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【生まれ変わり/生まれ変わる】 関連項目 ピヨピヨクン・葡萄コレクション 意味 HNを変えブログやサイトをリセットすることで、心機一転すること。 概要 通常はコミュニティを引退するときに見られる行為だが、 ヲチスレでは特に、以下の理由によるHNの変更を総称している。 過去の失態に対する言い逃れ ただの気まぐれ 荒らしによる被害でやむを得ず(ごく稀) 起源はおなじみピヨピヨクン。 夏の奇行(海葡萄の項目を参照のこと)から一躍ヲチ対象に踊り出た彼が、 クルセイダーと名を変え再臨した際に発した言葉である。 彼はその後も何度も転生を繰り返しているが、詳細は葡萄コレクションを見ていただきたい。 実はピヨピヨクンは「生まれ変わりました!」とは一言も言っていないのだが、そこはいわゆるあれである。 以下は当時のコメント 作者名:ピヨピヨクン ケツの青かったガキも自分を取り戻しました コメント: 良く言えばRPG忘れて真面目に勉強していました。 悪く言えばまだ懲りずこの祭りに参加しました。 今までの僕はわすれてください。気が狂っていたんです。 コテ消せって言われても消さんかった時はすいません。 コテ知らなかったんだ、あとカリスさんマジすいません。 ゲーム名は考えていません。でも作品は必ず提出します。 一年に一回の紅白なんだから。 同じく生まれ変わりを経験したヨサは、転生前と比べて毒が抜けたが、 幾度も転生を繰り返す海葡萄にはまったく変化は見られない。 つまり、 「生まれ変わり」と「成長」はまったく別物である。 HNを変えたからといって過去の行いが消えるわけではないということは、 ヲチラーの諸兄も肝に銘じておいてほしい。 用例 クルセイダーに生まれ変わりました! ヨサに生まれ変わりました! 何故かリア充男に生まれ変わりました! 生まれ変わったコテ ピヨピヨクン →クルセイダー→他多数 カリノス →ヨサ クルセイダーから逃げるため。 ぽにまろ →いぬ きのさき →湯村きの
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No シナリオ名 内容 89 生まれ変わり 魔物に襲われている少年を助けると、その少年は母親を魔物に殺されたらしく、復讐のために魔物を倒したい、という。英雄妖精と旅する少年は、母親の生まれ変わりと思われるユニコーンと出会う。ユニコーンと一緒に暮らす事を決めた少年は、英雄妖精に別れ際、お礼をくれる。 ▼噂話 「僕の友達のお母さんが、魔物に殺されちゃったんだ。僕、魔物が嫌いだよ!僕も戦士さまみたいに強くなって、魔物をたくさんやっつけてやる!!」 「戦いで失った友に、そっくりな魔物を見たんだ・・・。おかしいよな・・・どうしてよりにもよって、魔物とあいつが重なって見えたのだろう。」 「深い愛情で結ばれた者同士なら、どんなに遠く離れても、きっと再び、巡り逢う事ができるでしょう。」 ▼イベント発生 発生エリア:III 発生レベル:11、16 野外で発生 ▼備考 1.野外でラバキンが魔物に襲われている。マンティコア×2との戦闘。 勝利する→2へ 撤退する→イベント終了 2.魔物に勝利した英雄妖精は魔物に母親を殺されたという少年に自分も連れて行って欲しいと頼んでくる。 はい→ラバキンがNPCとして加入する。 いいえ→イベント終了 3.数日後、野外でユニコーンに出会う。死んだ母親の生まれ変わりだと直感的に確信したラバキンはこのユニコーンと旅をする事を決意し、英雄妖精に別れを告げる。 『グラディウス』を入手(イベント終了)
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概説 再生型事例・生まれ変わり型事例 生まれ変わり事例の様々な解釈詐欺的行為・作話説 空想・偶然説 自己欺瞞説 潜在意識・子どもの記憶錯誤説 情報提供者の記憶錯誤説 遺伝的記憶説 超常的な解釈 生まれ変わり説 生まれ変わり事例の懐疑論者の反論人口の問題 アルツハイマー病 臨死体験者が考える生まれ変わり 生まれ変わりの哲学的解釈 遍在転生観との関連 概説 人は死んでも生まれ変わり、存在を繰り返すという考えの起源は古く、インドのヴェーダ聖典、ウパニシャド哲学、ヒンドゥー教、仏教などで見られ、生まれ変わり、輪廻転生が存在するという信念をもっている人々は世界でも少なくないと言われている。しかし、一言に生まれ変わりと言っても時代や地域によって、そのヴァリエーションは豊富であり、それらを俯瞰して論じることは困難であると言えるが、竹倉史人は、生まれ変わりに対し、「再生型」、「輪廻型」、「リインカネーション型」という3つの類型を設定している(*1)。再生型は歴史的にも古層にある再生観念であり、生活習俗に近いものである。輪廻型は、古代インドで発明された転生思想で「カルマの法則」と結びつき、戒律の遵守、瞑想やヨーガの実践などにより輪廻からの解脱が目指される。そして、リインカネーション型は、19世紀中葉のフランスを席巻した心霊主義の渦中で生み出され、「霊魂の進歩」が強調され、現代のスピリチュアリティ文化にも深い影響を及ぼしている。 大門正幸は、生まれ変わりという概念の基本は、「生き物には心・意識・魂などと呼ばれる肉体とは独立した部分があり、その部分は肉体が滅んだ後も消滅せず、また新たな肉体に宿る」と述べ、「再生」や「転生」と呼ばれるとも述べている(*2)。そして、大門は世界中に見られる様々な生まれ変わりの概念の分析から以下のような付加概念が挙げられるとしており、理論的には様々なパターンの生まれ変わりが考えられる。 付加概念1:生まれ変わる主体が同一性を持つかどうか 付加概念2:種族を超えて生まれ変わるかどうか 付加概念3:生まれ変わりに外的要因(例えば神的存在や因果応報)を想定するかどうか 付加概念4:生まれ変わりを「生まれ変わる主体の成長の機会」と捉えるかどうか 付加概念5:生まれ変わりに「終わり」はあるかどうか 再生型事例・生まれ変わり型事例 生まれ変わりという概念が、歴史的な宗教信仰の一形態、民話や伝承などの民俗文化に留まらず、生まれ変わりに対する科学的なアプローチによる研究がある。以下では、実際に子どもが語った前世の記憶の内容が、特定の人物の生涯や過去に実際に起こった出来事、客観的事実と極めて高い確率で一致することを突き止めている研究について触れる。 「再生型事例」「生まれ変わり型事例」と呼ばれる生まれ変わりの学術研究は、ヴァージニア大学の知覚研究所によるものが有名で、ヴァージニア大学の知覚研究所では、50年を超える研究を通して、2600以上の生まれ変わり事例を集めている。その歴史は、1950年代後半まで遡り、1957年に39歳という異例の若さでヴァージニア大学の主任教授に就任し、学問的地位を確立していたイアン・スティーヴンソンは、1950年代後半から科学知識では説明のつかない超常現象にも関心を寄せ、子どもが語った前世の記憶の内容を丹念に追跡調査する中で、幾つかの事例において事実とかなり高い確率で照合する事を突き止め、信頼性に足るとして、世界的にも権威のある医学雑誌(Journal of Nervous and Mental Disease)に発表した。 『前世を記憶する20人の子供』の中で紹介されている生まれ変わり事例の1つとして、ラヴィ・シャンカーの事例がある(*3)。 1951年7月インドのウッタル・プラデーシュ州カナウジの街に生まれたラヴィ・シャンカーは母・姉の証言によると、2、3歳のころに自分は前世では、チパッティ地区の床屋ジェゲェスワール・プラサドの息子だったと言い始めた。彼は喉を切られ、殺されて土の中に埋められといい、首の周りについている母斑は前世で喉を切られるときについた傷跡なのだと語ったという。この話は、プラサドの一人息子であったムンナの生涯と符合しており、「喉を切られて殺された」などの言葉は、ムンナが首を切離されて発見されていることからも正確だと分かったそうである。 また、他の事例としてアラスカのトリンギト族のヴィクター・ヴィンセントという人物の事例が挙げられる(*4)。 1946年にアラスカ州のアンゴーンで死んだヴィクター・ヴィンセントは姪に死ぬ1年ほど前に、姪の息子として生まれ変わり、その息子はヴィンセントと同じあざを持っているだろうと伝えたようである。