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籠神社 籠神社
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太陽社長こと岡本大助の送る『全国神社Wiki』へようこそ。 このWikiでは神社や神道にまつわる事を随時更新してゆきます。 今戸神社(いまどじんじゃ) 〒111-0024 東京都台東区今戸1丁目5-22 今戸神社とは 今戸神社とは、東京都台東区にある神社。 招き猫発祥の地として知られていて、良縁や開運招福のご利益があると言われています。 祭神 応神天皇 伊弉諾尊(いざなぎのみこと) 伊弉冉尊(いざなみのみこと) 福禄寿 由緒 今戸神社の始まりは後冷泉天皇康平6年(1063年)。 京都の石清水八幡を勧請して今戸八幡を創建しました。 昭和12年7月に白山神社と合祀し、今戸神社へと改名し今に至ります。 招き猫発祥の地 江戸時代末期、当時の今戸八幡周辺に住んでいた老婆が、貧しさから愛猫を手放しました。 その夜愛猫が老婆の夢枕に立ち、「自分の姿を人形にしたら福徳を授かる」と告げます。 老婆が早速愛猫の姿を今戸焼にして売ったところ評判に。 これが招き猫の発祥だと言われています。 神社の境内には今戸焼の猫の他に、愛らしい猫の石像などを目にすることができます。
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太陽社長こと岡本大助の送る『全国神社Wiki』へようこそ。 このWikiでは神社や神道にまつわる事を随時更新してゆきます。 鮭神社(さけじんじゃ) 〒820-0392 福岡県嘉麻市大隈町733 鮭神社とは 鮭神社(さけじんじゃ)は、福岡県嘉麻市にある神社。旧社格は村社。鎮座地の近くには遠賀川が流れる。祭礼において鮭を祀るが、これは日本で唯一だそうです。 祭神 鮭神社に祭られている祭神は神話「海幸彦山幸彦」で有名な山幸彦と海の神の豊玉姫、その息子の3人です。正確な名前は、山幸彦が「彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)」、豊玉姫が「豊玉姫尊(トヨタマヒメノミコト)」、息子の名前は「ウガヤ葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)」。 山幸彦が約束を守らなかったため海に帰ってしまった豊玉姫が、残してきた2人が恋しく、「つつがなきや(お元気ですか?)」の便りを年に1度、鮭に託したと語り継がれています。 由緒 鮭神社は筑豊平野を潤し北九州の響灘(ひびきなだ)に流れ込む遠賀川(おんががわ)の源流に程近い場所にあります。福岡県嘉穂郡嘉穂町※の国道を少し入った場所にあるこの神社は、1200年前に建てられたといわれ、その名のとおりご神体は「鮭」。現在まで氏子たちに大切に守られてきました。 献鮭祭(けんけいさい) 遠い昔、収穫の秋にわずかながら遠賀川を上って来た鮭は、嘉穂町※の田畑に豊かな実りをもたらす神の使者として大切にされてきました。遠賀川河口の芦屋から鮭神社のある嘉穂町※大隈まで約50km、そこには100以上の堰(せき)がありこれを乗り越えてくる鮭があれば来年も豊作であると喜びました。これを途中で捕らえると災いに合うとされ、現在も神の使いである鮭を食べない風習が残っているのです。 毎年12月13日、鮭神社では献鮭祭(けんけいさい)が行われ、五穀豊穣を祈ります。太陰暦が用いられた江戸時代には霜月(11月)13日に行われていましたが、現在は月遅れの12月13日に営まれます。遠賀川の鮭は、川沿いの「まないた石」なる石の上で清められた後、鮭神社に捧げられ、境内の鮭塚に奉納されました。鮭が遡上しない年は、大根の縦割りにとうがらしの輪切りの目をほどこし、鮭に見立てて供えていました。 境内の鳥居脇に夫婦楠が植えられている。鮭の遡上は産卵を伴うことから、縁結びの御利益にも繋げられたと考えられいます。
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太陽社長こと岡本大助の送る『全国神社Wiki』へようこそ。 このWikiでは神社や神道にまつわる事を随時更新してゆきます。 赤城神社 〒162-0817 東京都新宿区赤城元町1−10 由緒 正安2年(1300年)、後伏見天皇の創祀に際して、群馬県赤城山麓の豪族であった大胡彦太郎重治が牛込に移住した時に、本国の鎮守であった赤城神社の御分霊をお祀りしたのが始まりだといわれています。 その後、大胡氏の後裔にあたる牛込氏が、牛込早稲田の田島村(今の早稲田鶴巻町 元赤城神社の所在地)に鎮座していたお社を寛正元年(1460年)に太田道潅が神威を尊んで、牛込台(今の牛込見付附近)に遷し、さらに弘治元年(1555年)に、大胡宮内少輔(牛込氏)が現在の場所に遷したといわれています。 境内にカフェが併設されている神社 カフェが併設されているだけでなく、寄席を行ったりマルシェを開くなど、参拝した方が「ヒトイキ」つける場所を目指している珍しい神社です。 image2.jpg
