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運命の予感 「てめっ、この野郎優しくしてりゃいい気になりやがってっ。」 「・・・分不相応な期待はするもんじゃないって事だな。そっちこそいい気になるんじゃないよ。」 「なんだと・・・。」 と、誰も居ない筈のブリーフィングルームからそんな声が聞こえてきて、それから激しく何か重量のあるものが床に叩きつけられる音がした。 「ってぇな・・・。上等じゃねぇか・・・。」 それは多分、人間の身体が叩きつけられた音で、でもそれからすぐに、何かアルミのパイプの様なものが、いくつも音を立てて散乱する音が聞こえた。どうやら、パイプ椅子がいくつも倒れたらしい。 「ちっくしょうっ。」 と、そんな声がしたかと思うと・・・、 ブリーフィングルームの扉が開いて、1期上のパイロットが左腕を押さえながらそこから出てくる。顔をしかめているのを見るとどうやらそこに怪我でもしているらしい、顔もどことなく興奮気味だ。 「どけっ。」 そいつは出てきたかと思うと、俺をおしのけるようにロッカー室の方へと歩いていった。 俺はどちらかといつもの通り横柄な態度でそいつに道を譲った。1期上とは言っても、それは幹候の話で、フライトコースでは2期下の奴になる。まだまだアラート待機にもつけない稚拙な腕前のクセに態度だけはご立派な防大出の嫌な奴だ。 誰を相手に言い争っていたのだろう、とブリーフィングルームを覗いてみると、そこには栗原がいた。 「・・・なんだ、神田か・・・。」 俺の存在に気づいて、栗原はそう言った。 言いながら、床の上に転がっているサングラスを拾い上げて、顔にかけなおしている。その一瞬見えた素顔は、右目のわずかに斜め上のあたりが赤くはれ上がっていて、頬にも打たれた様な跡や、首も締め上げられた跡が残っている。 あきらかに、喧嘩の名残を残したその顔に、 「また喧嘩か?いい加減ここに馴染めよ。そうそう飛行隊を転々とは出来んだろう。」 とそう言ってやると、 「したくてしてるわけじゃないのよ。ただ分からず屋のバカが多くってね。」 と、悪びれずにそう言う。 そのシニカルな表情は、前に見た食堂脇にいる猫達に見せていた表情とはまた違っていて、けれども、他の不特定多数に見せているような、取り澄ました無表情も違っていて、俺を困惑させた。 俺が栗原という人間をつかめずに居るのは、こんな表情のせいなのかもしれない。 「・・・そんな痣つくってちゃ、男前の顔が台無しだろう。」 と、そう言ってやると、栗原は、 「俺のこの顔がなけりゃ、喧嘩の回数なんざ半分以下になってるだろうよ。」 と、吐き捨てるようにそう言うのだ。 俺は、その意味をわかりかねて、?の表情をして栗原を見ると、 「まぁ、顔で苦労した事のねぇ、ゴリラにはわかんねぇよな。」 とそんな風に言って、にやりと笑うのだった。 「なんだよ、ゴリラっていうなよ、ひでぇ奴だな。」 その時はそんな事を言って、なんとなく他愛のない会話になって終わったのだけれど、それからまた数日して、たまたま隊員浴場に行った時の事だった。 その日は丁度借りていたアパートが断水で、いつもはいかない隊員浴場で風呂だけでも入って帰ろうと、そこに出かけたのだった。 普通は営内居住が義務付けられている若い下っ端の隊員しか居ないのだが、丁度入っていくといつも俺の機の整備をしてくれている士長が居て、俺に声をかけてきてくれた。 「神田2尉、めずらしいですね。」 「おぅ、部屋の風呂が断水でさ。でもたまにはいいな、ココ。広いしさ、サウナ付きでさ。」 「幹部浴場のほうがゆっくり出来るんじゃないですか?」 「いやー、ホラだってあそこ、狭いし汚いし、たまに司令とか入ってるし。」 と、そんな事を言ってると、 「神田じゃねぇか。」 と、後ろの方でそう呼ぶ声がして振り返ると、 「おぅ、お前も居たのか?」 声をかけてきたのは偵察飛行隊に配属になっている航空学生時代の同期だった。 「なんでぇ、BOQ組もこっちに入りに来てんのかよ。」 とそう言うと、 「・・・だってよ、BOQはシャワーしかねぇし、幹部浴場ってどうも性に合わなくってな。」 と、俺と似たような事を言っていて、とりあえず湯船の中で雑談が始まった。 そっからまた整備班の営内者がもう一人加わって、飛行班長の悪口や、食堂のメニューの美味い不味いの話、BXのクリーニング店に若い女の子が入っただとかそんなショップに居る時と変らない話をしていて、それからふと思い出したように整備班の若いのが俺に向かって訊いてきた。 「そういや神田2尉って、栗原2尉と組む事で落ち着いたんですよね?」 「・・・あぁ。」 と、俺がそう答えようとすると、 「えぇぇっ、お前アイツと組んでるのかよ?イノチ知らずなやっちゃな。」 と偵空の同期がそんな事を言う。そこにすかさず、整備の士長が 「そうですよ、神田2尉には感心します。」 周囲の言ってる意味が俺にはわからなかった。 「お前、あんな美人を独り占めにしてると、周囲がうるさくって仕方ないだろう?」 と同期にそう言われて、 「・・・美人・・・?」 と、意外な発言に戸惑ってそう聞き返すと、 「あ、ここに鈍感な人が一人・・・。」 と、ため息をつかれてしまう。 「神田2尉、失礼ですけど、視力は・・・?」 おそるおそる訊いてくる士長に、 「両目とも2.0、1等星なら昼間でも見える!」 といばって言うと、目の前で思いっきりため息をつかれてしまった。 「まぁ、神田2尉ですからね・・・。」 「そうだな、訊いた俺がばかだった。」 「うーん・・・。」 言われて悩む俺。 必死で栗原の顔を思い返そうとするけれど、もちろんその顔は思い出せるけれど、でもここに居る人間の言ってる意味がよくわからなかった。確かに整った顔だとは思うが・・・。 「いや、神田気にするな。そんなお前だからあの男の相棒が務まるんだろう。」 そこまで話していても、俺は同期が言いたかった事に気がつかずにいたのだが、その次の言葉に初めてそれに気づいたのだった。 「俺みたいに、BOQの隣の部屋でいつコトが始まるのか気が気じゃない状況を送ってると、ついつい気になってさ。」 笑い事のようにそう言われて・・・、そして俺はその時になって初めて、栗原がどうして喧嘩が絶えないのかその理由がわかったような気がした。 「どした?神田、黙り込んで。」 何度か目にした栗原の乱闘騒ぎも、そうやって考えれば腑に落ちる事がたくさんある、それの一つ一つを思い出そうとしていて、ついつい無口になってしまった俺に、そんな声が掛けられる。 「あー、わりぃ、ちょっとのぼせたみたい。先に出るわ。」 そう言って俺は湯船を出た。 次の日になって、俺は当然ながらショップで栗原と顔を合わせたのだったが・・・。 フライトプランの確認をしながら、俺は気づかれないように栗原の顔を検分していた。確かにキレイな顔だとは思う。 けれどそれは、例えば雑誌のグラビアの中のモデルがキレイなように、ただカタチだけの事で、俺にとって何の感慨も得られないものだった。多分栗原が女でも同じ事だと思う。俺が好きになれるのは、きっとそんな感情を抱くのは、こんな取り澄ましたような整ったキレイさじゃなくて、もっと現実味があって暖かい・・・。 微笑一つ、ふとした表情もちゃんと感情のこもった、そんな顔。 例えば、いつの日だったか栗原が食堂脇で猫に見せていたような・・・。 その表情を思い出そうとしていて、 「おい、神田、聞いてるのか??」 栗原の険しい口調に現実に呼び戻された。 「あ、あぁ。」 曖昧にそう答えると、 「いいか、ここは旋回のタイミングがずれると接触事故にもなりかねないポイントなんだ。俺や僚機もタイミングは知ってるが、万が一無線の故障なんて事になるといけないから、ここだけはちゃんと覚えてろよ。」 少しムっとした表情で眉根が寄せられていて、めずらしく感情が表に出されている、そんな顔。 こういう顔なら好きだな、と俺はそう思った。
