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しょうかんき 公式 P3の世界において、ペルソナ使い達がペルソナをより安定した形で運用する為に用いる銃型のサポート器具。 前作などと違いペルソナ召喚の際に必ずしも召喚器が必要という訳ではなく、現にストレガのタカヤは召喚器無しでのペルソナ召喚を行っている。 各人専用の召喚器を持っているが、それも専用でなくとも良い様子。 構造、素材等は一切不明。開発元は、その必要性から考えると桐条エルゴノミクス研究所(通称エルゴ研)と思われる。ただし、本編の時間では既にエルゴ研は存在しない為、制作は別のところで行なっている模様。 非公式 因みにデザインのベースはスタームルガーMK3。(設定資料集より) 考察 召喚器のサポート性能とは? 専用でも他人が使えたのは? 召喚器とペルソナ使いの関係について
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考 公式に召喚器はペルソナの召喚に必ずしも必要ではないとされる。 ストレガのタカヤ、コロマルのシャドウとの初戦闘時、おそらく美鶴の覚醒時、主人公のユニバース等は召喚器を使っていない。 召喚器を使うのはどういったメリットがあるのか。 察1 これは、確実に手軽にペルソナを召喚出来るということか。 察2 ペルソナとはもう一人の自分であり、また、複数己のなかに存在する仮面の一つである、という考え方が初代ペルソナからある(とおもう)。 察3 召喚器なしで召喚も本作中に見られるが、上記のその場面を見ると、いずれも意識して出したものではない。 または、精神の緊迫状況が半端ではなく高い時である。 内なる自分の存在を具現化し、力とするのは、大変なエネルギーを使うのだろう。 (SPが減るというのもそういうことか?) (小説で美鶴達が声(想い)のみで召喚しているが、かなり疲れている) 普段の戦闘時に召喚器を使うことにより、普段表に出ている仮面を銃器で打ち抜くという行為によって(頭を打ち抜くことによって)、精神のリミッターをはずし、内に眠るペルソナを呼び出すことを容易にしているのではないか。 察4 雑誌のインタビューで、召喚器のモデルはロシアンルーレットとのこと。 覚悟を決めるという意味があるらしい。 覚悟を決めるとペルソナを召喚しやすい? 公式設定資料集にて 魂をその場に留めておくアンカーという設定だそうです。 ペルソナを召喚するということは、魂を体から出すということ?
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考 P3FESの公式ファンブックには、ペルソナの召喚に道具は必要なく、召喚をより安全確実に行なう為に必要だと言う記述がある。 では、なぜペルソナ召喚には召喚器が必要だという事になったのだろうか。 察1 アイギスの開発を考えれば分かるとおり、影時間の発生前にもペルソナ召喚という能力は確認されていた。 だが恐らく、影時間の発生前には人工的なペルソナ使いしか居らず、その召喚能力は酷く不安定だったと思われる。 彼等のペルソナ召喚を安定化させるために召喚器を使用するということになった流れで、自然に能力を覚醒させた桐条美鶴たちも召喚器を使う事になったのではないだろうか。 察2 荒垣真次郎の例を見れば、自然に能力を覚醒させたものでもペルソナの召喚が不安定になる事が分かる。 恐らくは、天田の母親が死んだこの事件を機に、S.E.E.S.のメンバーには召喚器を携帯する義務が課せられたのではないだろうか。 派生考察 P3FESでは、召喚器を持たないS.E.E.S.メンバーがメティスにボロボロにされてしまったが、召喚器が無くてもペルソナを召喚できるのなら、これほど一方的な勝敗にはならなかった筈である。 もしかすると、S.E.E.S.のメンバーは召喚器が必要だと思い込む事によって、その召喚を安定化させているのかもしれない。(偽薬のようなもの)
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∇ ∇ ∇ ――3/5 金 午前 春の日差しが柔らかく降り注いでくる… 遠くから聞こえる歓声、 まだ少し冷たい風… 仲間たちと守った、この世界… 少し眠気が差してきた… 「ありがとう… 本当に…」 「疲れたでしょう…?」 「今はゆっくり休んで… 私はずっと、ここにいるから…」 たくさんの足音と、耳慣れた声が、 近付いて来る… 「みんなとも、 すぐに会えるから…」 うららかな陽射しに、 ■■■■の声が優しく重なる… だんだん眠くなってきた… …目を閉じますか? >目を閉じる ……。 ∇ ∇ ∇ 来る筈だった“世界の終わり”を覆し。 死に選ばれた少年は力の全てを使い果たして、少女に見送られながら永い眠りにつく。 ――その、筈だった。 ∇ ∇ ∇ ――?/? ? ??? 「……マスター? 起きてくださいます?」 目を瞑った闇の中で、ふと声が聞こえた。 そして閉じた瞼越しに、不意に光が射しこんでくる… 目を開く >それでも閉じたまま 「マスター? あのー? もしもーし?」 しきりに自分を呼ぶ声が聞こえる… 目を開く >意地でも閉じたまま 「……起きろって言ってるでしょうがー!」 思い切り体を揺さぶられ、地面に頭を叩きつけられている… …どうやら、眠っているわけにはいかないようだ。 …だるかった体が、妙に軽い。 疲れも取れている気がする… どのような運命の悪戯か。 二度とその瞳を開かないはずだった“彼”は、月に依る方舟の中で目を覚ました。 しかし枕元にいたのは『彼女』の姿ではなく、 「あ、やっと起きましたねマスター!」 和装ピンクな狐娘だった。 ∇ ∇ ∇ 「まったくもー、ぐっすりしすぎですよマスター! 確かに寝る子も三年、と言いますが…あれ、なんか違うような?」 誰? >あと五年 「五年ぅ!? 三年寝太郎もビックリですよ!」 >ところで誰? うるさいな 「むっ、よくぞ聞いてくれましたっ!」 目の前の狐娘はやけに意気込んでいる… 「謂れはなくとも即参上、軒轅陵墓からかわいいキャスターちゃんのデリバリーに参りましたっ! ……ん? あの、マスター? リアクション薄くないですかー?」 キャスター? >どうでもいい 「ど、ど、ど、どうでもいいですとっ! こんな美少女英霊をつかまえて『どうでもいい』と申しますかっ!」 …どうやら、憤慨させてしまったようだ。 「信じられません! マスターは女の子の心がわかってないんですか!」 >素直に謝る これでも七人以上の女の子がメロメロだ 「……むぐぐ。そこで素直に謝られると少し弱いですね。 まぁ、長い聖杯戦争を一緒に勝ち抜くパートナーなんですから、このくらいは見逃してあげましょう。 心が広いのもいい女の子の条件ですからねっ」 どうやら、許してもらえたらしい。 …ところで、聖杯戦争とはなんなのだろうか。 「え、聖杯戦争を知らない? またまたー、知らずにここに来ちゃっただけならともかく、こうやって私が召喚された段階で聖杯戦争のことが頭の中に入ってないわけがないじゃないですかー。 マスターも予選突破して来たんでしょ?」 …? 予選など突破した覚えはないが… 「……覚えがない? えーと、それマジで言ってますかマスター?」 >マジもマジ ごめん、嘘 「……聖杯戦争のことだけならともかく、予選の記憶すらない? ……すいません、マスター。あなた、いったいどうやってここまで来たんです?」 …とりあえず、ここまでの経緯を話すことにした。 ∇ ∇ ∇ 「ふーむ。今まさに死にかけているところで、気付いたらここに放り込まれていた、と。 記憶の混濁もそういうことなんですかね? そういうことならばこのキャスター、わかりやすく簡単に説明させていただきましょう!」 「いいですか、聖杯戦争とは! なんでも願いを叶えられる万能の願望機たる『聖杯』! その聖杯に選ばれたマスターが、古今東西全世界の英霊たるサーヴァントを呼び寄せて使い魔とし血で血を洗うサバイバルバトルな一大イベントなのです!」 サーヴァント…要するに、目の前の狐っ娘がそうだということだろうか。 「そう! データの海からはるばると降臨したキャスターのサーヴァント、それが私です! サーヴァントとは、聖杯戦争に際して召喚される特殊な使い魔。 過去・現在・未来に存在する英雄の魂が聖杯の助けによりマスターに召喚された存在であり、そのそれぞれが正体である『真名』を持ちます。 ……あ、私の真名は聞かないでくださいね?」 …ペルソナのようなもの、ということでいいのだろうか。 そして、聖杯とは… 「ええ、お答えしましょう! 先ほど話した通り、万能の願望機です! この場合はムーンセルの改竄能による世界の書き換えですが……願いを叶えるという効果に違いはありません! ええ、どのような願いでも叶えてみせますとも!」 それはすごい >どうでもいい 「これもどうでもいいってどういうことですか! 願望機ですよ! 万能の願望機! なんでも願いが叶うんですよ! 憧れのあの子のハートから世界の果てのお宝までゲットだぜってもんですよ!」 >別に願ったわけでもないし… そう言われても 「願いなんてないとおっしゃりますか! なんです、今流行りの草食系男子って奴ですか!?」 …そもそも力尽きかけていたわけだし、願いと言われても正直思い付かない。 「そこですよ! 死にかけてたんですから復活とか願わないんですか!?」 >死を怖がりはしない どうでもいい 「草食系を通り越して幽霊系男子! うう、こんなマスターに呼び出されるなんてついてません……」 …ひどく落ち込んでいるようだ。 >キャスターにはなにか願いがあるのか 無視してもう一度寝る 「……私の願い、ですか? ありますよ、そりゃあります!」 >キャスターの願いに手を貸す どうでもいい 「……へ? い、いや、願ったり叶ったりなんですけど、いいんですか? 私の願いが何なのかさえ聞いてないですけど」 良ければ聞かせて欲しい >どうせ暇だった 「……なにか釈然としないものは感じますが、もらえるものはもらっておくのが主義です。 もう一度聞くけどいいんですか、マスター? 後戻りとか基本的にお断りですよ?」 構わない >どうでもいい 「くうう、クールぶって! ……ま、それじゃよろしくお願いしますね、マスター? コンゴトモヨロシク……ってやつですかね?」 ∇ ∇ ∇ 時は、待たない。 すべてを等しく、終わりへと運んでゆく。 限りある未来の輝きを、守った者よ。 聖杯戦争―― その与えられた時を往くがいい。 己が心の信ずるまま、 偽りの日々にも、揺るぎなく進むのだ―― ∇ ∇ ∇ 【CLASS】 キャスター 【真名】 玉藻の前 【属性】 中庸・悪 【ステータス】 筋力E 耐久E 敏捷B 魔力A 幸運D 宝具B 【クラス別スキル】 陣地作成:C 魔術師として、自らに有利な陣地を作り上げる。 が、どうも性格的に向いていないらしく、工房を作る事さえ難しい。 道具作成:C- 魔力を帯びた器具を作成できる。 が、作る道具によって出来がまちまちであり、苦手な分野の道具はまともに使えない。 【固有スキル】 呪術:EX ダキニ天法。 地位や財産を得る法(男性用)、権力者の寵愛を得る法(女性用)といった、 権力を得る秘術や死期を悟る法がある。 しかし過去さんざん懲りたのか、あまり使いたがらない。 変化:A 借体成形とも。 玉藻の前と同一視される中国の千年狐狸精の使用した法。 殷周革命(『封神演義』)期の妲己に憑依・変身した術だが、 過去のトラウマからか、あまり使いたがらない。 【宝具】 『水天日光天照八野鎮石(すいてんにっこうあまてらすやのしずいし)』 ランク:D 種別:対軍宝具 レンジ:3~30 最大捕捉:100人まで 玉藻の前が身につける鏡。 呪詛によって常世の理を遮断した結界で、この結果以内ではあらゆる呪力行使コストがゼロになる。 本人の霊格が落ちている為、ランクも下がっている。 本来ならEXランクの対界宝具。EX時の範囲は一国を覆うとされる。 キャスターの扱う呪術は、すべてキャスター自身の体を使って行われる物理現象だ。 通常の魔術は、“そこにあるものを組み替える”プログラムだが、 呪術は“自身の肉体を素材にして組み替える”プログラム。 「今回はムーンセルからの制約で一つしかありませんが、 本来なら多数の尾から百万の軍勢を生み出せるのです!」 とはキャスター本人の弁。実に眉唾である。 【Weapon】 『呪術』 キャスターの扱う呪術は、すべてキャスター自身の体を使って行われる物理現象である。 通常の魔術は、“そこにあるものを組み替える”プログラムだが、 呪術は“自身の肉体を素材にして組み替える”プログラム。 「今回はムーンセルからの制約で一つしかありませんが、 本来なら多数の尾から百万の軍勢を生み出せるのです!」 とはキャスター本人の弁。実に眉唾である。 『常世咲き裂く大殺界(ヒガンバナセッショウセキ)』 殺生石を用いたキャスターのスキル。 玉藻の前が死後石に変じたものを“殺生石”と言い、これはたいへんな呪毒を帯びた石で、 近づく人や獣を中毒死させた。 本来は栃木の那須高原にあったが、後に玄翁和尚という高僧によって砕かれ、 日本に三箇所ある高田という場所に飛散した。 また、この際に飛散した残りはオサキ狐や犬神となり、各地の使役術師に使役される 使い魔となったという。 『呪法・玉天崩』 「敵に筋力による貫通ダメージを与える」という、キャスターにあるまじき接近戦技。 一見キワモノ技に見えるが、キャスターの行う呪術の中では貫通ダメージもあってかなり強力。 その分魔力も相応に消費するが。 具体的になにをやっているのかは、「男性相手にはクリティカル確定」という追加効果で察してほしい。 【人物背景】 平安時代末期、鳥羽上皇に仕えた絶世の美女。 白面金毛九尾の狐が化けた姿とも言われている。 幼名は藻女(みずくめ)。 十八歳で宮中に仕え、のちに鳥羽上皇に仕える女官となり、 玉藻の前(たまものまえ)と名乗った。 その美貌と博識から次第に鳥羽上皇に寵愛されたという。 諸説様々だが、その後、鳥羽上皇は病に伏し、 その原因を調べた陰陽師によって狐の正体を暴かれ、宮中から追い払われた。 宮中から去った後は那須野で悪名を重ね、 上皇からの命によって八万もの討伐軍を派遣されるもこれを撃退。 二度目の戦いにおいて人間に敗北するも、 その骸は毒を放つ石になったと言われている。 【サーヴァントとしての願い】 ……??? 【方針】 願いを叶える? 【基本戦術、運用法】 やはり本領は呪術による魔術戦にある。 キャスターとしてはかなり高い方である敏捷ステータスや「呪法・玉天崩」、強化の術によって対魔力を持ったサーヴァント相手にも接近戦で戦えないわけではないが、 「対魔力を持ったサーヴァント」=「三騎士を筆頭にする接近戦ガチ勢」である為分が悪いのには変わりない。 できるだけ戦闘は避けたい。 マスターである結城理がそこそこの戦闘能力を持つため、キャスターがサーヴァントを足止めしている間に結城がマスターを狙うのも有効。 