約 25,450 件
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神様一覧 名前 読み 属性 性別 奉納点 秋葉48菩薩 アキバ48ボサツ 火 女 10 攻略本についてくるプロダクトコードによって入手できる。 交神時のセリフ 会いたかったよ! 選んでくれてありがとッ! あなたの真ん中にいたい この気持ち、誓ってガチです! 名前の由来・小ネタ 火神を奉る秋葉神社と観音菩薩を奉る秋葉宮(寺)は、神仏分離前は同じという珍しい成立経緯がある。で、秋葉観音菩薩という火の女神を考えたが、デザインが弱いので多面菩薩に。どーせなら秋葉48菩薩としたら「AKB48とコラボ?」と早とちりする人ももしかしているかもと思ったらけっこういた! >twitter 秋葉神社の火の神と秋葉宮の観音菩薩がもともと同じ神様で、おまけに多面観音菩薩で、顔を数えてみたらたまたま48面で・・・という冗談だよ。CP用にレア神様、13柱も頼まれたから少しネタキャラを混ぜただけ。俺屍とAKB48のコラボなんてないって。そんな予算あったら別のことに使いますw >twitter - 名前 コメント
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VS C制服秋葉 未記入 VS H制服秋葉 未記入 VS F秋葉 固めに対して 地上B鳥割り込み 対応しているキャラ、技は少ないが発生とリーチを生かしての割り込みが出来る 1、対F制服秋葉 F制服秋葉の固めを受けている時、22系統、昇竜系統以外の必殺技に対して見てから地上B鳥が確定する リバースビートのないFスタイルだからこそ狙いやすい A、B車輪設置 に対して地上B鳥を差し込むと800ダメージほどを与えながら車輪を消せる A,B逆昇竜の突進技に対して地上B鳥を差し込むことで空中カウンターヒットを取って、2Cから拾える これに対しては、5Aでもカウンターを取れる
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第1回菩薩組音楽祭 宣伝動画 作曲・編曲についてテーマ 第1回菩薩組音楽祭予定表 参加資格 参加方法 作曲・編曲にあたっての制限 第1回菩薩組音楽祭お題画像 動画を投稿する際の注意事項動画の編集について 動画投稿順および投稿日 タイトル タグ 動画の説明 ニコニコ大百科 動画一覧ジャンプ機能の付与について 作曲・編曲について テーマ 今回のテーマは、「絵から音を創造する」です。お題画像はこちらから。絵から自由に音を創って下さい!(絵の雰囲気に合わせる必要はありません) 第1回菩薩組音楽祭予定表 日時はあくまで努力目標ですが、可能な限りこの日程で進めていけるよう頑張りましょう! もし都合が悪い方がいましたら掲示板のコンサートスレッドにてお願い致します(必ずしも要望通りになるとは限りませんので、ご了承下さい)。 日 時 項 目 ~2010/04/24(土) 画像の締め切り ~2010/04/28(水) 画像の選抜(アンケート) ~2010/04/29(木) グループ分け ~2010/06/14(月) 作曲・編曲 2010/06/25(金)~2010/06/27(日) 動画投稿 参加資格 菩薩P教え子であること。 参加方法 左メニューの掲示板から「コンサートスレッド」にて参加表明をして下さい。次に、下の「第1回菩薩組音楽祭お題画像」にある3枚の画像から1枚を選び、作曲・編曲を行って下さい。 締め切り:6/14(月)23 59まで 作曲・編曲にあたっての制限 拍子 - 調 - 時間 - 音源 - 歌物 / インスト O VOCALOID O UTAU・AquesTone O その他 - ( -:制限なし / O:使用可 / X:使用不可 ) 備考 今回は作曲・編曲にあたって特に制限はありません。 第1回菩薩組音楽祭お題画像 No.3:「Wave Goodbye」(Flickr):Kansas Poetry (Patrick)) 選んだ人:木の実ルク ※この画像は、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに則って転載しています。 No.9:「カラフルパンダ」(ニコニコモンズ):コキュートス 選んだ人:4ballboy ※この画像は、ニコニコモンズに則って転載しています。 No.13:氷魔城(Futta.NET) 加工者:non ※この画像は、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに則って転載および加工をしています。 動画を投稿する際の注意事項 動画の編集について サムネと動画編集については自由に行って下さい。ただし、お題画像は必ず使うようにして下さい。また、ピアノロールなどを動画にする予定の方は、動画の冒頭でお題画像を提示するようお願い致します。 