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二世問題 「な、栗。大丈夫だ、お前に不可能はない筈だ!」 「馬鹿言ってんじゃねぇ!あっちいけこのボケがっ!!」 根拠のない説得をしつつジリジリと迫ってくる相棒から、栗原は必死で逃げ回っている。 二人が居る場所は、課業終了から幾分時間の過ぎた誰もいないブリーフィングルーム。部屋の中央にある10人は座れるくらいの大きな会議机の周りで、二人はくるくると右に左に追いかけあいっこをしている。 そもそもの始まりは夕日がラッパがなる直前のこの部屋での飛行隊のメンバーとの他愛のない会話から・・・・。 「男が生まれたら、将来は戦闘機乗りだな。」 「あ~、その頃にはイーグルだな。」 「いや、更に最新鋭のものごっついのが配備されてるかもしれねーぞ。」 来月に新妻が臨月を迎える隊員を囲んで、みんな好き勝手にものを言っていた。 話題に火をつけたのは神田2尉の心ない一言から。 「いやー、でもお前の息子だろ?腕もたかがしれてるんじゃね?」 「そうだなー、15はともかくその更に次世代機じゃあぶねーかもな。」 「あーーー、言ったな神田!!暴走パイロットのくせに!!」 「るせーな、俺様の息子なら世界一のパイロットに決まってんだろーが。お前とはレベルがちがわーな。」 「神田2尉ひどい・・・。何とか言ってくださいよ、栗原2尉。」 そう話を振られて、それまでそんな会話を黙って聞いていた栗原が口を開いた。 「神田・・・、ゴリラの子孫は残さんでいい。」 「なっ、栗ってめーーーー。」 「それに男が生まれるとも限らんだろ。お前にそっくりな女の子なんて悲劇だぜ?」 「へっ、女の子なら嫁さんにそっくりになるようにしてやるわい。お前にゃ言われたかねーよ、この凶悪ナビゲーターがっ。」 「・・・キョーアク・・・ね。」 「お前のガキはさぞかし性格が悪いに違いない!」 話はいつものように途中から神・栗の掛け合い漫才になっていた。 「俺に似た娘なら清楚な美人になるだろうし、息子なら頭脳明晰なパイロットになるだろよ、神さんと違ってね。それに、」 「それに?」 「神さんのパイロットとしての実績は、優秀ナビゲーターのこの栗原様あってのことなの。ぐだぐだ言う前に嫁さんでも探してこい。」 「ぐっ・・・。」 神田が言葉に詰まったところで パッパッパッパラパ~~~~ー♪ と無機質なラッパの音がスピーカーから流れる。 それまでバカ騒ぎしていた連中も全員が立ち上がって国旗の方角を向いた。栗原は勝ち誇った顔で、神田はまだ何か言いたそうに唇をかみ締めて。 パッパラパッパッパ~~~♪ 「よーし、終わりだ終わりだ、帰りまーす。」 部屋に居た何人かはもはやフライトスーツも着替え終わってバタバタと家路を急ぎ始めた。 「何?まだ何か言いたいことでも?」 「るせぇ、今探してるところだっ。」 「まぁまぁ、お二人とも落ち着いてくださいよ~~。」 それ以上続けられると帰りにくいのか、それまで黙って雲行きを見守っていた水沢が二人の間に割って入った。 だが、そこまではいいとして、こういう時にくだらない事を口走る奴はかならずいるもので・・・。 「そんなに揉めなくても、栗原さんが神田さんの子供生めばすべて解決するんじゃないんですか?」 そんな水沢の言葉に 「ナルホド・・・、そりゃ世界一の戦闘機乗りが生まれるな・・・。」 と西川がそれに賛同する。 それを当の神田・栗原が聞き逃すわけもなく、 「みずさわ~~~~っ!!」 「に~し~か~わ~~~~。」 思いっきり二人から睨み付けられ、あえなく玉砕。西川・水沢コンビも我先にと部屋から逃げ出していく。 そして二人だけが残された。 「・・・栗、お前確か『俺に不可能はない』、とかほざいてたよなぁ?確か・・・。」 と神田が栗原に詰め寄った。 「な・・・、何?神さん・・・。」 「水沢が言った事もあながち間違いじゃねぇ。お前に子供が生めりゃあ、すべて解決だ。」 「・・・あ・・・アホな事言うな。こら!それ以上近寄るんじゃない!!」 「いやー、怯えた顔もかわいいねぇ~。」 「うわーっ、冗談でもやめろーーー、シャレにならんだろうがっ!!」 冗談なのか、本気なのか、神田が栗原を追い詰め襲い掛かろうとした所で、ブリーフィングルームと扉が開けられた。 「神田2尉ー、栗原2尉ー、まだ帰んないんスか?ショップ閉めたいんスけど・・・。」 扉を開けた隊員ののんきな声に栗原はほっと胸を撫で下ろした。 「た・・・たすかった・・・。」 「おら、栗、帰れってさ。」 さっきまでの鬼気迫る襲いっぷりはどこへやら、神田はもう帰り支度を済ませてスタスタと部屋から出て行こうとしている。 「悪い、じゃ後よろしくな。」 閉めにきた隊員にそう言葉をかけて栗原も後に続く。 廊下の向こうでは神田の元気のいい声がこだましていた・・・。 「よーし、栗、帰ったら続きやっからな!」
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Cross over the Line 1 「おぅ、ちょっと栗の印鑑借りるぜ。」 と、めずらしく飛行隊の事務室の方に現れた神田は、事務処理用に飛行隊全員分の印鑑が集められて収められているケースの中から栗原の印鑑を取り出した。 「あー、ちょっ、ダメですよ神田2尉。」 「るせーな、ちょっと栗の代わりにハンコ押すだけだからよ。」 「そんな勝手に・・・、また怒られても知らないっすよ?」 「るせぇ、借りてくぞ。すぐ返すからよ。」 と、強引に自分のと栗原のと2つの印鑑を手に入れて、神田はそこを立ち去る。 そして、ものの10分もたたないうちにまたそこに戻って来て、 「ほら、返すぞ。」 と言いながら、再び印鑑ケースのフタを開ける。 「神田2尉、ちゃんと元あった場所に戻して下さいね。後で整理すんの大変なんすから。」 「わーってらい。あ、俺が栗の印鑑借りてった事は、栗には内緒な?」 「はぁ?まぁいいですけど。何に使ったんすか?」 「それは秘密だ。」 本当はやってはいけない事をやっておきながら、悪びれずにそう押し切る神田に、そこの係の隊員は苦笑しながら神田から取り上げた印鑑ケースの中を点検する。神田がちゃんと同じ場所に戻しているか確かめるのと、ついでにたまには五十音順に全部きっちり並べ直しておこうと思ったからだ。 「まさか、婚姻届とかじゃないっすよね?」 そして、ふと思いついたかのように口に出されたその隊員の言葉に、、 「あー、そっか。それいいじゃん。お前なんで先にそれ教えてくんねぇんだよ。もっかい貸してくれっ。」 と、神田はもう一度印鑑ケースをその隊員から奪おうとしたが、 「・・・ダメです。そんな目的ではお貸ししませんから。」 とキッパリハッキリ断られるのだった。 「ケチな奴だな、お前。」 「栗原2尉に言いつけますよ?」 「そっ、それは困る。くそっ、じゃあまたな。」 そして、神田が密かにそんな事をしていたのが、1週間ほど前の事で・・・。 「栗っ、ハワイ行こうぜ、ハワイ。今週末から。」 と、飛行隊の中にある休憩室の扉を勢いよく開けた神田は、栗原の姿を見つけるなりそう切り出した。そしてその手にはいくつかの茶封筒と紙束を抱えている。 そんな神田に、栗原はテーブルに広げた新聞に向けていた顔を僅かにあげる。 「は?今はゴールデンウィークでも盆暮れ正月でもないんだぞ?」 何をバカな事を言ってるんだ、とでも言いたげに、素っ気無くそれだけ言って栗原はまた視線を新聞の上に落とした。 だが、神田の方もそれで引くわけでもなく、近寄ってきて栗原の向かいに腰を下ろすと、そのテーブルの上に持っていた書類をドサドサと並べた。 「こら、人が新聞読む邪魔すんな。・・・って、何だよ、これ。」 神田を窘めようとして、けれど栗原は神田が持ってきた紙束を見て、それを途中でやめてしまう。そこにあったのは、二人分の休暇届だとかそんな事務書類ばかりだったのだ。そして茶封筒が一つと。 「アラートん時の代休使っちまおうぜ。金曜最終便で出りゃ丁度3日分代休使って4泊6日だ。」 と、得意げに休暇をとって旅行しようぜ、の計画を語る神田を前に栗原の口からはため息がもれた。 「あのねぇ、代休たって、今から申請あげて間に合うわけないでしょうが。それも海外なんてとても・・・。」 「ところが、それが大丈夫なんだな。」 ため息ついでにそうゆっくりと諭そうとする口調の栗原に、神田は得意げに机の上から数枚の紙を持ち上げて、ヒラヒラと栗原の眼前にかざして見せた。 「何だ?休暇申請書・・・って、既に決済降りてんじゃねぇかよ。」 「その通りっ。ほれほれ、見ての通り、休暇も海外渡航申請ももう取ってあるんだなー。後は栗がオーケーするだけなのよ。」 「・・・たく、人の印鑑勝手に使いやがって・・・。チケットは?」 「ふふふ、もちろん手配済みだ。」 