キャスターの性能としては(たとえ不完全な陣地でも)陣地に篭って様子を伺いながら戦っていくのが常道なのだが……。 【マスター】 結城・理(ゆうき・まこと) 【出典】 ペルソナ3 【参加方法】 不明。 彼が全てを使って封印したニュクスが月にいたことが関係している可能性がある。 【マスターとしての願い】 ……? 【weapon】 「召喚器」 ペルソナ3の世界において、ペルソナ使いがペルソナをより安定した形で運用する為に用いる銃型のサポート器具。 必ずしも召喚に必要というわけではないが、召喚器によらないペルソナの召喚は無意識的なものや暴走の危険を孕む。 銃器の形状をしており、自らに向かって引き金を引くことにより覚悟を決め、召喚を行わせる効果があるという。 あくまで召喚の補助用具であり、武器のしての機能などは存在しない。 【能力・技能】 ペルソナを召喚していない状態でも身体能力は高い。 ある程度の種別の武器を使いこなすが、最も得意とするのは片手剣(小剣)である。 ただし、本人はこの聖杯戦争に召喚器以外の物を持ってきていない。 「ペルソナ」 心の力。 もう一人の自分。 この聖杯戦争において所持しているペルソナは「タナトス」のみ。 無数の棺桶を鎖で繋いだオブジェを背負った、一本の刀を持つ骸骨のような頭持った処刑人のペルソナ。 所持スキルは 「亡者の嘆き」(恐怖状態の対象限定で相手を即死させる。格闘ゲーム版では相手を棺桶に放り込んでダメージを与える) 「五月雨斬り」(敵単体に斬属性複数回大ダメージ) 「メギドラ」(敵全体に万能属性による大ダメージ) 「マハンマオン」(光属性・全体即死) 「小剣の心得」(小剣による通常攻撃のダメージを二倍にする) 「ブレイブザッパー」(敵単体に斬撃属性特大ダメージ) 「空間殺法」(敵全体に斬撃属性大ダメージ) ペルソナを召喚すれば低位のサーヴァントとも打ち合えるが、三騎士相手には2合ともたない可能性が高い。 また、マハンマオンは成功確率が極端に低下しており、さらにサーヴァントには属性に関わらず無効となる。 【人物背景】 ペルソナ3の主人公。 名前についてはメディアによってブレがあるが、今回は映画版における「結城理」を採用する。 2009年4月に港区の月光館学園高等学校に転校してきた。 一人称視点の選択肢により返答を行うRPGのためその性格ははっきりとしないが、 選択肢は落ち着いたものが多く、尚且つあらゆる会話において「どうでもいい」という選択肢が表れることから、クールでドライな印象を受ける。 その一方でお茶目な選択肢が出てきたり、時には優しく励ましたりするなど、本質的には腹黒さを内に秘めたトリックスター的な性格なのかもしれない。 転校早々にシャドウによる襲撃に巻き込まれ、ペルソナ能力を発現させたことから特別課外活動部のリーダーを任せられる。 その後シャドウを倒す為にタルタロスを探索していくことになる。 基本的に1人1体しか有せないはずのペルソナを複数所持出来る「ワイルド」の能力を有する。 この能力は10年前、大型シャドウ「デス」との戦いに巻き込まれた彼が、その場にいたアイギスの咄嗟の判断により体内に「デス」を封印したことによる。 この戦闘に巻き込まれた際に両親が死亡しており、各地を転々とし続けていた。 最後の戦いであるニュクス戦で最後のアルカナ「宇宙」を手にしたことにより、命の意味を知る。 「宇宙」の力でニュクスを封印し、殆どの力を使い果たした彼は卒業式の日に永遠の眠りについた。 【方針】 不明。 現在は、キャスターの願いを叶えるために戦うつもりらしい。
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目次 1.永遠の神理 第一の桂 ― 神の実在 2.永遠の神理 第二の柱 ― 愛 3.永遠の神理 第三の柱 ― 悔い改め 4.永遠の神理 第四の柱 ― 霊的転生輪廻の真相 5.永遠の神理 第五の柱 ― 光の天使の存在 1.永遠の神理 第一の桂 ― 神の実在 ミカエルです。こうして私の3部作も、最終章にたどりつくことができましたことを心よりうれしく思います。また私をして、このような場で語らせてくださった関係者のみなさんに、とても感謝の気持ちでいっぱいです。 さて私はこの最終章において、永遠の神理の話をしてみたいと思います。 今までさまざまなことを述べて伝えてまいりましたが、今回の正法神理の運動として、後世に述べ伝えねばならないことはいったい何であるのか、その永遠の神理とはいったい何であるのか、これを私なりに解釈し、また整理して、これだけはどうしても残したい神理であるということを明らかにしておきたいと思うのです。 私は、この永遠の神理の柱を五本考えてまいりました。 第一の柱は、「神の実在」ということです。宗教だ、哲学だ、思想だといろいろなことを言っても、究極において神の実在を信ずるかどうか。ここが議論の分かれ目となりますが、神の実在なくしての宗教もない。神の実在なくしての人間も、また大宇宙の万生万物も高級諸霊もない。これだけを言っておきたいのです。 人間よ、不遜(ふそん)になってはいけない。謙虚さを忘れ去ってはいけない。神ありてこその世界であり、神ありてこそのあなた方であるということを決して忘れてはならない。 すべての始まりに神があり、すべての終わりに神がある。この世界が始まる前にも神はおられ、この世界の終わりの後にも神はあられる。この間に人は生まれ、死に、また生まれ、死に、さまざまな記憶を持って、さまざまな歴史をたどってきたわけですが、しかしその間、神は瞬(まばた)きの間ほどにも感じておられないかもしれないのです。 この神の実在ということは、神理の中の神理、不変の神理の中の中心であり、どんなことがあっても決してねじ曲げることはできない、そうした大きな柱であるのです。 したがってこれより後、どのような指導者が出、どのような宗教家が出、どのような思想家が出たとしても、神の実在を否定するのであればまったく問題外であり、論外であるということを私は明らかにしておきたいと思うのです。 2.永遠の神理 第二の柱 ― 愛 永遠の神理の第二の柱、それはやはり「愛」です。愛ということは、片時も忘れてはならない。愛とは何かと言うと、神の創られた世界を善きものと見、人間の本質を善きものと見て、それを限りなく押し包み、優しく見つめ、ともに手をたずさえて向上していこうとすることなのです。 第7章では、私は厳しいことを縷々(るる)述べました。しかしこれは、今、真実が見えなくなっている人に気づきという名の愛を与えるためなのです。めざめていない人たちをめざめさせてあげるということも大きな愛です。 愛にもいろいろな愛がありますが、真実にめざめ、神理にめざめ、神の心にめざめるという、そうした手助けをする愛こそ、いちばん値打ちのある愛であると私は思うのです。 ほんとうのことを教えてあげること、ほんとうの神理を教えてあげること、神がどこにおられるのかを、神の御心がどこにあるかを教えてあげること。― これが私は真実の愛であると思うし、ほんとうにたいせつな愛であると思うのです。 したがって本書の読者のみなさまにも私から申し伝えておきたいことは、愛の愛たるもの、愛の最たるものは、この神理の伝道にあるということなのです。神理を述べ伝えるということなのです。 なぜ過去において伝道者たちが殉教しても偉しとして、りっぱな方として讃えられたか。それは最高の愛のために生きた方がたであるからです。みずからの身命を賭(と)してでも神理を伝えるということのために生きた、そこに最高の愛の姿があったからです。 私は多くの人たちに言っておきたい。黙っていて、座していて、この真実の愛は広がらない。神理は広がらない。 時節到来したと思うならば、この法を述べ伝えなさい。この法を多くの者のもとに届けなさい。多くの者に知ってもらいなさい。それがだいじであると私は思うのです。 真実の愛とは、真実の法を教えること。神の心を教えること。今私は天上界より、はるかなる時空間を超えて、この二十世紀の最後にあたる法の時代に、この日本の地においてミカエルの言葉を語っておりますが、このように明瞭な形で私がわが思いを地上に託し、伝えるということは、かつてなかったことなのです。かつてそのようなことはなかったのです。 今そうした時期に再会しているということを、あなた方はその意味を知ってほしい。ミカエルがその名を語リて、みずからの使命を明らかにし、みずからの信念を明らかにし、みずからの思想を明らかにする時、それは救世主降臨の時です。その時を外して、私がこのような形で明瞭に語るということはないということを知っておいていただきたいのです。 わが語る時、ここに救世の時代が始まるということを知っていただきたいと思います。 3.永遠の神理 第三の柱 ― 悔い改め 私の考える永遠の神理の三本目の柱、それはやはり「悔い改め」ということだと思います。もちろん「反省」という言葉で呼んでもよろしい。地上にある人間は、ともすれば行きすぎ、ともすれば思いすぎ、ともすればやりすぎ、ともすれば語りすぎる。そしてさまざまなな過ちを起こしがちであります。 しかし過ちを起こすということは、人間にはありがちなことではありましょう。そのありがちなことをありがちなこととして、そのまま放置しておいてはならないのです。このありがちなことを、またありがちな方法で修正していくことこそだいじなのです。 そのありがちな方法とは何であるか、それが悔い改めということなのです。反省ということなのです。みずからまちがったと思うならば素直に反省することです。我を張らないことです。 大いなる神の御手のなかにある自分というものを知った時に、人間は謙虚にならざるをえないのです。謙虚となってみずからの心を裸になって見つめる。飾りもなくてらいもなく、おごりもなく、みずからの心を見つめるということがだいじなのです。私はそう思います。 そうでなければなにゆえの人生、なにゆえに各人にその人生の川を下る舟の櫂(かい)が与えられましょうか。各人に、人生の川を下る舟の櫂が、オールが与えられているということは、みずからが進路をまちがったと思えば、その進路を変えて行きなさいということなのです。これを悔い改めと称します。 その悔い改めの効果は何であるか、そう考えてみると、ここにひとつの赦(ゆる)しがあることは事実です。人間は罪を犯しがちの者であるが、悔い改めることで赦しを得、神の光を受けることができるのです。 これだけの大きな愛が、慈悲があるというのに、なぜそれに気づかないのか。霊的に見れば、神の赦しは飢えた者に与うるひと切れのパンです。ひとグラスの葡萄酒でもあります。喉(のど)が乾いた者には一杯の水でもありましょう。 霊的には私たちはまちがいを犯した時に、良心が苦しんで苦しんでどうしようもないのです。その苦しみから救うもの、それは赦しなのです。赦しという名の神の愛の光なのです。そしてそれが与えられるための儀式があるのです。それが悔い改めというのです。 私たちが語っている神理に照らして、みずからの思いと生き方がまちがっていると思うならば、これをふり返り反省してみることです。そしてもう一度やり直すことです。 高級霊の言葉であっても個性に差があるということは、あなた方もごぞんじでしょう。多くの人たちはすでに数多くの霊示集によって、その事実を知っているでしょう。 たしかに私たちの考えにも個性はあります。たとえば私ミカエルの考えと仏陀の考えでは、かなり多くの違いがあるでしょう。仏陀は和をもって尊しとし、中道に入ることをもってよしとしておられます。しかし私はある程度、正邪というものを明らかにしようとする傾向があります。それは私の語った言葉を読めば明らかにわかりましょう。 どちらのほうが神埋かと言われたら、それは一概には言えない面があるでしょう。医者に外科と内科があるように、神埋を述べ伝え、教えることにも外科と内科があります。 悪しきものを取り去って、そして手術を完了させる者もあれば、あくまでも形は損なわずに人間を治そうとする動きもあるでしょう。どちらがよいかは一概には言えない。方法論の違いはありますが、どちらもまた神の心にかなうことであるということを知っていただきたいと思います。 神の心のなかには、すべてのものを調和させたいという思いと、真実は真実として明らかにしたいという思い、こうした複合的な思いがあるのです。 私は真実を明らかにするという使命を担い、やっております。それゆえに私はみなさんに言っておきたいのです。神埋に反した行為は、思いは、かならずそれなりの反作用を受けることになります。それは他によって負わされるのではなく、みずからが自らを苦しめるための罠(わな)を作っているのと同じことなのです。やがてみずから作った罠にみずからがかかっていくのです。みずからが掘った穴にみずからが落ちてゆく、それが神を呪(のろ)う行為であり、神理に反する行為でもあります。どうかそのことを忘れないでいただきたいと思います。 4.永遠の神理 第四の柱 ― 霊的転生輪廻の真相 さて永遠の神理として残すべき第四の柱を、私はこれを「霊的転生輪廻の真相」ということにしたいと思います。 私たちが地上に肉体を持つことがありますが、それはほんの束(つか)の間です。ほんのわずかなことです。そして大部分、人間の魂は霊界、実在界にあって、そちらがほんとうの生活となっています。そしてときおり生まれ変わり、時代を変え場所を変えて生まれ変わり、新たな魂修行をしているのです。 この事実は目に見えぬ世界の事実であるがために、多くの人たちは気づかないままに過ぎていきます。信じることができないままに過ぎていきます。しかしこれが真実であるのです。 私はこの意味において、幸福の科学の教えを見ていても、まだまだ霊的世界の実証という意味で不足な面が数多いと思います。霊的世界があるということを、これを実証し、見せ、教えるということ自体も、ひとつの大きな愛であるということを知らねばなりません。 もちろん方便として霊的なことを避けて、他の方面から人びとを善導することもだいじでしよう。そうした方便の力も大きいでしょう。しかしながら、まず、霊的世界があるのだということを教えること、知らしめること、これもまた最大の愛であるということを知らねばなりません。その最大の愛によって、多くの人の人生観が変わってゆくからです。 どうしてもどうしても地上の人びとの疑いは濃く、また彼らの猜疑心(さいぎしん)には限りがないために、霊的なるものを避けて、説法のみで、あるいは法理論のみで人びとを導こうという気持ちが起きてくることがあるでしょう。 このミカエルの降臨のごとき霊示集を避けて、説法だけで人びとを導こうという気持ちになることもあるでしょう。しかしながら、私はあえて言っておきます。霊言集、あるいは霊示集、こうしたものを出し続けるということが、これが最大の愛であるということを。神理に気づいていない多くの人たちをめざめさせるということが、最大の愛なのです。 すでに神理にめざめている人がさらに法理論を学び、みずからの悟りを上げていくこともだいじなことだとは思いますが、現在、いちばん応急手当て、救急の手当てを、緊急の手当てを必要としている者たちは、目の鱗(うろこ)が落ちていない唯物論者たち、霊的世界を知らない人たち、霊的転生輪廻の世界を知らない人たちなのです。