動画投稿順および投稿日 投稿日 投稿する画像グループ 2010/06/25( 金 ) No.13 2010/06/26(土) No. 9 2010/06/27(日) No. 3 なお、用事があってその日に投稿できない方に限り、前もって動画を投稿しても構いません。その場合は、非公開で動画を投稿し、動画投稿日以降に公開にして下さい。 タイトル 「【第1回】」と「【菩薩組音楽祭】」を必ず入れて下さい。それ以外は自由です。 例:【第1回】感性に任せて作曲してみた【菩薩組音楽祭】 タグ 「菩薩P教え子リンク」と「菩薩組音楽祭」を必ず入れて下さい。 動画の説明 冒頭に「この企画は画像から音楽を自由に創造する企画です。詳しくはニコニコ大百科『菩薩組音楽祭』をご覧下さい。」を必ず入れて下さい。 また、下記の説明も必ず入れて下さい。 ◆No.3の場合 画像はKansasPoetry(Patrick) (http //m.flickr.com/#/photos/kansasphoto/2204828809/) からお借りしました。 ◆No.9の場合 画像はnc413からお借りしました。 ◆No.13の場合 画像はFutta.NET(http //www.futta.net/photo/376.html)からお借りし、 加工しています。 ※ニコニコモンズを選択した方は、動画アップロード後にスマイルビデオにてニコニコモンズと関連付けて下さい(Picture1)。 Picture1 ニコニコ大百科 下記の説明文はニコニコ大百科「菩薩組音楽祭」で執筆する予定の内容です。添削のほどよろしくお願い致します。(2010/05/16執筆:eichi) 菩薩組音楽祭とは、菩薩Pおよび菩薩P教え子が企画・主催するイベントである 。 ■概要:菩薩P教え子スタジオ(←URL埋め込み)の掲示板にて 「イベントをしたい」というコメントが発端で生まれたイベントである。 参加者が楽しむことはもちろん 、視聴者に一人でも多く作曲の楽しさを 知ってもらう願いが込められているイベントでもある。 各回の企画の内容については下記で記す。 菩薩P教え子については ニコニコ大百科「菩薩P教え子リンク」の項を参照。 ■第1回:1回目のテーマは「絵から音を創造する(元ネタ:sm1071880)」である。 内容 参加者一人一人がお題画像から自由に様々なことを感じとり、 そこから音楽を創造し表現することで、感じとり方の違いによる 音楽の表現の違いを楽しむ企画である。 ■第1回菩薩組音楽祭参加曲:マイリストを順番に並べる。 動画一覧 ◆No.13グループ 【ニコニコ動画】 ryou 皐月薫 ユノ non float ◆No.9グループ http //www.nicovideo.jp/mylist/19641031 れた 4ballboy eichi ◆No.3グループ http //www.nicovideo.jp/mylist/19116328 ピリオル たけもと 8 to 7 木の実ルク (以上、ここまで敬称略) ジャンプ機能の付与について 今回は動画にジャンプ機能をつけて、ツアー形式にします。以下の手順に従ってジャンプ機能をつけて下さい。 ①「投稿者コメントを編集」をクリックします。(Picture2-1) Picture2-1 ②「ニコスクリプト簡易設定モードに切替」をクリックします。(Picture2-2) Picture2-2 ③中段のマスに次の動画のURL(smXXXXまたはnmXXXX)を入力し、「この内容で設定する」をクリックします。(Picture2-3) Picture2-3 (2010/06/20執筆)
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454 名前:キリト ◆J/BZppeeoI[sage] 投稿日:2010/04/29(木) 23 34 59 453 スタイルによるけど こっちC相手Hの場合 空中戦はなるべく下とって相手の空ダの軌道に合わせてJBかJC置いておくのが一番いいかなー 置くのが遅いと相手のJBやJCに負けるので注意 上から攻める場合JBか相手のJ攻撃を誘うB鳥で 空中戦でとにかく触りにいくことが大事 相手が待ち気味だったら獣なり敷いて相手を動かす 地上戦は相手に強い技があまりないので特に気をつけることはないとおもう 強いていうならダッシュ4Cに気をつけることと固めでのBE月を極力ガードしないことかな BE月来るの見たらJ空避けとかでさっさと逃げるが吉 空ダJCが届かないくらいの距離を維持しつつBEB鳥やらで牽制してダッシュ抑制しつつ 相手に先に飛ばせるのがベストかなー とにかくJ攻撃やBEB鳥でガードでもいいので触ることが大事 こっちC相手Fの場合 空中戦はHの時と大して変わらず ただこっちが上から攻める場合JAがHより強いのでB鳥を撃つ場合ちょっと注意が必要 ちょっと出すのが遅れるとすぐカウンター取られちゃいます 地上戦はHより強い4Cがあるためダッシュ4Cがめんどくさい それと空中月もあるので地上で待ってるのはあまりよくない さっさと飛んで相手に触るのがベストかなー 183 名前:名無しですかあなたは![sage] 投稿日:2010/05/10(月) 21 28 48 ID swQ3SyCIO [1/4] キリトさんが赤主対策書いてたから久しぶりに vs赤主(不利) おすすめスタイルC めっちゃ速い赤主さん。