後の正法・像法時代に出現してこの経を弘通しないのでしょうか。 答えていうには、それについては宣べません。 重ねて問うていうには、どうして出現せず、弘通しないのでしょうか。 答えていうには、これを宜べることはしません。 また重ねて問うていうには、どうしてでしょうか。 答えていうのには、 これを宣べますと一切世間の人々は、威音王仏の末法の四衆のように、 増上慢をおこして地獄へ堕ちるでしょうし、 また我が弟子の中にもほぼこれを説いたならば、みな誹誘するでしょう。 だからただ黙止するのみです。 求めていうのには、 もし知っていて説かないなら、あなたは慳貪の罪におちるでしょう。 答えていうのには、 進退窮まってしまいました。 それでは試みにほぼこれを説いてみましょう。 法華経法師品には 「まして滅後の後はなおさら怨嫉が多い」と説かれ、 寿量品には「いま留めてここにおく」と説かれ、 分別功徳品には「悪世末法の時」とあり、 薬王品には 「後の五百歳すなわち末法の初めに全世界において広宣流布するであろう」 と説かれています。 さらに涅槃経に 「たとえば七人の子供があるとする。父母は子供に対して平等ではないということはないが、 しかし病気の子には心をひとえに重くかけるようなものである」等と説かれています。 以上の経文を明かな鏡として仏の真意を推しはかってみますと、 釈迦仏の出世は霊鷲山で八年にわたって法を聞いた人々のためではなく、 釈尊滅後の正法・像法・末法の人のためです。 また正法・像法二千年の間の人のためではなく、 末法の始めの私のような者のためです。 涅槃経に説かれる 「しかし病気の者には」というのは、釈尊滅後において法華経を謗る者を指すのです。 寿量品にいう「いま留めてここにおく」というのは、 「このすばらしい色香の薬をよくないと思う」(寿量品)という考えを指しているのです。 地涌千界の大菩薩が正法・像法時代に出現しないのはつぎのような理由によるのです。 正法一千年あいだは小乗教・権大乗教が流布する時で、 人々は寿量文底下種の三大秘法を受持する機根ではなく、弘通する時でもなく、 四依の菩薩たちは小乗教・権大乗教をもって縁となし、 釈尊在世に仏種を植えられた衆生を得脱させたのです。 その時代に法華経を説いてもそしるばかりで、 過去に植えられた仏種が成長し調熟しつつあるのを破ってしまうでしょうから、 これを説かなかったのです。 たとえば釈尊在世において前四味の爾前経で化導された衆生のようなものです。 像法時代の中ごろから末にかけて、 観音菩薩は商岳大師として、 薬王菩薩は天台大師と示現して世に出現し、法華経迹門を面にし、 本門を裏として、百界千如、一念三千の法門の義を説き尽くしました。 しかし、 ただ理性として具えていることを論じただけで、 事行の南無妙法蓮華経の五字、 ならぴに本門の本尊については 未だひろく外に向かって行ずることはありませんでした。 それは結局、円教を受け入れる機根は一分ありましたが、 円教の弘通される時ではなかったからです。 いま末法の初めに入って、小乗教をもって大乗教を打ち、権教をもって実教を破り、 それは、東と西ともに方向を失い、天と地が逆になったような状態です。 正法・像法時代に正法を弘めた迹化の四依の菩薩はすでに隠れて世に存在しません。 諸天善神はそのような国を捨て去り、守護しません。 この時、地湧の菩薩が初めて世に出現し、 ただ妙法蓮華経の五字の良薬をもって幼稚の衆生に飲ませるのです。 「法華文句記」にいう 「正法をそしることによって悪におちたならば、かならずその因縁によって利益を得る」 というのがこの事です。 我が弟子たちはこのことをよく考えなさい。 地涌千界の菩薩は教主釈尊が初めて悟りを求める心をおこした時以来の弟子です。 しかし、釈尊が成道した寂滅道場にも来なかったし、沙羅双樹林において入滅された時にも おとずれなかった。 これは不孝の罪というべきでしょう。 法華経迹門の十四品にも来ないで、 本門の薬王品第二十三以下の六品には座を立ってしまいました。 ただ本門の涌出品から嘱累品までの八品のあいだだけ来還したのです。 254p このょうな高貴の大菩薩が釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏にたいして 末法に弘通することを約束して妙法五字を受持したのです。 末法の初めに出現されないことがあるでしょうか。 まさに、 この上行らの四菩薩は、折伏を現ずる時には賢王となって愚王を責め誠め、 摂受を行ずる時は聖僧となって正法を弘持するのです。 問うていうには、仏が未来を予言して記した文はどうでしょうか。 答えていうには、 法華経薬王品に 「後の五百歳に、全世界において広宣流布するであろう」と説かれています。 天台大師は「法華文句」に 「後の五百歳から、末法の未来永劫に妙法が流布するであろう」と記し、 これを解釈して妙薬は「法華文句記」に 「未法の初めは下種益が必ずある」と記しています。 さらに伝教大師は「守護国界章」に 「正法・像法時代はほとんど過ぎ終わって、末法が非常に近づいている」等と述べています。 「末法が非常に近づいている」との釈は伝教自身の時代は三大秘法の南無妙法蓮華経が 正しく流布される時ではない、という意味です。 