だんだんと調子に乗ってきて得意満面に神田に対して、栗原の表情は明らかに翳りはじめていた。ここしばらく神田が自分に隠れて何かコソコソとしている事には気づいていた栗原だったが、まさかここまで完璧に欺かれているとまでは思っていなかったのだ。 神田の突っ走った行動に付き合わされる事実に対してもため息が出るが、そんな神田をそうなる前に制御しきれなかった自分の愚かさに、ますますため息の深くなる栗原だった。 しかし、結局最後には負けを認める。 「・・・しょうがない、付き合うか。・・・二人で行くのか?」 栗原が一応そう確かめると、 「当たり前だろー。」 と、神田は栗原が承諾した事も受けて、更に満面の笑みで当然のようにそう答える。 そして、栗原はまた深いため息をつくのだった。 「・・・また周りに何言われるか・・・。」 「そこは婚前旅行だって、開き直るんだ。」 「アホか。悪ノリされてシャレで済まなくなったらどうすんだ。」 近頃では二人の仲の良さは飛行隊に知れ渡っていて、何かにつけ揶揄されてしまう。別にそれはそれで非難されるわけでも、二人がそれを気にするわけでもないのだが、できれば穏便に済ませたり、そっとしておいて貰いたいというのが本音でもある。 二人で行くなら、それはそれで何か旅行の目的をでっち上げないとマズイかな、と栗原が色々思考を始めたところで、神田が少し改まって、栗原に話を切り出した。 「・・・っていうのは冗談でさ。実は招待状が来てたんだよ。エアチケット付きで。」 と、一番下にあった茶封筒から、チケットの綴りと、綺麗な装飾と飾り文字のついた白い洋封筒を取り出す。 「誰から?」 神田から、見てみろと差し出されたその洋封筒を開きながら栗原はそう尋ねる。 「伊達。読めばわかるけどさ。なんかやっぱり結婚式をやりたいみたいで、ハワイで内輪だけでやるんだとさ。で、その招待状。」 ふぅん、と栗原は手にした招待状をながめた。 「へぇ、今更って感じもするけど・・・、チケット付きっていうのが気が利くねぇ。」 伊達夫妻も長女が生まれてからもう3年近くになる。最近になってようやく四六時中娘の傍に付いていなくてもよくなった、と言っていた事を栗原は思い出した。やっと余裕が出てきた、というところなのだろう。 「じゃあ、行くしかないみてぇだな。」 二つに折られた招待カードな内容を一通りチェックして、そして栗原はそう言いながらカードを再び封筒にしまった。 そして、 「神さんが俺を騙して黙ってた事は、この煩わしい手続き書類一式俺の代わりに書いてくれたって事で勘弁してあげよう。」 と、神田の方に顔を向け、唇だけで薄く笑って栗原はそう続けた。 「・・・ごっ、ごめんなさいっ。黙ってた事は俺が悪かった。謝るから許して。」 と、神田は今更ながらに、栗原を謀っていた事の重大さに気づく。 酷く叱られるかも、と危惧してとりあえず平伏する神田だったが、それに対して栗原は、 「いいけど。・・・神さん、ちゃんと自分の荷物は自分で用意するんだよ?俺手伝わないからね。」 と、今度はもう少しだけ穏やかにそう告げるだけだった。
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Cross over the Line 1 「おぅ、ちょっと栗の印鑑借りるぜ。」 と、めずらしく飛行隊の事務室の方に現れた神田は、事務処理用に飛行隊全員分の印鑑が集められて収められているケースの中から栗原の印鑑を取り出した。 「あー、ちょっ、ダメですよ神田2尉。」 「るせーな、ちょっと栗の代わりにハンコ押すだけだからよ。」 「そんな勝手に・・・、また怒られても知らないっすよ?」 「るせぇ、借りてくぞ。すぐ返すからよ。」 と、強引に自分のと栗原のと2つの印鑑を手に入れて、神田はそこを立ち去る。 そして、ものの10分もたたないうちにまたそこに戻って来て、 「ほら、返すぞ。」 と言いながら、再び印鑑ケースのフタを開ける。 「神田2尉、ちゃんと元あった場所に戻して下さいね。後で整理すんの大変なんすから。」 「わーってらい。あ、俺が栗の印鑑借りてった事は、栗には内緒な?」 「はぁ?まぁいいですけど。何に使ったんすか?」 「それは秘密だ。」 本当はやってはいけない事をやっておきながら、悪びれずにそう押し切る神田に、そこの係の隊員は苦笑しながら神田から取り上げた印鑑ケースの中を点検する。神田がちゃんと同じ場所に戻しているか確かめるのと、ついでにたまには五十音順に全部きっちり並べ直しておこうと思ったからだ。 「まさか、婚姻届とかじゃないっすよね?」 そして、ふと思いついたかのように口に出されたその隊員の言葉に、、 「あー、そっか。それいいじゃん。お前なんで先にそれ教えてくんねぇんだよ。もっかい貸してくれっ。」 と、神田はもう一度印鑑ケースをその隊員から奪おうとしたが、 「・・・ダメです。そんな目的ではお貸ししませんから。」 とキッパリハッキリ断られるのだった。 「ケチな奴だな、お前。」 「栗原2尉に言いつけますよ?」 「そっ、それは困る。くそっ、じゃあまたな。」 そして、神田が密かにそんな事をしていたのが、1週間ほど前の事で・・・。 「栗っ、ハワイ行こうぜ、ハワイ。今週末から。」 と、飛行隊の中にある休憩室の扉を勢いよく開けた神田は、栗原の姿を見つけるなりそう切り出した。そしてその手にはいくつかの茶封筒と紙束を抱えている。 そんな神田に、栗原はテーブルに広げた新聞に向けていた顔を僅かにあげる。 「は?今はゴールデンウィークでも盆暮れ正月でもないんだぞ?」 何をバカな事を言ってるんだ、とでも言いたげに、素っ気無くそれだけ言って栗原はまた視線を新聞の上に落とした。 だが、神田の方もそれで引くわけでもなく、近寄ってきて栗原の向かいに腰を下ろすと、そのテーブルの上に持っていた書類をドサドサと並べた。 「こら、人が新聞読む邪魔すんな。・・・って、何だよ、これ。」 神田を窘めようとして、けれど栗原は神田が持ってきた紙束を見て、それを途中でやめてしまう。そこにあったのは、二人分の休暇届だとかそんな事務書類ばかりだったのだ。そして茶封筒が一つと。 「アラートん時の代休使っちまおうぜ。金曜最終便で出りゃ丁度3日分代休使って4泊6日だ。」 と、得意げに休暇をとって旅行しようぜ、の計画を語る神田を前に栗原の口からはため息がもれた。 「あのねぇ、代休たって、今から申請あげて間に合うわけないでしょうが。それも海外なんてとても・・・。」 「ところが、それが大丈夫なんだな。」 ため息ついでにそうゆっくりと諭そうとする口調の栗原に、神田は得意げに机の上から数枚の紙を持ち上げて、ヒラヒラと栗原の眼前にかざして見せた。 「何だ?休暇申請書・・・って、既に決済降りてんじゃねぇかよ。」 「その通りっ。ほれほれ、見ての通り、休暇も海外渡航申請ももう取ってあるんだなー。後は栗がオーケーするだけなのよ。」 「・・・たく、人の印鑑勝手に使いやがって・・・。チケットは?」 「ふふふ、もちろん手配済みだ。」 だんだんと調子に乗ってきて得意満面に神田に対して、栗原の表情は明らかに翳りはじめていた。ここしばらく神田が自分に隠れて何かコソコソとしている事には気づいていた栗原だったが、まさかここまで完璧に欺かれているとまでは思っていなかったのだ。 神田の突っ走った行動に付き合わされる事実に対してもため息が出るが、そんな神田をそうなる前に制御しきれなかった自分の愚かさに、ますますため息の深くなる栗原だった。 しかし、結局最後には負けを認める。 「・・・しょうがない、付き合うか。・・・二人で行くのか?」 栗原が一応そう確かめると、 「当たり前だろー。」 と、神田は栗原が承諾した事も受けて、更に満面の笑みで当然のようにそう答える。 そして、栗原はまた深いため息をつくのだった。 「・・・また周りに何言われるか・・・。」 「そこは婚前旅行だって、開き直るんだ。」 「アホか。悪ノリされてシャレで済まなくなったらどうすんだ。」 近頃では二人の仲の良さは飛行隊に知れ渡っていて、何かにつけ揶揄されてしまう。別にそれはそれで非難されるわけでも、二人がそれを気にするわけでもないのだが、できれば穏便に済ませたり、そっとしておいて貰いたいというのが本音でもある。 二人で行くなら、それはそれで何か旅行の目的をでっち上げないとマズイかな、と栗原が色々思考を始めたところで、神田が少し改まって、栗原に話を切り出した。 「・・・っていうのは冗談でさ。