通常技性能はほぼ同じか空技が相手の方が優れてるくらい。が、機動力差がマジで兎と亀。残りカウントが20か30位でガン逃げされると泣けるレベル。 Hは123画面端に運べてかなりの火力。Fは火力と空月が鬼畜。Cはスルーで。 スタイル選択はCがおすすめ。 まずFは赤主レベルの機動力には設置が機能しないのと、空技の短さと空避けがないのがかなり厳しい。 Hだと・・・H赤主の下位互換か?って思えてくるほど立ち回りがキツい。火力はアホみたいに高いから、ワンチャンに命懸けたい人は使えって感じ。CならJBJCが長いし、空避けBEB鳥があり空投げ後はあれだが、他スタイルよりは楽・・・かな? 対H赤主 気をつける技 JB もっとも気をつけるべき技。発生リーチ持続ともに怖い。鳥にカウンターとられやすい JC 斜めなJV。赤主の機動力的に不意なめくりには気をつける。 4C 降り際A鳥狩られたりする。機動力と相まって範囲がやばい 各種獣 即発生タイプ。H秋葉と違ってひっかかったらまず空投げ〆される 月 立ち回りでは大きな壁。固めでは画面端にご案内。この壁を越えないことには勝利はない気がしないでもない気がしなくもない。 184 名前:名無しですかあなたは![sage] 投稿日:2010/05/10(月) 21 29 21 ID swQ3SyCIO [2/4] 対策 まず立ち回り、起き攻めの機会で圧倒的に不利だと理解する。相手はV以上の運び能力+紅葉ループ。ハーフのシステムかなり相性がいい。 赤主相手には機動力的にも判定的にもコンボ後の状況的にも攻めるチャンスは圧倒的に少ないことを理解しよう。 立ち回る上でまず心がけることは距離が離れていても考えずに空鳥を振らないこと。一瞬で距離を詰められてカウンターとられる。立ち回りでのA鳥は極力振らない方が安全。 立ち回りでメインとして振る技は JA 置き技。だがJBにアーマーでって危険も JB 差しにも置きにも使える優秀な技。難点は対地で繋げにくいこと JC 長いし当てたらでかい。が、相手のJBには発生的に勝ちにくい BEB鳥 相手の月籠城に使ったりする。飛び込みに気をつけながら溜めなしやJBと振り分ける 獣 おびき出す これらの技の振り方を覚えよう。相手の飛び込みとBE月のタイミングを読んでJBJCを置いたりBEB鳥で牽制したり、JBで突っ込んでいったりとジリ貧にはならないように 月に突っ込んでいっても突破しにくいからBE鳥でと割り切るべきかも。 相手のJBは上に強いから極力相手の下で立ち回るのが吉。といっても鳥を撃ちたいし・・・相手をよく見るしかない。 185 名前:名無しですかあなたは![sage] 投稿日:2010/05/10(月) 21 29 46 ID swQ3SyCIO [3/4] また、画面端近くでカウンターは貰いたくない。中央なら必要経費と割り切るべきダメージだが、画面端では流石に厳しいからね。 さらに気をつけるべきは中央などでめくり(背面喰らい)喰らったとき。画面端で紅葉ループされても隙間が空くのは覚えておこう。 画面端での崩しはH秋葉の空ダ距離を増やしてJB単発にして空ダを二回にした感じ。見えなくはないけど獣絡められたりすると全部ガードするのは無理なんで何とか頑張ろう。 固めはH秋葉の固めを抜けにくくした感じ。BE月はガードしないようにする。 とはいっても固められたら暴れでダメージを稼ぐチャンスと考えるべきだろう。空ダを読んでJAやダッシュを読んで4Cなど相手の癖を読んで差し込めた時のリターンは非常にでかい。 とにかく最後に立ってるかが勝負です。多少のダメージは覚悟で突っ込んでいきましょー
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仏教 菩薩 (1)菩薩とは、サンスクリット語のボーディサットヴァを漢語で音写した語で、『菩提薩埵』を簡略化した語であり、本来は出家する前の釈迦(語の由来として、釈迦の名であるゴーダマ・シッタールダを、梵語で反対から読んだ形から来ている)を表していたが、現在では如来になる前の段階にいる者を示す。しかし、密教では如来が悟るために修業する姿を、まだ悟りを体感していたない者のために見せているとされる。 これら菩薩は、『菩薩形』と呼ばれる、金・銀・玉などの装飾品で着飾った姿をしているのは、元は出家する前の釈迦が、シャカ族の王子であったことから、その姿が繁栄したとされている。唯一の例外が中国・日本などでみられる『比丘形』とよばれる姿をした地蔵菩薩である。 参考 新紀元社 密教曼陀羅
