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真珠湾攻撃(しんじゅわんこうげき、Attack on Pearl Harbor、日本時間1941年12月8日未明、ハワイ時間12月7日)は、休日である日曜日を狙ってハワイオアフ島真珠湾 Pearl Harbor を「真珠湾」と訳すことには異論もある。詳細は真珠湾を参照。にあったアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に対して、日本海軍が行った航空攻撃である。 当時の日本側呼称はハワイ海戦(布哇海戦)。太平洋戦争(大東亜戦争)緒戦の南方作戦の一環として計画された作戦であり、戦闘の結果、アメリカ太平洋艦隊の戦艦部隊は戦闘能力を喪失した。世界史的には、この攻撃によって第二次世界大戦はヨーロッパ・北アフリカのみならずアジア・太平洋を含む地球規模の戦争へと拡大した。 背景 作戦構想 オアフ島真珠湾のアメリカ海軍基地は1908年に設置され、以来日本海軍にとって脅威となっていた。真珠湾の海軍基地はオアフ島要塞と呼ばれた要塞群で守られており、中には戦艦と撃ち合える40センチ砲も設置されていた。上陸可能な死角も存在しなかったため、艦砲射撃や上陸作戦には成功の見込みはなかった。日本軍は工事労働者に変装したスパイを多数送り込み、要塞の詳細を把握していたと言われる。 日本海軍は対米戦争の基本戦略として漸減邀撃作戦を有していた。これは真珠湾から日本へ向けて侵攻してくるアメリカ艦隊の戦力を、潜水艦と航空機を用いて漸減させ、日本近海において艦隊決戦を行うというものであった。だが1939年に連合艦隊司令長官に就任した山本五十六は異なる構想を持っていた。1941年1月、山本は第11航空艦隊参謀長であった大西瀧治郎少将に対して「真珠湾を航空攻撃できないか」と航空攻撃計画の作戦立案を依頼した。 当時数少ない海軍将官きっての航空通の1人であった大西は、ある程度骨子を作った後、2月に第1航空戦隊の参謀であった源田実中佐に山本の意向を伝えた。源田は1週間後、オール爆撃案と、雷爆撃併用案の2つの案を作り大西に示した。真珠湾への航空攻撃の成否を左右するのは雷撃が可能かどうかであった。真珠湾の平均水深は12メートルである。当時の航空魚雷は攻撃機が投下し着水した後、平均数10メートル以上沈んでから航走しつつ調停深度まで浮上してくるものであった。これでは投下した魚雷はことごとく真珠湾の海底に突き刺さってしまう。 結局大西と源田は当時海軍が保有していた正規空母4隻と軽空母「龍驤」を主力とした部隊を用いて、雷撃は諦めて攻撃隊は全て爆装とした上で、水平爆撃と急降下爆撃を行うという案を山本に提出した。水平爆撃に関しては当時既に長門型戦艦の主砲弾を改造した800キロ徹甲爆弾が完成しており、命中率は低いものの敵戦艦の撃沈は物理的に可能であったからである。これに対して山本は不満を表して「雷撃ができないのなら真珠湾攻撃は諦める」とまで言ったといわれる。そこで大西は雷撃に関しては攻撃前までに攻撃法を研究開発することにして、雷爆撃併用に案を改めた上で山本の了解を取り、海軍軍令部第一課の福留繁中将に作戦準備を依頼した。 実施許可 1941年9月、アメリカやイギリスとの関係悪化を受け、日本軍は南方作戦を具体化させていった。作戦目標は蘭印(オランダ領東インド)の石油資源の獲得であるが、制海権確保のためにアメリカ太平洋艦隊の戦力を減殺する必要があるとされた。だがこれを実現するための山本の真珠湾航空奇襲案に対して軍令部は大反対した。この案では日本海軍の持つ正規空母の全てをハワイ作戦に投入するため、南方作戦への航空支援が手薄になる上に、万が一作戦が失敗したときには、最悪日本は虎の子の正規空母4隻を全て失い、制空権、制海権を完全に失うこととなりかねないからである。軍令部において9月に行われた兵棋演習では、敵戦艦5隻、空母2隻の撃沈破と引換えに味方正規空母4隻中3隻沈没、1隻大破で機動部隊全滅という結果に終わり、軍令部の危惧を裏付ける結果となった。 あくまで正規空母全艦投入を求める連合艦隊司令部と、軍令部の対立は日を追って激しくなり、終には作戦そのものが中止になりかねない雰囲気になりかけたが、正規空母「翔鶴」、「瑞鶴」が秋口に相次いで竣工した上、雷撃に目処が立ったことで、連合艦隊司令部が最後の賭けに出た。連合艦隊参謀黒島亀人大佐が「この作戦が認められなければ、山本長官は連合艦隊司令長官を辞職すると仰っている」と軍令部次長伊藤整一中将に言い放ち、これに驚いた軍令部総長永野修身大将は渋々作戦実施を認めた。 奇襲訓練 真珠湾航空奇襲の訓練は鹿児島県の鹿児島湾(錦江湾)を中心に、鴨池、鹿屋、笠之原、出水、串木野、加世田、知覧、指宿、垂水、郡山、七尾島、志布志湾の各地で行われた。技術的な課題は、第1に水深12メートルという浅瀬でどうやって魚雷攻撃を行うか、第2に戦艦の装甲をどうやって貫通させるか、の2点であった。 第1の点に対しては、タラント空襲を参考に着水時の走行安定性を飛躍的に高めた愛甲魚雷を航空技術廠が苦心の末に改良し、ジャイロを用いて空中姿勢を安定させて沈度を大幅に抑えることに成功したことと、鴨池航空隊による超低空飛行訓練により、最低60メートルの水深が必要だったものを10メートル以下に引き下げることに成功した実際の攻撃では投下された魚雷40本のうち、射点沈下が認められたのは1本のみであった。。第2の点に対しては、戦艦の装甲を貫徹するために水平爆撃で攻撃機の高度により運動量をまかなう実験が鹿屋、笠之原で実施され、模擬装甲にはアメリカのベスレヘム・スチール社、ドイツのクルップ社、安来などの鋼板を用い、貫通するための運動量の計測などが行われた。 航空攻撃と併用して、5隻の特殊潜航艇(甲標的)による魚雷攻撃も立案された。特殊潜航艇による真珠湾侵入は生還を期しがたい決死の作戦となるため、岩佐直治大尉ら10名の特別攻撃隊が選抜された。 鹿児島県での訓練を終えた艦隊は大分県の佐伯湾に集結し、最終演習の後、11月18日に択捉島の単冠湾へと向かった真珠湾攻撃 - 西日本新聞。 経過 ニイタカヤマノボレ thumb|240px|米戦艦[[オクラホマ (戦艦)|オクラホマに魚雷命中の瞬間]] Rright|thumb|240px|[[ショー (DD-373)の爆発炎上]] 1941年11月1日、東條英機内閣は大本営政府連絡会議において帝国国策遂行要領を決定し、要領は11月5日の御前会議で承認された。以降陸海軍は12月8日を開戦予定日として真珠湾攻撃を含む対米英蘭戦争の準備を本格化した。南雲忠一中将指揮下の旗艦「赤城」および「加賀」「蒼龍」「飛龍」「翔鶴」「瑞鶴」を基幹とする日本海軍空母機動部隊は11月22日に択捉島の単冠湾に集結、11月26日ハワイへ向けて出港した。12月1日、御前会議で対米宣戦布告は真珠湾攻撃の30分以上前に行うべきことが決定された。 12月2日、大本営より機動部隊に対して「ニイタカヤマノボレ一二〇八」の暗号電文が発信された。ニイタカヤマ(新高山)は当時日本領であった台湾の山の名(現・玉山)で当時の日本の最高峰、一二〇八とは12月8日のことで、「12月8日午前零時を期して戦闘行動を開始せよ」の意の符丁であったちなみに、戦争回避で攻撃中止の場合の電文は「ツクバヤマハレ」であった。。 12月7日、伊号潜水艦隊から特殊潜航艇が発進した。12月8日午前1時30分(日本時間)ハワイ近海に接近した日本海軍機動部隊から、第一波空中攻撃隊として艦戦43機、艦爆51機、艦攻89機、計183機が発進。午前2時45分第二波空中攻撃隊として艦戦36機、艦爆81機、艦攻54機、計171機が発進した。このとき陸軍はマレー半島コタ・バルで奇襲上陸作戦を行っていた。真珠湾とマレーで一方が先行すれば他方の奇襲が成り立たなくなる。しかし源田の案により、暗闇での発艦を回避するため、攻撃隊の発進は当初の予定より2時間遅れとなった。この決定を軍令部が把握した時には命令変更の時間がなかったため、三代辰吉中佐がコタバル攻撃部隊へ伝達しないことにした。これにより、真珠湾攻撃はコタバルの2時間遅れとなったトーランド(1970) 2巻 「一部 開戦の聖断は下る 5 敵艦真珠湾ニ在リ」 p.67。 トラ・トラ・トラ ハワイは現地時間12月7日日曜日の朝だった。7時10分(日本時間午前2時40分)、アメリカ海軍の駆逐艦DD-139「ワード(ウォード)」がアメリカ領海内において国籍不明の潜水艦を発見し、砲撃によりこれを撃沈した(ワード号事件)。これは日本軍の特殊潜航艇であった。ワード号は直後に「未識別の潜水艦」を撃沈した旨を太平洋艦隊司令部へ打電したが、ハワイ周辺海域では漁船などに対する誤射がしばしばあったことからその重要性は認識されず、アメリカ軍は奇襲を事前に察知する機会を逸した。 7時49分(同3時19分)、第一波空中攻撃隊は真珠湾上空に到達し、攻撃隊総指揮官の淵田美津雄海軍中佐が各機に対して「全軍突撃」(ト・ト・ト・・・のト連送)を下命した。7時53分(同3時23分)、淵田は旗艦赤城に対して「トラ・トラ・トラ」を打電した。これは「ワレ奇襲ニ成功セリ」を意味する符丁である。7時55分(同3時25分)翔鶴飛行隊長の高橋赫一海軍少佐が指揮する急降下爆撃隊がフォード島への爆撃を開始した。 7時58分(同3時28分)、アメリカ海軍の航空隊が「真珠湾は攻撃された。これは演習ではない」と警報を発した。戦艦「アリゾナ」では7時55分頃に空襲警報が発令された。8時過ぎ、加賀飛行隊の九七式艦上攻撃機が投下した800キロ爆弾が四番砲塔側面に命中。次いで8時6分、一番砲塔と二番砲塔間の右舷に爆弾が命中した。8時10分、アリゾナの前部火薬庫は大爆発を起こし、艦は1,177名の将兵と共に大破沈没した。戦艦「オクラホマ」にも攻撃が集中した。オクラホマは転覆沈没し将兵415名が死亡または行方不明となった。 第二波攻撃 米国東部時間午後2時20分(ハワイ時間午前8時50分)野村吉三郎駐米大使と来栖三郎特命大使が、コーデル・ハル国務長官に日米交渉打ち切りの最後通牒を手交した。この文書は攻撃開始前に米国政府へ手交する予定であったのだが、ワシントン駐在日本大使館で準備に手間取り、攻撃開始の後となった。宣戦布告が奇襲攻撃の後となったことで、騙まし討ちとして宣伝材料に利用されることになる。 ハワイ時間午前8時54分(日本時間4時24分)、第二波空中攻撃隊が「全軍突撃」を下命した。第二波攻撃隊は小型艦艇や港湾設備、航空基地、既に座礁していた戦艦「ネバダ」への攻撃を行った。 5隻の特殊潜航艇による攻撃は、4隻が撃沈され、1隻が座礁・拿捕されたため成功しなかった。日本では、撃沈された4隻の乗組員8名と、拿捕された艇で戦死した1名を加えた9名が「九軍神」として宣伝された。拿捕された艇の艇長で捕虜となった酒巻和男海軍少尉は「軍神」から外され、捕虜となったことは公表されなかった。 帰投 日本時間午前8時30分頃、空中攻撃隊は順次母艦へ帰投した。午前9時頃、日本海軍空母機動部隊は北北西に変針し日本への帰路についた。このとき港湾施設を徹底的に破壊するために第三次攻撃を行う可能性もあったが、三川軍一中将のみが意見具申を行い、山口多聞少将は催促に留まった第三次攻撃を行うべきであったと論じられることがあるが、当時、石油地下備蓄技術が導入されつつあったことから、日本海軍側でも「先進国のアメリカは石油地下備蓄技術を導入しているはずだ、タンクはハリボテだろう」と考えられており、攻撃実施に積極的な意見は少なかった。。12月16日、第二航空戦隊司令山口多聞少将の指揮下、「飛龍」「蒼龍」と護衛の「利根」「筑摩」及び駆逐艦「谷風」「浦風」がウェーク島攻略支援に向かった(ウェーク島の戦い)。12月23日、機動部隊は瀬戸内海に位置する柱島泊地に帰還し、作戦は終了した。 影響 第二次世界大戦の拡大 日本軍の奇襲作戦は成功し、アメリカ軍の戦艦8隻を撃沈または損傷により行動不能とする大戦果をあげた。アメリカ太平洋艦隊の戦力低下により、日本軍は西太平洋海域の制海権を確保し、これにより南方作戦を成功裏に終えた。真珠湾攻撃の前にマレー半島での上陸作戦(マレー作戦)が開始されているが、真珠湾攻撃によって日本とアメリカとの戦争は始まったと言って良い。真珠湾攻撃の翌日、フランクリン・ルーズベルト大統領の要請により、アメリカ合衆国議会は日本に対して宣戦布告した。 12月10日、アドルフ・ヒトラーは軍部の反対を押し切ってアメリカへ宣戦布告し、第二次世界大戦はヨーロッパ・北アフリカのみならずアジア・太平洋を含む地球規模の戦争へと拡大した。当時モンロー主義を色濃く残していたアメリカは、ヨーロッパでの戦争にも日中戦争にも介入には消極的であり、連合国に対する支援はレンドリース法による武器援助に止まっていたが、真珠湾攻撃を受けてアメリカの世論は一気に参戦へと傾いた。さらに、日本による宣戦布告の遅れにより、真珠湾攻撃が「卑劣な騙まし討ち」として宣伝されることとなったことも世論に影響した。イギリス首相ウィンストン・チャーチルは、真珠湾攻撃のニュースを聞いて戦争の勝利を確信したと回想している。 航空主兵への転換 当時、航空機による戦艦など主力艦の撃沈は不可能であるという考えが主流であったが、空母艦載機の集中使用による大規模空襲はその神話を打ち砕いた。この後12月10日にマレー沖海戦で航行中のイギリス戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」が航空攻撃のみで撃沈されたことにより、それまで海戦において補助的な位置付けにあった航空機が主役として注目されると同時に、いかなる艦船でも航空機によって撃沈されうることが浮き彫りとなった。こうして大艦巨砲主義時代は終焉を迎え、時代は航空主兵時代へと移るのである。 アメリカ本土攻撃の恐怖 真珠湾攻撃以降の日本海軍による開戦当初の進撃と、連合軍の度重なる敗退を受けて、日本軍によるアメリカ本土空襲およびアメリカ本土への侵攻計画は可能性が高いと考えられるようになった。ルーズベルト大統領は日本軍の上陸を危惧し、陸軍上層部に上陸時での阻止を打診するものの、陸軍上層部は「大規模な日本軍の上陸は避けられない」として日本軍を上陸後ロッキー山脈で、もしそれに失敗した場合は中西部のシカゴで阻止することを検討した。実際に1942年に入り、日本海軍の潜水艦によるカリフォルニア州などへの砲撃や、潜水艦の搭載機によるアメリカ本土空襲が数度に渡り行われた。また戦争開始後数週間の間、アメリカ西海岸では日本軍の上陸を伝える誤報が陸軍当局にたびたび報告された。 アメリカ軍の再建 アメリカ軍の受けた被害は、戦艦などの艦船と飛行場などに集中し、人的被害は小さかった。艦船の乗組員の多くは上陸していたためである。乗艦を失った乗組員の多くは、新たに建造された空母へと配置転換され、むしろアメリカ海軍の航空主兵への転換を手助けしたともいえる。追加的な攻撃もなされなかったため、乾ドックなど港湾施設の損害も少なかった。これは沈んだ戦艦の再生など被害からの復旧の助けとなった。 沈んだ戦艦8隻のうち6隻は後に引き揚げられ復帰しており、最終的にアメリカ軍が失った戦艦は2隻であった。大東亜戦争中この時以外でアメリカ戦艦の喪失はない。主力空母は真珠湾外で輸送などの任務に従事していたため無傷であり、その後の作戦において大きな力を発揮した。当初からアメリカの国力差から、日本軍は短期決戦を想定していたが、攻撃目標に含まれていた主力空母を撃沈できなかった事は、緒戦でアメリカ軍が持ちこたえる原動力となり、日本軍の短期決戦戦略が頓挫する一因となった。 参加兵力 日本海軍 第一航空艦隊 - 司令長官:南雲忠一中将、参謀長:草鹿龍之介少将 第一航空戦隊 - 南雲長官直率、空母「赤城」「加賀」 第二航空戦隊 - 司令官:山口多聞少将、空母「蒼龍」「飛龍」 第五航空戦隊 - 司令官:原忠一少将、空母「瑞鶴」「翔鶴」 艦載航空機350機(零式艦上戦闘機78機、九九式艦上爆撃機129機、九七式艦上攻撃機143機) 第三戦隊 - 司令官:三川軍一中将、戦艦「比叡」「霧島」 第八戦隊 - 重巡洋艦「利根」「筑摩」 第一水雷戦隊 - 司令官:大森仙太郎少将、軽巡洋艦「阿武隈」 第一七駆逐隊 - 駆逐艦「谷風」「浦風」「浜風」「磯風」 第一八駆逐隊 - 駆逐艦「陽炎」「不知火」「秋雲」「霞」「霰」 第二潜水隊 - 司令:今和泉喜次郎大佐、潜水艦「伊19」「伊21」「伊23」 第一補給隊 - 司令:大藤正直大佐、油槽船「極東丸」「健洋丸」「国洋丸」「神国丸」 第二補給隊 - 油槽船「東邦丸」「東栄丸」「日本丸」 特殊潜航艇5隻(甲標的5隻)他 アメリカ海軍 太平洋艦隊 - 司令長官:ハズバンド・キンメル大将 戦艦8隻(「カリフォルニア」「メリーランド」「テネシー」「アリゾナ」「オクラホマ」「ウエストバージニア」「ペンシルベニア」「ネバダ」) 重巡2隻(「ニューオーリンズ」「サンフランシスコ」) 軽巡6隻(「デトロイト」「ホノルル」「セントルイス」「ヘレナ」「ローリー」「フェニックス」) 駆逐艦30隻 その他48隻 カタリナ哨戒機14機 基地航空機399機 損害 日本海軍 空襲部隊:未帰還機29機、損傷74機、戦死55 特別攻撃隊:甲標的 未帰還5隻、戦死9(岩佐直治大尉階級は作戦時のものであり特進前。など)、捕虜1(酒巻和男少尉) アメリカ海軍 戦艦 ネバダ:被雷1、被弾5、至近弾2。擱座。1942年4月22日サルベージ作業終了。1942年12月修理改造終了。 オクラホマ:被雷5。転覆、沈没。1943年浮揚、1944年除籍。1947年サンフランシスコへ移送中沈没。 ペンシルベニア:ドック内で被弾1。修理の際にオクラホマとアリゾナから取り外した主砲を搭載し、1942年3月艦隊に復帰。 アリゾナ:被雷1、被弾8。800kg爆弾の命中による弾薬庫(火薬庫)の爆発で艦体切断・沈没。サルベージ中止。引き上げ可能な装備を引き上げの後、除籍。その後1962年以来記念艦として在籍し現在に至る。 テネシー:被弾2(不発弾1)。損害は軽微だったが、修理と同時に大改装を施して艦隊復帰。 カリフォルニア:被雷2、被弾1、至近弾1。着底。1942年3月浮揚、1944年5月修理・大改装終了。 メリーランド:被弾2。1941年12月21日、応急修理終了。本格修理の後1942年2月艦隊に復帰。 ウエストバージニア:被雷7、被弾2(不発弾)。着底。1942年5月サルベージ作業終了。修理・大改装を実施し1944年7月に艦隊復帰。 駆逐艦 カッシン ダウンズ 標的艦 ユタ:被雷2。沈没 宣戦布告遅延問題 真珠湾攻撃が宣戦布告を伴わない奇襲攻撃という認識が現在でも一般的であるが、外務省がパープル暗号で送った命令書(当時すでにアメリカ側に解読され大統領、国務長官は内容を把握していた)では当初は攻撃開始30分前の宣戦布告を予定していた。