実は招待状が来てたんだよ。エアチケット付きで。」 と、一番下にあった茶封筒から、チケットの綴りと、綺麗な装飾と飾り文字のついた白い洋封筒を取り出す。 「誰から?」 神田から、見てみろと差し出されたその洋封筒を開きながら栗原はそう尋ねる。 「伊達。読めばわかるけどさ。なんかやっぱり結婚式をやりたいみたいで、ハワイで内輪だけでやるんだとさ。で、その招待状。」 ふぅん、と栗原は手にした招待状をながめた。 「へぇ、今更って感じもするけど・・・、チケット付きっていうのが気が利くねぇ。」 伊達夫妻も長女が生まれてからもう3年近くになる。最近になってようやく四六時中娘の傍に付いていなくてもよくなった、と言っていた事を栗原は思い出した。やっと余裕が出てきた、というところなのだろう。 「じゃあ、行くしかないみてぇだな。」 二つに折られた招待カードな内容を一通りチェックして、そして栗原はそう言いながらカードを再び封筒にしまった。 そして、 「神さんが俺を騙して黙ってた事は、この煩わしい手続き書類一式俺の代わりに書いてくれたって事で勘弁してあげよう。」 と、神田の方に顔を向け、唇だけで薄く笑って栗原はそう続けた。 「・・・ごっ、ごめんなさいっ。黙ってた事は俺が悪かった。謝るから許して。」 と、神田は今更ながらに、栗原を謀っていた事の重大さに気づく。 酷く叱られるかも、と危惧してとりあえず平伏する神田だったが、それに対して栗原は、 「いいけど。・・・神さん、ちゃんと自分の荷物は自分で用意するんだよ?俺手伝わないからね。」 と、今度はもう少しだけ穏やかにそう告げるだけだった。
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DRASTIC BETTER HALF 「暑いなぁ。」 「暑いですねー。」 夏の盛りも近づいたある日の事、飛行隊のロッカー室では訓練を終えて、シャワーを使い終えたパイロット達が口々にそんな会話を交わしている。 皆一様にダラダラとした格好をしている。シャワーの後でも当然課業中なのだから、本来なら制服に着替えるか、洗い換えの飛行服を着ているべきなのだが、誰も空調設備のないロッカー室の中、そんな格好をしているものは居ない。 Tシャツ姿だったり、果ては上半身裸のままで下は短パン姿といった格好の隊員までいる始末だ。 そこへ、 「よ、西川、水沢、お疲れ。ちくしょう、暑いなー。」 とシャワー室から出てきた神田がそう声をかける。 普段どちらかと言うとキッチリしている方の西川、水沢コンビだったが、さすがに暑さに耐え切れないのか、飛行服の上半分を脱いで腰でしばった状態で、Tシャツ姿だ。 そこへ現れた神田はあろうことかトランクス一枚の姿で、そして首からはバスタオルを引っ掛けている。 「神田2尉、さすがにその格好はまずくないですか?」 「そうですよ、隊長にでも見られたらどうするんですか。最近じゃ規律規律ってうるさいのに。」 「いや、水沢。神田2尉の場合、隊長よりももっと怖い人がいるだろうよ。」 「るせぇ、二人ともゴチャゴチャ言うな。暑いものは暑いんだよ。」 神田はそう言いながらバスタオルでゴシゴシと頭を拭きはじめる。 二人の忠告など全然気に留めている様子でもない。 その時、 ばふっと音がして、そんな神田の胸元にオレンジ色の物体が投げつけられた。 神田の胸にあたって下に落ちかけたそれを神田が慌てて受け止めると、それはきれいに畳まれた飛行服で、それが投げられた方向を見ると栗原が立っている。 「こら、神田。いつまでもそんな格好でウロウロしてるんじゃねぇ。とっととそれに着換えろ!」 栗原はと言えば、もう既にきっちりと制服に着換えていて、寸分の隙もない様子でスッキリとそこに立っていた。 ついさっき、神田同様キツイ訓練で汗まみれの飛行服姿でシャワー室に入ったのが嘘のうようだ。 「どったの、栗。制服なんか来て。」 「ん、司令に呼ばれてるからさ。じゃあ行って来る。」 と、あくまでも涼しげに栗原がそこから退場すると、神田は自分のロッカーをあけてさっき栗原から投げられた飛行服をそこに放り込んだ。 そして手近にあったパイプ椅子にどかっと腰を下ろす。 「あぁーあ、そんな事して。また怒られてもしりませんよ。」 「俺ぁ、汗っかきなんだよ。汗引くまで服なんか着たくねぇや。そういうお前らこそ、ちゃんと上までキッチリ飛行服着てみろよ。」 「ヤですよ。俺だって暑いですし。それに家でカミさんにグチグチ言われんのに、ここでまでそんなミリミリしたくないっすよ。」 と、西川。それに水沢も声を合わせる。 「そうですよ。うちも奥さん怖いですから。風呂上りにパンツ一枚なんて夢のまた夢なんですから。見苦しいだの、暑苦しいだの何だのって。」 「・・・・・・いいなぁ、お前ら。ガミガミ言われるのは家でだけなんだろ?」 神田はそんな西川と水沢を見比べて、深いため息をついた。 「神田2尉、家じゃそんな格好してないですよね?」 「・・・普通に怒られそうですよね、間違いなく。」 「うるせぇ、お前ら。俺がどれくらい尻に敷かれっぱなしかわかってて、んな事聞くな!」 と、そんなやり取りがあって、その最後に水沢がぼそっと言った、 「はぁ、情けない・・・。」 と自分の事を棚にあげた一言によって、神田は一念発起したのだった。 「よぅし、今日は絶対折れねぇ。家の中パンツ一枚を押し通すぞ、俺は。」 そしてその日の夜の事。 神田と栗原の二人はいつもと同じく一緒にアパートまで帰りついた。 そして栗原が風呂をわかして食事の支度をしている間に、神田がお膳のある部屋の片付けだとか、奥の部屋に布団を敷いたりだとか、細々とした役割分担をしていて、それもいつもと同じ光景だった。 「神さん、風呂沸いたよ。先入っていいよ。」 と風呂の様子を見てきた栗原が台所からそう声を掛けると、 「んー、わかった。」 と畳みの上に座り込んで手持ち無沙汰に夕刊をめくっていた神田は、それを置いて立ち上がった。 しばらくして神田が体から湯気を立てながら風呂から戻ってくると、そのタイミングを見計らっていたのか、食卓の上には冷えたビールとグラス、それに軽くビールに合いそうな常備菜と箸が沿えられていて、 「じゃあ俺も風呂入ってくるから、それで先にやってて。」 と、栗原が手を拭きながら台所から現れた。 しかし、行儀悪くトランクス一枚の姿でその前に座った神田を見て、 「またそんな格好してる。まぁ、汗引くまではいいけどさ。」 と眉根を寄せた。 けれどその夜は今までで一番暑い熱帯夜で、実際に神田が拭いても拭いても止まらない汗を、手にしたタオルで拭っているのを見て、栗原は仕方ないとばかりにそれ以上は何も言わなかった。 そのまま何も言わずに風呂場へと消えた栗原に、神田は第一弾は成功だとほくそ笑む。そして、栗原が用意してくれたビールをグラスに注いで、そしてそろそろ始めるナイター中継を見るためにテレビを点けた。 そしていつもと同じであれば、そうやって最初の1本目のビールを飲み終える頃には、風呂から出た栗原が食卓に食事の用意をしてくれる。 もちろん皿や鉢を運んだりと神田もそれを手伝うのだが、そうやって毎日毎日自分の為に食事の用意をしてくれる栗原に神田が感謝しないわけではない。ただ、口うるさいのが鼻に付くのだ。 いつもならこの時点で服を着ていないと絶対に食事をとらせては貰えないのだ。 だが、神田は今日はもう折れないと心に決めていたので、トランクスだけのその格好を押し通している。そこへ風呂上りの栗原がやってきたのだが、 「んあっ。」 と声をあげたのは神田の方だった。 自分の格好を栗原から見咎められるだろうと、そればかりに身構えていた神田は、逆にそこに現れた栗原の格好に度肝を抜かれた。 栗原は素肌にバスタオル一枚を腰に巻きつけた状態でそこに現れたのだった。 「何?なんだ神さん、まだそんな格好してたの?」 そして、事も無げに神田にそう声をかける。 だが、そう言いたいのは神田の方で、 「くっ・・・栗っ。お前何て格好してるんだ?!」 「だって、暑いんだもんよ。神さんこそいつまでもパンツ一枚でウロウロしてるんじゃないよ。」 「お前、普段俺に言ってる事とやってる事が違うだろうがっ。」 「何で?俺は汗引いたらちゃんと服着るもんね。神さんは放っておくとどうせずっとその格好だろ?全然違わないね。」 「・・・ぐっ。」 言われて、どうにも納得のいかない神田だったが、 「とりあえず、メシ食うでしょ?