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関係あるとみられるもの パチュリー・ノーレッジ(東方紅魔郷) 秋姉妹(東方風神録) 住所 秋葉山本宮秋葉神社下社 静岡県浜松市天竜区春野町秋葉山 ①JR東海道本線「袋井駅」より遠鉄バス気田行「犬居下」下車 徒歩10分 ②遠州鉄道電車「西鹿島駅」より遠鉄バス秋葉線「秋葉神社」下車 徒歩1分 秋葉山本宮秋葉神社上社 下社より徒歩2時間 秋葉山秋葉寺 下社より徒歩1時間半 秋葉山(あきはさん) 参道から見上げる秋葉神社上社 天竜水域の上流部、赤石山脈の最南端に立つ山。標高866m。上古の時代より霊山として信仰を集めたとされる説もあるが、開山時期には謎も多い。「秋葉」は「あきば」と読まれることも少なくないが、本項における「秋葉山」は「あきはやま」と読み「秋葉山本宮秋葉神社(後述)」も「あきはさんほんぐうあきはじんじゃ」と読むのが正しいようである。なお「秋葉山秋葉寺(後述)」については「あきはさんしゅようじ」と読む。 秋葉山本宮秋葉神社の社略縁起によると、秋葉山にはじめて社殿(お堂)が創建されたのは和銅二年(西暦709年)であるとされる。享保2年(西暦1717年)に著された『秋葉山略縁起』では、養老二年(西暦718年)に行基によって開山されたとされる。はじめ「大登山霊雲院」と号されたが、大同・弘仁年間(西暦806年~823年)に嵯峨天皇によって七堂伽藍が建立され「秋葉の山に色つくて見え」と詠まれたことから「秋葉山秋葉寺」に改称されたと言う。ただ、ありていに言ってこれらは江戸時代ごろに加上(歴史を古く見せようとすること)されたものである可能性が否めない。もともと「秋葉信仰」が発祥したのは長野県の戸隠地方や新潟県の長岡地方であることが近年の研究により明らかになりつつあり、遠州の文献において「秋葉」の名が登場するのは西暦1500年代後半になって以降である。 中世(少なくとも室町末期)以後の秋葉山には「秋葉山秋葉寺」が鎮座し、修験道の神である「秋葉三尺坊大権現」と仏教の「観音菩薩」とを祀る両部信仰(りょうぶしんこう)の霊山として栄えたことはまぎれもない事実である。人々は三尺坊大権現への畏敬と観音菩薩への畏敬を混淆(こんこう)し、事実上一柱の神さま=「秋葉さま」として深く崇敬した。「秋葉さま」には火災防止=火防(ひぶせ)のご利益があるとされ、日本各地から信者がお参りにやってくるようになった。そのブームは爆発的なもので、一時には伊勢神宮に匹敵するものだったらしい。諏訪から浜松にのび東海道に接続する「遠信古道」は、いつしか「秋葉街道」と呼ばれるようになった。柳田国男は「秋葉街道」という名称があまりお気に召さなかったのか、「我々から言うならば寧ろ諏訪路とも、遠山通りとも呼んでみたい」と記している(『東国古道記』)。 複数の宗教がおおらかに共存していた秋葉山の状況が一変したのは、明治元年に「神仏分離令」が発布されたことに端を発する。たまに誤解している方がいるが、「神仏分離令」は「おたくの寺院は仏教寺なのか神社なのか白黒はっきりさせなさい。まぎらわしいんで。」というお触れであり、別に「仏教、殺すべし!」みたいなサツバツとしたものではない。しかし「和を以て貴しとなす」を体現するように神道と仏教と民間信仰とがおおらかに混ざりあってきたわが国において、いきなり「ジャンルを確定せよ」と要請すること自体がどだい無茶苦茶な話でもあり、日本各地で物議をかもすことになった。秋葉寺も例外でなく、「時代は神社だろ!還俗して神主になるべきだ!」と主張する修験側(秋葉三尺坊リスペクト派)の僧侶と「ここは昔から秋葉"寺"だっつてんだろこのハゲ!」と主張する寺僧側(観音菩薩リスペクト派)の僧侶の間で対立が起こった。当初、秋葉山にあった18坊のうち6ヶ寺が前者の立場、12ヶ寺が後者の立場だったらしい。数に劣る6ヶ寺の主張が退けられ、論争に敗れた修験側の僧侶達は方々に逐電(脱走)した。 しかし秋葉寺でこのような紛争が起きているさなかにも、世間では「神仏分離令」が拡大解釈されるようになっていき、やがて仏教寺そのものを廃滅に追い込もうとする「廃仏棄釈運動(あくまでも民間の運動である)」へと発展した。その背景には、これまで何かとアコギな商売をしていた"一部の"仏教寺への反感、伊勢神道にルーツを持つ天皇家への忠誠心、勢力拡大を狙う"一部の"神主らによる対立煽り等があったとされる。 仏教への風当たりが日に日に強くなっていた明治5年、政府の教部省より秋葉寺あてに通達が出る。それは「秋葉さまに正一位の神階を差し上げます。神階を持ってる以上は秋葉寺ではなく秋葉神社と称するように。ちなみに「秋葉さま」と言うのは古来より火之迦具土大神(ひのかぐつち)の神の別名であり、仏さんの観世音菩薩はもとより、三尺坊とか関係ないから。偉いのは火之迦具土大神(ひのかぐつち)だから。勘違いしたらあかんで。」という内容のものだった。なんでそんな通達が出たかと言うと、明治維新直前の慶応3年に秋葉寺の「叶坊」という僧侶が、(恐らく寺にハクをつけるために)「秋葉さまに神階を授けてほしい」と請願していたからである。請願当時は、こんな世情になると予想だにして無かったんじゃなかろうか。