ヴィンセントの死後、約18箇月後にあたる1947年12月15日に姪はコルリスという男子を産み、「生まれ変わり予告」通り、全く同じあざを全く同じ場所にもっていた。息子は話ができるようになると「ぼくはカーコディだよ」と言ったといい、「カーコディ」とはヴィンセントが持っていた部族名のようである。そして、コルリスは生前のヴィンセントが漁に行った時の話やヴィンセントが存命中のエピソードを正確に話したようである。 以上の事例は生まれ変わり事例とされる典型的なパターンであり、そのような事例には、予言・予告夢、先天性刻印、前世記憶の想起、前世の行動・嗜好といった要素が含まれる。また、一部の事例では、前世の人格の葬儀や、他界にいたという中間生記憶(これは、退行催眠で想起するものとも似通っている)、誕生時記憶などの幕間記憶を想起する子どももおり、そのような子どもは前世の人格について後に正確だったと確認された発言を多くしている事が分かっている(*5)。しかし、個々の生まれ変わり事例は、必ずしもすべての要素を含む訳ではなく、イアン・スティーヴンソンは、客観的な検討が可能な先天性刻印の要素に注目している。子どもたちが前世について語り始めるのは、2歳から5歳頃であり、5歳から8歳頃になると、通常、語るのをやめてしまうと言われる。前世の記憶は、感情の高まりと共に自発的に語られることも多く、事故に遭ったり、殺されたり、戦死したりなど、悲劇的出来事によって人生に突然終止符が打たれてしまった人物の記憶を残しているケースが多い。 生まれ変わり事例の様々な解釈 イアン・スティーヴンソンの紹介したこのような事例は前世とされる人物に関する情報を当事者が知り得たとは考えがたいものであると言えるが、このような事例について、イアン・スティーヴンソンとその後を継いだジム・タッカーは以下のような解釈を検討している(*6)。 詐欺的行為・作話説 通常の解釈として作話、詐欺行為といったものがあるが、生まれ変わりの圧倒的多数の事例で、そのような話を捏造する動機がないという事が挙げられている。子ども自身も他人に前世の事を話すことで嘲笑やいじめの対象になり、家族関係にも溝が生じるため、自ら口を閉ざすケースがある事や、前世についての作り話をしたところで、それほどの名声や金銭が得られるわけではない事は、サトワント・パスリチャ『生まれ変わりの研究 前世を記憶するインドの人々』から窺える。そして、2600以上の事例において関係者全員が芝居を打っていると考えるのは不自然であろう。 具体的には、現在貧しい環境に置かれている子どもが、裕福な過去生を送ったと主張し、出された食事を粗末だとして拒否し、昔は召使がやったと言って家の手伝いを拒絶しても、何の得にもならないと言え、そのような批判がインドの実情に即さないものである事が分かる。この他、ビルマ女性が前世が日本兵だと主張しているケースでも、前世がビルマで不人気であった日本人だと主張したところで家族にも村にも益がない事は明らかであろう。 さらに、スティーヴンソンの著作や論文を読むと徹底した調査が明らかになり、多くの情報提供者と面接していることが分かる。そのため、詐欺行為が成立するには共謀が必要になるが、大きな利得があるわけではなく、逆に悪評が立つかもしれないにもかかわらず、詐欺行為をする理由はないと言えると思われる。 空想・偶然説 子どもの空想や偶然の一致といった解釈がある。子どもが前世の話を作り上げ、前世の人格の名前を正確に言い当てたという事例の裏に正確に言い当てていない膨大な数の人たちがいるのではないかという反論がある。しかし、レバノンのスザンネ・ガーネムの事例では前世の人格に関係している人物や固有名詞を25も正確に語っているため、偶然言い当てたとする確率はゼロに近いと言える。また、ケヴィンの事例のように極めて稀な先天的欠損や母斑が、前世の人物の傷跡などと一致する場合には、偶然説に無理が出てくる。 自己欺瞞説 「前世がある」と子供が自分自身に強く言い聞かせることで、自分自身を騙しているのではないかという説である。しかし、そうした事例では「前世」についての証言の誤りも容易にわかる事が多く、前世を語る子どもたちが被暗示性が高いという事実もない。 潜在意識・子どもの記憶錯誤説 子どもがテレビや新聞などの情報や両親や近隣の人々の会話などを通して、前世の人格についての情報を知ったという解釈もある。しかし、スティーブンソンが調べたケースでは、「前世の家族」と「今世の家族」の間に交流があることを確かめられたケースは稀であり、ほとんどの場合、そうした家族間を結ぶ情報ルートは見つかっていない。また、調査した地域の多くは、ラジオ、テレビなどのマスコミが存在せず情報を得る手段がない。同一家族ではなく何百キロメートルも離れたところに住んでいた前世の人格についての正確な情報を語るという事例や家族が周りには伏せていた秘密の事柄に関する情報を知っていたという事例も多い。しかも仮に子どもがそれらの情報を得たとしても、過去生の場所や土地の見分けが可能になるとは考え難い上、それらの情報から前世が見ず知らずの他人だったと思い込む理由を説明する事も困難である。 情報提供者の記憶錯誤説 両親やその近隣者が、子供たちの証言を誤って記憶し、それを研究者に伝えたのではないかとする説である。特に生まれ変わり信仰を持つ文化圏では、生まれ変わりを証明したいという動機が人々にあるため、ある種の「誇張」が行われやすいとする説である。橘隆志も生まれ変わり事例のサンプルは臨死体験と比べてもサンプルが少なく地域に偏りがあり客観的な調査が困難である可能性を述べている(*7)。ジム・タッカーは情報提供者の記憶錯誤という可能性は生まれ変わり事例を説明する通常の概念の中では最も脈がありそうだとしているが、ビシェン・チャンド・カプールというインドの少年の事例では、両親や近隣者により子供の前世が特定される前に、既に第三者による調査で前世が突き止められている。また、子供の証言は両親によって「誇張」されることは少なく、逆に「過小評価」される傾向があるとも言われる。 なお、インドなどアジアの特定の文化圏における生まれ変わり信仰が、証言に影響を及ぼすといった考えもあるが、イアン・スティーヴンソン『前世を記憶する子どもたち〈2〉』の中では、ヨーロッパの事例が紹介され、ジム・タッカーはアメリカにも同様の証言があることを指摘している。 遺伝的記憶説 遺伝子を通じて、記憶が子孫に受け継がれるのではないか、と言う仮説である。 しかし、タッカーは前世の記憶は、現在の人格と血縁でつながっていない場合が多いと指摘している。また、直系の関係であっても、死から再生までの間隔が短い上、子どもを産んだ後の記憶が内包されている場合もある事から、この説は否定される。 超常的な解釈 通常の解釈の他に、生まれ変わりという概念ではなく他の超常的な解釈として、テレパシーや透視などの超感覚的知覚を通して前世の人格に関する情報を得たとする説もある。しかし、これらの解釈でも、子どもが日常における他の点で超能力を発揮することがないことや前世で他人だったと強く主張していること、先天性刻印などの現象を説明できない。 また、前世の記憶ではなく、霊的な何かが子どもたちに宿り記憶を語ったという憑依という説もあるが、前世の死因に関係した恐怖症などは記憶を話し始めるより前からあることが多い事や、5~8歳までの間に子どもが前世の記憶を失ってしまうという理由をうまく説明できない。 生まれ変わり説 以上のような検討を経て、ステイーヴンソンやタッカーは、記憶以外にも様々な特徴を備えている事例が多く、前世の人物が特定できた場合には、そうした特徴は全て、その人物の持っていたものと同じか極めてよく似ているという事から、生まれ変わり説が最も妥当な解釈として残ると結論付けている。 生まれ変わり事例の懐疑論者の反論 人口の問題 生まれ変わりはあり得ないと主張する人の中には、世界人口増加との矛盾を指摘している人もいる。ポール・エドワーズによれば、アーサー・H・ウェスティングは、それぞれの時代にどれだけの数の人間が生きていたかを可能な限りの情報をまとめていると言い、1981年は44億、1945年は23億、1850年は10億、1650年は5億、キリストの時代は2億、紀元前8000年は約500万だったという。そして、1981年の44億という人口は、それまで生きたすべての人間の9%に相当し、人類史の86%を占める旧石器時代全体に生きていた人間の総数を上回り、このような事実は人間の魂は人間の肉体にのみ生まれ変わると言う生まれ変わり説と相容れないと指摘している(*8)。