用意するから運べるものから運んじゃって。」 腹は減っていたので言われるままに神田はそれに従う。 飲み終えたばかりビールの空き缶を片付けてから、少し遅れて台所に入ると、そこには神田が予想だにしなかった光景が広がっていた。 いや、普段と何も変わらない台所だったのだが・・・・・・。 栗原の格好が強烈なのだ。 さっきのバスタオル一枚の姿の上からエプロンをしていて、ぱっと見には素っ裸にエプロン一枚の姿の様で非常に扇情的なのだ。 そのまま見続けていると、自分の中で何か別のスイッチが入ってしまいそうで、神田は慌ててそこから目を逸らす。 「あ、神さん?じゃあそこに置いてるの全部運んでくれる?」 とそう言われるがままに、神田は半分上の空でそれを食卓に運ぶのを手伝った。 栗原の方はと言えば、自分のその格好が神田の精神に及ぼす影響について自覚しているのかいないのか、特に気にする様子もない。 そして食事の支度が全部終わって二人して食卓についた時も栗原はその格好のままだった。 その状態で向かい合ってただ食事をしろというのはまるで拷問のようで、神田はほとんど味がわからないままに食事を続けることになった。 とうとう耐えかねて、 「・・・なぁ、栗原。そろそろ服着ねぇ?」 「やだよ。火使ってたらまた汗かいちゃったもん。」 そんな神田の状態を知ってか知らずか栗原は取り合う様子もない。 しばらくして神田はとうとう箸を置いて立ち上がった。 「じゃ・・・俺、服着てくるわ。」 とそう言って本来風呂上りに着る筈だった服が用意されている脱衣所へと向かうのだった。 栗原の姿が刺激的過ぎて、神田は自分の身体に僅かに起こりつつある現象を止められなくなっていて、そしてさすがにトランクス一枚ではそれを隠し覆せるわけもない。 それに食事中に欲情してしまった何て事を悟られたら、後で栗原からのそれこそどんな制裁が待っているのか知れたものではなかった。 「負けた・・・・・・。」 そう一人呟いてから、神田がまたトボトボと食卓のある部屋に戻ると、そこに栗原の姿はなくて、そしてしばらくして奥の部屋から姿を見せた栗原は、もうきっちりと服を着こんでいた。 そして、 「な、やっぱりメシはきっちりしてから食べた方が美味いだろ?」 と再び食卓について、にこやかに栗原はそう言うのだった。 「・・・・・・わかっててやったな。」 と神田がうらめしそうに言い返したが、 「何のことかな?」 と軽く交わされて、神田はまた自分の不甲斐なさを呪うのだった。 一つ救いがあるとすれば、ようやく味覚を取り戻した舌に、栗原の作ってくれたその日の夕食は格別美味しかった事くらいだが。 そして次の日になって。 「どうでした?神田さん。首尾は。」 出勤した神田に、興味津々で水沢が寄ってくる。 「・・・聞かんでくれ・・・・・・。」 それへの神田の答える様子は限りなく暗い。 結局昨夜は暑くて只でさえ寝苦しいのにとんでもない、と夜の楽しみも拒否されまくった神田だった。 「はぁ、やっぱりですね。」 と、後輩の水沢から思い切りため息をつかれ、 「お前なぁ、だったら俺の身になってみろよ。そもそも栗原の・・・・・・。」 『裸エプロンが』と思わず言いかけて神田は慌てて言葉を切る。 そんな事を言おうものなら相手がいくら天然の入ってる水沢とは言え、何を突っ込まれるかわからない。 「いや、いいんだ。もう放っておいてくれ・・・・・・。」 と、神田は水沢を置いてロッカー室に入った。 いつもならそこには数人の隊員が居て、にぎやかに談笑しながら飛行服に着換えている姿が見られるのだが、その時は神田がそこに入ると、そこに居たのは栗原一人だった。 けれども栗原はもう着替えを終えていて、入ってきた神田と入れ替わるようにそこから出て行こうとしていた。 神田の様子が暗いのは、その日の朝から栗原はとっくに気づいていて、そしてロッカー室に入ってきた神田がまだ浮かない顔をしているのを見て、栗原もまたため息をつく。神田のその様子について、その理由が思い当たらない栗原ではなかった。 自分の責任だとは思いたくないが、このままそれを今日の訓練にまで引っ張るわけにもいかなくて、 「なぁ、神田。」 肩が触れ合う程の距離まで近づいて、栗原は神田にそう声をかけた。 「ん?」 「さっき気象隊に聞いた。今夜はかなり涼しくなるらしいよ。」 とそう告げて、口端に意味ありげな笑いを浮かべる。 そして、そう言われた神田の顔がパっと輝くのを確認して、 「じゃあ、今日は限界ギリギリまでやるから覚悟しろよ。」 と、栗原はすれ違いざま、更に意味ありげにそう続ける。 その「限界ギリギリ」に何を思ったのか、神田の顔はより一層明るくなって、そして崩れていったのだが。 そのままロッカー室を出た栗原は扉を閉めると、 「・・・飛行訓練の話だけどね。」 と神田に聞こえないようにそう呟いてククっと笑う。 そしていつもと変わりのない神栗のスタンスで、一日が始まるのだった。
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DISTANCE~千歳~ それは神田が千歳基地についた日の昼過ぎの事だった。 神田の任務は司令をファントムで千歳基地に送り届けて、そして3日後にまた百里に連れて帰る事だった。なぜファントムなのかと言うと、その千歳への行程がそのまま司令の年次飛行の時間消化に当てられているという無茶苦茶な計画によるもので、つまり千歳にいる3日間、神田は特にする事もなくフリーなのだ。 朝イチで百里を発って千歳についたので、基地の見学も午前中にしてしまってたし、民航のターミナルに行って忘れないうちにと早々と栗原と飛行隊への土産も買った。 そして、もう既に退屈しはじめていた。 さすがにこの時間からすすき野の繰り出すのも気が咎める。同期や知り合いがこの基地に居なくもないが、みんな仕事中だ。遊んでくれる相手もいなかった。 仕方なく、宿舎に割り当てられた幹部隊舎の一室で昼間からゴロゴロとしている。 普段は外来用に誰も使っていない部屋だから、そこにはベッドとロッカー以外何もなかった。テレビすら娯楽室まで行かないと見られない不便さだ。二人部屋だが、申し訳程度の間仕切りで仕切られた隣のベッドも誰か他の宿泊者が来るという様子もない。 「ヒマだぁ~~~~~。」 と神田が大きな声で言ったその瞬間だった。 ジリジリジリジリジリ と、廊下の方で内線電話の鳴る音が聞こえた。 このフロアには神田の他に人が居ないのか、誰も電話に出る様子がない。 「・・・なんだ、誰も出ないのかよ。」 仕方なく、神田は起きて行って電話に出る。もしかしたら自分宛の電話かもしれなかった。 予感は的中で、神田が電話に出ると、 『神田2尉ですか?部隊からお電話です。このままお繋ぎします。』 と電話口の誰かがそう言って、内線の呼び出し音の後、聞きなれた声が神田の耳に届いたのだった。 『よお、神さん。何やってた?』 声の主は栗原で、幾分からかうような響きがあった。おそらく神田がそうやって限りなくヒマしてることを予想してかけてきているのだろう。 「・・・何も・・・。退屈で死にそうだよ、栗ぃ~。」 そうやって神田が泣きつくと、電話の向こうでクスクスと笑う声がした。 「笑うなよ、ホントする事ねぇんだぞ?5時まで外にも出れねぇしよ。」 『だって、おっかしいんだもん。ヒマなら寝てればいいのに。夜遊びに備えてさ。それかテレビでも見てれば?』 「テレビもねーんだもんよ、この部屋。千歳のBOQもひでぇもんだ。」 『おまけに日当たり悪くて、廊下はギシギシ言って、食堂まで遠いだろ?』 「あれ、何で知ってんの?」 『だって、俺そこに住んでたもん。』 と、そこまで話していて、ようやく神田は栗原が以前千歳の所属だったことを思い出したのだった。どうりでやけに土産のこととかターミナルの場所だとか詳しい筈だ。 「ひっでぇ、何もないって知ってんなら、そうと教えてくれりゃあいいのによ。」 『だって面白くないじゃん?まぁ、寂しくなったら電話して来いよ。1600でこっちもフライト終了だからさ。』 「・・・・・・。」 『おい、こら神田。電話で黙り込むな。』 「栗・・・、訓練がてらこっちに飛んで来たりしない?」 『・・・アホか。新人のお守りしながらそんなマネできるか。それに・・・。』 「それに?何だよ。」 『俺が千歳なんかに行った日にゃ、塩まかれて追っ払われるのが関の山。』 アハハハと笑ってそう言った後、栗原は、 『まぁ、ゆっくりして来いよ。夜にはたんまり遊べるんだろうからさ。』 そう告げて受話器をおいたようで、神田の耳元にはツーツーという発信音だけが響いていた。 そんな電話があったから、神田は栗原が気になって仕方なくなっていた。 別に、会いたくてたまらない、だとか恋焦がれて眠れないとかそういった意味ではなくて。栗原は千歳でいったい何をやらかしたんだろうと。 もしくはどんな生活をしてたのか、とか。誰とどんな会話をしていたのだろう、とか。そんな些細なことが気になり始める。 伊達と一緒だったのは知っているが、伊達も栗原も決して千歳時代のことを語ろうとはしなかった。別に何かを隠している様子でもないのだが、それとも他だ単に思い出したくないだけなのだろうか。 この幹部隊舎だって二人部屋なのだ。栗原がここに住んでいたというのなら誰が隣のベッドに寝ていたというのだろう。 受話器をおいて、また部屋に戻ってベッドにゴロリと横になってそんな事を考えているうちに神田はウトウトし始め、そしていつしか深い眠りに落ちていたのだった。