しかし、このような決定が出てしまった以上は「お上には逆らえん」と観念した秋葉寺は、ついに火之迦具土大神(ひのかぐつち)を祀る「秋葉神社」と観世音菩薩を本尊とする「秋葉寺」に分離することを決める。ところが翌明治6年、同じ教務省より今度は「檀家が1軒もなく住職もいない寺は廃止な。」とのお達しが出ると、分離ほやほやの「秋葉寺」がこれにひょっこり引っかかり、あえなく廃止されてしまう。檀家が無いのは江戸時代より朱印地として自活や寄付で収益をまかなっていたためであり、住職がいないのは明治5年に住職「舜瑞」が死亡し、後任選定の真っただ中だったためである。「舜瑞」が殺害されたとか、よほど何かの陰謀でもない限り秋葉寺が消滅したのは不運としか言いようが無い。秋葉寺にあった本尊や、仏像・仏具の主なものは袋井の可睡斎に運ばれ、残りは廃棄された。 もちろんこれで納得できるわけもなく、廃止された「秋葉寺」の僧侶らは寺の復興に向けて奔走した。これに地元の人らも協力し、明治13年にはついに秋葉寺再建の許可が下る。これを受け秋葉山の中腹8合目ほどの場所に秋葉山秋葉寺(あきはさんしゅうようじ)が再建され、往年と同じように「秋葉三尺坊権現」及び「観世音菩薩」が祀られることとなった。ところがこの再建された「新秋葉寺」の僧侶の中には、そもそも政府のお達しに従って「秋葉神社」を分立したこと自体を快く思っていない僧侶も多く、「自分たちこそが正当な秋葉寺の後継者だ」と主張し2度にわたる争訟を起こした。1度目は西暦1906年のことで、明治初期に政府が国有林創出のために収奪した旧秋葉寺の入会林野や寺社所有林が「秋葉神社」に返還される際に「我らこそが旧秋葉寺の正当な後継者であり、土地の返還を受ける権利がある!」と主張して確認訴訟を起こした。2度目は西暦1925年のことで、御料林(皇室財産)の一部が秋葉神社に払い下げ(売却)されることになった際、秋葉寺も「我らに売ってくれ」と払い下げを願い出た。これらの訴えはいずれも退けられたが、この時裁判所が根拠としたのが上述した明治5年の教務省のお達しであった。すなわち、公的には旧秋葉寺と新秋葉寺の人格的な同一性は認められず、秋葉神社こそが旧秋葉寺の後継者であるとみなされていることになる。 なお、2度目の訴えが却下された後、「秋葉神社」が土地の払い下げを受ける権利を「新秋葉寺」に譲り、それと引き換えに「新秋葉寺」が旧秋葉寺と新秋葉寺に法的・沿革的な関連性が無い事を認め、二度と同じような争訟を起こさないよう約束することで決着したようである。 秋葉山本宮秋葉神社(あきはさんほんぐうあきはじんじゃ) 上社正門 秋葉山の山頂付近に上社を、山麓(ふもと)に下社を構える神社。元々は秋葉山頂付近に旧「秋葉山秋葉寺」を承継する社が一社あるのみだったが西暦1943年に山林火災によって消失、その後戦時及び戦後の世相もあって再建がかなわなかった。そのため山麓に下社を造営し、祭祀を継続した。西暦1986年に山頂付近の社の再建がかなったため、山頂の神社を上社、山麓の神社を下社とした。 上社と下社の標高差は755m程度で、徒歩で巡礼する場合約2時間程度の山歩きが必要となる。山頂間近まで自家用車が通行可能な林道が伸び駐車場も整備されているため、徒歩で登らなくとも上社を参拝することは可能である。全国に800社以上を数える秋葉神社の総本社であり、火災防止=火防(ひぶせ)のご利益で非常に名高い。記紀神話の火神「火之迦具土大神(ひのかぐつち)の神」を主祭神として祀る。火之迦具土大神(ひのかぐつち)は、『古事記』及び『日本書紀』に登場する火の神で、燃えたつ火ないし爆裂する火山をモチーフにした神ではないかとされる。太陽の化身である天照大神を火神とみなさなければ、記紀神話上最強の火神と言っても良いのではなかろうか。「神産み」の段においてイザナギとイザナミとの間に生まれるが、出産時に母神のイザナミの火傷を負わせてしまう。この火傷が元でイザナミは死んでしまったため、怒ったイザナギによって斬り殺される。ただ生まれて来ただけの火之迦具土大神(ひのかぐつち)自体が別に何か悪いわけではないが、こういった経緯から「母殺し」「父に誅殺された神」といった不名誉とともに忌まわしい神であると見なされることも少なくない。 秋葉神社において火之迦具土大神(ひのかぐつち)が祀られるようになった直接の経緯は、上述のとおり明治5年に教務省により「秋葉さまとは火之迦具土大神(ひのかぐつち)のことだから、今後秋葉寺は神社に改名して火之迦具土大神(ひのかぐつち)を祀りなさい」とのお達しがあったことによるものである。この「秋葉さま=火之迦具土大神(ひのかぐつち)」という発想の論拠は次のとおりである。 ①西暦987年に成立した『日本三代実録』に「貞観十六年(西暦874年)五月十日、遠江国正六位上岐気ノ保ノ神に従五位を授く」とある。 ②西暦930年代に成立した地名辞典『和名類聚抄』には「山香郡に大岑・与利・岐階・気多の四郷が置かれている」とある。岐階=岐気ではないか。 ③保(ホ)とは火(ホ)のことではないか。 ④すなわち、岐気ノ保ノ神とは「岐階の火の神」という意味ではないか。 ⑤岐階とは、秋葉山を含む地域の古名である。 ⑥以上を統合すると、西暦870年代以前より秋葉山では「秋葉さま」が火の神として祀られていたのである。 ⑦三尺坊の伝承は古いものでも鎌倉時代以降で、西暦870年以前のものは存在しない。よって本来「秋葉さま」とは三尺坊のことではない。 ⑧日本神話で火の神と言えば火之迦具土大神(ひのかぐつち)のことである。よって今後は火之迦具土大神(ひのかぐつち)を崇拝しなさい。 この仮説のうち、①~⑤までは西暦1789年に完成した内山眞龍著『遠江国風土記伝』中の考察を「詳しい人が言ってんだから間違いない」くらいの感覚でまるっと鵜呑みにしたものであるが、そもそも内山眞龍は「按ずるに(ちょっと妄想してみたんだが)」くらいの前置きで、特に論拠を示して仮説を組み立てているわけではない。それを元に⑧の結論まで持って行くのは、かなり苦しいと言わざるを得ない。「藍さま=白面金毛九尾の狐である」くらいには苦しい。 上社 下社 しかし、火之迦具土大神(ひのかぐつち)を祀るようになったことで「秋葉神社」は古来の伝統を全く捨て去ってしまったわけではない。そもそも明治5年の通達においても「秋葉さまの主体は火之迦具土大神(ひのかぐつち)である」ことを確認・要請しているだけで、三尺坊が"合祀"されていることについては何ら否定されているものではない。上社の境内には「天狗の皿投げ」という一風変わったアトラクション(としか言いようが無い)があり、空中に固定された輪に向かって皿を投げるようになっている。皿が輪の内側をうまく通過したらなんかいいことが起こるらしい。そのルーツとして「昔秋葉山に天狗が住んでいて皿投げで願力を競った云々」と紹介されていることから、修験道の伝承の名残が残されていることがわかる。また、例年12月15日・16日には「火祭」が開催され、神官によって弓の舞、剣の舞、火の舞が行われる。この祭祀は京都の上賀茂神社等で見られる御阿礼祭(みあれまつり)という神事から始まり、神=火之迦具土大神(ひのかぐつち)を降ろして舞を奉納するものであるとされる。しかし「火祭」自体が仏教における護摩業(密教の修行)がルーツであるとも言われ、同日「秋葉山秋葉寺」でも同じく「火祭」として火渡(ひわたり)の業が行われることから、本来の秋葉山の「火祭」の姿は「奉納」と「修行」という二つを合わせたものではなかったのだろうかとも推測される。 天狗の皿投げ 秋葉三尺坊大権現(あきはさんじゃくぼうだいごんげん) 「秋葉山秋葉寺」に祀られる修験道の神。平安初期の越前蔵王権現堂で修行したり(秋葉寺の伝承)、平安中期の戸隠で修行したり(『信濃名僧略伝集』)、室町時代の尾張圓通寺で修行したり(圓通寺の伝承)、サンジェルマンか!ってくらい荒唐無稽な逸話が歴史上散見されるため実在の人物がモデルかどうかは定かでない。修行が好きなのは確かである。 三尺坊は、実在性のみならず経歴も非常にフワフワしている。おおむね信州(長野県)の戸隠で生まれ、越後(新潟県)の岩野蔵王堂で住職をやっている時に覚醒、自在に空を飛べるようになったとされる。そして「今後私の名を呼ぶと、火事が起きなくなる」という予言を残し白いキツネの背にまたがって飛び去ったという。自分で飛べよ。 全国を飛び回った三尺坊は、最終的に遠州(静岡)の名もなき山に降り立つ。そのとき現れたガマガエルの背中に「秋葉」の字が浮かんでいたことから、この名もなき山を「秋葉山」と名付け、以後この地に「秋葉山秋葉寺」を開いて布教に務めたという。言うまでも無く、嵯峨天皇が「秋葉山」と名付けたという縁起とは矛盾する。三尺坊が秋葉山に到来した時期についても、大同四年(西暦809年)とも永仁二年(西暦1294)とも元亀二年(1571)とも言われる。伝承によって700年以上もズレてるのがすごい。 原始的な三尺坊信仰においては三尺坊は修験者の姿をしているが、次第に天狗信仰と結びつき「カラス天狗」の姿で現されるようになる。一方で、三尺坊は27歳(岩野蔵王堂の住職時代)の時に荒行満願の夜に法力により嘴(くちばし)と羽毛が生えて迦楼羅天(かるらてん)に神変したとも言われる。迦楼羅天(かるらてん)とはガルーダのことである。三尺坊を観世音菩薩の化身として見た場合にはガルーダ、修験道の神として見た場合にはカラス天狗であるとすると、『東方三月精』における「ルシフェル=アマツミカボシ」のように「ガルーダ=カラス天狗」と言える、のかもしれない。 また、秋葉山に大火事が起こった際には「火生三昧」という呪文のようなものを唱えて猛火を止めたことにより、以後火防鎮守としてまつられたとも伝えている。すなわち、たとえ上古の時代に岐気ノ保ノ神なる神さまが火の神として秋葉山に祀られていたという仮説が正しいとしても、江戸時代~現代に至るまで"秋葉さま"として崇敬を集め、霊場としての秋葉山の発展をもたらした「火災予防」のご利益は、三尺坊由来のものである所が最も大きいと言えるだろう。 