これら多くの、いちばんその真実を必要としている人たちをめざめさせることこそ、やはり最大の愛であると私は思うのです。 実際に地獄というところに行って、私は数多くの者たちを指導していますが、彼らが自分たちが霊であって、地上というものは魂修行のために出ていたのだという事実さえ知っていてくれれば、いったいどれほどやりやすいか、どれほど助かるか、そう思うのが毎日毎日なのです。 彼らはみずからの本質を知らないのです。自分たちが霊であったということを知らないのです。地上にいた時にみずからの本質が霊であって、地上に生まれ変わって来ているということを知っていた魂は、来世においても立ち直リがひじょうに早いのです。悟りが早いのです。気づきが早いのですが、そのことを知らず「肉体即我」と思って生きてきた人は、なかなかにめざめさせることができないのです。いくら語っても、その頑迷な思想を打ち破ることができないのです。 したがって私は、法にとって何がだいじであるかと言っても、霊的世界の実証は、これは最大の愛であるということを言わなければならないと思います。これに成功するだけでもたいしたことである、そう思います。 この意味において私たちの霊言、霊示集は、これは限界があってはいけない、終わりがあってはいけない、限りがあってはいけない。数限りなく、証明のために出し続ける必要があるのです。 私も九月、十月、十一月と、各月一冊ずつ、この『大天使ミカエルの降臨』という本を収録して、そして次つぎと出してまいりました。しかし、これもまだ証明の一部分でしかないと思います。大霊界においては数限りない高級霊たちがひかえています。そうした多くの霊人たちが控えています。その個性の違いを通して、やはり霊的世界の存在を教えるということかだいじであると思います。 私のこの『大天使ミカエルの降臨』という本にしても、他の霊言、霊示集や、理論書とは、おそらく趣(おもむき)を異にしているでしょう。読者の多くは、高級霊のなかにこれだけ戦闘的な霊がいるということに驚きを持たれたかもしれません。しかしそうした役割の方もいるのです。 それはあなた方の地上においてもそうでしょう。学者の生活をしている人もあれば、僧侶をしている人もある。商店主をしている人もあれば、しかしまた警察官であったり、軍隊にいるような人もいるでしょう。いろいろな立場の人がいて国が成り立っているでしょう。 私の仕事はかなり厳しい仕事です。そうした霊的世界の警察官の役割かもしれません。この意味において、寛容を旨とし、法を学ぶことを中心としている人にとっては、違和感があることは否めないと思っています。 しかしながら、考えてみるならば私もまた、いちばんたいせつなことをやっているわけでもあります。たとえば日本という国は治安がよい、世界一治安がよいということになっています。その結果、多くの人たちがどれだけの利益を享受しているかおわかりでしょうか。東京という都市はひじょうに治安のよい都市です。外国人であっても女性であっても、安心して夜道が歩ける都市です。それだけ治安がよいからです。 これはこの効果を考えない人は多いでしょうが、もう各人が武装して自宅へ急がねばならないということになったら大変なことになってしまいます。そうならないのは治安組織がよくできているからです。 私もまた霊的世界の治安に、これ努めているわけです。そうした職業は好まれないこともあるでしょう。かならすしも花形ではないかもしれません。しかしそうした役割をしている霊がいるということを、地上のみなさんにも知っていただきたいのです。 こうしてみずからの身を危険にさらしてでも真実の世界を広げ、そして神理の人たちを護るために日夜働いている霊がいるということを、どうか知っていただきたいと思います。そうした事実を知ったならば、どうかほんとうにそうした転生輪廻があるということを、霊界の世界があるということを、勇気を持って宣言し、説明してほしいと思うのです。 私たちのこの努力を、この汗を無駄にしないためにも、真実のことを真実として述べ伝えてほしいのです。地上の常識が違っているならば、この常識を塗り替えるために、どうか活躍し、活動していただきたいのです。それを私は切に願っています。 これがいちばんだいじなことです。霊的転生輪廻、そして人間が霊的存在であるということ、地上は一時の宿りであって、魂の学習の場であるということ、これを知っていただきたいし、できれば早く、こうした事実を学校でも教えていただきたい。家庭のなかでも教えていただきたい。 これは願いですし、また人間の義務です。人間としての義務です。自分自身のほんとうの姿を知らないということは、地上での学習の効果がなかったということに等しいのです。そうではないでしょうか。私はそう思います。 どうかみなさんも、こうした私の霊言、霊示集も完全なものではないし、完全な法でもないと思いますが、このような個性の強い霊人が天土界にいて、そして人びとを護っているということを知ったならば、これを多くの人に伝えていただきたいと思うのです。 5.永遠の神理 第五の柱 ― 光の天使の存在 永遠の神理の五番目の柱として私がだいじだと思うこと、それはやはり、光の天使という存在が現にあるのだということだと思います。 一番目に神の実在ということを言いました。神の実在はその通りでありますが、残念ながら人間はそれを手に取るように見ることができません。しかし明らかに感じ得るものは、光の天使と言われる存在があるということです。高級霊と言われるものが真実あるということです。 この事実に基づいて、この真実に基づいて、過去さまざまな教えが説かれたのです。仏教やキリスト教や、あるいはいろいろな教えがありますが、これらはすべて、光の天使とも言うべき人の存在を前提としているのです。こういう存在があって神の法を、その個性を通していろいろな形で説いているのです。 まずこれを知っていただきたい。これを知らねば宗教の違いの意味がわからないからです。多様な価値観と言ってもその意味がわからないからです。それは神の使者として、光の天使がいろいろな時代にいろいろな地域に生まれ変わって、そして教えを説いている。独自な教えを説いているということなのです。それは個性の違いはあったとしても共通するものは同じです。底に流れるものは同じです。私はそう思います。 この光の天使とも言うべき、こうした高級霊団、高級霊の存在があるということ、これを知っていただきたい。これが宗教の意味を、その教えの違いを、その歴史の違いを雄弁に物語る真実なのです。 たとえばキリスト教の人を見てみるならば、イエスの信仰は当然ながら、イエス以前にはもう神もいなかったかのごとき信仰をしていることも多いが、やはり仏教のなかにも、神道のなかにも、儒教のなかにも、回教のなかにも、神理の流れはあった。こうした流れがあったということを知るということがいかほどだいじであるか。知らないということがいかほど人間を偏狭(へんきょう)にし、偏屈にしているか、それがみなさまはわかるでしょうか。 地上で熱心に一つの宗教をやった人たちは、その派閥争いと所属争いに明け暮れて、天上界に還っても自分の属する宗派にだけ属して、それ以外のものを異端視し、目を向けないという傾向があります。しかしながら本当はそうではないということ。歴史の流れのなかの真実なるものを見抜くということかだいじです。 私は前章においてはたいへん批判的なことも言っておりますが、しかし現代の地上にもいろいろなところに光の天使が出ていることは事実です。光の天使は各界、各層に現われ、各地域に現われていろいろな活動をしているのです。みなさんが気づかないようなところで、いろいろな職業をしながら人びとを導いている人が数多くいるのです。そうした光の天使が数多く活動している、そういう地上であるということを信じていただきたいのです。知っていただきたいのです。 その事実を知るということが、神の愛を知るということになりましょう。神がどれほどまでに人間を愛しておられるのか、ということを知ることになりましょう。私はそう思います。そしてこの思いは、どうしても多くの人に認めていただきたいという気持ちが強くなるのです。 ですからたんなる正邪、正しい、まちがいということだけでとらえるのではなく、そうした光の天使の存在を介して、法が流れているという事実を知っていただきたいのです。 ミカエルの話と他の高級諸霊の話とでは、違うところはずいぶんあるはずです。しかしなにゆえに違うのかと言えば、それは仕事の違い、役柄の違い、個性の違いによって現われているものです。 そうであるならば、その真実を知って、そしてそのなかから少しでも役に立つ神理を、いろいろなもののなかから学んでゆくことだと思います。それが地上の人間に課せられた義務だと私は思うのです。私の生き方だけを真似をし、私の通りにすべての者が生きて行かねばならないとすれば、これは大変なことになるでしょう。ただ、さまざまな霊示、霊言のなかにある神理を学び、学び、学び尽くして、自分のものとして吸収していくこと、これがだいじだと思います。 以上五つの柱について、私は永遠の神理となるべきものがいったい何か、その核が何であるかということを説き来たりました。 さて、ここで私の当初の予定である三部作は終わることとなります。しかし時あらば、また多くの人の希望があるならば、またわがこの霊示集の真偽を疑うものが数多く出るならば、続々とまたわが声を世に問い続けたい。そのように思います。とりあえずは、これにて私の今回の計画を終わらせていただきたいと思います。
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【名前】 主人公(結城理) 【出典】 ペルソナ3 【性別】 男 【年齢】 17 【名ゼリフ】 【支給武器】 陽皇覇剣@真・女神転生デビルサマナー 召喚器@ペルソナ3 【AA】 ._,,...-‐' ´ ` ー、--ミ / \ / \ ./ ;、 ヾ 、 .,' /' }ィ、 、 i !` .l ;ィ /'゜_ ヽ! |ヽ | ./イ / | / ;'イ、 )/ ハ_j′ .| /ミ、! / ' `イ /仆';′ 八 トゞ゙| ! ム; ;イ ,./イ \ ヽ |ト、_, _ /' / .,ヘ ヽ > _ ニ´ イ/ 弋、 ヾ`\ ` ー-,.イム l \_ ノ 「ト |ハ ,/ _,,..イ // ;' .| ハ ノ,' , -'´ // ; ;' | ハ / | / { /' / /! ; )/ .〉 ∧ У/./ | !¨/ iエコィ、 ! ;イ ∨/ / | | / /' .| / .〈;イ. ,' レ/ /'ニミヽ ,' / λ! / /,イ マイ } ! / /.入 //∨'、<ム_ノ.ノ / i /ノ ヽ ム ∧ ``ニ彡 , ' ∨ / |i∧ ∧ ,イ / ! |l .∧ ∧ ./ / /, .〃 .∧ ∧ / イ //. 〃 ∧ ∧ 【人物】 月光館学園に通う高校二年生。長めの前髪に片目が隠れた、鬼太郎のような顔をしている。口癖は「どうでもいい」 いわゆる台詞の存在しないタイプの主人公であり、それ自体がストーリーの大きな伏線となっている。 自らの深層意識にある別側面にカタチを与え、具現化して使役するペルソナ能力の使い手であり、『原則として一人につき一つ』であるペルソナを複数保有し、状況に応じて使い分け可能な『ワイルド』と呼ばれるペルソナ能力者でもある。 どのような人物になるかはプレイ内容によって異なるのだが、ゲームコンプを目指した場合は学年一位の学力に不良数人を瞬時にぶちのめしたり剣道歴数ヶ月で大会上位に食い込めるほどの格闘能力、異様なまでのコミュ力・フラグ体質を併せ持つ完璧超人となる。 ファンからの愛称はキタロー。前述の鬼太郎似の外見と、ベルベットルームの主・イゴールの声優が目玉おやじと同じ人であることから。 本ロワでの本名は映画版から取られており、結城理(ゆうき・まこと)となっている。ちなみに漫画版およびスピンオフ作品のペルソナQでは有里湊(ありさと・みなと)。 【本ロワの動向】 原作終了後、ニュクス封印の依り代となった後より参戦。 自分が真っ当に生きていることに驚愕しながらも、戦友である順平らと共に殺し合いから脱出すべく行動を開始する。 そんな中出会ったのは花京院典明。彼もまた元の世界で死亡した直後からの参戦であり、二人共似たような状況からの参戦ということもあって「この殺し合いの参加者には死者が大量に紛れているのでは?」という考察が為された。 だがそんな二人のもとに赤屍蔵人が来襲。スタンドとペルソナで応戦するが、パワー・スピード共に圧倒的な赤屍相手にスタンドやペルソナはともかく本体の二人は対応できず、已む無く撤退することに。 なんとか大きな怪我もなく逃走に成功すると、逃げた先にはしゅがーはぁとこと佐藤心の姿があった。 突然必死の形相で雪崩れ込んできた二人に心は面食らうも、体中傷だらけの二人を見るや否や大慌てで治療道具を出そうとてんやわんや。そのある種滑稽な姿に、二人は殺し合いに来てから初めて笑みを浮かべると共に、目の前の女性が信頼に足る人間であると確信したのだった。 その後は体力の回復と情報の整理のために一箇所に身を固め、三人で団欒の時を過ごすことに。 花京院「あのお年ごろでシュガーハートというのはどうかと思いますが(ヒソヒソ)」 キタロー「……(こくこく)」 心「仲いいな、ちきしょー! そんな時こそどうでもいいって言ってよ! 言えよ!」 途中マーダーの襲撃があったが、花京院とのコンビネーションで見事撃退に成功している。 しかし中盤、偵察のために拠点から少し離れると、一人残しておいた心の助けを求める悲鳴が木霊する。 慌てて元の場所に戻るも、心はキタローと花京院の二人に近づくなと警告。次の瞬間には突如爆発が発生し彼女の姿が消えうせてしまう。 下手人は爆弾のスタンドを操る吉良吉影。そそくさと逃げようとする彼を追尾すると花京院とのタッグで彼を追い詰める。 吉良の持つキラークイーンは強力なスタンドであったが、テトラカーンによる物理反射とエメラルド・スプラッシュによる射撃のコンビネーションの前には吉良一人では太刀打ちできず戦いは優勢に進むも、爆弾化した石ころを煙幕代わりに逃走を許してしまう。 心の死亡により二人は強い自責の念を抱くも、そうもしていられないと改めて殺し合いに反抗する意志を固める。 次に遭遇したのは散とのリベンジマッチに勝利した直後のルカさん。同じく主催に反抗する意志を持つルカさんは迷いなく二人との同行を許諾、以後行動を共にすることに。 その後は散発的に襲撃をかけてくるマーダーを撃退しつつ他の対主催を捜索していたが、三人の前に魔力不足で暴走を起こした百鬼空亡が出現する。 それを抑えるべく戦っていた緋勇龍麻、アマテラスと共に三人も戦線に加わるも、その圧倒的な力の前になす術なく敗北。倒れた仲間への攻撃から庇う形でキタローは前線から吹き飛ばされてしまう。 戦線から少し離れた道の上。