伝教大師が日本に出現して、末法の始めを記していうには、 「時代をいうならば像法時代の終わり、末法の初めであり、 その地をたずねれば中国・唐国の東で靺羯(まかつ)国の西にあたり、 その時代の人をたずねれば、五濁の盛んな衆生であり、闘諍堅固の時代である。 法華経法師品に、 『如来の現在さえなお怨みやねたみが多い。まして滅度の後の末法にはなおさらである』 と説かれているが、この言葉はまことに深い理由がある」と。 この伝教の釈に「闘諍の時なり」とありますが、 いまの自界叛逆と西海侵逼の二つの難を指すのです。 この時に地涌千界の大菩薩が出現して、 法華経本門の釈尊を脇士とする全世界第一の本尊が、この国に建立されるのです。 インド・中国にいまだこの本尊は建立されませんでした。 日本国の聖徳太子は、四天王寺を建立しましたが、 いまだこの本尊を建立する時が来ていなかったので、阿弥陀仏という多宝仏を本尊としました。 聖武天皇は東大寺を建立しましたが、その本尊は華厳経の教主の盧舎那仏で、 いまだ法華経の実義を顕わしていません。 伝教大師は ほぽ法華経の実義を顕し示しました。 しかし、時がいまだ来ていなかったので、東方の薬師如来を建立して本尊とし、 本門を四菩薩は顕していません。 それは、釈尊が地涌千界の菩薩のために、本門の本尊を譲り与えられたからです。 この地涌の菩薩は仏の命令をうけて近く大地の下にいます。 正法・像法時代にはいまだ出現していません。 末法にもまた出現されなかったならば大妄語の菩薩です。 釈迦・多宝・十方分心の三仏の未来記もまた方沫と同じになってしまいます。 以上のことから考えてみますと、 正法・像法時代になかったような大地震・大彗星等がいま出てきています。 これらは金翅鳥・修羅・竜神などのおこす動変ではありません。 ひとえに四大菩薩を出現させるための兆しでしょう。 天台大師は「法華文句」に 「雨の激しさを見て、その雨を降らせている竜が大きいことを知り、 蓮の花のさ盛んなのを見て、その池の深いことを知る」等といい、 妙楽は「法華文句記」に 「智人は物事の起こりを知り、蛇は自らのことをよく知っている」等といっています。 天が晴れたならば地はおのずから明らかになります。 法華経を識(し)る者は 世間の法をもおのずから得る事でしょう。 11 総結 一念三千を識(し)らない末法の衆生に対して、 仏(久遠元初の御本仏)は大慈悲を起こし、妙法五字のうちに一念三千の珠をつつんで、 末代幼稚の者の首にかけさせてくださるのです。 255p 本化地涌の四大菩薩が、 この幼稚の衆生を守護されることは、大公・周公が文王に仕えてよく助け、 商山の四晧が恵帝に仕えたのと異ならないのです。 文永十年四月二十五日 日蓮これを記す
https://w.atwiki.jp/21seiki-kyougaku/pages/11.html
爾前経の欠点 「行布を存する」→九界と仏界には超えがたい差別 迹門の欠点 「始成を言う」→成仏には歴劫修行が不可欠 真の仏とは、民衆のために戦い続ける人。さあ「自他ともの幸福」を広げよう!――「学生部年間拝読御書の解説」開目抄第4回では、御書189ページ4行目~同200ページ1行目を研さんし、真の一念三千を明らかにする「発迹顕本」「本因本果」などを学びます。 大意 一念三千の文底秘沈を述べた前回を受け、まず大聖人以前における一念三千の流布の状況が示されます。 次に、二乗作仏が爾前権教には説かれず、法華経迹門において説かれたものであることが示され(権実相対)、二乗作仏の難信難解を述べられます。 続いて、法華経本門において初めて久遠実成が明かされたことが示されます(本迹相対)。 そして、悪世末法では、特に久遠実成の法門が「難信難解」であることが記されます。 本門で明かされた久遠実成 「二には教主釈尊は……那由佗劫なり』等云云」(御書196ページ2行目~197ページ9行目) 前段までに、爾前・権教と比較して法華経が信じがたい点は、第1に二乗作仏を説いていることであると述べられます。 第2の理由は、久遠実成を説いていることです。 爾前経では、釈尊がインドに応誕し、19歳で出家し、30歳で成道したという「始成正覚」が一貫した立場です。また法華経以前の諸経を「未顕真実」等と破折している無量義経(法華経の開経)においてさえも、始成正覚を説いている点では、変わりはないことを示されます。 さらに、法華経迹門においても始成正覚の仏を説いていることを述べられます。 法華経寿量品で初めて始成正覚が打ち破られ、久遠実成が説かれるのですが、その前に涌出品で「動執生疑」があります。 無数の地涌の菩薩の出現を見て、弥勒菩薩が釈尊に“わずかな年数の間にどうやって無数の菩薩を教化することができたのか”と質問したのです。 この疑いに答えて、釈尊が実は久遠の昔に成道したと説かれるのが、如来寿量品第16です。 いわく「我れは実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他劫なり」と。始成正覚の立場を一言で打ち破った一節なのです。 爾前・迹門の「二つの失」 「華厳・乃至般若……一念三千なるべし」(同197ページ10行目~17行目) ここでは、法華経寿量品で説かれる、「久遠の昔における成仏の因果」である「本因本果の法門」について明らかにされています。 