しかし、東京から宣戦布告を告げる内容の電文が送信された際、日本大使館員全員が宿直も置かず、大使館を空にして同僚の送別会を行っていた事(現在の歴史書ではこの部分が強調されることが多い)、新庄健吉の葬儀へ来栖三郎特命全権大使、野村吉三郎大使が参列した事など、諸事情によりワシントンの日本大使館一等書記官奥村勝蔵の英訳親書のタイプが大幅に遅れ、攻撃開始時刻に宣戦布告が間に合わなかった。 この件については、誰も処分されておらず、外務省はこの遅延に対し調査委員会を設立し調査を行ったが、調査結果は長らく公表されなかった。1994年11月20日、外務省は当時の調査委員会による調査記録「昭和16年12月7日対米覚書伝達遅延事情に関する記録」を公開し、公式見解として、大使館書記官の不手際により、宣戦布告が遅れたことを認めた。現在、この資料は外交史料館報 第8号で閲覧可能である。 また、調査委員会設置以来、奥村の上司である館務総括参事官の井口貞夫の責任を問う説が存在するが、これに対して井口は生前「自分の管掌事務ではなく承知していなかった」と主張し、息子にあたる井口武夫元ニュージーランド大使も外務省本省が負うべき落度を現地大使館に責任転嫁しているとして奥村書記官を含めて大使館側に失態はなかったと主張している。 ただし留意しなければならないのは、宣戦布告が攻撃直前に行われた場合は同じように国際条約の違反になることである。 陰謀論 詳細は[[ en Pearl Harbor advance-knowledge debate]]、真珠湾攻撃陰謀説を参照。 「アメリカは事前に察知していた」との主張 「アメリカは真珠湾攻撃を事前に察知していた」という噂は既に戦時中からあった。主張によれば、アメリカ合衆国政府ないしはルーズベルト大統領は真珠湾攻撃を事前に察知したのだが、暗号を解読している事実を日本に知らせないためには、事前に真珠湾に警戒態勢をとらせることはできなかったのだという。 さらには、そのまま攻撃させたほうが政治的に有利であるため、あえて見過ごしたのだとする主張もある。こうした陰謀論でよく語られる「根拠」として、当時日本の外交暗号はほぼ解読されていたこと、民主党のルーズベルトが対独開戦を指向していたにもかかわらず共和党を中心とした反戦世論により妨げられていたが、真珠湾攻撃を受けたことにより実現したことなどがある。 否定説 現時点で傍受を証明する資料は存在しない。当時の軍事的常識からすれば、日本の戦争目的は石油・ゴムなどの南方資源を確保することにあり、アメリカ軍は日本軍がフィリピンに攻め寄せると考えており、ハワイが攻撃対象となるとは考えていなかった。日本海軍は囮の艦船を派遣して偽装通信を頻繁に行い、艦隊が南方に向かっているように装っていた。また、艦隊決戦が主流であった時代であって、航空機による海戦はあまり考慮されていなかった。真珠湾内での魚雷攻撃は、浅瀬のため技術上きわめて困難であるとも考えられていた。また日本の用いていた暗号のうち海軍暗号は1941年12月の段階では解読されていなかった。 また、真珠湾攻撃は海軍により徹底的に秘匿が図られ、日本の外務省すら内容を知らされておらず、解読済みの外務省暗号では開戦日時や攻撃場所はそれを察知できなかった。しかも真珠湾攻撃に向かう艦船はすべて厳密な無電封止(無線通信の禁止)を行っており、モールス打鍵器にロックが掛けられていたとの証言もある。更に呉・柱島泊地からは機動艦隊発に見せかけた偽のモールス信号が大量に発信されていたため実際に機動部隊に乗務していた電信員が引き抜かれ、打鍵時の癖まで機動部隊のそれと同じであった。、11月25日時点でアメリカ海軍情報部は、艦隊は呉~鹿児島南部のあたりにいると予想していた佐藤大輔 『真珠湾の暁』、徳間書店、徳間文庫、2002年11月15日、ISBN 4-19-891792-0 --参考文献。。 さらに、仮に無線を傍受していたとしても、作戦概要は本土から空母「赤城」の金庫に保管されており、出撃命令も1941年11月20日に軍令部第一部長、福留繁少将から手交によって行われているので『戦史叢書 10 ハワイ作戦』--参考文献、無線の内容で攻撃目標が真珠湾である事や、作戦概要を知る事は不可能であった。 肯定説 当時のアメリカ国務長官ハルの回顧には、1941年1月27日に東京のグルー大使から、「日本の軍部は日米間に事が起こった場合には真珠湾を奇襲する準備をしている」という情報を受けたため、陸、海両省に報告したという記述があるコーデル・ハル 『ハル回顧録』、中央公論新社、2001年10月15日、ISBN 4-12-203920-7 --参考文献。グルー自身も信憑性が高い情報とは思っていなかったようだが、米政府が、事前に、真珠湾攻撃の可能性ありという報告を駐日大使から受けていたのは事実である但し、1941年1月の段階では真珠湾攻撃は山本五十六大将の私案であった。グルー自身は、1941年1月27日の日記において「対米開戦時には、日本は真珠湾に集中的に奇襲攻撃をかけるという計画が進行中であると噂になっていたので、政府に報告した」Joseph C. Grew 『Ten Years In Japan』P318, Hesperides 2006年11月12日 --参考文献。と記述している。 情報の自由法により公開された米軍機密資料および公文書館資料を活用して詳細な調査を行ったロバート・スティネットは次のような主張をしているTemplate cite book?原著Day of Decent,Robert B. Stinnett,Chandler Crawford Agency Inc.(2000)。 FBIの記録によると、「五数字暗号」とアメリカ側で呼ばれていた日本海軍暗号について、1940年10月には解読に成功していた。これは暗号解読方法説明資料「RIP73」、「RIP80」としてまとめられた。(但し、添付資料の傍受日付は1941年11月18日だが、解読日付は戦後の1946年4月26日である事が、左近允尚敏により指摘されており秦郁彦 『検証・真珠湾の謎と真実』、PHP研究所、2001年8月1日、ISBN 4-569-61586-4 --参考文献。、解読が成功したかについては疑問がある。) 「RIP73」、「RIP80」は、アメリカ軍の諜報無線局であるハワイのHYPO、フィリピンのCASTおよびイギリスに提供され、日本海軍無線の暗号解読が可能な状態であった。(上記の理由により、1941年10月時点での海軍暗号解読には疑問がある。) 国防総省は上記暗号解読方法説明資料の配達記録の開示を拒んでいるが、配達の事実を公文書から確認できた。(国立第二公文書館資料) シアトルの諜報無線局SAILが東京-ワシントン間の無線通信を集中的に傍受したところ、ほとんどがパープル暗号を用いたものであり、ワシントンの陸海軍暗号解読班により、数時間で解読翻訳されていた。<解読させる事には意図が働く場合がある。> フィリピンのCASTの暗号分析班は、1941年11月30日に日本軍が実施した呼出符号変更を解析して、ハワイに向かう日本機動部隊のほとんどの艦船を特定していた。(ハワイに向う指令は、無線では行われておらず、呼出符号変更の解析でハワイに向かう日本機動部隊の艦船の特定は不可能である事が、秦郁彦らに指摘されている秦郁彦 『検証・真珠湾の謎と真実』、PHP研究所、2001年8月1日、ISBN 4-569-61586-4 --参考文献。。) 無線方位測定機による日本機動部隊に関する位置情報は、すべて大統領にも提供されていた。(国立第二公文書館資料)(軍令部が船橋から発信した「A情報」を、機動部隊発信の無線と誤認した可能性を、今野勉により指摘されている秦郁彦 『検証・真珠湾の謎と真実』、PHP研究所、2001年8月1日、ISBN 4-569-61586-4 --参考文献。。) サンフランシスコ第12海軍区は1941年11月30日から12月3日の間、日本の艦隊がハワイ北方海域を北緯43度から38度まで航行するのを補足していた。(コールサインから、商船「竜田丸」の交信を誤認した可能性を今野勉により指摘されている秦郁彦 『検証・真珠湾の謎と真実』、PHP研究所、2001年8月1日、ISBN 4-569-61586-4 --参考文献。。) 真珠湾攻撃前に日本機動部隊は無線封鎖を実施したとアメリカ側日本側ともに主張するが、アメリカ軍の傍受記録からは、日本機動部隊が無線封鎖を無視して頻繁に通信していたことを立証できる。(その時期、日本海軍は大規模な偽電工作を行っており、それに引っ掛かった可能性を、秦郁彦らに指摘されている秦郁彦 『検証・真珠湾の謎と真実』、PHP研究所、2001年8月1日、ISBN 4-569-61586-4 --参考文献。。) (マッカラム覚書の)アーサー・マッカラム少佐は、「ハワイで傍受された報告は断片的であった」と主張しているが、ハワイの無線通信解析主任は、当時「毎日1000通以上の日本海軍無線を傍受しており、我々の報告は断片的ではなかった」と反論している。(上記同様に、偽電工作による偽電文を傍受した可能性が高い秦郁彦 『検証・真珠湾の謎と真実』、PHP研究所、2001年8月1日、ISBN 4-569-61586-4 --参考文献。。) 海軍作戦部次長ロイヤル・インガソル少将の決定により、ハワイのキンメル提督は、解読電報の報告先から除外されていた。 1979年のカーター政権下で公開された傍受電報に関する文章は全体のごく一部に過ぎず、国家安全保障局により、出所がすべて伏せられている。 国家安全保障局が情報開示を拒んできたことについて、その職員は「それは公共の利益のためである。この問題は公に討論すべきことではない。政府の立場を弁明すること自体が、政府が守らねばならない秘密の一部となっている場合、政府の立場を明らかにすることはできない」と語った。 日本無線傍受電報の原本記録はすべて機密暗号グループに分類され、現在でもほとんど公開されていない。 誘い出したとの主張 アメリカ合衆国政府ないしはルーズベルト大統領が真珠湾攻撃を事前に察知していたと論ずる者の中には、さらに一歩論を進めて、アメリカが、わざと日本の攻撃を誘い出したという説を唱える論者もいる。また軍事的政治的な理由として、日本が先制攻撃を行う事以外に、アメリカが対日戦争を引き起こす手立てがない。 否定説 アメリカが日本を誘い出したという説を唱える者の中には、時代遅れになった戦艦を生け贄としてあえて真珠湾に停泊させ、空母を出港させて温存したのがその証拠だと主張するものもある。しかし戦艦が時代遅れになり、空母が主役になったのは、この真珠湾攻撃がきっかけになったのであり、原因と結果を取り違えた主張であると言わざるを得ない。真珠湾奇襲は大艦巨砲主義時代を終焉させ、航空主兵時代へ移行するという、軍的な一大転換をもたらした大事件であり、陰謀論が正しかったとすれば、アメリカはこの軍事的な一大転換すら事前察知していた事になる。また、出港した空母が南雲機動艦隊と遭遇しなかった事は偶然の結果であり、常識的に考えれば出港した艦のほうが湾内に停泊した艦よりも状態としては危険だったはずである。なお、これはロバート・スティネットの主張したマッカラム覚書とは矛盾する。(後述F 項) ロバート・スティネットの著書『真珠湾の真実』で参照される資料数は膨大で全容は掴みづらく、秦郁彦ら歴史研究者が日本側の資料と照合した結果では、事実関係の誤りや日付の誤認、牽強付会の解釈が多数あると指摘されている(『検証・真珠湾の謎と真実』 秦郁彦他著)。 肯定説 軍事的政治的な理由として、日本が先制攻撃を行う事以外に、アメリカが対日戦争を引き起こす手立てがない。 当初、本営の対米作戦にはマレー沖で米艦隊を迎え撃つ作戦が用意されていたが、国内である海軍将官により 熱烈な真珠湾攻撃への押しが数年続き、アメリカに絶対に勝てないという意図の下、戦火が開かれた。 また日本は、対アメリカへの国力差を当然常識的に認識しており戦争反対論と対話外交が主流派だった。 誘い出したという説の根拠として、チャールズ・ビアードらは陸軍長官スティムソンの日記を挙げている。日記では11月25日のホワイトハウスでのルーズベルトの発言として、「攻撃を受けるかもしれない」、「いかにして彼らに最初の一発を撃たせるかが問題なのである。これはむずかしい話だ。」とある。『大日本帝国の興亡』の著者ジョン・トーランドはこれに対して、日記やスティムソンの後の発言からはこの説が正しいように見える。しかし、11月下旬に行われた大統領と顧問による討議録から、攻撃の可能性を信じていたのはアメリカ領以外のシンガポール・タイ・他の東南アジア地域であることがわかるとしている。また、ルーズベルトが「むずかしい話」と言ったのは、アメリカ以外への攻撃をアメリカへの攻撃だと強弁するのがむずかしいからであるとしている。日本に警告を送るなどの方法で、これが可能になることをトーランドは指摘している。後に、トーランドは新事実を基にして事前察知説に転向し、『真珠湾攻撃』(文藝春秋刊)を著している。主張の一つとして、南雲艦隊の無線封止は真珠湾攻撃を英雄視する日本人による美化であるというものがある。トーランド(1970) 巻数、頁番号はハヤカワ文庫版によるスティムソンの日記は 1巻 「五部 運命のハルノート 3 アメリカの暫定協定」 275頁ビアードらの仮説、トーランドの仮説(ビアードらへの反論)は 1巻 現注5部の5 350頁 トーランドはこの反論が証拠のない仮説であると認めつつも、ルーズベルトが誤ったとするよりは論理的・公平であると判断しているトーランドによる事前察知説は 5巻 徳岡孝夫による「解説」 349頁。 ロバート・スティネットの著書は『真珠湾の真実』として日本語訳が出版されている。『真珠湾の真実』で語られたマッカラム覚書(英語)を参照されたい。マッカラム覚書は日本帝国の強みと弱み、アメリカ合衆国の第二次世界大戦における立場国民には孤立主義が念頭していた時候であった。そのため、当時は欧州戦線とは距離をおいていた。また、戦況としてはドイツがイギリスより優位であり、イギリスはアメリカの支援を望んだが、国民は干渉を望まなかった。詳しくは第二次世界大戦の1940頃の項目を参照。と今後の展望を述べたもので、最後にA-H項からなる日本を追いつめるであろう項目が進言されている。マッカラムの人物像としては日本語に堪能かつ日本で育った人物であり、軍のなかではとりわけ日本の情勢と国民に詳しかったという。同書論調の最たる根拠としてはこれが真珠湾攻撃以前に用意された文書であること、この書簡が大統領側近に回されたこと、公開された資料からは大統領自身の指紋を著者が確認したことなど。またその項目は後に実行された現実の合衆国政策と符合ないし類似したことなど。また、同項はABCD包囲網とほぼ同義である。 マッカラム覚書F項は、当時、米艦隊の主力兵力は本土に配備されていたことを見ると、ハワイを増強して日本を挑発しようとする意図によるものであり、1940年の年次演習により米艦隊の主力兵力がはじめてハワイに集結したが、当初、演習終了後、艦隊主力をアメリカ西海岸に帰投させる計画であったものをサムナー・ウェルズ国務長官が計画修正して駐留させるよう圧力をかけたとロバート・スティネットは言う。 マッカラム覚書(Page4抜粋 一部邦訳) 9. It is not believed that in the present state of political opinion the United States government is capable of declaring war against Japan without more ado; and it is barely possible that vigorous action on our part might lead the Japanese to modify their attitude. Therefore, the following course of action is suggested A. Make an arrangement with Britain for the use of British bases in the Pacific, particularly Singapore. A. 英領シンガポール太平洋基地の間借りのための英国政府への手配。 B. Make an arrangement with Holland for the use of base facilities and acquisition of supplies in the Dutch East Indies. B. 蘭領東インド諸島基地の間借りのためのオランダ政府への手配。 C. Give all possible aid to the Chinese government of Chiang-Kai-Shek. C. 中国政府蒋介石への援助(日中戦争の真っただ中である) D. Send a division of long range heavy cruisers to the Orient, Philippines, or Singapore. D. 極東フィリピン・シンガポールへ、重巡洋艦で編成される分艦隊の長期的な派遣。 E. Send two divisions of submarines to the Orient. E. 極東への潜水艦で編成される二つの分艦隊の派遣。 F. Keep the main strength of the U.S. fleet now in the Pacific in the vicinity of the Hawaiian Islands. F. ハワイ諸島周辺の太平洋における合衆国主力艦隊の維持。 G. Insist that the Dutch refuse to grant Japanese demands for undue economic concessions, particularly oil. G. 日本が不当に要求する、経済的な権利・採掘権(特に原油)などの拒絶をオランダへ要請。 H. Completely embargo all U.S. trade with Japan, in collaboration with a similar embargo imposed by the British Empire. H. 日米間全ての通商における徹底した船舶抑留と、同様の船舶抑留を共同でイギリス帝国に要請する。 10. If by these means Japan could be led to commit an overt act of war, so much the better. At all events we must be fully prepared to accept the threat of war. 真珠湾攻撃を題材とした作品 映画 『ハワイ・マレー沖海戦』1942年日本 東宝 『太平洋の鷲』1953年日本 東宝 『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』1960年日本 東宝 『トラ・トラ・トラ!』1970年 日米合作 『連合艦隊』1981年日本 東宝 『パール・ハーバー』2001年アメリカ ブエナビスタ 監督:マイケル・ベイ 『ファイナル・カウントダウン』 アニメ 『桃太郎の海鷲』 音楽 Shing02『Pearl Harbor』 脚注 Template 脚注ヘルプ? 参考文献 Template 参照方法? 『戦史叢書 10 ハワイ作戦』, 防衛研修所戦史室, 朝雲新聞社, 1967年 斎藤充功 『昭和史発掘 開戦通告はなぜ遅れたか 』新潮新書 新潮社 ISBN 4106100762 トーランド, ジョン 『大日本帝国の興亡』1巻 暁のZ作戦、毎日新聞社訳、早川書房〈ハヤカワ文庫〉、1984年(原著1970年)。ISBN 4150501017。 トーランド, ジョン 『大日本帝国の興亡』2巻 昇る太陽、毎日新聞社訳、早川書房〈ハヤカワ文庫〉、1984年(原著1970年)。ISBN 4150501025。 トーランド, ジョン 『大日本帝国の興亡』5巻 平和への道、毎日新聞社訳、早川書房〈ハヤカワ文庫〉、1984年(原著1970年)。ISBN 415050105X。 関連項目 タラント空襲 ハル・ノート アメリカ本土空襲 ドーリットル空襲 ワシントン海軍軍縮条約 外部リンク Template Commons? Template Commonscat? 特殊潜航艇を撃沈した駆逐艦ワードの報告、1941年12月13日作成 真珠湾攻撃と日米開戦の真実 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年10月8日 (水) 01 36。