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太陽社長こと岡本大助の送る『全国神社Wiki』へようこそ。 このWikiでは神社や神道にまつわる事を随時更新してゆきます。 御髪神社 〒616-8390 京都府京都市右京区嵯峨小倉山田淵山町10-2 御髪神社とは 御髪神社は日本で唯一の髪の神社です。 化粧品や洗髪剤、育毛剤、カツラなど理容と美容両方における始祖を祭神とする珍しい神社として知られています。 髪を大切にする人はもちろん、理容師や美容師を目指す人も頻繁に訪れています。 祭神 藤原采女亮政之(うねめのすけまさゆき) 由緒 亀山天皇(1259-1274)の時代、藤原鎌足の末裔で皇居の宝物の守護にあたっていた武士、北小路左衛尉藤原基春卿は下関で紛失した宝刀(九王丸)の探索をしていました。 その間、基春卿の三男である藤原采女亮政之(うねめのすけまさゆき)は生活費を稼ぐために庄屋の婦女の髪を結う仕事を始めました。 これが日本における髪結いの起源だと言われています。 建武2年(1335年)に采女亮政之が亡くなった後も、その髪結いの技術は幕府で長く重宝されました。 昭和36年(1961年)に亀山天皇陵近くの小倉山に御髪神社が建てられました。 石碑 明治30年(1897年)、長野理容組合により信州の善光寺に采女亮政之の石碑が建てられました。 この石碑は平成24年(2012年)に理容遺産の第1号に認定されています。
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太陽社長こと岡本大助の送る『全国神社Wiki』へようこそ。 このWikiでは神社や神道にまつわる事を随時更新してゆきます。 軽部神社(かるべじんじゃ) 〒719-1172 岡山県総社市清音軽部 0_00001152_GAZOU1_n 軽部神社とは 地元で「王子の宮」とも呼ばれる軽部神社は、建武元年(1334年)、当地に勢力を張った福山城主・大江田氏が紀伊国・熊野より速玉男命・事解男命・伊弉諾命を勧請し、軽部山に社殿を建立したのがはじまりであるとされます。その後、延宝6年(1678)に天照大神・国常立命をあわせて現在の地に移転造営。明治2年(1869)、それまでの「五社王子権現」から「軽部神社」に社号があらためられました。 別名・おっぱい神社 乳神が実際に祀られているわけではありませんが、その昔、境内に樹齢400年の「垂乳根の桜(たらちねのさくら)」と呼ばれる見事な枝垂れ桜がありました。「垂乳根の」は古代より「母」「親」にかかる枕詞。毎年春になると美しい花を咲かせた垂乳根の桜は、それ自体が崇拝の対象となるとともに、枕詞としての「母」「親」という意味が加わり、いつしか当社全体が乳神様として崇敬されることとなったのでしょう。 現在、垂乳根の桜は枯れてしまいましたが、今でも安産や母乳の出を願うため、千房をかたどった手作りの「おっぱい絵馬」が数多く奉納されています。 絵馬に込められた妊婦の願い お願いごとの中でももっとも多いのは、出産後、お乳がちゃんと出ることを願ったものです。粉ミルクの製造・販売により、今日では母乳でなくても赤ちゃんが育つようになりました。とはいえ、我が子を母乳で育てたいと思うお母さんはいまでも大勢いらっしゃいます。その願いがたくさんのオッパイ絵馬にこめられているのです。 自家製のおっぱい絵馬 奉納されている絵馬には完全に手作りのものもあります。また、簡単に作成できるキットを総社吉備路商工会が企画・商品化しており、「吉備路もてなしの館」などで販売されています。