一方、このような反論を切り崩せる論法はたくさんあると主張するジム・タッカーは、現代の人々の一部に前世があるとしても、大多数の人たちにはなかったという可能性がある事や新たに創り出される人はいないと考えて良い理由もないと述べている(*9)。また、デヴィッド・ビジャイは地球上にこれまで1050億人の人間が生きていたという推計を借用しており、21世紀後半に人口が過去最大の100億にまで達することが予測されるが、過去の人間の総数は全員が生まれ変われるくらい大きいと言う。 アルツハイマー病 アルツハイマー病患者は生きているうちから脳にひどい損傷を受け、その心の大部分は消えてしまっていると言われている。この事から、患者の死後、脳は損傷を受けるにとどまらず完全に破壊されるとき、心もまた失われると考えるのは論理的であると言う(*10)。しかし、ジム・タッカーは、記憶や人格を表出するうえで健全な脳が必要であっても、脳が記憶や人格を生み出していることにはならないと述べている(*11)。ウィリアム・ジェームズは、意識は脳によって生み出されているのではなく、脳は既に存在しているより大きな意識体から意識を伝送し、個としての日常的な意識を形成する器官であるとする説(transmission-theory)を主張している。すなわち、脳が損傷を受けた事により人の精神機能に変化が起こったからといって、精神や意識が脳から生まれているという証明にはならないと言える。この事を持ち出して、タッカーは、脳が崩壊に向かったり完全に停止したりすると、脳と結びついていた意識の流れは消え去るが、その意識を与えている存在圏(意識の源)は、元の状態を保ち、生まれ変わりと結びつくかもしれないと指摘している。 ところで、ジム・タッカーは生まれ変わりを否定しようとして持ち出す論法として、ひたすらその考えをばかげていることにするというものがあると述べているが、ポール・エドワーズの反論もまた生まれ変わり事例の本質的な部分に対し反論がなされているわけではなく、「論破されるとしか思えない」などといった意見が限界であるという印象で、その著作には人間性に不快感が感じられるような文章が散見される。タッカーは嘲笑は道理に基づく検討ができないため、その代用として使われる手段に過ぎないと述べているが、現時点で、生まれ変わり事例については懐疑論者の反論を考えても、スティーヴンソンやタッカーの結論の通り、「生まれ変わり説」が妥当な解釈として残ると考えられる。 臨死体験者が考える生まれ変わり 臨死体験者の中には、この世界とは異なる存在領域から見ると、生まれ変わりという現象は存在しないということを指摘している人が少なくない。例えば、アニータ・ムアジャーニは、次のように述べている。 これは、一つの生涯が終わり、次の生涯が始まるという従来の輪廻転生の概念が、臨死体験で私の経験したこととは異なっていたという理由によるものです。私たちが身体や思考というフィルターを用いないかぎり、時間は直線的なものではないとはっきりわかりました。もはやこの世の感覚に縛られなくなると、あらゆる瞬間が同時に存在するのです。輪廻転生の概念は一つの解釈にすぎず、私たちの知性が、すべては同時に存在していることを理解するための、一つの方法なのです。(*12) また、飯田史彦もアニータ・ムアジャーニと同様の指摘をしている。 直線的に進む時間から解放されるということは、光の世界では、「過去」も「未来」も存在しない、ということです。したがって、精神宇宙の真理というレベルで語るならば、「生まれ変わり」という現象など、存在しないんですよ。そんなわけで、もしも、「生まれ変わりは宇宙の真理なんですよね?」と問われたら、いつも私は、「少なくとも、この物質宇宙では、生まれ変わりという現象として説明されていますね(*13) さらに、臨死体験時にワンネスの体験をしたという高木善之は、光の世界では全ての生命が1つに溶け合い、1つの生命には無数の過去や無数の前世が含まれているという事を体験したと言え、この事を雨粒やガラス工場で融かされたガラスから作られたビー玉や溶鉱炉で融かされた鉄から作られた1本の釘にも無数の過去があることを持ち出して指摘している。(*14) 一方、フィリス・アトウォーターは、臨死体験者の多くは当然の事として転生をあるがままに受け入れているといい、彼らは、たった一度の人生では完璧な自己を作り上げられないから万物の唯一の源へ帰ることが出来ず、学習と成長に対する意欲によって転生を繰り返して魂が発達するという。(*15) 生まれ変わりの哲学的解釈 (以下、管理者の見解) イアン・スティーヴンソンや笠原敏雄は、誰が見ても完璧な生まれ変わり事例はこれまで1例も見つかっていないと指摘している(*16)(*17)。しかし、前世とされる人格の記憶をもち、行動的側面や身体的特徴が類似していたという事例は複数あるのであり、何をもって完璧とみなすかは結局、各人の感覚にも依存するもので、尺度もまちまちであると言える。なお、天文学者で似非科学の批判者としても有名であったカール・セイガンは、イアン・スティーヴンソンの生まれ変わり研究について、正しいと考えているわけではないが、真実である可能性があると指摘している。 また、生まれ変わり事例では厳密には何が生まれ変わるのかという事や、誰もが生まれ変わるのかという疑問もある。さらに、なぜ一部の人間にだけ前世の記憶が残り、他の圧倒的多数の人間にはそれらしき記憶が残らないのかについても現段階では疑問があり、イアン・スティーヴンソンやジム・タッカーらが明らかにした生まれ変わり事例の存在は、生まれ変わりという解釈で理解する事が妥当だという事例が存在することを示してくれるとしても、前世をもっていること(生まれ変わる事自体)が珍しいのか、前世の記憶が引き継がれる事が珍しいのかを教えてくれるわけではない。それ故、そのような生まれ変わり事例をそれ以外の人にも当てはめて一般化する事はできない。しかし、脳を超えて意識(記憶)が引き継がれる過程が存在しているケースがある事は確かであると考えられ、個としての死後生存という方向性から考えるなら、その過程にスティーヴンソンが指摘している「心搬体(psychophore)」のようなものが関係しているという可能性もあるかもしれないし、更に根本的に世界観を見直して考えるなら、タッカーが指摘しているように物質的なものは心的なものから派生するというモデルによって説明され得るのかもしれない。今日では、生まれ変わりの事例がどのような仕組みで発生するのか(今の自分とは異なる人物の情報がどのように入手されるか)について、魂または意識が個を保ち連綿と生まれ変わるといった死後生存仮説と、個人がどこかに蓄えられた全ての記憶から特定の人物の記憶を下ろしてくるといったクラウド仮説という2つの方向性から考えられると言われる。ハンガリーの哲学者であり、Aフィールドという宇宙の記憶である豊かな情報場の存在を主張するアーヴィン・ラズロや田坂広志は、後者の立場であると言え、魂の生まれ変わりを想定せず、前世を記憶する子どもの意識にのぼる想念、イメージ、印象の源は真空のAフィールドに保存されているものだという(*18)。そして、これら2つの仮説は、それぞれ、個としての自分の死後存続や死後生存といった超心理学的立場と、個体を離れた個性とは違う意識(より大きな意識)といったトランスパーソナル心理学的立場と結びついていると言えるのではないだろうか。ただ、いずれにしても物理法則によって説明できる宇宙とは異なった領域(もしくはそれを超えた働き)を念頭に置く必要が出てくる事は確かであろう。 なお、唯物論・機械論的な世界観が正しいとすれば、前世の記憶をもっている人に前世を象徴するような母斑や先天的欠損があろうと、身体を形成する物理的な作用などの因果関係の鎖に基づいた説明に一本化され、全ては単なる偶然として片付けられるだろう。しかし、哲学者のマルクス・ガブリエルが物質的なものの全体としての宇宙を存在する唯一の対象領域とみなす事に反論し、自然法則によって説明できる宇宙もまた数ある「対象領域」の1つ(存在論的な限定領域)に過ぎないと結論付けているが、世界を1つの記述レベルで説明する事の不可能性は、臨死体験や生まれ変わり事例など、しばしば超自然的だと言われる意識状態や現象を前に顕著になると考えられる。 