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登録日:2009/12/09 Wed 01 32 51 更新日:2024/04/14 Sun 10 03 41NEW! 所要時間:約 19 分で読めます ▽タグ一覧 WWⅡ 『パールハーバーはクソだ!』 よろしい_ならば戦争だ オアフ島 カミカゼ・アタック トラトラトラ トラ・トラ・トラ! ハワイ パールハーバー リメンバーパールハーバー 世界史 大東亜戦争 太平洋戦争 戦争 戦略的大敗北 戦術的大勝 日本史 歴史 真珠湾 真珠湾攻撃 第二次世界大戦 終わりの始まり 軍事 近代史 開戦の号砲 ニイタカヤマノボレ 一二○八 真珠湾攻撃 日時 1941年12月8日 場所 ハワイ真珠湾 勢力 大日本帝国VSアメリカ合衆国 参加主力艦艇 日本 赤城 加賀 蒼龍 飛龍 翔鶴 瑞鶴 艦載機約350機 その他 戦艦2 巡洋艦3 駆逐艦9 甲標的5 南方攻略作戦に先立ち、米太平洋艦隊撃滅を狙って行った作戦。 この作戦の成功によって、太平洋におけるアメリカ海軍水上打撃部隊は作戦能力を喪失。 その結果、太平洋及び東南アジアの勢力図が一変する事になった。 しかし、ワシントンの日本大使館職員の不手際により宣戦布告が遅れた挙句、宣戦布告の意思の伝達自体にも国際法上重大な問題があり、結果的に真珠湾攻撃は「完全なる騙し討ち」という形になってしまう。 ①「不手際による宣戦布告遅れ」問題の詳細 在米日本大使館は本国から 「これから送る暗号を英訳し正式な文書に直して、後日指定する日時に確実に米国国務長官に渡るように 万難を排して準備せよ 」という厳命を受ける。 届いた暗号はその性質からして現地雇用のアメリカ人通訳やタイピストは使えない上に 内容を見れる権限があってタイプ機を一本指で使える職員は1、2人しかおらず 長文だったので 4、5時間はかかる のが事前にわかっていた。 …のだが 大使館の職員の大半を帰国させて交代を出さない 、という ただごとではないのが明確な命令が出ている のに その帰国する職員の送別会で1日使い 明日やればいいだろうとほとんど手を付けなかった。 翌朝出勤して、まだ4時間以上かかるのが明確な状態で本国から「例の文書を3時間後に米国に手渡せ」の命令が届く。 もちろん予定の時刻(アメリカ側にアポを取った時刻)から2時間近く遅れて、その間に 真珠湾が爆撃されている が その間必死でタイプしている外交官たちは「日米関係は確かに冷え込んでいるがまだ戦争になるほどではないだろう」という認識だった。 そして仕上がった文書を届けにきた外交官たちは2時間の遅刻以外は失態はない(アメリカの要人を2時間待たす時点で問題ではあるが)と思っていた。 ……が、半端ない塩対応をされて追い返された。 そして大使館に帰って初めて事態を認識した。 …夏休みの宿題を放置しつつ現実逃避のために最終日も遊ぶ子供かな? ①「宣戦布告の伝達」問題の詳細 日本も批准していた当時の国際法「開戦に関する条約」においては、「戦争を始める前には、宣戦布告か最後通牒が必須」とされていた。 この「宣戦」というのは具体的に言うと「お前を殺す」という宣言のことで、 「最後通牒」とは「指定の日時までに◯◯という条件に応じなかった時点で開戦に同意したとみなす」というもの。 要するに「貴国と戦争します」という意志をはっきり示しておく必要があった。 しかしこの時在米大使館から米国へ(遅れて)手渡された「不手際で遅れた宣戦布告」こと」「帝国政府ノ対米通牒覚書」には、この「宣戦布告」に相当する文がどこにも存在しない。 この文書内の7条3項において「もう日本としては貴国との交渉に今後望みが持てないということを、残念ながらここに伝えます」と記されているが、これではあくまで「外交交渉打ち切り」の「意志」の「通達」でしかなく、当然宣戦布告でも最後通牒でもないし、厳密に言うと国交断絶宣言ですらない。 国際法上で「宣戦布告」と見做しうるのは、日本のラジオで発信された「米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書」だが、これも真珠湾攻撃の約4時間後にされたものであり、いずれにせよ攻撃には間に合っていない。 つまり先の「帝国政府ノ対米通牒覚書」が仮に時間どおりに米国側に手渡されていたとしても、それは 「交渉中にいきなり殴りかかったあと『お前との交渉を打ち切る』と言った」から 「交渉中に『お前との交渉を打ち切る』と言っていきなり殴りかかった」 になるだけで、「いきなり殴りかかった」、即ち「宣戦布告もなしに攻撃した」事実にはなんの変わりもなかったのである。 そりゃあ目の前で破られても文句言えんわ 「米国は日本が開戦の準備をしてることはわかっていたし、この状況なら外交交渉を完全に打ち切る宣言をすればそれだけで 戦争するんだな という空気を感じ取れた。つまり状況的に『外交交渉の打ち切り=宣戦布告』だから大丈夫」 「米国は暗号解読により事前に日本の攻撃の計画を知っていたのだから、いわばわざと攻撃させたわけで、不意打ちにはならない」 などと言われることもあるが、そもそも「開戦に関する条約」はそういった「国交断絶=戦争OK」の不文律はよくないよね、戦争するなら「これから戦争します」とはっきり宣言してからにしようね、という趣旨で成立したものであり、正式な宣戦布告をしてない以上、国際法的には当然アウトである。 この問題は当然ながら戦後の裁判で取り上げられたが、外交関係者や海軍関係者の間で責任が押し付けあわれて、結局「誰のせいなの?」という結論がでないままの泥沼で終わっている。 ただ当時の国際社会では「開戦に関する条約」は厳密に守られているタイプの国際法とは言えず、実のところ連合国側もたいして追及する姿勢を見せていない。 プロバガンダに使えただけでむしろありがたかったと思われる。 数年前の「日中戦争」や、数年後の「朝鮮戦争」でも宣戦布告なしで戦争が行われたが、これらも特に問題となっていない。後者は正式に終戦しておらず戦争責任を問うことがなかったというのも一因ではあろうが…… 例の大使館職員や外務省の職員も特に責任は問われず、ミスをしていなかった時と同様の出世コースで勤務を続けていた。 その結果アメリカの世論は激昂。 早期講和を目論む日本の思惑とは裏腹に、アメリカとガチで殴り合う形となってしまう。 (なお、前述のとおり宣戦布告に関する協定は実際にはあまり厳密には守られておらず、これほどまでにアメリカ世論を激高させたのは、日本側の情報戦の失敗とも取れるだろう) ついでにいうと真珠湾攻撃の2時間近く前に、陸軍がイギリス領マレーのコタバルにも奇襲攻撃を開始しているが、そちらに至っては 最初から事前宣戦布告をするつもりすらなかったため 、国際法的にはこっちのほうがよっぽど問題行為ではあった(*1)。 ちなみに後日、正式な宣戦の文書をしつらえたチャーチルは在英日本大使に渡しながら 「戦争というのは正々堂々戦う必要はないが、暴力を振るうなら正々堂々としている ように見せる努力 をしても無駄になることはないよ」 と皮肉を効かせている。 因みに「航空機による港湾・停泊艦隊襲撃」はイギリス軍のタラント空襲という先例があり、真珠湾攻撃はこれを参考にしたと言われている(航行中の艦艇撃沈はマレー沖海戦が初)。 概要 帝国海軍はアメリカを仮想敵国と定めて以来、日本近海まで引き付け潜水艦や航空機により戦力を削った後、艦隊決戦を挑む、 いわゆる「漸滅作戦」を根幹に置いていた。 当初は小笠原~マリアナ諸島を戦場と仮定していた。 しかし、『ワシントン軍縮会議』により保有艦艇数をアメリカ・イギリス両国の六割に押さえられ、 更に対日封鎖網によってジリ貧となると「待ち伏せ」が戦略的に成立しなくなるという窮地に陥る。 このため連合艦隊は、1940年、『山本五十六』の指揮でハワイに先制をかけることにまでなった。 しかし軍令部はこの作戦に反対する。 この作戦には正規空母6隻全てを投入する必要があり、もし最悪の事態となった場合日本は制海、制空両権を失うことになるからだ。 また1941年9月に行われた兵棋演習(シミュレーションのこと)において、 敵戦艦5隻、空母2隻の撃沈と引き換えに味方空母3隻沈没、1隻大破となり機動艦隊壊滅という結果がでていたことも軍令部の反対の理由の1つだった。 そこで軍令部を納得させる為に、山本は航空参謀長『大西瀧治郎』にハワイ攻撃の研究を依頼。 その結果、 三千海里に及ぶ航路を秘密裏に航行するのは難しいのでは? 荒天の多い北太平洋でハワイまでの12日間、燃料補給が可能な日が有るか? 真珠湾突入には背面の山を越え、高層ビルの林立する市外を抜いた後、狭い港内へ殺到せねばならない 港内は深度が浅く、従来の魚雷では攻撃不能 これらを何とか出来れば可なり。 しかし、正否は半々(むしろ無謀)であり一考されては? と言うことである。 これを聞いた山本は反対する幕僚に、「長官辞任」を盾に脅迫。 以後、新兵器開発や搭乗員の猛訓練を開始した。 航空隊は山河を縫って山腹を旋回した後海上を超低空で雷撃演習を行った。 こんな超危険飛行を繰り返したが、ほぼ事故無しで作戦を迎える。 因みにこの演習、近隣住民には好評だったらしく、 「荒鷲の曲芸飛行」 と、毎日見物人が絶えなかったとか。 また、天候などについては、 「天佑我に有らば成功せり。もし、失敗に終われば、天佑無きものとして全作戦を放棄すべし」 とした。 1941年11月22日 主力艦艇は択捉島単冠湾に集結。 同26日ハワイに向けて出航。 『ハルノート』を受けた日本は「対米交渉打ち切り」を決意。 12月2日機動部隊に 『ニイタカヤマノボレ一二○八』 の電文を発信。 12月8日未明 天佑有ってか、予定の真珠湾北二百海里に到達。 荒波で片舷15度を超える大傾斜にも関わらず、一次攻撃隊183機は無事発進。 同7時40分 旗艦『赤城』に奇襲成功を告げる「トラ・トラ・トラ」の電文が入る。 二度に渡る爆・雷撃により米太平洋艦隊は、 沈没 戦艦 5 ※内2隻完全喪失 駆逐艦 2 中大破 戦艦 3 巡洋艦 3 航空機 約300 と、壊滅的打撃を被る。 特に戦艦は在泊8隻の全てが何らかの損害を受けており、すぐに使えたのは比較的被害の小さかったペンシルバニアくらい。 日本側の被害は、 甲標的 5 未帰還機 29 の大勝利であった。 真珠湾の九軍神 真珠湾攻撃に先行して潜入した5隻の特殊潜航艇「甲標的」。彼らは長いこと、無謀な作戦に投入され全て無意味に沈没したとされてきたが、 近年の研究によって少なくとも2隻が湾内に潜入し、しかも1隻は雷撃に成功したとされる。 その1隻の魚雷は戦艦オクラホマに命中し、撃沈に大きく寄与したと判定されたのだ。 戦後70年の時を経て彼らの労苦が報われた瞬間である。 その甲標的は乗員2名、5隻全てが未帰還なら10名が軍神扱いになっていいはず。残り1名は…? その1人は生還し、米軍の捕虜になったことが早々に判明していた。「活きて虜囚の辱めを受けず」という馬鹿げた戦陣訓のために彼は無視されたのである。 決死の思いで潜入し、作戦に準じた彼を、国家は見捨てたのだ。 評価 日本海軍はこの作戦で 雷撃 55% 水平爆撃 25% 急降下爆撃 50% という、尋常じゃない命中率を叩き出した。が、燃料タンクや整備施設を破壊出来ず、主力空母を討ちもらし、「手違い」によりアメリカの国民感情を「戦争遂行」へと傾けたことから、「戦略的敗北」と評する者もいる。 「この作戦を事前察知していたアメリカは、ワザとスルー」説もあるが一応警戒命令は出ていたため、「あると思ったがまさかハワイとは……」というのが実情だろう。 「被害が大きすぎる上、機動部隊を逃がす理由がない」 「米軍の予想はフィリピンで予想外」(*2) 「天候悪化、艦艇の不調、軍民問わず偶然の航空機・船舶の遭遇等によって極めて中止になりやすい」 「アメリカ側の司令官が奇襲の責任を取らされて更迭」(*3) 「外洋より港湾内の方がはるかに安全だった」 など、確たる証拠もなく、またアメリカ大統領ルーズベルトが戦中に突然死亡しただけに真相は薮の中。 そもそも「日本側だって変態的技量と山本提督が強行しなければ諦めてた」ので、どれが正しいのかよくわかんない。 一つだけ述べておくと、12月1日に変わった暗号の日本艦艇個別符号を早々と解読していたようであり、3日の報告書には「最近空母が行方知れずであるので調査したい」といった内容もある。 現代の各国でも似たようなものだがセンセーショナルな事件で批判的な人々が陰謀論を元に権力者を引きずりおろそうとするのはではなおのことだった。 余談ではあるが、外交ルートで開戦を回避した場合は、 タカハツギタカヤマヲコエズ と打電される予定であった(*4)。 1970年の日米合作映画「トラ・トラ・トラ!」は、真珠湾攻撃をしっかり描いた傑作である。 何…「パールハーバー」はどうしただと! …あんなメロドラマごときと一緒にすんな! トラ・トラ・トラ ワレ追記・修正二成功セリ △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 通知ミスは日本のここ100年間通して最大の失敗。アメリカが戦時中日本に対して行った原爆を始めとしたあらゆる行為に対して「真珠湾」を使えば幾らでも言い訳できるようになってしまった -- 名無しさん (2013-08-10 00 52 08) ↑そう考えると、当時の通知ミスした外交官たちは、八つ裂きにしても飽き足らないよね(--# -- 名無しさん (2013-12-22 14 59 02) ↑ミスではなくアメリカの策略だった可能性高いよ。事実奇襲の日に都合よく最新鋭戦艦や空母が出払っていてポンコツ旧式戦艦しか残ってないなんてどう考えても不自然 -- 名無しさん (2014-06-14 14 15 13) ちなみに国際法的に考えると対日経済制裁を実行した時点で事実上の戦争状態なので、真珠湾攻撃は防衛行動になる この点はもっと知られるべき -- 名無しさん (2014-06-14 14 31 31) 大体宣戦布告なしに戦争に突入することなんて歴史上珍しいことでもなんでもない。アメリカだってベトナム戦争のとき宣戦布告なんてしてない。負けたからいろいろ言われるだけ -- 名無しさん (2014-06-14 14 41 04) 日本は北朝鮮に経済制裁してるけど北朝鮮に仮に攻撃されたら北朝鮮の防衛行動ってことか(笑) -- 名無しさん (2014-06-16 21 57 39) はだしのゲンでは、ある日系アメリカ人が真珠湾攻撃を引き合いに出して「日本は原爆を落とされても仕方がない」なんてほざいてゲン達を怒らせてたな -- 名無しさん (2014-06-16 22 51 55) ↑2 先に国民を拉致した北朝鮮さんが戦争吹っ掛けてるようなもんじゃないの? -- 名無しさん (2014-06-16 23 14 10) ↑x2 あの人は戦時中アメリカにいて現地人から差別されてたからその怨みもあったはず -- (2014-06-16 23 55 40) パールハーバーはどのあたりいかんかったか分かるよ人いる? -- 名無しさん (2014-06-17 18 44 16) ↑お前はあんなところで作戦会議をする軍隊が有ると思っているのか -- 名無しさん (2014-09-29 21 04 28) 真珠湾攻撃で高射砲に撃墜された兵士の奥さんをハワイに連れてって、当時高射砲射手だった元米兵に会わせるテレビ番組があったが、何で今更そんな残酷な事をするのかと腹立った。 -- 名無しさん (2014-09-29 22 39 58) そういや日露戦争も日本は宣戦布告前にロシアに奇襲攻撃仕掛けてんだよな -- 名無しさん (2014-11-13 14 44 18) 素人考えだけど、事前に機動艦隊を真珠湾の索敵圏外に待機→其れを待って宣戦布告→宣戦布告の知らせが来てから攻撃開始、というわけにはいかんかったのかな? -- 名無しさん (2014-11-13 14 51 58) 日本は総力戦では勝ち目が無かったんだから、早期講和するしかないが、奇襲を喧伝されたことでアメリカ世論は沸騰しそれは不可能になった。国際法とかそういうんじゃなく、日本の戦略目的面から宣戦布告の遅れは完全な失敗だった -- 名無しさん (2014-12-13 13 51 59) 実をいうとアメリカは真珠湾攻撃以前に中国に部隊を送って日本と交戦してる。つまりアメリカの方が奇襲を仕掛けたことになる。これはあまり知られてない。 -- 名無しさん (2015-04-23 23 27 27) ぶっちゃけ通知ミスが無くても大して変わらなかった。まあ、例えそうでも外交官は全員処罰されるべきだが -- 名無しさん (2015-05-31 02 07 25) 仮に燃料タンクや工房を攻撃したところで前者は本土からタンカーを読んで浮かべればいいだけだし、後者は本土の造船所に運んで修理すればいいだけだから 命令外の独断行動で貴重な搭乗員を無駄に死なせたとか批判されるだけだろうな -- 名無しさん (2015-10-09 21 02 08) 庇護意見ばかりだが勝機皆無なのに戦争した時点で日本が悪い。負けなければ少なくともここまで日本が落ちぶれる事はなかった。 -- 名無しさん (2015-10-09 21 18 40) ↑ タイムマシン作って光秀ぶっ殺して信長に天下取ってもらって北米大陸に移民を大量に送り込んで下さいと頼むんだ! -- 名無しさん (2015-10-09 21 21 44) なお九軍神の美談で知られる特殊潜航艇だが、近年の研究で5隻中1隻は雷撃に成功し、戦艦1隻の撃沈に貢献したらしいとわかってきた。 -- 名無しさん (2015-10-09 21 22 38) ↑4それを実行してもめちゃくちゃ不便なのには変わらず、実際に艦隊の運用は相当に制限されたろう -- 名無しさん (2015-10-09 22 21 04) ↑ あの国をなめすぎだろ… そもそも現実的に駆逐艦の燃料の問題からあれ以上あの海域にとどまり続けるのは不可能 -- 名無しさん (2015-10-09 22 27 00) ↑8フライングタイガースのことを指してるのか?あの部隊が日本軍と交戦したのは開戦後だよ -- 名無しさん (2016-05-26 00 26 51) 庇護と美談にし過ぎて気持ち悪い -- 名無しさん (2016-05-26 01 59 06) 山本の評価にしても「軍神」「でたらめな作戦をとる提督」と真っ二つだしな -- 名無しさん (2016-05-26 07 26 42) まあ当時のアメリカは一国で他の国全部と戦えるくらいのチート国家だったからな。そもそも戦争したこと自体が間違い。もっとも、じゃあどうすれば良かったのかと言われても答えられないんだが -- 名無しさん (2016-05-26 07 33 16) わからないのは『知米派』であるはずの山本五十六が、アメリカ国民が奇襲なんてされたら戦意喪失どころか激怒するってことを計算してなかった点。まあ頭でっかちな軍人にありがちでアメリカの工業力だけ脅威に見て国民性を無視してたのかもしれんが -- 名無しさん (2016-05-26 07 41 10) ↑ それは宣戦布告の遅延を知ってる俺らだから言える結果論にすぎないからなあ そもそも奇襲仕掛けなかったら南方作戦中に横やりが入ってそれはそれで詰んでしまうし、これ以上開戦先延ばしにしても日本が不利になるだけだしな。実際ミッドウェーまではアメリカも日本軍の実力を過大評価してて結構いい線まで言ってたけど 緒戦のアメリカの情報統制が上手だったってことで -- 名無しさん (2016-05-26 09 24 24) ↑「日本は勝てる戦争になぜ負けたのか」では欧米かぶれの山本や米内なんかはアメリカになら負けてもかえって日本のためになる、と売国思想を持って無茶な作戦を強いていた可能性を示唆している。言いがかりと思うなら今の日本の政界を見てみたらいい、売国奴が山のようにいるから -- 名無しさん (2016-05-26 10 02 14) 仮に攻撃せずにハルノート受け入れてたら、エセックス級の数が揃ったところでアリゾナが謎の爆発事故で沈没しリメンバーアリゾナを呼び声に海戦⇒石油がつき訓練すらできなくなった日本海軍抵抗すらできず壊滅⇒アメリカ(゚д゚)ウマーという史実より悲惨な結果に終わっただけだろうね -- 名無しさん (2016-07-17 17 17 17) なんであんなのが指揮してたんだかな。結局戦争に負けちまえば後世にまでgdgd言われる事になっちまってるし。 -- 名無しさん (2016-10-04 15 42 29) アメリカもアメリカで日本にかなり圧力をかけたからな。ファシズムと手を組んで怒らせたとは言え。アメリカ許さんぶっ潰すぞってなってた。 -- 名無しさん (2016-10-04 17 01 17) あの当時の西欧諸国もねぇ… -- 名無しさん (2016-10-07 16 38 15) ↑5 売国奴ってアメリカ万歳思想の人のこと?それとも「日本は敗戦国だ、死にぞこないの国だ」って強い敗戦意識を持ってる人のこと? -- 名無しさん (2016-12-29 13 06 32) ↑両方じゃない?あと当のアメリカの知り合い曰く「もっと叩いてもいいよ、別に叩いたらCIAやMIBが暗殺しに来る訳でもあるまいし。」だとか。 -- 名無しさん (2016-12-29 13 16 51) 日本は宣戦布告書なんか出してないよ。あれは単に現在の交渉を打ち切るという通知でしかないから、仮に届いていたとしても交渉しながら攻撃準備していたという向こうの怒りポイントにはなんの違いもない。 -- 名無しさん (2017-06-02 16 05 28) 旧日本軍を擁護したい人が多いんだね。 -- 名無しさん (2017-06-02 16 37 13) コメント欄見てる限りだと、意見と擁護をごっちゃにしてる人が多いみたい -- 名無しさん (2020-01-22 23 23 03) そもそも真珠湾に先駆けで外交通告なしで英領マレーに攻撃仕掛けてるしなー。仏印進駐に続いて英領マレーに手を出せば米もブチ切れ確定なんで真珠湾攻撃と交渉打ち切り通告タイミングの齟齬なんて些末な問題なのよね -- 名無しさん (2020-10-17 20 02 17) てかそもそも事前に宣戦布告されたからって米国民ブチギレは変わらなく無いか?どっちみち早期講和なんてできる訳ないと思うが。アメリカ的には長期戦すりゃ確定的に勝てる訳だし。 -- 名無しさん (2021-02-12 11 29 55) それが真珠湾依然のアメリカ世論は、どっちかというと戦争忌避の気配が強かった。第1次大戦は政財界からはともかく、大衆からすれば「骨折り損のくたびれもうけ」だったし、だから第2次大戦でもヨーロッパへの介入を望んだ政財界に対して、国民世論はやっぱり「否」気味だった。「早期講和ならなんとか……」との希望的観測をしてしまったのもまあわかる。しかしその国民がマジでブチ切れて参戦に振り切れたのが真珠湾なのだ。 -- 名無しさん (2022-07-20 18 53 24) チャーチルがイギリス人すぎる返しで切れ味鋭い -- 名無しさん (2022-07-25 20 10 12) ?なんか「宣戦布告」と「帝国政府ノ対米通牒覚書」が別だと思ってない?「外務省の不手際で通達が送れた宣戦布告」ってのはつまり「帝国政府ノ対米通牒覚書」のことで、これの内容が国際法の定めるところの「宣戦布告」の条件を満たしてないって話だよ。「仲良くしません」じゃなくて「戦争します」って言わなければならなかったところを、言ってなかったってこと-- 名無しさん (2022-09-03 18 31 15) 宣戦布告を不手際で遅らせた大使館職員たちは戦中・戦後を通じて普通に出世しているので外務省の中では致命的な失点とは見なされてなかったんじゃないかな。 -- 名無しさん (2023-01-12 11 43 48) 記事にもある通りあの文書は「宣戦布告」ではないし、暗号解読に当たった現場の外交官も「宣戦布告だという認識はなかった」と言ってる。戦後の裁判でも「外交官は確かに不手際だったが、そもそも上層部が奇襲の意図でギリギリまで伝達を遅らせたのが原因」的な判決になってて、現場の外交官の責任はほぼ問われてないからね -- 名無しさん (2023-01-12 20 48 30) もし奇襲じゃなくても損害が軽微でも植民地じゃなく国内を攻撃されたアメリカ人が戦争に消極的のままとかありえるのかなって思った。 -- 名無しさん (2023-06-13 16 06 12) ↑当時本土を攻撃されたことがないアメリカ(および日本)は本土を攻撃されるとパニックになって、政府が倒れ、降伏するのではないかと言う意見もあった。あとからすれば甘い考えだったけど、それは結果論にすぎない。 -- (2023-12-13 22 38 40) そりゃそんな意見もあったけど、結果「論」と呼べるほどまっとうな論ではなく、現代でいえば「1年以内にロシアは滅亡し中国は分裂する!」みたいな希望的観測と区別がついてないキワモノ論に過ぎない。開戦前にちゃんとしたシンクタンク(総力戦研究所)が出した報告でも「勝てないよ?どう考えてもムリよ?」と断言されてるし、それを否定した東条ですら「厭戦気分が~」みたいな夢物語はしてない。在野の論客やマスコミは無責任な希望的観測にすがった主戦論を張っていたし、それ以外に勝ち筋がないから首脳陣もすがらざるを得なかったという面もまああるのだけど、しかしさすがにそれを自分たちで完全に信じ込むほど当時の首脳陣もバカではないのだ。 -- 名無しさん (2023-12-14 01 15 43) 秋丸機関「やめとけ」 -- 名無しさん (2023-12-14 09 36 06) 名前 コメント
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勝利・敗北条件 勝利条件:航空基地、及び艦船の撃滅 敗北条件:隊長機の全滅、または燃料切れ 彼我戦力 味方一覧 指揮官 兵種 備考 南雲(Lv20) 天号聯隊(Lv20)×7 嶋崎(Lv15) 捷号聯隊(Lv10)×7 市原(Lv15) 捷号聯隊(Lv10)×7 江草(Lv15) 捷号聯隊(Lv10)×7 小林(Lv15) 捷号聯隊(Lv10)×7 千早(Lv15) 捷号聯隊(Lv10)×7 牧野(Lv15) 捷号聯隊(Lv10)×7 進藤(Lv15) 捷号聯隊(Lv10)×7 二階堂(Lv15) 捷号聯隊(Lv10)×7 飯田(Lv15) 捷号聯隊(Lv10)×7 能野(Lv15) 捷号聯隊(Lv10)×7 敵一覧 指揮官 兵種1 兵種2 兵種3 兵種4 備考 キンメル(Lv20) インディペンデンス・ガード(Lv20)×7 スカウトスナイパー(Lv20)×6 突撃猟兵(Lv20)×12 ファーロング(Lv15) コンバットコマンド(Lv10)×7 突撃歩兵(Lv10)×16 先鋒鍬兵(Lv10)×8 陣地守備隊(Lv10)×8 基地防衛隊(Lv15) コンバットコマンド(Lv10)×4 突撃歩兵(Lv10)×8 先鋒鍬兵(Lv10)×4 フェデラル・トルーパー(Lv10)×3 同じ編成の部隊で×2 基地防衛隊(Lv15) コンバットコマンド(Lv10)×3 突撃歩兵(Lv10)×8 先鋒鍬兵(Lv10)×3 フェデラル・トルーパー(Lv10)×4 基地防衛隊(Lv15) コンバットコマンド(Lv10)×2 突撃歩兵(Lv10)×8 先鋒鍬兵(Lv10)×4 フェデラル・トルーパー(Lv10)×3 基地防衛隊(Lv15) コンバットコマンド(Lv10)×3 突撃歩兵(Lv10)×8 先鋒鍬兵(Lv10)×3 フェデラル・トルーパー(Lv10)×2 基地防衛隊(Lv15) コンバットコマンド(Lv10)×3 突撃歩兵(Lv10)×7 先鋒鍬兵(Lv10)×4 フェデラル・トルーパー(Lv10)×3 基地防衛隊(Lv15) 突撃歩兵(Lv10)×12 先鋒鍬兵(Lv10)×3 フェデラル・トルーパー(Lv10)×3 高射砲部隊(Lv15) 陣地守備隊(Lv10)×4 フェデラル・トルーパー(Lv10)×2 同じ編成の部隊で×2 高射砲部隊(Lv15) 陣地守備隊(Lv10)×2 フェデラル・トルーパー(Lv10)×2 同じ編成の部隊で×2 高射砲部隊(Lv15) 陣地守備隊(Lv10)×3 フェデラル・トルーパー(Lv10)×2 戦闘中イベント 敵艦隊が8隻配置されているが味方の空襲でペンシルベニアとネバダ以外は轟沈。 攻略法 勝利条件が敵の殲滅ではなく航空基地と艦船の破壊である点に留意。 手前側のカネオヘ、ベローズ・フィールド、中央のパールハーバーを攻略したらビッカム・フィールドは後回しにして下側のエワ飛行場に向かおう。 遠回りにはなるが自部隊のほうが機動力があるので引きつけた敵地上部隊の脇をすり抜け設備破壊に専念できる。 備考:味方の戦艦はフレーバーで援護射撃などはしてくれないのでバフはかけなくていい。 奇襲するはずが奇襲される。 -- 名無しさん (2017-07-30 04 04 37) 開幕に爆撃食らってクソワロタ -- 名無しさん (2017-08-02 22 36 29) 南雲ネキ・・・ -- 名無しさん (2017-08-03 11 25 49) 、、、、真珠湾攻撃陰謀説 -- 名無しさん (2021-08-21 15 11 58) 名前 コメント
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真珠湾攻撃陰謀説(しんじゅわんこうげきいんぼうせつ)は日本時間の1941年12月8日、大日本帝国海軍の真珠湾攻撃をアメリカ合衆国大統領のフランクリン・ルーズベルトが、事前察知をしながらそれをわざと放置した、という説である。この説は戦時中の日本でも唱えられていた。 背景と出版物 日本海軍による真珠湾(パールハーバー)攻撃はアメリカにとっても大事件であり、日本人が想像する以上の屈辱的事件であった。それは二度の原爆投下を経てこの太平洋戦争に完全勝利しても拭い切れないものだった。ヒトカップ湾からハワイのパールハーバーまで、31隻からなる艦隊で北太平洋を横断する大長征を行い、しかも戦艦や駆逐艦が多数駐留しているところへ、奇襲に成功したことは、非常に稀なケースである。それだけに様々な憶測が生まれた。なかでも「ルーズベルトは日本の攻撃を諜報局から知らされていたにも拘らず、あえて放置し、攻撃を許すことでアメリカの参戦を国民に認めさせた」とする真珠湾攻撃陰謀説が開戦後60年以上たっても、繰り返し論議される。しかもそれを日本とアメリカ双方で信じる多くの人々がおり、論争が起こっている。 歴史家のチャールズ・ピアードは戦争責任はルーズベルトにあり、『ルーズベルトが引き起こした戦争1941』を発表し、日本でも大鷹正次郎の『第二次大戦責任論』がある。ロバート・セオボルド『真珠湾の審判』、ジェームス・バーンズ『ルーズベルト』、ロベルタ・ウォールステッター『パール・ハーバー』が出版された。ジョン・トーランド『真珠湾攻撃』が大きな話題を呼び、ロバート・B・スティネットロバート・B・スティネット(Robert B. Stinnett)、1924年 -、カリフォルニア州オークランド出生。真珠湾攻撃時は高校在学中だった。翌1942年卒業と同時に海軍に入隊し、1946年まで現大統領のジョージ・W・ブッシュの元で太平洋、大西洋の両洋の戦場に従軍。その軍功に対し青銅従軍星章10個並びに大統領感謝状を授与した。戦後オークランド・トリビューン紙の写真部員兼記者を勤めたのち、「真珠湾の真実」執筆のため退社する。出版を重ね、英国、イタリアでも出版。BBC、NHK、テレビ朝日の太平洋戦争顧問でもある。『真珠湾の真実』が最近の書である。歴史家が真珠湾に関するもので比較的信頼されるものはゴードン・プランゲ『真珠湾は眠っていたか』である。20世紀末の「機密文書情報公開法」で事前察知を記した公式文書が色々明らかになっているが、これには諸説あり、評価が定まっていない。 ABCD包囲網 ABCD包囲網ラインとはA(アメリカ)、B(イギリス)、C(中国)、D(オランダ)による軍事的、経済的封鎖の包囲陣が作られ、そのためにやむを得ず戦争を起こさせられたという事件だが、ルーズベルトの陰謀説もこれの一部である。 秦郁彦(『検証・真珠湾の真実』の編者)はABCDの国々の間で早い段階から対日戦が計画にあったのかどうかであり、イギリスやオランダの領地が日本に攻撃されたとき必ずアメリカは参戦すると密約があったとするものである。ワシントンとシンガポールでその会議は行われ、その報告書は「ABC-1」、「ADB-1」と呼ばれ、「レインボー5号」になったとされている。米政府は日本軍の南部仏印に進駐するをみて7月26日に日本資産凍結を発表した。これは必ずしも貿易の禁止を意味するものではなかったが、米国内の資産で貿易を決済出来ない事になるのであるから、事実上の禁輸であり英国、蘭印もこれにならった。米国が日本への石油の輸出をやめれば蘭印の石油を日本が奪いにくることは明白だったので、蘭印政府は米国に蘭印への軍事援助があるかどうか打診したが、米側からは回答がなかった。しかし日本は石油・ゴム・スズ・屑鉄の軍事物資が止められたので止む無く戦争を始めたといっているが、そうではなく、以前の7月2日の御前会議で「情勢推移に伴う帝國国策要綱」で「南方進出の態勢を強化す」「帝國は本号達成のため対英米戦を辞さず」としていた。戦争への引き金はABCD包囲網ではなかった。(検証・真珠湾の謎と真実) 須藤眞志は大統領が承認していないので、米政府を縛る拘束力もなく、「レインボー5号」の作成に関係があったのか証明が出来ず、ABCDラインの証拠ともならないとしている。 ジョージ・モーゲンスターンジョージ・モーゲンスターン(George Morgenstern)、1906-1988年、米国・シカゴ生まれ。シカゴ大学で歴史学専攻後、25年新聞界で働く。『シカゴトリビューン紙の外交問題と国際問題の論説委員だった。第二次世界大戦中は海兵隊大尉として海兵隊総司令部広報部付ニュース班長だった。海兵少佐で退官。は両報告書は陸海軍トップの承認後6月に大統領に提出されたとしているが、「これは各国の承認を必要とする」として承認は拒否されたとしている。 チャーチルとの密約はあったか 1941年8月9日からルーズベルトとウィンストン・チャーチルはニューファンドランド島の沖合のアルジェンチアで会談を行った。チャーチルは何としてもアメリカをヨーロッパ戦争に参加させナチス・ドイツとの戦争に勝利しなければならなかったのである。アメリカは中立法(孤立主義、モンロー主義)があり、戦争に巻き込まれないことを信条とし、それをルーズベルトは公約にしていたのだった。 当時アメリカはイギリスと同盟は組んでいなかった。アメリカの懸念は日本が南進したときにアメリカはどうすべきかと言うことだった。ルーズベルトは日本に警告文野村吉三郎大使に渡した覚書「日本政府が隣国諸国を武力、若しくは武力威嚇による軍事的支配の政策、もしくはプログラム遂行のため、さらに何らかの措置を執るについては合衆国政府は説きを移さず合衆国及び米国民の合法なる権利防衛のため、及び合衆国の安全保障を確保する為同政府が必要と認める一切の手段を講ずるを余儀なくせらるべき旨言明することを必要なりと思考す。」を発したが、これは陰謀説を唱える者の証拠とされる。 が、8月の時点では山本五十六考案の真珠湾攻撃のプランが出来ており、警告文ではアメリカ側のほうでは、そのようなことを予測しているように見えず、南方地域への日本の攻撃を想定していたものと考えられる。 ハル・ノートは最後通牒か ハル・ノートは日本の教育では日本が50年以上かけて築き上げたアジアの占領地及び同盟関係もをすべて放棄せよ、と言う内容だが、このときにはもう南雲忠一中将率いる機動部隊は択捉島のヒトカップ湾を出航、ハワイに向けて出撃していた。ハル・ノートをみた東郷外相は「目もくらむような衝撃に打たれた」『時代の一面』(原書房、1989年)と回顧しており、日本にとっては到底受け入れられない内容であった。開戦後日本はアメリカの最後通牒であったと発表したが、実際はもう出撃していてたしかに内容は挑発的だったがこれが戦争原因とはいえない。しかしハル・ノートは開戦派と和戦派の争いに決着をつけ、対米戦に一丸となって行くことを決意させた。 