東方projectにおいては『東方非想天則』のアリス、比那名居天子らのストーリーモード中で敵キャラとして登場するパチュリー・ノーレッジが火符「アキバサマー」を使用する。スペル名の「アキバ」は「秋葉」を「サマー」は「敬称の"さま"」と「夏」をかけている可能性が高いと言える。陰陽五行思想において春が木の季節、夏が火の季節、秋が金の季節、冬が水の季節、それぞれの季節の節目が土であるとされている。なぜ西洋の魔法使いであるパチュリーが東洋の神さまをモチーフにしたスペルカードを使用したのかは不明であるが、『東方文花帖』において節分祭を企画していることなどから、パチュリーというより紅魔館自体に「郷に入っては郷に従う」タイプの柔軟な思考があるのかもしれない。友人のレミリア・スカーレットも味噌汁を飲んだり納豆を好んで食べたりと日本文化に全く抵抗を見せず馴染もうとしている。一方でレミリアは月面探査ロケットにつけられた「住吉三神」の和風名を嫌い、ミンタカ、アルニラム、アルニタクへの改名を行ったことから(『漫画版 東方儚月抄』)、紅魔館の先進的で柔軟な発想自体、パチュリーが持ち込んでいるものなのかもしれない。 また、技としての火符「アキバサマー」は、パチュリーがゆったりとしたジャンプを繰り返しながら時計回りの青い光と反時計周りの赤い光とを回転交差させるものである。二本の赤と青の光が何を示すのかは不明だが、仮説として赤=火、青=水を示し、業火と交差する水、すなわち「鎮火=火防」を示している可能性もあるだろう。また逆に、温度の低い赤の炎と温度の高い青の炎をかけあわせ、燃え盛る火炎を表現している可能性もある。前者の場合は火防の神である「秋葉三尺坊大権現」が、後者の場合は本質的には火防の神ではなく火の神である「火之迦具土大神(ひのかぐつち)」が、より強くモチーフ化されていると考えられよう。 なお、これらは推察に基づくものなので重ねて注意されたい。アキバサマーのモチーフがユダヤ人律法学者のアキバ・ベン・ヨセフさんである可能性も否めないわけで。 名前
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登録日:2011/05/14 Sat 11 21 10 更新日:2021/11/03 Wed 11 37 54 所要時間:約 4 分で読めます ▽タグ一覧 アニヲタ神様シリーズ 仏 仏教 六地蔵 印ビーム 地獄に仏 地獄の仏 地獄堂霊界通信 地蔵 地蔵菩薩 坊主 密教 新島良次 神 菩薩 閻魔大王 鬼灯の冷徹 地蔵菩薩 地蔵菩薩(梵名:クシティガルバ)とは大乗仏教の尊格。 地蔵とは大地の様に堅固な菩提(悟り)心を意味する。 釈迦入滅後、五十六億七千万年後に顕れると云う弥勒(みろく)が出現するまでの間、苦しみもがく衆生(人々)を救う本願を立てた慈愛の菩薩である。 所謂「お地蔵さま」の事であり、我が国では奈良時代以降に地蔵を紹介した経典がもたらされ、その後の「浄土信仰(あの世でハッピー)」の高まりにより民間にも広く親しまれてゆく事になった。 「観世音菩薩」「不動明王」と共に現世利益の解り易さと尊格の優しさから特に民衆に親しまれて来た「仏様」である。 我が国への伝来以前にも、中国でも広く信仰されていたらしく「地蔵十王経」なる(偽)経典が作られている事からもそれが窺える。 ……やはり地蔵の本願、功徳(御利益)が多大な人気を集めた結果だろうと思われる。 尚、我が国でも地蔵信仰が民間に広く親しまれたのは、貴族は「善」を積む為に寺院や本尊である阿弥陀如来を建立したのに対し、貧しさからそうした行為が出来ない民衆は地蔵に祈る以外に「善」を積み、地獄に落ちる事から逃れる術が思いつかなかった為である。 【概要】 地蔵はその字面から大地の守護者としても捉えられており、その守るべき「大地」には地獄も含まれる。 我が国では「浄土信仰」が盛んになった結果「浄土に行けぬ者は地獄に落ちる」と云うやや極端な考えが定着する事になり、更にその地獄に落ちた罪人の苦しみを地蔵が代わりに受けてくれると云う「地蔵代受苦」の信仰が広まる事となった。 (亡者の替わりに地蔵が火あぶりにされるシュールな図像も存在する) ……こうした信仰の結果、地蔵を題材にした多くの二次創作(「伝説」「説話」「縁起」)が作られる事となり、 「今昔物語集」等にも多くの地蔵を主人公にした物語が寄せられている。 また、地蔵菩薩を地獄の支配者である閻魔大王と同体(変身)とする説も有名だが、これは前述の中国で「地蔵十王経」を生む契機となった地蔵信仰から生まれた物。 尚、閻魔大王は仏教の閻魔天(ヤマ)が道教思想と結び付いて生まれた存在。 我が国では方角を守る十二天の一人として閻魔天が、地獄で亡者の罪を裁く十王の一人として閻魔大王が共に伝えられる事になった。 ……やや脱線したが、これらの信仰により地蔵菩薩は地獄に落ちた衆生を裁きつつも真の救済を目指す仏として定着する事になるのである。 【六地蔵】 仏教に於ける生死の概念である「六道輪廻」に基づき、それぞれの道で苦しむ衆生を救うべく、あの世とこの世の境に地蔵が顕れるとされる信仰。 