まず、爾前経における法理上の「二つの失」を挙げられています。 一つは行布を存する(十界に差別を設ける)故に一念三千が明かされていないことであり、もう一つは始成正覚を説く故に仏の真実の姿が示されず、真実の一念三千を明かしていないことです。 法華経迹門では、二乗作仏を強調し、諸法実相を説いて、「九界の衆生に仏界が具わる」という「(迹門の)一念三千」が明確にされ、一つの欠点を克服します。 しかし、迹門では、発迹顕本(仏の仮の姿である始成正覚を打ち破り、仏の真実の姿である久遠実成を顕すこと)がないため、一念三千も真実とは言えず、二乗作仏も確定していないと仰せです。 そうした迹門の一念三千に根拠がなくて不確かであることを、「水中の月」「根なし草」に譬えられ破折されています。 次に大聖人は、“始成正覚を打ち破ることによって、爾前迹門で説かれる成仏の果がすべて打ち破られた”“成仏の果が破られたということは、爾前迹門で説かれるすべての成仏の因もことごとく破られた”と仰せです。 そして「本因本果」が明かされます。 寿量品では、本果(久遠における成仏の果)である仏界の生命が常住不滅であるとともに、本因である菩薩行を行ずる生命も尽きることがないと説かれています。 これは、九界の生命を断じて、仏界の生命を成就するという爾前諸教の成仏観とは大きく異なるものであり、本門の成仏の因果、すなわち「本因本果」です。 この「本因本果」について、大聖人は「九界も無始の仏界に具し」「仏界も無始の九界に備りて」と仰せです。 「無始の仏界」とは「本果」のことです。この本果の生命に、九界の生命も具わっているのです。 「無始の九界」とは「本因」のことです。無限に菩薩行を続ける生命そのものこそが、永遠の仏界の生命の具体的実践の姿なのです。 このように、法華経本門では、「永遠の仏界の生命」と「無限の菩薩行」を説いて、「仏界即九界」「九界即仏界」を明かしたのです。 こうして、本因・本果が明かされることにより、「真の十界互具・百界千如・一念三千」が明らかになったのです。 久遠実成は極めて難信 「日蓮案じて云く……二品には付くべき」(同198ページ4行目~8行目) ここまでに、迹門の二乗作仏、本門の久遠実成によって、一念三千が完璧になったことが記されました。 本段では、それにもかかわらず、多くの諸宗の学者たちが、法華最勝の義を容易に受け入れない理由として、特に久遠実成の難信の相が示されます。 まず、久遠実成の法門を説いた経文は少なく、ほとんどの経説が爾前経の始成正覚の考えに立っていると指摘されます。 久遠実成の教えは、法・報・応の三身円満の仏である釈尊が久遠以来、常住しているという“三身常住”を説いています。このような仏身観は、法華経のなかでも、涌出・寿量の二品のみに説かれているのです。 そのため、「どうして、広博な爾前・本迹・涅槃等の諸大乗経を捨てて、わずかな涌出・寿量の二品だけに付くことができようか」と仰せになられ、法華経が難信の経であることを強調されています。 池田名誉会長の開目抄講義から 普遍的な成仏の因果を示す文底仏法 本因本果による成仏は、寿量品の文の上では釈尊のこととして説かれています。しかし、文底の立場から見れば、釈尊の成仏だけに限られるわけではありません。本因本果は、釈尊の久遠の成仏であるとともに、最も根本的で普遍的な成仏の因果を示しているのです。したがって、万人の成仏の因果でもあるのです。 ◇ 深く洞察すれば、釈尊一人にとどまらず、すべての生命は本来的に「永遠の仏界」を現し「無限の菩薩行」を続けることを求める存在であるといえます。自他ともの幸福を本来、願い求めるのが生命なのです。 ◇ 寿量品文上では、釈尊が成就した仏界の本果を表に立てて本因本果を示したといえます。これに対して、文底の仏法では、本因の菩薩行を行ずる菩薩を表に立てて、本因本果を論ずるのです。これは、九界の凡夫に即して成仏の真の因果である本因本果を明らかにしていくことを意味します。これが、大聖人の仏法における文底の本因本果です。 すなわち、凡夫が初めて妙法を聞いて信受し、果てしない菩薩道の実践を決意するのが本因である。そして、その凡夫の生命に永遠の仏界の生命を涌現することをもって、本果とするのです。
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/574.html
ソース: 千田夏光「 高校生徹底質問!! 従軍慰安婦とは何か 」汐文社1992年5月 1-13 当時の日本人は従軍慰安婦の存在を知っていたのか… 1-13 当時の日本人は従軍慰安婦の存在を知っていたのか…コメント欄 当時の日本人というのが兵隊にとられ戦場へもっていかれた者以外の日本内地にいた人たち、つまり一般国民のことだとすれば知らなかったといっていい。召集され戦地にいき従軍慰安婦を買った男たち、いいかえれば兵隊たちがそのことを口にしなかったからでもあったが、それよりなにより当時の日本軍は自らを皇軍と自称していた。皇軍とは天皇陛下を最高統率者とあおぐ天皇の軍隊ということだ。 また、"満州事変"につづく"支那事変""大東亜戦争"を聖戦(せいせん)、天皇陛下の御稜威(みいつ)24)を広げるための戦争と教えこまれていたから、その聖戦に出陣する皇軍がそんな「戦場売春婦」をともなって戦場へおもむいていたなど考えもしなかった。