1941年11月26日、ホワイトハウスに朝九時に財務長官のモーゲンソーが尋ねているが、大統領はハル国務長官との長い電話だった。状況からハルが暫定協定案の放棄の許可を求めてきたものと思われるが、証拠はない。 ハルノートが戦争を誘発するかもしれないとする認識はハルにもルーズベルトにもあったと思われる。ルーズベルトは「先に日本に一発撃たせる方法はないか」と語ったそうである。この事からルーズベルトは日本と戦争をしたがっていることはまず明白であり、何らかの策を探っていたことが分かる。 キンメルとショートの(スケープゲート)名誉回復問題 1995年に米太平洋艦隊司令長官ハズバンド・キンメルとハワイ駐留の陸軍司令長官ウォルター・ショートの遺族らが、名誉を回復せよという訴えを起こした。 1995年に国防次官のドーン委員長とする真珠湾調査委員会が50年ぶりに出来た。1999年に4月に共和党のウィリアム上院議員らによって二人の名誉回復を大統領に求める共同決議案が提出された。この問題はニューヨークタイムズスケープゲートでも取り上げられた。ただし、内容をみると「ワシントンD.C.の軍の司令官たちは日本がすぐにでも攻撃してくるかもしれないと示唆する諜報当局の報告を知っていた。 」と言う表現であり、場所も時間も特定されておらず、事前察知とは言いにくい。 内容は「その票決(2890億ドルの軍事支出議案への改正に関する52~47)は、1941年12月7日に攻撃されたハワイへの日本の衝撃的な忌々しい攻撃を、予想することができなかったことで非難された米軍の指揮官ハズバンド・E・キンメル海軍大将と、ウォルター・C・ショート陸軍中将を赦免することを目的とした。上院は、今日、1941年に真珠湾の爆破の結果として、職務怠慢で訴えられた2人の上級将校の名前を取り除くために、投票を行った。投票は、第二次大戦後、上院からベテランが退職して数が少なくなる中、感情的な議論の末行われた。」 議論の末、僅差で2回とも議決議案を通過したが、ビル・クリントン、ジョージ・W・ブッシュとも署名をせず、ロス議員も落選してしまったが、議会の公式見解では二人の名誉回復は成ったということになっている。 ポポフとゾルゲの二人のスパイ ゾルゲ通報説(須藤眞志) この疑惑の中に二人のスパイ活動によって、ルーズベルトは日本の真珠湾攻撃を事前察知した、というものである。ゾルゲが日本で暗躍し、リヒャルト・ゾルゲが真珠湾攻撃の情報がソ連に伝えられ、スターリンによってルーズベルトに知らされたというもの(ゾルゲ通報説・ゾルゲ事件)。1951年5月17日に、ニューヨーク・「デイリーニュース」に、政治記者のジョン・オドンネルがゾルゲの告白文からモスクワからワシントンに真珠湾攻撃の情報が伝えられたという、暴露記事を載せたことによる。オドンネルは「確かに自分はみた。それが誰かによってファイルから削除された。」そのことからルーズベルト陰謀論は再燃した。ゾルゲは逮捕後、検察に対しかなり詳しい供述を行い、また彼の獄中の手記もあり、全て公表されているが、日本での資料を見る限り、ゾルゲが予め知ってそれをソ連に伝えたという告白文はない。 戦後GHQによる押収された日本の特高警察の機密文書の中に、ゾルゲの告白文があり、それがワシントン陸軍省に保管されているという。それは「1941年10月に日本は60日以内に真珠湾攻撃を行うという計画を持っている、とモスクワに報告した」というもの。ゾルゲは10月8日に逮捕されているので、その報告は10月の何日のものかはっきりしない。不自然なことはオドンネル以外に誰もその資料を見たことがないということと、日本側に資料が存在しないことである。ゾルゲは確かに特高警察の取調べを受けているが、真珠湾攻撃を予め知っていたという調書は存在しない。ゾルゲは独ソ、日ソに対しての諜報活動を行い、ソ連に関してのドイツと日本の軍事行動について調べていた。ゾルゲはソ連人でありながら、ドイツナチス党に偽りの入党し、「フランクフルター・ツァイツング」の記者として入国し、ドイツ大使のオットーの信頼を得て、情報を収集していた。その情報は詳細かつ正確で六月のソ連侵攻も伝えていたほどである。日本については尾崎秀実(ほつみ)から情報を得て、それを元に分析してソ連に送っていた。米英については「日華事変と日独同盟政策に加え、日本が南方政策を打ち出したことにより、日本と米英の関係は悪化し、この両国は日本の敵となった。」ソ連に対しては「1941年の夏、または秋に日本がソ連攻撃に出ることはない、少なくとも翌春までにはない。」と『ゾルゲの獄中記』(山手書房新社)で書いている。ゾルゲは「尾崎が持っていた重要な情報源は近衛公爵を取り巻く、側近たちで、風見章、西園寺公一(きんかず)、犬養健(たける)、後藤隆之助、尾崎秀実らによる情報源を得ていた。」と述べている。近衛側近ととソ連へ報告していた彼らは、「昭和研究会」のメンバーでもあり、その情報の中身は軍事的、および政治的情報は少なかったといわれる。御前会議で南方作戦を執り米英との戦争も辞さずと日本がしたのはゾルゲにとって歓迎すべき情報であった。ゾルゲは尾崎秀実らの密告の情報の中身を分析し、10月から年末にかけて、日米開戦があるだろうとモスクワに報告した。ゾルゲの情報はかなり当っていたが、スターリンは彼の情報を余り信じていなかったようで、それをルーズベルトに知らせたという証拠は今のところない。日本の攻撃目標が真珠湾であることは知らせていない。 もうひとつの陰謀説に「アメリカからロシアに帰るソ連船が機動部隊と遭遇することを予め日本側に知らせていたのではないか」というもの。機動部隊の行動をソ連が知ったのはゾルゲの報告に違いないという推理である。(エドウィン・レートンの『太平洋戦争暗号作戦』)11月29日に「サンフランシスコを出て極東に向かったソ連船に遭遇する虞れがあるとの情報が着たが今日まで何もなかった。」(『戦史業書ハワイ作戦』)レートンは日本の機動部隊に遭遇するかもしれないことを、ソ連が予め知らせたのではないかと推理を打ち出した。だとすれば機動部隊の任務は真珠湾攻撃であることをスターリンは知っていたということになる。この船はサンフランシスコを出港したウリッキー号であったと特定している。アメリカ側から積み出された貴重な兵器を積んでいた。スターリンは日本と揉めて貴重な兵器を失いたくなかったのではないか。また米からもたらされた、41年6月のドイツの攻撃の情報の返礼として、真珠湾に向かう日本機動部隊の情報を教えたのではないだろうか、と言う説である。阿川弘之の『山本五十六』に「南雲艦隊は12月6日、第三国の行逢船を認めた。もし、どこかへ無電で機動部隊の動向を通報するようなら、海底へ消し去っていた。」と言う文があり、機動部隊は外国船と遭遇していた可能性がある。レートンはこの英訳を読んでいるふしがある。今のところ遭遇したとする記述はない。ゾルゲは攻撃目標が真珠湾であることを知らなかったようである。 ポポフ通報説 ドスコ・ポポフドスコ・ポポフ。ユーゴスラビア人でドイツのスパイであったが、イギリスに寝返って、今度はイギリスの諜報員として行動した。二重スパイ。MI6にいたイアン・フレミングが小説「007」のモデルとして描き、映画にもなったことで有名になった。「トライシクル・三輪車」という暗号名でプレイボーイで乱れた生活を送っていたようである。というイギリスの二重スパイがニューヨークのFBIにいき真珠湾攻撃を教えた、と言う説。ポポフの回顧録によれば、当時ポルトガルのリスボンにあったドイツ情報部から情報収集とスパイ網を作るように指令されて米に渡るが、その中に日本からドイツへの「ハワイのオアフ島にある、軍事施設、真珠湾の米艦船の停泊状況、湾内の水深などを調べて報告するように」との依頼があった。ポポフは米につくなり、NYのFBIにこの真珠湾の件を話して、日本の真珠湾攻撃の可能性を強く主張した。FBIのフーバー長官は、二重スパイであり、プレイボーイであるこのポポフの話を真ともに聞こうとせず、そのままにした。 問題はフーバーだがこの情報をルーズベルトに伝えたかどうかであるが、ポポフが提出したとする書類は国務省やナショナル・アーカイブスでも発見されていなかったが、1982年の「アメリカン・ヒストリカル・レビュー」にミシガン州立大学歴史学部のジョン・F・ブラッツェルとレスリー・B・ラウトの二人がFBIファイルのなかで発見したと発表した。ポポフは明らかにFBIに真珠湾の調査を依頼されていたことを報告した証拠がある、とした。秦郁彦氏の『検証・真珠湾の謎と真実』のなかのP130で「そのフーバーFBI長官は、一度だけ、真珠湾攻撃について証言したことがある。中略。真珠湾爆撃のその瞬間まで絶対的な警戒態勢をとるべしとの指示であった。11月26日に『太平洋の調査員』が入手した情報ということになっている」が、ここの内容はバンコク、シンガポール、クラ地峡であり、真珠湾とは書いていない。明らかに秦郁彦氏のミスで、これはポポフの情報とみて間違いないだろう。ヒトラーも日本の真珠湾攻撃の可能性をコメントしている。 日本側では海軍士官の吉川猛夫を、森村正という名前でスパイとして送り込んでいるので、必要な情報は送られてきたので、同じような調査をドイツに依頼するとは思えない。しかし、カールトン・ケッチャムという元空軍大佐が、フーバー長官がハワイに来たとき、日本の真珠湾攻撃について「ルーズベルトにたしかに通報した」と証言した。「極東の諜報員から日本がパールハーバーか、フィリピンのクラークフィールドを攻撃する予定である」と警告を受けたと話したとのことである。攻撃の危険を感じたフーバーはこのことを、キンメルやショートに知らせるべきだと進言したが、大統領は十分な回答を得なかった。 アメリカは暗号を解読していたか スティネット アメリカの暗号解読班は津暗号を知り尽くしていた。それは、アメリカが初めてこの暗号を破ったのは、1920年代のことだったからである。1941年頃日本はアメリカの暗号を出し抜こうと、この暗号に三ヶ月毎に細かい変更を加えていた。Jシリーズ暗号の三つの各々が1941年に使用されたが、一日も経たないうちに破られてしまった。アメリカの解読班の裏をかく事はできなかったのであるJ シリーズは元々皮肉を込めて暗号関係者の専門語で「直接法」と言われている方法で解読された。直接的と言われる所以は、日本外務省の急使の手荷物を盗むなどの手段が用いられたからである。たとえば福田急使がサンフランシスコの税関を通過しようとするとき、米海軍が税関吏を装って暗号書の入っている箱を開け暗号書の内容を急いで写真に撮って返し、通関を許可したりもしくは公然と買うこともあった桑港の諜報員は八幡丸の無線局長T・ハラダから日本商船暗号「辛」(海軍暗号書)を四万ドルで買った(『真珠湾の真実-欺瞞の日』)。。『真珠湾の真実-欺瞞の日』。 10月になると太平洋艦隊通信解析主任ホーマー・キスナー米軍暗号解読者が、“親鶏”(第三艦隊)、“子鶏”(侵攻部隊)の正体を知ることができた、と記しているロシュホートの「広範な航空作戦」については1941年22日の通信概要より、RG80,PHLO,BOX41,第二公文書館参照。著者のファイルにコピーがある。。日本の艦艇は基本的な通信機密保全を守ることを怠ったため、傍受局Hの暗号解読班は、第三艦隊の編成を知ることができた。米軍暗号解読者によると、第一艦隊の六隻のどの空母も連絡を取ることはなく、東南アジアではなく、常に太平洋を横断して当方ハワイに向かう行動に関連しているように思えた9月の早い時期にシアトルの第13海軍区(COM13)司令官チャールズ・フリーマン少将は「敵の潜水艦の脅威」について言及、北太平洋とアラスカの偵察機の飛行を実施して、「奇襲を予防する」許可を海軍作戦部長ハロルド・スターク大将に求めた。フリーマンに許可はなかった。RG187,COM13,Confidential通し番号121129,1941年9月17日付、シアトル国立公文書館参照。著者のファイルにコピーがある。。9月が終わり日本は中国から主要な艦船と航空部隊の大半を引き上げさせた。マッカラムの覚書に「戦争を企図している国は武力行為に出る前に、船舶が拿捕されたり、破壊されたりする地域から、商船と派遣中の海軍部隊を引き上げさせると思われる」ロシュホートのハワイ方面へ先行する日本の潜水艦の追跡証言は1941年1月24日、25日、26日の通信概要日報参照。第二公文館。とある。ワシントンは戦争の序曲と理解した。米情報部は商船を中心に無線を傍受していたのが分かる。日本商船にはJAPANからJで始まる記号を割り当てていた。龍田丸は「JFYC」であった。軍艦と海軍基地は仮名文字二字と数字一字だった。空母赤城は「8ユナ」だった。『真珠湾の真実-欺瞞の日』。 秦郁彦(左近允 尚敏) スティネットの『真珠湾の真実』に対して秦郁彦は反論を展開している。序章と後方の記述が違い過ぎ、原書ページで5ページと324ページでまるで正反対である。秦郁彦は1999年3月メリーランド州カレッジパークの国立公文書館でJN-25bの解読作業に関する文書OP-20-Gを発見、1941年12月1日の時点ではJN-25bのほんのわずかな暗号を、解明できずただの一通も解読できなかった、という事実であり、JN-25bが解読されていたという主張を論破するものである、と主張している(『検証・真珠湾の謎と真実』)。 外務省の主暗号は解読されていた。連合軍は沿岸監視員、フィリピン・ゲリラ、市販の書籍、雑誌、新聞、または公刊資料などから、理論的に解析、敵の暗号書に近い物を作り上げるが、真珠湾攻撃前に日本外務省の主暗号を真珠湾攻撃前に解読した。(『検証・真珠湾の謎と真実』)。 しかし、艦船の位置を特定する「方位測定」は敵電波の方位を測定することであるが、長距離で二箇所以上で同時に測定しなければならない。(以下ジャスパーホルムズの著書)当時ハワイの通信情報班ステーションHにいたジャスパーホルムズ(後大佐)1979年の著書の内容当時の方位測定機の多くは実際の方向と逆の方向(180度真反対)のいずれかは識別することが出来なかった。12月7日(攻撃当日)1100(午前11時)オアフ島のアルアレイの方位測定機が357度方向に日本空母を測定したが、それまでのキンメル太平洋艦隊司令長官の情報はすべて南方にあるというものであった。(『検証・真珠湾の謎と真実』)。 日本外務省は九七式欧文印字機という暗号機(アメリカのコード名パープル、パープル暗号機)を使用していたが、アメリカはこれを複製することに成功していた。パープルや領事用の解読情報はマジックと呼ばれた。パープル電報の傍受はベインブリッジ(ワシントン州)とサンフランシスコ傍受所で米軍は97%から98%解読できた。日本外務省はこの暗号機に自信をもち、解読されているとは知らなかった。(『検証・真珠湾の謎と真実』)。 マッカラムの覚書 秦郁彦・マッカラム・メモは開戦の呼水になったのか アーサー・マッカラム(マコーラム)アーサー・マッカラム少佐(Arthur N.McCollum)は海軍情報部極東班長。生年不詳。牧師の子として日本で生まれ育つ。日本での出生地など詳細不明。1921年アナポリス海軍士官学校卒業生で、知日派であり日本語に堪能だったことから、少中尉時代(大正末期)に日本語の語学将校として日本に駐在し、以降情報部の任務に携わる。1904年から1941年は海軍情報部(ONI)極東班長の職にある。皇太子時代の昭和天皇裕仁にダンスを教えたことがある。知日派ではあっても親日派と言うことはなく、むしろ反日傾向がある。(1970年米海軍協会のオーラル・ヒストリー事業の回想録)の1940年10月7日付のメモ。スティネットによると、彼が国立公文書館(ナショナル・アーカイブス)で1995年1月24日に発見したもので、直属上司の海軍情報部長(ウォルター・S・アンダーソン大佐)にあてたもので、「太平洋地域の情勢評価と米国がとるべき行動についての勧告」とタイトルがある。 太平洋、特にシンガポールなど、太平洋における英軍基地を利用するため英国と同盟ないし、協定を結ぶ。 蘭印にある基地の使用、補給物資の調達についてオランダ政府と協定を結ぶ。 中国(蒋介石政権)にたいし、可能な限りの援助を与える。 航続能力の高い重巡洋艦の一個隊を極東、フィリピン、シンガポールに派遣する。 潜水艦二個隊を極東に派遣する。 合衆国ハワイ艦隊の主力を引き続き駐留させる。 英国と共同し、日本に対し全面禁輸し、米国内の日本資産凍結を実施する。 これらの行動を実施すれば日本は対米戦に突入するだろうと結論しているが、これには米国が日本に対して絶対優位にあり、その気になれば日本を完膚なきまでに叩き潰せるだろうという、思い上がりがあった。 改めて検証すればレヴェルの高い文書でもなく、「ルーズベルト政権によって裁可された『対日開戦促進計画』の文書」(”欺瞞の日”の中西評)でもない。しかも彼は中間管理職であり、上に作戦部次長、作戦部長、情報部長、戦争計画部長もいて、ルーズベルトまでこのメモがいくなど、普通では考えられないことである。スティネットがいうような確実な証拠はない。 無線封止は守られていたか スティネット スティネット ハワイ作戦に向かった機動部隊が、とくに司令長官である南雲忠一が60回も無線封止を破ったとスティネットは書いている。真珠湾攻撃に関与した日本海軍将校は第一、第五航空戦隊空母は完全な無線封じを行っていたと主張し、米側がキャッチした電報は空母赤城やその他の軍艦になりすまして発信した偽電を傍受したものであるという。キンメル司令官の情報参謀エドウィン・レイトンは1985年に刊行した著書の中で「日本は偽電を打っていない」と証言し、「偽電はこれまでに発見されていないし、もし日本が偽電を実施していたらそれは馬鹿げたことで、見破られていた」と言っている(『真珠湾の真実-欺瞞の日』)。 須藤眞志 須藤眞志は無線封止は守られていたと言っている。出発した機動部隊が途中で見つかれば全ては水泡に帰すから、天候上の理由から非常に危険な北方ルートを決断せねばならなかった。大遠征で航海中、給油をせねばならぬが、海上が荒れていれば不可能である。海軍では軍令部が中心となって、連合艦隊、第一航空隊との間で通信計画が作成された。「電波戦闘管制」は最厳重な管制の場合で作戦上、緊急電報送信のほか、一切を電波発信禁止し、最高司令長官のみ命ずることが出来る。その60回も命令違反をしたというのは訳者の妹尾氏は「機動部隊は11月末から12月初めにかけ、最大風速35Mの台風にやられ、散り散りになった、艦隊を呼び集めるため、発光信号は頼りにならず、止む無く『禁断の電鍵』を叩いた」と証言している(『諸君』2002年6月号)。ところが逆の証言が多く、「北太平洋が思ったより穏やかで海霧が視程を低下してくれて助かり、洋上補給もうまくいった」と源田実は述べている(『真珠湾作戦回顧録』)。 当時の海軍のモラルをを問題にし、無線封止が本当に守られていないならば南雲中将は愚将であるが、日本海軍軍人のモラルとは一体なんだったのか問わざるを得ない。