キタローが気絶から目を覚ますと、そこにはキタローを覗き込んでいたいーちゃんの姿があった。 本心ではすぐさま元の戦場へと戻りたかったキタローであったが、いーちゃんの側に敵意がなく治療の準備もしてあったこと、自分の傷がすぐに動けるようなものでなかったことが重なり、しばらくいーちゃんと共に行動することになる。 近くにあったドーナッツ屋に入りフレンチクルーラーを食べながらの交流。双方共に表情が乏しく、会話も淡々としたものであったが最終的にはコミュが発生するまでに仲良くなることに成功。 ペルソナの治癒能力といーちゃんの治療によって最低限動けるほどに回復すると、キタローはいーちゃんに別れを告げる。しかし、ふと、自分達が互いに本名を名乗らず「戯言さん」「墓場鬼太郎」とあだ名で呼び合ってたことに気づき、最後に一つだけ問うのだった。 キタロー「……最後に、君の名前を教えてくれないか」 いーちゃん「××××」 そうして二人は静かに袂を分かつ。いーちゃんの表情に僅かな諦観が浮かんでいたことに、キタローは最期まで気づくことはなかった。 その後は捜索に出ていたアマ公により保護され空亡組の拠点へと移動し、主催戦が始まるまでの間休息と現状の把握に時間を費やすことになる。 既に空亡組と友好関係を結んでいた花京院・ルカさんの紹介によりキタローもまた空亡組と合流、こうして動きこそ少ないもののとんでもないチート対主催勢力が結成される運びとなった。 魔力回復や雑談に勤しんでいると戦艦ハルバードを入手したデップスメンの広域放送によりロワの実質的な崩壊を知り、主催者に一発ぶちかますという彼らの提案に乗りハルバードへと移動することに。 そこにはかつての仲間である伊織順平の姿もあり、総勢100名以上の参加者と共にロワを仕組んだ主催へと反旗を翻すこととなる。 主催の尖兵としてまず出現したシャドウの群れ、それをルカさんと共にコンセントレイト・明けの明星と明けの明星→サラマンダー→明けの明星のコンボで一掃、消耗した分を勝利の雄叫びで全回復という鬼畜戦法を披露。 更には制限が解除されたことと花京院を始めとした仲間たちとの絆のコミュで解禁となったペルソナチェンジで本領発揮。 龍麻・空亡とのトリプル黄龍での大規模方陣技というクロスオーバー技を編み出し雑兵を殲滅。それぞれの相手の下に赴く仲間を見送り、キタローはそのまま雑魚敵集団の殲滅に勤しむが、ここで甘粕正彦によるラグナロクが発動。 何千何万という神格が甘粕の制御すら離れて破壊を撒き散らす惨状に、遂にキタローは甘粕へと戦いを挑むことになる。 キタロー「終段、顕象―――ハルマゲドン」 そうしてキタローは甘粕の放つ神々の戦争に対し、戦争を終わらせる最終戦争をぶつけ相殺。ともすれば地球諸共消滅させかねない暴威を力づくで抑え込むことに成功する。 そしてここに甘粕正彦は斃れ、他の主催者たちも対主催によって打ち倒される。 しかし主催者たちの力の源となっていたエデンバイタルだけはどうすることもできず、その扉を封印するしか取れる手段は存在しなかった。 エデンバイタルの扉の封印、その方法を考えあぐねている中、キタローは自身を寄り代にした封印を施すことを提案する。 大いなる封印。一度はニュクスを封じて寄り代となった身であればこそ、ここで再度封印を施そうが心残りはない。 更に自分が封印すべきニュクスさえもエデンバイタルの一部であるのならば尚更断る理由はない。そう言うキタローに仲間は反発するも、しかしそれ以外の方法が見つかるわけもなくその案が実行されることとなる。 この殺し合いで新たに得たコミュニティ。岸波白野の魔術師、花京院典明の法王、佐藤心の恋愛、緋勇龍麻の剛毅、ルカさんの刑死者、百鬼空亡の塔、戯言遣いの死神、アマテラスの太陽。それらの絆が宇宙のアルカナであるユニバースを形作り、キタローの意識は段々と闇に溶けていく。 意識が消え去る刹那、彼が最期に聞いたのは、いつか必ず助けに行くという順平や花京院の声だった。
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目次 1.新文明には三つの柱がある 2.新文明の第一の柱――霊性実証の時代 3.神が、この世に二種の人間を置かなかった理由 4.信仰とは、認識力の増大を意味する 5.これから、霊界の研究者が尊敬されるようになる時代が来る 6.新文明の第二の柱①――原始に還れという復興運動がおこる時代 7.新文明の第二の桂②――未来産業型の文明時代 8.新文明の第三の柱――精神的な帰属が社会的ステータスをつくる時代 9.これからは、神理を勉強していることが資格になる時代が来る 10.今後、「高橋信次コース終了認定」免許が出る時代が来るかもしれない (1987年8月15日の霊示) 1.新文明には三つの柱がある さて、第五章、「神理文明論」という章になりました。これで私の霊訓集が終わるんですねえ。 みなさんうれしいですね。とうとう来ましたよ。何冊読みたいですか。 僕はね、読者のみなさんのお力次第なんだけど、五冊ぐらいで終わりたくないですねー。できたら十冊、ちょっと声が大きくなって二十冊、小さくなって三十冊、もうちょっと小さくなって五十冊ぐらいやりたいなーって思ってるんだけど、そのぐらい読みたいって言ってくれないかなーと思ってね。 まあ、でもあるじゃない、よく世界の名作全集なんて言ってね。第一回配本、第二回配本なんて、あれだって三十冊も五十冊もあるじゃない、配本がね。二ヵ月おきぐらいに来るんでしょ。だから私の霊訓集もそうした第何回配本ぐらいのつもりでね、出るの楽しみにしてくれなきゃいけない。 でも読者のなかにはいるでしょう。「本が多くって、まあいっぱいいっぱい出しちゃって、もうこんなに読めるか。」って言うから、読めなくていいんです。私の本だけをずーっと読んでいきゃいいんですよ、みなさんね。 私は一貫教育してますから、一冊目から最後まで読めばね、みなさんの人生もピカピカに光って、そしてもうあの世で絶対いいとこ行けて、そしてあの世の勉強も終わるような、そういう教育システムっていうのを考えてますから、もう安心してね、ついてきたらいいんです。 だから、本が多すぎて読めないとか忙しい人は、私の本だけを頼りにしてね、これを持っていきゃいい。ね、毎日会社に。ま、行けると思いますよ。 私はね、むずかしいこと言わないんです。お子様やお母様や、爺ちゃん、婆ちゃまにもわかるように、話してるんですね。だから、OLなんかの間に私の本はずいぶん人気が高いんですね。 入会願書っていうのがあって、霊言集の感想を書いてるんですねえ。それで、私もときどき見せてもらってるんだけども、「もう高橋先生大好き。」ってね、OLですよ、たいていあなた。 ね、たいてい二十代だけど、二十代後半のちょっとうれ残りかかっとるOLが多いんだけども、「高橋先生、大好きです。」ってね、「ユーモラスでとってもステキなおじさん。」ってね、「私大好きだわー。」なんてね、言ってるかたいっぱいいますよ。女性です。 私は女性に人気があるんです。たぶんそのかた美人だと思いますね。「とっても好き。」って言う人ね。「高橋信次とっても好き。」って言う人は、たぶん美人でね、頭がよくて、そしてみんなから好かれてて、もうお父さん、お母さんからも評判がよくてね。 会社でも上司の受けがよくて、同僚の受けがよくてね、そして同じ女の子どうしからも、ひじょうに好かれている女の子、こういう人が私の本を読んで、感動するんだと思うんですね。 だから私の本読んで感動した人は、心がきれいなかたですから、そういう心のきれいなかたはやっぱり外面に表われるんですね。そして、えー外面も美しくなり、人からも好かれ、そしてすばらしい毎日を送っていけるようになるんですねえ。まあそういうふうに思っているんです。 さて、本章では神理文明論ですね、ずいぶん大きくかまえてみました。この意味は、神理に基づいた文明論ということになるわけですね。まあ、そういうふうに考えていただいてけっこうであろうと思います。 さて、神理文明論というのは、これからどうした文明を創っていかねばならんのか、と、そういうことでもあるわけですね。それでけっきょくは、私たちのこれからの課題ということでもあるんですね。 この本書において、私たちの今後の文明構築の課題というものをいくつか、呈示しておきたい。まあこういうふうに思うんですね。 さあ、では来たるべき新しい文明っていうのは、いったいいかなる文明でありましょうか。どのような文明が来るのでしょうか。これをね、考えてみたい。こう思うんですね。 そうしてみると、これからの文明っていうのはね、僕はね、大きく考えて三つの柱があると思うんです。三つの柱ですね。 2.新文明の第一の柱――霊性実証の時代 第一の柱はなにかって言うと、これはね、「霊性実証の時代」であります。ね、霊性の実証時代、これが第一の柱なんですね。 これは霊性って言いましてね、霊的な性質ですね。人間が霊的なる存在であるっていうことのね、実証の時代、これが来なきゃいけない。ま、こう思うんですね。 だってみなさんね、真実は真実なんですから、ね。みなさんね、これマイク握ってね、私マイク握ってしゃべっとるんですよ。ね、これ霊ですよ。霊が言ってるんです。 霊がね、私は霊だって言ってるんですね。霊が私は零(ゼロ)だって言ってるんじゃなくて、ゼロじゃなくて霊(零)だって言ってるんですよ。いいですかね。そういうことなんです。 ある人は先日言ってましたよね。「そんな霊があるって言うならあんたね、そんなら霊に色がついとりゃええじゃないか。」ってね。 「そんな無色透明で見えんからいかんのだ。」ね。「ピンク色かなんかでサーッと出てくりゃいいんじゃ。」ってね、ネグリジェみたいなん着て霊が。夜な夜なピンク色でサーッと出て来たら楽しくて楽しくて、「霊よ来い来い、また来いよ。」ってね。「こっちの水は甘いぞ。」ってね。 そして霊よ来い来いして、ピンク色のなんかネグリジェ着た霊が出てきたら、そしたらね、便利でいいよね。あー認めた、認めたって、たしかにいるねー、いるねーってね。 「あー僕はこんどはピンク色のつぎは水玉模様がいいや。」なんてね。水玉模様の霊出て来いなんてね、はい出てきました。なんてね。 夏は暑いからやっぱりなーんちゅうかなあ、えー夏は暑いからこうござっていうんかな、「ござ巻いたような霊出てこい。」なんて言ったらねえ、高橋信次がござなんか巻いて「はい出てきたぞー。」なんてね。「ござでござりー。」ってね。こういうふうに出てくるかもしれませんね。 こういうふうに霊に色があってね、かたちがあってみんなが見えたら、証明もいらんじゃないか。まあそういう人もなかにはいらっしゃるでしょう。 たしかにそりゃそうだけど、ねえ、しかしねえ、霊がそんなござかぶって出てくるぐらいならね、あんたね、なーんで霊にならにゃいかんのだ。そんなんだったらもうそのままこの地上でみな生活しとりゃええんだね。そうでしょ。 霊が霊になるっちゅうのは、こことはちがう世界で生活しとるからそれでええんだな。そんなこの地上で見えるような確認できるようなあれだったら、べつに霊にならんでええわな。 そんなんだったらもうやめちゃって、霊になるのやめちゃって、青虫がね、あなたサナギになって、チョウチョになるようになりゃええんだ。 だから人間七十年やったら、八十年でもいいよ、人間八十年やったらね、死んだように横たわってね、しばらくしとったら、体コチコチに固まってね。 しまいに繭(まゆ)みたいになって、固まっちゃって、半年ぐらい固まったままでね、あなたね、銀行の金庫のなかかね、貸し金庫のなかか、あるいは魚河岸(うおがし)のね、なんか鮪(まぐろ)の冷凍庫のなかほうり込まれてね。 半年ぐらい固まっとったら、半年ぐらいしてあったかくなってきたらなんか取り出してみたら、パカツと真二つに割れちゃってね、なかからぜんぜんちがうの出てきたりね。 こういうようにして、あなた、こんど羽が生えた人間出てきてね。こんどは、もういったん死んだらつぎは、羽が生えてなんか、空中飛べるようになると、人間こんなんでもいいんですよ。そら考える勇気はありますよ。そらおもしろいでしょうな。こういうふうにすりゃあな。 3.神が、この世に二種の人間を置かなかった理由 だけどまあ、この世に二種類の人間は置かなかったんですね。だからまあ神様のその辺は芸術センスの問題でね。 この芸術センスが「5」だか「4」だか僕はよくわがらん。ねえ、点数がよくわかんない。ただこういうふうになっとんだな。だから僕はいまもう一回人間創りなおすとしたら、そんなんでもいいと思うんだね。 だから六十、七十になったらどんな美人でもきたなくなるんだろう。いやだろう。だからコチコチになって死んじゃって、鮪(まぐろ)の削りぶしみたいになっちゃって、あら鰹(かつお)か、鰹の削りぶしみたいになっちゃって固まっちゃってね。 それで半年ぐらい冬眠して、そしてサナギになって、サナギから出てきたら、こんど、ね、羽が生えちゃって、なにか生えちゃって、ブンブン、空飛べるようにね、そうしたらすばらしいよね。 ある者はだからそうしたサナギになる前に、えーよく悟った人がね、こんどはサナギから出てきたときに羽が生えて空が飛べる。 しかし悟らんかった霊はどうなるかっちゅうたら、こんど出てきたら手足がなくなって魚になっとると。そして悟らんかった霊はサナギから出てきたら、海のなかドボンとはいって海のなかで泳いどると。 でお魚さんになっちゃう、ね。で、悟った霊はエンゼルみたいに空飛べる、ね。こういうのでもあってもおもしろいかもわかんないねー。どうだろうか、ね。 こういう二種類にしたらもう天国、地獄言わなくたってね。サナギになったあとお魚さんになっちゃうのと、ね、人魚だな、顔はいいわ人間でも、下半身が人魚で、人魚姫みたいに海のなか泳がないかんのと、羽が生えて、空が飛べるのと、こう二種類創ってもいいんだよな。そうしたらおもしろいね。 そしてこんど人魚とエンゼルがまた適当な年齢になったら、もうエンゼルやめちゃってもう羽が歳とってとれちゃって落ちちゃって、ね。 人魚もなんか産卵しちゃって、卵産んだら人魚も消えちゃってね、卵になる。卵がまた人間になるとかね。こういうふうな循環考えてもよかったのかもしれないね。 ただね、神さん考えられたのは、そんな目に見えるかたちでね、信賞必罰がはっきり見えるのはね、あまりおもしろくないと思うんだなあ。 ね、パン食い競争といっしょでさ。あそこ行ったらパンがぶら下がっている。あそこ行ったら牛乳飲まにゃいかん、あそこで顔洗わにゃいかんなんてね、目に見えるのおもしろくないじゃない。 そうじゃなくて探検でね、これ森のなかでいったいなにが出るかわかんない。大蛇が出るか、乙姫さんが出るかなにかわかんない。とにかく手探りで森のなか進んでいく。これがおもしろいんだな。これがスリルと探検がね。 ところがパン食い競争みたいにあなた、見渡しゃもう百メートル先までなにがぶら下がってるかみな見える。 ね、あとなんか黄な粉のなかに飴かなんかはいっちゃってプープープープー吹いて顔真白になって、食べなきゃいけないとかね。こんなんみな見えちゃうね。おもしろくないわね、たいしたことねえや、ね。 