それゆえ、物理的記述に一元化された因果関係が世界を理解する唯一の厳密に正しい方法であるという考えから離れることで、生まれ変わり事例などをより自然な仕方で理解しうる新たな地平が開かれてくるように思える。 また、臨死体験者が語る生まれ変わりについて重要な点は、この世界とは異なる存在領域から見ると、生まれ変わりという現象は存在しないということで、飽くまで、この世界においてイアン・スティーヴンソンやジム・タッカーが生まれ変わりとして解釈する事が妥当だと言う事例が存在する事を否定しているわけではないという事である。それ故、このような生まれ変わり事例は、この世界において、意識の脳を超えた側面や人間の心が肉体に及ぼす影響にはどのようなものがあるか、人間の心とはいかなるものであるのかなどを理解する上で、重要なヒントを提供してくれる可能性があると言える。 遍在転生観との関連 (以下、管理者の見解) 自我体験、独我論的体験、意識の超難問の体験を心理学の立場から調査研究し、梵我一如思想を背景にした「遍在転生観」を提唱した心理学者の渡辺恒夫は、全ての個人がそれぞれ所有しているように見える自己・自我というものは、実は唯一存在するだけであると考え、私は全ての人間だったし、全ての人間に転生するであろうといった主張をしている。この遍在転生観は、臨死体験者の証言を援用するなら、私たちの知性が、時間と空間や主観と客観の分離に基づいて、すべては1つであることを理解するための1つの方法という事になるのであろう。なお、渡辺の遍在転生観について、心の哲学まとめWikiというサイトの管理者であり、一元論的立場から他我問題の解消を試みるエレア・メビウスの見解は以下のようなものである。 自我が唯一であるというのは、他我の存在を否定するものではない。他我も自我であるというのが、遍在転生観の核心なのである。広い世界に多数の人々が存在し、それぞれが〈私〉であるというのは考え難いかもしれないが、空間的広がりのない、たとえば数学的な意味での唯一の「点」の世界に多数の人々(として認識されるなにか)が存在し、そこに唯一の〈私〉がおり、その唯一の〈私〉が様々な視点から、様々な認識をしているとイメージすれば考え易いかもしれない。 他者もおそらく〈私〉であろう。ただ〈この私〉とは見ているものが違うということだ。この場合、「同時に別のものを見ている」ということを意味しない。「同時に」という言葉が意味を持つのは時間が実在していると仮定した場合だけだ。(*19) メビウスのこのような見解は、臨死体験者が語る「全一性」とも極めて親話的であるように思える。ちなみに、渡辺恒夫は科学的方法と二元論の組み合わせは既に破産しているとし、死後の世界について直接探求するのではなく、まず「私とは何か」を探求すべきという立場であるが(*20)、寧ろそのような渡辺の形而上学的仮説である遍在転生観を臨死体験者が語る実際の体験が裏付けているようにも思える。メビウスも(渡辺恒夫と同様に)心の哲学における実体二元論は信じていないが、前世というものがあるとしたら、現在の私との紐帯となるのは永井均が言う〈私〉であろうと述べており(*21)、このような見解は、この世界に於いて、何が生まれ変わるのかという問題を考えるにあたり、哲学的ヒントを提供してくれる可能性がある事は否定できないであろう。 参考文献 中村雅彦『臨死体験の世界 死と再生の心理学』二見書房 1991年 立花隆『【立花隆対話篇】生、死、神秘体験』書籍情報社 1994年 高木善之『転生と地球 価値観の転換へのメッセージ』PHP研究所 1997年 渡辺恒夫『輪廻転生を考える 死生学のかなたへ』講談社現代新書 1996年 渡辺恒夫『〈私の死〉の謎 世界観の心理学で独我を超える』ナカニシヤ出版 2002年 飯田史彦『ツインソウル 死にゆく私が体験した奇跡』PHP研究所 2006年 飯田史彦『生きがいの創造V スピリチュアルな疑問にどう答えるか?』PHP研究所 2013年 竹倉史人『輪廻転生 〈私〉をつなぐ生まれ変わり物語』講談社現代新書 2015年 坂井祐円「生まれ変わりをどのように考えるか」『仁愛大学研究紀要人間学部篇』第19号 仁愛大学 2020年 大門正幸『スピリチュアリティの研究 異言の分析を通して』風媒社 2011年 大門正幸『なぜ人は生まれ、そして死ぬのか』宝島社 2015年 大門正幸『「生まれ変わり」を科学する』桜の花出版 2021年 田坂広志『死は存在しない 最先端量子科学が示す新たな仮説』光文社新書 2022年 ヴァージニア大学出版局著、イアン・スティーヴンソン編『前世を記憶する20人の子供』今村光一 訳 叢文社 1980年 イアン・スティーヴンソン「シンポジウムーどういう証拠があれば死後生存が信じられる」『死後の生存の科学』叢文社 1984年 所収 イアン・スティーヴンソン『前世を記憶する子どもたち』笠原敏雄 訳 日本教文社 1990年 イアン・スティーヴンソン『生まれ変わりの刻印』笠原敏雄 訳 春秋社 1998年 イアン・スティーヴンソン『前世を記憶する子どもたち2 ヨーロッパの事例から』笠原敏雄 訳 日本教文社 2005年 サトワント・パスリチャ『生まれ変わりの研究 前世を記憶するインドの人々』笠原敏雄 訳 日本教文社 1994年 ゲイリー・ドーア編『死を超えて生きるもの 霊魂の永遠性について』井村宏治・笠原敏雄・菅靖彦・橋村令助・上野圭一・鹿子木大士郎・中村 正明 訳 春秋社 1993年 フィリス・アトウォーター『光の彼方へ』角川春樹 訳 ソニー・マガジンズ 1995年 カール・セーガン『科学と悪霊を語る』新潮社 1997年 アーヴィン・ラズロ『叡智の海・宇宙 物質・生命・意識の統合理論をもとめて』吉田三知世 訳 日本教文社 2006年 ジム・B・タッカー『転生した子どもたち ヴァージニア大学・40年の「前世」研究』笠原敏雄 訳 日本教文社 2006年 ジム・B・タッカー『リターン・トゥ・ライフ 前世を記憶する子供たちの驚くべき事例』大野龍一 訳 ナチュラルスピリット 2018年 ポール・エドワーズ『輪廻体験 神話の検証』皆神龍太郎 監修 福岡洋一 訳 太田出版 2000年 アニータ・ムアジャーニ『喜びから人生を生きる! 臨死体験が教えてくれたこと』奥野節子 訳 ナチュラルスピリット 2013年 参考サイト https //www.isc.meiji.ac.jp/~metapsi/psi/7-3.htm http //www.02.246.ne.jp/~kasahara/parapsy/reincarnation.html https //w.atwiki.jp/p_mind/pages/97.html
https://w.atwiki.jp/tktkwatch/pages/118.html
【生まれ変わり/生まれ変わる】 関連項目 ピヨピヨクン・葡萄コレクション 意味 HNを変えブログやサイトをリセットすることで、心機一転すること。 概要 通常はコミュニティを引退するときに見られる行為だが、 ヲチスレでは特に、以下の理由によるHNの変更を総称している。 過去の失態に対する言い逃れ ただの気まぐれ 荒らしによる被害でやむを得ず(ごく稀) 起源はおなじみピヨピヨクン。 夏の奇行(海葡萄の項目を参照のこと)から一躍ヲチ対象に踊り出た彼が、 クルセイダーと名を変え再臨した際に発した言葉である。 彼はその後も何度も転生を繰り返しているが、詳細は葡萄コレクションを見ていただきたい。 実はピヨピヨクンは「生まれ変わりました!」とは一言も言っていないのだが、そこはいわゆるあれである。 以下は当時のコメント 作者名:ピヨピヨクン ケツの青かったガキも自分を取り戻しました コメント: 良く言えばRPG忘れて真面目に勉強していました。 悪く言えばまだ懲りずこの祭りに参加しました。 今までの僕はわすれてください。気が狂っていたんです。 コテ消せって言われても消さんかった時はすいません。 コテ知らなかったんだ、あとカリスさんマジすいません。 ゲーム名は考えていません。でも作品は必ず提出します。 一年に一回の紅白なんだから。 同じく生まれ変わりを経験したヨサは、転生前と比べて毒が抜けたが、 幾度も転生を繰り返す海葡萄にはまったく変化は見られない。 つまり、 「生まれ変わり」と「成長」はまったく別物である。 HNを変えたからといって過去の行いが消えるわけではないということは、 ヲチラーの諸兄も肝に銘じておいてほしい。 用例 クルセイダーに生まれ変わりました! ヨサに生まれ変わりました! 何故かリア充男に生まれ変わりました! 生まれ変わったコテ ピヨピヨクン →クルセイダー→他多数 カリノス →ヨサ クルセイダーから逃げるため。 ぽにまろ →いぬ きのさき →湯村きの