かくのごとく、無線封止は、命をかけてまで守るほどの重要なことであり、命令違反ではないにせよ、部下が命をかけて守ろうとしていた無線封止を上官である南雲や長谷川が簡単に破ったとは到底信じられない。スティネットが発見したとしている傍受電波の記録の信憑性であるが、何ひとつとして公開されておらず、米公文書館に所蔵されているとのことであるが、スティネット以外、誰も目にしていない。 戦後になって判明した事実がある。伊号二三潜水艦が一時行方不明12月7日午後0時10分(現地時間)、アメリカ海軍司令部に一つの暗号電報が入電。「ワレ、日本潜水艦ヲ撃沈セリ。」米軍艦が、公海上 ── アメリカの領海外において、日本海軍の潜水艦を攻撃、撃沈した事を報告する暗号電報。(米国海軍ヒューウィット調査機関提出書類75(1945年6月7日)、みすず書房『現代史資料 35巻』) このように、米軍は日本よりも先に手をだし、潜水艦を撃沈している。 になり、その捜索のため、淵田美津雄が一度だけ電波を出したことがあると発言した(半藤一利『真珠湾の日』)。 (須藤眞志氏は無線封止は完全に守られていたといいながら、淵田が電波を出したことがあるとするなど、論理に矛盾が見られる。) 秦郁彦 秦郁彦氏も無線封止は守られていたと断言する。スティネットは真珠湾直前の21日間(10月15日~12月6日)に米海軍通信諜報班(フィリピンのコレヒドール島のステーションC,ハワイのステーションH)がインターセプトした129通りの日本軍電波の内訳表を揚げている。そして無電封止の命令を無視し、「平均すれば一日当り3.8通」も電波を出し、おまけに「南雲長官がもっともおしゃべりだった」とコメントしているが、これが本当なら機動部隊はハワイまでの12日間、北太平洋をガラガラ蛇のような大音響を立てながら進んだことになり、米側が「手に取るように」機動部隊の動きを掴んでいた事になるが、トリックは単純なものだった。 スティネットは傍受 [interception] と「解読」[decoding] を取り違えている。スティネットはハワイ通信諜報班(ステーションH)のH・キスナーとキャビア班(ステーションC)のD・ホイットロックに何回もインタビューして結論を得たと証言を得ているが、二人の手記も文書資料もない。NSA(国家通信保安局)の解読史専門家F.D.パーカーが暗号専門誌『クリプトロジア』に書いた論文によると、戦後真珠湾攻撃関連の電報は188通であり、前期の129通との差はスティネットが見落とした可能性がある。ヒトカップ湾からの11月18日に関連する電報三通と、連合艦隊司令長官が指揮下の全艦隊へむけて発電した「ニイタカヤマノボレ」を除くと11月26日以降の電文はないので、機動部隊は無線を発信しながら、ハワイへはむかっていないといえる。しかも内容は解読されていないので、役には立っていない。 脚注 Template 脚注ヘルプ? Template reflist? 参考文献 ジョージ・モーゲンスターン 著\渡邉明 訳『真珠湾 日米開戦の真相とルーズベルトの責任』(錦正社、1999年) ISBN 4-7646-0312-8 ロバート・B・スティネット 著\妹尾作太男 監訳\荒井稔・丸田知美 訳『真珠湾の真実 ルーズベルト欺瞞の日々』(文藝春秋、2001年) ISBN 4-16-357530-8 ジョン・コールマン 著\太田龍 監訳『真珠湾 日本を騙した悪魔』(成甲書房、2002年) ISBN 4-88086-131-6 秦郁彦 編『検証・真珠湾の謎と真実 ルーズベルトは知っていたか』(PHP研究所、2001年) ISBN 4-569-61586-4 須藤真志『真珠湾〈奇襲〉論争 陰謀論・通告遅延・開戦外交』(講談社選書メチエ、2004年) ISBN 4-06-258306-2 半藤一利『〈真珠湾〉の日』(文春文庫、2003年) ISBN 4-16-748312-2 星亮一『淵田美津雄 真珠湾攻撃を成功させた名指揮官』(PHP文庫、2000年) ISBN 4-569-57391-6 太平洋戦争研究会『太平洋戦争がよく分かる本 20ポイントで理解する』(PHP文庫、2002年) ISBN 4-569-57674-5 関連項目 真珠湾攻撃 陰謀論 ルーズベルト 関連リンク マッカラムの覚書-国家の存亡を握る情報戦 私は艦隊を目撃した:英語 真珠湾攻撃:議会報告書 真珠湾攻撃 真珠湾攻撃 真珠湾攻撃 ルーズベルトの陰謀だったのか? 疑惑を翻す証拠みつかる 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年4月7日 (月) 03 38。
https://w.atwiki.jp/ja2047_memorial/pages/180.html
太平洋戦争・真珠湾攻撃 http //mixi.jp/view_bbs.pl?id=3174617 comm_id=14723 page=all 2005年11月30日 23 43 15 ja2047 アメリカは真珠湾攻撃作戦前には、航空機で戦艦を沈められるとは考えていなかったんじゃないでしょうか? 真珠湾攻撃の一年前にイギリスが同じような作戦をして成功してますから、予想はできます。 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88%E7%A9%BA%E8%A5%B2 2005年12月01日 00 38 16 智くん 掲示した時間が少々おかしかったので訂正します。 日本軍潜水艦撃沈が真珠湾攻撃の1時間20分前 宣戦布告が本来の通告時刻の1時間後(真珠湾攻撃の30分後) でした。 薩摩様 当時は非戦争状態の公海上でも潜水していたら戦闘状態とみなしていたのですね。 高科宗一様 このコミュ右翼が多いんですか? 私は他称ネット右翼ですが、右派左派テストでは限りなく左翼に近い中道左派でした。 ちなみに自称中道右派でした。 昭和16年4月15日 アメリカ大統領フランクリン=ルーズベルトの命令 「米国空軍・海軍・海兵隊軍人は、クレア=リー=シェノールト陸軍大佐麾下(きか)の「フライング・タイガース」戦闘機部隊に志願すべし。」 これについてはどうでしょうか? 2005年12月01日 20 56 23 ja2047 智くん さん 米国空軍・海軍・海兵隊軍人は、クレア=リー=シェノールト陸軍大佐麾下(きか)の「フライング・タイガース」戦闘機部隊に志願すべし。 これについてはどうでしょうか? 一部のサイトにもっともらしく引用されている記述ですね。 http //www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/flying_tigers.html 実はコレ 真 っ 赤 な 嘘 。 実際の1941年4月15日の大統領秘密令は 「中国におけるアメリカ人義勇軍に参加するため、米国空軍・海軍・海兵隊の予備役将校および兵士が軍を辞職することを許可する」 だったんです。 “authorizing reserve officer and enlisted men to resign from the Army Air Corps, Naval and Marine air services for the purpose of joining the American Volunteer Group in China.” http //www.flyingtigersavg.com/tiger1.htm 陸軍、海軍とも、シェンノートの義勇飛行隊計画に反対したので、現役軍人の引き抜きは不可能だったのです。 「現役の軍人に志願を命令する」のと「予備役軍人に辞職を許可する」のとでは大変な差があります。 「そんなの同じことだ」と思う人がいるかもしれないが、 それなら、この手のサイトの著者は なんで原文通り正確に引用せずに、内容を歪めてしまうのでしょうね。 で、こうやって集められたフライングタイガース(AVG)は、いつ実戦に初めて参加したのか、この手のサイトは、真珠湾攻撃前にAVGの募集が始まっていたことだけ書くけれど、実戦参加の日付を書こうとしない。 実際にAVGが実戦に参加したのは、1941年12月20日の昆明上空の要撃戦だから、真珠湾攻撃の半月後です。 これを先制攻撃というなら、AVGを持ち出すまでもないんです。 シェンノート自身1937年の5月から中国空軍の顧問をして外人飛行隊の作戦行動を指揮しているし、 1932年の第一次上海事変ではすでにアメリカ人飛行士が参戦していて、日本海軍の生田大尉がロバート・E・ショートの操縦するボーイング218戦闘機を撃墜しています。 ここまで、さかのぼると、アメリカが太平洋戦争を仕掛けたというシナリオに乗らなくなるから、政治的意図で戦史を語るようなサイトは取り上げようとしないだけなんでしょうね。 フライングタイガースの編成は、日中戦争から第2次大戦にいたる一連の動きの中で行われたもので、なにも日米開戦に焦点を合わせて、その準備行動として行われたわけではないのです。 2005年12月01日 21 22 24 智くん なるほど、そうだったのですか 2005年12月01日 22 21 25 リュウイチ アメリカが戦争を仕掛けたい相手を挑発して先制攻撃させるというのは米国のお得意な作戦であるし、真珠湾がその作戦の犠牲になったという陰謀はいろんな所で言われていて、かなりの可能性で真実だと思います。 でもそれに乗せられて真珠湾を攻撃した日本が悪くないかといえば、悪い。 また、日本がアジアで民間人を無差別に攻撃した事も確実にあったし、これも悪い。 そして、アメリカが日本中を絨毯爆撃して火の海にし数十万人の民間人を無差別に焼き殺したことや、広島長崎に半実験的に核爆弾を落としてこれまた数十万人の民間人を灰にし、さらに半世紀以上被爆者を苦しめ続けているという罪も、まったく別の話です。 これに罪の意識を持たないアメリカ人を日本人は決して許してはいけないし、 戦争を始めた日本が悪いので仕方が無かったのだと信じ込まされた日本人には、それとこれとは別の話であり、仕方の無い無差別殺戮など無いのだ、と言いたいですね。 2005年12月02日 05 19 26 ja2047 要は「お互い様」にしないことなんですね。 日本はとにかく当時、自分の利益を主張することに失敗したあげく、大規模な軍事行動を起こして、さらにあろう事か負けてしまったわけで、 これは敗戦の処理ということで罪を背負って決着しているわけです。 ところが、連合国側のしたことはいろいろあるんだけど、まだ落とし前をつけて貰っていない。これはアピールして行かなくてはいけないと思います。 ここを、連合国側もいろんなことやってるんだから、日本がしたことも別に悪いことじゃあないんだという方へ話を持っていくと、「お互い様」で、誰も悪くないということになっちゃいます。 都市無差別爆撃などは、誰がやっても「虐殺」なんですよ。 イギリスやアメリカが大規模な戦略爆撃を手段にして勝利したのでなかったら、たぶん東京裁判で重慶爆撃を起訴しただろうと思いますね。 2005年12月03日 20 46 27 ja2047 ついでですので 当時は非戦争状態の公海上でも潜水していたら戦闘状態とみなしていたのですね。 公海上だったというのは何か根拠があるのでしょうか。 駆逐艦ワードに撃沈された古野艇が後に実際に発見されたのは、海岸から1kmあまりのところです。 公海上で撃沈されたとは思えません。 http //www.soest.hawaii.edu/HURL/midget.html 特殊潜航艇甲標的、古野艇は、ワードが撃沈した時点では、「港に侵入しようとした国籍不明の小型潜水艇」だったのですよ。 で、先に紹介したサイトには、さらにこんなことが書いてあるんですね、 12月7日午後0時10分(現地時間)、アメリカ海軍司令部に一つの暗号電報が入電しました。 『ワレ、日本潜水艦ヲ撃沈セリ。』 それは米軍艦が、公海上 ── アメリカの領海外において、日本海軍の潜水艦を攻撃、撃沈した事を報告する暗号電報だったのです。(米国海軍ヒューウィット調査機関提出書類75(1945年6月7日),みすず書房『現代史資料 35巻』) http //www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/pearl_harbor.html たぶんここがネットに出回っている記述の元だと思うのですが、これがまた 真 っ 赤 な ウ ソ 「みすず書房『現代史資料 35巻』」 と、資料名まで挙げながら、そこに実際に書かれていることと、全く違う文章を紹介してるのです。 駆逐艦ワードが 『ワレ、日本潜水艦ヲ撃沈セリ。』 などという発信をした事実はありません。 「みすず書房『現代史資料 35巻』」の収録した資料には、次のように書かれているのです。 <文献> 米国海軍ヒューウィット調査機関提出書類第75(1945年6月7日) 日本語訳は『現代史資料』35巻(みすず書房)407~409貢参照 (別紙第一)第14海軍区海軍根拠地隊戦時日誌の摘要 0654 「ワード」は左記を第14海軍区司令官宛て発信した。「本艦は防禦水域を行動中の潜水艦を砲撃し爆雷を投下せり」 0712 右の暗号電報を翻訳し、当直将校のカミンスキー少佐に報告した。 0713 当直将校はこれを参謀長に、参謀長は司令官に、それぞれ報告した。 0715 当直将校はこれを太平洋艦隊司令部の当直参謀の中佐に報告した。 0718 当直将校はこれを戦争計画参謀モムセン中佐に報告した。 0720 当直将校はローガン少尉に当直するよう連絡した。 0725 モムセン中佐は当直将校に連絡し、速やかに「ワード」を援助するため 待機駆逐艦を出動させるように指示した。 0735 ホノルル港の水道を閉鎖した。 真実の写しであることを証明する 第14海軍区副官 ゲオ H.シンプソン」 あくまで、「日本の潜水艦」ではなくて、港内に侵入しようとした国籍不明の潜水艦を攻撃したのです。これが先制攻撃だったら、北朝鮮の工作船みたいな不審船への射撃なんて出来なくなってしまうよ。 それじゃあまずいでしょ? 2005年12月03日 22 42 28 トリトン ja2047さんの言うとおりだと思います。 〝人のやった悪事のせいで、自分の罪が軽くなる〟という発想は、「相殺法」と呼ばれる詭弁の一種ですよね。 それって「相手も強く殴ったんだ。俺が殴った後だけど…」 というような非行少年の言い訳の論法です。 こういう論法は、日本人として惨めな気分になるだけ、という気がします。 そうは言っても、原爆の被害を伝えるのは、被爆国の責任ですからね。 アメリカは原爆投下の犯罪性を直視できていない。 「正義の鉄拳だ」と教えられ、そう考える国民が多い。 アメリカがいまだに残酷な兵器を使用しつづけ、 先制攻撃戦略をとるという好戦的な態度をあらためられない背景には、 自国の過去の悪い側面を直視できないという歴史認識もあると思っています。 (ほかにもいろいろありますけど) Koheiさん、 アメリカは悪くない。 なんて、 なんか 悔しいです。 別に悔しがるようなことではないと思いますよ。 「自国の歴史の負の側面から目をそらしていないと、 守れないような脆弱なプライドなのだなあ…。 みじめじゃのおー」と哀れんでいればいいのですよ。 日本人は、そういうアメリカ人の姿を反面教師にしなくてはね。 2005年12月04日 05 23 29 ゲーセンおやじ アメリカ海軍の主力空母は真珠湾外へでていたため 無傷だったんですが、アメリカは真珠湾の兵隊を いけにえにしたということですか? 2005年12月04日 09 17 30 ja2047 意図して生け贄にしたかどうかは明かでないですが、 結果として「犠牲」になったのは事実だし、 アメリカ参戦に正当性を与えるための「人柱」に なってしまったのは確かでしょうね。 もどる
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編集する。 2021-12-08 18 48 26 (Wed) - [[]]とは、 videoプラグインエラー 正しいURLを入力してください。 リンク 内部リンク [[]] [[]] [[]] [[]] [[]] 外部リンク 上へ 感想/討論用 名前 編集する。 2021-12-08 18 48 26 (Wed) - 情報収集 トラックバック一覧 trackback 口コミ一覧 #bf 関連ブログ一覧 #blogsearch #blogsearch2 ニュース 【動画】【春の高校バレー2022】 みんなの春高動画 兵庫県 女子代表 氷上高校 - スポーツナビ「春の高校バレー」 - スポーツナビ 【動画】【春の高校バレー2022】 みんなの春高動画 福岡県 男子代表 東福岡高校 - スポーツナビ「春の高校バレー」 - スポーツナビ 『FGO』で「メイキング・クリスマス・パーティー!ピックアップ召喚(日替り)」開催!「 5(SSR)紅閻魔」「 5(SSR)スカサハ=スカディ」が登場 | gamebiz - SocialGameInfo 「FFVII FS」でホリデーイベントが開催に。限定ラインナップがショップに登場 - 4Gamer.net 第3回スタ★アトピッチJapan ブロック大会に進出 - PR TIMES 「ドラゴンクエスト ダイの大冒険 -魂の絆-」で新イベント“自分の力を活かす装備”が開催 - 4Gamer.net 一味違うプチ贅沢おにぎり 『コンビニ高級おにぎり』のトレンド人気ランキング! - もぐナビニュース ★本日の【サプライズ決算】速報 (12月08日) - minkabu PRESS 本日の【サプライズ決算】速報 (12月08日) - ニュース・コラム - Y!ファイナンス - Yahoo!ファイナンス 12月9日(木)の運勢 12星座占いランキング第1位は水瓶座(みずがめ座)! あなたの星座は何位…!? - マイナビニュース YouTube生配信のお知らせ AQUAMUSE(アクアミューズ) 公式ブログ - lineblog.me ★本日の【サプライズ決算】超速報 (12月08日) [プレミアム専用] - minkabu PRESS 『原神』新★5キャラ「荒瀧一斗」の詳細公開!豪快過ぎる傾奇者、西川貴教さん演じる「エピソード動画」も必見 - インサイド ★日中観光代表者フォーラム、紹興と東京で開催 – 旅行業界・航空業界 最新情報 − 航空新聞社 - 航空新聞社 「まるでケーキ」蜜たっぷりの干し芋が絶品でした。 - ハフポスト日本版 アニメ「ブラック★★ロックシューター DF」第3弾ビジュアル公開!生誕記念Twitterキャンペーンもスタート - アニメ!アニメ!Anime Anime 「ラスト・ラグナレク」,キュートすぎる新妖精「ぴよ太」が登場する妖精強化フェスを開催 - 4Gamer.net サウナブームの今だからこそ!