まして軍が自ら管理する売春屋である慰安所なるものまでともなっていたなど思いもしなかった。 知らないといえば一九三七年(S12)十二月十三日から始まった南京大虐殺のことも知らなかった。軍が絶対の軍事機密にし報道を禁止していたからだ。一部の外国通信社の特派員がそのことを記事にし本国へ送っていたが、検閲がきびしいなかそれを転載する日本の新聞もなかった。 さらに日本軍とともに戦場におもむいた日本の新聞記者たちのなかにそれを目撃した者もいたがそのことを記事にしなかった。報道されたのは南京攻略を喜ぶ天皇の牟言葉25)と、それをうけ東京では宮城(きゆうじよう=今の皇居)前広場に市民が集まり「万歳万歳」を叫びまくったが、それを写真付きで大報道するものだけだった。 南京大虐殺事件につづき華北地域で「焼きつくす殺しつくす奪いつくす」いわゆる「三光(さんこう)作戦26)」を日本軍は展開していたが、そのことも一行とて記事になったことはなかった。記事にされるのは皇軍がいかに勇猛果敢(ゆうもうかかん)に戦っているかのものだけだった。そんなことで皇軍の恥部である慰安所の「慰」の字も「従軍慰安婦」の「従」の字も従軍慰安婦の大半以上が朝鮮人女性でどのようにして彼女らが戦地へ連行されたかも報じられるということはなかった。 もっというと戦後も長く従軍慰安婦のことが文字に書かれたこともなかった。 24) 御稜威(みいつ) 神、天皇などの尊厳な威光を指す"稜威(いつ)"の尊敬語。 25)中支那方面の陸軍部隊に賜わりたる御言葉 (一九三七年十二月十四日) 中支那方面ノ陸海軍諸部隊カ上海附近ノ作戦ニ引続キ勇猛果敢ナル追撃ヲ行ヒ速(スミヤカ)ニ首都南京ヲ陥(オトシイ)レタルコトハ深ク満足ニ思フ此旨(コノムネ)將兵二申伝ヘヨ 26) 三光作戦(さんこうさくせん) 中国人民等の強い抵抗にあい戦局が思うようにはかどらなかった日本軍が行なった破壊、殺戮作戦。 三光とは焼きつくす(焼光)、殺しつくす(殺光)、奪いつくす(槍光)こと。 このような残忍な行為を可能にしたのは、戦局の停滞という理由の他、明治以来の日本政府による中国、朝鮮人蔑視政策も影響している。 FAQ目次 コメント欄 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/animerowa-3rd/pages/316.html
届かなかった言葉 ◆Wf0eUCE.vg どんな世界でも明けない夜はないように、この殺し合いの舞台にも朝は訪れる。 爽やかな朝の陽ざしが美しい銀髪を輝かせ、吹く風が頬を撫ぜる。 武将、明智光秀は優雅な朝の散歩を鼻歌交じりに満喫していた。 光秀は朝の空気を確かめるように、大きく息を肺に吸い込む。 霞かかった空気もどこか心地よく感じられるようだ。 光秀にとってはいつも通りの爽やかな朝の風景である。 おかしな点などどこにもない。 ただ、強いておかしな点を挙げるとしたならば。 周囲に霞を張るのが、朝露ではなく赤い血飛沫であるということ。 辺りに響くBGMが小鳥の囀りではなく少女の悲鳴であるということ。 そして、血まみれの少女が逃げ惑っているということくらいだろう。 彼にとっての当たり前。 彼女にとっての惨劇悲劇。 ■ プリシラは逃げる。 戦うなどという選択肢はなかった。 彼女は優秀なヨロイ鎧乗りである。 曲芸染みたこともできるくらいには運動神経はいいほうだし、何よりトレースシステムを搭載しているブラウニーを操作する身体能力はなかなかのものだ。 だが、生身での戦闘経験などないし、何より最初に受けた腹部の傷が致命的だった。 いや、たとえ万全であったとしてもこの男には遠く及ばないだろう。 「さぁお逃げなさい! さもなくば死に追いつかれてしまいますよ」 言われずとも、プリシラは必至で足を動かしているが、優雅なまでに怠慢な動きの相手をまるで振りきれない。 まるで、自分の体ではないような違和感。 腹部の傷が深すぎて思うようにいかないのだ。 そんなプリシラの様子を嗤いながら光秀が右腕を振るう。 朝日を照り返し銀光が揺らめく。 プリシラの背から飛沫のような朱が舞った。 「これですよ、この血飛沫の色! 私が飢えていた、朱の色!」 光秀は避けるでもなく、真正面からシャワーのように血飛沫を浴びる。 その感触に愉悦に身を震わせ、光秀は踊るように身をくねらせた。 光秀がプリシラを殺すのはハッキリ言って容易い。 それだけのハッキリとした力量差がそこにはある。 だが、光秀はそれをしない。 より長くこの一時を愉しむために。 より長くこの彼女の命を愉しむために。 もはやこれは戦闘ではない。虐殺でもない。 光秀の血と肉の飢えを足すためのただの儀式だ。 故に、彼女は、ただの供物。 「ほぅら、足元がお留守ですよ」 プリシラの足に灼熱が奔った。 ドサリと無様にその場に倒れこむ。 足の腱が断ち切られた、逃げるどころか、もう立ち上がることも叶わない。 噎せ返る様な鉄の臭いが充満し、光秀の鼻孔をくすぐる。 死神が恍惚の表情を浮かべながらブルリと身を震わせた。 「脳髄まで痺れるような芳しい血の香り、ああ……愉しい愉しい、私は愉しい!!」 叫びながら、切り刻む。 倒れこんだプリシラの髪を皮膚を肉を神経を斬って斬って切り刻む。 