だから、それで人間諭(さと)すのがだいじだよねえ。 おめえ鳥になりたいっちゅうんか。空飛びたいならねえ、もっと修行しなさい、なんてね。お魚になりたきゃそんでいいよ、なんてね。そんなのもう子供みたいでバカバカしいじゃない。わからんからいいってね。 だから霊っていうものを色ついてピンク色で飛ばさないようにしておる理由は、やっぱり人間のこの精神的なね、えーなんと言いますかね、価値を高めるためにそういうふうにしとるんですねえ。 4.信仰とは、認識力の増大を意味する やっぱりね、けっきょくなんて言いますか、信じるってことは宗教にはつきものですけれども、信じるっていうことがつきものの背景にはね、そこに大いなる精神的な飛躍ってのがあるんだね。精神の飛躍。飛翔感ていうのがあるんですね。これがあるわけです。 あなたね、自分が確認したものだけを信じるっていうのはね、これはりっぱなように思うよ、一見ね。科学的実証精神のように思うよ。もう自分が確認したものだけを信じる。 じゃあアメリカ行ってない人はアメリカのあるのを信じないの筋なんじゃないですか、ねえ。月行ったことのない人は月がないことを思うのは筋なんじゃないですか。どうでしょうか、ね。僕はそう思うんですよ。 そんなら霊だけをそんなこと言わずに、じゃあほかのことだっていっしょじゃないですかってね。軽井沢行ったことない人は、軽井沢なんてあんなの神話じゃないかって言っとりゃいいんだよ。そうだろう、ね。 自分が経験したときが、ことだけがすべてで、真実で、経験してないことは真実でないって言うならそういうこったな、ね。じゃあその結果どうなるんだ人間は。 自分が確認できて、経験できたものだけが真実で、そうでないものはそうじゃないって言ってどうなるんだ。人間はね、けっきょく手さぐりといっしょだろ。ちがうか。 手さぐりで生きとる人間てけっきょくなんだ。そしたらあなたね、アリと変わらんぜ。アリと。 あなたがた地上はっとるアリ見てごらん。ねえ、かわいそうだよねえ。もう右曲がり左曲がり、もうあっちまわりこっちまわり見てたら一時間、見てたら一時間グルグルグルグル一メートルぐらいのところまわっとんだろ。ちがうか。地面のね。あっちあたり、こっちあたりグルグルグルグルまわっとる。触角動かしてね。触角でさわってるんだよ、一生懸命。 ね、ああいうアリさんみたいな人生になっちゃうんだな。かわいそうだろ。ね、もう一段高い認識力がないんだな。自分の置かれとる立場、あるいはこの世界というものにたいする認識っていうものができない。アリさんはね。こういうことだ。 だから経験論、実証精神だいじだけど、それがようするに自分を小さくして、そして認識力を低めておるなら意味がないな。だから信ずるっていうこと、信仰っていうことの意味は、認識力の増大を意味するんですね。 つまり、目や口や鼻や手ざわりで感ずるもの以外を感じとるってことでしょ、信ずるっていうことは。ちがうか。全身全霊で感じるっていうんでしょ、ね。それは認識力が高まったことだ。認識力が。 認識力が高まるっていうのはどういうことかって言うと、わかる範囲が広がるってことだな。物事がわかる範囲が広がる。 物事がわかる範囲が広がるってことはどういうことかって言うと、アリさんよりは人間さんでしょ。アリさんよりはバッタさんかもしれない。バッタさんよりはお亀さん。お亀さんよりはウサギさんやらなにや知りませんがね。 あるいは、犬、犬よりは人間、そうかもしれないね。人間よりはじゃあ神様だな。認識力が高まるってことは神様にそれだけ近づいていくってことだ。ちがうだろうか、ね。そういうことでしょ。 5.これから、霊界の研究者が尊敬されるようになる時代が来る だから、自分が確認したことだけしか信じないって言うんなら、人類は何世代にも、何十世代、何千世代にもわたって生まれ変わってきたけど、それぞれの人間が、自分が確認したものしか信じられないって言うんなら、文明や文化の進歩はなにもないことになる。そうだろう。 もう一回ゼロから始めて、ね。一足す一がほんとに二かどうか、もう一回確認しなきゃいけない。ちがうだろうか、ね。そういうことだね。 だからあるていど前提とする部分があって、文化や文明は進んどるんですな。そのなかにはたんなる信仰とはちがうけれども、信ずるという行為がやはりあるし、それを受け入れるという行為はあるんだな。僕はそう思う。 だからこれからの時代はね、まず第一に霊性の時代であって、そうした目に見えぬ霊の世界が厳にあるということに対する実証、ほんとうにそっちの意味の実証精神ね。これはいってきますよ。 で、科学者なんていろいろ言ってるけど、この霊界のね、研究者なんていうのはものすごく尊敬されるようになる時代が来ますよ。第一人者なんてね。 いまだったら医学界の第一人者、ねえ物理学の第一人者なんて尊敬されてるけど、それが霊界の第一人者なんて言ったら「なーに言ってんの、気持ち悪い。バカにして。」ってね。バカにされちゃいますね。 ところがこれから霊界研究の第一人者って言ったら「ほーすごいなー。」ってね。こういうふうになってくるでしょう。まあこれが霊性の時代ってことの第一点ですね。だから文明、新しい文明のね、第一。 6.新文明の第二の柱①――原始に還れという復興運動がおこる時代 第二はね、これからの時代の特徴の第二点は、第二の時代はいったいなにかと言いますとね、えーまあこれからもう一度ね、文明の再考、というのが始まっていきますね、再考。 文明、現代ある科学文明っていうのが、これがいいものかどうかっていうことが、もう一度考えなおされる時代ね。こうした時代にこれからはいっていくんですね。 それはなにかって言うとね、二つに分かれるんですね。 これはなんか『孔子の霊言』かなんかにもあったそうですけども、ますます科学文明を発達させていこうとする方向と、原始に還れ、昔に還れという復興運動、この二つの潮流が巻き起こってきますね。どっちも神理は神理なんですね。 なんで都会でネクタイぶら下げてね、ギュウギュウ電車にゆられて、会社冷暖房きいとるかどうか知らんが、会社のなかでね、一日中働かなきゃいかんのかと。こんなの人間の本来の性質に向いていない。こういうふうに主張する人が出てきて、それに賛同する人も出るでしょう。 そういう人たちが武者小路実篤じゃありませんが、新しき村運動じゃないけどね。そうした原始に還れと、自然に還る、自然の美しさに還ると、いうふうな運動をね、展開、積極的展開をする時代がこれから始まってきますよ。 おおいにそういうことを唱道する人が出てきます。それはそれでひとつの動きだと思う。 やはりね、都会が人間を進歩、発展させるところもあるが、堕落させてる面もひじょうに多い。そんな堕落させるような素材をそのままにしておかないで、そうしたものがない、もう一度新たに造りなおす時代ね、造りなおすという時代、これをやはり考える。そういう時期が来るんですね。 リンカーンじゃございませんが丸太小屋をね、自分で作る。ね、みんなね、小さいころは喜び感じたんだよ。自分でいろんなもの作ったことをね。 ボーイスカウトだか、村の少年だか知らんがね、自分で小屋を作ってみたりね。自分で穴を掘ってね、それで上に茅(かや)かなんか葺(ふ)いちゃってね。そして探検ごっこやってみたりね。 そうしたことにずいぶん生き甲斐感じてたわけだよ。いつかしらそんなの生き甲斐忘れちゃった。ね、自分で新たにいろんなもの作っていくっていうこと。ね、農作物だってそう、動物を飼うことだってそうね。 畑正憲さんて言うんか、ムツゴロウの動物王国とか言って、北海道やらどっか、なんとか村やら知らんけど、どっかでやっとんだろう、ムツゴロウ共和国とかね。ああいうのがね、まあひとつのなんて言うんかひとつのあれになりますよ。 あのムツゴロウさん、あれ諸天善神のひとりだよ、ね。ああいうのは稲荷大明神って言ってね、動物を指導しておる霊人がおるんだな。そういう人のなかのひとりですよ。 まあ、ああいう人がやるわけだな。ああいう時代になるわけです。僕はこれでもいいと思うんだよね。 文明でかならずしも進歩する人ばかりじゃないんだな。毒されることが多い人も多いと思うんだ、ね。 だってあなたね、都会行きゃあもうほんと悪の臭いがしちゃって、新宿歌舞伎町とかね、あなた銀座のどこそことかね、渋谷のどこそこ、上野の某所、あるいは千葉のナントカ町、ね、川崎のナントカ町。 こんなところってのはあなたね、まあそりゃ聖人君子だってあんまりそんなとこ住んでたらね、だんだんだんだんやっぱりフラフラフラフラし始めますね。ないほうがいいわけですね。 そういう意味では、そういうものはないってこともいいんですね。軽井沢には風俗営業がない。そういう町もだいじなわけなんですね。ないとどうしようもないですからねえ。あるとやっぱりフラフラ行きますわね。ないこともけっこうなんですね。 だから自然のなかでね、そんな風俗営業ないようなところで、生活することもだいじですよ。そうじゃないでしょうかね。それが人間向上させることにもなる、ね。 7.新文明の第二の桂②――未来産業型の文明時代 で、これがひとつの流れだし、もうひとつの流れとしては、いわゆるもっと科学技術の進歩ですね。まだまだこんなんじゃあ物足りない。どんどん作り出してみよう。いろんなものを作り出してみる。 それから、やっぱり好奇心旺盛な人はどんどん月へ行き、金星へ行き、ねえ、ほかに太陽系からも出て探検してみたい。宇宙人とも握手してみたい。こんな人もおるでしょう、ね。 『太陽の法』っていう本読むと、なんだか金星人がおったらしい、ね。エル・ミオーレっていう神霊が治めとったらしい、統治者がおったらしい。 「ちょっと金星ツアー行こう。」ってね。「金星人の化石を見つける会」なんてね、できちゃって、金星ツアーして、どこかに埋まっとらんかと一生懸命シャベルで掘ったりしてね。そんな人も出るかもしれない。 そうした新しい経験でもって、それで進歩する人もいるでしょうから、まあそれはそれでけっこうでしょう。 後者について、宇宙時代についてもうちょっと言えばね、宇宙人との交流っていうのが、これがますます積極的になってきますよ。彼らもまた新たな世界観求めて来とるんですね。 いま、地球自体、だいたい法が出尽くしたと思うかもしれないが、宇宙人と接触するとこんどまたちがった法がね、感じられますよ。地球の法だけがすべてじゃないんですよ。 私は前のほうの章でも言いましたけどね。そんなお札(さつ)交換してなんかしとるの見たら不思議に感じるって言ったけども、そういうほかの惑星の考え学んだら、また人間気がつかない教えってのも増えてね、そして新たな考えかたっていうのを学ぶかもしれないね。まあそういうふうに思いますよ。 だからそういう宇宙時代も来るし、UFOも現在十何種類来てますから、地球にね。やがてだんだん確認されていくでありましょう。 彼らが来とる理由は、新しい文明のなかに参入したいという気持ちもあるし、あるいは地球を偵察に来とるとこもあるし、もと私たちが来た母星からもちょっとは来とるんですがね、確認しにね。いろいろやっとるんですが、理由はいろいろあるんですけどね。 ま、これはまた『高橋信次の空飛ぶ円盤』(「高橋信次のUFOと宇宙」として刊行)でもなにかまた一回組まにゃいかんかもしれませんね。ちょっとこの本章のなかで言うのはむずかしい。まあそういうことがありますね。 ですから第一の柱として、霊性の時代が来るって言ったけども、第二番目の柱で時代が二極分解して、原始に還れ、それと未来産業型の文明時代へと行くと。こういう二極分解するでしょう。で、それぞれ神理はそのなかにあると。こういう話しましたね。 8.新文明の第三の柱――精神的な帰属が社会的ステータスをつくる時代 じゃあ、第三番目の時代はいったいなにでありましょうか、ね。これはね、まあ先ほどの霊性の時代ということにひじょうに関係するわけなんですね。 つまりひじょうにそれと似かよっておって、空海さんなんかも『空海の霊言』のなかで言っておられたように思いますが、これからはね、精神的な帰属というものが、社会的ステータスをつくる、そういう時代が来ます。 精神的な帰属。つまり宗教なら宗教、なにを信じておるか、あるいは道徳ならどうした道徳を信じておるか。どうした教えというものを実践しておるかね。 こうしたことが社会的ステータスシンボルになる時代がやってきます。これは不思議ですがね。 いまだいたいみな名刺だして、「なんとか会社の専務です。」ね。「部長です。」「なんと平社員です。」って、やっとるわけですね。 そうじゃなくて、空海さんが言っておられるように、まあ、いっしょですが、自分はえー「講師をしておる。」とか、ね。「自分はGLAの後始末をした人間だ。」とか、ね。 「自分は高橋信次亡きあと別派作って、世の中混乱に陥れた人間だ。」と、ま、これは論外でございますが、こういうのは別にすれば、精神的な帰属っていうのが、その人のやはり値打ちを表わすようになる時代がやって来ますよ。 だからいまは宗教やっても「なんだかバカみたいな。」って言うけれども、これからどういう団体に帰属しておるかっていうことはね、その人の値打ちね、魂の値打ちを決める時代が来る。 ま、いま入会試験むずかしいのやってますが、これなんかその走りなんですね、時代の、ね。 ゴルフの会員権だけが高いなんてそんなのとんでもありませんよ、ねえ。どこそこゴルフ会でやれるとかね。こんなんだけがあなたね、値打ちじゃありませんよ。 これから神理の団体っていうのはね、ほんとうに魂を磨く団体になっていきますから、どの団体に属しておるかね、これがね、社会的ステータスになってきますよ。 こういう時代、価値逆転の時代がね、始まりますよ。ね、これだいじですし、僕たちそれをねらってるんですね。 9.これからは、神理を勉強していることが資格になる時代が来る えー神理価値ってことはずいぶん言いましたけども、前章でも言いましたけども、これからそういう価値逆転の時代でね。 いままでは宗教にはいってるちゅうのは隠さなきゃいけなかったけども、これからは、はいってるっていうことが値打ちになってきて自慢になってくる、ね。自分のステータスになる。 で、むしろ会社に勤めてるっていうことなんかそんなのどうでもいいことでね、どこの会社に勤めてようが、なにやろうが、そんなの漁師やってようが、あんた木こりやっとろうが、会社の重役やっとろうが関係ない。 それはね、生業(なりわい)を立てるためにやっとるんだ。そうじゃなくて土、日あるいは普段の夜、いったいなにやっとるかね、これがだいじになってくる。これを競うようになる、ね。ま、そういう時代にならにゃうそです。ほんとうに魂磨くということがだいじになる時代ね。 だからいまねえ、こそこそといろんな神理の伝道手伝ってる人おると思うけど、これからそれを堂々と言う時代になってくるよ。これから堂々と、ね。資格の時代になるよ。神理も。 資格の時代が始まる。新たな、ね。えー魂を磨いているってことにたいする資格の、大いなる資格の時代が来る。こういうふうに思いますね。 それでないとおかしいよねー。文部省認定、英語検定だけあるでしょう。