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森田健は、不思議現象を調査し、1996年に中国の新聞に「特異能力者募集」という内容の広告を出したところ、考古学研究所に勤め遺跡の発掘をしていると言う人から連絡があり、彼の故郷に生まれ変わりの記憶を持った人が沢山いる事を告げられた。そして、中国奥地に実在し、前世を記憶する人が集中する生まれ変わりの村(森田らがそう名付けているが現地ではそう呼ばれているわけではない)で、84人を徹底調査し、死んで生まれ変わったという本人や前世での家族を追跡取材し、生まれ変わりの過程などを『生まれ変わりの村①』(河出書房新社、2008年)~『生まれ変わりの村③』(河出書房新社、2010年)に収録している。この調査でも退行催眠によらず、生まれ変わりの話を聞き、前世とされる家にも取材に行っている。 生まれ変わりの村の特徴としてスープの伝説(後述)の他に、日本人の生まれ変わりの事例とは異なり、村の中で生まれ変わるという例が多く前世と現世の家が近いことが挙げられる。このような事から、生まれ変わった人は前世や前々世の家を訪ねているという。一方、生まれ変わる場所は近いが、前世から縁のあった家に生まれ変わるという事例はなく、生まれ変わりはランダムであるようである(*1)。また、生まれ変わった場合、周囲のことは覚えていても、自分の事は忘れていたという点も多くの人に共通していたといい、この事は、何が生まれ変わるかや「私とは何か」といった事を考えていく手掛かりとなるかも知れず、森田は「私」というものが視点だけである可能性を指摘している。また、前世でも今世でも「私」という感覚は変わらないという事について次のような質疑応答のやりとりが記されている。 「私というアイデンティティは、性が変わったことで変化はありましたか?」 「私というアイデンティティは、性の変化にまったく影響されていません。『私は私』…という感覚は女性としての前世でも、男性としての今世でも同じです。とても不思議です。」(*2) スープの伝説 また、生まれ変わりの村の特徴として、森田は忘却のスープの話を紹介している。 前世を記憶するある女性は、死んでから2年ほど経ったある日、生まれ出る寸前にあの世で、橋のたもとにおばあさんがスープを持って立っているのが見え、そこにたくさんの人間が並んでたという。しかし、おばあさんの差し出すスープを飲まずに逃げ、次の瞬間、今の肉体に生まれ変わったという(*3)。生まれ変わりの村には1つの言い伝えがあると言い、死後の世界には奈何橋(いかはし)という橋の近くでおばあさんがスープをコトコトと煮ていて、魂がこのスープを飲むと、前世の事を忘れてしまい、飲まなければ覚えているという(*4)。このようなスープの伝説がある事で、生まれ変わりの村には前世を記憶する人が多いのではないかとも言われる。 大門正幸によれば、ヴァージニア大学知覚研究所のデータの中にも記憶を忘れさせる忘却の食べ物の話が、幾つか報告されているという(*5)。具体的には、タイの子どもがお坊さんから貰った御菓子を食べたら記憶をなくしてしまうと思って食べなかったという話や、また別の子どもが桃のような果物を食べなかったという話などが紹介されているが、中には果物を食べているにも関わらず、過去生の記憶をもっていてそれが事実であると確認されている事例もあるという。このような前世の記憶を忘れない理由に関する話は、プラトンが記した『国家』に登場するエルという兵士の物語に出てくる忘却の平原や不注意の川にも通じる部分がある。 (以下は管理者の見解) 森田健の生まれ変わりの村の調査研究では、スープの伝説の他に、あの世に貨幣システムがあって買い物をしたり、服装規定があったり、中国語で会話をしたりといったようなあの世が現世的であると言える証言が多くみられる。また、森田は日本人の証言者からもスープについて語られたケースがあるといい、中国の生まれ変わりの村だけの特殊現象ではないという可能性を指摘している。あの世に関するこのような証言については、ヴァージニア大学による生まれ変わりの研究や臨死体験者の証言とは一致しない部分も多いと言え、どの程度、一般化できる話であるかは更に追究されねばならない課題の1つと言えるだろう。しかし、死後の生もまた心の創造物であり続けると考えるジム・タッカーも、人々が死後に行く世界は1つとは限らない事を指摘しており(*6)、各人の文化や信仰の違いによって意識によって作り出される現実には違いがある可能性も予想される。実際、異なった地域や異なった人々から集められた臨死体験の報告には何らかの普遍的な特性は確かに存在しても、多様性を示しており、中国奥地の生まれ変わり村の事例も、勿論それを想起している人にとっては現実であり何らかの意識状態の現われであるという可能性は否定できないだろう。 参考文献 森田健『生まれ変わりの村① 意外な前世記憶法』河出書房新社 2008年 森田健『あの世はどこにあるのか』アメーバブックス新社 2008年 森田健『続・生まれ変わりの村 スープ① あの世の証言集』河出書房新社 2012年 大門正幸『「生まれ変わり」を科学する』桜の花出版 2021年 ジム・B・タッカー『リターン・トゥ・ライフ 前世を記憶する子供たちの驚くべき事例』大野龍一 訳 ナチュラルスピリット 2018年 参考サイト http //www.moritaken.com/
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登録日:2011/08/12(金) 20 00 33 更新日:2024/03/18 Mon 22 57 59NEW! 所要時間:約 3 分で読めます ▽タグ一覧 お兄ちゃんどいてそいつ殺せない! こんな晩 めんま ホラー映画 マワルマワルマワル〜♪ 六部 小便 怪談 母と子 生まれ変わり 転生 輪廻 輪廻転生 都市伝説 生まれ変わり(怪談)とは、その通り、生まれ変わりを題材とした怪談話である。 ◇はじめに 魂という物は不滅で、人間にせよ動物にせよ、きっとまた何処かで生まれ変わるとされている。 これを輪廻転生という……。 ◇怪談その1 【こんな晩】 昔々の事じゃった。 ある夜、一軒家に旅の六部が訪ねて来た。 (六部とは、諸国の社寺を巡って修行する者の事である) 「今晩泊めて頂けませんか?」 六部は一軒家の主人に訪ねた。 しかも六部の懐には、相当の銭の入った袋が……。 それを見た主人は愛想良く六部を泊めてやった。 そして六部が寝た所を襲い、銭の袋を奪った挙句、六部を殺害したのであった。 六部から奪い取った銭で主人の暮らしは豊かになった。 やがて主人に一人の息子が生まれた。 しかし、その子は幾つになっても口がきけず、両親にはそれが悩みだった。 しかし、ある晩、 「しっこ」 と、子供が初めて口をきいた。 主人は喜んで子供を庭に出して小便をさせた。 その晩は綺麗な満月がかかっていた。 その時だった……。 「お前が俺を殺したのも、丁度こんな晩だったなァ……」 小便をしていた子供はそう言って主人の顔を見た。主人は驚いた。 そう、子供の顔は、あの時殺した六部の顔になっていたからだ……。 ◇怪談その2 【母と子】 美人の女性の人とイケメンの男性の人が結婚。 ところが生まれて来た子供は両親には似ても似つかず、醜い顔をしていました。 両親は恥ずかしくて外にも出せず、近所の人達には、 「子供は身体が弱く、生まれて来て直ぐに入院した」 という事にした。 やがて、その子供が3歳になった時でした。 両親は子供を連れて、海岸にいきました。 子供は海岸で遊んでいる途中、小便がしたくなりました。 その時、母親は崖っぷちへ子供を連れて行き、小便をしている子供を突き落としました。 近所の人達には子供は病死した事にしました。 やがて、二人の間に二人目の子供が生まれて来ました。 今度は可愛い顔をしていました。 両親は大変喜びました。 そしてその子が3歳になった時、あの海岸へ遊びに行きました。 やがて、海岸で遊んでいた子供が、小便をしたくなりました。 母親は崖っぷちへ連れて行きました。 その時だった。 