死なないよう、ギリギリのラインを探るように。 「ッ…………ぁあ……!」 嗚咽の様な声がプリシラの喉奥から漏れた。 腹部からは命が赤い液体となって流れている。 熱い水が流れ出るたび体温が失われ、消えていく。 冷たい冷たい死が迫っていた。 「いいですねぇ。苦痛に喘ぐその表情、生きようともがくその執念。 あぁ堪りません、獲物を追い詰めるのは実に愉しい! 殺し合いとはまた別格の趣があります。なんて愉しい、殺したくない!」 光秀が叫ぶ。 その不愉快な声もプリシラの耳にはどこか遠くに聞こえた。 目が霞む、もう辺りに何があるのかもよくわからない。 痛みが和らいでいく代償に、感覚自体が消えていく。 意識にも霞がかかってきた。 白とも黒ともつかない何かに、思考が侵食される。 それでも、 死にたくない。 心の底からそう思った。 ヨアンナが、孤児院のみんなが待ってるのに。 私が子供たちを守らなくちゃいけないのに。 こんなところで、死ぬわけにはいかないのに。 なけなしの意識を振り絞り、ギリと歯を食いしばる。 死にたくないから逃げる。 いつだって理由は単純だ。 足は動かないから、地面を這って進んでいく。 その道のりに赤い道を造りながら。 ヴァン。 ヴァン。 ヴァン! 心の中に浮かんだ名を叫び続けた。 やっと再会したばかりだったのに。 まだ伝えてないことが沢山あるのに。 声に出したい想いは沢山あるのに。 言葉にならない声はどこにも届かない。 背後には、黒いタキシードの男ではなく、白い死神が迫っていた。 ■ 探るように音の確認していた一方通行が目を見開く。 それが確認終了の合図であると悟り、ゼクスはすかさず問いかけた。 「何が聞こえた一方通行?」 ゼクスの問いに、一方通行は舌を打って答える。 「チィッ。さっきのバカ女の悲鳴だ。 あの女ァ。とンだガキの使いだったみてェだなァ!」 そう悪態をつくと、一方通行は足裏に能力を展開し、跳ぶように駆け出した。 音の方向から位置は特定できる。 距離は多少あるが、能力を使って加速すれば、そうは時間はかからない。 「待て、一人で動くな一方通行! 行くのなら私も共に、」 後方から静止をかけるゼクスの声を無視して一方通行はさらに前へと進む。 一方通行もゼクスが足手まといになるとは思わないが。 聞こえた声の様子からして、ゼクスの歩調に合わせれられるほど余裕はなさそうだ。 「スグに終わらせるからよォ! そこで大人しく待ってろゼクス!」 後方のゼクスにそう告げると、一方通行は疾風の如く駆け抜けた。 その背は一瞬で小さくなり、あっという間に目で追えない場所へと消えていった。 「……まったく、場所も告げずに駆け出されてはな。 これでは追うことも、合流の仕様もない」 それを見送り、取り残されたゼクス・マーキスは一人ごちた。 ゼクスとしてもあとを追いたいのは山々だったのだが、駆けだした一方通行の速度は人間の足で追っていけるものはなかった。 一方通行の後を追って結果、すれ違いになっては本末転倒である。 先程プリシラに同じ注意をした手前、うかつに動くわけにもいかない。 ここは一方通行を信じて待つのがベストだろう。 とはいえ、彼に限って心配はいらないとは思うが、時間制限がある以上、不安は残る。 それ以前に彼が素直に自分のもとに戻ってくれるという保証もないのだが、それを含めて信頼するほかない。 だが、いつまでも待ちぼうけをしているわけにもいかないのも事実だ。 もう時期、最初の放送の時刻である。 それまではここで待ち、放送を終えても一方通行が戻らなかった場合に方針を決めよう。 彼を探すのか。 この場での合流を諦め、別の場所へ向かうのか。 最悪、第三放送まで無事でいれば合流できるはずである。 そう考えてゼクスは静かに一方通行の帰りを待った。 【D-6/デパート/一日目/早朝】 【ゼクス・マーキス@新機動戦記ガンダムW】 [状態]:健康 [服装]:軍服 [装備]:真田幸村の槍×2 [道具]:基本支給品一式 [思考] 0:一方通行を待つ。第一放送までに戻らなければ別の方針を決めるく 1:リリーナを探す 2:一方通行を…… 3:第三回放送の前後に『E-3 象の像』にて、一度信頼出来る人間同士で集まる [備考] 学園都市、および能力者について情報を得ました。 MSが支給されている可能性を考えています。 主催者が飛行船を飛ばしていることを知りました。 ■ 「ん?」 プリシラの苦悶の様を上機嫌で鑑賞する光秀が何かに気付き動きを止めた。 直後、突風が吹いた。 惨劇の間に彗星ようにその場に現れたのは狂ったように白く、歪んだように白く、澱んだように白い影。 学園都市最強の超能力者、一方通行である。 急停止した一方通行はちらりと光秀を一瞥する。 その口元に浮かぶのは薄気味悪い笑み。 見たところで嫌悪感しか浮かばない。 一方通行は早々に光秀から眼を反らし、足もとに視線を移した。 地面に引かれた赤い道筋をたどれば、そこには縋り付くように地面を這いずるプリシラの姿があった。 その目の焦点はあっておらず、見えてもいないのか、一方通行の到着に気づく様子もない。 もはやまともな意識があるかも怪しいところだ。 どう見ても死ぬ直前。 誰が見ても手遅れだった。 「悪ィな。俺はお前を助けねェ」 そんな彼女に向けて、一方通行はそう告げた。 助けられないのではなく助けない。 