一級だとかあなた二級だとか三級だとかね。 最近は一級と二級の間に差があるから準一級なんて作ったらしいよ、文部省ね。こんなことばっかりやってね、もうええ大人があんた英語の試験ばかり勉強してるんだ。もったいないよー。 英語なんかあなたアメリカにこんど生まれりゃええんだよ、ね。転生してアメリカに生まれりゃ英語しゃべれるじゃないねえ。 日本に生まれりゃ日本語勉強できるんだよ。そんなのわかっとるんだからもう、ほどほどにすりゃええんだ、そんなことね。 そんなんじゃなくてね、これからどれだけね、神理の勉強してるかね、これがほんとうは役に立つかもしれないよ。 だからこれから神理が資格の時代にはいってくるぞ。ね、楽しいじゃないか。そんなんがあって、みんながね、日本国民がね、われを競って神理を勉強し始めるって。これはいいことですよー、ねえ。 文部省の教育はいいとしても、そんな英語だとか、あなた無線通信士の技能だとか、針灸だとかなんだかんだとまああるかもしらんけど、まあそれもけっこうだけども、いろんな国家資格あるわなあ。まああるけどたいしたことはないわなあ。死んであの世へ持って還るほどのものはほとんどないんだ、資格はな。 だからこれから神理を勉強してるってことが資格になる時代になると思います。そして神理の団体もね、いわゆるほんとうに信ずるか信じないか、まあそういうふうなオカルト的なあれじゃなくてね。ひじょうに教育的な側面というものを多く持ってくる、そういう時代がやってくると思うんですねえ。 だからこういうこと言ってた人いたけどねえ、通信教育の時代なんて言ってたけども、そうなるかもしれませんね。 これから法というのがあるていど定型化され、類型化されてね、ほんとう通信教育でもできるような、そういう時代ほんとうに来ると思いますよ、もうすぐ、これそう遠くないですよ。 10.今後、「高橋信次コース終了認定」免許が出る時代が来るかもしれない だからいろんな教えがあるけれども、もう教えが多すぎるからもういくつかね、分けて、とにかく高橋信次コースってあって、高橋信次コースってのは、幸福の科学出版から出てる高橋信次霊訓集、たとえば全二十巻がテキストである。 で、これで単位があってね。前期は第一巻から第五巻、ね。後期は第六巻から第十巻。そしてこの基礎コースをマスターしたらつぎに応用コースヘはいっていく。で、第十一巻から第十五巻、ね。それから卒業コース、第十六巻から第二十巻、こういうふうにこう範囲が決まってね。 そして、三年計画ぐらいで、社会人の生涯学習で、「高橋信次コース終了認定」こういうのが出ます。 「あーよかったー。」ね。「終了認定出た。じゃどうしようかな。まあじゃあこれ卒業したから、じゃあちょっと谷口雅春コース行ってみるかー。」って言ったら、つぎまた三年ぐらい「光明思想研修」なんてね。 谷口雅春コース三年ぐらいやって、「また免許いっちょ取ったー。」ってね。こういうので何枚も取ってね。勉強の手段がそこでできてくる。こういう時代になってくるかもしれませんね。いいことですよ。どんどんマスターしてくる。 これだけ天上界の先生がいっぱいおるんだから。あの世還ったってもう消化不良でできないですよ、だんだん。この世のうちに早目にマスターしておきましょうね。 そしてあの世に還ったらね、ちょっと見せてね、資格、「もうこれとこれと終了してますから。」って「おっそうか。じゃあつぎはもう残ってんのはまあ岩登りとあなた木登りの仙人の修行しかねえから、ちょっと仙人界行ってこい。」なんて言われてね、カクッときたりするかもしれませんが、まあそういうことはあるかもしれませんが、まあね、あの世でもどうせ勉強するんだから、この世でできる機会にね、バッチリ勉強してね、どんどん優等生になっていただきたい。 まあそういう話で神理文明論と称しましてね、えー三つの柱立てて話をしました。霊的なことが実証される時代。そういう時代が来るということ。 それから文明の類型として、えー自然に還れ型と、未来産業型と、二つに分かれてくるであろうっていうこと。 それから三番目に、えーこれから霊的なものがね、勉強が資格の時代になってくるよ。それからステータスシンボルになってくる時代が来るよ、ね。まあこういうことを話しました。 まあこういう未来を先取りしてね、みなさんもね、日々努力精進してください。そしたら賢い人間と言われるようになるんですね。じゃあまた、お会いしましょう。
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目次 1.道を求める青年の生き方 2.今世の使命について 3.自分の使命を知りたい人へのアドバイス 4.スポーツを通しての神理伝道は可能か 5.病院カウンセラーの使命 6.ある画家の転生と今世の使命について 1.道を求める青年の生き方 (問) 私は瞑想(めいそう)ヨーガの教えを受けて半年ほどになります。その間、心の世界にだんだん惹(ひ)かれていきました。そして、霊言集を読んだとき、自分の求めていた世界はこれだと思い、現在、正法伝道のお手伝いをさせていただきたい気持ちがつのっています。そこで、私の今世においての使命を、お教えいただければありがたいと思います。 事務職(男性)22歳 (答)過去世は道元の直弟子(じきでし)であった この方は、過去世において、仏法の伝道に力があった方です。この方は、今からおよそ七百数十年ほど前、日本の鎌倉時代に生まれております。このとき、この方は、仏教の修行に大変励んでおります。この方は、現在、鎌倉という地域がありますが、そこを中心として起こったある宗教、このなかで大変に力を持っていた方です。 この方は、その過去世において、道元という人の弟子だった時代があります。道元の弟子となって、さまざまな修行をしていたのです。また、道元について、北陸、永平寺にも行っていたことがあるはずです。このように、過去世では、自力行において、かなり悟った方であったようです。ですから、今世においても、やはり宗数的な伝道ということを一生の仕事とするように生まれてきております。まだ若い方なので、その魂の煌(きらめ)きだけしか見えないでありましょうが、この方はやがて、大変貴重な存在となる方だと思います。すなわち、今世において学んだことだけではなく、過去世において得た知識、過去世において学んだ法、こうしたものが力を得てくるからであります。 私は、この方が誰であったかについては、今は言うつもりはありません。ただ、過去において、鎌倉仏教の時代に、鎌倉という地域を中心に、主として道元の教えを説いた方であります。こうした方が、七百数十年ぶりに日本の国に生まれてきたのです。 正法者へのアドバイス この方に対する注意点ですが、人生経験が浅いために、今後数年間は、まだまだ大変な苦労をすると思います。この方が手伝っているOOOOOの動きも、非常に大きなものとなってきました。さまざまな人が訪ねて来て、大変な苦労が出てくるはすです。そうしたときに、この方は、まだ年齢も若く、人生経験がたりないために、大変な苦労をすることがあると、私には見えます。 ただ、そうしたなかにおいても、この方は、負けるような人ではありません。いろいろな人と接しながら、揉(も)まれていくということ、そして、過去世においてこの方がなしてきたことからして、現在、たとえ若くて経験がたりないとしても、そんなことに負けるような人ではないのです。すなわち、それだけ何十年もの修行を積んだ方なのです。 そういう方ですから、どうか自信を待って、自分の方向に間違いないということを確信して、一途に進んでいただきたいと思います。そして、過去世に学んだ教えのみではなくて、今世においても、さらにさまざまな教えを学んで、よりいっそう力強い法の伝道者として立ち上がっていただきたいと思います。私はこの方に期待しています。 (1986年8月21日の霊示) 2.今世の使命について (問) 私は、高橋信次先生の正法に触れて、約七年ほどになります。その間、ヨーガ、内観を通して自己向上を計り、また、日常生活のなかでも、自分の心を向上すべく努力してきたつもりです。このたび、日蓮様の霊言集を読ませていただき、涙が止まらず、体が熱くなって、感動のあまり、ふるえが止まりませんでした。 現在私は、自分で会社を運営しておりますが、何か、人様のお役に立ちたい、正法伝道をしたいという気持ちを強く持っております。しかし、盲が盲の手を引けないという思いもあり、現在どのようなことで、人様のお役に立つことができるかと、悩んでいます。今後、私がどのようにして進んでいったらいいのか、アドバイスをお願いします。 貿易会社社長(男性)48歳 (答)過去世は日蓮六老僧の一人であった この方は、もちろん、神理に非常に関係のある方です。また、仏縁のある方です。私の霊言集を読んで大変感動したとのことですが、それもそのはずです。というのは、この方は、過去世において、私の弟子だったからです。 この方は今から七百数十年前、ほぼ八百年近く前になりますが、私が日蓮として鎌倉時代の日本に出たときに、私の弟子をしていた一人です。ですから、この方が、今、地上に出て、かつての師の教えを、その言葉を読んで涙が出るのは当然です。この方は、私の話を、毎日毎日聴いておったのです。この方は、今から数百年前に、何十年もの間、私の弟子をやっておったのです。だから、それを感じなければ、盲であります。 まあ、この方も今、自分が何をしたらいいのかわからなくて、ヨーガをやったり、内観をやったりといろんなことをやっておるようです。しかし、こうしたもので、この方の本当の心の渇きを癒(いや)すことはできないのです。なぜならば、この人は、過去世において、仏法のかなり深い神理を学んでいるからであります。そういう方ですから、そんなところで止まることはできないのです。 今世において、私はまた、このように指導霊をして、新たな霊言集を出し、世の人びとを指導していこうとしています。つまり、この方のかつての師は、今、天上界にあって、地上の人びとの指導をしております。よく聴きなさい。あなたは、私の弟子なのです。師が天上界にいようとも、地上界にいようとも、同じであります。弟子は弟子としての本分をはたす必要があるのです。すなわち、この方は、私の教えを、あるいは、私以外の高級霊の教えを、世の人びとに広めていくことが使命だということです。それがこの方の使命なのです。ですから、それをはたさずして、貿易会社の社長として一生を終えたならば、この方は日蓮の弟子としては、失格であります。 どうか残りあと何十年かを、熱血、火のごとくなって正法、神理の伝道に励んでいただきたいと思います。あなたは、かつてのわが弟子、かつてのわが弟子であります。私が本当に心から信頼していた弟子の一人なのです。あなたの名は、日蓮六老僧の一人日頂(にっちょう)であります。かつて六老僧の一人として、私を支えてくれた方であります。 神理伝道の盾(たて)となり、矛(ほこ)となりなさい こういう方なのですから、今世においても、この神理伝道の中核となって世の人びとに法を説いていきなさい。この方は、適当な年齢にあり、また、社会的にも地位のある方であります。そういう方なのですから、神理伝道の盾となり、矛となっていくべきなのです。いいですか、他からの攻撃を一身に受けたとしても、それを吹き払っていくような、そういう力強い生き方をしなさい。この方は、盾であり、矛であります。神理伝道のための盾であり、矛であるのです。 また、この方は、露払いでもあります。ですから、神理がこれから伝道されていく道々で、埃や塵を払っていきなさい。この方は、そういうふうに、先頭を切って切り込んでいく人なのです。いわば、切り込み隊長であります。そこで、そういう自分の使命を十分に悟って、いいですか、残りの人生、できるかぎりの人生を送りなさい。それが、この方のかつての師、日蓮からの教えであります。どうかわが声を信頼しなさい。 (1986年8月22日の霊示) 3.自分の使命を知りたい人へのアドバイス (問) 私は、ある自動車販売会社の社長をしております。最近、自分は、少し本心とはずれた人生を生きてきたのではないかと悩んでいます。今までの人生を振り返ってみると、何をしても、そこそこにはやってきました。ただ、何とも要領よく生きてきただけのような気がします。 自分の知らないところで、罪をつくっているような気がするのですが、それが何なのかがわかりません。感謝の心で、毎日を送っております。しかし、一生懸命働いて、会社が順調に成長していても、自分が本当にやらなければならないことがどこか別にあるような気がしてなりません。今後、私は、どういう方面を伸ばしていけばよいのか、また、どうすれば自分の使命をはっきりとわかることができるのかを教えてください。 自動車会社社長(男性)50歳 (答)本質的には宗教家の事業家 この方は、自動車販売会社の社長さんをしているとのことです。つまり、現代社会においては、社会のなかでは、一つの先端的な立場にいて、現代のなかで、いろいろな勉強をしていらっしゃる。魂の修行をしている方だと思います。 この方は、さまざまな生き方をして、そこそこの業績をあげているにもかかわらず、心は満足できない。その理由は確かです。というのは、この方は宗教家だからです。この方は、その生まれつきにおいて、その本質において、宗教家としての素質を持っているのです。人間のなかには、やはり生まれつきの素質というのがあります。そのなかで、たとえば、宗教家的な資質、素質を持った人というのがいるわけです。 どういう人が、そういう素質を持って生まれるか。すなわち、転生輪廻の過程において、そうしたことを数多くやったことがある人です。こういう人は、そういう宗教家的な素質を持っているので、この世の中の仕事をしていても、それだけでは、どうしても満足できないのです。そこで、結局は、心の世界を求めていくことになります。どこかに他の世界があるのではないか、と。それを求める。だから、そういう世界へと入っていくことになります。 この方は、かつて僧侶でした。中国に生まれております。天台智顗という人のお弟子さんでした。中国人です。僧侶をやっていました。天台山系の修行僧で、天台智顗さんのお世話役をずいぶんやっていた方です。そういう方が今、現代に生まれてきているわけですから、やはり仏教の教えに心惹かれるのは当然です。そうでなければ、この方の天命ははたせないからです。つまり、今言った話でだいたいおわかりかと思いますが、この方はそういう修行僧として生まれたのです。 ただ、この方の魂の兄弟のなかには、゛大黒天゛こういう人がいらっしゃいます。天上界で、今、この方を指導しているのは大黒天であります。大黒天が、現在、この方の守護霊をしております。 大黒天が、現在この人を指導している 大黒天というのは、別に特定の個人ではありません。諸天善神のなかの役割は、いろいろに分れています。たとえば、経済的な協力などの役割を持っている人を福の神とか、大黒天とか言います。そして、この方の魂の兄弟、今、天上界で指導応援している人は、大黒天さんなのです。 