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A Wet Nightmare 夜なかなか寝付けないでいた日の朝の目覚めはサイアクだ。神経が昂ぶっていて半覚醒の状態が続いているからだろう。 だから、ちょっとした物音にもすぐ反応してします。 その日、神田の目を覚まさせたのは、廊下で鳴り響いている電話の音だった。 それも内線の音ではなくて、外からかかっている呼び出し音だ。 誰か出ないのか? と、しばらくそれが鳴り止むのを待っていると、呼び出し音が止まる。 けれど、5秒程おいて、またけたたましく鳴り始めたその音に、神田は仕方なく外来隊舎のベッドから起き上がった。 ドアを開けて電話のところまで行き、受話器をとる。 「外来、神田2尉です。」 神田がそう名乗ると、 『神田か? ・・・俺だ。』 と、今一番神田が話をしたくない相手の声が聞こえてきた。 「・・・・・・。」 『俺だ、伊達だ。』 「お前とは話したくない。」 神田の声は不機嫌だ、そのまま受話器を置こうとするのを察して、伊達は慌てた声で思い止まらせる。 『待てよ、昨夜の事は謝る。ちょっとからかってやろうと思っただけだ、度が過ぎた。』 「・・・そんな事を言うためにわざわざ電話してきたのか?」 神田の声は幾分落ち着いてきている。けれど、いつもの彼のような陽気なトーンではなかった。 『そ、そ。お前をからかった事がバレると、後が怖ぇからよ。』 「・・・。」 伊達の言葉を信じていいものかどうかを、神田は考えていた。その言葉を信用しないのであれば、それは栗原を信用していない事につながる。 おそらく、ここ千歳に来る前であれば、否、あの写真の中の栗原を見つける前であれば、それを疑う要素は神田の中に何一つ存在してはいなかった。 けれど、神田は知ってしまったから。今の栗原の持つ雰囲気と人格が、神田と出会った事によって形成されていったものであるとするなら、あの写真の中に居た栗原は、おそらく彼の「本質」なのだろうと。 そして、伊達は神田よりもその事を良く知っている筈だと。 『なんだよ、おい。お前、まだ怒ってんのかよ。』 色々と考えあぐねて黙り込んだ神田に、受話器から伊達の声が響く。 「あぁ、いや、怒ってないさ。・・・別に、お前と栗原がどういう関係だったかとか、そんな事、俺は別に・・・。」 『何だと?神田、お前何言って・・・。』 「写真を見たんだ・・・。」 『写真って・・・。待て、神田、切るなっ・・・。』 伊達がそう叫ぶのも虚しく、神田はそこで受話器を置いてしまう。 そして、あてがわれた部屋に戻ると、ベッドの上に座り込んだ。 目覚めがよくなかったにも関わらず、眠ろうという気にもなれなかった。 目を閉じると、脳裏に栗原の姿がちらつくのだ。 何をバカな事を考えているんだ、とでも言っているかのような、いつもの冷ややかな表情の栗原が居て、そしてそれを押し退けるようにして、写真で見た栗原の姿が現れる。 その無表情な目が、じっと自分を見つめているようで、気味の悪い思いがして、神田は閉じていた目をあける。 必死でそれを打ち消そうと、今の栗原を想像しようとしても、それは何度も失敗に終わった。 「栗原・・・会いてぇ・・・。」 手近にあった固い枕を手にとって、それを抱きしめる。 百里を出てから、まだ丸一日ほどしか経って居ない。それなのにこれ程の喪失感を味わっている。神田にとっては初めての事だった。 今すぐにでも、任務の事など忘れて、ファントムを駆って百里まで飛んで行きたかった。そして、神田は会って確かめたかった。今存在している栗原が、確かに自分の知っている栗原だという事を。 それから今の自分のくだらない想像をすべて白状してしまって、いつもの様に呆れた様な、そして子供をあやすような口調で「馬鹿な奴だ。」と、言って貰いたかった。 栗原には、神田が安心して甘えていられる存在であって欲しかった。 あの写真の中のような、不安定で掴みどころのない存在ではあくて。 けれど、枕を抱きしめて目を閉じると、また不意にその不安定な表情の栗原が脳裏をよぎる。そして神田に向かって告げるのだ。「神田は俺の何を知っているの?全部理解してるつもりでいるの?」と。 「お前じゃないっ、お前じゃ駄目なんだっ・・・。」 そう叫んで、神田は無意識に手にしていた枕を乱暴に壁に叩きつけた。 枕は軽い音を立てながら壁にあたって、そのまますとん、と床に落ちた。 その音で神田は我に帰る。枕を拾いに行こうと、その落ちた方向を見ると、またそこに昔の栗原の幻が見えた。 壁に叩きつけられ、崩れ落ちた格好のままで神田を見上げている。無表情なまま、けれどその瞳の中にだけ僅かな怒りの感情を見せて。そしてその興奮からか唇だけが妙に赤い。 そんな光景が、神田をいつにない残虐な気分にさせる。 このまま消えないのならば、屈服させてやる、と。 壁際まで枕を拾いに行って、そして今度はそれをベッドの上に投げつけた。 そして、ベッドに座りなおして目を閉じると、そのまま夢魔に誘われるかのように怪しい夢の世界へと落ちていったのだった。
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Misty Night 「よーし、ボーナスも出たことだし、どっか繰り出すか!」 「いいねぇ、土浦あたりまで出るか。」 「あー、俺いい店知ってるっすよ。」 と、すっかり休日モードの隊員が口々に話し合っている。 神田と栗原は、そんな飛行隊オフィスの隅で今日のフライトの反省会をしていた。地道な努力が明日の実を結ぶ、意外に真面目なのだ。 と、そんな二人に。 「神田2尉、栗原2尉、どうですか?一緒に。」 飲み会の算段をしていた隊員が二人に声をかける。 「どうする?神さん。」 「どうするって、誘われたら行くっきゃないだろ?」 「・・・んー、俺はパスだな。昨日から風邪っぽくてさ。神さんひとりで行ってきなよ。」 「んー・・・。」 「何悩んでんだ。たまにゃ、俺の居ないところで羽伸ばしてこい。」 「じゃあ、そうさせて貰うかな・・・。」 そして神田一人がその飲み会に参加表明をした。 あとから聞いてみれば、行き先はかなりいかがわしいクラブだった。 それこそ金さえつめばなんでもさせてくれそうな。最近では土浦あたりで随分と羽振りをきかせていて、かなり大きな店になっている。 「他にいないかー、予約いれちまうぞー。」 と、その呼びかけに妻帯者までもがその誘いに乗りかけている。 愛娘が生まれたばかりの西川も例外ではない。 「お、来んのか?幸せ者のクセして。」 「女房が怖くて、ボーナスが使えるかってね。」 「おー、お前いい事いうねぇ。」 もともと過激なノリの飛行隊だ。こんな時のノリの良さは日本中探したって、滅多にはないだろう。 結局、行く人間は随分な人数になって、神田も含めて店の送迎バスを呼んでそのまま乗って行ってしまったから、栗原は一人で帰途についた。 神田と栗原が一緒に生活を始めてから、もう数ヶ月が過ぎていた。同じファントムの前席と後席についていて、そして意気投合して一緒に暮らし始めたから、周囲には再三「夫婦」だ、「新婚さん」だと冷やかされたりもした。 事実、お互いそんな関係になってしまうとは予想だにしていなかったのだが。 体を重ねるようになってからでも、もう随分になる。 