彼女に聞き取れるだけの意識があるかは不明だが、残酷なまでの最後通告だった。 一方通行の能力であるベクトル操作を使えばプリシラの延命は可能だ。 血流を操作すれば破れた血管の代りを果たすこともできるし 生体電気を操作すれば心肺機能の強化し生命活動の維持を補佐することもできる。 だが、それも気休めにしかならない。 普段ならともかく、能力に制限時間がある以上、延命できて15分。 それまでに奇跡的な治癒方法を探せるとは思わないし、『冥土返し』のような名医に都合よく巡り合えるとも思えない。 そんな奇跡に期待するほどロマンチストでもない。 救えない命に執着して限られた能力を浪費するほと感傷的な性格でもない。 あの無能力者(レベル0)ならどうしただろうか。 ふと、一方通行はそんなどうでもいい事を思った。 「み……、…ヴ………ァ…………。」 プリシラの口から掠れた呟きが漏れた。 だが、それまでだ。 それ以上は、パクパクとプリシラの口が動くばかりで、声は言葉になりきれず消えていく 呟きは風に流される。 誰の耳にも届かない。 届かない声。 伝わらなかった言葉。 それだけを残して、少女の命の炎が消えた。 一方通行はプリシラに背を向けたまま、ただその気配だけを感じていた。 「おや? もう死んでしまわれたのですか、もったいない。 もう少し愉しみたかったのですが。やはり脆いですね、人間というのは。 まぁいいでしょう。次の獲物が自ら来てくれた。 んふふふ。愉しみですねぇ。貴方は一体どんな味がするのでしょうか?」 光秀は嗤う。 少女の死なぞ気に留めず、次の期待に胸を躍らせながら長い舌を伸ばし血色の悪い薄紫の唇を舐めずる。 スンスンと光秀が鼻をならす。 「あぁ、血の臭いがしますね。貴方からは私と同じ拭いようのない大量の血と臓物の臭いが。 んふふふ。こんな場所で貴方の様な同類に逢えるだなんて夢のようだ。 貴方も私と愉しみましょう、夢のように愉しい殺し合いを!」」 鋭敏な光秀の嗅覚がその臭いを感じ取った。 辺りに漂うプリシラの血の臭いではない。 一方通行から感じ取れるこの臭いは被害者のそれではない。 加害者のそれだ。 一方通行にしみ込んだ、拭いようない殺人者の匂い。 自分と同じ血と臓物を好む畜生外道の匂い。 美しく光る白銀の髪。 血溜まりの様な真紅の瞳。 不健康なまでの白い肌。 そして身に染みついた血の臭い。 闇の世界に生きるどうしようもない悪党。 光秀の言うとおり、対峙する二人はどこまでも似通っていた。 「はン。テメェ何ぞと一緒にすンなよ、三下」 だが違うと、一方通行はそれを否定する。 「確かに俺もお前もクソったれの悪党だろうよ。今さら綺麗事をほざくつもりもねェ」 一方通行は正義の味方でも何でもない。 実験のためとはいえ一万人の妹達(シスターズ)を虐殺した殺人者だ。 そんな男が、少女の悲鳴を聞きつけ駆け付ける事自体がそもそもオカシイ。 どんな状況でも都合よく駆けつけて全てを救う。 そんなのは正義の味方のやる事だ。 「けどな、それがこいつが殺されていい理由にはなんねェだろうがァ! 俺とお前がクズだってことが、誰かを傷つけていい理由にはなンねェんだよ!」 正義でなくとも。 悪党であろうとも。 それが誰かを見殺しにしていい理由にはならない。 プリシラは表に生きる人間だった。 光の世界に生きる人間が闇の世界に生きる人間の喰い物にされる。 それが一方通行には気に食わない。 「テメェが『あいつ』の脅威になるかもしれないってンならよォ」 一方通行が能力を解放する。 これまで部分的にしか使用していなかった能力の制限を解き、膜を張るように全身に能力を張りめぐらせる。 相手が光を食らう闇ならば。 一方通行は闇を食らい続ける悪になる。 慈悲もなく、容赦もなく、寛容もなく、更生の機会すら与えず。 理に適ってるって理由だけで、迷わず武器をとり凶漢をブチ殺す。 そんなのは善人じゃない、似たような悪党だ。 そして、一方通行はそれでいい。 守りたいものを守るためならば、敵対するものを容赦なくぶち殺し。 必要とあらば善人であろうと容赦なく切り捨て。 必要ならば守りたい相手とすら敵対する。 それが悪党としての一方通行の生き方だ。 「この場でさくっとブチ殺してやンよォ―――――三下ァ!!」 ゴバッ!! と爆発音じみた音を立て、一方通行が地面を踏みつけた。 たった一歩の踏み込みで一方通行の体は弾丸の如く加速する。 愛鎌、桜舞を構え、迎え撃つ光秀。 飛来する一方通行の勢いは確かに速い。 だが、その程度の動きを戦国の世を生きる武将が一人、明智光秀が捉えきれないはずもない。 向かい来る一方通行は、斬って下さいと言わんばかりの正面突破。 獲物の首を眼前に差し出され、堪え切れる光秀ではない。 「お望みとあらばッ!!」 応えるように死神の鎌が揺らめいた。 かつて甲斐の虎すら打ち取った必殺の一撃が一方通行の白い頭を赤い柘榴に裂かんと振り下ろされる。 前方に突撃する一方通行には避けようのないタイミングである。 そもそも光秀の放った一撃を避ける技量は一方通行には存在しない。 いや、それ以前に、避ける必要性自体がないのだが。 「な………………っ?」 戸惑いの声は光秀の喉から漏れた。 一方通行の頭部に振り下ろしたはずの鎌の穂先が真上へと跳ね上がった。 防がれたというより弾かれた。 