この方は、おそらくは個人、自分自身でもいろいろ修行されるでしょうが、かつて天台智顗大師のもとで、天台さんの生活をずいぶん助けた方なのです。やはり修行僧でありながら天台さんの身の回りを世話をしたり、生活をずいぶん助けた方です。そういう過去世のある方ですから、今世においても、経済的な側面を見ながら、やはり修行される方となるはずです。そういうことで、だいたいこの方の今世での役割というのが見えてきたと思います。ですから、経済生活そのものはしっかり、今後とも、やっていただきたいと思います。この方は、社会生活を捨てて、出家して、山のなかに篭るようなタイプではありません。そこで、経済生活は経済生活として、しっかり自分の足場を固めながら、その一方で、自分の自由な時間というのをできるだけつくっていくように努力していくべきです。 そして、自由な時間ができたら、この方は、神理伝道のための経済的基礎と人脈づくり、そのために主として奔走するといいと思います。この方の守護指導霊たちにもそうした方たちが多いので、この方に対して、ずいぶん期待しておられます。 ですから、どうか今世においても、神理伝道のための側面的な援助、あるいは、土台づくりのために努力していただきたいと思います。それが、この方の使命なのです。天台智顗大師も、天上界から、この方を応援しています。頑張りなさいと言っています。その他にも、また何か質問があれば受けます。 (問) 自分自身が何か罪を犯しているのではないかということを気にしていて、その点を知りたいのですが、それについて、お答えください。 (答) この方はね、もちろん人間として生まれた以上、さまざまな罪をつくっています。それは当然です。人間関係で、社会生活をしている以上、いろいろな罪をつくるものです。罪なくして死んだ人は、今まで、一人もいないのです。釈迦も、キリストも、罪がありました。日蓮などは、山のような罪があった。日蓮は、山のような罪を背負って死んでいった人間です。あわれな人間であります。そういう日蓮が、今、この方を見ると、この方の罪なんてちっちゃいほうです。罪はあります。もちろん、いろんな罪が見えてきます。しかし、いちいち指摘する必要はないと思います。この方が、一番よく知っているからです。 自分の罪は、自分自身が一番よくわかっているのです。この方が、何をやったかを、私は知っています。ただ、そうしたことは小さなことなのです。大きな道があるのですから、そこを進んでいくためには、そうしたちっちゃな罪の思いというのは、振り捨てていかなくてはなりません。 罪の思いというのは、ちょうど砂袋みたいなものだと言えます。砂袋を背負って歩いていると、実に、重い。重くて重くて、旅路は重いんです。足が重いんですね。だから、そういう砂袋は、一つ一つはずしていかなくてはならないのです。 また、罪というのは、鉄の下駄(げた)みたいなものです。しかし、鉄の下駄を履いて修行すればいいのは、柔道の選手などです。普通の人は、鉄の下駄を履いていたのでは、歩けない。そこで、鉄の下駄は投げ捨てて、竹の下駄かなんかね、あるいは、健康サンダルでも何でもけっこうですが、それを履けばよろしい。そうしたものを履いてですね、身軽にして、旅立っていただきたいと思います。 ですから、あまり自分のことを咎(とが)める必要はありません。そうしたことを気にせずに、もっと軽やかに、もっと軽快に人生を生きていただきたい。もっと積極的な前向きな人生を送るということです。後ろ向きの人生ではダメなんです。 罪を反省するのも大事ですが、そんなことをしているよりは、より多くの人につくす。そのほうが、ずっと大切です。そして、より多くの人のために役立てるような人間として、積極的に自分自身をつくっていくことです。それがまず大事です。個人的な悩みは、二の次であります。 (1986年8月23日の霊示) 4.スポーツを通しての神理伝道は可能か (問) 私は、現在、スポーツクラブを経営しております。私は、以前は無神論者でしたが、内観をして初めて、心の偉大性に気づき、その後、正法に触れ、今は神様の喜ばれるような仕事をしたいという思いに燃えています。 私の夢は、スポーツを通して、人びとが、さらに心の世界を知っていただけるようなセンターを、都内につくりたいということです。より具体的には、スポーツクラブの会員が、瞑想をし、心の平安を得て、さらに正法を知っていただけるような場をつくりたいと思っています。この構想に対してのアドバイスと、いつ頃を予定したらいいのかを教えてください。また、私の今世の使命をお話ください。 スポーツクラブ経営(男性)41歳 (答)スポーツの領域も神理伝道のための入口である どうやらこの方は、悩みがあまりないようです。純粋に自分の思ったことを、思った通りのことを実現していける方のようです。この方は、私に対して質問をしておりますが、実は質問のなかに、もう解答が入っているのです。この方自身が、すでに解答を知っている。そういう方だと思います。 こういう方は、私たちから見ると、非常に心強い方です。この方は、もうすでに、自分自身の使命を知っているはずなのです。私たちは、こういう方のことを好ましいと思っております。何もかもわからずに、「何かを言ってください」というような人よりは、自分のやるべきことにだいたい気づいていながら、「これでいいのでしょうか」と最後の一言を、一押しを聞いてくる、こういう方を見ると、私たちは、非常に頼もしいと感じるのです。 たとえば、昔からあるような伝統的な手段によって、幸福を追究する人もいるでしょう。また、哲学のようなものを通して、知的に悟って、自らの幸福感を高める人もいるはずです。 あるいはまた、この方のように、スポーツというようなものを通して、幸福を追究する人もおります。現代においては、確かにスポーツという領域は、非常に素晴らしい意味で、神理伝道のための入口だと思います。なぜならば、昔のように、出家して、山のなかで瞑想せよとか、あるいはですよ、拝火教とか何かのように、火の燃えているなかを潜っていけだとか、そういうことを今の時代に言ったところで、世の人びとは理解することはできないからです。 スポーツという入口もまた、素晴らしい人口であります。この方は、現在、スポーツということを通して、人間の幸福というのを探るために生きております。その方向自体は、間違っていません。日本人、あるいは、世界の人びとに、スポーツというものが広がっていくということ、これは素晴らしいことです。 スポーツのなかにもさまざまな教えがある スポーツのなかにも、さまざまな教えがあります。スポーツには、まず肉体の健康ということがあります。第二には規則正しい生活、あるいは、スポーツマンシップというようなものがあるはずです。あるいはまた、スポーツのなかにも、人間としての生き方、人間としての礼儀作法、人生の縮図といったものがあるはずです。 この方は、スポーツということを通して、人間の幸福を探究するとともに、スポーツの背後にある心の教えというものを追究していきたいとのこと。これは、この方の本来の使命でありますし、また、その方向は間違っておりません。 もちろん、この方向が、私たちの教えのすべてではありません。しかし、その一角をなすものであることは確かです。ですから、この方が、人びとに心の世界を知ってもらうために、スポーツセンターをつくるとの願いを持っているということは、私たちにとっても大変朗報です。また、この方にとっても、やりがいのある仕事となるはずです。 この方のスポーツセンターづくり、心の世界を知るためのスポーツセンターづくりは、おそらく今から二、三年以内に実現化するでしょう。そして、単に宗教活動を通して神理を知る人だけではなく、こうしたスポーツクラブでのスポーツを通して、私たちの教えに触れるような人が、一人でも二人でも増えてくれることを、私たちは願っております。 この方の方法は、間違っておりません。スポーツクラブならスポーツクラブでけっこうです。それをつくって、肉体の健康だけでなく、心身の調和を求める人たちを一人でも多くつくってほしいと思います。そしてまた、そうした人びとが、私たちの教えに触れていただきたい。こう思っています。 知識だけでものを考える人は、私たち、あの世の人びとの教えというものを得てして疑ってかかりがちです。しかし、そういうふうに疑っている暇があったら、体でも動かして、汗でも流して、健康になることを考えなさいと言いましょう。まず、健康づくりから入っていくべきなのです。知識的にものばかりを考えている人というのは、どこかに不純物がたくさん溜(たま)っているんです。体のなかばかりでなく、頭のなかにも、さまざまな不純物のカスがたくさん溜っている。ですから、こういう人は、まず、体を動かすことです。そして、スポーツのよさを知る。スポーツマンシップのよさを知る。あるいはまた、スポーツの背後にある心身の調和ということ、すなわち、肉体と心とは別なものではなくて不二一体(ふじいったい)だということを知ってほしいのです。こういうことを悟っていっていただきたいと思います。最後に、この方に関しては、今の方向でけっこうだと思います。思うがままに、どんどんやってください。 (1986年8月25日の霊示) 5.病院カウンセラーの使命 (問) 私は、現在、ある病院で患者さんたちにトータル的なカウンセリングを行なっております。この仕事は自分に合っていると思っています。ただ、仕事が忙しく、毎晩十一時前に帰れることはほとんどなく、日曜日も研究会、その他で出かけることが多く、自分の心にゆとりを持つ時間がないことだけが不満です。 現代医学、東洋医学はもちろん、最先端の医学から、超心霊医学、心の世界をも含んだ幅広い場をつくって、悩める人たちのために協力をしていきたいというのが、私の理想です。そのためには、私自身がもっと勉強しなくてはと思っています。今の段階で、自分の時間をつくるとしたら、一日三、四時間の睡眠にするか、あるいは、現在の職場をやめるかしかありません。自分の理想を実現させるためには、私はどのようにしたらよろしいのでしょうか。お教えください。 病院カウンセラー(女性)50歳 (答)人を救いたいというこの方の理想は天命である この方は、これから行なおうとする神理の流布の協力者の一人として選ばれている方です。そういう方ですので、単なる普通の相談とは違うと思います。この方自身、自分の使命感を強く持っておりますが、それはその通り、そういうことを使命として、今世に生まれてきたからです。そして、今五十歳にして初めて、自分の本当の使命ということを悟ったのであります。 この方は、長年病院において、患者さんたちを救うということを仕事としています。これはすなわち、ある意味での菩薩行であります。つまり、そういう何か、人を救いたい、人のためになりたい、人の支えになりたいという気持ちから、現在のような職を選んだのです。ですから、現在の職業は、生まれつき、この方の心性にかなったものでもあったわけです。 しかし現在、この方は、新たな教えに触れております。これから神理の教え、神理の伝道が始まるにつれて、この方の仕事の重点は、だんだんにそちらのほうに移ってきます。この方の問題は今、さまざまな仕事を持っているために大変忙しくて、時間が取れないことです。睡眠時間を減らして頑張るか、あるいは職場を辞めるか、どちらにするにせよ、自分の理想を実現したいということだと思います。 さきほど、前半の総論において、私は、この方の理想そのものは、まさしく天命であり、天職であるということを明らかにしました。人びとを救う、それもいろんな意味から救う。これは、この方の天命なのです。さて、具体的な問題としては、職業というものをどう見るのか、あるいは、職業以外に伝道の道があるのかどうか、こういうことだと思います。これについて、私の考え方を述べたいと思います。 現代の教えは出家の教えではない この方は、病院以外に神理の揚があって、そこに没入しなければ、本当の意味での天命天職を遂行することはできないのではないかと考えております。しかし、実際には、そうではないのです。 現代の教えは、出家の教えではありません。世の仕事をすべて捨てて、いいですか、この世的なるものをすべて捨てて、そして初めて、道に精進するというのは、現代的な教えではないのです。かつて釈迦の時代に、在家の人たちが次々と出家をして、自らの仕事を捨てて、釈迦教団に入りました。釈迦自身は、そのような出家というものを、必ずしも歓迎はしていませんでした。 しかしながら、弟子というのは、すぐ師の形を真似るものです。師が出家をして悟ったのだから、やはり出家ということを通さずしては神理を悟ることはできないのではないか、と。そういうふうに考えて、弟子たちはまず、師の形を真似るのであります。ですから、出家者が、あとを断ちませんでした。そこで、これは非常な問題だとして、釈迦は、「どうか在家のままで修行できる人はしていただきたい」と、こういうことを言ったわけです。 また、次々と夫たちが出家して行ってしまうために、残された妻や子供たちが、釈迦教団に苦情を言ったこともあります。「どうか夫を返してください」と釈迦教団に対して、文句をつけたこともありました。また、娘が出家して尼になる。嫁にいく予定だった娘が出家して尼さんになってしまった。そのときのご両親の悲しみは大変なものだったでしょう。そこで、「どうかそういうことはやめてください。どうかお釈迦様よ、うちの娘を返してください」と、そういうことを言った両親たちもいます。 しかし、そのとき、釈迦はこう言いました。「それはあくまでも、本人の問題である。本人が在家のままで修行するならそれもよし、本人がわれらのもとに来るならばそれもよし。あくまでも、それは、本人の問題である。悟りをもとめる心とは、本人の心、神性、菩提心であるからして、それを何人も妨げることはできない。その菩提心が、どのようにして満たされるかということが問題なのである」と。このように釈迦は、言ったのです。ですから、すなわち、在家もよし、出家もよし、世の混乱は招きたくないけれども、それは本人の心の問題であるということを釈迦は言ったのであります。 それぞれの持ち場を戦場と考えなさい さて、現代においては、はたしてどうであるのか。この方のように、たとえば、夜十一時までも病院で忙しく働いているのであれば、なかなか自分の時間がとれないのは当然です。そこで、これを捨てるか二者択一になるわけです。さあ、どうしたものでしょうか。ただ、私はこう言います。あなたたちのなかには、どうしても他の仕事は辞めて、専任で、専従で、仕事をしていただかねばならぬ人がいることは、もちろん確かです。そういう人がいてくれないと、確かに神理というものは広まりません。しかし、大部分の人には、それぞれの持ち場、これを戦場として考えていただきたいということです。 いいですか、これは一つの、この地上における、三次元における戦(いくさ)なのであります。戦をするには、さまざまな陣形を採らなくてはなりません。戦闘部隊というのが、たくさん必要なのです。切り込み隊も必要です。また、殿(しんがり)を務める人もいます。このように、部隊があるのです。 