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太陽社長こと岡本大助の送る『全国神社Wiki』へようこそ。 このWikiでは神社や神道にまつわる事を随時更新してゆきます。 貧乏神神社(びんぼうがみじんじゃ) 〒395-0157 長野県飯田市大瀬木2728-1 貧乏神神社とは 日本で唯一神様を叩き、蹴飛ばし、豆を投げつける神社です。神様にお願いして、願い事を叶えてもらう神社ではありません。それに、お願いすればお願い事を叶えて下さる神様は少ないです。自分で頑張るしかないのです。弱い心である貧乏神を叩くことで心を清め、生かされている事に感謝する、このコペルニクス的考え方の転換が貧乏神神社の真骨頂です。 造営した祭主の言葉 何年も何年も冷や飯ばかりを食う本当に苦労の多い人生で、報われることがなかったので「俺に憑いている神様は貧乏神だ。間違いない」と悟った。「じゃあ自分の中の弱い心、つまり貧乏神を叩き出す参拝方法を作ろう」と思ったのだ。逆境の中を「やってやろうじゃないか!」と挽回してきた。こんな人生を歩んできたからこそ「他者の痛み」も人より理解できると思っているし、どんな相談にも相応の答えが返せると思っている。弱い心、つまり貧乏神を叩き出して「これから先は良い事あるある!」と念じ切れば元気になる。
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粟鹿神社(あわがじんじゃ) [概要] 但馬国一宮 兵庫県朝来市山東町 粟鹿神社ホームページ
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養父神社 (やぶじんじゃ) 住所 兵庫県養父市養父市場840 祭神 倉稲魂命 大己貴命 少彦名命 谿羽道主命 船帆足尼命 社格 式内社(名神大) 但馬国三宮 養父神社ホームページ
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太陽社長こと岡本大助の送る『全国神社Wiki』へようこそ。 このWikiでは神社や神道にまつわる事を随時更新してゆきます。 桃太郎神社 〒484-0002 愛知県犬山市栗栖大平853 30223 桃太郎神社とは 桃太郎神社(ももたろうじんじゃ)は、愛知県犬山市栗栖(くりす)にある神社。犬山市には古くから桃太郎伝説が存在するため、この神社が設立されました。 道路から一の鳥居、二の鳥居を経て石段を上ると、桃型鳥居と拝殿があります。敷地内の桃型の鳥居は全国的にも大変珍しいものです。このほか、桃太郎のおばあさんが洗濯をした洗濯岩などがあります。 数多く配置されているコンクリート像は、コンクリート群像作家として知られる浅野祥雲によるもの。コンクリート像は定期的にお色直しもされるなど、大切にされています。 また、毎年5月5日のこどもの日には桃太郎祭りが開催されるなど、地元では子どもの健康を祈る神社としての認識が高く、大切にされています。 おばあさんの洗濯岩 おばあさんが川で洗濯をする時、いつも同じ場所で洗濯をしていたため、岩がすり減って足跡が残ったもの。二の鳥居の前に保存展示され、おばあさんの像もあります。 桃太郎の像 拝殿のある上段部へあがる階段の前には、一般の神社と同じ形の鳥居がありますが、そのすぐ前に桃から生まれたばかりの桃太郎の立像があり、ここが桃太郎をまつった神社であることを強烈に印象づけています。 桃くぐり 桃太郎像の脇にある、小さな岩がくり抜かれた穴。そこを通り抜けることでご利益があると言われています。 すべり台 桃太郎像から上段へ上がる石段の中央を貫くように、急坂のスロープ状のものがあります。すべり台のようにも、水を流す溝のようにも見えるこのスロープは、滑りが悪いこともあってか普段はほとんど誰もすべっておらず、謎に思っている人が多数います。数十年前の写真には楽しそうに滑っている子どもたちの姿が見えることから、すべり台なのは確かですが、かなり急でコンクリート製なので、すべる時は注意が必要です。すべり台両脇の石段の途中には、柴刈りから帰ってこようとしているかのようなおじいさんの像があります。 桃形鳥居 桃をくりぬいたような形のピンク色の鳥居。鳥居には「桃形鳥居をくぐれば 悪は去る(サル)、病は居ぬ(イヌ)、災は来じ(キジ)」と書かれていて、桃太郎神社に拝するありがたさを感じることができます。またこのことから、この鳥居の正式名称が「桃形鳥居」であることもわかります。 悪運を食べるサル 桃形鳥居の西にあり、目立たないため見落としがちです。像立されてからの歴史を感じさせるように苔が生え、上半身だけのようにも見えますが、よく見ると左足をかかえて座っていることがわかります。右手を前に差し出し、口を開けているのが特徴です。 鬼の目にも涙 拝殿の東、崖のところにあるコンクリート像。「もう悪いことはしません この涙を見て下さい」と書かれ、桃太郎にやっつけられて悔い改めた姿が表現されています。 やさしい鬼 境内に数あるコンクリート像の中で、唯一、笑顔の鬼。四つんばいになって、背中に乗って遊べるようになっています。