お手軽サ活でととのいを「お風呂deサウナ傘α」マクアケにてプロジェクト開始30分で目標金額の138%を達成!!!:時事ドットコム - 時事通信 今朝の注目ニュース! ★BBタワー、ナ・デックス、シュッピンなどに注目! - minkabu PRESS 本日の経済スケジュール 7-9月期GDP[改定値]に注目 - ニュース・コラム - Y!ファイナンス - Yahoo!ファイナンス 【転スラ】「テンペスト クリスマス2021」イベントミッション・クエスト応援キャンペーン追加!2021年12月7日(火)更新のイベントミッション・キャンペーン情報!【スラテン】 – 攻略大百科 - 攻略大百科 【NGS】12月15日リテムリージョン& 5装備実装! 2022年6月までのロードマップで『NGS』の今後の展開も判明 - 電撃オンライン オメガパフュームの弟が「どっしり」7馬身デビュー 12月4-5日の 評価一覧【2歳馬チェック】(優馬) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【ダイハツ ロッキー 新型試乗】後光がさして見える「e-SMART」の燃費…岩貞るみこ - レスポンス 「ハニプレ」ゲリラライブ「No.1- Live Tour 2020~好きすぎてやばい。~ver -」が開催中 - 4Gamer.net 本日の【イチオシ決算】 ナ・デックス、Casa (12月7日) - ニュース・コラム - Y!ファイナンス - Yahoo!ファイナンス 『FGO』新サーヴァント「 4 マルタ〔サンタ〕」公開!今年も「クリスマスイベント」が開催決定(インサイド) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース Cygames、『プリコネR』で限定キャラ「 3アキノ(クリスマス)」(CV:松嵜麗さん)が12月8日に復刻登場! | gamebiz - SocialGameInfo ふしぎなマジカルペンダントが付録 アナ雪のスペシャルムックが発売! - 学研プラス公式ブログ 本日の【サプライズ決算】速報 (12月07日) - ニュース・コラム - Y!ファイナンス - Yahoo!ファイナンス ★本日の【サプライズ決算】速報 (12月07日) - minkabu PRESS クラウドファンディングサイト“Kickstarter”で3つの日本発ボードゲームが登場 - 4Gamer.net 【退去拒否】住民vs大家のバトル 追い出し屋の手口4選 嫌がらせ、ラフプレイは当たり前 合法的に退去いただく方法 あの有名な欠陥タワマンの大家から退去を迫られた。住み続けるにはどうしたらいいですか? 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813: ぼのぼの :2017/10/21(土) 13 30 07 ◎ 真珠湾攻撃 真珠湾攻撃(しんじゅわんこうげき、英:Attack on Pearl Harbor)は、 1941年1月1日早朝(米国時間:1940年12月31日)に大日本帝国陸前州仙台県布哇諸島真珠湾に所在した 大日本帝国海軍の軍港及び周辺の航空基地に対し、アメリカ合衆国海軍が行った一連の攻撃の総称。 当時のアメリカ合衆国における正式な作戦名称は、コロネット作戦(英:Operation Coronet)。 第一次布哇沖海戦としても知られている。 第二次世界大戦劈頭、四国同盟が各地で実施した大洋連合諸国に対する軍事行動の一つであり、 太平洋における大日本帝国を主眼とした、ダウンフォール作戦(英:Operation Downfall)の一環として実施された。 なお同様に欧州及びアフリカ、南米、インド洋において対ネーデルラント連合帝国を主眼に行われた オーバーロード作戦(英:Operation Overlord)とは対を成していた。 極めて緻密な作戦計画であったが、根幹となる日本側の戦力を見誤っていたことが原因で瓦解し、 その後のアメリカ合衆国の戦争遂行に大きな影響を及ぼした。 1.背景 1-1.前史 アメリカ合衆国海軍による布哇諸島真珠湾への攻撃計画は、幾度となく策定と改定が繰り返されてきた歴史を持つ。 確認できる最も古いものは1874年まで遡ることができ、南北戦争後に悪化しつつあった経済状況を鑑み、 最後のフロンティアと目された支那大陸への経済進出を行う上で、中継地点として蘭領の外南洋島嶼群ないし 日本領の布哇諸島、中道諸島、南洋諸島のいずれかを獲得、領土化する可否が検討された。 この中で取得方法として購入の他、武力併合も一時検討されており、その際に必要とされる兵力が試算されている。 これらの領土化計画は最終的に多くが断念されたものの、中継地点として極めて有力とされた 布哇諸島の獲得に関しては以降も秘密裏に検討が続けられた。 そして1895年、日清戦争終結後に日蘭が諸外国の支那大陸進出を事実上認めたことでこの動きは一層加速。 太平洋航路を維持する上で日蘭ないし英のいずれかが有する港湾を寄港地として 利用しなければいけない現状を打開すべく、アメリカ合衆国は布哇諸島の獲得を本格的に志向。 限定的な軍事衝突も辞さない判断の下、1904年には実際に布哇占領計画(布哇事変)が実行に移された。 しかしながら、拙速過ぎた武力併合の試みは失敗。外国籍労働者として現地に送り込んでいた工作員や 共和義勇艦隊として動員した艦艇の過半を喪失する燦々たる結果を招いている。 814: ぼのぼの :2017/10/21(土) 13 31 38 1-2.作戦構想 武力併合の試みは失敗したものの、皮肉にも布哇諸島へのアメリカ合衆国の関心はより一層高まった。 何故ならば布哇事変の結果、大日本帝国は布哇諸島の軍事的な強化を急速に進めることとなり、 布哇諸島が単なる中継地点から西海岸に対する喉元の短刀へとその性質を大きく変えていったためである。 また布哇事変で現地の諜報網が壊滅し、搦め手を用いた手法が取れなくなったこと。 加えて、日本が身元が定かではない外国籍労働者の利用に慎重となったことも災いし、 精確な情報を得難くなった布哇諸島への漫然とした不安感がアメリカ合衆国軍、特に太平洋艦隊の中で膨らんでいった。 それ故に1904年以降もアメリカ合衆国では常になんらかの布哇諸島の攻撃計画が存在し続けたものの、 情報の不足から具体性に乏しい計画しか策定できず、関心の高さに反してその内容は決定打を欠いた状態が続いた。 しかし1920年代、そうした状態に転機を齎される。当時、アメリカ合衆国陸軍きっての航空主兵論者であった ウィリアム=ミッチェル陸軍大佐(当時)が飛行船と航空機による攻撃を提唱。 合衆国陸軍が策定していたカラーコード戦争計画における対日及び対蘭戦域攻勢計画、 所謂ところの“オレンジ=スチールプラン”内に組み込むことを主張した。 これは第一次世界大戦時に欧州戦線で猛威を振るった各国の飛行船部隊をさらに発展させ、 飛行航空母船と艦載戦闘機、爆撃飛行船による空中艦隊を編成し、 空からの奇襲で布哇諸島各地の軍事拠点を破壊するというものであった。 大戦においては武装中立を維持したが、依然として軍事先進国と見做されていたネーデルラント連合帝国が 極めて強力な空中艦隊を保有していた(※1)ことやアメリカ合衆国内で飛行船を建造する際に重要な役割を持つ ヘリウムが大量に産出していたこともあり、アメリカ合衆国陸軍空中艦隊構想として具体化。 事実、1928年の飛行航空母船<アクロン>と<メイコン>、及び搭載するカーチスF9C艦上戦闘機の発注。 そして爆撃飛行船<アナハイム>の設計と発注準備という形で実現の一歩手前まで迫っている。 だが、こうした陸軍主導の空中艦隊による真珠湾攻撃計画は、 1930年のロンドン海軍軍縮条約の締結とその直後の米英仏ソらによる四国同盟の成立。 さらにジョージ=ビンソン海軍中将起草のビンソンプランが最終的に認可され、 同盟全体で大洋連合を上回る海軍戦力を整備する計画が優先されることが決定したために破却。 空中艦隊構想、さらにはそれを補完する航空戦力の近代化に影響を及ぼしかねないとして ビンソンプランに最後まで反対していたウィリアム=ミッチェル陸軍中将は失脚し、失意のうちに陸軍を去っている。 以降、真珠湾攻撃計画の主導権は陸軍から海軍に戻されたが、ミッチェルが提唱した空からの奇襲攻撃案は応用され、 空母を中核とする空母機動部隊と戦艦主体の水上打撃部隊の二つによる海空一体の飽和攻撃へと発展。 1932年2月にはハリー=アーヴィン=ヤーネル海軍少将が兵棋演習上で 真珠湾を模した仮想の軍港に対する空母機動部隊を用いた奇襲を限定的ながら成功。 その後、1937年9月には太平洋艦隊司令長官の職に在ったヤーネル海軍大将が再び兵棋演習上で 空母機動部隊での飽和攻撃を実施し、続けて水上打撃部隊の投入による戦果拡張を試みた。 結果、ついに真珠湾を模した仮想の軍港の戦力を完全に無力化することに成功した。 この“ヤーネルアンサー”と呼ばれた演習結果を用い、アメリカ合衆国軍は太平洋での戦域攻勢計画4101号を策定。 そして、これが大西洋における戦域攻勢計画4102号などの他地域での攻勢計画と複合していき、 対大洋連合戦争計画こと“レインボープラン”、オーバーロード及びダウンフォール両作戦として結実することになる。 ※1 : 第一次世界大戦初期、テセル島近郊で蘭宣伝省によって撮影され、新聞などでの宣伝に用いられた 遊弋する蘭海軍本国艦隊と日本海軍巡洋戦艦<金剛>の直上に展開する蘭空軍空中艦隊の写真は 非常に有名であり、第一次世界大戦における日蘭の武装中立が保たれる理由の一つとなったことで知られる。 815: ぼのぼの :2017/10/21(土) 13 32 48 1-3.布哇諸島の状況 1626年の再発見と編入以来、三世紀近くに渡って日本の領域に組み込まれていた布哇諸島であるが、 今日現在までに伝わる太平洋における戦略的要衝、難攻不落の海上要塞としての側面を持つようになったのは、 1904年の布哇事変以降に急速な整備が実施されてからであった。 それまでの布哇諸島は最も東方に位置する辺境領土でしかなく、仙台藩に属していた時代は開発も概ね緩やかであり、 現在のような軍事的要衝や寄港地、観光地として整備された姿とはかけ離れていた。 しかし、十九世紀初頭のフランス革命戦争にネーデルラント連邦共和国(当時)側の傭軍という形で参戦し、 欧州の空気に触れた日本は国家変革の必要性を強く感じ、後の海禁政策の破棄と明治維新へと進むことになる。 その中で布哇諸島は太平洋における西欧諸国の進出に対する砦と目されるようになったが、 相対していたアメリカ合衆国の太平洋における戦力がほとんど整備されておらず、 また当時はアメリカ合衆国との外交関係が然程悪くなかったことからさしあたって警備府が設置され、 幕府海軍や後の新生海軍が駐留する港湾施設の拡充と沿岸砲台が整備される程度に留まっていた。 そんな布哇諸島第一の転機となったのが、本格的な長距離旅客飛行船の誕生であった。 十九世紀前半にネーデルラント連合帝国で生まれ、その後絶え間無く発達し続けた同国の飛行船技術(※2)は、 十九世紀末までに蘭本土から蘭領ケープ、セイロン、東インド、アウストラリス、ニウゼラント。 そしてギアナといったネーデルラント連合帝国各地に至る長大な国内空路を構築するに至っていた。 飛行船は通常の船舶に比べれば運べるものが限られ、さらに船舶以上に危険が付き纏うものであったものの、 その圧倒的な速さは世界全体に広がるネーデルラント連合帝国各領の距離を大きく縮めるものとして歓迎されていた。 そうした飛行船技術の恩恵を受け、また時には発達に寄与した大日本帝国でも飛行船は広く用いられており、 1897年にKLM(ネーデルラント皇室航空会社)が計画した蘭太平洋領域と蘭領ギアナを直接結ぶ 所謂ところの環球空路(ウェールドゥ=ライン)の構築を目指した際には、中継地点として布哇諸島の利用を提案。 共同で布哇諸島央府(オアフ)島での支倉国際空港と隣接する羅綯(ラナイ)島に対する 羅綯飛行船発着場の整備を進めることで一致。 二十世紀に入る頃には交通の要衝として、布哇諸島には新たな発展の兆しが見え始めていた。 その後に布哇事変が生じるも、1906年には予定通りに支倉国際空港が開港。 ネーデルラント連合帝国と大日本帝国の共同による環球空路が完成し、 同時に中継地点としての価値が飛躍的に高まったことで矢継ぎ早に布哇警備府の布哇鎮守府への昇格、 常設の特別陸戦師団の設置、要塞化の促進といった難攻不落の海上要塞たる軍事的な強化へと繋がっていった。 そして、布哇事変とその後の軍事的な強化を間近で目の当たりにした影響か、 以降の布哇諸島は軍民共に要衝故の攻撃に対する警戒が実感を伴って醸成されることとなった。 それが二重三重の周辺警戒網の整備を布哇諸島に強い、第二次世界大戦劈頭に行われた アメリカ合衆国海軍による奇襲を元日の早朝という時間帯にも係わらず察知することに繋がったとされる。 ※2 : ネーデルラント連合帝国における飛行船技術の発達については、欧州における階差解析機関の開発競争に 日蘭同盟が勝利を収めた後、完成した階差解析機関や副次効果として生み出された 精密かつ規格化された工業部品を作る技術が工業分野で広く応用されたことが影響しているとされる。 816: ぼのぼの :2017/10/21(土) 13 34 12 1-4.攻撃計画 1938年にアメリカ合衆国で策定された最新の真珠湾攻撃計画は、先述した“ヤーネルアンサー”を基礎としていた。 その中では布哇諸島の島々のうち、侵攻にあたって重要とされた六つの島に対して暗号符丁が割り振られている。 最も南に位置する布哇島をスペリオルと呼び、順に馬哇(マウイ)島をヒューロン、羅綯島をミシガン、 諸海(モロカイ)島をエリー、央府島をオンタリオ、最後に加哇(カウアイ)島をセントクレアと呼称した。 これらの島々のうち、最優先目標とされたのが“オンタリオベース”こと央府島の布哇鎮守府真珠湾軍港に所在する 大日本帝国海軍第七艦隊の戦艦及び空母といった主力艦艇の撃沈、ないし湾口閉塞による出撃阻止。 次点の優先目標が央府島、羅綯島、布哇島などに所在した各航空基地、防空陣地であった。 その意図は心理的な効果もさることながら艦隊と航空部隊を迅速に無力化し、 展開した太平洋艦隊による火力支援や航空支援の下、揚陸した陸上戦力で完全占領を目指すものだった。 そのため占領後の再利用を前提とし、工廠や油槽といった基地施設に対する攻撃は 投入が計画された兵力上は十分に可能でありながらも極力避けられていた。 また、撃沈ないし閉塞した大日本帝国海軍第七艦隊の艦艇については、 あわよくば鹵獲、再戦力化をして予想される大日本帝国海軍主力や連動した蘭東洋艦隊群の反攻に備えるとされた。 ただし鹵獲に関しては、内部でも懐疑的に見る意見がほとんどであり、あくまで可能であればの域を出なかったとされる。 なおこうした目標の選定は第三国の観光客を装い、布哇諸島に渡航した 複数のOCI(アメリカ合衆国情報調査局)要員が掻き集めた断片的な情報が基にされていた。 だが依然として布哇諸島に恒久的な諜報網を構築するには至っておらず、情報には不確かな部分も多かった。 事実、1932年2月にヤーネル海軍少将(当時)が行った兵棋演習では情報の不確かさが乱数として用いられ、 空母機動部隊のみの奇襲では攻撃成功と引き換えに奇襲部隊に甚大な被害を齎すという結果を生み出した。 そこで1937年には投入する戦力をさらに増強。 過剰とも言われる戦力の超集中運用によって奇襲性が高い第一次攻撃の効果を大幅に高め、 万が一に察知されて迎撃が行われたとしても、そのまま純粋な飽和攻撃に切り替えて打破することが狙われていた。 加えて、攻撃の際には最低でも二方向以上からの同時進攻が原則とされ、迎撃網を破綻させる努力が図られた。 また、この兵棋演習においては航空先進国であったネーデルラント連合帝国との軍事同盟の存在を鑑み、 当時アメリカ合衆国陸海軍の最新鋭機であったグラマンF3F艦上戦闘機及びセバスキーP-35戦闘機の 一.五倍の性能を持つ二種類の仮想迎撃機が設定として用いられていた。 この設定には演習時、攻撃側と防衛側共に過剰であるとの意見が噴出したものの、 ヤーネルはそうした意見を敵が強大である可能性を我々は受け入れなければならない、と一蹴している。 そしてこのような厳しい条件設定にも関わらず、完全無力化が達成されたことで飽和攻撃の有効性が証明。 これを真珠湾攻撃計画の骨子とし、全力で準備が進められることになった。 817: ぼのぼの :2017/10/21(土) 13 35 58 1-5.作戦の許可 1940年6月17日、米領チャイナの天津港からロサンゼルス港を目指す途上、ハワイ沖を航行していた 米国船籍のタンカー<スケネクタディー>が突如として沈没。乗組員41名中、38名が死亡する海難事故が発生した。 この際、生存した乗組員らが沈没直前に轟音が響いて船体が傾き、直後に船体が爆発した(※3)という 魚雷攻撃を受けたかのような証言を行ったことからアメリカ合衆国側は真珠湾に駐留する大日本帝国海軍の潜水艦が 訓練中にタンカーを誤射したと主張。これに対し、大日本帝国側は関係者への聞き取りの上で即座に否定。 加えて沈没した海域が比較的浅かったことから、船体引き揚げによる事故原因の共同調査を提案した。 しかし、布哇諸島の急激な軍事拠点化をかねてより懸念していた英仏がアメリカ合衆国側の意見に同調。 これによってアメリカ合衆国の世論が一気に過熱し、米側は共同調査の提案を拒否し、単独での引き揚げ調査を主張。 だが沈没した海域はあくまでも大日本帝国の主張する漁業管轄水域内にあり、 日本側は難色を示すと共に共同調査が拒否された場合、単独での引き揚げを実施する旨を通告。 これを米側は管轄権を楯に事故を隠匿するものだとして、国際的に重要な航路上にある布哇諸島や中道諸島などの 太平洋島嶼群の“然るべき国家”への委任統治という事実上の割譲要求を行った。 このアメリカ合衆国の要求を大英帝国やフランス共和国、ソヴィエト連邦、ギリシャ王国などの四国同盟諸国が支持。 大日本帝国やネーデルラント連合帝国、オスマン=トルコ帝国、ペルシア帝国、ロシア帝国、 ドイツ帝国、ドナウ連邦、イタリア王国、東南アジア諸国らの大洋連合諸国が不支持と改めて旗色を明らかにし、 大洋連合と四国同盟の対立はついに決定的なものとなった。 こうした情勢を受け、アメリカ合衆国は国内世論の加熱からこれ以上のタイミングは望めないとして、 かねてより“レインボープラン”として、ビンソンプランや四国同盟全体の軍事力の整備が完遂された後の1941年末に 大洋連合諸国と開戦する計画を一年、前倒しすることを決定。 これは秘密裏のうちに四国同盟主要国に通達され、開戦にあたっては出来る限り足並みを揃えたとされる。 1940年7月2日、“レインボープラン”の前倒しを受け、時の大統領であったフランクリン=デラノ=ルーズベルトと フランク=ノックス米海軍長官、及びハロルド=スターク米海軍作戦部長は開戦の際に アメリカ合衆国海軍太平洋艦隊による“ヤーネルアンサー”に基づいた真珠湾攻撃の実施を許可した。 