大きな部隊で今、私たちは、神理のための、神のための戦を起こそうとしております。それぞれの部隊は、小さく分れております。小隊です。大隊があり、中隊があり、そして、小隊があるのです。それぞれの小隊は、それぞれのところに持ち揚がある。これがすなわち、それぞれの人たちが持っている職場というところなのです。各自の職場とは、それぞれが自分の長所を活かせる場だと言えます。そこは、自分の基盤なのです。ですから、自分の持ち場をいたずらに捨てて、いいですか、神理を求めている人ばかりが寄って来て、生活をしたところで、本当の意味での法は広がらないのです。 勤務時間外に教えがあるのではない ですから、この方に対しては、私は、次のようにアドバイスをしたいと思います。この方は、一日病院で、八時間、あるいは十時間、さらには、おそらくそれ以上の時間を過ごしているはずです。そこで、そのなかでの密度を高めることを考えてごらんなさい。 今、この方が、病院で指導しているのは、いわゆる西洋医学の範疇(はんちゅう)のなかでの指導だろうと私は思います。ですから、このなかにおいて、いいですか、この方が心を学ぶことによって、心の教えを一人でも多くの患者さんに説いてあげるということです。これが大事なのです。外にあるのではありません。勤務時間の外に教えがあるのではないのです。勤務時間のなかにも教えはある。そういうことです。 また、この方は、病院に勤めております。すなわち、救われたい、なんとかしてこの世的な悩みから救われたい、病という現象の苦しみから逃れたいという人たちに囲まれているわけです。これは、またとない神理伝道の場だと言えます。こういう場を持っている人は、他にいないのです。一般の人びとが、こういう患者さんたちに教えを説こうとしても、いいですか、患者さんはいません。患者さんたちが、足を引きずって向うからやって来なければ、なかなか教えというものは、説けないのです。 職場のなかにも、神理伝道の場がある 病院というのは、最初から、悩みから救われたいという人が集まっている。まさしく、素晴らしい神理の伝道の場だと言えます。これを活かさない手はないのです。ですから、この方に関して、私は言います。夜帰るのが遅いかもしれません。休みがあまり取れないかもしれません。しかし、その休みの時間は、できるだけ自分の勉強に取り、そして、必要最低時間を他の人びとと連絡を取る時間とする。そして、自分の説法の場は、病院のなかにあると考えることです。 病院のなかというのは、もちろん、そこでお経を上げろと言っているのではありません。いいですか、神理の言葉を、出会う患者一人一人に投げかけてあげるということです。自分が勉強していることを教えてあげる。そういう機会はあるのです。病院の患者さんは、忙しくありません。瞑想ではないけれども、一日一日うつらうつらと過ごしておるのです。このようにムダに時間を過ごしている。ですから、このときに、いいですか、患者さんの部屋を回って行きながら、神理の話をしてあげることです。そして、この方のファンをつくっていく。病院のなかにね。神理の伝道といっても、別に特定宗教の教義を教える必要はありません。自分が学んだ心の教えを伝えてあげる。そういうことです。そういう形で、やってごらんなさい。 そして、患者さんだけでなく、自分を取り巻く医師の人たち、看護婦の人たち、こういう人たちにも、心の世界というものを教えてあげなさい。愛を持って医師や看護婦が患者に接するのと、あるいは、そうではなくて、薬が効く効かない、手術が成功するかどうか、こういうことばかりを唯物論的にやっているのとでは、雲泥の差があります。愛を持って接すれば、治る患者は多いのです。つまり、愛の光、神の光によって影響を受け、病気が治っていくからです。 病人というのは、悪霊に憑かれている場合が多いのです。そういう人たちも、神理の光、愛の光によって救われてきます。ですから、とにかくこの方は、現在の職揚のなかに神理伝道の揚があるということを真剣に考えていくことです。それが、この方の生きる道です。やがてこの方には、必要な時間が与えられるときがきます。そのときまでは、現在の持ち揚のなかで、最大限に自分の力を発揮していく。それが大切です。 (1986年8月24日の霊示) 6.ある画家の転生と今世の使命について (問) 私は現在、画家として生活しております。小さいときから絵は好きで、描き続けてきたとはいうものの、周囲の人たちがいくら誉めてくれても私自身はとても自信がなくて、画家として身をたてるなど、思いもよりませんでした。 私は、いわゆる虚弱児で、小学生の頃から、「人間は、死んだらどうなるのだろう」といったことばかりを考えていました。今でいう、いわゆるネクラだったのです。高校は工業高校に進みましたが、専門科目についていけなくなり、倉田百三や内村鑑三、山室軍平などの著作を読みふけっているうちに、キリスト教の伝道師になろうと神学校に進学。しかし、心身ともに参ってしまい、退学しました。その後、社会福祉関係の仕事を二十年近くいたしましたが、あるきっかけから、画家になったというわけです。 画家になって初めて、自分の使命は、世の人びとに希望と安らぎを与える絵を描くことだとの自覚を持つことができるようになりました。数年前から、今後描くべき絵へのうずきがあります。ただ、今までのいきさつから、社会的に求められている制作に追われてしまい、しかも、妻子のことを考えると、自分のやりたいことだけに没頭できないという葛藤があります。画家としてのキャリアは、まだ十数年でしかありません。海外に取材旅行に出かけることが多いのですが、いずれの国であろうとも、そこに住む人びとは、私たち同様、ごく平凡な暮しを希求していることを感じます。それにつけても、政治イデオロギーの対立から、ある少数の権力者に地球人類の命運が握られていることに恐ろしさを感じます。私のこれからの生き方に対し、また、芸術生活を続ける上でのご助言をいただけたらと思っております。 画家(男性)50歳 (答)日蓮聖人の弟子であった前世 この方に対して、現在、私が考えているかぎりのことを簡単にお伝えしたいと思います。一つは、現在の画家ということに関して。今一つは、それ以外のことに関してです。まず、この方は、現在の仕事、画業ということに専念してやってきて、けっこう軌道に乗ってきたようであります。しかし話としては、やはりこの方の過去世から遡って話を説き起こしていきたいと思います。 この方の前世は、日本の鎌倉時代に、日蓮の弟子だった六老僧の一人日向(にっこう)であります。鎌倉時代、私は三十二歳のときに立宗しました。そして、郷里のお寺で、最初の説法をしたのですが、このとき、私が悟った法華経こそ真理だとの仏法を説きました。しかし、予言者故郷に入れられずではありませんが、郷里の檀家の人たちにはこの説法が受け入れられず、私は郷里を追われ、鎌倉の地に逃れてまいったのです。そして、鎌倉で、辻説法をしたりして、布教を始めたのであります。 その頃、私を助けて法華経を伝道していた六人の弟子たちがおりました。これを日蓮の六老僧と言いますが、この画家は、その六老僧の一人日向だったのです。当時のこの方は、大変人情の機微(きび)に通じている人で、日向の説法を聴く人びとの心を揺さぶることで有名でした。また一方では、大変な詩人でもあり、日向の書く文章、語る言葉の一つ一つに光がこもっておりました。芸術的なセンスにも大変優れていた方で、書を書かせても、一級品となす方だったのです。 聖徳太子の弟子であった前々世 さらにまた、この人の過去世を見ていきますと、今から千四百年近い昔、やはり日本に生まれています。西暦でいうと、六百年前後です。この方は、どうやら聖徳太子の弟子として生まれたようです。聖徳太子の時代に生まれて、太子の仏法の宣伝にずいぶん協力した。そういう方のようであります。 太子は隋(ずい)の国に小野妹子(おののいもこ)を始めとする使者を送って、ずいぶんあちらの仏教思想を取り入れました。その際に、この方も、ずいぶん協力をしています。とくに仏像を中心とした仏教芸術を広めることに主として力があったようです。 飛鳥時代、すなわち聖徳太子の時代には、仏教の仏像、あるいは仏画、こうしたものがたくさん入ってきました。この方も、そうした仏教芸術を中心に、仏教思想を日本の国内に伝えるために、かなり努力した方であります。このとき、朝鮮のほうから日本に渡ってきた帰化人がおります。この人の名を鞍作鳥(くらつくりのとり)と言います。飛鳥寺というところに大仏がありますが、この大仏をつくった人です。鞍作鳥が、現在、この方の指導書をしております。同時代に生きて、共に仏教関係の指導に頑張った人たちです。 釈迦の弟子であった過去世 さらにそのまた前世を透視してみると、紀元前四百数十年前、これは釈迦の弟子のようですね、釈迦の死後弟子たち数百人が集まって仏典の結集ということを行なったのでありますが、そのときのメンバーの一人としてこの方がおります。今あなた方が、私たちの声をこういう形で原稿に起こして書物をつくっているように、この方もそのときに、仏典の結集を手伝っておりました。当時、まだ年が若かったので、十大弟子の一人ではありませんが、アナンたちと一緒に仕事をしていた方です。この方の釈迦の弟子のときの名前は、ウイヤリーという名前で呼ばれています。 アポロンの弟子であった四代前 さらに四代前の前世に遡っていきますと、今から三千六百年から三千七百年くらい前でしょうか、ゼウスという人がギリシャに肉体を持ちました。このとき、ゼウスを中心に、大変文化が栄えましたが、ここでも、この方は出ています。 この当時は、たくさん絵を描いていたようです。ですから、現在の画家の面は、このギリシャ時代の魂の性質がかなり出てきているようです。この方は、そのゼウスの時代に、ゼウスの息子であった光の指導書アポロンを助けて、伝道に力のあった方です。 アポロンには、当時、主だった幹部である弟子が五人ほどおりましたが、このアポロンの弟子の一人でした。すなわち、アポロンを中心とした光の芸術を手伝っていた方の一人であります。アポロンの弟子のときのこの方の名前はエリオンと言います。五人弟子がいたなかでは、まあ、中心に近い役割をしていた方です。こういうふうに、この方の魂は宗教と芸術の両方の面を持って生まれてきています。現在、帰化人であった鞍作鳥が指導霊をしている関係で、こういう芸術方面にずいぶん手腕を持っておりますが、この方の過去世を見たら、わかる通り、この方は、芸術の方面だけでの、一生終わる方ではありません。真理の伝道のために、頑張っていただきたい方です。 また現在、私、日蓮がこうして直接あなた方の指導をするという役割をしていて、この方が、日向上人が今地上に出ておって、そして何も手伝わないわけにいかないのは、当然のことであります。それは、ちょっと考えればわかるはすでしょう。 今世の使命について 過去世の話をして、そして、前世において日蓮六老僧の一人であったこの方の今世における仕事が何であるか、それは、自分自身で、よく自問自答してみることです。そうすれば、わかるはずです。こうしたことは、解答として与えられることではなくて、自分がその解答をしなければいけないことなのです。画家だけで終わっていいわけはないのであります。 他の諸国について、権力者によってどうこうと、この方は言っていますが、こうしたことは、法の全体から見れば、小さなことなのです。今後、いろんな法を学んでいくなかで、その解答を与えられていくでありましょう。いずれにせよ、こういう小さなものにとらわれずに、もっと大きな全体の法、全体の悟りというものを勉強していただきたいと思います。 (1986年9月1日の霊示)
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概要 召喚石の見た目と入手先一覧 召喚攻撃スキル一覧 概要 シャドーアクセサリー左に着用する装備。 召喚原石のままでは効果がなく、初めに召喚原石を専用NPCでアクティベートする必要がある。 召喚石には4つまで各種パッシブ効果を付与する事が出来、効果は装備時に常時発動する。パッシブ効果は1度付けると取り外し不可(超重要)同じパッシブ効果は重複可能だが、20→15→10→5と重ねる毎に少しずつ効果量が下がっていく。 さらに召喚石を装備した状態で召喚器を使用すると、召喚攻撃が発動するようになる。 召喚攻撃の種類は様々あり、NPCでセット&何度でも変更可能。 召喚石には様々な種類があるが、違いは召喚するモンスターの種類のみで性能差はなし。 召喚石は装備者のベースレベルが上がるのに連動してレベルが上昇する(最大9999)。レベルが上がると召喚攻撃威力に補正、レベル1000以降は緩やかに上昇。 召喚石は金剛晶で凸が可能、最大5凸。凸すると召喚攻撃威力に補正、召喚攻撃の対象数UP、付与したパッシブ効果上昇。 最後の5凸目は超越という扱いで、金剛晶の他に白金貨と刻の流砂が必要。 自動召喚の設定は以下の通り(召喚器を所持する事) @autosyokan(as) 0/1/2/3 装備した召喚石に自動召喚機能を設定する。0 自動召喚無し 1 攻撃時 2 被弾時 3 攻撃+被弾時 @syokanrange(sr) 4~14 装備した召喚石に召喚攻撃の射程範囲を設定する。 召喚原石は販売NPCで購入できる。 販売NPCに売ってない特別な原石はレイドボスドロップ、レイド報酬箱から入手できる。 値段は各1000ショップポイント。 召喚攻撃を行うには召喚器が必要になる。 召喚石の見た目と入手先一覧 + ... エキドナ 入手方法:NPCから購入 セイレーン 入手方法:NPCから購入 リリス 入手方法:NPCから購入 ヘラ 入手方法:NPCから購入 デビルチ 入手方法:NPCから購入 アリーナちゃん 入手方法:初めてのアリーナの報酬箱、アリーナちゃんからドロップ イーブル 入手方法:vsイーブルの報酬箱、イーブルからドロップ フェンリル 入手方法:ゲフェン魔法大会の報酬箱、フェンリルからドロップ モロクヒーロー 入手方法:モロク一家の報酬箱、モロクヒーローからドロップ マグナディウエス 入手方法:マグナディウエスからドロップ 召喚攻撃スキル一覧 + ... ファイアーボルト コールドボルト ライトニングボルト アーススパイク セイフティーウォール ニューマ ソウルストライク フロストダイバー ダブルストレイフィング レックスエーテルナ ファイアーアタック ウォーターアタック ウィンドアタック グラウンドアタック ポイズンアタック ホーリーアタック ダークネスアタック テレキネシスアタック ディスペル ダークストライク ダークサンダー
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縞田理理 霧の日にはラノンが視える 霧の日にはラノンが視える 2 霧の日にはラノンが視える 3 霧の日にはラノンが視える 4 裏庭で影がまどろむ昼下がり モンスターズ・イン・パラダイス 1 トップページ>著者名索引>さ行>縞田理理