子供は母親を見て睨みました。 最初に生まれて来た子供の顔になり、こう言った……。 「お母さん、今度は突き落とさないでね」 ◇怪談その3 【奪った大金】 とある田舎町の会社。 商談を終えた一人のサラリーマンが、その会社から大金を預かり、駅に向かった。 しかし、取引先を出た頃には、終電が出た後であった。 仕方なくサラリーマンは近くの民家に泊めて貰うことにした。 民家の夫婦はサラリーマンが持っていた大金に目が眩み、寝ている彼を殺害し、庭の柿の木の下に埋めた。 サラリーマンから奪った大金で、その夫婦の暮らしは豊かになった。 やがて一人の息子が生まれたが、何時も黙ったままであり、何時も柿の木の下で寂しそうに立っていた。 夫婦はそれが心配だった。 そう、上述の様に、夫婦はあのサラリーマンを殺害した後、その柿の木の下に埋めたからであった。 そしてある晩。 夫婦はサラリーマンの死体を別の所に隠す為、柿の木の下を掘った。 しかし、何故かサラリーマンの死体が見つからなかった。 夫「どういう事だ?」 その時だった。 「私なら此処にいるよ…。貴方達夫婦は私を殺し、私が取引先から預かった大金を奪った…。そして私を、この柿の木の下に埋めた…。」 狼狽える夫婦の後ろで、息子が冷たく呟いた。 それを聞いて夫婦は驚いた。 そう、その息子こそが、あの時殺害したサラリーマンの生まれ変わりであったから…。 ◇その4 【殺した恋人】 ある所に仲の良いカップルがいた。 彼氏は会社でサラリーマンをやっていた。 ある時、彼氏は会社の重役から、娘との結婚を勧められた。 重役の娘と結婚すれば、大変な地位と名誉が待っている。 そして彼氏はある日、デートにかこつけて彼女を海岸へ連れてきた。 そして…… 彼氏「俺は重役の娘と結婚する事にした…別れてくれ……。」 彼女「え…そんな…どうして……。」 彼氏「重役の娘と結婚すれば、大変な出世が待っている…君はもう用済みだ…。」 そう言って彼氏は彼女を海岸の上から海の下へ突き落とした。 重役の娘と結婚するには彼女の存在が嵩張る事と、莫大な慰謝料を請求されかねないからである。 その後、彼氏は重役の娘と結婚し、出世した。 やがて一人の娘が生まれ、その娘が小学校に入学した時だった。 お祝いに夫婦は娘を連れてドライブに行った。 訪れた先は海岸近くの公園。 娘「パパ、こっちこっち!」 娘は無邪気に父の手を引き、海岸へ。 父「おいおい、どうしてこんな所まで……ハッ!この海岸は……!」 その時、娘は父親に、冷たくこう言い放った……。 「私が貴方に突き落とされたのも、ちょうどこんな日だったね…。出世の為に私を捨てた…でもこうやって一緒になれただけでも、私は嬉しいよ…。ね?貴方…ううん……パ パ 。」 そう、その娘こそが、彼氏が出世の為に海の下へ突き落とした彼女の生まれ変わりであった…。 ◇まとめ 生まれ変わった被害者の言葉が不気味に響く……。 「こんな晩」では六部、「母と子」では最初に生まれて来た子供が、 それぞれの犯人の子供に生まれ変わり、小便をする時に悪事をばらす……。 「奪った大金」ではサラリーマンが、「殺した恋人」では元カノがそれぞれ犯人の子供に生まれ変わり、犯人にとっては曰く付きの場所で生まれ変わりである事と共に、悪事をばらす…。 「こんな晩」は、今の世代には馴染みが薄いが「母と子」はピンと来る世代が多い。 また、生まれ変わりを題材にした作品は、 ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の「日本海に添うて」 夏目漱石の「夢十夜」 などにも収録されている他、徳弘正也の「亭主元気で犬がいい」等が有名である。 ラノベ分野にも古くから存在していて、『多重人格探偵サイコ』等「終わらない昭和」が舞台の作品群は、 『魑魅魍魎戦記マダラ』の登場人物達の生まれ変わりであり、マダラシリーズは魑魅魍魎戦記の脇役達が超過去〜現代、 近未来を舞台に何度も何度も生まれ変わりミロクと戦う(殆どバッドエンド)話である。 もっとも、最後と思われる作品では、最終決戦に突入しそうで終わったシリーズや、 それに負けたと思われるシリーズの結末や、宿命を全部『厨二病』で片付けました。 お母さん、今度は追記・修正してね。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 2つ目の素でこえぇよ。 -- 名無しさん (2014-08-28 09 11 39) 意味がわかると怖い話にもあったな。 -- 名無しさん (2014-08-28 09 18 16) 美形同士の子が醜いから親に殺させるのはひどい、典型的な児童虐待だと当時小学生の私は思った -- uy (2016-03-19 22 26 50) 1つ目はもうちょっと反抗できるようになってからネタバラシしないと捨てたら片付きそう。2つ目はびっくりして取り落としそう。顔が変わったならなおさら。 -- 名無しさん (2018-02-06 15 02 06) 親子の件では別パターンもいくつかあって、たしか殺した1人目の子供のお気に入りだったおもちゃを、お腹の中の第二子が握って生まれてきたり、本人の出現はないにしろ転生を匂わせるバージョンもある。 -- 名無しさん (2018-03-23 14 51 47) その4は慰謝料請求もなく、出世も成し、愛した恋人すら手元にあるという意味では勝ち組かもしれない。恨まれてはいるが。 -- 名無しさん (2018-08-21 18 22 20) その4はある種ヤンデレ入ってる感じがする -- 名無しさん (2018-08-21 19 40 48) なんで二人目の子供も崖で小便させたんだろう? -- 名無しさん (2020-03-28 13 59 37) いつも思うんだけどこれ系のカミングアウトってけっこうリスキーだよね。まだ子供の時点でばらすともう一回始末されそう。言われるほうももちろん怖いけど言うほうも相当度胸いりそう -- 名無しさん (2020-03-28 15 26 21) 六部は実際よく襲われて路銀を奪われたらしい。そりゃ現在のように電話等が無く、ATMもないので持ち歩いている路銀は高額などが揃えばそりゃ襲われやすくもなる -- 名無しさん (2020-03-28 20 16 32) 転生したら俺を殺したヤツの子供だった件 -- 名無しさん (2021-02-01 11 35 08) 3は死体消えるなら何の問題もないな 元リーマンにしても自分の仇とはいえ親を殺すわけいかんし -- 名無しさん (2021-02-01 11 49 59) ↑でも自分に恨みを持った奴と共同生活とか心病みそう… -- 名無しさん (2021-10-25 03 22 33) 名前 コメント
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勝五郎の前世とされる須崎藤蔵の墓石(高幡不動尊 金剛寺) 生まれ変わり研究の第一人者であったヴァージニア大学のイアン・スティーヴンソンが注目した前世の記憶を語る子どもの事例として、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が1897年に発表した短編集の中で紹介されている勝五郎の物語がある。 勝五郎は、本名を小谷田勝五郎と言い、1815年に中野村(現在の東京都八王子市東中野)で生まれた。勝五郎が8歳の頃、生まれ変わりに関する話をし始め、自分の前世は、中野村から5キロメートルほど離れた程久保村(現在の日野市程久保)の藤蔵であったと家族に話したそうである。実際、程久保村に須崎藤蔵という人物がおり、勝五郎が生まれる5年前にあたる1810年に天然痘のため6歳で亡くなっている。ちなみに、藤蔵の墓は現在、高幡不動尊 金剛寺の墓地にある。 勝五郎は、まだ行った事のない藤蔵の家の様子や「父は久兵衛、母はしづと言った」ということなどを話し、両親は最初、放っておいたようでだが、「程久保村に行って久兵衛さんの墓参りがしたい」と話した。そして、勝五郎の祖母が勝五郎を連れて程久保村へ行くと、勝五郎は藤蔵の生家に駆け込んだ。藤蔵の家の人たちは、勝五郎が藤蔵によく似ていたので驚き、勝五郎が「向かいのたばこ屋のあの木はなかった」など以前と変わった様子を話し、周りの人々を驚かせたと言う。 勝五郎の話した事が事実であると分かると、勝五郎は「ほどくぼ小僧」と言われ、地元だけでなく、江戸にも知れ渡り、勝五郎の生まれ変わりに関する信頼性の高い記録が少なくとも3つ残されている。