その必要な戦力を捻出するために、建造後にロンドン海軍軍縮条約に基づく五年間の売却猶予保管中としていた 艦艇群の再戦力化や大西洋艦隊からの回航が実施され、太平洋艦隊は開戦までの半年の間に大きく膨れ上がった。 しかしながら、作戦の総責任者である太平洋艦隊司令長官として最も適しているとされたヤーネル海軍大将は 折り悪くも前年に海軍の退役者リスト入りしており、その後にアメリカ合衆国で退役した旧式戦艦や中小艦艇が 提供される形で再編中であったソヴィエト連邦海軍にアドバイザーとして出向していた。 ここでヤーネルを呼び戻すのは不自然が過ぎるとして、その薫陶を受けていたチェスター=ニミッツ海軍少将が 代わりとして太平洋艦隊司令長官に着任することが有力視されていたが、ルーズベルト大統領の鶴の一声によって 彼の懐刀と目されていたハズバンド=キンメル海軍少将が大将に昇格の上で着任する運びとなった。 これはルーズベルトの強引な縁故人事の典型例とされ、キンメル海軍少将自身この決定には驚いたとされる。 ※3 : 戦後の引き揚げ調査の結果、被雷の形跡が見当たらず、爆発も内側より生じた形跡があったために 沈没はアメリカ合衆国による自作自演とする意見も根強く残ったが、最新の研究では同船に用いられていた 低級鋼を原因とする脆性破壊が生じ、その破断箇所から流れ込んだ海水によって 機関部が浸水したことで水蒸気爆発が生じた、という意図せぬ事故であったとする見方が主流となっている。 818: ぼのぼの :2017/10/21(土) 13 37 16 1-6.攻撃の準備 真珠湾攻撃の正式な許可が降り、アメリカ合衆国海軍はその準備をさらに加速させていった。 航空攻撃に参加する艦載機搭乗員の練成は、ミシガン湖上に編成された五大湖特別練習艦隊に属する 特務航空母艦<ウルヴァリン>及び<セーブル>、<アーマイン>、<ウィーゼル>での習熟訓練の後に メイン州キャスコ湾、ノースカロライナ州アルベマール湾、フロリダ州からテキサス州に掛けてのメキシコ湾、 そしてカリフォルニア州チャンネル諸島近海での実戦演習を繰り返す二段階方式が採られた。 従来の訓練は各艦載機の所属艦や基地ごとに実施されていたが、今回の真珠湾攻撃に向けた訓練では 編成される予定の任務部隊ごとに機種別の航空集団を設け、実戦における空中指揮系統を再現。 実戦に近い航空指揮下での演習を繰り返すことで、作戦能力の向上が図られた。 真珠湾攻撃にあたって太平洋艦隊は三方向からの同時進攻を行うべく、五個任務部隊を編成することが決定。 そのうち三個任務部隊が<ヨークタウン>級航空母艦を中核とする空母機動部隊であった。 加えて残る水上打撃部隊や揚陸部隊に対しても艦隊直援や航空支援を目的に改造空母や護衛空母の配置が決まり、 投入される五個任務部隊全体での作戦機総数は2000機を超えると試算された。 これら航空母艦群からの作戦機発進は、大統領による“武力行使通告”の時刻に合わせて一斉に行う計画であったが、 異なる三方向からの同時攻撃とする関係上、連携を維持するために相互間の完全な無線封止は不可能であった。 そのため、攻撃直前までの無線使用については厳密な使用規定を定めた上で 暗号による商船無線偽装と利用時間と回数の徹底的な削減という形で調整が図られている。 こうした艦隊間の連絡を担う優秀な通信士と暗号員は、海軍全体から選抜、太平洋艦隊への転属が行われた。 そして実際に攻撃部隊を構成する艦載機群について、艦上戦闘機は1月に実戦配備が開始されたばかりの ブリュースターF2A<バッファロー>(※4)とされ、1939年までのアメリカ合衆国海軍主力艦上戦闘機であった グラマンF3F<フライングバレル>は極少数の護衛空母の飛行隊にその姿を残すのみとなっていた。 またF2Aと対となる主力の艦上爆撃機として、ダグラスSBD<ドーントレス>が多数配備されていた。 これは浅深度に対応した航空魚雷と新型艦上雷撃機の開発が難航する中で、新たな対艦攻撃手段が求められた際に 偶然発見された“スキップボミング”に大きな期待が寄せられていたためである。 最終的に浅深度用航空魚雷の開発は間に合ったものの、望まれた新型のヴォートTBU<シーウルフ>はわずかに 12機が間に合った(※5)に留まり、グラマンTBF<アヴェンジャー>に至っては初飛行直後(※6)という有様だった。 それ故に実際に配備できた艦上雷撃機はほぼ全てが応急的に航続距離延長が図られただけの 低速なダグラスTBD<デヴァステーター>であり、先述したSBDと比較すると性能は見劣りしていた。 そこで三個任務部隊の攻撃部隊はF2AとSBDが過半数を担うこととなり、残るTBD及びTBUについては “スキップボミング”による攻撃では効果が薄いと懸念されていた装甲の厚い戦艦を主目標とすることが取り決められた。 ※4 : 開発元はブリュースター社であったが工場の生産能力が低かったことから実際に艦隊へ配備された機体の ほとんどは委託製造を命じられ、昼夜を押して製造を行ったゼネラルモータース社製のFM1であったとされる。 ※5 : TBUについても開発元のヴォート社の工場の生産能力が低かったために コンソリーテッド(後にコンベア)社にも委託製造が命じられ、TBYとして生産が開始された直後だった。 ※6 : 当時、グラマン社はF2Aの後継機ことXF4F-2の開発が優先されており、TBFの開発は遅延気味であった。 819: ぼのぼの :2017/10/21(土) 13 38 14 1940年11月から12月に掛け、演習を繰り返していた各部隊の集結と移動が行われた。 まず先んじて、<ヨークタウン>以下航空母艦14隻、<サラトガ>以下巡洋戦艦6隻を中核に構成された 第三八任務部隊と第三九任務部隊が演習を名目にパナマへと集結し、進発。 続けてサンディエゴに<ミシガン>以下戦艦10隻と<イーグル>以下商船改造空母5隻が中核の第五五任務部隊と <エンタープライズ>以下航空母艦6隻、<レキシントン>と<コンステレーション>の巡洋戦艦2隻を中核とする 第五八任務部隊が集結し、サンフランシスコ沿岸までの偽装航路を取った上で反転して布哇諸島を目指した。 同様にサンフランシスコに集結していた揚陸部隊である第三七任務部隊は同地で第一水陸両用軍団を搭載し、 第五五、第五八任務部隊をやや後方から追うような形の航路を採り、布哇諸島を目指して進発した。 ここに至り、アメリカ合衆国海軍太平洋艦隊は大統領による“武力行使通告”を待つばかりとなった。 なお当時のアメリカ合衆国では憲法の規定として宣戦布告には議会の承認が不可欠であったが、 先立つ1940年7月、タンカー<スケネクタディー>の沈没から間もなく加熱した国内世論の一時沈静化を目的に アメリカ合衆国の資産である沈没した<スケネクタディー>の船体を巡って、 アメリカ合衆国は資産保護に必要とされる全ての行動を行う旨の宣言決議を上下両院の賛成多数で採択していた。 これが議会による事実上の宣戦布告の認可だとし、ルーズベルト大統領は“武力行使通告”の際にこれを用いている。 1-7.別働部隊による陽動 これほどの大艦隊の集結と移動を完全に隠匿するのは不可能であった。 そこでアメリカ合衆国軍は事前に新須賀方面、及び蘭領外南洋島嶼群方面公海上での偵察活動を活発化させた。 太平洋艦隊の潜水艦と陸海軍の長距離偵察機を用いたこれらの偵察活動は実際の偵察も兼ねていたが、 それ以上に陽動としての側面が強く、隠密性は重要視されず、日蘭の哨戒部隊に発見される事例もあった。 特に新須賀方面は力が入れられており、当時の大日本帝国海軍の記録では1940年7月以降に 新須賀方面での米潜水艦と航空機の行動が活発になっていく様が鮮明に残されている。 こうした動きに対し、大日本帝国は布哇諸島に配備していた三個警備戦隊のうち、 二個警備戦隊を北方哨戒に割いて重点的に対応することとなり、それによって生じるとされた警戒網の穴は 布哇鎮守府所属の基地航空隊と潜水艦の拡充によって埋める方針が採られた。 しかしながら、布哇諸島が誇っていた二重三重の警戒網が一時的に歪んだという事実は避けられず、 結果としてアメリカ合衆国太平洋艦隊の布哇諸島近海への接近を許すこととなった。 またこうした動きへの対応が求められたのはネーデルラント連合帝国も同様であり、 開戦の直前に第一東洋艦隊の布哇諸島への派遣が決まった際には、蘭領外南洋島嶼群方面に対する 同時攻撃の可能性を捨てきれず、布哇諸島に対する直線航路ではなく蘭領タヒチを経由する航路が選ばれた。 その結果、第一東洋艦隊はアメリカ合衆国軍による真珠湾攻撃に間に合うことは叶わず、 日蘭同盟に基づく敵性国家への軍事的報復を目的としたパナマ運河強襲へと作戦を変更している。 820: ぼのぼの :2017/10/21(土) 13 39 22 1-8.攻撃直前の布哇諸島 開戦の気配が高まりつつあったことは大日本帝国側も承知していた。 事故が生じた6月17日以降、アメリカ合衆国と大日本帝国の外交関係は加速度的に悪化しており、 7月2日には<スケネクタディー>を巡る資産保護宣言決議がアメリカ合衆国上下両院で採択された上に その後も国内世論の加熱によって身の安全を保障できないという名目の下、アメリカ合衆国領域からの 大日本帝国国籍保持者の国外退去(※7)が勧告。さらには在米日本企業支社の閉鎖が相次いでいた。 加えて現地に残る帝国情報総局の要員からは保管されていた艦艇の移動が報告されており、 日米の開戦は最早避けられないのではないか、という認識が広まっていた。 しかしながら、どのような形での開戦となるかは読み切れておらず、加えて太平洋各地や米領チャイナで 同時に活発化したアメリカ合衆国軍の動きがその読み難さに拍車を掛けていた。 そのために対応はやや泥縄式であり、1940年9月に室蘭鎮守府所属の大日本帝国海軍第五艦隊の一部を 新須賀の錨要港部に前進配備することを決めたのを皮切りに、10月に錨要港部と布哇鎮守府の基地航空隊を増強。 11月半ば、布哇鎮守府の同海軍第七艦隊の戦力増強を決定。12月初めには第七艦隊固有の増強戦力に加え、 古賀峯一海軍中将率いる最精鋭、第一艦隊の布哇諸島への前進配備を追加決定している。 これらの戦力増強を受け入れる布哇鎮守府側も従来業務と並行してその対応に追われることとなり、 当時の真珠湾における最高責任者であった布哇鎮守府司令長官の近藤信竹海軍中将はその際の忙しさを、 正に殺人的という一言で端的に表現している。 また受け入れる艦隊の停泊地点を設けるために真珠湾内も大分混雑していたとされ、 攻撃を受ける直前の12月30日に偶然寄港し、その後の攻撃に巻き込まれて済し崩しで海戦に参加した 蘭第二東洋艦隊所属のR級駆逐艦<ロース>及び<ロバイン>の乗組員は、 湾内はまるで特売日のスパー(※8)の駐車場のようだった、と日誌に記している。 そして12月29日、布哇鎮守府では連日の激務の対価に大晦日と元日を休息日とし、 一日ずつの交代で艦隊将兵の半舷上陸を実施する許可を行った。 尤も近藤中将以下の布哇鎮守府首脳部は通常通り業務を行っており、第七艦隊についても司令長官である 小松輝久海軍中将以下の艦隊司令部もまた残務処理を理由に旗艦の戦艦<長門>内に留まっていた。 それを聞き付けた各将兵も、小松(近藤)長官が働いておられるのに我々が休んではいられないとして、 年末年始という状況にも関わらず、将兵の八割が所属艦に自主的に留まることを選択し、 残る二割も一時間以内には所属艦に乗り組める位置で過ごすという事態を生んだ。 これに対し、小松中将は休むべき時に休まずにしてどうするのだと自らを棚に上げて苦言を呈したとされるが、 急遽年越し蕎麦を各艦に手配したとされ、内心では将兵への感謝を滲ませていたとされる。 結果論ではあるが、この艦隊将兵の自主的な残留が攻撃直後における第七艦隊の迅速な行動を可能にしたのだった。 ※7 : 当初は大日本帝国のみを対象としていたが、間もなくネーデルラント連合帝国を含む大洋連合諸国へと拡大。 この方針がアメリカ合衆国経済に及ぼした影響は大きく、生じた失業者は相次いで連邦軍に吸収された。 ※8 : ネーデルラント連合帝国、ひいては世界最大手の食品小売チェーン。 “スパーマークト”と呼ばれる近代的な小売店舗形式を生み出したことで知られる。 821: ぼのぼの :2017/10/21(土) 13 40 15 今回は以上です 日蘭世界の最初からクライマックスこと第一次布哇沖海戦を 各SSや議論を参考にしつつ、捏造多めで某ウィキペディア風に記述してみました まだまだ続く項目はありますが、とりあえず切りの良い部分まで先んじて投稿しております 続きは出来上がり次第に……(いつ出来上がるとは言っていない)
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/1287.html
218 :yukikaze:2012/08/02(木) 23 42 37 では投下。需要あったら続くかも・・・ 1942年12月7日。第三艦隊旗艦『赤城』司令長官室。 「何でこうなったのかね」 この時期特有の曇天を目にしながら、南雲忠一中将は、自室で小声でぼやいていた。 正直な所、彼はこの時点に至るまでこの作戦に乗り気ではなかった。 確かに成功すればこれ以上ないほどの戦果を挙げられるだろうが、仮に失敗 した場合、目も当てられないような悲惨な状況になる。 更に言えば、政治的な影響についてはどう転ぶかは全くの未知数。 山本海軍大臣のあの楽天的な発想はどこからくるのだろうかと、何度考えても 理解できるものではなかった。 「仕方ありません。あの作戦は我々の間だけでしか知らないのです。それに、 あの作戦が上手くいくかどうかもわかりません。保険はかけざるを得ないでしょう」 女房役である草鹿少将の言葉に、南雲は軽くうなずく。 確かに衝号作戦は、夢幻会に属する人間の中でも最重要機密の作戦であった。 それによってどれほどの惨事が招きよせられるかを考えるならば、とてもではないが 明らかにすることなどできないであろう。 「それは分かるさ。だがね・・・それでも私はこの作戦が投機的に過ぎると思うよ。 せめて嶋田さんの健康状態が良ければなぁ・・・」 南雲は大きくため息を吐いた。 これまでの激務による過労によって嶋田が倒れたのが4月。 これにより、通称『嶋田人事』によって、政治舞台から退場された米内派の面々が 復権を狙って蠢動。これに激怒した伏見宮が引導を渡すことで事態は収束することに なったのだが、この一件で夢幻会派と非夢幻会派の亀裂が改めて浮き彫りになってしまった。 仮に対米戦を行った場合、この亀裂をそのままにしておくと、思わぬ落とし穴に落ちるかも しれない。 非主流派ではあったが、米内一派とはそれなりに距離を置いており、更に軍政面において 有能であることは間違いのない山本が海軍大臣になったのは、そうした背景があった。 もっとも、それが良かったのか悪かったのかは難しい所ではあったが。 「殿下が軍令部総長を退任したのも痛すぎました。『皇族の方が軍令のトップに立っておられた場合、 万が一の時に皇室に累を及ぼしかねない』とする山本さんの意見にはうなずけるのですが、これで 山本さんの意見が通りやすくなってしまいました。新任の軍令部総長である古賀さんも頑張って いるのですが・・・」 「史実で『天皇か山本か』と言われたカリスマは伊達ではないという事か」 こりゃどうあっても嶋田さんには回復してもらわんと困ると、 南雲は思わざるを得なかった。 まあ首相が2回のロンドン海軍軍縮条約で活躍し、アメリカからも 穏健派として知られている堀予備役海軍大将だったから、ここまで アメリカとの戦争を伸ばすことには成功していたのではあるが。 「ただまあ・・・少なくともこれだけの戦力を与えてもらったことにはありがたいがね」 そう言って、南雲は彼が苦心してここまで引き連れてきた戦力に思いをはせる。 正規空母6隻。戦艦6隻。軽空母3隻を主力とする3個機動戦隊。これに 補給部隊なども含めると、それこそ80隻近い大艦隊である。 これほどまでの大艦隊を率いたのは、有史でも数えるほどしかいないであろう。 艦隊運用の達人であることを見込んで、これだけの艦隊を託した古賀や小沢GF長官 の目に狂いはなかった。 219 :yukikaze:2012/08/02(木) 23 43 15 「現時点で祥鳳級が8隻戦力化していたのはありがたかったですな。これで、 うちで3隻引き抜いても、残りの5隻と第12航空艦隊で、アジア艦隊と 在フィリピン航空部隊を何とかやりあう目途がついた訳ですから」 「裏切り者のイギリスの唯一の善行というべきかな。もっとも砲戦派は恨みたらたらだが。このせいで、富士級 の建造は大幅に遅れてしまい、吾妻級も建造中止になったのだからな」 当初、1943年以降に就役する予定だった祥鳳級が、この時点で8隻も戦力化されていた理由は、空母戦力に 多大な不安を覚えていたイギリスが、日本参戦時に、日本に対して祥鳳級の建造を依頼したことによるものであった。 航空機運用能力はイラストリアスよりも上で、しかも安価で且つ早期に戦力化できる祥鳳級は、イギリスにとって 喉から手が出る欲しいものであった。 もっとも、第二次大戦の停戦により、これらの発注された艦は宙に浮いてしまい、一次はスクラップも取りざたされていたが 刻々と悪化する対米関係と、そしてそれに合わせる形で急速に日本から距離を置く英国の態度に、日本は英国と造船所との契約を 正式に破棄させて、日本海軍籍の空母として就役させたのであった。 「さて・・・後、数時間で出撃か」 「史実真珠湾と比べて150機以上増えた攻撃隊。そしてその攻撃力は史実よりもはるかに上。東海岸が水葬になるのならば、 ハワイは火葬といった所ですか」 「油断は禁物だぞ参謀長。何しろ敵の本丸だ。流星を改良した早期警戒機やジャミング機を用意はしたが、あれだけの大兵力を潰すには 困難が生じる。それに真珠湾にいる艦隊が出港している可能性があるからな」 「第6艦隊が十重二十重に偵察していますので、漏らすことはないでしょう。ハワイに侵入している特戦隊の面々からも、空母を含む 主力艦隊が停泊中であるとの最新報告が入っています」 「新型戦艦が6隻。それにビックファイブがすべて集結。あとはレキシントン級とヨークタウン級がそれぞれ2隻にワスプか。 重巡や軽巡もそれぞれ10隻はいると。フィリピンに増派して尚これだけの戦力がいるとはな」 だから米帝様は嫌なんだよと、南雲や草鹿は思わざるを得なかった。 こっちが必死になって作り上げた戦力を、向こうは鼻歌交じりで作るのだ。やってられるかという気分であった。 「搭乗員たちは奮っていますよ。食いでがあるって」 「腹壊さないように気をつけろと言っておいてくれ。これはまだメインディッシュの前のオードブルにすぎないとな」 そう。衝号作戦が失敗すれば、東海岸から雲霞のごとく現れる大艦隊と対峙しないといけないのだから。 そしてハワイ時間1942年12月7日午前8時。 全世界はハワイからの悲鳴の如き電文で驚愕することになる。 『真珠湾が攻撃を受ける。これは演習にあらず。繰り返す。これは演習にあらず!!』