不思議なくらいに相性がよくて、欲求はちゃんと満たされていた。 それでも、いつでもお互いに罪悪感を伴うのは、どこかで遠慮している部分があるからなのだろう。自分よりも自然な関係で居られる相手はきっとどこかに居る筈だ、と。 だから二人で居ても、可愛い女の子の前では一歩も譲らない。神田の女好きは昔から疑い様のない事実で、栗原も可愛い女の子は好きだ。 それが、動物的本能が求めるものなのか、それとも理性がその方向を示唆しているのかを判断できずにいたのだが・・・。 お互いに張り合いながら、けれどお互いの幸せを願っている。 けれど、そうでありながらお互い離れられなくて、狂おしいくらいに互いの体を求める日が続いたりもする。 一人、布団に包まりながら、栗原は一人でそうやって眠るのが久しぶりだということに気がついた。 どんなに疲れていても、栗原が拒否したとしても、神田は必ずその体温が触れる位置で眠ろうとするからだった。だからその体温を、肌の感触を感じずに眠りつくのはかなり久しぶりのことだ。 今頃はきっと、神田も店の女の子と上手くやっているだろう、と。もしくは二次会、三次会と流れていった席で楽しく騒いでいるの違いないと。 そんな事を思いながら眠ろうとしたとき、玄関のほうで鍵の開く音が響いた。 そして、 「ただいまー。」 と、ひたすら能天気な神田の声が響いた。 多少は酔っているのか陽気だ。 「栗ー、居ないのかー?」 確かに酔ってはいるらしく、その声が夜中だというのに随分大きい。 「ここにいるぜ。なんだ、もう帰ってきたのかい?」 奥の部屋の布団の中から栗原が声をかえると、神田はためらうことなくそこにスタスタと近寄ってきた。 「栗~。」 酔っ払い特有のテンションの高さでそう呼んで、神田はその布団に潜り込んで来た。 「酒くせぇよ、神さん・・・。」 「ん~、やっぱココが一番落ち着く・・・。」 「こら、苦しいってば。」 神田は栗原を抱きしめていた。当然、栗原の意見とかそんなのは無視だ。 「・・・お前、何で帰ってきたんだ?」 必死でその腕を振りほどこうとしながら栗原は問う。 「何で・・・って。女房が恋しくなったからさ・・・。」 「・・・女房って言うなや、ったく。なんだ?店の女の子に冷たくされたのか?」 「栗ぃ・・・好きだ・・・。」 神田の言葉は返事になっていない。甘えるように栗原に擦り寄って、その返事を待っている。子供のようだ。 「も~、離れなさいよ。」 「ん~、いい抱き心地・・・。」 栗原を抱きしめながら、神田はそう言う。 「抱き心地って・・・、女の子のがよっぽどいいだろうに・・・。」 「女の子っていいけど、細くて薄くて、なんか壊しそうで怖い。」 「・・・お前ね。」 「ここならフワフワしてなくて、安心できる。お前が一番いい。」 「俺なんかを一番にしてどうするよ・・・。」 「でも、ここがいい・・・。」 結局言いたい事だけを言って、神田は眠りについたようで、後には困り果てた栗原が残された。 せっかく一人ゆっくりと眠れると思っていたのに、狭い布団の侵入者を許したくはなかったが、この寒い夜に放り出すわけにもいかなかった。 それに、神田の体は甘えるようにしがみついていて、とれそうにもない。 仕方がなく、栗原はそのまま目を閉じる。 そして、いつもは考えまいとしている疑問が不意に襲ってくるのだった。 こうやってお互いが互いを必要とし続ける期間はあとどれくらいなのかと。 神田はこうやって本能のままに栗原に甘えてくるけれども、栗原の方も何一つ神田を必要としていないかと言えば、それは嘘になる。 別れを切り出すのは、多分神田であって自分ではないだろう、と栗原は思う。 神田がパイロットとしてもう少し成熟すれば何も複座機に乗り続ける理由もない。単座に転向して常に第一線で飛び続けて欲しいとも思う。 その時には笑って見送ってやりたいが・・・。 その日がそれ程遠い未来でもないこともとっくに気がついていたから。 「もう少し、傍に居させろ・・・。」 寝息を立てている神田に聞こえないように、栗原は小さい声でそう呟いた。
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夏の日 それは、心地よい初夏の日差しの中でのこと。 「てめぇ、何サボってやがる。」 場所は飛行隊横のグラウンド。やたらに広いこの基地には芝生の敷き詰められた原っぱがたくさんある。 けれど、そこは草が伸び放題に野放しにされていて良いわけでは当然なくて、当然ながら隊員たちの手によって定期的にキレイに刈り込まれているのが通常であった。 飛行隊総出での草刈の日。当然ながら普段は華麗に戦闘機を駆るパイロット達も例外ではなくて、キレイに雑草を刈る日なのである。 そんな中に、神田と栗原の姿もあった。 しゃがみこんで何やらゴソゴソとしていた神田が視線を上に向けると、そこには草刈鎌を片手に、何やら物騒な雰囲気の栗原が居た。 「げっ、なっ、なんだよぅ。何もサボってねぇぞ。」 「嘘ついてんじゃねぇよ、手が止まってるぞ、手が。」 右手に鎌を持つ栗原の背中には大きな麻の袋がかつがれていて、軽く紐で結わえられた口と、粗い縫い目のところどころからは、半ばぐったりとした緑色をした雑草がはみ出てユラユラとしている。 どうやら袋一杯に刈り取った雑草を指定の集積場所まで運んでいく途中のようだ。 かたや神田のほうはと言えば、手近に置かれた麻袋をようやく半分くらい満たしているに過ぎなかった。 「だってよぅ。何も手刈りなんてしなくてもよぅ、草刈機でちゃっちゃとやれば…。」 神田にしてみれば発動機付の草刈機が使えないことが不満なようで、手刈りに身が入らないようだ。草刈機の数は限られていて、毎回全員に当たるわけではない。特に最も雑草がすくすくと育つ初夏の時期はそうだ。 けれど、草刈がなかなか進まないのはそれだけが理由だけではないようで、 「神田、なんでお前の周囲だけそんな色とりどりなんだよ?」 栗原がそう尋ねたように、神田の周囲には黄色や紫や白や、それほど鮮やかではないものの、キレイは花で埋め尽くされているのだった。 「…あー、いやその。」 花とは言ってもそれは雑草の咲かせた花で、さらによく見れば、神田の傍の麻袋にはそういった雑草の花は入っておらず、緑色の草ばかりが詰め込まれている。 「何やってんだ、お前っ。草刈くらいまじめにやれっ、まじめにっ!!」 栗原が怒るのも無理はなく、誰かが遅れれば、その分ほかの誰かがその場所をカバーすることになるのだ。時間は限られている。しかし草を刈らねばならない場所はこの百里基地ではほとんど無限に近い。 「いやー、だって、ホラ。せっかくキレイに花咲いてるからさ、刈っちゃうとかわいそうかなーとか。」 しかし、その返事に栗原が切れた。 「神田…、ここはどこだ?俺たちは何をやってるんだ?」 鎌を手に、栗原の目は据わりはじめていた。 「えーっと、グラウンドで草刈の最中だったかなー。」 「そうだ、グラウンドだ。んで、ここに生えているものはなんだ?」 とそう言って栗原は足元を指差す。 「し、芝生です。」 「わかってんじゃねぇか。そうだ、芝生だ。ここはお花畑じゃねぇんだ。芝生以外は全部雑草だ。だから、刈れ。全部刈れ。すべからく刈れ。芝生以外は全部刈っちまえ。」 その物凄い剣幕に圧倒されて、神田は不承不承返事をした。 「は…はい。」 「時間内に終わらなくても、ぜってぇ手伝わねぇからな。ちゃんとノルマ分はひとりでやんなさいよ?」 …そして数時間後。 「お…終わったぞ…。」 作業の終了予定時間ギリギリに神田は集合場所に姿を現した。 「ほほう。」 栗原が、神田の作業していた場所に目を向けると、そこは発動機式の草刈機で刈り込んだかのように草足も均一に見事に刈り込まれている。 「なんだ、やれば出来るんじゃん。さすが神さん。今日はきっとビールが美味いよ。」 「まーな。これが俺様の実力ってもんよ。」 「もうちょっと早く終わってくれれば言うことはないんだけどねぇ。」 そんな会話をしながら、他の隊員も共にガヤガヤとロッカー室に戻って制服に着替えようとしていた時…。 「こらーーーーっ!!ワシの大事な畑を荒らした奴は誰じゃーーーっ!?」 窓越しにひときわ大きい司令の声が響いた。 「…畑?」 「そういやグラウンドの隅にあったっけ?」 「司令が趣味で作ってる奴だろ?」 その声に、着替え途中の隊員達がそう言いながら顔を見合わせる。 