1つは、鳥取藩の支藩であった若桜(わかさ)藩の池田冠山によるもので、娘を亡くしていた事もあり、勝五郎の家を訪ね、1823年に『勝五郎再生前生話(ぜんしょうばなし)』を記した。2つ目は中野村の領主であった多門伝八郎が記した報告書である。そして、3つ目は江戸時代後期の国学者として知られる平田篤胤が勝五郎と父の源蔵から聞き取った話を記した『勝五郎再生記聞(きぶん)』である。 大門正幸は、勝五郎が藤蔵としての前世の記憶だけでなく、藤蔵の死亡時記憶、中間生記憶、胎内記憶、勝五郎の誕生時記憶といったものも持っていたと指摘しており(*1)、勝五郎の事例は生まれ変わりのサイクルを考える上でも興味深い事例であると言える。具体的には、中間生記憶として、藤蔵の死後、白い髭に黒い着物を着た老人に連れられ「あの世」に行ったという事や、生まれ変わるために勝五郎の家の様子を見たということなどが挙げられる。勝五郎の事例は、今日、文化圏にかかわらず報告のある生まれ変わり事例に当てはまるだけでなく、近年、報告されている胎内記憶を語る子どもの証言とも類似点があると言える。 勝五郎の生まれ変わりの話は、地元では口伝えで最近まで語り継がれ、日野市郷土資料館では2006年より、市民参加の「勝五郎生まれ変わり物語探求調査団」を結成している。また、勝五郎の生まれ変わりを探訪するコースとして、多摩モノレール大塚・帝京大学駅から出発して、高幡不動尊 金剛寺の藤蔵の墓地まで歩くコースも紹介され、程久保駅近くには、藤蔵の生家、藤蔵の実父が建てた馬頭観音や藤蔵が毎日遊んでいた場所だという程久保六地蔵など当時を偲ばせるものも残されている。また、中央大学の多摩キャンパス内には、勝五郎と祖母が藤蔵の生家を訪ねるために程久保村へ向かって歩いた「勝五郎の道」が残されている。 参考文献 勝五郎生まれ変わり物語探求調査団編『ほどくぼ小僧 勝五郎生まれ変わり物語 調査報告書』日野市郷土博物館 2015年 大門正幸『「生まれ変わり」を科学する』桜の花出版 2021年
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「再生型事例」と呼ばれる生まれ変わり事例の中には、子どもが前世の人格にあったとされる傷痕、致命傷と一致する母斑や先天性欠損をもって生まれてくるという事例も多くある。 ジム・タッカーが紹介した事例として、1991年にアメリカ・ミシガン州で生まれたパトリック・クリステンという人物の事例がある(*1)。パトリックには、12年前に2歳で亡くなった兄がおり、兄が亡くなったときに身体に残された3種類の欠陥がパトリックにもあった。 パトリックの兄のケヴィンは、1歳半のときに足が不自由になり、転移がんと診断され、首の右側に刺した中心静脈カテーテルを通して化学療法を受けたと言う。パトリックには生まれつき、首の右側に切り傷のように見える斜めに走る母斑があったが、それはケヴィンが中心静脈カテーテルを差し込まれた所と一致していた。そして、パトリックが4歳半になると、ケヴィンの生涯との関係を感じさせる話をするようになり、前の自宅の色を当てたり、手術を受けたことを覚えているか母親に聞いたり、ケヴィンの写真をみてそれは自分だといったりした。イアン・スティーヴンソンとジム・タッカーはパトリックが5歳の時に一家を訪問し、パトリックが足を引きずって歩いている事や、ケヴィンの生涯を匂わせるような発言していたことを述べている。なお、スティーヴンソンは、2つの母斑が別の少年のあざと偶然一致する確率について、平均的な大人の男性の肌の体表面積である1.6平方メートルを四角形、平面に直し、その中に母斑に対応する10平方センチメートルの四角形がいくつ入るかという事から計算したところ、25600分の1という結果になると計算している。(*2) ジム・タッカーはこのような母斑などの先天性刻印についての通常の解釈として、子どもの両親が、あざや先天性欠損があるために、それに該当する前世の人格の生まれ変わりと決めつけたのではないかということも検討している(*3)。しかし、子どもが前世の人格について現世で知ったとは考えられない事や、母斑や先天性欠損の中には、非常に珍しいものもあり前世の人格のものと偶然一致したとは考え難いとも述べている。実際、イアン・スティーヴンソンが紹介している写真を見ると、非常に珍しい母斑や先天性欠損がある事が分かる(*4)。また、子どもが前世の人格にあったとされる傷痕、致命傷と一致する母斑や先天性欠損をもって生まれてくるという事例の存在からは、子どもが持っている前世の記憶がテレパシーや透視といった超感覚的知覚によって得られたものではなく、実際に子どもが語っている通り、前世の人格の生まれ変わりとして存在しているということの確からしさを補強しているように思える。 また、アジアのいくつかの国では、「実験母斑」と呼ばれ、死を迎えようとしている人の体や故人の遺体に煤などで目印をつけ、その目印と一致した母斑をもった子どもとして生まれ変わってくると信じられていた。ジム・タッカーとユルゲン・カイルはタイとミャンマーに調査に出かけ、そのような事例を18例発見し、そのうち6例では子どもが前世に関する発言をしている(*5)。その一例として、1990年にタイで生まれたクロイ・マトウィセットという少年の事例が挙げられる。クロイの母方の祖母は義理の娘に男に生まれ変わりたいと言い残し、死んだ翌日、義理の娘は義母の首筋に白い練り粉で縦に目印をつけた。クロイは祖母が目印をつけられた場所に母斑があり、幼い頃に自分は祖母だったと言い、田んぼは自分のものだとも主張したり、女性的な行動もしたりしたそうである。 前世の人格を象徴した母斑や先天性欠損をもって生まれてくるという事例の存在から、イアン・スティーヴンソンは遺伝学や環境的影響による説明の限界を指摘し、前世の人格の身体的特徴などを媒介する機構である「心搬体(psychophore)」といったものを想定したように、生まれ変わり事例を理解する上で、身体、物質を超えて前世の身体的特徴が何らかの形で刻印され存続するメカニズムが存在しているという事が示唆されるのではないかと考えられる。 また、スティーヴンソンは、欧米の医学書や医学専門誌には、妊娠中の女性が強いショックを受けると、生まれた子どもに先天性の欠損が発生する事を裏付ける症例が掲載されていたという事を指摘している。18世紀~19世紀に、生理学と矛盾するとして無視されるようになる迄は、妊娠中の女性が奇形を持った人物を見てショックを受けると、生まれた子どもにそれと同じ奇形が先天的に発生するという考え方も存在していたといい、スティーヴンソンは通常の原因が考えられないにもかかわらず、妊娠中にかけられた呪いがもとになって子どもに奇形が発生したと思われる事例を3例報告している。それ故、何らかの動機さえあれば、生まれてくる人物が自らの意志によって前世時代の傷痕やあざを持ち越すことも不可能ではないらしいことが推測される。(*6) 一方、生まれ変わり事例に対する懐疑論者の主張として、意識が肉体を離れてどのように存続するかや成長する胎児にどのように影響を及ぼすかなど生まれ変わりが説明できそうな仕組みが分かっていない事や想像できないことなどが反論となるというものがある。ポール・エドワーズもヴィクター・ヴィンセントの生まれ変わり事例を取り上げ、傷がどのように転移が起こるのか想像できず原理的に観察不可能であることが致命的だと述べている(*7)。それに対して、ジム・タッカーは薬の作用機序がわからないうちから、たくさんの薬を使って治療を成功させてきたという事などを持ち出して、仕組みが分からないからその考えを棄却して良いという論法は正しくないと述べている(*8)。 ある肉体についていた母斑がどのように次の肉体に出現するかという点について、ジム・タッカーはストレスが病気の一因になるように心理的要因による体の全体的変化といった心身の相互作用から考えようとしている(*9)。また、心が生み出す体の変化として、火傷を負わされていると思ったときに火ぶくれができるなど催眠状態で暗示をかけることで肉体に様々な変化がもたらされるという報告もある。そして、前世の外傷記憶をもった心が来世に移行するとすれば、催眠の事例と同様のプロセスでそれに対応した母斑が作られるのかもしれない。 