弾かれたというより跳ね返された。 直撃したはずの一撃が防御や回避ではない別の何かによって防がれた。 理解の埒外。 不可解極まりない現象だ。 光秀の知る以外の何か。 まるで妖術や何かの類である。 これこそが異能。 これこそが超能力。 超能力開発を目的として設立された学園都市、最凶にして最強の超能力者(レベル5)、一方通行。 その能力はベクトル操作。 この世界のあらゆる物理法則を繰る超能力である。 全身に張り目がらされたその力は、あらゆるベクトルを”反射”する。 いかに強力な一撃であろうとも単純な物理攻撃が一方通行を捉えられるはずもない。 制限下でなければ、たとえ核兵器が直撃しようとも、彼はかすり傷一つ負うことはない。 「無様にスッ飛ンでろォ、三下ァ!」 強引に光秀の懐に飛び込んだ一方通行が無造作に足を振り上げる。 鍛錬を積んだ武術家のような洗練された動きではない。単純で直線的な素人の蹴りだ。 だが、その素人の一撃は彼の能力、ベクトル操作によって一転。 凶悪な破壊力を秘めた必殺の一撃へと昇華される。 蹴りにより発生する衝撃を一点に集中、さらにそれを敵を穿つように加速させる。 攻撃を跳ね上げられ体制の崩れた光秀にその一撃は避けられない。 それでも咄嗟に腕を十字にクロスさせ光秀は蹴り足を受け止める。 蹴りを受けた腕の骨がミシミシと軋みをあげた。 衝撃までは殺しきれない。 堪え切れず、光秀の体が空高く宙を舞った。 それを追って、一方通行が地面を蹴り跳躍する。 脚力のベクトル変化だけではない。 風を操り暴風を更なる推進力として、天高く舞い上がるロケットの如く一方通行の体が打ち出させた。 「…………甘いですねッ!」 それを視界の端で確認した光秀が目を見開く。 光秀は体勢を立て直すのではなく、グルンとしなやかに身をよじり、体を軸に鎌で円を描くように空中で回転した。 空中にて振りぬかれた桜舞が半月のような弧を描く。 死神の鎌が狙う獲物は当然の如く一方通行の首一つ。 それは自らの落下速度、一方通行の上昇速度まで計算に入れた完璧なタイミングの一撃である。 この状況と体勢で正確に首を狩りに行く執念と技量は驚嘆に値する。 だが、 一方通行の首元に触れた瞬間、刃の勢いは”反射”される。 放たれた威力をそのままに。 否、それ以上のベクトルを付加して、衝撃を使い手に反転する。 「くぅ…………っ!」 すさまじい衝撃が光秀の手首に圧し掛かる 光秀は刹那の判断で桜舞を握る腕から力を抜き、その衝撃を桜舞へと一任する。 衝撃を流された桜舞が明後日の方向へと弾き飛んだ。 だが、その判断は正しい。 あとコンマ1秒手を離すのが遅れていたら光秀の手首はへし折れていただろう 難を逃れ、息をついたのも束の間、 遥か空を見上げた光秀の眼前には、固く握りしめた拳を振り上げる一方通行の姿が。 叩きつけるように振り下ろされた拳が、光秀の腹部直撃する。 降り注ぐ隕石の如き勢いで光秀が地上に向かって墜落した。 遅れてかち割られた鎧の破片がパラパラと宙を舞った。 地を震わす轟音。 大量の砂埃が巻き上がり、落下点を中心に小さなクレーターが生み出される。 都合二発で文字通り相手を沈めた一方通行は、光秀とは対象的に落下のベクトルを操作し音もなく地面に着地する。 その実力は圧倒的だった。 一方通行には傷一つない。 様々な能力者が犇めく学園都市で頂点を極めるその実力は伊達ではない。 だが、 「…………ンフフフ」 様々な兵の蠢き覇を狙う、戦国の世を生きるこの男も、当然の如くこれで終わりなはずもない。 「フフフフフフ。ハハハ、フハハハフフハハハハハハハハハハハハハハハハハ! クククク、フヒヒヒ、ウフフフ、フハハハハハ。ンフフフフフウフフウフフ!! ウフフフフ。アヒャヒャ、クフフフフフフ。クケケケ。ウハハ、ウッフッフ!!! フハフハ。ウフフウフフフ。ンフフフ、フフフハハウフフ。アッーハハハハ!!!!」 砂ぼこりの奥から嗤い声が響いた。 聞く者に怖気と不快感をもたらすような、粘ついた嗤い声が。 「――――――――素晴らしい」 風が吹き、砂埃が晴れる。 その先に見えたのは全身にぶちまけられた誰のものともつかない赤に病的なまでに白い肌。 そこには鎧を砕かれ上半身裸で両腕を広げた、血濡れの白い死神が立っていた。 「素晴らしい!! 素晴らしいですよ貴方! あぁッ! 痛い! 痛い! 私、このままでは達してしまいそうです!」 頭部からドクドクと血を流しながらゾクゾクと身を震わせ光秀は歓喜に喘ぐ。 自らの負傷を一切に気にする様子は一切ない。 むしろ痛みを愉しむように嗤いながら喘ぎながら身をくねらす。 「……………………」 「きゃん…………!」 そんな光秀めがけ、一方通行は無言で足もとの小石を蹴っ飛ばした。 特に意味はない。 強いて言えば、近づきたくない程度に気持ち悪かったからだ。 気にするでもなく、光秀は投石によって仰け反った上半身を体のしなりで跳ね起こす。 「うふふふ。痛い、痛いですねぇ! あぁ……この痛みを、もっともっともっと味わいたいところなのですが、ここは引いておきましょう。 弾き飛ばされた桜舞も探さなくてはならないし、貴方を味わうのはもう少し後、前菜を食らい尽くしてからにいたしましょう」 そう言って光秀は後方に跳んだ。 その動きに負傷による鈍りは感じられない。 むしろ生き生きとしているようにも感じられる 「私は明智光秀と申します。