確かに飛行隊で草刈を行っていたグラウンドの片隅には家庭菜園モドキの1平方メートルばかりの畑があったのだが…。 「そういや、神田さんでしたよね。司令の畑の近くで作業してたのって。」 「そうだそうだ。畑の近くで機械が入れないから手刈りでって決めて、確か神田2尉の担当で…って。」 と、何か知らないか?といった視線が次々に神田の方へと向けられる。 そして、その当の神田はと言えば…。 「畑?」 そんな視線にキョトンとした様子でそう聞き返した。 それから色々と思考をめぐらせて、そして…。 「え、あ、あーーーっ!!アレ畑だったのかーっ?!」 頭を抱えてその場にへたり込む神田にの様子に、そこに居た全員が、神田のやらかした何かに気づいてしまうのだった。 「…まさか、全部刈っ……、いやまさかいくら神田さんだからって…。」 そして、何よりもきつい視線が神田へと向けられる。 「神さん…?」 「うっわ、だってだって。」 「だってじゃねぇだろ、アホか、お前はっ。」 「だって、芝以外全部刈れっつったの栗じゃんかぁーーっ。」 「何ーっ、俺のせいにしやがるか、てめぇっ。」 「どっ、どうしよ。ぜってー怒られる。栗ぃ、一緒に謝ってよぅ。」 「うっせぇ、一人でいきやがれ。」 そして数ヶ月後。 「…お、そろそろ、キュウリがいい感じだねぇ。」 夏もまっさかりのグラウンドの隅。そこはキレイに囲いがされて、そして数本ずつ様々な作物が育てられていた。 「栗、見てねぇで手伝え。」 「やだよー、だって特命受けたの神さんじゃんー。」 そう、あれから司令にしこたま説教を食らった神田は、さらに罰として畑仕事を命じられていたのだった。 「あ、これそろそろ食べごろかも。」 「勝手に採るんじゃねぇ、こら。」 「まぁ、いいじゃん。黙ってりゃわかんねぇだろ?」 と、時たま畑を覗きに来る栗原は、いつも決まって手に小さい袋を用意している。 「ナスはシギ焼きと麻婆茄子どっちがいいかねぇ。」 そして、そんなことを言いながら、目立たない場所から勝手に「収穫」していくのだ。 いつも要領だけはとても良い、それでいて暴虐武人な栗原に、 「うっ、どっちも美味そー。」 そうやって好物をチラつかされて文句も言えなくなる神田だった。
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I’d Start A Fire もぞもぞ、と栗原の背中の方で何かが動いている。最近は隣の布団で寝ている筈の相棒に、背を向けるようにして寝る癖がついている。 (おーい、神田、どうでもいいが布団をまくったままにするな、寒いだろうが。) 寝たフリをしたままだと、ずっとこのままにされそうだと考えて、栗原はそのまま神田がいるであろう方向へと寝返りをうった。 「さっきから何がしたいんだ、お前は?」 暗がりにぼんやりとだが、そう言われて神田はバツの悪そうな顔をしている。 「いや・・・その。」 「俺のフトンに入りたいのかそうじゃないのか、さっさと決めてくれ。俺は寒いんだ。」 「え、いいの?」 栗原の言葉に神田の顔が輝く。 「人が寝ようとしてるのにゴソゴソされちゃ迷惑なんだよ。ただし、俺に指一本触れるんじゃないよ?」 「栗~。」 栗原の最後の方の言葉を聴いているのかいないのか、神田は嬉々としてそこに潜り込んできた。 狭い布団の中でのこと、並んで寝ているとどうしてもお互いの肩が触れ合ってしまう。 まぁ、これくらいは仕方がないか、と諦めて栗原は目を閉じた。だが、顔にかかる熱い息に、すぐにその目を開ける。神田の顔がそこにあった。 嗜めるよりも早く、神田の唇が栗原の頬をとらえて、軽いキスをする。 「神田?約束と違うぞ?」 「違わない、俺は指は触れてない・・・。」 言いながら、栗原の細い顎の線を唇でなぞっていく。 「神田!」 「これくらいさせろよ、でないといつか暴走しちまいそうだ。」 その日の昼のこと・・・。 「神田さんは、もっと栗原さんを大事にしてあげたほうがいいですよ。」 朝のフライトをおえて帰ってきた神田に、能天気な後輩の声がかかる。 フライト終了後の二人の行動は対極的だ。神田はいち早く飛行隊の建物の脇にある自動販売機で飲み物を買い、ブリーフィングルームの端っこの机で朝の読みかけの新聞をひろげる。栗原の方はと言えば、その隣の席で訓練内容の報告書にペンを走らせている所である。 同じ飛行隊で二人の行動を見ていれば一目瞭然なのだが、訓練計画を上げるのも栗原、ブリーフィングの内容をメモしているのも栗原、チェックも栗原、プランチェックも栗原、すべてにおいてそんな調子なのだ。 そんな煩雑さに追われて、昼休みになれば、元気が有り余ったまま筋トレに励む神田と対照的に栗原は1階のロッカー室の隅で寝ている姿がよく見られる。 そんな栗原を気遣う同僚や後輩からは、時折神田には非難の声があがるのだが。 「だってよー、栗がやったほうがいい事は栗がやった方が確実なんだからよ。」 「そうそう、神さんにまかせておくとメチャクチャになっちまうからね。」 と、二人はそんな調子で取り合わない。 「さて、と。」 報告書をはさんだバインダーを閉じた栗原は立ち上がって格納庫側の出口へと向かって歩き始める。それを見た神田が、 「お、どこ行くんだ?栗。もうすぐメシの時間だぜ?」 「ちょっくら整備格の方に行ってくるよ。計器の調子がイマイチだったんでね。神さん、メシは先に行っていいよ。」 そのまま鉄扉をあけて出て行く栗原を見送って、神田も席を立つ。 「さてと、じゃあ俺はちょっくら早メシにでも行ってくるかな。」 そんな神田の態度に、 「神田さ~ん!」 「神田2尉!!」 と周囲から半分諦めたような非難の声があがる。 「るせぇ、いいんだよ。俺がいたほうがいいときゃ、栗も声をかけるさ。それにな・・・。」 「はぁ、それに??」 「俺は俺で、俺なりに栗のことは気ぃ使ってんの!」 そんな事があって・・・。 「暴走したら・・・どうなるんだ?」 そう訊ねる栗原の言葉に二人の視線がぶつかった。 「暴走したら・・・か。わからん。でも傷付けるんだろうな、お前のこと、きっと。」 「傷付くかどうかなんて、わからんじゃないか。俺は・・・。」 「その気もねぇクセに、煽るなバカ。」 栗原のその視線を、受け止めかねて神田の方から目を逸らす。 「辛いだろうに。」 「同情で体投げ出してんじゃねぇよ。そんなモン俺は要らん。」 そして、栗原に背中を向けてしまった。 その背中へと栗原は言葉を投げつける。 「人を傷つけないように振舞うことだけが優しさじゃないだろ?逃げてばっかりじゃ欲しいものは手に入らんぞ?俺が言う事じゃないかもしれんが。」 「栗、やめろ。」 「お前次第だろ・・・?」 それだけ言って、栗原もまた神田に背を向けるように姿勢を変える。 しばらくして、 「どうなっても知らんぞ?」 栗原の背中越しに神田の声が聞こえた。 僅かにかすれたような上ずった声に、栗原は再び神田の方へと向き直った。 「いいさ。全部・・・受け止めてやるから・・・。」 そのまま、抱きしめられる力の強さに栗原は体を任せた。 重なった唇からは、熱い息が交じりあう。 悲痛な叫びさえもその中へと閉じ込めるように。 「あ…、神・・・田っ……。」 しがみついて来る栗原の体を、神田はきつく掻き抱いた・・・。 「あれ?どうしたんですか?神田さん。」 「わー、めっずらしい。」 そんな声が、ブリーフィングルームの隅の机に向かう神田に次々にかかる。 次の日の朝、飛行隊の面々が目にしたのは、前日の整備点検報告と今日の訓練計画に必死で目を通している神田の姿だった。 栗原のほうはと言えば、そこから少し離れたソファに寝そべってゴロゴロしている。 いつもとは逆の光景に誰もが驚く。 「神さん、終わったかー?早くしないと気象隊のブリがはじまっちまうよ。」 「せ・・・せかすんじゃんねぇよ。くそ、頭にはいらん・・・。」 「んじゃ、俺は先に行ってコーヒーでも飲んでるよ。しっかり頑張んな。」 ケラケラっと笑いながら横を通り過ぎようとする栗原に、神田の恨みがましい声がかかる。 「栗ぃ~~。」 「神さんにばっかり、そうそういい思いばかりさせらんないかんね。」 「いいって言ったクセに・・・。」 ぼそっと言った神田のほうを栗原は振り返った。 「今・・・何か、言ったか?」 その視線に不穏なものを感じて、神田は背中を縮める。 「いえ・・・何も。」 そして、いつもと違う、神田にとっては長すぎる一日が始まったのだった・・・。