また、母斑や先天性欠損をもった子どもが多く生まれないのはなぜかといったことや、前世の身体的特徴が持ち越されやすい度合いについては疑問が残るが、イアン・スティーヴンソンは生まれ変わりの事例には前世の人格が非業の死を遂げている場合が多いことを述べている。スティーヴンソンは致命傷が重要な母斑になるとは限らないと指摘した上で、何かに襲われた場合、最初の段階で負った傷の方が、傷を負った時点での意識がはっきりと保たれており、負傷が本人の意識に及ぼす影響など、母斑が受け継がれる要因として傷の重症度以外の意識に関わる要因を考えている。さらに、ジム・タッカーは、催眠についての検討を通し、催眠にかかりやすい人とそうでない人がいるように、傷が生じやすい人とそうでない人がいるかもしれないという仮説を出し、前世の身体的特徴が持ち越されやすい度合いには文化圏に住む人々の信念や信仰が関係しているかもしれないとも述べている(*10)。これらの事から、心理的要因が身体に与える変化といった観点からも、個人の意識や心理的傾向、文化的な信念や信仰など、諸々の要素の組み合わせが母斑や先天性欠損が来世に移行する何らかのメカニズムに関係していると考えられそうである。 参考文献 イアン・スティーヴンソン『生まれ変わりの刻印』笠原敏雄 訳 春秋社 1998年 ジム・B・タッカー『転生した子どもたち ヴァージニア大学・40年の「前世」研究』笠原敏雄 訳 日本教文社 2006年 ジム・B・タッカー『リターン・トゥ・ライフ 前世を記憶する子供たちの驚くべき事例』大野龍一 訳 ナチュラルスピリット 2018年 ポール・エドワーズ『輪廻体験 神話の検証』皆神龍太郎 監修 福岡洋一 訳 太田出版 2000年 参考文献 http //www.02.246.ne.jp/~kasahara/parapsy/reincarnation.html
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【心霊現象】 ネパールで6ヵ月間ものあいだ、飲まず食わずで瞑想している少年がいるという。現地では「仏陀の生まれ変わりではないか」とウワサされ、注目を集めているようだ。 少年はヒンズー教で神聖なものとされる菩提樹の木の下で座禅を組み、みじろぎひとつせずに目を閉じて瞑想を続けている。 その姿を一目見ようと10万人にも及ぶ人々が少年のいる森に集まってきているという。 ただし、少年を見ることができるのは50メートル先から。 ちなみに、断食の世界記録は264時間12分。11日と12分となっている。
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前世の記憶を語る子どもが、生まれる前から、周囲の人々に不思議な体験をもたらすという事例もあるといえ、その1つとして、前世の人格が死ぬ前に、自分の来世を予言したり、そのような子どもが生まれる事を予告した夢を近しい人が見たりするといった事が挙げられる。歴史的には、チベットのラマ僧は死ぬ前に自分の来世を予言する事で知られ、残されたラマ僧はそれを手がかりに生まれ変わりの幼児を探し当てるといった話もある。 このような予言に関する事例として、『前世を記憶する20人の子供』の中に収録されているアラスカのトリンギト族のヴィクター・ヴィンセントという人物の事例が挙げられる(*1)。1946年にアラスカ州のアンゴーンで死んだヴィクター・ヴィンセントは姪に死ぬ1年ほど前に、姪の息子として生まれ変わり、その息子はヴィンセントと同じあざを持っているだろうと伝えたようである。ヴィンセントの死後、約18箇月後にあたる1947年12月15日に姪はコルリスという男子を産み、「生まれ変わり予告」通り、全く同じあざを全く同じ場所にもっていた。息子は話ができるようになると「ぼくはカーコディだよ」と言ったといい、「カーコディ」とはヴィンセントが持っていた部族名のようである。そして、コルリスは生前のヴィンセントが漁に行った時の話やヴィンセントが存命中のエピソードを正確に話したようである。大門正幸もこの事例を紹介し、北米の先住民族には生まれ変わり信仰は広く見られ、アラスカ周辺のトリンギト族、ハイダ族、ツィムシャン族といった民族の間では生まれ変わりの証拠を伴う再生型事例が多く、前世に人物が亡くなる前に自分の生まれ変わりを予告するという事や近しい人がその人が生まれ変わってくるという夢を見るといった事を述べている(*2)。そして、血縁関係のある家族の元に生まれ変わってくる事が殆どのようである。 しかし、血縁関係のない人の元に生まれ変わったという事例として、ビルマ中央部のナ・ツール村に駐屯していた日本兵の時代に連合軍の飛行機の機銃掃射を受けて戦死した記憶を語り出したマ・ティン・アウン・ミヨの事例もある。マ・ティン・アウン・ミヨはナ・ツール村で1953年12月26日に生まれているが、母のドウ・アエ・ティンは、マ・ティン・アウン・ミヨを妊娠して数箇月後、上半身裸で半ズボン姿のずんぐりした日本兵が何度も夢に現れて追い回し、お前のところに生まれ出るぞと言ったという(*3)。ドウ・アエ・ティンは、この夢に登場した男を怖がり、男について来ないでと言ったが、5日から10日の感覚で同じ夢を3回見たという。 大門は、予告夢が関連した日本の事例として、2009年7月生まれで首都圏在住の男児、かのん君の事例を紹介している(*4)。かのん君の前世の人物であると考えられるのは、異父姉にあたる桃華ちゃんであり、桃華ちゃんは3歳の時に小児癌を発病、治療による副作用として二次性急性骨髄性白血病を発症、容態が悪くなり、母親に抱かれならが息を引き取った。桃華ちゃんが他界する直前、母親は、父親と別の道を歩む事を決意し、その後、現在の夫と出会い再婚しているが、2008年の11月、日本のバンドMr. Childrenが知らない曲を演奏し、非常に素晴らしかった点が強く印象に残る夢を見たという。夢を見た数日後、母親がテレビを点けたら、Mr. Childrenが10月にリリースしたばかりの「花の匂い」という曲を演奏するところで、歌詞には生まれ変わりを示唆する一節が含まれている。母親はこの歌が桃華ちゃんからのメッセージであるかのように感じ、その11日後に妊娠している事が判明している。そして、かのん君は、容姿や声、嗜好などの点で、桃華ちゃんと似ており、「家の壁の色が違うね」と発言したり(桃華ちゃんが住んでいた頃は新築したばかりで家の壁は濃い茶色をしていたが、現在は淡いベージュ色になっていた)、感慨深げに「かのん、焼かれたことあるんだよね」と発言したりしており、両親は火葬された時の事を語ったのではないかと解釈している。 また、実験母斑の事例として紹介した1990年にタイで生まれたクロイ・マトウィセットという少年の場合も、母親が妊娠3箇月の時に、祖母が「お前のところに生まれ変わりたい」と語りかける予告夢を見たと言う(*5)。そして、クロイは祖母が目印をつけられた場所に母斑があり、幼い頃に自分は祖母だったと言い、田んぼは自分のものだとも主張したり、女性的な行動もしたりしたそうである。 ジム・タッカーは、どの文化圏の生まれ変わり事例にも予告夢が関係した事例が存在している事を指摘しており、データベースによれば、最初に登録された1100例のうち、22%に予告夢が見られるとも述べている(*6)。これらの事から、予言や予告夢についても、子どもが前世の人格について発言している事やそれを象徴した母斑や先天性欠損などをもって生まれてくるという事との関係から生まれ変わりを考える上で、貴重な要素となると言える。 臨死体験者に先祖や親戚、将来の妻や生まれていない子どもについての情報がもたらされたという事例があるが、生まれ変わりの予告夢についてもそれらと同様に、脳や肉体を超えた意識が形成するグループ意識によって地上では、到底知り得ない情報がもたらされると考える事ができるかもしれない。 参考文献 大門正幸「同一家族内における生まれ変わり型事例」『人体科学』25巻1号 人体科学会 2016年 大門正幸『「生まれ変わり」を科学する』桜の花出版 2021年 ヴァージニア大学出版局著、イアン・スティーヴンソン編『前世を記憶する20人の子供』今村光一 訳 叢文社 1980年 イアン・スティーヴンソン「性別異和症の東南アジア流解釈ーその実証的事例報告」『死後の生存の科学』叢文社 1984年 所収 ジム・B・タッカー『転生した子どもたち ヴァージニア大学・40年の「前世」研究』笠原敏雄 訳 日本教文社 2006年