貴方のお名前をお尋ねしてもよろしいですか?」 「あァ? 逃げられると思ってンのか? これからくたばる野郎に、ンなもん答えても意味がねェだろうがァ」 そう言って、光秀にとどめを刺すべく、一方通行が地面を蹴り出した。 「ッ!?」 だが、加速は生まれず、代りに一方通行の膝がガクンと崩れた。 「おや? そちらもそちらで何か事情が御有りの様だ。 それではまた相見えましょう、貴公とはまた会えると確信しております。 その時は互いに万全であることを祈っていますよ」 そう言って明智光秀はその場から姿を消した。 それを忌々しげに見送った一方通行は、チッと舌を打ちながら体勢を立て直した。 彼が膝を崩した理由は明快、踏み込んだ感触が想定値とあまりにも食い違ったから。 有体に言うと、能力の使用制限時間が切れたのである。 一方通行自身は確認できないが彼の首輪は既に――使用不可能――赤を示していた。 「冗談じゃねェぞ、早過ぎンだろ、クソッ」 移動を含めたとしても15分には達していない。 能力の消費が予想以上に早すぎる。 全力展開すれば一分と経たず燃料切れ。 普段無意識に行っている全身展開でも五分と持たない。 とはいえ、部分展開では今回の様な無茶な戦い方はできないだろう。 これはいよいよ本気で効率のいい能力の運用を考えなければならないようだ。 ふと視線を落とせば、事切れたプリシラが目に映った。 天真爛漫だった少女の面影はそこにはない。 美しかった桃色の髪は乱雑に切り刻まれ。 白く健康的だった肌は血の気が引き青白く染まっていた。 別に無惨な死体は見慣れてるし、それ自体に嫌悪も思うところもないのだが。 「チッ…………面倒なもンを預かっちまった」 そう、一方通行は悪態をついた。 プリシラが事切れる直前に呟いた言葉にすらなりきれない声。 彼の能力ならば、あの瞬間に限定して彼女の喉の震えに集中すれば、声にならない声を聴きとることはそう難しいことではなかった。 声にならなかった言葉。 彼女の最後の言葉。 別にわざわざ相手を探しだして伝える義務もないし必要性も感じない。 が、たまたま、偶然、道中で会うことがあったなら、伝えてやってもいい。 その程度には思う。 一方通行の耳に届いた、届かなかった言葉を。 【プリシラ@ガン×ソード 死亡】 【残り53人】 【C-6/草原南東部/一日目/早朝】 【一方通行@とある魔術の禁書目録】 [状態]:健康 能力使用不可能 [服装]:私服 [装備]:なし [道具]:基本支給品一式、缶コーヒー×24、ランダム支給品×1(確認済み) [思考] 1:このゲームをぶっ壊す! 2:打ち止めを守る(※打ち止めはゲームに参加していません) 3:機会があればプリシラの遺言を伝える [備考] ※知り合いに関する情報を政宗、ゼクス、プリシラと交換済み。 『一方通行の能力制限について』 【制限は能力使用時間を連続で15分。再使用にはインターバル一時間】 【たとえ使用時間が残っていても、ある程度以上に強力な攻撃を使えば使用時間が短縮されます】 【今回の使用はあまりに過度の能力だったため、次からは制限される可能性があります】 ゼクスのいた世界について情報を得ました。 主催側で制限を調節できるのではないかと仮説を立てました。 飛行船は首輪・制限の制御を行っていると仮説を立てました。 ■ 「嬉しいですねぇ、愉しいですねぇ。 生きてきてこれほど嬉しいと思ったことはありません。 信長公以外にも私をコレほどまでに昂ぶらせる御馳走が沢山あるだなんて!」 次なる獲物を求めて光秀は野を駆ける。 信長公に出会うまでの口慰みとして、つまみ食いを繰り返してきたが。 なかなかどうして、この場にいるのは極上の獲物ばかりである。 死神の目を持つ少女。 獅子の気迫を持つ少女 自らの与り知らぬ力を操る少年。 はたしてこの舞台にはあとどれほどの魑魅魍魎が蠢いているのか。 「愉しみですね、想像しただけで私、気絶してしまいそうです!」 傷つけることも。 傷つけられることも。 殺すことも。 殺されることも。 生きることも。 死ぬことも。 全て等しく光秀にとっての愉悦である。 まただ見ぬ兵は何処や。 【C-6/北部/一日目/早朝】 【明智光秀@戦国BASARA】 [状態] ダメージ(大)疲労(中)ヘブン状態 [服装] 血まみれ、上半身裸 [装備] なし [道具] 基本支給品一式 、信長の大剣@戦国BASARA [思考] 1:一刻も早く信長公の下に参じ、頂点を極めた怒りと屈辱、苦悶を味わい尽くす。 2:信長公の怒りが頂点でない場合、様子を見て最も激怒させられるタイミングを見計らう。 3:途中つまみ食いできそうな人間や向かってくる者がいたら、前菜として頂く。 時系列順で読む Back (ふぁさっ)ひいっ! Next こよみパーティー 投下順で読む Back Only lonely girl Next 乗り損・エスポワール・スタンダード 076 結ンデ開イテ羅刹ト骸 一方通行 116 とある死神の≪接触遭遇(エンカウント)≫ 076 結ンデ開イテ羅刹ト骸 ゼクス・マーキス 121 Miriarudo―Le Petit Six Prince― 076 結ンデ開イテ羅刹ト骸 明智光秀 115 試練2/逃げ場なんて、無いかもよ(前編) 076 結ンデ開イテ羅刹ト骸 プリシラ GAME OVER