似た物に観世音菩薩が六道に応じて姿を変える「六観音」があるが、地蔵の場合は名称こそ分けられているが姿は変わらない。 名称も一定していないが「覚禅鈔」に依れば大定智悲(地獄)、大徳清浄(餓鬼)、大光明(畜生)、清浄無垢(修羅)、大清浄(人)、大堅固(天)の名称が挙げられている。 ……こうした思想は「道路」や「境界」の守護者として民間信仰の塞(さえ)の神信仰と結び付き、墓地の入口や集落の入口に地蔵像を立てる信仰へと繋がる事になった。 言うまでも無く、有名な「傘地蔵」の民話はここから生まれた物である。 ……更に時代が下り江戸時代になると地蔵は「賽の河原」で子供を救う仏……またここから派生して「水子」や「安産」を守る仏としても扱われる様になった。 【真言】 ●オンカカカビサンマエイソワカ 【余談】 地蔵菩薩と対になる存在に虚空蔵菩薩(梵名:アーカーシャガルバ)がある。 その名の様に大地に対して天空の様な広大無辺の知恵を意味する仏であり、民間では今イチ「マイナー」な尊格だが、弘法大師空海が若き日の入唐前に修したとされる「虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう=超記憶術)」で良く知られる(※知りません)。 【弱い者の味方、その名はお地蔵さん!】 はるか昔、インドに大変慈悲深い二人の王がいた。一人は自らが仏となることで人を救おうと考え、一切智威如来という仏になった。 だが、もう一人の王は仏になる力を持ちながら、あえて仏と成らず、自らの意志で人の身のまま地獄に落ち、苦悩し迷い続ける全ての魂を救おうとした。 その名を地蔵という。 「十界論」では声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界の順で菩薩は如来に次ぐ高い見地に住するが、地蔵菩薩は「一斉衆生済度の請願を果たさずば、我、菩薩界に戻らじ」と決意し、菩薩界にとどまらず、六道( 地獄・ 餓鬼・ 畜生・ 阿修羅・ 人間・ 天)を自らの足で行脚して、救われない衆生や親より先に世を去った幼い子どもの魂を救いながら旅を続けている。 幼い子どもが親より先に世を去ると、親を悲しませ親孝行の功徳も積んでいないことから、三途の川を渡れず賽の河原で鬼のいじめに遭いながら石の塔婆作りを永遠に続けなければならない。お地蔵さんはそういう子ども達を守ってやり、念仏を教え、成仏への道を開いていく。 だから地蔵菩薩は最も弱い立場の人々を最優先で救済する菩薩である。 追記・修正お願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 日本中にいるいい人。ただし、嘘をついてはいけない。 -- 名無しさん (2013-08-10 16 44 52) 賽の河原で子供守ってくれるのもこの方 -- 名無しさん (2013-08-10 18 28 53) ゲゲゲの鬼太郎ではねずみ男が金儲けのため鯰地蔵というお地蔵さまを盗んだが、このお地蔵さまはねずみ男が心の底から反省しない限り、背中にぴったりくっつくという恐ろしいお地蔵さまだった。 -- 名無しさん (2014-05-29 14 18 10) 田舎にはわりと首なし地蔵が沢山ある。誰にも見られず地蔵の頭を盗むと賭け事が強くなると言う迷信の為に。 -- 名無しさん (2014-05-29 17 45 11) 河童は地蔵菩薩の眷族、と言う信仰もある。間引きで川に流された子供達を極楽に導く役割を担う存在として。 -- 名無しさん (2014-07-13 01 08 49) すみませんが、地蔵和讃やいわゆる「お地蔵さま」のことについて書いてみたいことがあるので、多めの加筆をしてもよろしいでしょうか。 -- ページ作成者様へ (2017-06-25 07 36 39) ↑編集に入れるなら誰が追記修正してもいいでしょう。 -- 名無しさん (2017-06-25 10 05 29) ↑作成者の方ですか? だとしたら、お気遣いいただきありがとうございます。 これから記述の下書きをはじめますので、要望がありましたらどんなことでもおっしゃってください。 -- 名無しさん (2017-06-25 21 42 16) 名前 コメント
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仏教・菩薩 地蔵菩薩 ○地蔵菩薩は釈迦が去り、弥勒菩薩がこの世に降りてくるまでの間(無仏の時代)に人々を救済する事を役目として生っている。地蔵菩薩は六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・神道)全ての人々を救うとされる。 地蔵菩薩は閻魔天であると記されるが、これは地獄道と地蔵菩薩が同じ『地』の字であるから発生したものであるともされる。 また地蔵菩薩はインドで発見される際、『善男子』の像で出土される。おなじみの『比丘相』は中国で発生したものである。『胎蔵曼荼羅』に描かれる地蔵菩薩の姿を見ると、有髪で装飾品を纏った姿で描かれる。 参考 新紀元社 密教曼荼羅